縮刷版2020年6月下旬号


【6月30日】 「生きてこそ」by Kiroro。6月30日に成立した香港国家安全維持法がさて、香港での政治的な活動なりにどんな影響をもたらすかがまるで見えない中、おそらくは抑圧的に動くだろうという見通しの中で香港で活動してきた政治団体デモシストが活動停止を発表。代表的な立ち位置から意見を発してきた周庭(アグネス・チョウ)さんも黄之鋒(ジョシュア・ウォン)さんとともに脱退を表明して、そしてこんなツイートを発して理解を求めた。

 「私、周庭は、本日をもって、政治団体デモシストから脱退致します。これは重く、しかし、もう避けることができない決定です。絶望の中にあっても、いつもお互いのことを想い、私たちはもっと強く生きなければなりません。生きてさえいれば、希望があります」。香港の人だから日本語は母国語ではないけれど、それでも冷静にして沈痛な面持ちを言葉に乗せて語ってくれて、置かれた立場がとても厳しくて悲しい状況であることが伝わってくる。

 抑圧されようが弾圧されようが最前線に残って戦うのが政治活動家だといって撤退を批判するような言動も起こるかもしれないけれど、仮に反政府的な立場で捕縛されて果たしていったいどれだけの活動を獄中などから行えるのか。そもそも存在すら密室音さらに奥へと押し込められて、身動きどころか言葉すら外に向けて発せられない状況に置かれてしまう可能性だってあるだろう。それだけ厳然とした態度で国家の安全に取り組むと中国政府が決めたからには、反体制的な運動をゲリラ的に行って何かを変えるなんて不可能だ。

 もちろんデモシストはテロ組織ではないし反政府組織とも違う、ただの政治団体に過ぎないと言えば言える。そこでの活動は言論の自由の上に立って公平性から認められるかもしれないといった観測も成り立たない訳ではない。とはいえ、何がどうなるかまだ見えない状況、そしてハードルは常に変化する状況にあって今のままの活動を、続けることがリスクになるならそれをいったん排除するのも仕方がない。まずはとにかく生きのびること。生きて次の段階を模索すること。それしかないと感じているならそれを認めるにやぶさかではない。アニメ好きとして日本に来て芸能系の活動をするとかあったら声もかかりそうだけれど、そういう趣味に生きる前にやれることをやっていくんだろうなあ。見ていこう。

 オーランドのディズニー・ワールド・リゾートにあるアニマル・キングダムにアジア・ゾーンができるかどうかって話を、マジック・キングダムで日本人カップルが結婚式を挙げる話題といっしょに取材に連れて行ってもらった時だったか、園内にある施設で確か見たのがシルク・ドゥ・ソレイユの公演だったって記憶がある。すでに日本でフジテレビが「ファシナシオン」とか「サルティンバンコ」とか「アレグリア」といった演題で公演を展開してそれなりに知名度はあったけれど、見にはいってなかったらフロリダでの体験が公演を通して見た唯一の機会ってことになるかもしれない。

 後に代々木体育館の横とかで開かれる公演の内覧とあと、東京ディズニーリゾートにできたシルク・ドゥ・ソレイユ専用劇場の内覧を見に行ったような記憶があって、そこで簡単な演目を見た気もするけれど、いずれにしてもそれほど熱心な観客ではなかった自分にとってシルク・ドゥ・ソレイユの経営破綻について、強い感情はあまりわいてはこない。ただ、サーカスでありながらも美術やストーリーや演出に凝ったところがあって、肉体を駆使した芸術としてバレエの拡張版になり得るエンターテインメントだっただけに、今回の新型コロナウイルス感染症に伴う公演の縮小が、将来においてシルク・ドゥ・ソレイユの消滅を招かないで欲しいという気持ちはある。

 あと、何といってもテレビアニメ「カレイドスター」がシルク・ドゥ・ソレイユをモチーフにしている点。アクロバティックな技を美しく見せて喝采を浴びるその裏で、少女や少年が競い合い鍛錬を重ねて技を磨き披露するまでに至る厳しさを、そして素晴らしさを感じさせてくれた。そうした結果としてのアニメの演目を、実際のシルク・ドゥ・ソレイユと重ねて見ることで感じる喜びもあっただろう。それを味わえなくなるのはやっぱり寂しいので、ここは時を置いても復活を果たして欲しいもの。とはいえドル箱の公演を失ったフジテレビはここでも痛いなあ。

 中途入社はあったそうだし、この春に新規採用もしたらしいけれども公募という形で定期採用と通年採用を京都アニメーションが再開したとの報。決して楽な仕事ではないしいろいろと感じるところもあるだろうけれど、それでも京都アニメーションの作品を見て感動した人たちが、その感動を受け継ぎ改めて世に広めていくことに前向きになって、仕事を始めてくれればきっとまた前にも増して素晴らしい作品が生まれてくると思いたい。クオリティだって大丈夫。そして教育も。そうでなければ今もまだ事業なんてしていないだろうから。「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の公開も決まって動き始めた京都アニメーションにエールを。そしてまた夏が来る。


【6月29日】 金曜ロードショーでスタジオジブリの映画作品が放送される時にいったいどれだけの視聴率を稼ぐのかが話題になるけれど、そうしたテレビ放送がさんざんっぱら行われている作品が、果たして映画館で上映されるとどれだけの人を集められるのか、興味津々で見ていたら2020年6月27日と28日の週末映画興行ランキングで、「千と千尋の神隠し」が1位となり2位が「もののけ姫」で3位が「風の谷のナウシカ」と、3位までを独占してしまった。

 監督が宮崎駿さんではなく宮崎吾朗さんの「ゲド戦記」も9位とベスト10入り。新型コロナウイルス感染症の影響で、映画の上映予定が大きく変化しているご時世とはいえ、はるか昔の作品がこれだけの収入を挙げてしまうところに改めてスタジオジブリの持つ強さを感じてしまう。「ゲド戦記」がたとえば「となりのトトロ」だったら4位までに入っただろうか、「ハウルの動く城」だったらどうだっただろうかと思ったりもしたけれど、評判はいろいろだった「ゲド戦記」でも9位に入れるくらい、ブランド力は持っているようだ。

