縮刷版2021年6月下旬号


【6月30日】 新型コロナウイルス感染症のワクチンをめぐってあれやこれや。東京オリンピック/パラリンピックのボランティアに接種を行うと言いつつも、時期的に1回目を接種した状況で本番を迎えて2回目は会期中かオリンピックの終了後になりそうな状況に対して、丸川珠代五輪相は1回目の接種だけでも行うことで「一次的な免疫をつけてもらう」ことができると言って世間から苦笑を浴びている。mRNAのワクチンの場合、2回接種することで劇的に高まることがデータなんかから分かっている。逆に1回接種ではそこそこ以下といった感じ。

 つまりは気休めみたいな状況で内外のウイルスが混交する場に近づいて立てと命じる五輪相は、銃だけ与えて弾を渡さないで前線に立てと言っているに等しい。あっても数発か。逆に弾だけ渡されて銃器がない状態かもしれないけれど、いずれにしても手の出しようがない状態であってもそれを推進せざるを得ない状況はやっぱりかの戦争で日本が犯した愚がそのまま繰り返しているように見えてしまう。戦後にどれだけの反省があって研究もされてなお戦前戦中が繰り返されるのはそんな時代こそが政府にとってもっともやりやすかったからってことの現れか。

 ただ少なくとも戦後しばらくは60年安保にしても70年安保にしても無理難題に立ち上がる意識は世間にあった。それが過激化して見放されてしまったのは運動側の問題で、反省すべき点はありつつ適度な運動すら“反日”などと言って誹る前の総理大臣すらいる状況で、動くのも億劫になってしまっているところにも問題がありそう。そうなってしまった気質は変えられないだけに今後もいろいろと厄介ごとが起こってくるなあ、とか思っていたら職域接種をあれだけ推進していた政府が、手のひらを返したように職域接種向けのワクチン出荷を祖停止するといった話。

 おいおい。これでは表面上の数字だけ作って中身は空っぽでも構わないって言ってるも同然じゃないか。決して長く保管できるワクチンではないから1回目の接種分は確保できたとしても、2回目が回って来るか保証がない状態の職域も出て来そうな感じ。かといって2回目は地域で受けてと言われたところで、ファイザーなりモデルなり銘柄が決まっているならそれと同じのを打ってもらえるところを探さないといけない。大丈夫なのか。運搬が滞っているってワクチン担当相は言っているみたいだけれど、だとしたらそちらを急がせれば良い話。止めるってのは確保できてない可能性をうかがわせる。やっぱり言うだけ番長だった? 上辺を取り繕って見せかけの数字で世界を欺き開いたオリンピックのツケがどこに出てくるか。戦々恐々が続く。

 頼まれて「復活!令和もお笑いマンガ道場」って前にあった「お笑いマンガ道場」がネット配信で復活するって話を書いたら意外と受けてて全国区の番組だったんだなあってことをしみじみと思う。愛媛新聞が先に富永一朗さんの訃報を書いたらたちどころにバズって一般紙とか通信社もすぐさま追いかけ記事にして、大いに話題となったその中で、相方みたいな立場にあった鈴木義司さんの話がセットで語られていたところからも、番組での対決が広く浸透していたことが伺える。

 決して名古屋ローカルオンリーではなく、テレビ東京だとか読売テレビだとかが早くから放送していたようだけれど、「笑点」のようにはゴールデンでの放送が決まっていた訳ではない番組に関心が集まったのは、やっぱり漫画によって何か表現することが好きな国民性ってのがあったのかもしれない。海外から伝わったポンチ絵が風刺がとなり新聞四コマ漫画となって残っている一方で、ストーリー漫画やギャグ漫画も溢れかえって今や世界に冠たる漫画大国になている日本の一種の象徴だったのかも。今回はSNSというバズりやすいツールもあってギャグが広範囲に伝わる可能性も。フォーマット販売して世界で人気になる先駆けになったりするかも。見守ろう。

 そしてフジサンケイビジネスアイこと日本工業新聞が1958年の復刊から63年の歴史に幕を閉じて6月30日付けで休刊に。大手町まで買いに行く気力もなかったのでどんな風に休刊を伝えていたのか分からないけれど、香港の新聞が廃刊に追い込まれた時に大騒ぎされていたのと比べると、扱いとしてはゼロに近いといった印象。紙が読まれず情報が求められず景気が低迷して新聞全体に及ぶ可能性があるシチュエーションであるにも関わらず、触れないのはそれが自分たちにも関わる問題だって認識しているからなのかもなあ。次はどこだ。


【6月29日】 明日6月30日で休刊になってしまうフジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞)で取材した会社から2つ、後にとんでもないことになったところを挙げるとしたら1つはアニプレックスか。1997年ごろ、SPE・ビジュアルワークスとしてアニメ関係を業務の中心に据えたあたりで取材に行って白川隆三社長に会った。白川隆三社長はあの太田裕美「木綿のハンカチーフ」のディレクターとして知られる音楽業界の有名人。映像系も見るようになって前進の会社で「るろうに剣心」なんかも手がけていたけどSPE・ビジュアルワークスでは「はれときどきぶた」が最初くらいの作品だった。もうすぐ放送という記事を書いたっけ。

 「はれときどきぶた」はワタナベシンイチ監督のギャグも冴え渡る異色作で『機動戦艦ナデシコ』のホシノルリを演じた南央美さんが十円安を演じて違う声とか聞かせてくれたっけ。テレビ東京の矢玉アナを起用といった話も聞いたっけ。結局は渡辺美佐さんが声を当てたけど。まさか61話も続くとはなあ。そんな「はれときどきぶた」から始まったSPE・ビジュアルワークスがSME・ビジュアルワークスを経てアニプレックスになった前後、「鋼の錬金術師」をアニメ化して存在感を増す。今や「鬼滅の刃」と「FGO」で業界有数の企業に。その儲けを注ぎ2022年の設立25周年記念に「はれぶた」をBD化して欲しいと願う。

 アニプレックスも巨大になったけどそれに匹敵するくらい巨大化したのがドワンゴか。まだ携帯ゲームを作っていた時代、水天宮にあった会社に川上量生社長を訪ねて取材に行ったっけ。その後にスクウェアから小林宏取締役を招いて社長に就けてしばらく、音沙汰がなかったけど着メロから爆発していく。アニメロってアニメの着メロが受けてそこからアニサマという今も続く世界最大規模のアニソンの祭典へと発展していった、そんな初期からフジサンケイビジネスアイで報じていたけど数年前に取材お断りって言われてしまって縁も切れた。いつもながら弱小は辛いよ。

 あと2007年に当時のプロデューサーが。アニサマで「Generation−A」ってキャッチフレーズを打ち出し「A−POP」と言ったのを先に「A−POP」という言葉を打ち出していた金杉肇さんが気にしたみたいで、だったらと金杉さんへのインタビューを頼まれ明治座あたりに行ったっけ。14年も昔のお話しでした。そしてドワンゴはニコニコを引き入れ。配信分野で一気にトップに躍り出ては自由奔放な企業文化を育み時代を作り、川上量生さんも角川グループのトップに立つ超大物になっていった。アニプレックスは九段下、ドワンゴは水天宮の1フロアから始まって大きくなっていった一方、日本工業新聞は傾きそして消える。盛者必衰の理はいつの世も。

