縮刷版2020年6月中旬号


【6月20日】 Zoomでの会議があって三鷹行きを休んだ金曜日、夜にT・ジョイPRINCE品川で「PSYCHO−PASS サイコパス3 FIRST INSPECTOR」が上映されているのを見つけてもう1度くらい見ておこうかと電車を乗り継ぎ出かける。途中、高輪ゲートウェイ駅ってのを始めて通過したけど降りなかった。そこまでの好奇心は今はちょっと出せない感じ。として到着した劇場は金曜日の夕方ではあっても観客はまばら。新型コロナウイルス感染症の影響か、それとも日比谷とか池袋に大きな劇場も出来て品川まで降りてこなくなったのか。動勢が気になるところ。ちなみに「PSYCHO−PASS サイコパス3 FIRST INSPECTOR」を見ていたのは自分を含めて5人くらいだったかな。

 作品自体は、上映が始まった日にTOHOシネマズ上野で確か見たけれど、直後に東京都による外出自粛が始まって映画館も閉まって観られなくなっていたのだった。すぐにAmazonPrimeVideoでも見られるようになったんで、そっちで繰り返し見たけれどエンディングのその後につく映像がなぜかAmazonPrimeVideoではついていなかった。理由は不明。ただ“続編”を感じさせる部分だっただけに、改めて確認しておきたかった。2年前の事件の真相、それは……。執行官として復帰した常守朱がどんな活躍を見せるかも含めて期待しない訳にはいかないなあ。霜月美佳の顔芸もスクリーンいっぱいに見られてよかった。本田真人さんの原画かな。ストーリーは完全に頭に入っているけれど、人の配置とか出し入れとか計算されていてやっぱり面白かった。あとは見られるうちにAmazonPrimeVideoで確認しておこう。

 自民党の広報部とやらが憲法改正を道につけたいといった意図から漫画によるPRを始めたけれどもこれがポン酢で方々から批判を浴びている。「もやウィン」などという得体の知れないキャラクターを出して語らせるには、ダーウィンは「唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である」と言ってそれを引き合いにして憲法を変化させなくては生き残ってはいけないよってことだけれど、指摘によればダーウィンはそんなことは言っていないとか。調べによれば1960年代の経営学者がダーウィンを改変するような形で言った言葉だそうで、それが孫引きされるような形で広まってしまった。

 以前に小泉純一郎首相も引き合いに出したことがあるらしく、知られてはいるんだけれどだからといって歴史の上で間違ったことを公党で政権を担う政党が、自分たちのやりたいことのために引っ張って来て良いはずがない。目的のためには事実さえねじ曲げる政党だって思われてしまうというか、すでにそうした傾向が見えていたりするというか。だからこそ慎重を期さなくてはならないこうしたPRで、間違いを平気でやらかしてしまうところに奢りというか、知性に対する舐めた態度といったものが浮かんでくる。

 国会がないだけにどういう場で指摘を浴びせればいいのか分からないけれど、訂正するかどうか。良いことを言っているんだから気にしないと開き直るのか。支持者にはそうした声もあるようで。ってかこの「もやウィン」、続く第2話でも憲法について聖徳太子の十七条憲法という、憲法と名はついているけれど今の憲法とは違う概念のものを持ち出したり、律令とか御法度なんかを並べて国による規範は作られてきたと振り返りつつ、今の日本国憲法について「リーダーも国民もみんなが憲法に従う義務があるんじゃ」と言わせてしまった。

 おいおい。今の憲法がマグナ・カルタの流れを汲んで国家を縛るものだということは周知の事例。日本弁護士連合会でも「憲法って、何だろう?」というサイトで「「憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)です」と書いている。国民が権力を監視し縛りつつ、権力は国民に対して国が崩壊しないよう法律を定めて守らせる、という流れ。それが法学者や法律家の認識なのに、敢えて国民を縛るものとして出してくるからなかなか厄介。指摘があることは百も承知で知らない振りして憲法を改正して国民を何かに駆り立てようとしていると勘ぐられたって仕方が無い。これも指摘されれば改めるかどうか。指摘するところすらないかもしれないなあ。

 いつも日本勢の活躍が華々しかったけれども去年はそうでもなく、今回は「ルパン三世 THE FIRST」とか「僕らの7日間戦争」なんかがコンペ部門に選出はされているけれど、結果は果たしてどうなるか気になるアヌシー国際アニメーション映画祭で、岩井澤健治監督の「音楽」がその名も「音楽賞」を受賞したらしい。オンラインでの開催で短期間のうちに上映がありコンペティションがあるといった感じではなく、クリスタル賞が発表されたかどうか確認はとれていないけれど、カナダで開かれた第43回オタワ国際アニメーション映画祭の長編コンペティション部門でグランプリを獲得した作品だけに、世界的な評価の高さが改めて裏付けられたといったところ。自主制作だからヘタかた思ったら上手すぎる線でもって描き抜かれ、そこにベストな音楽がマッチしてラストで大爆発する映画。一直線のパッションが海外勢にも受けているってことなんだろう。内省ではなく外に向かって開いていく作品は万国共通で受け止められるのかもしれない。凱旋上映とかあるかなあ。


【6月19日】 セルルックではないのか、というのが宮崎吾朗監督の新作アニメーション「アーヤと魔女」についての印象で、どちらかといえばピクサーライク、ディズニーライクなないかにも3DCGのアニメーションといった感じ。海外だったらむしろこれが普通かな。セルルックがやっぱり人気の日本だと、これを白組だとかポリゴン・ピクチュエアズで手がけるというなら分からないでもないけれど、2Dアニメーションの権化のようなスタジオジブリが世に問おうとしているところに、何か変わろうとしているスタジオの空気というか意気込みみたいなのを感じる。

 前に「毛虫のボロ」で宮崎駿監督がCGを使った時も、ここまで3DCG的なルックじゃなかったような記憶。どちらかとえば2Dの雰囲気を出そうとして出せずに奮闘していた。塗り方も見せ方も動かし方も2Dとは違うっているし、それに準拠したセルルックとは違ってくるディズニーライクでピクサーライクな3DCGアニメーションで、ジブリらしさというのはあるのかそれともあるのは宮崎吾朗監督らしさか。何を作ってもジブリ的だった作風がここから変わってくるのかな、それはジブリ大復活の狼煙となるのかな。そういう意味でも興味のある作品。放送を待ちたい。その前にテレビ見られる環境作らなきゃ。ずっと壊れたまんまなのだ。

