縮刷版2020年2月下旬号


【2月29日】 発売された日向夏さん「薬屋のひとりごと9」なんかをキンドルで読みつつ旧刊なんかも拾いつつベッドに潜って過ごした1日。猫猫が仁士にくっついて西へと行くことになったけれども直前にいろいろあって焼き印なんかが押されてやけどが大変だったり、西へ行ったら行ったで後宮の医官が冤罪をきせられそうになったりでいろいろと事件が起こったけれども、それを知識と知恵で解決していくところがやっぱりミステリ。そうしたエピソードを挟みつつ場所は移動しいよいよ新しい事件が起こるかどうなのか。まとまった展開はなかったけれども面白さは健在。こりゃあなるほど売れる訳だよなあ。

 さすがに寝てばかりだとお腹が空くので起き出して食事とか買いつつ「ヤングキングアワーズ」の2020年4月号を買って「蒼き鋼のアルペジオ」を読んだら大和のメンタルモデルが堂々と屹立しては日本の3首脳を迎えて過去の秘密を明かそうとしていた。いよいよ始まる大展開。その場にいない千早群像は果たして式根島から間に合うのか。ってか最近見てないけれどまだ出立はしていないのか。それより伊401はどうなった。主人公もヒロインもまるで出さずに進んでいくところは、ある意味で群像劇となっているのかもしれないなあ。タカオがヒロインだから別に良いのかな。

 たまには指を動かさないと鈍るので、午後5時に始まった安倍晋三内閣総理大臣による新型コロナウイルスに関連した記者会見の模様をYouTubeで見ながらツイッターにメモ書きしていく。記者会見の現場だと相手の顔も見ながら打つから手元が狂うけれども、モニターに目をやってかくことに集中すれば遅れず間違えず打てるものだ。そんな会見ではまず安倍総理が昨今の情勢についてあれこれ語って聞かせてくれた。

 曰く「新型コロナウイルスが世界全体に広がりつつある。中国に続き韓国やイタリアなどでも感染者が急造している。我が国ではそこまでの拡大傾向にはないものの連日感染者が確認される状況。現状は感染拡大のスピードを抑制することは可能と専門家の見解。そのためには1、2週間が拡大か終息の瀬戸際になる、今からの2週間ほど、国内の感染を防ぐためにあらゆる手を尽くすべきと判断した」。日本だけ流行ってないようなことを言うけどどうなんだろうねえ。結構な数感染者は出ているし、検査をすればもっと出そう。数字のマジックでごまかされた観じ。

 「全国全ての小学校中学校高等学校特別支援学校について来週月曜日から春休みに入るまで臨時休校に入るよう要請した。子ども達には大切な時で思いでをを作るこの時期に学校を休みとする処置を講じるのは断腸の思いだ。万全の対応のもと実施して頂きたい」って要請であって頂きたいってお願いだけれど、その法的根拠なんて聞かれても説明できないんだろうなあ。ただ「何よりも子ども達の健康安全を第一に多くの子ども達、教職員が日常的に長時間集まる同じ空間を共にすることによる感染のリスクを減らさなくてはならない」という意思は否定できない。だからこそ思いつきではない準備の姿勢を見せて欲しかった。

 「人手不足に直面している小規模事業者や医療関係者、介護の皆さんに負担をおかけします。その負担のために学童保育で春休みとおなじ対応を行うよう各自治体の取り組みを国として全力で支援する」ってそれは具体的には何? 「休職に伴う収入源にも処置を講じて正規非正規を問わず手当てしていく」ってあるけど非正規にどうやって財源を回せるの? 休業した分を申請すれば給料がもらえるようになれば嬉しいけれど、その証明は誰がするの? 出来ないんだろうなあ、壁が高くて。

 「2700億円の予備費活用し、緊急対応策を今後10日程度の間にとりまとめる。海外観光客の減少や工場ラインの維持が課題。雇用調整助成金を使い1月まで遡って支援する。直面する課題に直接きく仕組みをつくり資金繰り支援、地域経済に与える影響を減らす処置を講じる。テレワークを活用し、対応を進め未来を先取りする変革を一気に進める」。でもきっと丸投げ。困るのは現場の人たち。「内閣総理大臣として国民を護る責任を果たすべく、なすべきことは決断していく」そうだけど、その責任をとったことありました? って話だし。

 「PCR検査は感染研究所の対応と、地方衛生研究所、検査機関や大学などに試薬や検査キットを提供した。1日4000件の検査能力がある。地方にある民間検査機関、大学に試薬を提供して一層の検査能力拡大に努める。PCR検査はしたくても保健所で断られやってもらえないという指摘をいただいた。保健所は都道府県や政令都市の施設だが政府として感染を疑う場合は検査を行うよう依頼して来た。検査能力に限界があるから断られること内容広域融通で各地域で検査が確実に実施できるよう国として調整を行う」。その検査が不要だからやらなかったこととの整合性がとれない。結局は浮薄な評判に右往左往しているように見えてしまう。

 「ウイルスには未知の部分がある。敵との戦いは容易ではない。政府の力だけで戦いに勝利を収めることは出来ない。最終的な終息に向けては家庭や企業自治体をはじめひとりひとりの国民の理解と協力が欠かせない」って言うのも、つまりは自分たちで頑張れってこと。「私たちは必ず乗りこえることができる。ウイルスとの戦いとの最前線で戦っている医療関係者、すべての関係者の努力に敬意を表し、これからもこの他界への協力を賜るようお願い申し上げる」。スピーチライターは頑張ったけれど、リーダーシップを掲げ実行してきた人なら有効な呼びかけでも、そうじゃないと虚ろに響く。

 質疑応答なんか聞いていても、まずは一般論から入って、その間に回答を考える観じ。どうして学校休校なんて判断を独断で下したの、って質問にまず「子ども達にとて学年最後の大切な時期に休みとする決断を行わなかったのは断腸の思い。大変なご負担をかけることにもなるが、なおこれからの1、2週間が拡大か終息かの瀬戸際という状況、何よりも子供たちの健康安全が第一」と前の答えを繰り返しつつ、「責任ある立場としいて判断せざるを得なかった。分かって欲しい」と回答。そう言われても。「私の責任で万全な対応を行う」。まずは責任をとってから、って発想はどこにもない。

 そうした態度をこれまでずっととられてきたことで、糠に釘というかのれんに腕おしな雰囲気が漂って、聞く側も追い詰めなくなっていいるような気がしないでもない。追い詰めたところで今度は逃げるだけ。そういう相手を引きずり下ろせなかったことの方が問題だけれど、そこはだからうまくやったなろうなあ、どっちも。「現場の皆さんはベストを尽くした。それが正しい判断だったか、顧みることも大切、教訓を学びながら未来に向かって活かしていきたい」。反省はしても責任はとらず、というか続けることが責任だというすり替えをここでも。「オリンピック、パラリンピックを控えバッハ会長からは迅速な対応を評価して頂いている」。えっ? ってな感じに受け止めようのない会見だったけれど、これで動いていきつつ終息してそして変わらぬ日常が続くんだろう。やれやれだ。


