縮刷版2020年7月下旬号


【7月31日】 久しぶりに取材。たぶん3月のマンガ大賞2020以来の現場詣では秋葉原に2010年からあって今回、4倍以上の広さにリニューアルされた「ガンダムカフェ トーキョー ブランドコア」で、どうしてそれほどまでの広さになったかといえばずっとあったAKBのカフェとシアターがなくなったから。前世紀にはそれこそ秋葉原がAKB一色に染まって、劇場を中心にグッズも何もかもAKBだらけだったのを思うと覚醒の感というか、こうして趣都の風景は流行とともに変わっていくのだなあということを改めて思い知る。そうした中で40年、トップを走り続けるガンダムはやっぱりすごいIPだ。

 前はカフェがメインで小さくグッズが売られてあとはガンダム焼きなんかが名物だったけれど、今回は広いレストランがまずあって、そこでは宇宙船の窓から外を見るような感じで映し出される映像を見ながらいろいろな食事を楽しめる。パイロットのランチプレートもあればハンバーガーもあってナポリピッツァも提供。石窯で焼かれた本物のナポリピッツアっぽいから三鷹にある武蔵野カンプスの商売敵ではあるかな。マルゲリータそのものはなさそうだけれど。あったっけ。あとイベント的にシャアとガルマが考案した料理を楽しめたり、アスランとキラが始めて作った料理を味わえるコースもあるそうな。2人で行ってそれぞれ食べつつシェアするってのも良いかも。ガルマは肉料理でシャアはビーフトマトライス。どちらも美味しそうだった。

 もうひとつ「ガンダムカフェ トーキョー ブランドコア」には料理を味わえる場所があって、それが「ジオンズダイナー トーキョー」。ジオン公国軍の将校しか入れないという触れ込みで中では勝利を祝う宴が開かれているとか。負け続けているのに。だから奥のカウンターでひとり座った白いスーツの男に「坊やだからさ」とつぶやかれてしまうのだ。その男は24時間365日座っているみたいなので合ったらいっしょに酒を飲みつつ「坊やだからさ」をつぶやこう。ほかにはデギン公の肉料理だとかドズル中将の肉盛りだとかも提供。キシリア少将は謀略好きで隠すのが好きだからとオムライスになっていた。

 階級別のハンバーグもあって大佐のが目玉焼きとかついてて美味しそうだたったけど、懐具合もあるから僕は伍長で我慢だ。って伍長は将校なの? ちょっと気になった。そんな「ジオンズダイナー トーキョー」はテーブルに仕掛けがあってプレートやグラスを置くとテーブルにモビルスーツが映し出されるという趣向。たまにガンダムも出てくるけれどジオンのアジトだからとうぜんフルボッコに合うのだった。シャアのザクも出て来るらいしけれどレアキャラだとか。見たら喜び操縦している人と握手だ、って本人は認めたくないものかもしれないけれど、クビになってカウンターでひとり酒している訳だし。

 こうやって持てるIPを持続的に運用してビジネス展開していくのがバンダイナムコグループの得意とするところではあるんだけれど、そこに新しい可能性をもたらそうとして始められたVRアトラクションの事業は新型コロナウイルス感染症の影響もあって運用が思うに任せなかったみたい。新宿か移って池袋に去年オープンしたばかりの「MAZARIA」が8月31日を持って運営終了となるらしい。装着時とかに密な接触を伴う上にVRヘッドセットだとかコンロローラーといったものも使い回しに影響がありそうで、厳密な管理が求められていた。それでも注意すれば大丈夫なはずだったんだけれど、ここに来て感染者がまたぞろ増大して営業へのプレッシャーもかかると予想されたんだろう。スパッとひとまず閉めると決断したみたい。

 外に出ずとも屋内で無限の可能性を体験させてくれるエンターテインメントでありアミューズメントであったVR。見せてくれる光景の広さにもう熱中したものだったけれど、こんな不測の事態に直面するとは予想はできなかった。本当だったらオリンピックも始まっていて、世界の観客が日本の誇るVRとエンターテインメントとキャラクターの融合を楽しみ、そしてガンダムカフェでガンダムの世界に没入していただろう。横浜では巨大なガンダムが動く様子を目の当たりにも出来た。そうしたビジョンがまるで崩壊して夢と消えた中で、とりあえず巨大ガンダムは進められガンダムカフェは以前からの需要もあるからとリニューアルオープンされた。

 ならばVRにも来る未来はあるのかどうか。新型コロナウイルス感染症の騒動が収まればまたきっと再開してくれると思いたいし、テクノロジーの可能性は無限にあるためそこからさらに新しいコンテンツもアクティビティも生まれて来ると信じたい。それが何時になるのか、そこまで企業の体力は持つのかが今は勝負か。それよりこっちの身が持たないかもしれないけれど、それでも諦めないでコヤ所長にタミヤ室長が頑張って開発を続けてくれると信じて再開の時を待とう。再会の時でもあるのだから。

 しかしどうなっているんだ東京の新型コロナウイルス感染症。陽性者が何と400人を超えたそうで名古屋や大阪や福岡も増大中でここからだんだんと病院が逼迫していったら、3月4月の比じゃない事態が訪れそうなのにもかかわらず、首長たちはイニシアティブをとって補償も含めた対策を渋り首相に至っては何も言わず雲隠れ状態。ただGo To トラベルのキャンペーンだけは続いて日本中に感染者を送り出しているかもしれない。

 名古屋に至っては市長が愛知県知事のリコール運動には熱心なのに、新型コロナウイルス感染症対策については聞かれても知らぬ分からぬとおよそ市長らしからぬ発現で放送事故扱い。元より大阪と違って讃えるメディアも少ない中で失墜した信用はその身に跳ね返るだろう。ただそれを待っていたら医療が死ぬし人も危ない。早急にどうにかして対策をと思いたいけれど、ライティな方々は構わず知事のリコール運動を応援し、一緒に怪気炎を上げてそっち方面からの喝采だけを目に止め悦に入るんだろうなあ。やれやれ。


【7月30日】 アベノマスクと名高い布マスクを新たに医療関係者とか向けに配る話が頓挫したとか。配ろうと考えた時点ですでに市中にマスクは出回っているから無駄だろうといった声が起こると予想できなかったのかが気になることだけれど、それを言うなら布マスク自体が果たして求められているのかと考えずに注文しては汚れや虫なんかが問題視される事態を引き起こしているから、深く考えリアクションを想定してなお説得力を持った言葉で世間を納得させようとする意識は毛頭なかったんだろう。誰かがふっと浮かんだ案を妙として取り入れパッと配ればサッと批判も引いてグッと支持率が上がると直情してしまったんだろうなあ。周囲も主人も。