 おかげでというか、普通の上映状況で新作として公開されていればもう少し上位に入っただろう「ソニック・ザ・ムービー」は初登場ながら6位とそれほどふるっておらず、やはり新作の「ランボー ラスト・ブラッド」も「風の谷のナウシカ」の後塵を拝する4位に留まってなかなか大変。組織的に動員を集めた「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 The Real Exorcis」は4位から10位とまあ、検討しているのかここまでなのかといった感じの位置に来た。

 ここから先、新作映画もそろそろと公開されてくるだろうけれど、しばらく上映が続くジブリ作品が上位を席巻し続けるとすると、そこにリバイバルというプログラムが新たに存在感を持ってきそう。とはいえそうした再上映に耐えて観客を動員できる映画もそうはないだろうから、しばらくはジブリ作品での動員によって疲弊した映画館を盛り上げる動きが続くのかな。ガルパンは動員がそれなりにあっても1位になることはないだろうし。

 「まごころを君に」でダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」が実写映画化されていて、そしてフィリップ・K・ディックの作品は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」が「ブレードランナー」となり、「追憶売ります」が「トータル・リコール」になったりと、いろいろと映画化されているからアメリカの人気SFはだいたいが、映画化済みかと思ったら意外や意外、ロバート・A・ハインラインの日本人的には代表作とも思える「夏への扉」が未だ映像化されていなかったと聞いて驚いた。ドラマでもアニメでもとっくになっていて不思議はないけれど、竹宮恵子さんの絵で「夏への扉」というアニメーションはあっても、それはまったく違う話だからやっぱり今回が初映像化ってことになるらしい。

 ってことであの「夏への扉」が日本で実写映画化に。主演は山崎賢人さんでもうあれこれ演じているからたぶん大丈夫だろうとは思うけれど、元がアメリカの書かれた当時からちょっと未来からもうちょっと未来を言ったり来たりする話として書かれたもの。それを現代におきかえて1995年のノスタルジーと2025年のちょっとだけ未来を行ったり来たりする話にした時に、原作にあったドリーミーな感覚が味わえるのかが気にはなる。

 そこはだから1995年を振り返っての未来の変わってなさを描きつつ、感覚の違いを感じさせて時の流れを分からせるのかもしれない。そうした置き換えはまあ何とかなるとして、物語としてどこまでストレートに原作を描くのか、あるいは日本なりにアレンジするのかといったところが気にかかる。「ブレードランナー」ほどアレンジされてはハートウォーミングな雰囲気が台無しだけれど、ただ置き換えただけで成り立つのか、ってあたりで脚本がやっぱり大事になってくる。

 そこは仲里依紗さんと中尾明慶さんの出会いを読んだ2010年版「時をかける少女」を手掛けた菅野友恵さんの脚本だから、原作からアレンジがあっても原作どおりでも、なかなかのものが出てくるんじゃなかろうか。監督は三木孝浩さんで少女コミックとかが原作の実写映画をいっぱい撮ってキュンキュン言わせている人だから、マーケティング的には外しては来ないだろう。不安があるとしたら少女コミックに比べると「夏への扉』の知名度が圧倒的に低いこと。SFファンにはエヴァーグリーンでも、そうでない人にはまるで知られていないんじゃないかなあ。コミカライズでもされていれば別だけど。

 だからもしかしたらこれからコミカライズの企画とか動きそう。そこで原作として引き合いに出されるのが福島正実さん翻訳版か、それとも小尾夫芙佐さん版かは割と重要。文化女中器は時代間があるけれど、今に仕える言葉じゃないだろうし。それとも違うものを発明するのかな、マルチとかマギーとかアーマロイド・レディとか。ともあれこうしてアメリカのSFに関心が向かうようなら次は是非にバリントン・J・ベイリーの「カエアンの聖衣」を……ってそれはすでにアニメ化済みか(違います)。

 市民税を支払い健康保険料を支払ったら63万円くらいとんでいって銀行の預金残高が大きく目減り。なんでこんなに高いのかと思うものの去年の年収の3カ月分はサラリーマンだったから結構な金額に及んでそれが年収を押し上げていたりする。今年はそれがなくなるから一気に減って税金も健康保険料も安くなるだろうけれど、逆にいうなら収入も減って使えるお金がなくなる訳で、生活できるのかが心配になてくる。ってところはまあ、貯金を崩していくことで当分はしのげても、健康にはよろしくないので稼げる道を探して彷徨うことになるのであった。原稿書くのもなかなか大変だなあ。下読み仕事とか回ってこないかなあ。


【6月28日】 読売新聞社と美術館連絡協議会が合同で立ち上げたプロジェクトの「美術館女子」が1発目を展開しただけでサイトの公開を終了させていた。AKB48のチーム8に所属する小栗有以さんが、東京都現代美術館へとおもむいては美術品とか自分とかを撮った画像を公開して、みんな美術館に来ようよと誘う企画だったけれども「女子」というカテゴリーで美術の関心を誘おうとしたあたりに、女子を見下す雰囲気があったように捉えられて批判されたのが大きかった感じ。これは仕方が無い。

 ただ、美術館をインスタ映えする場として楽しもうとしたことも、理由にあったとしたらこれはちょっと残念なところ。どうであっても美術に注目が集まるならインスタ映え上等だし、そもそも海外の美術館だと割と撮影が自由なのに対して日本は撮影に制限が付け過ぎられていたりする嫌いがある。そうした風潮を打破して美術への関心を誘う手段として悪くはなかっただけに、さいしょのとっかかりで女子を打ち出し過ぎて咎められたのが残念で仕方が無い。美術館ピープルとかしておけば良かったのかなあ。読売と美術館連絡協議会には次なる手を考えてくれると思いたいけれども果たして。

