縮刷版2020年8月中旬号


【8月20日】 明け方に不穏なことをほのめかされた方がおられて、冗句でそうしたことを言われる方ではないので心労から本当になりかねないと思ったものの、直接の面識はなく連絡手段もないため何が出来るということもなくジリジリとする。RTなりアラートなりをすることで見た編集者なり関係者の方が直接に連絡をとって安否を確かめ心身を落ち着かせることになればといった気持ちで少し、SNS上で書いてはみたもののそれが直接届く保証もないまま、事に及んでしまってはやはり拙いと歯がみが続く。

 それでも拡散力の高い方が積極的に呼びかけたりして広い範囲に話が届き、それも事の重大さを感じさせたのか動いた編集の方もいたようで、在住地に近い人とかご家族とかが動いてどうにか事なきを得た模様。振り返った文言でやはりある程度は本気でもあったらしく、騒いで良かったといった感想が浮かぶ一方で、やはりSNSでの積極的な拡散が、収拾にどれくらいの効果をもたらしたかも考えてみたくなる。

 騒げば広がるというのは道理だけれど、それだけではやはり収まらなかった可能性もある。ピンポイント出の編集者経由での在住地把握から110番通報と直接の説得、家族の注意喚起の方が有効だったような気もするけれど、その検証は難しいだけにやはり気になる。ここでアラートをバラ撒いたことで収拾したとだけ伝わると、今後も同様のケースでひたすらSNS上だけで拡散されて、本人のケアにはまるて及ばなかったなんてことも起こりかねない。

 なるほど目に付きやすい場所で騒ぐことで何かに参加している気持ちにはなるし貢献しているような感じも味わえる。それで結果が得られればなおのこと参加した意識を満たされる。ただ、どこまで意味があったかも考えないと騒げば世の中が変わるといった意識だけが残って、説得だとかのプロセスがおろそかになってしまう。それでは意味が無いのだと思った時にさてどういう方法が考えられるのか。考えないとなあ。

 九頭竜八一が竜王位に就いたのは16歳4か月で、タイトル獲得によって八段に昇段してそして1年後には竜王位を防衛して九段に昇段といった具合に、白鳥士郎さんのライトノベル「りゅうおうのおしごと!」の中ではまだフィクションの描写が、17歳11か月で棋聖位を獲得した現実の世界の藤井聡太棋士を上回っている。それでも現実にはなかなかあり得ない絵空事だからこそのフィクションでありエンターテインメントであって、それに迫るような活躍を現実の世界でプロ棋士が演じてみせるなんて想定は、していなかっただけにこれはやっぱり大変なことらしい。

 それどころか藤井棋聖は現実の世界で王位戦に臨んで木村一基王位を相手にタイトルを奪取して、18歳1か月で二冠に輝くという「りゅうおうのおしごと!」でいまだ九頭竜八一が成し遂げていないことまで達成してしまった。八一は目下のところ二冠目に挑戦中で、どうにか1勝を挙げたものの先はまだ見えない。そんなフィクションを横目にこれまでの21歳11か月というあの羽生善治九段が保つ最年少二冠の記録を、大きく上回った上に10代で初の二冠という偉業を達成してしまった。これはもうすごいなんてものではない。

 二冠達成の規定で八段にも昇段。九段はちょっとかかりそうだから九頭竜八一の記録は守られそうだけれど、現実の世界で神武以来の天才と呼ばれた加藤一二三九段が持っていた最年少八段の記録を上回った訳でやはり将棋界においては偉業も偉業といったところ。数々の最年少記録を塗り替えてきた藤井王位・棋聖ならではの記録と言えそうで、これを前にフィクションがまだ先を行っているだなんて言っても意味が無い。

 とはいえ人間の想像力が負けてしまうのは寂しい話。見渡せばまだ「りゅうおうのおしごと!」には女性によるプロ棋士四段と小学生棋士という記録が描写されていたりして、こればかりはなかなか現実にはなりそうもないかというと女性の四段については奨励会三段リーグを戦っている西山朋佳三段が、リーグで上位につけてこのまま2位に入れば昇段となり、次点でも前回と合わせ2回でフリークラスでの四段昇段を達成する。すなわち初の女性プロ棋士四段の誕生。これは是非とも追いついて欲しい現実だ。

 あとは九頭竜八一にならって藤井聡太王位・棋聖に小学生が弟子入りすることだけれど、さすがにこれはまだないかなあ。あったら大変。というかこの一件で「りゅうおうのおしごと!」が評判になっているけれど、面白さの中心にもある小学生棋士とのいちゃいちゃ部分がどう評価されるかが気になるなあ。そうだ棋士だけど囲碁で女性が女流ではないタイトルを獲得、それも本因坊という描写があってその人がとてつもなくお下品だった。これもバレるとヤバいかな。

 「劇場版 Fate/stay night [Heaven’s Feel] III. spring song」をバルト9のシアター9最前列から見る。2度目。ライダーとセイバーのバトルシーンを間近でみると直立しながら進んでいったりドロップキックを放ったりとライダーの戦いぶりが独特で、肉体派のバーサーカーとか俊敏な動きのアサシンとか、剣戟のセイバーなんかとはまた違った法則でのその動きをどうやって考え出したのかが聞きたくなる。前屈みになった時とか胸が強調されるのもなかなか。つまりはライダーを見るための映画ではあるけれど、包まれていても桜もやっぱりなかなかだし、僧服めいたものを来たアイリスの足も可愛かったりして見どころは多々。イラストは出たのが今度も衛宮士郎だったので桜が出るまで通うかどうか。考え中。


【8月19日】 「ウルトラセブン」の4KリマスターがNHKのBS4Kで放送されるということで、いったいどんな色になるんだろう、どこまで細部が見られるんだろう、質感はどんな感じになるんだろうといった期待が膨らんでいるものの、4Kどころか地上波も映らなくなっている状況ではあまり関係がないのだった。テレビがアナログのままで、BD/HDDレコーダーをデジタル放送のチューナー代わりにして当時はまああったアナログ出力をしていた関係上、レコーダが壊れた状況ではテレビが見られずそれが1年くらい続いているといった感じ。困るかというとコロナ騒動とかまったく見なくて案外に助かったかもしれない。

 「ウルトラセブン」の4Kリマスターは見たいけれども部屋に新しくテレビを入れて衛星を引いたところでサイズ的に30インチも置けないなら意味はなさそう。だったら4Kでのパッケージが出てそれを実家の大きなモニターで見るまで待つしかないってことかなあ。いつになることやら。ところでやっぱり12話の「遊星より愛をこめて」は放送はされないんだろうなあ。それはわかるとして4Kリマスターはされるのかどうか。過去、DVD化がされた時に円谷一夫社長だったっけ、立ち話をしてどうするんですかと聞いた記憶があるけれど、答えはどうだったっけ。

 とりあえずデジタル化とかリマスターとかはするけどパッケージにはいれず放送もしないってことだったっけ。シリーズがぜんぶありながらも1話だけ、封印作品ということで過去のフォーマットのまま取り残されるってことがあるとは思えないし、思いたくはないんだけれど、一方で永久に封印が説かれないだろう作品にそれだけのコストをかけられるのか。判断も迷うだろうなあ。実はやっていて、それがひっそり流れ出す、なんてことはあり得るか。それより誤解がとけて封印が解かれる時が来るのか。気にしていこう。

