縮刷版2021年11月上旬号


【11月10日】 「TIGER&BUNNY」の第2期放送で注目が集まっていたNetflixがアニメ作品に続けて実写作品のラインアップを発表。そこでいよいよ「ONE PIECE」のキャストが発表になってロロノア・ゾロに新田真剣佑さんが起用されたことが明らかになった。アクション俳優の千葉真一さんをお父さんに持つ真剣佑さんだけに期待できる剣技を見せてくれそうだけれど、ゾロお得意の三刀を果たして再現できるのか、あの刀身を果たして口にくわえられるかがちょっと気になる。そこだけ柔らかくしちゃあリアリティが損なわれるからなあ。見守ろう.

 主演のモンキー・D・ルフィを演じるのはメキシコ出身のイニャキ・ゴドイ、ウソップをジェイコブ・ロメロ・ギブソンとほとんど聴いたことがない役者が演じているけれど、動画を見たらそれぞれに特徴を掴んで陽気だったり楽しげだったり表情を見せていたから安心できそう。カッコ良さでなるサンジが単発のタズ・スカイラーが演じるみたいだけれど、映像でもそのままで行くのかな。スーツ姿で女は蹴らないダンディを気取った優男がサンジな訳でマッチョな感じが合うのか否か。見守りたい。ナミのエミリー・ラッドは言うこと無し。放送が待ち遠しいなあ。巨大な白ひげとか超巨大なしらほし姫とかどうするかも気になるなあ。

 「ブシロードグループがイベントホールを取得」と題してニュースリリースが出ていた模様。「『飛行船シアター」として2022年春開業予定」だから年をあけたらもうすぐオープンってことになる。相変わらず動きが速いなあ。ブシロードグループがホールを買うという話自体は、ライブエンタテインメントの拡充を進めるブシロードグループにとって当然の布石ではあるから驚きはない。ただ、買った場所が上野学園石橋メモリアルホールということでいろいろと騒がれそうなだけに、そうした不安を振り払うようなステートメントが出ればいいかなとちょっと思う。

 辻井伸行さんを輩出した上野学園音楽大学だけれどどうやら経営実態は相当に悪いらしく数年前から楽器を売った、バッハの直筆の楽譜を売ったといった話が伝わり、また教職員に対する締め付けもあってユニオンあたりが結構騒いでいた様子。そんな流れの果てに去年、大学部門の学生募集を停止して閉鎖することを打ち出してこれまた物議をかもしているさなかで、学校にとって看板ともいえるホールを売却するというのは頑張ってる学生や教員たちにとて膝が崩れ落ちるくらいのショックだったらしい。

 何しろ寝耳に水で、11月8日に発表になるまで誰も知らされていなかったというのだから呆然とするのも当然か。もちろんブシロードグループは上場企業でもあるからそうした経営にかかわる情報を事前に外に出すはずもなく、そうした相手と交渉しているなら学校側が学生や教員への説明をできずはずもない。とはいえ学業に関わる重要な施設を売り払うならタイミングというものもあって、せめて来年の卒業公演でホールを使いたいという人が使えるようにして欲しかったものが、12月にはいったん閉鎖の上で改装に入るというから在校生が受けた衝撃も少なくなかっただろう。

 音響の良いホールで器楽の生音がよく響くと評判で、ステージ上にはパイプオルガンも据え置かれていて500人規模ながらいい演奏が聴けるホールと評判は悪くなかった。そうしたホールがブシロードグループに入った劇団飛行船の小屋となるからにはミュージカルような公演がメインとなって静謐なクラシックからは遠ざかる。ブシロードだからほかのミュージカルなんかも上演されるかもしれない。音楽学校がある場所に出入りするアキハバライケブクロな人たちというマッチングはしばしのコンフリクトを招くだろう。

 何よりそうしたミュージカル等の公演のために、残響を操作できるような仕組みにするということが、クラシックのために計算された残響を持ったホールの性質を変えてしまうのではないか、そして舞台上に鎮座するパイプオルガンも取り払われてしまうのではないかといった不安を与えている。コントロールできるということはクラシックにベストな残響音も作り出せることではあるけれど、ナチュラルにこだわるとそうした作為も気になるものなのかもしれない。

 プロジェクションマッピングなどの設備導入もクラシックの殿堂めいた場所にふさわしいかと問われると、臆する関係者もいそう。だからそうした場所は奪われたんだとあきらめようにもあきらめきれないのが母校への思いってやつだろう。昭和女子大学の人見記念講堂が来年から劇団四季のホールになるとなったらやはり騒がれるだろうから。そうした場所への思い、クラシックというジャンルへの敬意を保ちつつブシロードがリニューアルを行い共に満足できる新たなる聖地へと持っていけるかが、会社のステイタスを上げる上でも重要になりそう。どうなることやら。

 アメリカで共和党のゴッサール下院議員が民主党の下院議員やバイデン大統領を巨人に見立て移民を侵略者として捉えてた「進撃の巨人」のコラ映像を投稿して物議を醸している。そりゃあ当然だろう。とはいえ「進撃の巨人」が作品として完結した今、というより途中の世界の真相編からマーレ編へと続く中で、巨人は侵略してくる敵のアナロジーではなく、他国で少数派となり追放された同族だと分かっているのに、異質な敵として扱うのは大きな間違いだったりする。それを考慮に入れてないのは完結から日が浅いからか、会員議員に理解する頭がないからなのか。続きを読んで出直せと言いたいけれど、理解できないなら引っ込んでろと言おう。迷惑だから。


【11月9日】 10万円の18歳以下への支給が浮かんだと思ったら集中砲火を浴びて自民党も意見を変えたみたいだけれども960万円以下に10万円だけれど現金は5万円で半分は来春にクーポンで5万円だという手数ばかりがかかって浸透突破に弱い感じ。どうしてこんな無駄足ばかり踏むのか、やるならさっさとやって盛り上げれば良いじゃないかと思うのだけれど頭の良い財務官僚の人には別の思惑でもあるのだろう。均衡とか再建とか。そもそもクーポンって何だ。何に使えるクーポンだ。もしかしたらそのまま税務署に持っていくと税金の納付が出来るクーポンか。出してもすぐ戻るからご安心ならさすが財務省、頭が良い! さてはて。

 「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(佐藤辰男)にはサブカルだけじゃなくってKADOKAWAが展開してきた映画興行の話も載っている。たとえば角川ってそういえばシネプレックス持ってたよねといった記憶があるけれど、それはもはや過去の話。シネプレックスはユナイテッド・シネマに2013年に吸収合併されてしまっていた。ちなみにそのユナイテッド・シネマに角川が出資してた時期があった。2004年に豊島園にできた「ユナイテッド・シネマとしまえん」の内覧会で確か角川歴彦会長を見かけた記憶がある。

 メインは住友商事で角川の出資は10%ほど。対してシネプレックスは角川の子会社で日本ヘラルド映画買収時について来た。原作企画製作興行配給販売垂直展開できる会社が出来たと思った記憶。順風満帆に見えたけど、興行すなわち角川シネプレックスのシネコン事業は程なく過当競争に突入してしまう。『買収時から赤字基調だったが、二〇〇八年三月期は営業損失六億六二〇〇万円、当期損失三〇億八六〇〇万円と赤字を拡大させた』と本書。シネプレックス幸手が出来ればユナイテッド・シネマ春日部ができ109シネマズ菖蒲が出来てすぐ赤字に。シネプレックス水戸も水戸内原とひたちなかのTOHOシネマズに囲まれ『競争関係から東宝作品が配給されず、やはり赤字転落』してしまう。

 2010年に角川書店と角川映画が合併して『合併後の角川書店社長に井上伸一郎が就任』して後、『古い映画産業の体質』を改善して『出版と映像の一体化によるメディアミックスの再構築』を推進。不採算の角川シネプレックスは『ホールディングスの社長だった筆者と、財務を担当する松原眞樹がいち早く売却を主張したが、歴彦はこれに反対し、横沢隆を社長に据え再建を目指した』という。機を見るに敏だからすぐに応じた訳ではなかったんだ歴彦会長。

