縮刷版2021年10月下旬号


【10月31日】 「劇場版ソードアート・オンライン―プログレッシブ―  星なき夜のアリア」をドルビーアトモスで見るために、イオンシネマ海浜幕張へと出向いたついでに、今日も持ち歩いている「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(佐藤辰男)から決してオミットされていない角川春樹氏の業績について振り返ってみる。「角川ホラー文庫」についての項があって『角川春樹が「ゴシックホラー」をやってみたいと発案し、当時「カドカワノベルズ」編集長だった完戸健司が企画立案し、一九九三年四月に創刊された』ものだという。事件の数ヶ月前だね。

 『合わせて公募新人文学賞「日本ホラー小説大賞」も設定され、多くの有望新人を素立てた』。坂東眞砂子さんや貴志祐介さんや瀬名秀明さんがそうですね。『春樹はこの頃、遠藤周作からこの企画が「時代に合ってる」と評価されたと喜んだ』という。完戸は「既成の文芸作家、ミステリー作家にも、自分が書いてみたい、と思わせる新規性がこのジャンルにはあった」と振り返る。実際遠藤周作は、同文庫の『現代ホラー傑作選第1集』の編者を買って出た』。世界的な文豪にそんなことがあったのかと驚いた。

 『遠藤周作の喜びようは、編集者としてよく理解できる。“ホラー”という切り口で新しい自分が発見できるのかもしれないという期待が膨らんだからなのだろう。“ホラー”はジャンルを超えた新しいキーワードで、のちのライトノベル同様に新人を発掘し続けることになった』。カテゴライズして対象を狭めるよりざっくりとしたイメージの下で自由に作品を求める事、それが結果として表現の幅を広げて広く才能を拾い上げることができたのだろう。

 『鈴木光司の『リング』は』『横溝正史賞に応募され、ミステリーの枠にハマらないという理由で』『受賞に至らなかった』ものを『堀内大示が目を付け』ハードカバーで出し、そしてホラー文庫の第1回配本に入れてブレイクしたとか。そういうことができた時代だったんだ。今はどちらかというとラノベ内でもジャンルがどうこう言われるし、ウエブ発でもジャンルで人気作が出るとそちらに集まっていくような感じ。ラノベだとかホラーだとか”それっぽさ”を言い表す新しいカテゴリーって何だろう。つばさ文庫とか青い鳥文庫みたいな子供向け小説のなのかもしれないなあ。

 さて劇場版SAO。ミトって子が後のシリーズのどこにも出てきてないってことはつまりって想像すると、たとえ結末を知っている物語だからといってワクワク感は減じずむしろいつどどうなってしまうのかといったゾクゾク感に背筋が冷やされて心持ち見ていられないって気もしてしまう。まだ全然スレていなくってゲームを試したばかりのお嬢様が、どうにか最初を生き延びられたのは手慣れたプレイヤーのミトのリードがあったからで、そんな恩人に関するコメントが後のシリーズで出てこないってことは後悔を引きずらずにすっきりとした展開があったと思いたいけれども果たして。

 第一層の攻略にこれだけの時間をかけたってことは今後の攻略でもいろいろと手間暇かけていきそう。そんな「プログレッシブ」の物語をこれから描いていくとしたらいったいどれだけの本数の映画が必要になるんだろう。そしてキャラクターもどれだけ登場してくるんだろう。考えると始めた川原礫さんもA−1ピクチャーズもアニプレックスも大変そう。でもやるんだろうなあ、それだけの期待を背負っている作品だから。ストレートエッジの三木一馬さんもプロデュース陣に名を連ねていたからエージェントとして出資もしているんだろう。LINEノベルではいろいろあったけどこうやってドル箱を抱えていると安心といったところ。そういう会社になりたいんだろうなあ、最近MFを止めた人も。なれるかな。

 京王線で男が刃物をもって人を刺し、何かを撒いて火を着ける事件を起こして1人の方が意識不明の重体となっている。ネットには燃える車両から人がどんどんと逃げてくる映像があがっていて、止まった駅で窓をあけて人が出て行く様子も映っていた。ドアを開けようとは思わなかったのかが気になったけど、ホームドアがあるからドアをあけてもやっぱり乗り越えなくちゃいけないみたい。そういう時の非常対応がどうなっているか気になった。

 そんな事件を起こした男はどうやらジョーカーの格好をしていたようで、それとおぼしき映像にシートに座って車内であるにも関わらずたばこを吸っている姿が映っている。どういう心境だったんだろう。それこそ映画「JOKER」でホアキン・フェニックスが演じたジョーカーそのものだったんだろうか。ってところで浮かび上がる映画というフィクションの影響。アニメじゃないからって安心はせずそうした影響は皆無じゃないけどだからといって受ける側の問題をオミットしてフィクションを悪し様に言う言説に警戒していく必要はありそう。しかしなぜハロウィンの夜に。ハロウィンの夜だからか。開放感かそれともこれを最後にとの覚悟か。解明が待たれる。


h【10月30日】 社史として編纂された佐藤辰男さんによる「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」の凄さの一端をさらに示す。MF文庫Jやダ・ヴィンチを出しているメディアファクトリーをKADOKAWAが買収するに当たって、リクルートやMF経営陣に対するプレゼンが求められた。その席で角川歴彦さんは「貴方たちは、角川と似た総合メディア企業の山を登っている。でも、本当に高い山には、貴方たちと僕たちが一緒にならないと登れない。一緒に一番高い山の頂きに登って、その先にある風景を見よう」と語りかけたという。

 甲斐あって一次ビッド二次ビッドは通過したけれど、「最終ビッドの直前に大きな関門が待ち構えていた」と本書。「マネジメント・バイアウトである」。経営陣による企業買収も案としてあがり、条件が大きく変わらないならそちらを選ぶリクルートの方針がある中、取締役会で「経営企画室は提示可能なギリギリの(しかしおそらくはMBOとほぼ変わらない)買収価格」を示した。このままでは透らなかった可能性があったところを、社外取締役の久夛良木健さんが「『これはやるべき案件でしょう。ここで行かないとどうする。大胆な増額をすべきだ』と提案」したことを受けて、経営企画室はビッドレターを修正して金額を積み増し提案した。

 「正直、午前中までMBOだと思っていた。この提案にはノックアウトされた」とか。結果、KADOKAWAはメディアファクトリーの買収に成功したとのこと。そうした流れの中から数々の人気作が生まれたからKADOKAWAにとっても決して高い買い物ではなかったということ。「ようこそ実力至上主義の教室へ」にしても「探偵はもう、死んでいる。」にしても、KADOKAWAではアニメ化をしたりコミカライズなんかをして利益を広げている訳で、そうしたネタを産むドジョウをまるっと買い入れたことが、今の良い循環を生んでいる。決断って大事だなあ。

