縮刷版2022年7月下旬号


【7月31日】 読者層とか関係のない共同通信の世論調査で安倍晋三元総理の国葬に反対する人の割合が53.3%で賛成する人の45.1%を大きく上回った。他では直後あたりの調査で賛成する人の方が多かったけれど、それでも拮抗していると欠かざるを得ないくらいにほぼ並んでいたりして、その後に安倍元総理が旧統一協会との付き合いを経っていなかったことが分かったり、自民党の政治家がたくさん旧統一協会のお世話になっていたことが明らかになったりして、印象が悪くなったのが反対の増えた理由なのかもしれない。

 いやいや日本のために貢献をしたならそれはそれで評価して相応しいなら国葬をすべきじゃないのかって意見も分からないでもないけれど、それを声高に主張して自分を納得させられるだけの印象を安倍元総理に抱けなくなっているのかもしれない。それでもやっぱり安倍元総理の凄さを語り継ぎたいのか、国際政治学者が朝のワイドショーに出演して天皇陛下が国葬となるなら総理大臣だってといった意見を言ったとか。いやいや国民の象徴である上に皇室典範にそう定められている天皇と、その天皇に信任を受ける総理大臣を並立で語るのは、国民主権だと言っても無理があるんじゃないかなあ。

 それが分からない国際政治学者でもないんだろうけれど、国葬に賛成する論旨を展開しなくちゃ行けないポジションであれやこれや並べ立てているうちに、残り少なくなってきたカードから無理筋でもえいやっと通そうとしたのかもしれない。ついでに「大喪の礼」を「たいものれい」と言ってしまったのはこの案件を語る上でちょっと不味かったけれど。いくら昭和天皇の大喪の礼が10歳に達して折らず耳に届いていなかったとしても、話題に出す以上は調べて法律上の位置づけも確認した上で喋らなくちゃ学者とは言えないんじゃないのかなあ。ただのコメンテーターなら別にいいけど。そんな扱いなのかも。
 暑さの中で寝ていると茹だるので家を出て電車で本を読みながら中野へ。新馬場新さんの「サマータイム・アイスバーグ」は三浦半島沖に突然氷山が現れて、それが地球の未来を変えかねない秘密を持っていて政府とかが大慌てする一方で、三浦半島に暮らす少年少女は氷山のそばで拾ったひとるの少女を交えてひと夏の思いで作りに邁進するといったSFと青春小説が入り交じった話になっていた。SF的な大仕掛けはあまりないけれど、少年少女がそれぞれに事情を抱えていて事態を挟んでそれと向き合うことになるという、青春小説的な設定が読んで心に響いた。多感な頃を潰すと未来も変わってしまうならやりたいことをやり、なりたい自分になれば良い。そんなことを思った。

 到着した中野でせっかくだからとハンバーグのお店に行ったら準備中のままで開かず。仕方が無いので中野ブロードウェイを回ったら3階のほとんどが高級腕時計の店になっていた。確かにしばらく前からロレックスとか値上がりが激しく新品で変えればあとは上がる一方の状態になっているけれど、こうまで店が増えるとまさに騰貴的な状況に入っているのかもしれない。なので今買うのはちょっと避けたい気持ちだけれど、さらに上がるかもと思うと心も揺れる。そういうところに儲けばなしはつけ込んだ得来るんだろうなあ。まあロレックスで1000万円とかオーディマ・ピゲで3000万円とかパテック・フィリップで4000万円では最初から手も出ないんだけれど。

 帰りの電車でメソポ・たみあ「刻をこえる怪獣」も読んで怪獣に食べられ力を受け継ぐあたりは「怪獣8号」で、その力を使って防衛隊に入って幼馴染みに近づこうとするのもやっぱり「怪獣8号」なんだけれど、そこで行き詰まって「破壊の怪獣」に倒されては時間を遡ってやりなおす繰り返しをするところはちょっと違ってた。同じ事を繰り返した挙げ句にようやく変化を試すところが愚直すぎるけれど、公言できる秘密ではないから仕方が無いのかも。それでお襲ってくる運命にあるいは何か別の意図でもあったりするのかも。それを描き怪獣を身に取り込んだ主人公が堕ちずに生き延びていけるかも含めて描く続きが読みたい。

 電源を探してVELOCHE周りをしてたどりついた地元のVELOCHEで原稿をどうにか仕上げたあたりで、入って来たおばあさまの集団が車座になってマスクもなしに喋り始めたので退散。年齢的なリスクも高いのにどうしてこの大流行している中でそんなことができるのかなあ。ワクチンは打っていたって罹ることは分かっているし重症化だってする訳で、罹らないためにできることをするのが最大の予防なのにそれをしないで罹って騒いで貴重な医療リソースを削るのは誰かに対する罪でもあるって気がしてきた。自分だけは頑張りたい、とか言いつつヘラヘラと出かけていくからそこは一緒か。喋る相手がいないだけでも良しとするか。それは寂しい話だけれど。はあ。


【7月30日】 昨日はそういえば東京ミッドタウン・ホールに行って「グランブルーファンタジー」をネタにしたアート展の内覧を取材したんだった。記事が掲載されて取材には初めて持ち出したPENTAXのS2が案外に綺麗に取れていることが判明。記者発表とかならこれで十分に間に合いそうな気がしてきた。ずっとQ10は使っていたけどシャッターが落ちるのがだんだんと遅くなってピントもずれてそして画質も荒かったのでお蔵入りにしたんだけれど、それで持ち出していたK−7はデカくて取り回しが悪い上にレンズが片ピンになって使えず、K−3を導入したもののやっぱり重くて取り回しが面倒だったのだった。

 企業の代表に会う取材にはさすがにS2では小さすぎておもちゃ扱いされてしまうんで、やっぱりK−3を担いでいかなきゃいけなさそうだけれど記者発表とか展示会とかならS2で間に合うことが分かったので、これでしばらくは乗り切ろう。実際はイPhoneとかのカメラの方が解像度では高くなっていたりするんだけれど、望遠となるとやっぱりまだまだ光学レンズに一日の長がある。その点でちゃんと06ズームも買ってあるので交換しながら使っていけばそれなりの画質の写真はとれるだろう。そういう仕事があればの話だけれど。

