縮刷版2020年5月下旬号


【5月31日】 今となってはそれをリアルタイムで見ていたのか、それとも後からニュース映像で繰り返し見たのか憶えてないけれど、1986年1月28日に起こったスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故の映像が強く焼き付いてしまった頭には、打ち上がるロケットがいつ途中で爆発しないかといった恐怖と、そして不謹慎ながらも興味めいたものが浮かぶようになっている。目の前で7人もの宇宙飛行士たちが爆発に巻き込まれ、落下の中で亡くなっていく映像を見て早々のころはそうした、失われる命への悲しみも浮かんだけれど、時が流れて爆発事故の映像がひとつのフォーマットとして記憶され、あるいはとり・みきさんの漫画の中でデザインとして取り上げられていくようになると、同様の事態がまた起こってどういった騒動になるかといった気持ちを、なかなか埋めづらくなってしまう。

 そして同じスペースシャトルの「コロンビア号」が地球へと帰還する途中で空中分解を起こし、四散してしまった事故で改めて恐怖を覚え悲しみを抱き、事故は簡便という気持ちになってしばらくたって、飛ぶロケットが消え去る光景への不謹慎さもすこし交えた感情が漂うようになる。絶対的な悲惨であり確実に避けられるべき事態なのだから、そうした密やかな感情をどうにかして沈めなくてはならないし、消し去らなければならないのだけれど、なかなかうまくいかない。人間とは、あるいは自分とはなかなかにゲスに出来ている。

 とはいえ、やはり成功して欲しいという気持ちの方が圧倒的に強く、だからこそハラハラとして見守ったスペースXによる初の民間ロケットでの有人宇宙船「クルードラゴン」の打ち上げは、前回が直前で中止となっておあずけとなって、次はどうだろうとかと待って訪れた日本時間の5月31日午前4時33分、カウントダウンがゼロになると同時にノズルから火が見え、そしてグッと浮かんだロケットが最初は重力に逆らうような感じにググググっと持ち上がり、そこからグイッと上に引っ張られるうような感じを見せ、そしてグングンと加速して上がっていく様子を目の当たりにできた。

 以前に見ていたスペースシャトルの打ち上げだと、重さは感じさせながらももう少しグングンと上がっていくような感じがあったけど、今回はロケット自体が細いからなのか、あるいは中継の映像がクリアになったからなのか、そうした細かい挙動がよりくっきりと見て取れたのかもしれない。そうやって上へ上へと登っていったロケットが、真横から見た映像に切り替わった瞬間『チャレンジャー号」は火が走って爆発した。今回もそうなってから果たしてと心配になったけど、無事に宇宙へと飛んでいってそして切り離しも行われ、行きは成功に終わった模様。

 チャレンジャーにはならなかった。だったらコロンビアにもならないことが今はとても大切。国際宇宙ステーション(ISS)へのドッキングを経て、そこで待つ人たちとの邂逅などを経てから帰還へと向かう宇宙船の部分が、大気圏への突入を無事に果たして目標地点へとぴたりと降下できるのか。遠足は変えるまでが遠足だという日本の古いことわざを実戦し、スキップして宇宙飛行士達が降りてくる様子を目の当たりにしてひとつの時代が始まったことを、改めて感じるのだろう。

 すでに人類は月にもいっているのに、宇宙ステーションに行ったくらいでうれしがるのは気持ちとして果たして正しいのか、人類が火星に到着してこそ喜びは爆発するのではないかと思わないでもないけれど、お金と手間を投入してそれらを成し遂げられるだろうことは何となく分かっているのだから、今はそれがもっと手軽に、誰でも行えるようにすることを選び、実現されることを喜ぶべきなのかも。リンドバーグが93年前に成し遂げた大西洋単独無着陸飛行だって、その時間の短縮と簡便さが今も求められつつ、新型コロナウイルスという厄災によって制約すら受けて新たな展開を求められているのだから。

 グラフィティをバンクシーの人気に代表されるアート性、そしてやむにやまれず発せられる社会への言葉だというメッセージ性から評価したいという気持ちがある一方で、器物を損壊して公有私有を問わず財産を既存する不法行為だと批判する声にも納得しつつ、どこかに落としどころはないものかと池田明季哉さんの「オーバーライト−ブリストルのゴースト」という小説を読みながら思ったけれど、今アメリカで起こっている暴動の中で、自動車から商店から所構わず書かれるスプレーによって書かれるメッセージや名前といったグラフィティの場合は、暴動という破壊行為が全面に立っていることもあってまず肯定しづらいという思いが浮かぶ傍らで、どうして暴動が起こったのかという根本と、それを糾弾する言葉であるという事情から、何かを感じ取らなくてはいけないという思いも浮かぶ。そのあたり肯定否定の濃淡が逆になっている感じ。

 それにしても凄まじい状況になっているようで、火が放たれ石が投げられ州兵が動員されて激しい暴力なんかもこれから繰り広げられていくことになりそうな感じ。略奪なんかも起こるんだろうなあ。さらなる死者が出なければ良いというのがまずは願望。それにしてもどうして根本となったあの事件、ジョージ・フロイドさんに対して何分間も首を膝で押さえ続けるような状況が生まれたのか。反抗しているようにも見えないし、抑え続けなくても手錠なりで拘束してしまえば済むところを、ずっと膝で押さえ続けているのはどこか不自然。それが最適だという逮捕術でもあるのだろうか。ちょっと分からない。

 日本でも銀行で男性が押さえつけられたあげくに死亡した事件を初めとして、拘束の中で息絶える人が結構発生したりしているけれど、ミネアポリスで起こって全米に広がっているような暴動につながることはない。それはやはり犯罪性のまるで見えない拘束で、相手が黒人だったからという理由が根底にありそうだと見えているからなんだろう。直前にもどこかで黒人が突入された果てに死亡したり、射殺されたりする事件が相次いでいることも不信感に拍車をかけたのだろう。

 こう何度も繰り返されているのだから、警察も改めるかというとあちらはあちらで不安があるのか先に攻撃を行ってしまう。相互不信の連鎖が生み出す憎悪の輪。今はさらにトランプ大統領という分断から憎悪を煽ってやまない為政者が上にいたりすることもあって、ちょっとした刺激が爆発を生んでしまうのかもしれない。とはいえ、良識はまだ残っているようでデモに白人も混じって批判を口にしたりしている。そうした声がトランプ大統領に届くかというと、知らずロケットの打ち上げを副大統領を眺め見上げているから心は文字通りに上の空。そして暴れる人たちに対する憤りだけを膨らませ、権力による総攻撃を始めるのだろう。それを指示するたちもいるようだから。やれやれだ。


【5月30日】 「夏のトンネル、さよならの出口」の八目迷さんによる新作「きのうの春で、君を待つ』(ガガガ文庫)をやっと読み終える。離婚して東京に行った父親に引き取られ、東京の高校に通うようになったのの居づらくなり、春休みを利用して祖母がいる島へと戻った船見カナエという幼年だったけど、戻ったその日、4月1日の午後6時からなぜか4月5日の午後6時に飛ばされてしまう。

 そこで帰ってきた日にも見かけた島の英雄で元高校球児の保科彰人がなくなっていて、通夜に行ったついでに同級生だった妹の保科あかりと対面。そして翌日にあかりから呼ばれて、自分は1日経って2日戻る時間のループに巻き込まれていると教えられる。そしてあかりからは、1日の夜に酒を飲み、そして翌日に亡くなっているところが発見された彰人を助けて欲しいと頼まれ、遡る時間の中で動き回ったカナエは、故障した後の彰人の人間性がどうだったかを知ることになる。