 FNN・産経新聞による世論調査で本当は聞いていないのに聞いたようなふりをして記入して提出し、それが結果に反映されて報道されていたという件。調べたら17%くらい架空の回答があったとかで、公表された数字への信頼がガタガタと音を立てて崩れてしまった。説明だと電話によるアンケートを依頼した会社が、さらに依頼した会社で担当者が電話をする人を確保できず、自分で書き入れていたということだけれど、都合14回もそうした状態が続くなんて奇妙な話でもあるし、調査を依頼する先を変えたとたんに起こったような感じもあって、いろいろとあぶない想像も浮かんでしまう。

 どういう理由で変えたのかってこともあるし、変えた先が”節約”したコールセンターの人件費がどうなっているかってところも気になる部分。1回は大変だったからで通っても、重なるとそうした部分で何か美味しい目にあった人もいたりするのかなって勘ぐりが起こりそう。それは委託先から再委託先での話たのか、委託元にも関わってくる話なのか。そもそもどうしてこの一件が露見したのか。そうしたところを調べてくるメディアもありそう。

 というか信頼性を損なった以上はそこを徹底して調べた上で、再発が起こらないようにするのが発表元に必要なことだけれど、どこまで検証できるのか。ちょっと前に起こった検事長との賭け麻雀の一件も含めて、吹き出してきている緩みが深刻なダメージをもたらす前に、立て直さないといけないんだけれどそれができるなら、どんどんとライティな方向へと突っ走った挙げ句に憎しみを煽るような傾向の言葉を並べ立て、唖然とした人たちが去って行った挙げ句に数字をおとし、瀬戸際に追い詰められていきはしないか。おかげで……ってまあそれはこっちも無才だったからしゃあなしだけれど。

 いずれにしても、メディアの信頼性にとっても経営面にとっても大変な話ではあるものの、結果として出されたFNN・産経新聞世論調査の数字が、何か突出して安倍内閣への支持率が高かったということもないのがあるいは救いなのか。世論をこれでねじ曲げてやろうという考えはなかったと言えば言えそうだし。その意味で架空入力分を良い感じにバラけさせた担当者はなかなかは肌感覚を持っていたってことなのかも。それとも政権への支持率以外のところで何か特別な数字が表れたりするんだろうか。世論調査の研究をしていたところが分析してくれたら面白いけれど。

 お酒は飲んでもビールを缶で1、2本とか居酒屋だったらジョッキで数杯、あるいは家ではウイスキーをショットグラスで1杯あおるくらいなので、ストロング系缶チューハイについては1度くらいしか手を出したことがないのだけれど、そんなに酔いが早くてなおかつ体によろしくない酔い方をするものなのだろうか。9度くらいだったらワインよりも日本酒よりもアルコール度数は低いわけで、そんなワインをがぶがぶとグラスで2、3杯飲めばストロング系缶チューハイくらいのアルコールは接取していそう。

 なのにワインよりもやり玉にあがるというのは何かアルコールに違いがあるのだろうか。天然なのと人工なのとの違いとか。っても日本酒だって醸造用アルコールを足したり戻したりしてたりする訳だし、飲みやすさが幸いというか災いしてワインよりも日本酒よりも一気呵成に飲みすぎるのが良くないのかな。いろいろとよろしくない状況が取り沙汰されたことで、オリオンビールがストロング系缶チューハイから撤退とか。沖縄が主戦場のオリオンだからできる話だし、泡盛だとか地元のお酒もあるから可能なのかな。今や主力になっているほかの酒造メーカーで撤退はありえないだろうから、度数の引き下げなんかが起こってくるのかもしれない。それじゃあストロングにならないけど。どうすんだろう。


【6月18日】 「GREAT PRITENDER」はそうか、CASE 3が新たに配信され始めたみたいなんだけれどもそれより前に流れていたらしいCASE 2のシンガポール編をまだ見ていなかったのでそっちを5話続けて見ながら夜中まで。実刑をくらって刑務所にはいって整備を覚えて出所して、堅気になろうと紹介された整備工場で腕を見込まれ飛行機のエンジンの整備まで教わってなかなか筋がいいからと、送り込まれた先でかつての詐欺仲間たちに再開とはまたエダマメ氏、つくづく見込まれていたんだなあ、彼らに。でなきゃほおっておかれたところを、看守あたりも抱き込み息のかかった就職先へと送り込みはしないから。

 でもって今度はエアレースの主催者をひっかけるという話だけれど、一方ではプロレスのようにシナリオがきまったエアレースの中で常に勝ち続ける主催者の弟とライバルともいえる元軍人の男とのつばぜり合いがあったり、アビーという仲間の女子がどういった過去を持っていたかが明かされていたりしてキャラクターに深みのようなものが出て来た。ただアビーがバグダッドで空爆を受けて家族も家も失ったとして、どこに所属して何と戦っていたんだろう。IS? って感じでもなかったし。ってかアラブの元金持ちがエアレースをやってるんってんで、そっちに何か恨みを抱いているのかと思っていた。そのあたり、かみ合ってないんで時間があったら見返してみよう。

 仕掛けについては冒頭に繰り広げられたものとほぼ同じ。もうずいぶんと前に見たから覚えてないけど映画「スティング」ってあんな感じだったっけ。それと同じでは途中で気づくかどうにかなるところをじらして焦らせて戻らせて驚かせてひっくりかえすところは工夫かなあ。あまり大仕掛けって感じではなかったけれど、アビーの過去の清算とエダマメの再出発という意味合いではまとまったエピソードなのかも。次はCASE 3を見ようかそれとも「泣きたい私は猫をかぶる」を見ようか。

 遊技機メーカーの資本を入れたさきがけのような印象があって、それでハイエンドの作品を生み出しつつ遊技機メーカーにもメリットを与えて来たように思っていたアニメーション制作会社のサテライトが、SANKYOとの資本提携をこの6月で解消していたという話が流れてきて、何があったんだろうか、そして何が起こるんだろうかといろいろ気になる昨今。河森正治さんも一時は専務取締役だったのが特別顧問になっていたりして、いろいろと経営体制や制作体制に変化が起こっているのかもしれない。

 取材では去年くらいに「劇場版 誰ガ為のアルケミスト」の話を聞きにいったりして、ちょど今頃映画の公開もあったような記憶があるし、東京ドームシティで「河森正治EXPO」なんかも開かれて盛り上がっていた印象。「マクロスΔ」の映画も確か控えてたんじゃなかったっけ。そんなマクロス映画の4D化なんかも行っていろいろとアピールしていたから、元気はあるように見えたけれどその後に新作があまり聞こえてこないのが寂しいところ。

