縮刷版2021年12月下旬号


【12月31日】 買い出しついでに名古屋駅の西口にある地下街のエスカで鉄板ナポリタン。「ガールズ&パンツァー」ではマカロニがそんな名前で出していたけど名古屋では「鉄板イタリアン」といった名前でそれこそ50年くらい前から食べられているメニューで、焼いた鉄板の上に卵焼きを作ってその上にケチャップで味をつけたスパゲティを置くといったスタイルで、あちらこちらの喫茶店でも出されている。大学の学生会館脇にあった喫茶店でも出してたくらいだから定番メニューなんだけど、名古屋を出るとほとんど見かけたことはないからご当地メニューだったんだろう。

 コメダ珈琲が全国へと進出していった関係で広まったかと思ったももの。ナポリタンは出しても鉄板イタリアンはメニューにないからそれほど知れ渡ってはいない感じ。イタリアンといえばむしろ新潟の焼きそばにミートソースをかけたようなイタリアンが東京あたちではご当地メニューと知られている感じで、アンケートをとったらどちらの認知率が高いかもわかりそう。分水嶺は箱根あたりか。しかし諸物価高騰か、大学生協だと500円もしなかった鉄板イタリアンが喫茶店だと980円くらい。食材が値上がりしている感じもないのにこういうところだけはインフレが進んでいる。まあ時給も当時の500円から今は1000円と倍だから仕方が無いのかな。

 高山羽根子さんの「暗闇にレンズ」を読み始めて普通の女子高生2人のストーリーと、そのルーツを探るストーリーが交互に出てくる話かと思ったら、途中に映像爆弾だの映像銃だのといった聞き慣れない言葉やら、街で映像が投下されて大勢が被害を受けたエピソードなんかが織り交ぜられて説明もなしにズレた現実を物故で来る高山さんらしさがしっかりと滲んでいる感じ。半ば映画の歴史を綴っているようで映像が持つ人間の感情を揺さぶり記憶を刺激する効能を平気におきかえ煽っているのはネットなんかで繰り出される映像によって人が支配され刺激を受けて導かれたり操られたりする状況のメタファーか。女性の系譜を追って親族を描いているのも男系でつなぐ伝統的家族観とやらへの反意がうかがえる。もう1度くらい読んで全体像を把握したい。

 赤池プライムツリーへと戻って来てタリーズで読書の続き。広場にあるモニターに見慣れないアニメーションが映し出されたと思ったら、どうやら赤池プライムツリーが独自に作ったものらしかった。声優オーディションもやりつつアニメーションを作って上映する、それも郊外にあるショッピングセンターがやってしまう時代になったのか。矢場とんもそいういえばアニメーションを作っていたし、岡崎が舞台になった「シキザクラ」というアニメもあったけれどそんな愛知県やら名古屋のアニメーションが訪れてみたいアニメ聖地88にひとつも選ばれていないのは、あえて騒ぎ立てて盛り上げるんじゃなくそこにあるはらそれで良いと思う名古屋人の気質が投票へと向かわせないからなんだろうなあ。

 新年へと向けてテレビをあれこれ。「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」がクリーンな画質で放送されていたのでしばらく見入る。エンディングに「天使の絵具」がつくからパッケージでのバージョンか。クレジットがくっきりと読み取れるのが嬉しいけれど、その中に「かがみあきら」という文字を見つけて少ししんみり。公開された1984年7月21日からそれほど間もない8月8日前後に亡くなってしまったから。漫画も面白くメカニックデザインでも活躍を始めていた矢先の訃報に愕然としたものだった。それ以来、出渕裕さんや河森正治さんらといっしょにクレジットされていつかがみあきらさんが、存命ならどれだけの存在になったのと思えて仕方が無いのだった。やっぱり人は死んではダメだ。


【12月30日】 岸田総理が宇宙軍の創設ではなくって月へと日本人宇宙飛行士を送り込みたい意向をしめして、七瀬夏扉さんの「ひとりぼっちのソユーズ」を思う日々。こちらも日本人の宇宙飛行士が月へと行ってそれから起こるいろいろな出来事を描いたSFだったけれど、現実では宇宙ステーションに行くだけで何億円かを積まなくてはいけない状況だけに、月着陸船をいっしょに打ち上げては1週間くらいかかる月への往復を成し遂げるのにどれだけの費用がかかるのか。考えるともっと他に使えといった声が出てくるのも仕方が無い。

 とはいえ使って消えるお金ではなく宇宙開発に関連した技術の進歩であり月での資源開発への唾付けであり日本人の科学技術への感心惹起であり何より夢の称揚といった効果も考え合わせるなら、まったくの無駄ではないと思えないでもない。一方で福祉や貧困対策をしっかりやりつつ産業を振興し、その成果としての月面探査を想定するなら悪し様に批判することはちょっと避けたい。リベラルをこじらした人たちは何かにつけて無駄遣いと誹るけど、誰かが私腹を肥やす訳ではないのだからそおなたり、鷹揚に構えていかないとあらゆる支出が出来なくなって衰退するよ。あるいは既にそうなっているか。