 そして、妹のあかりの置かれた立場も分かってくるという展開。島にいづらくなって都会に出ながらそこにも居場所がない少年の迷い、島にいたくない少女の頑張りと絶望。それらを感じて時を果たしてどうするべきかを問いかけられる。未来は選ぶべきかそれとも……。過去を変えても不幸がさらに不幸になる場合もある。幸福が訪れる場合もやはりある。現実には変えられない過去に対して過去改変の物語から学ぶべきはどんな未来も変えていけるのだということ。「きのうの春で、君を待つ」で訪れたカナエとあかりと彰人とほかの人々の未来に、乾杯。

 おそうじ、という健全に思われる行為を街中で突発的に始めるハイ・レッド・センターによる「東京ミキサー計画」が醸し出していた、何かしら世間を縛り規定するような空気に対真正面から逆らわず、受け流すような態を見せつつくぐりぬけては何か違和感を醸し出し、常識を揺さぶってみせた行を取り上げて、反権力にしてはぬるいということは可能だし、そこから違和感をくみ取れるだけのリテラシーめいたものを今の世間に共通基盤として求めるのは無理だといった意見もありそう。

 というか、当時だっておそらくはエリートでスノッブでキッチュなサブカルの共同幻想を、持っているふりをしたい人に受けただけなのかもしれないけれど、それでも分かろうとする努力なり、よりそってみようかという好奇心があれば理解には近づけて、こから得も言われぬからかいの気分を味わうことはできた。でも今日だかに霞が関の検察庁前の路上で行われた賭けマージャンらしき行為の場合は、あまりにも正面突破すぎる上に法律というののにひっかからないんだということを見せようとして、道路占有許可めいたものに引っかかったりしてそうな矛盾があって、もろ手を挙げて賛成といいづらいところがあって難しい。

 1000点100円の賭けマージャンは違法とは言ないといった答弁を受けて、だったらやってやろうじゃないのといったデモンストレーションであることはわかる。それ賭博罪として逮捕されるのだったら同じようなレートで賭けマージャンをした前の検事長も取り巻きの記者も逮捕されなくちゃならないから。でもそうではないと見逃されたのなら検察庁前で同じレートで賭けマージャンをやっても見逃されるかというと、現行犯ということもあるし、法に触れているという疚しさも見えていないことから、アクションが行われても文句は言えない。

 あれはあれでこれはこれ。法の下の平等とは言うけれど量刑には情状も絡むものだから対応が違ってくることもあるだろう。逮捕しつつも処分保留で釈放だって別に構わないわけだし。あとはやっぱり道路占有の問題になるんだろうなあ。デモでもそれがないと取り締まられることはわかっていて、右が左を責める時も左が右を責める時もそこをつくことがあったりする。

 そんなの関係ねえと昔だったら喝采も飛んだかもしれないけれど、今は自粛にすら警察が出る世の中だけに、不遜な態度には正義警察が出てきて文句を言い立てる。そうやって反意が薄められかき消され雲散霧消するのも残念な話。だからこそメディアが騒ぎ法が動くべきだったのだけれど。この国はどうなってしまうのかなあ。あるいはVRヘッドセットをかぶった4人が交差点の4角に立ってバーチャル空間でネットマージャンをしていればよかったのかなあ。それをVR空間でVtuberが実況していれば、静かな反攻になったかも。

 作家の室井佑月さんが誰かの日の丸マスクなんてといったツイートに反応してそうだそうだとツイートしたものの、政府は無関係だと分かってすぐに違ったと訂正のツイートをしてから3カ月も経って、そのツイートのせいでマスク屋さんに誹謗中傷が集まって生産が止まったといった声が上がり、室井さんへと非難が集中してテレビに出るなといったハッシュタグまで生まれて誹謗中傷が集まっているとか。室井さんは訂正しても乗っかる人たちは止まらず、そして室井さんへの非難も集まって酷いことになる地獄。この連鎖が今のこの時期に起こることのどうしようもない厄介さを考えても、これは止まりそうもないだけにどうしたら良いものか。難しい。


【5月29日】 火曜日に車止めに太ももをひかっけてすっころんだ後遺症か、昨日から腰が痛くなって重たい荷物の上げ下げに支障が出そうだったので、 長引くのを防ぐ意味もこめて三鷹での仕事を休んで家であれやこれや書きもの仕事。だらだらと書き起こした会議の会話をまとめて議事録を作って送りひとまず責任は果たす。途中からは場所を喫茶店に移しつつ、書評の原稿も書いたりしていた途中で抜け出し薬剤師がいる薬局でロキソニンテープを買って腰に張ったので、数日のうちには痛みも引いてよくなるものだと思いたい。前につんのめった際に腰の筋肉あたりが伸びたり切れたりした影響だとは思うけど。とりあえず月曜まで様子見だ。

 もちろん遠く船橋からだとブルーインパルスが東京上空にいらっしゃいました様はよく見えないだろうから、起き出して眺めるなんてことはしないで布団でうつらうつらしていたお昼過ぎ。どうせだったら自衛隊をあげて医療関係者に感謝の念を表して欲しいので、船橋は習志野駐屯地に団本部を置く第一空挺団が千葉の上空からガッチャマンみたいに降下してから、感謝の言葉を書いた落下傘を開いて沸かせてくれればとちょっと思ったけど、そういうことをやる部隊でもなさそうだからここは残念と諦める。これで東京オリンピックが2021年も中止になったらブルーインパルスが東京上空を飛ぶ機会もそうはないんだろう。次に機会があるなら見に行くか。

 えー。へー。「進撃の巨人:テレビアニメ『The Final Season』はMAPPA制作 新スタッフで制作」との報。これまではIGポートのグループにあるWIT STUDIOが荒木哲郎さんの監督なり総監督で作り続けて世界にその実力を見せつつ、たぶん収益面でも寄与して来たと思うんだけれど、最終セッションは片渕須直監督の「この世界の片隅に」なんかを作り、最近は「ドロヘドロ」なんかで3DCG作品にも出て来たMAPPAが手がけることになったとか。スタジオが変わっても監督や作画陣は動かずテイストは維持することが多いように思うけれど、今回は監督まで変更というからどうなってしまうのか、影響が気になるしそもそもどうして変更があったのかが気になる。

 あるいはWIT STUDIOが目下「GREAT PRETENDER」にかかりっきりで『進撃の巨人』と作っている余裕がないのかもしれないけれど、だとしても荒木哲郎さんまで変わってしまうのはなかなかの冒険な感じ。「甲鉄城のカヴァネリ〜海門決戦〜」も仕上げていよいよ「進撃の巨人」に戻ってくるのかなあなんて想像もしていただけに、そうじゃないならいったい何を作るのか、もしかしたら「おとぎ銃士赤ずきん」の新作を作って世界をジューウシーと言わせるのか。諸々の想像が浮かぶ。

 まあ見るかというと「進撃の巨人」自体はマンガも追いかけなくなっているしアニメも途中までしか見ていないから、今さら追いかけはじめることはないけれど、ネットでの配信事情が良いならあるいは見始めて、当初に切込隊長からあれこれ言われて作者の諫山さんが反論していたその世界観が、いったいどこに帰結するのかを確かめたい気もある。2010年代を代表するコンテンツであったことは確かなんで、すべてが「鬼滅の刃」に向いているのを引き戻すような流れを作るかを見守ろう。

 もうこれっきりではないサブスクリプションですか。って意見が付きそうな山口百恵さんの楽曲のサブスクリプション提供スタート。どのサービスにも入ってないから聴けないし、今あんまり音楽を聴かなくなっているんでそれほど胸は躍らないけど新型コロナウイルス感染症の影響で、家でこもって仕事も娯楽も楽しむようになって来て、いろいろなコンテンツがネット経由で配信されるようになっていて、そんなひとつの流れによって山口百恵さんの楽曲提供も加速されたのかもしれない。