 それは『ひとたびグループに入った以上、自前での経営改善を強く志向』するその一面が現れたかららしいけど、結果として売却に至ったのは『投資ファンドのアドバンテッジパートナーズ(当時ユナイテッド・シネマを傘下に擁していた)から、買収金額の提示とともに、ムビチケとの連係を高めるために「(株)ムビチケ(現ムービーウォーカー)への出資提案」という奇手が繰り出された』から。そうのだ。あの便利な前売り券なのに座席が指定できる「ムビチケ」は実はKADOKAWAのグループなのだった。『これが決めてとなり、歴彦もGOサインを出すことになった』と本書は書く。このあたり、ブックウォーカーなりムービーウォーカーなりdアニメなりdマガジンといった”業界機能会社”を持ち運営する戦略との一貫性もあったのだろう。『売却に際しても適正価格と戦略の正当性にこだわり歴彦の一面が、強く表れた一幕だった』。

 結果としてムビチケの浸透に役立った訳だからシネコンも無駄ではなかったし、何よりシネプレックスといえば細田守監督の『時をかける少女』をロングラン上映からのスマッシュヒット化を後押ししたチェーン。これはKADOKAWA傘下にあったから取れた展開であって才能としての細田守監督を輩出すると共にコンテンツの柱として確保できた背景に、シネプレックスを持っていたことがあったなら投資も無駄ではなかったって言える。 『シネコンの売却により、KADOKAWA傘下の劇場は』『角川シネマ有楽町と、アニメ専門館EJアニメシアター新宿の二館となった』。そこを活用して次の人材を送り出せるか、あるいは過去の資産を活かせるか。

 そんな過去の資産の活用って意味だと、ところざわサクラタウンににょっきりと立って話題の「脚」なども含めて、いろいろとやっている感じがあるからちょっと楽しい。ふじみ野市まで取材に行く用事があったので、帰りがけにちょっと寄ってみたけど確かににょっきりと脚が生えていた。映画公開時だとポスターに載ってて話題のその脚が、誰のものかっていうのは重大なネタバレになってしまうのだけれど、公開当時はそれが誰のものなのか皆知っててその名前で呼んでたなあ。ネタバレした上で楽しむ風土が当時はあったってことかなあ。こういった資産の活用は大歓迎だけれど、EJアニメシアターがその名にふさわしくアニメの名作傑作をいつも見られるって感じじゃないのがちょっと寂しい感じ。秋葉原の二の舞にならないように頑張れ、頑張れ。


【11月8日】 「リボンの騎士」のサファイアや「ジャングル大帝」のレオ、「ヤッターマン」のガンちゃんことヤッターマン1号の声を演じて僕たちの世代にとって主役中の主役とも言える存在だった声優の太田淑子さんが亡くなられたとのこと。89歳はかなりのご高齢ではあるけれど、ご主人の阪脩さんが91歳で未だ現役なだけにおふたりともずっと健在であって欲しかった。富田耕生さんが昨秋に亡くなられ、森山周一郎さん若山弦蔵さんと昭和の声優さんが相次いで鬼籍に入られる状況はやはり時代だということなんだろう。

 太田さんといえば以前に赤塚不二夫さん原作の漫画をアニメ化した作品をあつめたDVDの発売時に、バカボンのパパを演じた富田耕生さん、イヤミの肝付兼太さん、ニャロメの大竹宏さんと並んでインタビューに答えて戴いたことがあったっけ。太田さんの役はもちろん「ひみつのアッコちゃん」のアッコちゃん。サファイアもあったけれども心は男の子という役でもあったし他も男の子が多かった中で初めて女の子を演じられて嬉しかったって話されていた。そうなんだなあ、やっぱり。この時から10年近くが経って富田さん肝付さんが先に逝かれてそして……。大竹さんいつまでもご健勝で。

 良質と思えるアニメーション映画の興行がパッとしない問題についてもっと世間に媚びるべきか否かはやっぱり作り手も悩ませている模様。「TIFFマスタークラス 2021年、主人公の背負うもの」に登壇した『漁港の肉子ちゃん』の渡辺歩監督は「作品が成立しなくてはいけない形を壊してまで数字を摂りに行く必要があるのか」という点について「これでは数字は取れないというものに対して、どこまで真摯に向かって作れたか」を考えると話してた。

 「今できるすべてを全部入れた。伝わらなければ悔しがる。数字のためにねじ曲げるものは作らない方が良い」とも。「フラ・フラダンス」の水島精二総監督は「自分が自信を持って世の中に投じるものは、多くの人に見てもらいと思って投じている。」と発言。「こういうのは、アニメーションの宣伝とか映画興行のセクションから出がちな意見」であって、それよりは「出来上がったものを解析して、面白い切り口で宣伝してくれたら」と訴えた。

 受けて渡辺監督も「でき上がった映画、見てないの? とか」宣伝に関して思うことをボソリ。「僕らとしては多くの人に見てもらいたい。今ここを描くべきタイミングがあれば、そこに行くだけ。それがミラクルを飾ってめちゃくちゃヒットしたのが今の世の中なのでは」と水島総監督。後付けでいろいろと解釈はできるけれど、ジブリ映画だって新海誠監督だって細田守監督だって「鬼滅の刃」だって、共通するヒットのメソッドがある訳じゃないしなあ。積み上げたブランドとか時の氏神とか。そんな感じだし。

 「一般の人に見てもらいたいし、アニメを見ている人にも見てもらいたい。そこのバランスをきっちり取りたい」と水島総監督。キャストを世間の人気者にすれば受けるかといえば「キャストで俳優の人をいっぱい集めるのはしたくない」と。ただ「映画のフックだけでなく、映画の役に立っているなら大歓迎」だし、「フラ・フラダンス」でディーン・フジオカさんや山田裕貴さんが起用されたのは「フジオカさんは色々なところから名前を伺っていた。山田くんは僕が連絡先を知っていたので、役に合うと思いオファーした」

 福原遥さんも美山加恋さんも「映画の経験がある女優として活躍している。役に一番合っている」と水島総監督。「求めているお芝居をさらに膨らませてくれそうな、映画にフィックスすると確信を持てる人を選んだ。上から強力にこういう感じということはなかった」と、あくまでもマッチするかどうかを重要視したことを訴えていた。だとしたら、やっぱり宣伝手法が今ひとつなのか。ってところだけれども宣伝会社の頑張りもズレている点も両方を感じない訳ではないだけに、良いとも悪いとも言いづらい。映画の宣伝手法自体がテレビやスポーツ新聞受けを最大ポイントと思い込んでいる節があるものなあ。「ディア・エヴァン・ハンセン」の宣伝でスタン・ハンセンを使わなくなったのは少しは改まっているってことなのかな。「DUNE/デューン 砂の惑星」は村上ショージを使ってでも受けた方が良かったのかな。

 良質すぎるからもう完璧な滑り出しを見せたのが「映画すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ」。ファンワークスが手がけた映画の第2作目だけれど監督が「夏目友人帳」の大森貴弘さんで脚本が吉田玲子さんとあってもう完璧なまでに心をしっかりと捕らえて放さない内容になっていた。みなが心にちょっとずつネガティブなところを持ったすみっこコたちの中でも自分を隠して親から離れてくらすとかげが、魔法の国からやってきて戻れなくなってしまった魔法使いのふぁいぶを迎え入れたことで起こるちょっとした騒動の中、夢ってなんだろうといったことを改めて思わされる話になっていた。

 優しさと労りの固まりのようなすみっコたちの日々に触れるだけで癒やされる上に自分のネガティブなところがなくなったとしても、それは決して嬉しいものではなくってやっぱり自分で克服することでしか得られないものがあるってことが感じられた。ラストも優しくて嬉しくい展開。さすがは吉田玲子さんといったところ。たぶんフル3DCGで描かれているんだろうけれども絵本のようにキャラは平面で、それなのに輪郭線は毛糸で囲ったようになっている懲り様が凄かった。表情とかないようでしっかりあるものなあ。凄い技術をさらりとやってのける。そこがファンワークス。素晴らしい。