 コミックマーケットが始まったようで早朝の徹夜組が粉砕されたとか行列がほとんどできていないといった話しが伝わるにつれ、有償のリストバンドを使い予防接種の証明も求めて来場者をコントロールした成果はしっかりと出ていると言えそう。誰もが好きな時間にいけて誰とでも交流できるような“全員参加者”的コミックマーケット魂も時代にが変わり環境が変われば運用に変化が出てくるのも仕方が無い。とはいえ朝の1番にいかなければ買えない同人誌もあって、そしてたぶんこれはあっただろうダミーからの開幕ダッシュ的なもののコントロールも含めて理想と現実をどうすりあわせていくか。そんなところがこれから見えてくるんだろう。次は第100回。どんな祭りになるか。

 Kindle Stick Fireでずっと「カウボーイビバップ」のテレビシリーズや劇場版を見続ける。気取ってカッコ良いセリフを言うんじゃ無くて状況にマッチしたぼやきなりかっこつけなりを言わせるから観ていて心にズンと刺さるんだなあということを改めて感じ取る。この感覚は寺沢武一さんの「コブラ」を読んだときの感覚にも近くって、ジャン・ポール・ベルモンドの映画だとかいろいろな作品から感じ取って積み上げてきたある種の感性が、作り手達の中にあってそれが発現したってことなんだろう。それもパロディではなくオマージュとして。

 そうした展開に声優さんもしっかりとマッチした声を出しているというのがディレクションの巧さでもあり演技者の凄みでもあるかなあ。「ジュピタージャズ」でグレンの家に転がり込んだフェイがけだるそうに喋るあたりも林原めぐみさんが「スレイヤーズ!」のリナ・インバースでもなければ「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイでもない、まさしくフェイ・ヴァレンタインとしか言いようのない性格(キャラクター)を声に乗せている感じだし、器用さ故かいろいろな作品に起用はされてもそれが山寺宏一ならではの巧さを感じさせる方向に走って、キャラクターとの馴染みを阻害していることも多い山寺さんによるスパイクも、スパイクといしか言いようのない声を聞かせてくれる。

 それが絵と馴染みセリフと馴染んでいるからこその現出するキャラクター。その1つならず2つが書けた実写版ではやっぱり山寺さんの”モノマネ”が前面に出てしまってなおのことギャップを感じさせてしまったのかもしれないなあ。劇場版は今観るとなかなかにスリリングでそして最後までしっかりまとまった展開でシリーズとは違ったあるひとつのエピソードって感じを楽しませてくれる。4人がまだいた時代から下がってビシャスとの決着を経たスパイクがジェットとどうなったのか。そんな物語が見たいけれども石塚運昇さんが欠けてはチームにならないか。なのでやっぱり「天国への扉」で終わっておくのが正解だったのかもしれない。


【12月29日】 皇后杯でジェフユナイテッド市原・千葉レディースが日テレ・東京ヴェルディベレーザを何と3対0で破って準決勝に進出。確かリーグ戦では同じスコアで逆に負けていたけれど、1発勝負の舞台では何が起こるかわからない。日テレ・東京ヴェルディメニーナがINAC神戸レオネッサを破った件もあるだけに、試合終了のホイッスルが鳴るまでわからない勝負はジェフレディースの圧勝に終わった。さて次は同じWEリーグの大宮アルディージャレディースかと思ったら、メニーナがWEリーグ勢を連破するジャイアントキリングを見せて準決勝に上がってきた。

 パスが通る上にシュートもしっかりと湧くに飛んでアルディージャレディースの守備を攪乱。ゴールキーパーの反応かポジションもあってか遠目のシュートが決まってしまって次々と得点が積み重ねられていく。結果は4対0とメニーナの圧勝。そのプレーぶりはベレーザに勝るとも劣らないだけにジェフレディースもちょっと大変かもしれない。とはいえ2度ならず3度もWEリーグ勢が中学生もメンバーにいる下部組織に負けてはリーグの沽券にも関わるので、ここはしっかり鎮めて決勝へと進んで欲しいもの。相手は三菱重工浦和レッズレディースか、セレッソ大阪堺レディースか。行きたいなあ決勝。見たいなあ試合。

 せっっかくなので納屋橋饅頭を買おうと大須まで。昨日に続いてあんかけスパでも食べるかと店を探して、ユウゼンが店を出しているのを知って立ち寄りピカタを食べる。高いなあ。昔は600円もあれば食べられたのが今は1000円近くになってしまう。経済は発展していなくてもちゃんと物価は上がっているってことで、それちょっと拙いことかもと思ったり。金利も上がってくれれば嬉しいんだけれど。ユウゼンの入り口に何か行列が出来ていたけど隣のラーメンやでもなく上にあるカフェだった。何のカフェだろう。

 大須観音のお参りしてから納屋橋饅頭まで行ったらすでに売り切れていた。早いなあ。やっぱり1月11日に販売休止となるのを見越して大勢が買いに来ているみたい。地方への発送も終わっているからもう一生食べることはなさそう。味は覚えているけれど本当にその味だったか確かめたかったかもしれない。とはいえ治部が食べてた納屋橋饅頭は納屋橋の本家が作っていたもので、大須の万松寺が作ったものとは違う訳で、その意味ではとっくに食べられなくなっていたのだった。そうやって味は消えていく。フルフラフルールのように。

