縮刷版2022年7月中旬号


【7月20日】 戸締まり用心火の用心といえば「一休さん」の合間に流れていたCMで、そこに登場するお婆さんを背負ったお爺さんの人の良さそうな雰囲気に馴染んでいたら後になって日本船舶振興会の笹川良一会長で、そして日本の右翼の大立て者だと知ってそういう人がメディアに出てCMで良い印象を世間に広めているのを見た人が、成長したら日本もライティになるだろうかと当時は余り思わなかったけど、笹川良一会長なんてもはや誰も覚えてない時代になって右傾化が進んだのは、その上の世代で地均しが行われていたからかもしれない。その意味で「一休さん」はエポックメイキングなアニメだったと言えるかも。

 そんな日本船舶振興会が名前を変えた日本財団が今や日本でも有数の財団法人で、競艇からの収益で数々の事業や研究を助成していることはよく知られた話で、ライティではあっても決して蔑ろにはできない公的セクターだと言うことはもっと知られているかと思ったら、なぜか笹川良一会長が日本勝共連合の創設に携わったという話から、それは統一協会と同じじゃ無いかという流れになってそんな笹川良一会長が創設した日本財団でオブザーバーを務めている報道ステーションの大越キャスターが、さも統一協会から支援を受けているかのような流言が飛び交って物事を考えず調べようともしない人たちが、煽られればたちどころに情報を拡散してしまう今のネット状況のヤバさって奴を改めて思い知る。やれやれ。

 安倍元総理の国葬が9月27日あたりに決まった感じで、日本武道館を会場に行われるとしたらどれくらいの人が弔問に来てくれるんだろうかがと気になりつつ、近くにある靖国神社との連係なんてことをしでかさないかといった不安もあって、もうひと波乱ふた波乱がありそう。さすがに自民党も内閣も阿呆ではないから、弔問客を靖国神社に案内して中国韓国から東南アジアなり欧米の批判を食らうような真似はしないと思うけれど、安倍元総理を讃えるためには何でもやらかすメディアあたりがせっかくだから靖国詣でようなどとキャンペーンを張るかもしれない。

 でもってそれに同調する安倍元総理派の残党が、政府を揺さぶって実現させかねない。それに従う政府ではないとは思うけど、現に国葬は実施の方向へ舵を切ってしまった訳で、あの佐藤栄作元総理の時ですら法の根拠がないと見送られたものを、ここに来て法律なんてしったことかと恐々してしまう政府があと一押しをしないとも限らない。どうなることか。

 そんな国葬を全面的に推す新聞は新聞で、朝日新聞が載せた川柳を論っては批判をするコラムを1面に乗せているんだけれど、そのつかみに紹介したエピソードがトランプ前大統領が予想を覆して当選した時、安倍元総理がいの一番に会いに行って朝日に批判されたが当選したといった話で笑いをとったこと。でもこの時、ヒラリー・クリントンが当選すると信じて準備をしてなかった安倍内閣が、トランプ元大統領を会うために使った伝手が統一協会だったと噂されている。そういう事情があるエピソードを持ち出して知らん顔できるコラムニストと新聞の胆力に、ただただ頭が下がるのだった。これならあと1年は保つかな。

 ネットにふらりと流れてきた、1964年放送の「ウルトラマン」で使われたベーターカプセルをバンダイ・スピリッツがモデルとして売り出すという広告を見逃さず販売開始の午後4時にアクセスをして1本を確保。以前にもモデル化されているけれど、その時よりもいろいろとバージョンアップが図られているそうでちょっと楽しみ。「シン・ウルトラマン」に登場したベーターカプセルも売り出されてはいるけれど、ソリッドな感じがちょっと趣味ではなかった中で、4K版「ウルトラマン」の上映を見た際にこれに出てくるベーターカプセルが今また売り出されたらなあと思っていただけにジャストなタイミングをつかれた感じ。そう思っていた人も多かったのか20分後にはすでに売り切れに。発売される12月頃にはこれを構えて変身する人が街にあふれかえることだろう。シュワッチ。


【7月19日】 「幽☆遊☆白書」の実写版キャストが順繰りに発表になって浦飯幽介は北村匠海さんで突っ張ってはいても子供っぽいところがあるはずのキャラにどこか影があるなあと不安がらせた次の日に、待望の蔵馬が発表になって志尊淳はまあキラキラしているからこれはこれでと一安心。飛影は評価はあれこれかったけれども「鋼の錬金術師」で見事にエンヴィーを演じきった本郷奏多さんならきっと大丈夫だ、あとは桑原和真だから誰でも細身のイケメンをリーゼントにさせておけばそれっぽく見えると油断していたらとんもない風体の桑原が来た。

 リーゼントじゃない。ツーブロック。どこのワルだ。演じる上杉柊平さんに罪はないけれどもリーゼントスタイルは古典的不良の矜持を見せるスタイルとして、シティボーイが全盛の時代にあってダサ格好良さを示すものだったからこそ桑原の決して曲げず逃げない強さが光った。でもこれでは見てくれだけが大事で裏切りだって平気でしそうなワルにしか見えない。幽介とタイマンはって殴り合っても退かず媚びない男を見せてこその桑原と、こうしてしまうドラマに果たして「幽☆遊☆白書」の神髄が描かれているか、って思った時にとりたてて「幽☆遊☆白書」に神髄なんてあったかな、って思い返したのでまあこれはこれで良いのかも。戸愚呂兄弟が中川家だったら流石に怒るけど。いや吹き出すか。