 ちょっと前には「マクロス」関係の楽曲の配信なんかもスタートしてたっけ。そっちもサブスクリプションだったかは分からないけれど、特定の層に強いカテゴリーのコンテンツはかたまりとして配信の時代に生き残っていける。フローとしてその場限りに作品を作って興行なり配信なりで収益を上げることも重要だけれど、長く貯めて将来にわたって稼げるようにすることも大切なのかもしれない。「マクロス」なんかは音楽が核となるアニメってことで、積み重なった楽曲もたくさんあるから出来るなあ。「アイドルマスター」も「ラブライブ!」も可能か。

 「プリパラ」はネット配信にアニメがそういえば来ていたから、そうした映像も含めてミュージックビデオ的に音楽を楽しめるようになったらずっと見続けてしまうかな。それならアニメのオープニングだけをひたすらながす映像配信チャンネルとかあったら見てしまいそうな。できればクレジット入りとかで。だってそこに名前が出てくるとアッと驚けるじゃないですか。今は大活躍しているあの人がまだ原画とか動画でいたとか。でもテレビシリーズだと第何話を配信するかで変わってくるか。そこが難しい。


【5月28日】 東京スポーツが報じた三原じゅん子議員に関する記事をツイートすると、アカウントのパスワードを確認して変えろといった指示が来るという怪奇現象が起こっていたという話。試してやっぱりそうなった事例が山と押し寄せ、何かが起こっていると想像はしたものの別に検閲とかではなく、絨毯爆撃のようにリツイートした人のアカウント停止を求めている感じでもなく、リンク先に何か仕込まれているんじゃないかといった話もあって分析を待ちたいところ。

 とはいえ三原じゅん子議員については「3年B組金八先生」に出ていた頃のふてぶてしくはあっても見た目は可愛らしかった時代は遠い過去となり、どうにもタカ派的というか安倍総理をとにかく信奉するような言動が多くてちょっぴり心が痛い。以前もそのお言葉を伝えるべきだと訴えていたけれど、そうした信奉者的スタンスを持った人があろうことか、木村花さんの件で持ちあがったネット上での誹謗中傷のような言説を規制する自民党のプロジェクトチームの座長に就いたというから絶対運命黙示録。政権への批判や政策への提言をも崇め奉る総理の大御心に背くものだと規制しかねない可能性が浮かんでじくじくと胃が痛む。

 まさかというような施策でもそれを平気で通すのは検事の定年延長問題でも言われた話。権力者に対する意見提言をも規制するとなってはさすがに言論の自由がどうとか言われてしまうから、あからさまにはやらないまでも木村さんを立てつつ悪口は好ましくないといった流れを作りつつ、だからプロバイダーさんプラットフォームさんはよろしくねといった丸投げをして、忖度を求めるような状況になっていきそう。困ったなあ。それはそれとして「GOGO!チアガール」にはまだアイドル時代の日高のり子さんも出ていたんだなあ。今再放送とかしたら受けるかなあ。

 東京都とか日本政府が新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐために発動した緊急事態宣言が解除されて初のクラスターが小金井市の武蔵野中央病院で発生したと報じられているけれど、発病までの期間だとか考えるならクラスターがあちらこちらに潜んではいながらも解除してしまったというところで、その是非を考えるなら散発的な上がり下がりであってトレンドとしては収束しつつあると見るか、まだまだ潜んでいるにも関わらず解除したのは早計だと見るかによって違いが出そう。

ここ1週間くらいの新しい患者の発生数から見ればトレンドとして下がり気味で低位安定といった感じ。だったら気にせず出たら出たで今までどおりの対応をしていくだけのことなんだろうけれど、騒ぎたい世間はほら見たことかと解除を急ぎすぎた施策を冷笑しそう。もちろん今後の動静で北九州のように上昇トレンドが見えて来たなら拙速だったかもしれず、あるいは第2波を見逃しているかもと考えて締めるしかない。その時に経済をまた絞って実行する覚悟をちゃんと見せてくれるか。またぞろ自重によって自粛をお願いとやってすり抜けていくんだろうなあ。それとも都知事選の争点にしないためにも何か対策を繰り出してくるかな。都民じゃないけど興味津々。

 そう、か。各紙が「フジ『テラスハウス』打ち切り発表、木村花さん出演」と伝えているように、女子プロレスラーの木村花さんが出演していて、そこで繰り広げたやりとりが異論を招いて木村さんへの誹謗中傷を読んで、それを浴びせられた木村さんが亡くなるという事態になったテレビ番組「テラスハウス」がとりあえず打ち切り。それが放送中のシーズなのか、企画そのものなのかはよく分からないけれど、Netflixを通して世界が見ていたという話もあって、終わってしまって当然という声があがる一方で、いささかの残念さを覚える声も出てきそう。

 世界で人気のリアリティ番組にあって、ある意味で成功していた日本発のフォーマットだけに作って送り出していた側にはいろいろと考えも浮かびそう。とはいえ成功した理由にリアリティ番組ならではの生身の人間がむき出しになったやり取りがあって、それが出演者を反響も含めて苦しめていたのだとしたら、何かを差し出しての人気だったとも言えなくないだけに、改める必要も出てきそう。見直せば再起が可能なものなのか、それとも「テラスハウス」系のリアリティ番組自体に陥穽があるのか。検証が待たれる。

 それにしても目ん玉なグループもこうして番組がやり玉にあげられ、少し前は混雑している地域を見せる画像が混雑していた時期だったことで捏造を言われて大変そう。収益面だけは取り込んだ不動産関連が稼いでくれているけれど、それも東京オリンピックがとんだらはたしてどうなるか。グループのお世話どころではないだろうなあ。紙の方は役員がそろって留任で昇任した人もいたりして謎が深まるばかりであったという。

 やはりというかアニメロサマーライブも1年延期だそうで、「Color」というテーマは引き継いでも出演者が引き継がれるかどうか分からないから実質的には中止ってことになるんだろう。どこかが情報を先走ったとばっちりを喰らって取材をお断りされた経験があって、初期からずっと盛り上げてきたのにこの仕打ちかと悲しくなったこともあって主催者を気の毒とは思わないけれど、世界最大のアニソンフェスとして出演を目指していた人も大勢いたし、ファンもいっぱいいただろうことを思うとやはり残念。あのぎっしりの空間をふたたび再現できるか分からないけれど、ワクチンができて抗体も広がった暁にはまたその歓声を聞かせて欲しいし、目いっぱいのペンライトを見せて欲しい。主催者はところで今どこなんだろう。MAGES.って志倉千代丸産によるMBOを経てコロプラに買われちゃったし。


【5月27日】 巧いなあと感嘆しつつ落涙もしつつ読んだ杉井光さん「楽園ノイズ」(電撃文庫)。村瀬という少年が作曲してギターを弾いてネットにアップしてもアクセス稼げず、姉に女子用の制服を借りて女装して顔は見せないでいたら大人気。でもそのまま通さず自分は男だと宣言し、Musa男と名乗り続けつつ高校へ。置いてあったピアノでさらりと自曲を奏でると、それを聞いた女性の音楽教師が耳さとくMusa男の曲だと言い出す。

 まだバレてないと村瀬は話をそらそうとするものの、音楽教師は君がMusa男かと喝破し、ばらされたくなければと脅された村瀬は引き込まれて音楽の授業を手伝う羽目になる。そしてコンクールで活躍しながら今は引いているピアノ少女や、華道の家元の家に生まれながら祖父の家で叩いたドラムに引かれ鍛え上達した少女と学校で知り合う。

 ピアニストの凜子のクールな罵倒と少年との会話も絶妙なら音楽教師の少年への弄りも最高な会話劇。加えてスタジオの片隅で何でも弾けるからと助っ人先を集い入っても巧すぎるからわざと合わせて演奏し疎まれる少女も誘いネット向けにセッションする、杉井光さん『楽園ノイズ』。するとライブの誘いが! そうやって才能を持ちつつ悩みももった少年少女が集まり大成功する話かというと、世間は厳しく少年はパージされそうになるものの、元々は彼の演奏と楽曲で始まった道。それも認められ少女たちも音楽を取り戻す展開が心に響く。まさしく「さよならピアノソナタ」の杉井光だ!