 ちなみに角川歴彦さんによるリクルート社長への熱心な口説きもあったことも、売却を決定した理由だったとか。そういうところは機を見るに敏でかつ大胆な歴彦さん。さすがだなあ。それにしても、社外取締役って普通は「経営に厳しいを意見を呈する」ものだけだど、この時は「時にアクセル役を務めてくれることを実感した一幕だった」と本書。エンジニアであってメディア人ではない久夛良木さんにいったいどんな直感があったか知りたいところ。そんな久夛良木さんが近畿大学でKADOKAWA社長の夏野剛さんと教鞭をとることになったのも何かの縁って奴なのか。そうしたこぼれ話がいくらだって掘れるからこの社史は面白い。普通に売っても買う人大勢居ると思うんだがなあ。

 KADOKAWAの社史に関しては「ケロロ軍曹」をキッズアニメーションとして継続できなかった残念さについて書かれているって紹介したらやたらとバズっているけれど、そんなアニメの「ケロロ軍曹」を監督した佐藤順一さんに、劇場版で最後になった第5作目の時にインタビューしていて、この先があるかどうか分からないことも感じていたのか、佐藤監督が「世界観が難しくなっているから、下があまり入って来にくいかもしれない」と話していたたのを思い出した。

 「循環させるには、もう少し年齢を引き下げるようにした方が良いかもしれない。ただ「『ケロロ』が難しいのは、ファンタジーに立脚している作品だから、『クレヨンしんちゃん』とか『サザエさん』のような領域に入り込めないこと。幼稚園児の日常とか、磯野さんちの人々みたいなことをやろうとすると難しい。『ケロロ』なりの日常感を追求していかないといけない時なのかもしれない」。そんなことを話してた。居候先でママさんに怒られながら必死で頑張っては裏切ろうとして痛い目に遭うケロロとか、見ていた記憶があるけれどもそれだけで保つような作品になっていく必要があったんだろう。

 「『ドラえもん』とか『オバケのQ太郎』のような愉快な居候物のラインで、もう少し日常感を益すようにとか。ただ『ケロロ』は侵略物で宇宙人なので、町の人たちとケロロとのコンタクトを想定していない。八百屋肉屋に行くようなことが想定されていない。そこが藤子物とは違う。藤子は何食わぬ顔で、オバケとか何かが日常にいる世界を描いた。寿命を延ばすならそちらの方向を考えることもあるのかなあと、個人的には思っていますと佐藤監督。この時の言葉が実行されていて、そして玩具の開発も並行して進められていたら今も「ケロロ軍曹」のアニメが放送されて玩具も売れて映画も公開されてといった「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」のような作品になれたかなあ。その後も上がったり下がったりしたKADOKAWAではこらえ性がなく止めていたかなあ。その意味で小学館とか双葉社は頑張っているなあ。

 「10万分の1秒音響映画祭」の上映で「劇場版ガールズ&パンツァー」が実施されたのでTOHOシネマズ日比谷へと出向く。普段はあまり利用しないプレミアムシアターを使って最高品質の映像と、そして10万分の1秒のレベルまでシンクロさせた音響でもって映画を観るという企画。上映されたバージョンはサンダース大学付属高校の隊長、ケイのホットパンツがアップにならなかったからパッケージ版ってことなのかな、そのDCPって作られていたんだっけ。ともかく音響は凄まじかっくって、冒頭の大洗カントリークラブでのエキシビションからもう「ガツンゴツンバギュンドゴンヅドドドドドドドブグァアアアアアン」といった感じだった。ストーリーはやっぱり感動物。その結末を超える感動を今の最終章でも繰り出せるのか。とりあえず第4話の展開に注目だ。


【10月29日】 全国市長会のおじいさん市長が、連合の新しい会長が女性だということで「美人会長」という言葉を使って呼んだとか。純粋にその美しさをたたえていても昨今は差別的だと言われセクハラだと言われる状況な上に、こういう上から目線での物言いにはどこか揶揄というか顔だけだろうといったニュアンスも含まれるため、余計に使うことに慎重というか、使ってはいけない類の言葉になっているにも関わらず、公の場でぽろりと使ってしまうところに昭和爺さんの思考の厄介さを見てしまう。

 メディアだって“美しすぎる”何とかといった言い回しでもって各界で活躍する人の美醜に着目して持ち上げたりするくせに、こういう時ばかりはセクハラ言説に乗ってぶったたくコウモリぶりを見せたりするからなにをか況んやなんだけれど、それはそれとしてやっぱり染みついた女性は美人が褒め言葉的感性を、どこかでセーブするにはそうした基準でもって何かを判断する心理に歯止めをかける必要があるのかも。従ってやっぱり“美人”なんとかといった言葉を極力使わないようにするしかないし、公共の場から閉め出すしかないのかも。ちなみにシンボリルドルフは馬人(トレセン学園生徒)会長で嘉納治五郎は武人(大日本体育協会)会長。これは使っても構わないかな。

 家にいると本が読めないので総武線に乗って中野駅まで向かう途中を利用してiPadで読書。まずは1冊をほぼ読み終わったあたりで到着したので降りて見かけながらも入ったことがなかったトルコライスの店をのぞいたらあんまり客がいなくって、流行ってないのか味に問題があるのかといったん敬遠したものの、ものは試しと入ってトルコライスを注文。見るとマスターがワンオペで接客から調理からすべてこなしている上に、作り置きとかしてないから調理に時間がかかってなかなか出てこない。急ぐサラリーマンとか多い界隈なのでこのあたりが敬遠されている理由なのかも。

 逆に味の方はハンバーグもパスタもしっかり味が染み渡っていてなかなかの美味しさ。ワンオペでなければもっと流行って良い店のような気がしてきた。唐揚げ定食とか揚げたてっぽくて美味しそうに見えたんで、今度立ち寄る機会があったらそっちも注文してみるかなあ。あるいはハンバーグ単品でも良さそう。マスターの人が一生懸命に調理している姿を見ると微笑ましくもなるけれど、ふらりと入ってなかなか出てこないので苛立って怒鳴り出す人がいたら台無しなんで、そこは状況を見てゆとりがある時間帯に入るのが良いのかも。そんなあたりフリーな無職は時間に都合が付けやすいのだった。

 続きを読みながら東西線で西船橋まで戻ってそこから武蔵野線で越谷レイクタウンまで行ってイオンモール越谷レイクタウンに入ってアウトレットなんかをぶらぶら。ずっとのぞいてたロックポートの店がなくなっていてちょっとショック。どうやら日本市場から撤退らしい。どうりで常備していたABCマートでも見かけなくなっていたはずだ。スタイリッシュな上に良い感じに履きやすい靴がそろっていたのになあ。代わりといっては種類が違うけれどクラークスの見せもあって、そちらも見かけはノーマルながら底はゴムのビジネスシューズが出ていたのでいつか挑戦したい。ロックポートと違ってワイズが気になるけれど、昔は愛用していたので今度試してみよう。