 そこに居続けるためには常にコメントを良くも悪くも目立つものにしなくちゃいけないっていう思いでも働くんだろうか。八代英輝弁護士がコメンテーターとして出演しているワイドショーの「ひるおび」で、安倍晋三元総理殺害事件の容疑者が残したツイートをとらえてマザコンだのといったコメントを発して案の定の反応が巻き起こっている。大きいのはやっぱり親という親族の下で強制的かつ情愛的な結びつきの下で宗教を押しつけられて苦しみながらも親を切れない懊悩に悶えている宗教二世がいるにも関わらず、そうした境遇への配慮をしないでマザコンと切って捨ててはあらゆる宗教二世が救われない。

 救う気なんてないんだろうけれど、それにしても酷い言葉なのでこれはすぐさまツッコミが入るだろう。あとはそうした考えに容疑者が理路整然と心境の変遷を外部の状況も踏まえて綴ったあのツイートを読んでそう思ったという部分。どう読んでも誰もそうは思わなかった「非常に幼稚なまま、大人になった人間と逆に感じました」というコメントを、その前の段階で統一協会への義憤から批判をする上でより高い効果を狙って支援者と目された安倍元総理に向かったといった割と一般的な解釈をしていたにも関わらず、してしまったのはそう言わなければ立場を失うとでも叶えたんだろうか。それは自発的なのか外圧的なものなのか。気になる変節。いずれにしても世間はだいたい気付いてて、その方向へと流れないとヤバいことになるだろう。それもまた厄介な話ではあるのだけれど。

 フィギュアスケートの羽生結弦選手がアマチュアとしての競技者を引退すると発表。振り返ればまだジュニアの頃から凄い選手がいると聞かされ活動を目にしていたらあれよあれよという間にオリンピックで金メダルを取り、そしてもう1回とってしまう史上希なる選手になってしまった。その見た目の美しさが実力と合わさって発揮される威力はテラトン級。過去のあらゆるフィギュアスケート選手を吹き飛ばしてトップに君臨する存在になっていたけれど、それでもやっぱりいつか限界というものがくる。北京冬季五輪で好成績を残せなかったことがやっぱり引っかかっていたんだろう。まだまだやれるとは思うしそれこそアイスダンスに行っても活躍できそうな気がするけれど、それよりも今はプロとしてアイスショーの一線でその美しいスケーティングを見せてくれる方が、世界に新しいフィギュアスケートのファンを生み出す原動力になるのかもしれない。ありがとう。そしてこれからもよろしく。


【7月18日】 仄めかされると勝手に妄想をふくらませてはストーリーにあてはめ糾弾を始めるネットの悪い傾向が出たといった感じ。国際政治評論家の三浦瑠理さんが以前に書いた記事に掲載された画像に対して、例の安倍晋三総理襲撃事件の容疑者がちょっとした反応を示していたことが分かったけれど、それをもって三浦さんが統一協会と安倍晋三元総理とのつながりを紹介していて、だから容疑者は襲撃に至ったんだといった明らかなミスリードがネットでザワザワと盛り上がっていた。

 有名な映画評論家もそんなほのめかしをしていたりして反応も結構大きくて、これは厄介なのでちょっと調べてみようと三浦瑠麗さんが寄稿したiRONNAという今はもうない産経新聞社がちょっと前までやってたオピニオンサイトをウェブアーカイブから発掘。それらしい画像は外れていたけれどキャプションから2015年11月に開催された「美しい日本の憲法をつくる国民の会」に、安倍元総理がビデオメッセージを寄せていたことを紹介する画像だと分かった。

 それはそれで日本会議系のイベントで、櫻井よしこさんとか田久保忠衛さんといったお歴々がずらりと並んで壮観ではあったものの決して統一協会系のイベントではない。容疑者がそれを見て統一協会を思い浮かべたのは従前から似たような集会の映像なり画像を見ていて共通性を覚えたからで、その点で感性自体にズレはあまりないものの明確に違う団体であることは確か。調べれば分かる其れをしないで仄めかしから三浦さんと統一協会を結びつけて騒いで、後で訴訟を起こされるんじゃないかと思わないネットの人たちの、防衛意識の足りて無さには相変わらずもやもやとする。

 それを率先して映画評論家がやっているのもなあ。三浦さん本人も画像が何かを説明をして収まりはしたけれど、それはそれとして統一協会への見解を未だ言わないのはちょっとなあ。自信が信者か否かは信教の自由だから言う必要はないけれど、一方で世間を騒がせている集団に一国の総理大臣が肩入れをしてお墨付きを与えてしまった問題は、ずっとつきまとい事件の端緒にもなっていることだけに、やはり仕切って置いた方が良いんじゃ無いかなあ。それができない理由があるなら別だけど。

