縮刷版2020年4月下旬号


【4月30日】 佐藤順一さんが監督をしてスタジオコロリドが制作にあたった映画「泣きたい私は猫をかぶる」の公開が2020年の6月5日に予定されていたんだけれど、どうやら公開が延期されていたようでいったいいつになるのかと思っていたら、何と6月18日からNetflixで配信されることになったとか。映画が公開できるファーストウィンドウを配信にするってケースは、お隣の韓国なんかでも話題になりつつ海外での販売を行っていた会社が、それはダメだと異論を唱えて騒動になった。一方で海外でも公開延期となる作品が続出しているようで、アカデミー賞がノミネートの基準を改めて配信がファーストウィンドウになっていても、後にアカデミー会員向けの上映が行われればノミネートは可能ということになった。

 アカデミー賞はカリフォルニアの劇場で2週間だか公開されたものでないとノミネートされないって規定が確かあったんだけれど、今後の新型コロナウイルス感染症に伴う映画館の閉鎖が、続けばそれは無理だし解除されても詰まった公開スケジュールを全部埋めていくのはとても無理。となればしわ寄せをくらって公開されない映画も出てくる訳で、そうした作品を救うためにも早いうちから配信への切り替えを誘っておこうという考えなのかもしれない。再開後は規定通りに公開されないといけないみたいで、そこで慌てて突っ込んで劇場がとれないよりは、早めに配信をしておいた方が特って考える映画も出てくるかも。日本でも見られるといいかなあ、ディズニーの「ムーラン」あたりなんか特に。

 「泣きたい私は猫をかぶる」は愛知県の常滑市が舞台になっているそうで、地元民としてはやっぱり映画館で公開されて全国的に常滑市が有名になって欲しかった気がする。陶器の町であり今はセントレア国際空港に面した町でもある常滑市が、どういう風に描かれて居るのかとても興味があるから。劇場で視られなくてもNetflixに入っているから見られるんだから良いと良いけれど、映画はやっぱり映画館の大きなスクリーンに合わせて作ってある。だからやっぱりいつかはそこで見たいのだった。映画館が再開されても公開はされずにNetflixオンリーでいくのか、東宝が絡んでいるってことでTOHOシネマズでの公開は行われるのか。夏休みあたりに期待。TOHOシネマズ赤池が実家に近い場所にあるからそこで是非。

 3時間くらい話されたことをその場でパソコンに入力していったものを、あらためて読める形に書き直して整える作業を延々と。ロジカルに喋っているようでも話は前後するし、固有名詞とか分かっているように喋っていても、他の人には分からないだろうから探って補足していく作業も必要で、全部を整形するのに3倍以上の時間がかかってしまった。これがただ録音されたものをテープに起こしてそれから整形していては、テープ起こしだけで軽く6時間はかかって、そして10時間くらいの手直し作業が必要になっただろうから、聞き書きしていった分は短縮できた恰好。オーラル・ヒストリーってとても重要だけれど、テープ起こしからの整形、そして校閲なんかを考えるとやっぱり大変な作業なのかもしれない。

 それでも、人の証言が重要なのは記録として残されていないところにも、いろいろな動きがあるからで何かが発見されたり創作されたりした場合、その課程においてどこにも記録されていない事実があったりするもの。そういったものを知らずポイントだけみても突然変異的に現れたとした思えないけれど、裏側をたどるとしっかりと流れる水脈があって、その上で生まれ育まれたものだと分かる。そうした部分を蔑ろにしては創造にしても創作にしても再現なりは難しい。だから必要なオーラル・ヒストリー。手間暇とコストを度外視して、やっていく必要を認めてくれたら頑張るのになあ、幸いにして聞きながらキーボードを叩いていくスピードだけには自信があるから。今回は3時間のトークで整形におよそ10時間。まあまあかな。次はいつだろう。

 テレビが着かないのでワイドショーの類は一切見てないから、いったい今のテレビで新型コロナウイルス感染症への考察がどうなっているかまるで分からないんだけれど、政策にどちらかといえば批判的なテレビ朝日の「モーニングショー」をやたらと持ち上げて自分のブログというよりYahoo!ニュース個人というパブリックな場に聞いたないようをそのまま書いていたりする、元テレビのドキュメンタリープロデューサーで、今は大学でメディア関係のことを教えていたりする人がいたりして、ジャーナリストだったのならテレビを丸パクしてるんじゃなく、自分で取材して書けば良いのにと思っていたけど、それを言うなら自分だって二次創作が中心だから偉そうなことはちょっと言えない。本を読むだけまだましかな。

 問題は、そのジャーナリストが「モーニングショー」の盛大な間違いを最初は真に受けて褒め讃え、後に「モーニングショー」が訂正をして謝罪をしたら、自分は信じていたから書いたまでで、拙かったけれどそれ以上に調べないで書いた「モーニングショー」が悪いってな感じの事を嘯いていたので腰が砕けた。それでメディアリテラシーなんてものをもしも学校で教えていたとしたら、生徒さんはいったいどんな顔をすれば良いんだろう。間違ったことを伝えるかも知れないメディアに対して、受けてとしてどう接するかを教えなくちゃいけないにも関わらず、間違いを真に受けて喧伝し、間違いだと知ると間違えた側が悪いんだって、そんな話が通用するのか。するんだろうなあその人の中では。今も盛大に「モーニングショー」を絶賛中。それで満天下に半ば公器のサイトから発信できて実入りもあるなんて、羨ましいねえ貴族だねえ。


【4月29日】 毎週とてつもなく面白いアニメーション版「波よ聞いてくれ」だけれど最新エピソードは鼓田ミナレのひとり喋りがあまりなくてそこは残念。でもADの南波瑞穂のカメに対する偏愛ぶりが現れていたり、城華マキエが能登麻美子さんでどうにも不幸な感じが漂いだしていてジンと来たので声に関する不満はなし。そして次週はいよいよ始まった鼓田ミナレの番組で、人を殺して埋めに行くラジオドラマが実況風に語られる屈指のエピソードが登場するので、そこでいったいどんな実況ぶりを見せてくれるかに期待がかかる。たぶん大丈夫。その次は効果音をオールアナログな上に生で出すドラマが番組になるはずだけど、その効果音を全部アナログで再現したら凄いなあ。それはさすがにないかなあ。

 このタイミングしかなさそうだと、今敏監督が手がけた唯一のテレビシリーズとなる「妄想代理人」をNetflixで見始める。DVDも全巻そろえたしブルーレイボックスも買ったけれども実は今まで見たことがなかったのだった。WOWOWでの放送だったからその時には見るのは無理だったけど、その後もなぜかあけずに積んだまま。そして「パプリカ」を作って「オハヨウ」という短い作品を手がけ「夢みる機械」の作業を続ける中、2010年に今敏監督はこの世を去る。没後10年というタイミングでいろいろと思い出すこともあるだろう中、やっぱり見ていない作品があるというのは寂しいのだった。

 実は「妄想代理人」についてはロフトプラスワンで開かれたイベントは見たことがあって、そこで現実の壁をぶち壊すような場面があることは知っていた。でもストーリーについては詳細は知らず、ただ桃井はるこさんがマロミってキャラクターの声を演じていることは知っていたくらい。そして見た「妄想代理人」はなるほど妄想によって埋めたい気持ちがあるのを代理人が満たしてくれるという冒頭か。少年バットは悩みをかかえた人のところに忍びより、悩みを棚上げする手伝いを果たしてくれる。キャラクターが決まらないとか仕事が大変とか虐められているとかいった。でも根本的な解決にはなっていない。

