縮刷版2020年12月中旬号


【12月20日】 2020年のアニメ映画に関する回顧とちょっとした展望をつらつらと書いていたら7500字になってしまったけれど、気にせずそのまま放り込む。これで取りあげられていない映画も結構あって、日本のアニメーション映画が今はやっぱり豊作なんだなあって改めて思う。いささか取りあげづらかった映画もあるけれど、池袋が全面協力していながら池袋が主要な舞台になっていないあの作品とか。イケメン系とかBL系とかゲーム系とかも見た割にはちょっと入らなかった。入れていたらそれこそ1万字になってしまうからなあ。来年は冒頭に来る「シン・エヴァンゲリオン劇場版」だけで3000字は書けてしまいそう。果たして予告編どおりに、そして1年半前に公開された冒頭どおりに進むのか、それとも。今から楽しみ。

 茅場町でそんな原稿をとりあえず打ち終わってから、日比谷のTOHOシネマズ日比谷に「ワンダーウーマン1984」を見に行く。前作の「ワンダーウーマン」を見ずに行ったので、いきなり始まった障害物競争をする幼女と中盤の太もも祭りと終盤の黄金聖衣(ゴールドクロス)に目が行った。振り落とされた馬に追いつくためにコースを外れたのってショートカットかもしれないけれど、馬より遅い人力な訳でそんなにズルとは思えずむしろ機転かと思ったんだよなあ。
B  あそこから矢で遠く離れてしまった的を撃ち抜き自分の色を出せばさらにカッコよかったかも。どっちにしても関門をクリアしてないんだから優勝はなしだよね。でもってダイアナ、そのあとにクリアしたからこそ王女になれたんだっけ。前作見てないからよく分からない。そんなマラソン幼女の後に始まった1984年のワシントンD.Cを舞台にしてのストーリーでは、どうやったかスミソニアン博物館に働き場所を見つけたダイアナが、ある日やって来たバーバラというドジだけれど人当たりは良い宝石だとか遺物だとかに詳しい学芸員と仲良くなる。

 ところが、バーバラに持ち込まれた、とある謎めいた石が秘めていた力でもって世の中がだんだんと曲がり始める。それこそワンダーウーマンの出番なんだけれど、当のワンダーウーマンが石の力に取り込まれてしまって大変な状況に。力をだんだんと失っていくダイアナとは反対に、力こそ正義な思想に取り込まれていくバーバラの対比は強者の傲慢と弱者の嫉妬が共に現れなかなかに痛い。中庸が大事ってことで。

 そして始まった追いかけあっこからのバトルではどういう仕組みなのか分からないけれどもワンダースーツっていうのか知らない例の格好になって戦うダイアナの太ももがなかなかに圧巻。予告編でもあったトラックに挟まれているところを両足で押し返そうとしているところなんかも、立派な太ももが見られてTCXを最前列で見た価値があった。それにしても空だって飛べるんだなあ、ワンダーウーマン。真実の投げ縄は稲光ですら掴むのだ。いやどうなんだろうあれ。

 そしてたどり着いた主戦場で身にまとった黄金聖衣の射手座聖衣(サジタリウスクロス)って感じだったか。決して侵されない頑丈な素材で作られているかと思ったら、バトルの中で羽根がポロポロと落ちるのはどういうことなんだろう。おまけに脱いで捨ててっちゃったのか。持ち帰って質屋に持ち込めば結構な値段になったんじゃなかろうか。そんな見どころも一方にありつつドラマは、人間の欲望がどこまでも膨らんでいった果てに、ぶつかり合う欲望が世界を滅ぼしかねない可能性を示す。

 そこで我に返って元に戻れるものかというと、自分だけはというやつが必ずいて無理だと思うものの、そこでちゃんと戻すことによって観る人の善意を誘っている感じがした。さんざんになっても世界はちゃんと立ち直っていたところを見ると、あの世界の人間はそこに善意があるのかも。悪役だって最後は会心してたし。バーバラはどうなったんだろう。そこはちょっと気になった。リンダ・カーターの意味は? 考えないようにしよう。吹き替え版の声は田島令子さんだったのか二宮さよ子さんだったのか由美かおるさんだったのか。ちょっと気になる。

 今はまだ全国紙をとりあえず名乗っている新聞が出している評論家を表彰する正論大賞が古川勝久さんという人に決まったそうで、まあそれほどヤバい言説は振りまいていないけれど、割と新しい人に与える正論新風賞に竹田恒泰さんが輝いて何というかやっぱりというか。過去に「新潮45」をぶっ潰した人にも出している賞だけに、後先考えないで今ライティな方面から脚光を浴びている人に与える傾向があったりする。次ぎはきっと未だにバイデンの不正を信じトランプ大統領の当選を信じ沖縄から現地入りした人の又聞きのリポートを真実と信じて叫び続けるジャーナリスト氏が受賞するんだろうなあ。やれやれだ。


【12月19日】 やれやれ。とある日本史も書く作家さんだけれど、12月18日に大統領令が出て軍隊が投入されるとかいった「予言」をしたらこれが大外れしたのに、ラトクリフという人の報告書が遅れているだけだからいずれ出るといって譲らない。このままバイデン大統領が誕生しても陰謀陰謀言い続けるんだろうなあ。ってか「予言」ってのは当たるから「予言」であってそれが外れてもなお開き直れるスピリッツがよく分からない。

 そもそもがどうして18日だったのかってところで、選挙の結果について云々言える期間がそこだったって説明だったように記憶していて、それが過ぎてしまっても大丈夫だという説明はどこにもない。だからラトクリフが何の報告書を出そうともそれが選挙結果をひっくり返すのに役立つ補償なんてないのに、とにかく何か不正を暴くための計画が進んでいるんだと思い込んでいる。どうしようもない。  もはや名前すら出てこなくなったシドニー・パウエル弁護士のクラーケンとやはら本当に放たれたのか、放たれたとしたら何だったのかも語られていないし、将来語られることもないだろう。何しろ何も不正なんてないんだから。だから暴かれないという状況を利用して、開けられていない猫が入った箱のごとく死んでいるのか生きているのか分からない状態に乗っかって、だったら何かあるかもしれないじゃないかと言い続ける。箱が開いてからだったと見せても、この宇宙というひとつ閉じられた系の中で不正が存在しないことが、より高次元から認定されでもしない限り改めはしないだろう。それは非現実的だからつまりは変わらず騒ぎ続けるということ。やれやれだ。