 2014年だからもう8年も前になる「アニメミライ2014」で見て以来となる吉浦康裕監督の「アルモニ」を「水のコトバ」「ペイル・コクーン」と一緒に見る。「水のコトバ」はたぶんもしかしたら初見かもしれないけれど3Dで作った空間の奥と手前と間にキャラクターを配置しカメラを移動させてそれぞれの会話を見せて聴かせるあたりの巧さがこの頃から出来上がっていることが分かった。「ペイル・コクーン」は記録をめぐる物語。そこから浮かび上がる想像の過去って奴は後に作られる「ヒストリー機関」と重なるところがある。なかなかに面白かったけれど途中で意識が途絶えたのはベースに「イノセンス」があるからに違いない。

 そしてアルモニ。相変わらずドキドキとさせるストーリーというかオタクが勝利をしたと思ったらもっとドリーミーな期待にのしかかられて焦ってしまうといった展開。ちょっとこれ拙いんじゃないのといった居心地の悪さに苛まれてしまうというか。あの後彼女はちゃんと高校生活を送れたんだろうかというか。トークがあって「アルモニ」では教室でわちゃわちゃとする生徒たちを描きたかったということで、授業が終わって解放された生徒達が机のそちらこちらでそれぜに集まり会話をしている教室ならではの光景がちゃんと描かれていたのが凄かった。

 これが「アイノ歌声を聴かせて」の教室描写につながるのかってことも分かった。続きがあっても少女が真っ当さの中に回帰するか幻想の中に浸るかどちらかでやっぱり尻が落ち着かなさそう。そこを綺麗に落としてオタクもリア充も立派に楽しませた「アイの歌声を聴かせて」がストーリーとして考え抜かれたひとつの形なんだということも。だからこそ共感を誘い忌避感を抱かせないでそれなりのヒット作となったのだろうから。次になにに挑んでいるかは明らかにされていなかったけれど、きっと面白いものを見せてくれるんだろう。以外と「機動警察パトレイバー」の新作だったりして。ワンフェスの発表がちょっと楽しみ。


【7月17日】 安倍晋三元総理を銃撃して死亡させた容疑者が統一協会について言及していたブログの主に対して手紙を送って統一協会への想いを書き連ねつつそうした統一協会と関わりを感じたから安倍元総理を標的にしたことを吐露していたらいし。「苦々しいが本来の敵ではない」といった言い回しは本来の的が統一協会のそのものにあることを改めて強く訴えつつ、そうした団体にメッセージをおくり黙認どころか公認してしまっている安倍元総理の言動が、及ぼす影響を苦々しく思っていたことも同時にうかがえる。

 どこかの偉い脳科学者がそうした関係について総理大臣としていっぱいある仕事のそれこそ数パーセントくらいしか振り向けていない相手との関係を濃いものと見るのは無理だとかいった形で関係の薄さを強調し、それゆえに安倍元総理を狙った行動は筋違いの逆恨みだといった雰囲気を醸し出そうとしていたけれど、統一協会によってオルグされた人たちの中には安倍元総理という国家の最高権力者が与えているお墨付きを信じたかもしれないし、そうしたお墨付きでもって勧誘なんかを行い大勢の人たちを困らせているかもしれない。そちら側から見たら関係していること自体が重大事。脳科学者が言うように程度問題では決してないのだ。

 これがもっと別の歴史的にシンパシーを表明することが政治生命に関わる相手だったら、程度問題なんて口にできないにも関わらず、この一件で脳科学者といい国際政治学者といい哲学者といい元朝日といいなぜか程度問題に押し込めて安倍元総理の関与を希薄化し透明化しようとしている節がある。広告塔になること、それもヤバい組織の広告塔になることの拙さを訴えても総理の側から見た場合の関与度の薄さに理解を示すのはなぜなのか。そこがどうにも分からないけれど、こうして容疑者の口からゼロではないなら関与はあって総理という立場ならそれは苦々しく見えることが表明されて、関与そのものが問題視されるようになって来た。果たして次はどんなアクロバティックな擁護が飛び出すか。その擁護によってどんなメリットがうまれるか。見ていきたい。

 それにしてもこの件で読売新聞が抜きん出て情報を獲得しているところが見事。奈良県警に強い記者がいるのか警視庁なり警察庁からとって来ているのか。支局も縮小して本庁にもろくに配置してない自称全国紙は共同通信の頑張りにおんぶにだっこ。それでも体裁はとれているけど後追いの発表ものばかりだと気付かれた時、だったらもう良いと捨てられることになるんだろう。あと読売がネットに流す記事の分量が多くなって来た印象。朝日なんてほとんどの記事が見出しにとってる核心を語らないリード部分で終わらせて会員じゃないと読めなくしてそして無料会員を取りやめるとも発表してて閉鎖感を出してきたのと対照的。ここでネット上に存在感を出してブランドの周知を図りにきたのかな?