 そうこうしているうちに少年バットが捕まり人物として可視化されてしまったけれど、本当に少年バットがすべての鍵なのか。まだ3話とかの時点でそれではきっと違う展開もあって、より深い幻想の泥沼に沈み込んでいくんだろう。どういう話か、先とか調べないでこのまま見ていこう。それにしてもオープニングから凝ってるよなあ、っていうか登場人物たちが直立して真層面を向いて笑っているだけ。見ていく内に誰が誰だか変わるけれどもそれで変化することもなくずっと続く。気持ち悪いけど爽快なオーニング。今敏監督らしい。エンディングも寝ているキャラクターたちがアップで映され、引くとハテナの字になっていて中心にマロミが。謎はまだあるってこと? 今週くらいに全部見切ろう。

 新型コロナウイルス感染症の感染者が28日は東京都で47人だったそうで、前日が週末ではなく平日だったにもかかわらずこの数字というのを果たして感染のピークが過ぎたと見るべきか、検査数がまだ足りていないと見るべきか迷うところ。亡くなった方も9人とやっぱり少ない感じ。こういう傾向が続いて病院のベッドが空き気味になってくればいよいよ自粛も解除ってことになるのかな。とはいえ東京都では延長する気があるみたいだし、政府の方も警戒を緩めていない。この大型連休の中で緩みを見せればたちどころいn拡大する恐れがあるから、しばらく引き締めの姿勢を見せて出歩くのを抑制することになりそう。もうずっと東京に出てないから銀座や渋谷がどうなっているかまるで分からないのだった。分からなくて別に良いけど。

 新型コロナウイルス感染症にまつわる自粛といえば、インターステラ社のロケット打ち上げがこの大型連休中に北海道の大樹町で行われようとしていたんだけれど、見物に大勢の人が町に訪れる可能性を嫌がって、町の方から打ち上げの延期を求める声があがったとか。元より打ち上げに観客なんて呼ぶつもりもなく、そして事業としてやっているのでタイミングを外せば損もでるから今のうちにやっておきたかったにも関わらず、勝手に観に来る人がいるだろうから、その原因は排除すべきといった思考によって強く求められ、結局延期せざるを得なくなった。

 インターステラに出資しているホリエモンが激怒するのも分かる話。とはいえだったら打ち上げに際してどれだけの理解を町民に求めたのか、それこそ訪ね歩いて大丈夫ですと言って回ったかどうかといったあたりは気にかかるところ。そこまでする必要なんてないと言う声もあるだうけれど、やりたいのならそこまで努力する必要もあるといった声もありそう。良いときばかり観光資源として活用して置いて、危なくなると危険視する町の態度も業腹だろうけれど、こうした機会をとらえてより親密になって、町のロケットといった意識を持って貰えれば、次からより支援を得られると思えば自粛から説得というルートもありなんじゃないのかな。さてはて。


【4月28日】 第32回ファンタジア大賞で金賞の川田戯曲さん「嘘嘘嘘、でも愛してる」(ファンタジア文庫、630円)は交通事故で頭を打ち、記憶を失った少年に三人の少女が寄ってきたところから幕を開ける。少女はセクシーでヤンデレ気味の色町紙織、幼なじみの花屋敷花蓮、胸はないが積極的な雪縫霙といった感じで実によりどりみどり。おまけに全員が少年との関係を語って寄り添おうとするけれど、記憶を失っているからそれが本当なのか、そして誰かが彼女なのかも分からない。

 とはいえ前と同じように付き合おうかと思ったものの、どこかで微妙に齟齬が出る。前に誘った場所だからと言われデートに行って入った牛丼屋で牛丼を一口食べた途端に吐き出すとか。それを本当に自分がやった? 謎めく行動が続く中、断片的に蘇る記憶の中で少年は、3人と以前は違う関係にあったこと、そして3人の誰かに殺されかけたことを思い出す。いったい誰? そして過去はどうだった? ってのを探る一種のミステリ。とはいえ、見破った上で新たな関係を築こうとする少年だから、嘘をついてでも少女たちが迫ろうとしたのかも。優しくなければモテないのだなあ。

 「自粛警察」だなんて言葉がツイッターのトレンドに入ったりして、会合だとか移動だとかで人が集まったり動いたりする行動に対して、目を光らせる人があちらこちらからいっぱい出てきてどうにもこういも背筋が冷える。もちろん集まったり動いたりしないにこしたことはないけれど、俗に3密と呼ばれる密集だとか密接だとか密閉をしっかり避けて運営されている事柄にまで、異論をはさんで文句をつける、それも正面からではなく張り紙という形で誰も見ていない間に張っていくという行為は果たして正義なのかどうなのか。だいたいが、外に出て状況を見張って張り紙を張りに行くことですら感染の可能性が伴うのに、それをやってしまえるところが謎めく

 それはたぶん、自分たちが自粛を余儀なくされている中で、誰かが何かをやっているのが許せない気持ちがあるんだろうなあ。自分は損をしていないのに、誰かが得しているのが許せない。そんな感情は、以前から生活保護を受けざるを得ない人たちとか、福祉のお世話になっている人たちにもズルいといった言葉で向けられている。公務員にすら税金で云々といった言葉で放たれている感情は、たぶんに誰もが潤っているようには思えない今の雰囲気んも左右されているんだろう。だから終わらない。厄介だ。

 これはズルいといった感情とは違うけれど、人の流入を止めるのが正義といった感情から、ちょっと常軌を逸したことでも平気で提案できてしまう雰囲気もやっぱり厄介な感じ。岡山県が県内を通る人たちの体温を測るぞといきまいて、それはどうだといった声があがると、脅迫もあったといってひっこめた。いや本当に脅迫もあったんだろう。それは相手の思いに対する攻撃だからいけないけれど、かといって関所めいたものを置いて体温を測るなんて土台むり。引っ込められるのも当然か。

 ならばと今後は岡山県内のインターチェンジを閉鎖すると言い出した。おいおい、高速道路は観光客も通るけれど通勤や業務の人だって通るし、岡山県にさまざなな物資を運んだり、岡山県から運び出したりする物流の車も通る。そうしたある種の生命線も含めて止めてしまうというのだろうか。そういう配慮をせずに止めれば人の流れを立てると短絡して平気な審理に、自粛は正義といった意識の肥大が見えたりする。

 下の道を通れば入れるだろうといったって、遠距離から高速で運んできた車が高速でそのまま岡山県内に入れないとどこかにしわ寄せが出てしまう。それで迷惑をこうむる隣県のことを考えなしに言ってしまったのだとしたらやっぱり無責任。もちろん人を避けたい気持ちは尊重できるから、物流に関しては素通しみたいな配慮をとれるかどうか、そこを考えていって欲しかった。まあこれも、同種の意見が出てしりすぼみになるんだろう。いったもの勝ちの競争はそろそろやめて欲しいねえ。

 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q」をふと見てしまってから「破」「序」と遡りつつ旧作の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」も見てしまってさらに「EVANGERION DEATH (TRUE)2」もNetflixで見てと一気に振り返りモード。そこからテレビシリーズに入ってだんだんと中盤までが、シンジがレイと出会ってミサトと同居してアスカが乱入してきて大変ながらも楽しい展開にシリアスな戦闘が混じりつつ、それでもしっかりとシトを撃退しながら誰もが成長をしていく青春ストーリーって奴だったってことを思い出した。この頃がメカの格好良さに特撮的なレイアウトの懐かしさとも重なって、「新世紀エヴァンゲリオン」という作品の評価が天上まで押し上がっていたんじゃなかろうか。