 東京オリンピックで金メダリストが出たら、輩出した地域で郵便ポストを金色に塗って偉績を讃える動きが出ているとか。莫迦でなければ阿呆で阿呆でなければ戯けた所業。ロンドンオリンピックでも似たようなことがやられたそうだけれど、それを真似るのはもっと間抜けな話であってたとえ日本郵便が自腹でやるって言ってもそれは利用者があってなりたっている企業のお金なら、宣伝にもならないことに使われては勿体ないって株主だったら言うんじゃないかなあ。言わない株主が多いから妙な動きがいろいろと出るのか、大着服とか。

 というか金メダルだけっていうのも「参加することに意義がある」とかいう五輪の精神にもとる感じ。銀メダルでも銅メダルでも獲得したらその色に塗るとか、出場したなら五輪色に塗り分けるとかすれば平等性も出る。あとパラリンピックの金メダリストはどうするのか。そちらは偉績をポストで讃えるのに値しないとでも言うのか。何をやっても不平等が目立つ動きを平気で提案できるくらい、世の中のアタマが妙な具合になっているってことなのかも。だいたいシャアは赤いモビルスーツに乗っている時が輝いていて金色の百式の時は目立たなかったぞ、ってあれはクワトロ・バジーナ大佐だから“別腹”か。

 ソフトバンクグループがペッパーの生産に携わる人員を削減するとの方。替わりにペッパーをラインに置いたらロボットがロボットを作る感じでなかなかにシュールで未来的な光景を目の当たりにできたかもしれないけれど、立ってるだけで喋ったり手振りをしたりはあっても掃除をしてくれる訳でもエアコンのスイッチを入れてくれる訳でもないロボットに、飯を食わせておく余裕が世の中からなくなったってことなのかもしれない。ある意味でペット以上に愛玩品だから、景気が悪くなれば用済みとされる。電池切れのペッパーの項垂れた姿とか、悲哀を誘うビジュアルがつたわってくると余計に身近には起きたくないって思えるし。こうして作られず直されないペッパーがどこに行くのか。ペッパーが最後を迎える里へと向かって行進するペッパーたちが、遠からず観られるようになるかもしれない。


【6月28日】 「幼女戦記」だとか「オーバーロード」だとか「Re:ゼロから始める異世界生活」だとか「転生したらスライムだった件」だとか「ソードアート・オンライン」といった異世界転生あるいはVRMMORPGへの没入をテーマとした有名小説から、キャラクターの設定を借りてた登場人物たちが集い殺し合うだか殺されるだかする「チートスレイヤー」って企画がドラゴンエイジって雑誌で始まった時、あのKADOKAWAが出すんだから自分のとこころの作品については作家なり編集への仁義を通し、他者についても一応配慮はした上でスタートさせたものだと思ってた。

 同じKADOKAWA内の異世界転生物を集めた「異世界カルテット」って企画もあるくらいだから、そうしたクロスオーバーも含めてジャンルの隆盛につなげようって意思があるんだ。そう信じていたら意外やまったく話が通っていなかったようで、あちらこちらから非難囂々、異論反論もたっぷり押し寄せ1カ月の寿命でもって連載が中止になってしまった。どうしてこうなったってターニャ・デグレチャフなら慌て叫び出しそうな展開。すでに異世界転生なりを逆手に取るなりテンプレートとするなりした上で、ズラしてパロディ的にとらえる作品だって出ていたりする状況。それを大々的にやったらどうなるかって興味はあったけれど、そこに節度と敬意が欠けていたってことなんだろうなあ。同じグループ内だけに逆にプレッシャーも凄まじそう。担当編集者の将来がちょっと気になります。

 2021年以降の「ANIME」と世界の関係を考える上での示唆を得るべく新宿バルト9で長編アニメーション映画「ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語」を見る。タキシード仮面とセーラームーンが夫婦をやっててそれぞれにイスラムの国となっているサウジアラビアの視点から、旧約聖書における奇跡の物語を語って聞かせつつアフリカから象を連れて乗り込んできた軍団相手にメッカを守って戦いながらも追い詰められた民族が、必死に戦い抜いた果てに得る奇跡を描いて信仰の大切さを誘ってくれていた。

 語られた奇跡はひとつは「ノアの方舟」でもうひとつは「出エジプト記」だけれど残る1つはあれはキリスト教なりユダヤ教の何にあたるんだろう。ソドムとゴモラともバベルの塔とも違ってたけどやっぱり信じる心で暴力と退廃に満ちた世界を生き延びさせていた。見て信仰に向かうかといわれれば日本人にはちょっと縁遠いかもしれないけれど、子供の頃から信仰の中で育ってきた人には改めて示される神の奇跡はやっぱり響くものなのだろう。それをアニメーションという手法でもって伝えられれば今時の若い人でも子供でも、見てハマってしまうかも。

 ハリウッド全盛の時代はそれこそ「ベン・ハー」だとか「十戒」だとかいった宗教がテーマの大作もいくつか作られ、スペクタクルの中に神の奇跡ってやつを見せられた。それを娯楽である一方でアメリカの人たちなんかは信仰の確認にも使っていたならイスラムの人たちが、聖典として認める旧約聖書の奇跡に改めて触れることで信仰への気持ちを引き締めなおすきっかけになるのかもしれない。

 東映アニメーションだけあって作画はスムースだしアフリカから来たたぶん黒人の戦士アブラハは隅々まできっちりと筋肉が行き届いていてとてつもなく強そう。そんな肢体を黒田崇矢さんのボイスが支えているからもう最強。でもそんなアブラハでも巨大な象でも神への信仰の前に屈しては膝をつくのだからやっぱり奇跡は素晴らしいってことで。

 セーラームーンじゃなかった三石琴乃さんが演じる女性が神の奇跡、ムーサ(モーセ)による出エジプトの物語を語る場面は金箔押しの屏風みたいな背景の上に日本画風のテイストをもった砂漠だとか海だとかが描かれていてどことなく平山郁夫さんの絵を思い起こさせた。神話の奇跡を描くうえで他とは違った絵柄にしようとした時に、あえて違った絵柄と技法を載せて深遠さを出そうとしたってことかな。手掛けたアニメーターが知りたいけれど英語のクレジットではちょっと終えなかった。

