縮刷版2021年4月中旬号


【4月20日】 ノーマスクエベレストとかノーマスクムーンだとかってんなら偉業だと褒め讃えるのに躊躇はないけど、大型連休の最中に全国の公園にノーマスクで集まろうぜって呼びかける「ノーマスクピクニック」となるとやっぱり世間から浴びる非難も囂々で、主催者たちも即座にツイッターのアカウントを非公開にして地下に潜ろうとしたもののいったん情報が公開されるとどこまでもつきまとうのがネットという空間。これはいよいよ身に危険が及ぶと考えたのか、「予期せぬ形での拡散・報道により、個人的な誹謗中傷なども多く見られたため、参加者の身の安全を考慮した結果、今回の企画においては全面中止とさせていただきます」と中止を発表した。

 今まさに大阪で非常事態宣言が出されようとして、東京でもまん延防止が厳しくなっているこの折りに、ノーマスクで集まろう、それも他の人たちがいっぱい来る公園にって言って通ると思っていたのがそもそもの間違いで、そんな時期を見誤った自分たちを棚に上げて誹謗中傷とか身の安全を考慮とか言ってしまえるところに世間と折り合っていこうという意識は皆無、自分たちこそが絶対だって意識が透けて見えてこれでは再開しようにも許されない可能性が極めて大。「コロナ騒動に疑問を持たず、過剰な感染症対策を受け入れることは、子ども達の成長に大きな悪影響を及ぼすと考え、今回のイベント発起にいたりました」って子どもをダシにしているところも始末が悪い。

 自分たちの意思で行動できない子どもを危険にさらす可能性を考えないところも、YouTuberになるからと言って義務教育の中学校に行かない息子を讃える父親と同様、大人のエゴだけがそこにあって真っ当な人を辟易とさせる。「お互いの表情が見えないことで心身に影響が出ている子ども達、マスク依存症になってしまった子ども達、今まさに顔認知を養っている赤ちゃんのために、マスクのない世界に少しでも居させてあげたい。これが企画者・賛同者の想いです」って子どもは本当に困っているのか、マスク依存症になっているならそれのどこが悪いのか、マスクのない世界なら家の中だってあるじゃないかと言っても通じないんだろうなあ。やれやれ。

 ともあれ今回は引っ込んだけれど夏にはまた現れるだろう。どこに? そしてどれくらい? 目を向けていかないと。その頃になってもきっとコロナは猖獗を極めたままだろうから。だってポン酢過ぎるもん、政治も行政も。ファイザー製薬のCEOと電話をして9月までに日本国民に行き渡る分のワクチンを得られる可能性が出て来たからといって、それをいかにも決定事項のように話す総理大臣も総理大臣なら、またしても非常事態宣言をそれも自分たちが前に早く解除しすぎて新型コロナウイルス感染症の感染者を増大させたにも関わらず、2週間くらいでまた解除だなんて状況ではなく期限でもって仕切ろうとする大阪市長も大阪市長だったりする。

 そんな勢力との仲の良さばかりをアピールしていた大阪府知事も自分が減らした重症者の病床数を、本当はゼロにするはずだったものをゼロにしなかったのは自分の手柄だと言ったとか。そのゼロにする予定を立てたのだって自分じゃないか。つまりは減らした責任があるにも関わらず、残したことをアピールして世間が騙されると思って入るところがどうにも苦い。騙されている世間もあるだけにより苦い。とはいえこうも失策が相次げば、いよいよ首に縄がかかるかどうかって所に来ているかな、やっぱりいち早く解除なんてして世間のためにやりましたなんてアピールをするのかな。

 文化ってのは画一的でもないし伝統的なものばかりでもなく多様性があって革新的なものまで含めて文化ってことになる。そんな文化行政を司る長官になったのだから徳倉俊一さんには是非とも新しい文化についてどんどんと称揚していって欲しいもの。現在の日本の音楽について「誰とは言いませんけど、へたくそな歌を歌って、コンピューターで音を合わせて発売する。では中身の歌はどうか。そこに血が通っているかどうか。甚だ疑問だ」なんて、ちょっと刺激が強すぎる言葉は、そこにどういう意図があったかも含めて語って欲しい気がする。

 恐らく人間が歌うならそれをどこまでも突き詰めて、ピッチに狂い無く音程に迷いない歌を唄って欲しいという気持ちだろう。それは僕にもある。やっぱり歌が巧い人が好きだ。達郎さんとか。なので録音したものをコンピュータで調整するのは歌手として邪道だとは思う。一方で人間じゃないボーカロイドが新しい音楽文化を生みだしているのも事実な訳で、それを「血が通ってない」と切ってしまってはやっぱり拙い。都倉長官は人間としての歌い手の心意気を問うているのだからボカロは関係ないんだけれど、それを知って何か思うことがあっても、そんなボカロが歌への心を通わせる器になってることを挙げて、これはひとつの文化なんだと称揚していって欲しいなあ。漫画やアニメーションやゲームも同様に。お願いします。


【4月19日】 先に緊急事態宣言を解除した大阪府が1日に1000人を超える新型コロナウイルスの感染者を出してもはやまん延防止では間に合わにあと緊急事態宣言を要求するという話が出たと思ったら、後から緊急事態宣言を解除した東京も月曜日なのに400人を超える感染者が出たりして収まる気配がないということでまたしても緊急事態宣言を要請しているとの報。いつだったか東京での解除を翌週明けに控えた船橋あたりでテレビ局からどうよと聞かれて撲滅するまで続けるべきだ、でなければ解除したらやっぱり増えてまた緊急事態宣言をする繰り返しになるだけだと言ってやったことが、そのまま繰り広げられている。まったくもって戯けている。

 戦力の逐次投入がいかに愚策かという、感染症とか別に詳しくないど素人だって分かる理屈がどうして大阪府だとか東京都だとか政府だとかに分からないかというえばそこは大阪だと本当に分かっていない可能性もあるけれど、東京だとか政府あたりはいろいろと他に気にすることがあって見合いになってしまっているんだろう。東京の場合は解除しなければそこからすぐ目前に迫っていた東京オリンピックの聖火ランナーの出発に、お墨付きが与えられなかったからだと誰にだって感じられる。緊急事態宣言を続けている一方で聖火ランナーでどんちゃん騒ぎなんて通じないから。