 近所だとシネプレックス幕張のスクリーンが1番大きそうだったのでそこで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q」を見ることにして、JRを乗り継ぎ海浜幕張駅まで行ってから行内にあるカフェで電源を取りつつモッツァレラトマトが挟まったトーストなんかをかじりつつ原稿書き。何かのための覚書を引っ張り出しては貼り付け並べつつ間を埋めたり削ったりして3時間ほどかけ仕上げてから、三井アウトレットパークをざっと眺めてナイキのエアマックス97の復刻版が50%オフになっているのを見つけたものの、残り1足だからこその割引でサイズが27では少し大きかったので断念。聞けば都内にあるセレクトショップらしく、建て替え中なので2月くらいまで海浜幕張で店を開いているとかで、時々品物も入れ替わるらしいからまた見に行こう。

 そのあとでシネプレックス幕張まで行って「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q」。先週見た「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」の後に流れた予告とまるで違うじゃねえかというのはお約束の突っ込みだからまあ良いとして、最後に流れた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の予告については去年の夏前のパリが舞台となった冒頭を観たり、最近流れている予告編を見る限りはそれほど違っていないような気もしないでもない。7年前から固まっていたってことかなあ。それはそれで期待大。

 お話の方はジェットソンであなたは何もしないででそれは結構でエヴァの呪縛でエヴァにだけはのらんといてくださいねからのネルフないでのピアノ連弾。新劇場版では1番好きなだけに何度も見返し先だってもテレビ放送に合わせて配信を見ながらジェットソンと言っていただけあって、流れはほとんど把握しているから見たいシーンは見逃さないで済む。その間に目をつぶってしまうのがすこし難か。新作はどのシーンも目をつぶれないだろうから今から鍛えておこう。映画では途中で寝ないことを。

 最終版でエントリープラグから引っ張り出されたシンジがアスカに引きずられるようにして砂丘を登っていくシーンは、流れ始めた「桜流し」の切々とした響きと相まって屈指の名シーンだとやっぱり思った。この後何が始まるんだろうと想像をかきたれられてからだいたい7年? あっちが止まっている間にこっちが色々ありすぎたものの生きて公開を迎えられただけでも幸せか。いやいやまだ安心はできない、新型コロナウイルス感染症はしっかり蔓延っているから。健康一番電話は二番。


【12月18日】 ジェレミー・ブロックというよりはボバ・フェットと言った方が良いだろう。「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」に登場してハン・ソロを追い詰めカーボン詰めにして持ち帰った賞金稼ぎに過ぎないといえば過ぎないんだけれど、シリーズでも屈指の人気を誇るエピソードでダース・ベイダーを超える悪役ぶりを見せたことで後に引き継がれるキャラクターになった。ジャージャービンクスなんてあっという間に消えたのに。そして今やボバ・フェットはネットで大人気のドラマ「マンダロリアン」にも関わったりするキャラクターあっている。人気度合いだとランド・カルリジアンと同格くらいの序列にあるかなあ。

 そんなボバ・フェットの中に入っていた俳優のジェレミー・ブロックが死去。先だってダース・ベイダーの中に入っていたデビッド・プラウズが亡くなって「スター・ウォーズ」サーガの住人たちがまたひとり去ったばかりと思ったら、またしても重鎮の逝去に時代が遠くなっていることを思わされる。なるほどプリンセス・レイアを演じたキャリー・フィッシャーほどのバリューはないかもしれないけれど、「エルストリー1976 新たなる希望が生まれた街」という、「スター・ウォーズ」の第1作で端役の人たちがどれくらい関わっていたかを描いたドキュメンタリー映画を見れば、あの作品に出た人は誰もが一種のスターと言えるくらい世界で親しまれている。ジェレミー・ブロックも確か出演して語ってたっけ。その扱いはやっぱり他より上だった記憶。それだけの人の死はやっぱり、語られてしかるべきだろう。残念。ご冥福をお祈りします。

 パソナが就業支援にどれくらい役に経たないかは、自分の経験の範囲内ではあるものの語れたりする身からすると、コロナ禍で就職がなくなってしまった学卒者を1000人ほど契約社員として採用しては、2年を期限に淡路島で働いてもらいながら社会人として役に経つ知識を教えていくというプログラムが実際に、どれくらい役に経たない可能性があるかをまずは考えてしまった。実はそうではなくって若い才能を外的条件からスポイルするのは国の損失だと考えて、福祉の精神で精いっぱいに支援するものだったら良かったけれど、そこはやっぱりパソナだといった制度を出しては目下叩かれまくっている真っ最中。

 だってねえ、3カ月の有期雇用契約である上に給料が大学院・大学卒業者で16万6000円。なるほどそれだけなら悪くはないかもしれないけれど、仕事は農業が週に3日あってそのうち1日は全日農業。ほかの3日間のうちの2日は土日でおそらくは淡路島にあるパソナの施設で働かされることになっているんだろう。接客かそれとも清掃か。どれだけ働いても何かスキルがつくとは思えない。これだったらブラックでもソフト会社に入ってプログラムでも覚えた方が余程ましだろう。

 いやいやそこはちゃんと日本創生大学校というのを用意して、社会人に必要な知識だとか語学だとかを教えてくれることになっているというけれど、条件をみたらそれは有料で月々2万8000円を持て行かれる。内容も経験から想像するなら面接の受け方だとか履歴書の書き方だとかいったもの。文化芸術講座なんて受けていったい何の役にたつ? それなら自分で趣味を探してのめりこんでいった方がよほど深い知識を得られるだろう。土日は現場で実習という名の勤労を課され、平日は夕方から益体もない講座を有料で受けさせられ、そして帰って寝る家は月々26000円を寮費として徴収され、食事も月々5万4000円を持って行かれる。