 エブリスタと文化放送が展開していた「ProjectANIMA」から「削岩ラビリンスマーカー」を原作にした「Sacks&Guns!!」てのが作られることにはなっているけれど、新型コロナウイルス感染症の一件であらゆるスケジュール、あらゆる気分がガラリと変わっているからどうなっているか分からない。エブリスタはDeNAだけにそっちの経営もいろいろあるしなあ。なので提携系解消も即座に明るい話にはつながりづらいけれど、そこはわざわざ会社概要に書くくらいだから、前向きの動きなんだと思いたい。

 インドと中国の国境付近で小競り合いが起こって20人くらいが亡くなったとの報。「インド、中国両国の軍は世界で最先端の近代的な兵器も保有しているが、最近発生しこの50年あまりで最も多くの死者を出した両国間の戦いは握り拳、有刺鉄線を巻き付けた石、くぎを打ち込んだこん棒で行われた」というところが前近代的だけれども、それは「厳しい環境の係争地域にいるそれぞれの軍の部隊は火器を使用しないという合意がある」からであって、重火器を使えば紛争が大きくなるから現場でとりあえず解消しようとするならステゴロになってしまうのだろう。だったら争う前にお互いに引こうってことになるんだけれど、そういう合意が以前はあったものの今は保たれなくなっているらしい。

 そりゃあフィクションだったらインドからだったらカラリパヤットじゃないけどインド武術の猛者が出ていき中国からは中国武術の使い手が出てインダス文明と黄河文明の2つの文明から長く培われた武術によって決着が図られたら見ものだろうけど、国境の定まらない紛争地域で一触即発の状態を長く続けているリアルな世界で、腕っぷしだけでケリをつけようなんてことにはならず、かといって武器は使えないなら釘バットでも鉄条網投石でも何でも使ってぶち当たるしかないのだろう。凄惨な。


【6月17日】 読売新聞社が全国美術館連絡協議会を巻き込んで立ち上げようとして非難囂々の「美術館女子」に関するニュースが毎日新聞に掲載。美術関係者の言葉を借りて「『無知の観客として女性を描いている。ジェンダーの不平等が言われているのに、配慮不足だ」といった指摘を行っている。個人的にもたぶんあまり美術を見ないという認識から、女子が美術をたしなむ意外感で引き寄せようとした感じが漂う企画にあまり感心はしないから、こうした指摘には納得。一方で、記者が書く「美術館の企画にもかかわらず、主役はアイドルで、作品や美術館は背景に過ぎない」といった指摘は、あまり賛成はしたくない。

 美術館に置かれていて、それがインスタでも自撮りでもそれを美術館側が許容しているなら、女子でも男子でもそうやって作品を拡散して美術に興味を向かう人を増やしていけば良いと思う。ドラえもんをテーマにした美術展をキュレーションした村上隆さんが六本木ヒルズで行った展覧会は、全作品が確か撮影してアップしてOKだった。評判になることで観客が増えてアートが認められて世に広がる。それで良いんじゃないのかなあ。もちろん厳粛な場所で騒いだり、撮影禁止な作品をバシャバシャ撮るのはマナー違反だから厳禁。そういった議論の切り分けをせず、同じ一件として扱うメディアにはあまり乗りたくないのだった。アイドルと一緒に回ってアイドルといっしょにアートも入れて写真を撮れる企画とかないものか。

 単行本では1100円なのがKindleの電子書籍では660円だったので即座に購入して読んでみた松苗あけみさん「松苗あけみの少女まんが道」(ぶんか社)がもう面白すぎる。「純情クレイジーフルーツ」とか「山田くんと佐藤さん」といった作品あたりから読んでいた松苗あけみさんがデビューするまでにどんな経歴をたどってきたかを、学生時代とかその後のアシスタント時代にさかのぼってしっかりと描いてあって、こうやて漫画家になったのかがようやくわかった。というか「リリカ」というサンリオが出していた逆開きの漫画誌がデビューだったのか。知っていたようで気づいていなかったかもしれないことを思い出させてくれた。

 高校時代に漫画研究会で同人誌とか作っていたようで、そして内田善美さんと知り合ったり、一条ゆかりさんのアシスタントになったりしていった経緯はやはり新鮮。というか「星の時計のliddle」以降、表舞台から姿を消してしまってもうずっと消息が分からない内田さんについて、その過去とはいえこれほど大量な情報に触れられてファンとしてやっぱりとても嬉しい。繊細な絵柄とそしてその後の消極的すぎる消息から、細そうな感じを抱いていたけれども割と普通に漫画を描くお姉さんだったとは。それだけに今の消息がとても気になって仕方がない。

 なかなかデビューできなくて、そしてデビューしても初版がせいいっぱいだった松苗さんが「純情クレイジーフルーツ」で大ブレイクするまでに、どういったキャラクターとかお話を考えたのかといったあたりはマンガ描きには勉強になりそう。というか「純クレ」って6話でいったん終わっていたのを再開させたんだったなあ。思い出した。とはいえ実は「純クレ」以後の松苗あけみさんってあまり印象になくって、「HUSH!」とか「ロマンスの王国」あたりまでは読んでいたけどその後はちょっと手に取らなくなっていた。

 読み続けていたのはだから「松苗あけみの少女まんが道」に出てくる吉野朔実さんの方で、「本の雑誌」で連載していた本に関するエッセイも含めてずっと追いかけていたっけか。その吉野さんも今はなく、内田さんも新作どころか旧作の出し直しすら行われていない状況にあって、現役感があるのは松苗あけみさんくらいか、あとは水樹和佳子さんとか。「ぶーけ」から出て来た漫画家は誰もがどこか癖はあるけどその分引っかかったら強い印象を残してくれた。そういう時代を経て雑誌自体が衰退しつつある中で、色を持った人たちが送り出されてそれを嗜む環境は作れるのかなあ、「少年ジャンプ+」みたいに色が出てくるサイトとかあれば良いんだけれど。編集力(へんしゅう・ちから)次第か。ともあれ松苗さんにはこれからも頑張ってほしいとエール。何か読もうかな。

