縮刷版2020年11月中旬号


【11月20日】 ど阿呆でなければど戯けか。誰って今の菅義偉政権にいる大臣様たちで、東京で2日続けて500人の感染者が出た新型コロナウイルス感染症がこれからどうなるかを問われて、新型コロナ担当という最前線で施策の舵取りをするべき西村康稔大臣が、何を血迷ったのか「神のみぞ知る」と言ったというからこれはもう開いた口がふさがらない。知っていようが知らなかろうが、とくに何かしてくれる訳ではない神様なんかは脇において、今の状況を把握した上でこれからどうなるかをシミュレートして、対策を練るのが新型コロナ担当相って役職だろうに。
< BR>  それが自分には務まらないと言ったも同然のこのセリフを、聞いて現場で咎めるメディアはいなかったのか。あるいは聞いて阿呆かと窘める同僚はいなかったのか。そういうところにこの国の政治もメディアも衰退していることが現れている。そんな西村担当相も大概なら、厚生労働省という医療なんかを司る省庁のトップにある田村憲久厚労相もどうしようもないというか、親分の菅義偉総理が会食時のマスクを招請したのを受けたのか、飲食の時とかフェイスシールドをしたら良いって自ら着用をして記者の前に立ったらしい。おいおい。

 世界のいろいろな国で研究成果が出ていて、フェイスシールドは下ががばがばになっているから喋ればそこから息とか漏れて部屋中に広がることが分かっている。つまりはザル以上に効果がないく、だからこそマスクもいっしょいn着けることが求められているにもかかわらず、素顔にフェイスシールドだけを着けて万全といった態度を見せて奨励している。厚生労働省という役所は外郭機関なり管掌している医療機関も含めてフェイスシールドの効能についてまったく把握してないと思われかねない暴挙を、どうして周囲は止めなかったのか。どうして現場で記者は窘めなかったのか。やっぱりこの国はどうしようもなくなっている。

 日本も大概だけれどアメリカのエスタブリッシュメントであるべき現職の大統領とその周辺も大概なようで、かつてニューヨーク市長を務めて荒れたニューヨークを立て直したことで大いにもてはやされたジュリアーニが今はトランプ陣営の弁護士を務めていて、先の大統領選挙に関連して民主党がいろいろと不正をしたってことを話す会見を行ったらしいんだけれど、そこでの主調のことどとくにCNNだとかワシントンポストだとかが即座に事実ではないとファクトチェックをぶつけて潰していた。

 ジュリアーニの主張にも不正があるとは言う物の証拠はまったく見せられていない状況。裁判の連続で時間稼ぎをしているだけでしかないのに、そうした態度を日本で見てやっぱり不正はあったからジュリアーニが会見で話したんだと受け止めて、トランプは負けていないとアピールするジャーナリストがいたりするからやれやれ感も募る。どうしてそこまでトランプに勝たせたいんだろう。同類のライティ化したアメリカ人弁護士もさすがに擁護はできないのか、ジュリアーニを批判しているというのに。そこは法曹の矜持って奴だけれど、ジャーナリスト氏にはその矜持はなさそう。なくても食えるのが日本なんだよなあ。大してアメリカはああしてすぐさまファクトチェックが走る。だからこそ今も信頼がそれなりにあるんだろう。日本は本当にヤバイかもしれない。

 思い立って松尾豪監督の「グラフィティ・グラフィティ!」という短編映画を見に行く。タイトルのとおりにグラフィティについての物語。ヒップホップにかぶれた同級生の男子が、寂れた商店街のシャッターにさあグラフィティを書くぞと意気込みつつも尻込みしたところを誘われ、少女が手にスプレーを持って書いたグラフィティがなかなかだったけど、そのシャッターが開いたところにある商店のおやじは最初は憤って上から消すものの、少女は被せるようにまた書いてはおやじから0点だとか罰点と書かれるやりとりが始まった。

 その先、直面する進路といった問題に悩む少女と、寂れる商店街の中で厳しくなる経営に沈むおやじといった、それぞれの問題が浮上。時が流れそして終わりを迎えそうになった時、浮かぶ相手への思いが爆発する、って感じのストーリー。見てそりゃあグラフィティは犯罪行為ではあるけれど、お互いが求めるなら良いんじゃないかとも思えるし、犯罪行為だからこそ攻め手にはぎりぎりの精神から浮かぶ情熱があり、受ける側には憤りを超えた感慨があるのではかろうか。