【2月28日】 発表はあったけれどもどうなっていたか進行状況が分からなかった杉谷庄吾【人間プラモ】さんによる「映画大好きポンポさん」のアニメ化がいよいよ発表に。「マイマイ新子と千年の魔法」や「この世界の片隅に」でプロデューサーを務めた松尾亮一郎さんが立ち上げたCLAPという制作会社でもって監督に「空の境界『矛盾螺旋』」や「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」を手がけた平尾隆之さんを迎えて作るというからこれは期待。松尾さんは「マイマイ新子と千年の魔法」のあとにマッドハウスを離れてユーフォーテーブルで「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」で平尾さんと組んでいたから、その流れで今回もってことなんだろう。

 「映画大好きポンポさん」についてもCMの映像を作っていたけど、映画となるとやっぱり本腰を入れなくちゃ作れないから現場にも人がいっぱい集まっているのかな、作画とかが気になる所。インドネシアで放映されたポカリスエットのCMが評判にもなっているし、「BLACK LAGOON」の11巻が出た時のCMも自身がプロデュースしただけあって本編のテイストをしっかり引き継いでいた。そうした制作能力とクオリティへの探求が現れれば、きっと優れたアニメーションになんじゃなかろーか。2020年の公開というからそれほど遠くない将来、作品に出会えると信じよう。残り10カ月もない訳だし。

 今となっては無限の彼方に存在するものに聞こえる「有給休暇」という言葉。在職中もほとんどとったことがなくて、最後に幾ばくかのお金で買い上げてもらったけれどもそんな有給休暇をとりやすくすることで、昨今のコロナウイルス蔓延を防ごうとする動きが企業経営者とか政府から出ているらしい。でもちょっとまて。世界中が対策に追われて日本だって何としても封じ込めなくてはいけない疾病に対処する方策として、会社勤めの人に休んでもらうことは悪くない。むしろ推奨されるべきことだろう。その際に、会社が休んでも給料は保証するといえば随分と休みやすくなって、結果として企業にコロナウイルスが蔓延せず、国も経済が回って豊かになる。だからむしろお金を払ってでも休んでもらうべきだろう。

 だから有給休暇じゃないの? って思うとどうもそうではないらしい。普通に与えられている有給休暇を、わざわざコロナウイルスの蔓延防止のために使えってことらしい。それって有給休暇の無駄遣いじゃないか。本来あるべき有給休暇の趣旨から外れているじゃないか。でも企業はそうした考えではなく与えた範囲でとるべきだって思いそう。損はしたくないから。そして政権もそうした企業の方針に釘なんて刺さなそう。支持母体であり献金元だから。そんな結託の中でとられる対策に、誰がのるかってことで病気がちでも会社に行っては電車や社内で蔓延させ、経済を停滞させる未来が何となく見える。その責任は誰がとる? 庶民だよなあ、結局は。やれやれだ。

 思いついたらそれが正義になってしまう総理大臣の下で働く官僚も閣僚も大変だろうけれど、それを止めようとしなかった結果だから慌てふためいても同情なんてできやしない。でも結果として一般の人たちがとてつもなく迷惑を被ることになる訳で、ここは今からでも良いから頑張って欲しいと思わざるを得ない、突然の学校休校令。いや令といえるほど組織だったものでも秩序だったものでもなく、本当に思いつきからそうした方が良いんじゃね的発進だけれど、森羅万象を見る内閣総理大臣がそう言ってしまうと誰だって聞かざるを得なくなってしまう。結果として3月2日から学校を休むところが多々。コロナウイルスなんてまるで縁遠い地域までそうした休校措置が広がっていく。

 インフルエンザでだって学級閉鎖になっていない地域も学校も多々あるにも関わらず、発症どころか発生だってしていないコロナウイルスで学校を休みにされて自治体も大変だし、働きながら子供を通わせている親だって大変。それで家にずっと子供がいて、面倒を見るために働けず経済が停滞したらまるで意味がない。でもって子供は元気で耐性もあってあまり発症はしないけど、それで感染だけはしていてあちらこちらを飛び回っては耐性が減じているお年寄りにうつしたりするんだ。学校という場所に集めつつ管理しておけば起こらなかった感染爆発がこれで起こったらどうするの? ってことで責任は誰がとるかというと自己責任になるんだろう。だって総理大臣は命令なんてしてないから。ご意向を示しただけだから。

 さすがにこれはヤバいと自治体によっては対策をたてて、特殊学級はちゃんと運営したり学童保育もしっかり維持して働きながら子供を学校に通わせている親への配慮をしている。つくば市は学校は休みにしても閉鎖にはせず自由登校を認めるらしい。塾なんていけずファストフードにこもってネットでゲームをしまくる中で感染してはまき散らす子供たちが出るよりは、学校に来てもらって感染のリスクを減らした方がそりゃあ得策。そうした施策を真似る自治体がこれから増えてくれば良いんだけれど、ひとこと総理大臣様がご不快の意向を示した途端、文部科学省あたりが手を回して叩きつぶすんだろうなあ、そういう施策を。忖度という名の独裁が国を滅ぼすとは分かっていたけど、こういう形で現れるとは。20年遅れの世紀末ってことかしら。


【2月27日】 やっぱりというかきっぱりとAnimeJapan2020が開催延期を発表。アニメーション制作会社によってはステージイベントにスタッフを出さない方針を打ち出し、宣伝関係も行わないといった対策を取りつつある中で開催されたとしても新作発表に監督は来られず、もしかしたら声優の事務所だって派遣を渋っていたりする状況でイベント自体が成立しないと考えたのかもしれない。ずっと準備をしていた人たちにとってはもちろん残念な事態ではあるし、影響が薄いのなら開催して欲しかった。アニメ関連ライターとして仕事の口もあったかもしれないから、収入にだって響きそう。

 一方で来場者が密集して滞留するイベント形態を鑑みるなら、そこそこのリスクはありそうでそうした場所に声優さんを送り込みたくない事務所の考えも分かる。スタッフだって行ってもらってスタジオに帰ってばらまけば全滅だってあり得る。そうした状況を鑑みるなら致し方ない判断なのかもしれない。これでアニメーション関係だと東京アニメアワードフェスティバル2020の開催がどうなるかに注目か。募集していた「あにめたまご2020」の一般参加者は募集が中止になったけれど、関係者向けではやってくれるなら開催の芽もあったりするのかどうなのか。週内週明けに注目かな。

 しかしマジなのか安倍晋三総理大臣。いっさいの議論も経ないで突然に3月は学校を休みにしてよと言い出した。確かに数百人が集い屋内で滞留する学校という奴のリスクは相当あるけれど、インフルエンザだって流行してから学級閉鎖にするのがこれまでの常。そうした兆候もなく発生が頻出している訳でもない地域も含めて休校にするのはやっぱり無茶が過ぎる。だったら民主党政権下で菅直人総理が原発を総理権限で停止したのはどういう訳だと言った話もあるけれど、止めずにおいて事故でも起こった時のリスクは人類の生存に関わる。今回とは比べものにならない危険度でありその可能性を挙げて悪夢の民主党政権と言い続ける現政権の方が余程悪夢じゃないのかなあ。でも支持者にはそれが見えない聞こえない。かくして悪夢が続く、醒めることなく。