 ミネアポリスで起こったジョージ・フロイドさんに対する警官の暴力と、そしてフロイドさんの死亡から端を発した黒人への差別に対する批判があちらこちらに波及している感じ。アイビー・リーグの名門プリンストン大がアメリカ合衆国の第28代大統領となるウッドロー・ウィルソンの名前について「研究機関や建物に使うことをやめる」と発表した」とのこと。理由はウィルソン元大統領がプリンストン大の学長を1902から1010年にかけて務めた際に「黒人学生の入学を認めなかった」とこ、そして1013から1921年の大統領就任時に「人種隔離政策を支持し、連邦政府の職員も分離していた」ことだという。
B  朝日新聞はこれを「除名?」と見出しに書いているけれど、別に大学の歴史から名前を消すということではなくって、象徴として扱うような施設などへのネーミングを使わないようにするということだけで、所在した歴史もその功績もあらいざらい消去するようなことではないから、言葉遣いとして適切かは疑問が残る。一方で行為としてウイルソン元大統領の人種差別的な言動なり施策を非難することは、あってしかるべきことの様。公共政策・国際関係論を学ぶ専門高等教育機関の「ウッドロー・ウィルソン・スクール」と、学生寮「ウィルソンカレッジ」を改称することも、時の流れから仕方がないことだとも思える。

 ちょっと前にSFに関連した賞で、名編集者と謳われたジョン・W・キャンベルの名前を冠した新人賞が、編集者時代を含めて女性に対して差別的だった彼の名を冠するのはいかがなものかといった批判から、アスタウンディング新人賞と変えられた。当時はそれが割と常態化していたことであっても、現在の価値観から見た時にふさわしくないといった場合、栄誉は栄誉として称えつつも現在進行形の賞なり建物へのネーミングにふさわしいかは議論されるべき、なのかもしれない。

 その流れで行った場合にアメリカだと、本当にいろいろなネーミングの変更とかが出てくる可能性もあるんだろうなあ。リンカーンが奴隷解放宣言を行っても後、公民権運動が始まってからですらこうして人種差別的な状況は続いていたりする訳で、それを往事の常識に照らして進めた人たちは過去にいくらだっていそう。リンカーンだって黒人奴隷は解放したけれど、ネイティブアメリカンに対しては激しい弾圧を行った口。そうした過去を咎められた時にあの座像ははたして引きずり倒されるのか。興味が向かう。

 次は7月9日だから、ここで3連勝からのヒューリック杯棋聖戦での棋聖位奪取が決まれば、屋敷伸之棋聖が打ち立てた18歳6ヶ月の史上最年少での将棋タイトル奪取の記録を、藤井聡大七段が17歳11ヶ月で7ヶ月近くも更新することになる。連敗して第5局目でも18歳と半年の更新。もちろん相手は渡辺三冠だけにここからの3連勝だってあり得るけれど、名人戦と平行しての対局の中で心身が果てる可能性もありそう。藤井聡大七段による史上最年少でのタイトル奪取が単なる夢ではなくなってきた。

 別に王位戦でもタイトル挑戦が決まっていて、こちらを奪取したら果たして2冠の最年少記録をどれだけ更新するのやら。そもそも2冠の最年少獲得を誰が持っているかも調べていない状況だけに、いろいろと記録を漁る動きも出てきそう。3冠の史上最年少は、とかも含めて。竜王竸の方も確か挑戦者を決めるトーナメント戦への出場を決めていたんだっけ。こちらも戴冠となれば文字通りに「りゅうおうのおしごと」の世界に重なりそう。ライトノベルが現実になるなんて驚きだけど、それだけライトノベルが現実を先取りしてきたともいえる開けで、白鳥士郎さんの凄さが改めて注目されて欲しいところ。どうなるか。


【6月27日】 閉まってしまうらしいけれど、そうはならないで欲しいとの願いも込めてユジク阿佐ヶ谷で「白蛇:縁起』を見る。いわゆる3DCGアニメーションだけれどもう完璧というか完全無欠に面白いとうか。先にルックについて語るならピクサーだとかディズニーだとかが手がける3DCGアニメーションといった感じで『ヒックとドラゴン』のようなアニメーションとも重なるような感じで日本の2Dアニメーション的なビジュアル感はまったくしない。そこはアクションに「ナルト−NARUTO−」的なものがあった「羅小黒戦記」とはずいぶんと違う。

 でもって日本が送り出すセルルックではない3DCGアニメーションのいくつか、たとえば「GAMBA ガンバと仲間たち」のような、あるいは「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」のようなキャラクターライクなところがある3DCGアニメーションともやっぱり違う。オリジナルにキャラクターを造形してオリジナリティのある世界観の上でドラマを繰り広げる。それなのにちゃんと興味を引いてストーリーを追いキャラクターに実入りアクションを堪能した上で感嘆を得られる。そこが凄い。

 「ガンバ」にしても「ドラクエ」にしても「ドラえもん」にしても、元のIPがあってそれを3DCGルックに変換して見せればそこに元ネタを感じて目も引きつけられる場合があるけれど、そうしたブリッジがなくとも、そしてピクサーであるとかディズニーであるとかドリームワークスであるといった引きがなくても興味を抱かせ90分の時間をしっかり楽しませてくれる力が「白蛇:縁起」にはあった。

 キャラクターの造形は良かったし、プロダクションデザインも美術もとても良かった。そしてアクションも凄かった。というかいきなりのアクションシーンで驚いた。美女が高速で動いてはジャンプしてスタッと着地するあのポーズのかっこうよさだけで参った。そしてラストの大怪獣バトルに興奮した。よくもまああのアクションを設計できたものだ。絵コンテで設計されているのかアニメーターが考えたのか。知りたくなった。

 あとは感じたのは目に生命があった。人間を撮るのとは違って3DCGのキャラクターはすべての動きを誰かがつけなければいけないし、そうした動きが生命感に関わってくる。仕草なども大事だけれどもやっぱり人間の俳優だったら確実に存在する表情の動き、そして目の動きが『白蛇:縁起』にはしっかり着けられていた。ずっと見ていると目が1点を凝視しっぱなしということはなく、そして同じ方を向いているようで微妙に揺れて泳いでいる。そうした動きが心理を感じさせ葛藤や迷いや衒いや恐れといった感情を示す。これもまたアニメーターなり演出の力なんだろう。日本の3DCGアニメーションでそこまでの凝りってあるんだろうか。気になった。

