縮刷版2021年2月中旬号


【2月20日】 第42回日本SF大賞を受賞したよしながふみさんの「大奥」がSFなのかといった声があちこちから上がって、歴史を改変したらどうなるかを想像するSFが例えば「戦国自衛隊」とか「地には平和を」とかいろいろと描かれているのにどうしてなんだろうと思ったものの、今読まれているかというとあまり読まれていなくってSFといえばロボットに宇宙といったテクノロジーの発達がもたらすビジョンといった、ある意味で本来のSFに立ち返っているところもあるだけに喜ばしいのかそれとも悩ましいのか。ちょっと考えた。

 「大奥」が凄いのは歴史の改変を出発点にして権力者に男性が多い状況にくさびを打ち込み、女性であったらどのような事態が訪れるのかをじっくりと描いていったあたり。そのきっかけこそ若い男性を死に至らしめる赤面疱瘡の流行で、将軍家に限らず市井もやっぱり男子が少なくなるから幕閣も女性を揃え旗本の跡取りも女性が中心になり商家の跡取りも蘭学者もやっぱり女性が多くなる。そうした男女逆転が起こって江戸幕府が途中で潰れたかというと、最後まで保つとこから浮かぶのは、能力があるなら性別など無関係だといった主張。昨今取りざたされるジェンダーレス社会の可能性というものをくっきりと見せてくれている。

 家斉に家慶と2代続けて男性が将軍となったものの、その後も女性が将軍に就いたとこに、単純な置き換えではないといったトーンも感じられる。皇統なるもので繰り広げられている女系男系の議論へのひとつの問いかけにもなっているし、現実の社会のありとあらゆるシーンに今なお滲むジェンダーによってもたらされる差異への指摘もあったりする。ラスト、開国に直面した江戸幕府が諸外国への体面を気にして、自ら力を振るわざるを得なかったところに、日本のみならず世界をも射程に入れたジェンダーに対する示唆もある。世界がこぞって変われるのだということを、改変された歴史の上に描いたこれをSFと言わずして何を言う、ってことで「大奥」は候補作でも日本SF大賞に相応しかったってことで。でもやっぱり「進撃の巨人」と競って欲しかったかなあ。

 袋とじを開くと原型を留めなくなるためもう1冊保存用が欲しいと思ってイオンシネマ市川妙典に「劇場版 呪術廻戦 0」を見に行く。これでもう何度目だろう。ドルビーシネマがMOVIXさいたまでやっているから遠征しても良かったけれど、それで変わるところが多いといった気もしなかったので近場でなおかつ55歳以上は安くなるイオンシネマを選択させてもらった次第。昨日は割と寝たけど今日はそれよりは起きていたものの、夏油が呪術高専に挨拶に来るあたりはちょっと記憶が飛んでいた。やっぱり映画館は気持ちが良い。あの椅子があれば家でもぐっすり寝られるのになあ。

 見れば見るほど気になるのは本編後にケニアでのミゲルと乙骨憂太との会話が挟まれたことで、乙骨を五条悟が訪ねて来たのは渋谷事変の際に自分に何かが起こった後で、虎杖悠仁の世話を頼むためだと漫画を読んでいる人はわかっているけどそうでない人には続きがあって乙骨憂太がまた出てくる可能性を示唆したシーン。それをだからいつかアニメで描くって決断として、映画で描いたのなら映画で回収する可能性を考えると「死滅回遊編」は次の劇場版ってことになるのかもしれない。だから少なくとも「渋谷事変編」まではテレビアニメでやってくれると思いたいけど、それはいつになるんだろう。救いがある話でもないからなあ。なおさら「死滅回遊編」の帰結が重要になってくる。それが見えてくるのが2022年も後半と仮定しての2023年テレビアニメ化としたのかもしれない。どうなるか。見守ろう。


【2月19日】 朝も早くから支度をしてTOHOシネマズ池袋へと出向いていしづかあつこ監督の新作アニメーション映画「グッバイ、ドン・グリーズ!」を舞台挨拶付きで見る。試写に続いて2度目。舞台挨拶では花澤香菜さんのアフレコでいしづかあつこさんが何をやっても可愛い花澤さんに可愛らしさを少し抑えめにして演じて欲しいとお願いしたくらい可愛らしい花澤香菜さんが見られて良かった。可愛らしかった。花江夏樹さんのセットアップの柄が気になった。男性声優っていったいどこで服、買ってるんだろう。

 映画は2度目なので全体を俯瞰して観られたけれども1度目の時に覚えたピーキーさをそれと感じながら観ていった感じ。ロウマとトトのガッチリとしていたはずのドン・グリーズに過程がなくドロップが加わっていて帰省したトトがその“闖入”に驚きもせず違和感も覚えない関係がある程度出来上がっているところで「いろいろあって今はそう」といった理解を向けられるかがまずは大事と言えそう。

 それから冒頭の黄金の滝と電話ボックスの場面だとか秘密基地を焼く場面なんかも全体を知って終わりも知っていれば腑に落ちるけれど初っ端ではいったい何だろうという疑問を租借するまもなくドロップの参加に至るから面食らう。「そういうものなのだ」といった理解が出来ている2度目はシーンだとかセリフだとかの意味性をしっかりと感じ取れるから、全体を1本の映画として片隅の青春がある出来事を経て外へと開かれ動き始める物語を味わうことができる。せめて2度目、可能なら3度目4度目と繰り返して観ることを個人的にはお薦めしたい。花澤さん可愛いし。

 とはいえ、そうした展開のピーキーさに加えて他愛のないことで大はしゃぎしたり大騒ぎするロウマとトトの感情線は説明のアンダーさとは逆にオーバーの方向でピーキーで、そんなにはしゃぐなよって気分とそうやってはしゃいでいたかもという記憶がない交ぜとなって羞恥心を刺激するところもあって慣れる必要がある。そこは2度目でもやっぱり拭えなかったから3度目4度目と進みなれるか諦めて飲み込むしかないのかもしれない。