 テレビが映らなくってアニメはどうしているかとうともうすべてがネット配信でNetflixとAmazonPrimeVideoで配信されている新作とか少し前の新作なんかを見てだいたいを抑えている感じ。今だと「魔王学院の不適合者」と「食戟のソーマ 豪ノ皿」と「モンスター娘のお医者さん」と「とある科学の超電磁砲T」とそれから何だっけ、あったあった「放課後ていぼう日誌」だ。確か4月にスタートしたものの新型コロナウイルス感染症に伴う放送延期となって改めて7月からスタートしたのをネットでも配信してくれている。テーマがどうにも地味に見えたけれども見るとどうして、ユニークで楽しくて為になる話になっていた。

 たぶん熊本あたりの沿岸部に引っ越してきた鶴木陽渚が手芸部に入ろうとして「ていぼう部」なる魚釣りをメインの活動にした部に引っ張り込まれて初心者から釣りを始めるといった設定。先輩の部長がなかなかの曲者で、たぶん熊本弁を喋っていてそれがどうにも気怠げで、聞いていてとっても心に馴染む。演じている篠原侑さんはそんなにたくさん主役級を演じてきた人じゃないけれど、熊本出身ってことで喋りはネイティブ。それで良い味を出したことでこれから引き合いも結構来るんじゃないかなあ。

 そんな部長とそれから以前に来ていた時に知り合っていた同級生の帆高夏海がいて、先輩にあと長身で胸が大きくて眼鏡で寡黙で優しい大野真がいたりと精鋭揃い。大野さんは声が明坂聡美さんなんだけれど騒がず静かな声を演じてとても綺麗で澄んだ感じで癒やしを与えてくれる。そんな大野ほか誰もが釣りのエキスパートで、新米の陽渚を指導する形で釣りに引きずり込んでいく。そうした説明で仕掛けだとか竿の種類だとかエサだとか釣りの仕方なんかを見る人も学んでいけるといった感じ。見れば「けいおん!」でバンドを始めた女子がいっぱいいたように、釣りを始める女子とか出たら面白いんだけれど。釣った魚のさばきかた、食べ方まで教えてくれるんだから、顧問の小谷さやか先生みたいにお金が逼迫した時に、釣ってご飯にできるようになるし。ならないか。

 ありゃ。元ツイートは「インタビュー記事は1〜2時間の会話を文字起こしして編集すれば公開できるので制作負荷が軽い。ただ情報密度が低くなりやすいフォーマットなので読まれない確率も高まる。あと会話をそのまま文字化すると誤解を招いてインタビューイを傷つけることもある。実は慎重な編集を必要とするコンテンツ」だったかな。後半部分はそのとおりなんだけれど、そこで「慎重な編集を必要とする」といっている口で、前半の「制作負荷が軽い」コンテンツとしてしまうのは、慎重さが足りなかったと言われて仕方がないかも。

 そんなツイートが出回って、すぐさま出て来た反論反発も主にそうしたインタビューを簡単に作れるコンテンツであるかのように書いていた部分に対してのもの。文字起こしをそのまま公開すれば記事になるなんてことはあり得ないし、1〜2時間のインタビューの文字起こしをするのに、2時間3時間はかかったりするのもザラでその手間を考えれば負荷が軽いなんて口にできない。そもそもそうした1時間のインタビューを行う前に、どれだけの下準備をしているのかをまるで考えていない。

 著者へのインタビューだったら事前に当該の作品を読み他の関連する作品も読み過去のインタビューなんかも読んだりするから何時間何十時間もとられる。そうしたインタビューの要点を自分の中に築いてどうした質問をすればいいか、どうやって誘導するか、どうやってまとめるかといった手法にいたっては何年何十年といった経験でもって培われていく。そうした経験でありノウハウであり準備を考慮した時に、インタビューほどコストがかかっているコンテンツもないんじゃないかと思ったりもする。

 でも、現場は来て喋ってもらってそれをまとめればオッケーなんだから簡単っしょ、なんて理解なのかもしれない。そうした認識から出たツイートなんだと感じた人から避難ごうごうとなって結果、言葉足らずと消してしまった。そういったリアクションは想定できなかったのかなあ。それともやっぱり最初はそう考えていた節がある? 分からないけれど、論議を呼んだという意味では価値があったのかも。それでインタビュー記事の原稿料がドカンとあがれば良いんだけれど、そんなことはないからなあ。とか言いつつインタビュー原稿をまとめてとりあえず送り込む。インタビューは大変だけれど面白い。次はいつ仕事が回ってくるかなあ。


【8月18日】 はやっ。kindle版がもう配信停止になっている。原作の人に関わる問題で、連載が休止となり最新刊の刊行も無期延期とされた漫画の「アクタージュ act−age」だったけれど、版元の集英社から単行本の出荷が停止となって、店頭にある分でしばらくは終わりとなってしまう上に、電子による配信も版元のサイトでは停止となり、そして外部のサイトでも順次停止になるといった発表があった。書店ではすぐさま品切となった感じで、ネットなんかでプレミアムがついて流通し始めている。

 浮かぶのは、どうしてそんなに急ぐのかといった疑問。なるほど犯罪行為は犯罪行為ではあるけれど、今はまだ逮捕なりされた段階であって、ここから起訴となって裁判によって有罪となるまでは犯罪者とは言いがたい。とはいえ被害者が現にいる犯罪で無実を訴えるのも見苦しい話であって、そこは認めて謝罪をし、示談となれば悪事は残っても罪には問われない。そうなった可能性が想定できる段階で、犯罪とは直接関係がなくく、また作画の人の作品でもある「アクタージュ act−age」を早々と打ち切りにするのはどうなのか、といった思いが浮かんでしまう。

 もしも原作の人が完全無欠なまでに非の打ちどころがないような好人物だったのなら、少し状況を見た上で連載を再開できないものかと考えてしまう。それはちょっと難しいというのなら、せめて既刊の分くらいは普通に流通させても構わないのではといった気にもなる。ミュージシャンが罪を犯すと過去の楽曲まで販売や配信が停止される愚を散々見てきただけに、それが出版物でも行われることに寂しさが浮かぶ。ましてや原作の人にとってはそれが自分の成果であって、巻き添えを食らうのはやっぱり悔しいだろうし。

 それともいきなり絶版とはせず、今こうして出荷停止にしただけというのも、罪一等を減じるような動きもあり得る中で、当面の処置として出したものかもしれない。「サムの息子法」という、犯罪者がその犯罪行為を手記にして出版なりして金を稼ぐ行為を禁じる法があって、それには該当していない状況ではあっても、被害者の心情を思うなら今、その作品が話題という追い風で売れるのは忍びないといった判断があるのかもしれない。そして示談なり不起訴なりとなった暁には、出荷も配信も再開……となって欲しい。

 もちろん、今までのファンが望む、やっぱり連載の再開であり完結だろう。それがかなう可能性はあるのか。原作者の人の問題が解決するかどうかってところか。そして作画の人のやる気が取り戻されるかどうかってところか。以前に同様の処断を受けたマンガ家は、2年後に連載を再開してそれがアニメ化されるくらいの大ヒット作になったけれど、作品自体は止まってしまっってた。その徹は踏まず、また32年の時を経て復活した宮下あきらさんの「私立極道高校」のように連載分の刊行も行われつつ、完結までは描かれて欲しいものだけれども、果たして。