 デジタル庁とかのボスに収まって日本のデジタル行政を引っ張る気満々の大臣のある意味で稼業ともいえる愛媛県のメディアが積極推進したゲームの時間制限に対して憲法違反だと訴え出た県民に答えて県側が条例によって親権なりを制限することは憲法にある幸福追求権の侵害にあたらないと行って見たりして、デジタル時代にあって時代遅れも甚だしい見解を見せたと思ったら、今度は当のデジタル庁側が、いろいろと毀誉褒貶あて訴えられては損害賠償を命じられながら払わないでいる人物であり、アメリカの陰謀論をある意味で醸成させたとも言える人物から意見を聞いたりするといった具合に、まるで最先端っぽさもセキュリティ的な健康さも感じないところにこの国の、思いつきに思い込みを当てはめ思い上がりを生んで思惑外れの時代を招く傾向がモロ出ていて萎えるのであった。やれやれ。


【6月27日】 ロバート・A・ハインラインのSF小説「夏への扉」を世界で始めて実写映画化した「夏への扉−キミのいる未来へ−」が公開されて、あの名作を日本の映画人が極甘のラブストーリーに変えてしまうんじゃないかといった懸念も上がっていたけれど、見てもらって意外なほどに原作を踏襲していることが分かり、なおかつ現代ならではの、そして映画ならではのアレンジも加えられていることが分かってなかなか好評な様子。今年のベスト映画に挙げてくれている人なんかもいたりして、企画した人も原作を提供した早川書房も配給したアニプレックスもまずは善哉といったところだろう。

 この成功を受けて古典的な海外の名作SFを日本でも映像化する動きが加速するとなった場合、すでにドラマ化されている「アルジャーノンに花束を」は別にして、何が候補となるかと考えた時に例えばクリフォード・D・シマックの「中継ステーション」なんかが、日本の田舎を舞台に宇宙との交流なんかが描かれたらちょっと面白い風景が見られるんじゃないかと思ったり、ゼナ・ヘンダースンの「ピープルシリーズ」が映像化されたら、恩田陸さんの「常野物語」とか「 光の帝国」なんかの元ネタとして評判になったりするのかと思ったりした。いやそれなら「常野物語」や「光の帝国」を映画化するか、「夏への扉」を舞台化した演劇集団キャラメルボックスも舞台化しているし。

 「スラン」とか「虎よ!虎よ!」なんかは超能力物として映像化しやすい感じ。ディックは海外で「ブレードランナー」「トータルリコール」を筆頭にいろいろと映像化されているから今さらといったところか。そういえば同時期にケン・リュウさんの「Arc」が実写映画化されているけれど、こちらの評判はどうなんだろう。原作未読で映画も未見なんだけれど、「夏への扉」の話題性がデカ過ぎて伝わってこないのだった。そうした新し目のものから古目のものまで、海外SFへの注目が集まることでSF全体への関心が高まった先、菅広恵さんの「博物館惑星」あたりが実写映画化なりアニメ映画化されれば嬉しいんだけれど。小川一水さん「天冥の標」シリーズは逆に海外で映画化して欲しいかなあ。

 いよいよ新しい特典の配布が始まったので越谷レイクタウンまで「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見に行く。最大規模のスクリーンでの上映ながらそこそこの観客が入っているあたりに未だ人気が持続している凄さを感じる。けっしておまけが欲しいから何度も通っている観客じゃないものなあ、そういう人たちは。ちなみに今回はシークレットとなったミニポスター、渚カヲルのものもあったけど無事に目的の真希波・マリ・イラストリアスを引けて運の良さを確認する。これでカオルだと15度目を見に行かなくちゃいけないところだった。まあでももう1度くらいドルビーシネマで見たい気もしているので、ちりあえずカヲル目当てって理由を付けて行くってのもありか。

 今回は最後まで起きていられたんで「3.0+1.01」の追加部分を全般について確認することができたというか、確認できた気になれた。アスカとマリが出撃前にシンジのところに立ち寄る場面、無重力のヴンダー内を移動するときのプラグスーツの色味が、通常バージョンだとくっきりと白かったのが追加バージョンでは周辺に合わせて暗めにされているようだった。予告編なんかでくっきりとした白味が目に飛び込んで心をくすぐられただけに割と分かった。そっちが良いと言えば言えるけれど、でも馴染んでないなら仕方が無いか。

 あとはやっぱりバトルシーンでの効果マシマシといったあたりか。2番艦からヴンダーへとビームが発射された際に、ATフィールドがちょっとだけくいとめたおもの突破されぶち当たる場面とか、やっぱり手が加わっているよなあ。そうしたことを改めて再確認する上でもドルビーシネマに行くしかないか、って観たい理由をどんどんと後付けしている。まあ何度観たって好きなものは飽きないから良いのだ。ちなみにこれだけ観ても1度も上映中にトイレに行っていない。事前にしっかり予防していることもあるけれど、気にさせないくらいに内容が充実している現れでもあるかな。100億円に行くか行かないかってあたりで上積みに貢献してこようかな。

 休刊となる6月30日まで残り3日となったフジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞)ではAnimeJapanにとってかわられた東京国際アニメフェアを第1回の新世紀東京国際アニメフェア21の頃から欠かさず取材して記事を掲載。ネットでの情報も少なかった初期においてオーソライズされた報道記録となっている。新世紀東京国際アニメフェア21の頃はアニメスタジオが小ぢんまりとしたブースを出しててそこでボンズの南正彦社長やSTUDIO4℃の田中栄子社長とお話した記憶。2003年は「アニメ感想文コンテスト」が開かれて藤津亮太氏が最優秀賞を受賞したのを現場で見たけど記事にしたかは覚えていない。したかな?

 「ハチミツとクローバー」から始まった「ノイタミナ」の発表会見とか。「時をかける少女」「サマーウォーズ」という細田守監督作品の発表会見は記事にした記憶。クリエイターズワールドに出ていたロマのフ比嘉さんも多分記事に拾っているけど、縮刷版がないから見たくても見られないのだった。後世、新聞メディアによるポップカルチャー報道なる研究が行われたとして、おそらく歴史からオミットされるだろう日本工業新聞=フジサンケイビジネスアイにおける報道の存在について、ここに証言したところでSNS自体が永遠のメディアではないので、10年後には忘れ去られているだろう。弱小は辛いよ。


【6月26日】 トヨエツだトヨエツだ、生豊川悦司さんが観られるというのでグランドシネマサンシャインで開かれた映画「いとみち」の舞台挨拶に朝から出向く。映画はすでに昨日1回観ているけれども1度目だとどうしても奥手な相馬いとのなかなか自分を表現できないところにムズムズしてしまったり、メイドたちのメイドならではの仕草にキュンキュンしてしまったりして落ち着かなかったら、そうした表現をストーリーの中でいったん消化し全体像を把握できる2度目はそれぞれのシーンの意味なんかを考えながら観ることができた。

 どこか唐突な青森大空襲に関する言及は、この前弘前に行った時に見た弘前れんが倉庫美術館が会場だってことはともかくとして、決して戦争の悲惨さを映画に交えて訴えたいってことではなく、過去にもいとのような女子高生たちが青森にいたことを示しつつ、ああいった行事を通していとが同級生の早苗に声をかけるきっかけを与え、近づけさせては後半の、いとが何か自分でも出来ることはないかと考え、三味線をメイド喫茶で演奏する道を開いた。