 そうした段取りをしっかりと踏めばレベルを振り切ったピーキーさの山が丸まってしっとりと落ち着いてくる映画だとは言える。ギャグめいたシーンも愉快だし自然の描写は丁寧だし自転車のスムーズな動きから人間の慌てふためいたり懸命だったりする動きも完璧以上。作画面では一切の不安を抱かなかったところは老舗マッドハウスの力といったところか。

 見終われば、そして何度か見ていけばしっかりと止まっているより動き出すのが賢明だといった思いが心に宿って元気になれる。やりたくてもやれない人への思いを育んで自分が頑張らなければといった気にさせられる。そうした感情をかき立てる映画として、それも決して壮大な冒険でも雄大なファンタジーでもなくどこかの田舎町の短い夏の経験を通じて描き上げた映画として優れているとは言える。ただやっぱりピーキーなのでレベル調整はお好みで。

 昨日に続いて今日もパスタはサンシャインシティの「バルボア」でロメスパをもりもりと。油でいためてある分ゆであげとはちがったカロリーが入っていそうだけれど、米よりはまだ脂質が少ない気もするし昼からだとちゃんと運動するから消化もされることだろう。夜は主食をサラダにしておかずを食べる生活を1ヶ月半。前は膨らんでいたコートの前がぺったりしてきた気はするけれど、前ははけたジーンズがまだはけないのでそれがどうにかはけるようになるあではダイエットとナイトシールZの飲用を続けよう。2年前に買ったスーツくらいは着られるようにしたいなあ。

 第42回日本SF大賞が発表になってよしながふみさん「大奥」に決定。選考委員からは「ひっくり返したジェンダー感に逆説的なリアリティがある」とか「パンデミックの男女逆転は目新しくないが最後に向かって収束していく点でSF的な目新しさがあった」といった意見が出ての受賞だったみたい。あの「ゴジラS.P<シンギュラポイント>」も候補にはいっていただけに漫画・アニメ系でそちらを上回る支持を集めたのはやっぱり内容が優れていたからか。ずっと変わったままではなく今へと収束させる力業、その過程での価値観のすりあわせの巧妙さに驚きつつ、そうせざるを得なかった状況が1150年経っても変化を見せていないのは忸怩たるところ。それでもMeeToなどで変化しつつあるならあとは再び女性の君主を誇れる時代の訪れを願いたい。


【2月18日】 明け方にかけてbayfmを聞いていたら「超電磁ロボ コン・バトラーV」とか「母を訪ねて三千里」とか「海のトリトン」とか「ゲッターロボ」の主題歌が流れてまるでアニメの特番かと思いきや、昭和歌謡を中心にして「希望」を感じさせる歌を流したとかでなるほどアニソンなら希望を唄っているものが多いというのもよく分かる。だったら「宝島」の主題歌も欲しかったけれど同じ町田義人さんで「三国志」の主題歌「男たちの朝」が流れて残念だけれど今また改めて町田さんがクローズアップされたことの方を喜ぶ。「町田義人 スーパー・ベスト」買おうかなあ。

 千葉まで行く機会があったので久々にスパゲッティ屋のパンコントマテでランチのスパゲティをもりもり。このあたりのスパゲティ屋ではあまり出していない2.5ミリの極太パスタを出してくれるのでかみ応えがあって食べ応えを感じられるのだった。お洒落からはほど遠いけれどお値打ちなのは嬉しい。船橋にあれば週に何回かは通ってしまいそう。サイゼリヤのような“本格”も悪くないけどそこはあんかけパスタの国の人間、ロメスパともちがう太麺系がやっぱり好きなのだった。次はいつ行こう。

 登矢と大洋と主任ではなかった特典の複製原画にヒャッハーしつつ観た後の「地球外少年少女」磯光雄監督トークイベントin京成ローザは「激ヤバです〜」by北上ミドリverな感じに明かされてなかった話が続々。例えばUN2.0から2.1へと至る過程で起こった事とジョン・ドーの関係とかは、聞けばなるほどと納得の状況でそして主導権がまた移ってUN3.0が立ち上がったって感じみたい。それからラスト辺りで磯監督が音響に指示してある音を入れた話とか。その音は何かの誕生を意味するのだろうか。3年後くらいに明らかになるという磯監督の意味深な言葉からもしかしたら続編企画が動いているんじゃないかと思ってしまったよ。

 月で生まれたムーンチャイルドの15人のうち10人までが早くになくなりインプラントを入れた5人も次々と亡くなっていったのは分かっていたけど、その死を登矢たちは感じ取っていてそして心葉がその限界に来ていることもあって必死だったとか。あの軽口を叩き平然としている2人の心の内を思うと胸が苦しくなるなあ。ちなみに亡くなった3人のうちの1人はゾフィという名の少女だったらしい。その死の前に事態が収束する世界線もあったんだろうか。いやいや心葉までが犠牲になる世界線があったのを登矢がひっくり返したのが唯一。幾つもの犠牲の上に選ばれたその世界線がどこに向かうかを知りたいなあ。

 ほかにも磯光雄監督によればシナリオにはみっちり書いたけど入らなかったことが多すぎるらしい。何しろあの劇エヴァで量産型を相手に戦うシーンも5段構えで2時間くらいかかりそうなのを縮めたそうで、「地球外少年少女」でも説明されてない部分がほかにもいっぱいあった。11次元に広がった登矢は本当はAI語を喋る予定だったけど陳腐になってしまったのでセリフを監督補佐と会話しながらアフレコ直前に作ったとか。コンテだとどうなっているんだろう。明けてみるか。

