縮刷版2020年4月中旬号


【4月20日】 ライトノベルのランキングにシリーズ全巻をたたき込んで来ている以上は内容を知っておかなくちゃいけないと、「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…のアニメ版をNetflixで見る。「痛いのは嫌なので防御力に極降りしました。」と同じSILVER LINKが作っているだけあって丁寧でなおかつ面白がらせる絵に動きに声。乙女ゲームのシナリオではヒロインを虐める悪役として登場し、あげくに追放されたり返り討ちに遭ったりして破滅エンドを迎えることになっているカタリナに、なぜか転生してしまった17歳の女子高生がそんな運命を変えようとしてあれこれ画策するというストーリー。

 魔力を鍛えて責められても耐えられるようにと始めるのが、貴族令嬢にあるまじき畑仕事というのがどうにも面白いけれど、そんな様子をアニメで見るとさらにギャップがあって面白い。8歳くらいだと違和感がなくても、15歳になって魔法学園に進む頃のカタリナが農作業用のつなぎを着ている姿とか、笑えるけれども当人は必死なんだよなあ。 その必死さ故に、本来だったらヒロインのマリアが攻略していく4人のイケメンたちとの関係をどうにか良くしようとして頑張る姿が、知らず4人のイケメンたちからの好意を招き寄せているという展開。人に優しくあれという教えがそこから浮かぶ。

 とはいえ、ど、破滅フラグの回避が目的だし、悪役令嬢だってことも認識しているから好意が自分に向けられているなんて気づかない。そうしたすれ違いもまた関係をさっぱりしたものに見せている。イケメンのみならず美少女キャラクターをも引きつけてしまう展開もまたユニークというか。こうなると人間は、破滅フラグを前提にしてそこを回避するために何をすべきかってことを考え、行動するのがベストなのかもしれない。まあでも経験しているゲームと違って人生は先がまったく見えないから、何がベストで何がバッドか分からないのだった。だとしたら今を懸命に生きるしかないか。とりあえず原稿書きを頑張ろう。

 「お兄さま、敵です」「マテリアル・バースト」。とはならなかった佐島勤さんの「魔法科高校の劣等生(31)未来編」。USNAでパラサイト兵士たちを従える一派が司波達也の抹殺を画策し、それに新ソビエト連邦も乗っかり艦隊やら潜水艦やらを送り込んでは巳焼島にいる達也を襲撃するのが主なストーリー。明確なまでの外国勢力による侵略行為であるにも関わらず、日本の国防軍は手を出さず達也や深雪や四葉の魔法師たちだけでこれを迎え撃つとう、戦略的に見てむちゃくちゃなギャップがある戦いであるにも関わらず、そこは戦略級魔法師の達也がいる四葉チーム。質量をエネルギーに変えるマテリアル・バーストを使うまでもなく、達也のトーラス・シルバーとしての技術的な知見と持てる能力でもって深雪とともに上陸したパラサイトを殲滅し、洋上の艦隊も身動きとれなくする。

 なおかつ遠く新ソビエト連邦の基地に備えられたミサイル群から戦略級魔法師のベゾブラゾフに至るまで、手を伸ばそうとするからもう驚異的。それこそ地球の裏側にいたって逃れられない達也の魔法の目と手から逃れられないと知った人類が、達也や深雪や四葉家、そして日本の魔法師たちにどんな手段を講じてくるがかこれからの展開の興味となりそう。「未来編」とすでに発表されてたこの巻に続く第32巻のサブタイトルは作者曰く「秘密」だとか。それはネタバレになるから。いったいどんな内容なんだ。そして着地点は。達也たちが卒業するまでというからまだ少しは時間もありそうだけれど、日本と魔法師たちが保ちそうもないからなあ。待とう続きを。それにしても7月予定のアニメ第2期はちゃんと放送されるんだろうか。そこも気になる。

 新型コロナウイルス感染症の影響でアニメーションが声優さんの収録ができなくなり、中国とか韓国といった海外との作画のやりとりも難しくなり、各制作会社も出勤しての制作を自粛するようになって前みたいに制作が回らなくなって、放送が延期になる作品が続出していたけれど、いよいよ最大手の東映アニメーションも新しいエピソードを作って流すことに影響が出たようで、「ヒーリングっど☆プリキュア」の新エピソードの放送延期を発表したほか「デジモンアドベンチャー」「ONE PIECE」「ゲゲゲの鬼太郎」も過去のエピソードの再放送を行うと発表した。

 ここで「鬼太郎」が「墓場鬼太郎」を再放送したら、ワクワクして見ていた子どもたちが衝撃を受けそうでちょっと興味はあるけれど、今のシリーズでも十分に話数はあるから最初から放送していけば、いずれは状況も改善するだろう。「ワンピース」なんかは過去のエピソードが豊富にあり過ぎるので20年だって戦える。「デジモン」は過去のシリーズを持ち出すまでになるかなあ。なただマーチャンダイジングと絡んで1年単位で回っている「プリキュア」だと、この影響で放送が数ヶ月の単位で抜けると、いろいろと戦略にも支障が出て玩具メーカーなんかに影響が及んでいきそう。あとライブエンターテインメントといった方面にも。

 1クールで回しているアニメだと、原作本の漫画だとか小説なんかを増刷している出版業界が困りそうだし、パッケージや主題歌CDやサウンドトラックのリリースなんかも滞りそう。こうしたロスをだったら数ヶ月後れでリセットして、取り返せるかというと宣伝枠は取りづらくなりイベントの再会はしばらく難しくアニメ制作会社も体力が尽きてまとめて大変なことに、なんて状況が浮かんでくる。人の集まりを分断する新型コロナウイルス感染症、こうまで厄介だったとは。どうなることやら、ってまったくの他人事ではないのだけれど。無事に大型連休明けを迎えられることを祈る。


【4月19日】 面白いなあアメリカは。長引く新型コロナウイルス感染症の拡大防止を目的にした外出禁止に反発して、自宅待機の解除を求めるデモが各地で起こっているのだとか。どうもトランプ大統領による民主党知事への煽りが背景にあって、つまりはどこか政治的で個人的嫌悪感も含んだ反発が呼び水になっているんだけれど、それに呼応してどうして外出が禁止されているのかを突き詰めず、外に飛び出し集団で行動してしまう人がいるくらいにアメリカは、トランプ大統領なりその主張に傾く人がいっぱいいるってことなんだろう。

 そうした抗議活動が起こったテキサス州は4月18日の時点で新型コロナウイルス感染症で453人が亡くなっているし、メリーランド州では463人、ウィスコンシン州では211人といずれも日本1国を上回ったり並んだりする死亡者数を出している。人口比で考えればはるかに深刻な感染者数であり死亡者数。でもそうした背景にある人の接触を避けようとする動きに対して、政治的なシンパシーから反対してしまうところにあの国の不思議が見え隠れ。

 もちろん、日本でこうして家に引きこもりつつも出歩いて買い物をしたりコーヒーを飲んだりできるのとは違う過酷さが、アメリカにはあったりするのかもしれない。出られないことで被る経済的な損失も、日本以上に厳しいのかもしれないけれど、一方で命というものをどこまで尊ぶかとう思考を超えて、自宅待機の解除を求める心理の中にはあるいは自主性を重んじ自立を尊ぶアメリカ人のマインドもあるのかな。どうなのかな。

 そんな日本でも、鎌倉から湘南海岸あたりにかけて車で出かける人で渋滞が起こっていたとか。天気も良くて外出日和なだけに例年だったらそれこそ江ノ島電鉄の駅に大行列が出来ても不思議の無い状況だけど、今年は流石に見合わせるかと思ったら気にせず乗り込み海で遊んでいるらしい。都内でも世田谷の砧公園が大勢の人で賑わっていたとか。強制しなければやっぱり出てしまうところに逆に日本の国民性って奴が見えてしまう。後の補償とか気になるところだけれど、やっぱりお国が取り締まる姿勢を見せないと終わらないよ、この流行.