 ストーリーについては、中国の伝承としての白蛇伝なり、それを元にした東映アニメーションの「白蛇伝」なりを知らなくっても妖怪の女と人間の男との間に交わされる情愛と、そして引き離そうとする力といったものが絡んだストーリーで、民話なり昔話に割とあるからなじみやすい。中国もきっとうそうだろう。一方でルックは時にエスニックを意識しすぎなピクサーなりディズによりも西洋的な方向を出そうとする日本なり中国といったアジアの作品だけあって見て美麗。陽の東西の美味しいところを混ぜようとする意識に中国ならではの、あるいは日本的なエッセンスが混じっても気にせず楽しめるという意味で、日本の観客はアメリカとか西欧の観客に比べ得をしているのかもしれない。

 ラストで狐の妖怪少女(見た目)が出てきてなにやら不穏な動きをしていたけれども、あれは続編か何かに絡むのだろうか。時代的には宋代なのか明代なのかは分からないけれど、時を経てもなお中華な雰囲気の中、めぐりあった小白と阿宣がいったいなにを成し、そして何が起こるのかといった物語があるなら見てみたいけれども、果たして。

 急速に何かが動いているというか。「ユニリーバが全製品に“ホワイトニング”など美白に関する名称の使用を廃止」というニュースがあって、「有色人種キャラの声、白人使わず 米アニメ『シンプソンズ』」というニュースがあって、「黒人女性主役にテーマ変更へ 米ディズニー『スプラッシュ・マウンテン』 描き方に批判続出」というニュースがあってと、この1日2日で全世界的に広がっている黒人への差別的なニュアンスを感じさせるものを排除していこう、そして人種間での差別的なものをなくしていこうとする運動が、現実の世界にいろいろと影響を与えはじめた。

 美白というのはなるほど白くなろうという意味ではあるけれど、目的としては膚のシミとかを薄めていこうとする美容の中の話であって差別とは関係ない。別に白人に憧れているからというのではなく、黄色人種であっても浮かぶシミが与える加齢といった印象を薄めようとするものであって、黒人を下に見ている訳ではないんだけれどもそこで「ホワイトニング」という言葉は適切ではないと言われれば仕方が無い。

 「シンプソンズ」の問題は、アジア人の役を西洋人が演じることなどへの批判が声優にも及んできたという感じ。キャラにあってれば何人だってと思うんだけれど、世はそういう解釈を認めない。「スプラッシュ・マウンテン」に関しては、それが単なるアトラクションではなく、背後に「南部の唄」という映画があることが問題になっている。この映画は黒人の男と白人の少年が仲良くする話であって決して差別的ではないんだけれど、作られた当時にそういった交流はなく、歴史を歪めて伝えかねないといったことから排除の方向に流れているんだとか。

 だったら苛烈な時代にあって交流を描きそれが元となって運動が起こり世の中が変わったような場合でも、架空だからとか絵空事だったからといって排除されるのか。そんな気もしないでもない。言ってもいないダーウィンの言葉をダーウィンの意図から反した解釈に当てはめ使う政権政党にはとっとと改めて欲しいけれど、時代背景を含めて説明をすることで作品を生き延びさせる道はないかと考えてしまうのだった。難しい世の中になって来たなあ。


【6月26日】 「バキ」のシリーズを一気に見てから「進撃の巨人」のシリーズを一気に見通してしまって次はとふと見始めた「食戟のソーマ」のシリーズが面白くって見入ってしまう。というかだいたい見ていたけれども北海道を舞台にした進級試験のシリーズを、途中まで見ていたはずなのに最後の連帯食戟のところだけは見ていなくってそこを見てようやく新シリーズに追いついた。薙切えりなの実父で遠月学園の十傑を抱き込んで総長の座に就き幸平創真たちを追い出そうとしていた薊切薊の謀略を打ち砕くべく、最強の遠月十傑たちを相手に戦った食戟で見事に勝ち残って勝利。晴れて2年生への進級を達成しつつ十傑の座も手に入れた。

 そんな連帯食戟をやっている間に、ほかの1年生の進級試験はどうなったんだとか思わないでもないけれど、主人公達が何より大事だし他は落第しても構わないということならそれはそれでありなのかも、ってことはさすがにないか、学生が10人くらいで成り立つ学校でもなさそうだし。そして新シーズンへと突入すると何やら鈴木って不穏な奴が現れた。千波丈一郎とか創真と何やら因縁がありそうな人間。でも料理の腕は一級品。何たってたの……ってそれはバレバレだけれど言わないお約束って奴で。

 ただ先生が絡んで来て闇の料理人とやらが乗り込んで来て戦う食戟ってもう、学校1とか関係ないものなあ。地下闘技場での戦いが世界の死刑囚相手のバトルになった「バキ」にも似て、エスカレーションは時として漫画の行方を広げたりもすれば薄めたりもする。「食戟のソーマ」の場合はどっちだったんだろう。そのシリーズをもって漫画が終わってしまったってことは、あるいは今ひとつ本筋を外してしまったのかも。とはいえこうしてアニメが作られているってことはまだまだ作品としての底力はありそう。復活した「シャーマンキング」の例もあるし、「中華一番」だって「真・中華一番」としてアニメ化されているなら「食戟のソーマ」も媒体を変えて再連載なんてあっても良いかも。見たいもの、彼らのその後のその後のその後とかまで。

 そういえば気がついたらWEリーグなる女子サッカーのプロリーグが2021年にもスタートすることが決まっていたような感じで、イングランドのプレミアリーグのようになでしこリーグで戦っている女子サッカーチームの上の方とか資金力が多いところとかが10チームくらいまで、集まって入れ替えのない状況で戦うことになるらしい。女子サッカーって上位と下位の差があり過ぎる上に下位の方は横並びだったりするから、入れ替えがあったら行ったり来たりするチームが出ておちつかない。それで運営ができるかというと難しいからそうした配慮をするのだろう。

 とはいえ、そうしたチームが資金力を持ち出してWEリーグに入って戦ったとしても、全敗だなんて戦績を続けたらやっぱりあまり気持ちが良いものではない。負けたら下がり勝てば上がるという緊張感は同時に自信にもつながるものだし戦いそのものに真剣勝負の価値を与える。代表チームの親善試合をあまり楽しくなくなったのは、そこに真剣勝負ならではのピリリとした雰囲気がないからで、リーグには世界こそ遠くてもそこにいつづけられるかどうかといったガチの気分があるからこそ観に行く価値がある。それを分かっていたらできない判断だったよなあ。