 これも作中に説明はないけどカミツキレイニーさんによるガガガ文庫から刊行されたノベライズに書いてあったから明かせば、宇宙ステーション「あんしん」の落下を伝える地上でのTV映像に一瞬だけ混じる、「電脳コイル」のデンスケっぽく京子っぽい魔法少女は何があってもアニメを流す局ですらL字で伝える一大事だという意味らしい。もちろん原作者の許可は得ています。そりゃあね。あっと徳間書店からもちゃんと許可はもらっているとか。若いアニメーターがすぐさま仕上げたそうでファンが多いんだなあ、業界に。やっぱり気になるFITSZについての解説は今回もお預け。そこはやっぱり考えるしかないのかなあ。


【2月17日】 悠仁親王の筑波大学附属高等学校進学決定で普通に皆と受験してそれで普通に好成績を収めて合格したのかと思ったら、通っているお茶の水女子大学附属中学校との間に出来ている「提携校進学制度」で進学することになったと分かって、頭に霞のようなものがかかる。国立大学の附属学校の中でそうした制度があることは、エスカレーター式に上に行くのはやっぱりちょっとといった人たちや、違う校風で違う人脈を作る上でも有効と思う人たの期待に応えるという意味で実に有意義。他の国立大学附属の例えば筑波大学附属駒場中学校・高等学校なんかも混ぜて、人をシャッフルするようにしているのかと思いきや、2校の間だけしか制度が適用されていないという。

 なおかつ創設が2017年というから、もうジャストのタイミングで適用させるために作り出された制度めいた印象すら漂う。これが小学校から中学校に進学する時に適用されていたらさらに波風も立っただろうけれど、そこでは内部進学して今回利用したという点ではまだ、ほかに利用した人がいてメリットを受けているかもしれないと思えば多少は気分も和らぐか。とはいえ内部での審査がどのように行われ、そして制度にはないけれども一応は受けた試験の成績がどれくらいだったのかによって、進学してからの活動にもいろいろと影響が出そう。その上に進むには推薦なんてものがあり得るのか、って考えるとこれから実績作りをしないといけなくなる。何をされるか。見ていきたい。

 「人権」が割とコンピューターゲームで使われている言葉で、いろいろと権能を持って“使える”キャラクターであることを「人権」と例えている一方、そうした権能がないキャラは「人権」がないと退けていた言語的な感性が、訪ねてきた人に対して当てはまって好みではないという意で「人権がない」と言ってしまった感じがあったりする、例のプロゲーマーの一件。とはいえ外部に向けて「人権がない」と言った場合のリアクションを考えた時に、それが半ばヘイトとして機能しかねないものだという思考の敷衍が足りなかったという意味で、いったん謝りつつ認識を改め出直しを図るのかと思ったら、あっさりとチームからもスポンサーからも契約を打ち切られていた。

 学び直した上でまた実力で出直して来いというスタンスだともとれるけれども、無知を知るという学びを得たならそこで改めて実力を発揮してもらうという手もないでもなかっただけに、1ストライク即アウトの厳しさってものがひしひしと感じられて気をつけなくてはいけないなあと改めて思い知らされる。普通に世間で使われてしまっているけれど、元を辿ると差別的なニュアンスもあったりする用語はいろいろあって、個人的に苦手なのが「スクールカースト」という奴で元はインドのヴァルナ・ジャーティー制度とも呼ばれる細かな身分やら職種やらに区分する「カースト」から来ているものだけれど、そのカーストで凄まじい弾圧を受けている人が、現在もいたりする状況を鑑みるなら上下関係めいたものに当てはめるのを躊躇われる。

 ひとつの状況として言い表すのに短くて済むし、それが設定に絡んで来るライトノベルも少なくないから「スクールカースト」という言葉を絶対に使わないとか今まで使ったことがないとは言わないけれど、極力学校内における上下関係めいた言い方を使うようにはしていた。でも今回の一件で「人権」と言ってしまったプロゲーマーを「カースト上位」と指摘する言葉も出てくるとちょっとやっぱり浸透して定着してしまって良いのかといった気分も生まれる。政府として無くそうとしてもなくならず、それで苦しむ人が今もいるインドの状況を思いつつ、超えるのが困難な壁といったニュアンスも汲み取りつつ、慎重に使うかどうかを考えていきたいものだと改めて思った次第。

 ドーピングならもっと適した薬物を分からないように使うもので、狭心症の治療薬を使うものだろうかといった気分はあるものの禁止薬物が検出されたならそれは風邪薬だって同じ事だから、ルールに従うべきである一方でそんなルールを統括する団体なり判断する裁判所なりが保留の判断を下したなら、それもそれで尊重すべきだなあと思って見ていた女子フィギュアスケートのいろいろは、フリーを滑って対象のワリエワ選手が4位に留まり表彰台に上げる上げないといった騒動が飛んで、表面的には波風が立たなかったもののそれはそれで問題がないにも関わらず騒動によって実力が発揮できなかったのなら残念といった見方も出来て、一筋縄ではいかないのであった。そうした中で坂本花織選手が銅メダルを獲得。素晴らしいと拍手を贈りたい。今はフィギュアといっても名古屋出身とかではないんだなあ。


【2月16日】 秋篠宮家の悠仁親王が筑波大学附属高等学校に進学なさるそうで、お茶の水女子大附属幼稚園から小学校を経て中学校まで進んでそして、皇室御用達というより皇室が私塾として作って華族のための教育を行って来た学習院に、皇族の頂点たる天皇陛下に将来なられるだろう御方が1歩たりとも足を運ばれないという、この不思議な状況をさてはてどのように見るべきかにいろいろと迷うご時世。皇位継承者としての道がもうがっちりと決まっているならどこで何をしようと自由にやりたいという心理があり、また即位したら自由なんてなくなることを分かって今のうちにやれることをやろうとしたのかもしれない。

 もちろん学習院を出てもその後にオックスフォード大学に留学された今上陛下のような御方もおられるから、学ぶ機会ならこれからの10年くらいならありそうだけれど今上陛下から秋篠宮さまへと経由しても即位の時は今上陛下の若い時ほどはなさそう。だったら大学も含めて行けるところに行っておきたいという思いを抱かれたとしても不思議はない。とはいえ偏差値78と言われる筑波大学附属高等学校を一般受験して合格できる学力があるなら、そうした学力を問われない学習院では物足りたなかったかもしれないなあ。次に話題になるのは3年後の大学受験か。やっぱり東京大学に進まれるのかなあ。