 いとが友人の家に行くと言って出てから入った図書館で、居眠りしていた時に見た夢はすでにいとの母親が他界していることを分からせるシーンになっていたし、冒頭の道に関するあれは太宰治か誰かの文章の朗読は、終わりの場面でいとが父親と登る岩木山のガレ場のように石が並んだ登山ルートと重なって、いとが色々な経験を通して歩き登ってきた道があること、そしてまだまだ先があることを感じさせてくれていた。そうした細やかな構成と編集の上に個々の役者さんたちの演技があって、それを演出する監督の支持もあって1本の映画として完成する。いらないシーンなんてないんだなあ、ってことをそういえば「映画大好きポンポさん」から教わったばかり。観るほどに勉強になりそうな映画かもしれない。

 2度目の鑑賞だと豊川悦司さんが驚きを感じた経験としてあげていた、いととばっちゃが三味線を2人で弾くシーンはソロでいとが弾くシーンにも増して感動的。西川洋子さんの棹を手が自由に行き来しては滑らかに弦を抑えて音を出す演奏はさすがといったところだけれど、そんな西川さんにきっちりとついて音を合わせる駒井さんも素晴らしい。9カ月間もみっちり練習したということだけれど、逆に言うなら9カ月練習すれば三味線の名人と並んで弾けるくらいになるのかどうか、そこは駒井さんの才能もあったのかどうか、ちょっと気になった。かといって買って練習するわけにもいかないからなあ、サイレント三味線なんてあるんだろうか。

 日本橋三越で『鈴木英人展〜月と太陽の調べ〜』を観る。冬の横浜よりは店数が増えていて賑わいもなかなかに結構なもの。基本はシルクスクリーンの版画だけれど鈴木英人さんらしいくっきりとしてピーカンな風景に車だとか海だとかヨットだとか楽器だとかいったモチーフが描かれて居る絵はやっぱり心に響くものがある。達郎さんのアルバムだとかFM STATIONの表紙だとかでずっと観てきた世代なだけに、記憶が刺激されるってのもあるのかなあ。

 往時のPANTONEによる作画とは違って細密さも増している感じ。PANTONEは線画に色のトーンを切り抜いて張っていく手作業の集大成で、ムラのない発色に優れた絵が出来上がるんだけれどいかんせん手作業だから細かいモチーフを並べると作業が大変になる。色味も膨大になってそれを統御するのも大変そう。鈴木英人さんはそれを結構なサイズの絵でやり遂げていて、そんなオリジナルも飾ってあって400万円とかいった値段がついていたけど、1点ものだと考えるならまあ妥当な値段だろう。

 「45 GREYHOUND STATION」という作品はそのPANTONEによるオリジナルと、リトグラフによる版画の両方が展示されていて比べて観ると看板の部分はオリジナルは鮮やかさを残した濃紺なのに対してリトグラフは暗めにくすんだ灰色っぽい色になってしまっている。窓の上に走るラインもリトグラフだと黒い線になっているけどPANTONEのオリジナルはもうちょっと薄めのグレー。そうしたニュアンスがリトグラフだとうまく出ないのかもしれない。かといってシルクスクリーンは版画というより印刷だから色味は良くても希少性は劣る。版画といえどもリトグラフは1つの作品として観るのが良いのかもしれない。

 オリジナルだと100万円くらいのもあったから買えないこともなさそうだけれども買って置く場所もないし、別の現代アートの方が作家を育てるという意味合いもあるからそっちにしたいものの現状、そっちに振り向ける余裕はないのだった。100万円あったらバイクの免許を買って110CCのカブ買うか。シルクスクリーンの版画はEDが250くらいまでありそうでそれはちょっと多いかなあ、ほとんどポスターじゃんといった感じ。でも値段がそれなりにお手頃だから売れていた。そういうものか。

 鈴木英人さんが描くピーカンな風景は間もなく公開されるアニメ映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」なんかの世界ととても近いところがあるので映画を観る前に観ておくといろいろと感じ取れるところがあるかも。映画はあと新版画の吉田博とか川瀬巴水の影響があるそうなのでそれらも含めて要チェック。ここに来て新型コロナウイルス感染症の感染者数がリバウンド気味なんで、7月後半にかけてまたぞろ緊急事態となってオリンピックもろとも封印なんてことになったらタマらないのでオリンピックはともかく映画の公開は是非に。

 経済産業省の28歳のキャリア官僚が新型コロナウイルス感染症のパンデミックにともない実行された事業者向けの給付金を、幽霊会社めいたものを作ってガメて逮捕されたってニュースの凄まじいまでの腐敗ぶりに、それが個々人の資質だとはいってもそうした資質の者を2人も採用してしまう経産省のヌけっぷりが感じられて気が滅入る。あるいは内閣総理大臣を筆頭に国会議員があれやこれや悪い事をしでかしても、言い抜けて言い逃れて咎められない風潮が、官僚にまで染み渡った証かもしれないけれど、そこはもうちょっと国のためだといった矜持を保っていて欲しかった。本当に2人の暴走なのかそれとも指南している誰かがいるのか。調査が待たれる。


【6月25日】 惜しまれつつ報じられつつリンゴ日報が廃刊へと追い込まれる一方で、顧みられず噂にすらならないまま来週水曜日の6月30日には休刊となるフジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞)を、自分くらいは偲ぼうと振り返る。過去の取材相手で珍しいところだと、デビューしたての三浦しをんさんがいるかなあ。作家エージェントのボイルドエッグズでエッセイを書きつつ、デビュー作「格闘する者に〇」を書き上げた三浦しをんさんが村上達朗さんとともに大手町に来てくれたことがあった。

 その時にお目にかかって出来立ての著書を頂いたので、日本工業新聞に書評を載せたって。縮刷版とかないから図書館に行って読もうとしても読み返せないのが残念だけれど、国会図書館あたりにはあるかもしれない。ないかもしれない。まあ新聞記事なんて消え物だからしょうがないけれど、それでも将来において大文豪となった三浦しをんさんの来歴を振り返る人がいたら、探してみてはいかがと言っておこう。ちなみにその際に著書にはサインを頂戴したけどそれが三浦しをんさんの初サインだったはず。今や直木賞作家となった三浦しをんさんのデビュー時に、少しだけでも貢献できたのなら日本工業新聞、たとえ潰れたとしても個人的には本望か。そう思わないとやってられないってのもあるけれど。

 映画「夏への扉−キミのいる未来へ−」が公開となって紹介記事なんかも出て来ているけれど、ロバート・A・ハイラインの原作も含めて世の中にこの作品の面白さを紹介しようとした時に、考えるのが果たしてどこまで仕掛けを明かしてよいものかといったところ。ストーリー展開と言い換えてもいい。例えばネコのピートが夏への扉を探している、っていうのは「夏への扉」というタイトルにも関わることだから外せないとして、主人公が財産を取りあげられ裏切られ、ボロボロになった挙げ句にコールドスリープで30年後の未来に行く、っていうのは大丈夫だろうか。それ自体に仕掛けはなく一種の前提だから認めて貰えるかもしれない。