 マーベルが発表していた「ウルトラマン」のコミック化について発表があったみたいで、アレックス・ロスが描く「THE RISE OF ULTRAMAN」というコミックの表紙がネットなんかにあがっていた。見上げるように巨大なウルトラマンが前屈みで見下ろしてくる構図にウルトラマンの巨大ヒーローぶりが表れていて格好良かったし、何より初代ウルトラマンの雰囲気をしっかり保っていたのが嬉しかったけれど、その構図をちょっと調べたらずっと以前、岡部淳也さんがウルトラマンのDVD−BOXの企画に関わった時に、ジャケットとしてアレックス・ロスに入らして彼がスケッチした絵の中に同じ構図のものが混じってた。

 これをリファインしたのか、いったん絵になっていたものか。気にはなるけどそうした所でも、後に円谷プロに入って「ウルトラマンゼロ」を立ち上げライバルのベリアルも送り出し、今にウルトラマンのシリーズをつなげた岡部さんの手が及んでいたのかと思うと、ファンは決して足を向けて寝ちゃいけない気がする。でも世間にはあまり知られていないんだよなあ、そうした功績は。むしろ「ウルトラマン」を新しく映画にして「シン・ウルトラマン」として送り出す庵野秀明総監督の方が、認知度も高いだけに救世主的な扱いを受けるのかも。それはそれで素晴らしいことだけど、知っている唐には忘れず記憶しておこう。次はハリウッドで実写映画化かなあ。


【6月16日】 日本記者クラブでの公開討論会を小池百合子東京都知事が拒否したという話は、それを書いて出て来いやーと主張した新聞に対して、拒否ではなくってむこうから開催を取りやめるって話があっただけだといった否定のコメントが小池都知事の方から出ていて、書いた新聞がポン酢なのかそれとも実は拒否したから開催が中止になったという前後関係をズラしているのか、判然としないまでも求められたらやるとは言っているのであとは求めるかどうかって所。とはいえ“三密教都”な都知事だけに会見場にはまばらにいれるか、リモートでの開催を求めるような気もする。それを受けるかどうか。記者クラブ側の沽券と実益が右往左往しそう。

 新型コロナウイルス感染症の影響でずっと閉まっていた吉祥寺の映画館、アップリンク吉祥寺が再開となっていろいろと映画も見に行けそうな感じがあったけれど、そのアップリンクで浅井隆代表に対してパワハラ問題が持ち上がって提訴されたという話。怒鳴るは叱るは落としたものを拾わせるは猫カフェにつれていくわ……って最後のがパワハラになるのか分からないけど、その間に何かしようとしたなら別のハラスメントも関わって来そう。とはいえ訴えた段階で裁判はこれからで、本当かどうかはそこの判断がまずは待たれる。

 印象としてたたき上げの映画人的な人だと撮影の現場でもミニシアター的な興行の現場でも、日本映画の現場にはそうした体質がなんか漂っていそうな感じ。徒弟制度的というんだろうか、上の絶対に下も従う空気の中、ともに大好きな映画のために頑張るんだといった気質があってその中でパワハラ的な態度も流されてしまうという。撮影の現場については深田晃司監督が絶対的に反対の立場を訴えツイートもしていたりしたけれど、ミニシアター的な興行の現場だとまだまだ色濃さは残っているのかもしれない。

 アップリンク吉祥寺こそ綺麗なシアターだけれど渋谷は小さくて映画館というよりイベントスペースと言った感じ。そこで濃密な関係性の中で行き過ぎも起こるというか。でも今は京都にもできて事業規模は広がっていて、従業員も100人を超えるとかいった話を前にしていた。なおかつ新型コロナウイルス感染症の問題で興行が打てなくなった時に、浅井さんが先頭に立つような形で全国のミニシアターを応援するようなプロジェクトを打ち出し、クラウドファンディングなんかも行われて救世主的な扱いも受けていた。その映画館で旧態依然としたパワハラが繰り広げられているというのも矛盾だけど、映画界を引っ張るワンマンなリーダーだからこそとも言えそう。優しさだけでは生きていけないというか。でも時代も変わる中でやっぱり問題なら改めて行くしかないんだろう。行って楽しい映画館は働いても楽しい映画館であっていて。

 読んでないけど現代語訳の古典として出た古川日出男さんの『平家物語 犬王の巻』が原作になっているらしい湯浅政明監督の新作アニメーション映画『犬王』。平安時代に活躍した能楽師に関する話らしいけれど、提供されていた絵柄とか時代性とかストーリーから楽しく明るいエンターテインメントといった雰囲気にはほどとおく、どこか実験アニメーション的な空気すら漂いそう。海外では大受けするかもしれないけれど、日本の映画ファンが観に行くのは敷居が高いのか、それとも見れば意外と子供でも楽しめる映画になるのか。

 「夜は短し歩けよ乙女」から「夜明け告げるルーのうた」と映画が立て続けにあって、「DEVILMAN crybaby」とか「映像研には手を出すな」とかもあって活躍しまくっている湯浅監督だけれど、興行についてはやっぱりどこか今ひとつ。去年の「きみと、波にのれたら」はとっても素晴らしいカップル向け映画だったのに、やっぱり「天気の子」ほど爆発しなかったものなあ。湯浅監督がポスト宮崎駿監督の列に新海誠監督や細田守監督のように並ぶ時は来るのか。それは「犬王」ではなさそうだなあ。そういえば片渕須直監督の新作も平安時代が舞台だったっけ。ブームなのか平安。陰陽師ものはいっぱいあるだけに、違う切り口で何か作ってくると受けるかも。平将門とか。

 湯浅政明監督といえば「電影少女 −VIDEO GIRL AI−」のアニメの第2作に原画として参加していることに気がついた。どんな風に誰を絵が出でどう動かしていたのか興味があるけれど、見られる機会もなさそうなんでいつかチャンスがあればと記憶に止めておこう。この時代のプロダクション・アイジーは「ブルーシード」なんかもやっていて、黄瀬和哉さんがテレビシリーズの第1話と第2話の作画監督なんかもやっているらしく、見ればそんな絵柄だと分かりそうだけれどこれも見る機会に乏しいまま来てしまった。1990年代前半はアニメから割と遠ざかっていて「美少女戦士セーラームーン」くらいしか見ていなかったのだった。Netflixでもこうした時代はなかなか入らない。HD化とかの機会があって「未来少年コナン」のように再発見されてこないものか。そうしたらいろいろと資料とか需要もありそうなのに。