 すごい本が出た。ただし非売品。その名も「KADOKAWAのメディアミックス全 サブカルチャーの創造と発展」はメディアワークスだとかカドカワだとかで社長を務めた佐藤辰男さんが取りまとめたKADOKAWAの1980年代以降のメディアミックス関連史をまとめた社史だけど、当事者だけあってメディアワークス創業の頃とか詳しい詳しい。そして何よりサブカルチャーやメディアミックスの同時代的証言と資料的論証がミックスして、この30年ほどの文化景色を映し出している。読めばKADOKAWA周りに限らず日本のサブカルチャーがメディアミックスによってどのように進展してきたかを俯瞰できる。ライトノベルの歴史も。

 残念なのは社史として編纂されたため世の中に出回らないこと。そこには自戒もこめられた検証があって、サブカルチャーを考える上で大きなヒントが含まれているだけにもったいない。たとえば「ケロロ軍曹」という作品に関して抱けれど、漫画から始まってテレビアニメ化されて大人気になって、一事はイベントがあれば着ぐるみが出動するくらいに一押しのキャラクターになっていた。KADOKAWAといえばハルヒにケロロといった印象すらあったのに、最近はアニメもやってないし子供たちに大人気といった雰囲気がない。

 これについて本書は角川書店で社長を務めた井上伸一郎さんの「キッズアニメを支えるのは商品化だと思い知った」という述懐を交えて現状を憂う。キッズ・ファミリーアニメは「長期のコミック連載とテレビアニメ放映で人気を蓄え、商品化で刈り取る1辛抱のいるビジネススキームだ。原作元の出版社とマーチャンダイジングを展開するおもちゃ会社が出版と商品化を継続し、莫大な放送料を支払い続けることで人気を支える必要があるが…」書き、続けて「三年目から商品化の企画が途絶え、キッズへの訴求が弱くなっていた」ことが、アニメ映画の興行をスポイルしてシリーズの継続を見送らせた。

 2011年にはテレビアニメも終わってしまって、そこでキッズへの訴求が途切れてしまった印象。「数字だけ追っていると、ケロロのロイヤリティ収入は増え続けていたので油断があった。売り上げの中身だけ見れば、三年目からはマクドナルドのハッピーセットの版権収入」が大きかったと井上さん。よくよく見ると「玩具の新製品の発売は減少していた」。地の文で「本格的なキッズ向け”おもちゃ”が必要だった、と井上は悔やんだ」とまで書いて戦略的なミスがあったことを明らかにしている。

 KADOKAWAにとっては負の歴史になるけれど、ここから次に打つ手も見えてくる。そうした自戒と希望をうかがわせる述懐を現場の元最高責任者に語らせるなんて佐藤辰男さんだからできること。他にも読めばいろいろと参考になりそう。ほかだとドSFだった「涼宮ハルヒの憂鬱」を売り出すときに、SFとしてその面白さを早川書房のSFマガジン出身として知りつつも、より多くにアピールするためキャラを前面に打ち出した野崎岳彦さんの尽力などにも触れられていて、あの動きのその背景が見えてくる。野崎さんはアニメ化された直後に角川書店ですれ違って、文庫が売れまくって発注に答えるのに大変そうだった姿を見ているだけに、そうした働きがこうして明らかにされるのは良いところ。ライトノベル史的にも抑えておかないといけない1冊かもなあ。それだけに非売品なのはもったいない。売り出さないかなあ。


  【10月28日】 ヘンリー・S・ストークスといえばフィナンシャルタイムズやニューヨーク・タイムズの東京特派員として日本発の記事をいっぱい出しつつ、三島由紀夫を交流を深めて海外向けに三島由紀夫を紹介する本も出してと日本に入れ込んでいたジャーナリストとして知られている。元より“愛国”的な要素はあったんだろうけれども2000年代に入ってからはどちらかといえば極めてライティな言動が目立つようになって、関連する著書もいっぱい出してそちら方面の論客として活躍するようになった。

 この五年くらいを観ても2015年に「外国特派員協会重鎮が反日中韓の詐偽を暴いた」を出し2016年に「英国人ジャーナリストが見た現代日本史の真実〜日本は世界の宝である〜」を出し2016年に「戦争犯罪国はアメリカだった! 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄」、2018年に「日本大逆転 元東京・ソウル支局長 ヘンリー・ストークスが語る日朝関係史」、2019年に「英国人記者だからわかった 日本が世界から尊敬されている本当の理由」、2020年に「新聞の大罪」といった具合に毎年のように本を出している。

 なんと勢力的なジャーナリスト、さぞや頑健でフットワークの軽い人かと思いきや、9年ほど前からパーキンソン病と認知症が進行して、ご子息でモデルや俳優をやっているハリー杉山さんによる在宅介護が行われているらしい。とても大変らしくNHKのハートネットTVという番組でその苦労を話していたけれど、そんな状況にあるヘンリー・S・ストークスがまさにその時期に毎年1冊とか本を書けるのか。そこがどうにも分からない。パーキンソン病でも頭がはっきりしていれば口述筆記だって出来るけど、認知症で介護も大変となるとそれでどういった言葉が紡げるのか。ってところで「共著者」であり「翻訳者」としてこれらの本に関わっている藤田裕行という人の存在がいろいろと意味を持ってきそう。

 どれだけ言葉が不自由になっても思考が不鮮明になってもその思いをくみ取って以心伝心のように言葉を紡いで本にするある種の才能を持った人なんだろう。それは過去の偉人から現代の有名人まで広くその守護霊を呼び出して語らせる宗教家にも等しい才能。そうやって刊行された本は間にどんな”翻訳”が行われていてもヘンリー・S・ストークスの言葉なのだ。だから暫く前に新書の中で本人が言ってないことが書かれていると問題になった時、書いたと象徴したのだおそらくは。っていった諧謔の一方でどこは奇妙な二人羽織が今後も続くなら、NHKとしてもハートネットTVにご子息を出して大変さを訴えた責任をとらないと。表向きは立派に言論活動を続けているんだから。どうなるか。

 真夜中にリーガ・エスパニョーラのラージョ対バルセロナを横目で見ていたらバルセロナが先制されてそしてそのまま1対0でラージョに敗れてしまった。これでアウェーで未だ勝ち星がない状況らしく順位も9位に沈んでいる。いくらリオネル・メッシ選手が抜けたとはいえ残っているメンバーはセルヒオ・アグレロ選手にセルヒオ・ブスケツ選手にジェラール・ピケ選手に……って書いててやっぱりどこか飛車格落ちな感じが出て来たぞ、レアル・マドリードとともにスペイン代表が固めつつロナウジーニョ選手だのメッシ選手だのが躍動していた時代から遠くそこそこなメンバーがそこその戦術で挑んでいては、やっぱり負けてしまうってことなんだろう。

