縮刷版2022年5月下旬号


【5月31日】 Yahoo!ニュースが一部の芸能記事に関するニュースを配信している媒体のコメント欄を閉鎖したとか。調べたらどうやらWeb東スポと週刊女性PRIMEとNEWSポストセブンらしくそれぞれが配信しているニュースを見たらたしかにコメント欄がなかった。Web東スポは格闘技とかのスポーツ系ニュースについてはちゃんとコメント欄がついているから、芸能に関して閉鎖となったのだろう。それとも前からずっと閉鎖していたんだろうか。ちょっとそこは気づいてなかったので自身がない。

 週刊女性PRIMEとNEWSポストセブンは基本が芸能ニュースばかりだから媒体に関してコメント欄が閉鎖になったってことなんだろう。それが果たしてどういう効果を持つのか、コメント欄なんてまるで気にしていなかった自分にはまるで分からないんだけれど、ランキングを見るとそうやってコメント欄が閉鎖された媒体が上位にまるで入って来ていないことを見ると、拡散されることが減ってニュース自体の伝播が狭まるような影響が出ているのだろうか、それとも単純にコメントが荒れやすい媒体だったのでそれを閉鎖するだけで誹謗中傷の類を目にすることがなくなっただけなのか。いずれにしても何らかの意図はあり影響もあってそれが良い方に転がることを期待したい。

 唐突に「PUI PUI モルカー」の第2期放送が2022年秋に行われると発表になってびっくり仰天。WIT STUDIOに移ってストップモーションアニメーションのスタジオ立ち下に取り組んでいて、それと新しいタイプの新作アニメーションにも勤しんでいるかと思ったらしっかりと「モルカー」に関わっていたとは。吉祥寺アニメーション映画祭に登壇してトークを行っていた時もきっと制作中だったんだろうなあ。それでも外出できるくらいの余裕はもって作れているなら善哉、きっと良い物に仕上がることだろう。

 気になるのはどこをスタジオとして使っているかで、前は割と個人制作気味なところもあったけれど今となってはアニメーション界のドル箱スター、潤沢な資金と整備された制作環境を与えられていると思いたいけれど、そこであるいはWIT STUDIOの新しいストップモーションアニメーションのスタジオが使われていたりしたら、シンエイ動画の制作ではあってもWITも絡んでといった具合に面白い座組になっていそう。どうなんだろう。近年は久保雄太郎さんとかを起用してアーティスティックなアニメーションも提供しているWIT STUDIOだけにこうした外部との強力、あるいは外部への強力なんかも行ってアニメーション全体の称揚を図ろうとしているのかもしれない。

 それはCloverWorksとアニプレックス、集英社と組んで新しいアニメの企画会社を立ち上げたこととも重なる。座組みだけなら「SPY×FAMILY」で一山当てたんで同じような展開を同じメンバーで考えようぜってことに見える。同時にあれあけのデカい企画を成し遂げた後で同じような企画をオリジナルでなんて練り上げられない、やっぱり出版発のIPをアニメ制作会社を抱え込む形で確実に映像化したい集英社の戦略に過ぎないんじゃないかとも思えてしまう。だからこそ気になる次の企画。完全オリジナルなのか集英社作品なのか。集英社だとしたら何になるのか。オレンジ文庫あたりから良いのを選んでくると面白いんだけれど。辻村七子さんの「螺旋時空のラビリンス」とか。

 午前中に図書館で原稿を1本書き、午後に2本のウエブ会議を終えて時間があったので、イオンシネマ市川妙典で「ハケンアニメ!」を見る。3回目。平日の午後6時半からの上映で都心部でもないのに10人以上入っていたのはそれだけ面白さが知れ渡り始めている現れか。今回思ったのは、王子千晴監督が斎藤瞳監督と対決した発表会で紹介映像が流れる前に黙っていたのはかっこ付けじゃなく、自分で作れなかったのを有科香屋子プロデューサーがどう繋いだかを確認してたのかもしれない。直前まで行方不明だったわけだから。

 そして見て何も言わなかったのは繋がれ方に納得がいったからなのかも。それで惚れたか、俺のことが分かっている人だってことで。しかし3回見てもまた見たくなるのはEDロール後のアレを見てジーンとしたいからなのかもしれない。あるいは斎藤瞳監督が「サウンドバック 奏の石」の最終回の構成を変えると言ってから、説得にも応じず自分を貫き断言し、そしてクリエイターを巻き込みラッシュまで行く怒濤の展開の気持ちよさを味わいたいからなのかも。クライマックスが大好きで何度も通った「サマーフィルムにのって」と同じ味。あるいは「キサラギ」のダンスエンディングに笑いたいため。そういう映画、もっと出てきて欲しいなあ。


【5月30日】 興行通信社の週末映画興行ランキングが出て、沈んでいた「劇場版 呪術廻戦0」が8位へと再浮上。いよいよ劇場での上映が終わるってことでいっせいに上映が行われて舞台挨拶もあってそのライブビューイングも行われたことから集客がぐっと増えたみたい。もう見納め感があってもイベントひとつで盛り上がれるのなら、ほかの映画でも試せばあるいは動員を増やせると思うのだけれど日本の映画宣伝って仕込みは一生懸命でも、その後の盛り上げにはなかなか淡泊。2の矢3の矢が飛んでこない。