 だったら聖火ランナーを辞めるのが筋なんだけれどそちらが動かせないなら緊急事態宣言を動かして人名を危険にさらす。その上で再び感染者が象際して結果として東京オリンピックも吹っ飛んだらまるで無意味になってしまうんだけれど、そうなってくると絶対にオリンピックは開くという強い意志が働いて、5月には解除となってあとは感染者を出さないように検査すらしないで放っておくような事態にだってなりかねない。道端にゴロゴロと遺体が転がっていてもコロナで亡くなったのではありません、五体投地をしているだけですと言い訳するんだ。東京は地獄になりそう。千葉は大丈夫かなあ。

 糖尿病患者で人工透析をしている人を自業自得と言って非難囂々、被差別部落に関する不適切な発言もあって国会議員選挙の公認を外されその後表だった活動を見ていなかった元フジテレビのアナウンサーが、昔の仲間たちだといった秋波を送るかのようにフジテレビの女子アナたちが美容院からサービスを無料で受ける代わりに店の情報をインスタグラムとかに上げていた問題について、ステマなんかじゃないと擁護を始めた。こういう場所なら発言も取りあげてもらえると思ったんだろうけれど、この件はサービスを提供する側が主語となって無料で提供する代わりに黙って宣伝してねといったステルスマーケティングであることが問題じゃない。そんなことは芸能人相手にだってやっている。店に来た有名人の写真をサインを飾る代わりにタダにするのと代わらない。

 問題はだから電波法によって免許事業者とされているテレビ局の正社員たるアナウンサーが、そうした免許制度によって守られた優越的な地位をバックにした事業において得た知名度を社会に還元するどころか自分たちの利益に変えて無料でサービスを受けていたことにある。免許事業者ではなくても社会の木鐸として国民の知る権利を代弁するために記者クラブに加盟し情報を入手しては記事にして収益に変えている新聞記者だって、その地位を利用して金儲けしたらやっぱり拙かったりする。社員アナウンサーならなおのこと。そういう意識についてどうして問題視をしないのか。記事を書く側もステマなんて言葉が流行ったからそれに乗っかり考えずに書いているんだろうなあ。社会全体が衰えている。

 講談社文庫がシュリンクパックを採用したそうですでにコミックスがシュリンクになっていてその剥がしづらさがずっと問題になっていたんだけれど、よりサイズの小さな文庫ならどれだけ剥がしづらいかといった批判が起こるのを見越してか、剥がし方なんてものを公式がツイッターでもって映像突きて教えていたりしたのにはちょっとわらった。自覚してるんだ。それを見ると後のラベルが貼ってある横あたりを引っ張るとすぐに破れるってあるけれど、そんなに簡単ならこんなに苦渋と怨嗟の声が世界には溢れないって。やっぱり着けるべきだよ講談社は、指輪から爪が出でひっかき傷を着けられるアニ・レオンハートの指輪を。

 個人的にはペラペラっと解説だけ読んで買おうかどうしようかを悩んだ時に、シュリンクだと読めなくなっていて買う側が困ってしまうのがちょっと問題かな。ライトノベルの場合はそうした解説がないから立ち読みをされるのを防ぐためにシュリンクが定番になっていたりするけれど、そういう傾向を文庫も採用するようになると3年に1冊くらいとペースは遅いものの解説の仕事をしている身としては、ちょっと将来が不安になる。解説いらないじゃんってことになったりとか。ようやく最近、10冊目の文庫解説を手がけて仕上げたばかりなんで、シュリンクに追随するところが他には出ず、解説も続いてお仕事の依頼があれば嬉しいな。11冊目は2023年くらいかなあ。


【4月19日】 今敏監督の突然の訃報が今敏監督自身のブログに今敏監督自身の筆で掲載された時には驚き慌てて悲しんだけれど、今回はツイッターの小林治監督自身のアカウントに小林治監督が亡くなったと掲載されて、それが家族による代理アップといった説明書きも何も無かったので信じて良いのかあるいは冗談なのかを一瞬迷ったけれど、年齢まで書いてあってそれが正確だったのと、そして1月からずっとツイートが途絶えていたこともあって何かやっぱりあったんだろうと推察。ご本人の訃報に間違いないと感じ取って改めて驚き合われて悲しむ。

 最近はアニメーションの監督というよりはイベントの仕切りとして登壇しては、アニメーション業界の関係者とトークを行い技術だとか演出だとかいろいろなことを先達同輩たちの言葉から引き出してくれるモデレーターとしての活動が目立っていて、ロフトプラスワンとかで開かれるイベントに登壇された時に何度か見に行った記憶があるけれど、その時の元気な様子からこうも急に亡くなられるとはまるで分からなかった。ツイートによれば腎臓癌だったそうで、症状もないまま進行しやすい癌らしく発見された時にはもう大変な状況にあったのかもしれない。

 それでも登壇してはトークなんかを頑張っておられたけれどもいよいよもって加療に入り、けれども戻らず死去。「BECK」を始め独特な画風とポップなセンスを持った一般にも広く訴求するアニメーション監督だっただけにこれだけサブカルチャーとしてのアニメが広がっている中で、もっと活躍の場もあっただろうにと残念でならない。そういえば2005年10月3日にノイタミナの第2作「Paradise Kiss」の製作発表会があって取材に行って小林治監督を見ていたんだっけ。サイヤ人のようなツンツン頭で出て来たことが日記に書いてあった。

 それはある意味で一般にもアピールしやすいコスプレ姿だったとも。だいたいが場所がラフォーレ原宿という超オシャレな場所で、そしてアニメの主演には声優ではなく女優として活動し始めだった山田優さんを起用するというアニメにどっぷりな人から異論も出そうなオサレを散りばめた作品だった。作中のファッションもA.Tなんかのブランドで知られる田山敦朗さんに頼んだんじゃなかったっけ。そうやって原宿ファッションやポップカルチャー、アイドル文化とのシームレスなつながりをアニメに持ちこもうとしていた。「BECK」がロックと関係をしていたように。

