縮刷版2022年5月上旬号


【5月10日】 女性警察官がペアで出てくる漫画をあれこれ。「ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜」が目下のトレンドだけれど過去にあった「逮捕しちゃうぞ」や「ブラッディエンジェルズ」と何が違うかと言えばミニパトに乗った交通課の女性警官ではなく地域課に所属して交番に詰めている女性警官の日常がテーマってところで、交通違反の取り締まりを改造したミニパトで行うようなエンスー系の願望を満たしたり、特別な銃器を扱ってミリタリー系の興味を誘ったりするようなフェイクはなく、極めて忠実に現場の状況に即した描写を心がけつつ、だからこそ浮かぶそこはかとないおかしみを誘う漫画になっている。

 巡査の上にある半ば名誉職的な巡査長ではない正式な階級としての巡査部長に対して「部長」と呼んだりするようなことはたぶん、遠目から警察官を見ている人にはあまりなかったりすることで読んで部長だから偉いんだと思うとその上に警部補がいて、警部がいて、警視がいて、警視正がいて、警視監がいて、警視総監がいたりするような階級社会をちょっとだけ上がった人たちに過ぎなかったりするところをちゃんと描いているリアリティーが興味深い。

 パトカーだからと無茶をしたら交通事故だと起こられるので法規を守って走り、行方不明者の捜索で山狩りに来た人たちが軽トラの荷台に何人も乗っていたりするのを気づけば取り締まらなくてはいけないからとうつむいてやり過ごす。気にもとめていなかった警察官の振る舞いに気づかせてくれるところに加えて藤という美人巡査部長に川合という新任巡査のペアのドタバタとした日々が乗って警察って面白いところなんだと思わせてくれる。

 高卒時と大卒時の2度ほど警察官採用試験を受けて合格している身としては、行っていればこんなに愉快な日々が送れたのかと思ってちょっと後悔もしてみたけれど、潜入捜査の厳しさに身を持ち崩して犯罪に走る警察官の描写もあってやっぱり大変だからと思い直す。こうした作品を読んでしまうと「逮捕しちゃうぞ」や「ブラッディエンジェルズ」の荒唐無稽さがやっぱり気になってしまうけど、そこはヒロインたちの愛らしさとパワフルさがぶち破っていってくれるからそれで良いのだ。柳沢みきおさんの「ミニぱと」は……ギャグ漫画だなあ、でもこれもこれで面白い。女性警察官漫画に外れなしってことで。

 今日も今日とてスーツで身を固めて新潟県へと出張取材。新潟で本格的なプロジェクションマッピングを手がけた企業を見物に生きつつ新潟駅から歩いて周辺をながめたりして、のどかな上に家賃も安くそして東京まで2時間という地の利を生かしてテレワークの拠点なんかにしたら結構行けるかもと考える。でも冬となったら雪が降ったり寒かったりして暮らすのも大変そう。車がないと移動も大変となると移住するかは考え所かなあ。でも魚は美味しいしお酒も美味しいしイタリアンだって美味しいからなあ。名古屋もそれは同様か。これからの人生、どこでどうしていこうかな。

 ドリコム飲んで頑張ろう。違ったどれはどりこのだ。ドリコムって会社がなにやらライトノベルのコンテストを始めたそうで入賞者には賞金だけでなく書籍化だとかコミカライズだとかボイスドラマ化の特典がつくらしい。いたれりつくせりだけれどそうやって第1巻が出てもあとが続かないと大変なのはどこも同じ。アニメ化したからといって次が続かなかった「アルヴ・レズル」って作品の残念さを思うと主催者によほどの体力と実行力がなければ夏の日の打ち上げ花火で終わってしまう。ドリコムはそのあたり、版元とは言えずパッケージメーカーとも言えない状況から何をどうしていくんだろう。本格的なコンテンツアグリゲーターになっていくのか。要注目。


【5月9日】 立川シネマシティでの「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の上映で舞台挨拶に登壇した片渕須直監督が言うには、「この世界の片隅に」には入れられなかったことも「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」はずいぶんと入れてこれでこうの史代さんの原作の9割以上はアニメーションにできたらしい。残るのがどこかは原作をたどる必要があるけれど、尋常小学校への入学が近い晴美さんを連れて百貨店へと買い物に行く場面はどうやらその時期、呉の百貨店は閉まっていたことが分かったらしい。だからきっとこれからも入れないことになるのかな。

 それでどうしてこれほどまでに長くなったのかというと、ひとつには知多さんの歩きがあれほどゆっくりになるとは思っていなかったことがあるらしい。ずっと元気で8月6日に広島に原爆が落ちたのを聞いて救援物資を運ぶ1人として出向いた知多さんだったけれど、そこで入市被爆して体調に影響が出たのだろう、11月にもなってまだ太陽が眩しいと日傘を差すようになって、そして歩くのも大変なのか本当にゆっくりとした歩みになってしまった。

 刈谷さんはその後にすずさんとリヤカーを引っ張って物々交換に出かけるくらいに元気だから、被爆はしていなかったんだろう。小林の伯父さんも広島から帰って難儀をしていたみたいだから少しは影響を受けていたのかな。そしてすみちゃんは立ち上がれないくらいの体調で腕に内出血もしていて結構重そう。そのあとにいったいどうなったのかが気にかかって仕方が無いけれど、そうした影響をキャラクターの中にしっかりを描いて原爆がもたらしたさまざまな影響を、感じさせてくれるところがやっぱり原作も含めた「この世界の片隅に」という作品の深みなんだろう。立川シネマシティにはもうちょっと行けないけれど次の上映があればまた行こう。