 来週にも「攻殻機動隊SAC_2045」の配信がNetflixで始まることもあって、同じ神山健治・荒牧伸志監督によるフル3DCGアニメーション「ULTRAMAN」をイッキ見する。流れてくる「攻殻機動隊SAC_2045」の3DCGアニメーションが、モデリング的に1990年代のプレイステーションにも及ばない人形ぶりで、動きもどこかぎこちないように感じられて大丈夫なのかと心配になったのも理由だけれど、同じスタッフで作られている@ULTRAMAN」を見ると、映像のクオリティに関しても動きに関しても、作品性を損なうことなく古いとあきれさせることもなく、その物語にマッチしたものとして受け止められた。

ひとつにはモデリングされたキャラクターたちのモーションがスムースでキャプチャされた動きに乗って違和感なく目に入ってきたことがあるかもしれない。「ULTRAMAN」は「ウルトラマン」とは違って巨大化したヒーローと怪獣とがくんずほぐれつ戦うのではなく、どちらかといえば人間と等身大のスーツヒーローと異星人とが格闘技の動きで戦う感じ。そのスピーディーな動きをしっかりとらえて描き出し、なおかつ見せ方もカメラワークやレイアウトに工夫があるようで飽きさせない。どこからでも自由に撮れてなおかつエフェクトもかけられる3DCGアニメーションの強みといったものか。

あとはヒーロースーツの質感がしっかりメタルでキラキラとしていて、2Dライクなアニメーションにはないリアル感を感じさせた。キャラクターたちが造形こそ人形のようで表情とかにあまりリアル感を持たせていない分、そうしたガジェットの質感がかえってリアルさを感じさせ空間への没入感を押し上げているような気がした。手描きだと逆にキャラクターが作画ならではのリアルさを持ってしまって、ガジェット類の質感が追いつかない場合があるのとは逆とでも言うのだろうか。なるほどこれは発見だった。

 なので同じように作られる『攻殻機動隊SAC_2045』もきっと、違和感なくキャラクターも動きも見られるに違いないと思った。あとはやっぱりストーリーだけれど、そこは「SAC」の名が着き神山健治監督が関わっているなら安心の社会性を持ったシリーズになるのではと思いたい。現在のこの情勢までをも含んでいるかは分からないけれど、人の繋がりや社会のありようを描いたものになっていると思いたい。

 戻って「ULTRAMAN」だけれど、ベムラーの声とそしてモーションアクターを劇団スタジオライフの曽世海司さんが務めていることに気がついた。「攻殻機動隊SAC_2045」でイシカワのモーションアクターとエージェント・スミスの声を担当するとリリースにあって、何で曽世さんがと思ったら既に「ULTRAMAN」から関わっていたのだった。それもベムラーという主要な役で。あと井出のモーションで。神山・荒牧両監督がどこで曽世のことを知ったかが少し気になる。

 劇団スタジオライフのファンことライファーには劇団の重鎮で萩尾望都さん原作の舞台「トーマの心臓」ではオスカーやバッカスといった役を演じ、同じ萩尾さん原作「11人いる!」ではマヤ王バセスカなんかを演じてる。手塚治虫さん原作「アドルフに告ぐ」ではジャーナリストの峠草平役。それだけの重鎮でも外でいろいろと活躍しているところはあまり見ていなかっただけに、アニメという場でモーションでも声でも活動していたのを知って嬉しくなった。荒牧監督の「キャプテンハーロック −SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK−」でイソラのモーションアクターを務めていたから、その縁かもしれないなあ。そして声を聞いてベムラーに相応しいと感じたと。

 ベムラーは「ウルトラマン」とは違って人型で悪役めいて実は裏を持っていそうな重要なキャラクター。続編でも当然に活動をするから曽世さんにはまたお目にかかれそう。それよりも先にやっぱり「攻殻機動隊SAC_2045」でのエージェント・スミス役か。そもそもエージェント・スミスってお話にどう関わってくるんだ。ジェーン・ドゥめいてリアルとフィクションの狭間にうごめく謎の人物な名前の持ち主だけに、今までの徹底したリアルが追求されてた「攻殻機動隊S.A.C」とは違ったビジョンが繰り広げられるのかもしれない。


【4月18日】 安倍晋三内閣総理大臣が記者会見で朝日新聞社の記者から布マスクを配る政策について質問を受けて、朝日新聞だって3300円の布マスクをサイトで売っているじゃないかと返したことが、朝日新聞嫌いの間で喝采を浴びているけれど、なぜか毎日新聞までがそこに参戦をして、安倍総理が質問に突っ込み返したことをそのままの流れで報じている。そこに論評はなし。布マスクを配る政策の費用対効果であったり、配るガーゼマスクの効用といったものの評価なしに報じられない話なんだけれど、これでは安倍総理の当意即妙な返しを称揚にしかなっていない。

 ただ、朝日新聞がオンラインのサイトで販売していた布マスクは、布というより木綿の織物で大阪の和泉あたりが産地となっている和泉木綿を使った上に、4層構造にして不織布などを挟んで機密性を高めたもの。なおかつ肌触りの良さもあり、顔の下半分をすっぽりと覆うサイズもあって朝日新聞のサイト以外でも売られて売り切れるくらいの人気を見せている。つまりは値段相応の価値を持った品であって、それを売ってるからといって自分たちが全世帯に2枚ずつ、普及品のガーゼマスクを配ることの正当化にはつながらない。それとも同じクオリティのものを配るというなら突っ込んでもいいけれど、そうではないといった検証もせずにただ、総理の言葉だけを報じることが新聞にとって必要か、ってあたりでやっぱりいろいろな問題が危機に噴き出してきているなあ。それが危機の回避にまったく役に経ってない問題とともに。やれやれだ。