 それはそれとして当初はまだ市中にマスクもなかった頃で、すぐに配っていればそれなりに効果はあった施策ではあったけれど、遅れに遅れた上に今度は市中に在庫が出回ってから、また配ろうとするから呆れられた。それでも4月とかに契約が済んでいたから仕方が無いのかと思ったら、「すでに市中のマスク不足が解消されている6月下旬、新たに約5800万枚を契約していた」というからちょっと唖然。調達するなら布ではない何かだろうという方向に頭が向かなかったところにも、不思議さが感じられて仕方が無い。
< BR>  そして中止。今度は契約を受けて生産したり検査したり出荷しようとしていたところがとばっちりを食らいそう。それを国民の声をいって言い抜けそうなのが政権だけにやっぱり右往左往感が否めない。一方で1日に1000人を越える感染者が出て徐々に広がりを見せている新型コロナウイルス感染症。マスクどころか病症が必要になって来そうなのに対応どころか全国に行ってばらまけウイルスってな状況だけに、処置のなさはきわまっている。どうなってしまうのかこの先。極力出歩かないのが吉かなあ。出歩く先もないけれど。

 東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドの2020年4月から6月までの四半期決算が248億円の赤字とか。門を閉ざして客を入れない上に周囲のホテルも閉鎖となって収入がとんと途絶えた一方で、従業員については半分くらいでも賃金を払って維持していたから出て行くお金はなかなか沢山。結果として前年同期で229億円だったら黒字がサカサマになってしまった格好。売上高は61億円で前年同期95%減。5月以降は少しずつ開けてお客さんを呼び込んでいるからここまで下がりはしないだろうけど、それでもピーク時から8割減というから売上高にもホテルの収入にも影響は避けられない。

 これで通期で赤字となったらさて、事業税は果たして払えるのか。もしも払えなかったら浦安市の財政はとんでもないことになってしまうのではないか。依存度がどれくらいあるかははっきりしたことは知らないけれど、ネットなんかによると浦安市への納税額の1割くらいに当たるとか。これはとても大きな額だろうからごそっと抜けたらいろいろおぼつかなくなる施策も出そう。とはいえトヨタ自動車だって赤字になったりしつつも豊田市が破綻したって話は聞かないから、そこは何かがちゃんと回るようになっているのかな。

 草薙素子を背負って草薙素子を撮ったりする三鷹での仕事をキリ良く終わらせて家に戻ってパソコンの前で待機。ライブ映像のソフトを出さず劇場で公開したくらいでそれも期間限定、もちろんテレビでの放送なんてやらず音楽配信すら遠慮していた山下達郎さんがこのコロナ禍に立ち上がったかライブ映像配信によってアーティストが稼げる時代の到来を呼び込もうとしたのか新しいMUSIC/SLUSHというサービスのこけら落としに登場しては、京都でアコースティックライブと房総での氣志團万博の模様を配信してくれた。まずはアコースティックライブだけれども達郎さんにベースの伊藤広規さん、ピアノの難波弘之さんの3人とは思えない音の太さと多さが鳴り響いてはそこがパソコンの前だということを忘れさせる。

 声質も良くただでさえ伸びて通る声がイヤホン越しに耳を突き抜ける。もちろんこれように音源をいじってはあるんだろうけれど、それをベストを超える水準にまでしてしまうんだから凄いというか。それを成し遂げるプラットフォームと合わさって、いきなり世界水準のストリーミングライブ映像配信サービスが立ち上がってしまった。氣志團万博へと映ってからはライブチューンのいつもの曲のそれもはっちゃけた楽曲が響いては家の中にいることを忘れさせてくれる。いろいろと閉じこもっていて将来にも不安が渦巻く中で、これを聞きたい、これをずっと聞いていたと思わせる音楽の力をくれた感じ。追いかけ続ける意識を改めて持って生きていこうと思った。

 さらに大昔に自分は愛知県勤労会館で見た1986年のツアーの様子をライブ映像によって見せてくれた。これもたぶん以前に劇場でのライブ上映で見せてもらったんじゃなかったっけ。配信に合わせ映像はクリアとなって音も澄んで達郎さんの若い頃の声が伊藤さんのベースに青山純さんのドラムとともに響いて懐かしくも嬉しくなった。コーラスは村田和人さん。存命だったら喜んだだろうなあ、こうやって達郎さんのバックで歌っている姿を見せられたことを。ともあれ素晴らしいサービスの登場が、日本の音楽ビジネス、ライブエンターテインメントビジネスを変えるきっかけになれば嬉しい。

 世界では映画スタジオのユニバーサルが映画興行のAMCと契約を結んで、公開から17日後にはもう配信可能な状況を作ってしまった。映画を映画館で観てからパッケージで見たり配信で見たりするという長い時間をかけて培われた文化が変わり、もしかしたら映画というエンターテインメントのスタイルすら変えてしまいかねない事態が起こっている一方で、日本でもこうして音楽ビジネス、ライブエンターテインメントビジネスの変化が訪れた。結果としてどんな将来が訪れるのか分からないけれど、いずれにしても本物の音楽を作っている人たちにとって、これほどの衝撃はなかったんじゃないだろうか。達郎さんが認めたプラットフォームでビジネス的にもベストな結果が出たなら次は、誰がそこに乗る? 見守りたい。


【7月29日】 この2週間ばかり糸引きの納豆を買って毎日のように食べている。健康のためというかしばらく前まではずっと野菜ジュースを飲んでいたんだけれど、糖分があって糖尿病の人に与えるのは厳禁だという話が流れてきて、まだそうした症状は出てないけれどもステイホームの中でずいぶんと太ってしまった感じがあるので、糖分の多い野菜ジュースは遠慮したい。

 でもビタミンB類は補充したいとうことでサプリも買いつつ納豆だったら野菜ジュースくらいの値段でビタミンB類を摂れるので、買ってまとめてむさぼり食べているといったところ。昔は1パックでも売っていたのに最近最低でも2パックで普通は3パック。冷蔵庫が壊れて動かないので保存が利かず全部まとめて食べているから、かえって逆効果かもしれない。でも良いや美味しいから。納豆が食べられる身で良かった。

 発生が言われ始めて以降、日本国内では唯一新型コロナウイルス感染症の感染者を出していなかった岩手県でようやく2人の感染者が現れたとの報。これだけ人が行き来してウイルスだって国境だとか県境なんかを気にせず動き回っている状況下で、岩手県だけ永遠に出ないなんてことは考えづらかった一方で、感染者を絶対に出したくないといった意識が高まることでぎすぎすとした雰囲気を生んだり、感染を言い出せずに無理をして亡くなる人が出たりする可能性が怖かった。

 ちょうど学校でクラス一丸となって欠席者を出さず全員が皆勤賞をとることを目標に活動しているのと似た感じ。休めば非難され虐めに合うかもしれないと、熱もあるのに無理をして学校に行っては病気を悪くしてしまうような子供が出てしまう。本末転倒な事態をけれども先生が勧めて子供たちが従うような悪循環がたびたび非難される中で、県単位でそれをやってしまっている雰囲気も出ないとは限らなかっただけに、誰か1人でも2人でも感染者が出て、ガスが抜けた感じになった。

 もちろん感染者が重篤にならずすぐに快復してくれることが絶対だけれど、ここで非難をして次に誰も感染を言い出せなくなったら本末転倒。自分が1番にはもうならないのだから、しっかりと検査して申告もして感染が分かったら休んで療養していつか絶対に誰1人として感染者を出さない県になって欲しい。逆に感染者が増えてくることに開き直ってしまって、夜の街で遊んでいたからだと囲い込んでは非難を浴びせつつ、自分たちは満員電車で過密なオフィスに行って1日中顔突き合わせ、喫煙室で密になって帰りに4人、5人ではしご酒して感染を増やす東京都みたいなことになっては意味がないから。また250人とかでこりゃ大変。全国も1000人超えてしまったし。