 日記にはこう書いた。『マニアが隘路へと突き進んで行き詰まるってイメージがあったアニメ業界人だけど、世界をそこに描く以上はちゃんとしっかりファッションでも音楽でも文化流行の類としっかりコミットしているのらしい。そりゃそうだよね、アニメ業界人がアニメオタクの最終形態だったら業界も隘路へと入って成長が行き詰まり、縮小再生産のサイクルにハマって衰退の一途をたどり初めているからね。そうはなっていないってことは世間とコミュニケートできる資質をどのアニメ業界人もちゃんと備えているってことなんだろう。多分。世界がすべて隘路で行き詰まったアニメオタクのものになっている可能性はあるけれど』。

 今、いったいどっちにあるんだろう。「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が興行収入400億円に届きそうな中でアニメはオタクを離れて世間とコミットしたものになったのか、それとも世間がオタク化したのか。Netflixでも調子が良いのがアニメシリーズで、そして映画でも人気なのがゴジラのような特撮だとかMCUのようなアメコミ発のシリーズだとかピクサー&ディズニーのようなアニメーションだったりする状況からも、ナードなオタクがポップカルチャー化していることは確かだけれど、それでもメインカルチャーからはまだまだ軽んじられているからなあ。そこと詰めてこそ報われる小林治さんの活動。伝えて行きたい。「Paradise Kiss」のBDとか出ないんだろうか。

 テレビアニメの「さよなら私のクラマー」のEDがモーションキャプチャーからの2D化にしか見えないくらいに動きがリアルなんだけれど、作画がいるならロトスコープからの手描きなんだろうか。本編の方はそこまでのリアルさはないけれど、女子サッカー選手たちの動きからボールさばきから体の入れ方から見ていて実際のサッカーから乖離していないくらいにリアルだし、戦術だとかフォーメーションだとかもサッカー好きが見て納得のものになっている。原作漫画がもちろんそう描かれているからなんだけど、動かすとなると場面場面じゃないところまで描かないといけないのに、ちゃとしっかり描ききっている。頑張ってるなあライデンフィルム。拍手喝采。

 レナウンが潰れてずっと通っていたセールがなくなってしまったけれど、代わりにオンワードのセールに入れるようになっていたので案内を頼りに芝浦まで行っていろいろと見物。お金があったらジャケットだとかシャツだとか買い込んだところだけれども特にスーツとか必要もないので見送りマッケンジーの靴下だとかジョセフ・オムのシャツの安いのだとかを買い込んで後にする。スーツ類も3万円くらいから変えそうでもしかしたら越谷レイクタウンにある山形屋のアウトレットよりもクオリティの高いものが入るかもしれない。それもJプレスとかジョセフとかKASIYAMAとか五大陸といったブランドで。かといって着ていく場所もないので今ある3着くらいで充分だから、やっぱり靴下を買い込みに行く場所になりそうかなあ、ユニクロだとか無印だとかは安いけどでもそれなりなんだよやっぱり。


【4月17日】 先に就任したなら日本の菅義偉総理の方が先輩であって後から就任した後輩のバイデン大統領が日本にやって来るのが筋なんじゃととか思う一方で、年齢的にはバイデン大統領の方が上なら長幼の序で日本から行くのも悪くないんじゃないかと良いわけもできるかな。まあ普通に力関係で“朝貢”するのが日本の立場ってヤツで日米首脳会談がアメリカで行われてはいろいろと話し合われた模様。

 とりあえず新聞とかで「台湾」が盛り込まれたって話が出ていたけれど、出てきたステートメントを読んだら「台湾」は「台湾」でも「台湾海峡」という地名が盛り込まれたに過ぎなかった。あの地域で煮え始めている対立が、将来に禍根となりかねない可能性に言及し、日米でどうにかしようといった話を公でしつつ大陸へのプレッシャーをかけたんだろうけれど、それを「台湾」と「中華人民共和国」という国名を挙げてどちらかに肩入れするような発言では、いろいろと突っ込まれて騒動も起こるだろうから地名を入れて仄めかしたんだろう。

 それで文句を言われたら、あのあたりが静かだと良いなと思っただけですと、言い訳することができると考えた外交用語を使って意図だけ込めたって感じかな。そうした思惑の部分が重要なんだけれども新聞その他は見出しになることにしか興味がないのか、「台湾」が使われたって表層だけを持ち出し騒いで喜んでる。そういう腹芸を見せて何か言った気になっている癖が真、摯に情報を伝える心意気をスポイルしている。それが積み重なって信頼を下げているって気づかないのかなあ。

 とはいえ、言葉を弄びすぎるやり口が、バイアスにまみれるとこれも厄介なことになる。バイデン大統領が東京オリンピックの開催に向けた菅総理の努力を支持するとステートメントに盛り込んだことについて、あくまでも管総理の頑張る姿勢を讃えたものであって、オリンピック開催そのものについては支持は表明していないんだってことをことらさに取り上げて、アメリカの及び腰具合をクローズアップしつつのめり込む日本というか管総理と政府を批判している感じ。

 確かにそういったニュアンスはあるんだけれど、だったらそうなんだと書いた上で菅総理にも問いただして違うとか、本当だとかいった言質を取ってその宙ぶらりんな態度を白日の下にさらすのが報道なのに、言葉だけを弄んで真意そのものには迫ろうとしない。聞いてもはぐらかされるだけって分かっているから諦めている可能性もあるけれど、そこを毎度のように突っ込み続けることで浮かび上がる矛盾めいたものがあるんだけれど、ここでもあうんの呼吸でお互いの領分を守ろうとしている雰囲気が漂っている。やっぱり未来はないかもしれないなあ、日本の新聞その他。ロイターみたいに予定調和から外れて突っ込んでは拒否される態度を、報じるだけで真似ないんじゃあ、ね。

 日本SF大賞の贈賞式がオンラインで行われたのをつらつらと見る。Zoomの上で此方にいる日本SF作家クラブの池澤春菜会長が挨拶したり賞状を読み上げたりして、それをZoomの彼方にいる受賞者が受け取ったことにして喜びの挨拶をする感じは、朝に見たアニー賞の贈賞式とも同様だったけれどあちらがあらかじめ喜びの声とかを収録した上で番組として構成しているのに対して、日本SF大賞の方は生で切り替えも行って背景だとか映像だとかを挿入しているところは、手弁当なのにアニー賞の先を行っている感じがあった。まだまだ続く新型コロナウイルス感染症のパンデミックの中で、中止を余儀なくされている様々な式典にひとつの指針を与えたようにも見えた。これを実行したスタッフも凄いけど、提案をして実行させた池澤会長のベクトルも凄い。組織は人で変わるのだ。