 5万4000円といったら1日1800円だから3食と考えるなら1食600円。サラリーマンの昼食とするなら高いとは言えないかもしれないけれど、淡路島という場所で社員向けに提供される食事とするならちょっと高すぎる気がする。そうした諸費用を差し引かれた上に厚生年金だとか雇用保険だとか健康保険だとかの保険料を差っ引かれ、所得税も抜かれていったいどれだけ手元に残るのか。遊びに行く金も亡く貯金なんてさらに無理な状況で、集めるのが難しくなった派遣社員の代わりとして掻き集められて自前の施設で安く使われて1年後2年後、放り出されて路頭に迷うこ可能性は低くはない。行く場もないまま有期雇用の契約社員として下働きを続けざるを得なくなったら、もう一生そのまま。そんな道を果たして選ぶ人がいるのか。それとも有用な知識を得られて貯金も可能なくらい手当や賞与が出るのか。突っ込んで聞くメディアはいないかなあ。

 こいつ動くぞ! と心の中でやっぱりつぶやいた横浜は山下ふ頭の動くガンダムのオープニングセレモニーを見物に行く。上に上がれた内覧は案内が来なかったので行けなかったけれど、次があったら呼んでよとお願いしたら呼んでくれたので寒かったかれど行くしかなかっただった。夕方からのセレモニーでガンダムも暗い中に立って光と音の演出の中で前に足を踏み出し、跪いて直る動きを見せてくれた。昼間だとまた違った感慨があるのかなあ。そっちも見たい気がするけれど、基本的に動きが変わる訳ではないので、しばらくは良いかもしれない。夏になったら炎天下の中で焼けるようなガンダムを上から見下ろしたい。次こそは歩くガンダムが見たいなあ。可能なのかどうなのか。長い目で見守りたい。


  【12月18日】 東京都で新型コロナウイルスの感染者が800人を超えて死者も10人出たとか言う話で、いよいよもって緊急事態な感じが色濃くなって来た。検査数が多いから陽性者も増えるとかいう人みるけれど、過去においてそれだけいなかった感染者でもって病院は大変なことになった訳で、絶対数でその当時を上回る感染者が出て病院が大変にならない訳がない。重症者数だって増えているならやはり緊急事態に匹敵するだけの施策をとらないと、より大勢の感染者数が出て重症者数も増えて死者だって積み重なっていくだろう。それが流れというものだ。

 小池百合子東京都知事がようやく重たそうな腰を上げて年末年始は帰省しないで移動もしないで飲食にもいかないでて呼びかけているけれど、こういう事態になって速効に緊急事態だと言って制限をつけないのはなぜなのか、ってところがまずは気になる。それどこかことここに至る前の10月11月の段階で、移動を制限して飲食をしないように呼びかけていれば年の瀬に及んでここまでの人数に増えることもなく、年末年始を故郷で過ごせたかもしれないと思うと、等比級数の初期を少ないからといってスルーする怖さがひしひしと感じられてくる。

 まあ言っても国は動かなかったから無理だろう。あとは死者が大勢出ないことを願うけれど、アメリカなんて1日に3000人以上が亡くなっているからなあ。そんあ事態にはならないで欲しいなあ。しかし相変わらず無責任体質というか、菅義偉総理大臣がGoToトラベルの停止を呼びかけた日の夜に8人くらいが集まっての会食の場に居合わせたとか。これはさすがにヤバいといろいろ良い訳をして、立ち寄っただけでいたのも40分くらいと言っていたようだけれど、そもそも立ち寄る必要があったのかってところで自覚の足り無さが見え隠れ。

 でもってそうした行動に出てしまったことを謝罪するにつけて、「誤解を招いてしまった」と一般の人たちが誤って理解しているだけだなんて意味の言葉を吐いてきた。違うって、誤っているのはそっちだから誤解を招いたんじゃなく間違いをしでかしました、すいませんだろう。日本語もろくすっぽ操れないのか操って責任を被りたくないのか、いずれにしても懲りてない感じ。これで年が明けてGOToを再会して春先にわんさか患者が出て、それでもオリンピックをやろうとするんだろうなあ。アメリカもヨーロッパも疲弊して誰も送り出せないにも関わらず。日本と中国だけでやったりして。それも中国大嫌いな人たちに向けては痛快ではあるけれど。

 「吸血鬼ハンターD」の菊地秀行さんがなぜかマイクロマガジンから絵本を出していて、それらの組み合わせのちょっと過去にない感じが気になって、編集した人を見てなるほどと納得、前に菊地秀行さんに関わっていた方っぽい。そしてその絵本「城の少年」を読んでなお納得。たぶん「D」だよなあ。とあるお城に住んでいた若い少年がいつのまにかひとりだけになっていて、そして誰も寄りつかない中で長い時間を過ごした果て、城に泊まって出て行ったロマニーの踊り子を追いかけるようにして出向いた街中で、黒い服を着た若者から吸血鬼だろうと言われ狩られようとする。切ない出会いと離別が優しい言葉と美麗な家でもって綴られる。短いけれど深い1冊。読もう。

 美女に会う仕事があったので、越谷レイクタウンのアウトレットで買った3万円のスーツにレナウンの最後のバーゲンで買った3000円のシャツをあわせ、前にスーツカンパニーかどこかで買った3000円のネクタイをしめてユニクロで買った3000円のベルト、ABCマートで買ったロックポートの1万円の靴、無印良品で3足900円の靴下を着込んで外に出る。あまりの寒さに羽織ったのは、何か訳あり品らしい米軍放出の4000円くらいのトレンチコートで、足して4万5000円とブランドでも中級の靴1足に満たない金額でひとそろいを作ったけれど、まあそれなりに見えたから良しとしよう。仕事はお話し相手でいずれどこかに出るんじゃないかな、こっちは影の存在として。それもまた良し、美女に会えたから。そいういうものだ。