 渋谷で落書きをしていたグラフィックデザイナーが逮捕されたってニュースで、見たらどうやら別の筋でも有名だけれどグラフィティの界隈でもそれなりに名前が知られて作品もそれなりの値段で売られている人だった。だからきっと本人はグラフィティデザイナーだと言ったのが、分からなかったかわかりにくいということで警察を通してグラフィックデザイナーに変えられてしまった可能性もあり。グラフィティライターだともっと分からなかったかもしれないけれど。池田明季哉さんのライトノベル「オーバーライト−ブリストルのゴースト−」(電撃文庫)でも読んでいなければ。

 これがバンクシーみたいな落書きアーティストと言えば今だと通りが良かったかもしれないけれど、その場合どうしてバンクシーだったら落書きがオッケーなのか、それこそロンドンの地下鉄に何かを書いて消されても、消した方が悪いんじゃないかってな議論がでてしまうくらいになるのかを議論されたかもしれない。有名だからとか価値があるからというなら、今回逮捕された人だって画廊でそれなりの値段で売られているくらいに価値はある。出自がどうこう言うならバスキアだって決して品行方正な場所から出て来た好青年ではなかった。

 なのにバンクシーやバスキアは讃えられ今回は非難されるのか、っていう違いを議論する時に、何をもって基準とするのかが知りたいところ。もちろん日本において街中でのグラフィティ書きは非合法で他人に迷惑をかける行為でもあって許可されない。されないけれどもそこから価値を高めて世に出て億単位で取引されるアーティストが出てくる可能性はゼロではない。そうなる過程をジャッジすることを美術評論家ならできるのか。法律家なら可能なのか。そこが気になるけれど、今の状況ではやっぱり日本で日本人のグラフィティライターが出てくること難しそう。ヘブンアーティストじゃないけどグラフィティ上等な場を作ったら……それはメッセージ性を持った反権力的な行為じゃなくなるか。やっぱり難しそう。

 ユリイカの今敏監督特集をペラペラ。とりわけ周囲で一緒に仕事をした人たちの証言が面白いけれど、中でも演出家として参加した松尾衡さんの証言で、今敏監督がガンダムをやりたがっていて松尾さんにサンライズで偉くなってもらってガンダムの仕事を振ってもらったら脚本を書くし絵コンテも美術も描くと言っていたことに驚いた。そうか好きだったんだガンダム。でも「舞台はホワイトベースの格納庫」っていったい何だろう。そういう物語って松尾さんが監督した「機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY」でのイオ・フレミング相手にメカニックのコーネリアス・カカがティッシュを私ながら会話するようなシーンが続くってことか。謎。でも見たかったなあ。


 【7月28日】 ファッションデザイナーの山本寛斎さんが亡くなったと思ったら、三宅一生さんの名前が冠されたISSEY MIYAKE MENが近くブランドを畳むとかでアパレル業界もいろいろと激震中。寛斎さんについてはしばらく前に白血病を公表されてそれから間も置かずの訃報。お歳もお歳とは言いつつ75歳は決して超高齢とは言えないだけに、オリンピックという晴の舞台が来年に延びたとはいっても、賑わう世間の中でその存在感を見せる機会でもあっただろうからご自身も周囲も残念だっただろう。ファッションというよりそうしたイベンター的な場面でのエンターティナ−的活躍が目立った人だった。

 色彩感覚にも溢れたファッションを手がけて世界を感嘆させたデザイナーではったけれど、日常的に着るかとなるとなかなか機会はなかったなかあ、KANSAI MANとか確か出していたようだけれどどういうファッションだったかあまり記憶にない。ISSEY MIYAKE MENの方はシンプルな中にテキスタイルの特徴を入れたファッションが格好良かったという記憶。ヨージ・ヤマモトやヤイズ・フォー・メンの山本耀司さん、コム・デ・ギャルソン・オムの川久保玲さんがシンプルな中にも構造的な崩しや出っ張りを入れるのに対して、真面目だけれど光るファッションを出していた。

 一度くらいは着てみたかったけれど機会もないままブランド終了。サラリーマン向けではない場面でスーツ的なものを着る機会もなくカジュアルが台頭する中で、突っ張ったオシャレが入り込む隙間がなくなってしまったのかもしれない。そういえば以前に村上隆さんのところのミスターが、ISSEY MIYAKE MENと組んでTシャツなんかを出した時に1枚買ったんだった。どこに行っただろう。そうして今いくらくらいになっているんだろう。アートじゃなくグッズだし奈良美智さんでも村上隆さんでもないから爆上げなんてしてないだろうし、逆に下がっているかもしれないけれど、いつか引っ張り出して着てみようか、太ってしまって着られないだろうか。

 第3話をNetflixで見た「デカダンス」。まだ要素がいろいろと示されただけで、それぞれに目的となるところが違っていて最終的にどこに帰結するかが分からないため引っ張られるような感じがしないのが少し厄介。カブラギの正体はアレでそれがネットのアバターみたいなのはマジなのかフェイクなのかが判然とせずマジだとするならどうしてなのかが知りたいけれど画調を変えたいだけかもしれずそれだと構造がメタになってリアル面が見えづらくなる。

 タンカーと呼ばれる人間の生き残りらしい存在のナツメをリアルの基準線に置くなら置くで、父親を失い腕を失って生き残った彼女が目指しているところが、父親の復讐でも世界の探求でもなくただかっこよく戦いたいでは今ひとつドライブ力にちょい欠ける。バグだというならそれが世界に何をもたらすかが分かったところで目的も見えるんだけれどそこはまだ先かそれともないのか。気にかかる。カブラギが主人公ならその本質はどこにあるのか。ゲームだとうその世界で何を目的に戯れているのか。生きる目的は何なんだ。そうした要素が見えてきた時に面白くなると良いんだけれど。とりあえず今はつかみどころを探りつつ見ていくしかなさそう。

 「岸和田少年愚連隊」の三池崇史監督と、脚本家のNAKA雅MURAさんがタッグを組んだ映画だけあって暴力的で猥雑的。そんな映画だったような気もしないでもないけれど、そんな映画ではなかった気もする「劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!〜映画になってちょーだいします〜」は、クマの着ぐるみが吹き飛ばされるは美少女たちがちょんまげ姿で跳ね回るわと、暴力と猥雑がまじりあう画面に目が引き付けられて80分をまるでテレビシリーズを見ていなかったにも関わらず、スクリーンに目をくぎ付けにされてしまった。それも最前列で。

 ってか、春先からさんざんっぱら映画館に行けば予告編が流れていたから何となく関係性とか分かっていたけれど、改めて見ると実写系の美少女戦士物として「アイドル×戦士 ミラクルチューンズ!」とか「魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!」に続くシリーズは、アニメがどこまでも真剣さを保っている一方で、実写としての生々しさを出さないようにとエロティックさはあまり出さずにローティーンのアイドルユニット的な健康さを見せつつギャグなども入れて笑えるような展開にしていたりする。