【11月7日】 それが押井守監督である当然は見いだせたものの、ルパン三世である必然があったのか。「ルパン三世PART6」の第4話「ダイナーの殺し屋たち」。アーネスト・ヘミングウェイの短編「殺し屋たち」から題材をとってオマージュするように進めていった先で、幻の短編集がCIAのコードブック代わりに使われていたとかいった話になるんだけれど、それをルパン三世が狙う意味がよく見えない。金銀財宝の類をかっさるのが大泥棒のルパンの醍醐味。その過程でライバルの殺し屋たちを惨殺するだろうかってのがひとつひっかかった。PART1のルパンならやってたかもしれないけれど、そうした殺伐を出し抜くのもまたルパンだからなあ。

 押井守的な衒学趣味には溢れていて、自身が過去に原作を描いた「The Killers」という短編の再利用にもつながったかもしれないけれど、その中に石川五ェ門は入れられず次元とルパンの2人も肩すかしをくらったような展開。サスペンスとしては面白かったけれどそのキャラでやる必要があったかと言われた時に、そのキャラだからヘミングウェイの短編も今に蘇らせたといった理由があるならやっぱり本末転倒のような気がする。奴らは奴らで物語を紡げるはずなのだから。まあ面白かったけど、オシイスト的には。だから厄介なんだよなあ。

 「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(佐藤辰男)から漫画への取り組に関する続き。KADOKAWAには「月刊ASUKA」とは違ったコミックスの流れがあってそれが1985年にスタした『さらに二つのコミックス・レーベル』。。ひとつが「ドラゴンコミックス」だ。「コンプティーク」や「マル勝ファミコン」の連載作品、ゲーム系の書き下ろしのレーベルだった。

 第一弾は『神星記ヴァグランツ』(作画/麻宮騎亜、原作/ヴォクソール・プロ)。『サイレントメビウス』の麻宮騎亜のデビュー作で「コンプティーク」に連載された作品の単行本化』だったらしい。『一九八五年五月にスタートした「100%コミックス」は「Newtype」が生み出したレーベルで、記念すべき第一弾は「Newtype」の人気連載コミック『ファイブスター物語』(永野護)』。その最初のシリーズが36年経って最新刊を出し続けているのだから息が長い。かくしてKADOKAWAはコミック分野でも一大勢力になって今やメディアミックスの中心にもなっている。

 『コミックス三レーベルが立ち上がった頃角川書店の営業部にコミック課ができて、各雑誌編集長、コミックス担当者による「コミック研究会」がキックオフした。当時専務だった角川歴彦の主宰で、シリーズの使用設定、取次店での取り扱い選定、店頭フェアなどが協議されたが、角川の行き方は、先行する大手とは違っていた』という。「あすかコミックス」こそ新書版だったけど『「ドラゴンコミックス」「100%コミックス」は書籍扱いを基本』。それらが売れてきたので『現場からコミック誌創刊の声が上がってきた』。

 ここで歴彦会長がイケイケだったかというと『角川歴彦は、コミック誌の創刊にはことの外慎重だった』というから意外。『井上伸一郎は「コミックGENKi」創刊を当時のザテレビジョン社長だった角川歴彦に提案したところ、手厳しく様々な指摘を受けたという。筆者も、当時は新語だった「おたく」をターゲットにしたコミック誌の提案をしたが、見通しの甘さを指摘されるばかりだった』。アクセルは踏むけどブレーキも積むところが歴彦さんらしい。『しかし、創刊自体を否定されたわけではなかった』から諦めず、「Newtype」付録の「コミックGENKi」の刊行間隔を季刊隔月刊と縮め『作家・作品を蓄積していった』。

 成算を見せれば上は納得してくれるという理解が現場にはあったのだろう。だから頑張れた。『「コンプティーク」「Newtype」から生み出された作品群はゲーム的、アニメ的なSFやファンタジーが主流で、当時の少年誌、青年誌のスポ根、ラブコメ、劇画作品とは一線を画していた』と本書。『永野護、麻宮騎亜、美樹本晴彦のようなアニメ業界、都築和彦のようなゲーム業界、あるいは同人誌出身者によって固められていた』。このあたりは「モーションコミック」とか旧「リュウ」あたりが先にやっていたけれど、大手出版社はあまり手を着けなかった印象がある。角川は後発だから拘らなかった。

 『「コミックマーケット」で頒布されるいわゆる同人誌は、「二次創作」といわれ、人気コミックのパロディが多く、著作権侵害の温床のようにいわれ、大手出版社はこれを嫌ったが、角川書店は、才能の発掘場所としてコミケは是認しており、ここから実際才能を見出すことも多かった』。そうなんだ。そうなのか? 専門家に聞きたい。『角川メディア・オフィスが「準備室」を設けるのが一九八七年四月、「コンプティーク」の副編集長だった吉田隆、マル勝ファミコンの副編集長だった染谷恵司、石川順恵、新たに採用した佐々木将、長谷川真、徳田直巳というメンバーだった』『大塚英志もこの創刊に外部編集者として協力した』。

 『そして『「月刊コミックコンプ」(創刊時には「コミックコンプティークと名乗った)は、一九八六年三月創刊。創刊号は六万部で返品率五割という厳しい立ち上がりだったが、創刊号からの目玉作品だった麻宮騎亜の『サイレントメビウス』が』映画化もあってヒットし『フォーチュン・クエスト』『宇宙英雄物語』『イース』『銀河戦国群雄伝ライ』といった作品も出て『九二年には一五万部超の刷り部数を実現していった』と本書。そして1994年の夏を迎えるのだけれど、それはあまりにも生々しいのでここでは踏み込まない。いつかの機会にいたしたいけどそんな機会があるかどうかは知らない。

 「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」が面白すぎる。強くて強くて強い中日ドラゴンズをどうやって作ったかがしっかり書かれていて、そしてプロフェッショナルの仕事とは何かをしっかり伝えているところもあってこれが主流になれば日本のスポーツはとてつもなく進化しそうな気がするけれど、一方でファンあってのプロだといった部分での解釈違いがあるだけに、試合で強さを見せて結果を出すこととは別に、ファンがプロ野球を好きになるプロセスも作ってあげる必要をまるで感じていないところに、興行としてのプロ野球を目指す意見との相違もありそう。アメリカなんてプロ意識はそれとしてファンサービスもしっかり両立させてなおかつ強いからなあ。過渡期ではあったとして今必要なものは何か。そこを考える必要がありそう。


【11月6日】 手に入れた方も出始めたのでもう紹介も良いかと思いつつ目撃情報も少ないので、「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(佐藤辰男)を語る夕べ。「第1章 八〇年代「雑誌の時代」とサブカルチャーの発見と育成」より「3 コミックに挑む」。それは『「月刊ASUKA」創刊に始まる』のだという。ちなみにKADOKAWAは『“漫画”は、先代源義によって手を着けてはいけないことになっていた』。これは国文学者だった角川源義の遺訓で、週刊誌とポルノにも言えたことで、だからきっと富士見書房が作られたのだろう。

 KADOKAWAにとって週刊誌は「ザテレビジョン」が最初になるけれど、もともとは米タイム・インク社の「TVガイド」誌を見た角川歴彦が、日本でも出したいと思ってから『実際の創刊までは一〇年を要したことになる』とのこと。そんな『角川書店の最初のコミックス(単行本)は、一九八四年六月、山川惣治の『バーバリアン』と記録にある』。これは『少年ケニヤ』の劇場アニメ化からの流れで、たった37年前のことで、『こち亀』より歴史がないとはちょっと意外だった。

 同様に映画化の流れで手塚治虫の『火の鳥』が出ることになった。『一九八六年一二月二〇日の劇場アニメ『火の鳥 鳳凰編』(同時上映『時空の旅人』)を控え、A5版ハードカバー、定価一四〇〇円の豪華な作りで大人の需要を喚起し、これは全一二巻で四〇〇万部近くを売るベストセラーとなった』という。この『火の鳥』は揃えたなあ。確か同時期に文藝春秋から『アドルフに告ぐ』もハードカバーで出ていて、漫画のハードカバー化がちょっとしたムーブメントになっていた。そして手塚治虫ということで揃え易かった。僕は学生だったけど、大人向けでもあって『団塊の世代の”大人買い”の動きに乗ったもの』と言える。