 付けられたサブタイトル「THRICE UPON A TIME」に対して、J.P.ホーガンによるSF作品「未来からのネットワーク」の現代だ指摘や分析から、6月予定だった公開が延期となった「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が、ポスタービジュアルのコピー「さらば、全てのエヴァンゲリオン」という言葉どおりに、少なくとも現時点でのエヴァンゲリオンシリーズで最後になるんだろうと理解する。それは、「トップをねらえ!」の最終話が、小松左京の小説からとった「果てし無き、流れのはてに…」で「ふしぎの海のナディア』の最終話がJ.P.ホーガンからとった「星を継ぐもの…」で、そして『新世紀エヴァンゲリオン」のTVシリーズ放映版最終話が、ハーラン・エリスンの作品集からとった「世界の果てでアイをさけんだけもの」だったりするところから、庵野秀明が絡んだ作品には最後のSF作品のタイトルが持って来られる法則から浮かんだもの。

 その後、「エヴァ」はテレビから映画となって新劇場版が作られたし、「トップをねらえ!」も「トップをねらえ2!」が作られたから絶対の法則って訳ではないけれど、とりあえずの打ち止めにそうしたタイトルを持ってくることはあるから、これでしばらくはお目にかかれないと思った方が良いんだろうなあ。それにしてもやっぱり公開延期は仕方が無いとはいえ残念。これをめがけてユニクロとのコラボが始まったり、キャラクター展開が広がったりして事前の盛り上げが行われていたから、キャラクターマーチャンダイジング戦略にも影響が出て来そう。

 それを言うなら「ドラえもん! 新のび太と恐竜」も関連して文明堂からどら焼きが出たりしていて、そうしたコラボレーションは止めるに止められず進んでしまった感じ。改めて公開した時にまたとなっても、今のこのサプライチェーンがずたずたになっている状況で再構築は難しい。というか映画「名探偵コナン 緋色の弾丸」なんて作品しのものが2020年の東京オリンピックとのコラボめいていただけに、秋に公開されてもちょっとタイミングがズレそう。いっそ1年後、ってこともあったりするかも、来年の映画だって企画しても作れるかどうか分からないし。

 戻って「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は鉄道の線路にシンジくんが佇むビジュアルから、JR西日本の宇部新川駅あたりらしい。宇部といったら庵野秀明監督の出身地で、以前に実写で録った映画『式日』にも登場したことがある。ただ自分に関わりが深い場所だから持って来た、って簡単に見てもいいものか、それともやっぱり内容にとてつもなく影響を持ったロケーションということいになるのか。それはサブタイトルの「THRICE UPON A TIME」ともども気になるところ。ここは公開までに「未来からのネットワーク」を読み「式日」を見て何か理由があるのかを探って待つのが良いのかな。

 テレビ朝日で報道テーションのキャスターをしている富川悠太アナウンサーが、新型コロナウイルスに感染して発症し、番組をお休みすることになって心配された同じ番組なり同じ局内の人への感染は、報道テーションの番組スタッフやチーフディレクター、番組チーフプロデューサーの感染が明らかになったり体調が悪くなっている人が出たりして広がりを見せてしまった感じ。全局を封鎖して消毒もしたみたいだけれど、そんな広がりが番組スタッフの家人という赤江珠緒アナウンサーにも及んだみたいで、出演しているTBSラジオ「たまむすび」の方から発表になった。

 幸いにして子どもには感染していないようだけれど、11日に富川アナの感染が判明してそして番組スタッフも活動自粛に入ったものの、13日に感染が判明し、そして赤江アナも11日から同様に活動を自粛しながらやっぱり感染してしまった。思うのはなるほどやっぱり強い感染力ってことで、日頃から気をつけていてもそれとは知らないところから感染し、誰かが発症してそれが判明してから、調べてしっかり感染してしまっている感じ。間に時間があるからちょっと防ぎようもない。

果たしてインフルエンザだってこうも数珠つなぎのように感染者が出るものだろうかと思ったりもするけれど、予防接種を受けたり抗体が出来ていたりして発症せずうつすこともなかったりする従来からの感染症と違って、誰も盾とか持たずに素っ裸で出歩いている状況ってことが、この連鎖を生んでいるのかもしれない。幸いにして不幸でもあるけれど家から朝に満員電車に乗って人が密集した中で仕事をする機会がなく、今のところが無事でいられている。まあ諸々の不安もあるけれど、こと感染については心配しなくて良さそうだということを心の支えにして20日ほどを生き抜こう。

【4月17日】 2006年9月13日の日記に、芝の増上寺で行われた『天保異聞 妖奇士』の製作発表会に行ったとあるから、たぶんその時に藤原啓治さんを見ているはずだけれど、続く会見があって30分くらいで出たともあって、発表会の後半に行われた「いきものがかり」のライブは確か見ないで出たんだった。後にあれほどまでに大きなグループになるとは、この当時はあまり思っていなかった。何か不思議な名前のバンドだなあといった印象。ドリカムがだから女性ボーカルでは強い印象があり過ぎたんだろうなあ。あるいはジュディマリあたりが。

 オフィシャルリポートなんかを見ると毎日放送の竹田プロデューサーが出席していてボンズから南雅彦プロデューサー、そして原作者で脚本家の會川昇さんも登壇されていたみたい。あと監督の錦織博さんと竜導往壓役の藤原啓治さん。見ていたとしたらその時が最初の出会いになるのかな。「交響詩篇エウレカセブン」関連だと2009年5月31日に今は無き新宿テアトルタイムズスクエアで開かれた劇場版『交響詩篇エウレカセブン ポケットは虹でいっぱい』のトークイベントに、京田知己監督ともども登壇されたところを見ているはずだから、何度かお顔を拝見してお声も聞いたことはあったようだ。

 当時から印象としては変わらず、サングラスが似合う人といったところで、2006年あたりだとまだたとえば兄ちゃんだったくらいか。とはいえ2010年代に見たとしてもおっちゃんとはならず兄貴といった雰囲気を漂わせていいただろうなあ。役として近いところで印象に残っているのは「荒野のコトブキ飛行隊」で飛行船の副船長サネアツか。船長のマダム・ルゥルゥに惚れている気弱なおっさんといった雰囲気を、実によく表現していたっけ。

 そんなマダム・ルゥルゥを演じていたのがかつて「クレヨンしんちゃん」で長く親子を演じた矢島晶子さん。声に縛られる状態から離れようと役を譲って、地声に近い女性役を多くやり始めた中での“再会”がどんな雰囲気だったのか。同じスタジオでの収録はあったのか。別録りの中でお互いにエールのようなものを交換されたのか。今となっては知ることはできないけれど、アニメを見れば役としての関係性はそこに映し出されている。Netflixだかで楽しめるので今晩あたり見返すか。時間だけなら余ってるし。

 寝っぱなしでは腰に来るので昼過ぎに起き出して今日は近所のドトールへ。三鷹では駅ビルにあるプロントもサブウェイも閉まり、駅の南側にあるタリーズもチョコクロも閉まっていたりして、と、東京あたりからもどんどんと店が閉まっているといった話が届いているけれど、船橋はそのあたり緩いのか駅前にあるドトールはしっかり店を開いていて、人がいっぱい来ていて今日が金曜日なんだって感覚が乏しくなる。勤めていれば会社に行く曜日だし今のご時世ならリモートワークを考えているかもしれないけれど、そうでない身だと平日に通っていた場所がなくなって、ちょっと曜日の感覚が乏しくなって来た。