【12月16日】 口にするのも憚られるくらいにあからさまな差別的言説を、こともあろうに企業のトップが公開されているネット上に書いて載せているのを見るにつけ、それを許してしまっている社会なり環境があるんだなあとまずは思ってしまった一件。特定の民族なり人種なりへのヘイト言説を、個人の心情として書き記すのもひとつの言論であって、自由は保証されつつも責任を被って企業に関わる活動に支障を来すのは当然だけど、そうはならずに保たれるくらいに支持者がいたりするからなかなか厄介だ。

 ヘイト言説で満載なオピニオン誌が毎月店頭に並んだりしているのも、そうした支持者が相手の商売が成り立っているから。とはいえ、出版なら一部が相手の零細でもやっていけるから可能でも、サプリメント等の一般向け商品を扱う会社がそれをやって、知れ渡った時に被るダメージがあるのかどうか。当面はそこが問われていくんだろうなあ。今回の一件が公知となった時に不買運動が起こるかどうか。過去にもやらかしていながらびくともしないのだから、スルーされるのかもしれないけれども今回に限っては、ライバルでなおかつ業界大手を相手に喧嘩を売っているから、法的な措置もとられてダメージを被るあもしれない。果たして。

 細田守監督の新作が発表になっていて、「竜とそばかすの姫」というタイトルからファンタジーみたいなものを思い浮かべたけれど、公開されたビジュアルは何やらとってもメカメカしくて、聞こえてくる話もファンタジーというよりネットワークの世界が舞台というからSF的な雰囲気というか。そういったVROMMRPGがテーマになった作品なら、「ソードアート・オンライン」を挙げるまでもなくわんさかあるにはあるものの、行った先が結局はファンタジー世界の再現でしかないのと比べる都、「竜とそばかすの姫」のビジュアルは「サマーウォーズ」のゲーム世界に近い感じ。あれはVRではなかったけど、技術を進めて仮想世界「OZ」にジャックイン出来るようになった時代が舞台になっていたりして。2021年公開だから春には情報も出てくるだろう。待とう。

 声優だけれど絵本作家としても活動するあさのますみさんが、ご友人が亡くなられたことに関する文章をccakesに掲載しようとしていたら、最近の相次いだ炎上によって掲載する文章に慎重になっていろいろと騒動を起こしそうな文章を、守ることなく斬り捨てようとした感じで掲載停止となってしまって、それを公表してさらなる炎上を招いて大変だったピース・オブ・ケイクス。あさのさんの文章は停止にともない原稿料が支払われることになって、それが依頼して乗せてもらった場合の稿料の真ん中だというから、ある意味では妥当だけれど相場からすると低すぎるあたりに、ネットという場で書いて食べていくことの難しさを感じさせられる。

 そんなcakesの炎上について、ピース・オブ・ケイクスを立ち上げた人が何かnoteに書いていたけれど、それがまた自分はいろいろと思うところがあってcakesを立ち上げ頑張ってきましたといったもの。延々と書いていたけれど、ようやくすればご自身の発言の「cakesの実態は、メディアプラットフォームから、通常のメディア寄りにシフトしていました。それなのに、十分なチェック機構を備えた、より責任あるメディアの方向に体制をシフトしなかったことが、いまの問題を引き起こしています」に尽きる感じ。

 ダイヤモンド社で「もしドラ」とか当てて脚光を浴びた編集者だった人だけに、編集がどれだけ大事か分かっているのにどうしてそこを引き締めなかったのか。「私に経営者としての判断力があれば、避けられたこ」なのに避けなかったのはなぜなのか。そこにネットという媒体が、プラットフォームであることを良い訳にしつつ、大勢を集められるメリットだけを打ち出し、ユーザーオリエンテッドを良い訳に“編集”というコストをかけず、乗り切ろうとしてしくじった感じがみとてとれる。プロバイダーだってフェイクな言説を流せば責任を求められることが良いか否かは悩むところだけれど、プラットフォームからメディアへとシフトしたならやはりおろそかにできなかった。これからどうするか。見守りたい。

 いっそだったら生まれた子供は全員が、首筋にチップを埋め込まれてそこに個体番号をナンバリングされた上で出生後の戸籍も、居住地も通った学校の成績も取得した資格の履歴も収入も支出もすべてクラウド上に保存して、固有番号に寄って呼び出せるようにすればわざわざマイナンバーカードなんてキーにしかならないカードを持たせる必要ないんじゃないかとすら思えてきた、政府によるマイナンバーカードへの学校の成績の紐付けプラン。生体への埋め込みが非人道的だと言うならば、それがカードでも腕時計でも同じででキーが体に埋め込まれているか周辺に張りついているかの違いでしかない。一方に反対するならそちらも反対していくべきなんだけれど、便利だからと流されそうな雰囲気。あるいは政府のやることはすべて正しいと叫ぶ輩の声の大きさに押されてて。そういう風にこの10年でしつけられてしまったのだ。私たちは。やれやれ。


【12月15日】 「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入が303億円となって日本の興行収入ランキングで1位に君臨する宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」まであと5億円かと思ったら、新型コロナウイルス感染症の余波でぽっかりとあいたスクリーンに供給された干天の慈雨ともいえるスタジオジブリ作品の再上映で、「千と千尋の神隠し」が8億円ほど稼いだことで316億円に上積みされ、突破が1週間くらい先延ばしにされた模様。このタイミングで言わなくても良いじゃんと思わないでもないけれど、そこはこうして競り合っている感を見せることで、「千と千尋の神隠し」もまだまだ現役っぽいイメージを醸し出せるから東宝としては一石二鳥なところがあるのだろう。それとも便乗を狙えと鈴木敏夫さんが指示したとか。遣り手だけにやりかねない。

 面白いのはリバイバルでは「風の谷のナウシカ」も7億円、「もののけ姫」も8億円は稼いでちょっとした新作アニメ映画を超えるくらいの人気を誇ったこと。「ゲド戦記」の1億5000万円にだって及ばないアニメ映画もわんさかある訳で、それだけジブリブランドは強いし、やっぱり見れば面白いってことが改めて示された。4本合わせれば25億円だものなあ、それこそ「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なみ。これで稼げるなら劇場だってどんどんとジブリ作品を出してって言いたくなるだろう。とはいえこれ以上に稼げるとなると「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」くらいか。「ハウルの動く城」は今となってはブランドの威光だけで人が入るとも思えないしなあ。個人的には改めて見てみたいけど。実は1度しか見たことがないのです。「崖の上のポニョ」も同様。次ぎいつやてくれるかなあ。