【6月15日】 原作では早いところで登場する音効のベテラン2人と生でラジオドラマを放送するエピソードがようやく「波よ聞いてくれ」のアニメの方でも放送されたみたいで、見ると手にいろいろな道具をもって雨の音とか雷の音、地面を掘る音なんかを出している。アニメではそれがはたして作中で語られたようにJASRACの音源CDを使ったものなのか、それとも本当にアナログの音効をかきあつめて録音をしたのか分からないけれど、凝るスタッフのことだからきっと現場に道具を集めて録音してくれたと思いたい。AnimeJapan2020が開催されていれば、ブースでそうしたアナログ音効を試せるようにしたってプロデューサーの人もツイートしてたし。

 作品としては面白くって杉本里穂さんによるミナレの喋りも堂にいってとても新人とは思えない雰囲気で、ここから大きく羽ばたいていってくれるかもしれないけれど、こうした声質が向く役が果たしてあるかどうか。どうしてもアニメって可愛い女の子たちが登場してきゃぴきゃぴと喋るものが多くなりがちだし。いやでもNetflixなんかが出て来て自分が見たいアニメを見るような空気が流れていると、声が誰とか気にせずその役にあっているかどうかで判断しそう。声優が誰だから見るとかなんて意識はそこにはない。だからあとは杉本さんがハマる役が登場するアニメが作られることかなあ。気丈で頑張ってる女性が主役なら何でもハマりそう。しばらくはミナレの印象が強すぎるかもしれないけれど。

 週明けには完了という、まさにそのタイミングで国からマスクが届く。ふつうのガーゼマスクで郵便番号とか関係なしに、郵便配達先として登録がある住所に郵便局員がポスティングしていった感じ。だったらもっとはやく配れるんじゃないかと思ったけれど、ゴミとか汚れの問題から調達が追いつかず今の今になったってことなんだろう。タイミングさえ早ければ決して悪い施策ではなかったけれど、今となってはコンビニにだって普通にマスクが売ってる状況。薬局にも山と積まれている中で、もらったところで使う人もいないし、かといって寄付する先も見当たらないとなるともはやひとつの政策の記録として、アーカイブするしかないのかもしれない。アクリル樹脂で固めて中に封入するか。タイムカプセルに入れて50年後に取り出すか。その50年後に第2波第3波で人類が絶滅するなんてことも、あったらそれはそれでパンデミックSF。開かないタイムカプセルを叩いてマスクを取り出そうとして息絶えるのも面白いかも。

 クラップ・フォー・ケアラーズという運動というか行為というか、医療関係者に対して感謝の気持ちを拍手で贈るという考えたかには別に反対はしないけれど、そうした気持ちを自分の意思からわき出させては、医療関係者が頑張っていると思えば拍手して、頑張っている姿を感じれば感謝するようなマインド自体を醸成することが、優しい気持ちを育む上で重要な気がするけれども埼玉県では生徒や児童に対して決まった時刻にいっせいに、拍手をするよう県の教育機関が求めたとか。そうやって行為することで気持ちが育まれれば悪い話ではない。ただ行ったことをもって感謝は表したと自己完結してしまっては意味が無い。どうしてするのか。誰のためにするのか。それを自分はどう思うかを考えさせる機会になったかどうか。どうだったんだろうなあ。拍手で禁が拡散されて感染者が増えなきゃ良いけど。

 でもって東京都では新たに40人の感染者が出た模様。ホストクラブがクラスターになっているとかいったニュースもあって、特殊な場所で特殊な接触が増やしているだけだって思われるかもしれないけれど、この1週間ぐらいで一気に増えた人手から感染の拡大が始まるのは1週間後の話。そのころにまた100人を超えるような感染者が出始めたら、やっぱり早かったんだってことになるんだろう。東京都知事選の争点にもなりそうだけれど、そこで選挙活動を大々的に繰り広げるのはやめましょう、討論会もせず静かにネットで意見を出し合いましょうって戦術に持ちこんで、批判を浴びないなかで勝ち抜ける気なのかもしれない小池百合子都知事。そこまで思慮を巡らせる人なのか。参謀でもいるのか。まずは今週末から来週の動勢を見守ろう。


【6月14日】 居眠りしていて酒に酔っていて摘発されそうになって警察官がつきつけたテーザー銃を奪って走って逃げようとした人間に対して、拳銃を向けて発砲して射殺することは日本ではまずないけれど、アメリカだったら相手が誰であってもありそうだなあと思う一方で、今のこの情勢で相手が黒人だったらやっぱりいろいろと騒動になってしまうという情勢があるだけに、どこで線引きすれば良いのか考えるのが難しい。

 もちろん人の命なんだから、テーザー銃を奪って逃げるくらいで射殺するのは過剰だという気がするけれど、それが日本人的な感覚なのかアメリカ人でもそう思ったのかは気になるところ。地元警察の署長が即座に辞任したのは、事態を過剰だと思ったのかそれとも過剰な反応を抑えようとしたのか。そこもやっぱり気になる。すでに抗議の動きは起こっているみたいでそちらの行方も。しかし映像をみるにつけ、柔道で横四方固めにでもすれば取り押さえられたような気がしないでもない。日本の警察官が柔道でだいたい黒帯なのには理由があるのかもしれない。

 東京アラートは解除して緊急事態宣言からの脱したのに47人もの感染者が出た東京都だけれど、それで小池百合子東京都知事が何か責任を感じているかとうとちょっと前に、これからは「Withコロナだ」とか言って罹るか罹らないかはそれぞれの判断なり生活態度にかかっているようなことを言ってのけていたから、自己責任扱いしてきっと何も対策はとらないんだろう。実際に経済活動をぎゅうぎゅうに縛り続けては、いろいろと問題も起こって潰れる飲食店がさらに増えることは確かだから、緩和の方向性は間違っていないのかもしれない。

 とはいえ一方でこうして第2波なのか、それとも第1波がそもそも続いていたのかどっちとも取れそうな状況の中、自粛はした方がいいけど支援はしないと言われてしまうと、民はただただ細ってそして死ぬだけ。それを分かってWithコロナはひとりひとりの責任だなんて言って次の都知事選に勝てるのか。勝ててしまうところがこの国の、あるいは選挙の不思議でもあるなあ。

 何でも日本記者クラブが主催して開く予定の東京都知事候補による討論会に出ないという方針を打ち出したとか。理由が3密を避けるためというならそれはひとつの判断だけれど、リモートでだって可能な傘下を拒否するのは許されるのか。出てもそれぞれが意見を言って終わりな会ならやる意味も無いって感じもないでもないけど、出ても聞かれるのは学歴問題ばかりといった予想があるのだろう。だったら追求できるかというと、カイロ大学が卒業したと言っている以上、終わりの議論で時間を潰すのも無駄だというなら、ひとりがどんな質問にも答える場を用意するのがせめてもの配慮なんじゃないかなあ。