 それがだんだんと過酷な戦いに身も心も削られる少年少女のドラマになり、そしていったいどういったクライマックスが待っているかと思ったら、エッセンスだけはしっかり抜きつつそれを会話劇の中に描いてしまった最終2話によってアクションと青春に期待していた人を怒らせた。一方で残った不満が後々まで尾を引いて作品事態への関心を長引かせ、今に続くコンテンツにしたなから世の中は分からない。もちろん間に廃れかけた時期もあったけれど、そこをパチンコが埋めつつ新劇場版で再起させたのは凄いところ。そして作られた「序」と「破」で期待を誘いながらも「Q」でひっくり返すんだからやっぱり庵野秀明さんという人は、相当に捻くれているって言えるかも。僕は大好きだけど、「Q」。

 「はっきりしたことは言えない。状況は把握しているが今は話せない」というのは勘ぐれば、相当に悪いとは分かっているけどそれを言ったら世界が大混乱するから言わないだけで、自分は知っているぞという意識の表れに他ならないんだけれど、アメリカのトランプ大統領が北朝鮮の金正恩国防委員長についてそう語った言葉を勘ぐるべきか、それとも健康って分かっているのに世間が不安説であたふたしているを見るのが面白いから言わないと口をつぐんでいるだけなのか、判断がつかないところがトランプ大統領の言説をストレートに理解できない状況なんかを表している。どっちなんだろうねえ。韓国では別荘にいて馬に乗っている姿が衛星から観測できたって話も伝わってきていて、影武者が頑張っているのか本当にそうなのか、やっぱり判断に迷うところ。いずれにしても新型コロナウイルス感染症で自閉する世界の中で、話題を提供してくれるて感謝すべきなのかな、この際。


【4月27日】 ユースビオって名前がトレンドに上がってきたりしていて、何かと思ったら安倍晋三内閣総理大臣が配布すると明言した全国民向けのマスクの調達にあたった4社のうち、名前が判明していなかった1社ということらしい。さっそくいろいろと調べる人がいて、会社を訪ねたらあまり大きくはなく壁に公明党の国会議員のポスターなんかが張ってあって、幽霊会社だのトンネル会社だのと言われてしまって大変そう。これで突撃をかける人とか絶対出そうだけれどもBuzzfeedが代表の人にさっそく状況を訪ねていて、それによると別に黙っていてと頼んだわけでもなく、ましてや幽霊会社やトンネル会社の類でもないってことらしい。

 「ユースビオはもともと、ベトナムからバイオマス発電用の木質ペレットを輸入する事業を展開している。『ベトナムマスク』と呼ばれる布製の立体型マスクを大量生産するメドが立ったため、地元の福島県や隣接する山形県への納品を模索。途中で政府が一括購入する方針が決まったことから、国と契約したという」。ずっとベトナムと交易があって、その伝手でマスクの調達が可能になって近隣に提供しようとしていたら、国に横から入られて持っていかれたといった格好。つまりはとばっちりもいいところだ。

 ベトナム製のマスクというと、布製の給食マスク配布より前に医療機関向けに厚生労働省から配布された、立体のマスク「bmask」が確かベトナム製だった。ああいった立体をしたマスクをどうやら通称「ベトナムマスク」と呼ぶらしい。そうした厚労省向けの調達にユースビオがかかわったかは分からないけれど、少なくとも布製で平べったい給食マスクとはまるで違う。だから今回の、虫が入っていたとかカビが生えていたとか糸くずがついていたといわれた、政府から配布された2枚の布マスクとは関係ないと思える。

 とはいえ、そういう指摘がちゃんと通るより先に、怪しいといった雰囲気とともに社名が出回って、きっと現場も大変だろうなあと同情。ワイドショーとかそうした否定から入らず、まずは怪しいとあおってそして無関係だという話ですと締めるだけだろうから、疑惑は消えずにそのまま騒動に巻き込まれていくんだろう。Buzzfeedがそれでも先手を打って報じたおかげで、ネット上では両論を示せる。そういう意味でのメディアの意義はやっぱりネットへと比重が移っていくのかもしれない。テレビ壊れててワイドショー見ないんで、今どういう状況かまるで分らないんだけれど。

 「コナン」と言ったら中学生のころはやっぱり「未来少年コナン」で、天下のNHKが放送するアニメーションってことで親も許して見せてくれた上に、話がめちゃくちゃ面白くってちょうどハマりかけていたSFへの関心を、映像方面から一気に煽り立ててくれたっけ。「宇宙戦艦ヤマト』とかもあったし「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」も同じ年に放映されたし「機動戦士ガンダム」も翌年には始まったけれど、個人的にはSFアニメといえば間にあった「未来少年コナン」がやっぱり原点にして至上ってことになるかもしれない。

 それが宮崎駿監督によるものだといった意識はなかったし、世界名作劇場との関係なんかにもあまり気づかなかったけれども、とにかくよく動いてとてつもなく面白いアニメだっていう印象を持った。ジムシーと並んでかけっこする場面だとか、三角塔から飛び降りて両足でビタンと立って衝撃が頭へと抜けるあたりの描写なんか、面白くってこういう動きがアニメにはあるんだと刷り込まれたっけ。

 そんな「未来少年コナン」がNHKで放送されるとか。理由が新型コロナウイルス感染症の影響で現在放送中の「キングダム」の制作がおそらくは滞り、続きを放送できなくなっているからだというのは残念な話ではあるけれど、今の時代に地上波で『未来少年コナン』がデジタルリマスター版の綺麗な映像で放送されるのは、昔見ていたファンにはうれしい話だしこれから初めて見る人にとっても楽しい経験になるんじゃなかろうか。

 Netflixだったか何かで全部見ようと思えば全話すぐにでも見られるけれど、地上波での放送がもたらす影響はやっぱり大きそう。これを見てよく動くアニメの楽しさと、そしてワクワクとする物語の奥深さを噛み締めつつ人類が間抜けをやって滅びる可能性に目を向けて、未来へとちゃんとつなぐ気構えを持ってくれたならなあと思うのだった。そういえばバンダイビジュアルが最初に出したDVDが「未来少年コナン」だったっけ、ボックスの。買ったけどどこに行ったかなあ、探してみるか。

 こいつはカッコいい。第26回電撃小説大賞で選考委員奨励賞を獲得した池田明季哉さんの「オーバーライト −ブリストルのゴースト」(630円)は落書きアートとして俗に呼ばれるグラフィティを扱ったライトノベル。かつてはキース・ヘリングとかジャン=ミシェル・バスキアあたりが路上アートのトップランナーとして名を上げていたけれど、最近ではバンクシーがゲリラ的に描いた作品に何億円とかいった値段がついて、それとともにグラフィティの存在もクローズアップされている。

 そのバンクシーが活動を始めた英国のブリストルが物語の舞台。日本でバンド活動をしていたもの、才能に自信をなくして逃げ出すように留学した日本人のヨシがアルバイト先のゲームショップに行くと、店頭にグラフィティが描かれていた。そもそもそれがグラフィティなるアートだとは知らなかったヨシに向かって、同僚のブーディシアという女子がグラフィティについて解説しつつ、その絵柄や書き方、そして使われた塗料などを元に販売店を経由しつつ書いた人間へとたどり着く。

 いわゆるグラフィティ探偵とも言えそうなその才能は、ブリストルにかかるつり橋の主塔に、大きなグラフィティが描かれた事件でも発揮されて、どういう書き手がどういう意図で残したかまではしっかり割り出す。そこに日本から来たヨシの洞察力も加わってみつかった犯人。そこにはブリストルで進められているグラフィティ排除の動きに対する反抗があった。

 アートといえばアートだけれど落書きとみれば落書きに過ぎないグラフィティの扱いは、日本でもバンクシーの真贋をめぐって取りざたされた。本物のバンクシーなら高いから落書きじゃなく条例違反じゃないなんてどうして言えるのか、なんて議論。バンクシーほど知られていない作品だったらアート以前の落書きとして邪魔者扱いされてしまう。それを止めようとして活動している集団が、ブーディシアに目をつける。彼女は実はゴーストと呼ばれた天才グラフィティ書きだった。