 それを言うなら去年だって4月5月6月は、通い始めていなくって、平日を毎日が日曜日状態で迎えていたはずだけれど意識して外に出るようにして、原稿なんかを書いたり取材なんかに行ったりしていたからまだしのげたのかもしれない。日本SF大賞の贈賞式とか日本SF作家クラブの臨時総会とか鈴木敏夫さんの展覧会とかアニメスタジオのサテライトとか。

 それでも毎日ではなかったそうした平日の曜日をいったいどう過ごしていたんだろう。思い出せないところにいろいろあって頭がぼんやりとして毎日を惰性で過ごし始めた可能性が浮かぶ。ああカクヨムに過去の日記を掘り返してまとめてたっけ。あれも自分まとめにはなったけれど、過去が思い出されてだんだんと神経を締め付けていったんだった。振り返らない先を見ない。今をとにかく懸命に。それが今は必要なのかもしれないなあ。そうしているうちに60歳になっている、と。

 小池百合子東京都知事が会見。最後にいつも叫ぶ人がいるのは会見に入れてもらえないから廊下から叫んでいるのか、手を上げても当てて貰えないから叫んで何かを主張しているのか。後者だとしたらそれこそ当てて好きなだけ喋らせればその質問が、果たして今のメディアにして欲しいものかどうか見た人が判断するだろうから、やれば良いんだけれどその場で叫ぶことで確実に声を届けたいと思っているのだとしたら、ちょっと行き過ぎのような気もしないでもない。主張だったら別に自分でメディアを持てばできる訳だし。なかなか謎めく。名物にしてはいけないとは思う。

 中身があるかどうかといった意味では、質問に対してしっかりと受け答えはしているから安心感はある。すでに8000億円の拠出を決めている上に、新たに3500億円を決めたとか、妊婦さんが病院に行くのに電車とか公共交通機関が怖いのならタクシーチケットを1万円分出しますとか、具体的に金額とか施策を明示して安心感を持ってもらおうとしている。突っ込めば粗もあるんだろうけど、確実に何かをやっているのはやっているふりをしているだけの国とはやっぱり違いが感じられるって、誰だって思うだろうなあ、これを見ていると。

 他の自治体より潤沢だろうという突っ込みにも、それだけ吟味して削れるところは削ったと即答。ついでに自分の給与も減らしていると沿えて書く側が捕らえやすいようにしている。嫌味にならず好感と共感を抱ける言葉を発する訓練が、国とは大違い。それでも権力が国にあるからそっちが大事にされるけど、この連続が次の選挙で何かを読んだその後、引っ張り出される可能性が高くなって来たなあ、オリンピックだってもはや国のマターになって安倍総理の決断の範疇になってしまっているから、中止でも小池都知事は傷つかないし。そうしたところが上手くて、そして政治家として正しいのかも。


【4月16日】 追い出されるように会社を飛び出して1年。初めて迎えた確定申告の書類とやらを、会計ソフトの弥生をオンラインで使って書いてプリントして送ったけれど、果たしてこれで合っているのか通過するのかまるで話からない。まあでも一応の区切りはつけたし、還付金の額とやらが出て今の身には余る額だったのでこれからの22日間を寝て過ごせると皮算用をして寝よう。今週出す原稿はとりあえず出した気がするけれど、来週あたりもまだ続くので週末にかけてその予習なんかを近所の開いてるタリーズで。東京と違って千葉なので、船橋あたりはまだ多くの店が開いているのだった。

 自宅で勤務というほどの仕事もないものの、少しくらいは打ち合わせもありそうなんでネット会議の準備なんかをあれやこれや。ちょっと前にZoomで果たしてタレントさんのトークライブめいたものを有料で実施できるかといった実験に参加して、Zoomを導入してiPadで様子を眺めて参加者の顔がずらりと画面に並び、そしてチャットでコメントなんかをやりとりできる昨日にこれはなるほどトークライブ的なものなら実施できるんじゃないかと思った。もちろん大勢が会議をするのにも仕えるけれど、参加人数が多くなると誰がどういう風に喋っているのか、確認するのが難しくなりそうな予感。実験では参加している人の多くをミュートして、中心的な人たちが会話をして聞き取れるかを試してた。

 大勢で会議をする時だったら発現したい人は何かキューサインでも送って指名されるのを待つとかするのかどうなのか。移っている画面で「発言」パネルを挙げるとか? そんなコミュニケーションのためにツールが生まれてきそうだなあ、「発言」「異議あり」「承認」なんて文字が書かれた。本当だったらそれこそ全員がVRで仮想空間に入ってテーブルに座るような形で会話ができれば良いんだけれど、それをやれるだけの機材がそろっている家はさすがになさそう。今でさえリモートワークのためにスマホじゃないパソコンを買おうとする人たちで、売り切れが続出しているそうだから。リモートワークの話が出始めた段階で秋葉原に使いをやってノートPCを大量に買ったブシロードの木谷高明さんはやっぱりさすがの先見性。

 マイクロソフトのTeamsも使った会議もやってみたけれど、3人くらいで喋ると見ている画面が2分割されて2人が見える状況はとても入りやすかった。誰かが相づちのように喋り出してもそれをうけて話を止めて聞くとかいった対応が可能。これが4人5人となるとやっぱり収集がつかなくなりそうだから。とりあえずサブノートのカメラとマイクで対応したけどちゃんと届いていたかな。相手の声はしっかり聞こえて、チャットで情報もやりとりできたのでその場限りでは会議になった。ただあとでチャットを見返そうとしてもできないみたいで、しっかりメモをとっておけば良かったと反省。まあ必要な情報は記憶から再現できたんで、とりあえず週末はそれへの対応のために籠もって延々と資料を読みふける。

 例の香川県におけるゲーム時間規制について、どういったパブリックコメントが集まったのかが請求によって開示された。そこで浮かび上がったIPアドレスが同じなんじゃないのという問いについては、県議会か何かのサイトにあるお問い合わせのフォームから送ったものだから一緒になって仕方が無いんじゃないかといった説明があって、とりあえずはクリアされたものの本来だったらパブリックコメントは文書なりメールなりで送るのが筋であって、こうしたお問い合わせフォームは含まれていなかった。それを計上してしまうところに手続き上の問題がありそうだけれど、意見は意見だからと言いつのられれば反論もしづらい。

だからとりあえず置くとして、その中身がこれまた問題だらけだったことが報道によって明らかにされた。読むともうバレバレというか、これで通ってしまう世の中がどうにもヤバイ。何しろ「件名に『依存症』と書くべきところを『依存層』と誤っていたのは21件」もあったそうで、誰かが同じ文章をコピペして送ったんじゃないかといった疑いが浮かんでもし方が無い。
B  「『条例にについて』と、『に』を重ねた意見も50件あった」なんてそんな誤記、大勢の人がいっせいにするなんてことはありえない。「このうち大半は意見欄に『ネットゲーム依存条例に賛同』か『ネットゲーム依存条例に賛成』とだけ記されていた」とあるから、ますます同一人物からの発信といった可能性が強まる。住所だかは違うそうなのでそうしたリストをもらった誰かがしこしこと打ち込んでいきながらコメントだけは同じのを貼り付けたんじゃないのといった想像が浮かんでくる。というかきっとそうだろう。