 ちょっと寂しい展開もあるけれど、それを糧にしつつ進む少年と少女たちに喝采を。そう思える杉井光さん「楽園ノイズ」を実写映画化するところはないかなあ。ネット的にあれやこれや騒動を起こしながらも作品はちゃんと書き続けて、こうしてまたしても傑作を書いてくれた。「神様のメモ帳」がアニメになったくらいで「楽聖少女」も小説止まりだっただけに、「さよならピアノソナタ」の再評価なんかも含め、ここから大きく知られて欲しいものだ。

 えっ、と言われて気づいたかというと、たぶん観ている間は観流していただろう新海誠監督「天気の子」の終盤におけるミステイク。空の上から陽菜と帆高が落ちてくるシーンで雲を突き抜けた下に東京の街並みが広がっている場面が映画にはあったらしいけれど、ここは本当は雲のレイヤーが入ってスカッとは街は見えていないのが正解だったらしい。新海誠監督はそれを劇場で見て血の気が引いたとツイッターでバラしている。

雲がずっと漂っていなくて陽菜と帆高が一直線に東京の街へと落下していくのか、それとも前後に雲のレイヤーはあるのにそこだけ抜けてしまっていたのか、気になるところではあるけれども誰も劇場で色パカならぬ雲パカがあったと騒いでいなかったところを見ると、あるべき雲がずっと無くてそれを別に気にするシチュエーションでもなかったってことなのかな。だったら無しでもいいかというと、あってこその効果という面もあるのだろう。それがいかほどのものか。ブルーレイは届いたので見ようと思えば見られるものの、部屋のアナログテレビでは画質が悪いのでいつか実家に帰省したら、持ち帰ってそこで見よう。

 京都アニメーションへの放火を行って大勢の方を失わせてしまった人がようやく逮捕されたという報。ストレッチャーに横たわって火傷の痕が見える顔をカメラにさらしていた姿を見るにつけ、齋藤十一的に「君たち、人殺しの顔を見たくはないのか」といった好奇心を満たして済む話でもなく、痛々しさと虚しさを伴った感情が浮かんでそっとして触れず、粛々と取り調べを行って動機をしっかりを浮かび上がらせ、再発しないような道筋を整えてくれることがまずは大事だという気がしてきた。

 ファンとして好きだった京都アニメーションの作品を、作ってきた人たちを失わせたことへの憤りはないでもないけれど、それを言うのは遺族や周りの関係者であって僕たちはいっしょになって怒るより、失ってしまった寂しさを思いつつ残された仕事を振り返りつつ、未来を探って支えていく方が今はもう中心のような気がする。けれどもこうして逮捕という動きが出てしまうと、誘われる怒りが渦巻いて憎しみだけが連鎖して、そこから進めなくなってしまいそう。

 1年という期日に向けてなおのこと、そうした情動は活発化してきそう。事件の当時すら極力煽らず悲しみを示しこれからを支えようと訴えて来た人たちの声も過去になり、分かりやすい怒りだけが掬い取られて拡散されそう。増えて来そうな追悼の言葉がだから、罪を犯した者への怒りだけに埋め尽くされることはなく、現在地の京都アニメーションをとらえつつ未来の京都アニメーションを示唆するようなものであってほしいと思うのだった。

 以前に京都アニメーションを振り返る文章を書いた時も、事件そのものには触れないようにいろいろと考えた。命が失われたことすら直接的な言葉では示さなかったけれど、そうした思いも好奇心の前、煽られる憤りの連鎖の渦の中ではかき消されそう。どんなことになっていくんだろう。裁判だっていずれ開かれるだろうその時に、どれだけの狂騒が繰り広げられるのだろう。心配を抱きつつも今は刊行が続くKAエスマ文庫の新刊を抑え、読んでいくことでしのびつつ支えたい。


【5月26日】 海外から、日本の新型コロナウイルス感染症への対策と成果がどう見られているかをNHKが伝えている。ウォール・ストリート・ジャーナルは、日本がどれくらい感染が拡大しているかを大規模な検査によって把握するのではなく、主に発生源となっているクラスターを捉えて追跡調査によって広がりを防ごうとしたと指摘。これが果たして有効だったかどかと言えば、熱が続いても検査してもらえず入院もさせてもらず苦しんだ人がいて、亡くなった方も出て異論はいろいろ出ているものの、一方で病院が押し寄せる患者でいっぱいになって医療崩壊を起こす事態は避けられたとも言われていて、評価が分かれるところではある。結果としての有効性を果たしてそのまま受け入れて良いものか。第2波があった時の対応も含めて気になるところではある。

 ワシントン・ポストは「罰則を伴う強制ではなく、国民への自粛の要請や社会の圧力によってウイルスを封じ込める日本独特のやり方で、ある程度成功した」と伝えたとか。これは確かにそうだけれども、罰則を指定する一方で国とかが責任をひっかぶることを極力避け、自粛という名の”強制”を行うことで封じ込めただけとも言えそう。合わせて自粛を守らない者たちを糾弾して排除するような空気が出るのを、止めるとかせず流れに任せることによって押し込めたとも。誰も責任をとらず何となしに空気でもって動く日本ならではの風潮を、果たして称揚して良いものか。ちょっと気になる。

 というか、何かの本で読んだけれどもドイツなんか庭が荒れ放題になっていると近所の人が忠告するくらい、相互監視が進んでいたりして日本人ですら住みづらいってことだったけれど、そうしたドイツで自粛を相互監視で守らせていたのかどうか。それが成功していたら日本の10倍もの人が亡くなることはなかったと思うけど、そこは一方で個人主義も発達した西欧だけに、個人の活動にまで釘を刺せなかったのかも。言われてなびく日本人とは違うというか。

 英国のBBCが指摘する、「ふだんからかぜをひいた時にマスクをつけたり家で靴を脱いだりする日本の高い衛生意識などの要素が重なったためではないか」といった指摘はなるほど日本に土着の風習。これは確かにあるかもしれない。早々とマスクが品切れになるくらい誰もが健康に気を遣ったし。ガーディアンが指摘する「日本では国民が協力して『3密』を避ける努力をしたことなどによってウイルスの封じ込めに成功したようだ」といったことも、相互監視で集団になびく日本ならではの意識を、キャッチーなワードによって促したからとも言えそう。

 いずれにしても独特なこうした慣習と、あとは国民皆保険制度による健康への取り組みなんかを、これからの第2波対策で世界が取り入れ活かすとはなかなか思えない。そして始まる新たな流行の中で、日本はまたしても自粛と監視による封じ込めを行い経済は疲弊し、仙台にあるという炉端焼きの元祖の店は客足が鈍って潰れてしまい、経済は停滞して僕は路頭に迷い引きこもる、と。やれやれだ。

 そりゃあ法律に則れば1000点100円だって違法は違法で、そうした行為を咎められて自衛官が何人も処分を喰らって摘発までされた人がいたって不思議はなく、そうした事例を持ってどうして東京高検の検事長が1000点100円のレートで賭けマージャンをしたいたことが戒告とかではなく訓告の範囲にとどまったのかと問われて、1000点100円は慣習の範囲内で違法性が低いと言い逃れるのは難しい。人の命を左右する自衛官こそ法を守るべきだから厳格にというなら、そんな法を守らせる側の検察官のトップが率先して守らないというのも矛盾した話で、より厳しい処分が下されても異論は出ないだろう。

