縮刷版2022年3月上旬号


【3月10日】 月刊アニメージュとニュータイプと月刊アニメディアを買って横に並べてみたらなるほどしっかりと背景がつながって1枚の絵になった。とはいえキャラクターはそれぞれが独立している感じであんまり絡んではいなさそう。それぞれの雑誌を調べると背景を描いた人は共通でも人物は3誌ともバラバラでそれぞれの拍子に使う人が決まってから、各人に頼んで描いてもらってことになるんだろうなあ。

 そうやって描いてもらった組み合わせでもってニュータイプなら妓楼太夫と宇随天元を組み合わせ、アニメディアは竃戸炭治郎と禰豆子を並べそしてアニメージュは堕姫と嘴平伊之助と我妻善逸を並べてみて整えた、といったところか。これが例えば「BLACK LAGOON」のBDが出た時のジャケットみたいに全体を並べて1枚のイラストに仕上がるといった感じだと、拍子として切り離した時にバランスが悪くなってしまう。

 そもそもが堕姫と善逸と猪之介って主役級もいないし柱もいないというセレクトで、よく承知したもんだと思うけれどもそこは善逸×伊之助あるいは伊之助×善逸という関係性を重んじるファンがアニメージュには多いといった判断が働いたのかも。アニメディアは子供の読者が多いからメインの2人。ニュータイプは男臭いということで天元と妓夫太郎というマッチョ&ソリッドの組み合わせ、と。天元に妓夫太郎なんてまんまFSSの騎士として戦えそうだもん。そんな想像はそれとして誰がどういう案配でこういった配置にしたのか気になる。そういった記事、どこかに出ていないものなのか。

 東京アニメアワードフェスティバル2022が11日から開幕。すでにアニメオブザイヤーは発表されていて、劇場映画部門は「竜とそばかすの姫」なんかもあったけれども興行面でトップを行った「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が受賞。総監督を務めた庵野秀明さんも個人賞として原作・脚本部門と監督・演出部門を受賞して作品として三冠に輝いた。当然に部門賞もと思ったけれども具体的に誰と思いつかないくらい庵野総監督色が強い作品。それよりやっぱり新しい人をということなのか、「無限列車編」から「遊郭編」へと続いた「鬼滅の刃」からアニメーター部門で松島晃さん、美術・色彩・映像部門で寺尾優一さん、音楽・パフォーマンス部門で梶浦由記さんと椎名豪さんが受賞した。梶浦さんは2年連続。凄いなあ。

 テレビ部門は「呪術廻戦」だけれど来年も劇場映画部門で「劇場版 呪術廻戦 0」が受賞するかそれとも新海誠監督の新作「すずめの戸閉まり」になるかあるいは湯浅政明監督の渾身の作品「犬王」になるか興味深いところ。ジブリの流れを組んでいそうな「屋根裏のラジャー」という作品もあったけれど公開が延期に。年内に間に合うのかそれとも敢えての激突を避けたのか。いずれにしてもライバルが大勢居る中で誰がとるかに興味津々。「犬王」かなあ、凄いものなあ。

 功労賞もすでに発表になっていて、残念ながらも終了してしまった広島国際アニメーションフェスティバルで長くディレクターを務めたアニメーション作家・プロデューサーの木下小夜子さんが受賞。今年から新しい映画祭に変わるけれども何か一家言、お持ちなのか気になる。「巨人の星」とか「いなかっぺ大将」なんかの漫画を描いた川崎のぼるさんも受賞。レジェンドとして登壇されたらお姿を見られるか。そして東映アニメーションで数々の人気アニメ作品をプロデュースし、監督も務めた森下孝三さんも受賞。ゴツい声で喋るというそのお声を聞けるチャンスだ。

 以前にデジタルハリウッドで講義を見た宮本貞雄さんも今回ようやく住所う。「科学忍者隊ガッチャマン」などの原画や作画監督を務め、渡米してディズニー・コンシュマー・プロダクツでもキャラクターを描いたりアートを描いたりして日米をまたいで活躍してくれたた。ディズニーは動物物をやるときに実際の動物をスケッチするんだって本当のことだった。そこで指導的な役割を果たしたんだから凄い人。もっと有名になって欲しい。

 そして水森亜土さんも受賞。ガラスに歌いながら受賞の喜びを描いてくれないかな。ほか、人形美術家の保坂純子さん、声優で『千年女優』の立花源也や『機動戦士ガンダム』のリュウ・ホセイなどの声を担当した恟コ三も入ってる。怩ウんは前にイベントで見かけたこともあるけれど、健在なあのお声を聞けたら僥倖。そんなこんなで贈賞式が楽しみ。去年は鈴木敏夫さんがいきなり大塚明生さんが亡くなったことを公表して尻が持ち上がったけど、そういう悲報は今回はなしにして。


【3月9日】 真希波・マリ・イラストリアスという「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」から登場したキャラクターにモデルがいるかどうかについて庵野秀明総監督の周辺からは、あれは鶴巻和哉さんが創出に大いに関わったキャラクターだといった証言も出て、過去のテレビシリーズやその劇場版とは違ったキャラクターの配置であり、ストーリー展開にしたいといった要求の上に設定されたものだといった認識が、ファンの間にも広まっていたと思っていた。

 ところが、未だにとある評論家というかYouTuberとなってしまった元評論家の見解が、オフィシャルにも増した“正史”として語られていることに庵野秀明総監督の周辺も困ってしまった感じ。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開1周年を記念して庵野秀明総監督がいろいろファンからの質問に答えていく中で「しかし偏った憶測でスタッフや家族を貶められるのはあまりに哀しいことなので、この点についてはハッキリと否定しておきます」と断言までしたのは、それだけ根強くて根深い流言が広まってしまったからなのだろう。