 公開そこまでが仕事って割り切っているのだとしたら、あとは責任を持っている配給会社なり製作元が頑張らないといけないんだけれどその時は別の作品にとりかかっているから手が回らないのだろう。そうした中で「ハケンアニメ!」はツイッターに続々と情報を出して頑張ってはいるんだけれど、それでも届いていないのか2週目もやっぱりベスト10外でちょっともったいない。都内の劇場では箱が小さいこともあって満席のところが出始めているのだけれど、地方ではやっぱり入ってないんだろうなあ。あと1押しが必要だとしたら何ができるんだろう。

 そうした中で、この映画が気に入ったのか稲垣吾郎さんがレビューをしてそして自分がTOKYO FMでやっているラジオ番組「THE TRAD」に吉岡里帆さんを招いて映画のことをいろいろとトーク。「本当に面白かった」と重ねて行って、前は試写で観たから今度は劇場でもまた見たいと話す吾郎さん。「クリエイティブの難しさと人間の成長物語。アニメがどうやって作られるか、楽しむことができた」といった言葉には、ちゃんと映画のテーマを普遍化して受けとめていることがうかがえた。

 受けて吉岡さん。「心に残るアニメにたくさん触れてきた」という経験から映画の中について触れて、「すごくプロフェッショナルで、これが世界に認められる日本のアニメの裏側なのか」と思ったと話してくれた。えいがではメガネをかけて髪しばった化粧っ気のない顔で出ているけれど、そんな斎藤瞳監督役が「それでも可愛かった」と吾郎さんに言われたら、やっぱり嬉しいんだろうなあ。

 あの役も今だから演じたれたところがあると吉岡さん。「7年がかりの映画でオファーも前だった。そのころ演じてたらこうはなってなかった」というのは、いろいろな仕事を経て責任とか感じるようになったから。役者としての積み重ねがあって、それでもベテランにはまだ届いてない今だからこその必死さが現れていたのだとしたら、それこそが時間を切り取り定着させる実写映画の醍醐味って奴になるんだろう。

 「アニメって多くの人の緻密な作業の積み重なりで初めて世に送り出されている」と吉岡さん。「その感動、当たり前のように見ているアニメーションがどれくらいの努力の結晶なのかが伝わったら良い。何かに一生懸命頑張っている人なら、秀逸なセリフが胸に刺さって、明日もう少し頑張ろうと思ってもらえるのでは」と改めて話して鑑賞を呼びかけていた。これだけのプッシュがあったら改めて、見に行かないといけないなあ。東京あたりならまだまだ上映機会も多そうだけれど、3週目に入るとすっと減る可能性もあるから要注意。それは「犬王」にも言えるか。やっぱりランク外。映画って難しい。

 5月31日で終わってしまうので阿佐ヶ谷のぱすたやに寄ってご当地パスタシリーズで群馬県名物らしい「ベスビオ」を戴く。火山の名前がつけられているとおりに食べると口から噴火しそうな辛さ。それはカレーとは違って唐辛子で見た目は普通にトマトソースのペスカトーレなんだけれど、黒くカリカリになった唐辛子が何本も入っていることからソースが辛い。ただ食べられないほどではなく辛さがほどよく口を刺激して大盛でも食べきることができた。しばらく口に辛さは残っているけれど、1時間ほどで消えてしまうところも潔い。お腹がどうなっているかは不明ながらもこれは食欲をそそられるのでどこかで恒久メニューにして欲しいなあ。だったら群馬県に来い? ごもっとも。次は函館イカスイナポリタンだそうで黒いパスタを食べられそう。お昼には食べられそうもないかな。

 トランスジェンダーの人へのパワハラでセクハラが続いて訴えられた某社が至らなかったとコメントを出したみたいだけれど、2019年の段階でそうした事態が起こってすぐに手を打ち職場を分離する措置を講じたにもかかわらず、1年後に同じ部署に戻したりそこから2年も手が打たれなかったりしたのはなぜなのか、ってことの方がちょっと気になる。やった気になっていたのかそれともそれ以上は何もできなかったのか。ずっと同じようなことが執拗に行われていたのかも気になるところではあるので裁判に突入した以上はそこで審議され判断されて欲しい。セクハラパワハラ人間が居座り偉くなる会社は衰退していくとしても、その某社の業務はクリエイターの自立にとって重要だから。


【5月28日】 新宿へと出向いて「犬王」の舞台挨拶付き上映が始まるまでに食事でもと思ったものの、10時半頃では開いてる店も少なかったので牛丼屋のたつ屋に入って並を1杯。しばらく前に400円に値上がりしていてまつ屋とか吉野家に比べてリーズナブルな感じも薄れたけれど、よく煮込まれた牛肉とそえられた豆腐が良い味を出していて大手チェーン店では食べられない味を楽しめるからやっぱり通ってしまうのだった。

 店内のテレビではトム・クルーズがインタビューに答えていて、「トップガン マーヴェリック」ではセット撮影は使わず自分だけでなくメンバーもやっぱりジェット戦闘機に乗って実際にGを浴びながら撮影を行ったことを明かしていた。自分は操縦できても若い俳優はちょっと無理なところを映画さながらに教官となって訓練したみたい。だからこそのあの先生と生徒感も生まれたんだろう。あと超メジャーな若手俳優が混じってなかったもの、そんな危険な撮影に臨む人がいなかったってことなのかも。でもそうした試練をくぐり抜けた俳優たちは36年前のトム・クルーズと同様、これからの道が開けたんじゃないだろうか。極めれば道は開かれる。学びたい。