 それにしても「グランブルーミュージアム」は普段はセミナーとかカンファレンスをやってる東京ミッドタウン・ホールの部屋をつなげていろいろとセットを組んだりフィギュアをおいたりして「グラブル」の世界に見事に仕立て上げられていた。3.5メートルもある機神とかどうやって運び入れたんだろう。夜寝られなくなっちゃう……っていうのは冗談でバラして運び入れて組んだんだろうけれどもそんな大きなものを入れても圧迫感があまりないのは天井の高さが効いたのかもしれない。

 凄いのは4DXのアトラクションにドームスクリーンをセットにして持ち込んだことで、まるで知らない「グラブル」のそれなりに興味深いバトルを見せてくれた。遡ってストーリーとか追ってみるか、ってそれが簡単にいかないのがソーシャルゲーム。「FGO」とかさっぱりだもんなあ。でも映画は見て分かるからそこはそれ、オタクならではの空想力で隙間を埋めていけば良いのだ。

 明けて土曜日。家に居たら蒸し焼きになるので午前9時過ぎに家を出て、茅場町まで行ってVELOCHEでカタカタと原稿打ち。とりあえず昨日見た「今夜、世界からこの恋が消えても」の感想を書いてそれから8月に出るライトノベルの新刊なんかをチェック。そうか「ツルネ」の最新刊が出るのか。あと「夏へのトンネル、さよならの出口」の八目迷さんによる最新刊も登場。SFっぽい話なんでちょっと期待。新馬場新さんによる「サマータイム・アイスバーグ」も時間SFだったしガガガ文庫、数あるレーベルがラブコメに走る中でしっかりとSF魂を受け継いでいるなあ。「夏へのトンネル、さよならの出口」のアニメ映画がヒットしてさらにSFが集まるとちょっと嬉しいかも。

 茅場町から日本橋を経て池袋までVELOCHEを3軒回って原稿を仕上げてから新・文芸坐へと言って篠崎誠監督の「SHARING」を見る。大昔に八王子で見てそのあとにユーロスペースでも見たけれど劇場で観るのはそれ以来? 東日本大震災で受けた心恩ダメージをさぐるようなストーリーに後天的な記憶が先天的なものへとすり替わって予言めいた話になったりする可能性についても考えさせてくれるストーリー。それだけ大きなトラウマを日本に刻んだとも言える。今はそれにも似た新型コロナウイルス感染症という事態が世界中をギュッと不安にしている。そこからどんな心理的な影響が生まれどんな現象をもたらすか。それを映画人はどう描くか。興味が湧いてきた。

 上映後は篠崎監督に加えて山田キヌヲさんとそれから樋井明日香さんが登壇してトークショー。山田さんと樋井さんが向かい合って語り合う場面は向かい合ってはなくてもお互いに顔が確認できる角度で座ってそれぞれにカメラが向かい、キャッチボールするような感じで撮ったらしくそれだけにかみ合って緊張感を持った画面に仕上がったみたい。横に並んで録音するアニメではできない作り方だけれど表情まで映る映画はやっぱりお互いを意識することが画面にもくっきりと現れるものなんだろう。樋井さんは5年半前にも舞台挨拶を見ていたけれど未だに美しいなあ。山田さんは映画だと知的で淡々とした大学教員なのにオフでは気っ風の良いお姉さん。だから役者って怖い。


【7月29日】 電通の元専務で東京2020オリンピックの組織委員会の元理事でライセンス業務なんかに関わっていた人が、紳士服のAOKIとの間で贈収賄を起こしていたんじゃないかということで捜査を受けている件。どういったパーソナリティなのかは東京2020オリンピックでオフィシャルパートナーになった朝日新聞と読売新聞と毎日新聞と日本経済新聞、そしてオフィシャルサポーターになった産経新聞なんかは付き合いの中から感じ取っていなかったのかがちょっと気になる。

 何かをすれば打ち返しがある人だったのか。スポンサーになるにあたって差配はなかったのか。等々について書くだけでも抜きんでられるのにそうはしないのは契約上の秘密だから? それとも違う理由? そういうところから新聞って揺らいでいっているんだよなあ。それはそれとしてAOKIが出していた東京2020オリンピック関連の商品って何だったんだろう。そもそもがアパレルでそうしたものが出回ったとしても、Tシャツとかポロシャツくらいしか知らないんだよなあ。スーツとかあったっけ。売れそうもなかっただけに大変だっただろうな。そうした不満が今噴出しているとか。捜査を待ちたい。

 いよいよもって政治家も底が抜けてきた感じで、自民党の総務会長をしている福田達夫議員が統一協会との件について「何が問題か分からない」と言ったとか。問題の所在が分からないのか、問題であるということが分からないのかニュアンスがつかめないんだけれど、いずれにしても統一協会という霊感商法の問題が取りざたされ続けている集団との関わりがあったことを問題視できないのなら問題だし、そうした問題を知らないのだったら政治家として問題だ。

 つまりは問題だらけなのに進退を決するとか考えるとかせず知らん顔して通り過ぎようとしているからたまらない。お父上の福田康夫さんはそうした部分でクールだっただけに何か言わないのか。言ったからこそ夕方になって撤回めいた発言をしたのか。おじいさんが発足に関わっていただけに言いづらくても言わないと、未来はないはずなのにありそうな政治。やれやれだ。

 一条岬がメディアワークス文庫から出した原作を僕は読んでいるから設定も展開もだいたい分かっていたけれど、それでも見ていて涙が出て仕方が無かった「今夜、世界からこの恋が消えても」。その泣き所を説明すると内容に大きく踏み込んでしまうから触れられないけれど、言えるとしたら記録されたものであっても自分と関わりのあることに人は想像力が働いて感情を大きく刺激されてしまうのだということ。そうした感情を心の中に押し込めようとして押し込められず溢れ出る様を目の当たりにして、人は忘れることの難しさであり忘れられないことの苦しさを知るのだった。

 「なにわ男子」の道枝駿佑が演じる神谷透のいい人ぶりは我こそがといったキャラが目立つジャニーズの中にあって貴重なナチュラルさ。透のある種の覚悟に誰であっても優しくしたいと改めて思う。TOHOシネマズで映画を見る人には幕間に登場する人としてよく知る福本莉子が演じる日野真織の、特異なキャラクター性をどう演じたら良いか考え抜いて見せてくれた、苦しみを飲み込んで笑う真っ直ぐさも良かった。