 朝からウエブ漫画が騒がしいので読んだ「名古屋以外全部壊滅」だけれどうーん、名古屋って奥に引っ込んでは自虐する傾向はあるけれど、外に出て名古屋を押しつけるようなことはあんまりしないような気がするし、もっと言うならすでに織田信長が京都を抑え豊臣秀吉が大阪を抑え徳川家康が江戸を抑えといった感じに日本の三都はとっくに名古屋のものになっている訳で、今さら征服だの侵略だのする必要なんて感じてない。だからそうしたことへと反抗する人々を見たって、馬耳東風といったところだったりするんでストーリーに響くところがあまりなかったのだった。

 それに名古屋にとって名古屋以外の愛知県など存在せず、また名古屋以外の愛知県にとって名古屋は最大の敵であるためヒエラルキーの 2番目に入ることは絶対にない。そうした名古屋をめぐるくすぐりどころをことごとく外している感じがあって読んでいて笑えないし怒りもしないところがちょっと微妙な感じだった。だいたいがどうして敵対するのが広島なんだ。それも大阪を助けるような形で登場するんだ。広島にとて大阪はお好み焼きのルーツを横取りした憎むべき土地じゃないか。お好み焼きを“広島風お好み焼き”と呼ばざるを得なくなったのは大阪のせいじゃないのか。そんな怒りを持つなら名古屋に与して大阪を叩けよ。そんな感じでやっぱり外している感じもあるけれど、今のジャンプでこういうストレートな逆を突っ込んでくる人もあまりいないからネーム次第では応援できるものを描いてくるかもしれない。注目はしておこう。

 なんだかなあ。正義っぽさを醸し出しつつメディアの至らない部分をチクチクといじる元記者だとか現役の記者を四半世紀も前にやり始めていた人間として、そうした楽しさを分からない訳ではないけれども注目を集め始めて嬉しい時期なのか最近そうした発進で注目を集めているアカウントとかで、ネット上でバズた話題をまとめツイートして評判のアカウントが盛大にやらかしていた誤報を嬉々としてリツイートしては、責任を問うような論調を示していたりして結果として誤報を拡散していたにもかかわらず、省みるような雰囲気を見せないあたりに何かメディアを改革してくれるかもと期待するのは大間違いだってことが見えてきた。真剣に真面目にメディアの状況のヤバさと向き合って欲しいのに、揚げ足をとるようなことばかり。いっしょになって滅びていくだけだよと言っておこう。自分に向けても同様に。


【5月8日】 イントロが長くでギターソロがある楽曲はサブスクリプションの音楽配信サービスでは飛ばされるといった話。ということはナイトレンジャーの「炎の彼方」なんて今だと絶対にヒットしないんじゃなかろうか。ジャンジャンジャンといった感じに楽曲が鳴りひびいては同じフレーズが繰り返されるだけのイントロがしばし続いてそしてシブがき隊の声……は違ったそれはよく似たイントロを使った「Zokkon命」だ。本家はそのあとに叫ばずつぶやくようなボイスのメロディから始まってだんだんと盛り上げていった先、ギターソロがきて歌の印象を吹き飛ばす。

 イントロよりも歌が聞きたいギターソロなんてどうでもいいから歌を聞かせろといった今時の風潮に真っ向から挑むようなこの楽曲が、当時は大流行してあのイントロが聞こえてくれば浮かぶ圧倒的な熱量、そして歌声よりもいよいよ始まって延々と続くギターソロの圧巻の燃えっぷりに洋楽ファンならずとも飛びつき聞き惚れアメリカンハードロックの現在地って奴を思い知った。ライブなんかだとさらにギターソロが長くなってはぶっ倒れて起き上がらない場面すらあってギターがあってサウンドがあっての楽曲といった感じだけれど、今だと歌を聴けずサビもない楽曲として飛ばされるんだろうなあ。強烈なイントロが楽曲を象徴する時代は遠くなりけり。

 宮脇咲良がサクラとして加入したK−POPグループの「LE SSERAFIM」の楽曲「FEARLESS」がたちまち4700万再生とかに来ていて日本の楽曲とは違った世界での爆発力ってやつを強く感じる。メンバーの誰が誰なんだ感じはあるけれども中に1人、宮脇咲良と同じ「IZ*ONE」でいっしょだったキム・チェウォンが黒髪のおかっぱでアクセントをつけているのでそこに目が行ってしまう「スカイ・クロラ」の草薙水素ファン。これが日本のアイドルユニットだとメガネになってしまうところを抑えてエキゾチックに振ったあたりに世界をちゃんと意識してのビジュアル戦略が感じられる。あるいは黒髪おかっぱ好きの押井守ファンに向けての戦略が。

 楽曲についてはきっとヘビーローテーションの果てにだんだんと耳についてくるんだろうけれど、サビなんてないしギターソロなんて当然ないEDMのどちらかといえばナロウでダウナーな楽曲が時代を象徴はしていても音楽シーンの代表として残っていくかはちょっと分からない。1990年代あたりからヒップホップも登場してきた音楽シーンで未だに残っているそっち方面の楽曲って何かを考えてもMCハマーくらいしか思い浮かばない状況に、2000台の音楽が果たして30年後にどう捕らえられているかが気になる。BTSは何か残りそうだけれどダンスミュージックでヒップホップでも案外にメロディアスなところがあるんだよなあ、BTS。気になってきたのでちょっと聞き込むか、K−POP。