 あおり運転をした挙げ句に人を殴った男の車に同乗していたんじゃないかと無関係の女性を自分のSNSで拡散した元市議が、訴えられていた裁判で敗れて損害賠償を支払うことになったとか。求められていた110万円に対して33万円は何か安い気もするけれど、最後まで突っぱねて逃げ回っているようなネット上の匿名での誹謗中傷者とは違って、一応は謝る姿勢は見せたし市議という職も失ってしまったということで、罪一等を減じられたのかもしれない。それでも根も葉もない話をこうして拡散して無関係な人を糾弾すれば、名誉毀損で訴えられて負けることがまたしても確かめられた一件。あとは拡散機能をつかってRTなんかをした場合も、どういう結果が出るかが気になって来る。

 ライトノベルがどうかというより個々の作品として良いか悪いかが重要なのであって、自分にとって不出来に思えた作品が例えばライトノベルのレーベルだからって、ライトノベルはだから宜しくないといった感じで括ってしまうことをライトノベル読みとしてはやっぱり気になってしまう。夏原エヰジさんという人が書いた「Cooon 修羅の目覚め」という小説があって文庫化されたんだけれど、解説を書いた縄田一男さんが、表紙絵がライトノベルっぽいことから「嫌な予感がした」って思ったと綴ってた。

 表紙絵がライトノベルっぽいのは確かだし、中身だってキャラクターが立ってるあたりは退魔物のライトノベル的。似たような作品もライトノベルに割とありそうだけれど、自分が読んだライトノベルがお気に召さなかったことからライトノベルなのかもと表紙絵を見て思い「嫌な予感」をしたと言ってライトノベル全般を「嫌な予感」がするものだと括ってしまうような物言いは、これだけ売れてるライトノベルが世にある中でちょっと気になってしまう。売れているから良い訳じゃないとも良いそうだけれど、売れているなら良いかもしれないという発想だってありそう。揺るがせない尺度があるのだとしても、時代や状況から想像してみるのも良いんじゃないかなあ。違うかなあ。どっちにしたって僕には解説なんて回ってきそうもないから、一所懸命紹介するだけさ。


【8月17日】 7時間も病院にいると今の時期、新型コロナウイルスへの感染がむしろ心配になってしまうし、慶応病院は確かパンデミックとまでは言わないけれども研修医のパーティ後の集団感染なんかも確か発覚していろいろ言われていただけに、不安もあるけどそこは内閣総理大臣だけあって、万全の体制で院内も移動したんだろうなあ。雨合羽とか。大阪からの差し入れの。それはないか。

 ってことで安倍晋三総理が慶応病院に入って7時間もの検診を受けたとの報道から、健康不安がまたぞろぶり返したんじゃないかなんて噂も乱れ飛んでは秋の解散総選挙へとなだれ込むってスケジュールも取りざたされてきた。自民党総裁としての任期は来年まであるんだから今すぐ辞める必要もないから、ここで解散をして半ば憲法改正の信任投票にしたいんだろう。そのためには健康不安があってはいけないからを万全な体制で臨めるよう、中身を覗いてみたってところか。

 本当にヤバかったら堂々と入院だの通院なんかはしないもの。こっそり診察をしてはいよいよとなったら前みたいに突然に退任となる気もする。こうやって堂々と通院をするだけなら今のこのメディア状況で、突っ込まれても知らぬ顔を決め込んでいれば別に追求も及ばない。生きて動いて歩いていればそれだけで支持もある程度は得られる仕組みの上で、残る任期を勤め上げては何か大きなことをしでかそうと考えていそう。

 でも憲法改正はさすがに可能かそれともどうか。未だ健在な上皇さまが言わぬ口から何か漂わせては牽制するとかあったりするか。それでいよいよ建武の新政も終わりと征夷大将軍、じゃなかった内閣総理大臣が権限を強めて総督総統となってすべてをひっくり返すなんて未来を、暑さの中でちょっと妄想してしまった。歴史になを刻むならそれくらいやらないとねえ。やられても困るけど。どうなる来年。東京オリンピックまでは総理でいたいと普通に粘るかな。

 THORES柴本さんといえば、吉田直さんの原作による「トリニティ・ブラッド」シリーズを始めとして数々のシリーズでイラストを担当して、耽美にして幻想的な世界観を持ったキャラクターでありコスチュームであり背景でありインテリアにエクステリアを描いて名高いイラストレーターで、きっと世界中にファンだっていそうな気がするのに、ツィートによれば年内の仕事がなかなか少なく、そして来年にいたっては新しい話がまったくないということで、そこに篠田真由美さんから自費出版する作品でヴィクトリア朝の切り裂きジャック的な作品に対するイラストの話があって嬉しそうにしていた。

 けどそれだって大きな仕事ではなく、シリーズを請け負っていても作家の人が作品を出さなければ新しい仕事には結びつかない。そしてどうやら枚数に対する支払いらしく、年間で書いても3桁に届かないというからちょっと驚いてしまった。ライトノベルの配分とかどうなっているか編集者じゃないから知らないけれど、キャラクターの要素が強そうなライトノベルだとイラストレーターもそれなりの按分でお金がもらえそうな気がする。でもTHORES柴本さんのようにシリーズでもラノベ的ではないと、売りきりのイラストになってしまうのだろうか。気になった。

 というか、「トリニティ・ブラッド」なんてロシアでコスプレイヤーが演じていたりするくらいに人気がありそうだし、その幻想的な世界観ならファインアートの世界でだって描けば買い手もつきそう。中国に持って行ったらそれこそ何十万何百万なんて値段で取引されそうな気もしないでもないけれど、伝がないとそこはうまくいかないんだろうなあ。10年くらい前から見てきた造形作家の鎌田光司さんは、数年前から中国の造形メーカーが関心を抱いて中国で個展を開き、1点ものからかたどったフィギュアを出してシリーズ化している。手作りの1点ものも値段がどんどんと上がっている感じ。そうやって市場が出来ればあとは伸びていけるんだけれど、きっかけがないと難しいのかなあ。悩ましい。


【8月16日】 将棋の第78期名人戦七番勝負は4勝2敗で渡辺明棋王・王将が豊島将之名人を下して初の名人位を獲得。実力制となってからは15人目の名人となる。藤井聡太棋聖の前の中学生起しで、過去に竜王位をはじめ25期ものタイトルを獲得し、史上最年少で九段に上がりながらもA級順位戦では分が悪く、挑戦すら縁遠かった伝統ではやっぱり将棋界で最高のタイトルをようやく手に出来た。まずはおめでとうございます。

 将棋界には獲得タイトル数が99期の羽生善治九段というバケモノあるいは神様がいて、さらに大山康晴十五世名人という超越神もいる中で名人位を得ていなかった渡辺新名人は実力的にはトップクラスにありながら、どこか表看板のセンターに立たせづらいところがあった。三浦弘行九段に持ち上がった将棋ソフトのカンニング騒動で告発した側にいて、結果として濡れ衣を着せたといった風評もどこかあだ名のとおりの魔太郎的な要素を成り立たせていた。けれども当人はいたって子煩悩でブログを通じての発信も多く将棋には真面目でなおかつ強い。