 さて「犬王」。新宿バルト9までエスカレーターで上がった8階の以前は中華そば青葉があって、そのあとラーメンTETSUが入っていた場所にパスタ屋さんが入ってしまったそっちで食べればとも思ったけれど、値段が結構高かったので今回もそして以降も断念。パスタならちょっと前に新宿紀伊國屋書店から移転したJINJINが、バルト9の下ちょっと新宿御苑寄りにオープンしていたのでそっちを使うから別に良いのだ。バルト9の中のカフェは「映画 五等分の花嫁」のコラボカフェになっていたけどそっちはそっちで作品を知らないので今は遠慮。公開中に観て感動したら使おう。

 さて「犬王」。前に東京国際映画祭で観ていて今回が2回目、その時にすでにロックフェスのようだといった感想を持っていたけれど、改めて見てやっぱりロックフェス的な盛り上がりを味わえる映画だってことを確認できた。だって後で登壇した出演声優陣がそろってフェスだって例えていたんだから。女王蜂のアヴちゃんに森山未來さんの2人がメインを張っている映画だけれど口から出る演奏場面を例える言葉がフェス。だからこそ映画館でも応援上映が解禁されて足踏みならし手拍子を打って叫ぶような観賞が出来れば最高なんだけれど、上映期間中にそこまで至るかどうか。岸田内閣次第か。

 壇ノ浦で海中に潜って平家の遺品を引き上げつつ漁師をして来た友魚の目が見えなくなって琵琶法師に拾われ京へと上ってそこで琵琶法師の弟子となり、最初は普通に唄っていたのが京の都を駆け回る異形の存在、すなわち猿楽の家に生まれながらも訳あって人間らしさを奪われ怪異な姿となって生まれた子供と出会い目の見えない友魚から名を変え友一と出会って意気投合。見よう見まねながらも優れた才能を異形の体躯ととおに見せる自称「犬王」の講演に、友一変じて友成は観客を誘う前座の音楽を奏でるようになり、そして犬王は誰も観たことがない能楽というかもはやイリュージョンを河原で、清水の舞台で、そして将軍足利義満の庭園で披露するようになる。

 そこで奏でられる音楽は現代のロックで、琵琶と太鼓でどうしてそんな音が出るかというのはこの際気にせずスピリッツとしてのロックすなわち体制への反抗が室町時代にも奏でられ、大衆を引きつけたと理解して観ていくとして、そうした音楽がとにかく凄まじく格好良くって心がシビれる。唄われているのは犬王という異形の存在の物語なんだけれど、その歌詞も歌われる歌声もアヴちゃんによるもの。性別不詳の響く声が醸し出す時にロック的で時にオペラ的な雰囲気に満たされた映画館もまた、ロックフェスの会場となって観る者たちを犬王の、そして友成のパフォーマンスへと引きつける。けれども。

 権力はやがて反体制的なものであり、自分より人気のあるものを弾圧するのが世の常で友成座の音楽は禁じられ弾圧され斬首される。なら犬王は、ってところが謎であり不興も買いそうだけれどそこは舞台挨拶で森山未來が触れていた、600年が経ってなお成仏できずにさまよう友成戻って友魚の魂を、ようやく犬王の魂が見つけられたように彼もまた無念を遺して600年を彷徨っていたことを感じ取るべきだろう。史実として犬王は義満の庇護下で栄え命も繋いだならばそこで表舞台から退く訳にはいかない。自分がそちらがわにいることで得られる何かに期すところがあったのかもしれないけれど、魂は友成と共にあったのだと理解しよう。だからこそ戻ったのが、本来の姿に。

 中盤からほぼずっと怒濤のロックサウンドとイリュージョンが繰り出され、席を立つ間もないからそこまでの、友魚が琵琶法師となって友一と名を変え犬王と出会うまでをひとつしのぎきって後は怒濤の展開に身を任せよう。そこまでの頼りは目を切られうっすらとしか見えない友魚の視界をそのまま映したようにぼやっとしながらディテールが分かるアニメーションの表現のアーティスティックな部分をしっかり堪能。後半以降も踊り唄う面々のアクションであり表情にアニメーションとしての凄みを感じよう。途中、森山未來さんが上げていた、藁で出来た手がずばっと刈り取られる場面でのけぞった犬王の顔を俯瞰で映すシーンは、24コマのフルアニメーションで描かれているそうなので改めて見る時に確かめたい。


【5月27日】 実は1作目をろくに観てない「トップガン」の実に36年ぶりとなる続編「トップガン マーヴェリック」が公開となったのでTOHOシネマズ新宿のIMAXで早々に観る。バビューンでドバーンでグオーンでズダダダダでドカーンだった。楽しかった。以上。ってそれでは説明になってないからもうちょっと書き足すならば、今度は廃校の危機ではなく戦車道の総本家を駆けた戦いが日本戦車道連盟へと持ち込まれ、世界選抜を相手に戦うことになってもはやどうしようもないといった状況下、西住流家元の西住しほが抜擢されて日本の高校選抜チームの教官となって昔取った杵柄を見せるといったストーリー、かな。かな?