 せっかくだからと立川シネマシティへと出向いて「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を舞台挨拶尽きで鑑賞。リンさんとすずさんの交流が増えてそこに周作も絡んで複雑な関係が描かれたことで唯一だけれど普遍性もある「この世界の片隅に」のすずさんが、普遍性を持たせつつも唯一の存在として考え悩み思って怒り泣く1人の人間としてぐっと屹立してきた。つまりは解釈だとかを変えたバージョンでもサービスを増やしたバージョンでもなく描き方をまるで変えた別の映画といったところを、舞台挨拶でも片渕須直監督が強く訴えていた。だからこそこれの英語字幕版を作って改めて、全世界に持っていきたいとも。計画はしても前と同じ映画の長尺版として契約の問題もあるのか広がらない状況を変えるためにも、実現して欲しいなあ。そのためのクラウドファンディングがあればまた、応募するのにやぶさかではない。


【5月7日】 尻が見られるということでサンシャインシティ池袋へと出向いて「桂正和〜キャラクターデザインの世界展〜」へ。到着したら行列が出来ていたのでナニゴトかと思ったらそれは「五等分の花嫁」のイベントで1フロア上の桂正和さんの方はすんなりと入れてじっくりと見られた。漫画については実は「ウィングマン」くらいしか読んでおらず、それもラストまでではなかったりするところに急激な人気とそしてアニメ化からの関心の分散があったような印象が浮かぶけど、その後も「I’LL」を描き「DNA2」を描き「電影少女」を描いて「ゼットマン」も描いてといった感じに漫画家としても一線を走り続けていたことが分かった。

 「電影少女」はアニメにもなったしドラマ化されて最近も放送されていたりするから、ある意味で時代のアイコンになっていたようにも思える作品。見て衝撃を受けて自分のものとして将来何か企画をと考えた世代がいたってことなんだろうなあ。僕自身としてはやっぱり「ウィングマン」のビジュアルが衝撃的で、ある意味で変身ヒーローもののパロディ的な雰囲気でオマージュを捧げつつ描いたものという柱がある一方で、美少女たちがわんさかと出てきてむっちりとした下半身とか見せつつ主人公と絡むビジュアルが1980年代前半の、オタク的な感覚が広まり始めた中で先駆的存在として強く心を捕らえた。

 それ以前から江口寿史さんのような漫画家はいたし高橋留美子さんも人気になっていたけれど、桂正和さんはSF的なセンスも持って美少女も描けるオタクに近しい漫画家といった受け止め方ができたように思う。少年サンデー方面にはみず谷なおきさんとかもいたから珍しいという訳ではなかったものの、その独特の美少女フォルムは強く目に焼き付いて、そして今もくっきりと残っていては「TIGER & BUNNY」に登場するブルーローズの中にそれを見てほほを緩ませるのであった。

 展覧会も「TIGER & BUNNY」に割と多めにスペースが割かれていて、ヒーロー達のデザインがどのように描かれたかって説明があって興味深かった。中でパオリンちゃんが最初の無印から最新作の「TIGER & BUNNY2」へと移る過程で胸を削られてしまったのは相方にマジックキャットが於かれて“兄貴分”とさせたこともあるのかな。ただでさえ薄いのがさらに削られ可愛そうな気もしたけれど、それでもしっかり感じ取れるくらいなのがまた良いという人もいるかもしれない。ブルーローズは変身をした後ろ姿が1枚しかなくちょっと残念。もっと寄越せと叫びたかった。そこは本編を見ることで補完しよう。

 せっかくだからと下のフロアで開催されていた「廻るピングドラム展〜運命の至る場所」も見物。ストーリーに沿って原画や修正原画やレイアウトが並べられ、関連するアニメの場面が添えられているのは以前に見た幾原邦彦展での展示と同様だったからあるいはそういった保管方法が幾原監督作品ではとられているのかもしれない。映像なんかも見られてオープニングやエンディングのノンクレジットがあったり、絵コンテかラフ原画で描かれた「生存戦略〜」からのシーンがアニメの映像と対面する形で上映されていたりして、比べられるよう工夫がされていた。どこが仕切ったんだろう。面白い展覧会だった。

 見てこれはやっぱり映像も見返したいと上映場所を検索して、時間的にちょうど良かった立川シネマシティで「Re:cycle of PENGUINDRUM」の前編を鑑賞。そのままではなくってどこかの地平から振りかえるような、あるいは未来を伺うような構成でもって本編で描かれた陽毬の死亡から復活そして苹果によるMプロジェクトのしつこいばかりの推進が繰り出されてどういう話しだったのかを思い出すことができた。そしてやっぱりあの真四角な口で「生存戦略〜」とは言えないなあと思った。あれはだから頭のペンギン帽子が喋っているのだから大丈夫なのかもしれないけれど。

 「少女革命ウテナ」ほどのアングラ感はないけれど、謎めいた組織があってそれに主人公たちの両親が関わっていた話などはウテナ的。あるいはオウム事件への関心も含まれた展開が今だったらどれだけのハレーションを起こしたかを考えると、キャンセルカルチャーの常態化していない時代ならではのモチーフ化だったとも思えてくる。批判的にだって描くことの困難さを越えて取り上げ描くアバンギャルドさを、幾原監督には失わないで挑み続けて欲しいなあ。後編はいつからだっけ。