 『ここまでは「読んでから見るか、見てから読むか」の映画と文庫のメディアミックスの延長線上にあった』と本書は振り返る。『角川書店で初めてコミック雑誌を創刊したのは書籍代に編集部(文芸)の青木誠一郎と山田美己子だ。ふたりは少女マンガの大御所である池田理代子、山岸凉子、竹宮恵子などの作品の復刻版を手がけていたが、これに飽き足らず、少女向けコミック雑誌の創刊を唱え青木は「月刊ASUKA」初代編集長に就任した』。お二方は今何をしておられるのだろう。この創刊に関して激烈な反対があったとかいった証言は書かれてないからすんなり決まったのかな。

 そして『「月刊ASUKA」は一九八五年六月創刊』された。買ったなあ。『創刊号には、山田が山岸凉子を口説いて名作『日出処の天使』の続編となる『馬屋古女王』が巻頭を飾り話題となった。刷部数二〇万部で消化率八〇%近くをとって幸先の良いスタートを切った』。以後、高口里純『花のあすか組!』に山岸凉子『時じくの香の木の実』に栗本薫原作、いがらしゆみこ作画『パロスの剣』などが「あすかコミックス」でリリース。よく集めたねえ。『青木は小学館の出身。山田は編集プロダクションにいて少女コミックのコミックスを作っていた』から人脈はあったとはいえ、小学館集英社白泉社講談社の牙城でもあった少女マンガでこのセレクト。どういう思いから山岸いがらし竹宮等々の大御所が角川の雑誌に集まったかが知りたい気がする。確か萩尾望都さんも「海のアリア」とか「あぶない丘の家」とか連載してたものなあ。

 アローハー! そんな水島精二総監督によるアニメ映画「フラ・フラダンス」を東京国際映画祭で見る。なるほど東日本大震災の陰を感じさせつつもあからさまには描かず離別を抱えて頑張る人たちの中に入っていって離別を抱えた少女が頑張り独り立ちしていく物語になっていた。精鋭揃いのはずのメンバーが実力はあっても固かったり本場出身だけど柔らかすぎたり円かったり人見知りだったりフラフラしてたりとポンコツ揃いなのは謎だけれど、そこを言っては話にならないからポンコツも才能だということにしておこう。

 そうやって選ばれたもののやっぱりポンコツなメンバーがそれぞれに抱えた問題を解決していくというストーリー。母親との確執や故郷からの隔絶や性格の問題や姉への思いが描かれる中でひとり丸い子は丸いこと意外の屈託がなさそう。もうちょっと家庭なり成長の中での悩みもあったんだろうけれど、それを描くのはテレビシリーズくらいの尺がないと無理ってことなんだろう。それこそ「Wake Up Girls!」くらいの。似通った部分もあるだけに改めて震災からの復興の中で輝いたアイドルたちの物語が思い出されて欲しいなあ。ヤマカンさんの仕事として。

 そんな「フラ・フラダンス」の上映後に行われた水島精二総監督への質疑応答で、,企画の成り立ちを聞かれて「フジテレビの東日本大震災に関連した東北復興プロジェクト『』フジテレビ ずっとおうえん。プロジェクト』があって、その一環としてフジテレビとバンダイナムコピクチャーズが福島県を舞台にして、フラダンスを踊っている人を題材にした映画を作りたいということで話があって引き受けた」と答えた水島さん。「もともと周防正行監督の古い映画が好きで、お仕事物をやってみたかったらしい。

 「『シコふんじゃった!』にしても『Shall we ダンス?』にしても、だいたい知っているけれど、詳しいところまでは知らないことを描いている。そうやって仕事自体と密接に関連させることで主人公の成長を描く描き方が面白いと思って、いつか自分でもそういう作品を作れたらと憧れていた部分があった」。そんな企画で成算のひとつが吉田玲子さんの起用。「何を描きたいかといったところをメモにして、後に脚本に入られた吉田さんに共有して提案をし、骨格を再構築していった」と振り返った。

 「僕のメモ自体はそれほど情報量が多いというものではなかった。それから僕が描いたものはコメディ調だったが、それを等身大の少女にしたいということで、最初のブロックのプロットから打ち返してくれた。それが良くて初手から信頼できると思った。なるほどこれはお仕事のオファーがいっぱい来る方だと思った。そんな巧さを始めから感じられた」と褒め称えた。恋愛めいた話とか必要だったかなと思わないでもなかったけれど、終盤にかけての盛り上がり、とりわけ東京で行われたフラ大会の様子はひとつのクライマックスでいっしょにコールしたくなったよ。それが出来る時代が来て欲しいなあ。12月3日公開ならあるいは。


【11月5日】 東京国際映画祭ではチケットが取れなかったけれど、2022年の2月18日に公開日が決まったみたいなので、それほど間を置かずに観られそうなので一安心。劇場で予告編も流れていたから、それほど遠くはないと思っていたけど意外と近かった。そんな予告編を見るまで「グッバイ、ドン・グリーズ」を僕は、飼われていた牧場から逃げ出して、人など襲わないのにかつてない巨?を恐れられ、ドン・グリーズと呼ばれたハイイログマが老いて隠棲していた森が開発されそうになって、工事に来た人たちが無害なのにも関わらず狩ろうとしたのを、しばらく前に森で迷子になったところをドン・グリーズに助けられた少女が、森の奥に逃がそうとして頑張るシートン動物記のようなアニメーション映画だと思ってた。団栗だったんだ。

 そんな東京国際映画祭ではTIFFマスタークラスとして「漁港の肉子ちゃん」の渡辺歩監督と、「フラ・フラダンス」の水島精二総監督が登壇したトークイベントを聞く。主人公とは何かというテーマだったので過去に観て印象に残った主人公について聞かれた水島監督が挙げたのが「いなかっぺ大将」の風大左衛門で面白かった。ヒーローという感じではないけれど、出てくるだけで何かやらかしそうなインパクトを持ったキャラクターだから挙がるのも当然か。渡辺監督は自身が監督したこともあるけれど「ドラえもん」ののび太を挙げていた。ドジだけれどそこに甘んじはしないで頑張るところが主人公らしいってことだった。ヒーロー物の主人公を挙げないところがファンというより作り手らしい。

 そんな2人にキャスティングに関して質問があって、遠回しにどうして俳優を使うのかって聞かれたと感じた2人はともに何かしらのプレッシャーで起用しているのではなく、ちゃんと内容にそぐうキャスティングをしているって話してた。あと俳優の人たちは「芝居をキャラクターになじまして、しっかりと命を与えてくれる」ってことを渡辺監督は話してた。大竹しのぶさんなんて肉子ちゃんにもなればふしぎっとと仲良しなお婆さんにだってなりきるからなあ。違和感があったとしてもそれを味として選んでいるとも。違和感がキャラクターを際立たせるといった理由。それならそうだという感覚で観ていくのが必要なんだろう。明日は「フラ・フラダンス」を観るのでお手並み拝見。

 「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展』(佐藤辰男)を語る夕べ。「第4章二〇一〇年代 デジタル・メガコンテンツ・パブリッシャーへ」より「3 ライトノベルの競争激化」から。「黒牢城」が山田風太郎賞に決まった米澤穂信氏が角川学園小説大賞を受賞しスニーカー文庫からデビューして、後に一般文芸のミステリで活躍するようになったのは知られた話。「天地明察」の冲方丁さんもスニーカー大賞出身で、有川浩さんは電撃大賞出身。ラノベ作家の文芸行きはひとつの流れになっている。その流れに乗り、あるいは作ったのがメディアワークスの文芸単行本への試みだった。