 アニー賞の方はといえば海外勢でもノミネートされる映画のインディペンデント部門に「音楽」と「きみと、波に乗れたら」が入っていたけれども受賞はならず。そちらはカートゥーン・サルーンの「ウルフウォーカー」が受賞をしてアカデミー賞への期待を持たせた。とはいえ長編部門は「ソウルフル・ワールド」が受賞してやっぱりな強さを見せた感じ。結局日本では劇場で公開されず配信だけに終わった作品だけれど、音楽がテーマになっているならやっぱり最高の環境で見てこそって思うから、アカデミー賞の受賞が決まれば改めて劇場公開して欲しいけど、今のディズニーの体制がそうした興行を許すかどうか。あれだけ非難されても配信をして日本の映画館からそっぽを向かれた以上、「ソウルフル・ワールド」だって希望したって蹴られるか。今は劇場版「名探偵コナン 緋色の弾丸」を盛り上げることで手一杯ってこともあるし。幻の傑作で終わるのかなあ。どこかで見られないかなあ。


【4月16日】 アサヒカメラが休刊して木村伊兵衛賞とかどうなるかと心配していたら、ちゃんと続いていたようだったものの2020年の写真集に対する授賞は新型コロナウイルス感染症の影響もあって中止になって、2021年の写真集といっしょに審査して与えることになったとか。年間での最優秀賞なはずの賞をいくら対象となる写真集の刊行が減ったからといって、2年まとめるなんてことをするのは継続性からいっても公平性からいっても拙い気がするけれど、逆に言うなら少ない中で賞がもらえては軽重に関わるという判断もあるからそこはそれ、該当しなかった年は受賞作なしだったと判断するのが良いのかも。

 そんな感じに衰えている写真界を象徴してか、アサヒカメラと並んでカメラ雑誌の世界を支えてきた日本カメラが4月刊行の2021年5月号を持って休刊というか、会社自体が解散してしまって廃刊となってしまう模様。せっかくの題字だからそれこそ「映画秘宝」みたいにどこかが引き継いで発行してくれないかなんて願っても、続かないからこその相次ぐ休刊な訳だからやっぱり厳しいのかもしれない。遠い昔にカメラ毎日というのがあってそこが休刊して2誌体制となったカメラ雑誌がこれで全滅。一方で手にしたスマートフォンで撮った写真がコミュニケーションのツールとして大活躍しているある意味で写真全盛の時代のこの乖離を、うまく繋げられるメディアってないんだろうか。あれば誰かがやってるか。

 愛知県の大村秀章知事に対するリコールを求める署名活動で、偽造された署名が大量に発見された事件でいよいよ下手人に捜査の手が及んできた感じ。常滑市の市議会議員が辞職を発表し、そして新聞に対して自分が署名に拇印を押したことを告白していた。誰がやったか丸わかりの証拠になる指紋を書類の上に残してバレたら大変になると思わなかったのかが本当に気になるけれど、そういうことを考えられないほど追い詰められていたのか、それとも提出したところで届かないから選挙管理委員会は調べないとでも言われていたのか。以前に同じような署名活動を行って、やっぱり拇印をねつ造してバレなかった経験が誰かになったのかもしれない。

 この告白では辞職したから元になる市議会員がリコール運動の事務局長から直々にやり方を指南されていたそうで、その事務局長は5本の指に朱肉を付けてはペタペタと押していったというから大胆不敵というか無謀無茶というか。遠く佐賀県でそうした偽造の署名が作られたって話は既に伝わっているけれど、そこで押印が行われたかどうかはちょっと不明。そうやって作られた署名か、あるいは別のところで作られた署名に名古屋の公共施設でもって市議会員や事務局長が、拇印を押していたとなるとこれはもう意図して意識的に違法行為をしていたってことになる。

 言い逃れのできない行為を告白したのは、捜査している愛知県警に証拠を握られているからなんだろう。だったらどうしてすぐに逮捕しないのか、それはやっぱり名古屋市長選が絡んでいるからなのか。今まさに選挙戦の中で引っ張れない犯人がいるとしたらそれは誰なのか、とはいえすんなり通してしまってはお天道様に申し訳ないとこうやって関係性を感じさせる情報を新聞に書かせていたりするのか。いろいろと気になるけれど、そうした選挙戦が終わった段階で何の気兼ねもなく一気に動くことになるんだろう。その時は大阪を牛耳るあの正当にも及ぶのかな、及んで欲しいと願う人もそろそろ増えてきていそう。

 何たって何1209人だもん、今日の大阪市の新型コロナウイルス感染症の陽性者数。前代未聞だよ。東京より多いんだからこれはもう猖獗を極めているとしか言えないのに、そうなった責任を負うべき人がいまだ無責任にもテレビに出まくって市民にケツを持たせている訳だからミャンマーもビックリの圧政ぶり。それで飛ばされないのはまだ実感が無いからなんだろうなあ。それこそ怪我や急病で入院使用にも出来ず治療も受けられない出なくなる方が増えていって、決して老人の方ばかりの問題ではないと誰もが認識してようやく大変だと騒ぎ出すのかも。そうなる時は遠くはない。

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」からスクリーンをがばっと奪った劇場版「名探偵コナン 緋色の弾丸」を夕方割りで見たらこれが意外やまっとうなストーリーでスリリングな展開の連続で楽しめた。突拍子もないシチュエーションはそれほどなくあり得る中で最大限の努力をして事態をどうにか解消する楽しさに溢れていた。江戸川コナンひとりの活躍だけでなく、登場する人たちがそれぞれに才知を発揮し技術を見せてひとつの事態をどうにか解決してのける展開も良かった。詳細については公開されたばかりなんで振れないけれど、ひとつ言えることはやっぱり灰原哀は可愛いってことかなあ、今回はもうずっと出まくってはハラバラしたりドキドキしたりする姿を見せてくれていたから。この出来だと過去最高の100億円だてありそう。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」とどっちが先にたどり着くかが見物かな。