 見どころは間にどれだけ時間が経ってもまるで衰えていない西住しほのボディスタイルとそして戦車を操り勝利へと導く技術。娘の西住みほとの関係もどうにか修復し、身を出身校の黒森峰学園のタンクジャケットに包みティーガー戦車に乗って全体を指揮して世界選抜が繰り出す物量に任せた攻撃をかわしてチームを勝利へと導く。面白そうだとしか言えないそんな設定を、世界のトム・クルーズが超音速で飛ぶジェット戦闘機を操りながらやってしまうんだから面白くないわけがない。ミッションが達成された瞬間にヒャッハーと叫び、そして危機一髪からの大逆転を迎えた瞬間にヒャッホーと拳を振り上げたくなる。

 アメリカだったらもう大声で歓声が飛んだだろうなあ。そんなエンターテインメント性に溢れメロウなドラマもたっぷりな「トップガン マーヴェリック」。途中、西住しほとみほの母娘が敵地で鹵獲されていた四号戦車を奪取して敵を攪乱するような場面があるかもしれないしないかもしれない。そして危機に陥ったところをまほが駆けつけ母親と妹を救うとか、そんな映画を創ってくれたら見に行くなあ。タイトルは「ガールズ&パンツァー 西住流」とか、そんな感じ? しかしCGではない戦闘機がほんとうにドッグファイトを繰り広げる映画は日本じゃあ撮れないよなあ。映画大国アメリカならでは。アメリカではどんな受け止め方をされるんだろう。興味津々。

 将棋の棋王戦で里見香奈女流四冠が本戦への出場を決めたとか。これは快挙である上に、対プロ棋士との対戦成績でプロ棋士編入試験を受験する資格が出来たそうでこれに申請をして5戦のうちで3勝すれば四段プロ棋士となってフリークラスに編入される。三段リーグを勝ち上がってプロ棋士四段になれば順位戦に参加できるC2クラスに編入されるから活動に制約はあるものの、女性で今までプロ棋士四段になった人はひとりもいない状況から考えるに、歴史始まって以来の快挙に手がかかったこの貴重な機会を是非に生かして欲しい気もする。

 ちょっと前に西山朋佳女流二冠が三段リーグで次点をとって、そこで2位以内に入ってさえいれば堂々の四段昇段を決められたのだけれどわずかに及ばなかった。それでも次の期にもう1回次点をとればフリークラスに編入されたけれど、今ひとつ調子を上げられないまま奨励会を退会してしまった。そこでの限界を認識したってことを理解したらしいけれど、同様に里見女流四冠も三段リーグで戦いながら退会をしてしばらく女流として活動し、そこで成績を上げて来た。早熟の天才もいる一方で晩成の大器もいるのが才能なら、自分はそちらなんだと誇って良いと思うので、かつて及ばなかった場所という感情は埋めて今できることをやり抜いて欲しい。それがプロ棋士挑戦なら是非に。

 アニメーション会社で働くクリエイターが貧乏なのはよろしくないと、ヒット作が出て儲かったアニメーション会社についてはご褒美として税金を割り引いて還付金としてアニメーション会社に戻せばハッピーと言って非難囂々だった赤松健さんが、「先日のアニメーター待遇改善案について、『還付金を制作会社に渡しても現場に還元などされない』、『ヒットした作品に限定すべきでない』など多数のご意見を頂きました。直接クリエーター支援に繋がる施作にすべく、根本的な現状改善に向け政策を改良していきます」というコメントをやっと出した。

 すぐさま声が上がったにも関わらず、てここまで2週間もかかるのかがまず分からない。あと、誰かが憶測していた、アニメ会社の単年度でドバッと儲かっても、税金で持って行かれて次の投資に回せないので、そうした税制面を改めるんだと言いたかったのを端折っただけという話ではなくて、本気でヒット作を出したご褒美として還付金を出すといった感じで、勝てば官軍であり勝たなくては無意味といったクリエイティブにあるまじきスタンスが根底にあったことがまるで分かっていなかったことが分かってちょっと心配になって来た。誰かまっとうなブレーンはいないものか。肝心要のインボイス制度にはまるで無関心なのも気になる。どうなるかなあ。


  【5月26日】 図書館に行ったら「演劇界」という歌舞伎を紹介する雑誌が休刊になっていて、根強いファンがいそうなジャンルでも雑誌を維持するだけの読者を得られていない現実に慄然とする。まあファン層の年齢が確実に上がっているジャンルでもあるから仕方がないのかもしれないけれど、日本が世界に誇る文化でこれからも維持していかなくてはならないジャンルで衰退が目立つのはちょっと拙い。むしろだから国が雑誌を支えて広報メディアとして利用し若い層に歌舞伎の魅力を伝えていく努力をしなくちゃいけないのに、劇評は近所の書店で頒布されるレターに置き換わってしまった。それすらもきっと読まれないんだろう。

 雑誌では「近代柔道」と「ボクシングマガジン」も休刊。東京オリンピックがあって柔道だってボクシングだって競技が行われたはずなのに、それがまるでスポーツの振興からの雑誌の売上げ拡大につながっていなかったことが如実に分かってしまった。柔道はともかくボクシングならファンもいそうな気がするけれど、雑誌を支えるほどではないんだろう。いっそう闘犬よろしく拳闘もギャンブルの対象にすれば雑誌を買う人も増えるかというと、リアルタイムに近い情報が求められるネットに置き換わっていくんだろう。競馬はだから雑誌より新聞が生き残っている。次は相撲かプロレスか。