 ある意味で浦澤義雄さん脚本の不思議少女シリーズに通じるところがあるかもなあ。それを監督するのが三池崇史さんというのがまた驚きだけれど、シリーズ当初からパイロットを手掛けたりして携わっていたからこういうのも好きなんだろう。一方で暴力的で刹那的な物語も撮りつつこうやてたばかばかしさ炸裂の映画も撮る才能を日本はもっとしっかり支えないと、福田雄一さんに全部持っていかれているじゃないかとちょっと言いたい。原作物の脚色では確かに笑いを取れる福田監督だけれどパターンがちょい、決まってきている感じがあるからなあ。

 さて、「ひみつ×戦士ファントミラージュ!」は映画内で映画を撮るという入れ子のような内容で、中尾明慶さんが熱血監督役に扮してファントミラージュを誘い映画を撮るとなってスタジオまで引っ張って来たけどそこに現れた敵の逆逆警察。監督を洗脳していけてない映画を撮るようにしてしまって始まる不思議展開は、いつもの活躍を理由をつけてギャグ化したものっていえば言えるのあな。設定にかこつけてやりたいようにやったというか。そんな感じ。

 途中で歌もあってダンスも見られるけれど、新型コロナウイルス感染症の騒動がなければみなで声援を送りペンライトを振って応援していたのかもしれない。そういう映画がどうしてアニメ専門のEJアニメシアターで上映されるのかといえばKADOKAWAが配給しているから、ってことなんだろう。イオンエンターテインメントもかかわっているけど都心だとないかららねえ、イオンシネマ。おかげで鑑賞者2人しかいなかった。でも楽しかったから良いや。最後に出てきた謎の3人は「ポリス×戦士 ラブパトリーナ!」で本当だったら謎のままだったのが公開時期が今になって登場とほぼ重なってしまった。謎じゃないけど謎にしておこう。それが親切。


【7月27日】 「ウルトラマン公式アーカイブ ゼロVSベリアル10周年記念読本」ってのが出たんだけれども、この中に当時円谷プロダクションでいろいろと実現に向けて尽力した元副社長の岡部淳也さんに関する記述が一切無く、インタビューも行われていないということで、岡秀樹さんがそのことをツイッターで指摘したら、岡部さんが直々に大変だった中でキャラクターを作り出し、ライバルを設定しやんちゃなウルトラマンの性格を作り出したことを語っていた。

 坂本浩一監督という日本特撮アクション界の至宝を海外流出から日本へと引き戻した立役者でもある岡部さん。それが今に至る10年の人気を支え、日本の特撮ヒーロー番組も支えたってことで、日本の特撮史を語る上でも必要な証言であったにも関わらずまるでオミットされてしまったことに、たった10年でもコンテンツの歴史は薄められ、隠されて消される可能性がある、ということが分かった。
B  坂本浩一監督はコメントをしているみたいだけれど、参加の経緯に海外でパワーレンジャーに携わっているところを岡部さんに誘われ帰国したといった、以前に聞いた話が語られているのかどうかが気になるところ。それ以外に参加の経緯はないはずだけれど、それに触れず参加後のかかわり方についてのみ、聞いているのだろうか。あとはウルトラマンゼロのダブルアイスラッガーという造形、ベリアルという悪役の設定も。画期的といえるそうした展開のきっかけが、改ざんされていたり捏造されていても困るけれど、触れられていないというのもまた寂しい。  だからこそ、岡部さんや円谷プロダクションの当時の関係者、そして携わった人たちの証言を、オーラルヒストリーとしてアーカイブしておく必要はあるけれど、その真実性を何によって担保するかが大切になる。著作権者の公認であることがひとつは意味を持つのだけれど、それが今回の場合みたいにオミットされていると、あとは証言者の来歴、聞き手の公正性なんてものも求められそう。それすらも一方的と言われる可能性はあるけれど、残されていなければ突き合せることすら困難になるから。岡部さんが語りつくせばいいのだけれど。探せばこうしてコメントとして残っても、消されればおしまいだし。難しい。

 何の批判を浴びようとも自身の地位は微塵も揺るがないからなのか、そうでなくても東京都知事の立場で同じことを言ったのか、石原慎太郎元東京都知事。言いそうだなあというのは以前、重度身体障碍者に関して人格の有無を問うような酷い言動を放って反発を食らった過去があるからで、あらゆる差異を受け入れ誰もが同じような暮らしを送れるよう、制度を整えていく意識がまるっと欠如しているらしいことは分かっていたけれど、ALS患者に薬物を処方して命を奪うという明確な殺人行為であっても、当人が望んだのだからと許容するどころか、手を下した医師を切腹の解釈を務める要職か何かのように例えて讃えて弁護するとまで良い抜け、殺人行為を真正面から是認してのける。

 尊厳死の問題は当人の苦しみもあって、その意思に対して外部から頑張れとは安易に声はかけられない。自分がそうなった時にどういう態度を取るのかも分からないうちに、それは逃げだと非難することも難しい。ただ苦しくはあってもそれを生きながらえて楽にするような方法はああるだろう。制度でも医療でも何でも整えることによって生きづらい状況を生きやすくしてあげる方向に、政治を行う者は向かって欲しいにもかかわらず、死を選ばらずを得ない状況を甘受していることに何の口惜しさを覚えず、去ることを推奨するのは政治家として、文筆家として果たして正しいのかを問いたい気がする。

 なおかつ人の命を嘱託であっても手にかけた、それもお金をもらって実行した医師に対して、武士道の切腹を介錯する者と讃えるのは大いに筋が違っている。というか、ALSを業病と例え、そこから逃れる術を切腹と例えるのはALS患者は罪深い存在で、極刑としての切腹を申しつけられて当然とでも思っているのか。そこの例えもやっぱりおかしい。なによりALS患者に薬物を処方するのは感覚でも殺人だし、法律でもやはり殺人だ。それを殺人とする法が間違っているという声も起こるかもしれないけれど、悪法でも法なら守るのが務めだと毒杯をあおったソクラテスに学ぶなら、弁護するより法を守って裁かれよと問うのがまた思想家のような気もする。

 そういえばソクラテスを持ち出して、同じような傾向の言説を垂れ流している美容整形医が何を勘違いしたのか、ソクラテスは尊厳死を選んだのであって同じように尊厳死を選んだ者は尊いとつぶやいて突っ込まれていたっけ。これなどは最初から間違っているから何も言いようがないけれど、正しくソクラテスの行為をなぞらえるのだとしても、そこは医師に対して厳しい態度で臨みつつ、尊厳死について深く考えていくのが筋なんじゃなかろうか。

 戻って石原慎太郎元東京都知事の言動に、賛意が山ほどついている状況がまた苦い。だったらあなたが、あなたたちが苦しむ者たちの首に縄をかけて引っ張って回れと言いたくもなるけれど、そうした嘱託殺人そのものを今は否定する立場からは、賛意も示さず自分が成り代わるともいわず、ただここは当人がどうして死を求めざるを得なかったのか、その心情に寄り添いつつ何が正しいのかを思索することで、派手な言説に与する雰囲気に竿さしたい。