 けれどもやっぱり白眉は真織の友達の綿矢泉を演じた古川琴音さん。「メタモルフォーゼの縁側」でBL漫画家を演じていた時とはまた違って、高校生から始まる真織とそして透との出会いからの日々を少し離れつつ寄り添って見守る女子高生といった感じで演じていた。真織の心を思う泉のその決断は逆に自分自身を苦しめているに等しい所業。消えない気持ちをそれでも埋める強さを見せてくれた。

 もうひとり、松本穂香が演じた女性もその行為が自分の心を削り埋めるものだと分かっていて、唇を噛み締めつつなお進み続ける悲壮感が漂っていて頑張ったねと言ってあげたくなった。「今夜、世界からこの恋が消えても」というタイトルのだったら主語は誰かを考えて特殊な状況にある真織に向ける透の恋情かもと思わせつつ、そんな透に向ける幾人かの人たちのものでもあったことを知り、そしして「私たちの世界から気持ちは消せないのだ」と強く叫んで前を向き、歩み始める強さに微笑むことができる。そんな映画だった。


【7月28日】 安倍政権下で統一協会による霊感商法の被害がぐがっと減っているので安倍晋三元総理が統一協会とズブズブの関係だったのはでっち上げだと言っている人たちが指し示すグラフが、2009年から右肩下がりになっている様を見ていやいやこれは2009年に民主党政権が誕生したからなんじゃないのと思えない人たちの視力がとても気になる。あるいは脳の情報処理能力が。

 リーマンショックで経済活動が停滞したこともあったかもしれないし、2011年に東日本大震災があったことも影響しているかもしれないけれど、それでも2009年から2011年までグングンと下がったのが、自民党に政権交代をした2012年にはグガッと上がっているのを見れば一目瞭然、やっぱりズブズブなんだと思うのが普通だろう。その後はなるほど低位安定はしているけれど、時々上がったりしているから締め付けはうまくいってない。最近の停滞は新型コロナウイルス感染症で人の動きが制限されているためで、やっぱり政権の効果とはちょっと言えない。

 でも、安倍晋三元総理が統一協会とズブズブだったと認めたくない脳は視力にも左右して、2009年から2012年までの期間に民主党政権があったことをすっかりと失念させている。普段は「悪夢の民主党政権」だとかいってその時期に起こった東日本大震災の被害もその後の原発停止がもたらしたソーラーパネルの普及による地滑りの発生も、全部民主党のせいにしているのになぜか統一協会による霊感商法の被害現象は自民党の、というより安倍元総理のおかげだってして平然としていられるのは何なんだろうなあ。何かがやっぱりズレている。

 ズレているのは今の政府も同様なようで、統一協会系のイベントなんかに出て講演なんかもしている大学教授をわざわざ招いて家族のことについて喋らせているんだから反省も自省もないみたい。流石にメディアは見逃せないのか来たところをつかまえてあれやこれや突っ込んでいるけど、関係ないと言って逃げてしまったらもう追いかけようがない。あとは自分が親しいメディアでやっぱり同じ事を言い続けるだけ。政治家の方も関わりがあったけどそれが何かと言った風体をとってやっぱり反省もしない。それを突っ込み政権から引きずり下ろす機会なんてしばらくない中、話は風化してそして問題は解消されないまま蜜月が続いていくんだろう。一般にとって悪夢でしかない毒の蜜月が。

 そして気がついたら「佐々木とピーちゃん」のアニメ化が決定していた。文鳥のすがたになった大魔法使いを手に入れたことで中年男に舞い込む異世界での活躍やら現世での異能ばとるやら。ライトノベルの面白い要素をこれでもかと詰め込んでパワープレイを見せる作品だけに面白くないはずがないんだけれど、それを演じる声が杉田智和さんと悠木碧というからもうスペシャル過ぎる。というか異世界転生の作品でターニャやら蜘蛛やらを演じまくっている悠木さんが、こちらでは逆に異世界から来る文鳥を演じていたりする点もちょっと変化球。今から楽しみで仕方が無い。

 放送前から話題沸騰だけれど、一方で「シャングリラ・フロンティア」のアニメ化も発表になっていたりして期待は大。そこに来る「呪術廻戦」の第2期やら「SPY×FAMILY」の第2期やらが待っているからなあ。どれを見れば良いのやら。とはいえ個人的には今の「リコリス・リコイル」が楽しくて仕方が無いようにオリジナルにも期待していたりする。「シドニアの騎士」の二瓶勉さんを招いてポリゴン・ピクチュアズが手掛ける「大雪海のカイナ」は来年の1月からだけれどこれも「空挺ドラゴンズ」から更に進んだ2Dライクな3DCGアニメーションを見せてくれそう。世間ではもはや30分アニメは長大すぎて数分のTikTokじゃないとバズらないなんて意見も出ているけれど、それがどうしたアニメはまだまだ戦えるぞって言わせてくるんじゃないのかな。


【7月27日】 あれやこれやと申し込んだ山下達郎さんのライブは全滅で今のところは大分しかとれていない。コロナで北海道が中止になった後の情報は入ってないから多分開催されるとは思うけれど、もしも中止になったらどこかに行きたいので残るチャンスを頑張って申し込んでいこう。もうちょっと近いところでとれればいいんだけれどなあ。せめて高崎とか新幹線でいける大阪とか。大分はやっぱりちょっと遠すぎる。それだけに行くのは楽しみだけれど。名物って何だろう。

 「二十歳のソウル」は観てないけれどもいろいろ話題になってる「市船ソウル」が流れる場面を確認しようとネットで夏の甲子園大会に出場する学校を決める千葉県大会の決勝を見る。市立船橋高等学校と木更津総合学園との戦いは木更津が先行していたけれども市船が追い上げ追加点。その場面で流れたのがどうやら「市船ソウル」らしいんだけれどジングル程度の短いフレーズが延々と繰り返されるだけでそれがどうして感動を呼ぶのかちょっと分からない。すごい楽曲とも思えないんだけれど、それが流れて市船が得点をしたからそういう意味での奇跡の楽曲ということなのかもしれない。13年ぶりに甲子園でも「市船ソウル」が流れることになった訳でこれは映画にも良い宣伝になりそう。見てくるかなあ。まだ上映しているかなあ。

 県大会をみながら茅場町のVELOCHEでだいたい原稿を打ったので、副島しのぶさんが個展を行っている京橋のギャラリーへと歩いて行って見物。フィギュアを使ってのストップモーションアニメーションだから撮影に使ったフィギュアが展示してあるかと思ったら、映像を大きくして等身大くらいで見せるような感じで流す上映とあとは場面スチルといった感じで製作の裏側に迫るというよりは、作品そのものを拡張して見せるアーティスティックなインスタレーション展示になっていた。