 風貌もかつての大山十五世名人を思わせるところがあって、きっかけさえあれば中心に立って羽生九段や佐藤康光日本将棋連盟会長らとともに、将棋界のこれからを作っていく人材になり得た。名人に手が届いたことで世もいっそう、沸き立ちそうだけれどここにひたひたと、藤井聡太七段が順位戦を来期2021年にB1に上がり、再来年の2022年にA級を勝ち上がって2023年に挑戦、なんてことになればその時まで名人位を守っていたら、渡辺新名人もまた悪役にされてしまいそう。そんな活躍を藤井棋聖が見せそうなだけにいろいろ気になる将棋界。

 大阪府にも大阪市にもとくに思い入れはないけれど、こうして1日で147人もの新型コロナウイルスの感染者が出たという話、そして100人以上の感染者が13日間も続いている状況に、医療は大丈夫なのかという心配と、首長はいろいろと大丈夫なのかという呆れが浮かんでしまう。世間が大阪モデルとかいってはやし立て、日々の活動が積極的だと評価もされた吉村知事や松井市長だけれど、実態はただ口先だけで中身が伴っておらず、雨合羽を集めては使われないまま山積みにされ、イソジンでのうがいを推奨したものの実効性に乏しくただ医療の現場からイソジンを奪っただけだと批判された。

 そうした批判がすぐさま支持率に跳ね返って、リコールだの脱維新だのに結びつくかというと、何度市長選をやっても知事選をやっても繰り返し維新の人が当選してきそうな状況に、大阪ではこうした大量の感染者発生と、言われ始めた重症者の増加が報じられておらず、ただ市長や知事の成果だけが喧伝されているんじゃないかと思えて来た。日本中で安倍総理の成果だけが喧伝されて、批判の声が隅々にまで広がらないかのごとく。

 そうやって政治は保たれても、医療の現場で患者は増えて医療リソースはひっ迫し、やがて死亡者も増えて行ったらそれこそ目も当てられない事態だけれど、それすらなかったことに大阪のメディア事情ではされてしまうのか。周囲が猖獗を極めている地と敬遠しても、内では市長万歳府知事万歳が続くのか。それもまた現代的な話。もしかして名古屋市内もそんな状況なのか。いやいや名古屋はちゃんと河村市長を批判していそう。次の選挙は無理であって欲しいけれど、それまでに全滅していたら帰る家がなくなってしまうよう。

 イオンシネマの6回見たら1回無料がたまっていたのでイオンシネマ市川妙典で実写版「弱虫ペダル」を見る。思ったのは橋本環奈さんは巨大なスクリーンを最前列で見た時にどアップで登場してもじっくりと見られるくらいに美しいということで、なおかつあのちょっぴりハスキーがかかった独特な声質もあって確実に映画の中で特別以上の存在になっていた。残る美形の男子たち、小野田坂道を演じたKing&Princeの永瀬廉さんは坂道役ならではの丸い眼鏡がわざわいしてか、大きくなりすぎるとちょっぴり細工がゆがんでしまって「ひみつ×戦士 ファントミラージュ!」の関口メンディーさんを思い出してしまった。残念。

 今泉俊輔役の伊藤健太郎さんも鳴子章吉役の坂東龍汰さんも、男は別にアップでは見たくないから意識が逸れてしまって申し訳なし。巻島裕介役の蜿r太郎さんは近づけていたなあ。そこは良かった。田所迅役の菅原健さんは肉が足りないから論外としてひとり、気を吐いていたのは金城真護役の竜星涼さんか。自転車を走らせていたと思ったら峠の上で素っ裸で寝ているわ、Vamos!の掛け声とともにサイクルジャージを脱ぎ捨て踊りだすわ……ってそれは違う映画が混ざってた。ひとりしっかり金城という堅実で秀才でそして頑健な千葉県立総北高校自転車競技部の部長を演じてた。

 ストーリーはだいたいにおいてコミックとそれが原作になった漫画と同じだけれど、絵なら、あるいはアニメなら描けるママチャリでのヒルクライム、それもロードレーサーに並ぶ速度でのヒルクライムを速度を変えて激しくペダルを回しているように見せる細工をせずにちゃんと描いていた。もちろん普通だったらギア比的にママチャリのケイデンスをどれだけ回そうともロードレーサーの700cのタイヤの回転に追いつけるとは思えないんだけれど、それを違和感なく見せたのはどういう細工なんだろう。気になった。

 あと本番のインターハイ予選の場面でも小野田がサドルに座ったままでケイデンスを思いっきり上げて回して先行するレーサーたちをごぼう抜きにしていく場面で、周囲の速度を落としてひとり速度を上げつつ早回しにしてスピード感を出すんじゃなく、周囲もそれなりに走っているんだけれどひとり確実に早いような雰囲気をうまく出していた。そこは手抜かりはなかったような気がする。プロが見たらまた違う感想かもしれない。ロングでヒルクライムをしている場面はちゃんとした自転車乗りを起用しているんだろうなあ。でないとあのぐいぐいと登っていく速度感は出ないから。

 見ていっぱいロードレーサーが見られるのが自転車好きにはたまらないし、ロードレースの醍醐味をそれなりに味わえるという部分でもいい映画。前にマルコ・パンターニのドキュメンタリーを見たけれど、自転車レースの場面はそれほどなかったからなあ。家でツール・ド・フランスを見ることもないから、生の自転車レースを映画とはいえ触れられるのは良い機会かも。あとスプリントとはいえ競輪場のようなバンク付きのトラックで練習するんだろうかとも。ヒルクライムはさすがに外で練習していたけれど。そこは謎。聞いてみたい。


【8月15日】 終戦の日ということで村山富市元総理が、かつて出した村山談話を敷衍する形で戦後75年という節目もあって談話を発表し、かつて出した村山談話について「世界各国の人々や政府から高い評価を受け続けているようで光栄なことだ」と言ったとか。「「中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・欧州でも、日本の戦争を侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は全く受け入れられるはずがないことは自明の理だ」って至極当たり前のことを言っただけなんだけれど、これはあの戦争を正義の聖戦と認めさせたい歴史戦を戦っている新聞にはお気に召さなかったらしい。

 この村山元総理の談話を伝える記事の最後に何か付け足したかのように「過去を一方的に断罪した村山談話は日本の名誉と国益を損なってきたとの指摘がある」と添えて、非難もあるんだよってことを言おうとしているんだけれど、それをいったい誰が指摘しているのかと調べたら、5年前の8月に、戦後70年を節目としてやっぱり村山元総理が出した談話に絡めて村山談話を持ち出して、その新聞が社説とも言える覧でこう書いていた。「未来へ進む土台となる歴史をめぐる表現には、英知の発揮が必要である。過去を一方的に断罪した村山富市首相談話は、日本の名誉と国益を損なってきた。その轍を踏んではなるまい」。自分たちで言った事をさも外部からの指摘があったかのように言い換えるこの夜郎自大な自画自賛。狭まるだけだよその売り先も。