【5月6日】 吉野家が会社説明会に応募した人を日本国籍であるにも関わらず外国籍だからとキャンセルした件はどうやら事実だったようで共同通信をはじめメディアが記事にしはじめた。吉野家は過去に就労ビザがとれず入社が決まっていた外国籍の人に辞退してもらった過去があるため、外国籍の人には遠慮願っていると説明しているけれども今回の募集にあたってそういう説明が公にはされていなかったにも関わらず、応募があって初めて排除するところが問題だし、外国籍であっても就労ビザの要件が緩い場合もあったりするにも関わらず、一律排除の姿勢で臨んでいるのも問題だろう。

 本当に欲しい人材だったら外国籍であっても採用の上でビザがとれるまで面倒見るなり働きかけるなりするのが人事の鑑といったところなのに、面倒臭いとばかりに門前払いを喰らわせる企業が別の口ではダイバーシティを重んじているとか言っていたりするところがどうにもこうにも嫌らしい。なおかつ今回の件は日本国籍であるにも関わらず確かめもしないで名前なりからそうだと勝手に判断して門前払いを喰らわせた先入観から来る差別も乗っかっているので、問題はもはやマーケティング担当役員の個性をとびこえ企業の体質といったところまで及んでいる。それで反省するどころか言い訳に終始する会社に果たして応援は必要か? 食べに行く必要をいっそう感じなくなった。そう思った人もきっと多いだろうからちょっと大変な事態になるかも。

 辻村深月の「ハケンアニメ!」と「レジェンドアニメ!」をまとめ読み。「ハケンアニメ!」は単行本が出たときに買ったけれど読みふけったという記憶に乏しく文庫になったのを映画化も近いということで改めて読んでこれはタイトルに偽りありというか、ニュアンス的には「ハケンアニメ?」って感じにその用語に懐疑を投げかけ作っている現場なり見ている人たちの気持ちを代弁させたような内容になっていた。

 だったらいったい「ハケンアニメ!」なんて言葉をどこのどいつが使っているんだという話になるけど、直接的にはネットの掲示板あたりから出てきたスラングに近い用語の気がしないでもない。誰かがどれだけ中身が凄い作画が凄いと言って褒めようとも、そうした”愛”を揶揄したい人間が数字を持ち出し、数字こそすべてと論破するために練り上げた数字至上のスタンス。それをベースに、それこそが「覇権」を握ったアニメなんだといった”称号”を与える意味でひねり出され、使われるようになったように感じてる。

 そうした”称号”が徘徊している状況を捉えつつ、その言葉を意識せざるをえない制作環境に身を置きながらもクリエイターたちが真摯に自分が作りたいものに向かい合い、作っていく姿をかたや天才監督であり、こなた若手有望の女性演出家を両軸にして描いたのが『ハケンアニメ』という連作集だったという感じ。あとはそれぞれにつくプロデューサーであったり関わる原画であったりといった人たちの、何を目指してアニメを作るのかといったエピソードも絡み地方創生とも関連する聖地巡礼の立ち上げの大変さなんかにも触れて及ばない理解なり才能への懐疑なりを描いた群像劇になっている。

 「レジェンドアニメ!」はそんな「ハケンアニメ!」の後日譚的なエピソードも絡めて認められ始めたアニメーターがより上を目指す上で大切な心構えであったり、前日譚的に才気が先走って現場を戸惑わせてしまうような事態が起こった時のそれでも曲げない気持ちの大事さであり、やっぱり聞き入れる柔軟さについても触れていて懐が広い。押しつける正解はそこになく人それぞれ、それは作り手も受け手も仲介人も含めてすべての人がアニメという作品、もっといえばあらゆる営みに対して理解を深めようといった気持ちが感じされる。
 ユニークなのは「レジェンドアニメ!」に収録の「レジェンドじゃないアニメ」という1編。すなわちご長寿アニメが30周年を迎える中でどういった展開が可能かを模索する若手プロデューサーのお話で、たとえ売上げで最高をとらなくてもすでにして知られ続けられることでもっと大切な場所にある作品を、作り続けるモチベーションをもたらしてくれる作品となっている。読む方も惰性の延長ではない毎週の作り手の意気を改めて思い出せる。

 そんな「ハケンアニメ?」が実写映画になることで「ハケンアニメ!」といった尊大な印象が言葉に付随しアニメの周辺で盛り上がってこれこそがハケンアニメだなんて地上波番組が出てきかねない今のメディア状況で、踊らされず見て見まくって見極めて見続ける覚悟を持ちたいなあと思ったのであった。とりあえずパンツは1日1時間、自由・平等・履かないを心情に今期アニメを観ていこう。

 東京へと戻って原稿を書き終えてから映画化へと足を運んで「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を見る。浮かんだのは「アブドル・ダムラフ・オムニス・ノムニス・ベル・エス・ホリマク。我と共に来たり、我と共に滅ぶべし」という呪文。理由は秘密だ。別に印象をいうならこれだけのVFXの技術があれば実写で「超人ロック」も出来るかなあといったところ。アマゾナvsロックの戦いめいたものも見られたし。とはいえあの美形キャラを役者がやるとドラゴンボールの実写版めいた妙なビジュアルになりかねないから、やっぱりアニメが1番としておこう。


【5月5日】 若い世代の女性向けマーケティングで見にくい言葉を使ってマーケティング担当取締役が解任された牛丼チェーンで今度は採用担当が、日本生まれの日本育ちの日本人であるにも関わらず名前が外国籍のように読めてしまったからなのか、企業説明会への申し込みに外国籍は就労ビザの問題があるからキャンセルさせてくれと「様」ではなく「さん」づけで返事を出してこれから炎上予定。告発のツイートの実在性については検証が必要だけれど、事実なら「さん」づけの至らなさに名前で国籍を判断する不用意さと、そして国籍でもって就労機会を差別する無法ぶりに非難が集まりそう。どうなるかに注目。