 グラビア系の雑誌だとか若い女性に向けたファッション誌なんかが企画的にやるなら分かるけれど、新聞社と美術館連絡協議会という半ば公の立場にあったりする組織が率先して「美術館女子」というタームを使ってアートの魅力を女子目線で再発見だなんて企画を展開することに、どうして異論が起こらなかったのかがちょっと分からない。こういったわざわざ対象を「美術館女子」と限定するのかといった発想には、そもそも「美術館女子」なる存在が希少なものだといった概念があるんじゃなかろうか。

 そして、美術館に通ってアートをたしなむような女子は存在しないかいても珍しい存在に過ぎないといった認識の上で、美術なんて元来好きじゃない女子に美術は面白いものなんだとお教えするという押しつけがましい意識がそこに、感じられはしないかと言われるからこそいろいろと騒動になっているのだろう。でも、実際のところ美術館に行けば現代アートなんかは女子の来場者がめちゃくちゃ多いし、印象派だとか有名な絵画作品になると中年から壮年老年の女性がわんさかときていろいろ歓談しなあら作品を見ていたりする。

 むしろ美術館には女性の方が多く来ているんじゃないかとすら思えるこのご時世に、美術と女子はなかなか結びつかないものだと考えた誰かがいたのだとしたら、いったい何を見ているのかと問い詰めたい。そうした色眼鏡でもって何かを見て企画を出したのが、公器とも言える新聞だというのがなかなか寒い。そして美術館の現状に詳しいはずの美術館連絡協議会が協力するというのも、そうした認識を認めているようでどこか虚しい。何でも良いから美術館へと足を運んでくれる人を増やす企画なんだといった認識で協力したくなる気は分かる。けど美術好きな女性ではなく、これから美術を知りたい女性アイドルに看板を背負わせるという発想に、女性アイドルは美術なんて詳しくないんだよっていったレッテルがあると気づけないのは美術を扱うものとしてやっぱり頭が痛い話じゃないかなあ。

 とはいえ、だから男子なら良いかというとそれもレッテルだし。ロボットだったら……それがメイド型だったらやっぱり問題になるんだろう。何かに依拠するとそこに差別の問題が生まれてしまう、あるいは見いだされてしまう風潮はなるほど堅苦しいけれど、そうなる状況が避けられないなら何か対策を、言い訳を考えておく必要はありそう。それがないから読売新聞社の美術館連絡協議会も批判されるのだ。それはそれとして、もしも美術館女医だったらどうだっただろうか。あるいは美術館女騎士だったら。それはそれで伊藤ヒロがライトノベルを書いただろうか。


【6月13日】 しばらく蒸し暑かったけれども今日は妙に涼しくて、庭を伐採の音がしばらくしていたけれどもそれも止んで静かになったので、寝ながらいろいろと読書。「とある魔術の禁書目録」のパッケージだとか映画の特典小説がまとまった分厚いのが来ていたので、読んで神裂火織や五和の活躍を楽しむ。神裂が買っては切り刻んで発狂させていたジーンズショップの店長もそれなりに活躍。神裂も上条当麻とは絡まなくても世界各地を飛び回ってイギリス清教のために働いていたことが分かった。その苦労を離せば当麻だって同情してくれるかな、ってそういう行為をお互いに抱いていたんだっけ。

 ミネソタ州ミネアポリスで起こった黒人男性への警察官による暴行死をきっかけに、世界中で起こった差別への反対運動の中でイギリスはリバプールにある「ペニー・レイン」という名前の通りを改名すべきだといった声が起こっているらしい。ビートルズの楽曲「ペニー・レイン」にも使われている名前だけれどこれが奴隷船を運用していたジェームズ・ペニーに由来しているのではないかといった話からそうなっているらしい。

 リバプールの市長はそれは違う、かつて架かっていた橋を通行するのに1ペニー払う必要があったことが由来だといった説明をしているけれど、テレビプロデューサーで「世界遺産」の番組を作った高城千昭さんは、著書「世界遺産20年の旅」の中で「奴隷商人ジェームズ・ペニーが自分の力を誇示するために命名したもの」だと書いている。だから割と知られた話ではあるらしい。俗説なのかそれとも真説なのかはともかく広く知られているからには、根拠もあるのだろうからそこまで遡ってなにがしらの提示があった後、動きもあるような気がする。

 奴隷といえば奴隷制度の運用が争点ともなったアメリカの南北戦争で、南軍を率いたリー将軍の銅像やモニュメントが、時代の変化の中で撤去を求められる動きが出ているとか。リー将軍自身は奴隷制度には反対だったと言われているけれど、将軍になったアメリカ連合国がそれを推進しようとしていた以上は、首謀者と見なされても仕方がないところがあって、公の場からどんどんと外されているみたい。ミネアポリスの事件後も、バージニア州リッチモンド中心地にある像か何かが落書きされたこともあり、知事が撤去し保管する方針を示したとか。ジョージア州にあってリー将軍ら3人が掘られたストーン・マウンテンにも撤去の声が挙がっているとかで、運動が強まるなかでいろいろと揉めそうな予感。

 というか黒人への差別に限らずマイノリティへの弾圧はアメリカの歴史も形作っている訳で、ネイティブアメリカンに対するそうした歴史を振り返ると、南北戦争では奴隷解放の側に立ったエイブラハム・リンカーンだってネイティブアメリカンに対しては厳しい施策と取っている。そうした方面から声があがっていった時、アメリカでは何が残り世界ではいったい何が残るのか。それこそ小松左京さんが確かSF短編に書いていたように、すべての迫害の罪を人類が認め続けた果てに誰も残らないような事態も起こりかねない。それは人間の歴史を隠してしまうことになる。とはいえ称揚はしづらい中でどういった記録が可能か。ストーン・マウンテンの巨大レリーフにカーテンでもつけられるのか。見守りたい。

 アマゾンプライムビデオで週に1回の「かくしごと」鑑賞、テレビ放送からは少し遅れてだからようやく伊豆旅行の話になってギャグ漫画家がシリアスなことを言ったりやったりするのは致命的だなんて振りがあって、それがなるほど大人編での後藤先生の失踪につながるのかと理解した。少しだけ出ていた姫ちゃんのお母さんの行方不明についての話。それを知られたからってギャグ漫画家として致命的だからと感じて筆を折るまでに至るのか、って段取りは原作を読んでいない人間だけにアニメで確認するしかない。唐突と思うかなるほどと納得できるか。配信を待とう。