 すべてが中止となる中、挙行されたのが劇団スタジオライフによる皆川博子さん原作「死の泉」の舞台版。その初日の幕が開いたので、新宿の紀伊國屋ホールでAチームの公演を見せていただく。素晴らしい演出と素晴らしい役者たちによって、あの長大にして濃く深い物語を舞台上に作り上げた。差別がはびこり断絶が進み関係が薄まる世界の中で、繋がりを大切にする気持ちを訴え生きる気力をもたらしてくれる。今こそ見るべき舞台だった。今だからこそ演じられるべき物語だった。

 原作を最初に読んだのは刊行されて間もない1997年の11月2日で、その当時の日記にはこんな簡単な感想が書いてある。「皆川博子さんの『死の泉』(早川書房)を読了。ナチスにカストラートに医学者に成長を早められた美少女ってな設定に、最初は耽美で退廃の物語を予想したら、耽美ではありながらも筋の通った復讐劇が綴られていて、まずまず楽しむことが出来た」。

 だからといってストーリーはまるで思い出せず、続く「劇中劇というか作中作ってな設定の意味がちょと解らず戸惑っていて、この辺りを踏まえた上でどんな仕掛けがあるのかを、もう1度確かめて見る必要があるのかも。作品に登場する『人狼部隊』ってのは最近別の作品で見たなあ」という記述に、さらにどんな話かわからなくなった。だから舞台も初見の域。そしてとてもすんなりとストーリーが入ってきた。

 ナチスドイツで行われたレーベンスボルンでの「生命の泉」計画、その理念の元で行われていた激しい人種差別的言動、それがもたらした惨劇とその後に引きずられた憎しみの感情が、時を超えて結集しては激情のシーンへと至る物語を理解しながら楽しめた。ギュンターなるドイツ的には英雄ながらもその内実は密告によって仲間を裏切った男の子を身ごもったマルガレーテは、レーベンスボルンへと向かいそこでクラウスなる医師の妻となってミヒャエルという名の子供を産む。

 クラウスはレーベンスボルンに引き取ったポーランド人の少年をドイツ化して養子にしていたが、そのうちのエーリヒについては歌の教育を施しいずれは去勢してカストラートとして永遠に美しい声を保つようにしたいと考えていた。もうひとりのフランツはそんなクラウスが疎ましかったけれどもマルガレーテの優しさもあって表面上は外の喧噪からは離れた静かな生活を送っていた。

 けれどもドイツに迫る連合軍やソ連の軍隊によってレーベンスボルンは崩壊。そこで第一部が終わって第二部となり、クラウスはアメリカに亡命して実業家として成功し、マルガレーテとミヒャエルを伴いドイツへと戻ってそこで大道芸人の歌い手を見つける。それが戦火の中で消えたフランツやエーリヒの成長した姿だった……。

 そんな展開の中でアーリア人至上主義の言動のいたたまれない虚ろさが響き、国家に反逆するような言動を非難し言ったことをもって密告すると脅す存在の醜い厄介さが浮かび上がる。あの時代だったからこそ許されるものではなく、ましてや今も認める訳にはいかないそいうした差別的言動が、けれどもじわじわと広がっているこの社会を諫め警告するような物語。だからこそ今見るべき、今演じられるべきだと感じた。

 そうした中で血のつながらない人々が、家族となったことではぐくまれる絆のようなものも感じられた。それがアーリア人ならポーランド出身であろうと実はロマの血が流れていようと見てくれで判断して囲い家族にしてしまう傲慢さの結果というのは皮肉だけれど、それでも家族として認め合い愛し合う姿を見ることでいたわりあい慈しみ合う大切さというものも感じられた。きっかけはどうであれ繋がりあったのなら大切にしたい。そう思った。

 Aチームはマルガレーテを松本慎也さんが演じて劇団スタジオライフきっての美少女ぶりを見せてくれた。その相手役となるクラウスは笠原浩夫さん。医師でありSSでもある時代の制服姿はかっこよく、そしてアメリカから戻ってのダブルのスーツ姿は狡猾そう。その2つをどちらも見事に演じてクラウスというある意味で国に実直で家族に誠実で芸術を愛する狂人を見せてくれた。

 東映ビデオと劇団スタジオライフが組んでの公演ということで、女性ファンの動員が大いに見込めるキャスティングだった青年フランツの馬場良馬さんは舞台版「弱虫ペダル」で巻島裕介を演じている人。つまりは相当に人気がありそうだし、青年エーリヒを演じた松村泰一郎さんもかきあげた金髪の長い髪がとても似合う美少年ぶり。そんな2人が出ずっぱりとなる後半を見るだけでも相当な人手が予想できたんだろうけれど、このご時世ということで空席が見えたのは残念でならない。本当に素晴らしい舞台でとてつもなく素晴らしい役者を見てほしい。それはだから個人の判断を要することだけれど、何がリスクかを自分で判断できるならそうして欲しいと心から願う。<BR>
 ギュンター役の曽世海司さんは相変わらずシュッとしてたなあ。舞台映えする顔だちスタイル。劇団スタジオライフを支える柱。そしてマルガレーテの祖母の倉本徹さん。上手すぎる。発声から抑揚から何から何までおばあさん。その上手さを味わうだけでも存分に意味がある。あとは普通ならイケメンな山本芳樹さんがブリギッテという嫌味な女性を演じていたのも見所か。そんなスタジオライフをまとめあげる代表の藤原啓児さんはナースなパウラ。似合ってました。果たして千秋楽まで行くのかどうか。不穏できな臭い空気が出る中、Bチームも含めて演じきって欲しいし走り抜いて欲しい。それだけが今の心からの希望。


【2月26日】 昨日は開かれたPerfumeの東京ドームでのライブが今日は中止。それも当日になっての中止という判断にいったい昨日と何が違うのか、患者が大発生して死屍累々かって訳では別になくって、政府が大規模イベントをこれから2週間、自粛するよう要請を出したみたいでいかにPerfumeといえどもこれに逆らって開催を強行するわけにはいかないと、一転しての自粛を決めたみたい。要請があれば大手を振って止められるかっていうと返金はしなくちゃならないし、このために来ていた人たちは交通費とかいらぬ出費が嵩んで大変だったりするから喜ばしい話ではない。

 とはいえ要請がなくても昨日あたりも開催を考えた方が良かった気もしないでもなく、半分でも止められたのは将来において幸いなことになったりするかもしれない。杞憂で終われば良いけれど。ほかにもEXILEだとかいろいろなイベントが休みになっていて、大洗で開かれる予定だった春に恒例の海楽祭も延期になってしまった。ガルパンの仕込みだっていろいろあったと思うけど、伸びてしまって発表とかはどうなるのかが気になる。「SHIROBAKO」の劇場版も完成して水島努監督が本気だして最終章の第3話に挑んでくれるとか? そんな話を期待したんだけれど……。それはさすがにまだないか。

 さすがに7月には状況も終息していると思いたいけれど、東京オリンピック・パラリンピックが中止となったらさすがにこっちにも影響が出そうなだけに、気になってしまう国立新美術館で7月8日から開催予定の「MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020」って展覧会。2018年にパリで開かれた「MANGA⇔TOKYO」って展覧会を日本に持ってくるってもので、国立新美術館で発表会があって森川嘉一郎さんがゲストキュレーターとしてどんな展示になるか話してくれた。