 とはいえ、問題は、そうしたコピペ投稿であっても発信者が違うなら違う意見と言いつのるんじゃないかと予想される点。そしてきっと通ってしまうところに、こ常識を良識として受け入れず、目的のためにプロセスが不正でも知らん顔する態度が見え隠れする。それじゃあまっとうな政治も行政も出来ないじゃんって言われそうだけれど、すでにして書類の改竄だとか廃棄なんかが平気で行われていたりする国政の現場があるだけに、地方の議会の現場で似たようなことが行われも、それをひっくり返すのは困難そう。正直が通らず正義が尊ばれない国になってしまった。誰がした? それが問題だ。


【4月15日】 アニメーション版の第2話をNetflixで見た「波よ聞いてくれ」は、やっぱり鼓田ミナレを演じている声優の杉山里穂さんが巧すぎて漫画から抜け出て動き回っているようにしか見えないし聞こえない。というか全般にキャスティングがハマり過ぎていて、チーフディレクターの麻藤兼嗣は、俳優としても活動する藤真秀さんがナチュラルに渋い中年男性を演じていて、にやけもせず艶っぽさもためずにすっと聞こえてくる声になっている。茅代まどか役の大原さやかさんもベストマッチ。ADの南波瑞穂を演じている 石見舞菜香さんも、どこか茅野愛衣さんを感じさせつつ未だ初々しさを残した可愛らしさを聞かせてくれている。とはいえあれでなかなか頑固なところもある南波ちゃんだけに、次回のミナレとの同居回でどう演じてくれているかに興味。見ていこう。

 なるほど、これなら北海道大学の西浦博教授が警告するように、40万人もの方が新型コロナウイルス感染症で亡くなっても不思議じゃないかもと思えた光景。三重県鈴鹿市にある小学校が、新型コロナウイルス感染症の影響で延期していた始業式を行ったけど、1カ所に集まるのは危険だからとオンライン始業式にしたとかで、それはきっと児童たちが家のパソコンとかタブレットとかスマートフォンから、校長先生が訓示を話す映像を見たり、話した言葉をメールで読んだりして始業式に変えるものかと思ったらこれが違ってた。児童たちは学校に集まり教室の席に座って、先生が喋るモニターを皆で見るというものだった。

 逆だろ逆、とまでは言わず先生は先生でやっぱり感染のリスクがあるから、家でもどこでもやっぱり遠隔地からモニター越しに喋るということはあって良い。ただ、聞く児童の方もやっぱり集まったりはしないで家で聞くなりすべきだったのに、この学校では生徒たちには出校を求めていたりするところがどうにも理解不能だった。何か悪いものでも見ているような気になった。

 いくら教室の窓を開けているとはいったって、久々に出会った児童たちが大きな声で会話することは大いにありそう。児童たちが触った場所を誰かがアルコール類で除菌して回るなんてこともない。幼ければ集団での登下校だってある状況で、守られるべき三密も守れなさそうな状況であるにも関わらず、学校の側がこれはちょっとまずんじゃないかと言って止めなかったことも驚きなら、こうした奇妙な状況をオンライン始業式と言いつのって報じるメディアにも驚き。せめてメディアにはこれは違うと言って欲しかった。

 どうしてこんな状況になってしまったのか。児童たちは集まって目上の人たちの言葉を聞くものなんだという認識が教員たちの世代にあるのだろうか。それはそれでまずい認識だけれど、学校という場ではそうした認識がなかなか持たれないんだろう。あと東京なんかは感染者の数がちょっと目減りしている感じ。もしかしたら2週間前から始まった外出自粛の効果が出始めているのかもしれない。単純に検査数が少ないだけかもしれない。それでも表面上のこうした数字を見るにつけ、もう大丈夫なんだといった認識が広まり始めているのかもしれない。

 ただ、そんなタイミングで西浦先生が40万人もの方が亡くなるというショッキングな数字をあえて押し立て、会見なんかを開いたあたりに今のこの状況ではまだ足りてない、だから大変なことが起こると警鐘を鳴らそうとした節が窺える。だとしたらやっぱり学校に児童だけが集まるのはまずい。先生だけが通うのもまずいなら新しい仕組みを作り、その上で可能なことをするようにならないといけないんだろう。ともあれやってしまった以上、児童たちには感染とかを免れて欲しいけれど、そうでなくても以後こうした事態は避けて欲しいもの。自分はといえば通いの仕事はしばらくないんで家で布団に引きこもってうんうんとうなっているだけなんで、気は沈んでも栄養は不足しても生き延びたい。

 戸越銀座が週末とかでも店を開いて買い物貨客が訪れていることについて、何やら苦情の電話なんかが入っているってことが新聞に紹介されていた。別に自分が行かなければ感染もなにもしないから、そこに大勢集まろうが関係ないと無視をすれば良いものを、わざわざ苦情の電話を入れるところに自分が励行している一方で、苦痛にもなっている自粛生活を送っていない人たちがいることに我慢がならないんだろうなあ。それで感染してなくなるのは自分ではないのにも関わらず。こうした他が楽しそうなのが鬱陶しいという意識の鬱陶しさたるや。報じる方も鬱陶しいぞと書くかというと、両論併記で流すだけでどっちかに与することはない。結果、双方に理由はあってもやっぱり喧噪には抗議が起こるという認識が世に広まり、萎縮や差別や分断を招きそう。収束後の世界は果たして真っ当になるのか。心配だ。


【4月14日】 例の星野源さんの「うちに帰ろう」動画に安倍晋三内閣総理大臣が家で犬と戯れお茶を飲み本を読む動画を沿えて世間から批判された一件。その総理大臣という割にはモデルハウスのように空虚な空間で演技でもしているかのような日常を見せた安倍総理をパロディにしたくなる気も分からないではないけれど、これはあくまでも安倍総理のステイホームライフを揶揄するパロディであって、そこに星野源さんの「うちで踊ろう」の映像をセットで乗せては、星野さんがその動画を提供した本来の意図にやはり何も貢献していないような気がする。

 セッションであり共に踊ることで今の苦境、家に居続けなくてはならない寂しさを埋めて一体感を味わおうといった呼びかけに、答えて何か映像を乗せることがたぶん求められていて、それが行われていなかったから安倍総理の映像は不快感をもって受け止められた。その映像を、自分たちで演じたものに差し替えたところで星野さんの呼びかけに何ら答えたことにはならない。安倍総理の似非オシャレな日常をフレームアップして笑っているだけ。そこから「うちで踊ろう」という呼びかけへの答えは感じられない。