 三浦しをんさんの「風が強く吹いている」に0点なんて付けてあると聞いて、小川榮太郎さんの「作家の値うち」(飛鳥新社)という本を読んでみたら前に福田和也さんが出していた同じタイトルの「作家の値うち」と同じように、1人の作家について何作も取り上げ論評していて労作ではあった。三浦しをんさんも「まほろ駅前多田便利軒」については結構な評価だったけれど、「風が強く吹いている」は走ったこともない選手が予選会を勝ち抜き駅伝に出るなんてありえないから0点だとか。そこはそれ、フィクションと割り切るのが小説読みってものだけれど、小川さんはそれができない性質らしい。

 桐野夏生さんの「ナニカアル」も林芙美子がワルに描かれているのは他の人の解釈と違うってことで0点にしていたりする。でもネットに出ているインタビューによれば司馬遼太郎さんを世界の人が読んでも血湧き肉躍る傑作でノーベル文学賞級だと讃えるからちょっとダブルスタンダード。あと渡辺淳一さんとか村上龍さんとかお好みの作家ばかりを高得点にしているところは、石原慎太郎さんを高得点にしまくってた福田さんと通じるところはあるかも。その意味ではこの小川版「作家の値うち」自体が福田版のパスティースなのかもしれない。

 大須から伏見あたりを抜けて栄まで歩く。映画でもと思ったものの栄えにいわゆるチェーンの映画館はまるでなく、名画座的なものしかなくなっていて街の中心が名古屋駅へと移った今の名古屋の状況を感じる。郊外にあれだけシネコンが出来てしまっては栄まで来て映画を観ようとは思わないよなあ。でも新宿も日本橋も日比谷も渋谷も映画館がいっぱいある。それだけやっぱり規模が小さいってことか。テレビ塔を見上げて退散。年内にもう1回くらい様子をうかがいに行くか。


【12月27日】 3日間で26億円の興行収入を稼ぎ出し、190万人を動員した「劇場版 呪術廻戦 0」やなかなかい凄いと言えるけれども「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編』が3日間で46億円を稼ぎ出したのを先に見ているだけに、驚きの規模はどうしても小さくなってしまう。いったいどうしたらあれだけの動員をかけられたのかといえば、やっぱり圧倒的な親子連れの数なんだろうなあ、子供が行けばその親の世代も行かざるを得ないから倍とまでは行かないけれども1.5倍にはなってしまう。

 対して「呪術廻戦」はティーンから30代あたりがメインターゲットになると行ってカップだからそれに親子連れが加わった「鬼滅の刃」にはどうしても及ばなくなってしまう。 この傾向が変わって「呪術廻戦」にこれから親子連れがわんさかと集まるとも思えないだけにまずは100億円超えをひとつの目標にしてのばして200億円から100億円とった大きな幅の中をどこまで上がってくかを見ていくことになりそう。

 煉獄さんのような人を引きつける象徴として理香ちゃんが来るかというと見かけはアレだしそれはなさそうだし。五条悟の圧倒的なカッコ良さが炸裂しているって感じでもないし。あるいは禪院真希のナマ足を拝みたいといった人がこれからじわじわと広がって、映画館へとつめかけ最前列から見上げるようなアングルで真希さんを味わう人たちで劇場の前列が埋まるような現象が起こるといいな。起こるはずないか。そうそうストーリーでは最後の理香のワンパンチでもって最強だとか最悪だとか言われた呪いの人形が吹っ飛ばされて出番がなかったのが今にして思えば可愛そうかも。復活の目はないのか特級仮想怨霊の化身玉藻前さま。

 「フラ・フラダンス」の応援上映で“応援上映”とついているにも関わらず、ペンライトを出すなと怒った人がいるらしい。そりゃあのべつまくなし振られては静かな場面とか台無しになる気もするから、ライブシーンとかフラのシーンに限ってペンライトを振ってくれたらという思いもないでもないけれど、推しのキャラクターが出てきたら推し色で全力応援するのもまた応援上映だという姿を例えばキンプリだとか、最近はテニプリだとかの映画で見ていたりもするので、それこそ冒頭の予告編から映画泥棒から振っているのを咎める気は無くむしろ全員がそれに載ってくれればさぞは明るくそしてまとまりのある応援上映になった気もしないでもない。その意味で告知も実施も半端だったかも。ラストシーンのひまわり畑に合わせて、そして日羽の笑顔に合わせて場内を黄色に染めたかったなあ。そんな機会も少なくなりそうなだけに特別上映で応援上映発生上等な回を1度、作って欲しいなあ。

 「ただそれだけでよかったんです」の松村涼哉さんによる新作「犯人は僕だけが知っている」は青春ミステリであると同時に社会派のテイストも持った作品。高校から3人が立て続けに失踪して猟奇的な事件に巻き込まれたんじゃないかと囁かれていたけれど、同じ学校に通う男子生徒には真実が分かっていた。なぜなら3人とも彼がひとりぐらしをする部屋に転がり込んでいたから。顔をいつもマスクで隠した少女やバスケ部の男子、そしていつもクラスで居眠りしている女子が何か逃げ出したいことがある雰囲気を見せていたのを見て誘い暮らすようになった。