ってあたりから、ブリストルで始まったグラフィティ弾圧の裏にある謀略へと迫る探索が描かれ、ゴーストとまで呼ばれたブーディシアがどうしてグラフィティを書かなくなったかが書かれて、グラフィティなりアートを書くという行為の根源にある自分の意志、それをやりたいからやるという思いが浮かび上がってくる。同時に、才能に見放された自分への嫌悪から逃げ出したヨシが、自分の音楽好きを見つめなおすきっかけももたらされる。 そうした展開の果て、ブーディシアが自分を取り戻そうとして、そしてヨシも自分に戻った先にどんなドラマが待っているかが知りたい。どうせ続編もあるだろうから、今度は日本を舞台によりアートに理解が乏しく功利主義的な感覚の中、ブーディシアがグラフィティに挑むような物語が読みたいなあ。


【4月26日】 それで大丈夫なのか分からないけどとりあえず書き上げた原稿を送って寝て起きられたら、運動がてら出歩くことも考えたけれども気力が追いつかず、やっぱり午後まで寝てしまっていたので、今日はカフェ巡りも抑えて寝ながら本とか読み進める。買い込んであった芝村裕吏さん「南国流星怪奇譚 アナタハンの影」(星海社FICTIONS)はサブタイトルが鍵だけれど、これで即座に思い出せるのって何歳くらいからなんだろう。ルバング島とかチッソとか帝銀とかってタームに反応できなくなっている年齢の人がライト系な本の読者になっている今なら、そうした案件を交えて書くのもありなのかもしれない。浅間山荘くらいならまだ通じるだろうか。

 んで「南国流星怪奇譚 アナタハンの影」は冒頭から関東大震災の後に空から彗星が落下してきたかして海がふくらみ東京に大津波が押し寄せメチャクチャに。首都は京都へと戻り大阪が繁栄している状況の中、大正が20年にまで達した日本で陸軍の憲兵をしていた西村清吉が、脚を痛めてそれまでの任務をこなせなくなったところで、南洋庁に配属となってパラオへと赴任する。その夜、酒を飲み過ぎたかして目覚めると側に日焼けしてがっしりした体躯の長身の男が寝ていた。

 何かあったか? というかそういう系統の作品なのかと思う以前に彗星の落下で日本のみならず世界が史実とは大きく違っているという設定がどこかSF。けれどもそうした改変をあまり感じさせないまま、物語は栗林という名だがコンテンロスとあだ名で呼ばれる美丈夫と、ドイツ系らしいが生まれも育ちも島という金髪の美少年カスパーとともに、遠くアナタハン島で起こった日本から働きに出た人たちが何人か立て続けに行方不明になる事件に挑む。

 冒頭で女性が出て来て何かを祈り、そしてアナタハン島という舞台からすぐに浮かぶひとつの構図。あとはどうしてそれが起こったかというところで世界設定が関わってくる展開を想像したらさらに展開が早かったというか深かった感じ。とりあえず収まりはするものおその後果たして世界は平穏なままなのか、ほかに彗星落下に伴う影響は出ていないのか、といったところが気になる。出ていれば続きもあるんだろう。

清吉とコンテンロスとの関係がどれだけ深いか、カスパーがそれにどう絡むかはまだ不明。関係があったかも分からないけどそうした方面を特段に煽らず平たく書いてあるから劣情からの興味本位な想像には向かわないあたりの抑え方が面白い。あと数行で状況が説明されて場面が進むところもあるので会話だけでなく地の文で状況を確認しておくことも必要かと。

 アナタハンじゃないけど過去に元ネタなり類例があったり先駆があってそうしたものの影響が連綿として続いた上に生まれたひとつの形を、大好きになってこれこそが至上で極上でなおかつオリジナルだと信じたい気持ちが行き過ぎて、他にある同根かもしれない文化風俗展開等の上に作られたものたちを、パクリだといって非難して回る原動が「鬼滅キッズ」という言葉に集客されてしまっていて、いわれる方もいう側も面倒な状況にあるなあと思ってはいたけれどもさすがに韓国で登場したという「鬼殺の刀」というゲームについては、ここぞとばかりに「鬼滅キッズ」が手を上げて批判に向かうこといなるのかどうか。

 眺めて見える反響はまあ、過去にもあった事例を挙げつついつものパクリだよなあといった声もあれば、ここまでやってくれるとむしろ天晴れといった苦笑交じりの声までさまざま。呆れているというのが本音のところなんだろうけれど、今はそうした情報の先っぽに触れやすい通たちの間だからそんな反応だったりするのが、知れ渡ってくるともうちょっとお国柄も加えての激しい言葉が飛び交うことになるかも。

これは国柄というより企業の、あるいは作り手の姿勢の問題であって当事国でもいっぱいいるだろう「鬼滅キッズ」たちが先頭に立っていろいろ言っている上から、全体をまとめて批判するのもあまり状況として宜しくない。そこを踏まえつつさて、どういう対応があるのかがこれからの見どころか。版元なり作者なりは当然にいろいろと言うんだろうけれど、それで引っ込むくらいなら最初から作っていないよなあ。

 艦隊の擬人化で美少女化が後追いで出て来てヒットしてアニメ化までされても特段に世界は変わらず並行して進んでいたりする状況を見るにつけ、似ても非なるもとそてい扱われる可能性もあったりするのか、それともビジュアル的に似せすぎていてキャラクターの関係性も本家を想起させるものだったりするだけに、やっぱり批判されて引っ込めることになるのか。新型コロナウイルス感染症の影響で企業自体が動きづらい上に大型連休に入ってしまうこの状況下、どういった手が打たれるかを見ていこう。

 絶対に当たる気がしない山下達郎さんのライブハウスでのアコースティックライブもやっぱり昨今の新型コロナウイルス感染症蔓延を目的とした動きの中で開催が延期にされたそうで、会場に予定されていた高円寺のJIROKICHIも、達郎さんのライブも含めて開けず経営がなかなかに大変だとか。そこで達郎さんがJIROKICHI応援の意味を込めて、コラボTシャツを販売することを決めたそうで、Tシャツの制作・販売に掛かる費用を引いた残り、売り上げの利益の全てをJIROKICHIに贈るという。トップアーティストによるこうした支援の取り組みはなかなか良さげ。浮薄の身でなければ即座に飛びついたところだけれど今は将来の見えない身ゆえに動きづらい。でも……。考えよう。

達郎さんといえばさっきまで見ていた夢でどこかの日比谷野音をもうちょっと綺麗にしたような、屋根だけがあるアリーナめいたところで達郎さんのライブを見ていたんだけれども歌われる歌は新曲なのに知っている気がしていたものの、目覚めたらどんな歌を唄っていたのかまるで思い出せなかった。達郎さんは楽器とか持たず最前列に来てそしてメンバーがずらりと並んで何かアクションをしていた感じ。そうなってくると本当に達郎さんだったかも怪しくなる。何でこんな夢を見たんだろう。脳に刻まれた記憶が寝過ぎる中でいろいろと浮かんでくるのかもしれない。


【4月25日】 テディベアで有名なドイツのシュタイフから、「ソードアート・オンライン」のキリトとアスナがモデルになったテディベアが出るそうで、見たらテディベアがキリトやアスナの衣装をまとっていて、それでファンは買うんだろうかと悩んだけれどもファンなら買うのかもしれない。いっそだったら同じVRMMOの世界が舞台になった「インフィニット・デンドログラム」に登場するシュウ・スターリングことクマ兄さんをテディベアにすれば、そのまま再現できると思ったけれど、それだとなおいっそう買う人がいなさそうだから仕方が無いか。最新話では弟に活躍の場を譲ったみたいで、その弟がフランクリンを倒してとりあえずアニメは終了。続く展開もあるんだけれど第2期とかあるのかな、あっても放送は数年後だろうなあ、7月スタート予定だった「魔法科高校の劣等生」第2期も放送が延期になったいたいだし。