 あとはやっぱり地域に生まれて来た女子サッカーのチームが、頑張って勝てば上に行けるといった希望を断つこと。参加する費用が必要な上に選手をプロとして契約しなくちゃいけないため、相当な資金力がなければ参戦できないWEリーグ。なでしこリーグの2部より下のチームから、上を目指していたところにとって上がった先、その上にたどりついてもまだ頂点じゃないというのはやっぱり気が萎えるだろう。観に行く側には地域のチームを応援するという気概はあっても、選手たちにその気概が失われてしまいかねないのはやっぱりツマラナイ。オリンピックからワールドカップを経て女子サッカーが盛り上がるだろうという皮算用があったのなら、そのどちらも訪れない状況で見直す必要があるんじゃないかなあ。などと思うのだった。


【6月25日】 としまえんにある作られてから100年以上が経ったメリーゴーランド「カルーセルエルドラド」がとしまえんの閉園とともにどうなってしまうかといった不安から、練馬区の区議会議員さんたちが保存と運用をとしまえんに求めたとか。予定だと閉園後はハリー・ポッターのテーマパークになるとかで、そうした公園に相応しくないからといお蔵入りインしてしまいそうな気もしないでもないけれど、いっぽうで機械遺構というたいそうなものに認定もされているメリーゴーランドだけに蔑ろにはできない。

 というか日本でもし、破棄だのしたらアメリカがとてつもない勢いで起こりそう。何しろあのニューヨークはコニーアイランドにあったスティープルチェースパークっていう遊園地に置かれて、ニューヨークっ子たちの心のより所でもあったメリーゴーランド。それが日本へと持て行かれることになって残念がった人も多かった。後にコニーアイランドリゾートってところがスティープルチェースパークを運営することになって、存在していない2つもののの1つとして「カルーセルエルドラド」を挙げて日本に返還を求めたという。

 1985年にそんな要望がコニーアイランドリゾートの社長から外務省なんかを経て日本に持ちこまれたそうで、「復元できるように買い戻す機会持ちたい」「代わりのカルーセルを提供する用意もある」といった内容が書かれていたとか。受けてとしまえん側では「スティープルチェイスパーク復元計画を聞き、大変嬉しく思います」と言いつつ「当園にて復元の努力を重ね生まれ変わらせました」「豊島園のシンボルであり、唯一無二の宝物です」「残念ながらご要望にお応え出来ません」と断りの手紙を出したという。

 900万人が楽しんだアメリカ市民の宝を受け取り、日本で甦らせたから返せないとまで言っておいて、閉園したから取りつぶすとか動かさないとかいったらもうアメリカ人の心は傷つく。五重塔とか大仏なんかが輸出された挙げ句に向こうで廃棄されたら日本人だったら激怒だろう。それくらいの覚悟が必要な品物を、はたしてとしまえんではどう取り扱うか。残すなら残すでその輝きが発揮される状態を保つ必要がある。戻すなら戻すで相手をちゃんと選ぶ必要がある。いずれにしても大変そう。でもそういう配慮が日本の価値を高めるとも言える。どうするか注意深く見守ろう。

 明け方にちょっとだけ大きめの地震があったみたいだけれど、特段何かが落ちることもなかったんで寝ていたら朝になって深度5弱くらいあったと報じられていた。そんなに揺れたかなあ。あの東日本大震災の長後に繰り返された余震に比べてもたいしたことがない地震だから、あまり気にもならなかった。とはいえここのところ地震が多発している感じで、千葉とか東京あたりで結構揺れる。それだけエネルギーが逃げているとは言えるけど、それだけ続くくらいにエネルギーが溢れているとも言える。漏れ出している大元が耐えきれずに爆発するのか、漏れ出て解消されているのか。分からないだけにこれも注意していく必要があるのかも。暖めず調理せずに食べられるものを溜めておくか。ビスケットとか乾パンとか。

 まだ下読みをやっていたころのスニーカー大賞で見かけた記憶がある「子ひつじは迷わない」の玩具堂さんがMF文庫Jから「探偵くんと鋭い山田さん 俺を挟んで両隣の双子姉妹が勝手に推理してくる」なんて本を出していた。父親が探偵だからってことで学校で浮気調査だの美術部の絵がナイフで刺された事件だのを依頼され、困っていた少年どは同級の双子姉妹が片方はミステリ小説好きの知識を持ち出し、もう片方は直感を走らせ事件解決への糸口を与える。それと同時に性格が違う姉と妹の間にあるわだかかまりと情愛の確かさって奴も感じさせる。

 最高なのがあらすじと登場人物紹介からライトノベルミステリの犯人を当てるというもの。本格ミステリのルールに厳密な作者だという条件があって、ノックスの十戒だとかヴァン・ダインの二十則といったルールにも厳密だろうという推測からそれに当てはまらない人間を除外し条件に合致した人物を犯人として指摘し見事に当ててのける。まあ小説としてそういう条件で書いたとは分かるけど、登場人物たちの感覚でも妥当性を得られる推察からの正解探し。これを当てはめればあらゆるミステリで犯人を言い当てられるかというと、中国からの留学生すら出て来ない作品では条件が当てはまらず見つけられないんだろうなあ。学園ミステリの正統派。富士見ミステリー文庫がモデルのレーベルへの言及が何か懐かしい。


【6月24日】 「まるっ」とばかりに安房鴨川へ。「輪廻のラグランジェ」のカット袋をずっと保管してくれていたけれど、それが去年の台風15号で濡れてしまったため急遽、東京の寺田倉庫へと移して預かってもらっていたのが、おうやく鴨川に帰ることになって外房線を乗り継ぎ搬入の手伝いに行って来た。場所は特に秘すけれども風雨はしのげそうで、そこでしばらく安置してから整理なんかをしたいところ。カット番号順に並んでいる訳じゃなく、急ぎ台風19号の被害を避けるために運び出したところもあって中身がどうなっているか未確認。倉庫に預けていたから黴とかは出てないだろうけれど、移した先でも同じ環境は保てないからやはり整理しておくにこしたことはない。なかなか行ける場所じゃないけれど、機会があればまた行こう、おらが丼を食べに。