 「なぜ『MANGA都市TOKYO』というテーマなのか。マンガやアニメやゲームといった日本のポップカルチャーの展示を、パリで大規模に行いたいという意向があり、巨大な会場を使い巨大な展示を組むにあたり、どうやって会場を使うのか、巨大な東京の模型を中央において、模型の範囲の中を舞台にした作品郡を取り巻くように展示するように空間を使うよう考えた、わけなんですね」と森川嘉一郎さん。その口調が浮かぶけれども、どうしてそのテーマなのかは東京が、戦後に復興していく中でさまざまな漫画やアニメやゲーム、そして特撮といったポップカルチャーにその姿を捉えられながらも、2020年の現代においてさらに変化してしまた東京において、そうした作中の東京が強いイメージとして残り、人々の東京観影響を与えているから、ってことらしい。

 つまりは虚構の東京が、現実の東京と折り重なって存在しているというイメージを、作中に描かれた東京のビジョンを巨大な東京の模型とともに並べることによって重ね合わせて観じてもらう。それによって虚構と現実とが重なり、ときには虚構が現実すら変えてしまうこの日本の特殊で独特な雰囲気を、感じ取ってもらおうって寸法。現実にはいないモビルスーツが立ち、コンビニが初音ミクにジャックされ、山手線とかがアニメキャラクターでラッピングされて一色に染まってしまうような世界。ARでもないのに虚構が重なる東京という都市がどうして起こったのか、それは世界でどう見られているかってあたりを展覧会では勉強したい。

 作品的にはやっぱり新海誠監督の「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」「君の名は。」あたりがフィーチャーされそうだし、細田守監督の「時をかける少女」だとか「おおかみこどもの雨と雪」だとかも絡んで来るみたい。あとは大友克洋監督の「AKIRA」とか。これは同じ大友克洋さんの漫画版「AKIRA」も同様。そこに描かれた破壊からの再生がまた破壊されるという東京のおかれようなんかを見せることで、何度も破壊され復興しまた破壊されるような都市にどうして東京がなってしまったかも探求されるという。

 それは関東大震災があり東京大空襲があって完膚なきまでに破壊されながらも復興していった経緯が過去にあり、そしてこれから遠からず巨大地震によって東京が瓦解する可能性なんかも想像していたりする中、気持ちが東京の破壊と再生を求めてしまうといった解説が成り立つらしい。パリだってロンドンだって空襲や侵略は受けても東京ほどまっさらにはされなかったからなあ。そういう意味でも世界で希有な都市なのかも。人々の都市への愛着って奴もないし。だから変わる。これからも。どう変わるんだろう? それを見極めるには人生が足りないかなあ。その前にお金が足りない。仕事探そう。

 「プランダラ」は料理対決だけれどリリィが普通にシチューを作る一方で、陽菜が山へと山菜を摘みにいったとおもったら現れた熊をつかまえつるして仕留めた上に現場で裁いて肉を取りだしキノコと煮込んで料理にしたりとワイルドな仕事ぶりを見せていた。熊のお腹を開く場面で現れた花は決して熊のお腹に花が詰まっている訳ではないってことです。見かけによらず苦労をしていたというか、元よりの性格というか。イノシシは誰が調理したんだろう。そんな対決に割り込んだアイアンジュエルでもリヒトーは仕留められず展開はどこへ? ってこれだけ話数を重ねてほとんど進んでない「プランダラ」。気楽に見られて良いけれど、大丈夫か?


【2月25日】 あの電通が新型コロナウイルスの感染者を本社で確認したとかで、5000人いる全従業員について本社ビルでの勤務を止めさせ台宅勤務をさせるとか。っても営業さんとかクライアントの所に行かなくちゃ仕事にならない業種な訳で、クリエイティブだって打ち合わせとかプレゼントかあれば家になんかいられないと思うんだけれど、そこは世界の電通だから電話1本メール1本でなんとかなってしまうのかな、しまわないのかな。

 たった1人が感染者だと判明した段階で、ロックアウトを喰らわす必要があるのならイベントのように不特定多数が出入りする場なんて設けていられないってことで、あちらこちらで中止の動きも出ているみたい。Jリーグは2月28日から3月15日に開催予定の試合をまとめて中止にしたとか。すでに開幕戦をやっておいて何だって気もするけれど、決断したなら徹底するところはJリーグらしいといえばらしい。コールとか大声で叫ぶ人も多い場だけに黙ったまま鑑賞するコンサートなんかとは違いリスクも大きいんだろう。かといってコールするなと言って守られるとも限らないからここは中止とするのがベストか。

 コールといえば田村ゆかりさんのライブでコール禁止のお触れが出たとか。アイドル声優のライブでコールができないなんてもう、とてつもなく厳しい処遇ではあるけれどもそこは一致団結の王国民だけあって、受け入れつつサイリウムによる返答でもってゆかりんの歌声に答える気で満々になっていることだろー。「You and Me」とかコールというか一緒に歌うところもある楽曲とか、いったいどうなってしまうかって興味も津々。そこはきっと乗りこえてくれると思うからリポートを待ちたい。それこそAC部みたいな高速紙芝居テイストでコール代わりのスケッチブックを繰り出す人とか出て来たりして。ヘールシェイク、ならぬゆかりーん、的な。

 延期かどうかでやっぱり問題になっているのが東京オリンピックで、IOCのディック・パウンド委員が開催の判断を引き延ばせても5月下旬だといった見方を示したとか。開幕の2カ月前に判断されても困る人が大勢でそうで、そこまで引っ張るならやる方向になりそうな気がするけれど、そんな頃に毎日のように死亡者が出ていたらやっぱりやるのはとてもじゃないけど無理だろう、ってことで東京都とか日本政府とかがその頃になると死亡者を出さないように徹底した介護をしたり囲い込みをしたり延命措置を施したりして連日死亡者ゼロだと言いつのる、なんて陰謀なんかをふと考えた。もちろん後でバレたら大変だからやらないだろうけれど、今の段階で感染者数を少なく見積もりたい気が漂うだけに、あるいはなんて思ったりも。さてもどうなる。

 既に何冊も出ている年間ベスト級ライトノベルに加わった風見鶏さん「さよなら異世界、またきて明日 旅する絵筆とバックパック30」(ファンタジア文庫)は異世界への転移者が活躍もせず魔力崩壊によって人が結晶となり消えていく世界を旅する物語。ヤカンと名付けた蒸気自動車で移動するも寂しさから、転移者のケースケは拳銃で頭を撃ち抜いて自殺しようとすら考えるものの、立ち寄った駅舎で絵を描くハーフエルフの少女と出会い彼女はオート三輪、ケースケは蒸気自動車の故障を、途中にあった整備工に直してもらったのをきっかけに、連れだって旅をすることになる。

 整備工は食事にはあまり入れ込んでないけれど、それはいなくなってしまった妻がずっと作ってくれていたから。きれいに片付いたキッチンに消えた妻への思いが宿っていて、読んでいて心をジンとさせる。味にこだわらないと言う整備工が、これは良いと誉める食事こそがかつて1度だけ誉めた料理で、それを何度も出す妻に、特別な日だけにしてくれと言ったとか。そのレシピが残されていた逸話に家族であり夫婦といったものの絆を感じる。