 砂がまかれてバケツが突っ込んであったり井戸から水をくみ上げる釣瓶が下がっていたりと映像から世界が飛び出してきたようにしてあったのも、そうした作品世界の立体的な拡張を目指してのこと。そして見る世界は内面の葛藤が現れたものなのか、それとも迫る外部からの脅威が変じていたものか、どちらとも言えそうな蝶を修行中の少年が潰したことで始まる悔恨と慚愧と恐怖がないまぜになった心情が、ソリッドなフィギュアの上にしかりと再現されていて撮影の妙、そしてフィギュア作成の巧みさが見て取れた。目の中の光とかを入れて取るとああも生々しくなるんだなあ。人形は生きている。そんな気にさせられる作品だった。今は何を作っているんだろう。

 そこから有楽町まで歩いてドトールで原稿を完成させてから、TOHOシネマズ日比谷で「ソー:ラブ&サンダー」を見る。過去の「ソー」のシリーズはまるで見てないんだけれど「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」とそして「アベンジャーズ/エンドゲーム」に出ていたやさぐれた長髪のおっさんが、一応は神様として崇められている世界線の上で繰り広げられる「マーベル新喜劇」めいたコミカルなやりとりのその奥で、娘を亡くして世界を怨む男と余命わずかの中で懸命に生きようとする女とそして自分の価値をまだ気付いていない男のそれぞれの目標に向かって進み戦う様が描かれた作品だった。

 ジョディではなくジェーン・フォスターという女性を演じているのがナタリー・ポートマンだと言われて気がつくくらいに「ソー」とは縁がなかったんだけれど、軽口を叩いて奇妙な出来事が起こって腰が砕けそうになる面白さで引っ張っていかれるから、見ていて飽きることはなかった。あのゼウスがぐうたらで俗物なのはそれとして、敵が持っている神様を殺す剣が相手だとゼウスと言えども殺されてしまうという設定が、いったい誰が世界最強なのかといった疑問をかきたてる。だいたいがゼウスだってその場でやられてしまう訳だしなあ。かといってサノスだって倒されてしまう世界で最強は……やっぱりラブちゃんかなあ。可愛いは正義を地で行くから。次はヘラクレスが相手の戦いが繰り広げられるのかな。そんな有り体の戦いにはしないと期待して次を待とう。行く気満々じゃん。


【7月26日】 原稿を書くためのテープ起こしが終わったので新宿バルト9で「Re:cycle of the PENGUINDRUM[後編]僕は君を愛してる」を視る。やっぱりあの真四角な口では「生存戦略〜」とは言えないなあと思ったけれど、それがクライマックスに1度だけだというのが今回の見どころというか見せないどころというか。ある意味で象徴的なシーンを抑えて全体は、仮の家族となった3人が本当の家族のようになって11人の妹を助けようとする話をいろいろな象徴だとか暗喩だとかを並べて描いていた感じ。

 テーマはシンプルだけれど絡む人を増やし思惑を並べ力学を複雑にして個々のドラマも見せつつ解消しつつラストへと収斂させていったお手並みは見事。そして悲しみを忘却の彼方へと押しやるかと思いきや、それなりの結末を整えて未来を作り出した。全部消してしまうより全部残してしまう方が良いに決まっている。そのために何かが犠牲になるのはとても寂しいのだから。あとやっぱりARBはカッコ良いなあ。

 ピンドラを見て大阪王将でお昼ご飯を食べてマルイが入っている建物の地下にあるVELOCHEにこもって原稿にとりかかってどうにか仕上がったので劇場版「Gのレコンギスタ 4」の「激闘に叫ぶ愛」を見た。さっぱり分からないけれども面白かったというか、ここから遡って調べていく楽しみがいろいろとできた。思えば「ガールズ&パンツァー」も最初に見たのは「OVA ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦」からだった訳だしそれが面白ければ途中からでもアニメには入っていけるものなのだ。

 「Gのレコンギスタ」についていえばTVシリーズが始まる前の劇場で何話か流した時のを実は見ていて雰囲気は掴んでいたものの、半ば総集編的な劇場版も4作目となるとその時のうっすらとした印象が通じるものでもない。石井マークが演じるベルリが嶋村侑さん演じるアイーダと何かあるとかどうとかいったイントロから遠く離れて月ほどもある球形に小さい球体が配置された場所まで行く巨大な船にランデブーした赤い船にバラバラなメンバーが乗っては仲間めいたことをしていて、そして到着したところで襲われ戦いになったものの相手が誰なのかが分からない。

 そこはまあ敵だということは分かったけれども中に水がある建物の下で遠くから来たベルリならともかくそちらの住人がバンバンと武器を使っては大穴を空けて水を外に漏れ出させるとかありえないし、その仲間の女性パイロットがドームの中でミサイルを撃って天井に穴を開けて空気を漏れ出させるとかもちょっとあり得ない。どうしてそんなにポン酢揃いなのか分からないまま自分が空けた大穴にモビルアーマーがさらにデカくなったものごと突っ込んで穴をふさぐのも、それでぶち抜いてさらに大穴があいたらどうするんだと不安なって知性の度合いが危ぶまれる。

 まあそうした無鉄砲な戦いだからこそ直情径行のベルリの振る舞いも全体との親和性がとれるんだろう。これがバナージやアムロやカミーユみたいに知性が高くて冷静沈着なパイロットだったらもっと陰惨な雰囲気になっただろうから。とはいえ地球圏に戻ってきたベルリが放った武器の凄まじさは当人も驚かせるほど。そこでTVシリーズだったら何話をつかって立ち直らせたか分からないけれど、映画の終わりにはすっかり元通りになってアイーダと姉弟関係を取り戻していたからやっぱり脳天気は強いってことで。

 そんなベルリのとんでもない攻撃に怒り心頭のマスクとGセルフとの戦いは迫力あったなあ。おっかけあって打ち合って殴り合って蹴り合ったりとかがスピード感たっぷりに描かれていた。「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」では見られなかったモビルスーツ戦がこちらにあったといった感じ。ほかにもあちらこちらで繰り広げられる戦いのそれぞれに見どころがあったりして、それを全体の中で見せつつ戦況を感じさせるのは巧いなあと思った。