 でもそこは線引きされてしまう今の状況。引いてみれば1000点100円が本当ならば検察官でも自衛官でもまあ良いんじゃない的な態度で処分保留なり不起訴なりといった感じでお目こぼしをするのが良さげだけれど、こうして耳目が集まってしまっている中でそれをやってしまうと法律への信頼性がどっと薄れてしまう。心理的な垣根が下がってなし崩しになっていくというか。1000点100円のマージャンをつきあった新聞社の現役記者なんかも、この時期に渦中の人物と賭けマージャンなんかやってバレたらどうなるかといった思考が、全体的なモラル低下といった状況下で鈍り働かなくなっていたとも言えそう。誰も彼もやってるんだから自分たちだって、とか。ともあれ余韻がありそうな案件。どうなるか。

 やれやれ。木村花さんがネットでの誹謗に絶えきれず亡くなったという件で、元プロレスラーである母親の木村響子さんから悲痛な叫びが出ている感じ。「母である元プロレスラーの木村響子さんは『マスコミの皆様へ 警察や スターダム事務所に詳細を問い合わせるのは おやめください お仕事に詳細がでてしまいます 死者のプライバシーを どうか尊重してあげてください ギリギリのところで 闘っているひとたちの背中をおさないでください もう誰ひとりも傷つけないでください』と、様々な媒体からくる取材依頼に自粛をお願いしていた」という。聞いて幾つものメディアが詳細を伝えずにいた。

 ところが「一部マスコミが遺書が存在していたことやその内容の一部などを公開。これに響子さんは『連鎖を生まないために 花のプライバシーを守るために 触れないでほしいと 泣いて頼んだ結果がこれですか 誰も信用できない 弔う時間をください』と悲痛なコメントを出した」という。いったいどこが出したのかと調べたら、賭けマージャンを検事長としながらも記者の名前はいっさい出そうともしない新聞社だったりするから、これは相当に荒れそうな予感。木村さんに言われている亡くなり方については、それがどういったものだったかを報じるとこはWHOの定めるメディア関係者向けの手引きにも「センセーショナルに扱わない」「手段を詳しく伝えない」と定められている。にも関わらずそっちは出して自分たちは頬被りとなると、いろいろ言われてしまうだろう。そうした情勢を判断しての態度を取れないあたりに、下がってしまった垣根なんかがあるのだろうなあ。もう1度やれやれ。


【5月25日】 四隅の円柱のふとい柱が印象的なイタリアのミラノにあるスタジアム、スタジオ・ジュゼッペ・メアッツァが文化遺産ではないため保存されない可能性があるといったニュース。でも記事だとサン・シーロと書かれてしまうのは、そう呼ぶACミランの方がジュゼッペ・メアッツァと呼ぶインテルよりも日本では有名だし人気もあるからなんだろうなあ、最近はインテルの方がずっと成績がいいのに。日本だと国立競技場以外に歴史あるサッカースタジアムってないから話題にはならないけど、アーセナルが本拠地にしていたハイバリー・スタジアムも今はグラウンドが中庭めいた集合住宅になったし、ウェンブリー・スアジアムは建て替えられてしまったから、建築遺産として守り続けるものでもないんだろう。100年経ったら鹿島スタジアムとか遺産になるのかな。

 横浜の山下ふ頭に登場する予定だった”動く”ガンダムこと「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」はプレオープンも本オープンも延期。もとより東京オリンピック2020合わせのところもあってそっちが延期になった上に新型コロナウイルス感染症の影響で業務もきっと滞って工期とかに遅れも出ているだろうし、何より秋ごろまであまりイベント関係が稼働しない状況で、こちらがオープンするわけにもいかないって状況があるんだろう。あるは立ち去ったガンダムとしてアフガニスタンのバーミヤン石窟がタリバンによて破壊された後のような光景を見せるとか、やれば受けるかというとそうでもないからここは粛々と完成するのを待つしかないか。東京オリンピックが2021年も中止になってもガンダムは立って動いてくれると信じたい。

 すこし飛ばしてしまった「マージナル・オペレーション」のシリーズだけれど、新刊がランキングに入ってきているので久々に「マージナル・オペレーション改09」を手にとって状況を確認。どうやら北朝鮮が韓国を攻め立てソウルを人が住めない地に変え、韓国から人が脱出しようとしたものの日本とは敵対関係にあって流れ着いた難民を「まめたん」が排除しているとか。富士の裾野の研究所で生まれた「まめたん」も実戦配備されていろいろ働いているようで。「マジオペ」シリーズの主役たるアラタの率いる民間軍事会社もいっしょに東南アジアで作戦行動をしていたものの、中国軍の進撃が始まりいっしょに行動していたアメリカの海兵隊が撤退を決定。いっしょに引き上げるに当たって航続距離の短い「まめたん」をどうやって運ぶかでバッテリーを輸送して充電しながら引き上げる作戦を考え出す。

 もっともタイへと迫る中国軍に対してレインボーな組織が反発をして進撃を押しとどめるようイトウさんを通じてアラタに依頼。相変わらず謎の女性で申し訳なさそうな情けなさそうな態度を見せつつ大金をちらつかせつつアラタを雇い入れることに成功。アラタは元来た道を引き返すように中国軍と対峙することになる、といったあたりがだいたいの展開。日韓関係が悪化した上に北が動き背後の中国も東に南に覇権が及ぼそうとしている状況とか、大量の情報を分析してそうならざるを得ないだろうと推定した上での記述なんだろう。

 そうした状況に新型コロナウイルス感染症の影響はまだ織り交ぜられていないけれど、10年くらいの単位でみればおおむねそうした傾向は続きそう。中で日本に何ができるかというところだけれど、残念ながら「まめたん」は存在しないしアラタのような優れた指揮官も生まれてはいなさそう。イトウさんのような密偵の類も存在はしても上手く動かせている気はしない中、「この空のまもり」のように優れた民間の知性によって日本が屹立し、そして「セルフ・クラフト・ワールド」のように技術開発の分野でも先端を行って軍事的経済的に一頭抜けるなんてことにはならなさそう。

だとすれば中国の覇権は朝鮮半島の北を刺激し南をプッシュし日本に押し寄せ東南アジアはマラッカ海峡まで傘下に収められたあげく、アメリカはハワイまで退き日本が極東に孤立なんて可能性も生まれてきそう。そうしたあり得る未来を想定させつつあり得て欲しい未来をどうにか開こうとして知恵を授け人を誘おうとしている物語、って感じに「マージナル・オペレーション改」を読んでみた。「猟犬の國」とかも織り込みつつ後のシリーズへも連なるワールドでも、要となりそうなアラタの戦いの行方やいかに。クライマックスはすぐそこだ。

 朝はともかく夜の地下鉄の乗客数が先週あたりに比べて大きく増えてきている感じ。降りて登る階段も以前は前後に人なんていなかったのに、今は行列こそできないもののぎっしりとした群集として進んでいく。いずれギュウギュウ詰めな状況も復活するんだろう、そんな中でまたぞろ感染が広がり始めたらいったいどうするんだろう。緊急事態宣言が首都圏でも解除になって、これで大手を振って店を開く人も出てくるだろう。それは歓迎したいものの大丈夫かといった不安もある中で、戻らない客足をカバーする施策まで解除されてしまったら、感染が広がり店は寂れのダブルパンチ。そんな可能性を含んで見通しているのかな。気になります。


【5月24日】 NHKのスタジオパークが新型コロナウイルス感染症の影響で閉まったまま再開することなく閉館が決定とか。本来だったら6月にも再開となって9月の閉館を予定していたけれど、その間に開催される予定だった東京オリンピックが中止となって、渋谷の放送センターの建て替えスケジュールにも変更があった関係で閉館が前倒しになったらしい。9月から11月にかけてNHKのBS8K向け番組を手伝っていて、何度かNHKの放送センターにも立ち寄ったけれど、その時は西口玄関から入ることが多くって正面いあるスタジオパークは見てなかった。でも番組が出来上がって放送があるという12月1日に、家では見られない8Kを見るためにNHKに行った時にスタジオパークものぞいてみた。