 だったらウエブが安心かというとcakesって書き手のクリエイターが文章を発表するプラットフォームが8月で完全閉鎖となって記事もいっさい読めなくなるとか。さすがに成果がぶっつぶれては書き手も怒るってことで、運営元があわててデータはしばらく保存し渡せるようにすることをアナウンスしていたけれど、一般の人はもう読めなくなるということに媒体の運営者として何ら配慮をしないところが寂しい。いつでもどこでもアクセスできて、時にタトゥーとして永遠に残ると言われているネットだけれど、記事は消されて読めなくなってしまう方が多い。紙なら出てさえいれば誰かどこかが保存してくれるのに。そんなネットに依存して文章を発表し続けるリスクも考えないとなあ。

 菊名へと行く用事があったのでとりあえず横須賀線で武蔵小杉まで行って東急東横線に乗り換えようとしたらものすごく歩かされた。あの距離を朝は近隣のタワーマンションから吐き出される大勢の会社員がぎっしりと詰まってホームにも溢れ改札の外にも溢れる状況に陥っていると思うと都市作りってのはよほど考えないといけない分野ってことがよく分かる。住みたくないなあ。とはいえ菊名あたりだとタワーマンションもないけれど飲食店も少なく買い物もできる場所がなかったりしてとても横浜市街近郊には思えない。横浜線も通っているターミナル駅なのに東急はどうして開発しなかったんだろう。日吉はあれで慶応大学があるから立派なんだろうなあ。

 ひと仕事終えてさて帰って寝るかと思ったものの、丸の内TOEIで上映されている「ハケンアニメ!」の入りが芳しくなく、午後4時10分からの回で予約が1人もいないことが見えたので、これはどうにかしなくちゃいけないと日比谷線から銀座で降りてかけつけ観賞。幸いにして3人くらいはいたけれど、都内でも最大規模のスクリーンで上映されている東映のお膝元であるにも関わらず、この入りは先行きがちょっと心配。あれだけ宣伝もしていたのに、そして舞台挨拶の抽選でチケットが外れるくらいの人気だったにどうしてこうなってしまうんだろう。

 「ハケン」が「覇権」なのに「派遣」と思われてたいように、ストーリーが分からなかったのかもしれない。それだと行かない日本の安全パイばかり囓りたがる嗜好をどうにかしないと、エンターテインメントは死んでしまうしそれ以上に感性が摩耗してしまう。前評判とか気にせずコストなんて無視してふらりと映画を見て面白ければ喜びつまらなくても経験だったと笑える社会にならないと。さて2回目は原作を読んで見知ったものと少し違っていた映画の全体を把握した上で流れを追って観ていくことができた。最初は緊張で怖々として手探りだった斎藤瞳監督が、刺激を受け自分を改め成長していく感じをちゃんとつかめた。王子も余裕綽々なようで時に才能への懐疑を示す繊細さがあることを垣間見れた。それでもやっぱり最後には感動してしまうところがやっぱり凄い。もう1回観ても感動するんだろうなあ。そのためにまた行こう。入場特典も変わるみたいだし。


【5月25日】 秩父にあるアニメの作画会社が映画「ハケンアニメ!」の中で作られる「サウンドバック 奏の石」と「運命線線 リデルライト」の両方の作画を受注していることから、同時刻の放送を壁を仕切って見ている描写があって、時の勢いを反映して見る人の数が増えたり減ったりしていたのを現実でも再現したら面白いかもと企画。同じ劇場で同時刻から「ハケンアニメ!」の上映を始めて、片方に「サウンドバック 奏の石」派、もう片方に「運命戦線 リデルライト」派が入って映画を見るようにすることで集まった人数を競い合ったらどちらが勝つだろう。

 そこは役者の内で「サバク」の斎藤瞳監督を演じた吉岡里帆さんのファンと、「リデル」を監督した王子千晴を演じた中村倫也さんのファンがそれぞれに推し活を繰り広げるだけで、アニメの評価にはつながりそうもないから無理かなあ。いやいや監督だって数ある宣伝の弾の1つ。100撃って1つ当たるかどうかと城成理プロデューサーも言っていたから、それに乗っかりたとえ役者のファンの推し活になっても宣伝のためにやってみたらどうだろう。その場合自分だったらどっちに行くだろう。榎本佑さんも推したいけれど尾野真千子さんも推したいんだよなあ。それくらい、キャラのパワーが拮抗していた希有な映画。もう1度くらい見て誰を推すか考えたい。

 アメリカのテキサス州で銃の乱射事件が起こって子供を中心にして21人くらいが亡くなったとのこと。どういう理由なり心境からの乱射なのか伝わっていないけれど、少し前に起こった乱射事件は白人至上主義をこじらせた人が黒人を狙って乱射したって話で、その際に匿名掲示板の「4ch」をハブにして情報が回ったようなことが取りざたされていた。今回の乱射でも発生直後から「4ch」が関与しているかどうかを噂する言葉がSNSなんかに上がっていて、いよいよヘイトとレイシズムの言動が濃縮されて発信されるプラットフォームとして全米的に認知されて来たみたい。その運営に直接関わっているかは分からないけれど、生みの親ともされる人間を日本はテレビ局がコメンテーターとして起用しありがたがっている。不思議だけれどそれが日本のメディアの限界であり厄介なところなんだろう。