 それなりにまとまっていたけれどそこに波風。学校のクラスメートが1人、死体で発見された。犯人は3人のうちの誰かか。そんな推理を部屋主の少年が繰り広げるけど、逆に少年が犯人かもといった噂も立って真実が見えなくなる。けれどもちゃんと解決編はあってその裏にデジタルタトゥーともいえる問題や、貧困やヤングケアラーといった社会的な問題が見え隠れして読む人にいつ自分がそんな境遇にならないかといった思索をもたらす。そこが社会派であり、学校で起こる噂話や疑いのまなざしななんかが青春ならではといったところ。こうした作品を書くのが巧い松村さん。将来がますます期待だ。


【12月26日】 箱根駅伝に関連した本を読むシリーズ。堂場瞬一さんによる「チーム」は今は関東学生連合チームとなってしまった箱根駅伝に出場できなかった大学から選ばれた選手たちによるチームが、関東学生選抜チームと呼ばれていて箱根駅伝に出場経験がある選手でも選ばれていた時代でなおかつオープン参加ではなく順位もしっかりついた時代を舞台に、そんな関東学連選抜チームで走った選手たちの思いを描いたストーリーとなっている。

 モデルは観光された2008年1月の箱根駅伝で、関東学連選抜チームが4位に入った話らしい。その時の監督が青山学院大学の原晋さん。ここでの実績もあって首が繋がり後の青学による箱根駅伝4連覇を含む5度の優勝という黄金時代を気付いたのだから学連選抜様々といったところだろう。学連選抜事態も休止の話が立ち消えになりはしたものの、出場できる大学が強豪ながらも不調で漏れた強豪校で、選手も経験者だったりして門戸を広げることにはなっていなかったんで、参加資格が代わって初出場の選手しか走れなくなったらしい。

 なので山城のような3度も区間新を出した強豪が選抜に回ってジャイアントキリングを起こすこともなくなった。ドラマ性は薄れたけれどもそこはまあ、仕方が無いと思っておこう。元より大学の名前を売るための関東ローカルな強壮な訳で、そこで大学名を背負わない連合チームが活躍してもあまり意味はないみたいだから。「チーム」という話に関しては山城という自分は常に自己ベストを出すだけだというエゴイストの言動がどうなるかといったところがポイントになっている。

 チームオーダーに乗れないなら長距離専門で行けば良いのにそれをしないのは所属している大学陸上界が箱根駅伝を中心に回っていて、出ることが半ば義務づけられているからだろう。そういう意味で優れた長距離選手を消耗させる部分はあるものの、一方でチームのために走ることで生まれる心理も少なくない。そんなメンタルを描いているところも「チーム」の良いところ。続く「チーム2」ではベルリンマラソンとかで優勝しながらオリンピックには不安がある山城の引退危機をどうにかするためかつての仲間が結集する話しらしく、「チーム3」にいたっては山城が有力選手のコーチになるという話し。あのエゴイストが誰かを教えるなんてと思うと読みたくなってきた。探そうかな文庫本。

 「フラ・フラダンス」を見に行く。4回目。東京国際映画祭も含めてすべての回に水島精二総監督が登壇しているという状況にもしかして追っかけかとも思ったけれど結果論であって見たいのはやっぱり映画本編。そして相変わらずの面白さだった。さて今回は立川シネマシティの極音上映という触れ込みで、水島総監督が調整を行った音響での上映となって聞くとなるほど声の粒立ちが良くって隅々までいろんな音がなっているのが聞こえたような印象があった。後で登壇した伊藤プロデューサーによれば、カフェでバックになっている音楽がきこえながらも喋っている日羽らの声も聞こえるという具合だったらし。確かめに行きたいけれど立川シネマシティ、もうすぐ終わっちゃうんだよあな。残念。

 水島総監督の話ではところどころピピーキーになる部分を上とか下とか調整しつつ中間部分を膨らませたとか。だから爆音でも轟音でもなく全体が柔らかく、それでいてソリッドにきこえてくるといったところか。あとは音楽について「ありがとForYou」を録るにあたって最初は別の声優なりに歌ってもらうことも考えていたけれど、最終的に「フラ・フラダンス」の5人が歌うことになったけれども映画の役とはまったく違った、いついろディライトというアイドルユニットのメンバーとして歌うことを求めたとかで、それにその場で答えて歌える声優さんたちはやっぱり凄いと感嘆したのだった。

 可能性を考えるなら北方領土を4島とも返してもらうなんてことはまずなくて、2島だったらどうにかなるかもしれないけれどもその可能性ですら現時点ではゼロに近い状況にあるのなら、やっぱり4島返還を言い続けることの方が国益にかなった言動だといった評価ができるにも関わらず、安倍元総理は2島返還にかけてプーチン大統領とやりとりをしてそしてお金なんかもあげちゃったりした結果、1島たりとも返してもらえない状況だったりする。昔だったら右翼が騒いで糾弾に次ぐ糾弾が行われてしかるべき振る舞いなのに、安倍ちゃん親派はより前向きで可能性を鑑みての英雄的行為だと持ち上げるこのぬるま湯が、政治を忖度まみれにして国益よりも政治家益が尊ばれる空気を作り出してしまったのだろう。叶わなかったのなら責任を取るポーズでも見せればまだしも救われるのに、自分はまったく悪くないと嘯くその態度にどうして誰も怒らないのか。やれやれだ。まったくもってやれやれだ。