【4月15日】 「汚物は消毒だ」レベルの非道な言動がどうやらミャンマーで繰り広げられている様子。クーデターを起こした国軍が弾圧のレベルを日々強め、もはや虐殺とも呼べるレベルにまでたどり着いていながら自制も自重もせず、広報担当者がメディアで堂々と害虫は駆除する、我々が機関銃を本気で使えば1時間で500人が死ぬと嘯いて見せる。そもそもがいったいどうして国軍がクーデターを起こしたのが、独裁者による圧政に対抗するために立ち上がったのならまだ民衆も支持しただろうけれど、その民衆に向けて縦断をばらまいて大勢を殺戮している状況は、単に権力だけを狙ったものにしか見えない。

 そんな国家が果たして国際社会でやっていけるのかというと、世界には独裁者によって民衆が弾圧されても堂々と国際的な付き合いをしていた国があるから分からない。大国が幾つかあってそのパワーバランスの中でどちらかに寄って代理人として活動するなら生き延びられるのが今の社会というところなんだろう。ミャンマー国軍の場合は果たしてどこなのか。とはいえこうまで世間の批判が強いところまで来てしまうと、バックにある国にだって批判が及んで国際社会の中で立つ瀬がなくなる。そういった状況になるまでに今の悲惨が続くのか、それともやっぱり拙いと矛先を納めるのか。悠長なことは言ってられないだけに早急に解決に動いてもらいたいところ。遠くアメリカ詣でをする我が総理大臣にそれを期待して良いのかな。無理かなあ。

 深夜にかけてポリ袋の中に突っ込んであった領収書だとかレシートだとかを引っ張り出しては弥生の青色申告用クラウドに入力して確定申告に備える。収入の方も入れてなるほど年収の半分くらいは確保できてはいたけれど、それでは社会保険料とか税金とか入れたら足らないことは確実だったりして、暮らしは決して楽ではないってことを確認する。でも朝とかずっと寝ていられるのはいいかなあ。動かなければお金も使わない訳だし、その意味では低体温で半冬眠しながら老後の暮らしに慣れるのを待つのが良いのかも。

 とはいいつつ確定申告はやらないと支払った源泉徴収が還付されないので頑張って入力。書評家でアニメ評論家なので本題とか映画台は経費に入れられるのかもしれないし、違うのかもしれないけれどそこはカチカチとやっていってそれから生命保険だとかの金額を記入してどうにかこうにかフィニッシュ。還付金も前年よりは増えそうでこれでケーキでも食べられるかとうと、すぐに国民年金と住民税と健康保険料に持って行かれるのだった。やれやれ。でも今回の倍あった前年の所得でかかってきた健康保険料には流石にならないと思うから、少しは楽ができるかな。

 あとずっと無くしたと思っていた前年の還付金の通知書、つまりは郵便局に持っていけば現金と引き替えてくれる小切手みたいなものが領収書を突っ込んでいたポリ袋から発見されたのでちょっとラッキー。半ばないものと思っていただけにプラスアルファになってこれでケーキをゴージャスにできそうな気もするけれど、税金だの年金だのを思うとやっぱり使えないところは貧乏性なのかなあ。富野由悠季監督が樋口真嗣監督と対談をする青森のイベントに応募してみるかなあ、当選すれば行って青森をみてきたいけれど、今のこの首都圏から人が来るのって向こうの人にとっては迷惑かもしれないし。遠慮するかどうするか。考えよう。

 確定申告の書類をレターパックにいれて還付金をお金にしてもらった郵便局に投函して今年の確定申告は終わり。弥生を使うとあっという間に終わるから、年間8800円を支払うのも決して悪いことではないのかも。そんな郵便局から歩いてすぐの図書館で久しぶりに原稿打ち。ちょっと前までは割とフリーに誰でも入れて家を持たない方々が昼間を過ごす場所になっていたりしたけれど、今はかっちりと利用証でもって申請して座る場所を確保しないと使えなくなっていた。電源が使えてパソコンが打てる机もそんな感じで空いていたんで、座って3時間ほど原稿を打つ。

 今日が閉めきりの文庫解説原稿。もしかしたら自分にとって10冊目の文庫解説になるんだろうか。明石散人さん「謎・ジパング」に張間ミカさん「楽園まで」に日向まさみちさん「本格推理委員会」に畠中恵さん「さくら聖・咲く」に越谷オサムさん「いとみち」「いとみち 二の糸」「いとみち 三の糸」にマンガで桑田乃梨子さん「おそろしくて言えない2」に桜坂洋さん「スラムオンラインEX」がこれまでの仕事。しばらくなかったけれど舞い込んできた仕事をうまく熟せば次に繋がるかな、どうかな。まあ出しただけで通ったかどうかは分からないので反応を待とう。

 どうにか早くに仕上がったので、松屋銀座で始まった「ジブリとアニメージュ展」でも見に行こうかと思ったけれど、日時指定のチケットが必要で本日分は売り切れているように見てたので、諦めて昨日はIMAXレーザーGTで見た「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を今回はIMAXレーザーで見ようとTOHOシネマズ新宿へ。大きくて明るいスクリーンで見たい人がたいのか夕方にもかかわらず結構な人数で埋まってた。庵野秀明総監督を100億円の男にした人たちが増えてきたってことなのか。

 映画ではやっぱり伊吹マヤのお尻とかに目は行ったけれど、一方で女性の股間へのフェティシズムにも溢れているなあと確かめる。寝返りを打つアスカやらプラグスーツ姿で田んぼに尻餅を打つ綾波レイ(仮称)とか、見せたり見えそうにすることで関心を誘っている感じ。これは誰のフェティッシュなんだろう。女性はどう思っているんだろう。ちょっと知りたいかも。ほかは北上みどりのギャル語を確認するのがやっぱり楽しみどころかなあ。「ボスキャラ」「ハズい」「激やばですー」「ナッシング」「エヴァっぽい何か」「なんかヘン」等々。軍隊にも似た組織でため口上等なみどりのキャラはやっぱり貴重でアクセントになっている。こういったポイントが所々にあるから2時間40分あっても最後まで見ていけるのだ。IMAXは終わるけど100億が近づいたら後押しにまた行こう。


【4月14日】 大阪が連日の新型コロナウイルス感染者1000人超え。道を歩けばコロナに当たる可能性を考えなくちゃいけない状況に陥っている感じで、そんな街で暮らしていれば事業所だって密に人が行き交う関係上、すぐに感染者が広がるみたい。産経新聞社の大阪本社で一挙に13人もの感染者が出てクラスター的な賑わいを見せている。手洗い励行マスク絶対の環境で仕事をしているとは思うんだけれど、人の出入りも多い業界だから誰か持ち帰ってそれが広がったのかもしれない。他のクラスター発生を記事に書いて手抜かりを批判するようなことをしていたとしたら、ちょっと恥ずかしいかもしれないけれど、総本山の厚生労働省ですら感染者が出ているんだから、しゃあないか。