 そんな悠仁さまが第12回子どもノンフィクション文学賞に応募された作文に、過去の出版物の文章と言葉を柔らかくすればとても似ている部分があったとかでいろいろと騒動に。「いわゆる3W 、風(Wind)、波(Wave)、翼(Wing)」なんて例えがそのまま使われていたりして、これはもはや引用のレベルであるんだけれども引用ならば出典を明記し引用であることを示さなくてはならないのが、そういう感じはなく地の文でそのまま書かれていたからこれはちょっとハッピーではない。今になって出典を明記し忘れたといった理屈が語られているので、そういうことになるんだろうけれど、それでも賞はそのままということはこうした部分以外で評価されるところがあったとここは理解しよう。そうしよう。

 FITSZ、と書くんだろうなあ、それは登矢が地上へと降り立ってから立ち上げた会社の社名で登矢が着ているTシャツにもロゴがプリントしてあるから分かるんだけれど、その意味となると調べても何かの略語といった感じはしないで、KIDSをつけた音楽ユニットめいたものとか、フィットネスクラブのサイトなんかがあるくらい。磯光雄監督によればしっかりとした設定はあるそうだけれど、それを明かす気持ちはしばらくないらしいんでここはやっぱり見ることでしか分からないと、原稿を仕上げた後に新宿ピカデリーまで行って「地球外少年少女 後編 はじまりの物語」を見る。3度目。そして特典も3枚目だけれど3枚とも登矢と大洋と主任の絵だった。美衣奈も心美も出やしない。俺前世で何かした?

 考えるならZにFitsする、ってあたりでアルファベットで究極のZレベルまで高まればもはや自分は自分だなんて感覚を超越してどこにだって遍在できるようになって、それで宇宙どころかその外側まで感覚として認識して誰とでも理解し合えるようになるとかいった、そんな領域のことを指すんだろうかどうなんだろうか。どこでもあってどこでもない場所の中間あたりという曖昧さの極地のような場所へと至って登矢が達した11次元すら上回るその境地を、人間が人間として体験できるかというと脳がはなはだ不十分な気もするけれど、それすらも進化できるとなればいずれは……。そこへといけば那沙にも会えるのかもしれないなあ。北上ミドリとは正反対の知性を持って北上ミドリ以上に傍若無人なあのキャラクター、もっと見たいんだ。「銀河系外少年少女」が作られる時が来て再開できることを願おう.

 クズとしかいいようがないメディアがありもしない批判をでっちあげてはネット記事にしたててそれを見てバズらせる人たちがいっぱい出てくるこの地獄のようなネット状況をどうしたら改善できるのかを考えて、クズとしかいいようがないメディアの拡散を防ぐ手立てを考えるのが1番なんだけれどもポータルサイトだってアクセスが欲しいのか、平気で引っ張っては拡散の片棒を担ぐという煉獄のようなネット状況なだけにいかんともしがたい。あとは書いている人の良心に訴えるしかないんだけれど、そんなものがあったらそもそも書いてなんかいやしないだろうし。いずれにしても「鬼滅の刃」と書けばアクセスが稼げるネット状況が続く限り、似たようなクズとしかいいようがないメディアによるゴミとしかいいようがない記事は掲載され続けるんだろう。やれやれ。


【2月15日】 はちみーはちみーはちみー、はちみーをのーむとー、おなかがおなかがおなかがでてくるー、なんて歌を唄いたくなるくらいにカロリー高そうだけれど「ウマ娘」なら仕方がない。ファミリーマートで15日から始まった「ウマ娘 プリティーダービー」とのコラボレーション商品展開でさっそくイナリワンの五目いなりとスペシャルウイークのばくだんむすびを買いトウカイテイオーのはちみードリンクともども昼ご飯として食べて気分は幸せ。商品性とキャラクター性がマッチしているところが考え抜かれたコラボになっている感じ。

 まんまる焼きってのもあるけれどこれはいろいろな種類があるみたいでステッカーも入っていて人気商品。ほかだとサイレンスズカのいちご大福だとかキタサンブラックのロールケーキだとかもあるみたいだけれど一気に買って全部食べたら本当にお腹が大きくなるのでここはじっくり商品を見ながらひとつひとつ責めていこう。ゴールドシップの大盛りソース焼きそばは他に食べない日を選んで買わないとなあ。気になるのはオグリキャップのコラボ商品がないことか。キャラクター性だととてつもないデカ盛り商品に使いたいところだけれど有名馬だけに「ウマ娘」といえども使いづらいところがあったのかな。あとはエルコンドルパサーか。タコスとかメキシカンな料理に合いそうなのに。次のコラボに期待だ。

 やれば経済制裁を受けることは確実なウクライナ侵攻をそれでもロシアが匂わせ続けてウクライナとの国境だとか黒海だとか連合を組むベラルーシに兵力を集めているのは単に文句を付けているだけでもなければ威圧しているだけでもなく、場合によっては本気で侵攻するって意識の表れと見るのが良いんだろうなあこの場合。経済制裁を受けたら逆に天然ガスとかの供給を止めるといって欧州でそうした供給を受けている国を困らせてもいるから、決してやられっぱなしちう訳でもなさそう。それでも被る経済制裁の影響を超えてウクライナにNATO加盟を諦めさせ、さらには言うことを聞く政権を樹立させるだけの価値があるとも言える。さてもどうなる。