【12月25日】 とくに何事もなくクリスマスイブの夜は明けてクリスマスとなっても代わらず仕事。箱根駅伝に関連した小説を読むことになって額賀澪さんの「タスキメシ」と「タスキメシ―箱根―」を図書館で借りてきて読んでいく。まず「タスキメシ」の方は高校の陸上部が舞台で駅伝に勤しんでいる春馬という主人公の高校生がいて、その兄に早馬という同じ陸上部だったけれどケガをして引退気味もいて、どうして走るのをやめてしまうのかといった弟の問いかけから走ることの意味めいたものが感じられるストーリーになっている。

 そんな兄はといえば管理栄養士を目指していて弟の陸上競技に役立つようなメニューを作っては食べさせる。つまりは「タスキメシ」。とはいえやっぱり思い捨てがたかったのか、春馬や仲間たちの誘いもあってか大学に進んでも陸上を止めなかった春馬が、大学を出て管理栄養士となり病院に勤めたにも関わらず、止めて紫峰大学という国立大学の駅伝部に栄養士兼コーチとして赴任して、部員たちを箱根駅伝へと連れて行こうとする奮闘が続く「タスキメシ―箱根―」で描かれる。紫峰というのは筑波大学の学生会かOB会かなにかの名称になっているからモデルは筑波かな。

 つまりはかつての東京師範学校で第1回の箱根駅伝を優勝している伝統ある学校だけれど私学優勢になってからは出場することすらおぼつかない。まっとうに予選を通って出たことなんていったいいつ以来となる大学がモデルなだけに、紫峰大学も前年の予選会で14位とまずまずでもやっぱり遠い位置にいる。そこからどうやったら箱根駅伝を目指せるか。まずはコンディショニングだと早馬が料理を作って食べさせつつ、経験を語って選手達を引っ張りどうにかこうにか箱根駅伝へと連れて行く。そして結果はて……といったドラマも感慨深いストーリー。駅伝小説といえば真っ先に三浦しをんさん「風が強く吹いている」が浮かぶけれど、いろいろと書かれているんだなあ。

 寒い中を外に出てロフトプラスワンで「ライトノベルの新潮流」の発売記念イベントをのぞく。ライトノベルの黎明期から現在までを振り返った概説と言った感じでガイド本ではなさそうで、その意味では頼まれつつも筆が進められないガイド本とは重ならないけれどもそれ以前に話自体が消えているだろうから申し訳なさ多々。生きるのに精一杯で遠い未来につながる仕事をちょっとできない心境だったからなあ。とはいえ「ライトノベルの新潮流」に刺激も受けたし、自分なりにピックアップしていこうかとその時は思った。その時は。

 終わったので近所のTOHOシネマズ新宿で2度目の「劇場版 呪術廻戦 0」。2度目だけあって狗巻先輩と乙骨がペアでのぞんだ商店街でのバトル辺りで意識が飛んでしまったけれど、目標としていた乙骨が最初に教室に入ってきた時に斜に構えて座った禪院真希ちゃんの組んだ足とか、キュロットジャージで鍛錬に励む真希ちゃんを下から煽ったシーンとかはしっかり見られたので目的は果たされた。やっぱり真希ちゃんの映画だよね。あとは鳴鳴さんとか。もう出てるって言っちゃってもいいでしょうし。すでに渋谷でも見せてくれたあの圧巻の斧使いをしっかり見せてくれています。

 女子サッカーの天皇杯にあたる皇后杯が行われて、日テレ・東京ヴェルディベレーザの下部組織にあたる東京ヴェルディメニーナがWEリーグで首位を走るINAC神戸レオネッサを2対1で破る金星をあげたとか。元よりメニーナも強いチームでなでしこリーグだったら2部でもそれなりに活躍できてしまう実力の持ち主。1発勝負ならINACだって撃破できる力は持ってはいるけれど、それでもやっぱり優勝候補でリーグ首位がここで消えてしまうのは珍しい事態でもある。

 INACにとってはちょっぴり恥ずかしいことでもありそう。とはいえ今年度の活動が終わったかというとWRリーグはシーズンが秋春制になっているので年が明けて試合がまだ続く。そこで巻き返してWEリーグ初代チャンピオンを狙ってくるだろうから我等がジェフユナイテッド市原・千葉レディースもどうにかリーグ上位に食い込んでいって欲しいもの。その前に日テレベレーザを撃破して皇后杯優勝を目指すのだ。確かリーグでは勝ってた筈だし大丈夫、大丈夫。


【12月25日】 ははははは。北京五輪に政治家を派遣するかどうかといった問題で、政府に動きがあっていろいろな新聞が記事を掲載してくる中で、大手町にある一応は全国紙が森喜朗元総理と日本オリンピック委員会の山下泰裕会長を派遣するといった記事を「独自」と銘打って出したと思ったらすぐに引っ込め、官房長官による発表の記事をしばらくして出してきた。前後して大手町にあるこちらは紛う事なき全国紙が山下会長とそして日本パラリンピック委員会の森知之会長の派遣を報じて、「独自」が間違っていたことを見せてきた。