 この件を報じたネットメディアがその流言の主を「一部のファン」といった言い方をしているけれど、ただのファンでは広まるなんてことはない。そこは庵野秀明総監督を縁浅からぬ人が真実っぽく語ったことが大きいからで、その人が否定しないと収まりそうもなさそうだけれど自分の妄想と言われれば引っ込めろとも言えないだけに難しいところ。かくして否定もまたポーズだといった憶測を招いて流言は広まっていくのだろう。やれやれ。

 国粋という体裁のヘイトを看板に食べているイラストレーターは民間人だからまだ良いとして、国会議員として選ばれた人間が「難民」という言葉の定義を巡って遠くウクライナから戦火を逃れてきた人は、「避難民」であって条約の定めるところの「難民」ではないと言って条約の条文をツイッターに貼り付けていたりするけれど、その条文の下の方に注意書きとして「今日では、定義で触れられている理由のほかに、自国での武力紛争や人権侵害などを逃れて他国に庇護を求めた人々のことも『難民』と指すようになっています」とあったりする。つまりは解釈の上でウクライナから逃げ出した人も立派に「難民」だと認めるのが正しい態度だと書かれている。

 にも関わらず、そこにはまったく触れないところに視野が狭いのか言いたいことが言えればあとはどうでもいいのか分からないものの、とにかくいろいろと拙い思考形態にあることがうかがえる。どうして党は注意しないんだろう。それより以前に国会議員なんかさせているんだろう。いい加減ヤバさを感じて退場願えば良いのだけれど、そんな人を持ち込んだ元総理な人事態がヤバさを炸裂させても平気でその座に留まり続けているだけに、党も総裁もどうしようもないんだろう。幸いなのはそんなヤバい人が最高権力者でないことか。いや最高権力者だったんだよなあ。よくぞ抑えきったぞさすがは民主国家だ。

 梶浦由記さんが音楽を手がけた劇場版「DEEMO サクラノオト ―あなたの奏でた音が、今も響く―」のトークイベントに梶浦由記さんが登壇するとあってバルト9まで見物に行く。いついらいになるんだろうなあ、梶浦由記さんを見るのは。吉田尚記アナウンサーの司会で登壇した梶浦さんは、世界観が知りたくて、『DEEMO』はまず小説を読んで、ゲームを体験して、それから作曲にかかりました」と話してゲームをプレイしたことを告白。結果として「素晴らしい作品に主題歌を作らせて戴けて光栄でした」と挨拶してファンを喜ばせた。

 「主題歌とイメージソングを作ったんですが、イメージソングは割と始めの段階で作りました。『DEEMO』という作品に感じたことを打ち込みました」と梶浦さん。「主題歌の『nocturne』はもう少し雄弁な音楽になっています。メロディがギミック的に使われることもあるので、それも考えながら作りました。あとピアノが主役なので、ピアノの音が普通の歌よりも前に立つ感じになっていますね。闇と光のバランスも気にしました」と展開に合わせて作っていったことを話してくれた。

 そんな梶浦さんについて、総監督と脚本を務めた藤咲淳一さんは「梶浦さんと前にお会いしたのは前世紀です。まだゲームをやっていた頃、ハードで音楽を作っていた時代ですね。色々な音楽を作る人ですので、『DEEMO』でもどういった表現をしてくるのかを楽しみにしていました。そして上がってきたのを聞いて『すげえな』と思いました」といたくお気に入りだった様子。前世紀にはまさか日本レコード大賞を獲得するミュージシャンになるとは思ってなかっただろうけれど、当時からコンポーザーとしての才能を認め起用したことが今につながったのなら、藤咲さんも今の梶浦さんを作ったひとりを言えるだろう。

 アリス役で出演している竹達彩奈さんもトークイベントには登壇。「デビュー前から梶浦さんの音楽を聴いていたので、今日は120%から200%崇拝レベルで楽屋でもいっぱいお話しを聞いてしまいました。10年くらいご一緒していた作品があったのですが、お会いしたことはなくて、今日お会いできて半泣きでした」と大喜びだった感じ。映画全体についても「『DEEMO』は音楽が素晴らしい作品です。それを素晴らし音響で見られたのが良かった。もともとの曲や絵を見に何回も通いたいです」と話していたのでどこかの劇場で見かけることもあるかもしれない。

 この日は「nocturne」という主題歌を歌ったHinanoさんも登場した。梶浦さんによれば「曲をイメージしてアニメーションを制作する部分もあったため、ピアノのメロディだけはありましたが、それをが歌として完成させるのは歌う人が決まってからと思っていました」という楽曲を、1400人の中から選ばれたHinanoさんが歌うことになって、いろいろと調整もしたのだろう。そんな楽曲を歌ったHinanoさん。「『nocturne』が流れた瞬間は、感動でオーディションの時とレコーディングの時の思い出が蘇って来ました」と話していた。まだ16歳であれだけの歌唱力。将来はFictionJunctionの歌姫入りもあるかな。


【3月8日】 オープニングの絵コンテが舞城王太郎だとういうことにやっと気づいたアニメーション版「錆喰いビスコ」は赤岸Kさんによる荒いタッチのキャラクターやら世界観をどういった具合にアニメにするかが気になていたけれど、逆に輪郭をくっきりとだして塗りもパキッとさせてメリハリをつけることでベクトルの違う強さを出したって感じ。それでいてアクションは派手で巨大なキノコがボフッと生える辺りはアニメならではのタイミングで見せてくれるから読んでそうだと思ったビジョンをそのまま形にしてくれているように見える。巧いなあ。