 「ちいねこトムの大冒険」でキャラクターデザインだとか作画だとかをめいっぱい手がけてデジタルリマスターの活動でも大いに活躍したアニメーターの大橋学さんが死去。最近も自分の絵を描き展覧会を開いたりして元気そうにしていただけに、急な気もするけれど70歳を超えた方ならいつ何が起こっても不思議はない。残念ではあるけれども数あるお仕事が残っている以上はその生涯を振り返ることはできるので、それらを見て語り継いでいこう。「タイガーマスク」とかもやられてたんだよなあ。「お伽草子」でもレイアウトとかラフ原画とか手がけられたそうだけれど素材とか残っているんだろうか。気になる。

 「炎の蜃気楼(ミラージュ)」の桑原水菜さんがソフトカバーの単行本を出していてあるいはBL系の本かと思って手に取ったら、太平洋戦争が終わった直後の引き揚げ者たちが主人公になったストーリーでちょっぴりミステリ的な要素もありそうだったので購入。読むとやっぱりサスペンスを秘めつつ戦後の日本で闇市焼け跡かた這い上がっていく人々のドラマでもあった。京城だから今のソウルから引き上げる船からなぜか母親が海に飛び込んだ阪上群像は、乗り合わせ居ていた赤城壮一郎という男とともに東京まで行くことにする。

 母親を産みに突き落としたのが赤城だと訴える謎の男のささやきもあって気になったけど、行く当てもない群青は離れず東京まで行って、そこで赤城の親戚が住んでいた場所にバラックを建てて暮らしていた兄妹を追い出さず、闇で仕入れた調味料を売ったりしてどうにかこうにか生き延びつつ、やがて石けんを作って売り始めては石けん会社まで立ち上げる。途中に闇市を仕切る朝鮮人ヤクザとの抗争もあって彼らが帰るなんてできるはずがない事情も告げて状況を客観的に示したり、ライバルとなった石けん会社が邪魔をしてくるところをサンプルを配り評判を高めることで乗り切ったりするアクシデント攻略のドラマを楽しめる。

 そんな展開の終盤、赤城が何をしていたか、そして群青の母親とどういう関係だったかも見えてきて、赤城に気をつけろと忠告した独眼の男の正体も分かって話はアメリカも絡んだある種の謀略めいたものになってくるけれど、そこで群青はいったん離れて勉学の道を選ぶみたい。果たしてそれからどういうドラマが待っているのか。戦後の日本、焼け跡から立ち上がっていった人たちの群像劇を楽しめそうなだけに続きを待ちたい。それにしてもどうしてこの時代のこの物語を桑原さん、描こうと思ったんだろう。そこはちょっと気になった。どこかにインタビューとか載らないかな。


【2月14日】 超絶バトル作画から一転して「鬼滅の刃 遊郭編」の最終話は妓夫太郎と堕姫との罵倒から始まって、2人の過去が描かれ悲惨な運命の中から立ち上がってそこまで来たという誇りめいたものが感じられた一方で、お互いを守りたいという気持ちがすれ違って罵倒になってしまう寂しさも感じさせた。そこをしっかりとすれ違わせることなく結びついたのが炭治郎と禰豆子の関係なんだろうなあ。その禰豆子は点目でいっぱい登場して愛らしかった。デフォルメしても愛らしい絵を描けるufotableは作画の天才か。いや原作が愛らしいんだよなあ。やっぱり凄い漫画だ。

 2020年に発売された一条岬さんの「今夜、世界からこの恋が消えても」が楽天のライトノベルランキングで週間2位に入ってきていったい何かとしらべたら、「なにわ男子」の道枝駿佑さんが主演を務めることが発表されて関心を持った人が多いみたい。バリバリの青春ストーリーにちょっぴりのハンディキャップが絡むといった内容は、メディアワークス文庫だとか宝島社文庫だとかが得意としているジャンルだけれど、それだけ作品も多くてタイトルだけでは判別がつかなかったりする中で、これに目を付けた経緯がちょっと気になる。

 いじめが繰り広げられていたクラスでいじめの対象となっていた少年の代わりに神谷透は進学クラスにいる日野真織という女子に告白するよう強制させる。恥ずかしいとか悔しいとかいった感情に苛まれることもなく透は真織に告白するとなぜかオッケー。ただし3つの条件がつけられて、その中に決して本気になるなといったものも含まれていた。ともあれ付き合い始めた2人だけれどそこに絡んできたのが真織とは仲の良い綿矢泉という女子。真織が傷つけられることが許せないといった態度はもしかして百合めいた恋情でもあったのか、なんて思わせるけれども違っていた。真織には秘密があった。

 前向性健忘症。昨日のことを覚えていられない症状にかかっていた真織は昨日に透と喋ったこともそして告白されたことも覚えていない。それを克明にメモして翌日に覚え直して新しい出会いをして新しい経験をしてまた翌日に同じ出会いを繰り返していくのは苦しくないのか。そこがちょっと分からない。一方で透は真織からそのことを告白されて自分が明日覚えられていないことを知ったけど、真織にはそれをメモには残さず真織が昨日の自分を覚えていないことを透は知らないことにして欲しいという。そんな関係で進んでいった果て、ある事情から家出した透の姉も絡み彼の家の問題も片付く中で真織にある兆しが見えてくる。同時に透にもある出来事が起こる。

 結果としてすれちがったような関係。けれども確実にお互いの中に強い何かを残した関係が浮かび上がらせる、他人と付き合うということの意味。それはきっと記憶というより体感として肉体に、そして心の奥に刻み込まれるものなのかもしれない。覚えていなくても分かるという感覚。その意味について考えさせてくれる物語。さてなにわ男子の人はこれをどう演じるのだろう。そしてTOHOシンデレラガールから登場の福本莉子は真織をどう演じるのだろう。三木孝浩監督という青春映画の名手が撮るだけあってきっとキュンキュンとしたものになるんだろうなあ。公開を待とう。

 「地球外少年少女 後編『はじまりの物語』」を新宿ピカデリーへと見に行く。舞台挨拶回に続いて2回目は、上映後の磯光雄監督によるトークイベントの第3夜が行われて、制作を手がけたプロダクション・プラスエイチの本多史典プロデューサーが登壇して、磯監督とのなれそめなんかをハナしてくれた。それは『ジョヴァンニの島』の時、櫻井圭記(現大樹)プロデューサーといっしょに原画を描いてとお願いして、ロシア兵が唄う16秒のシーンを描いてもらったらしい。