 結果としてロナルド・クーマン監督は辞任してBチームの人が暫定的に監督を務めるようだけれど、選手層に対してどんな戦術を駆使したところで上位進出はちょっと難しいような気がしている。選手としては1990−91年からの4連覇にも貢献したクーマンだけれど監督としてはやっぱり来た時期が悪すぎた。レアル・マドリードが銀河系軍団を集めた2000年初頭の輝きに隠れて停滞していた時代再来するかなあ、ここで久保健英が戻って大活躍なんてしたらカッコいいけれど、カンテラ育ちなのにスペイン復帰でレアルを選んだ選手を温かく迎えるとは思えないからなあ、豚の首とか投げられそう。楽天もスポンサーから引く来期のバルセロナにいろいろな意味で注目したい。

 「電脳コイル」の磯光雄監督による新作アニメーション「地球外少年少女」の劇場での前編後編に分けての上映が決まったそうで、これで2022年の日本SF大賞はほぼ決まったかのような気分になって来た。ストーリーとかまるで知らないけれどもあの磯光雄さんが地球外なんて言葉をタイトルに持った作品を作るなら面白くないはずがない。スタジオこそプロダクション+hという新興だけれどプロダクション・アイジー経由の人が磯さんと作品を作るために立ち上げたところがあるだけに、一心同体で取り組んだその作品に井上俊之さんらスーパーアニメータも参加して、とてつもなく見どころの多い作品に仕上がったことだろう。これは凄いことになりそう。今年も「PUI PUI モルカー」か「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が取るから2年連続でアニメが受賞? なんてね。


【10月27日】 アニメーションの「サスケ」は子供の頃に何度か放送されていたのを観て、独特なタッチの絵と鋭い剣戟に引き込まれた記憶はあるものの、漫画となると天白図書館に名古屋市内の図書館として始めて漫画が入った際に駆りにいって手塚治虫がいっぱい借りられている中で、いつも「忍者武芸帳」が残っていてそれを時々呼んで手塚治虫のようではないなあと思ったくらいで、深くハマった記憶がない。「カムイ外伝」も「サスケ」もだから漫画として呼んだことがない人間として、白土三平さんが亡くなったと聞いても平成元年に手塚治虫さんがなくなった時ほどの「時代が終わった」感じは受けていない。

 とはいえ劇画という表現を漫画の世界に取り込んで、手塚治虫を恐々とさせた漫画家であり忍者というモチーフを通して日本の社会にあったひずみのようなものを浮かび上がらせたメッセンジャーであったことは確か。先だって亡くなられたさいとうたかをさんと同様に日本の漫画史に手塚治虫さんと並んで刻まれるべき方の訃報はやはり漫画という枠組みを超えて日本の文化史、日本の社会史にとってとても大きなことなんじゃなかろうか。4日後には白土三平さんの仕事を手伝っていた弟の岡本鉄二さんも相次いで亡くなられて系譜のひとつがそこで一区切りを迎えた。さいとうたかをさんの仕事はアシスタントを通じて続くみたいだけれど白土さん岡本さんのような仕事はどうなっていくのだろう。それこそアーカイブの出番なんだけれど……。

 アーカイブといえば三重県鳥羽市にある「江戸川乱歩館」が火事に見舞われて収蔵していた貴重な資史料が失われてしまったとか。当地に乱歩と交流をもった人がいて書簡だとか研究だとかが残っていたみたいだけれども、それらがいよいよ整理されるとう状況になっていたにも関わらず、手がつけられないまま焼失してしまったそうで乱歩に関する新しい発見もあったかもしれないと思うと、残念で仕方がない。木造の古い家屋でそれ単体では火災報知器だとかも備えてあったと思うけど、近隣で起こった火事の類焼ともなると防ぎようがなかったみたい。こういう場合はやはり未整理の資史料は別に安全な場所に保管しておくことに越したことはないんだろう。ただその費用が……ってところを面倒見てくれる倉庫会社があればなあ、国費とかで一部負担を受けながら。そうやって貴重な文化を守るスタンスを国が見せるようになれば良いんだけれど。今の情勢では難しいか。

 麻生太郎自民党副総裁の北海道での暴言は麻生太郎さんらしいなあと言えば言えるけれどもそれは許せるというものではなく、1発アウトだったり3振ゲームセットだったりする暴言をのべつまくなし発し続けているにもかかわらず、一向に引っ込まない状況であり引っ込ませない状態にもはや絶望感すら漂っているといったもの。いい加減に誰か進退を云々しないと足を引っ張られるところが今後本格的に出てくるんじゃなかろうか。北海道で品種改良が進んで美味しいお米がとれるようになったことを棚に上げて、温暖化によって米が美味くなったなんて言ってはそりゃあ北海道の農家の人は怒り心頭だろう。影響も少なくなくって自民党への得票もこれで減るなんて事態が起こるかも知れない。

 確かに温暖化の影響は農作物全体の収穫にプラスには働いているかもしれないけれど、それは寒冷地だったからこそ受ける恩恵であって逆に別の地域では天候不順が続いて長雨から収穫に影響が出ているかもしれないし、漁業その他にも少なくない影響が出ているかもしれない。そうしたトータルでの考えから温暖化問題をどうにかしなくちゃいけないって自民党も政府も人類全体が取り組んでる中で、温暖化を褒め讃えるようなことを言っては反発も食らうだろう。そうした状況を鑑みられない思考力と、指摘されても真っ当に謝れず不快に思ったのなら撤回するといった感じに責任を自分で認めず相手に押しつける尊大さが、いよいよもって皆の堪忍袋をぶちぶちと引きちぎっている感じ。果たしてどんな結果が出てくるか。決戦は日曜日。

 茅場町まで出てヴェローチェでサンドイッチを囓りながら3日続けて「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」について考える。少し前までは一部の席にしかなかったコンセントが多くのカウンター席に取り付けられてパソコンを持ちこんで原稿を書くにはなかなか良さそう。もちろん地元の船橋にもコンセントが使える店はあるけれど、書き終わってから転戦しようとした時にTOHOシネマズららぽーと船橋は徒歩でちょっとかかったりして、なかなか億劫なのだった。茅場町からだと日比谷にも日本橋にも上野にも行けるから選べるし。

 ってことで2時間ほどで仕上げてからTOHOシネマズ上野まで出て「劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!!」を観る。これで3度目。カードはカナメ・バッカニアだった。やっぱりラストに向けて感動が渦巻き涙腺も刺激される。そうならざるを得なかったにしてもやっぱり誰かが犠牲になるのは辛いから。とはいえそうなった以上はあとは新しく生まれたジュニアが育ってワルキューレに加わって、そして周囲をおばさん呼ばわりしてタコ殴りにされる展開を観たいなあ。いやいや美雲とは3歳違いでしかないんだけれどほら、見た目が違いすぎるから。そういう続編は作られるんだろうか。しばらく「マクロスΔ」で勝負していくんだとしたらあり得るかな。それとも次のマクロスを考えているんだろうか。 今度は女性向けで全員が長身でイケメンでダンスも歌唱も得意なチームを女性パイロットたちが守るという。