 結果として一応は全国紙も「おわび」と題して「24日午前に配信した『北京五輪 森元首相、山下JOC会長らを派遣へ』の見出しと記事中、政府が北京五輪に派遣する方針を決めたのが『森喜朗元首相』とあるのは、『日本パラリンピック委員会の森和之会長』の誤りでした」といった訂正記事を出してきた。いったいどうしてこんな間違いが起こったのかを考えると、どこかで「森さん」という名前を聞いた誰かが「それは森元総理だろう」と思い込んで記事に書いてしまったか、途中でデスクが書き換えたのかいろいろ想像できてしまう。

 とはいえ、そこで本人にあてれば否定されただろうから、確認を怠ったとも言える訳で、急ぎ記事を掲載しようとする中で途中をすっ飛ばしてしまった結果、間違いが起こったと見るのがここは良いのかもしれない。朝刊にドカンと刷って間違ってましたとなったら恥ずかしかったかなあ、今は配信で先出しして間違っていたら間違ってましたと訂正もお手軽に出来てしまうところに、こうした間違いが発生する余地もあるのかもしれない。そこで徹底的にツブしておかないと、すしざんまいの社長がソマリア沖の海賊退治に協力したという与太話が、4年を経て復活してくるようなこともあるからネットは怖いけれど。

 アニメをいっぱい観ていると標榜するアニメウォッチャーの人がコラムを書いていて、週刊誌が書くゴシップから事前にあまり出て欲しくない情報が出てファンがガッカリするといった内容になっていて、確かに声優さんやら制作会社のゴシップ絡みで作品の良さが損なわれてしまうことはファンとして気分が良くないけれど、主演が誰とか主題歌が誰とか制作が決まったとかいった情報が事前に漏れ出ることで、何か気分を損なうかというとまるでそんなことがない人間には、いったいどうしてこういう考えに至るかがまるで分からないのだった。

 記事だと「何が悲しいのか:ファンが共有したかった公式発表時の喜び」って小見出しでもって事前に情報が出回ってしまうことで、ファンがダメージを受けるといった主張が繰り広げられている。何でもイベントなどの「会場で“特報”の2文字や“制作決定”の4文字が拝めるかどうかは時に死活問題」なのだとか。そりゃあその場に居合わせて、同じ情報をいっしょに得られることである種の共犯者的な意識は得られるかもしれないけれど、しょせんは解禁なんてただの経過であって、作品そのものの価値にはまるで関係ない。早バレしようが結果として作品が面白ければそれで良いんじゃないのかな。

 とはいえ、そうした“解禁”でもって盛り上がることが今はマーケティングの中に組み入れられ、それが成功しなければ作品自体が成功しないといったある種の脅迫観念が作り手にも、そして受け手にもあったりするのかもしれない。公式によるマーケティング的な意味合いからの情報統制に、そこまで迎合しなくてもって思うけれど、蔑ろにすることで作品が埋もれてしまっては元も子もないといった意識も働いているのかもしれない。いろいろと難しい世の中であります。

 せっかくだからと「劇場版 呪術廻戦 0」を見にTOHOシネマズ日比谷のIMAXへ。最前列で真下から見上げるようになったスクリーンにローアングルで映し出されるまだナマ足の禪院真希がとても素晴らしい作品だった。ありがとうMAPPA。漫画版と基本的には同じでストーリーに驚くべきところはないけれど、そこにどういう付け足しをするか、どういった構成に改めて映画としての起承転結をつけるかといったあたりは工夫がされていて、引き込まれて楽しめた。テレビシリーズから入った人にも楽しめる要素満載。また行こう。


【12月23日】 噂の100円ローソンで売っているというソーセージと御飯だけの200円弁当を見つけたら消費期限が迫っていて半額の100円になっていた。200円でも安いものが100円というこの諸物価高騰の中でのデフレ飯を食べる我が身もなかなかに冷ややかだけれど、凝ったところで腹の脂肪になるだけなんで気にしないでこれからも見つけたら買っていこうかな。ちなみにお味はソーセージに御飯だった。当たり前だ。

 一昨年に背景美術のクリエイターに関する講座が行われて小林七郎さんにお目にかかれて嬉しかった三鷹ネットワーク大学の三鷹の森ジブリ美術館協力第9回アニメーション文化講座が「アニメーター大塚康生の仕事」に決定。今年の3月に亡くなられた偉大なアニメーターの業績を、友永和秀さんや富沢信雄さんといったいっしょに仕事をしていたアニメーターやプロデューサーとして関わった竹内孝次さんらの登壇を仰いで振り返っていくことになるみたい。あと研究をしている叶精二さんとか。

 友永さんは先だって秋葉原のUDXシアターで開かれた「ルパン三世」の上映会に登場して思い出をいろいろと話してくれていたけれど、今回はそこでも話が出てきた富沢信雄さんとの登壇ということで、より突っ込んで「ルパン三世 死の翼アルバトロス」に実は大塚さんが携わっていた話だとか、意外なエピソードが飛び出すかもしれないのでこれは行くしかないよなあ。でも美術の時と違って競争率も激しそう。申し込みは年明けの1月4日からってことで忘れないで当日速攻で申し込もう。