 結局のところ敵と味方が何者なのかが第三勢力も含めて未だによく分かっていないけれど、ベルリとアイーダを軸にしつつマスクを対抗として意識しながら見ていけば、「機動戦士Zガンダム」のエウーゴとティターンズとネオジオンがごちゃごちゃしながら進んでいった展開を思い出しつつ最後までついて行けると思いたい。第5章も公開が近いのでここまでの劇場版を見返して一応の理解に努めよう。どうせ最後は皆殺し? 違うの? それも含めて楽しみだったら楽しみだ.。

 安倍晋三元総理を唯一にして絶対の神と崇めたてている人たちにとって立ちふさがる統一協会との関係を、言いつくろうためにいろいろな見解が出てきていて例えば茂木健一郎さんは安倍元総理の山ほどのある仕事の中で統一教会系の団体にコメントを出すなんて脳のどれだけも使ってないとか言い訳をしていたりしたけれど、強大な権力とご威光を保った人がちょっとだけでもお墨付きを出せばそれが現場でどのように用いられるかを理解できない脳でもないのだったらやってはいけないことだった。それとも安倍元総理はそこまで考えを巡らせて李下に冠を正すような無様を平気で繰り出す人だってこと? 崇め奉ろうとしてボロが出た。

 いやいや実は安倍元総理は統一協会の天敵だったんですよだなんて言い出したのが福島原発に絡んだノンフィクションを売ったジャーナリスト。その根拠に霊感商法を取り締まろうとしたとか、有田芳生さんに統一協会とは一線を引いているんですよと話した2006年の談話を持ち出したりしているんだけれどその時から下野を経て自民党は統一協会との関係を一気に深めて支援を得たりコメントを送ったりするようになった。それは拙いと弁護士が警告書を送っても知らん顔。それで敵対していただなんて言える口がどうして綴じたり溶けたりしないのかが分からない。

 ほかにも統一協会がそれほどヤバいとは知らなかったといった言い訳も出ているけれど、いい年をしたおじさんたちが知らないだなんてあり得ない訳でそれを理由にするのは世間が見えてなかったとバラすようなもの。そうした言説を出して平気な空気が世の中にあるとしたら、変えていかなくちゃいけないんだけれどそれをすべきメディアが及び腰なのはなんだろう。やっぱり未だに虚ろな神をどこかに戴いてそれに従っているふりをしていれば丸く収まると考えているんだろうか。生きていたって亡くなっていたって担いで便利な神輿扱い。可愛そうな安倍元総理に花束を。


【7月25日】 群馬県の桐生に行って帰ってくる。以上。それでは話が終わってしまうので説明するなら桐生の相老というところに取材に行ったもので東京からいったいどうやっていけば良いのかと、乗換案内のページで打ち込むと船橋からだと総武線を錦糸町で乗り換えて半蔵門線から東武スカイツリーラインへと入って北千住まで行って、そこから東武特急で赤城というところに向かえば良いと判明。だったらと総武線から半蔵門線から東武スカイツリーラインから伊勢佐木線からずんずんと乗っていったら2時間ちょっとで付いてしまって現地で時間が余ってしまった。

 降りても何もない場所だったのでちょうど来ていたわたらせ鉄道で桐生まで向かってさあ駅前でお昼ご飯にしようと見渡しても市街地らしい市街地がない。調べるとどうやら桐生市の街並みはちょっと離れたところにあるみたいで、そこまで歩いて行く気力もなかったので駅でしばらく休憩をして、そして同じわたらせ鉄道を相老まで戻ってそこでしばらく時間を潰し、歩いて取材地まで行って1時間半くらい話を聞いて戻って特急に乗ろうとしたら、結構待たなくちゃいけなかったので来た普通に飛び乗ってまずは太田市へと行き、そして館林へと向かい久喜まで行ってといった具合に列車を乗り継ぎしながら特急を使わず船橋まで戻ったら4時間経っていた。そういうものだよなあ。

 わたらせ鉄道は初めて乗ったけれど1両編成で1時間に1本あるかないか。それでも利用者がいたのは沿線にも人が住んでいるからなんだろう。ずっと乗っていくと風光明媚な場所にも行くみたいだけれど、紅葉の季節ならまだしも夏の始まりではただただ暑いだけなので、今回は観光は遠慮してすぐさま折り返してきた。暑いことは暑かったけれど前に梅雨が明けた日に前橋市に降り立った時よりは風が吹いていた分涼しかったかな。でも歩けばやっぱり出てくる汗にはまいった。ユニクロのエアリズムの肌着を着ていたので吸い取ってくれた感じ。テクノロジーに感謝。もうしばらくは行きたくないいけれど、どうやら太田市へと行かなくちゃいけなさそうな用事もあるんで涼しくなりそうなタイミングを見計らおう。といっても8月中は無理かなあ。

 ふと気がついたらRun Girls, Run!が来年の3月末をもって解散することを発表していた。i☆Risの後継的なユニットでは前にWake Up, Girls!というのもあってアニメまで作られながら長くは続けられず解散の運びとなって残念だっただけに、RunGirls, Run!には頑張って欲しかったけれども坂道&48グループにアップフロント勢が幅をきかせる少女ユニットの世界で生き延びるのは難しいのかもしれない。それぞれに未来もあるメンバーだからここからソロで活躍していって欲しもの。そういえば「プリチャン」を見なくなって新しい番組とかも追ってないんで今、どんな活動をしていたのかも知らなかったのだった。ラストに向けていろいろやってくるだろうから、ちょっと追いかけてみるか。

 なにやら知らない間に行われている日本代表戦でスタメンが香港戦からガラリと入れ替わったと中国代表が怒っているらしいけれど、そもそもが日本代表とは良いながらも海外で活動してる主力のメンバーなんてまるでいないインチキな代表。それがさらにサブだけで構成されている訳で、怒る以前に呆れてしまうんじゃないのかなあ。そんな代表を相手にスコアレスドローで終わったのだから中国代表もちょっと肩すかし。一方で中国代表相手にサブのサブでも勝って叱るべきかもしれない状況で、スコアレスに終わってしまう日本代表の層の薄さも気になった。そんな代表じゃあパリサンジェルマンの試合に行くよたとえ高くても。日本代表の魅力を毀損して貶めて平気な日本サッカー協会の姿勢こを問われるべきなんじゃないかなあ。あと1試合、韓国戦だけは決死の覚悟で臨んでそして勝つのだ。そうでないと日本代表の価値はマイナスになってしまうぞ。