 結構な人出で親子連れもいっぱいいて、NHKが誇るキャラクターたちと楽しんだり、番組の中に入り込んだり放送の仕組みを体験したりと賑わいを見せていた。遠く埼玉にあるSKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザまで行かずとも放送のいろいろが体験できる場として重宝していただけに、残念ではあるもののいずれ立て替えられれば似たような施設が出来るものと思いたい。そういえば8Kの番組は最初はスタジオパークで見ようと思ったものの、早い時間に閉まると分かってふれあいホールのロビーにある施設に移って見たんだっけ。そっちは折りたたみ椅子だったけれど、スタジオパークの方はクッションの効いた座椅子で大画面を楽しめた。8Kを一般にアピールできる場が減って、NHKとしても痛手じゃないかなあ、それとも8Kは諦めネット配信へと移項する? ちょっと気になる。

 SFなのでこれは読まなくてはいけないと森川秀樹さん「わたしの旦那はタイムトラベラー」(冨士見L文庫)を買い込んだ電子書籍版で寝転びながらペラペラ。面白い。結婚して新婚旅行に行った北海道の新千歳空港に着いたとたん、夫の弘樹が「僕はタイムトラベラーなのだ」と言い、「新婚旅行をするつもりはない」と言って空のスーツケースを見せ、ひとり帰って行き妻の末莉は茫然とする。そりゃそうだ。結婚前までベタベタで、スピーディに式まで挙げてそこには親族もやって来た。これから幸せな日々が始まると思った矢先にこんな出来事が起これば、誰だって唖然とするだろう。

 だから末莉はすぐには信じず、何か冗談を言っているに違いないと思い自分もひとりで北海道を回ることはせず、新千歳空港から関西へと引き返して自宅に戻り、夫に問いただすもののやっぱり「僕はタイムトラベラーだ」と言い張る。これはどういう訳だとしばらくやることを見ていると、どうも普通とは違うところが浮かんでくる。というか、どうして他の誰にも喋っちゃダメだと末莉に口止めをする事態を、末莉には喋ってしまったのかが不思議だけれど、そこは「夫婦間では隠し事はなし」だというのが信念だからという。

 妙に実直だが一方で冷酷。そんな夫から状況を聞き出し、どうやら近くに未来を大きく変えてしまうような過去改変が起こるのを阻止するため、100年後の未来からやって来たらしい。未来ならではのホログラフィックな変奏の技術を見せられ、ようやく夫が時を飛んで来たんだと理解した末莉は、弘樹と一緒に過去改変を阻止しようと動く。そんな間に、6才少年が曾祖父と曾祖母の離婚を防ごうと未来からやってくる事件とか、会社をクビになった男が過去に来て何かのために爆弾をしかけ誰かを殺害しようとする事件も解決した果て、過去改変をたくらみ促す「F」なる存在が現れる。それは……。

 ってところでなるほどと思わされる展開がある「わたしの旦那はタイムトラベラー」。どうして弘樹がそこまで過去改変の阻止に熱を傾けるのかといった理由が分かって、末莉はとても複雑な気持ちに囚われるものの、そこは弘樹の幸せを願って邁進するところがどうにも優しい。そしてもの悲しい。とはいえ、弘樹が「夫婦間に隠し事はなし」と言い切る信念の背後も見えて、どこか嬉しい展開も待ち受けていてホッと胸をなで下ろす。上手いなあ。そんな物語から、変わらないからこそ時間は尊いのだと改めて思わされる、過去への悔いをどこか引きずっていたりする自分。もう1年も経ったのだから、このあたりでしっかり今を固めて前を向くか? それができれば良いんだけれどなあ。まだまだ未熟だ心が。

 学校で「アベノマスク」こと安倍総理が配布を約束した布マスクを着用することを求める指導が行われているといった話で、出回っている書類に「アベノマスク」と書かれてあってそれって俗称である上に蔑称に近いところもあって、それを堂々と書いて着用を求めるあたりに貶めているのか持ち上げているのか分からない心境の複雑さが感じられて吹く。それが本当だったら1家に2枚しか配布されないマスクをそれこそ毎日着用しなくちゃならない理不尽さが咎められるべきだし、呼び名も珍妙なものとして指摘されるべきだけれど、そうした方面に頭が回らないくらい学校の現場も混乱しているのかもしれない。分かっていながら変えられない理不尽さもあるのかもしれないけれど。緊急事態の中、いろいろなことがボロを出す世の中になっているなあ。


【5月23日】 「単行本の表紙にイラストレーターを起用したとき、そのイラストレーターがマンガやアニメ出身だと、どうあがいても顔や手足がマンガになってしまう(人物デッサンは、あらゆるデッサンのなかでもっともむずかしい」。そう言ったのは作家の黒川博行さん。京都市立芸術大学で彫刻を学び美術教師もしていた経歴から、絵について一家言を持っていることは分かる。奥さんも日本画かだというからなおさら絵に対する目の厳しさもあるのだろう。

 でも、漫画家さんもアニメーターさんも芸大出が大勢いたりする訳で、決してデッサンができない訳じゃない。入試には必ずデッサンとかあるし、それが東京藝大だったらなおのこと半端なデッサン力では入学できない。東京藝大の油絵とか出た一ノ関圭さんや林田球さんなら、もう完璧デッサンの表紙絵を描いてくれるだろう。東京藝大の日本画で大学院まで行った安倍吉俊さんだって完璧な構図の絵を描けたりしそう。だから技術の問題というより絵柄の問題であって、そういう絵柄が相応しくないと言った方が良かったんじゃなかろうか。知らず言ったのなら無礼だし、燃えると分かって載せた媒体も何だかなあ。

 誰かの気軽な悪意が他の悪意を気軽に誘って増幅していく装置としてのネットというか。スマイリーキクチさんの件でも取りざたされたけれど、当人たちは別に社会的に何か虐げられているといた感じではなく、そうした鬱憤から世間に向けて悪意をむき出しにしている訳ではない。むしろ日常だったらそうした見解など示すことはなさそうなのに、ネットの上で誰かがそうした悪意を垂れ流していると、つられて自分も悪意ある表現をなぜか正しいことのように示してしまう。そんな連鎖が拡大して増幅して巨大な悪意のかたまりを作り上げて対象を攻め立てる。

 コロナ食堂という長野県にある食堂が激しい誹謗を受けているとう話。この件もネットという誰でもどこからでもアクセスが可能で、発表も閲覧もできるメディアが存在したからこそ起こったこと。コロナ食堂という別にどうということはない食堂がやり玉にあがって誹謗され、それがリアルにも伝わって店の前で嘲笑的とも中傷的とも言える行為に出る輩が現れた。ネットがなければ誰も知らず長野にある食堂がたまたま同じ名前だった程度で済んだ話。それが今はトピックとなると大勢が群がり拡散をして日本のみならず世界中から注目が集まる。そして悪意も。

 そうした視線に対して、今は外れているコロナワールドといった遊興施設は誹謗中傷のやり玉にそれほど挙げられていない。なのにコロナ食堂はこうして新聞沙汰になるくらい大変な目に遭っている。対象の大小はもはや関係なく関心の多寡で被害が決まってしまうこの世の中。テラスハウスにでていた女子プロレスラーの一件もそうした状況に重なるところがある気がする。

 テラスハウスなんて見て無くて女子プロレスも昔ほど関心がない身には誰といった感じだしどうしてといった疑問も浮かぶけど、ファンとして、あるいはアンチも含めて見ていた人には半ばそうなることが見えていたような状況らしい。直前いは大勢が筆をって今すぐ見に行けケアをしろと呼びかけている。団体を買収したブシロードの木谷高明さんにもツイートでの呼びかけがあったけど、新型コロナウイルス感染症の流行が見えた段階で秋葉原にリモートワーク用のノートPCのを買い占めに言った木谷さんがすぐに動かず止められなかったのが何か悲しい。そして寂しい。