試みとしては面白いし芸人だったら考えて当然だけれど本来の意図からそれた存在を揶揄することが、結果として本来の意図に沿ってないなのはどうなんだろう。やはり芸人ならパロディではなく自分たちの芸で安倍総理に代わる「うちで踊ろう」パフォーマンスを見せて欲しかった。バナナマンとかはそんな動画を載せたし大泉洋さんとか岡崎体育さんも楽しくて笑えてそしてしっかりセッションしている動画を沿えてきた。芸人さんならそれ以上のことが出来るはずだと思うのだ。待とうそのネタがセッションとしてちゃんと放たれる時を。

 起きてまだ続いている通いのお仕事へ。といっても近く全従業員が大型連休明けまで来ちゃいけないことになるので、2週間ばかり行けなくなりそうで夕方まで寝てそこから起きだし、食べ物を仕入れて帰って食べてまた寝る暮らしが続きそう。体力的にどうなるかがちょっと心配。書きものの仕事はあるけれど、朝なり昼なりに起きて外に出る用事があったからある程度は生活リズムを保っていられたのが、その枷が外れてどこまで維持していられるか、って考えるとこの2週間、頑張ってでも昼間に行動するようにしないと連休明けが心配になる。連休明けに元通りになればって前提はあるけれど。

 ただの人間ですらそんな不安があるのだから、アスリートはもっと心配だろうなあ。毎日でも練習をしながら体力を維持し技術を磨いていた人たちが、体育館とかグラウンドとか道場とかジムとかで練習できなくなっている。いくら近所をランニングしたところで目いっぱいのパワーを使った練習にはほど遠いから、健康は維持できてもパフォーマンスまで維持できるかは分からない。柔道だったら乱取り、レスリングだったらスパーリングといった対人の稽古も今は難しい。いくら双方が感染していないことを確認しあったとしても、どこかに不安が残るし状況がそうした接触を許さないから。

 カヌーの選手なんか家でお風呂にパドルをつっこんでは漕ぐ練習をしているらしいけれど、水流の上でバランスをとりながらカヌーを操作する勘はそれでははぐくめない訳で、やっぱり現場に出ないことには始まらないけど、それがいつから可能になるかがまるで見えない。そしてあるいは梅雨明けに環境が元通りになったとしても、それまでのブランクを埋めるのにいったいどれだけかかるのか。アスリートの人たちもきっとモヤモヤしているだろう。

 秋ぐらいから本格的に練習が再開されたとしても、果たして来年のオリンピックに間に合うのか、ってなるとさらに不安も増しそう。主催者の側がいくら1年後の実施を言ったところで、今のこの状況ではベストなパフォーマンスが見せられないからと、選手や競技者団体の側から参加を見送る声とか出て来そう。それに秋口におさまったとしても、冬から春にかけてまたぞろ感染者が発生して増えていかないとも限らない。そうなったらまた練習が滞って夏のオリンピックなんて迎えられない。そんなことを考えるとやっぱり五輪はないかなあ。参加することに意義があるからとやってしまうかなあ。

 そういえば全日本柔道連盟で大勢の新型コロナウイルス感染症の感染者が出た件は、山下泰裕会長が日本オリンピック委員会(JOC)の会長でもあるだけにちょっと笑えない話。足下のそうした状況をすら見逃してしまう人をトップに据えて日本のオリンピックが来年も安心できる状況で開けるなんてちょっと考えられなくなってしまった。JOCで理事でやはり柔道家の山口香さんが1年の延期だなんて無理だから中止すべきなんじゃないのと言って、山下会長から遺憾の意を示されていたけれど、こうなるとやっぱり無理だといった声も浮かんでくるだろう。アスリートのパフォーマンスと新型コロナウイルス感染症のパンデミックの収束ともども、尾を引きそうな話。ICOとか果たしていつ、どんな決断を示すのか。次に春が来る前に再流行となったら決定かな。


【4月13日】 うわあ。例の星野源さんによる「うちで踊ろう」動画に、安倍晋三内閣総理大臣が犬と戯れお茶を嗜み読書に勤しむ姿を重ねつつ「飲みに行けない」「友人と会えない」といったどちらかといえば欲望に近い方面での活動が滞ってしまって残念ですねといったスタンスでコメントを発し、外に出られず金が稼げず家賃が払えなかったりご飯が食べられなかったりしそうな人たちの憤りを買い、何でもいいからセッションするのが本筋の動画の意味をまるで分かっていない態度に、クリエイターたちの怒りを集め、大騒動になった一件について菅義偉内閣官房長官がこう言い放ったとか。

 「ツイッターでは過去最高の35万を超える『いいね』をいただくなど多くの反響がある」。だから批判の対象には当たらないといった認識を示したとか。これってつまりは現にさまざまな批判が起こっていることをまるで認識していないことになならないか。すなわち働きに出られず稼げない人とか、クリエイティブを通じてみなこの難局を乗り切ろうと考えているクリエイターなんて眼中にないってことにならないか。だってまるで言及しないんだから。そこから何かをくみ取ろうという態度を見せないんだから。

 そりゃあ「いいね」を押した人もいるだろう。35万人が押したかもしれないけれど、それに類するくらい「いやだね」と思った人だっているかもしれない。そうした意志を表示する機能がないからといって、いないとは限らないということにどうして想像を及ばせようとしないのか。というかこうした質問が挙がるからには、実際にいろいろと批判が起こっている訳で、それを知らない見えない聞こえないといって無視する方がよっぽど無茶。でも聞きたくないし聞こえない声はなかったことにしてしまうのがこの政権。だから反省もしなければ声を容れることもなく、安倍晋三内閣総理大臣の優雅なハウスライフは繰り広げられることになるんだろう。

 4月3日だかから週末にかけて38度を超える熱があったにも関わらず、引いたからといって週明けからテレビ局のスタジオに行ったのが、この人の場合はやっぱりまずかったってことになるんだろうか。「報道ステーション」のメインキャスター、富川悠太アナウンサーが新型コロナウイルス感染症に罹患して休んだことに関連して、番組の関係者に体調不良を訴えている人が出始めたとか。チーフディレクターだそうで熱が38度5分となかなか高熱な上に味覚にも障害が出ているって、新型コロナウイルス感染症のメインストリームを行く症状が現れている感じ。

 これで咳が止まらなくなると苦しさも一気に増しそうで、倦怠感とか関節の痛みとか出て歩けなくなるとさらに大変。それで自宅待機となると家族に感染する可能性を考慮しなくちゃいけなくなるけど、そこはメディア関係者だけあってかPRC検査はできるらしい。 かといって陽性になればなったで入院の上で2週間は出てこられない。症状が軽くてホテル住まいならまだしも苦しい状態で隔離されるのは嫌なので、個人的にはやっぱり絶対に罹りたくない新型コロナウイルス感染症。月の後半からしばらく籠もることにするかなあ。といってもベッドでごろごろとしているだけだけれど。

 三井住友銀行がマスクを着用していない来店客に入っちゃだめとか言ってたそうで、それはさすがにということで改めたらしいけれどもちょっと前ならむしろマスクなんてしていようものなら、強盗か何かと勘違いされ逆に退店を求められたような気がしないでもない。時代は変わるというか状況が変わったというか。ようしマスクして故意ってんならガスマスクだとかフルフェイスのヘルメットだとか目だし帽だとかかぶった上からサングラスで入ってやろうなんて思って実行したら、やっぱり非常ベルを鳴らされるだろうから要注意。