【7月24日】 お仕事になりそうだったので「ユーレイデコ」をネットで第3話まで見る。なるほど「電脳コイル」的な拡張現実空間に「フラクタル」の仮想通貨によるベーシックインカムを重ねたような世界観でさらに「PSYCHO−PASS サイコパス」の犯罪係数抽出システムまで関わってきそうなんだけれどもそこまでの入り組んだ感じは今はまだないかな。絵柄が湯浅政明監督のいたサイエンスSARUだけあって平面的でカートゥーン的。でも湯浅監督のようにはメタモルフォーゼとか揺れ動くアクションとかは少なく基礎的な動きをしっかりと見せている感じ。単純だけれど面白い。

 デコにひっかからずカスタマーセンターの登録外にいる人たちがどうやって生まれたのか、単純に「らぶ」が尽きただけならその時点でカスタマーセンターに回収されるだろうから別の移民とかそれともアンタッチャブルの生き残りなのかといった想像も浮かぶけれど、はっきりしたところはこれから明らかになっていくんだろう。ついでだからと「フラクタル」も見たけれどしっかりと楽しくて面白く、そして謎めく世界観がちゃんとあった。「魔法少女まどか☆マギカ」が同時期になかったら大いに話題になっていただろうなあ。クレインの女装とか可愛かったけど、「まどか☆マギカ」の衝撃には全部吹き飛ばされたよ2011年の1月−3月期は。

 原稿を書こうかと思ったけれども構想を固めるためには歩かなくっちゃということでワンダーフェスティバル2022[夏]へと出かけてカマティムーンさんとか挨拶しつつあちらこちらをぶらぶら。前回は新型コロナウイルス感染症の影響で出展を取りやめたところが結構出てガラガラな印象だったけれど、今回は企業ブースもそれなり埋まり会場の方もぎっしりとテーブルが並んでなかなかに盛況だった。これで世界で1番新しい感染者を出している国なんだから何かちぐはぐと言えば言えるけれど、固めるところを固めていれば罹らないものだということも確かなんでそこは油断しないで行こう。まあ会社員じゃないから通勤電車に乗らないしオフィスで密閉もされない分、大丈夫なのかもしれないけれど。

 会場では出渕裕さんと田島照久さんとそして宮脇専務が登壇しての「機動警察パトレイバー」関連トークイベントを見物。目下制作中らしい「機動警察パトレイバーEZY(イジー)」は出渕さんによれば速くて再来年の2024年からスタート。第1話の絵コンテがどうとか言ってたような気もしたのでもしかしたらテレビかあるいはネット向けのシリーズかもしれない。パイロットフィルムではなくその切出しを3枚だけ見せてくれたけれど登場するのはAV−98イングラムがメインで昔と変わらず。描画はCGだそうでそれがなにやら黄色いレイバーをあいてに戦っていた。雰囲気としては吉浦康裕さんが「日本アニメ(ー)ター見本市」で作った奴に似ている気も。ってことは監督も? それはまだまだ秘密みたい。

 宮脇専務によれば海洋堂がパトレイバー関係のガレージキットを出した時に初めて田島さんと組んだそうで、その時からデザインというもので統一されたイメージを考え実行していたらしい。海洋堂のアルファベットのロゴもその際に田島さんがデザインしたもので、それを会社全体で今も使っているというからよほどのお気に入りだったんだろう。最初のキットでイングラムの後ろ姿を描いたあたりからしてひとつのこだわり。写真家としてポーズ写真をいっぱい撮って来た中で、模型であってもカッコ良いポーズを探してそうなったって田島さんは話してた。音楽系では普通の完成を模型に持ち込みアニメに持ち込んだことが今に至るまでパトレイバーの陳腐化を防いでいるのかもしれない。

 会場を出てプレナ幕張まで歩いてベローチェで原稿をどうにか書き上げ、三井アウトレットパークのグラニフで「クレヨンしんちゃん」柄のTシャツを2枚ほど買ってストレスも解消して帰宅。このところの食べ過ぎでちょっと太ったのかお尻がジーンズにすれて痛いので痩せないとけないかもしれない。でもウエスト自体は逆に減っているようにも思うし。痩せてかえって隙間が出来てこすれるようになったなんて、都合の良い話はないよなあ。7月も残り少なくなって来たので宿題を一気に片付け8月7日の山下達郎さんのライブに備えよう。そろそろ帰りの航空券と現地での宿も予約しないといけないかなあ。


【7月23日】 それを教養と行って良いほど一般的ではないにしても、騒ぐのだったらある程度は調べるなり理解するなりしてからにすれば良いのにどこかの誰かが言い出すと、そうだそうだと騒ぎ立てる人のあまりの多さに大正時代の関東大震災で起こった悲劇がやっぱり繰り返されかねない恐れを激しく抱く。統一協会と統一教会のどちらが正しいかと言えば案外に統一教会が一般には使われているけれど、もとの団体名から略せば統一協会だし批判する人たちも統一協会といった字をつかって長く批判を繰り広げてきた。

 だから共産党とか立憲民主党が対策チームを立ち上げた時に「統一協会」と書くのはまったく正しいのだけれど、それをあげつらって誤字だなにだと騒ぎ立てる人たちはいったい誰の味方なのか。別に共産党とか立憲民主党とかの敵であっても構わないけれど、それで統一協会の見方をする必要はまったくないし、ある意味で自分たちが敬愛する安倍晋三元総理の命が奪われる原因にもなった集団なんだから憎んで叩いて誹って当然なのにどうもその存在を薄めようとする言動に走ってしまう。

 安倍晋三元総理を叩く立憲民主党なり共産党なり朝日新聞なりメディアなりを叩いて安倍晋三元総理をひたすら持ち上げる言語的な関係性の中で息を吸ってきたからその一方が消えてしまっても叩く相手は変わらないならそこから叩かれる集団は持ち上げなくては気が済まないのか。だとしたらいろいろ心理的にヤバいところに来ている気がする。最近も国際政治学者だとか元財務相の国際弁護士だとかが妙に統一協会について騒ぐ人たちを牽制して来ている。叩く一方になりがちな言論空間を諫めているといえば言えるけれど、代わって自分が一定の知見に立って批判するのではなく相対化して希薄化させているだけだったりするのがやはり気になる。そういう役割を言論空間の中で求められてきたからやっぱり飼われないのかなあ。やれやれ。