 だったら、そんな逆境から主人公が大逆転を果たした方法は、ってところで安易に明かしてしまうと展開の先をバラしたって言われてしまいそうでちょっと迷う。あるいは××ものといった具合にSF的なアイデアでジャンルの中のカテゴリーを示してしまうこともネタバレに繋がりかねないだけに慎重を期したいところ。とはいえ世間にはドクがデロリアンな映画もあってそうした設定を公然とした上で、何が起こるかを楽しみたい人もいたりするから明かして悪い訳ではないといった思いもある。難しいけれどもとりあえず自分はそうしたネタは割らずに映画の魅力をとりあえず記事にする。伝わったかなあ、面白さ。

 映画についてはとっくの昔に試写で観てはいたけれど、改めて原作を読んで思っていた以上に映画は原作を踏襲していたことが分かった。11歳のリッキーを女子高生にして清原果耶さんが演じるようにしたところとか、発明家のおっさんの現状とかいろいろいじってあったりしたけれど、それが原作をスポイルするものではなくむしろハラハラ感を高めてくれる役割を果たしていたようだから個人的には大丈夫、世間的にも意外と原作を踏襲しつつ良いアレンジが為されていたって評判が立っていた。

 何よりピートの存在。これがあったからちょっとしたおかしみとギュッと心を掴まれる冒険を楽しめた。何だって、あの猫のピートが冒険するの? それって改編じゃんと言う勿れ。ネコのピートはピートで原作通りに動きます。だったらピートって何? それこそ見てのお楽しみ、って言っても配役で既に露見していたりするんだよなあ。インタビューも出ていてすっかり何を演じるかが露呈しているし。まあでもそうしたものを見ていない人は、気にせず映画を観に行って下さいな。そして原作も読んで下さいな。福島正実さんによる訳語でずっと話題になっていた<文化女中器>が今は<ハイヤーガール>になっているって驚きも味わえるから。

 映画といえば越谷オサムさんの小説を横浜聡子さんが全編青森ロケで映画化した「いとみち」もいよいよ全国公開。舞台挨拶付きのチケットもとってあったけれど、「夏への扉−キミがいる未来へ−」の舞台挨拶抽選に外れて夕方が空いたこともあったんで、封切館の新宿武蔵野館へと公開初日を見に向かう。途中で新宿紀伊國屋にあるスパゲティ屋さんのジンジンに入ろうかなあ、ここも7月15日で閉まっちゃうからと地下のレストラン街を覗いたら、いつも行列のモンスナックがガラガラだったんで入って先日に引き続いて名物のカツカレーを味わう。やっぱり美味しい。これを食べられなくなるのは寂しいんで煮たシステムで回せる店を近隣に是非に。何軒もあるゴーゴーカレーが1軒譲ったらとか思ったり。

 さて「いとみち」だけれど原作の解説を手がけてかれこれ8年、ストーリーについてはしっかり覚えていたけれど、設定とか揺らいでいたので相馬いとの父親は映画で豊川悦司さんが演じたように東京から来て地元の女性と結婚して居着いた学者かと思っていたら、原作はずっと地元にいて東京から来た女性と結婚をしていとをもうけたものの妻を亡くしたって設定になっていたらしい。映画をそうした原作と替えたことで同じ家族だけれど妻をなくした婿養子的な外様的雰囲気を漂わせつつ、それでも今の地元となった津軽を慈しんで学問に励み、伝承の収集に頑張っている学者であり、娘のために良い父親であろうとする優しさが漂う人物になっていた。

 一方の相馬いとは身長こそ演じた駒井蓮さんに合わせて長身になっていたものの、性格は奥手で臆病で引っ込み思案で口べたという部分が原作そのまま。そんな自分を変えなきゃって思いもあってか、青森にあるメイド喫茶で働くことにしたものの強烈な津軽弁で「おかえりなさいませ、ごしゅじんさま」が言えず苦労するといった設定も原作のまま。それが実際にスクリーンの中で演じられると、ヒロインの気恥ずかしさが伝わって観客席で身もだえしたくなる。初見だったのでなおのことキュンキュンとさせられた。

 もっとも、事件があって家族との関係もぎくしゃくした果てにいとがある決断をして、自分から何かをしようと動き始める展開までくると、いっしょになって頑張っていこうって気にさせられる。そして圧巻のクライマックス。小説でも映像で観たかった一方で、映像では観られないだろうなあといったシーンがしっかり再現されていた。頑張ったなあ、駒井蓮さん。その頑張りの成果を見に行くだけでも価値がある映画です。明日は2度目だ。


【6月24日】 是々非々を論じるならば、立憲君主制であり象徴天皇制のこの国で、政治的な権限の一切を持たない天皇陛下のご意向、そのものがこの国の政治なりに影響を及ぼして、政策を変更させることがあってはならないのだけれど、一方で伝承としては2600年以上も続く皇室によって、ひとつにまとまっているこの国において慕い敬って耳を傾けるのがガバナンスを超えたところでの身の処し方といった考え方もできる。そんな国において天皇陛下に側近中の側近ともいえる宮内庁長官が、拝察という表現で天皇陛下が東京オリンピック/パラリンピックの開催で新型コロナウイルス感染症が拡大することを懸念しているのではないかと発言したことを、どう受け止めどう行動するかは一種教養であり、道徳の範疇で大切な事なんじゃなかろうか。

 先の大戦への反省からこの国では天皇陛下を象徴として一切の政治的な権限を持たせていないし、天皇陛下ご自身もそうした権限を直接敵に振るうことは考えていない。とはいえ一国の象徴として、あるいは長くこの国を統べてきた皇室の長として国と国民を考えた上で某かの思いを抱くことは当然ある。あるけれどもそれを直接的な影響力のある形で外に出せない時に、側近がそのご意向を拝察するという形で外に対して披露した。

 そうした段取りがあって建前があることを報道の人は知っているし、宮内庁も分かっているからある意味で阿吽の呼吸からそうした見解の拝察を報じて、オリンピックに対するひとつのベクトルを指し示そうとした。それは政府だって分かっているだろうから、以前だったらそうしたご意向が内々に伝わった段階である程度の譲歩なり忖度なりを行って政治を行ってきたんだろう。そうしなければ政治に影響力を持つ国士の人たちが政治の重鎮たちを聡し諫めてこの国のあり方を問い直させただろう。けれどもいつの頃から天皇陛下の政治的な発言は御法度といった建前を掲げて、それは宮内庁長官の思いに過ぎないんじゃないのと官房長官が会見で言ってのけた。

 これでぐぬうとなったところで天皇陛下が憤りすら見せる訳にはいかないけれど、宮内庁長官が勝手に天皇の気持ちを言っただけなら不敬も不敬、即座に撤回するところを改める必要はないとしているならばやっぱりそこには高度な意思の疎通があるんだろう。それを蔑ろにできる政治を支持して、錦の御旗の大元を誹るライティな人たちが存在する捻れ具合が、ある種の教養なり共通認識の廃れた現代の荒れっぷりを感じさせる。こうまで虚仮にされて宮内庁からの反撃はあるか。展開が気になる。