 ハーフエルフの少女も、消えてしまった母が描いたというスケッチの場所を求め旅を続けている。そんな感じに、滅び行く世界で自棄にならず仕事に勤しみ思いを叶えようとする姿にケースケも生きようと思い始める。その世界が滅び行く背景に科学なり文明に頼りすぎたツケめいたものがあって警句を投げてくる。一方で、残された材料で料理をし美味しい食事を作り誰かと味わう楽しさも感じられる。どれもこれも美味しそうなんだよなあ。ともあれ、朝に挨拶をして、いっしょに食卓を囲む誰かがいさえすれば、人は生きていこうという気になれるものなのかもしれない。

 いつその身が結晶となり崩れるかわからない状況がケースケにも少女にもあるけど共に叶えたい望みを抱くことで今日を生き明日を生きられる。生きてさえいれば誰かの役にも立てるという励ましも得られる風見鶏さん「さよなら異世界、またきて明日 旅する絵筆とバックパック30」。これからも続くだろう旅路の中で出会う人々が見せてくれる絆、感じさせてくれる生きようとする気持ちから、厳しい時代にあってそれでも生きていく意味って奴を感じ取りたい。そのためにも続いて欲しいけれど……。ところでタイトルにあるバックパック30ってのは容量のことなのかな。ちょっと不明。コーヒー豆を砕いて煮て抽出したコーヒーが飲みたくなった。


【2月24日】 青山ブックセンター本店で開かれた「2010年台のSFを語る」では地元から参加の飛浩隆さんが最近の傾向を問われてたつき監督の「けものフレンズ」や「ケムリクサ」を挙げて、繊細さと優しさを持って未来に前向きな作品が多くなっているようなことを話していた。自身が1980年代のオタクバブルの中で育ってSF作家としてもデビューをし、物を破壊したり誰かを酷い目に遭わせたりするような傾向の作品をやろうとしてきたことから遠ざかっているとのこと。なるほどストレスへの耐久度が減っている中、なろう系と呼ばれるカテゴリーも含めて強さと優しさが尊ばれる作品が増えているような気がする。

 ただ一方で、ハヤカワSFコンテストの選考委員も長く務めている小川一水さんは、悲惨な境遇の中であがいた果てに押しつぶされるような傾向の作品もあったりして、自身がどちらかといえばそうした状況に対して挑み解決策を見いだしていくタイプの作品を書いているだけに、ちょっと違うといった感じを抱いているようなことを話していた。小説投稿サイトのように広く読まれる場で人々の衆目にさらされるなか、ストレスが退行していく場と自分の置かれた境遇を吐露してぶつけたいコンテストの場とでは、やっぱり傾向が違ってくるのかもしれない。どちらもだから今なんだろう。それらの裏表が2つの場で出ていたりするのかな。

 野球回があるとネットで流れてきた情報をから知って、温泉回とは別の方面からアニメを面白くさせるエピソードといった伝説を信じて「ドロヘドロ」の第7話「オールスター☆夢の球宴」をNetflixいきなり見る。背景だとか状況だとかをまるで理解していないまま、恵比寿という髑髏の覆面をかぶった賑やかな少女を連れて、藤田という男がどこかからどこかへと移動してはトカゲの頭を持ったカイマンという巨大な男への恨みを晴らそうと、野球チームに参加する展開を流し見る。

 その時は魔法使いの世界というのがあって、ホールという世界も別にあって魔法使いは自由にホールへと出かけていっては魔法の練習をして人間を変貌させていることも知らず、そしてカイマンというトカゲ頭の主人公らしい男が、魔法によって頭を変えられたのではと思いニカイドウという定食屋を営む女性を伴いながら、ホールにやってくる魔法使いを狩っていたことも知らなかった。カイマンと同じチームに所属していたフランケンシュタインみたいな男が、藤田の友人の松村でカイマンに切り刻まれていて、それを藤田が恨みに思っていたこともだんだんと理解する。

 そして野球の最中に起こった混乱に乗じて松村を魔法の国へと連れ帰るものの、そこでは恵比寿の魔法の力が能井という人物に働いてトカゲが生まれ暴れ回っていたりして、そして元に戻った能井がボディビルダーのような肉体を持った女性でなかなかの美人で、心という先輩といつも行動していることも見えてきたあたりでキャラクターへの興味、とりわけニカイドウと能井あたりへの興味がわいて第1話から順に見ていって、これはストーリー的にも分厚いし、アニメーションの技術的にも奥深いものだとわかってきた。

 技術的というのはMAPPAが制作はしていても「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のような2Dの究極ではなく、3DCGによるアニメーションでそれもサンジゲンだとかポリゴン・ピクチュアズが「BLAME」だとか「亜人」で手がけていたものとは違うし、サンジゲンが「ブブキ・ブランキ」なんかで見せていたものともまた違った、手描き風で劇画風のテイストを存分に漂わせる2Dライクなものに見えて、こういう表現が今は3Dでも可能なのかと驚いた。

 ポリゴン・ピクチュアズも最新作の「空挺ドラゴンズ」の3DCGによるアニメーションが、実に2Dライクで驚いたけれど原作の荒いトーンをすっきりさせていたのが「ドロヘドロ」とは対照的。それぞれのスタジオが新境地に挑んでいる、とも思えた。そんな技術の上で作り上げられるキャラクターもアクションもなかなかの見応え。カイマンにしてもニカイドウにしてもスリムなイケメンとか美少女ではなく肉付きがよくてどっしりとした体型で、それらがあるいは3DCGという立体を表現するにふさわしい手法によって肉感までおも再現されているようにも思えた。

 煙というなの魔法使いの世界で勢力をのばすチームの面々も、武闘派が多くって体格も良いだけに3DCGによるキャラクター造形がマッチするのかとも思えたけれど、恵比寿のようにスリムなキャラもしっかり存在感を持って動いているから、手法に得意不得意はないんだろう。表情にしても表現にしても実に生き生き。暴力がはびこる世界、雑多であれた世界を薄汚れた感じに表現しているところに、立体にテクスチャをはりつけ良しとなっていた大昔とは違う描き困れ作り込まれた3DCGアニメーションの背景美術の進化めいたものを感じる。

 そうした背景を得て作られる物語は、自分が何者かわからないカイマンのおどけながらも戦い勝利する探索の物語があり、事情をかかえたニカイドウの日々を明るくふるまいながらも内心にもやもやを抱えた心情があり、そして煙の一派の暴力に明け暮れながらも仲間を思うような暮らしがあって、魔法使いの世界とホールの対立やら悪魔の存在やらといった要素も絡んでいろいろと読み混んでいける。

 原作マンガを読んでいれば今更でも、これが初見という自分にはとにかく楽しい物語。全23巻で完結していてカイマンのその後やらニカイドウのその後やら煙らとの関係やらもすべて決着がついているようだけれど、そこへとアニメが至るとはまだ思えない中でどこまで描かれていくのか。それを楽しみにしつつニカイドウやら能井の体を思いっきり振り回すような戦いぶり、心のスピーディーなバトル、そしてパワフルなカイマンの戦いぶりなんかを楽しんでいこう。