 いろいろなところから、いろいろと出てくる北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者、金正恩国務委員長の容態に関する情報は、なぜかヒューストンにある新聞が書いてみたり、日本の軍事ジャーナリストが動画で発信してみたりしてと、今もって情報が錯綜の上、明確な否定も出てこないままどんよりと漂っている感じ。国家指導者の動静は、古くは林彪の死亡がなかなか表に出てこなかったり、逆に江沢民の死亡説がネットだけながらも号外として流されたりして、いつも話題にはなるけれども今回も同様に北朝鮮という、現代に残るホットスポットのトップの動静だけに、注目が集まり続けるのも当然か。

 実際のところはやはり判然とはしないけれども、仮に亡くなっていたとしても当面は妹さんが後を継ぐ形で統制しつつ、担ぎ上げられて運営をしていくことになるんだろう。初代の金日成の時代ならまだしも、金正日にしても金正恩にしても”王朝”の血統だからといってあがめられ讃えられるような時代でもない気がする。そうした体制を望む人たちがいて、中心にあって支配しつつ担がれるような関係で維持される体制が、主導権争いの渦の上でうまく回っているうちは変えようという事態にはならないだろう。

 ただ、それもいつまで回り続けるかといったあたりがやっぱり気になる。主導権争いが激化するなりそろそろ王様を降ろしても大丈夫だと誰かが感じるなりしたら、くるりと変じてしまうことだってあるるかも。それが今回の死亡説の中で起こるかどうか、ってところがやっぱり注目か。とはいえ世界がこんな情勢になっていると、継承されるにしても崩壊するにしてもあまり構ってはいられないだろうなあ。いや隣の韓国にとっては国境が決壊して大移動が起こったりしたら大変だろう。それが及ぶ日本も。どうなることやら。とりあえず南進してくる避難民にアベノマスクを。

 パチンコは大学時代に「ゼロタイガー」を遊ぶ友人を後ろから眺めていたくらいでほとんど遊んだことがなく、アニメが題材となったパチンコ台やパチスロ台が出てきても遊びには向かわなかったので、1年前に暇過ぎる日々が訪れても通うというようなことにはならなかった。今また暇過ぎる日々が全国的に訪れている中、暇をもてあました人たちが通おうにもパチンコ店が閉まっている状況の中、一部の店舗が営業を続けていてそこにわんさか人が向かうといった現象が起こっているらしい。

 これはさすがにヤバいと大阪府あたりが乗り出して、営業を続けている店舗の名前を公表したそうで、どこか魔女狩り的な雰囲気もあってあまり気分はよろしくないものの、そうでもしないと閉めないのだろうと思っていたらそこは浪速のど根性なのかどうなのか、営業を続ける店舗があってそこに近隣の市町村のみならず近隣の県から客が訪れているらしい。これも浪速のど根性? 紀州もいるから浪速に限らないか。

 開いているパチンコ店がある地域の人にとっては、近隣の県から人が来て新型コロナウイルスを持ってこられるのが怖いだろうし、パチンコ店に客を送り出している地域の人たちにとっても、行ってそこで新型コロナウイルスをもらって帰ってこられるんじゃないかといった不安がある。たとえ家から出なくたって食品とかの買い物にはいくだろう、そんな出先で遠征帰りの人たちとすれ違うなんてことも起こるから。

 だからやっぱりパチンコ店はここは映画館などと同様に、店を閉めた方が世間的には納得なんだろうけれど、それを強制できないのもまた事実。だから映画館なんかと同様に自主性に頼るしかない。あとは客の方がいかないか。でも行くからやっぱり繁盛してしまうこの関係を、断ち切るために換金所を取り締まれなんて声が上がってくるのも道理だろう。とはいえパチンコ店に営業自粛を求める以上に、換金所を取り締まる法律なんてないから大変だ。

 三店方式と呼ばれてパチンコ店と景品交換所と景品問屋との間で特殊景品がぐるぐると回ることでお客さんは出した玉をお金に換えることができてしまう。これは賭博行為で違法かというと、そう認められないからこそ今も堂々と運営されている訳で、警察自体が違法ではないと言っていたりするから、取り締まることなんてできはしない。やったらそれこそ不法行為になってしまう? だったら飲食店だって映画館だって取り締まれないよなあ。でも閉まっている。そこから新型コロナウイルス感染症が出たら怖いから。

 じゃあパチンコ店は怖くないかといえば怖いだろう。出れば営業形態への批判が向かい、どうして営業できているんだとう点で換金への期待が浮かび上がり、三店方式の存在がクローズアップされて改めてそれ大丈夫なのって話が出てくる。警察が大丈夫ですよと改めて言ったところで、このささくれだった世の中で通用するかとうともう無理な気が。そうした風を読み間違えると業界全体が批判されて沈みかねない状況を感じ取り、抜け駆けしているパチンコ店を疎ましく思っている経営者もきっといるんだろうなあ。そうした内輪の喧嘩が始まるかどうか。気になります。


【4月24日】 KAエスマ文庫は、萌え系な美少女を多く出して男性ファンを引きつけていた京都アニメーションの路線に、大きな変化をもたらすきっかけにもなった気がする。第2回で京都アニメーション大賞の奨励賞を受賞したおおじこうじさんの「ハイ☆スピード!」を原案とした「Free!」の登場がそれ。男子高校生の水泳選手たちが競い合うストーリーは、「テニスの王子様」や「ハイキュー!!」「黒子のバスケ」「弱虫ペダル」といった男性の部活ものの中でひときわ太い柱となって定着し、それまで決して多くは無かった女性ファンを京アニへと引きつけた。

 3期にわたるテレビアニメと幾度もの劇場版の制作がその人気ぶりを裏付けている。この流れは、弓道部員の男子たちがおりなす葛藤や競争を描いた「ツルネ −風舞高校弓道部−」にも続く。京アニの活動領域を広げた作品は、自社のレーベルから生み出され、育まれた。プロダクション・アイジーのように出版社を買う、サンライズのように矢立文庫といったコンテンツを発信するサイトを立ち上げるといった例もあったけど、京都アニメーションはコンテストを行い作品を集め出版をして販売まで手がけつつアニメ化も行い経験をつんで、しっかりと人気作を作り上げていった。

 地道だけれど着実というその手法は、早期から社内に次代のクリエイターを育てていこう、そして定着してもらおうとして活動してきた方法と重なって見える。当たり前だけれどなかなかできないことを当たり前にやってきた。それが京都アニメーションのクオリティとそして信頼を育んできたと言えるのかもしれない。そうした苦労が報われて欲しいと今も願っているし、きっとかなうと信じている。だって京アニは今も作品を作り続け、KAエスマ文庫を出し続けているのだから。

 国民の全員にマスクを配るという政策自体もなかなかに突飛な上に、配ろうとして集めたマスクが汚れていたりカビていたりと散々で、配るのを中止て検品し直すというのだから実行の段階で問題があったという事案は、政策決定のプロセスがどうにもヤバい状況に国があることを満天下に示し、資材の調達においてまともな品質管理もできない国だということを満天下に示してしまった。

 ところが、それをとんでもない事態だと指摘しようとすると、予想より安く90億円くらいで収まったんだから良いじゃ無いかとか、配ろうとした行為自体は素晴らしいく、その過程で品質管理が出来ていなかったと責めることで、議論が噴出して機会損失が起こって政治が停滞し、危機が益しロスも出るから黙ってろといった擁護の言葉が沸いてくる。