 谷口悟朗監督の「バック・アロウ」の最終回を配信で見る。壁に囲まれた世界の秘密がだんだんと明らかにされていって、遂にひとりの赤ん坊を守るために小さな宇宙が幾つも作られそこに生きる者たちの信念を養分として吸い取っていたことが判明。リンガ・リンドもそんな小さな宇宙のひとつだったけれど、時に強い信念を持つものが現れ悪さをすることがあるらしく、芽を摘む意味でもルドルフのような神の使いが送り込まれたり、バック・アロウのような滅びの使者が送り込まれたりするみたい。

 でもリンガ・リンドはそれまでの滅ぼされた他の宇宙とは違って、自分たちで生き抜く意志を持ってリンガ・リンドの外へと出ては宇宙の果てにいる赤ん坊に会いに行くっていう展開で終わりを迎えた。同じ中島かずきさんの脚本による「天元突破グレンラガン」だと、宇宙がどこまでもエスカレーションしていく面白さにあふれて最後はあまりのスケールの突拍子のなさに笑いすら出たけれど、「バック・アロウ」は始まりを微少にすることでようやく人並みのスケールへとたどり着いた。そこからさらに「グレンラガン」的なスケールへと発展してったら、最初と最後でどれだけの倍率があるんだろうか。気になるなあ。いずれにしてもだんだんと規模が膨れあがっていく中で、人の思いと力も強まり限界を突破させる展開は見ていて心地良い。今度はどんな爆発を見せてくれるかな。中島さんの脚本に期待しよう。

 10冊目となる解説仕事がようやく刊行。あの「しゃばけ」シリーズの畠中恵さんによるシリーズ第18弾「てんげんつう」の文庫解説というから、累計900万部のシリーズの一角を担ったことになって、なかなかに緊張を要するお仕事でありました。畠中さんは前に「さくら聖・咲く 佐倉聖の事件簿」の解説を担当したこともあるから2回目になるけれど、その時に増して緊張したのは、シリーズの途中の解説となるから過去作を並べるだけでは二番煎じになってしまから。なのでちょっと捻ったりもしたけれど、それが不快感を与えていないかがちょっと不安。お気に召さなくてもトウシロの戯れ言と許して下さい。

 そんな「てんげんつう」の文庫版発売と同時に帯で明らかにされた「しゃばけ」シリーズのスペシャルアニメ制作。監督が「劇場版 夏目友人帳」の伊藤秀樹さんで制作を「夏目友人帳」の朱夏が担当するから、まるで江戸時代版「夏目友人帳」みたいなるなあと思ったら、発表されたスチルがどことなく「夏目友人帳」のテイストを醸し出していた。もちろん先に世に出たのは「しゃばけ」でそちらで描かれた妖たちとの戯れが「夏目友人帳」にも発展していくといった指摘を、解説でもしていただけにこの座組はちょっと嬉しい。声優も豪華で「呪術廻戦」の虎杖悠仁役で目下大人気の榎木淳弥さんが若だんなを担当、そして両脇を固める仁吉を内山昂輝さん、佐助を阿座上洋平さんといった面々が演じる。このままテレビシリーズへ、あるいは映画へと期待したくなるけれど、とりあえず3分のスペシャルアニメになるそう。どんな世界を見せてくれるかな。期待大。


【6月23日】 池袋のグランドシネマサンシャインで26日に行われる映画「いとみち」の舞台挨拶回のチケットをどうにか確保。比較的前目がとれて良かった。舞台挨拶には主役を演じる駒井蓮さんに加えて豊川悦司さんや古坂大魔王さん、ジョナゴールドさんといった面々がずらり登壇する予定で、その後に行われる渋谷のユーロスペースや新宿武蔵野館に比べてぐっと多くてオフィシャルな感じなんで、やっぱり見ておきたかったのだった。キネマ旬報のレビューで星4つの人がいたり、シネマトゥデイのレビューでも星4つの人が並んだりしてなかなかに好評。横浜聡子さんの作品は始めてだけれど、これは期待できそうなんで楽しみに待とう。って思ったけれど新宿武蔵野館で豪華関連グッズがもらえる上映があるみたいなんで、公開日の25日にも行くことに。2度見ても足りない良い映画なんで構わないのだ。

 ちょっと前に妊娠の兆候が見えるって報道があった上野動物園のパンダのシンシンが早くも2頭の子供パンダを生んだとか。4年前のシャンシャン誕生の時は上野中が湧いてアメ横あたりの店なんかでもパンダのぬいぐるみを売ったりTシャツを売ったりしてお祝いしていたけれど、これだけ急な展開に加えて新型コロナウイルス感染症による自粛も続く中、どれだけの賑わいが上野にあるのかちょっと興味。まああそこは緊急事態宣言下でも道路にはみ出たテーブルで客がマスクもしないで会話をしていたくらいだから、店主たちも派手に祝って客を呼び込もうとしているかも。週末に時間ができたら歩いてくるか。

 コロナによる自粛ではお台場にある大江戸温泉物語が9月で閉鎖になるとか。どうやら東京都から借りている土地での営業で、借地の期限が切れて延長を求めても認められず更地にして返さなくてはなったとか。コロナ騒動の前は東京でも気軽に出かけられる温泉であって江戸情緒も味わえるスポットとして外国からの観光客にも人気だった場所。オリンピックの開催に合わせて大いに盛り上がるはずだったけれどこうなっては選手も関係者も観戦客も足を伸ばすわけにはいかないだろう。それでも回復すればそれなりのインバウンドを期待出来る施設を、とっとと潰すのはなんでだろう。跡地に具体的な計画でもあるんだろうか。叶えられるとしたらカジノを中心としたIRだろうけど、それも今の状況では立ち上がらないだろうから築地と同様に空き地となりそう。東京の名所をそうやって潰して何がしたいんだろう東京都。

 ジャーナリストの立花隆さんが死去。「田中角栄研究」でもって田中の金脈問題を追いかけ退陣へと追い込み、そしてロッキード事件の発覚でもって田中角栄の表向きの政治声明に終止符を打たせるに至らせた人で、共産党の研究だとかもしながらそのうち脳だとか宇宙だとかいった分野にも関心を広げては、トンデモと言われない成果を出してそれなりに評価を得ていた。どこかにあるというネコビルにはぎっしりと本が詰まっているといった話も聞いたっけ。そんなジャーナリストでもやっぱり老いるし寿命も来る。それがこの政治が混迷を極めて横暴に走った今でなくてもいう気がしないでもない。その筆が健在なら安倍政権でも菅政権でも何かを突き刺してくれたんじゃないかなあ。筑紫哲也さんといい時代が必要とするジャーナリストがいなくなる。あるいはいなくなったからこそ時代がこうなってしまったのか。寂しがってはいられないなあ。