 突然に浮かんだ「こども庁」の構想が文部科学省から義務教育の行政権を奪って内閣府に作った「こども庁」に移管するなんて話に転がっていってなかなかにディストピア。今だって事務次官とか官房長とか局長あたりの人事権を内閣がぎっちりにぎっていたりするから、その意図は各省庁に深く染み込んでいたりするんだろうけれど、官僚たちにはそれぞれに意思をもって活動していて、その集合体としての省庁があるなら内閣といえど総理大臣といえど勝手はできなかったんじゃなかろうか。

 それが内閣府の所管になると小学校や中学校で教える内容が、戦後の民主教育で尊ばれた自由と自治と自主の気風が統帥の元に戦前的なものへと戻されかねない。教科書だってそれぞれの教育委員会が諮って決めていたものが、国の号令一下によって決定するような事態になりかねない。そこまでやるかと言えばそこまでやるのが今の内閣府。人事権だって奪ったまま、ヒラメ官僚ばかりが生み出されるといった問題が取り沙汰されながら戻す気配はまるでない。今はまだリークの段階で様子見が行われている感じだけれど、決まったことを粛々と粛清気味に実行していく政治権力が、引っ込めるとは思えないだけにいろいろと心配。さてもどうなる。

 ちょっと1時間のつもりで寝て気がつけば午前4時。起きてどうにかこうにか書評を1本仕上げて送って歯医者に行って、夜にまた1本の予定でとりあえず、明日で終わってしまうIMAXレーザーGTでの「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見に池袋まで出る。 3月8日の公開時に寝そべりながら見た最前列のコンフォートシートで再び寝そべりながら見上げるようにしていろいろと堪能。とりあえずパリでの伊吹マヤのピチピチとしたお尻とか、ケンケンの家で寝返りを打つアスカのパンツいっちょうのボディとか。そういった見るべきシーンがあるとやっぱり何度も見たくなるなあ、って煩悩が先に立ちすぎか。

 庵野秀明総監督が舞台挨拶で言っていた、最終の実写シーンで結構な金額をかけて置いたものについてはやっぱり不明。銅像とか建物とか看板とか何かが加わっていたのか、それとも本当は出せなかった権利処理が必要な建物が入り込んでいたのか。誰かどこかで解説していないだろうか。しかし通してみるとやっぱり不思議なマリさん選択の経緯。ヴンダーに戻って来て対爆隔離室に閉じ込められていた碇シンジに後から抱きついて、お久しぶりといって「乳の大きな良い女」と挨拶した時はまだあああの時の感が漂っていたのに、ラストに近い浜辺ではマリさんと叫んで海から制服姿でブラを透けさせ出て来たマリを歓迎する。

 その家庭で愛を深めるような会話なんてなかったんだけれど、駆けつけてくれたことに感動をしたのかそれとも最初に出会った時、真正面からつっこんできて巨大な胸を顔面に押しつけられた瞬間に、芽生えた愛があったんだろうか。あったんだろうなあ、あのシチュエーションで恋に落ちない男はいない、と。もしかしたらアスカもエントリープラグごと落ちてきたケンケンの家の前で外に出た瞬間、ケンケンに胸からなだれ込んだのかもしれない。マリほどインパクトはなくてもそこそこちゃんとあったりする訳で。ちょっと羨ましい。トウジもヒカリからそんな幸運を受け取ったんだろうか。鈴原サクラと北上ミドリはあの部屋で押しつけ合っていたんだろうか。シンジ意外の面々のその後を公式公認で見たいなあ。終わってやっぱり引きずるそれぞれの現在。そのうち出てくると期待しよう。


【4月13日】 ガンダムだガンダムだ、あの「機動戦士ガンダム」がNetflixによって実写映像化されるといった話題が伝わってきて日本はもう大騒ぎ。さっそく過去のアメリカだかでの実写映像を持ち出して、顎が割れたシャアの画像を掲げてまたこうなってしまうんじゃないかといった懸念と好奇を表明する人が大勢出た。そりゃそうだろうなあ。日本でだって過去に作られたことがない実写ガンダム。というかフル3DCGでだって決して人気となった作品が出てない状況で、もっとリアルに近くなる実写のガンダムなんて出来るんだろうかと誰もが不思議に思って当然だ。

 「レディ・プレイヤー1」では実写の中にガンダムが登場していたけれど、ゲーム内の出来事ということでほとんどキャラクターたちしか映ってないなかでのガンダムだったから違和感はなかった。今度は実写ということでやっぱり普通の俳優たちが居並ぶ中で、ロボットのそれも巨大なガンダムが屹立しては動き回ることになる。アニメだからこその軽快な感じな動きが実写ではどこか嘘くさくなる。かといって横浜にある実寸大ガンダムの動きではゆっくり過ぎて戦闘には向きそうもない。兵器としてちゃんと使えてなおかつ巨大ロボットとしての存在感も出せるガンダムを創造できるのか。成否はそこにかかって来そう。

 「カウボーイ・ビバップ」なんかも過去に実写ドラマ化が言われて、それから随分と長くかかってどうにかこうにか動き始めた感じだったりして、話が出てからが長いのが海外での映像化話なんだけれど、実写版ガンダム自体は以前からゴジラの映画を作っていたりするレジェンダリーとの間で話が結ばれていて、それがここに来てようやく動き始めたといった感じだから信憑性は高そう。なおかつやると決めたらちゃんとやってのけるNetflixが関わっているってことで期待は持てそう。ただし作品が出来るということだけで、どんな作品が出来るかはやっぱりシナリオ次第になるんだろう。果たして日本のアニメを受け継ぐか、それとも宇宙世紀とは違った世界観にガンダムを持ちこむか。見守りたい。