 「旅行には行って欲しいが、オフィスには行って欲しくない政府が打ち出した画期的政策、それがGo To  テレワーク。地方の旅館やホテルに滞在して籠り業務をする人に旅費と宿泊費を支援しつつ会社にも一部負担を求め、個人にも食費は負担させる方式で希望地、希望企業を募るってんなら湧きそうだけど」と明け方に意味も無くつぶやいていたら、本当に政府が「ワーケーション」などという言葉で、旅行に行ってテレワークをやれば良いんじゃないかといった施策を口にし始めた。そりゃあ旅先で仕事して湯治とか出来れば嬉しいけれど、その費用は会社が持つのか個人が払うのか。食費だってかかるだろうそんな仕事の形態を、推進するなら補助を厚くして誰もが気軽に旅に出られるようにそておくれ。まあきっとまた言うだけなんだろうけれど。やれやれ。


【7月26日】 押井守監督のイメージは吉川晃司さんとともに有る、なんてことを言って通じる世代も歳を取りにけり。1984年の春に劇場で「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を見た人なら当時、入れば何度でも見られる劇場のシステムの中で「うる星やつら」を2度見たなら最低1度、多くて2度はバタフライで吉川晃司さんこと民川裕司が東京港だかを泳いできては上陸するシーンに何だこれはと驚きつつ、このタレントは果たして大成功するのかと思案したに違いない。

 結果としてアイドルシンガーとして数曲を飛ばしつつもロックへと向かいつつジャニーズ全盛の中で派手な活躍はしないまま、俳優として知られるようになって最近は「下町ロケット」だとかで存在感のある役者っぷりを見せてくれている。そんな吉川さんの成長の端緒に触れられたことを押井守ファンとして「うる星やつら」を見た人間たちは、心のどこかで誇っているに違いない、という話は沿えずに押井守監督についての思い出を振り返り、思いついたことを書いた記事が公開。取材の現場でいろいろと関わるようになってから25年分、初見からだと40年近い鑑賞から浮かんだ印象を座ってまとめたコタツ記事ってところだけれど、届く反発も少ないようでとりあえずは安心。次はどなたを取りあげようかな。

 押井監督が深く関わったプロダクション・アイジーなんかも取りあげたいけれども仕事をさせてもらっている場所について適当なことも書けないのでちょっと保留。そのアイジーは国内では「銀河英雄伝説」と「ハイキュー!!」と「鹿の王」くらいしか作品が聞こえて来ないけれども海外の配信事業者なんかと組んでいろいろと手がけている感じ。「黒子のバスケ」のオープニングなんかを手がけて人気の中澤一登さんを監督に迎えて「Fena:Pirate Princess」なんて作品をやったり、「ULTRAMAN」「攻殻機動隊SAC_2045」の神山健治監督・荒牧伸志両監督による「BLADE RUNNER−BLACK LOTUS」を手がけたりと大忙し。

 神山・荒牧作品なんかはたぶん、制作現場がアイジー内にあるとは限らないけれど、世界的に人気が出そうな作品に製作出資をしておくことで、完成とともに制作資金の回収は済んであとは版権収入なんかが期待できるだろうからそれなりに地盤はしっかりしていきそう。「攻殻機動隊」シリーズのように版権収入が拡大しているシリーズもあるし、そうしたものが増えていけば自転車操業に陥らずに済むかな。そして働く時間も増えればお金ももっと稼げるんだけれど、国内が逆に厳しくなっているので行ったり来たりか。ともあれ行けるうちは行こう。

 ははははは。医師ではあっても感染症の専門家ではなかったりただの経済評論家だったりする人たちが、新型コロナウイルス感染症の最近の感染者数の増加ぶりを見つつ重症者が少ないから危険は去ったとか、無症状が多いから弱毒化していて経済を止めるには至らないとかいった解説をしつつ、もう弱毒化が始まっているんじゃないかなんて推論を立てていたりするけれども専門家中の専門家とも言える忽那賢志さんがYAHOO! ニュース個人で「ぼくのかんがえた、さいきょうのコロナりろん」をメディアは相手にしてはいけないと厳しいことを言って軽症を鳴らしている。

 なるほど軽症者や無症状患者が多いけれどもそれは若い人が多いからで、そして今はそうかもしれないけれども2週間くらいの様子見を経て重症化する恐れはあったりするから安心はできない、以前は重症に近い患者しか検査をしなかったからほとんどが即入院となっていたけど、今はそれが先に伸びているだけといった解説をしてくれている。そして発症したら被るだろう後遺症にはなかなか厳しいものがあるということも。だから感染しないに越したことはないにも関わらず、弱毒化しているから若いからといった理由で出歩き、感染してはバラまきつつ自分も重篤化していく可能性を自ら強めていたりする。その果てに来る何かが今は怖い。8月に入って一気に爆発するかなあ。お盆もまた帰省できそうにもないや。

 連休も4日目に入って原稿の整理も一段落したんで少し片付けようと部屋を掘っていたら紹興老酒が発見された。「クーロンズ・ゲート」の札がかかっていてすぐに1998年2月19日に開かれた、プレイステーション向けゲーム「クーロンズ・ゲート」の完成披露イベントでお土産に配布されたものだと気付く。この頃で7年醸造って書いてあるから現在では30年物ってことだけれど、古酒じゃあるまいし陶器の詰められて中で痛んではいないかがちょっと心配。まあ腐ることはないだろうけどすぐに飲むのは遠慮しよう。んもしもゲーム開発に関わった人がいたなら、開栓して味見しながら当時を語って頂きたいものだなあ。そんなイベント、企画するところはないものか。


【7月25日】 川崎のチネチッタでRGBレーザ&LIVEZOUNDでの「風の谷のナウシカ」を見たいとか、渋谷東映で劇場版「銀河鉄道999 GALAXY EXPRESS 999」を見たいといった希望はあるものの、繁華街へと出かけてまるで減らない新型コロナウイルス感染症をもらってしまっても意味が無いと思うとこの4連休、まるで遠出する意欲が湧かない。渋谷では落合陽一さんの個展もスタートしているし、川崎の向こうの横浜では横浜トリエンナーレも始まっている。いろいろついでに見てこようという意欲が以前だったら湧いたものの、今はいろいろと理由を付けて躊躇ってしまう。

 どん底だった去年の今ごろあたりと違って、平静は取り戻してはいるものの将来への不安もまだ漠然とあって遊んでいる場合じゃないってのももちろん少しはあるけれど、1年生き延びてどうにか向こう1年は生き延びられそうだと分かってきたから、少しは余裕も出て来た。同じフリーランスでも演劇系とか音楽系とか仕事がまるで無くなってしまって、汲々としている人も見受けられる中で食べていくだけの手持ちはあるだけマシって意識も生まれて来た。落ち着いてさえいれば帰省してあちこち出歩いていたかもしれない。

 ところがここに来て東京では感染者数が連日200人を超え、名古屋でも100人近くに及んでいたりしてそんな間を行ったり来たりしてうつしたりうつされたりするのも大変そう。大阪も100人超えとかこれはまた本腰を入れて対策を打たなくてはいけないタイミングで、国はGoToとか行って地方に拡散させることを推奨しているちぐはぐさ。道中は会話せず行っても出歩かず食事は部屋で取り夜が明けたらさっさと帰れば感染しないから行って良しって言うけれど、それのどこが旅行なんだ娯楽なんだ。そういう無茶を平気で言い出す国に誰がした、って自分たちがしてしまったんだけれどそれにしても酷い。