 それこそ「鬼滅の刃」みたいな荒いタッチのまま行くこともありえただろうけれど、あのカロリーの高さを再現するにはなかなか度胸と人出がいる。カチッと整えることで描き手の感性や技量に頼らず一定水準の絵を出すことが出来る訳で、それをレイアウトとアクションでカバーするのもひとつのやり方ってことなんだろう。あとは声優陣。ビスコ役は 鈴木崚汰という人で当たり役はまだないけれどこれで暴れん坊な役をゲットしていけることになりそう。強い女のパウーは「ドロヘドロ」でニカイドウを演じていた近藤玲奈さん。もっと低音効かせた人になるかと思ったけれどそれだとパターンだからこれは言い。

 そして猫柳ミロは売れっ子の花江夏樹さん。弱そうに見えて芯の強さは抜群という役をやらせて今はもっともハマる人。あとはやっぱり津田健次郎さんかなあ、黒革役の。悪役でチンピラで深慮遠謀が凄くてコスくてそして強い敵を演じさせたらナンバーワン。これが大塚明夫さんだとドスが効いたボスっぽくなってしまうところを前線に立って飄々と行きつつ殺る時は殺る怖さがしっかり出ている。抜群だ。そんな声優陣をクリエイター陣を得てテレビシリーズ初監督の碇谷敦さんがガチッと締めて来る物語。第8話まで見てギリギリのところまで来たけれど第9話が衝撃らしい。でもご安心、だって「錆喰いビスコ」は今も続いているんだから。つまりはどうなるか。どうやるか。そこを注目してアニメを観ていこう。小説も読み直さないと。

 11月21日に開幕するカタールでのFIFAワールドカップが地上波で見られるといって日刊スポーツが大はしゃぎ。「初出場の98年フランス大会から続く日本戦の地上波放送は死守されそうだ」と書いているけどその前提となる日本代表音W杯出場が決まっておらず、それが不可能になるかもしれないオーストラリアとの予選を地上波で放送できなかったことを非難するかと思いきや、そこは「再度実現の可能性を探ったが」なんて書いてDAZNが最初の交渉以後、まるで話しなんかなかたっと言っていたことを否定している。日本サッカー協会への忖度って奴だろうなあ。

 その協会は田嶋幸三会長が「W杯を日本の地上波で見られることは素晴らしい。NHKさん、テレビ朝日さん、フジテレビさんに感謝します」と喜んだものの、「まだ出場を決めた訳ではないから」といって頑張る覚悟を見せたあたりに、多少の良識が残っていると思いたい。ここで負ければNHKやフジテレビやテレビ朝日に恥をかかせて将来にわたって代表戦を買ってもらえなくなると思えば頑張るしかないってなってくれれば万々歳だけれど、そういう期待をするっとかわすのが森保一監督だからなあ、選手は呼んでも出さなかったりするし。エゴイズムを貫き勝利だけをつかみ取れるのか、それとも自分の美学に殉じるか。天王山まであともう少し。

 CDに附属のシリアルコードからだけにしたワルキューレのライブの申し込みに幸運にも当選。最終日ではなく全日にしたからかもしれないけれど千秋楽が開催されなくなる可能性なんてものが今のこのご時世、あったりするから早いスケジュールを選ぶ癖がついているのが良い方に転がったかもしれない。最終日は別にライブビューイングの申し込みが始まっていてとりあえず音響の良さそうな劇場で申し込み中。当たるかな。これで3月に村上“ポンタ”秀一さん、5月に北宇治高校吹奏楽部、6月にSCANDALとライブに行く予定が出てきて音楽を見に行く気分が整ってきた。夏はフェスとか顔を出すかな。それとも聞いたことがないライブに行ってみるか。誰が良いかなあ。


【3月7日】 午後の10時まで寝ようと思ったら午前10時まで寝てしまって本も読めなかったけれども仕方が無い、眠れるということは眠らなくちゃいけないということで眠るしかないのだから。それでも夕方に時間があるので起き出してとりあえず横浜へ。ヨドバシカメラの下にあるゴーゴーカレーで横浜ならではのシウマイが入ったチキンカツカレーをかきこんでから、T−JOYのドルビーシネマで「劇場版 呪術廻戦 0」を見る。通算では8回目くらいになるんだろうけどドルビーシネマはまだ見てなかったので仕方が無い。第4弾の入場者特典も始まるからそれまで待っても良かったけれど、週末は東京アニメアワードフェスティバル2022が開かれるので行けるかどうか分からないのだった。

 黒が締まって見えるドルビーシネマでいったい何が変わるかというと、冒頭の乙骨憂太を教室に迎えようとしている禪院真希が足を組んで座っている時に見えるあれはアンダーウェアかそれともキュロットスカートの股の部分か分からなかったりするのが、黒は黒としてしまってそれ意外は階調がしっかりと出るドルビーシネマなら確認できるかと思ったもののやっぱりどちらとも言えなかった。明らかにキュロットな校庭での練習シーンでの下から見上げてあれはやっぱりキュロットの股間なのかもしれないけれど、味方によってはアンダーウエアに見えないこともなかったりするのはドルビーシネマでも変わらなかった。ここは実際は違っても心でそうだと思えばそうなんだということにしておこう。

 あとは黒閃が飛ぶような場面で稲妻のような効果の黒い縁取りがくっきりと見えて黒閃かどうかはともかくとして、パワーがこもっているような感じが良く出ているように見えた。キャラクターを縁取る輪郭線もくっきりとしていて真希ちゃんがぐっと前に出てくるようにも感じられたのでやっぱりドルビーシネマは素晴らしいと結論。第4弾の特典が来週半ばまであるようならもう1度くらい横浜のドルビーシネマへと遠征しても良いかもしれない。あるいはMOVIXさいたまのドルビーシネマへと。時間的に無理なら近所のイオンシネマで我慢しよう。