 朝になってメールが入っててmiwaさんが新型コロナウイルス感染症に罹って国立競技場での東京2020オリンピック/パラリンピック1周年記念イベントに出られないと分かってちょっとガッカリ。何を歌うかは分からなかったけれど「シャラララ」とか歌ってくれたら拍手が出来たなあと思っていたから肩すかしを食らった気分だったけれど、代わりに出演がきまったSennaRinさんが実は「銀河英雄伝説」の新しいシリーズの主題歌だとかテーマ曲だとかを歌っている人と分かって、別の期待がふくらみ国立競技場へと行く気がぐっと湧いてくる。

 外に出ると久しぶりの暑さと湿度で歩くだけで息ができなくなりそうだったけれど、そこを頑張ってとりあえず国立新美術館経由で近くで開催中だった副島しのぶさんがら展示されている展覧会をKUMAギャラリーというところで見物。MOYANという人が描いた絵も良かったのでこれからの活動を気にしていこう。副島さんは東京藝大院の卒業制作より前のフィギュアを使ったストップモーションアニメーションを見せてくれていた。この頃から凄かったんだなあ。今は何を作っているんだろう。矢野ほなみさんとか幸洋子さんが卒業制作を終えてなお活動を続けているところを見るに付け、副島さんにも頑張って欲しいのだった。

 都営地下鉄大江戸線で国立競技場へ。1年ちょっと前に女子サッカーの試合を見に行って以来の会場は整備もされて中も綺麗でそして広くて座りやすくて見やすい良いスタジアム。サッカーのピッチが遠いといっても陸上競技が可能なナショナルスタジアムってだいたいこんな感じだから別に良いのだ。だったら余計にサブトラックを備えた国際的なスタジアムにするべきだったんだけれど、それは開発に任せて2025年の世界陸上の時は渋谷のグラウンドをサブトラックと言い張ることにしているんだろう。それまでに神宮の森は開発されちゃう訳だから。そういうところが日本の行政の一貫性がないところ。それとも何か別の力学が働いているんだろうか。

 イベントはアスリートがいっぱい登場してなかなかに盛況。競技によっては国立競技場に入れなかった人もいただろうから改めて晴天の中で入れて嬉しかったんじゃ無かろうか。安倍晋三元総理への黙祷とか小池百合子東京都知事の挨拶とかIOCのバッハ会長のやっぱり長いビデオメッセージとかがあってゲームがあってリレーもあってそしてSennnaRinさんのライブ。静かな歌もポップな歌も両方こなせる人だと分かってとても良かった。ちゃんとしたホールで聴きたい歌声。澤野弘之さんのプロデュースということは荘厳で壮大な歌を唄わせたら一級なんだろうなあ。追いかけて行こう。


【7月22日】 3か月ぶりに歯医者にいって歯肉が痛んでいないか、プラークがついていないかを検査してもらう。少し痛みは出ていたけれどもだいたい大丈夫なようでこのまま3か月後まで引っ張って歯の健康を守っていこう。油断をすると残る歯を抜いていかなくちゃならずそれは残る人生のクオリティを下げることになるだけでなく、健康にも影響を与えてしまいかねないから。それで食べなくなって痩せるならちょっと考えてしまうけど。食べ過ぎな気がするんだよなあ、最近また。

 終わったのでフレッシュネスバーガーからヴェローチェを回って原稿書き。とりあえずどうにか書き上げたと思ったら何かリマインドが来ていて見たら今日が東京アニメアワードフェスティバルで優秀賞を受賞したヘルマン・アクーニャ監督の長編アニメション「ナウエルと魔法の本」の上映がある日だったことを忘れてた。これは行かねばと支度をして池袋へと向かう途中に大手町で降りたらリトル小岩井が空いていたのでスパゲティを1杯。この数ヶ月で3回も行っている。30年で1度だったのがどういうことだ。コロナで入る人数を制限している分、ゆったりと食べられるのが良いと思ってしまったのかもしれない。

 池袋でも珈琲屋で時間を潰してそして昔のシネマサンシャインが形態を変えてライブシアターとかを中に備えたMIXAとかいう建物の地下で「ナウエルと魔法の本」をタダで見てお土産にチリワインとポスターをもらって超ラッキー。さらにはアクーニャ監督もチリから駆けつけティーチインとかしてくれた。なんてゴージャスな。そのアクーニャ監督、前日に宮崎駿監督を訪ねたそうで竹内孝次さんが言うには「大変な時だけれど作り続けることが大切だ」といった言葉をもらったとか。アクーニャ監督は作り続けているからその言葉は宮崎駿監督自身にも向けられているのかもしれない。作り続けてくれているかな。

 さて「ナウエルと魔法の本」は欧州でジブリ的と言われた感じに日本のアニメーション的な効率的に動かす手法が採られていて、とても見ていて親和性が高かった。別に日本に似せたという訳ではなく予算の関係もあってディズニー的なフルアニメーションでは作れなかったという技術的な理由が大きいんだけれどそこではやっぱりジブリのような見せ方が参考になったんだろう。あとは自然とかを出すのもジブリ的だとアクーニャ監督。それだけに宮崎駿監督に会って何を思ったかをご本人から聞きたかった。

 母親が船で出産したものの母親はたぶん死んでしまって息子と父親が残されたナウエルの家で、漁師をしている父親に対して息子のナウエルは海が怖くてはいれず船にも乗れない。説明はまるでないけれども海の上で母親の命を奪って生まれて来たナウエルには海が怖いものだという意識が知らず染みついていたのかもしれない。それが原因でいじめられていて、父親からも見捨てられようとしていたナウエルだったけど、猫に鍵を奪われ森の奥にある屋敷に入ってそこで魔法の本を見つけて持ち帰る。

 なぜ猫はナウエルを誘ったのか。そして魔法の本はどうしてナウエルに持ち出されたのか。そこもたぶん悪い魔法使いがそろそろ酷いことをやりすぎたのでナウエルに成敗してもらうためだったといった解釈も成り立つけれどもやっぱり説明はないのでそこは少年がヒーローになって頑張って挫折もしつつ成長をしていくドラマの定番なんだと理解するのが良いのかも。