 目下の炎上案件。西成のおっちゃんたちと仲良くなりました、新今宮はいい街です的なエッセーめいたものがnoteに上がってちょっとした話題になって、ツッタランドノインフルエンサーたちがこぞってリツイートなんかしたりしていたけれど、よく見たら本当に小さなタグで「PR」の文字が。これだってnoteの中でPR記事だという約束のもとで使われている訳ではなく、何か喧伝したい人たちが使っていたりする場合もあるからペイドパブとか記事広告だといった判断はつきにくい。そんなエッセーが本当に大阪市だかの関係する団体が、新今宮のドヤあたりを盛り上げるための活動をしていて、その一環として頼んだPR記事だってことが見えてきた。

 お金をもらって誉めるならやっぱりそれはPR記事でありペイドパブであり宣伝ってことなって、その中身がいくら良くても誉める中身にバイアスがかかっているんじゃないかと疑って見たくなるのが信条。それを敢えて感じさせないために「PR」を小さく乗せたのだとしたら問題だって声があがって、筆者はエッセーの冒頭にこれは企画記事でPRですといった文言を載せたけれど、そうした後付けの態度にどこか胡乱さが漂って今後の活動にいろいろと影響が出るのか出ないのか。世間にはそうした描き手に優しい世界もあるから、今後もいろいろと頼んで書いてもらっていくんだろうなあ。中身自体の上から目線でホームレスを観察しました的なcakesで炎上したスタンスと似たり寄ったり。ってかnoteもcakesの民生版な訳で、メディアとしてそういう輩が利用するものになってきたって言えるのかも。意識高い系ブログというか。やれやれだ。

 大阪で1000人超えとかってこれはもう緊急事態を超えた非常事態って言えそうな新型コロナウイルス感染症の状況。吉村知事のやることなすことすべて小手先のまやかしだって言えそうな状況だけれど、当人は相変わらず認めようとせず突っ込まれたらお前がやってみろと逆ギレ。それを言うならとっとと職を放り出せってんだ。一方で東京では一部でワクチンの接種が始まったそうだけれど、予約したのに接種に来ないでキャンセルになった分が出て、それを廃棄するって話になっていろいろ物議をかもしているらしい。

 予約なしに来たんだけれど余ったなら打ってくれれば良いのにという人もいたけれど、それを認めたら次からキャンセル分を求めて明け方からだいぎょうれつが出来て密も密な状態になるだけ。6時間しかもたないワクチンだけに廃棄もやむなしっていうが今のシステムでは仕方が無いことなんじゃないかなあ。キャンセル待ちをしていた人にすぐさま連絡が行って来られれば打つってシステムが構築できれば別だけど。それを自治体がやるのは酷だよなあ。やれやれ。


【4月12日】 新作アニメから「ドラゴン、家を買う。」は原作の漫画があるらしい作品だからストーリーとか展開とはきっとそのまま。中二病を出しまくってる勇者のパーティーが骨だけにされたりするグロさも一種のギャグとして描かれて居るんだろうなあ。家を追い出されたドラゴンが住む場所を探してあっちこっち。ドワーフに捕まり料理されそうになり、ゴブリンに捕まりやっぱり食べられそうになったりするのはお約束。冒頭ではスライムが勇者に狩られるとかいった話があって、死と隣り合わせのシリアスな世界なのにスライムが家を買うとかドラゴンに家を売るとかメタな設定も混在していて間合いを掴みづらい。まあだんだんと馴れていくんだろう。とりあえず見て行く。

 マスターズどころか男子のプロゴルファーで日本人選手が未だゴルフの4大メジャー大会を優勝したことがなかったとは。過去に青木功選手が全米オープンで1980年に2位になったのが最高で、以後に倉本昌弘選手とか片山晋呉選手とか世界に出て行くゴルファーがいたけどなかなか優勝には届かなかった。松山英樹選手も早くから注目はされていたけれど、メジャーとなると2017年の全米オープン2位タイがやっぱり最高で、壁はなかなか突破できなかった。それが今年、晴れて松山英樹選手によってマスターズ優勝という晴れがましい記録が生まれて、日本のゴルフ界にとってもようやくひとつの夜明けが訪れたって言えそう。

 過去の5位が最高で、以後は7位とか11位とかいったそれなりの成績を収め、2020年も13位と上位にはつけていても優勝には程遠かった松山英樹選手。今年も決して独走ではなかったけれど途中でのリードをしっかり活かして逃げ切った。まだ29歳での優勝はそりゃあタイガー・ウッズ選手に比べれば遅いけれどもゴルファーとしては決して年配ではない年齢。ここで頂点に輝いて狙うは全米オープンであり全英オープンといったメジャー大会全制覇のグランドスラム達成。全英はここ数年、予選落ちが続いているだけに今年、開かれるのなら期待したいところ。全米も同じアメリカだし行ける感あ。PGA選手権や良く知らないや。オリンピックがあったら金メダルなんて期待もあったけどそもそも選手になってたっけ。いずれにしても今後がますます期待できそう。見ていこう。

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」がロボットアニメの映画として興行収入100億円に達して欲しいという庵野秀明総監督の言葉に、エヴァは果たしてロボットアニメなのかと議論が起こって記事にまでなっていたりするけれど、そもそもが1995年のテレビシリーズに向けた企画書に「巨大ロボットアニメの魅力とは?」という問いかけから新しい時代のロボットアニメという位置づけで企画された作品であって、そこから少しズレて人造人間という設定だとか、特撮的なアングルだとかが取り入れられていたとしてもやっぱり求心力は巨大なロボットによる格闘戦と、それを操る少年少女の葛藤だ。

 「マジンガーZ」だとか「鉄人28号」だとか「機動戦士ガンダム」なんかと同じ根っこを持ったロボットアニメだとしか言えないんだけれど、そうじゃないからみんな見たんだという意見も一方にあったりしただけに、意外に思った人もいただろうし、思われても仕方が無い気はする。ガキっぽい作品か、あるいはガキっぽさを大人として嗜むメタ的な楽しみ方をする作品としてのロボットアニメという言い方ならされたかもしれない。ただ、庵野秀明総監督が堂々とロボットアニメなんだと言ったからにはエヴァをひとつのスタンダードとするロボットアニメがジャンルとしてようやく確立したのかもしれない。「蒼穹のファフナー」も「デュアル ぱられルンルン物語」もロボットアニメなのだ。あとはそんなロボットアニメで100億円に届くかだなあ。あと26億円。何かテコ入れがあったら届くけど、それには何がいるだろう。竈門禰豆子と胡蝶しのぶと栗花落カナヲがプラグスーツ姿になったポストカードかなあ。