 それは『有川浩の『図書館戦争シリーズ』(二〇〇六年二月〜全四巻)に始まった。ライトノベルを卒業する読者層へのアプローチとして成功し、「電撃文庫」で育った”文芸作家”の選定に入り、周到な準備の上で「メディアワークス文庫」を創刊する。創刊編集長は小山直子。二〇〇九年一二月創刊』と本書。この辺りは僕も取材して記事にしたからだいたい知ってる。『営業施策として一般文庫棚での陳列を書店に要請し、新しい潮流を起こそうとした』。ラノベ棚にメディアワークス文庫や富士見L文庫が並ばないのはその名残。メディアワークス文庫からは『探偵・日暮旅人』や『ビブリア古書道の事件手帖』などが登場してヒット作が生まれた。

 『この流れは、のちに「キャラクター文芸」とも「ライト文芸」とも呼ばれ「新潮文庫nex」(新潮社、二〇一四年)、「オレンジ文庫」(集英社、二〇一五年)など追随するレーベルが現れ、ひとつのジャンルを形成した』。講談社タイガとかもあったならあ。LINE……には触れないでおいてさしあげたい。『「富士見L文庫」は二〇一四年創刊。「富士見ファンタジア文庫」の上の世代の文庫として“あやかし系”として『かくりよの宿飯』(著/友麻碧、イラスト・Lauha)、“中華後宮系“として『紅霞後宮物語』(著・雪村花菜、イラスト/桐矢隆)などのヒット作を生んだ』。

 今なら確実に『わたしの幸せな結婚』が入るだろう。マンガも合わせればシリーズ累計300万部。富士見L文庫では目下の最大勢力なんじゃなかろうか。こうしたキャラクター文芸なりライト文芸への進出がライトノベル読者の上の世代へのエクスパンションと言えるなら、『逆に、ライトノベル的手法を、下の年齢世代に応用してみせたのが、二〇〇九年三月に創刊された「角川つばさ文庫」だ。三年かけて児童文庫一位の地位を獲得したのも誇らしい』って講談社青い鳥文庫や集英社みらい文庫や小学館ジュニア文庫より上なのか! ちょっと驚いた。

 『その後、角川グループが絵本や児童向け雑誌、サンリオやディズニーキャラクター出版を成功させる礎を築いたという意味で、ライトノベルの成功に匹敵する評価を受けていい』と角川つばさ文庫を讃えている。KADOKAWA史に残る仕事。それを発案したのは『角川グループパブリッシング社長の関谷幸一』さんだ。『書店の児童文庫の棚に注目していたが、これまで児童文庫の棚は、グループの営業マンが立ち寄らない領域』で『「青い鳥文庫」が圧倒的なシェアを持ち、中規模以上の書店では安定的な棚が確保されている』。そして『少子化の中でも誌上は堅調に推移している』。

 取り組む価値があると関谷氏が発案して角川書店第一編集部、富士見書房、角川学芸出版のメンバーによる検討部会がスタートするのが、二〇〇七年夏』だった。そして『当時角川書店の第一編集部に所属し初代の編集長に就任する松山加珠子は、市場調査で図書館を回り』スニーカー文庫、ファンタジア文庫、電撃文庫が小学生にも人気と再認識。そして調査し『小・中学生は過去の名作よりも今の作家が書いた作品を好み、カバーやイラストを重視するとうことがわかった。これは角川書店が得意とするライトノベルのノウハウを児童文庫でも活かせるということを意味した』。そういう経緯があったのか。

 そして2008年4月につばさ文庫編集部が出来た。『六月、社内公募によりレーベル名を「つばさ文庫」と決定、この頃より富士見書房、アスキー・メディアワークス、エンターブレインの編集者も検討会に参加』してルールや体裁を決めて創刊日を2009年3月3日に決定。『ケロロ軍曹』の劇場公開に合わせ伊豆平成さん著のノベライズを加えた15点を出した。『二万四千部を投入し、普段は静かな書店の児童文庫棚は『ケロロ軍曹』『ぼくらの七日間戦争』(著/宗田理、イラスト/はしもとしん)、『時をかける少女』(著/筒井康隆、イラスト/いとうのいぢ)、『ウルは空色魔女 はじめての魔法クッキー』(著/あさのますみ、イラスト/椎名優)などがたちまち重版がかかる好調ぶりを示した』。

 のいぢさん表紙の時かけ買ったかなあ、ちょっと記憶にない。『ふしぎの国のアリス』『かがみの国のアリス』のokamaさん表紙は見て驚いた記憶があるそうした新訳のリパッケージに『おおかみこどもの雨と雪』のような映画ノベライズ、オリジナルを揃えた角川つばさ文庫は『創刊から三年後の二〇一三年三月期に「つばさ文庫」は業界第一のレーベルとなる』。そうやって市場って作っていくんだなあ。『「角川つばさ文庫」は児童文学にイノベーションを起こし』、メディワークス文庫はラノベ読者と一般読者を引き込んだ。ラノベが上も下も取り込んだなら次はどこだろう? シルバー世代かベビー世代か。気になります。


【11月4日】 午前中から図書館へと出向いて薦めたいライトノベルの文庫を10冊ばかり選ぶ仕事をカチャカチャとこなす。去年はベスト3になったけれど今年はベスト10が復活したのはそれを望む人が多かったってことかな、10年もやっていればライトノベルが普通の文庫よりも自分たちに身近なものとして感じられる世代が増えているって現れかも。選ぶの上ではレーベルの分散にも気を使ってみたけれど、KADOKAWA系が多くなるのは仕方が無いか。なにしろ5つのレーベルを傘下に収めているんだから。

 どうにか下書きを終えて図書館を出て通りを歩いていたらららぽーとTOKYO BAYへと向かうバスが来たので飛び乗って、TOHOシネマズららぽーと船橋で「アイの歌が聴こえる」を見る。2回目。1回目は松竹の試写室で見て冒頭から繰り広げられるいきなりの衆人環視の中での歌の贈り物に尻がむずむずとしてしまって途中まで居たたまれず、また高校生たちが誤解しつつ正直になれないコミュニケーションのちぐはぐさに心がイラッとしたけれど、そうした前提をしおんというロボットの存在がぶち壊していった上に、しおんの正体が明かされてとてつもない仕掛けがあったことが分かって、一気に心が開かれた。

 冒頭で描かれる電脳空間で何かが移動している描写、そして映し出される世界の様子がひとつの鍵。だからこそいきなりアカリを見つけたしおんが歌い出したってことが後になって理解できる。AIにとってはそれは瞬間だったのかそれとも永遠だったのか。人間とは違った時間感覚をもったAIにそこのところを聴いてみたい気がした。すべてが終わった後であのボディは戻されるのかそれとも空から見つめ続ける存在になるのか。戻ったら柔道部の杉山が迫りそうだけれど投げ飛ばされるのがオチか。練習にならいくらだって付き合うって言ってたくらいだし。ひとり相手が出来ず可愛そうな杉山。三太夫と添い遂げるしかないかな。

 未だ実物を手にした人はほとんどいないとネット上で目される幻の社史「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展』(佐藤辰男)を語る夕べ。本日は「第V章二〇〇〇年代サブカルチャー黄金期へ」より「5 アニメ事業の躍進」から。『二〇〇〇年二月に、富士見事業部からソフト事業部に次長として安田猛が就任した』。安田猛氏は「ドラゴンマガジン」や「コミックドラゴン」の編集長を歴任して「スレイヤーズ」や「セイバーマリオネット」「魔術師オーフェン」のアニメ化に編集部から参加した人だ。

 その安田猛氏のソフト事業部次長としてのミッションは『テレビアニメで地上波の放送局に国内・海外の番組販売権、商品化権、音楽著作権を押さえられ、ビデオメーカーに製造権と販売権を押さえられ、原作を供給する出版社には権利や手数料が残らないという現状を打破することだった』という。『当然壁は厚い』。書きっぷりからその岩盤ぶりがうかがえると同時に、出版社でありながら角川はテレビアニメに対してそういう認識だったのかと意外に思った。