 元SMAPの中居正広さんがジャニーズ事務所の退所をそういえば発表していたけれど、テレビをみなくなってワイドショーとかから受ける情報が減ってしまってどういった受け止められ方がされているか分からない。ただ情報から会見の場にオートレーサーの森且行さんが行こうかと言ったらしく、かつて森さんがオートレーサーへの転進を発表した場にひとり、中居さんが参加したことへの返礼めいたものがあったといった分析に、中居さんというキャラクターが持つ深みなんかが感じられた。その森さんは相変わらずオートレースで活躍していて2020年4月からの半期もちゃんとS級で活躍するみたい。女性レーサーの佐藤摩耶さんがその上にいたりするけれど、歳的に結構な森さんがなおS級というのは凄いこと。実力しか認められない世界で立派に実力を示し続けている森さんに、改めて敬意を。


【2月23日】 家で沈んだままではやばいので、むっくりと起き出し中野坂上まで出て東京工芸大学芸術学部アニメーション学科の卒業制作展2020を見物。見たのは選抜を意味するSプログラムだけど、感想を言うならレベルたっけえ! 驚いた。まず西門健太さん、望月亮太朗さん、山崎将嗣さんの「FROM1997」は、プログラマらしい父親の仕事部屋にあったVHSカセットを子供が再生、そこには録画されていたアニメーションがあった。それが1997年的で、ビデオカセットとLDの販売告知が挟まっていたり、冒頭にモアイならぬスフィンクスが出たりと20年前を思い出させてくれた。

 物語は民営化された警察組織がアーマードスーツをまとい悪と戦うような内容。そのスーツが大張正己監督の「VIRUS」のバリアブルギアっぽかった。アイキャッチも中澤一登さんが手がけていたものっぽくてちょっと懐かしかった。どうしてブルーレイにならいんだろうなあ、「VIRUS」。ポリグラムとかキティとか権利が散逸しているんだろうか。次いで笹彰仁さん「『ARCHITECUTURE」は神とも天使とも死神ともとれそうな存在によって老人が導かれ若者になり子供になって老人になりといった人生を描いたような作品でメタモルフォーゼが素晴らしくひらひらとした衣装の動きも抜群。アニメーションとして優れている1本だった。

 杉本実花さん「LIVING TABLE」はまるで海外の絵本のような絵で赤ちゃんが犬と漂う向こうに家族がリビングテーブルを囲み団らんし食事し成長し反抗しそして新しい家族となる様子が描かれる。これも人生を見つめた物語。こういうのが流行? とにかく上手い上手すぎる。内藤紗希さん「かわいいは簡単に作れない」は「みんなのうた」かPVか。自分をかわいくないと思っている女子がもやもやしつつグランドマザーは美人じゃないけどかわいらしいと言われることを見習いたいと思いつつかわいくなれない自分に思い悩む物語が歌に乗って描かれる。

 これがとってもかわいい。かわいいんだ! 絵はマンガのようでイラストのようで絵本のようで。アニメーションとしてぐるぐる動くわけじゃないけど、歩いてふりむいて笑って困ってといった具合に変化で見せる。それが歌にマッチしている。西村愛基さん「世界の始まり meet you for thi therd time」は新海誠風のモノローグに人物と都市が描かれるフォロワーかと思わせSFに。アンドロイドか何かの少女が時空を超えて現れ癒やされ戻り戦う。美術が丁寧で顔も崩れず振り向きが良い。アニメっぽさでは1番か。卒業したらどこかアニメスタジオに入るのかな。進路とこれからの仕事が気になった。

 北林豪さん「myself」は学生アニメーション的。イラスト的でやや荒んだ街に暮らすロボットたち。誰かが襲われたのを見過ごしたのを後悔している1人が同じような場面に行き当たり逡巡する。後悔を繰り返すな。そんな警句が浮かぶ。巧い。絵柄もストーリーも違うけど、寂れた感じに石田祐康監督の京都精華大学の卒業制作「rain town」を思い出した。そして大島帆乃夏さん「ユメオイノハナ」。泣く。良い学校を出て良い会社に入り良い給料をもらい良い生活を始めた青年だけどどこか空虚。そんなある朝に道ばたで「ユメイオイノハナ」を拾い集める女性と出会う。

 でも青年にはその花とやらが目に見えない。夢をなくしたから? そうだった。他人の夢にのっかることで自分の夢を置き忘れてきたことに気づく青年。「絵本を描きたかった」。そんな過去を思い出し今を、これからを生きようとする物語が同様の歌詞を持った歌に乗って描かれる。去年、もしもそのままだったら僕は夢を叶えていた? 今の僕は夢を叶えた? なんてことを思った。メッセージ性が強い上に若い世代、そして厳しい日々にあえぐあらゆる世代に何かをもたらしてくれるアニメーション。それが大島帆乃夏さん「ユメオイノハナ」。夢を削って安心に走るより夢を追って確信に進もう。心弱ったらまた見たい。

 会場に到着した時に途中から見た三善研究室より高橋慈英さん「たまごくん」。たまごが寝ても走っても電車に乗ってもつぶされる。頑張れとエールを贈りたくなる東京工芸大アニメーション学科卒業制作。割れた卵はちゃんと食べたそうです。タン・トウ、リ・シコン、リュウ・モケン「Always by your side」は彼氏とともに遭遇した事故の後で見知らぬ世界に迷い込んだ女性が危機に遭いつつ救われ現世に戻るという幻想譚。スタイリッシュな描画と爆発などのエフェクトが特徴。もっともっとエフェクトを描き混めば魅入られたかな。

 リュウ・サイさん「家路」。良い話。たぶん中国で少女が父の自転車の荷台に座り団子を食べつつ家路を走る。列車が走り牛が現れる懐かしい風景。そして大人になった今、帰省したバス停で過去を思い今を見る。家族の温かさがにじむ、東京工芸大アニメーション学科卒制作。シュ・ゲンドウさんの東京藝大院卒業制作「コップの中の子牛」がふと浮かんだ。東京藝大院もそうだったけれど、中国のアニメーション作家はこれからどんどんすごくなりそう。

 最後は研究生のナタリヤ・クライジティ『クラウンの恋「MV DEMO」』もMV的。老クラウンが舞台に現れそして振り返られる過去。女性との出会いなどがざっくりとした絵のつながりによってつづられる。紙芝居とアニメーションの中間的? 何より巧い。物語も。そんな感じだった東京工芸大アニメーション学科卒制作。去年は行けなかったけれど、やっぱり新しい才能に出会える場所は良い。それを見て伝えて生きていくだけで、自分の気持ちが満たされれば良いのかな。懐とおなかも……それが自分の夢なのかを今一度考えないと。

 そのまま表参道へと回って青山ブックセンター本店で開かれた「2010年代のSFを語る」というイベントを見物。「天冥の標」が日本SF大賞を受賞した小川一水さん、「年間日本SF傑作選」のシリーズが日本SF大賞特別賞を受賞した大森望さん日下三蔵さんが登壇し、「零號琴」が日本SF大賞候補に挙がっていた飛浩隆さんが地元からスカイプで参加。そして始まりと同時に林譲治日本SF作家クラブ会長から日本SF大賞の発表があって、奇しくも受賞会見のようになって登壇者からコメントが得られた。