 家に居たら暑そうなので本を探しに東京駅まで丸善で購入したあと、東京駅へと回って原敬と濱口雄幸の両総理大臣が銃撃を受けた場所を回ってプレートを確認する。原敬は丸の内南口に小さいプレートが埋め込まれていて説明書きもあってそこで撃たれたとすぐ分かった。濱口雄幸は駅の中に入らなければならなかっったので改札を抜けて9番10番ホームの下あたりを探したら、柱に看板はあったけど真下にプレートはなくちょっと退いたら新幹線へとちょっとだけあがる階段の下にプレートが作ってあった。歴史のある駅でも2人の総理大臣が撃たれた駅は世界でもそうはないよなあ。そういう国だったのが戦後ずっと大丈夫だったのにここに来て。だからこそ今が大変な時期で有り、そんな時代にしてしまったのが誰かをちゃんと考えないといけないんじゃないのかなあ。

 駅に入ったのでJRで池袋まで出てそこからあるいてぱすたやで大盛スパゲティを食べてから、外に出たら大勢の人が立教大学に向かって歩いて行くのでナニゴトかとついていったら小学校か何かの教員の主任昇任試験か何かがあるみたいだった。日曜日にご苦労さまなこと。でもそうやって試験に受かって出世できる仕組みがあるのが良いところ。企業って知らず誰かの思惑で決まってしまうから。それにのっからないとずっと上がらない。難しかったねえ、そのパズル。結局解けなかったからなあ。そのまま要町まで歩いて有楽町線で永田町まで来て駅構内にあるカフェでしばらくお仕事し、1本の原稿を仕上げて本日は打ち止め。とりあえず毎日何か書く仕事があるのは良いことなのかなあ。3年前に京都アニメーションのへのHKアジ研を聞きながら、絶望した時からどうにか回復したけれど、これからの3年がどうなるかなんて分からない。ただ頑張るのみ。働こう。ちょっと寝てから。


【7月16日】 よく分からない夢を見ていたのでメモ。どこかの書店めいたところで何かしゃべることになって、自分なんかでいいのかと思いながら、どうにかこなしてそしてもう1本、今度はロフトみたいなところでしゃべることになって時間まで、ウロウロとしていたら前の職場の同期がプラモデルを作っていた。その書店には専用ブースがあってプラモデルを持ち込み、作ることができるらしい。

 ちょっとしゃべっていたと話して、そういえば別の同期もスケールモデルをよく作っていたねと会話をし、もうすぐしゃべるからと誘って別れる。現実にはその同期も別の同期もプラモデルなんて趣味ではないのに、夢の中ではそういうことになっていた。別の同僚がガンプラを作って机に置いていたので、混同が起こったのかもしれない。今もまだ会社に残っているのかなあ。ちょっと気になった。

 そして次のしゃべる場所へと向かい楽屋に入ったら、いっしょに出演する人たちがいて、初対面なので何か会話をしようとして、そこにいた女性に東京ビッグサイトを繋ぐコンコースでは男性のビジネスマンが派手な柄のシャツを着て座っているんですよと豆知識みたいなことを言ったら、相手も実は知っていてこれはやってしまったと焦っていたら、出発の時間になったので全員でバスに乗って移動を始めた。楽屋から舞台に上がるという設定はもはや吹き飛び渋滞の中をバスは進む。座席の隣にはさっき会話をした女性が座っていて、しきりに身を寄せてくるので、正座をしていたのを解いて椅子に座り直したあたりで目が覚めた。

 夢なのに感触があるのは体の際まで本が迫って寝返りも打てない状態を反映しているのかもしれない。現実には硬い本が夢だと軟らかい女性の体に思えるのだから効率の良い娯楽とは言えるけれど、どんな夢を見るか分からないし見るのが楽しいものとも限らないからそれだけにかけるのはちょっと危険。でもこうして面白い夢もあるのででやっぱり夢見はやめられないので、また寝ることにしたら続きを見たんだけれど、こんどはメモをする前に忘れてしまった。ちょっともったいなかったかなあ。
 そんなこんなで起き出して、荷物が来るまで玄関先でかちゃかちゃと仕事。自分を作った児童文学5冊なんてものを考えて、やっぱり「27世紀の発明王」とか「灰色熊ワーブの一生」とか「バスカビル家の犬」とか「地球さいごの日」とか「三丁目が戦争です」なんかを挙げてみる。SF好きでミステリファンになるしかないラインアップ。あと「ゴールデンカムイ」好きとか。そうじゃないケストナーとかエンデとかサン・テグジュペリとかモンゴメリとかボームなんてのも挙げても良かったんだけれど、楽しかったことは楽しかったけど作ったかというとそうでもないのが難しい。どっちいんしたって幻想で冒険ばかりだし。つまりは今こうなっているのは正しいってことなのだ。

 1本原稿を仕上げて幕張メッセで開かれているセールをのぞいて何も買わずそのまま幕張で原稿をもう1本ほど仕上げてから、三石琴乃さんの吹き替えが聞きたくて吹き替え版の「キャメラを止めるな!」を見たらセーラームーンでも葛城ミサトでもない三石琴乃さんで良かった。ただオリジナル版「カメラを止めるな!」では日暮監督が女優男優相手に怒鳴るのがちゃんとマジ切れに聞こえるのと比べると、吹き替え版はそれ自体が吹き替えという演技だからなのかマジ切れに聞こえなくてフランス語版を見てレミー監督の日頃とあの場面の違いぶりを確認したくなった。ポンはないけどアカデミー助演女優用ノミネート女優のハイキックが見られたのでそれは良かった。ラストはやっぱり感動した。