 実寸大の「動くガンダム」が立つ横浜でガンダムをテーマにしたプロジェクションマッピングが行われるってんで内覧会を見に行く。場所はみなとみらいにある「横浜ランドマークタワー ドックヤードガーデン」で、明治時代に作られたという石造りのドッグを復元したスペースの壁面に最初のシリーズ「機動戦士ガンダム」とか、福井晴敏さん渾身の「機動戦士ガンダムUC」の映像が映し出されてはAimerが歌う「RE:I AM」だとか、井上大輔さんの「哀 戦士」が鳴りひびいてガンダム的空間を醸し出す。

 それ事態はとても心地良いんだけれど、肝心のプロジェクションマッピングが凸凹としたドックの内壁にピタリを合わせて立体感を作り出すような凝ったものではなく、ある角度から見た場合にのみ平面的には見えるようになっているものの、別の角度から見ると凸凹が激しすぎて何が映し出されているか分からないような感じで、ちょっと見る場所を選びそう。個人的にはドックの上から壁面を真正面に見るような感じがベストか。それだと海側からなら「機動戦士ガンダムUC」で、建物側からなら「機動戦士ガンダム」の名場面しか見られないから見終わったら場所を変えて見るのが吉。下に降りて見上げてもさっぱり分からないからそこは体感できることを重視しよう。

 早期退職という名のリストラを受けて50才代のアナウンサーが大量に抜けることが分かっていて、それとは別に30代くらいのまだ若いアナウンサーもちょっと前に部署を返られていたのが堪えたのか退職することが明らかになって、これでいったい何人のアナウンサーなりアナウンサー経験者が一挙に辞めることになるのかちょっと気になるフジテレビジョン。アナウンサーといえばある種の専門職で言葉で正しく物事を伝えるプロフェッショナルとして放送業界にとってはとても重要な役職なんだけれど、そうした言葉の大切さが蔑ろにされタレントの吠えたり叫んだりする声やらアイドルの甘くて柔らかい声やらが尊ばれる風潮の中、アナウンサーの居場所も狭くなってきた。

 言葉の専門職として最後の牙城だったスポーツ中継も地上波からなくなっていった今、アナウンサーが若さというタレントを失って輝ける場所ではテレビもなくなっているんだろう。それともフジテレビだけがアナウンサーのキャリアプランを作れていないのか。いずれにしても今後フジテレビを志望するアナウンサー候補生も減っていくんだろうなあ。10年で潰される場所に行く人もいないよなあ。NHKならたとえ全国を回っても一生アナウンサーでいられそうだし。


【3月6日】 新型コロナウイルス感染症の療養でホテルが使われていることについて朝日新聞のAERAのネット媒体が、施設となっているアパホテルが昼食にカレーを出したことについて触れて国から支払われている料金からすれば安すぎるんじゃないのといった記事を書いていた。読むとアパカレーはレトルトが1個390円で売られているのに国から支給の1500円とも大阪あたりが1日の基準にしている900円とも違いすぎるといった指摘があるけどちょっと待て。レトルトカレーはレトルトパウチに入ったルーだけで、そこにご飯もキャベツもカツもない。

 対して記事に掲載されている画像によれば支給されたのはルーに当然ライスも添えられカツが載りキャベツも加わった金沢カレー的なもの。これを普通にアパホテルでテイクアウトすれば930円もするメニューってことは調べれば分かるのに、それをしないでルーだけの値段を載せてしまえる神経がちょっと分からない。デスクがいたらこれは本当なのかって調べて突っ返すんじゃないかなあ。それをしないところに今の朝日も含めたネットメディアの話題になればとりあえずオッケーな体質が透けて見える。まあでも療養中で喉も痛いだろう新型コロナウイルス感染症の待機者にカレーを出すのはどうかと思うよ。美味しくても。

 記事を読んで金沢カレーが食べたくなったけれどもゴーゴーカレーくらいしか思い浮かないのでそれはまたの機会にして、電車に乗って本を読みつつ阿佐ヶ谷まで行って先日まで新潟名物「イタリアン」を出していたスパゲティ屋さんで今月のご当地スパゲティ「富士つけナポリタン」を注文する。油でいためていないスパゲティには桜エビがかかってそれだけでも美味しそうな上に、つけ汁があってナポリタンというよりトマトソースに近いそれに浸して食べるという感じ。本場じゃ箸を使うのが正解みたいだけれどもらうのも面倒なんで備え付けのフォークで食べたら何とか食べ切れた。味はまずまず。何よりサッパリしているのが気持ちいいのでまた行こう。次は福岡名物ぺぺたまパスタとか。ぺぺ論チーに卵が絡んだものらしい。美味しそうだなあ。待ち遠しい。

 「二郎系」という言葉の意味がよく分からないのだけれども「二郎系ステーキ」と読んでいる店についての記事をするなら大盛りどっさりな食べ物を総じて「二郎系」というらしい。いやいや「二郎系」は食べきれないくらいにマシマシだろうと思うけれどもそう言った方がネットではバズりやすいから書く人も使うのだろう。そう聞くと記事もいかにも煽り上等といった感じかというとそのステーキ店「コメトステーキ」を紹介するプレジデントオンラインの記事は、卒業をしたものの家業を手伝うことになってそのまま米屋の主人となった男性が、だんだんと厳しい経営状況の中で店をしめてなにをしようかタクシー運転手になろうかと考えていたところ、知り合ったラーメン屋の店主からステーキ店でもやればと言われたとか。

 そのラーメン屋の店主はもとはシェフだったというから料理は上手。ステーキの焼き方も教わってそして始めた店はステーキがメインではなく米屋として知り尽くしたご飯を食べさせる付け合わせとして1ポンドものステーキが焼かれるというからなかなかにゴージャス。まあ値段も1600円するからそれなりなんだけれど、いきなりステーキで同じだけのものを食べるとさらに高いだろうからやっぱりお得なメニューなのかも知れない。とはいえ柔らかくて食べやすい肉ではないらしく、かんでご飯と食べると美味しいものらしい。どんなものかなあ。やっぱり食べに行くしかないんだけれど新小岩の駅から歩くと割とありそう。いつか時間を見計らって旅をしてくるか。