【10月26日】 ホームズ三世をニセモノって言っちゃった「ルパン三世PART6」のでこちらは本物と認めるシャーロック・ホームズがルパン一家のアジトに乗り込んで来ては五右衛門に剣を抜かせず次元の銃撃をかわし不二子を抱き留めてはルパン相手に挑戦状をたたき付ける。どういう経緯か分からないけれどもその名跡を受け継ぐ仕組みがあるみたいで、いっしょにワトソンの名跡も受け継がれているようだけれどその不在とホームズが面倒を見ているリリーという少女とそしてルパンとの間に何か因縁があるみたい。

 まあルパンが手を下すとは思えないので記憶の錯綜から抱く逆恨みってところだろうけれど、だったら誰がワトソンを殺したのか、ってあたりでいろいろと謎解きが進んでいくんだろう。爆殺事件との絡みも含めて。声ではいよいよ次元大介の大塚明夫さんがいっぱい喋り始めて聞けばどこまでもバトーめいた大塚さんの声なんだけれどキャラクターと重なれば次元に見える。そこはだからキャラクターに相応しい演技をすることが大切ってことで、決してキャラクターに“似せた”声を出すことではないってこと。バカボンのパパを雨森雅司さんから受け継いだ富田耕生さんも、小林恭二さんからも二代目イヤミを受け継いだ肝付兼太さんも寄せず自分の声で役になり切って評判を得た。だから大塚さんも次元を次元として感じさせてくれるだろう。

 懲りてないのか分かってないのか。フジテレビが全国の放送局を作っているFNN(フジニュースネットワーク)が産経新聞と合同で行った世論調査で、衆議院議員選挙の情勢を調べて「自民“単独過半数”は微妙な情勢 大都市圏で接戦」といった結果が出たとか。見出しから受ける印象は自民党はなかなかの苦戦しているでどちらかといえば過半数を下回る可能性が高いって感じだけれど、同じ調査を元にしているはずの産経新聞の記事をみたら、「自民単独過半数へ攻防 立民に勢い」といった見出しになっていた。

 ここから受ける印象は、どちらかといえば自民党が単独過半数を守るような印象だからFNNの論調は正反対。なおかつ産経新聞の方は「FNNと合同で行った衆院選情勢調査(23、24両日実施)に取材を加味し、31日の投開票に向けた終盤情勢をまとめた」という感じにアンケート結果に勝手に自分たちの取材結果とやらを乗せている。自ら公正なプロセスをもって行ったアンケートじゃないと暴露しているのにも膝が崩れたけれど、その結果として「自民党は単独で過半数(233議席)を維持しそうで、連立を組む公明党とあわせれば過半数はほぼ確実な情勢だ」と書いているところに、そういう結果を伝えたいがために取材を加味したんじゃないかといった勘ぐりまで生まれてしまった。

 FNNと産経の世論調査といえば、調査の過程で調査する会社の人が勝手に答えを記入してそれっぽい結果を出しまくったことで批判され、反省してもうそういうことはやりませんと謝ったばかり。だからこそ結果は尊重されるべきなのに、そこに独自取材なんてものを乗せて結果を虚心坦懐に伝えることをせず、どちらかといえば社論に近い方向へと持っていくのはちょっとヤバいんじゃなかろうか。問題はそうしたヤバさを感じてなさそうってことで、そりゃあ感じていたら取材を加味とかせずにそのまま乗せるだろう。アンケートは取材ではないってことを分かってないのか分かってないふりをしているのか。やれやれだ。

 広島城が広島駅からどれくらい近いのかは分からないけれど、その隣にサッカーのスタジアムが建設されるそうでまさに街中のスタジアムとして気楽に行けて終わったあともいろいろ楽しめる拠点として大いに賑わいそう。3万人規模のスタジアムはJ1にあるチームとしても手頃でJ2に落ちたとしてもそこそこの動員が確保できるならもてあますことはなさそう。原爆ドームの背景にどれだけ重なるかが気になるところではあるものの、そういう景観も含めて設計されていると思いたい。フクダ電子アリーナもサイズ感とか見えやすさとか最高なんだけれど繁華街からやや遠いのが残念。それでも埼玉スタジアム2002よりは“都会”なんで悪くはないか。早くJ1に上がってサンフレッチェ広島を迎えつつ、逆に広島の新スタジアムにサンフレッチェ広島との対戦を応援に行くようになりたいなあ。


【10月25日】 長い会議を終えて帰ってエル・クラシコまで待機だと思っていたら寝てしまって、起きたら終わってたのでそのままDAZNでF1アメリカGPを見て、ラスト10周で1位のフェルスタッペンを2位のハミルトンが3秒差くらいで追う展開を見守り残り1周で1秒差に迫りながらも追いつけず、フェルスタッペンが勝利して得点差を広げる展開にこれがF1だといった興奮を思い出す。セナとフロストだったら最終コーナーでどちらかがどちらかに突っ込んで差を広げないようにしかなな、などとも思ったけれど、アメリカのサーキットはそうした接触すら許さないくらい幅があってテール・トゥ・ノーズにもサイド・バイ・サイドにもならないのだった。

 テレビでF1が放送されていた頃は、大勢が観ながらネットで実況なんかしたりして盛り上がっていたけれど、今はDAZNが配信してもTwitterで誰もが観て騒いでいる風がないのは、時間が早朝であまり観られていなかったからなのか、F1事態に世間の関心が薄れているからなのか。日本人選手だって走っているけれど中嶋悟選手や鈴木亜久里選手のように、誰もが知ってる名前ではないところにF1ドライバーの地位というか知名度の低下も感じられる。セナ、プロスト、マンセル、ピケにシューマッハーといった選手に匹敵する名前でもないからなあ、フェルスタッペンもハミルトンも。けど世界ではきっと今もF1が人気で、ドライバーも貴族のような稼ぎを得ているんだろう。日本でもそうなる日は再来するのか。来年の鈴鹿次第かなあ。

 そして寝て起きてクリニックに行き薬局で薬をもらいがてら、ドトールで3時間ほど原稿を書いて2000字から300字ほどの予定に3500字くらい書く。そこからまとめに入ろうと船橋中央図書館に行ったら珍しく休館で、仕方なくヴェローチェにこもって文体を整えたり削ったりしてどうにかこうにか全体像をとりまとめる。これにてほぼ完成。2部作なので続きは明日書いて〆切に間に合わせたいものであるものの、数日前から胃腸の調子から寒さから崩れているので、暖を求めて電気毛布に火を入れた布団に潜り込んで眠りこけて、気がつくと木曜日になって〆切りを吹っ飛ばしていたりするかもしれないので用心が肝心。