 という訳で「劇場版 Fate/stay night [Heaven’s Feel] III. spring song」をTOHOシネマズ日本橋で。一席開けが原則とはいえ夕方に回って舞台挨拶もない上映で満席とはやっぱり人気がある。それもいわゆる男オタクばかりではなく普通の女性陣にも人気なのはそれだけ「Fate/」の世界が広がっているということか。それが「FGO」の普及によるものなのか、テレビアニメーションを通じての人気の広がりかは分からないけれど、もはやアーチャーもランサーもバーサーカーですら出ない第3部であっても、見に来る女性がいるということはキャラクターよりも物語に惹かれたというのが正しいのかも知れない。間桐桜がどんどんと不幸になっていくのを見てほくそ笑もうとするのでもない限り。

 そんな桜が闇落ちをしてからの第3部。ここにいる中で1番強いと豪語するだけあって遠坂凜も退けランサーもブラックセイバーによって倒してイリヤスフィール・フォン・アインツベルンを連れ去っていくけれど、そこは言峰綺礼が立ち上がっては衛宮士郎を引き連れアインツベルン城へと乗り込み救出奪還へと向かう。 問題はそこで言峰が行方知れずになったにも関わらず、士郎がちゃんと家までたどり着いたことで結構な時間を言峰が運転する古いBMWで移動したからには、結構な距離があったにも関わらずどうやって帰ったのかが気になった。イリヤをだっこして歩いたのかなあ。だとしたらちょっと羨ましい。

 そこからは映画をまだ観ていない人のために塞いでおくとして、とりあえず見どころとしてはライダーが仮面をはずして前屈みになって激しくスピーディーなバトルを繰り広げるところが作画的にも圧巻だし、目の健康的にもとても良い。だって前屈みなんだよライダーが。つまりはそいういうことで。 あと待ち受ける桜に対して士郎が曲がった剣を差した場面で服が吹っ飛ぶところか。なぜ吹っ飛ぶんだろう。そういう剣なんだろうか。悪用したくなる人も出そうだなあ。もうひとつあげるなら神父服の下のマッスルか。隠していたな言峰の野郎。

 そんなこんなで思ったことは、これが衛宮士郎ではなく上条当麻だったら相手が桜でもセイバーでもバーサーカーでもアンリ・マニュでもその右手を前にかざして「その幻想をぶち殺す」とやればシュポッと全て消えてしまったかなあ、ってことか。魔術にも超能力にもおよそ超常的な存在に対しては最強だからなあ。とはいえ言峰には効かないか。いやいやあれで当麻は格闘をやらせても強いから勝って聖杯を手にしたかも。 ともあれ完結のラスト近い場面で、ちょっと初見では通じなかったところもあるけれど、あれは蒼崎橙子さんの参入ってことなのか。だとしたら中身は……。もう1度見に行こう。とりあえずもらえたTYPE−MOON ×ufotable 描き下ろしビジュアルボードはまず士郎とゲット。桜をもらいにまた行こう。眼鏡のライダーさんを観察しに。

 香港で主権確立の運動をして来た周庭さんが逮捕され、釈放はされたけれども依然として不安定な立場にいることに関連して、その美少女でオタクなところを上げて日本が注目しているんだから「かわいいは正義だよね」といったニュアンスで何か書いている人がいたりした。そう思っているのか、そうなっている日本の状況を抽出しているだけなのかは別にして、そう口にすることでやっぱりそうなんだと思考が凝結していくことは割とある。だから思っても口にしないkとを言ってのける拙さは非難されて良いかもしれない。

 ちなみに、そういう思考に日本があることを、世界はちゃんと見極めている。日本だけが表層に左右され本質に踏み込んでいないと知られてしまっている状況で、改めて口にするのはやっぱり拙いんじゃないかなあ。見透かされていることは見下されているのも同意。毅然として正義は可愛いと言ってのけるくらいじゃないと。台湾の蔡英文総統が普通なのにイラストで眼鏡の美少女にされてしまうように。


【8月14日】 今はもうない新宿コマ劇場が入っていた建物にあったグランドキャバレー、歌舞伎町クラブハイツで2005年に開かれたゲームソフト「龍が如く』の発表会でお見かけしたのが最初だったか最後になったか。「西部警察」とか「大都会』とかで俳優として出演する姿をずっと見ていた人だったけど、目の前にするとやっぱり強い存在感を放っていた。大腸癌を患い万全とは言えないお体になって久しい状況ではあったものの、そうしたことを感じさせない強靱さを漂わせていた。

 俳優の渡哲也さんが8月10日に亡くなられていたことが判明。石原裕次郎さんが亡くなられてからもう33年。弟の渡瀬恒彦さんも亡くしながら軍団をしっかり守ってここまで来た。素晴らしい役者だったなあ。とは言いつつ、印象のある役は「浮浪雲」とCMの松竹梅くらいしか浮かばない。渡瀬さんの方が「セーラー服と機関銃」とかいろいろ多く活躍している姿を見ている気がする。やっぱり強すぎたのかもしれないなあ、大門警部の印象が。それでも雲の役で払拭はされていたかな。昭和の名優がまたひとり。合掌。

 2006年のアニメーション映画は細田守監督の「時をかける少女」と今敏監督の「パプリカ」という、同じ筒井康隆の小説を原作にしたアニメーション映画が公開されるという特異点のような年だった。制作スタジオも同じマッドハウスで、今なら日本が世界に誇ると言っていいアニメ監督が同時に映画を作っていたということになる。どうやら2本建てを目指していたらしいけど、公開日は別になってしまった。

 スタジオジブリが宮崎駿監督の「となりのトトロ」と高畑勲監督の「火垂るの墓」を同時に作り、やはり宮崎監督「風立ちぬ」と高畑監督「かぐや姫の物語」を同時公開しようとして同時期に作っていたことを思えば、かかるリソースの多さや両監督の偏屈ぶりは細田監督や今監督といえども遠く及ばないとはいえ、テレビシリーズも動かしていたマッドハウスにとって同時に2本の映画を動かしていたのは相当に大変だったように思える。

 「パプリカ」については今監督が元より作品のファンで、河合隼雄の著作を読み込むほどに心理学にも興味があって、筒井康隆との対談が行われた際にアニメ化について尋ねて了解をもらって進めた企画とも言えるけれど、「時をかける少女」はマッドハウスの丸山正雄代表が細田監督に企画を投げて動き出したといった印象。どうして細田監督に「時かけ』なんだろうも思わないでもないけれど、結果としてこの企画が東映アニメーションから外に出た細田監督の名を強く世間に印象づけるきっかけとなって、続く幾つもの作品を手がけるきっかけになった。

 逆に今敏監督は、「PERFECT BLUE」から「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」と着実に作品を世に問うては映像作家としての名を世に知られ始めていた感じ。ジブリ映画に比べて収入面ではなかなか及ばなかったものの海外での評判なんかも出始めていて、次に作る作品は何かといった関心が持たれていた中で手がけた作品。この時点でコアなアニメ好きは別として、監督としての認知度も作品への関心度も今監督が先を行っていたような気がする。