 とは言えそれで愚痴っても国がすぐさまひっくり返ることはなさそうなので、ここは自分で防衛するしかないのだったら密は避けて引きこもってごろごろしながら本を読んだり仕事を進めるのが良いのかもしれない。幸いにして雨模様で蒸し蒸しとはしても暑さにうだるほどでもないので、家にいても生きていられる。次の原稿に向けての仕込みを進めようってことで、ガガガ文庫から出た悠木りんさん「このぬくもりを君と呼ぶんだ」。なるほどオゾン層の破壊で住めなくなった地上から人類が地下都市へと移住してからが舞台か。

 地下だから空なんてなく天上に星空が映し出される状況下、人類は以前と変わらない日々をとりあえず送っているようだけれど全人類が地下都市に移住できた訳でなく、国民の一部とそして地下都市建設に従事した外国人労働者の家族なんかがどうにか移住。でもそこには格差があったみたいで一般の移住者は外国からの移住者を区別し差別している感じ。そんな外国からの移住者の中にも貢献があって壁みたいなものの内側に来られる一家もいた。

 だからといって認められず疎んじられているという、ある意味で移民社会の縮重のようなものが滲んでいる。トーカという少女もそんな移住者の出身で、学校ではアウトロー的な雰囲気を醸し出していたけれど、そんなトーカにレニーという少女が引かれていって、仲良くなっても周囲は差別的な目をトーカに向け、レニーにつきあうなと言う。そんな狭間にあってレニーは空から降ってきた光る何かを手に入れる。それは町をも燃やすことができる不思議な欠片だった。

 地下都市に長く暮らしながらも地上時代と変わらない日々を送っているところはSFとしての厳密さとはちょっと無縁で、本来だったらエネルギーも資源も限られた中で差別と特権がもうちょっと際立つんじゃないかといった印象もあるけれど、そこはソフトにしつつやっぱり生まれる差別意識に純真な少女がどう向かい、自分の思いを貫くかが問われるといったところで、ファンタスティックでSFチックな舞台を借りて今のこの状況を問う作品だと言えそう。思春期の少女に芽生える心理と現象との関わりは「サクラの降る町」にも重なるかな。青春の苦さを乗りこえ人は大人になる。

 以前だったらちょっとした軽口で住んでいたことでも、時代が変われば差別的なものとして捉えられることは少なくない。増してや発信力もあって影響力もある人が、個人的とはいえ全世界に向けて開かれたSNSの場で口にしたらどういうリアクションがあるかを考えた時に、不用意なことは言ってはいけないという見本とも言えるだろうか。アスリートでもゲームでも優れた成果を残している人たちを結婚させて子孫を残せばきっとすごい人たちが生まれるという、それは確かに優生思想だけれど一方で親の欲目でもあって非難されるかちょっとそれはと窘められるかの境目で、徹底的に非難される側に落ちてしまった感じ。いったん悪罵が始まるとたちどころにそれ一色になるSNSの危うさも乗って猖獗を極めている。どこに落ち着くか。要観察。


【7月24日】 Netflixの「銀河英雄伝説 Die Neue These」で見られるアムリッツァ会戦までの続きをAmazonPrimeVideoの「銀河英雄伝説」で見て、どちらのバージョンの声に自分の耳が馴染むか実験中。実を言うならどちらにも耽溺していないので今はフラット。宮野真守さんの甘さと優しを感じさせつつ意思の強さを示す声と、堀川亮さんの強さの中に繊細さが滲む声。ラインハルトという人物の生い立ちと気構えと立ち位置をそれぞれにしっかりのぞかせている印象だった。

 ヤンの鈴村健一さんと富山敬さんはなるほど、やはり共に飄々としつつ曲げない信念がありそうな系統の声音になるんだなあ。それでもベテランとしての老獪さがどこか滲む富山さんでヤンに馴染んだ耳は、鈴村さんを若すぎると捉えたかもしれない。実年齢だとでも鈴村さんの方になるのかな。ジェシカは遠藤綾派。オーベルシュタインの声については塩沢兼人さんの不世出ぶりをやっぱり思う。諏訪部順一さんも近いんだけれど演じて来た数々から底知れなさより軽さがふわっと漂ってしまうのだ。そしてジェシカはやっぱり遠藤綾さん。間違いない。榊原良子さんはデレちゃあいけない。

 そんなNetflixとAmazonPrimeVideoで続けざまに「銀河英雄伝説」なんか見始ているせいで、今の世界の政治状況を作品にあてはめて考えたくなるのだけれど、ポピュリズム的という意味合いからトランプ=トリューニヒトではあっても、習近平はフリードリヒ四世より強権で独裁的なので、その下からラインハルトは出そうもない。そして自由惑星同盟で起こったのは国粋主義的なクーデタだけれど、アメリカでは差別による分断からの内戦に向かいそう。結果として民主的な改革には向かわずより腐敗した方向へと流れ国を滅ぼすのだ。

 そして滅びた民主主義を飲み込むのは、聡明なローエングラムではないルドルフが興して専制が極まったあありのゴールデンバウム朝にも並ぶ中国。衰退を認めてラインハルトという有能で公正な専制君主を育て送り出すなんてことはせず、逆にあらゆる反攻の芽を潰した国家が世界を蹂躙していったい何が起こるのか。そんな狭間に断って日本はどうするのか。フェザーン自治領だったらそれでも世界に経済という力で対峙できたけれど、今の日本にそんな国力もなければルビンスキーのような老獪な為政者もいない。八方ふさがりの中でハリネズミのようになってイゼルローンよろしく引きこもるか。ヤンなんていないにも関わらず。参ったねえ。

 流れて来た噂の乃木坂46による新曲「Route 246」は、決して小室哲哉さんのパロディとかパスティーシュ、それは自己模倣も含めての意識的挑戦でははなく、小室哲哉さんによる今の本気だとしたらいったい何と言ったらいいのか。ダンスビートでアップテンポな楽曲で席巻した1990年代のTKサウンドですらない、1980年代後半のシンセサウンドと転調を特徴としたメロディラインで興味を抱かせた頃がそのまま出ている感じでどうにも古い。ってか30年以上も前、時代で言うなら昭和末期なんだから古くて当たり前なんだけれど。シティポップスですらないから。

 時代で言うなら渡辺美里さんの「My Revolution」とか中山美穂あん「JINGI・愛してもらいます」に近い雰囲気。ただ、どちらもシンガーの存在感が全面に出ているだけ名曲として今に残っているし、「JINGI」は松本隆さんによる歌詞が絶妙でメロディに乗って口ずさめた。「Route 246」はどうならんだろう。詳しくは聞いていないけれど、響いてくるものが今はあまり感じられない。これを秋元康さんが望んだのだとしたら、過去を持ってきて懐かし心をくすぐりつつ、TKサウンドのTKサウンド的なところを押し出して消費的な関心を呼ぼうとしたとしか思えない。こうしたAP曲を作らざるを得なかったのだとしたら小室さん、ちょっと可哀想な気がする。それともこれしか作れないのか。聞いてみたい。