 そんな出会いを経てプロダクション・アイジーから仕事なんかもお願いしていたけれど、そこに「地球外少年少女」の企画が立ち上がってシグナル・エムディーで作るかどうかとなって本多プロデューサーが担当になったものの、いろいろあって企画が外に出て本多プロデューサーは借金をして会社を作って企画ごと引き受けることになった。とてつもない決断だけれどそこはそれ、「地球外少年少女」のラストで燈矢が飛び出していくことの大切さを訴えていたのに乗ったというのはまあ、方便だろうなあ。そもそもどうしてシグナル・エムディーで作らないのって話だからなあ。

 そんな本多プロデューサーのことを磯監督は、「タップ穴を開けるのが日本一うまい人」と認識していたとか。デジタルで作画してプリントした紙にタップ穴を開けたらしく、今回も同じことをしているとか。そういえば「子供の科学」3月号にタッピングマシンが写っていたっけ。活躍しているんだ。トークではほか、後半で重要な電脳ダイブのシーンに登場する地球めいた球体とかは磯監督が撮影を担当してパーツなんかをあつめて動かしつつ雲なんかも自分で作画したというから監督以上の働きぶり。美術に任せたら間に合わないとかでそれで「費用が安く済んだ」と自慢したけれど、他にお金がかかっているからと岩瀬智彦プロデューサーから突っ込まれていたのはお約束。ともあれ作画に撮影までやってしまうなんて、全編磯印の作品なんだなあ「地球外少年少女」は。


【2月13日】 第28回電撃小説大賞で大賞の白銀透さんによる「姫騎士様のヒモ」(KADOKAWA)が激ヤバい。魔物に滅ぼされた王国で残された姫が再興を願いダンジョンにある星命結晶を求めて冒険を繰り返している。そんな姫に従うかつての家臣達も大勢。けれども姫はなぜか元冒険者で今は女にたかっているようなマシューと一緒に暮らしている。マシューは姫から金をもらってその日暮らし。つまりはヒモ。当然向けられる嫉みは時にマシューの命を狙うけど、どうにか切り抜け生きているマシューには秘密があった。その秘密を巧く活用して生き延びているマシューに信頼を置くのはその秘密というより別の理由があった。

 いわゆる下半身の事情かと想像させて違う理由を想起させ、なんだ今は落剥していても立派に姫だし冒険者だと思わせて繰り出される衝撃の事実! そのためにマシューが繰り出す数々の手管は時に残酷で暴力的で予定調和の幸せな結末が好きなラノベのファンを唖然とさせそう。そんなシリアスな設定にマシューがある種呪われた理由が一過性のものではない可能性が浮かんで、人間と神様とのある種のかけひきへと発展していきそうな白銀透『姫騎士様のヒモ』。神様は何かを企んでいるのか。マシューは、人間はそれに打ち勝てるのか。姫様の行く末は。興味津々で続きを待とう。

 東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻第十三期生修了制作展「GEIDAI ANIMATION 13 AGE」から一年次生の作品についての感想も。谷村泉美さん「Me and Me」は小野ハナさん「澱みの騒ぎ」のように家庭内のザワザワとした関係で心を刺激されていたたまれなさにあふれかえった。馬一雄さん「中華街 異郷人」は実写からロトスコープ的なアニメーションによる動く映像へとつながって実写に戻る流れがとても良かった。写真では表せない心象がアニメーションから出ていたような気がした。

 なかがわさわ子さん「買い物メモのようなもの」は油絵のように塗り重ねられた絵が雨後意で斬新だった。まちだりなさん「蟻たちの塔」は変幻自在な絵の塗り方に目を引きつけられた。そして新海大吾さん「しとしと」はストップモーションで素材の工夫が面白くって川の流れを透明なビーズで表現していて面白かった。鯨が格好良かったし。一年次では目立った他もしれない。ハルマンダル チャールさんも1年次生で抜きんでた巧さ。トルコからの留学生らしいけれど線画が動いて表現されるものに目を奪われた。

 PANG Wenさん「宇宙人間」は漫画の原作があるらしいけれどグレイのような宇宙人が見せるエピソードが文化の間隙をついていた。李澤獏さん「窓外」は窓外に見える風景がノイズとなって流れる中に生々流転のようなものを見いだせるかが勝負のような気がした。呂逸飛さん「手」は手っちゃんだった。そして卓桜子さん「今日もちゃんと人間になろう」は「おばけちゃん」みたいに人間の真似をするオバケが可愛らしかった。短編のアニメーションでNHKとかで活躍しそうな予感。10人という人数が多いのかどうかは分からないけれど、日本の学生で次年度に期待したいのは谷村泉美さん新海大吾さん卓桜子さんかなあ。

 「地球外少年少女」の話題が掲載されているというので「子供の科学」の2022年3月号を買う。「子供の科学」なんて大昔のまだ「よく飛ぶ紙飛行機」が掲載あれていたり鉱石ラジオの回路図が載っていたりした昭和50年頃に何度か買ってもらって読んでいたくらいで、最近はどうなっていたかまるで知らなかったけれどもオールカラーになって文字も総ルビで読みやすい上にポップな話題も結構あって学研の「科学」みたいな印象を受けた。「地球外少年少女」は懐かしい虫プロダクションによる「ジャングル大帝」の製作模様と並べて掲載。作画ではかつては紙に描いていたのが今はタブレットに描かれていたり、彩色もかつては色が塗られていたのが今はPC上で色づけられていたりといった違いを写真を並べて説明していた。アニメ制作の今昔を伝える貴重な資料として長く保存したいけど、どうせどこかに言ってしまうんだ。Kindle版も買っておいた方が良いかなあ。