 「私に投票せよ」と版権無視のコスプレをして東京都知事選に立候補した候補者が出たことで、版権元のサンライズが「株式会社サンライズおよび製作委員会、作品関係者とは一切関係がありません」とコメントを発表。紛らわしいから直ちに撤去してくれと言いたいかもしれないけれど、そこは選挙戦のポスターといったどこか治外法権的なニュアンスを含む場所でのことだけに、仮処分的なことも難しいんだろう。あとで版権を勝手に使って損害を受けたと賠償を請求することも可能なのか。ちょっと気になる。

 だったらたとえば自分の顔を小池百合子都知事にして「入れ替わってる〜」とコピーを書いても有効かどうか。肖像権がどうこう言うならホリエモン新党が堀江貴文さんの顔写真をポスターにはりつけていたりしる訳で、それはホリエモンが差し止めないからだと言えるのかもしれないけれど、別に治外法権的な何かがあるならやってみたりする候補者も今後出てきたりするのかも。顔写真で間違えて投票する人はいないかもしれないけれど。

 本当だったら真面目なポスターと真面目な政策アピールで有権者の投票行動を左右してほしいというのが、まじめさの境界が崩れる中でせめてそこだけは守ってほしいという願望も含めて抱いている心境。とはいえ現実は選挙はハッキングされ人気と話題が結果を左右するようにずっと前からなっている。石原信夫官房副長官が立候補して鈴木俊一東京都知事の後を受け継ごうとしたけれど、青島幸男さんに持っていかれてからこっち、東京都知事は実務よりも知名度でもって都知事が決まっている。

 もちろん石原慎太郎都知事は東京国際アニメフェアを立ち上げてアニメ産業を盛り上げようとする意識は見せてくれたし、路上パフォーマンスを認めるヘブンアーティストの制度も作ってくれてと、いろいろとユニークな施策を打ち出してくれてはいた。トラックの排ガス規制も石原さんの時代かな。一方で新銀行とか作って大損を出したりもして大変だったりしたから、評価はしづらいけれどもその後の猪瀬直樹さん舛添要一さん小池百合子さんとそれぞれに施策は打ち出しつつ失敗も見せつつとゆらゆらしている。

 良いところだけがどうして伸びていかないのか。東京五輪とか築地市場の豊洲移転とかマイナス要素をどうして繰り出してしまうのか。そういうところも含めていろいろな力学が働いていて、その上にしか東京都知事という存在は成り立たないのだろう。今日も今日とて55人もの新型コロナいウイルス感染者が発生して、一時の感染者増大危機の再来がささやかれている。いっそ自粛の再要請とかすればと思わないでもないけれど、受けるネガティブなダメージを考えると今はそれを言う時期ではなく、それでいて何かやってる感を出して選挙戦に有利に働かせようとしている感じ。ほかの候補者には新型コロナウイルス感染症対策は絶対に出せないから。解決してしまっていては施策が出せず、かといって失敗してはダメージをこうむる中でバランスをとっているのかなあ。そういう意味ではタヌキな人だ。

 共同通信が経営悪化から人員削減に乗り出すという話。リストラではなく採用を手控え調整するってことだけれど、そんな共同に対してとある自称全国紙の記者がいろいろ言っているらしい。曰くは「『共同通信記者の給料は高すぎる』と憤る」。いやいや、その自称全国紙が安すぎるだけなのでは。「共同通信の社費は部数比例でやっているので、全国紙にはつらいシステムだ」。いやいや、北海道東北(宮城除く)甲信越東海北陸(静岡除く)中国四国九州(福岡除く)の総支局を締めてしまってメールアドレスしか掲示していないのに「全国紙」というのはどうかと。

 「さらに、高い金を払っている割に配信される原稿は『量も質も悪い』とあまり評判はよくない。それに職員の給料も高すぎると感じる」。そんな共同通信からの配信がなければ紙面を埋められない状況になっていたりするのだけれど。「たとえば地方では、全国紙の記者が、ニュースがなくても地方版の紙面を毎日埋めなくてはいけないのに対し、共同の記者は全国版に載るような記事だけを書けばいい。それにもかかわらず共同の支局員の人数は多く、給料も高い」。そうなってしまった責任は共同のせいというより自分ところのせいなんじゃ。怒りを外に向けるより、商品力の面でどうにもこうにもな状況を招いた理由を分析しないと、共同が枯れて記事が滞って紙面が開いて傾くのはどっちが先かってことだよね。やれやれ。


【6月23日】 ヒューリック杯棋聖戦、と書かないとスポンサー様に怒られてしまう将棋のタイトル戦に続いて藤井聡太七段がまたしてもタイトルへの挑戦を決めた模様。今度は王位戦で序列は竜王、名人、叡王に続いて第4位だから賞金額もなかなかのもの。史上最年少での挑戦はヒューリック杯棋聖戦になったけれど、そちらで奪取に失敗しても王位戦をとれば史上最年少でのタイトル獲得を屋敷伸之九段から更新できるとあって、今から開幕が待ち遠しい。

 ヒューリック杯棋聖戦は1日で差し切りの5番勝負だから結果は早く出そうだけれど、それは敗退してもいっしょのこと。王位戦は名人戦なんかと同じく2日制の7番勝負だけに、前夜祭から2日間の対局があってその間に昼食は何だとかおやつはどうしたとか封じ手はどうなったといったいろいろな話題を楽しめる。昔だったらそうした情報を「週刊将棋」でもって読めたけど、今はAbemaTVかニコニコ生放送あたりが追っかけてくれるのかな。もとよりネットとの親和性が高かったコンテンツだけれど、藤井七段の登場でもってさらに吸引力の高いコンテンツになった。

 こうなると自分のところもタイトルをって思う企業なんかも出そうだけれど、ドワンゴがどうにか加わって8大タイトルになっている今、新しいところの参入は日程的に無理だろうなあ。ってことは今ある棋戦をどこかが買い取るか。序列最下位とうことは賞金額が1番低いうえにヒューリック杯だなんてスポンサーをつけてようやく運営できている棋聖戦あたりが取引のネタになるかも。なにしろ主催者は産経新聞社。藤井七段がタイトルでも獲得すればそれで紙面を伸ばせるかっていうとそうでもないだけに、今が高値とどこかに譲るなんてこともあるのかな。でもどこが請け負う? 楽天かなあ、FCバルセロナにあれだけの大金をかけられる資金力で乗り出すとか。あるいはサイバーエージェントか。AbemaTVもあることだし。さてもどうなる。