 まずは小川一水さん。「2008年から10年にわたり『天冥の標』を書いてきた。10年で完結してここでこうして賞をいただくことになった。私の気持ちとしては鶏を思い浮かべてほしい。鶏が10個卵を産んだらえさをあげると言われ、鶏としては1個産むとえさをちょうだいと言って、ぽこんぽこんとえさ卵を産んできた。皆さんのおかげです」。そして大森望さん。「特別賞コレクターの大森望です。特別賞2回目です。飛浩隆にも達成できなかった偉業です。特別賞を2回取る方が大賞を2つとるより難しい。酉島伝法さんが2回目です。特別賞を3回取ると大賞に交換してくれる? 3個目を狙いたいですね」。年間SF傑作選は竹書房に版元を変えて続くみたいなんで狙えるかも。

 「『天冥の標』は10巻17冊ですが、『年間日本SF傑作選』は12年間で12冊。打ち切りになったシリーズが賞をもらってどうするんだ、となりますが、東京創元社の人は誰もいませんが、原理的に打ち切りにならないと賞がもらえない、完結しないともらえないので、いいよといってくれたおかげで賞がもらえた。大変に素晴らしい判断だと思います。この企画はやりませんかと言ってもらって始まった。12年も好き勝手にやらせてくれた。アンソロジーをやる人で、僕らは適当に選ぶだけで、交渉したりゲラをやりとりするのは編集者。日下三蔵というとてつもなく原稿の遅い人の原稿を取る。疲弊したと思います」。わはははは。

 その日下三蔵さん。「コメントしづらい感じの雰囲気ですが、私も創元の人に声をかけてもらい、年間をやらないかと言われやりたいと答えた。大森さんと2人だからやろうと思った。1人ではれば無理でした。なんとか12年間やらせてもらいありがたかった。作家の方も年間なら良いと預けてくださった。作家の方、読者の方に感謝します」。そして受賞を逃した飛浩隆さん。「3回目とならず、特別賞でワンチャンないかと思いましたが、酉島伝法に2回目を並ばれてしまって悔しい」とのこと。

 受賞者に対しては「まずは小川さん、日下さん大森さん、おめでとうございます。さすがに 3回目は難しいし、ほかの方々もたいへんい傑作揃いで難しいと思っていた。このメンツになると、一人だけさらし首のような状態になっている感じ。そうですねえ、今までの小説の単著は5作出して全部SF大賞の候補になりました。その上で、今まで2期6回選考委員もやっています。今回とれなかったので、いつかまたもう1回チャンスが巡ってきたら良いなあ」。そこで大森さんがすかさず「すぐ巡ってきますよ」。こちらも「廃園の天使」シリーズとかで取りそうな。これからに期待。


【2月22日】 気がついたら「ニンジャバットマン」が舞台化という発表があっていつもの2.5次元ミュージカル系かと思いきや、長くても2週間程度になってしまうそうした公演とは違って150公演近くをがっつりとやる本格的な舞台になっていた。つまりは2.5次元で人気の俳優たちを集めては回し話すようなものではなく、長くスケジュールを抑えられる人たちが揃うってことになるのかどうなのか。さすがにこの日程では映画でバットマンの声を演じた山寺宏一さんが舞台に立ち続けるなんてことはないだろうから、そっち方面は期待できないかなあ。ジョーカーの高木渉さんは別にして。

 ジョーカーにしてもハーレイクインにしてもポイズンアイビーにしても衣装と化粧が派手になるから誰が演じてもそれなりの恰好には見せられそう。ジョーカーなんてジャック・ニコルソンが演じたってヒース・レンジャーが演じたってホアキン・フェニックスが演じたってしっかりジョーカーに見える訳だから。でもバットマンとなるとそれなりに背丈が必要で胸板だって分厚くないといけない。なおかつ声も渋め系。そんな訳を演じられる役者がいるとしたら日本だといったい誰だろう? そこがやっぱり気になってしまう。

 大塚明夫さんなら背丈はピッタリでも忙しいから無理だろうし。いっそプロレスラー系? とはいえそっちも忙しいだろうかなあ。ハリボテやプロジェクションマッピングでいくとか? 押井守さんの「鉄人28号」じゃあるまいし。チバットマンが雰囲気的にぴったりなんだけれども別に役者ではないからなあ。キャストはまだ発表になっていないからこれから決まっていくんだろう。「僕のヒーローアカデミア」でオールマイトのマッスルフォームを演じた岩永洋昭とか、合いそうな気もするけれども果たして。

 声優さんといえば長く活動を続け、「鉄腕アトム」のお茶の水博士の声で知られる一方で、勝田声優学院も開いて声優さんたちを送り出して来た勝田久さんが亡くなられたとのこと。またお一方、昭和のアニメーションを思わされる声優がいなくなってしまった。ちょっと寂しい。勝田さんといえば、著書に「昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち」(駒草出版)があって、版元から拝領して読んだっけ。これがなかなかに趣のある本だった。

 昭和56年だから1981年からから昭和59年、1984年まで「月刊マイアニメ」に連載された勝田久さん取材による声優たちの過去と今をつづったコラムが、当時の時間のままで掲載されている本。だから皆さん現役で、今はベテランの古川登志夫さんがまだまだ若手だの声優さんだったりする。そして亡くなられてしまった肝付兼太さんも富山敬さんも山田康雄さんも野沢那智さんも滝口順平さんも内海賢二さんも井上瑤さんも、そこでは存命でいらっしゃる。そこがとても嬉しい。回想ではなく同時代の方々の声が仲間意識のなかに綴られているから。

 大山のぶ代さん野沢雅子さん池田秀一さん小原乃梨子さん柴田秀勝さん冨田耕生さん小林清志さんら、今もおられる方々も含め昭和50年代後半の声優さんたちが、今とは違うアニメ人気の中で何をしていたか、そこまで何をして来たかが分かるようになっている。別稿で振り返られる勝田久さん歩みも含めて、誰もが演劇、舞台、役者としての自分を思い貫きとおしてそこにいる。それが、声優さん達がアイドルのような人気を得て活動の幅を広げている現在と同じか、それとも違うのか。違うとしたらそこにはどんな変化があるのかを考える1冊になっている。2年ほど前の本だからきっと今も絶版にはなっていないはず。改めて読んもらい考える一助にして欲しい。声優ってお仕事はいったい何なのかを。

 うひゃあというか、いろいろやっぱり政治の中枢にいるあの人が絡むと不思議なことがいろいろと起こるというか。法務省なんて法律を司っているような役所でもって検察官の定年延長が可能だといった判断が、書面に捺印でもって確認されてなくって口頭でもって“決済”されていた。いやそれを決済と言ってしまうとあらゆる口約束も約束になっています。そりゃあ角谷杏会長が口約束も約束だとは言ったけれども言った言わないが起こりえるそうした口頭での決済を、大切な判断にあの法務省が使って許すなんてことがあっては拙い。法務省的に拙いんだけれど何かとの整合性をとるために、それがあったことにされてしまうこの世の中の不思議で不気味な状況。いつまで続くんだろうこんな世の中。