 帰りがけに衆議院議員選挙の不在者投票に立ち寄る。選挙区では野田佳彦元総理と自民党の誰かが立候補していたりして一騎打ちの状況。ほかの誰も立候補していないのは立ち入る隙がないってことなのか。そこに割り込んだところで名前を広めることすら叶わないってことなのか。どちらが当選しても落選しても比例の方で救われるだろうから緊張感もなさそう。そういう意味で小選挙区比例代表並立制は投票への意欲をユルくする制度だとも言えるけれど、昔のように中選挙区にして多くの政党から選べるようになると今度は同じ政党から何人も出て議席をぶんどることもあり得るだけに難しい。何が最適な選挙制度か答えは誰にも出せないのだろうなあ。

 ようやくやっと「サンデーGX」の2021年11月号に掲載された「BLACK LAGOON」を読む。フランスの民兵組織SACに所属する非合法部隊「五本指」として黒人の大男こと「ラ・ムッシュ」を探しに来た若い女性のガンマンたちが裏切った仲間に裏切られてはハメられて、誘い込まれたクラブでこともあろうにバラライカたちの待ち伏せにあって戦闘状態。かなうはずもない相手だけに無常にも1人また1人と倒れていく様に容赦のなさって奴をみる。

 裏切ったルマジュールは現場を離れたようだけれど、今はまだ生き残っているロリキュレールがあとを追っているからもう一騒動あるのかも。それはそれとして「ラ・ムッシュ」とダッチとの関係も気になるところ。ベトナム帰還兵ではなさそうなことはロベルタ逆襲編の中でキャクストンたちから示唆されていたけれど、それが明かされるのかそれとも闇に葬られるのか。レヴィだったらどっちだってダッチはダッチって割り切るだろうけど勢力図とも関わる話にロックはいろいろ考えそう。そこから生まれる亀裂がラグーン商会を崩壊に導くとか、あるのかなあ。毎号掲載ではないだけに次はいつ読めるのか。ともあれ近づくエピソードのラストに備えよう。


【10月24日】 「薬屋のひとりごと」の日向夏さんがMF文庫Jから出したあ「迷探偵の条件1」は表紙に描かれた美少女はとりあえず無視して大丈夫。主人公は真丘陸という少年で、18歳の誕生日になるまでに運命の女性と出会わなければ必ず死ぬという家系にあって17歳の誕生日を迎え、残る期間はあと1年と追い込まれている。女性に縁がない訳ではない。通っていた幼稚園ではふわふわとした美少女に手にハサミを持った姿で迫られ、小学校ではバレンタインデーに髪と爪が入ったチョコレートを贈られた。

 中学生の時には電車でお近づきになりたいと思ったらしい女性から痴漢の冤罪をかけられた。でもそうした“縁”は真丘家に伝わる“引き寄せ体質”というもうひとつの家系によるもの。その中に運命の相手がいても、やっぱり命は保ちそうもない。だからこそ本当に愛し愛される関係の相手を見つけなければならない陸が、残る1年を始めようと登校した高校で、さらにもうひとつの真丘家の体質が発動する。それが超探偵体質。クラスのイベント補助委員に任命された陸が準備と運営を手伝った部活の活動発表会の当日、学校でも嫌われものだった教師が首を吊った姿で発見された。

 自殺かそれとも、というところで発揮される陸の推理はきわめてオーソドックス。アリバイやプロファイルから犯行が不可能な人を除き、残る容疑者から動機を推察してものの見事に犯人を言い当てる。街を歩いている時にすぐそばに女性が落ちてきた事件でも、学校の化学教師が自殺を試みようとした事件でも、しっかりと解決への道筋を立てる名推理ぶり。そのかたわらにユキという幼なじみの同級生が寄り添い、良い関係を見せて文芸部の部長をキュンキュンとさせているけど実は男装した女子だということは早々に明らかにされている。だったら運命の相手かというと……というあたりも気になるところ。違うということはつまり……といった興味も含めて入り組んだ関係性の中、誰が本当の運命の相手かを探る展開も楽しめそう。陸は18歳の誕生日を迎えられるのか。続きが楽しみ。

 吸血鬼が滅びかけた世界をバイクで旅する物語が早見慎司さんの「死なないセレンの昼と夜―世界の終わり、旅する吸血鬼―」(電撃文庫)。世界で雨が降らなくなって数世紀、海は干上がり地下水として循環している水は貴重な資源となって人々の暮らしを縛っている。そんな世界にあってバイクを転がし移動式のカフェを営みながら旅している少女がいた。名をセレン。その日も旅をしていた途中、派手なメタルをガン鳴らして移動するトラックと出会って陽気な交歓をしばし繰り広げる。そして別れたセレンの横を不穏な輩が走り去ったトラックの方へと向かっていった。

 嫌な予感は当たったけれどもそこで発揮される“夜”のセレンの本性。知らずトラブルに巻き込まれては解決していく旅を描いたロードムービー的なストーリーがそこから繰り出されていく。海がなくて雨が降らない世界が大気圏を維持したまま干上がらず滅びないのは謎だけれどもそうしたシチュエーションを設定した上で、水をめぐって起こる騒動や衰退した文明の中で生きる難しさを描きつつ、セレンという“超人”の活躍を際立たせる効果はあるから、ひとつのファンタジーとして読むのが良さそう。コーヒー豆はどこから手に入れているんだろうか。そこはやっぱり気になるなあ。

 昼過ぎから銀座へと出て久々の対面による会議を4時間ばかり。存在に対して数人で見解を示すような展開の中で山ほどの対象があってもやっぱり見解が一致するのは同じなんだなあというのが分かって安心する。それぞれが違った技術や出自を持ってポリシーも違っているにもかかわらず、ほぼほぼ同じような見解になったのはそれだけ対象に普遍の要素があったからなのか、どちらかといえばアウェイな立場でありながらもホームの側に近い感覚が情勢されていたと思うべきなのか。そこは分からないけれどもとりあえずこの数カ月間、携わってきた仕事が終わって次ぎへと回せたのでホッと一安心。あとは任せたと言って次の仕事へと手を向けよう。締めきりも迫っているし。


【10月23日】 岡山でパワハラから自殺者を出したテレビ局と同じネットワークに属する山形のテレビ局でやっぱりパワハラによってアナウンサーが休職に追い込まれ、そして過去に大勢の人が退職していることが週刊文春によって報じられている。系列が同じだからといって資本構成も人員の言われもまるで違っているから関連性はないんだろうけれど、一方で同時多発的に似たようなことが起こるのはテレビ局という業態が持っている体質なのか、それとも同じ系列故に抱える経営面での課題が噴出したからなのか。いろいろと考えてしまう。