 テラスハウスというリアリティショーにもまったく関心がなく、そこでのやりとりを多くがリアルな心情からでたものだと皆が受け止めて見ているのか、台本に沿いつつハプニングなりアドリブを楽しむものだと割り切っているのか、そこすらも分からないけれどもたとえドラマでフィクションでも役によっては非難が向くのは昔も今も変わりない。なおかつそうした垣根を薄めてぼやけさせたリアリティショーなら余計にフィクションもリアルと受け止める、そう受け止めたがる心情から起こったことへの非難も起こりやすいのかもしれない。結果……。何とも悲しいし寂しい。そして日本でこうした一件が起こって、果たしてメディアはどう対応するのか。目ん玉グループは紙も電波も大変だなあ。

 いやまて。法務省が悪いんだ話になっているけど。読売新聞の解説記事。「昨年末、稲田氏の了承を受けて法務・検察が官邸に上げた幹部人事案は、2月に定年を迎える黒川氏を退職させ、東京高検検事長の後任に林氏を据えるというものだった。林氏の検事総長就任含みは歴然だった。官邸がこれを退けると、逆に法務省幹部は稲田氏に2月で退任し、黒川氏に検事総長の座を譲るように打診した」。この部分でどうして林氏を官邸が蹴ったかが説明されていない。ここで官邸が蹴らなければ法務省だって黒川氏で行けって指令だから、それを受けて黒川氏の案を上げつつそれを通すために定年延長が必用と示唆して、その整合性をどうとるかで七転八倒する羽目になったんじゃないのか。そういう状況に追い込んだのは官邸じゃないのか。そう突っ込まれる部分を残したところに、何か意図があるのかも、言いたくても言えない寂しさを滲ませようとする。

 何かのための覚え書き。カクヨムで血を吐きながらまとめた20世紀分の日記ダイジェストから「少女革命ウテナ」への初見をまとめたパートで「『少女革命ウテナ』といえば、『さらざんまい』が平成31年(2019年)4月カラスタートする幾原邦彦監督が手がけた伝説のアニメーションとして、今に語り継がれています。平成9年(1997年)の4月2日に始まった放送を、購入済みとなっていたビデオテープレコーダーに録画して見た時、奥井雅美が歌うオープニングの格好良さにしびれ、本編には『予想どうりにタカラヅカも吃驚の展開で、薔薇の花をバックに超絶美少女と超絶美少年(長髪)が会話し、闘い、愛し合う光景に、次第にクラクラと目眩がしてくる』といった感想を持ったようです」と書いた。

 でも、見ているうちにすぐ慣れて、はまっていったのは周知のとおり。演劇実験室◎万有引力や寺山修司に造詣が乏しい目にはやはり衝撃が大きすぎたったけれど、そうと知ればそういうものだと慣れるものだし、パターンを決めつつ徐々にずらしながら全体のテーマを奥へと引っ張り込んでいく手法も見えたので、気にせず見て行けたといったところだろう。「さらざんまい」のパターンを入れ込む演出にも、だから違和感は抱かなかった。とはいえ今これを初見で見る人がどういう印象を抱くかは大いに気になるところ。ひとつ言えるのはどの場面を切り出しても見事に美しくて目に焼き付くといった絵の力に溢れたアニメだなあってことだろうか。原画のパワーもすごかったんだろうけれど、それを動画にしてセル画にして撮影してフィルムにして放送してもちゃんと美麗さが生きている。伝わってくる。絵力にあふれたアニメだったと今にして回顧。


【5月22日】 気がついたら夏の甲子園での高校野球も中止になっていた。今の状況だと練習もままならない状況で県大会へと突入しては予選が繰り広げられかねない状況下、とてもじゃないけど準備不足で怪我人とか出たりする可能性もあるし慣れていないと熱中症にだってなったりする。何より予選で人が集まり収まりかけている新型コロナウイルス感染症が広がったりでおしたら大変。そこも無観客にしたところで甲子園へと大勢が移動する状況下、感染が広がったりする可能性もあるならここは中止するしかないんだろう。広いグラウンドで9人しかいないから大丈夫、って訳じゃないのだ。

 だったら来年冬の春高バレーはどうかってことになるけれど、夏あたりから練習が再開すれば県予選から全国大会も夢ではない気はする。いつか誰かが先陣を切って日常へと快復する道を開かなくちゃいけないのなら、冬のサッカーなりラグビーなり春高バレーはそのひとつの道になる。とはいえ屋内の競技だと密が発生しやすいし、なおかつ冬で感染がぶり返しそうだとちょっと無理かも。時期をずらして早春ではなく晩春高バレーにするとか。そういや春高バレーまっただ中の「ハイキュー!!」も「TO THE TOP」第2クールの放送が7月から延期になっていた。割と身近な作品だけに現場は大変そう。結果として中間制作物が後半に一気に貯まって押し寄せてくる? 気構えはしておこう。

 シルバー仮面とレッドバロンが大暴れするような特撮映画「BRAVE STORM ブレイブストーム」を現代に撮ったり、座頭市がプレデターと戦うファンムービーで世界を驚かせたりしつつブラストの方ではCGだとか特撮を手がけている元ビルドアップで元円谷プロの岡部淳也さんが、役者の人たちがこの新型コロナウイルス感染症に伴う映画の撮影からテレビドラマの収録から舞台からアニメまでさまざまな活動の場が締まり、困窮する事態に打開の道を示すプラットフォームを企画して送り出して来た。

 その名も「サシトーク」はネットの上でキャストがゲストとビデオ通話で喋ってお金をもらい、ゲストがキャストとビデオ通話しゃべってお金を支払い双方が満足するという仕組みのサービス。それって別に今でもZoomとかSkypeとか使えば出来るじゃんとは言うものの、マッチングをしてその間に支払いを成立させるのはなかなかに難しい。喋ってあげるから後でお金を振り込んでね、なんて気軽に言える役者さんもそうはいないなら、仕組みとして金銭の受け渡しが可能なプラットフォームを作れば良い。そう考えたみたい。

 料金はブロンズの10分500円からブラック(カードでいうブラックカード的な意味合いね)の10分3万円まで5段階。たとえば自分だったら10分のしゃべりに幾らの価値があるんだろうなんて考えちゃうけど、そもそも自分とサシで喋りたい人なんていないだろうから逆にお金をはらって言うことを切ってもらいたいと、そんな相手を探してしまうかもしれない。ってことはもしかしたら、聞き上手なプロが登録して10分5000円のゴールドか1000円のシルバーあたりで待ち受けたりすることもあるのかな。

 主流はだからやっぱり喋りを大勢が聞いてくれそうな俳優さんなりタレントさんなりアイドルさん。あるいはおしゃべりのプロなキャバクラ嬢とかホストさんとかクラブのホステスさんあたり? そうした水商売の人もはじかず「ナイト」というカテゴリーでキャストを募集しているところは興味深い。他に「タレント」「カルチャー」、そして占い師さんとかコンサルタントとか入りそうな「マスター」、さらに素人モデルやレイヤーさんや個人の何かに詳しい人なんかがいたりする「フレンド」といったカテゴリーが用意されている。

 登録してサシで話して対価を得るだけのしゃべりができる人には、稼げるプラットフォームになりそうだけれど、それに見合った話が出来なかったからチェンジだ返金だとなった時にどういったケアができるのか、いつかのダイヤルQ2みたいにエロ会話目当てでお金をツッコむ人、ツッコませる人が出てきて社会問題化する可能性はないのか、そして売買春とか薬物取引とか違法性のある行為が伴う会話をさせない仕組みになっているのか等々、気になる部分はあるけどそれらはもちろん考えてのプラットフォームだと思いたい。現在キャスト募集中。我と思わんものは声を出せ。