【3月5日】 ずっと劇場で流れていた「SING/ネクストステージ」の予告編で引退状態にあったライオンのロックシンガー、クレイの声があのB’zの稲葉浩志に決まったとの報。ってことは今まで流れていたのは実は稲葉さんの声だったのかとうとそうではなく、太めのいかにもライオンといった声は別の人で稲葉さんが吹き替えたものが新たに作られていてそれを聴いたら何というか内海賢二さんが演じていた役を水島裕さんが演じているくらいの変わりように映画界の“諸事情”って奴を感じさせられる。

 洋画のアニメーションの吹き替えで言えば「トイ・ストーリー」で最初はウッディ役に山寺宏一さんが決まっていたのが知名度の高い人を使おうってことで唐沢寿明さんになり、玄田哲章さんが吹き込んでいたバズ・ライトイヤーの声も所ジョージさんになった過去がある。この改変については唐沢さんの飄々とした感じと所さんの剽軽さを抑えながらも滲むバズの生真面目さが粗忽さにすり替わる感じが実に良く出ていて正解ではあったけど、ここまでシリーズが続くと唐沢さん所さんの声にも変化が出てきた感じ。そこはやっぱりプロってことで、今の山寺さん玄田さんで聴いてみたい気もしている。稲葉さんは果たしてシリーズが続いてもずっとクレイを演じ続けてくれるのかなあ。パッケージ版は元に戻ったりするのかなあ。

 劇場に流れる「SING/ネクストステージ」の声も稲葉さんに差し替わっているのを確認しつつ、今の状況にこれは相応しい映画かもしてないと「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争」を見に行く。戦車のコックピットにぎゅうぎゅうのしずかちゃんが良かったというのはさておいて、1985年に公開された映画「ドラえもん のび太の宇宙小戦争」にあって原作の「大長編ドラえもん のび太の宇宙小戦争」にも使われていた「そりゃあわたしだてこわいわよ」「でも……このまま独裁者にまけちゃうなんて、あんまりみじめじゃない!!」となっていたしずかちゃんのセリフが、「私だって、怖いわよ……。でも……このまま負けちゃうなんて、あんまりみじめじゃない!」と差し替わっていたのが気になった。

 明確に独裁者を設定して、その相手に蹂躙されっぱなしなのはみじめだという気持ちは、その独裁者を打倒することで晴らされて後には平穏が残るけど、負けている状況に対してみじめだという感情は、だったら勝利すれば晴らされるかというとその対岸で負けに転じて同じようにみじめだという感情を持った人を生み出して、そしてやられたからやりかえすという連鎖を生み出しかねない。それってちょっと悲しいしなかなか厄介だ。なるほど本来なら独裁者は1人で瞬時になるものではなく、周囲の後押しがあり押し上げる環境があってその象徴として独裁者が屹立する訳で、そうした状況をも含めてやはり敵と見なしてやり返すしかないのかもしれないのかもしれない。

 けれども、それでは繰り返すけど諍いが終わらない。だから第二次世界大戦では独裁者とその一派を根こそぎ悪と設定して処断し、他は免罪して憎しみの連鎖を断ち切った。改変はそうした指摘であり暴露であり繰り返される憎しみの連鎖への意識付けであり、だからこそ考えようという誘いなのかもしれないないけれど、実際は子供が独裁者なんて言葉は分からないとか、子供が独裁者なんて言葉を使うだろうかといった“事情”からの改変ななろうなあ。やれやれ。そして牛乳風呂は透き通らないのが残念だった。

 TOHOシネマズが配給会社に自分のところだけでの上映にしなければこれから上映させないと脅かしていたという話。これから調査も進むんだろうけれどそれだけシネコンの中でTOHOシネマズが力を持って大都市圏から地方も含めて津々浦々に作品を届ける展開力を持っていて、外せば興行に大きな影響が出る状況が生まれてしまっているってことなんだろう。昔は地方にそれぞれ強い興業会社があって劇場を抑えそれぞれに営業をかける必要があったけど、今はイオンシネマやTOHOシネマズといった強いチェーンが出来てそこに乗せれば済むようになっているからなあ。逆にいうなら外せないってことでだから強気にも出るけれど、印象は良くないからいろいろと改善命令とか出るんだろう。どうなるか。


【3月4日】 宅配便が来て開くと「THE ART OF PUI PUI MOLCAR」が入っていた。買ったっけ? って記憶を探るとどうやらシンエイ動画のサイトで特典のぷいぷいストラップが欲しくて慌てて購入していたみたい。内容はといえばその分厚さにまず驚き、そして章立てられてアイディアの段階からさまざまな過程を経て実現となったのち、スケッチから工作から撮影から編集からさまざまな工程に関してたくさんの画像と関係者に尋ねてのテキストから掲載されていて、読み込むとあの場面のあの映像がどのような意図でどのように作られていたかがわかるようになっている。

 ストップモーションアニメーションを作りたい人なら手に入れて損はないし、「PUI PUI モルカー」が好きならもはや言わずもがなに手を入れるべき1冊。見里朝希監督へのインタビューも充実しているけれど、データ原口こと原口正宏さんが「月刊アニメージュ」に寄せていた、どういった人たちがどういった人脈によってこの作品を作ったかがより多くの分量で、新たな取材結果も踏まえた形で発展採録されているので、この作品が生まれたバックグラウンドを理解する上でおおいに役立つ。これが市販されてもどれだけ売れたかとなると微妙な今の出版事情。シンエイ動画のISBNコードがつかない同人誌的な立ち位置で刊行されるが状況にマッチしているのかもしれないなあ。特装版ではない書店売りも出るのかな。