【7月15日】 「くまのがっこう」が映画化されたタイミングであいはらひろゆきさんにインタビューしたことがあって、バンダイでキャラクター開発をして生み出されたものだけれども大きく広げるために独立をして自分が受け持ち物語を紡いで展開していったものだってことを話してくれた。バンダイといえば「プリキュア」だとか「仮面ライダー」だとか「機動戦士ガンダム」といった有りもののキャラクターを大きく展開するマーチャンダイジングには長けているけれど、自分たちで新しいキャラターを生み出し玩具として展開していくことがどうにも苦手な会社って雰囲気があったりする。

 タカラトミーがトミカやプラレールやリカちゃんといった半世紀以上も続く一種のブランドを持って展開しているのとは対照的。だからこそ「たまごっち」が大ヒットした後でそれを盛り立てる一方で、同じような自社発のキャラクターを作ろうとしてキャラクター研究所を立ち上げ「くまのがっこう」を生み出したんだけれど、サンリオとかサンエックスみたいに生み出し続けるのはあまり巧くなったってことなのかも。10億円とかいった単位でしか評価されない弊害って奴なんだろうなあ。

 だからこそあいはらひろゆきさんが独立をして面倒をみていく規模にして、引っ張っていったのはある意味で正解。それで200万部に達する人気作になった訳だけれど、そんなあいはらひろゆきさんが亡くなっていたことが分かって愛読していたファンから追悼の声が上がっていた。まだ20年という歴史しかないけれど、若い世代にはクリティカルに影響を与えた絵本でもあったりする訳で、そうした人たちにとって寂しさもひとしおだろう。ただすでに生み出された絵本はいっぱいあるし、システムとして続いていくのが絵本の世界でもあるからキャラクターとともに長く続いていって欲しいもの。それをバンダイは支え続けてくれるかな。

 はらなのか。はらなのだ。って受け答えで盛り上がりそうな予感が今からちょっとする新海誠監督の最新アニメーション映画「すずめの戸締まり」の主演声優決定のニュース。「はらはらなのか。」という映画に前に出ていた子役出身の原菜乃華さんが18歳になっていよいよ本格的に女優として活動していく第1歩になりそうな大役。前に「君の名は。」で主役を演じた上白石萌音さんも、「天気の子」でヒロインを演じた森七菜さんもどちらもその後にちゃんと活躍しているところを見ると、新海誠映画はそうしたスタアへの登竜門として高いバリューを持っていそう。予告編に出てくるロン毛を誰が演じるのかは分からないのが気にかかるけど、声に関しては間違いがない新海誠映画。期待して続報を待とう。

 トップブランドとして「レクサス」があってLS、ES、ISといったセダンをラインアップに持って展開している以上、もはやトヨタ自動車にあってクラウンは「いつかはクラウン」と憧れられるセダン・オブ・セダンではなくなってしまっている。そうしたクラスの車にとってセダンである必要すらもはやなかったりするから日本ではSUVばかりが売れて車種もそちらに傾いていたりする中で、敢えてセダンも含むラインアップで臨んだクラウンにいったい勝ち目はあるんだろうか。そのスタイルもプリウスが鈍重になった感じを大きく脱していないとなると、敢えて選ぶ必然性って奴がどうにも湧いてこないんだよなあ。スポーツとかSUVとかいらないから箱形セダンで決めて欲しかった16代目クラウン。これで最後のクラウンかなあ。


【7月14日】 あの「PUI PUI モルカー」の新シリーズが10月から放送スタートと発表。タイトルが「PUI PUI モルカー DRIVING SCHOOL」とどうやら自動車教習所が舞台になることは良いとして、監督が見里朝希さんではなく1期でも絵コンテなんかで参加していた小野ハナさんということでいったいどういう反応が出るかちょっと気になってネットの反応を眺めたら、1期でいろいろと絵コンテを手掛けた人だということが知れ渡っていてだったら安心といった反応がほとんど。みなさんそこまで1期を見込んでいたのかと驚いた。

 監督が替わるとテイストも変わってしまうと心配するのが普通の反応なんだけれど、そうはならないくらいに皆さん「PUI PUI モルカー」という作品を深く知り尽くしているってことなんだろう。その小野ハナさんは「澱みの騒ぎ」が毎日映画コンクールの大藤信郎賞を受賞したくらいのアニメーション監督で、その面では見里監督よりもキャリアも実績もあったりするって言える。でもって当真一茂さんと組んで展開しているUchuPeopleでは「ポプテピピック」の中で「PUI PUI モルカー」と同じフエルトを使ったストップモーションアニメーションを提供していたりするから素材もお手の物。アニメーターとして当真さんも関わるみたいだから、体制は万全以上と言えるだろう。