 どうしてそういう事態が起こるのかをパワハラの主に直撃していて、答えがちょっと可愛がっただけといった感じにまるで反省していないところがなかなか厄介。昔はそうだったという言い訳が通用しない時代になっているにも関わらず、そのことを分かっていない感じは現代において絶望的ともいえる心証なだけに、今後同じ様な問題が噴出してくるだろう。系列の元締めも相次ぐ似たような事態が昨今の視聴率の停滞を余計に強める可能性もあるのなら、いろいろと指導も入っていくんじゃなかろうか。それすらなかったら万年4位に落ちてしまったかつての1位はさらに5位へと落ちてしまう可能性もありそう。そんな時に系列の新聞はどうなる? そちらは考えたくもないなあ。

 竜王戦に臨んでいる藤井聡太三冠が豊島将之竜王に勝って2連勝。あと2つ勝てば竜王位という現時点で将棋界の最高位に就き白鳥士郎さんのライトノベル「りゅうおうのおしごと」の九頭竜八一が達成した最年少竜王の“記録”を現実世界で塗り替えることに確かなるんじゃなかったっけ。有り得ないからこそのライトノベルのことごとくを打ち破ってきた藤井三冠ならではの偉業。そしてさらなる戴冠もあり得るこの状況をいったい誰が予想できただろう。羽生九段が見せた強さはたしかに凄まじくってマジック連発が取り沙汰されたけれど、藤井三冠の場合は最初から最後まで強いというその差を誰か、解説してくれないかなあ。

 観た。怖かった。中川奈月監督による映画「彼女はひとり」。橋から川へと飛び降りる自殺未遂した少女が生還した後、幼馴染の少年を恐喝し始める。少女には先に自殺した幼馴染の少女の幽霊が見えている。少女と幼馴染の少年には彼女がいながら実は学校の女性教師と関係を持っている。少女の父親は娘を心配してそうで実は空っぽ。話していても目を合わせようとしない。そんな状況の中、少女は平静を保っているようで内心は怒って影ながら非道を繰り広げる。

 誰ひとりとして正義だという基準からの共感を抱けない、どこか歪んだ人たちばかりによって繰り広げられる関係性。誰を応援したらいいのかわからないもやもやとした感情の中を、引きずり込まれて振り回せるようなストーリー。ひとり少年が付き合っていた女子高生だけがけなげでいい人だったけれど、だからといって報われるわけではないところが寂しい。ヒーローなりヒロインなりを立てるにしても、カウンターとして悪役を描くにしても対比となる悪なり正義があってこそ二項対立が物語を支えるものだけれど、現実はそんな風に割り切れるものではない。そんな現実を生きるということを教えてくれる映画なのかもしれない。

 水田陽さんの「ロストマンの弾丸」(ガガガ文庫)は壊滅した東京が外国の勢力に牛耳られるようになった世界線の上、ロストマンズ・キャンプと呼ばれるようになった東京で義賊のように活動する少女がいた。「ピークヘッド」という異名を取る彼女は10年前に母親がギャングの抗争に巻き込まれて死んだ事件の犯人に相当するマフィアの幹部、ヴィトーに近づこうとして対立する組織の相談役と接触する。異能バトル的な要素もあるけれど、構造としてはギャングの抗争の間で望むものを手に入れようとあがく少女の疾走が描かれる。ギャングにも苦悩があって生きていく厳しさというものを教えられる作品。ヴィクトーという重要なピースを欠いてロストマンズ・キャンプはどこへと向かう? 続刊があれば読んで見たい。


【10月22日】 肩が痛いのは五十肩などでは決してなくて、カット袋が入った箱を40個くらい持ち上げたり降ろしたり、カット袋を箱から取りだしてバーコードをスキャンしていく作業を2000カットくらい進める中でカット袋が入った箱を、30箱くらい持ち上げたりひっくり返したり降ろしたりしたからだと思うけれど、それならどうして両肩に来ないのかと言われると、謎めくのでやっぱりただの五十肩なのかもしれない。それか最近の寝相が腕を真下に降ろすのではなく、頭の方向に持っていってバンザイしている感じになっているからなのだろうか。ベッドの両脇に積んだ方がだんだんと体に迫って来て、体の横に添えるように下ろせないからなのだった。困ったなあ。

 ニトリあたりで家具の値段が上がっているそうで、ネットからの情報によればどうやら海外からの木材の輸入が止まっている関係で、原材料費が値上がりして製品の値段にも影響しているのだとか。間伐材の問題とかあって国内で木材が余っているような印象もあるけれど、コスト的にはやっぱり高くなるから代わりに使うということもできないのだろう。切り出して製材する必要もあるし。だったらもっと手っ取り早く木材を入手する方法として、千駄ヶ谷と信濃町に作られた巨大な建物とかあまり意味もなく木材が大量に使われているそうなので、引きはがして提供すれば結構な値段になって向こう1年2年の運営費くらい賄えるのではなかろうか。あれだけあればどれだけの机や箪笥が作れるか。ちょっとワクワク。

 毎日新聞がジャーナリストの青木理さんの寄稿という形で、ネットを使って自民党を称揚しつつ反対の勢力をこき下ろしていた「Dappi」というツイッターアカウントに関するコラムを掲載している。いよいよ毎日新聞も取り扱うことにしたんだと言えるけれど、「現時点で本紙は報じていないので、各メディアの報道から経緯を振り返っておけば」という言葉にあるとおり、本紙が主体的に“報道”した訳ではないところがどうにも引っかかる。有料の記事で途中まで読めないから、毎日新聞に対してどうして報じないのかと尋ねているかは分からないけれど、少なくともこのコラムが出るまで態度を保留していたという事実は消えない。青木さんを使ってアリバイ作りをしているようにしか見えない。

 選挙期間中だから特定政党をこき下ろすような記事は掲載できないという状況から、青木さんをコラムに登場させて「疑惑浮上の発端は野党議員による訴訟。16万人以上のフォロワーを持つ同アカウントが与党を賛美し、野党を罵倒する投稿を繰り返したばかりか、なかには完全なデマや歪曲情報が含まれていたため野党議員が名誉毀損だと訴え、裁判所も発信者情報の開示を命じたのです」という言葉とともに与党の情報操作を指摘したものだと言えなくもない。でも選挙に突入する前に事態は発覚していた訳で、その間に何も動かなかったのが実際の所。そうした大手メディアの及び腰はいったい何に遠慮したものなのか。そんな思いを抱かせる記事に登場して免罪符役を務める青木さんのスタンスにももやもやとした思いが浮かぶ。メディアって何だ。

 図書館で3時間ほど書きものをして、それからサイゼリヤでランチのパスタをかきこみながら2時間ほど書きものをしたあと、イオンシネマ市川妙典へと出向いて「ロン 僕のポンコツ・ボット」を見る。とりあえずティム・クックめいたやつが発明者の思いを汲まずユーザーの気持ちも無視して儲けに走ってやっつけられていて痛快だった。これはつまりはマーケティング志向で益体もない製品ばかり出されててはガッカリさせられ続けているアップルユーザーの気持ちを代弁する映画なのかもしれない。どうだろう。