 だって真っ当なメディアなんて経営できないじゃん。日刊現代だかで編集長を務めた瀬尾潔さんが立ち上げた「スローニュース」ってサイトが早くも記事の更新を停止して実質的な撤退を決めた。ノンフィクションを応援するプラットフォームとして購読料を集めつつ優れたノンフィクションを優れたライターに書いてもらうコンセプトでそれなりに読み応えのある記事が掲載されていたようだけれど、「現代」にしろ「宝石」にしろノンフィクションが載る雑誌は「文藝春秋」「中央公論」を除いて絶滅してしまった現在、ネットだからといってコストをかけずに運営できるかというと、今度は購読者が集まらない。雑誌は買ってもネットにお金は払いづらい風潮の中、それでもファンを集めて運営するには何が必要か、って考えると東浩紀さんの「ゲンロン」は巧くやっている方なのかもしれない。毀誉褒貶あれど中心的な人物に特徴があるから。

 何かの冗談だとしたらたちが悪いし、真剣だとしたら頭が悪い。AV新報なるものが取りざたされている中で、立憲民主党の堤かなめ衆議院議員は「政党として性行為AV禁止の法律を別途検討していくことは可能か」といった立場から、「テレビや映画の殺人シーンで実際に人は殺さない」といった考え方をバックにして、性行為の撮影や動画の売買を認めることは個人の尊厳を傷付け性的搾取を許すことだ。党としてさらなる対策を検討し進めていきたい」と国会で話したとか。おいおい、性行為はすると殺人のように罪に問われるものじゃないだろう。「個人の尊厳を傷付け性的搾取を許す」場合もあるけどそうでない場合もある。そこを一緒くたにしてしまって突っ込まれるだろう可能性を、考えなかったのなら戯けだし、考えていっているならそれは表現の自由への挑戦でもある。今度の選挙も政権交代には遠そうだなあ。

 思うところあって横浜F・マリノスの試合を見に三ツ沢へ。マリノスだったら横浜国際じゃないのっていうとそれではやっぱりコストもかかるから最近は三ツ沢も使うことがあるみたい。行ったのがいったい何時以来になるか覚えておらず道にも不案内だったので、横浜駅からバスでスタジアムの側までいって中に入って試合を観戦。ちょっと前に豊田スタジアムで見た京都サンガを相手にマリノスが押し込みながらもキーパーの攻守もあって得点を奪えずちょっと苛立ちも出てくる。それでも右サイドを駆ける仲川輝人選手の圧倒的なスピードに、左サイドで安定したプレーを見せる宮市亮選手、そして得点を奪った小池龍太選手の頑張りなどもあって1点をリードし、後半にも1点を加えてマリノスが快勝する。

 両サイドのスピーディだったりする動きとあまりボールをもたずワンタッチで回していくパスワークが見事で、これで縦への圧も加われば往年のジェフユナイテッド千葉でのオシムサッカーの再来になったかもしれない。ただゴール前で回す余りに飛び込んでのシュートといった危険なプレーにやや乏しく、それが相手に守備の意識を生まれさせて堅守へと繋がって得点差を広げられなかったのかもしれない。後半に入った水沼宏太選手はボールの落ち着きも運びも良くってやっぱり一級品とった風格だけれど、もう32歳なんだよなあ、23歳で同じだけの活躍ができていたら世界がとれる選手になったかもしれない。そういう人が残って前田大然選手やオナイウ阿動選手は海外で活躍。日本サッカーの空洞化も極まってきたかもしれない。その中で最大限に面白いサッカーをやってくれている分、マリノスはましなのかもしれない。ちょっと観察していこう。


【5月23日】 「シン・ウルトラマン」が「ウルトラマン」のリブートだとしたら、「ウルトラマン」の続きであるところに小林泰三さん「ウルトラマンF」はある意味で「シン・ウルトラマン」の続きとしても読める気がする。巨大化した富士明子がフックとなって大活躍するストーリーが、そのまま「シン・ウルトラマン」の続きになるとしたら浅見弘子がメフィラスによって巨大にさせられた影響を引きずって、あの後も活躍する禍威獣を相手に浅見弘子が覚醒して変身して戦うことになったりして。それはセクハラではなく立派に女性の社会参加と見るか否かは変身後の格好次第か。さすがにグラマラスにはできないか。

 山口県で給付金の10万円を間違えて1人に4630万円を誤送金した件で、振り込まれたお金を全額オンラインカジノで使い切ったと嘯いていた人を横目に決済代行業者がなぜか3500万円を町に返したとのこと。警察にガサ入れされて怪しいお金を集めては怪しいところに投資していたことがバレて摘発されるのを恐れて自分はもう関係ないという証として手切れ金として振り込んだのか、それとも最初からオンラインカジノに使ってなんていなくて決済代行業者が後でバックするために一時保管していただけなのか、いずれにしても怪しい仲介人が絡んでのお金の動かし方をする人に、ピンポイントで大金が渡ったことがやっぱりなかなか信じられないのだった。偶然かなあ。