 先週あたりから「25話」なんて話数が書かれた袋を眺めていたりしたものの、その作品については24話で最終回を迎えたはずで、内容的にもすっかり終わっていたからいったい「25話」ってのは何だろうと思っていたら、どうやら夏にOVAが出るみたいで、それが25話ということにされているみたい。シリーズに出て来たキャラクターたちのサイドストーリー的なものを短く6話構成でいれるとか。だからAからFまでのアルファベットがシーン的なところに振ってあったのか。

 個人的には大好きな作品で、1話からずっとNetflixで追いかけて最終回まで見切ったけれど、世間的にどれくらい話題になっているかが今ひとつ不明。ネットで騒がれたところで、1年が経てばすっかり忘れ去られてしまう作品だって少なくない状況だけに、これもOVAなんて出してどこまで売れるかまるで想像がつかないけれど、OVAが作られるってことはそれなりに支持者もあって勝算もあるってことなんだろう。ご当地となる場所が目下の新型コロナウイルス感染症の自粛で不夜城から日中も含めて真っ暗闇ではあるけれど、だからこそ物語の中で輝く街として眺め楽しみたいなあ。「歌舞伎町シャーロック」OVA、8月26日発売。


【4月12日】 ずっと寝転がって本を読んでいて、ようやく外に出て割り引きが始まっている弁当なんかを仕入れる。いつもは午後の9時まで開いているはずの食料品街がこの日は午後の6時に閉まってしまって事態がやっぱり並ではないってことをうかがわせる。平日はそれでも午後の7時までは開いていてくれるのか、それとも同時刻で閉店なのか。どっちにしたって1日家の中にいて、夕方に起き出して買いに行く暮らしが20日くらいは続きそうだから関係ないのか。体力衰えそう。玄関先を掃除して埋もれているエアバイクを掘るしかないかなあ。

 でもって本は小川一水さん「天冥の標」シリーズなんかをつらつらと。本当だったら週末の17日が日本SF大賞の贈賞式だった訳で、そこで選評だとか受賞者の挨拶を聞いて記事にでもしようと思っていたけどできなくなった。すでに冊子が作られていたのならみたいところだけれど、かなわなそうならこの前の青山ブックセンターでの一部登壇者のコメントとか、ネットに挙がっている選評の様子なんかを交えつつやっぱり今のこの風潮に響くものがある「天冥の標」をメインに紹介してみたいのだった。

 シリーズ第2巻に当たる「天冥の標2 救世群」で人類を染めてしまった冥王斑なる病気のウイルスは決して陰性になることはなく永久に感染させられる力を持ったまま体内に止まり続ける。だから感染者たちは最初は施設に隔離され、やがて棄民も同然に孤島へと追いやられ、そこで最初は各国からやって来た感染者たちの間で闘争を強いられそうになるけれど、立ち上がった最初の感染者、檜沢千茅がカリスマ性を発揮し交渉術を伸ばして世界と対峙。身に持つ血清を唯一の治療薬として売ることで立場を得て金も稼いでひとつの独立国家を打ち立てるまでになる。

 と、それならそれでひとつの権力とも言えるけれども決して外には出られない、世界から監視され隔離されことあれば核爆弾すら打ち込まれかねない状況におかれた地獄の中の平穏。そうした視線にさらされ続けて生まれた2代目なり3代目の心中はやっぱりおだやかではないだろう。だから月へと進出して、拠点を得て気密性が必要とされる条件で他の人類たちと対等になれたと思ったら、やっぱり忌避され嫌悪され続ける存在だったと分かって受ける絶望たるや。

 そんなエピソードも後の巻で示唆されていく展開の中、救世群なり冥王斑の感染者なりは常にそうした差別と嫌悪の対象にされ続けている。これは決して空想上の物語に描かれた絵空事ではないのは、すでに起こっている新型コロナウイルス感染症の感染者が発声した病院の関係者が、子どもを預けようとして保育所などから断られたりするケースが発生したり、患者を収容しようとした施設の周囲から不安を言う声があがったりしていることからも分かる。

 涙や血液などに混じったウイルスが乾燥して飛沫として漂ったものを受けて感染する上に、決して陰性にはならない冥王斑とは違って、軽ければ2週間もあれば陰性になって感染力を持たなくなる新型コロナウイルス感染症でも、そこまで恐れられてしまうというこの状況が、短期間で終息しないで1年2年と長引いた果てに起こるコミュニティの分断、社会の隔絶、意識の変容がとても怖い。そうならないためにすべきことは何か。メディアもだから恐怖を煽るだけでなく、差別を助長するだけではなく、共存していける道を示唆するべきなのに……。

 「天冥の標」はSFでありながら、そうした社会の決してよろしくは無い変容の可能性を示唆している。そこから学ぶのは追随ではなくそうはらならないための意識の獲得。そのために今、読まれて欲しいとちょっと思った。積み上げてある文庫の一部がないから、ネットで買おうとしたら「まとめて買う」をクリックしちゃって全巻キンドルで落としてしまってあちゃーと思ったけど、この長いトンネルの中で読むには相応しい本だから気にしない。これと「境界線上のホライゾン」が全巻あれば1年だって戦えそうな気がするなあ。

 そしてやっぱり「天冥の標」はSFだから、ことが人類の宇宙進出から始まる宇宙年代記的な範疇に収まらず、異星人との関わりへと進んでいく。干渉から対立の果てに来るのは何か。そこは読んでのお楽しみとしておこう。こうした壮大な宇宙史ものってハインラインにアシモフ等々と海外だといっぱいあるけれど、日本だとどうしても「ファイブスター物語」を例えに出してしまうところが漫画脳かもしれない。

 例の星野源さんによる「うちで踊ろう」動画に安倍晋三内閣総理大臣が家で犬と戯れていたりする動画をくっつけて流したことについて、朝日新聞が書いてきたけど「首相の投稿には『ゆっくり休んで下さい』など、首相を気遣う投稿が相次いだ。一方、『くつろいでる場合じゃない人が日本にはたくさんいますよ』といった批判的なコメントも多数寄せられた」といった具合に、評価から入っているのがちょっと気にかかった。世の中に出てからの評判はどちらかといえば批判めいたものが圧倒的で、それもくつろいでいる場合じゃないといったものよりは、音楽業界が困っている中で自分に出来ることをやってくれた星野さんの動画に対して、音楽業界の苦境に特に国として何かしようとはしていない国が、乗っかるのはいかがなものかといった筋道の立ったものが多かった。

 あとは世界のトップがこの国難に家でくつろいでいる姿を見せるより、最前線に立ち続けていろいろと国民のために奔走している姿を見せているにも関わらず、自分が広い家で犬と戯れお茶を飲み本を読みつつ友だちと会えないこと、飲み会に行けないことがつらいでしょうといった話の持って行き方をしていることに、そうじゃない仕事がなくなってお金が稼げず生活が大変になっているから大変なんだ、明日にも住めなくなるかもしれない、明日にも食べられなくなるかもしれないといった声も多くあった。