 「羅小黒戦記」を今も上映してくれていて、ほかにもアニメーション関係の上映が多かったユジク阿佐ヶ谷が8月に閉館してしまうとか。完全かどうかは判然としないけれども再開の見込みは立っていないというから、あるいはそのまま引き上げなんてことになってしまうかもしれない。新型コロナウイルス感染症の影響で長引いた自粛でダメージを被った上に、再開後も席数が半分になって稼げなくなっては映画館としてはなかなか辛い。かといって配信で儲けるような仕組みは配給をはっているアップリンクと違って持っておらず、上映が回らなければいずれどこかで破綻してしまう。その前に……ってことなのかもしれない。

 近くにあるラピュタ阿佐ヶ谷の方はどうなんだろうかと気になるところではあるけれど、個人的に好みの映画が上映されて、そしてロビーの雰囲気なんかも良かったユジク阿佐ヶ谷にはいつまでも続いて欲しいから、考え直してくれるかもしれないと期待を込めて残る日数で可能な限り足を運んでみたいところ。とりあえず土曜日から始まる「白蛇:縁起」を見ておきたいかな、池袋での上映もあったけれど行けず見逃してしまったのだった。こちらは「羅小黒戦記」とは違って3DCGのアニメーションだけれど、その分今の中国の3DCGアニメがどこまで進んでいるかを伺える。あと評判も良さげだし。チケット頑張ってとろう。

 アヌシー国際アニメーション映画祭のクリスタル賞が決まったみたいで、「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」を作ったレミ・シャイエ監督の「カラミティ」という作品が頂点に輝いた。どういう話かまるで知らなかったけれど、聞くと西部開拓史上、初の女性ガンマンと知られるマーサ・ジェーン・キャナリーの子ども時代を描いた作品というからつまりは「カラミティ・ジェーン」の少女時代の映画ってことになる。カラミティ・ジェーンは男装の女性ガンマンで、カスター将軍だとかワイルド・ビル・ヒコックといった西部劇的な有名人とも関わりがあり、前に行ったことがあるサウスダコタ州のブラックヒルズで暮らしていたとか興味深い生涯を送っている。

 ただ、映画はまだ西部には至っていない子供時代がメインとなるから、ガンマンとしてのそうした活躍は見られそうもない。子供ながらに家族を護るため銃を持って戦う少女ってことになるのかな。そうした設定の中でたとえばネイティブアメリカンを相手にどんな立ち振る舞いを見せるかってあたりは、昨今のアメリカを中心とした人種差別との戦いの中で注目を集めそう。カラミティ・ジェーン自身は馬車を襲うネイティブアメリカンを撃退していたらしいけど。あとカラミティ・ジェーンを取りあげた映画というとドリス・デイが主演した「カラミティ・ジェーン」があったり、「十戒」のセシル・B・デミルによる「平原児」があったりするらしい。機会があったら予習のために見ておこう。


【6月22日】 スーパーでおやつカンパニーの「ベビースター ドデカイラーメン」のシリーズにエヴァンゲリオンバージョンが登場。パッケージに「映画公開記念商品」とあってちょうどこの時期に公開するはずだった「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に合わせたもだってことが伺える。映画は新型コロナウイルス感染症の影響で公開が延期となって日取りも現時点では決まっていない。一方でエヴァのコラボがあちらこちらで始まっていて、タケオキクチのカジュアルラインでTシャツやらサコッシュやらレザージャケットが出たり、ユニクロやGUでTシャツやオープンシャツなんかが出たりしている。

 ちょっと前は「ドラえもん のび太の新恐竜」に合わせて文明堂がどら焼きを作っていたりして、けれども映画の公開は夏になってただのキャラクター商品になってしまった。エヴァもTシャツとかファッション関係なら格好いいコラボ商品として普通に売られて構わないけれど、「映画公開記念」と銘打たれたお菓子となるとさすがにちょっとタイミングを逸してる感じ。かといって文言を削ったり発売を先延ばしにしたりできないのは契約でもあるからか、それとも生産の都合もあって今しか作れないからなのか。次のコラボも決まっていたらいつまでもエヴァに関わっていられないだろうし。新型コロナウイルス感染症はそういうところにも影響が出ています。

 2011年に日本代表のなでしこジャパンが優勝したFIFAサッカー女子ワールドカップが2023年も開かれることになっていて、その開催地として日本が立候補していたけれどもこれを取り下げたとの報。理由はオーストラリアとニュージーランドの共催とか、コロンビアとかに比べて日本が劣勢にあるかららしい。2021年に東京オリンピックを開いて2022年に男子のワールドカップをこなした後、日程的に厳しいといったことも、もしかしたあるのかもしれないけれど、一方では開催予定の7月から8月にかけての気候が日本はとてつもなく最悪だからってこともあるらしい。

 なにしろIOC国際オリンピック委員会が人知を超える暑さだということで、マラソン競技の開催を札幌に持っていってしまうくらいの日本の夏。だったらオリンピックそのものがヤバイだろうって話は脇においても、サッカーをやれる環境ではないって判断も働く中、日本に開催地が決まることはないと踏んでここで降りて、オーストラリアとニュージーランドの共催に回って今後の道を付けるというのも手としてはありか。まあ日本の女子サッカーが今ほど恵まれていなかった2002年とか2003年は、8月の午後1時からとかでも平気で試合をしていたから、やれない訳ではないかもしれないけれど当時と比べて平均気温も上がってそうだし、観客に病人が出ても困るから、この時期のスポーツ大会はおしなべて辞退って方向になるんだろう。夏の甲子園? あれはきっと認識の埒外。スポーツではなく野球道という世界なので。