 「縊死」という表現からそういうことなんだろうと想像はつくけれど、だからこそどうしてといった思いも浮かぶ渡辺裕之さんの訃報。渡辺謙さんとはまた違った無骨さとそして渡辺さんにはない剽軽さも持った俳優として存在感を持っていただけに、活躍の場も相当あったしこれからもありそうな気はしていたけれども鍛え挙げた肉体を光らせるには66歳という年齢はなかなかで、それから先にいった何を売りにしていけば良いのかを迷い悩んでいたのかもしれない。

 実写版「魁!クロマティ高校」のフレディとかを始めとして、バイプレイヤーとしての存在感と平成ガメラシリーズなりウルトラシリーズへと出演し続けたことからも現れる深い特撮への造詣があれば、そちらで活躍し続けることもあり得たし、渋さと剽軽さで行くなら竜雷太さんのような立ち位置も考えられた。前途まだまだ有望だったのに……。だからこそ心が陥る谷間について考え続けないといけないのかもしれない。その歳まで自分も10年、生き延びられるかも含めて。

 「自由、平等、履かない」とはカマしてくれたものだよ「エスタブライフ グレイトエスケープ」。温泉物語がちょっと前に途絶えたお台場はアニメの世界では未だ屈指の温泉クラスタとなっていて、だれもが温泉につかりながら裸に近い格好で暮らしていた。当然にノーパン。そして訪れる人にもノーパンを義務づけているお台場クラスタでは履いている人はそれだけで罪人となって管理者に追われ住民に終われることになる。というか履いてないのを機械はともかく人はどうやって察知するんだ。その肉体を締め付ける感覚から来る動きの違いを敏く感じ取るんだろうか。謎めく。本当に謎めく。

 そんなお台場クラスタから神官の女性を逃がすというのが任務。パンツは履かないと呼びかける神官でありながらも自分は履いてみたいと憧れる神官のその感性こそが正しいかどうかは迷うところだけれど、当たり前の中で違ったことに興味を持つ人がいて、それを認める感覚の大切さは伝わってくる。履きたいなら履けば良いし履きたくないなら履かなくて良いのだ。

 そんな自主性を訴える話かと思いきや、エクアたちが履かないまま平気な顔をして行動する中でフェレスが履いてないことを気にするシチュエーションの畳みかけで笑わせた先、破壊された女神像から現れたパンツに住民達の蒙が啓かれたと見せかけて、厳然として存在していたクラスタの掟が、すり替わることにエクアが真面目な表情を見せているのが多分ポイント。それを都市管理AIの柔軟性とみるか、別の方向へと管理しようとしていると見るか。意外に深くて鋭い設定を垣間見せた回ではあったけれども一方で「パンツは1日1時間」と神官に叫ばせるユルみも用意して視線をそらさせる。巧みだなあ。単に脚本の賀東招二さんのギャグかもしれないけれど。そっちの可能性が高いけど。

 せっかくだからと名古屋空港の側にあるえあいち航空ミュージアムへと行ってメディアアーティストの八谷和彦さんの講演を聴く。前半は例のメーヴェへと至る過程で日本に生まれた無尾翼機についての解説で、YS−11を作ったメンバーのひとりで東大で航空機の設計について教えていた木村秀政さんが幾つか試した萱場式の無尾翼機から戦争末期にB−29を迎撃するために試作されたロケットエンジン搭載の秋水なんかの存在が指摘され、面白そうなことに挑む人の後の絶え無さを知る。海外にもいたようだけれどそうした人たちの思いの結晶として、そしてアニメに登場したメカが現実にあったらという夢の結晶として八谷和彦さんの作品があるのだとしたら、日本の発明への心はまだまだ途切れてないのだとも思えた。いつか誰もが気軽にメーヴェで空を行き交う時代が来ることを願おう。それならドローンの方が先に来そうだけれど。


【5月4日】 ロシアが岸田文雄総理大臣をはじめ63人を入国禁止にしたそうで、中に渡辺恒雄読売新聞主筆とか含まれていていやいやその歳でロシアなんかにいく筈ないんじゃないとか思ったけれどもそうしたリストに名が挙げられることで“ロシアの敵”認定されていろいろとヤバい影でもつきまとうようになったら単なる屁の突っ張りとか言って平然ともしていられなくなるのかも。国会議員でも沖縄・北方委員会のメンバーからピックアップして指定されているみたいでそこにどういう判断があったのかがちょっと知りたい。今井絵理子参議院議員はなぜ入って佐藤正久参議院議員は入っていないのか、とか。理事という肩書きだけで選んだんだろうなあ。

 新聞社だと読売の社長が入ってはいても偉いさんだけがやり玉で、対して産経新聞だと社長と専務と元モスクワ支局長とそれから外信部の次長といった具合に細かくピックアップされているのがなかなかの不思議。いったい何をしでかしたんだろう。ロシア大好きなハッピーに科学する政党に好意的な宣伝も言論活動も行っていてこれでは幸福にサイエンスする政党から見放されてしまうかも。あとは日経が入っている一報で朝日毎日は入ってないのはそれだけレフティだから? それならどうして日本の最左翼ともいえる日本共産党の志位和夫委員長が入っているんだろう。中国共産党とは仲は悪くてもロシアとはまだ普通だったんじゃないのかな。それとももはやロシアは共産党ではなくプーチン大統領による独裁になっている現れとか。そんなことも垣間見えるリストでありました。