 変異株に素手で戦うために皆さんの協力をって東京都の小池百合子知事が言ったそうで、空から爆弾を落としてくるB29に対して竹槍でも良いから持って雇用とした大日本帝国の大本営の方がまだ理性があったんじゃないかって思えてくる。いや徒手空拳に等しいことには変わりがないけれど意識だけは持っていた。新型コロナウイルスの変異株に対して素手でってそりゃあ何もしないのと同然で同様。負けることが分かっている戦いを兵器でやろうと口にできるトップを持って東京都も大変だ。素手にならないように都としてワクチンを必死で集めるとかウイルスに触れる機会を減らす代わりに支援するとか、そんな対策を打ち出さず素手で戦場に立たせて逃げろとだけ言うリーダーが、それでも真っ当に見えるくらい国も無策だからなあ。やれやれ。


【4月11日】 いきなりAIによる人類大虐殺が繰り広げてグロテスクな光景が目に飛び込んできた「Vivy−Fluorite Eye’s Song−」は、「Re:ゼロから始める異世界生活」の長月達平さんと梅原英司さんがストーリーを作ってシリーズ構成も行っているからなのか、シリアスなところはとてつもなくシリアスで先にいった何が起こるのか分からないままピリピリとした空気が漂いまくる。ディーヴァと名乗って歌を唄うことを役割づけられた自律型のAIというか美少女型のロボットが、未来から遣ってきたっぽいマツモトとかいうAIに教えられて導かれるようにして現代を変え、未来を変えようとする。

 それは100年後に起こるAIによる人類大虐殺を防ぐため。というのが理由らしいけれども喋りがとにかく鬱陶しいし目的のためには手段を選ぼうとしないあたりもどこか不穏。いったい何が目的なのかは分からないけれど、それでも現在を変えることで未来を変えようとする信念だけはあるみたいで、飛行機事故で大勢がなくなりその中にディーヴァの知り合いがいるらしい事態を防ごうとしたディーヴァを釘付けにする。あれは幻想の中の出来事かそれとも現実のシナリオか。シリアスで押し通しているだけにきっと本当なんだろう。100年後を変えるならどれだけ現在を変えようと構わないのにそはさせない理由は何? それも含めて時間の矛盾をどう突破するかを気にして見て行こう。

 「SSSS.DYNAZENON」も始まったけれども怪獣使いと嘘つき少女と少年とあと引きこもり気味の兄ちゃんが、巨大なロボットに乗ってベムスターのロボット版みたいな怪獣を相手にバトルを始める。そもそも怪獣が現れたことにどうして世界が大騒ぎしていないのか。元より怪獣が現れることが既定となっている世界なのか。「SSSS.GRIDMAN」のように怪獣が現れ暴れては消えて誰も覚えてない繰り返しなのか。見えないところが多々あって第1話だけでは判断が難しい。キャラクターの魅力にストーリーの魅力が重なりそこに絵の魅力も載って同じ怪獣物の「ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉」とは違った魅力を感じさせる。東宝ゴジラvs円谷グリッドマンの派生アニメが激突する2021年。アニメはやっぱり面白い。

 さすがに2階建てはキツいので「エヴァンゲリオン新劇場版」の舞台挨拶付き上映を見に行くのは諦めてネットで何が話されたかを確かめる。登壇した庵野秀明監督によれば何やらエンディングの宇部新川駅を映した実写シーンには庵野総監督にとって大切なものが結構な費用をかけて置かれたらしい。それが何かと聞かれても5回観ていながらまったく分からないのは大きすぎるからなのか、それとも小さすぎるからなのか。東京スカイツリーを映したら余計にお金がかかるらしいという前振りから考えるなら、あの巨大な宇部興産の工場を入れるのにお金がかかるなんてことがあるのか違うのか。誰か見つけてくれるのを待つしか無いけど、自分でも見てみたいのでIMAX上映があるうちにもう1回くらい見ておこう。

 そんな「エヴァンゲリオン新劇場版」を避けて言ったのは新国立競技場。すでに幾つかサッカーの試合は行われているらしいけれど、日本代表では男子もまだやったことがないスタジアムでなでしこジャパンが試合をするというのでチケットを取って見物がてら初新国立競技場。青山門から入ろうとして信濃町で降りたらまだ建設途中だったみたいで、外苑前門まで回って入って見上げたスタジアムは草木が咲いてなかなかにナチュラル。絵画館前から見た時も周辺の木々の上にのぞいて威容を誇っているところはなく、馴染んでいると言えば言えるけれども特徴がないと言えば言えそう。目新しくはないけれど、10年くらい経てば馴染んでスポーツにおける日常になっていくんだろう。

 それは中に入っても同様で、最初は新しさを感じたけれどもスタンドに腰掛けてピッチを見ていると普通に国立競技場だった時代とシームレスにつながった。トラックがまだ作られていなかったけれど、それがピッチを囲んでぐるりと回ったその周縁に沿ってスタンドが作られているから、横浜国際陸上競技場ほどにはピッチが遠いって感じがしなかった。スタンドも確かに高いけれど埼玉スタジアムのようにそびえ立っている感じはない。それでいて定員は同じくらいというから何かのマジックだろうか。ザハ=ディドの方が確かに祝祭感があって非日常感もありそうだけれど、肝心なのは場所ではなくそこでの出し物。きっとそういう意図があっての普通を選んだんじゃないかなあ、普通しか出来ない人じゃないし。

 でもってなでしこジャパンのパナマ戦。菅澤優衣香選手がハットトリックを決めた他にいろいろと選手たちが次々と得点をあげて7対0で勝利したものの、後半に入って2点しか奪えなかったあたりはやっぱり魂のところに必死で今を変え未来を変えていこうとう意識がちょっと及んでないのか。エースと呼ばれている岩渕真奈選手も活躍はしても得点はしていなかったしなあ。ボールを持って抜こうとすればひっかかり、パスを送れば合わなかったりするのは相手が岩渕選手だと臆して引いてしまう周囲と違って、パナマが必死だったからな気がする。中盤で走り回って汗をかいてもボールを奪い前に送るといった覚悟を見せてくれていた、澤穂希選手なり加藤與恵選手なりといった魂のなでしこジャパンが今、必要なのかもしれないなあ。誰だろうそれは。現れるだろうかすぐに。


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