>  アニメになれば原作使用料は入るし出資せずともアニメ化で本が売れれば儲けになるから、無理に出資して損を出すよりも高みの見物が決められる。なので権利は二の次と思ってた。アニメ会社の人とかが出版社はヒットすれば本が売れるんだから出資もしてよと話していたのを聞いたこともある。角川は高みの見物ではなかった。むしろ積極的に権利を取りにに出た。『少額出資から転換』して主幹事を狙い企画・制作から販売までを手がけるようにしたいと考え、「ゲートキーパーズ」でそれを達成。「フルメタル・パニック!」では角川で製造したパッケージを卸すビデオメーカーの地位を獲得、販売も担うようになっていく。その“集大成”が「涼宮ハルヒの憂鬱」ってことになる。

 スニーカー文庫編集長の野崎岳彦さんがガチSFの「ハルヒ」をキャラ立てして売ることにして『「ハルヒ主義」といい、「ハルヒだったらこうする、こう考える」というルールを作り』『マーケティングに徹底させた』。そして井上伸一郎アニメ・コミック事業部長と安田次長の下、『出版もアニメも同部署でコントロールできる仕組みになっていたので、綿密に原作サイドの編集部と、映像制作サイドのスタッフのすり合わせが可能と』なって、伊藤敦が『この「ハルヒ主義」をテレビアニメでも徹底した』。

 トータルコントロールで盛り上げ文庫が売れアニメも売れた。もしもそういう体制が出来ていなかったら、ハルヒは盛り上がったか、ラノベ人気の粗となり深夜アニメの起爆剤となり今に至るポップカルチャー大国日本を形作ったかと考えた時に、事前の角川の体制作りに歴史的な意味はあったかもと思えた。同じ深夜アニメでも1990年代と2000年代では構造が違うことも。

 そんなアニメ・コミック事業部の井上伸一郎氏は『二〇〇四年暮れに、マッドハウスの丸山正雄社長に呼び出され』て『細田守が筒井康隆の『時をかける少女』を手がけたいと言っていると、その許諾と製作を打診」され即座にOK。同時に『製作費を二億円以内に抑えること』と『後にスタジオ地図社長になる齋藤優一カをプロデューサーに据えることを条件』にした。『興行規模を二一館と絞ったのは、井上によると『ピンポン』から学んだ。宣伝費をかけずとも、口コミとネットの話題でじっくり広げようという戦略』だった。 それはハマってロングランから受賞から成し遂げ『サマーウォーズ』へと至る。

 角川アニメが今成功しているのだとしたら、その源流は2000年代に取り組まれたこうした権利を手元において原作からアニメ化から展開から販売までを行える体制を気付いたことにあるのかもしれない。それが制作会社と視聴者を直で結ぶ配信時代にどれだけのイニシアティブを保っているかはちょっと気になる。強い原作を持ち続けることであり、配信向けのアニメ化に製作出資を行って事後の展開での権利を確保することで影響力を持ち続けるといった。どうだろう。そのうち制作会社を傘下に入れ始めるかもしれないなあ。


【11月3日】 幻の聖典と呼ばれ駆けている「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(佐藤辰男)のは、何もKADOKAWAのサブカル戦略だけが掲載されている訳ではなく、会社自体が2010年代以降に大きくトランスフォームしていった流れを、デジタル化への取組なんかも含めて紹介していたりする。それを象徴するのが、角川歴彦会長による〈巻末の辞〉。そこに紹介されているエピソードが興味深い。

 ブックウォーカー社とうのがあって、もっぱら電子書籍を作ったり売ったりしているんだけれど、そこの社員はほぼ全員がデジタル体質で「彼らは常に判断が素早く、決定を欲しがる」のだという。そんなブックウォーカーの一社員がある年の忘年会の席で『会長、僕たちはもっと仕事がしたいのですが、出版各社の編集者からの返事が遅くて捗りません。調整、調整で時間がかかりすぎです」と言ったという。歴彦さんにはそうやって、若い社員のコメントも聞く雰囲気があるからなあ。春樹さんだと怖くてちょっと言えそうもないから。

 「この発言は希望退職を実施した辛い時期と重なる」そうで、「出版各社のみならず映像部門も調整を専業とする部門が大所帯になり、かつ出版の中枢になるべき中堅社員の多くが無駄な業務に多くの時間をうばわれていた。部分最適の大弊害である」といった状況にあったから、煩雑な調整も仕方が無かったということなのだろう。そうした中でブックウォーカーの社員の言葉に「デジタル社員育成の成果が出てきたことがつらい決断からの立ち直りの第一歩となった」とか。へこたれないでいられた原動力だったからこそ、ここで紹介したとも言える。

 それはそれで重要なことではあるけれど、一方で「牧歌時代の旧きよき人々は去った」と書いているところに、言外に調整ばかりで決断が遅い編集者は生き残っていけないぞって言っているようでもあって、旧い体質の編集者が読めば戦々恐々となりそう。なおかつ戻って佐藤辰男氏は、本編の末尾で『DXも所沢も理想郷への道であるならば、KADOKAWAの人たちは、鉄板の上の猫のように、踊り続けなければならない」と書いて締めた。つまりは止まっていてはいけない、もっと歩き続けろ、それどこか踊り続けろ、そうでなければ焼け死ぬぞってこと。戦々恐々だよなあ。社員が読めるようになった時、どんな反応が出るかがちょっと知りたい。

 手を鳴らせ、足を踏め、立ち上がって歌え、踊れ。そんな衝動を満たせないコロナ下での上映が勿体ないと思った湯浅政明監督の長編アニメーション映画「犬王」の東京国際映画祭での上映。2022年初夏という公開の頃にはそうした振る舞いが全てが可能になっていて、それどころかスタンディングOKで拍手歓声からダンスまでありの上映会が開かれたら、是非にいって歌い踊って叫びたいと思えてきた。それくらいすさまじい映画だった。例えるなら琵琶ロックオペラにしてボヘミアンラプソディーからのジギースターダストだったってところだろうか。訳が分からないけれど、見ればやっぱり訳が分からないかも。

 東京国際映画祭ではTIFFマスタークラスというので「仮面ライダー」に関わったアクション監督の金田治さん、脚本家の三条陸さん、そして東映で「仮面ライダー」を幾つもプロデュースした白倉伸一郎さんが登壇するトークイベントが行われたけれど、そこで面白かったのが今はテレビと映画が並行して創られている中で、役者とか撮影現場で取り合いになりませんかといった問いへの白倉さんの答え。「計画してもうまくいかない。撮っているうちにどちらもスケジュールがずれていく」から、かち合う時がいつか来る。

 そうなった時に「拉致車というのがテレビ班と映画班の間を往復して、役者を強制的に連行していきます」。そしてもうひとつ、長くやっているうちにだんだんと分かってきたことで、「変身前と変身後をうまくやりくりする」。テレビ班が午前中の早い段階で「変身」までもっていけたら、あとはその役者を拉致車に乗せて映画班に送り、そして映画班からは変身後のアクターをテレビ班へと運ぶことで同時に撮影を進められるという。もしも藤岡弘、さんみたいにスーツアクターと俳優の両方を務めていたら無理だったんじゃないかとも思ったけれど、今はそうでもないから大丈夫なんだろうなあ。勉強になりました。

 「仮面ライダー」は変化と原点回帰の繰り返しみたいだといった話もあってなるほどと思ったトークセッション。「仮面ライダー」がだんだんとバリエーションを増やしていって「仮面ライダーストロンガー」となってから、ちょっと間が開いて原点回帰のように「仮面ライダー(スカイライダー)」を作ったものの、続く「仮面ライダースーパー1」でバリエーションへと向かい終わってしまったあと、「仮面ライダーBLACK」で原点回帰してそしてまた「仮面ライダーBLACK RX」で前とは違うことをやろうとする繰り返しがあったとのこと。そういったせめぎ合いが昨今は毎年のように「仮面ライダー」が作られるようになると、もはやどうしようもなくなっている状況が示唆された。

 新しいことをやろうとしても、「仮面ライダーといえば敵は悪の組織で顔出しの幹部が3人くらいいることがすでに前提になっている」と白倉プロデューサー。「よそからモチーフを持ち込むことで見せ方を変えるのは通用してきたが、言い方を変えればそれくらいしか変える術がなかった。次のステップとしては、そういった手癖、仮面ライダーとはこう作っていくものだとうことを、もう1回考え直す必要がある」と話してた。そうなった時に何が生まれるか、ってあたりは興味があるけれど、一方で「仮面ライダー」らしさも求めなければいけないのが50年という歴史をもったキャラクターでもある。どうなるか。ずっと離れていたけれど、ここからちょっと観て観るか。