 そいうえばNHKのBSプレミアムで「ふたりのウルトラマン」というドキュメンタリーチックなドラマが放送されていて、金城哲夫さんと上原正三さんの関係を中心に「ウルトラQ」から「ウルトラマン」といった作品が作られた過程を紹介しつつ、そこに金城哲夫さんがこめた沖縄という場所への深い思いがクローズアップされていた。怪獣の名前も含めて沖縄由来のものが多くてそもそもがウルトラマンとう存在がニライカナイから来た客人(マレビト)といったニュアンスで、そんなにも沖縄づくしだったのか、いっしょになってウルトラマンを作った人たちもそんな金城哲夫さんのパーソナルな思いに付き合ったんだと思われるのが本意なのかとちょっと思った。

 上原正三さんは金城哲夫さんほど沖縄づくしといった気持ちはなかったようで、あるいは戦中に台湾から沖縄へと戻る途中でながされ鹿児島で終戦を迎えて、沖縄戦を生き抜いた金城さんのような強く激しい思いに対して臆するところがあって、半歩身を引いていたからなのかもしれない。とはいえ怪獣だから、子供向けだから地位が低いとか手を抜いて言いといった思いはまるでなく、同僚がジャリ番といった言葉を使って大人向けを手がけることを喜んでいたのに怒って怒鳴ったのも気持ちとしてよく分かる。「帰ってきたウルトラマン」を始め数々のウルトラシリーズや宇宙刑事シリーズなどを手がけた上原正三さんの書くものを見て育った僕らに育まれた気持ちは、正義であり夢や希望といった思いとなって強く刻まれているのだから。

 オシム監督に合わせた訳ではないんだけれどもNHKのBS1で前園真聖さんがキャスターを務めるサッカー番組がやっていて、日本で指揮を執ったサッカーの監督の誰が凄いかってのをいろいろと検証していた。挙がったのはガンバ大阪で攻撃的なサッカーを指向した西野明監督であり、スター軍団だったヴェルディを纏めて何度も優勝を果たした松木安太郎監督であり、ジェフユナイテッド市原・千葉へとやって来てトレーニングとモチベーションでサッカーを高めたイビチャ・オシム監督であり日本代表で若手を発掘してW杯カタール大会への予選を突破した森保一監督であり、ギド・ブッフバルト監督でありミハイロ・ペトロビッチ監督といったあたりを並べて検証していた。

 多色のビブスをつかったパス回しってよく聞くオシム監督のトレーニングの難しさが、どういう感じか改めて分かったのも良かった。黄色と赤と白のビブスがいれば黄色は黄色に渡せないから赤か白に渡すとして、白に渡った時に白はもらった黄色にも同じ白にも渡せないから赤を選んで渡す必要がある。誰からもらったか。そして誰になら渡せるかを瞬時に判断しなくてはらないそのトレーニングはもしかしたら今誰が持っているかまでずっと考え続けてそれが自分に来る可能性も瞬時に計算しもらった場合に誰に出せるかまで含めて導き出すだけの思考力を養うためのものだったのかもしれない。

 それでもいずれ慣れてしまうからだんだんと数を増やして惰性ではなく判断によって行動する能力を高めたんだろう。結果、試合では2色の中で判断するだけになるという、そんなトレーニングに加えてサイドバックの上がりから攻撃参加も含め、時代を先取りしていたといった評価。とはいえ今がW杯イヤーということで、ベストには森保一監督が挙げられた。あのオシム監督を凌ぐと言われたのだから森保一監督には誰もが悼み讃えたオシム監督に恥じない活躍を、カタールの地で見せてもらいたいと強く思う。心から。 【5月3日】 ウクライナのゼレンスキー大統領がユダヤ人なのは知られている話だけれど、そんな大統領を仰ぐウクライナに攻撃をしかけたロシアのラブロフ外相が、ウクライナ攻撃の理由としてヒトラーを信奉するネオナチ集団が今も存在していることを挙げた流れからなのだろうか、ユダヤ人のゼレンスキー大統領がナチであるはずないじゃないかといった意見に対して、ヒトラーにはユダヤ人の血が入っていると言い出してユダヤ人国家のイスラエルから猛反発を喰らっている。

 そりゃそうだ、憎むべきヒトラーを“道祖”と言われてイスラエルが落ち着いていられるはずがない。シリアをめぐってはアサド政権側についてイランの強力も仰ぎつつ軍事的な支援を行っているロシアだけれど、イスラエルを相手に本格的に戦う訳にもいかない関係でソフトな関係を保とうとしていた感じだった。けれどもこれでイスラエルがロシアへの警戒感を強め、イランとの対立も深めてアサド政権に改めて本格的に向き合うことになったら、ロシアとしてもそちらに軍事的な支援を割かねばならずウクライナでの攻撃を手薄にせざるを得ない。

 でもそれは無理ならイスラエルにしばらく黙っていて欲しいはずなのに、刺激するようなことを言ってしまうあたりに先を読めないか、それともそう言わなくてはいけないほどウクライナ相手の侵攻が行き詰まっているかといったところなんだろう。だからといってすぐさま全軍を撤退させられるほどプライドは地に落ちていないとなると東部での小競り合いを続けながら長期化していく中で、1発大逆転を狙うような大技を繰り出してくる恐れなんかも浮かんでしまう。すなわち核攻撃だけれどそれをやってしまったら世界が終わる。どうなってしまうのかウクライナ情勢。5月には片が付くとか前は言われていたのになあ。