 あとはタイトルに「DRIVING SCHOOL」とあるように部隊が自動車教習所に限定されること。道路から喫茶店からゾンビからスパイから場所もテーマも何でもありの破天荒さがひとつの面白さにもなっていた1期と違って場所が決まってしまうとシチュエーションコメディとして面白さのバリエーションが限られてしまうかもしれない。そこはそれ、原作者でありスーパーバイザーとして見里さんがしっかりと監修してくれるだろうから大丈夫と信じたい。そして見里さんにはご自分がWIT STUDIOで始めている新しいストップモーションアニメーションの新作を万全の体制で作り上げてもらいたい。小野ハナさんもこれで一気に名前を売って次は誰が出てくるかなあ。

 渋谷で「エヴァンゲリオン大博覧会」のプレスプレビューが開かれるので家を出て途中で週刊文春を買って読んだら濃かった。例の事件で犯行に及んだ人の過去があますところなく書かれてあって、自衛隊にいたけど除隊した理由とかちょっと驚きでその頃からやっぱりいろいろと抱えていたものがあったんだろうと思わせた。どこかのUFOとか河童が大好きなスポーツ新聞が調べもしないで反アベ団体に入っていたとか飛ばしていたけど、そうした活動なんてしている余裕もないくらいに、必死で社会にしがみつこうとして果たせず滑り落ちようとして足掻いていた様が浮かび上がってきた。

 だからといって犯罪に及んで良い訳では絶対にないとは言え、ああいった凶行に及ぶにいたった数々の不幸を見るに付け、どこかでちゃんと対策がとられていたら曲がらなくても済んだのかもしれないと思えて仕方が無い。それは団体への摘発なり団体への賛意の抑制なりで、それが行われなかったことから積み重なってクロスして爆発してしまった感じで残念無念。こうした状況が明らかになって謀略めいた話は引っ込むとは思うけれどそれで治めたくない勢力が犯人側にすべての事情を乗せて語らせてヤバい部分を覆い隠そうとするかもしれない。そのための物語が捏造されて流布しないように状況を見守っていきたい。

 「エヴァンゲリオン大博覧会」には12年くらい前に買ったMEGっていうアーティストがアルバムのジャケットでとったポーズをアスカが模したプリントがしてあるTシャツを着ていったら、神村靖宏さんが見てこれはレアだと驚いていたのでちょっと勝った気分。あとGAINAXが開いたサバイバーショットの大会で作られたエヴァンゲリオンバージョンのサバイバーショットがないかと尋ねたら、出していたけど引っ込めたかもしれないと言っていたので現存はしているみたい。会期中のバージョンアップに期待しよう。見どころはあとはエヴァンゲリオン仕様のオロチとかCOCOMIだっけかが作った制服といったあたりか。4000点くらいあって目移りするけれど、それでも倉庫の山が動いたような感じがしないくらいアイテムはあるみたい。いつかそれらの全てが並ぶ展覧会が開かれると良いなあ。幕張メッセを全部使っても入りきらなかったりして。


【7月13日】 例の安倍晋三元総理射殺犯が実は反アベ団体に入っていたとかいう飛ばし記事をスポーツ新聞でも主にUFOが得意な方が記事にしていて苦笑する。だってそんな団体があったんだったらとっくに公安なり公安調査庁なりが把握して潜入もして尻尾を掴んで何かしでかそうとしたら摘発してたはず。オウム真理教の事件のあとで警察庁長官を銃撃されるなんて失態も犯しているのだからなおのこと極右極左以外の団体も中止していて当然なはずなのに、あっさりと日本でも今もっとも権力のトップに近い政治家を殺害されるはずがない。

 だからもしもそうした団体があって、そして密かに反アベ活動を進めてヒットマンも養成をして射殺に成功したのだとしたら、そうした団体を見過ごした警視庁の公安部門も警視総監も警察庁の長官も公安調査庁の長官も、まとめて腹を切らなくちゃいけないくらいのレベルの失態。それはさすがにしないだろうと考えるなら、そうした網の目にもあっからない意外なところから、親族への怨みをこじらせて影響力を持っていると思われたトップのところへおしかけたとしか考えられないんだけれど、世間にはそうしたリニアなエスカレーションを断絶なり飛躍ととらえて接続させないようにする動きがあるみたい。

 今日も今日とて一応は全国紙が精神科医の人なんかを擁して「『(家庭連合と安倍氏が)つながりがあると考えた』(山上容疑者)。片田氏はここで『怒りの置き換え』が生じたとみている」といった感じに超絶的な飛躍があってそれは反抗を犯した人の資質によるものみたいな感じで原因となった関係性から目を背けさせようとしている。でもこれは決して置き換えなんかじゃなく過剰気味なエスカレーションであって「不可解とも思える恨み」なんかではない。もちろん自制のタガが外れてるのはダメでそれで殺人なんてもっての他だけれど、だからといって原因をぼかしたいあまりになかったようなことにししたって世間はちゃんと分かっている。