 来年夏の参議院議員選挙に「ラブひな」なんかを描いた漫画家の赤松健さんが自民党の公認候補として立候補することが正式に決定したみたい。これでやっぱり候補者の事前運動になるかもしれないってことで「ラブひな」が絡んだイベントだとかテレビアニメの再放送だとかはなくなるのかどうなのか。「魔法先生ネギま!」の方もそれはいっしょだけれど、漫画家が立候補した話って最近あんまり聞かないからメディアでの扱いがよく分からないのだった。「陸上防衛隊まおちゃん」の再放送とか見たいんだけどなあ。

 どうして自民党からって意見がやっぱり飛び交いそうだけれど、立憲民主党から出たからといって当選しなければ何の意味も無いし、当選したところで具体的に政治を動かせなければ議員として存在する価値がグッと減ってしまう。衆議院議員だったら地域の代議士として地元の声を国会に伝える役割があるから野党の所属でも大いに意味はあるし、国会だってぞんざいには扱えないんだけれど、参議院議員は政策の決定だとか党への影響力だとかを考えた時、やっぱり与党にいた方がいろいろと有意義ってことなんだろうなあ。寄らば大樹。

 やはりホームって意識もあるのかお互いに。「ほしのこえ」の公開時に大行列が出来て伝説となった下北沢トリウッドが新海誠映画祭2022を開催予定。秋に新作映画「すずめの戸締まり」が公開になるのを見込んでの盛り上げの一環ってことなんだろう。上映作品も「ほしのこえ」とか「彼女との彼女の猫」といった初期作品に始まって「君の名は。」とか「天気の子」といった新作にまで及んでいるから、通えばそのフィルモグラフィーをおさらいできる。個人的には久々に「君の名は。」をスクリーンで見たい気がしているかな。あとは「言の葉の庭」か。「雲の向こう、約束の場所」を1度しか映画館で見てないというのもあるんでこれを機会に見に行くか。


【12月22日】 アニー賞のノミネート作品が発表されて、日本のアニメ映画なんかが入るインディーズ部門で「Flee」とか、夢枕獏さんの原作を谷口ジローさんが漫画にしたものをフランスかどこかのスタジオでアニメ化した「神々の山嶺」とかに並んで細田守監督「竜とそばかすの姫」、平尾隆之監督「映画大好きポンポさん」、渡辺歩監督「漁港の肉子ちゃん」が入っていた。タムラコータロー監督「ジョゼと虎と人魚たち」が入らなかったのは残念だけれど、日本でから入った3作品もどれも独自性があってストーリー性も高いだけに受賞が期待できそう。「ポンポさん」がとったらニャカデミー賞より先にアニャー賞獲得記念漫画が描かれないかな。

 宮昌太郎さんの舞台挨拶を見に行ったら監督の京田知己さんと脚本の野村祐一さんとSF設定の森田繁さんが見れた。違う「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」の舞台挨拶で司会が宮昌太郎さんだったということで、テレビシリーズの「交響詩篇エウレカセブン」からきっとそれなりに関わっていただろう思い出話が繰り広げられるかとも思ったけれど、司会は司会として登壇した人たちの話を回すことに努めていた印象。内輪ネタの楽屋落ちになっても見ている人はつまらないからね。

 そんな舞台挨拶では野村祐一さんが書く脚本はどれだけ削られてもいじられても野村さんになるってことが京田監督から離された。「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」でいくならホランドとタルホのどことなくコミカルさも含んだやりとりは、野村さんならではの味だったらしい。エウレカとアイリスの最初はぎくしゃくとしてぎこちなくじたばたとしていた関係が、だんだんと近づいて微笑ましくなっていうあたりもそうなんだろうか。エウレカの自室でのアネモネとのやりとりもそれっぽいなあ。

 そんな野村さんが「交響詩篇エウレカセブン」のスペシャル「ニュー・オーダー」以来で「ハイエボリューション」3部作の最後だけかかわったのは、「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」で京田監督が脚本を書いて絵コンテを切って監督をするのは大変だと気づいたから。だったらとそこで佐藤大さんチームに戻らなかったのも気になるけれど、テレビシリーズの「交響詩篇エウレカセブン」から離れてこの世界観を次の世代へとまっさらにして引き継ぐことができるようにするという、当初の目的を果たす上で監督の意向をしっかりとくみ取った脚本を書ける人が必要だったのかもしれない。

 今回のトークイベントで気になったのはその部分、この後を続けられるようにしたというところで、「『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』を作った後、次を作れないだろうなとう気分があった。”続く”と出さなかったのも、次を自分が作る自身がなかったから。それが作れることになって、この世界観が続いてお話が作れるものにするというオファーを改めて考えた」京田監督は話してくれた。

 「シリーズがどこを目的にしていたか。それはこの世界観をどう着地させるか。持続可能な話になるように設定を見直し、配置を見直しエウレカのネガな部分をなくそうとした。エウレカってどうしてもパロディが入る。そのパロディの要素を終わらせ、パロディが入り込む要素を消して次の代に渡していく」。そうすることで「次の代のキャラクターはまっさらな形で世界を作れる」。今回の「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」が前の映画から10年後になっているのは、ここで登場したキャラたちがさらに10年経って主人公として活躍できるからだという。