 オシム監督の死去でJリーグの様子が気になったので豊田スタジアムまで名古屋グランパスと京都サンガの試合を見に行く。豊田市美術館に行った時に遠巻きに見て「伝説巨神イデオン」に出てくる重機動メカみたいあと思っていた豊田スタジアムだけれど、初めて間近に寄ったらやっぱり重機動メカだった。あの両端に張り出したアンテナは何を吊っているんだろう。天井かなあ。ピッチを覆う屋根は可動しないため撤去する工事が進行中。全天候の球技専用スタジアムが日本にはないだけに、ある意味で貴重だったけどやっぱり日本では難しいのかもしれない。

 試合ではキックオフ前にオシム監督を偲ぶ黙祷が行われて選手も観客も応じて黙祷。こういうところですぐさま反応するのはやっぱりサッカーファミリーの良さだと言える。そして始まった試合は名古屋が割と責め立てるんだけれどゴールが決まらず、そして京都もカウンターから攻めても入らずといったところ。ゴール真横に近いところからのフリーキックをマテウスという10番を背負った選手が直接放り込んで1点を選手したものの、京都のふわっと浮かしたようなシュートがゴール隅に決まってから1対1のまま試合は経過し、何度ももらったコーナーキックを名古屋がまるで決められずそのまま試合終了となった。

 ちょんと蹴り出したボールをマテウスルが改めて放り込むのはタイミングをずらす意味もあるのかもしれないけれど、それで中の選手が飛び込んだり競り合ったりニアかファーかを使い分けている節もなく、ただ放り込んでいるだけのような感じでこれでは弾かれゴールネットは揺らせない。そうした工夫のなさをオシム監督が見たら何と言うんだろうなあ。頭を使え。考えろ。そうだよなあ、やっぱりサッカーは考えるスポーツなのだ。それも全員が。同時に。そうしたことを思い出させてくれた意味を噛みしめてのぞむカタールW杯で日本代表はどんな戦い方を見せてくれるのか。今から気になる。

 豊田スタジアムは豊田市駅から歩いてまっすぐではあるけれど、距離感は蘇我駅からフクダ電子アリーナへと行くよりは遠く、そして浦和美園駅から埼玉スタジアム2002へと行くよりは近いと行った感じ。そこに見えているなら歩けない距離ではないけれど、近づくにつれてぐんぐんと大きさが増していくのはこれから試合を見るんだという気持ちを高めてくれてちょっと楽しい。中も最高。専用だから見やすくてこれで見慣れれば瑞穂競技場がリニューアルされて、トラック越しに見る試合では満足できなくなりそうだけれど都心から近いという意味では断然瑞穂なだけに悩ましい。名古屋市内に豊田スタジアム規模の専用スタジアムが出来るなんて夢かなあ。白川公園案は却下だけれど他に良い土地ないかなあ。


【5月2日】 まだ市原臨海競技場を本拠地にしていたころのジェフユナイテッド市原・千葉の試合を見に行ったのは2003年4月26日のこと。評判が出始めていたイビチャ・オシム監督の試合ぶりが気になって、いったいどんな戦いをするんだろうと見始めたらこれがもう面白くって面白くって、当時贔屓にしていた出身地の名古屋グランパスよりも一気にジェフ千葉が好きになった。当時の観戦記を以下に転載。

 『その親近感は試合が始まるとさらにぐぐっと急上昇。トップのチェ・ヨンスとサンドロと弾頭に後ろから攻め上がりサイドから切り崩すスピード感と厚みにあふれたジェフの攻撃に、今年から攻撃サッカーを標榜し始めたFマリノスもたじたじで、開始1分でとった1点は出会い頭だったとしても、その後の切り込み返したところに飛び込み蹴り込んだ1点と、放り込まれたところに頭で合わせた1点とゆーチェ・ヨンスのハットトリックの凄さもそれとして、そんなチェ・ヨンスを支えた他のメンバーの仕事ぶりのトータルで、ジェフのサッカーの素晴らしさがぞんぶんに発揮された試合だった』

 ベンゲル監督がやって来たとたんに下位から中堅以上へとのし上がったグランパスエイトの奇蹟をオシム監督が再現しようとしているのかとも思ったジェフ千葉は、そのままぐんぐんと調子を上げてリーグ戦でも上位に食い込み、ナビスコカップを制してJリーグとなって初のタイトルをもたらすまでになった。オシム監督は一気に名監督として日本全国に知れ渡り、日本代表監督に引き抜かれてそして……。

 哀しい出来事もあったけれどそれでも帰国してなお日本のサッカーのことを気にし続けていてくれたイビチャ・オシム監督が5月1日に住んでいるオーストリアのグラーツで死去。80才は早世とは言えないけれどもW杯も控えてサッカーが注目される年でもあるだけに、その言葉をまだまだ聞きたかった。日本だけでなく出身地のボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟も、故郷のセルビアサッカー協会も、率いたパルチザン・ベオグラードもパナシナイコスも追悼のコメントを出し、後れてジェフユナイテッド市原・千葉や日本代表も追悼をしたその偉業を改めて心にとめながら、僕たちは走って走って走り続けよう。もちろん頭で考えながら。