 何かのための覚え書き。ボンズといえば「鋼の錬金術師」であり「交響詩篇エウレカセブン」だけれどどちらにも共通するプロデューサーが、ボンズの南雅彦社長のほかにもうひとりいる。毎日放送の竹田青滋プロデューサー。「機動戦士ガンダムSEED」である意味今につながるガンダムの人気を繋いだ人でもあるし、「コードギアス 反逆のルルーシュ」を仕掛けて10年を超える人気シリーズに仕立て上げた中心的な人物でもあるけれど、ボンズにとっても「ハガレン」に「エウレカ」といった看板になる作品を共に送り出して、今に至るボンズの土台を作った人とも言える。

 そんな竹田青滋さんが、スクウェア・エニックスで出版とかメディアミックスを担当していた田口浩司取締役をゲストに迎えた「劇的3時間SHOW」という今は亡き(あるけれど)コフェスタのイベントに登壇した際に、ゲストとして登壇してあれやこれや話した中にいかに「ハガレン」をありのままに伝えるか腐心したことを語っていた。当時、アニメの制作が決まったもののどの枠をとるかが問題だったらしい。何しろ義足に義手の主人公やら錬成による人体改造やらといった表現が出てくる作品。田口取締役曰く「精神に突き刺さる作品」で、深夜枠なら可能だったけれど、これを土曜6時といった時間帯に放送するにあたって、毎日放送がゴーサインを出してくれたことが一般にアニメが世間に知られ、マンガに跳ね返って盛り上がる要因になった。

 竹田プロデューサーが「機動戦士ガンダムSEED」を2002年に始めた頃にもいろいろあって、前年が911のアメリカ同時多発テロで、「戦争とかバイオレンスそのものをアニメーションという 子供向けのところで表現していいのか」を迷っていたとか。それでも「やるなら真正面からやろう。いろいろと出てくる遺伝子操作の問題、ゲノムの話とかもトピックで、そうしたテクノロジーに触れたり、戦争に触れたりと、やるならきっちりやろうとしてやった」という。そして「ハガレン」。これを見て「『どろろ』や百鬼丸に近いハードな部分があった。痛みを伴う表現だったが、そうした表現が必要だと感じて作っているのなら、最大限尊重してあげなくてはいけないとうのが僕の立場」と引き受けた。

 「他の局だったら義手義足はやめてということになったかもしれない。けれども、それをしなければ『鋼の錬金術師』じゃないからね」。確かに。結果としてハードな内容でも、というかハードだからこそ突き刺さるドラマがあった「鋼の錬金術師」は一般に大きく広まり、数年後に原作準拠のバージョンも作られることになる。そこでも声優の変更などがあって、前のファンからいろいろと意見も出たけれど、竹田プロデューサは現場を守って気を使わせなかった。制作会社が頑張ってこそのクオリティではあるけれど、それが発揮できる土壌を用意した局のプロデュサーがいたからこそボンズの今がある、って言えるのかもしれない。

 「エウレカセブン」も朝の7時から1年間という無茶な企画で、今なら考えられない話だけれど、竹田プロデューサーが受けたのは「南ちゃんがいってきたから。それだけのこと」だとか。「朝7時でつらいし苦戦したけれど、後になって見てくれている子がいた。起きて見ていたコアなファンがいた。悶絶しながら続けていった努力が出た」。1年続けるといったらちゃんと続けた「南雅彦はたいしたものだ」。そんな関係からほかにも「天保異聞 妖奇士」なんかも生まれたけれど、枠が消えてしまって今はそうした冒険ができなくなっている。Netflixが自由に冒険できる場として台頭してきて、そっちに乗っている感じ。ボンズが地上波で全力を振るった作品は、もう見られないのかなあ。


【12月14日】 何かのためのメモ。先の東京国際映画祭2020で行われたマスタークラスのアニメーション監督たちによる座談会で、映画「ジョゼと虎と魚たち』を監督したタムラコータローさんが話したこと。「ジョゼの家は大事な場所。さすがに実際の建物、そのんままみたいなものを作ると、知らない民家に人が押し寄せるから、これはないなと考えた。だから、適度に色々なモチーフを組み合わせて作った」。

 本当にある場所を公共の場所ならともかく民家を映画に描いて、聖地巡礼の対象になったら大変だからこれは当然か。そして「ひとつ、入りづらい雰囲気を作った。恒夫が初めてその家の前に立った時、ここに入るのはちょっとと思うようにした。そして、入ってみると心地よい空間が広がっているようにした。そうしたドラマ性を意識した」。臆して入ったからこそ得られた開放的な気分があるってこと。試写の時はそこまで考えていなかったから、上映されてまた見に行った時に意識したい。

 真夜中につらつらと覚書。ボンズと言われて浮かぶのはオープニングでとっても魅せるアニメーション制作会社って感じで、それはルーツにもなった「カウボーイビバップ」で川元利浩さんが原画を確か描いたオープニングから言えることなんだけれど、そうした印象が個人的に強まったのは、「ソウルイーター」のオープニングだったりする。カメラがぐいぐいと奥へ手前へと自在に動いていくあの映像を見てこれはいったい何だと強く思わされたっけ。

 あとは椿がぐるぐると回る場面で、これらを観たさにオープニング集のDVDがおまけについたCDを買ったほど。そして後に「鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST」を監督した入江泰浩さんが手掛けたオープニングだったと気が付いて、その実力を「ソウルイーター」のオープニングで計った制作陣が、入江さんを原作準拠で再アニメ化されて期待も大きかった「ハガレン」に抜擢したのかもなあと考えたのだった。