 さすがは自由の国、アメリカ合衆国の大統領だよジョン・バイデン。先に女子サッカーの横山久美選手が自分の性的自認は男性っであることをカミングアウトしてちょっと話題になっていたのに続いて、アメリカンフットボールのプロリーグ、NFLに所属するカール・ナシブ選手が同性愛者であることをカミングアウトしたことについて2人に激励のメッセージを送り、これからの子供たちにとって勇気を与えると称えていた。すぐにこういうツイートができるところが日本の金メダリストに当たり前の称賛を送るのが関の山の前総理とかとは大きな違い。社会的政治的に重要な事象に対してポジションを示し、世の中に対してメッセージを送るSNSの使い方をしているのは、誰か有能な顧問がいるのかそれとも自身がそれを当然と考えているのか。真似したくてもできない日本とは差が広がる一方だなあ。

 今回の件でいうなら横山選手は他の国でもトランスジェンダーの女子サッカー選手がいたり、レズビアンであることをカミングアウトする女子サッカー選手がいたりする状況では比較的、世間も受け入れやすい話だったけれどもNFLの現役選手が同性愛をカミングアウトするのは、過去に例がないだけに大きく話が広がっていきそう。決して過去にそうした人がいなかった訳ではないけれど、現役ではなかったり契約が更新されなかったりいて表舞台に立った状態でそうした人間であることをアピールできなかった。というかマッチョなスピリッツに充ち満ちたアメフットの世界ではどこか忌避され差別される存在と見なされがちだっただけに、勇気がある行動だって大統領が讃えるのもよく分かる。これを集団として受け入れるか否か、それとも影でやっぱり今までのようなことが起こるのか。大きな岐路に立たされている。


【6月22日】 キタロー系女子って何だそりゃ、シンセサイザーでシルクロードでも奏でるのかって思ったら鬼太郎系だった最東対地さんの「カイタン 怪談師りん」(集英社オレンジ文庫)の主人公。全体に細くて男の子っぽい上に黒い服を好んで着て、そして髪が片方の目を隠しているスタイルからそう呼ばれているそうで、本人も自覚があって阪神タイガース柄のベストでも着ればそっくりだって思って入る。だったら改めるかというとそのままだったりするのは何かポリシーがあるのか。何者かに連れ去られてしまった妹を取り戻すにはその格好が相応しいと考えているのか。

 そう、かつて戸鳴りんにはえつという名の妹がいたけれど、お坊さんから【シャバネ】というものに関する怖い話を聞いたあと、それを言ってはいけないと言われていたいにも関わらず、姉のりんの前で喋ってしまってその場で消えてしまった。おまけに家族の誰もえつという妹がいたことを覚えておらず、それどころか存在した痕跡まで消えてしまっていた。残ったのは手鏡だけ。そしてりんの中にある記憶だけ。存在すら消されてしまった妹を求めてりんは怪談の収拾に向かうことにして、そこに霊感が強い真加部丹葉という少年が付き添ってあちこちの怪奇スポットに通うようになった。

 間に入っているのが怪カリスマ怪談師の馬代融。シニカルさが禍して一時良く出ていたテレビ番組からも干されて、知人の酒場で開かれる怪談の会を開いていたところ、りんが聞きに来てそこでキタロー系JK怪談師がいれば事務所を盛り上げられると考えたのか、りんを持っていた【シャバネ】の知識で誘いつつ一方で各地の怪談蒐集に向かわせた。そして行く先々で起こる怪事件。愛人によって作家が殺害されたという旅館などを訪ねて怪異を鎮めていく展開の中で残された手鏡が不思議な力を発揮する。いったい何なのだ。そしてえつとの再会はかなうのか。馬代が普通の怪談師なのか別の正体があるのか判然としないけれど、りんは確実に怪異に巻き込まれている。それはどういう理由からか。JK怪談師としてデビューしつつ全国を訪ね歩いて得た怪談を語りつつ、真相にたどり着く時まで付き合っていこう。

 朝からアサヒビールが大人気。いや逆か。東京オリンピック/パラリンピックの競技場に1万人まで観客を入れる上に関係者や小学生の動員はカウントしないという無様なロジックを繰り出し非難囂々の組織委員会が、今度は市中でも提供が制限されている酒類を五輪の競技場などで提供することを決めるといった報が流れて、いろいろなところから異論が出てはスポンサーとなっているアサヒビールに批判の矛先が向かった感じ。もうアサヒビールは飲まないとか。個人的にはスーパードライも嫌いじゃないけど最近はサッポロのノンアルコールばかり呑んでいるので脱アサヒ済みではあるものの、そうした動きがこれで加速化するといった見方もあってアサヒビールも何をどう言えば良いか迷っていた感じ。

 自分たちで言える立場にないってそりゃあそうで、組織委員会が売ってと言えば業者として納品しないという訳にはいかない。逆に組織委員会側が売るなと言えば大手を振って酒類は販売しませんと言えるだけにイニシアティブは完全の組織印会側にあるにも関わらず、丸川五輪相あたりがステークホルダーのことも考えないとといってアサヒビールの側が何か頼んだように仄めかすからさらに批判は膨らんだ。結局、夜になって提供しない方向でって話になって来たみたいだけれど、海外から来るお客さま相手に提供をってIOCが求めて来たら、観客の上限無効化と同様にいろいろな手段で提供へと転がるんだろうなあ。10%以下は酒類ではないとか言い出して。それで酒税が取れないなら別の言い方、軽アル税とか言って0.5%の「アサヒ ビアリー」にも税金をかけて来るんだ。

 いちおう全国向けに発行されている日本新聞協会加盟社の媒体としては異例とも言える休刊まで残り10日となったけれどまるで騒がれてないフジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞)では、今敏監督インタビューとかプロダクション・アイジーの石川光久社長インタビューとかアニメ絡みのインタビュー記事を色々書いたなあ。新海誠監督だと「秒速5センチメートル」の頃に最初のインタビューとかやったっけ。「新世紀エヴァンゲリオン」に関しては、映画化の発表会見とか渋谷公会堂での完成披露会とかDVDの発売告知とかいろいろ書いたし、「GHOST in THE SHELL/攻殻機動隊」だとアニメ映画化の話を書いた。一般紙がそうしたアニメ関係の記事を載せなかった時代から、先駆けてやっては来たけれども紙面自体がなくなってから、後を追うようにして一般紙が書くようになって人気記事化している。やっぱり何をやるにも早すぎる自分。そうした記事も縮刷版がないから容易には見られない彼方へと雲散霧消していくのだった。合掌。