 すぐそこに広がっていていつだって行けそうなのになかなか行けない「空」。そこに届かせてくれるグライダーという乗り物にだったらどうすれば届くのかを教えてくれる漫画が小沢かなさんによる「ブルーサーマル―青凪大学体育会航空部―」だった。公開となった同名の映画はもちろん漫画をアニメーション化したもので、橘正紀監督が手がけてエフェクト作画が得意な橋本敬史さんが参加したり、ベテランの友永秀和さんもいたりと目に観るべきところも多い作品いn仕上がっていた。とはいえエッジが効いたマニア向けではなく漫画っぽさが残るキャラクターの造形でありアクション。それをあっさりやってのけるところがテレコムアニメーションフィルムの力ってことになるんだろう。

 バレーボール部で大声を出す体育会系女子が男子にあまりもてないと知って、変わろうと思い大学に張ってテニスサークルに入ろうとしたら目の前をグライダーが横切りついつい手に力が入ってボールをフェンスを越えて打ち込んでしまい、それがグライダーを運んでいた人に当たってしまって手を離したことでグライダーの羽根が何かと接触し、壊れてしまった。

 わざとでもない行為でそしてボールが当たったくらいで手を離した人が悪いとも言えるだけに、よくもボールを打ち込んだなお前がすべて悪いんだといった言いがかりに近い横柄さがちょっと苦手だったけど、アニメはそのあたり比はグライダーにぶつかった航空部員にもあることが指摘されていて、理不尽にも責任を押しつけられるような横柄さは薄れてすんなり入り込めた。

 そうした原作部分からの修復は巧くっやられていたた一方で、やっぱり時間が足りなかったからか原作の漫画が全5巻で描いてきたことを大きくはしょったところがある感じ。航空部に引きずり込まれたヒロインのつるたまが、合宿先で出会った女子からどうして怨まれて疎まれているかが、漫画を読むとさらに分かるようになっている。もっと自分を気にして欲しかったという嘆きや、愛情やら才能やらを持っていって天真爛漫に振る舞う態度へのそこはかとない嫉妬心がそうした邪険さに現れていたといった。

 それが分かるとさらにお互いが最初はぎくしゃくし、そして歩み寄っていく素晴らしさに気づけるので、そこは原作漫画を読んで保管しよう。ラストの苦さは漫画が勝るけど幸せを選んだアニメ映画版も悪くない。なので両方観て読もう。どちらが先からこの際問わない。ちなみ舞台挨拶があって、つるたま役の堀田真由さんが同席した倉持先輩役の島ア信長さん、空知大介役の榎木淳也さん、矢野ちづる役の小松未可子さんがいずれも「呪術廻戦」に出演していたことから、もっとはやく告白しておけば目の前で呪術廻戦ごっこをやってくれたかもと悔やんでた。東映の映画で東宝の映画について喋らざるを得ないくらい、ファンだったんだろうなあ。これが唄い挨拶でなかったら即座に何かやってくれたかも。楽屋ではどうだったんだろう。

 TOHOシネマズといえばもはや主要な場所にシアターを持つ巨大な映画チェーンで、そこで作品をかけられるかは配給会社にとってとてつもなく大きな意味を持つ存在となっていたっぽい。こうなるとプラットフォームの特権めいた立ち位置から、自分たちのとろだけに提供しろさもなくば以後はどんな作品もかけないと言ったりすることもあり得るかと思われた一方で、あからさまに優越的な地位を振りかざすのはいかがなものかといった自省が働き、実際にはどこもイーブンな条件で付き合っていたかとおもったら、優越的な地位を使って閉め出すぞと脅していたらしい。バレると大変なことになるのに平気でやってしまうのは、それが当然の雰囲気になっていたからなんだろうなあ。プラットフォームを持ってしまったが故の奢り。改善できるかそれとも。


【3月3日】 あかりをつけましょしょんぼりに。そんなひな祭りの日に相応しいミステリーが半田畔さんの「マーディスト―死刑囚・風見多鶴」シリーズ。なにしろ中心にいるのが84人だかを殺害したと言われる女性の死景趣。名を風見多鶴という彼女は死体の手足を切断して人形の手足に付け替えるとか、ディスプレイのマネキンと死体を入れ替えるといった芸術的な死体の見せ方から、マーダー(殺人者)とアーティスト(芸術家)を掛け合わせた「マーディスト」という呼び名で恐れられつつ狂的な支持を得ては模倣する犯罪者を続出させていた。

 当人はなぜか自首して死刑判決を受けて収監されているけれど、執行も近づいた彼女のところにひんぱんに訪れる大学生の男子が現れた。それが夕木音人。どういう訳か多鶴に呼び出されは彼女から頻発する模倣犯の手がかりを聞き出す役目を与えられる。それはトマス・ハリスの小説で映画にもなった「羊たちの沈黙」にも似た監獄の中の名探偵。いや探偵というより首謀者に近いから探偵役は音人の方か。まずはイエスかノーとしか言わないという約束で多鶴に質問をして真相に近づくゲームを繰り広げることになる。

 そんな対話から浮かぶのはなぜ人を殺すのか、そして美しく飾り付けるのかといった異常な行為の理由。そこに共感を抱くと闇に引きずり込まれてしまっては、模倣犯たちの仲間入りをしてしまいそうになるから要注意。心の強さを試される作品だ。おまけに下巻では多鶴に協力していたという科学者がなぜか幼女の姿で現れる。いたちどうやって。そんな不思議なテクノロジーが全体を包み込んでは唖然呆然とする真相へと導いていく。音人が探し求める姉の行方を多鶴が知っているのかも含め、明かされる真相に驚こう。ってかそんなにわからないものなのか、相手のこととか自分のこととか。科学凄い。