 大型連休に入ったのでとりあえず帰省しようと名古屋へ。スマートフォンで東海道新幹線のチケットを買ったけれど、それをモバイルSuicaに移す方法がよく分からなかったので物理カードのSuicaに移して改札口を抜ける。ITまだまだ難しい。平日ってこともあって比較的空いた新幹線で1時間40分くらいで名古屋に到着。正月に帰省した時には行かなかったJPタワー下のヨコイでサンジェルマンという卵焼きが上に乗ったスパゲティを食べる。なるほどやっぱりヨコイのあんかけスパはあんがスパイシー。チャオとかのになれているとちょっとコショウか何かが効きすぎに思えるかもしれないけれど、ヨコイから入った人にはむしろ懐かしく思える。ベトッとした麺も同様。ただお洒落じゃないからパスタ・デ・CoCoとかチャオとかにとって代わられる可能性はあるかもなあ。ユウゼンって今どうなんだろう。

 中日新聞の夕刊に南山大学が秋に元青少年公園にできるジブリパークに関連して、ジブリパートナーとなっていることもあってアニメ関連のプログラムをスタートさせるという記事。短期のアニメ留学を促進してはアニメの事を学んだり、近隣にあるアニメ関連の“聖地”を巡礼したりするそうな。「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」2022年版では1か所も入ってない愛知のどこにと思わないでもないけれど、「泣きたい私は猫をかぶる」の常滑とかもあるし海外の人が好きな忍者の里が伊賀にもあるならそういうところを案内するとか。とはいえやっぱりここは「やっとかめ探偵団」の聖地を作品の復活とともに企画して欲しいなあ。あるいは岡崎市が登場する「シキザクラ」とか。アップデートされた企画じゃないと日本人より先鋭的な外国の人は喜ばないんじゃないかなあ。


【5月1日】 戦車は高いけどジャベリンなら安いじゃんという財務省の防衛費に対する示唆について戦車じゃなければ戦車の大群は追い払えないといった軍事クラスタからの声があがってふむふむなるほどと思う一方で、日本において戦車でもって戦車を迎え撃つようなシチュエーションが発生するかを考えると、それにはロシアが船に戦車をいっぱい乗っけて北海道のどこかに上陸する必要がある訳で、けれどもそんな作戦を許すほど日本の海岸線の防衛は貧弱ではないし、そもそもが大量の戦車を運ぶ船をロシアが持っているとも思えないだけに、そもそもの議論が成り立たない気がして仕方が無い。財務省のジャベリンもひとつの例えであって必要な装備を予算も見ながら要求しろよという注文じゃないのかなあ。

 川崎駅前の松の家でササミカツと海老フライのセットを平らげてから雨の降り始めた市役所通りを歩いてカレッツかわさき・ホールへ「『響け!ユーフォニアム』公式吹奏楽コンサート 北宇治高校吹奏楽部第6回定期演奏会」を見に行く。初めての会場でどこかと思ったら何年か前にXリーグのアメリカンフットボールを見に来たスタジアムの近くで、つまりは昔川崎球場があった場所の隣といったところ。駅から歩いていけない距離でもないだけに、さぞや賑わったかというとロッテが本拠地にしていた時代もあったものの、閑散としたスタンドが評判になるくらい閑古鳥が鳴いていた球場だったらしい。

 今はZOZOマリンスタジアムがロッテのファンで埋まるくらいになっているだけに、しっかりと開発すれば川崎市にとってフロンターレと並ぶスポーツの拠点が出来ていたかもしれないなあ。とはいえアメフットの拠点になっている今も悪い訳ではないけれど。そんな場所にあるカレッツかわさき・ホールはそれほど巨大ではないものの3階席まである音楽ホールで見やすくて音響も良さそうで、登場したプログレッシブ!ウインド・オーケストラの面々が奏でる音がしっかりと響いてテレビで見るアニメのステージが飛び出してきたような、あるいはその中に入り込んだような気分になれた。

 いきなり「三日月の舞」から入る攻めたプログラムは「宝島」があり「RYDEEN」もあってと「響け!ユーフォニアム」の面白さを思い出して気持ちがぶわっとなった。前に同じ定期演奏会を見たのは横須賀での第3回だった記憶で、そこから何年か経って間にいろいろあってもちゃんとこうして作品が続いて演奏会も開かれるところに京都アニメーションによる仕事が原作の武田綾乃さんの仕事も含めてしっかりと、受け継がれているのだと思えて目が潤う。嬉しいねえ。

 そんな演奏会では「リズと青い鳥」で鎧塚みぞれと剣崎梨々花が楽しげに拭いていたオーボエの練習曲があり、大吉山の上で黄前久美子と高坂麗奈が吹いた「愛を見つけた場所」があり、そして田中あすかのソロではない「響け!ユーフォニアム」のオーケストラバージョンがあってと聴きたい曲の目白押し。フルバージョンの「リズと青い鳥」もやっぱり良いけれど、それが聴けた映画「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」でのサンライズフェスティバル曲「Samba de Loves You」もアンコールに演奏されてチューバというかスーザフォンのソロが聴けてみっちゃんさっちゃんの2人の頑張りが思い出された。

 そんな2人も2年生になっておっして久美子が3年生となって部長に就任する「響け!ユーフォニアム 決意の最終楽章」が果たして映像化されるのか、というのが目下の誰にとってもの関心事。多くのスタッフを欠いてしまって果たして動き出せるのかといった部分がやっぱり残っているけれど、そんな状況でも「Free」のシリーズが動き「ツルネ」の劇場版も動いてと歩きをすでに始めているならいつかはきっとと思いたくなる。新キャラも増えるし楽曲も作らなくちゃいけないから簡単にはいかないのは分かるけど、それでもこうして今も定期演奏会に通う人がいるのなら、頑張って送り出したいと思ってくれたらこちらとしても心から応援をさせてもらう。だから是非、見せて欲しいな久美子と麗奈と緑輝と五月の4人の最後の夏を。


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