 その「ハガレン」の最初のバージョンもオープニングはクールごとに変わるオープニングにマッチした映像で魅せてくれたけれど、そうした面では「交響詩篇エウレカセブン」のオープニングも4本あるすべてがかっこよくって作品が持つクールでスタイリッシュな雰囲気を入口から感じさせる役割を果たしていた。まあ「少年ハート」の絵はちょっといただけないけれど、FLOWの「DYAS」に重なって流れる映像のシンクロぶり、そしてカッコよさは今見てもベスト級だった。ビバッチェの「太陽の真ん中へ」も空を落下しながらレントンとエウレカが近づいていく様子が最高の作画でジリジリとする感情をかき立てられ、そして感動をもたらしてくれた。

 2年くらい前に東京アニメセンター in DNPでボンズの20周年記念展が開かれた時に、オープニングとエンディングを確かつないで流していた映像で、「エウレカセブン」とか「ソウルイーター」のOPを観たさに長い時間、スクリーンの前に座り込んでいたっけか。ほかにも「ラーゼフォン」の「ヘミソフィア」に重なる映像も切り替わりとかの心地よさを感じさせてくれたし、「血界戦線」のオープニングもライブラの面々が経ってぐるぐると回る場面とか、やっぱり来たよボンズのぐるぐる回しと思ったりして、BUMP OF CHIKINの楽曲とともに目に焼き付いた。

 「血界戦線」はダンスを踊るエンディングも評判になったっけ。いずれも確か天才・松本理恵さんんのコンテによるものだった記憶。「血界戦線BEYOND」はエンディングだけが松本理恵さんだったけれど岡村靖幸&DAOKOのファンキーな楽曲にマッチして楽しいエンディングを作ってくれたっけ。最近だと「キャロル&チューズデイ」が「コララインとボタンの魔女」で鬼才ヘンリー・セリックに認められた上杉忠弘さんの美術センスを取り入れて世界が目を見張るオープニングを作ってた。エンディングもチューズデイとキャロルが歩くシーンが丁寧で可愛らしく描かれていて、それだけで目を引き付ける映像に仕上げていた。

 今でこそNetflixで飛ばされてしまうオープニングやエンディングではあるけれど、そういった心地よかったり印象に強く残る映像と人気クリエイターの楽曲とのコラボによって、飛ばせないオープニングやエンディングを作ってくれるアニメーション制作会社って印象を、ボンズについては持って今に至っているという感じか。だからもし、配信時代でオープニングだとかエンディングの不要論が叫ばれ始めても、そこにはアニメーションを見せてアニメーションで魅せる技術の集大成があり、短い映像の中で才能を発揮してもらってより大きな舞台へと送り出す機能もあるんだと言っていきたい。そういう意図をボンズが持っているかは分からないけれど。

 もしももうちょっと早く、GoToトラベルだのGoToイートだのを抑えて感染の拡大を防いでいたら、かき入れ時の年末年始はそうした旅行も飲食も存分に可能で大いに盛り上がった可能性はある。けれども菅義偉首相とそして日本政府は今の今までGoTo関係を止めることなく来ては全国的に新型コロナウイルスの感染者増大を招いて、もはや限界を超えてしまった感じの中で年末年始のGoToトラベルを停止せざるをえなくなった。それも12月28日から1月11日と仕事納めから仕事始めまでの間といった感じ。意識が引き締まらないまま忘年会だクリスマスだと騒いで迎えた年末年始、一斉に発症した患者で埋まる病院に、お医者さんや看護師さんたちの走り回る姿が今から見えて不憫でならない。自分は可能な限り籠もってやり過ごそう。出かける当てもないんだけれど、クリスマスとか、過去にも現在でも未来すら。


【12月13日】 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破」を首都圏では1番くらいに大きなスクリーンで上映しているシネプレックス幕張へと行って見ようと思っていたけれど、午前中は原稿とか書いて午後に見ようという計算だったものが意外と早くに目が覚めてしまったことから、朝1番の回にしようと海浜幕張まで出かけていって、大きなスクリーンの最前列のど真ん中に腰掛けて、スクリーンをひとりじめするような感覚で鑑賞する。アスカ・式波・ラングレーのお風呂でペンペンを見てからの大暴れとか、間近で見るといろいろと……見えないなあ、やっぱり。

 そこはテレビシリーズからもちゃんと受け継がれている部分だけれど、それでもプラグスーツ姿ですっくと立つアスカを真下から見上げるようなレイアウトのシーンを、同じ様な感覚で見られるのは嬉しいところ。あとはベッドで寝返りをうつあたりとか。ああいった構図を交えつつ視線を引きつつもストーリーで見せてバトルシーンの迫力で見せるところが「エヴァ」って感じ。そんなストーリーのラストで碇シンジがエヴァ初号機で綾波・レイを吸収した使徒に立ち向かっては救出したもののサードインパクトが起こって天空からエヴァMark.6が渚カヲルを乗せて降りてきた場面で終了する。

 なるほどいよいよ最後の決戦が始まるぞといった感じで、それを受けた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q」の予告編も流れて、期待をさせて出て来たものがアレだったからなるほど多くの人がドンヨリとした訳だ。個人的には「破」は劇場では1回か2回くらいしか見てなくって、その終わりがどんな風だったか忘れた中で「Q」を見たからむしろ意外すぎる方向に嬉しくなって、劇場に10回近く通ったっけ。前のテレビシリーズから「Air/まごころを君に」でどんよりと終わらせたものを綺麗なエンターテインメントに改変するようなまっとうな方向ではない展開があってこその「エヴァ」って奴だから。

 そういう人は希みたいで、新劇場版をある種「エヴァ」のスタンダードとして育った若い世代にとって、ちゃぶ台返しは馴れてないのか相当にネガティブな気分になったのも、こうしえ改めて「破」を見て分かってきた感じ。もしもあの予告編どおりに進んでいたら今ごろ綺麗にシリーズが終わって、そしてまた新しい“3周目”の「エヴァ」が作られていたんじゃなかろうか。それはもしかしたら声優陣もガラリと変わった新世代の「エヴァ」になったかもしれないし、「攻殻機動隊ARISE」みたいにネルフ創設の頃に遡っての映画になったかもしれない。でもそうはならなかった時間線の上で、公開が近づいてきた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の行く末を、今はしっかりと見届けたい。どんなサーヴィスがあることやら。