【11月2日】 秋葉原にあるガンダムカフェが来年の1月で閉店だそうで、オープンした2010年に取材に位ってリニューアルの取材にも行った場所がなくなってしまうのは毎度のことだけれどちょっと寂しい。とりわけリニューアルからはそれほど時間も経ってないだけに期待していた東京オリンピックなかも絡んでのインバウンド需要が伸びず、なおかつ夜の飲酒をともなう利用も新型コロナウイルス感染症に関連してオールストップがかかった状況で、売り上げを立てるのもやっとだったってことなんだろう。

 これでまだ規模が小さくてコンセプトカフェなみだったらソフトドリンク中心でもいけただろうけれど、ディナーを出す店やらカウンターを置いたバーも作ってしまっては飲酒不可はダメージも直撃だった。ようやく持ち直して来たとはいっても、新型コロナウイルス感染症事態は完全に収束した訳ではなく、離れていた間に飲酒の習慣も減ってしまった状況で完全回復にはやっぱり時間がかかりそうとなると、ここでいったん店じまいをするのも仕方がないってことなんだろう。残念。閉店までに1度は行ってカウンターで「坊やだからさ」ごっとをしてくるか。

 ライトノベル読者なのでKADOKAWAのの社史「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(佐藤辰男)からラノベ関連を拾ってみる。『角川におけるライトノベルの源流を訪ねると、一九八六年の八月に開催された「ファンタジーフェア」まで遡る』『当時角川書店書籍第二部(文芸担当)のバイトでありながら、このフェアで田中芳樹、火浦功を担当した小川洋の証言では、このフェアの意図は八〇年代のSF小説ブーム、少女小説ブームに乗って、当時の人気作家に書き下ろしのオリジナル作品を提供させることだった』。そんなフェアがあったのか。

 そのラインナップには新井素子さん「眠たい瞳のお嬢さん 結婚物語(上)」や眉村卓さん「迷宮物語」、富野由悠季監督「ファウ・ファフ物語(上)」、藤川桂介さん「銀河AVE.00番地」などがあったとか。『ファンタジーフェアと謳いながらファンタジー小説は小川の担当した『アルスラーン戦記(著/田中芳樹、イラスト/天野喜孝)ぐらいだった』。そんな当時のエピソードに思わず納得。それは『火浦功の原稿(『未来放浪ガルディーン』)がなかなか上がらず、その年のゴールデンウィーク中、火浦宅でアップルU版の『ウィザードリィ』をやりこんでいたと明かした』。遅筆で鳴る火浦功さんらしいといえばらしい。一方で火浦功さんってやっぱり実在するんだと驚いたといえば驚いた。

 そして『ファンタジーフェアの好評を受け』と本書。『角川文庫編集部では、現代日本文学の「緑帯」から分離し、若者向け小説としてジャンル分けして「青帯」として訴求することにした』。その「青帯」の最初は朝日ソノラマから移籍の『機動戦士ガンダム』と講談社から移籍の『Zガンダム』で、そして『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア―ベルトーチカ・チルドレン』を刊行。『最初の青帯はほぼ『ガンダム』で占められた』。『ベルトーチカ・チルドレン』の続きが『閃光のハサウェイ』だから今のこの隆昌の源流もここってことか。

 以後、88年3月のフェアにコンプティーク系として『聖エルザクルセイダーズ集結!』(著/松枝蔵人、イラスト/BLACK POINT)、『イース』(著/飛火野耀、イラスト/藤原カムイ)、『ラプラスの魔』(著/山本弘、イラスト/結城信輝)が並んで、そして88年8月の『角川文庫'88新青春&ファンタジーフェア」に小説版『ロードス島戦記』(発売は四月一〇日)がラインナップされる』と本書。続けて『角川文庫の「青帯」が一般公募によりレーベル名を募集し、正式に独立レーベル「角川スニーカー文庫」としてスタートするのが一九八八年八月だ』。それから33年が経ってスニーカー文庫はなおも健在。アニメ化作品も出ているから未だトップランナーであることには間違いない。

 そんなKADOKAWAでスニーカー文庫と並ぶラノベといえばもう1つ、富士見ファンタジア文庫がある。こちらについても言及がある。まず『ドラゴンブック』が登場する。『「ドラゴンブック」の第一回の配本は一九八五年一二月、『AD&D』世界のゲームブックの翻訳本(『パックス砦の囚人』)だった』。以後『グループSNE』と『黒田幸弘の参加で「ドラゴンブック」はテーブルトークRPGのルールブック、ガイドブック、リプレイなどTRPGに関する専門性の高いレーベル』となる。それからしばらく、『一九八六年の年末に、春樹から富士見書房に対し、伝奇小説のレーベルを立ち上げるようにとの指令があった』。

 春樹さん登場。『小川にも篠崎を通じ企画書の提案を求められ、対して小川は、若手書き下ろしのSFファンタジー系のレーベル立ち上げを提案したという』。そして『小川の企画書は春樹の目にとまり、「富士見ファンタジア文庫」の創刊準備が始まるわけだが、春樹から「新しいレーベルには、新しい才能を発掘するための新人賞がげよ」との宿題が出されたという。書籍しか経験のない小川には、荷が重かった』のでグループを見渡し『角川書店の青木の下で、「ASUKA」編集に携わっていた安田猛に白羽の矢が立った』『安田均の紹介で、大内善博もスタッフに加わった』。

 そして『まず「ドラゴンマガジン」が一九八八年一月(三月号)に創刊された。創刊号には「第一回ファンタジア長編小説大賞」の告知が掲載され』た。『「富士見ファンタジア文庫」の創刊は、雑誌創刊より一〇か月遅れの一一月』で、創刊ラインナップは竹河聖『風の大陸』と田中芳樹『灼熱の竜騎兵』。そうやってふたつのレーベルがほぼ同時期にスタートすることになった。ここで気がつく。「青帯」で富野由悠季監督を引き受けられた背景にはアニメ誌「Newtype」の創刊があって、『急速に親しくなったサンライズに対し、歴彦は『ガンダム』の出版権の交渉に入った』ことの結果がある。

 『創刊二年後のあるとき、井上伸一郎は「ザテレビジョン」編集長の井川浩とともに、『ガンダム』を製作し版権を管理するサンライズのライセンス担当役員に呼び出された』。そしてソノラマと講談社からの版権移籍を打診され『胸躍る思いで、最初の青帯版『ガンダム』の編集を買って出た』とのこと。源流には歴彦さんがいる感じ。対して富士見ファンタジア文庫は、伝奇小説のレーベル創刊を命じファンタジー文庫の企画書を見て雑誌創刊から行うよう促した春樹さんがいるように見受けられる。そういう意味では出版に対して機を見るに敏で熱意もあってなおかつ現代に通じる文化を拓いたご兄弟ってことになる。どっちがどっちじゃないんだってことで。

 TOHOシネマズ日比谷で開催中の「10万分の1秒音響映画祭」で「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」を観て、2019年春の公開時を思い出す。会社を辞めたばかりで前途洋々といった気持ちからだんだんと未来なんてないんじゃないかと絶望し始めていた頃でもあって、すべてが疎ましく思えていた時期でありながらもそこに描かれるストーリーからは前向きさとひたむきさを感じ取った。そんな映画を試写とそして劇場で観てから数ヶ月語に起こったあの事件を経て、今日また観た映画の流れるエンドロールに載った名前にジンとしつつ、依然として歩みを止めていない京都アニメーションだから続きもきっとと思ったのだった。頑張れ京アニ。頑張れ自分。