 今も1億円を寄付したなんて篦棒な話も出てきたりして恨み骨髄だったことが分かってきた。一方で関係性も。そうした蓋然性の接続が招いた状況の何かを画そうとする動きが、テレビなんかで活躍しているコメンテーターに割と多くあるのがどうにも謎めく。国際政治学者とか社会学者とか哲学者とかジャーナリストとか政治評論家とか諸々。程度問題にしようとする節もあるけれどそこをぼかせないようになって来た今、架空でもいいから反アベ団体を作ってそこで訓練された兵士だったという話にしないと収まらないってことなのかもしれないなあ。木崎ちあきさんの「博多豚骨ラーメンズ」の即編にあたる「百合の華には棘がある」でも読んだような話がまあか実際に。怖いなあ現実。

 せっかくだからと千葉まで出かけて千葉劇場で「神々の山嶺」を見る。その前に近所のドトールで本を読んだり千葉市美術館の1階に置かれていたイームズチェアに座って原稿を書いたりして時間を潰し、そろそろと立ち上がって裏手に回ったら看板の出ていないラーメン屋があって何だと調べたら本当に「」という感じに名前のないラーメン屋さんだった。でも評判らしいので入って頼んだら出てきたのが二郎系ともいえる太くて硬い麺にたっぷりの野菜とあと大きな肉塊のラーメン。船橋だと無限大で出しているようなラーメンでそこも二郎系だからやっぱりそれで正しいのかかもしれない。

 本当は煮干しがきいたサッパリしたスープのラーメンを出すところらしいけど、曜日によって違っているそうで今日はたまたま二郎系の日だった感じ。朝ご飯を食べていなかったのでお腹にちょうど良い分量をもりもりと食べられて良かった。次は煮干し系が出る曜日を調べて行ってみよう。30分ほどで出てから千葉劇場で映画。試写では見ていたけれど改めて見てやっぱり山って大変だなあと思わされる。あの雪や氷の壁にピッケルをうちこみつま先を蹴り込んでひかっけよじ登っていくなんて普通はできないけどクライマーたちはやってしまう。そして落ちてケガをしたり亡くなったりもする。

 そうした大変さをアニメーションなのにしっかりを描いているのはアニメーションだからこそ描けているのかもしれない。ラストは漫画のようにくっきりあざやかではなくぼかしてそこから感じ取る感じ。でもそうした謎解きが本筋ではなく羽生が、そして深町がなぜ山に登るのかを探求するドラマだとするならそれで正解なんだろう。小説として分厚く漫画でも5巻あるストーリーを圧縮して選び抜いてそして異論を起こさせない脚本術は、日本の原作物も学ぶべきだろうなあ。名場面ダイジェストで筋は分からなくても嬉しい作品もあるにはあるけど、それだと10年は残らないから。


【7月12日】 カレーが評判な社長で知られるホテルは創業者の思想はともかくホテルとしては広めで過ごしやすいので割と使うのだった。ベッドも広々として普段は本が山積みとなって肩身を狭めて寝ているところから解放されてかえって寝づらさはあったものの、どうにか寝入ってそれから起きて支度をして高岡へと向かう途中、ホテルで配っていた読売新聞をもらって開くと佐藤憲一記者が映画「神々の山嶺」について書いていた。

 フランスで谷口ジローが有名だからこそ成立した企画だけれど、それだけに日本で企画されたかどうかといった指摘は確かに。こういう作品とか「FREE」のような作品が生まれてくる気配のないところがある意味でアニメーションの商業とインディペンデントの深い壁みたいなものを表していると言えそう。映画については原作を読んで谷口ジローさんの漫画も読んだ人が見てストーリーが短縮はされているけれど納得できる切られ方だちう声が多数で、パトリック・インバート監督の羽生と羽化待ちの関係に集中させたいという意図が成功した感し゛。試写で観ただけでまだ映画館で見てないので近く行ってあの高さと寒さを体験してこよう。

 しかしカレーが美味しい社長がいるホテルは産経新聞が創業者の人を応援もしていたりするのに新聞を置いてもらえないのは寂しい限り。読売新聞が無償で配布しているのかもしれないけれどそれでも宣伝の機会になるなら提供すれば良いのに。とはいえ残念なことに北陸で産経新聞はまるで存在感がないので置いてもニュースがきっと乏しくて誰ももらってくれない可能性があるから最初から除外された可能性が大きそう。コンビニで見ても富山新聞はあって北日本新聞もあるのに産経新聞は並んでなかったから。まあ県紙で北日本新聞と富山新聞があって正力松太郎さんの出身でもある読売新聞が力を入れている地域に産経新聞では出る幕もなかっただろうから撤退は正解か。北陸中日新聞もあるしなあ。世知辛い。

 高岡についてさてもこちらは藤子・F・不二雄さんの生誕の地ということで藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーを見物に行く。ローカルの氷見線に乗り換えそこから1駅で投薬。歩いてすぐの場所にある美術館の2階が展示会場で入ると「天使の玉ちゃん」の使われなかった原稿だとか、「ベン・ハー」を漫画にしたものの断片だとかが並んでた。「ベン・ハー」は描いたものの1ページしか残ってたりしないという作品だとか。手塚治虫さんの影響が色濃い絵柄ではあるけれどそれでもやっぱりとてつもなく巧い。