 「20年スパンで、10年後に新しいドラマが作れるようなセットアップを行った」。ってことは誰かここで紡がれた物語の続きを作ってくれるということか。ちょっと期待が浮かんでしまった。森田繁さんはSF設定として参加して、赤道以外からのびる軌道エレベーターが可能かを考えたそうで、成功して良かったと話してた。一方で、ロードムービーとなったことで「ドイツのアウトバーンの交通標識がどうだと聞かれて困った」とか。それは設定考証の役割だからなあ。SF屋は何でも屋ではないのであります。

 そんな感じで楽し気に進んだトークイベントを締めたのは野村さん。「脚本の時はクレジットカードを割るのが1回しかなかったのに、映画では何回も割っていてプラスチックごみが気になった」。そうですか。もちろん「エウレカとレントンが再開するところはグッと来ざるを得ない」とも。そこは2005年から「交響詩篇エウレカセブン」に付き合ってきた人ならではの感想なんだろう。そんな映画自体は3度めでだんだんと雰囲気はつかめてきたけど、多元宇宙的な解釈はまだ完璧じゃないので、近く刊行されるという「ハイエボリューション」の解説本を読むことにしよう。予約受付中とか。


【12月21日】 「機動戦士ガンダム」のテレビシリーズにあっていろいろな評判を持って語られ、それは「ふしぎの海のナディア」の島編とも重なる語られ方をしていた「ククルス・ドアンの島」が安彦良和さんの監督によって映画化されるということは、以前にも発表せれていたから耳新しい話ではないけれど、来年の夏に公開が決まってキービジュアルも発表されたことで、いろいろなメディアが記事を載せてきた。それがまた素っ頓狂で苦笑もの。どうしたらこういう記事になるんだといった声がオールドなガンダムファンからわき起こっている。

 記事にはこうある。「ストーリーの中心は、『機動戦士ガンダム』の第15話『ククルス・ドアンの島』。ファンの間では名作として知られる本エピソードは、主人公のアムロ・レイと敵対するジオン軍の脱走兵ドアンとの交流を通じて戦争の哀愁が描かれ、当時ガンダムファンの注目を集めた」。おいおい。なるほど脚本自体は悪いものではなかったけれど、いかせん作画がポンコツで劇場化の際にはエピソードごと“封印”されたものを取り上げ、よりによって“名作”と行ってしまっていったい誰が信じるのか。当時を知っていたら絶対出てこない言葉だろう。

 SF設定の森田繁さんなんか「『1979年本放送当時、『ククルス・ドアンの島』は名作と呼ばれていた』と書くライターがいたら、自宅の水道から未来永劫水の代わりにコウガイビルが流れてくる呪いにかかりますように」とまで書いている。それがアニメファンの“常識”だったはずなのに、メディアが「名作」と書いてしまうのは当時を知らなかったということもあるだろうし、リリースがそうなっていることもありそう。だったらいったい誰がリリースを書いたんだって話になって来そうで、版権元だとしたらそれはやっぱり不思議だし、それをそのまま引いてしまうメディアもやっぱり不思議。そうやって信頼ってものは奪われていくんだろう。とりあえず安彦版「ククルス・ドアンの島」が名作になってくれることを願おう。安彦さんならではのギャグは抑えめにね。

 陸秋槎さんによる「盟約の少女騎士」 (星海社FICTIONS)を読み終えた時の感想は、冲方丁さん「ばいばい、アース」に重なるところがあるなあ。だいたいにおいて美少女たちが集まった騎士団が自死を厭わない謎の集団に気づいて迫って立ち向かうという展開。そこにいたる過程で騎士団に入るということの大変さがあったり、王位を継ぐことの難しさがあったりして戦記的な楽しみがあり、そして少女騎士たちの百合めいた関係を味わう面白さがあり、バトルの凄さがあったりして歴史ミステリといった風情を楽しめる。

 そんな展開が謎の教義を重んじる集団の登場によってダークな方面へと向かっていく。現世でお金を貯めるだけ貯めたら、あるいは地位をあげるだけ上げたらそれを持って来世へと行けるというもの。そんなことある訳ないじゃん、そもそも来世なんてないといったら話が終わってしまうけど、積んだ徳が来世で幸福となって還ってくることはあっても、犯した犯罪の成果が利益となって還ってきたら、誰もまともの働こうだなんて思わなくなる。つまりはあり得ない教義を信じて暴れ回って金を貯め込んだところで、虚しいのに信じられているのは何か理由があるのか。

 ってところで仄めかされる教義、それがもたらすビジョンはつまり一種のレベルアップってところなんだろう。あるいはバッドエンドなきリスタート。そういった仄めかしがラストだけであく途中にもあったのかを読み返して確認したくなる。ラスト以外に出てないとしたらちょっと唐突だし、いろいろと鏤められた騎士になることの大変さ、百合めいた友情の行く末なんてものが意味を無くしてしまうから。そうした描写の中にもヒントがあるようなら結構凄い話かもしれない。あるいは続きでもっとど派手に展開してくれることを期待したい。


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