  第8回オーバーラップ文庫大賞で金賞のメグリくるさんによる「暗殺者は黄昏に笑う1」も読み終える。異世界転生もので元医師の荻野知聡は人助けをしてきた身でありながら、人を殺める暗殺者の天職を授けられて転生する。そこで知聡は頻発する怪事件の原因を探り、殺された人の肉親から復讐も請け負うという仕事を始める。そうして相手にする蛇の王だったり屍食鬼だったり腐死者といったバケモノが、相次いで発生した理由が浮かび上がっていくところがミステリー。なおかと知聡が自分が守りたい存在のためには助けた命ですらあっさりと消す残酷さを持っているところも特徴か。「女騎士のヒモ」といいシリアスな主人公が最近の傾向かもしれないなあ。

 「MV界のデビルマン」呼ばわりまでされ始めた村下孝蔵さんの「初恋」につけられたPVの評判。「好きだよと言えずに初恋は」って歌詞にもあるくらいに言い出せない愛は海鳴りに似ていて絶え間なく寄せて僕らを揺さぶるのであって、決してスマートフォンごしに覗き続けるものではないにも関わらず、それをネアカにやってしまっているところに歌詞との齟齬が見えていかに現代風だと言い訳しても、及ばないほどの乖離が生まれてしまった。

 もしもソニー・ミュージックエンタテインメントに村下孝蔵さんとともに駆け抜けてはヒットを後押しした音楽プロデューサーの須藤晃さんがいたらとてもじゃないけど村下さんと共に育てた世界を壊しファンを裏切るとオッケーは出さなかったんじゃないかと思うけど、今のソニーにそうした矜持があるかどうかは不明なだけに通ってしまったのかもしれない。このままだと次は尾崎豊さんの「17歳の地図」にミニスカ女子高生がスマホ持って校舎内を走り回る映像とか付けられかねないなあ。没後30年もすぐだというのに。

 これは驚いた。「月刊アニメージュ」と「ニュータイプ」と「月刊アニメディア」が3月10日発売の号でそろって「鬼滅の刃」を拍子にするだけにとどまらず、おなじ遊郭編からキャラを分け合って続き絵のようにするとかで、並べると1枚の絵にはなるけれどそれぞれでは宇随天元と妓楼太夫、炭治郎と禰豆子、善逸と猪之助と堕姫といった具合に差がでてキャラのファンに訴求しない雑誌なんかも出てしまいそう。そりゃあやっぱり禰豆子と炭治郎が描かれている「アニメディア」が欲しいってなりそうだけれど、そこはニュータイピーに尖ったファンが多い「ニュータイプ」なら宇随と妓楼太夫のファンもいるし、大人の女性が描かれた「アニメージュ」はオールドアニメファンが多く着いているって判断なのかもしれない。どちらにしたって3冊買うから問題はないんだけれど。それがアニメファンって奴だから。



【3月2日】 日本SF大賞を受賞した「大奥」について考えるべくクリスティーナ スウィーニー=ビアードの「男たちを知らない女」(ハヤカワSF文庫)を買って読む。男だけが9割死ぬ伝染病がパンデミックとなっていく過程ととりあえずの到達点を描いた作品は、男性の現象が及ぼす政治経済社会といった構造の変化にまで話しを及ばせつつ200数十年もの江戸時代を通して描いてそしてくるりと戻してのけて今と繋がる社会の硬直を撃つスタンスが絶妙だった「大奥」と比べるとスパンが狭く射程も短い感じはする。

 とはいえ、何事にも淡泊な日本とは違い家族や親子の関係から男女の関係までがくっきりとしがちな欧米だからこその事態がもたらす影響が覗けて興味深かった。ラストの時点でせいぜい数年後なんだけれど、それでも起こり始めた恋愛感情の変化と政治や社会への影響がさらに10年100年でどうなっていくかも気になるけれど、それは今しばらくは「大奥」に任せれば良い訳で、こちらはこちらで新型コロナウイルス感染症のパンデミックも含めた正常性バイアスの危うさやらマッチョな意識の邪魔さ加減なんかを撃つ作品として読まれるべきなのかもしれない。

 ちょっと前に日本サッカー協会の田嶋幸三会長が、DAZNだけの放送・配信となっているサッカー日本代表とオーストラリア代表の試合を地上波で放送できないか、検討をして話し合いを続けているといったようなことを喋っていいたけれど、そのDAZNからいやいや話し合いなんてもうずっと前に1度やっただけで、その時にあんまりフェアじゃない条件を持ってこられて断ってから話し合いなんて1度もやっていないと暴露があったみたい。つまりはなにかやってる感じだけ出して世間を欺いていたってことだ。

 それで最後まで何もできませんでした、DAZNはやっぱり守銭奴ですなんてことを言い出したかったのかもしれないけれど、それはたまらなんとDAZNに機先を制された格好。これに対して果たしてどんな対応をするのか、Jリーグの配信権を引き上げるのかというと、それ異常のお金でAbemaが買ってくれるとも思えず、ましてや地上波やBSやスカパーなんかが買うとも思えないとなると、DAZNの起源を損ねた代償として値下げを受け入れつつ配信が続くってことになるんだろう。本当に迷惑な存在になってしまった田嶋会長。これでワールドカップに行けなかったらどうするんだろう。辞めないか。

 「お前が見たいのは橋本環奈がキャスリン・エル・アームストロングを演じる実写版『鋼の錬金術師』かい? それとも橋本環奈が釘崎野薔薇を演じる実写版『呪術廻戦』かい? やっぱり橋本環奈が竃戸禰豆子を演じる実写版『鬼滅の刃』かい?」「ララ・サタリン・デビルークを橋本環奈が演じる『To LOVEる−とらぶる−』を」。そんな会話があって欲しいと思いたくなってしまったのは実写版「鋼の錬金術師」の続編制作が発表になったから。スカーを新田真剣祐さんが演じるほかブラッドレー総統を舘ひろしさんが演じるみたいでそれはそれで楽しみなんだけれど、やっぱり日本人が演じて納得のいく世界観ではないところがちょっと辛い。