 野党が非難のための非難に勤しみ生産性がないことをもって揶揄することはありだとしても、元となる政策にどうしたものかな状況と、そして実施プロセスのいかがなものかな状態は国家運営の基礎を崩しかねない珍事であって、これを認めたらそれこそ根っこからガラガラと崩れていってしまいかねない。止めるなり非難するなりして問題点を洗い出し、改善する動きをしっかり見守らないまま、失敗したけど次ぎ頑張れば良いんだよ的態度で過ごしていけば、どこかで根っこが完全に崩れる。というよりそうした先送りの連続が、こうした政策を平気で打ち出す政治状況を招いてしまったとも言える。

 本当に困ったことだけれど、今を戦時と言いつのり、国家が成すことに逆らう方が非国民的な振る舞いだといった空気が醸成され始めていることもあって、批判はますますやりづらくなりそう。これで5月にマスクが届いていったい何の意味がある? って言っても通らないんだろうなあ、早く配るからこそ空きが出て使い捨てマスクが医療機関などに回るようになるって説明も吹っ飛んでしまうおとに気づかないんだろうか。謎肉。

 モスクワオリンピックへの日本選手団のボイコットで、ベストな状態でのオリンピック参加を逃してアスリートとしての人生に、さまざまな影響が出たといったreiは過去にもあるから今回、もしもというかほぼ確実に東京オリンピックが中止になって、それを目指して活動してきた選手たちにいろいろな影響が出るだろうことは想像が付く。1980年のモスクワをボイコットした西側選手、1984年のロサンゼルスをボイコットした東側選手のそれぞれに、さまざまな影響があっただろうけれど、それが全世界規模に広がるというのはちょっと異例だとしても、何となく心情は窺える。

 ただ、もっと身近なスポーツとしてたとえば2020年春の選抜甲子園がなくなり、そして2020年夏の甲子園もなくなってしまった時にそれを目指して活動して来た高校球児たちにとってどれだけの影響が出るのかというと、これは感嘆には想像できない。日中戦争から太平洋戦争となって行く中で運動の大会が中止になったことはあっただろうけれど、それももう遠い昔の話。想像するなら戦時という平時とは違った状況に納得感もあったかもしれない。

 今回のこれを戦時という人もいるけれど、気分としてそこまでの緊迫感はまだあまりない。というか知らないだけでまさに戦時なのかもしれないけれど、知らない以上はどうにも受け入れようがない事態にあって、高校球児たちが人生にどんな影響を受けるのかを、これからしばらくの時間を経ながら感じていくことになるのだろう。球児に限らず学校スポーツのほとんどが止まってしまっている状況で、全中と呼ばれる中学生の全国大会が中止となって目指してきた生徒たちにどういった影響が出るかが木にかかる。高校総体もこのままではたぶん中止かすでにそう決まったか。

 わからないけどこちらも高校生の運動部員がいろいろ戸惑う事態を招きそう。不祥事で1年、活動禁止になった学校の選手が直面する葛藤が、すべての学校のすべての選手レベルで起こってる訳で、これはちょっと想像がつかない。3年しかない中学校に高校、4年しかない大学といった活動に年限のある部活動では1年の沈黙がもたらす影響が途方もない。かといって1年をなかったことにする訳にもいかないこの状況を、選手たちがどう受け止めるのか、スポーツの集団がどう受け入れるのかが問われることになるんだろうなあ。

 あとは1年、ほとんど活動できていなかったことによる競技力の停滞とか。やっぱり影響が出るんだろうか。舞台に1年立てなかった俳優たち、歌えなかったシンガーたちはどうなってしまうのか。アフターコロナはそんなところも気にさせる。とはいえ、この1年仕事らしい仕事をしなかったフリーという名の無職は……。まあそれは自業自得な訳で。再会されたら仕事を頑張るか、あるいは頑張って仕事を見つけよう。


【4月23日】 深夜までzoomでのアニメーション政策者たちによる会合を眺めていた流れで、Youtubeで公開された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を見始めてしまって、冒頭からのこの展開が大好きで劇場に足繁く通って何度となく見てしまった記憶が蘇ったけれど、どうしてこれの評判がよろしくないんだろうと、これも公開されていた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の最後の方を公開時から久しぶりに見て、すっかり忘れていたその終わりがけにこれでいきなり「Q」に飛ばれてはやっぱり戸惑って当然だと確認した。

 僕はといえば「破」のラストあたりで「翼をください」が流れたのが妙に気になって、どこか辟易として2度目を観に行くことができず、ブルーレイも買ったけど見直すことのないまま、をほとんどすっかり内容を忘れていたので続きがどうなてちたとしても、気にしなかったのだった。「Q」公開に向けて「破」を見返した人だと、すぐにも話が繋がって世界を守るための最終決戦が始まると期待したら、14年後でサードインパクトで滅亡しかかっていてそこで人間同士が争っていたらそりゃあ驚くし怒るか。とりあえず「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は普通に続くみたいだから安心かな。安心して良いのかな。

 タレントで大和田獏さんの奥さんでもある岡江久美子さんが新型コロナウイルス感染症の肺炎で死去。ずっとテレビで長くお姿を見てきた身として寂しくもあるし、癌の治療で免疫機能が低下していたところでの感染ではそうなってしまうかといった思いも浮かぶ。その一方で、それほど出歩きもせず会合とかは行かず仕事にだって行ってなかった岡江さんが、どういった経路で感染したのかがやはり気になる。癌の治療のために通っていた通院での院内感染だろうか。その可能性がやっぱり高そうだけれど、だとしたらこの病気、思いもしないところまで忍び寄っているのかもしれない。気をつけないと。

 Netflixで配信が始まった「攻殻機動隊SAC_2045」を見始めた。口パクさせなくても会話している描写が成立するのだなあと感心した。なおかつ電脳空間で集まった時にはちゃんと口パクさせているので出来ない訳じゃ内と分からせてくれてそこにも関心した。絵柄については同じ神山健治・荒牧伸志両監督の手がけた「ULTRAMAN」でそのスタイルを脳に入れていたので入り込めた。そういうものだ。これで「ULTRAMAN」を見ないまま突入していたら、作画アニメーションとの差異に愕然としていたかも。でもすぐに慣れたかも。他の人の感想も聞いてみたい。

 でもって「攻殻機動隊SAC_2045」で草薙素子のモーションアクターを務めている川渕かおりさんが、以前にTIMMでお見かけしたことがあって、後に荒牧監督のCG版「キャプテン・ハーロック」でもモーションアクターを務めていたと知った剣舞師で殺陣師でKAO=Sのヴォーカリストの方だったと分かった。曽世といい気になった人を繰り返し起用するんだなあ、両監督。動きは凄くて歩き方もエロくってこれは良いものだ。そうした中身の生身が決して実写ライクではないキャラクターに生命感を与えてIRうのかもしれない。

 なにかのための整理されていない覚え書き。2011年6月にライトノベルの新レーベルとして「KAエスマ文庫」がアニメーション制作会社の京都アニメーションから創刊されて、最初に刊行された虎虎「中二病でも恋がしたい!」と、志茂文彦「夕焼け灯台の秘密」を手に取った時に、これは期待できる取り組みだと感じた。アニメーション制作会社は基本的には請負で、この原作をアニメ化したいというパッケージメーカーなりテレビ局なり出版社、最近では配信会社などの希望があって、そうした企画を持ち込まれたアニメ会社が制作料をもらって作品を作り納品していた。

 ビジネスとしてはそれで終わりで、アニメが大人気となってキャラクターがグッズ化されて売れまくっても、そして原作本がバカ売れしてもアニメ会社にお金は入ってこない。かろうじて脚本家が著作権料をもらえるくらい。そうした状況を改善するために、アニメの企画に出資をするアニメ制作会社が現れた。プロダクション・アイジーなどがその。アイジーはさらに原作の権利も持てるよう、自社での企画の開発に勤しんで、押井守監督のケルベロスサーガなどを拡大したり、「BLOOD」シリーズを立ち上げたしりた。