 そしてナウエルは父親といっしょに海に出て本を付け狙う魔法使いによって沈められてどこかの島へと流れ着く。そこにはシャーマンのおばさんと弟子の少女がいて介抱されたものの魔法使いの追っ手が来てナウエルは少女とともに闘争。このあとで繰り広げられるおばさんと敵の魔法使いの手下でカラスに化ける少女とのバトルがプロレス的に格好良かった。

 そんなこんなで逃げ出したナウエルと少女が試練を経て本を奪われる困難も乗り越え悪い魔法使いを討ち果たせるかと行った展開は、ナウエルの弱いくせに身の程知らずで自分勝手な性格にちょっと辟易させられるところもあるけれど、のび太だって手前勝手な点では似たようなもの。そういうキャラになれている日本人は酷い目にあってどん底からどう這い上がるのかを楽しむことがD家居るのではないだろうか。キャラではやっぱりナウエルといっしょに旅をして魔法使いと戦う女の子が可愛くて強くて素晴らしい。あと敵で魔法使いによって絡め取られてカラスに変じてナウエルたちをおす女子とかクールで強くて格好良かった。また見たいなあ。

 次回作について触れるならタイトルは「悪魔の鉱脈」というものらしい。内容はアクーニャ監督によれば「ラテンアメリカのファンタジーウエスタンでアタカマ砂漠のとある炭鉱業が盛んな街に暮らしている健気で働き者のメルセデスという少女と、その兄のホセを描いていて舞台は1920年代」とのこと。「ミステリアスな金塊を盗もうとする計画があって、その持ち主は松の権力者のミスター・フラメンコ。兄のホセはそれによってトラブルに陥りメルセデスが助けようとする。金塊の本当の持ち主がいて、それは砂漠の下に住んでいる悪魔だ」。見せてもらったイメージボードには地下に暮らしている悪魔が描かれていたけれど、どうしてそこで暮らしているのかはちょっと分からない。

 「この地域には、悪魔が時々炭鉱府の命を奪うという言い伝えがある。悪魔は地中に埋まっている冨や財宝が自分の物だと見せつけている」。そうした伝承を取り入れ1920年代のチリの炭鉱の街を調べ上げてリアルに絵として描いた作品になりそう。「これでナウエルで達成したものよりもさらに上を目指し、スタジオとして成長していきたい」とアクーニャ監督は話してた。。完成は2025年の予定。ちょっと楽しみ。


【7月21日】 山下達郎さんが新型コロナウイルス感染症で札幌でのライブを中止したとの報。年も年なので養生して欲しいと思う一方で、当たっている大分のライブまでに直ってくれるかといったところが割と大きな問題で、行きの航空機は予約してあとは宿屋という段階で、中止になってしまうと航空券がパーになってしまう恐れがあるのだった。帰りは予約していないからそれだけキャンセルで全部とられてもまだ仕方が無いけれど、帰りの予約もして中止になってキャンセルがきかないとなると行って何をするのか困ってしまう。別府温泉で1泊してくるかなあ。国東半島で磨崖仏を見てくるというのもありかなあ。

 見て思ったのは、右と左とで大きさが違うのだなということだ。お椀の形を保っていた右と比べて左ややや下がり気味でこれを同じサイズに収めてよいものなのかと疑問に思った。それでも横たわれば左でも湧きへとは垂れずしっかりと上向きのまま、相手の手の平におさまっていたのはあれでなかなにしっかりと中身が詰まっているものなのかもしれない。山本直樹さんの漫画を原作に下城定秀夫監督の「ビリーバーズ」とはそんな映画だ。

 山本直樹が漫画で描けば絶対に左右のバランスをとって綺麗な対称性を持たせただろう。それがひとつの理想を描いて見る人を虚構の世界へと引きずり込んで、漫画がテーマとする俗世から乖離した人格が漂う虚無の世界を感じさせただろう。けれども現実の肉体は左右の形に明確な違いが存在してそこに明確なる肉の存在を示していた。れることは出来なかったとも言えるが、それでも城定監督は淡々とした演技による単調な日々の繰り返しから少しずつズレていく島でのプログラムを、抑えたトーンの中に描いて漫画が持っていた非現実性を感じさせようとしていた。見ているうちにだんだんと山本直樹ならではの作法がそこに感じされるようになって来た。

 カルトな宗教に溺れた信者達の我欲を捨てて教義に浸ろうとして身を研ぎ澄ませれば研ぎ澄ませるほど浮かぶ衝動から逃れられず迷い崩れていく様を、描いてのけた「ビリーバーズ」という漫画の世界がしっかりと実写によってスクリーンに再現されていた。しっかりと寝て見た夢を語り合うだけの日々であるにも関わらず、それが教義なら従いつづける主体性を奪われた信者たち。自分のためでも誰かのためでもなくみんなのためにという意識の中で関係性が消滅して集団ですらなくなった空気のような存在へと昇華して、現実を破壊していくカルトの恐ろしさ。具体的な教義を示さず社会的な弾圧を見せないでも現実からか遊離して後戻りができないところに来てしまっている状況を捉えて見せてくれていた。

 何かとカルトについて騒がしい現状下で、これほどカルトの本質を感じさせてくれる映画もないだろう。暴走するカルトがどうなるかということも合わせ感じさせてくれる。とうより過去に日本は学生運動が行き過ぎた挙げ句にカルト化して起こった集団リンチ殺人事件を経験している。していながらもそうした記憶が薄れてカルトへの関心が薄れかけていたところに大変な事件が起こって、カルトとは何だったんだろうと誰もが思い情報を求めているタイミングでこの映画が上映されている意義はとてつもなく大きい。その意義を世間は感じて映画を紹介するなり、どんなものかを確認しに鑑賞に行くなりして欲しい。そして確かめて欲しい。右と左で大きさは違うものなのだということを。

 竹町さんの「スパイ教室8 《草原》のサラ」を読み終える。いやあ凄い。クラウスをはじめとした「灯」の面々が「蛇」というスパイ集団によって壊滅させられそうになっているところからの反攻撃から浮かび上がってきたのは「蛇」という組織が目指していたある意味でとても真っ当な目的。それを知るにつけて正義というものをいったいどこに置けば良いのかを酷く迷う。命令されたことが正義なのかそれともその外側に正義は存在しているのか。世界にとっての正義は人類にとっての正義なのか。広がる枠組みの中で自分の立つべき場所を見失いそうになった時、拠り所にするのはたぶ信じた誰かの幸せなのかもしれないなあ。一件落着の果てに始まる後半戦が描く世界はどんなだろう。期待。


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