 バイデンバイデンバイデン、バイデンバイデンバイデン、バイデン、バイデン、バイデンデンーン。なんて唄いたくはならないバイデン大統領の来日がまったく個人的に話題にならないのは、そういった話題でもちきりのメディアの中にいないのと、そういった話題を伝えるテレビをほとんど見ていないせいか。ネットとかで見るニュースでは天皇陛下と面会をしてそれから岸田総理を会見もしたみたいだけれど、何を言ったかといえば台湾有事へのスタンスを示したくらい。それは助けると言いつつホワイトハウス的には言ってなかったりする曖昧なもので、そうした言動を国民が許し認めて騒がないところが、日本のノイジーライティーが強いメディア状況との違いなのかも知れない。

 新潟国際アニメーション映画祭というものが立ち上がるみたいで来年3月17日から22日という日程は東京アニメアワードフェスティバルとはズラしていると思うけれども近すぎる日程はその後にAnimeJapanも控えているだけにアニメーション業界関係者にはちょっと忙しい気もしないでもない。合わせたのかそれとも挑んだのか。ちょっと気になる。商業がメインの長編アニメーションの映画祭ということで、それなら東京アニメアワードフェスティバルがやっているかというとファンの投票で候補作を選ぶという映画祭とはちょっと違ったセレクトをしているところが映画祭とはちょっと違う。だから目下やっぱり唯一ってことになるんだろう。それで選ばれるのが優れているけど興行がイマイチな名作なのか、名作呼ばわりはされないけれど確実にマーケットを得てファンもいる作品になるのかは審査委員の心情次第か。お手並み拝見。取材行けるかな。

 三鷹でしばらく仕事をしてから帰って船橋の銀座コージーコーナーで今度はちゃんと変えたカスタードのエクレアを帰って食べて幸せな気分。これが斎藤瞳が求めていた味か。そして始まった「攻殻機動隊SAC_2045」のセカンドシーズンを見始めて、プリンがちょっと大変なことになって涙ぐむ。続いてトグサの失踪からの行き先が東京あたりを分かったけれど、どちらかといえば筑波あたりを思い出される風景というか、25年後も日本はそれほど変わっていないというか、そういった世界観の独特さがどうにも不思議なテイストを醸し出している。シリーズなのでテンポの悪さは相変わらず。これらをギュッとまた縮めた劇場版が出てくれば嬉しいかもしれない。曽世海児さんは荒巻もやればポストヒューマンの女性のミズカネスズカもやったりとモーションアクターで大活躍。スミスが凍結されちゃって声の出番はもうなさそうなだけにそっちで期待だ。


【5月22日】 そして始まった「天使のたまご」の上映は半分くらい起きていたようで眠っていたようで戦車めいたものが砲塔を横に向けてガラガラと走って行くキャッチーな場面は見られて巨大な目玉みたいなのが降りてきて海に落ちてそこに立像がわんさか乗っていて「宝石の国」で月から降りてくる奴らのビジョンを思い出す。あとはラスト付近で少女が大声で叫ぶところ。ここでパチッと目が明いてそして少女が人形となって目玉と共に上へと上がっていく場面は見たけれど、全体としてどういうストーリーがあったのかはやっぱり分からなかった。次に見る時はいつだろう。

 続いて「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」。こちらも話を知っているだけあって見なくても分かると意識を飛ばしつつラストの博物館でのバトルだけは目覚めて素子のゴリラ化とその前の磯光雄さんによるアクションを確認。でも「ネットは広大だわ」のセリフでは意識が飛んでいたりして短い間に行ったり来たりしていたみたい。人間って不思議だ。そして「イノセンス」。こちらはしっかりと最後まで見終えた。プロダクトデザインはいっしょでもルックがまるで違ってアニメっぽさから遠ざかっていたけれど、当時はそれを進化と思っていたんだよなあ、新しいこが始まるって。

 でも今となってはセル画調で描かれた「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」が懐かしく思う。肌触りも良い。そこはだから古い人間なのかもしれないけれど、結果として次の「スカイ・クロラ」ではセル画調のルックへと回帰していたようだから、押井守監督も馴染みがあるのはそっちだったのかもしれない。もし次が作られるとしてどっちのルックになるんだろう。3DCGはすでに「攻殻機動隊SAC_2045」で既にやってしまったから、元に戻して究極のセル画調を目指して欲しいなあ。それが押井守監督の最後のアニメーション映画となるのかもしれないならなおのこと。

 帰ってからちょっと眠りそして起き出してイオンシネマ幕張新都心へ行って「シン・ウルトラマン」をULTIRAで見る。真下から見上げるような浅見弘子の香しさを堪能しメフィラスの耳触りのよい声に聞き惚れそしてゼットン相手のワンパンチ勝利に喝采。そこへと向かう直前の浅見との別れのシーンでベタベタな音楽も流さず涙も見せずにさらりとながす人間ドラマの希薄さを是とする口ではあるけれど、2度3度見ると淡泊過ぎてもうちょっとベタっとしたところがあっても良かったかもしれない。人間って贅沢。そしてゾーフィ相手の会話を経て目覚めて終わる割り切りの良さも潔いけど物足りないと思う瞬間もちょっとある。「仮面ライダー」ではそうした人間味をどこまで出すか、それとも割り切るか。見守ろう。