 けれどもそんな今監督は「パプリカ」を最後に一線を退かざるを得なくなり、細田監督は『時をかける少女』をきっかけに第一線へと踊り出ては、ロングランを成し遂げ強力な支持層を得て、その勢いで「サマーウォーズ」オリジナルの企画を成功させた。さらに『おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」といった作品で、いわゆるマニア層から一般の女性や大人にも観客を広げていった。ジブリから宮崎駿監督が退いた後のアニメ映画のリーダー的な立ち位置で、動員を集めるクリエイターとして注目されるようになっていく。

 振り返って2006年の同じ筒井康隆原作、同じマッドハウス制作でのアニメ映画で並び立った両監督が、競い合うように作品を作り続けていたらどんな風景が広がっていただろうかと思わないでもない。昨今の今監督作品に夢中になる若い層を見るほどに悔やまれてしかたがない。意識しているかはともかく細田監督も同時代的なライバルとして並び語られる機会も増えただろう。

 それでも細田監督は健在で「未来のミライ」まで5作品も手がけてアニメ史に作品と名前を着実に刻んでいる。新海誠監督のとてつもないムーブメントに世代を若返らされた印象もあるけれど、孤高のプレッシャーの中で確実に良質の作品を出し続けてきた手腕は確かなもの。3年にT本というなら来年にはまた新しい作品が見られると期待したいところだけれど、音沙汰がないのが気になるところ。今はだから未来で待ってるといって、何か動いていることを期待しよう。

 「グラップラー刃牙」でも何でも格闘ものでは主人公がいて負けることはあっても最後には勝って自らの極めた格闘技なり奥義なりの最強を世に示すものだけれど、珪素さんが書く「異修羅」シリーズは魔王亡きあとの本物の勇者を決めるような戦いが始まる中で、その世界の英雄たちが集い競い合うという設定の上で、特定の主人公がおらず最強の格闘技もどれと決められていない戦いが繰り広げられては、どこに帰着するかまったく分からない展開を見せられる。

 プロレスだってバトルロイヤルだってシナリオがあってその上で戦っているふりをしているんじゃないかといった想像があるし、セメントの格闘技なら格闘技でやはりルールの上で同じ人間が戦う以上、突拍子のない展開にはならない。「異修羅」は違う。それこ例えるとしたらそ空手と柔道が戦うかたわらで拳銃と剣術が競い合い、戦車と戦闘機がバトルする一方で水素爆弾とプルトニウム爆弾がぶつかり合う。そうやって競い合った果てに決まった勝者どうしがまた戦うことになるから、それこそ空手が戦車と戦い、拳銃と水素爆弾が戦うような場面がいずれ出てきそう。
B  どうなるんだって興味が浮かぶけれど、当たり前に水素爆弾がすべてに勝るってんじゃあ面白みもない訳で、圧倒的な強さを持った修羅であっても何かに敗れていくような逆転劇の果て、魔王が現れぶつかりあって真の英雄が決まるなんて展開が待っているのかも。それが決まるまでは最強の剣士に魔剣使いに不屈のスライムの強弓使いの巨人にドラゴンに魔法使いに魔法破壊者にといった感じの修羅たちによる、圧巻の戦いを見守っていこう。本当、誰が最強でも不思議ないなあ。


【8月13日】 いろいろな人が出かけているようで重畳な「MANGA都市TOKYO」展でもっとも混雑しそうな場所、それはグッズ売り場の「鬼滅の刃」コーナーであると言って過言ではない。コスパとかのキャラクターグッズがずらりと並び、エモーションレーベルのパッケージをそのまま採用したTシャツなんかも並んでちょっとしたアニメショップ級の充実度を見せているグッズ売り場。とりわけ「鬼滅の刃」関連はTシャツから小物からアイマスクからなかなか充実していて、選び放題になっている。ファンなら欲しいアイテムがきっとありそう。

 Tシャツだと禰豆子が大きくプリントされたフルグラフィックTシャツがなかなのインパクト。そろそろユニクロなんかでも漫画版に続いてアニメ版のファッションアイテムが売り出されそうだけれど、よりマニアックでベタなアイテムだとコスパとかにはかなわない。そうしたグッズを好きな人が、見に来ている展覧会かどうかは判断に迷うところだけれど、今どきの若いひとだとあまり気にせずアニメも漫画も楽しんでいるから、グッズも格好を付けずに普通に買っていきそう。これで入場の時間制限とかなかったら、グッズ売り場で大行列が出来ていた可能性もあるなあ。

 万座温泉の万座亭という温泉旅館にGo To で行ったとかいう人が、出てきた料理が多すぎたと言っては「つまり廃棄前提(としか思えないし、実際にかなりの廃棄が出ているはず)。不味くはないけど、体験価値としては……」と書いてまず炎上。ちゃんと事前に調べれば分かるはずだし調整だって出来ただろうという意見もあれば、自分が小食なことを棚に上げて廃棄前提だと決めつけ廃棄が出ている筈だと言って旅館の姿勢を問題視していることもやり玉に挙げられた。

 自分で自由にとって食べるビュッフェ方式もないでもないけど今どきの新型コロナウイルス感染症が流行っている状況で、ビュッフェ方式はどこも停止を余儀なくされているし、温泉旅館だからそういう出し方はあまりない。あとは順番に出すことによって接触機会を増やすことを避けようと、一気に出したといった話しもあってそれが見た目多すぎるように感じさせたのかもしれないといった話しはあった。

 もちろん多すぎる食事を提供することによって廃棄を出す可能性もゼロではないから、そういった指摘を環境への配慮という意味からする人がいても良い。ただやはり言い方があって決めつけず自分にはそうであってそういう可能性もあるので頑張って欲しいといった指摘なら、ここまでの炎上はなかったかもしれない。それが一気の燃え上がったのは、以前にLINEでいろいろ物議をかもす言動を発していた人が、展開しているサロンのメンバーらしいということで、そこを突っ込まれ親玉が出てきてしまったから。

 宿泊費からは想像もできない豪華な食事が出されたことで、温泉宿に半年先まで予約が入ったなんて話しが出されたこともあって、「炎上マーケティング大成功」とまで言って、さすがはサロンの生徒だなんて持ち上げたから反発が一気に燃え広がった。だってこれ、ぶん殴っておいて、殴られて同情集めてお見舞い金いっぱいもらえたからいいんじゃないのって言っているのに等しい。でも、ぶん殴られた痛みは決して消えない訳で、それでも止まって頂いたお客さんだからとぐっと飲み込んでいたところに、塩を傷口から塗り込んで油をかけ、火を付け燃やしてしまった。

 もうひとつ、炎上マーケティング大成功と言ったことで、何か旅館から依頼があって反発を食らう形でも実際のサービスを出して評判を広めただけなのかもといった予断を生んでしまった。仕事で依頼があったのならそれをバラして大成功とやるのも商道徳的にどうかと思うし、自分たちに火の粉が及んできたから避けようとしたのだとしたらそれも道徳的にヤバい。けれども違った。元からそうした依頼なんてなかった。

 炎上マーケティング大成功!なんて言ってたけど、当の旅館が「SNSで取り沙汰されている件につきまして、当宿で宣伝目的の依頼などは一切しておりません」と書いて来た。つまりは炎上マーケティングを仕掛けるような旅館だなんて勝手にレッテルを貼られた訳で、信頼を貶められた以上はもはや客でもないと怒っても良さそうな気がしてくる。最初に騒いだ人のところにも誹謗中傷が向かって、弁護士に相談していると言っているのはそれは当然の権利。徒党を組んでの誹謗がもたらす悲劇を鑑みるならやってはいけない。