 【2月12日】 混沌とするウクライナ情勢を解決しようとロシアのプーチン大統領をウラジーミルと呼んでマブダチを気取った安倍晋三元総理が特使としてモスクワに乗り込んで、プーチン相手に懇々と平和を諭すようなシチュエーションをどうして安倍ちゃん大好きなライティな人たちが想像しては取りざたさないのかがちょっと謎。岸田総理の不甲斐なさばかり論うけどロシアと仲良くしすぎでハンドリングを難しくしたのが誰かを知らない訳じゃない。その責任を果たしてもらおうと言い出すと、のっぴきならない状況に安倍ちゃんを追い込むから言わないし言えないんだろうなあ。ってことは誰も成功するとは思ってないってことか。それもまた寂しい話。

 馬車道ではなく東神奈川で開かれた東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻第十三期生終了制作展「GEIDAI ANIMATION 13 AGE」を観たので感想を。オープニングアニメが可愛かった。きゃりーっぽかった。さて修了生プログラムからオダアマネさん「HA・NA・KU・SO」は2作あった鼻くそ物の1本。ちびまる子ちゃん風な絵で鼻くそほじる女の子の前でしり取りをするカップルから始まり酒とタバコを取り上げられた友蔵じゃないじいちゃんとかコンビニで働き始めた男子とかオンライン合コンで頑張る女子とかVTuber登場した挙げ句に公園のカップルに戻って「好き」から始まらない恋に笑った。面白い。

 阿部天音さん「残り香」は線画のメタモルフォーゼで見せた。感覚的なビジュアルが良い。小林真陽さん「四時間目のプール」はプールの授業を通して少女の少女に対する恋心を描いてキュンキュンとさせられる。絵もテーマに沿って柔らかく温かい。手足の関節が人形みたいに切れているのは何でだろう。気になった。岸本萌さん「Liminal Park」は夜の公園で回るメリーゴーランドが変容しいろいろなものが融けたり変幻したりと不気味さと同時のわくわく感を覚えさせる。暗闇への恐怖と興味を同時に誘う1本。絵も上手い。

 林増亮「透明」はストップモーションアニメーション。噂を気にするカメレオンの話。キャラの造形が可愛らしくなく異形なところに嘲笑と逡巡の心理が表に出ているような雰囲気を覚えた。そして石井多以「九一九」は立てられた額縁の中、海岸線で僧形の男が動き走り鬼に襲われ逃げ回る。実写と合成されたアニメの人はロトスコープだろうか。波音がザンザンと響く。海に行きたくなった。

 増田優太さん「フンおちた山とんだ」は虫を食べた鳥から落ちたフンが落ちた先にあった三角形の山に恋する話。相容れない関係を頑張って繋ごうとする心根に涙。尾籠で不条理でもあるテーマを独特なキャラクター造形でコミカルに見せた感じ。作者の増田さんは他の作品でも声優として活躍してたような。若林萌あん「サカナ胃袋三腸目」は魚にのまれた豚が先にいた魚を結婚してオタマジャクシの子を設け、その子にあれはカボチャか何かを食べさせ手足が生えたけど豚は胃袋から発芽して木になるという不条理のファミリードラマを古いアメリカのカートゥーン的ルックで見せるという力業。ストーリー性があり17分の長丁場をしっかり釘付けにする。映画祭とかで上映されても評価を得そう。

 西野朝来さん「nowhere」は和田淳さんみたいな木訥な線で描かれる主人公の冒険とおばあちゃんの誘導。それは保護したい欲目の現れた保護されたい依存の発露か。ビスケットが美味しそう。陳佳音さん「冬のスターフルーツ」はキャラクターの造形が素晴らしい。潰れふくれた顔だちの子供たちが集う学校で片思いの少女から思われる男子への届かぬ恋心がスターフルーツになぞられえられる。主題にマッチしたルック。2人はあのあと離れたのだろうかそれともきっかけが生まれて始まったのだろうか。

 鼻くそ物2作目は池田夏乃「はなくそうるめいと」。ストップモーションアニメーションでちびまる子ちゃん風キッズのルックを持った人形たちがエイジングも施された用具などの上で物語を演じる。友達から離れ遊ぶ少女に鼻くそがギャル語でアドバイス。これが愉快。勇気を出せばきっと仲良くなれると知れ。許火韋さん「薄命」はあれは横浜だろうか上海だろうか現代と近代が隣接する街で夜にイタチが走り回るストーリーを確かなレイアウトと巧みなカメラアングルとそして圧巻のビジュアルで描く。カメラワークも遠近を混ぜてバリエーションに富む。上手いなあ。そして迎えた夜明けにほっこり。明けない夜はないのだ。

 higoAkari「必要な存在になりたかったな。」は漫画にしても良さそうな絵で女性の街での暮らしを描く。熱が出て仕事に行けず心苦しかったり、出会って同志的な気分を覚えた蜘蛛を気の利かない彼氏が潰してささくれたり。生きるって苦しいけれどそれでも私たちはこの街で生きている。そう思わせる作品。黒澤さちよ「庭の詩学」はバベルの塔のように積み上がった山に木々が茂って落ち葉があたりを埋め尽くす。生々流転。自然のうつろいを感じさせられる。

 そして全振生「喪失の家」。1950年というから朝鮮戦争だろうか。そこで戦って今は老人ホームにいるお年寄りたちを見つめるケアする若者。茫とした老人たちの読めない表情の奥にある長い歴史、そして経験を垣間見せることで韓国という国に暮らす人たちの60年ほどの強烈だった経験を蘇らせる。それらを描く絵の大友克洋ばりに巧みでなおかつ崩れたりする変幻も苦悩する表情も巧みに描いて素晴らしい。日本だとこういった社会性とか歴史性とかに目を向けた作品ってなかなか出てこないんだよなあ。イスラエルの動物園を扱った作品も確か外国からの留学生だった。そこがやっぱり世界で戦う上での限界か。ちょっと考えた。