 形式を前面に押し出すことによって消費心をくすぐるといったら、日本で言うなら眼鏡っ娘キャラなんかが眼鏡をかけているという特徴から類推される行動様式なり言動なりパーソナリティでもってファンの心を引きつけ目を向かわせることがそれなりにあって、それをもって消費的キャラクターと言ってしまってあてはまるところもあったりする。ディズニープリンセスに眼鏡っ子キャラがいないからということで、海外の少女が眼鏡を掛けたディズニープリンセスを考案したというニュースに、日本にはこれだけ眼鏡っ娘キャラが居ると挙げてもやっぱり、そこには眼鏡っ娘キャラであるというある種の属性が透けて見えたりしてしまう。

 主人公として眼鏡っ娘キャラがあまりいないというのもあって、脇にあって知性やオタク心や真面目さなんかを象徴するキャラとして置かれてしまいがち。「R.O.D」の読子・リードマンも本好きという野暮ったさのアイテムとして眼鏡がかけられているっぽい。そういう意味から外れて堂々たるヒロインにして眼鏡っ娘って果たして誰がいるんだろう。それを当然と思えるような。って考えるとこれもやっぱり難しい問題になりそう。プリキュアのセンターが眼鏡をかけているくらいの改革があるいは必要なのかもなあ。ベヨネッタ様は……あれはあれで御姐様キャラ属性ってことになるのかな。いや好きだけど。


【7月23日】 オリンピック2日目はサッカーとか野球とかボートとか開催された、らしいけれどもそれは1年未来の話だし、そもそも1年後に実現するかも怪しくなって来た。東京都では何と過去最高の366人もの新型コロナ感染症感染者が発生。もちろん検査数が多くなっているからの感染者の増大ではあるけれど、それでも絶対数としてこれだけの人数が出て、そして感染率も決して低いという訳ではないから東京都全体の人口に比してどれくらいの感染者がいるかを考えると、やっぱり黙って見過ごしてはいられない。

 大阪でも名古屋でも結構な数の感染者が出ているらしいから、これはもう日本中に市中感染が広まっていると言えそう。にも関わらず始まった「Go To トラベル」キャンペーンを引っ込める気配はまるでなく、政府が何か手を打つ兆しもない。それを言うなら東京都だって東京アラートとか何か前は言っていたのに、今は数だけ発表しては何か対策を打つ気配もなし。このまま成り行きに任せていたらいったいどうなるか。8月始めくらいには感染者数が1日で1000人を軽く超え、地方からベッドも埋まり始めてそして崩壊が始まると見るべきか否か。どっちにしたって出かけないに越したことはなさそう。帰省すら難しいか。やれやれ。

 尊厳死についてはいろいろと難しい思考を有するけれど、それを言えるのはそうした立場に置かれたものであって、外部の人間が尊厳死は必然だと言って誘い手を下して良いなどということはない。絶対に。ましては日頃から家族にとって負担になりそうな患者を検死でも分からないように死に至らしめる方法を、本などでアピールしていた医師が語っていいような話ではなく、それを実行して逮捕されたのは当然で、あとはどういった罪に問われどういった量刑を与えられるかを気にしていきたい。殺人であり死刑を宣告されるのか。死刑そのものには口が重たくなるけれど、それでも制度なら最高刑として求刑されるかが今後、同類の犯罪の抑止につななるのなら目を向けていきたい。

 ははははは。戦後最長とか言っていた景気の拡大が、それより以前に後退に転じていたらしいことが政府から発表されるとかどうとか。はっきりしたことが分かるまで時間がかかるという事情があるのは分かるけれど、それでも何となく膚感覚で分かっていながら安倍政権の経済政策が間違ってはいなかったと言いたいがために、後退のひとことも口にしないで拡大基調は続いていると言い続けた政府と一党とお抱えのメディアは、これから100年にわたって国賊のそしりを免れないと思ってくれて良いだろう。まあ景気拡大をアピールし続けたメディアは部数を下げて人を削って給料も減らしながらなお危機に瀕しているから自業自得なんだけれど。

 Netflixで配信されている「銀河英雄伝説 Die Neue These」の第1シーズンを見切ってしまったので、続きとなるエピソードを石黒昇総監督版の「銀河英雄伝説」を見始めるる。絵は違うし声もやっぱり違うけれど、見ていれば宮野真守さんでも鈴村健一さんでもないラインハルトとヤン・ウェンリーが堀川亮さん富山敬さんでベストに思えてくるから声というのはやはり凄い。銀河帝国の方がとりあえず、規律もあって意識も高いかと思えていたけれど、リップシュタット戦役に入ると門閥貴族の間抜けぶりが目立ってきてどちらもどちらに思えてきた。腐敗すると専制でも民主主義でも間抜けになる。とはいえ民主主義なのに軍人が民間人を殴殺する同盟の方がやっぱり阿呆らしい。そんな腐敗した民主主義より腐っている今のこの国。参ったなあ。


【7月22日】 オリンピックが開幕した、って言えないことが幸いか否か。仮に開かれていたとしたら例年よりは涼しい気候に開会式に訪れた人も安心しつつ少しばかりの蒸し暑さに辟易としたかもしれない。それでもしばらく続く涼しさに日本も案外に良い国だったかと思ったかもしれないけれど、現実にオリンピックは開催されず来年に持ち越され、開会式に予定されていただろう諸々のアトラクションもすべてが水泡に帰した。というかいったいどこまで決まっていたんだろう。昨年末に担当プロデューサーがパワハラで更迭になってスケジュール的にどうなるか懸念されていたから。

 Perfumeが出演したのかきゃりーぱみゅぱみゅがライブを行ったのかAKB48のグループが総出で歓待したのか相撲取りが汗をかきながら四股を踏んだのか、ってそれはないか今まさに夏場所の真っ中な訳だし。そうしたプログラムが果たして来年もそのまま使われるかは分からないし、そもそも来年開かれるかも現時点ではまるで見えない。経済の先行きもまったく不透明な今の状況は、もしかしたら戦後始めてなのかもしれないなあ。これを乗り切ったところでいったい良いことはあるのだろうか。それすらも分からないこの数年を乗り切って、足場を作るのが目下の課題。頑張ろう。

 思い立ってNetflixで「銀河英雄伝説 Die Neue These」を一気に見る。前の石黒昇監督バージョンを見ていた訳ではないからラインハルトの声が堀川亮さんではなく宮野真守さんで、ヤン・ウェンリーが富山敬さんではなく鈴村健一さんであってもあまり気にはならなかったけれど、物語がアスターテ会戦から始まってすでにヤン・ウェンリーが准将として活躍を始めていてそして、ラインハルトも少将くらいになっていてお互いに存在を確認し合うところから始めていたのは意外だった。さすがに150話とかかけて全10巻のすべてを映像化する訳にはいかないから、端折って見どころから始めたんだろうなあ。

 とはいえ、ラストはやっぱりヤン・ウェンリーの暗殺からラインハルトの皇帝就任、そして早世といったところにならないと収まらないのは確かで、それを考えるならヤン・ウェンリーの退役から自由惑星同盟の滅亡、そしてヤンが亡命してふたたび活躍を始める一方でラインハルトも帝国内部での謀略をしのいで出世していく過程を描かなくてはいけない。すべてが宇宙での戦いにはならないだけにそうした政治的、あるいは経済的なドラマをどこまで楽しめるかにかかってきそうだけれど、そこは丁寧に見せる監督らしいから期待して見守っていけば良いのかな。