 アーカイブ関係のお仕事をしていたりするので、GD−ROMというセガの家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」向けにリリースされていたタイトルに使われていた光ディスクが、腐食か何かでまるで読めなくなっていたという話に慄然とする。表面のポリカーボネートに挟まれている記録部分がぶわぶわになっているというか、謎の文様が浮かんで読み取れなくなっている。かといって表面じゃないから吹いてもぬぐえない。どうすりゃいい、ってことで意見もいろいろあって、隅を削ればポリカーボネートが剥がれるからあとは水洗いしてブロウしてまた貼り直せば大丈夫とかあったけど、やるのもなかなか手間取りそう。

 これは光ディスク関係全般に言えそうなことで、こうなる前にコピーをしておく必要がありそうだけれど、かといってGD−ROMのような特殊なフォーマットだと、コピーするのにもいろりと道具がいりそうで、それが現在手に入るかといったところで問題が起こる。手伝っているところでも「ドリームキャスト」向けのゲームタイトルが割とあたりするから、パッケージのまま保存する一方で中身もコピーできれば万々歳ではあるものの、それができる環境にないならディスクが劣化しない状況を、長く維持することでしか守れないのかもしれない。いやハードの保存も必要なんだけれど。どうなるデジタルアーカイブ。


【6月21日】 T・ジョイPRINCE品川で「PSYCHO−PASS サイコパス3 FIRST ORDERを見た時に、劇場版「鬼滅の刃」無限列車編の予告編が流れてたけどこの原作って単行本だと1巻限りで、最強ともいえる鬼舞辻無惨を相手のバトルがあるでもなければ上弦の鬼とのバトルもなくって、相手と直接渡り合うというよりはそれぞれの剣士たちの内面をえぐる話なんで、展開として地味にならざるを得なかったりする。なので劇場向きかっていうとちょっと違ってる。

 それでも映画にするならあるいは、下限の壱 魘夢との対決が片付いた後で参戦していた炎柱こと煉獄杏寿郎と上弦の参 猗窩座のところまで進めるのかもしれない。そこでのバトルは相手も強いから迫力もたっぷり。とはいえ時間的に長引かず割とあっさり片付いてしまうからこれまたクライマックスを作りにくい。そもそもどうしてそこを映画にしたのかってところが分からなくなって来た。逆にいうなら割と短いエピソードだからテレビシリーズとして次の楼閣でのエピソードを描くつなぎとして、ショートエピソード的に劇場版を作ったと思った方がいいのかも。OADでやるよりそっちの方が稼げるし。果たしてどうなるか。公開日も決まったみたいだし始まった行って見よう、「禰豆子の竹パン」を囓りながら。

 何か引っかかるものがあったのでNetflixで「進撃の巨人」の第3期から見始めてそのままパート1とパート2を明け方までかけて一気に見て、そういう話になっていたのかと理解する。始まった当初はマンガ大賞にもノミネートをされたし話題にもなっていたから原作は読んでいたけれど、ただ閉じこもって巨大な敵を相手に戦うだけの漫画かと認識していたら、第3期あたりであの世界がとてつもなく広くて深いことが分かってきて、巨人対人間という単純な図式に留まらないテーマ性、あるいはSF性ともいえる中身を持った漫画であり、アニメーションだと思うに至った、今さらながら。

 世界に突如現れた巨人に追い詰められた人類が、生存権を狭めながら最終的に3重の壁を築いて閉じこもったけれども、敵も攻め手をゆるめず瀬戸際においつめられたところから反撃が始まったストーリーは、巨人たちを駆逐して終わるかというとそうではなくって閉じ込められていたはずの人類はすべての人類ではなく、閉じこもっていたことにも理由があれば巨人たちにも誕生の秘密があったらしい。

 なおかつ巨人は人間を喰らうけれども手出しをしなければ敵ではなく、3重に囲われた塀の中だけでもとりあえず人類、というかその民族はそれなりに生存できていた。けれども、そうした引きこもりを許さない集団が現れ過去にない方法で攻撃を加えてきたからこそ起こった最初の悲劇。そして崩壊へと追い詰められていく民族が窮鼠猫を噛むとばかりに反撃に出たことで巨人をめぐる真実が明らかになり、そしてタイトルどおり「進撃の巨人」の活躍が見えて来る、と。

 巨人というとどうしても、皮膚がないあの「超巨大巨人」がメインのように思われてしまうけれど、どうやらサブキャラでしかなかった感じ。そういう仕掛けを最初から考え、描き続けて来たのだとしたら諫山創さんはやっぱり凄い漫画家だったのかもしれない。これでとりあえずアニメは追いついたので、続くマーレ編以降の展開はアニメ版を見ていけば理解できそうだけれど、テレビがない上に制作もこれまでのWIT STUDIOからMAPPAに変わって監督も総監督時代を含めずっと手がけて来た荒木哲郎さんが「ドロヘドロ」の林祐一郎さんに交代してしまう。

 キャラクターデザインも浅野恭司さんから「ドロヘドロ」で林祐一郎さんと組んでいた岸友洋んへと変わってしまって、これでキャラクターの雰囲気だとかが変わってしまうと果たして受け入れられるのか。そこが気になる。音楽だけは澤野弘之さんが参加しているから、それぞれのシーンで響く音楽に差はなさそうだけれど新しい音楽は別の人が作る可能性も。今さら見てもすり込まれるあの空気感を、ファンとして追ってきた人にはキャラが変わったら響きそう。寄せてくるのか変えてくるのか。そして結果はどうなるか。「PSYCHO−PASS」がスタジオは変わってもスタッフは引き継いでそして今に至っているのとは違う続編の作り方。とりあえずお披露目を待ちたい。

 ライトノベルで発売が1年近く伸ばされた上にイラストが、表紙と口絵はあっても過去にはあった中のページの挿絵がなくなってしまって作者がぷんぷんしている話が広まりつつアル模様。時間は十分にあったから発注を断られたということはなく、イラストレーターもそうした話ではなさそうなことを示唆しているとなると、発注した側で何かポカでもあったのかもしれない。あるいは配慮か。イラストが中にあるかどうかはあまり気にしないので、表紙絵と口絵があれば個人的には十分だけれど、挿絵も含めてもらえるお金が増えるはずが少なくなってしまったというならイラストレーターが可哀想だし、それで売れなかったら作者もがっかり。いったい何があったのか。過去にもいろいろあったレーベルだけに真相が気になるなあ。世には出ないだろうけれど。


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