 藤井聡太四冠が王将戦で渡辺明王将を破ってタイトルを奪取。2日制で4タテを喰らわすなんてちょっと信じられない強さだけれどそれが今の力ってことなんだろう。10代での5冠はもちろん史上初で羽生善治九段の記録よりも3年くらい確か早いし、王将位の最年少も中村修九段の記録をやっぱり3年くらい下回った。5冠自体が過去に大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、そして十九世名人の資格を持つ羽生九段しか達成していない訳ですなわち藤井聡太五冠も永世名人への道が見えたと言っても過言ではなさそう。その名人位はA級に上がって挑戦権を獲得して挑んで奪取だから早くても来年の初夏以降。それ依然となると王座と棋王だけど果たして奪取できるかな。ともあれ今は持ってるタイトルを保持しつつ名人目指して突っ走れ。


【2月11日】 トリプルコーク1440が500ミリリットルのコカ・コーラのペットボトルを3本一気飲みして少しだけ余らせるのではないことは明かで、それはスノーボードのトリックで3回転しながら4回宙返りするといったとんでもない大技で、過去にオリンピックの舞台で試したスノーボーダーは誰もいないというその技に、挑んだのが前回の平昌五輪でもその前のソチ五輪でも銀メダルに留まった平野歩夢選手。世界の潮流が違うトリックへと向かう中でやっぱり自分はこれがやりたいと練習に励んで完璧にして、臨んだ北京五輪の舞台で1本目に成功されたもののその後転倒。ちょっと出遅れた。

 でも2本目3本目と跳んで結果は初の金メダル。スノーボーダーのオリンピック選手が過去にちょっとだけグレた態度を見せて大バッシングを喰らって以降、Xゲームの選手にはある種のイメージ的なものがつきまとっていたけれども、そうしたイメージもビジュアル方面では受け継ぎつつもこと競技に挑むスタンスでは最高のトリックを見せてやるんだといった信念を曲げずトリプルコーク1440をしっかり成功させてのけた。カッコ良いなあ。たとえ転ぶ可能性があっても4回転半に挑んだフィギュアスケート男子の羽生結弦連取も含めてアスリートは誰もが頑固でそしてカッコ良い。スノーボード、これでさらに流行るかな。東野圭吾さんもトリプルコークに挑むかな。

 書評を書こうとハヤカワSFコンテストで大賞となった人間六度さんの「スター・シェイカー」をようやく読む。筒井康隆さんの「郵性省」を思い出す。オナニーでテレポートできるようになった世界の物語。それでいろいろ起こる騒動を描いたものだけれど方法は別にオナニーでなくても普通に誰でもテレポートできるようになった社会がどのように変容しているかがユニークで面白かった。まず通路がなくなる。そして道路もなくなる。東京が寂れる。エレベーターも作られない。だって移動する必要がないから。会社とかが集まるのはそこにマーケットがあるからでそれで大勢が集まるマーケットが拡がり会社が集まるスパイラルが、別に集まらなくでも自在に移動できるようになったらパタッと途切れる。

 会社も別に部署が集まる必要はなく、部署ごとに部屋を用意してはそれが全国に散らばっていたって移動はテレポートで済むから大丈夫。間をつなぐ廊下だって必要ない。そんな社会のビジョンって奴を描いた上にテレポートができない人たちがいて、東京に残ってハイウェイに暮らしているあたりがポストアポカリプスとはまたちょっと違った退廃を表しているようで面白い。そんな世界にあってテレポートを消滅させようとする勢力と、それを阻止したいと願う男がテレポートを武器に戦うところが「超人ロック」的。でも念動力とかつがわずテレポートが派生させる真空切りとか爆裂といった技でど付き合うところが目新しい。

 そして仕込まれたテレポートの普及がもたらすとんでもない事態。それをどうするかってところがぶっ飛んでいて理論では理解しづらかったけれど、ともあれ宇宙は救われマフラーちゃんは立派にジャーナリストとなって活躍を始めた模様。テレポートだけじゃなく物理的な移動も認められてハイブリッドになった社会はいったいどうなるのか。それもまた楽しみなビジョン。そうやってSFが想像力によって描く世界に、技術が追いついた時にSFの想像力が示したネガティブなビジョンもポジティブなビジョンもうまく租借してよりよい未来にしてくれれば、世界も平和になるんだろうなあ、きっと。

 西新宿のVELOCHEでそんな感じで仕事して、新宿へと戻る途中でたつ屋に寄ったら牛丼が400円に値上げされていた。前は380円だったっけ360円だったっけ。ともあれ400円を切っていたのがここにきて食料品の相次ぐ値上げの波から逃れられなかったってことなんだろう。円安でガソリン代も上がる中、諸物価がジリジリと高騰しているのに賃金は上がらないというスタグフレーションも間近な状況を政府が何とかしてくれる感じもなし。ここはだから堪え忍びつつインフレを逃れて資産価値を減らさない方法を考えないといけないなあ。金を買うべきかビットコインに替えるべきか。

 そして「地球外少年少女」の後編「はじまりの物語」を舞台挨拶付きで観賞。上映前だったので舞台挨拶ではとりたてて特徴的なことは話されず。那沙・ヒューストン役の伊勢茉莉也さんを生で見られたのは嬉しかった。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」とかで北上ミドリを演じてギャル語を喋っていた声優さん。今回もギャルっぽさはあるけど幼さはないところにさすが演じるプロだと実感する。そんな那沙・ヒューストンがとんでもない状況を作り出すのが後編の見どころ。詳細はまだ置くとして主任が喋らずあまり活躍しなかったのがちょっと残念かなあ。見せ場を作ってあげても良かったし、後から何か仕事をしているところを見せても良かった。「あんしん」に接舷していたシャトルはちゃんと逃げたんだな。乗員の安否が気になっていただけに良かった良かった。月曜日にまた磯光雄監督のトーク付き上映があるので行ってこよう。


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