【11月1日】 気がつくと竜王戦で豊島将之に挑戦していた藤井聡太三冠が3連勝して竜王位奪取まであと1勝と迫った。3連勝からの4連敗が過去にない訳ではないけれど、藤井三冠の今の充実ぶりを見るとそれはなさそうと考えるなら竜王をとって最年少での四冠はほぼ決まったといったところだろう。史上最年少で竜王位を獲得した少年が主人公の「りゅうおうのおしごと!」とうライトノベルでも、主人公は二冠がやっと。それをはるかに上回る成績を上げ続ける現実離れした存在が、この先になにをしでかすがに興味が尽きない。とはいえラノベが現実に追いつかれるというのも寂し話。そこは目下誰も存在しない女性棋士を誕生させたということで、今はまだ「りゅうおうのおしごと!」が先行していると言っておこう。こちらこそ現実に達成して欲しいフィクションなんだけど。難しいのかなあ、やっぱり。

 衆議院選挙が終わって大阪が維新国になった模様。公明党に配慮して候補を立てなかった4選挙区をのぞいた15選挙区のすべてを勝利。あの辻元清美さんも落選の憂き目にあってなおかつ比例でも復活できないくらい、維新が大阪の票を根こそぎもっていった格好。だとすると政権与党の自民党はいったい何をしていたんだって話になるけれど、そこは日本国の政権与党であってその自民党が存在感を示せないということでやっぱり大阪は維新国ってことになる。言葉も東京や名古屋と違うからなあ。

 それは半分は冗談としても半分くらいは本気にいったい何が違うのかを真剣に考える必要があるのかも。制作なんて傍目からみたらめちゃくちゃで人件費を削って正規の人を減らしては安い人材で埋めサービスの質を低下させ、図書館だとか美術館だとかいった文化施設のことどごくを縮小・廃止へと追いやって人々の暮らしから潤いを奪っている。でも普段からそうした方面をまるで利用していない多くの人には伝わらないそうした不便さ。表ではそうした削減を正義のことのように語っては喝采を浴びているから、まっとうなことをやっている政党だと思ってしまうのかもしれない。

 傍目からどういった批判を浴びているかも、地元の放送局がブロックして翼賛の言説しか流さないから伝わらない。現政権への批判的な気分に中央への敬遠的な雰囲気もかき集めて自民党に対する維新といったポジションから、がっぽりと票をかき集めての完全勝利といったことなのかもしれない。その結果として大阪に何が起こるかよりも、40議席以上をとった国会で公明党、自民党と組むことで改憲ですら前向きにできることの方がちょっと心配。反自民の票を集めたのに自民と組むことを是とするかといったところで、選挙を経て送り込まれた選民が何をしようと市民は見ているしかできなくなった現在、何だってやってのけるだろうなあ。やれやれだ。

 商業出版化が熱望される社史「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」を執筆した佐藤辰男さんと言えば雑誌「コンプティーク」。本書にはその誕生までの経緯が本人の筆で綴られている。『一九八二年も押し詰まったあるとき、手書きの企画書を持って筆者は、角川書店の専務だった角川歴彦を訪ねた』『筆者が提出した企画書は、のちに「コンプティーク」となるテレビゲーム雑誌の企画書だった』。

 ちなみに『ファミ通』創刊は1986年だからそれよりも早い。『ある人に「角川書店はパソコン雑誌の創刊を計画していて編集者を探している。企画書を書いてみないか」と声をかけられた』とのこと。佐藤辰男さんはおもちゃ業界誌の「週刊玩具通信」で記者をしていて、テレビゲーム市場を追いかけていて可能性に注目していた。『角川歴彦が創刊を目論んでいたのは「パソコン雑誌」』だったが『筆者は、技術系のパソコン雑誌はすでに飽和状態だ』と考えゲームの攻略法を掲載した雑誌を提案したという。そして『一度の面接で採用が決まった』という。

 もっとも、採用先は角川書店ではなくゲームショップ展開を目論んでいたコンプティークという会社。けどショップは撤退しゲーム開発も頓挫。そこで佐藤辰男さんは『大学時代の後輩の須賀弘、玩具通信時代の後輩吉田隆、コンプティーク社の学生バイトだった塚田正晃の四人で編集部をスタート』して四ツ谷駅そばのビルに編集部を構え、1983年11月、『ザ・テレビジョン』の別冊として隔月刊した。そんな経緯があったらしい『コンプティーク』創刊時。ってことは発売元はコンプティークという会社だったのか。

 『創刊号は一五万部刷って、返品率は五割超え、八四年の一月に発売した第二号は刷り部数を半減させたが、七割の返品率』と最悪だったと振り返る。そんな『コンプティーク』が『部数の低迷を脱するきかけになったのは、一九八五年五月発売の七/八月号(vol.10)で、読者から寄せられたハガキをもとに構成した「スクープ!ゼビウスに隠しコマンド発見の記事」だった』とか。もっともゲーム関係の情報はメーカーの統制が厳しい分野。議論したと本書。『掲載すれば今後の新しいソフトの情報入手に支障をきたす可能性がある』と思ったものの『議論に決着をつけたのは、誰からともなく出た一言で「売りたいな、雑誌、売れる雑誌が作りたい」だった』という。

 そして掲載決定。『実際は半行で済んでしまうものを』『塚田正晃の筆力と中野豪のイラストで四ページに引き延ばし、他のゲームの裏技情報を交えて一六ページの特集に仕上げた』。あと『「ちょっとHなソフト特集」もこれまでにない力の入った特集』で、表紙も『「ザ・テレビジョン」にならって』アイドルにしようと考え中山美穂さんを起用。『コンプティーク』は売り切れ増刷をかけたという。当然、ナムコからのリアクションはあったようで、『ゼビウスの発売元のナムコの広報担当者の反応は厳しく「訴訟も辞さない。あなたの発言は全て録音する」』といったものだった。

 佐藤辰男さんはナムコに何度も足を運ぶ。ところが『記事をきっかけに、隠しコマンドが知られ、『ゼビウス』の売り上げは急伸』して関係も改善したとか。『ここから得られた教訓は、情報誌はテレビ誌であれゲーム誌であれ、情報源であるテレビ局やゲームメーカーとの親密な関係が大切である一方、ある種の緊張関係も必要だということだ』。なるほど。だったらそれが今の雑誌で行われているかというと『その編集態度は残念ながら活かされることは少ない』。『情報誌の成功も衰退も実はここに構図の本質がある』。

 まあねえ、今もゲーム誌とかテレビ誌とかアニメ誌とか出してるKADOKAWAは、一方でゲームを作りアニメも作って権利を卸す側にいる。そこでの統制めいたこととか考えると、出版社として情報誌復権を目指すなら、そこの矛盾めいたものをスッキリさせてくれたら、ライターとして前向きになれて嬉しいのだけれど。さて「コンプティーク」は85年1月号で月刊化されたけどコンプティーク社は経営破綻。佐藤辰男氏らはフリーで業務を請け負っていたけど、『これを機に編集部を会社に昇格させ、社名を角川メディア・オフィスとして一九八六年四月からスタートすることになった』。あの会社はそういう経緯で生まれたのか。

 そんな「コンプティーク」でRPGを雑誌で紹介する方法として、『テーブルを囲んでプレイしている様子を誌上で再現する「リプレイ」』『を提案したのが安田均だった』と本書。なお『イラストの出渕裕は、担当の編集者吉田隆がたまたま開催していたイラストレーターの展示会で発掘した』という。メカニックデザイナーとしては知られていた時分ではあるけれど、イラストレーターとしてファンタジーに関わっていくのはこのあたりからか。なるほど。前後して『ロードス島戦記』がゲームとして立ち上がり小説版となり刊行された経緯は「『ロードス島戦記』とその時代」(マーク・スタインバーグ監修、KADOKAWA)という本に詳しいとか。

 ラノベの源流であり、UGCの先駆けとしての「ロードス島戦記」が、ラノベを占有し、またユーザー発の文化を大切にすることを本書でもたびたび訴えているKADOKAWAの文化を形作ったのだとしたら、「コンプティーク」という雑誌はその発端として重要だったということになる。とはいえ佐藤辰男さんの「コンプティーク」と角川メディア・オフィスは例の一件でいろいろあった。それによる影響が社内編集部内に残っているかは外からは伺い知れないのだった。


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