 そんな映画だった「グラフィティ・グラフィティ!」の初日ってこともあって、松尾豪監督を始め出演者が登壇しての舞台挨拶も行われた。まず松尾監督。「完成から2年くらい暖め続けて、この瞬間に立ち会うために頑張ってきた仲間です」と紹介。入ってきたのは柚子役の渡邉梨香子さん、商店のおやじこと権三役の萩原正道さん、へたれた同級生の小太郎こと角健士さん、柚子と同級生の村上真衣さん。そんな面々にまず、撮影時のエピソードを松尾監督が尋ねて答えた渡邉さん。「撮影が2年前で卿まで結構いろいろなことがあってずっと考えていた。こんなにも映画祭に入選するとも思っていなかったし、明後日も福岡インディペンデント映画祭でグランプリを受賞する。

 それだけに去年の今頃、田辺・弁慶映画祭で入賞はしたけど無冠に終わって、あんなに落ち込んだ松尾君は見たことがなかった」とのこと。「そこからここに来るまでの盛り返しには、作品にも出ているように、監督のクリエイティブなことへの思いがにじみ出ている」と渡邉さん。ちなみに目下、新宿テアトルで田辺・弁慶映画祭のセレクションが上映されているそうだけれど、TOHOシネマズ池袋の新しくて大きいスクリーンで上映できるのなら「グラフィティ・グラフィティ!」もリベンジを果たせたんじゃないか。なんって思うのだった。

 続いて萩原さん。「最初に現場に入ったとき、アバウトな感じがして大丈夫かと思った」とか。何しろ監督が助監督のようにカチンコを打ち、キャストの送り迎えもしたそうで、人手も不足する中で7日間で撮った作品。なおかつそこから1年以上が経過した。「作品ができあがったら想像を絶するような、自分が抱いていたイメージの遙か上を行く作品になっていて、なんだこれはと出演者ながらびっくりした」。出ていた人たちが驚くんだから、見て驚かない人はいない。「撮影が真夏の7日間。40度近いくらいの中、監督はひとりだけ薄着なのに、こちらにはマフラーを白とかふるえろとか。最後まで何も書いていないところで演技しろと」。それが見ると「マザーファ●●ーってあって、大丈夫かと思った」。

  ちなみにこの映画は、映倫でPG−12になっている。あの正規の大ヒット作『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』と同じレーティング。完成時には「誰も映倫に引っかかるわけ無いと思っていた。通していて PG−12ですと言われた。言葉が汚かったからと思ったら、未成年が犯罪行為をしていますねと」と松尾監督。なるほどグラフィティはやっぱり犯罪。そこは感動的だからといってはずしちゃいけない部分なんだと改めて感じた次第。続いて角さん。「撮影のこともそうだけれど、この映画を作る前から松尾監督と一緒にいろいろ作ってきた。

 今回も一生懸命に作っているが、こういう展開を見せるとは想定していなかった。 映画祭に幾つか出品して、幾つも良い評価をいただいて。僕が出たものの中で一番いろいろな所に連れて行ってくれた。多くの人と作品を通して出会うことができた」と喜んでいた。ただ、やっぱり浮かんだ田辺・弁慶映画祭での件。「映画祭で割と良い結果が続いていたタイミングで田辺・弁慶映画祭になって、あそこの映画祭が1番早く入選が決まっていたから、良い気分で皆で行ったら無冠だった」と角さん。だからこそ松尾監督の呆然度合いも大きかったみたいい。

 「松尾監督のしょげかえった背中を本当に見てられなかった。背中から哀愁が漂っていた。一気に老け込んだようだった」とも。それが「誰もが知る映画館で上映させていただける機械をいただいた。感慨は大きい。特別な体験です」。その感動に付き合うためにもTOHOシネマズ池袋にゴー・フォー・イットだ。そして村上さん。「低予算出作ってる中で1日中撮影をして、監督が車両部としておうちまで2時間くらいかけて送り続けてくれた。その頃に、誰がこの大きいスクリーンで上映されることを想像していたのか」。そりゃあ想像もつかなかっただろう。

 「これも松尾監督が行動を起こしたからで、フライヤーを作ってビラを配ったことで、たくさんの人が見て下さった。いろいろなグラフィティを書いて下さった。それらを見てくれた人がいたからこそ、今日ここで上映することができた。行動力のすさまじさをこ映画を通して感じました。見て下さった人も感じてくれたら嬉しい」。感じました。そんな感じで行われた舞台挨拶。終わりに渡邉さんが、松尾監督がVFXで真夏の撮影に白い息とか落ち葉とか、雨とか雪を作り出しているので注目して欲しいとアピール。最後に松尾監督。「皆様の生の声が子の作品の成長を加速します」。分かりましたと生の声を上げよう。グラフィティにはできないのでそれは勘弁を。