一方で対応をこじらせて相手の信頼を毀損したなら、それはそれで訴えられても仕方が無い。当該の人ではなく別口であっても、徒党と捉えられればいっしょにされる。そうなりたくないなら切り離し、勝手にやったことだと言えば良いんだけれど信奉者っぽいから無理かなあ。

 Jリーグのトップパートーナーというポジションにあるマスターカードが今期の途中でスポンサーを降りるとか。異例だし行儀がよろしくない気もする一方で、試合がなかなか行われず再開されても観客に上限があるならそれはスポンサーとしても注目が低くなったという理由になる。ディスカウントをお願いしてもこの時期だと言われてそれはないよとなっても不思議はないかも。日本の企業だったらいっしょになって支える覚悟でも、世界的な企業となるとそこは落ち着いてはいられなかったのかも。消費の低迷もあって世界的にカードの利用も落ちているだろうし。代わりにVISAが入るのかなあ。JACCSかなあ。NICOS……はどうだろう。他のスポンサーは降りるんだろうか。いろいろ気になるニュース。


 【8月12日】 香港で国家安全維持法に違反したという容疑で香港警察に逮捕された周庭さんが翌日には釈放されたとのこと。日本向けに何かと高い知名度を持っている人だけに、長く勾留されて日の当たる場所に当分出て来なくなるんじゃないかといった心配から、解放するようにといった声が多く挙がったけれど、中国に対する厳しい見方から出てくるだろうそうした反応を見越したかのようにあっさりと釈放するあたりに、ちゃんと司法は守ってますよといったポーズを見せようとしたのか、それとも知名度はあっても運動的にそれほど重要な役割を担っていないと判断したのか。それは今後の対応を見ないとちょっと分からないか。

 りんご新聞だっけ、香港で自由と民権について記事をいっぱい書いて来た新聞社の代表も逮捕されてすぐに釈放されたから、対外的に人質司法的なことはしないと表明したかったのかもしれない。あるいは香港警察が自分たちの立場をメインランドに対して見せようとして先走ったけれど、世界的な反響が大きかったこともあって共産党あたりから忠告でも入ったのか。日本と違って深慮遠謀のその裏の裏までありそうな国柄だけに、いつまでたっても真相は分かりそうもないだろうなあ。いずれにしてこれで釘は刺された感じで、自由な運動は出来なくなっていくんだろう。どうなる香港。

 日本は日本で愛知県知事をリコールするだなんて意味不明の活動をしている人たちが居て、そこに名古屋市長も絡んでいたりするから厄介極まりないんだけれど、中心にいる美容整形医がさらに人脈を広げようとしたのか、呼び込んできたのがもっとヤバい面子だったからいよいよ大変なことになるかもしれない。在特会やらチーム関西や新風やら、ヘイトな騒動をあちらこちらで巻き起こしてきた団体で“活躍”してきた人たちが、勢ぞろいして演説会に参加するみたい。そうした面々に美容整形医が個人で関わっている分には趣味の域だけれど、名古屋市長まで加わるとなると個人の立場だなんて言ってられない。そうした人たちを首長に仰いだ名古屋市民の沽券にも関わってくる話。いよいよもってリコールをする相手を考えないといけないかも。やれやれ。

 自分で調べもしないでアサヒ芸能の記事をマルパクして、文部科学省の教科書調査官を貶めておいて、抗議された自称するところの全国紙の論説委員長。答えて謝るのかと思ったら、「文科省が、小欄の「『北朝鮮スパイ』と疑われた人物を調査しなくていいのか」という呼びかけに、さっそく応えてくれたことは多としたい」と書くだけで、間違ったことを公器たる新聞を通して世の中に喧伝してご免なさいと言おうとしない。週刊誌が書いてるぞ、本当だったらヤバイぞと”忠告”しただけだって体裁なのかもしれないけれど、一応は全国紙で論説委員長を張っている人間が、嘘を拡散してもその責任をまるで感じていないのはヤバさを通り過ぎて意味不明が過ぎる。

 教科書の調査官が毛沢東礼賛本を書いていると週刊誌にあったと喧伝して、こんなことないと言われてそうなのかと認めるかと思ったら、数日しか調べてないと負け惜しみめいた言を吐く。他にも論文があると答えて、見せてと尋ねて見せられないと返事が来たと言いつのるけれど、子供じゃないんだから自分で調べたるなり聞きに行くなりすれば良いのに、それすらもしないところにいろいろとヤバさが滲む。まあ、そっちの人たちにある謝れない病ってのに感染している可能性も高いけれど、そんな人を上に仰いで論調を引っ張ってもらって大丈夫なのかというと、もっと謝れない人たちが国のトップにいたりするから、もはやたいしたことではないのかもしれない。そんな国になってしまったんだなあ、政治も言論も、って一部なんだろうけれど。一部なんだと思いたい。

 ふっと気が向いてアニメ版「ようこそ実力至上主義の教室へ」を見始める。なるほどある意味で「バカとテストと召喚獣」の世界をギャグからシリアスに変えた感じの設定で、優秀者ばかりが集められたという割には最下層のクラスが存在して、そこから上に上がっていくことを求められる中で目立たず立ち回る少年が暗躍するといったストーリーに、俺TUEEE的な脚光とは別の「陰の実力者になりたくて」的な面白みを感じる。っていうかそうした傾向の作品が増えてきたのもこれが人気になったからかな。人間関係だとか性格だとかを客観的に分析しては、拙いところを補い合って力に変えていく、そのフックとなって暗躍する綾小路を格好いいと思うか、ヤバい奴と感じるか。そうなりたいと思うか苦手だと思うか。まだまだ明らかにされていない正体を見極めるために小説も読んでいくことにしようかな。


【8月11日】 騒いで威力業務妨害とかで逮捕されても、それを勲章にして自分をアピールするようなコロナフェスの主催者とは立場も危険度も違うから、周庭さんはしっかりと7月1日以降は運動も控え、言動にも注意して過ごしていたと思うんだけれど、それでも外国勢力と結託して、中国の安全に危害を加えたといった容疑から逮捕されてしまうのだから、もはや香港では何の活動もできなくなったと言えそう。

  たとえば外国のメディアに出て、自由が抑圧されているから助けて欲しいと訴えたら、それを受けて国連が制裁だなんて話になっていく可能性を勘案し、国家を脅かすアピールだったととらえて逮捕されるといった感じ。それこそ特高が共産主義者を弾圧した時なみというか、もっと遡って徳川幕府がキリシタンを大弾圧した時のような空気が流れているような感じもしないでもない。

 どこまでなら許されるのかをためそうにも、捕まったらどこかへ連れていかれてそのまま何年何十年と軟禁されてしまったらもう大変。命があって消息がつかめるならまだいいけれど、一切の姿が確認できなくなったなんてこと、あるかもしれないと思うともう身動きがとれない。そのために名のある人たちを最初にパクったんだろうけれど、それに対して世界が何かできるかというと、できそうのないのがつらいなあ。早くに脱出って手はなかったか。それをしたくない、香港で頑張ると言っていただけに悔やまれる。あるいはさくっと開放して、言論の自由はまだあるよと見せる材料にされるとか? 中身がいっしょとは限らなかったりしたらそれはそれで怖い話になるけれど。