 取材なら車で送り迎えしながらその渦中で話を聞こうがいっしょに雀卓を囲んで麻雀をしようが構わないが、そこで金銭授受が伴う賭け麻雀は犯罪行為だから良くなかったと言うなら、そうした犯罪行為を目の前で東京高検検事長がまさに繰り広げていることに対して取材して記事にして告発しなかったことはジャーナリズムとしてどうなんだという話になる訳で、そこはけれども取材源は秘匿するので東京高検検事長が相手で賭け麻雀をやっていたことも黙り通すというみたい。それで体面は守れても、世間の信頼はやっぱり揺らぐだろうかというと、元からの信頼がどれだけあったかにもよるから何とも言えない。

 かつて川本三郎さんが朝日ジャーナルの記者として朝霞の自衛官を殺害した犯人をそれと知りながら接触し、スクープのために金銭を渡し証拠隠滅も計ったことで逮捕され、朝日新聞社を懲戒解雇になっている。殺人という重大性もあれば証拠隠滅と逃亡幇助といった反社会的な行為も伴っていて東京高検検事長と一緒に賭け麻雀した一件とは比較は難しいけれど、軽重とか事件性はともかくこの一件で朝日新聞社が証拠隠滅や逃亡幇助といった不適切な行為には断固とした処置を執るといいつつ、取材源の秘匿を原則としてどの記者が誰と会って何をしたかは言わないなんって態度をとったら、世間から袋だたきに遭うだろう。

 あるいは今回の賭け麻雀が朝日の記者だけだったら、何を取材源の秘匿だ犯罪行為に手を貸しているんだから公共性が勝り相手も自分のところも名前を出して謝れという気がしないでもない。でもそうはしない今回の件はやっぱり将来においていろいろ禍根を残しそう。というかすでにユラユラとしている土台にぶすぶすと槍が差し込まれているような感じ? あと何発喰らえばチェブーラシカ(ばったりたおれる)んだろうなあ。割と気になります。


【5月21日】 例の東京オリンピックのマークと新型コロナウイルスにしてしまった外国特派員協会が撤回。「会長は『今回の問題は表現の自由についてではなく、日本の法律である著作権をめぐる問題で、協会の理事会は複数の法律の専門家に相談し、われわれの立場は有利ではないと明確に助言を受けた』と述べ」たところにパロディの日本における展開の難しさが滲む。厳密にはそうであっても風刺は風刺として尊重する風土を持つところもあれば、もとより風刺に著作権は絡んでこないところもある。日本は違うというところ。嫌がることはしないという美徳でもあるけど嫌がってもらわないとかたくななままという相手もいたりする中、そうした風刺を通す針を作る必要があるのかも。法律なり意識なりで。

 大阪府京都府兵庫県でも緊急事態宣言の解除が正式に発表されて残るは首都圏だけになった模様。その首都圏でも感染者、死亡者ともに減少していて状況だけなら1月2月あたりと変わらなくなっている。だからといってその時みたいに映画館が普通に開業してたり、ライブハウスが普通に運営されるようなことはしばらくはなさそうで、飲食店も深夜まで開いてパーティ三昧といった日々が戻るにはまだしばらくかかるか、それとも当面は戻ってこないのか。歴史的な節目を目の当たりにしているのだなあという実感が改めてわいてくる。

 そんな状態が続けば来年の東京オリンピックだって開催が怪しくなって、そして2021年に開けなければ中止とIOCも言い始めていていよいよ東京にとっては2度の目の幻のオリンピックに終わる可能性が出て来た。オリンピック全体でいうなら延期にして中止は初か。それもまた歴史を目の当たりにしているといえそう。それにしてもやっぱり不思議な海外に比べて大いに少ない日本の感染者数と死亡者数。ダイヤモンドプリンセンス号の対応のまずさとか見るにつけ、これが日本全国規模で繰り広げられたらいったいどれだけ広がるのか不安も増したけれど、どういう訳か結果としては大きく広がらなかったし、これからも広がらない可能性も見えて来た。なぜか。

 ってあたりで人種の間での感染度合い、重症化度合いの差だとか、新型コロナウイルスの株が欧州とアジアでは違っている話だとか、アジアにおける新型ではないコロナウイルス感染症の広がりが抗体を生み出していた可能性だとか、いろろ検証されていくんだろう。BCGの接種の影響なんかも含めて。それはでも神風ではなく運なり地勢的な行幸であって逆の現象だって起こりえる。そこを踏まえて反省して対策を積み上げていくしかないんだろうなあ。次いつまた同じ状況に陥るか分からないし。

 黒川弘務東京高検検事長が辞表を提出。理由は黒川検事長が賭けマージャンをしていたことで法務省の調査にこれを認めて訓告処分を受けたとのこと。辞表の受理があるのかそれとも世論が騒いで懲戒免職になるのか分からないけれど、すくなくとも公式に検事長は賭けマージャンをしていたことが認められた格好で、それが1人ではできない以上、相手をしていた新聞記者とやらも必然的に賭けマージャンをしていたことになる。これで警察が動いて賭博罪容疑で起訴なり書類送検となった場合、当然に一緒にかけマージャンをしていた新聞記者とやらも対象となるわけで、そこでいったいどういうコメントが所属している会社から出てくるかが、今のところ気になっていたりする。

 現在までに所属会社では賭けマージャンが行われていたかどうかは公言しておらず、そして実際に記者がマージャンをしていたかどうかも認めてはいないけれど、蓋然性として黒川検事長と会って何かしていただろうことはにおわせつつ、それを取材行為だと言って取材源秘匿の観点から誰と会っていたか、そして何をしていたかは口をつぐんでいる。これはこれでひとつの筋ではあるけれど、相手が黒川検事長でそして賭けマージャンが行われていただろう状況が周知となっているにも関わらず、それを取材行為と言ってしまって大丈夫なのかおいおいといった声が世間に渦巻いている。

 筋は立っても道理が立つものではないシチュエーション。だから朝日は元記者だったことも幸いしてか、勤務時間外に個人的に面会して遊興していたのであって取材ではなく、そして賭けマージャンが行われていたならはなはだ不適切だといったニュアンスで個人に責任を持たせ、それでも社員が不適切なことをしたのだから謝りますと良い抜けた。これもこれでひとつの筋。そして今のところは通っている。世間の朝日嫌いが逃げているだのどうだのといっても、記者じゃない人間の平日の行動で、なおかつ自宅でもなくハイヤーも仕立ててないから筋は十分に通っている。これで終わりにせざるを得ない。

 一方は賭けマージャンだったと公式に認められた現在以降、社員が賭けマージャンに興じたことを朝日同様に詫びる必要がある上に、そうした賭けマージャンをそうだと感じつつ「仕事」」と言ってしまった理由を説明する必要も出てくるし、報道機関のそうした「接待」が過去にあったかも調べる必ようが出てくる。ハイヤーを仕立てて送迎したことは、取材相手に対してはあることだから会社側には罪は問えないけれど、受けた黒川検事長の側からすれば便宜供与にあたりかねないシチュエーションだけに、これから突っ込まれるだろうなあ。

 そうしたロジックからの追及はさておいて、問題はこ外出自粛が世間的に求められて誰もが娯楽に飢えつつ我慢している中、いろいろな騒動の渦中にある注目の人物を、ハイヤー仕立てて送迎までして自宅に招いて、バレたらお互いに、というか片方は法律を守らせる側のトップクラスに位置する人間だけに、破滅する可能性の高い賭けマージャンなんかをやってしまったこと。我慢できなかったんだろう。密がどうとか越県がどうとか言われてもパチンコ屋に集まってしまう人たちとそこは変わらない。そういう人間臭さは悪くないけど、一線を越えてしまえる心理はいったい何なのか。お互いに世間を舐めていたのか。もはや当たり前だと思ってしまっていたのか。悩ましい。


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