 加えて自社でマッグガーデンコミック大賞なんてものを立ち上げて小説のコンテストを実施したり、出版社のマッグガーデンを2006年にグループに入れたりして、原作を生み出す力を内部に持とうとした。マッグガーデンからは最近では「魔法使いの嫁」のような連載作品がアニメ化され、アイジーの収益に貢献していると言われている。京都アニメーションも自分たちでアニメの原作を持とうとした。そして京都アニメーション大賞を立ち上げて小説やシナリオの募集を開始した。

 流れとしてはとても順当だが、2010年頃の京都アニメーションという会社に、果たしてどれほどの知名度があったかというと、「フルメタル・パニック!」や「AIR」「CLANNAD」「涼宮ハルヒの憂鬱』」といった人気小説や人気ゲーム、人気漫画を原作にしたアニメを世に送り出して定評を取りつつも、東京にある東映アニメーションやプロダクション・アイジー、トムス・エンタテインメント、サンライズといった大手アニメ制作会社に比べて知名度もあまりなく、規模も決して大きくはなかった。

 そこがオリジナルの作品を送り出して、果たして誰が見てくれるのか、つまりは誰もが見てくれそうな原作を果たして手に入れられるのかといった疑問が浮かんだ。なるほど、コンテストを開けば作品は集まる。けれども、「KAエスマ文庫」がカテゴリーに入っていたライトノベルの分野では、スニーカー文庫にファンタジア文庫に電撃文庫にファミ通文庫等々、いくらでもレーベルがあって、高額の賞金で作品を募集していた。

 人気となってアニメ化される作品も出ていた。対してKAエスマ文庫は、地方にあるアニメ会社がもしかしたらアニメ化してくれるかもしれないといった期待を少しだけ誘ってくれる小説の賞だった。そんな位置づけでしかなかった京都アニメーション大賞であり、レーベルでしかなかったKAエスマ文庫から後、アニメ化されて話題となって人気となる作品が幾つも出てきたから驚いた。

 文教堂など一部の書店と、自社のオンラインショップを中心にしか売られていないライトノベルからアニメが作られ評判になる。これはなかなか異例のこと。京都アニメーションが持つクオリティの高さが次第に浸透し、京都アニメーションが作るものならといった関心が働いたこともあるが、そうした将来を自覚し、自信を持って原作を募り、その中から企画に乗りそうな作品を見つけた上でオリジナリティを加えてアニメ化してきたことも大きい。優れた先見性がそこにあっって言えるかもしれない。とりあえず。


【4月22日】 いよいよ欧米で都市封鎖のロクダウンが始まったあたりで、いよいよ漫画の描写に近づいていると感じてリアルサウンドブックで紹介した朱戸アオさんの「リウーを待ちながら」だけれど、その後にネットでの再連載が始まったりして話題になった延長として静岡テレビ放送が作者にインタビューをして内容を紹介していた。朱戸さんが舞台のモデルとなった御殿場市に住んでいたと分かってだからリアルな描写だったと納得。そしてニュースで指摘された、差別に関して原因となる恐怖に対して、漫画を読んでおくことで自分のそうした意識に気付いて欲しいと朱戸さん。読まれて欲しいけれど、電子版しかなかったりするのが残念か。かといって増刷しても売る書店が閉まっている。難しいなあ。

 寝たきりで背中が布団に張り付きそうだったので起き出してこちらも開いているフレッシュネスバーガーへ。ネットの情報とかザッピングして「ワンパンマン」がハリウッドで実写化されるというニュースを知る。浮かぶジェウソン・ステイサムにドゥエイン・ジョンソンという名前だけれど、2人ともただそれだけで再競争なたたずまいを持っているから、見てくれはひょろひょろでまるで強そうではないサイタマとは正反対。だからもうちょっと普通の青年が選ばれ頭をスキンヘッドにしてその役を演じることになるんだろう。

 キリッとすればそれなりにイケメンだけれど、普段はだらっとしているサイタマの表情はどう出すか、どっちに合わせるか。そこが関心事か。ステイサムやロック様のように見ただけで威圧感を覚えるマッチョ俳優たちはむしろキング役が合っているかも。見た目はとてつもなく強そうだけれど……っていう役だから。他のヒーローたちは合いそうな役者はきっといるだろう。タツマキちゃんは幼女体系のままにするのかなあ、そうしないと世界のファンが納得はしないだろうけれど。

 まあ今のこのご時世で、すでに動いていた企画だって止まりまくりだしすでに完成した映画だって公開できずにいる状況で、映像化が決まりましたと言われたところでいったいいつの完成かなんて想像するのが難しい。2年3年4年といったスパンを考えたいところだけれど、そこまで果たして作品の鮮度が持つのか。「カウボーイビバップ」とか「ドラゴンボール」のような長く親しまれた作品ならいつ映像化されても大丈夫な気がするけれど、「ワンパンマン」ってそこまで世界的なの? 謎めく。

 とはいえ今は映画を長くもむよりもさくっとテレビシリーズか何かにして、Netflixなりで配信した方は足も速くて人気もふくらむから、そういう展開なんかも考えているのかな、ソニー。メタルナイトにロバート・ダウニー・Jrを持ってこられたら喝采だ。そういえばONEが描く原作版の方が後進されて、イケメンなアマイマスクの正体が露見して大変な状況に陥りそうだったところをサイタマが何とかしたみたい。そして立ち上がるヒーロー協会の対抗組織。世界観は混沌としていくけれどそれに村田雄介版が追いつくのはいったいいつか。

 小池百合子東京都知事については機を見るに敏で周囲の意見を取り入れるのも素早いので総理大臣となったら案外に、それなりな政権運営をするかもしれないけれども政党としての母体が自民党のような安定性を持ったところではなく、また立憲民主党をはじめとした野党勢力とも折り合いが悪そうなのでその芽はあまりないかもしれない。橋下徹元大阪府知事の場合は維新という勢力がそれなりにあるからその上に乗っかって連立の上で総理大臣に就任という芽はありそうだけれど、状況はともかく球としてどうにもこうにもヤバい気がするので絶対にそこに据えちゃいけないと思うのだった。

 橋本徹元知事が大阪でやってきたことが今のいったい大阪の何を良くしたのか。それが本当に分からないのになぜかとっても素晴らしい政策運営をしたかのように思われている。まったくもって分からない。大阪府と大阪市の連携による大阪都構想そのものの善し悪しは別にして、やっちゃいけない公共分野の縮小を行って今、迷惑を被っていたりする訳だから。医療関係とか博物館ほか文化関係といった目に付く分野を削ってやった感をアピールしても、後で困ったことになると分かった今、同じことを国政レベルでやられたらたまったもんじゃない。

 ただ、それでも今の安倍総理にくらべればましに見えてしまうところにこの国政が直面しているヤバさがあるって言えそう。そんな橋下元府知事を妙に持ち上げて、今こそ総理にふさわしいだなんてコラムをプレジデントのオンラインメディアが載せる理由がまるで分からないし、それを書いた政経ジャーナリストという人がどうしてここまで橋本元府知事を持ち上げるのかは謎だけれど、想像するならプレジデント社の公式メールマガジンに「橋下徹の『問題解決の授業』」なんてものがあって、半分くらいはお仲間だからなんて想像も浮かんでしまう。好きなんだろうなあ。でもやっぱり勘弁。千葉県と神奈川県を東京都に合併して東京州とかやられたらかなわないから。