 見て手塚治虫さんがうなったのもよく分かる。他には「ドラえもん」があって学年誌とか「コロコロコミック」に掲載される際に漢字とかルビとかがどう違うかが比べられていた。元の原稿の吹き出しに入れられた写植は漢字が使われていたけれど、学年誌だと平仮名に直されていて、そして電子書籍だと元通りになっていたとか。写植入り原稿の複製で本とか作ってくれたらよりその創作に迫れるんだけれどなあ。高岡は藤子不二雄Aさんも住んでたことはあるんだけれど、記念碑みたいなモノは氷見にあるみたい。さすがに足を伸ばせなかったのでそちらはいつか。

 帰りは路面電車で高岡駅まで戻って来たもののブラックラーメンで有名な店は休業で入れず。ならばと歩いて高岡大仏を見に行って、日本三大大仏というのはここと鎌倉と奈良なんだろうかと思いつつ戻る途中にあるらしいラーメン屋を見たら正午からだったのでパスして駅まで戻り、そこで蕎麦を食べてから仕事先へと向かう。なるほど金型ってそうやって作るのか。終えて富山へと戻り名物の鱒の寿しを買って新幹線に乗ったらも東京だ。速いなあ。これなら富山の会社が東京に出先の事務所を置く意味がない訳だ。藤子不二雄の2人が10時間かけて出た東京もこんなに近いと、今もし藤子不二雄がいたら高岡で描いていたのかな。そんなことを思った1日。


【7月11日】 そして参院選の票がだいたい開いて東京都では生稲晃子候補が当選をしたり山添拓候補が当選したりした中に山本太郎候補も当選。あっちから出て落ちたものの党勢は広げてこっちから出て辞めて代わりを挙げてといった具合に、比例区ならではのハッキングをしかけて存在感を維持して来たけれど、今回は選挙区からの出馬だから辞めたら議席もはいそれまでよとなるので、辞めず6年間を活動し続けることになるんだろう。

 言ってることには大げさなこともあれば耳を傾けたくなることもあってとユニークだけれど、身体障害者の方々を国政に送り込んで改革に努めているところは本気なのでN党ほどには政治をハッキングして政党助成金をもらいつつ意見表明をし続けるような野暮はしないと思いたい。N党は暴露系ユーチューバーが当選してしまってこれから多額の政党助成金とそして国政でモノを言う場が与えられる。それをちゃんと生かして政治を良くするなら認められるけれど、批判のための批判でしかなかったりするところもあってそれが日本の何かを良くするとは思えないところが痛い。タレント議員のハプニング的意見にも傾聴するところがあったけれどここだけは……。それが当選してしまう今の空気がヤバい。

 ヤバいのはそうした空気をヤバいと思わず危険視も敵視もしないメディア状況でもあって、今日も今日とて旧統一協会が会見をしたのにテレビのバラエティでコメンテーターの芸能人たちが平和を歌っている団体なんだから安倍晋三元総理だって他の政治家だって賛意を示しただけなんだよとかヌかしていたりした。他にも脳科学者とか自称社会学者がいっぱい求めて来るのにちょっとだけ対応しただけで本気で応援なんてしてないよと安倍元総理とか政治家が旧統一協会に良い顔をしたことを擁護していたりしたけれどもちょっと待て。それを例えば戦前にドイツで蔓延った政党に対して言えるのか。1995年に事件を起こした集団に言えるのか。

 相手は今でこそメディアがあんまり取り上げなくなっているけれど、1970年代から学生の間に蔓延っては原理運動だ何だと呼ばれ一般層にも蔓延って霊感商法だ何だと言われ合同結婚式だ何だとメディアを騒がした集団だ。そして今も合同結婚式のようなことはしているし商法による被害を訴える人だっている。そうした側面を持つ集団に対して一瞬でも擁護をしたら相手はそれをお墨付きにして勢力拡大につなげる。だからこそ取捨選択が必要で絶対にいい顔をしてはいけないのだということを、分かって言っているのか分かってないのか。程度問題じゃないんだよ。でもきっとそうソフトに言うことがキイキイと騒ぐ奴らよりカッコ良いなんて思っちゃったりしているんだろうなあ、脳科学者とか社会学者とか。相対化して希薄化して透明化していった裏側にどっぷりと残り蔓延る影。世界のこの二重構造が割れて吹き上がったのがあの事件だったのかもしれないなあ。

 富山に行く用事があって新幹線に乗ったら2時間ちょっとでついてしまった。昔だったら名古屋から東京へと行く時間だしその前だと家から大学のある豊橋まで通っていた時間。それで東京から富山に移動できてしまうのだから便利な時代になっていたのだなあ。昔だったら北陸なんて米原経由で関西からとか名古屋から行くのがやっと。あるいは富山なら高山本線という手もあったけれどそれは結構な距離をぐらぐら電車にゆられる必要があった。新幹線だと大宮を出たら次は長野でそして富山と向こう三軒両隣。その距離感でたどり着けるのだからもっと早く来れば良かった。とはいえ見るものがあるかというと仕事なのでとりあえずブラックラーメンを食べて富山気分を味わうのだった。白エビ丼には手が出ない。寿司もやっぱり。お金持ちになりたい。


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