 それにしても帝国側の人的資質の高さは驚くというか、専制政治の中でどうしてそこまで優秀な人間たちが生まれ育ったのかが気になるところ。門閥貴族であっても一部はどうしようもなくても一部にはしっかりと策を巡らせ自分たちの地位を守ろうとするものたちがいて、それに対抗してラインハルトたちがさらに上をいく策で対抗する必要があってと切磋琢磨が行われている。対して自由惑星同盟は政治家達が選挙に勝つためだけに後先考えず無謀な戦いに兵士たちを送り出しては惨敗を喫して自分たちのクビを締める。そうなる可能性も考慮すべきなのが政治家なのに、大義は自分たちにあるから大丈夫だと無根拠の自信に溢れている。

   それは一部の軍人たちも同じで自分たちがおもむけば圧政に苦しむ帝国臣民たちは歓迎してくれるはずだとか、側面をつかれて補給線を断たれる可能性に対してはそんなところまで知恵は回らないといった希望的な観測ばかりで大勢の兵士を動かし、挙げ句に大敗を喫したりする。あらゆるリスクを考え慎重な上に慎重を重ねて勝てる方策を選ぶことが軍人であり軍略なはずなのに、気合いと精神論と欲得だけで動く軍人がいることが信じられないけれど、そういう状況がかつてあったからこそ日本は戦争に負け、今また政治が世界に負け続けているのだろう。かつての縮図であり現在の投影とも言える物語。だからこそ今またこうしてアニメ化される意義もあるのだろう。ヤン・ウェンリーひとりでは立て直せなかった一国。だったらラインハルトのような正しい独裁を待つべきか? そんなことがあり得ないと分かっているからますます未来が暗くなる。やれやれだ。

 何しろ東京の新規新型コロナ感染者数が238人と200人代に乗り、そして全国の感染者数が720人と過去最高になりながらも全国にみんなで旅行に行って感染を広げようぜと言っているとしか思えない「Go To トラベル」キャンペーンがスタート。東京を除外したところで大阪だって120人もの感染者が発生し愛知県からも60人とか出ていたりと、全国的に感染者数が増え続けている。市中感染の疑いすら出始めている中で、それを抑制するどころか広める方向でお金を出すんだから謎も深い。その癖東京ではこの4連休は家にいろと訴えている。補償もなしに。そんな方向性がバラバラな施策を平気で打ち出し自信満々な政治家たちに、何を期待しろというのだろう。真っ当さとは何か。それすら分からなくなった時代に明日を夢みようというのがもはや無理なのかも知れない。参ったなあ。


【7月21日】 ルナチタニウム合金ではなくガンダリウム合金で出来たRX78−2ガンダムのプラモデルというか、もはや金属模型に近い商品が今日から予約開始になっていったい誰が買うのかと御持ったら、発売とほとんど同時に売り切れになったみたい。値段は税込で22万円。なるほど以前に出た人間大のソフトビニール製だか何かのフィギュアは30万円だったからそれよりは安いけれど、サイズ的に掌にだって乗りそうなフィギュアに22万円も出す人がいるのかと思ったら、結構どころかとでもない人数いたってことになるみたい。

 2月だかに発表会があった時、周囲でいったい幾らなら買うかといった話になって20万円から25万円くらいなら買って良いと思えるかなあなんて感じになった。その意味ではどんぴしゃりな値段だけれど、いざ自分で払えるかとなるととてもじゃないけど出せない値段。勤め人でいたところで出るボーナスなんて1カ月分もきっとなかっただろうから、それを当てにも出来ない状況で見送っただろうことは間違いない。ただ、ここで抑えておくことで転売すれば倍になったかもしれないなあと思うと、それはそれで残念でもあったりする。
B  とはいえ、転売などというガンダムに対して顔向けできない行為に身を染めるのもはしたないので、ここは見送っておくのが正解だろう。次に発売される機会があったら果たして買うかというと、やっぱり買わないかなあ。それは転売される状況なんかを見て考えるかなあ。こういうのよりもむしろ美術品の方がいろいろと夢があって面白いし。奈良美智さんが前に出した缶ケース入りの腕時計なんて、当時は1万円ちょっとくらいだったのが今は30万円くらいになっているし。だったらいっそ作品そのものを買っておいた方が値上がりも凄かったんだろうけれど、それを出来るお金も当時はなかったからなあ。持てるものはより持てるようになるのが資本主義の原則。そこに至れなかった段階ですでに埒外なんだとここは思おう。

 「デカダンス」ってアニメが始まっていて、最初は「進撃の巨人」よろしく外敵に追われた人類が移動する要塞に立てこもっては生き残るために必至に戦っているといった様を想像していたけれど、第2話にはいって戦っているうちの一部はサイボーグが精神をギアってアバターに乗せてリアルなゲームをしているだけだと判明。その構造の上にわずかに生き残った人類ものっかっているらしいと分かって、それが展開にどういった影響を及ぼすのかが気になって来た。

 しょせんはゲームなのだとしたら、ギアを動かしているサイボーグたちはデカダンス意外にもいて繁栄していたりするのかどうか。攻めてくるガドルとはいったいどういった存在なのか。サイボーグたちと同様に作られた存在であって決して人類の的ではなくただのゲームのコマに過ぎないのか。だからカブラギはガドルと普通にペットとして飼っていたりするのか。そんなカブラギが排除するエラーとは何で、どうしてそれを排除しなくてはならないのか。そうした関係において人類はやっぱり話の埒外なのか。だったらそこにナツメはどう絡んでいくのか。彼女の正体は。

 とまあ、いろいろと浮かぶ疑問もあって展開が興味深い。ただ単純に滅亡に貧した人類が最後の戦いを移動要塞の上から挑んでいるといった構図ではない、外側の状況を作った上でそれすらも含めて何かひっくり返すような大仕掛けを企んでいるとしたら面白い。それによってはSFアニメとして歴史に残るようなビジョンが見られるかもしれない。残り少ないはずの人間がガドルとの戦いにかり出されたりして死んでいくのは解せないけれど。もうっちょっと裏側なり下側があるのかな。毎週を楽しみにして観に行こう。

 本当だったら明日から、歴史に残る東京オリンピックが始まって東京はいつにない喧噪に包まれていただろうけれども実際は、新型コロナウイルス感染症が広がって東京に大勢人が来ることはなく、そして東京から人が出て行くこともできなさそう。旅行需要を喚起しようとするキャンペーンからも東京からは除外されたみたいで、すでに入っていた予約のキャンセルをどうするかってことで国がごめん対策が遅れたといって補填をするみたい。だったらどうして営業を自粛していた間の飲食店なり、開催を予定していたライブや公演のキャンセルに対する補償は行わないのかって話にもなるけれど、それをやっても集票にも寄付金にもつながらないから、ってなるとさすがに政治への不信もつのる。いろいろあるんだろうけれど、とにかく公正性が失われいる昨今。そうした日常を生きて未来に希望を失った人たちが、増えていく日本の将来やいかに。それより来年のオリンピックは果たして。見えないなあ。まったく。


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