 アメリカで年間に多くて6万人が亡くなっているというインフルエンザの実に5倍近い人が亡くなった新型コロナウイルス感染症を、どうしたらインフルエンザよりもたいしたことがない疾病で風邪とすら言えないなどと言えるのかがまずは分からない。そう言う人たちがそれなりの学校を出て医師の免許を持っていたりするからなおのこと、どういう信念からアメリカだとか欧州だとかの惨状に学ばず、日本ではインフルエンザに遠く及ばない人しか亡くなっておらず、感染したとしてもたいして発症もしていないから風邪以下だと言っているのか。なおかつそれを堂々と宣言しては署名を募っていられるのか。まったく訳が分からない。

 そんな署名を推進している集団で中心にいそうな人の背後にいったいどんな勢力がいて何を目的に動いているのか。気になって仕方が無いけれど、参加している党派がこの1カ月半くらい主張しているアメリカでの大統領選挙に対する意見なんかを見るにつけ、これもまたQアノン的に中心を持たず気分から生えた毛ほどの意識が寄り集まってもつれ合い、不安に怯える人たちを安心させる言説でもって絡め取っていこうとする動きなのかもと思ってしまう。
< BR>  問題はそうした状況に誘い込まれるように、他では比較的真っ当なことを言っていた学者の人が参加していたりすることで、一方的な決めつけはよくないからこうした声も聞かれるべきだといったスタンスを見せているけれど、自分の頭で考えてこれはやっぱり拙いから遠ざけるべきだとならないところに、そうあって欲しい願望を絡め取られている節も見える。そうした態度が他の信頼を寄せる人たちを巻き込み膨れあがっていくことに、気付いて欲しいんだけれど。どうなることやら。

 そうこうしているうちに日本での新型コロナウイルス感染症の重症者が583人で過去最多に。インフルエンザで亡くなる人が今は新型コロナウイルス感染症より多いとはいえ、病院のICUだとか医療器具だとか医師だとか看護師だとかのリソースをがっつりと抱え込んで、他の疾病で医療を必要とする人たちを閉め出すことはなかった訳で、その意味でも注意を喚起し用心をして感染しないし発症しないための努力をするのが、社会のためて気がしている。そういうおびえを見せずにマスクなんて無意味だし感染したって発症したってたいしたことないと言えてしまう人たちが、冬を過ぎて春になった時にほらそうだっただろうと言って大喜びするような社会が、来れば良いと思うんだけれど実際には、果たして。


【12月12日】 アメリカにおける新型コロナウイルス感染症の死亡者数が29万人を超えて来て、2020年中に30万人くらいになるのは確実。見込みだと来年の2月3月あたりまでに20万人が死亡する可能性があるらしいけれど、最近の増え方を見るとそこに留まらない可能性なんかも浮かんだりする。インフルエンザでだって毎年大勢が亡くなっているという声もあるけれど、多くて6万人といったところでほとんどが今年の1月以降な新型コロナウイルス感染症で30万人はやはり異例とも言える多さになる。

 こうなると風邪といっしょだなんてとても言えないし、インフルエンザみたいなものだとも言えそうもない。100年前のスペイン風邪で亡くなった方も結構いたけれど、最大の流行を見せた第2波におけるアメリカでの死者が29万人ちょっとくらい。つまりは新型コロナウイルス感染症と同等で、当時の衛生状況なりワクチン開発なりのが今ほど良くなかったことから考えるなら、それだけで留まったことの方がむしろ驚きで、衛生状態もよく治療技術だって格段に進歩した21世紀の医療体制で、30万人が亡くなる疫病が存在していることを、歴史家も医学者も政治家ももっと深刻に受け止めるべきなんじゃなかろうか。

 なるほど日本ではまだ3000人にも達していない亡くなられた人の数をもって、インフルエンザよりも安全な病気の如くに吹聴する人がいるけれど、それがいったいどういう理由にあるのかはまだ分かってないし、アジアの他の国々に比べればケタ違いに多いともいえる。決して人種的なものではないとするならどこかで油断があったらすぐさまアメリカだとかヨーロッパのような水準に達しないとも言えないんだけれど、どこか日本は特別だといった頭がある感じ。国内の流行よりも海外から来る人に注意しろとかいってアジア諸国からの来訪を毛嫌いするライティな人もいる。おいおいそういうアジアの国々の方が日本より流行ってないんだぞ。

 そんな状況にあるにも関わらず総理大臣はGoToトラベルもGoToイートも止める気配はないし、外出を制限する一方で家計を支援するような施策をとる気配もない。むしろ推奨するような口ぶりで延長だなんて間抜けなことまで言っている。いったいどういう頭をしているんだろう。自身が罹患してももしかしたら頑として聞き入れないかもしれないなあ。春に志村けんさんが亡くなった時は衝撃が走ったけれど、今はもう海外で著名な方が亡くなっても通常運転な感じ。馴れなのか。それとも日本でさらにといった事態に鳴れば変わるのか。そうした犠牲によって眼が覚めるのも嫌な話だけに、今のこの状況で感じ取って欲しいものだけど……。

 ふと思い立ってボンズが制作した「トワノクオン」の第6章をAmazonで購入して見る。部屋にはブルーレイディスクもあるんだけれど引っ張り出してセットするのも面倒になると330円を払っても手元のPCで見てしまうところにストリーミングの恐ろしさと便利さがある。Netflixが繁盛する訳だ。そんな「トワノクオン」は上映された2011年11月からだいたい9年ぶりくらい。中村豊さんが絵コンテを手がけたアクションシーンの迫力はやはり凄まじく、異形に変身したクオンがスピーディーに動き回っては肉弾戦を仕掛ける場面はパンチを放てば重さがのってダメージを与える感じがするし、反撃されて槍のようなものが刺さればそれだけで痛みが伝わってくる。