 そうした人たちへの心情をおもんぱかっての配慮なり、苦境を感じ取っての施策なりを示すことなく家に居続けなさいと呼びかけることに、どうにも空虚さを覚えて嘆いている人が多いということをここはメディアにも言って欲しかったけれど、そうした厳しい言葉は蓮舫議員に代弁させてしまうあたりにどこか腰の引けっっぷりが感じられる。蓮舫議員ではいつも文句ばかり言う人のイメージが強すぎて、逆に総理を応援してしまう声を呼びかねないのもまた難しい構図だったりするからなあ。どうしたものか。


【4月11日】 Netflixで「インフィニット・デンドロビウム」の最新エピソード。フランクリンの3段構えの暴虐にもはやなすすべ無しと言ったところに現れたクマ兄さんことシュウ・スターリングこと破壊王が自分では体術を駆使して魔獣を圧倒し、拡散したらそこに戦車のような戦艦のようなエンブリオを持ち出しすべてを圧倒。これだけ強いとフランクリンでもいかんともしがたそうだけれど、それで諦める奴とも思えないのからなあ。というかゲームの世界なんだからどうなったって知ったことかが普通なんだけれど、NPCは消えればそれは死といっしょという条件がプレイヤーの中にもそれを物語として眺める読者にも、感情移入を読んで憤りを覚えさせる。これがなかかな不思議。フィクションの存在、形作られたデータをそれでも生きていると感じさせる脳機能の不思議について考えてみたくなる。そうは思わない人との違いなんかも。

 外出自粛となった週末もこれで2週目。やっぱり1日、部屋で寝転がりながら小川一水さんの「天冥の標2 救世群」を読み始めてこいつはまたゾクゾクとさせらえる内容だと改めて震撼する。朱戸アオさんの「リウーを待ちながら」は日本の富士山麓にある街で肺ペストのアウトブレイクが起こって封鎖される中、今の世界で起こっているような事態が繰り広げられるという点で身に迫るリアルさがあったけれど、「天冥の標2 救世群』もまた南洋で発生した、顔に黒い斑紋が浮かびそして全身が腫れ上がる奇妙な病気がやがて全世界に広がっていくというパンデミックが描かれている。

 疾病Pと当初は名付けられ、やがて冥王斑と呼ばれるようになるその病気は、肺ペストのようにはすぐは発症しないでウイルスの宿主を歩き回らせ感染者を広げるといった部分があって、今時の新型コロナウイルス感染症(COVID−19)の特徴を先取りしているようでウイルスという奴の手強さを感じさせられると同時に、そうしたシチュエーションを予想したかのように作中に盛り込んだ小川一水さんのパンデミックに関する知識に感嘆する。あとは嗅覚が衰えるあたりとか。味覚にまでは触れてないけどそうした風邪とは違った特質があるってあたりもやっぱりSF作家の先見性って奴なんだろう。

 ほかにも感染者に対する排除の意識とか、そうした感染者が出た場所へのすでに患者がいないにも関わらず続く攻撃とかも、現状起こっていそうな事。後々まで差別を受けたり閉鎖だとかいった損害をもたらすと思うと自分が感染したとは言い出せず、黙ったままで感染者を広げてアウトブレイクからのオーバーシュートを引き起こす。そうした懸念も先取りしているからには、そうはなって欲しくないという心構えをそこに見いだしところだけれど、人間はそう簡単には優しくなれないのだった。

 ただ「天冥の標」シリーズはSFなので医療サスペンスの範囲には留まらずその病気がいったいどこから来たのかといったあたりで謎かけがあるし、そうした病気が後の世界なり宇宙なりにどういった影響を及ぼすのかが、でに第1巻の「天冥の標1 メニー・メニー・シープ」に描かれて居たりする。それこそ西暦でずっと未来、人類が宇宙へと進出してからも残る「救世群」の影響力。それと対峙する医学者であり人類の相克がここからのシリーズで描かれていく。

 つまりはあるいは今回の新型コロナウイルス感染書う(COVID−19)も単純に地球を席巻して人類を追い込む疾病に留まらず、そして社会をリアルからバーチャルへと移行させる原動力になるだけに留まらず、共存か対決か隔絶かといった状況を招いた果てに大きく社会を、そして文明を、果ては地球という星そのものを変えてしまうことだってあり得るのかもしれない。過去に起こったペストであったりインフルエンザといった疾病であり感染症すら超える何かをもたらす可能性。テクノロジーが発達して医学も進歩した21世紀だからこそ起こりえる変革というのを、SF作家的な視点で先取りして描いた作品だとも言える。

 ただ幸いなことに、新型コロナウイルス感染症(COVID−19)は今のところ冥王斑のようにいったん感染したら、たとえ症状が治まっても永久にウイルスが陽性のままで在り続け、いつウイルスを外に向かって輩出するか分からない状況にはなっていなさそう。治癒して陰性になれば普通に社会に出て人に接することができるし、そうやって手段免疫が出来ればいつしか病も病ではなくなってしまう。

 これが永遠に感染者でり続ける冥王斑は人間社会への復帰ができず隔離され続けた果てに患者にはストレスを呼び、社会には差別を読んで永久に諍いが続く。ここで隔離され抑圧された側がやがて権利を主張し、果てに力を持ってしまえば世間はその拡大を恐れて対等に扱うなり傘下に入らざるを得なくなる。それとも弾圧の果てに消滅させる? 人権が取り沙汰される現代において、かつて不治であり活性状態であり続けると思われていたハンセン病のように恐れ隔離し続けるなんてことは出来ない。

 となると起こるのは共存か、それを見せかけとした併存。人種なり宗教なり国籍といったものとは別のカテゴリーにおいて区別され差別され得る存在を人類は抱え続けられるのか。出来なかったからこそいったい何が起こったのか、ってあたりが「天冥の標」では語られていく。そうしたビジョンを今の状況がなぞるかどうかが、目下の興味。そして遠く宇宙へと進出した人類は、COVID−19がとこから何のために誰によってもたらせたかを知るのかもしれない。

 ZOOMを試す夕方。よっぴーこと吉田尚記アナがこうしたオンラインでの会議ツールを使って有料で何かイベントを行って、外出も人が集まるイベントも困難なこのご時世に、ちゃんと儲けられるイベントはできないものかと模索していて、Peatixというオンラインでチケットを販売するシステムとZOOMを組み合わせることで有償のチケット販売からアクセスコードを渡して入ってもらうようなシステムはどうだと試しているのだった。とりあえず2人が喋るのを大勢で参加して眺めることは可能と分かった。そこにチャットで質問を投げたり、映像からサインを送ることも可能。必要ならホスト側から指名して喋ってもらうことだってできる。他はミュートしておけば周囲の雑音が混じらない。入れなかったりする障害は何度かのトライで解消できた模様。来週にも実施される予定だから、どうせ出歩かない週末をそれで楽しむか。ピンチはだからチャンスも生み出す。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る