 配信であと見ているアニメといえば「八男って、それはないでしょう!」とか「プランダラ」とか。「プランダラ」は相変わらず絵はひどいけれど話の方はどんどんとシリアスになっている感じで、リヒトーが堂安に倒されてそしてその堂安に陽菜たちも接触、見逃されたけれどもひっかけた袋から丸いバロットがぽろりとこぼれて堂安に見つかり激怒されるといった展開に、たぶん漫画そのまんまだと思うけれどもそんな偶然のポロリがあるものかってちょっと呆然とした。でも頭使わないところが楽しいのでこれはこれで。

 「八男って、それはないでしょう」はヴェンデリンがどんどん出世して家族だったら嬉しいはずなのに、長男だけは渋い顔。家督でも何でも譲っておこぼれに預かる割り切りができないのかなあ、できないんだろうなあ、それだけ領地と家督と爵位は重要だったってことで。ヴェンデリンも爵位はあっても領地は持たず冒険者をやって稼がなきゃいけない訳で、そういうところが封建制ならではの考え方なり身の処し方を決めている、っていったところまで踏み込んで書かれた話なのか違うのか。原作読んでないからなあ。これからお家騒動が起こってヴェンデリンは大変そう。それでもチートに成り上がっていく気軽さに、読者も引かれるのだろうなあ。


 【6月12日】 プレイステーション5が発表になって気になったのは、プレイステーションVRは接続可能かってことで、コンシューマ機レベルまでVRデバイスを引っ張り下げたという意味で価値あるものだし、モニター代わりに大画面を楽しむデバイスとしてもなかなか有用なだけに、プレイステーション5でも使えたら再生可能な4KウルトラHDのブルーレイディスクを見るととんな感じに見えるのか、気になって試してみようかって気にもなる。とはいえ過去にそれぞのれPS向けに出たデバイスがそのまま使えた例は聞かない。きっとPSVRも数ある周辺機器のひとつとして忘れ去れていくのかなあ。
BR>  ともあれプレイステーション5。値段とか分からないけど4KウルトラHDのブルーレイ再生機能があるってところで、買って実家に置いておいて帰省した時とかにそうした映像を見るのに使ってみたいかも。アパートじゃどっちにしたって巨大なモニターを置けないから意味がないのだ。24インチのモニターで4KウルトラHDなんてそもそも見られないし。ゲームも遊ぶかというとそんな暇もなければ金もなく、心の余裕も乏しい。そもそもプレイステーション4だって持ってないのに跳ばして買う理由がなかなかない。それがだから実家でウルトラHDを見るためというものになれば、まだ買う来も起ころうってものだ。

 だから買うならディスクドライブ付き。値段は6万円くらいまでなら出しても悪くないかなあ。プレイステーション3を買った時は幾らだったっけ、初期型なんで歴代のプレイステーションタイトルが全部遊べるってことで、家に帰って「パネキット」をぶっこんで試してみたっけ。「lain」のゲーム版だって遊べるぞ。なおかつブルーレイディスクも見られる。アナログ接続をして。そんなゲーム機もプレイヤーも今はないところを見ると、買って置いて良かったと思う。だからやっぱり買っておくかな初代ロットを。どこかの新聞がストリーミング専用とポカ書いていたダウンロード専用版は、今時のゲーム状況として悪くはないけどディスク再生プレイヤーとして買う自分には無意味かな。

 まだ女子サッカーが今ほど人気がない2002年ごろ、日テレ・ベレーザの試合が東京ヴェルディの練習場で開かれるということでよみうりランドには割と通ったけれど、都内でも23区内にあるとしまえんにはほとんど行ったことがなくて、トミーと合併する前のタカラが飛行船の玩具を発売するということで、空間が広いとしまえんで発表会を行たのを見に行ったのと、ユナイテッド・シネマとしまえんが開業する時に見物に行った程度で、冷えているプールも野村佐知代さんが回るメリーゴーラウンドも見たことがなかった。

 とはいえそのメリーゴーラウンドはなかなか貴重な品らしく、閉鎖が発表されていったいどうなるか心配していたけれど、そうした情報が入る前に8月31日をもってとしまえんの閉園が決定。プール全盛の夏を終えての閉園ってことになるけれど、新型コロナウイルス感染症の問題がまだ続いているこの状況下、プールの営業がどうなるか分からないこともあって、にぎやかな終わり方を迎えるのか、ひっそりと閉まるのか、そこもやっぱり気になってしまう。

 人を驚かせる企画と宣伝を繰り返して来た遊園地だけに、ラストに向けて驚きの企画と宣伝を期待してみたくなるけれど、それにもかかるお金を考えると人を集めるための宣伝費ではない以上、派手なことはできないだろうとも思える。ただ企画だったら金をかけずともアイデアがあれば、それに呼応する人たちが自腹で参加してくれるだろうから。コスプレでも水着でも何でも繰り出して大いに盛り上げてほしいところ。とはいえやっぱり新型コロナウイルス感染所うの影響が残る中、大々的な集客は難しいだろうなあ。

 よみうりランドとか後楽園だったらアイドルと結びつくところもあるけれど、としまえんとアイドルってそういう結びつきはあったっけ。過去に来場した往年のアイドルが日替わりでアイドル時代の衣装と歌を披露するとかあれば愉快。巨大な流れるプールをつかって大そうめん流しをすればそれは話題になりそうだけれど、プールだけに真水は使えないだろうからやっぱり無理か。それならタカラトミーアーツが頑張って、巨大な流れるプール型そうめん流しを作り設置して楽しめるようにすれば面白いんだけれど。やってくれたら1度くらいは行ってもいいかな。

 跡地はハリー・ポッターのテーマパークと防災公園になるんだっけ。USJでは数ある人気アトラクションの中でも評判のハリー・ポッターだけれど、東京という場所でそれのみを全面に打ち出して、連日のように観客を集めることができるのか。これもやっぱり新型コロナウイルス感染症の影響で、遊園地の在り方が大きく変わっていることもあって、集客よりも質的な体験を求める動きが高まる中、計画通りにいけるかどうか。違う道も模索してくるのかなあ。というかハリー・ポッターって今もまだ人気なの? マーベルとかDCとかスター・ウォーズみたいに作品をドライブしつづている訳じゃない。いつまで続けられるのか。そこも気になるところであります。