 部屋が崩れて瓦礫が散らばり建物が崩れてヘリコプターが寸断されるようなアクションは流れも錬られて見ていてのめりこむ。コンテなりでしっかりとした設計が為されていたからこそそうした映像の快楽も得られたんだろう。こういうところは数々のアクションを描いて来たボンズの強さでもあるんだろう。一方でドラマの方は公開から1年前に亡くなっていた飯田馬之介監督の思いがこもってか、異能を持ってしまったが上に差別され隔離されてしまう子供たちの悲しみや痛みが感じられ、そこからどうやって融和を図っていけば良いのかを考えさせられた。分断が社会的な問題となっている今こそ改めて見られて欲しい作品だとも言えるけれど、そういう機会もないのがアニメーションという媒体の、瞬間に消費されてしまう残念さとも言える。有料では見られるけれどもサブスクリプションで入らないものかなあ。映画館で連続上映してくれればさらに嬉しいんだけれど。

 異形への差別ということでは、松本直也さんの「怪獣8号」も気になる作品。日比野カフカという32歳の男がどうして怪獣になってしまったのか、ってところで何かに寄生されたような描写があって、怪獣人間になる適性めいたものが仄めかされているけれど、そうやって怪獣になったからにはいずれ人間としての心も乗っ取られてしまうのか、そうなったらあの暴威が人間相手に振るわれることになるのかを考えてしまう。今は正義の心、ナミへの思いから踏みとどまっているけれど、「デビルマン」で牧村ミキが殺害されて不動明が人間にぶち切れたように、最愛の人を失うような事態に直面した時、正義の心が怒りに変わって暴走しないとも限らない。中年男のリベンジから差別に対する反発に物語がシフトしていく可能性も踏まえつつ、これからの流れを見ていこう。


【12月11日】 ずんずんずんずんずんずんずんずん小松の親分さん、小松の大親分。なんて伊東四朗さんの呼び声とともに復活する小松政夫さんの頓狂な可愛らしさや「電線音頭」でのこれまた伊東四朗さんとの暴れっぷりが今も記憶に強く残っている小松政夫さんが死去。淀川長治さんのモノマネなんかも見せてくれたりと昭和50年代のテレビでお目にかからない日はなかったくらいの人気者だっただけに、近況をあまり聞かなくなっていたのは年齢もあるだろうけれど、ご自身の健康などもあったのかなあ。調べたら親分の小松さんより子分の伊東さんの方が年上だったし、「笑って!笑って!!60分」で小松の大親分を演じていたのは32歳くらいのこと。若くしてスターになって40年以上を走り続けたその熱を、浴びられたことを幸せに思いたい。ご冥福をお祈りします。

 いろいろと話題のcakesで今度は猥談を専門に発信している連載が打ち切りを言い渡されて抵抗していた人が心外っぷりを覗かせていた。どうやらcakesというプラットフォームはコンテンツを提供する人たちがいてそれを編集部が何かの判断を経て掲載してはいるものの、個別に原稿料を払うとは限らずその連載はPVによって分配か何かが得られるようになていたとか。もちろんcakesというそれなりに人が集まるプラットフォームに掲載してもらえた効果はあったんだろうけれど、横一線でもある中でコンテンツを提供している人がいろいろと努力して喧伝もしてどうにか月に数十万円を稼げる連載に育て上げたら打ち切りとはいったいこれ如何に。怒っても当然だろう。

 自殺というテーマはこれは個人的にやっぱり好みじゃないので細心の注意も必要だったし、それが可能とは限らないと分かった時点で連載を見送りたいと考えたのも分からないでもないけれど、猥談についてはもう2年も続いていた人気の連載で、それが女性蔑視だの何だのになっていなかったからこそ炎上せず続けてこられたと言える。だったらこれからだって続けても構わないものなのに、人生相談だとかホームレスのルポだとか、声優さんで絵本作家の人の連載拒否だととかった相次ぐ炎上の中、内容が問題になるかもしれないといった憶測から打ち切りを判断したのだとしたら、プラットフォームに留まらず一種のメディアとしてになっていた責任を放り出したに等しいと言える。だったら今後、責任をとるかというと何か起こったら未熟だといって逃げそうな予感。そのどっちつかず感が世間の非難を招いているって言えるんじゃないかなあ。どうするんだろう。

 出遅れると評判が聞こえて来て、それだったら見に行くまでもないと思いそうだったので福田雄一監督の「新解釈・三國志」を見に行く。劉備玄徳を大泉洋さんが演じて「三国志演義」の世界を描くといった内容は、歴史的な出来事に現代的な感覚を持ちこみユルい演技でもってギャグ混じりで描いていくといった感じで、どこか「戦国鍋TV」に通じるところがある。もっとも「戦国鍋TV」はあれで時代考証は厳格にしつつ表現を現代だったりギャグだったりに置き換えるのに対して、「新解釈・三國志」は史実を別の解釈でもって書き換えていくところがあって、そういう裏話があったら面白いね的な楽しさを味わわせてくれる。

 諸葛亮孔明の奥さんが悪妻だっていう故事を実は聡明で孔明を尻に敷きつつ策をひねり出しては孔明を影で支えていたなんてことは実際にありそう。演じる橋本環奈さんが相変わらずの可愛らしさを出してて楽しめた。孔明を演じるムロツヨシさんも現代人ならではの演技でもって歴史上の人物を演じている極北。ここからすれば城田優さんの呂布だとか賀来賢人さんの周瑜あたりは武将らしさを貫かせることで半端でユルい演技をする人たちとの対比を感じさせてメリハリを産みだしていた。これで全員がだらだらとした現代人的な演技でギャグを言い合い愚痴を飛ばし合っていたら、途中で飽きて呆れてしまったかもしれない。その点でギリギリまとまっていた映画だったっていえるかなあ。貂蝉の登場から活躍の部分はちょっと長かったし、渡辺直美さんの容姿をどこか小ばかにしているようなところがあって、人によっては不愉快と思ったかも。ああいったいじりは僕も好みじゃないかなあ。ともあれ楽しかった110分。広瀬すずさんの無駄遣いも良かった。赤壁の戦いまでだったので後編とかあるかも。ネバギバで続報を待とう。


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