【11月19日】 「『性交時のコンドームだな』。首相は18日、政権幹部らと強制的な性交による望まぬ妊娠増への危機感を共有した席でそう語った」的なズレを感じてしまう、菅義偉首相による「マスク会食」の薦め。新聞によれば新型コロナウイルスへの感染者が急造している状況を見て、「会食時のマスクだな」と言って発生源になりがちな会食時の会話なんかを制限するため、会食するなら食べる時だけマスクを外して会話する時はマスクをすることを推奨すれば良いといった認識を示したとか。受けて下々が会食時はマスクだて喧伝しはじめ、メディアもそれを広めている。

 けどちょっと待て。どうして会食をやめようって話にならないのか。強制的な性行でもコンドームを付ければ妊娠が防げるというのが問題ではなく、強制的な性行そのものが犯罪な訳で、会食するのが感染の原因になるならマスクを付けて行う以前に会食そのものをやめるのが筋ってものだろう。会話なんて別に合わなくたって今時はスマホを介して映像付きでできてしまうし、チャットだってメールだって電話だってあるから会わずにコミュニケーションは可能。そして食事は1人で黙々ととるなり家で静かにとれば周囲も気にせずにいられる。

 それのに、敢えて会食という場を設けようとするのはそれを制限すれば自分たちが推奨しているGoToイートとの矛盾が出ると分かっているからなのか。だから「マスク会食」だなんて異常な振る舞いを求めて本質的な解決からは目を背ける。ここまで責任から逃れるのが好きな政権だったとはなあ。やれやれ。その一方で配下の萩生田文部科学相は大学が対面授業を行わずリモート授業を中心としていることに異論を挟んで、対面授業を増やせと言い始めた。これを「マスク会食」の施策と重ねるなら、授業もマスクをして会話を極力抑えなくちゃいけないけれど、それだと授業にならない。

 ディスカッションが大事な今時の大学の講義で会話するなってこと? それとも超能力を養って無言でも以心伝心が可能なように鍛えろってこと? 学園都市ならそれもありかもなあ。そしていよいよ日本がエスパー教育に力を入れ始めたって世界に関心を持たれるんだ。これまたやれやれ。本当に今、何をすべきかが分かっていないというか、分かっていても責任をとるのがいやだから黙っているというか。そうこうしているうちに新型コロナウイルス感染症の陽性患者が東京都で500人を超えて来た。もちろん過去最高。8月1日以来の数字に近づいてきたからといって、過去はそこかピークアウトしたのが今回はここからがピークという予想は図らずも当たってしまった。まだまだ増えて東京都で1日1000人、全国で5000人なんて事態になっても政権は「マスク会食」でGoToトラベルだGoToイートだって言うんだろうか。言うんだろうな。それが今の政権だから。

 マイナンバーカードがそういえば、健康保険証と一体化するといった話も出ているそうで、今は国民健康保険に入っているから一体化するってことは保険証がマイナンバーカードにくっついてくるって理解になるけど、保険料を支払った払ってないといった情報をどうやってマイナンバーカードに保たせるのかがちょっと分からない。番号を打ち込めば記録が出てくるってことかな、今は保険証が届けばそれが支払った証明になっている訳だけれど。それ以前に今、マイナンバーカードを申請しても3カ月待ちになってて手元に届かないんだけれど。ITだ何だって言うならさっさと発行する体制を整えるべきなんだけれど、市町村に手間をかけさせて国は何かする気がないみたい。これもやっぱり言うだけ番町な政権の影響って奴なんだろう。やれやれだ。


【11月18日】 「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の大ヒットは喜ばしいことだけれど、それしかヒットしていない状況はやっぱりどこか違和感があって、同じくらいに面白い話はあるし同じ程度に売れて欲しい作品もある。そうしたものへの関心がどうして喚起されなおにか、ってところに日本のメディアの売れるものに乗っかる体質があったり、受ける側の売れているものなら安全だといった意識があったりする。余裕があったらマイナーなものを掘り下げ世に出してほくそ笑むとか、目を付けて悦に入るってこともできたんだろうけれど、貧困がそうした余裕をメディアからも人々からも奪ってしまった。