 学長の解任問題が起こっている旭川医科大学で取材に来ていた北海道新聞の記者が取り押さえられたとか。国立大学法人であっても独立した学校法人という意味では公有地とは言い切れず、住居や建造物への侵入にあたるけれども、一方で国立大学という公共財における不正行為も絡んでいる問題に対して取材を申し込もうとしている最中だったとしたら、追い出す前に取り押さえてしまうのはちょっと先走りのような気もする。セールスだっていろいろ入ってくるだろうし、他学校の学生だって出入りもしているだろう中、恣意性が過ぎる私人逮捕はいわゆる大学の自治って奴を毀損しかねない。都合が悪い場合は学校だって警察を入れたがらないのに、こういう時はさっさと突き出す二枚腰にもモヤモヤする。報道の自由にも関わる問題だけに、報道側がどういった結束を見るか。見守りたい。


【6月21日】 「西暦2021年、東京五輪開催に追い詰められた日本国政府は、閣議決定に基づき五輪時特別治安維持法を施行、五輪スポンサーや競技の関係者以外を雑民と認定して市民権を剥奪した。五輪会場には雑民を動員して見切れ席や屋根のない席を埋めさせながら人間として数えず、満席に見せつつ観客は1万人を維持した」的なことが起こりそうというか、すでに起こりかけている東京五輪の観客制限曖昧化。庶民の人権を剥奪する方向ではなく関係者を特別扱いして観客として数えない方向で、1万人という制限をすり抜けようとしている。

 そうやって数字の上、あるいは帳簿の上では1万人しか入っていないと世間には訴えたところで、ウイルスがそんな区別をするはずもなく等しく密となった観客席の人たちに変異株は降りかかり、感染を招いてパンデミックへと至るのだろう。そうなろうとも大前提が東京オリンピックを開催することであって、それさえクリアできれば後は焼け野原になろうと世界が沈もうとIOCにはまるで関係のない話だし、官邸にも庶民の間で新型コロナウイルス感染症が流行しようと自分たちさえ罹らなければ知らない振りをして逃げる気なんだろう。そうやって自分たちが逃れると思って入るところが甘いのだ。現に現職の国会議員が亡くなっていたりする訳だし。

 ゴールラインをどんどんと切り下げるのは観客数に限らずアメニティの部分でも進みそう。IOCが選手村へのウーバーイーツを使った配達を求めていくとか。いやいやアスリートなんだから取り寄せた飲食物にドーピングの原因物質でも入っていたら大変だろうから、チーム帯同の料理人が作ったものしか食べないようにするはずなのにどうしてウーバーイーツが出てくるんだろう。もしかしたら役員だとかがフランス料理なりイタリア料理を取り寄せたいとでも思ったんだろうか。そうやって日本のウーバーイーツを舐めていると、バーチャルレストランに引っかかってなんちゃってフランス料理が届くから覚悟しろ。しかし次は銀座原宿秋葉原に乙女ロードに買い物に行きたいから庶民を閉め出し貸し切りにしろとか言い出すんだろうなあ。やれやれ。

 女子サッカーのアメリカにあるプロチーム、ワシントン・スピリッツに所属している横山久美選手が自分は性自認的には男性だということを永里憂希選手によるインタビュー動画でカミングアウト。同じ女子サッカーだと浦和レイナス(現三菱重工浦和レッズレディース)の発足にも関わった元日本代表の水間早百合選手が同じように性自認は男性だったことを告白し、「女に生まれて男で生きて 女子サッカー元日本代表エースストライカーと性同一性障害」という本を出しているけれど、現役でもしかしたら今後もなでしこジャパンに戻って来る可能性のあるトッププレイヤーが、カミングアウトしたのはちょっと珍しいかもしれない。

 性自認としての自分の男性性は自覚しそれを貫く意志も持ってはいるけれど、一方でアスリートとして現状の活動の場を女子サッカーに置いている以上はドーピングの可能性もある男性ホルモンの接種は控えてあくまで肉体的には女性のままであることを保とうとしている。本当はそれすらも辛いところなんだろうけれど、周囲の期待もあるしサッカーに打ち込める場として選んだフィールドへの自覚もあって耐えている姿には拍手を送りたくなる。

 実力は充分なのでいつかの6人抜きのような素晴らしい突破と、圧倒的な決定力をまたなでしこジャパンで見せてもらいたいし、帰国してWEリーグに所属することがあったらAC長野パルセイロ・レディースに復帰して大活躍を見せては日本のサッカー女子の憧れになって欲しい。その活躍からLGBTへの理解も深まればなお結構なことだけれど、開放的でレズビアンであろうとトランスジェンダーであろうとアスリートとしての実力があるならそれはそれで存分に発揮して貰えれば構わない海外と違って、やっぱりいろいろと勘ぐったりしてしまうのがこの国の性質。鬱陶しいこともあるだろうし悪意にもさらされるかもしれないけれど、逆に強く応援している人もいると思って頑張って欲しい。待ってます。

 部隊挨拶の中継があるってんで新宿バルト9へと出向いて映画「劇場版七つの滞在 光に呪われし者たち」を公開より一足早く見る。って言っても「十戒編」に入ってから原作漫画の方もほとんど読んでおらずエリザベスがただのお姫さまからどうして空を飛ぶ天使になっているのかとか分からないし、舞台挨拶の途中で梶裕貴さんの口から出たゼルドリスというキャラクターにすぐピンとは来なかったけれど、見始めてどうやら魔神族を相手の戦いにも決着がついて魔神王が倒されたあとを収め始めたのがメリオダスの弟のゼルドリスで、声も梶裕貴さんがちょっと声音を替えつつ演じているってことが分かった後は、だいたいの展開も理解ができた。

 人間と女神族と妖精族、巨人族が魔神族と争った「聖戦」に決着がついて平穏が戻った世界で、メリオダスはエリザベスと旅をしていてそこにゼルドリスもゲルダとともに旅をしていたのに行き当たったけれど、そんなゼルドリスが留守にしている魔神族の世界が襲われ大変な被害が出た。一方でいよいよ結婚することになった妖精王のキングと巨人族のディアンヌだったけれど、結婚式の場に何者かに操られた巨人族と妖精属が襲撃をかけてきて大混乱。それは世界中で起こっていて七つの滞在や妖精族、巨人族、魔神族が狙われた。誰が何を企んでいるのか、ってところが映画のメインストーリー。

 そして本当の最終決戦へとなだれ込んでいくんだけれど、そんな戦いではメリオダスのやっぱりな強さが発揮されて見ていて圧巻。あとはヴァンがやっぱり不死身なだけあって強いのと、ディアンヌが可愛い上に強いといったところを見せてくれて初期の頃、そんな2人の戦いぶりを見ていた記憶が甦って懐かしくなった。ディアンヌは近年の少年漫画誌において屈指の可愛らしさを誇る少女キャラだよなあ。異論は認めるけれども認めない。そんな展開の中に一人、エスカノールが加わってないのはそうか、聖戦の中で死んでいたのか。ちょっと勿体ない感じ。でも復活とかはないんだなあ。世界は無慈悲。とりあえずこれにて「七つの大罪」シリーズは映像的にも一応の幕となるけれど、続編となる「黙示録の四騎士」が始まっているそうなんで神の時代が終わり、人間の時代となった世界で何がどう進み、そこに七つの大罪たちがどう絡むかを気にしていこう。


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