 それでもアレックス・ルイ・アームストロングが山本耕二さんで姉のオリヴィエ・ミラ・アームストロングが栗山千明さんという配役はなかなかだけに映画館には行くだろう。これで本当に橋本環奈さんがキャスリンだったら嬉しいことこの上なんだけれど。片手でひょいとピアノを持ち上げる橋本環奈さんはとてつもなく美しいに違いない。しかし本当によく続編の制作が決まったなあ。先に「ジョジョの奇妙な冒険」が作られると思ったんだけれど。あるいは本当に「鬼滅の刃」の実写版とか動いていたりして。下手にすとーりーとか買えなければ誰もが見に行く映画になると思うんだけれど。

 2000年以降の音楽的な関心がアニソンに寄ってからのシティポップシーンを勉強するために栗本斉さんによるガイド本「『シティポップの基本』がこの100枚でわかる!」(星海社新書)読み始める。なるほど一十三十一さんとか土岐麻子さんとか名前は聞いたことがあるけれど、どっぷりとは聴いてないアーティストはやっぱりシティポップに分類されているのか。時々ラジオで流れているのを聴くけれど、深入りはしていなかっただけにこれを機会に手を出すか。あとはSPiCYSOLとかもふわっとしたシティポップ感があって良さげ。昔のはだいたい聴いているんで今は新しい知識を入れていこう。junkフジヤマさんはしっかり聴いていたので今はパス。


  【3月1日】 北京オリンピックが終わったタイミングで日本電産サンキョーがスケート部を廃部にすることを決めたとの報。今年度末の3月31日で終了とはまたスピーディーで日本電産を率いる永守重信会長の経営哲学でも入っての即断即決なのかとも思ってしまった一方で、三協精機が主力のオルゴールがダメダメになってつぶれかかったのを救い、スケート部もポケットマネーで存続させたといった経緯もあるらしいから何か違う思いがあったのかもしれない。

 以前のように熱がなく有望な選手もおらず展望が見えないというのが廃部の理由になっているあたり、元旦の午前中しか休まず仕事をして会社を世界一にした永野会長らしい判断だけれど、スポーツが決して成績や記録だけではなく、取り組むことによって得られる充実感もまた大切だといった流れになっている中で競技のみを重要視するのは時代からズレてる気がしないでもない。それはそれでどこかのクラブがやれば良い話であって、企業が支えるものではないという判断なのかもしれない。会社の方がコンプライアンスも厳しくなって早出残業してこその社員だと尻を叩けなくなっているから、その思いをスポーツに注ぎたかったけど果たせず飽きてしまったのかな。それでもここまで支えてくれたと御礼を言おう。

 キエフは未だ陥落せずハリコフあたりでは攻撃が続いているとの報が出回って、早期に占領されると当初は見られたロシアによるウクライナ侵攻はやや停滞状態。ベラルーシで停戦協議も行われたようだけれども条件が出されてお互いに持ち帰って検討という、日本のサラリーマン社会みたいなことが行われていてどちらも戦争をしたいのかしたくないのか分からない感じになって来た。そんな状況が続く中で、何か勇ましさを誇示すれば受ける空気がもわもわと立ちこめ始めて、そうしたエピソードにメディアが飛びつき持てはやすようになっている。

 戦意昂揚を競い合ったってろくなことにならないのは「欲しがりません勝つまでは」の標語が蔓延ったいつかのどこかの国が身をもって表してるのに、その国が遠く離れた場所での簡単には割り切れない戦いの一方に積極的に肩入れして、他方を悪し様に言ってOKな空気がじわじわと醸成されている。絶対の善と絶対の悪とに分けた方が理解しやすいからなのかもしれないけれど、世の中はそれほど簡単には割り切れないことは目下ファイナルシーズンが放送中のアニメでも語られていること。漫画のラストでは善であっても行き過ぎれば悪に変わりかねないことも描かれているだけに、ちょっと熱を冷ましてぐるりと周囲を見渡して欲しい気がしてならない。

 どこかの島の防衛部隊13人が降伏を拒否して全滅したとウクライナの大統領が言って戦意を鼓舞した話が、どうやら違っていて全員生きていたとこれまたウクライナの軍部が公開したとの報もあったりして、一時の風に乗るとそのまま上昇気流で舞い上がって降りてこられなくなる危険性を改めて鑑みる必要もありそうなのに、義勇兵を募ったら元自衛官で外人部隊の経験もあるといった猛者が応募したとかいった話が、ポジティブに受け取られ喝采を浴びていたりする。おいおい政府は前に中東での戦いに参加しようとしていた学生を捕まえたり、取材に行こうとしていたジャーナリストのパスポートを取り上げていたじゃないか、それをメディアも納得の行為として報じていたじゃないかと突っ込んだところで届きそうもない。

 侵略は良くないことではあってもそれに逆らって全滅するのはあまり気乗りがしない。逃げられるなら逃げるし謝って済むなら済ませたいけど、そこで屈すれば奴隷の暮らしが待っているというならあるいは全滅したい気にもなるのかもしれない。それこそ国際なんちゃらの出番で命あっての物だねを維持しつつその先の守られるべき人権が守られているかを見守る方向へと進んでいって欲しい気がしてならない。死んで花実が咲くものか、生きてりゃきっといいことあるさと嘯けるのも、日米安保に守られて高度成長を遂げた戦後日本に生まれて育った昭和世代の厭戦気分に過ぎないのかもしれないけれど、やっぱり死んだらつまらない。エヴァは完結したけど「ONE PIECE」も「呪術廻戦」もまだ終わってないんだから。


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