 「上」だなんて昭和かと思われるような宛てなの領収書が出て来たりして、それが1社だけ報じたもののどこも後追いしていないところに微妙な空気も漂ったりする。さらにそこに厚生労働省がダイヤモンド・プリンセス号で起こった新型コロナウイルスの感染騒動に関わった職員たちを検査しないまま職場に戻していたりして、中に感染が確認した人も出ていたりする状況を説明するに、感染が発覚すると拙いから検査しなかったなんてコメントも出て来ていたりする。それが本当かどうか分からないけれど、検査しなかったら分からないから数に含まれないなんていったいどういう発想なんだ。あるいは自殺者の数を少なくしたいと遺書のない自殺は変死に数えているようなもの? あらゆる指標を良く見せようといじってごまかして来た流れが、ここに集約されていよいよ日本を滅ぼしそう。それともとっくに滅んでいるとか。やれやれだ。


【2月21日】 3月20日までの自社主催イベントを中止して、来社も禁止し社員は自宅作業するようにと言いそのために必要なノートPCを秋葉原に行って50台ほどかきあつめたブシロードが、3月21日から開催のAnimeJapan2020への出展を取りやめると発表。毎回それなりに大きなブースを構える会社だけに抜けるとポッカリと穴が空きそう。というかブシロードとしてはAnimeJapan主催社側が何か判断するかを待っていたけれど、この時期になって何も示されないなら自分たちが泥を被っても感染の拡大を防ごうという意思を示したって言えなくもない。

 イベントの場合、主催社があって出展企業があってそれが出ないと言った場合に出展料は返さないよってことにきっとなっているんだろう。主催社側が中止となったらそれは減じられるのが普通なんだけれど、態度を決めかねている中で出展キャンセルを言って出展料を返して貰えないのを嫌って、どこも言い出さないうちにイベントが始まってしまうケースが多分、今の展示会で重なっているような気がする。でもって言ったらほとんど人がいない、と。それで出ても意味がないけど出ないとお金を取られるのならどっちが良い? って判断。でもそこでスパッと出ないと決めて喧伝することで、感染症の予防に前向きな企業ってイメージが付くといった判断もあるのかもしれない。

 でもやっぱり最大なのは来場者であり社員でありゲストでありといった関係者の健康と安全。それを守るために行動したんだといったブシロードのスタンスを、評価こそすれ非難する人はたぶんいないだろう。それをイベント全体に広げられるかどうなのか。AnimeJapanの主催社のマインドが試されているし、ほかのあらゆる展示会の主催社のマインドも注目されている。日本展示会協会とやらのリーダーを務める人が代表なあの会社は数打ってる展示会を未だひとつもやめてないけど、これから果たして決断するのか、それとも出ないのはお宅の勝手と開催は続けつつ辞退は受け入れていくのか。気になります。

 「お前が落としたのはこの超合金Zで作られたマジンガーZかい? それともガンダリウム合金でできたRX−78−2ガンダムかい?」「生きている金属でできたガンガーです……」「それはさすがに作れないねえ」ってなるのかそれともバンダイなら作ってしまうのか。いちおうは超合金Zという触れ込みだったマジンガーZの超合金から時を経ること何十年か、ついにガンダリウム合金ことルナチタニウム合金に近いチタンベースの合金製ガンダムが登場する予定。ガンプラ40周年のプロジェクトの中で発表されたもので、結構な精度を持っているけどいったいどうやって接着するのか、それとも接着不要なのか、値段はいくらになるのかといった興味が募る。10万円くらいなら手が出そうだけれど25万円となるとちょっと。5万円なら即完売の可能性大。果たして?

 まだ割と平穏だった頃に見たアニメーションを今見ると、その頃の平穏さが思い出されて沈み込みがちになったりするので見るのを考えてしまうんだけれど、それでもやっぱり見ておきたいとこれは元はOVAの企画なんだろうか、よくわからないけど公開された映画『「ACCA13区監察課 Regards」をお台場から転進して新宿ピカデリーまで行って見て、「なるようになる」というメッセージをもらってこころがふっと穏やかになった。明日になったらまた違う思いも浮かぶことになるかもしれない。それでも少しずつ状況に慣れていくなかで、だんだんと前が向いてけるような気にはさせてくれる。そんな映画だった。

 テレビアニメーションは全部見たし、原作のコミックスも全巻そろえてキンドルにぶちこんでいつでも見られるようになっているから、だいたいのストーリーは知っている。ほとんど国に近いくらいに情勢の異なる自治区が13、まとまって出来ているドーワー王国にはACCAという組織があって警察や消防や医療機関などを傘下においている。中には監察課というのもあって13区を回ってはACCAがうまく運営されているかを確かめている。あるいは反乱とかの芽がないかを監視しているのかもしれない。

 ジーン・オータスはそんな監察課の副課長で妹のロッタといっしょに暮らしている。その出自には秘密もあってそれが原因でいろいろと起こったのが本編。結果としてドーワー王国に反旗をひるがえそうとするクーデターが画策されては露見し、フラワウ区が独立をしつつドーワー王国には平穏が戻りジーンとロッタの身の上も安泰になって、そして1年後。いくつかの区から出ていた5人の長官が合議制で決める制度がフラワウ区出身のリーリウムの反意もあって保てなくなり崩壊。そしてジーンがあこがれるモーヴが長官となって取り仕切るようになったものの、各区に散った五長官たちが集まり反乱を起こすのではといった噂も乱れ飛んで、ACCA監察課に入った若手たちを憤らせ焦らせている。

 ジーンはといえば先の反乱の裏側も知っているし長官たちの性格も知っているし何よりモーヴ長官ともつながっていそう。そうした裏事情を知りつつ表に出さないまま、淡々とACCAの仕事をこなすことで部下からは安閑としすぎと思われているのかもしれず、反乱の芽を摘み国を糺すのがACCAの仕事なのにと憤られている。そして迎える新体制1周年記念のイベントで何かが起こるかどうなのか。ってあたりをひとつの軸にはしながらも本格的な謀略物へとは至らず焦りと杞憂と不安が招いた疑心暗鬼の面倒さを感じさせつつ、一方でロッタが大人に近づくにあたって自分の進路に悩んでいることが示される。

 そこでジーンやニノも世話になった先生で、今は校長から「なるようになる」といった言葉に従って、何をやるべきとは決めず何をやらなくちゃいけないとは焦らず、やりたいことを探してじっくりと生きていくことを示唆される。ここが良い。考えすぎて不安になって迷って焦って間違ってしまうACCAの若手たちの杞憂はそれで国の安全のために意味のあることではあっても、間違いが暴走しては意味がない。かといって何もしないままでは不安ばかりが増大して前に進めなくなってしまう。そんな情勢に対してロッタの進路の悩みを重ねつつ、決めずに何となくでもいろいろと手がけてみることの意味が示される。

 さすがにロッタほど未来はないしロッタのような陰の後ろ盾はない。やるのは自分だし羽ばたくのも自分の力だといったニノに対する示唆も含みつつ自分自身の決断も重要と思いつつ、だからといって焦って間違っては意味はないとも思わされる。今してもらいたいことをやっていきつつ、やってみたいことをやっていくことで何か得られるものなのか、って考えることすら焦りにつながるのならここはロッタのようにアルバイトの張り紙を見て、パン屋で働いてみるのもいいしあちらこちらをた美して見聞を広めるのも良いのかもしれない。それだけの時間ならたっぷりあるのだから。


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