 チョコエッグに入っているカプセルがもっと大きくなったような形をしているボットなるマシーンはネットワークにつながっていてユーザーに関する趣味嗜好から交流関係まで含めてすべてを把握した上で、ユーザーの半ばエージェントとなって寄り添っては趣味嗜好がマッチする友だちを探して結びつけてくれる機能でもってたちまちのうちに大ヒット商品となっていく。

 乗りものにもなってバイク的だったりスケボー的だったり使うことも可能。マシーンどうしたくっついて大きくなったりするあたり、どういう機構なのかが気になるけれどもランカ・リーが持ってる携帯端末みたいなものなのかもしれない。あれもぐにゃぐにゃ変形していろいろなものになっていたから。そんなボットがあることで学校に通う子供たちは誰かとつながって昼休みとか楽しく過ごしていたけれど、ひとりバーニーはブルガリア移民の子で陽気だけれど頭が古い祖母と、そしてネットを使い玩具を売り込んでいる父親の下でボットを持てず、誰とも友だちが作れないままでいた。

 そんなバーニーを見かねた祖母と父親が、どこかから手に入れてきたボットは最初からどこか奇妙で、ネットに繋がらず言動はメチャクチャ。仕方なくバーニーはロンと名付けたボットに対して「友だち」とは何かを教え込んでいく。最初は理解もせず振り回されていたバーニーだったけど、だんだんと仲良くなっていく過程はなるほど友だちというものができる過程に似ている。喧嘩もするけど仲直りもする。それは絶対服従の他のボットにはない機能だった。

 そうなのだ。「友だち」だというボットだけれどしょせんは自分の分身に過ぎない。そんな分身を通して誰とでも繋がれて、そしていろいろと自分を発信して世間からイイネをもらおうともそんなものは拡張された自分のワールドでしかなく、誰かのワールドと重なっていたとしても繋がったとは言えない。そしてボットとの関係も主従であって対等ではない。ロンは違う。他の誰ともつながれないけれど、バーニーとは向かいあってそして繋がりを作り上げようとした。そんな姿にこそ本当に作りたかったものを感じた開発者をよそに、ティム・クックめいた共同経営者はユーザーをプロファイリングして物を売りつけるツールとして広げようと画策する。

 そして起こる対立。始まる逃避行。その先に来る別離からの再会という感動を与えてくれるストーリーを見終わると、ボッチの自分にとって欠けているものが何かが見えて来るし、ネットなんかを使って自分の日常を切り売りしてイイネをいっぱいもらったところで、そこに繋がりなんかないんだということも感じられるようになる。かといって実際に友だちを得ようとしてもボットはないし、人と知り合える機会もない時にどうやって友だちというものを見つければ良いのだろう。自分を持つこと。それを偽らないで出していくこと。その積み重ねがいつか分かってくれる人に出会う機会をもたらすだろうと信じて。


【10月21日】 山猫総合研究所と名乗るシンクタンクなら、やっぱりアンケートの冒頭に「質問はずいぶん保守寄りですがどうか一々こらえて下さい」と書いてこれはどういった趣旨やら志向やらで行われているかを名明示して欲しいもの。そして数々の設問の最後に「いろいろ質問が保守寄りでうざかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかか日米同盟と財政再建と嫌韓反中の思想を頭にたくさんもみ込んでください」と書いておいてこそ、くすりとした笑いを醸し出しつつ保守的でありリバタリアニズムであることを誇りに思えるような気持ちになてる。

 政治学者の三浦瑠麗さんが代表を務めるその名も山猫総合研究所というシンクタンクが、今回の総選挙に向けて実施しているアンケートが何かと話題になっている。設問のことごとくがいわゆるリベラレルだったり積極財政だったりアジア友好だったり平和主義といった戦後の日本がとりわけ大切にしてきた信条であり、故に発展を成就できた主義のことごとくについてそれを否定するような文言を設問にして、どうかと尋ねて「そうだと思う」と答えがちな方向へと誘導しているとのこと。実際に読むと日米同盟は強化すべきだとか防衛費は増やすべきだとか中国は領土的野心を持っているといった設問で、イエスと答えやすいようになっている。

 そうは思わないなら「そうは思わない」と答えれば良いだけなんだけれど、人はアンケートだと何となくイエスと答えたくなるらしい。そうした傾向を取り入れつつ「領土的野心」といった言葉で嫌悪感を惹起してそのとおりだと答えたがるようにしていつところがなかなかに厄介。なおかつ出て来た答えで財政を積極的に投入して困っている人を救ったり、企業なんかを助けたりする国の役目を肯定するような答え方をした人を、「経済的ポピュリズム」と呼んで何か悪い考えかのように印象づける。

 対する財政緊縮派は「経済的リアリズム」となるんだけれどそれは現実主義というよりリバタリアニムズであって個人に自由と責任を押しつけ弱者を虐げるものとなる。けどそうした印象を覆ってリアリストであると讃えるような言い回しは受け止め方に相当な誤解を招くだろう。そうした“仕掛け”をたっぷりと施したアンケートを実施して結果をどのように使いたいのかと考えると、やっぱり「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それとも保守はお嫌きらいですか。そんならこれから日章旗を立てて愛国者にしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい」といった具合に趨勢を判断するんだろうか。逃げようにも吠える犬もいない中、雰囲気がけが作られて行く。やれやれだ。

 サンライズの本社移転に絡むようにバンダイナムコホールディングスが参加の映像とかライブエンターテインメントの会社を統合整理するらしく、まずはサンライズが存続会社となってバンダイナムコアーツから映像部門を譲渡される予定とか。社名が決まっていないらしく、いろいろと考えたけれどもここはやっぱりバンダイナムコサンライズとでもすれば社員もグループに属している上にサンライズという日本が誇るアニメーション会社の名前を名乗れて良いんじゃないのかなあ、それともやっぱりバンダイナムコガンダムとか? 具体的な作品名を入れるのは止した方が良いでしょう。

 一方でバンダイナムコアーツはライブ事業や音楽事業なかを行っている会社を吸収。こちらも社名が決まってないならかつて存在したブランド名を復活させてバンダイナムコランティスでいかが。分かりやすいし伝わりやすい。バンダイナムコレイジーではちょっと遠いしバンダイナムコアポロンではさらに訳が分からない。バンダイナムコミュージックは社目にトラウマを持っている人もいるだろうから遠慮ってことでやっぱりここはバンダイナムコランティスで。あるいはバンダイナムコラブライブとか? それだとアイカツ勢やアイマス勢が浮くからちょっと避けた方が良いかもね。モアイマークのエモーションレーベルは継続するのかなあ。


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