 文庫版3部作の解説を全部書くという珍しい体験をした越谷オサムさんの小説「いとみち」がついに映画化。青森のメイドカフェという少し変わった場所に高校生の相馬いとがメイドとして勤め始めるけれど、「お帰りなさいませ、ご主人様」が言えず「おけえりなせえまし、ごスずん様」になってしまうような所から、頑張って働いて得意の津軽三味線を披露するようになって、だんだんと周囲に認められ自分に自信をつけていく、といったストーリー。

 第2部では後輩ができてそして第3部では受験といった人生の階段に挑む展開があるけれど、映画ではどこまで描かれるのか。気になった。相馬いとを演じる主演の駒井蓮さんは何と青森県出身で、Youtubeに上がっている映像をみたらネイティブに津軽弁をしゃべっていた。これならもう大丈夫。監督の横浜聡子さんも青森出身と完璧な布陣なだけに、映画としてとても良いものに仕上がりそう。見に行きたい。

 気になるのは津軽弁が濃すぎて何を言っているのか分からないおばあちゃんを誰が演じるのかってところ。とりわけ第3部のあのシーンは実現されて欲しいけれど、実写では無理かもしれないなあ。だから次はアニメ化を願いたい。しかしサンスポ、記事にしてくれたのは良いけれど、「駒井は劇中、メイド姿で「お帰りなさいませ、ご主人様〜」と甘え声を出す一方、主人公の特技である津軽三味線も披露」って書いていてこれは記者の人、原作読んだことないだろうって強く思った。冒頭からいとがそういった華麗な言葉を話せず、臆しながら「おけえりなせえまし、ごスずん様」と言うから萌えるんだ。そういう作品の最大ポイントを思いっきり外したサンスポには、完成まで大きく扱い続けろと言っておこう。公開まで新聞がもつかは言えない。

 フランスで開かれた「MANGA⇒TOKYO」を日本へと持ってきて「MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020」としたものだけれど、内容的にはフランス展をほぼ踏襲。中央に実物の1000分の1サイズ、12メートル×17メートルという巨大な東京の都市の模型を置いてそこの上で繰り広げられた作品を、映像によって紹介しつつ場所をライトアップしてそこだということを見せつける。「秒速5センチメートル」なら代々木からちょっと言った小田急線の踏切あたり。「言の葉の庭」だったら新宿駅。そうやって見せることで作品の場所ってのが東京のどこなのかを実感できる。

 まあ東京に住んでいる人とか、東京によく来る人だったら代々木も新宿も秋葉原も神田明神も月島も、体感としてどこにあるかはわかっているからライトで示されなくても良い気はするけれど、元のフランス展では東京なんて知らない人がほとんど。そういう人に作品の場所を模型の上で示すことによってこれだけの過密な都市のあちらこちらで、東京が舞台となった作品が作られ、それは映像としてこういった表現になっているんだということを知ってもらえる。その意味では海外向けの展示だろう。ただ、日本の観客もそうやって示される映像を見て、場所を示されることによって実際の風景と重ねて作品を観ることがでいそう。ああなるほどこういう光景なのか、だったら言ってみようとか。

 「AKIRA」だとさすがに爆発する都市だから模型が光り輝くなんてことはなかったし、「シン・ゴジラ」でも光線は四方八方に放たれるのと同時にレーザー光線が躍ることはなかった。そこはアトラクションじゃないから抑制的。ただ映像を見て、実際にこれが東京の街だったらってことを模型に重ねて想起できる。そんな意味はありそう。作品としては「ゴジラ」があって「シン・ゴジラ」もあって「AKIRA」があって東京というより箱根だけれども第三新東京市ってことで「エヴァンゲリオン新劇場版」があってと主要どころがまずずらり。

 そして破壊され復興してきた東京というくくりから「千年女優」で空襲後の焼け野原に立つ千代子が映り、「人狼 JIN−ROH」のあれは安保闘争めいた騒乱の中にたたずむ男女がセル画や絵コンテで並べられている。どこかで見たことあるけどどこでだっけってそれは冗談。プロダクション・アイジーも協力しています。大友克洋監督の「火要鎮」とかもあれば「帝都物語」もあってと東京はさんざんっぱら破壊されてきた感じ。それでも再生を果たす輪廻転生のような強さは果たしてそうあって欲しいという日本人の願望なのか。それだけ東京は重要なのか。気になった。

 以後、江戸時代として一ノ関圭さんのすさまじい画力でもって描かれた「鼻紙写楽」や杉浦日向子さん「百日紅」などがあって「佐武と市捕物控」もあってと多彩。それは昭和にも言えて西岸良平さん「三丁目の夕日」や永島慎二さん「フーテン」、そしてちばてつやさん「あしたのジョー」と国宝級の作品が一堂に見られる。東京というキーワードでこうしたレジェンドを括れるというのもユニークな展覧会の証明かも。

 もちろん新海誠監督の一連の作品もあり、羽海野チカさん「三月のライオン」もあって「美少女戦士セーラームーン」なんかも並んでと、1990年代から現在までの東京も俯瞰できる。「おおかみこどもの雨と雪」というのもあったなあ、これは家族が東京でひっそりと温かく暮らしている様を描いているって認識か。そうした時代をすこし出て、経済成長も止まって苦しい中にあえぐ人々が暮らす東京というのも取り上げてあったところが目の行き届いたところ。岡崎京子さん「リバーズ・エッジ」に黒木依さん「ひとり暮らしのOLを描きました」に今敏監督「東京ゴッドファーザーズ」。苦しい中で行き詰まりながらも懸命に生きている東京の人の姿が、感じられて苦しくなった。

 秋葉原に新宿に渋谷といった町を象徴するような作品も経て、山手線の「ラブライブ!」ラッピング車両があって車窓から東京ビッグサイトがのぞくという、ありえない光景を見たりして楽しめた。そんんあ東京の多面的で多層的な抽出について、森川嘉一郎さんが話していたのは年代が子供から若者から大人から高齢者まで多岐にわたっているということ。そうした人たちがそれぞれの視点で見て作品に描いた東京というものが残っていて、なおかつ江戸から明治大正昭和平成といった時代をとらえて作品に描かれていくことで、単純なビジョンとしてだけでなく心情としてのパッションもそこに含んだ東京の姿となっている。

 ミルフィーユ的で五目御飯的。これを例えばパリでできるかというと、森川さんによれば映画を取り上げることでできるのではといった論評があったそうだけれど、映画にしても絵画にしてもハイカルチャーに描かれるものと、生活に根差した部分、空想が飛躍する部分があるポップカルチャーに、広い世代の認識によって描かれることは少なさそう。東京だからできること、日本だから可能なこと。そういう意味ではポップカルチャー大国でオタク大国日本ならではの、一風変わったアーカイブだとも言える。これをぱくっとまるめてタイムカプセルに詰めた時、いったいどんな街だったと東京について後世の人たちは思うのか。あれだけ怪獣に攻め立てられても大丈夫だったなんてすごいと思うのか。 気になった。


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