 戻って銀座コージーコーナーで「ハケンアニメ!」御用達のエクレアを買おうとしたらチョコが載ったカスタードは売り切れだったのでいちごを買って食べたけど、それでチョコじゃないと斎藤瞳は泣き出したのだからあまり応援にはならないか。原作だとドーナッツなんだけれどコラボレーションがコージーコーナーになったのは、話を持ちかけて断られたからなのかそれとも東映が根城にしているのが銀座だからなのか。気になります。原作との違いといえば「サウンドバック 奏の石」が舞台にしているのは原作では新潟県なのに映画では秩父になっていた。既にご当地アニメが沢山ある秩父じゃ聖地巡礼も嬉しがらないのにどうして変えてしまったのかなあ。近場だと盛り上がると思ったのかなあ。そこで行城理プロデューサーのような人が暗躍して仕掛けたのなら凄いなあ。


【5月21日】 用事があって銀座に出たらプランタン銀座の建物がユニクロになっていた。でもって隣が無印良品で比べてやっぱり自分には無印の方が合っている感じ。ひとつには素材で麻にしても綿にしてもしっかりと表示をしてその効能をうたっていることがひとつあり、なおかつそうした素材で作られたファッションがどれもシンプルで体に合う。着ていてまるでストレスを感じないのがシンプルだからこその力って奴なんだろう。

 ユニクロはジーンズに関しては悪くないけどシャツは全体に生地が薄くてそして丈が短い印象。そうやって少しずつ詰めれば全体でどれだけの節約になるかと考えた時にひとつのアイデアなのかもしれないけれど、1枚1枚を身に纏うことになるユーザーにとってはちょっとした丈の短さだとか薄さは着心地に致命的になるんだよなあ。それが今も続いている風習なのかは確かめてないけれど、かつてそういった印象を持ってしまうとなかなかくつがえせない。それでもジーンズに関しては履き心地がずいぶんを上がった印象なのでサイズ直しの充実度合いも含めて利用していこう。ようは使い分けってことで。

 自分の話から入れば新聞記者だったので世のドラマに登場する権力に噛みついて不正を暴き、警察を出し抜いて真犯人に迫り、文豪を奮起させて折った筆を元に戻させ、挫折したアスリートを支えて競技の第一線へと送り返すなんてことをする新聞記者は、万人に1人もいないだろうことは分かっている。それでも、過去にウォーターゲート事件が暴かれリクルート事件が指弾されたように誰かが何かを成し遂げたという実績はある。そして、関わる人は忙しい日々に疲弊しながらも、心のどこかに新聞記者にはそうあって欲しいと思い、ドラマのような新聞記者を理想の姿として夢見る。そんな新聞記者ばかりになれば世の中にも何某らの活気が起こり、正義が貫かれるだろうという願望とともに。

 アニメーションを作る現場が視聴率を競い合ってぶつかり合うようなことはたぶん起こってはいないだろう。ぎりぎりの段階まで監督がラストを迷って迷って迷い果ててなお迷い続けるような状況も現実的ではないだろう。そんな余裕などアニメ制作の現場にはないからだ。変えられたコンテに従って作画をやり直す余裕もなければ、事前に収録を終えてあるはずの声優が変更された台本に合わせて最終回の放送間際に声を録るなんてこともないだろう。

 だからありえないと映画「ハケンアニメ!」の一連の描写を否定して理想が過ぎると呆れるアニメ関係者が少なからずいるだろうことは否定しない。土曜5時台に1クールのアニメが放送されるような状況も、その1本が大手アニメーション制作会社が手がける子供向けのアニメーションであるということも現実的ではない。だから原作は違っている。放送時間は別々でターゲットも違うし視聴率でも競争しない。

 ”覇権アニメ”という言葉の下に天才監督による魔法少女アニメと新人監督による子供向けのロボットアニメが同じクールでぶつかりあっても、その勝敗は視聴率という明確な物ではなく、人々の間の評判であったり世間にあたえたインパクトといったものの総称として用いられ、雰囲気の中でどれが”覇権”と言えるだろうかといった雰囲気の中で、誰となく認識する作品として語られる。

 それがあったから小説としての「ハケンアニメ!」は視聴率であったりパッケージの売上高であったりといった数値の上下で優劣が決まるといった、アニメーション好きの神経を逆なでしそうなバトルではないと理解され、受け入れられた。それが映画版「ハケンアニメ!」では、真っ向から視聴率対決にされてしまったことに、アニメーション好きは少なからず違和感を覚えるだろう。

 ただし、これは映画だ。映画というエンターテインメントだ。ドラマの新聞記者と同様に、ある種の理想像を時にカリカチュアライズも含めて描くものだとしたのなら、映画『ハケンアニメ!』はアニメーションの業界がそうあれば、とてつもなく理想に近い作品が続々と生み出されて働く人たちも理想を貫け、受けとめる視聴者も喜びを噛みしめられる世界になるのだといった思いが、形になったものだと言えるだろう。

 逃げ出したくなっても逃げられない中、やれることをとにかくやり続けることでしか作品は生まれないという確信。監督がやり抜きたいと思うことを誰もが受けとめ限界を超えて挑み突破して最高のものを作るのだという意識。時間だとか資金だとか気分といった現実の壁に阻まれて、届かない夢であっても思い続けることで少しずつ近づいて、そしていつかそこへとたどり着きたいという思いの容れ物として「ハケンアニメ!」という映画がなってくれれば嬉しい。その嬉しさを共有したいと思える人が1人でも増えていく始まりに、「ハケンアニメ!」という映画にはなって欲しいし、なっているのではないかと思うのだ。


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