【4月21日】 新型コロナウイルス感染症は移動と集合の行動を停止に追い込んだだけではなくって、NY原油の先物5月限(WTI)の価格を史上初めてマイナスにしてしまったそうで、まさに何でもありというか何が起こるか分からない状況に世界をたたき込んでいる感じ。移動もなければ生産もないと原油を燃料としても原料としても使うってことが減り、だぶついてお金を出してでも引き取って欲しい人が出るというのがマイナスになった理由らしい。

 ここでどっかんとタンクを作って全部まとめて引き取ってから、逼迫して来た時期に放出して、江戸で高値のミカンを紀州から嵐の中を運んで大もうけした紀伊国屋文左衛門みたいに儲けることができるかっていうと、そうでもないのが残念なところ。物の値段が下がるってことでもなく、交通が遮断され生産も行われないことが意味する経済的なダメージの方がはるかに大きいからやっぱり大変なことなんだろう。銀行金利だけはマイナスにならないで欲しいなあ。目下の唯一の心のよりどころなんで。10万円が入ったら何買おう。やっぱりドミネーターかなあ。

 良いことの輪がつながっていく。くつ王という名でブログをやっていた時代、後に「ハチミツとクローバー」で人気漫画家になる羽海野チカさんが良く読んでいたそうで、今は国立国際医療研究センターで感染症対策医長と努めて新型コロナウイルス感染症対策に邁進している忽那賢志さんへの思い出をツイートしたところ、その忽那さんから返信があって今困っていることとして手洗いなどの励行を訴えて欲しいと羽海野チカさんに呼びかけ、応える感じで何度かやりとりした先で忽那さんの要望どおりに「三月のライオン」のキャラクターを使って手洗いを呼びかけるイラストが出来上がった。

 マンガ大賞を「三月のライオン」が受賞しながらも、東日本大震災で贈賞式が中止となった際、いつもの受賞イラストとは別に羽海野チカさんは登場キャラクターを使って復興への祈りを込めたイラストを描いて寄せてくれた。そうした経緯なんかも思い出させたこの一件が、さらに広がって「三月のライオン」のアニメーション版で、ひなたの声を胆としている声優の花澤香菜さんが音声をつけてきてくれた。

 ネットでアップされたその画像と音声を、どこでどう組み合わせて皆に見てもらい聞いてもらえるか、ってちょっと思ってたとえば街のサイネージなんかに上げて声が出るようにするとか、できたら嬉しいんだけれどそういう場合になにか支障があるんだろうか。版元の権利元とか音声の人格権とか。それらをクリアして自在に使えるコンテンツとして配信し提供していけたらこの厳しい状況も、乗り越えていけそうな気がするなあ。ACがCMに使ってしまうとか? そういうことって可能なのかな。

 っていか今、テレビほとんど見てないのでACの広告が東日本大震災的な状況になっているか、ちょっと分からないのだった。あるいはプリントアウトした際に、ポスターにQRコードをつけるなり、ARタグを埋め込むなりしてアプリをかざすと花澤さんの音声とともに楽しめるようになら出来そうな気がする。そこもまあ権利のクリアが必要な気はするけれど、事務所の方で花澤さんの声をアップしてQRコードを配布したら、それを張って良いようにすれば可能なんじゃなかろうか。ちょっとしたつぶやきからこうしたビッグなコラボができた以上は、その先の普及もできないことはないと思うのだ。

 野アまどによる新作長編「タイタン」(講談社)が出ていたので買って読み始める。たら、「タイタン」と呼ばれ、社会の全てをサポートしている巨大人工知能のひとつが仕事疲れでメンタル壊す話。1000メートルの巨人たちによる愛の交歓とか凄まじいビジョンとともに人類の未来と人工知能の未来が示されていて驚嘆した。2200年代の世界は「タイタン」と呼ばれる12基の人工知能によって万遍なく管理されていて、生産だとか流通だとかいった作業から人間は解放されている。

 食べ物でも衣服でも住居でも、必要な物がいつでもどこでも手に入るようになれば価値は無となり、仕事は不要となって誰もが自由に生きている。内匠という女性も趣味で臨床心理学を学びつつフィルムで写真を撮って毎日を過ごしている。「タイタン」に聞けば自分とベストなマッチングの相手も探し出してくれる。どこか「PSYCHO−PASS」のシビュラシステムにも似たところがあるけれど、「PSYCHO−PASS」世界では人がやっぱり社会を動かす原動力となって仕事を分担して生産とか流通とかをになっている。『タイタン』では生産も物流も調理すらも「タイタン」がやってくれるから、人はただ生きているだけで何もしなくて良い。

 なんて素晴らしい世界! 今すぐ来て欲しいけれどもそれには「タイタン」なる人工知能が必要。ところがその万能な「タイタン」に不具合が出ているということで、内匠が”仕事”をすることになった。もっともその世界では”仕事”なる概念がすでに希薄化していて、誰かのために何かをして対価を得るといった行為を内匠も含め、多くがしたことがなかった。”仕事”とは何か。そんな問いかけが小説を通じて底流に流れていて、この情勢下で"仕事”をしないまま日々を送っている僕たちにハッと思わせる。

 内匠も”仕事”なんてやりたくもなく、縁遠くもあったけれど、半ば罠にはめられるようにして引っ張り込まれたその先では、「タイタン」2号基の不具合を確かめるために、内匠にカウンセリングをしろといった指令が下った。上司から部下に依頼がいって部下がそれをこなすという、”仕事”では当たり前の概念すら縁遠い内匠にはなかなか理解が及ばず、同意もしがたい状況だったけど、断れば冤罪で陥れられるとあって言うことを聞くしかない。それに「タイタン」という人工知能を相手にカウンセリングを行うことに、内匠はだんだんとハマっていった。

 「タイタン」とはいったいどんな人工知能か、といったところで示されるとてつもないスケールのその仕組み。当初はまったく成立しなかったコミュニケーションが、何度もの対話を通してだんだんと成立していく過程は”自我”なるものの形成か、あるいは「我思う故に我有り」の哲学めいた概念の表出を思わせる展開。そうやって自分を作り出していった「タイタン」2号基が、内匠のある種の檄によって見せるその姿がまずは凄まじくてとてつもない。

 あり得ないスケールを構想されたテクノロジーが支え実現させるあたりにSFならではの想像力の可能性が見える。そこに至るまでに打ち出された数々のテクノロジー、ホログラムが超進歩したようなテクノロジーがさらに大きく発展し、光成型の3Dプリンタが超進化したようなテクノロジーが打ち出される。落合陽一が微粒子を使って超音波により中空に立体を現出させようとしていたけれど、そうしたテクノロジーをさらに推し進めて空間に何かを現出させるテクノロジーがもし、実現すれば世界はちょっと面白いことになりそう。

 そうした描写とは別に、「タイタン」2号基がどうして調子を崩したのかといったところで、繰り返し問われる"仕事”の意味。というか内匠とは違って人類に貢献するという”仕事”しかしていなかった「タイタン」2号基が調子を崩したのは、そうした仕事が嫌になって鬱になったのか、それとも別の理由があったのかが示される。それはスケールこそ違え人間にも当てはまること。自分で納得するだけでは追いつかない、他者からの評価を得るなり外部に影響を与えていることを実感するなりがあって、初めて”仕事”は納得の行為になる。そんな主張が窺える。

 ちょっとなるほどと思わされる主張。家で無為に日々を過ごしていると溜まるこの空虚さを、晴らそうとネットに書き込みRTされるかを眺めるのは、”仕事”とはちょっと遠くても何かやった気にはなる訳だし。そんな人工知能のお悩みを、解消するために繰り出されたプロジェクトがまた凄まじい。それこそ環太平洋レベルのプロジェクトの果てに来る1000メートル規模の逢瀬の果て人類と、人工知能がたどり着いた境地に震撼せよ!


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る