 「ゆらぎ荘の幽奈さん」に続いて「シャーマンキング」もアニメが復活。ならば「機動戦艦ナデシコ」も……などと連想したのはいずれもジーベックというアニメーション制作会社が手掛けたアニメだったから。すでにジーベックはなくなってしまったので、どこが作るかということで、「ゆらぎ荘の幽奈さん」は週刊少年ジャンプでの連載が完結して、これから発売される単行本にOADのアニメがつくという展開だから、どこかが過去のテイストを生かしつつ作って収めて完了といった形にはできるかもしれない。

 でも「シャーマンキング」は「週刊少年ジャンプ」での連載が打ち切りとなってそれからしばらくたって完結編が発売され、そしてさらに講談社へと移籍してシリーズが刊行されるといった流れの中からの再アニメ化で、ジーベックが手掛けた話数では描けなかったところまで描くという完全版となっているから世間もちょっと驚いた。過去のアニメは水島精二さんが監督で、1年以上も続いたからそれなりに人気はあった模様。声の出演で林原めぐみさんもいたところから、今なおファンもいそうなアニメが再度作られるにあたって、同じスタッフになるのかどうかがやっぱりファンも気にしている。

 でも水島精二さんはエールを贈っていたからご自身ではかかわっていない模様だし、會川昇さんもツイートで誰がかかわっているんだろうかと言葉が飛び交っている旨紹介して、自分の周囲ではあまりかかわっていないようなことを示唆している。ジーベックは2018年でほぼ活動を止めてプロダクション・アイジーに吸収され、メンバーはあちらこちらに移って同じ体制にはなっていない。だからやっぱり違うところが手掛けるんだろうけれど、それがアイジーになるような感じはしない。とはいえ全話を完全アニメ化するとなると体力も相当にいりそうだから、規模を維持できる会社になるんだろう。そして今なおそうした完全アニメ化を支持するファンがいるのかどうかも気になるところ。どういう坐組か。そしてどこでの放送か。ぶち上げた花火は大きいけれど、開いてみれば線香花火だったなんてことはないことを祈りつつ、展開を見ていこう。


  【6月11日】 放送時期は未定ながらも押井守さんが総監督をして西村純二さんが監督という「風人物語」の座組が復活した感じなアニメーション「ぶらどらぶ」のPVが公開されていて、押井さんらしくない美麗で整ったキャラクターのデザインながらも「うる星やつら」的なハチャメチャな展開がありそうでいろいろと楽しみ。総監督という立ち位置からどれだけの影響を与えているのかは伺い知れず、絵コンテなんかを描いているのか脚本なんかで示唆しているのか演出にも関わっているのか名前をただ貸しているだけなのか、分からないけどどっちにしたって押井さんが関わればなにか面白いに違いない。なのでこれはやっぱり見るしかないんだけれど、いったいいつ頃完成するんだろう。

 何しろ今は新型コロナウイルス感染症の影響でもってアニメーションの制作が軒並み遅滞してる状況。深刻なのが声の方でスタジオで10人以上がギュウギュウ詰めになりながら一気に録音するスタイルがまずとれなくなっている。数人ずつを数日に分けるとかスタジオを幾つかまとめて抑えて数人ずつに分割して一気に撮るか、そこはそれぞれだろうけれども以前よりコストもかかるだろうし、声優さんたちの掛け合いによる臨場感って奴も薄れかねない可能性がある。そこは音響監督がしっかり指導しつつ声優さんがしっかり想像をめぐらし演技をするしかないんだろう。

 音響監督の長崎行男さんが、状況が戻りつつ戻り切らない中で変化が起こるだろうことをツイートしていて、そこで「昔々、無声映画がトーキーになった時、一部の役者さんが仕事を失ったに等しいくらい、声優という役者の資質が問われるかもしれません」とまで書いている。喋れない役者が銀幕から姿を消しつつ喋って上手い役者が台頭していったような変革が、声優さんにも起こってやっぱり演技ができる人が残るのか、そういったものをもはや気にしない聞き手ばかりの中で、ぶつ切れコマ撮りな音声でも平気で受け入れられていったりしたら、音響監督の立つ瀬もないし。なのでやっぱり受け手も改めてアニメの声とは何かを考え、共に質的な向上を図るような動きにしていければ良いんだけれど。

 服部良一さんのご子息というか服部隆之さんのお父さんというか。そして「ミュージックフェア」なんかの音楽も手がけて昭和から平成にかけて大活躍した服部克久さんが死去。僕らの世代の感覚だと、「宇宙戦艦ヤマト」の音楽を手がけた宮川泰さんと同時代ということで、よく並んで名前を見てきたような記憶がある。だったらアニメもいっぱいやっているかと思ったら、「星界の紋章」とか続編「星界の戦旗」とか「無限のリヴァイアス」といった作品が並ぶくらいだった。

 ずっと昔にも「トムソーヤ」とかやっていたみたいだし、ドラマだと「遊星王子」に「光速エスパー」といった懐かしすぎる作品も担当していた模様。アニメだったらむしろご子息の服部隆之いさんが「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」を手がけて耳になじみがあったりするかなあ。そして宮川泰さんのご子息の宮川彬良さんは「宇宙戦艦ヤマト2199」だとか「2202」なんかで泰さんの音楽を使いつつ世界を広げる活躍をしていた。そんな息子組2人が競い合ってアニメの音楽を付くっていけば、お父上どうしも笑って見守っていられるんじゃないかなあ。ともあれ合掌。

 神保町のキッチン南海の閉店は、カツカレーのような食文化が神保町の地でひとつ終焉を迎えるような印象があって、悲しいことは悲しいけれどもインパクトとしては大阪の新世界とか道頓堀にあるフグ料理店「づぼらや」が閉店する方が大きいかもしれない。別に大阪が下関のようなふぐの産地という訳ではないけれど、大阪にある食べ物やさんを挙げる時に、「くいだおれ」「かに道楽」と共に看板とかの印象から、風景とともに真っ先に挙げられるお店だった。

 その一角が消えてしまうということは、ただ食文化がひとつ潰えるということよりも、むしろ都市のランドスケープにおいてひとつ大きな変化が生じるということが意味として強い。グリコの看板がなくなるようなものでもある。開発だとか世代交代ではなく、新型コロナウイルス感染症の影響で風景が変わるとうのも、あるいは時代なのかもしれない。キッチン南海の前の行列がなくなるというのも、ひとつの光景の変化なのかもしれないなあ。これで終わらずまだまだ変化が訪れそうなアフターコロナ。有名な会社が潰れて看板が消えて建物が取り壊されるなんてこともあるのかな。気にしていこう。


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