 これはエンターテインメントにとって厳しい未来かもしれない。だって「鬼滅の刃」が過ぎてしまったら後に何も残らないんだから。そうした状況にずんずん調査の堀井憲一郎さんが「いま、わたしたちは妙なところに迷い込んでいるのではないだろうか。なぜか世の娯楽の映画部門には、『劇場版 鬼滅の刃』しかないようにおもいこんで、必死でみんなで消費して、その消費を共有しようとしている。何かを間違えて、あせっているようにしか見えない」と言うのはよく分かる。なぜこれだけが売れるのか。なぜ一生懸命に乗っかるのか。その心理の背景を不気味と見たくなるのも分かる。

 ひそやかな楽しみとして自分が愛でていたものが、広まっていく喜びの限界を超えたはやりぶりに、消費されているだけなんじゃないかと不安を覚え、ほかに目が向かわない状況を不気味と思うのも分かる。でも、今はそうした気持ちをひとまず抑えて、もっともっと広まれ、そして飽きずに楽しんでくれと呼びかけて、入ってくれてきた人たちをもてなしつつ、ほらこんなにも面白い作品があるんだと紹介して、導いてあげることの方が大切なんじゃないかと思ったりする。未来へと繋げる言葉を、探して行く方がこのご時世に必要なのかなあとも思うのだった。

 ってことで、新宿まで出てバルト9で「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」をようやく見る。「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」とか「コララインとボタンの魔女」を手がけたライカによるストップモーションアニメーションだけれど、ここまでくると表情だとかしぐさだとかがスムースすぎてフル3DCGとどこが違うんだって感じになてくる。別にぎこちなさを残せという訳ではないけれど、顔のパーツがはめかえられた際にできる線だとかを完全に消してしまっているとあまりにシームレスにつながりすぎて、別に人形で表現する必要なくねって思ったりしてしまったりするのだった。

 とはいえすべてがフル3DCGになったときに感じるだろう欠落もたぶんあるだろうとは予想できる。人形たちが着ている服だとか、「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」の場合はミスター・リンク=スーザンの毛並みだとかがやっぱりマテリアルの質感めいたものを感じさせる。今のCG技術はそれすらさも再現できてしまうから恐ろしいんだけれど、隙間なくつらなっていく変化を無理矢理に断ち切るのと、存在する隙間をつないで埋めるのとでは出てきた映像は同じでも、どこかに違いがあるものだ、きっと、たぶん、おそらくは。

 あるいは波にもまれる貨物船の中でのアクションだとかは、セットを傾け倒す中で動く配置されたものたちだとか、ころがる人形たちだとかから感じる重力めいたものがあってCGとはどこか違うものを放っているのかもしれない。いずれ技術が進めばそれすらも描ききってそこに物質のクオリアめいたものすら再現可能になるのかもしれないけれど、それまでは、あるいはそれでも人は人形によるストップモーションアニメーションにひとつの”感じ”を抱き続ける。そして抱き続けたい。

 ストーリーについては偉そうなクラブに入りたいけど拒絶されてるライオネル・フロスト卿が手紙をもらってアメリカのワシントン州あたりに出かけていっては、そこでサスカッチ(ビッグフット)に出会うという展開。このビッグフットが知能を持ってて言葉を介してユーモアだってへっちゃらなすごいやつ。もはや人間かそれ以上の存在なのに、フロスト卿はどこかやっぱり人間に劣る存在が近づいているといった意識を持っている感じで、そこがやっぱり引っかかる。

 そうした場所から誤解を埋めて理解を深めて同等になるんだというストーリーなのかもしれないけれど、初手ではやっぱり蛮族なり未開なりといった認識で臨まざるを得ないところに、過去からの先入観が刺激されてしまうのかもしれない。これでミスター・リンク=スーザンの声を担当しているのがアフリカ系の人だったら、何かのメタファーがそこに重なってしまっていろいろとやっかいな気持ちになったかもしれないけれど、声はザック・ガリフィアナキスというコメディアンで俳優だったから、マイノリティへの偏見を今更埋める話ではないとは言えるかもしれない。

 スーザンと呼ばれてうれしがっているサスカッチをやっぱりフロスト卿がミスター・リンクと呼び続けるのも引っかかったところかなあ。スーザンという女性名が誤解を招くし相応しくないと思っているのかもしれないけれど、相手がそれをのぞむならかなえてあげるのが対等な付き合いというもの。そこに至れない態度を叱るでもなしにほおっておく点が厳しかった。だからこそフリーダムなアデリーナを入れてバランスをとったんだろうなあ。

 遠くはるばるヒマラヤまで着たのにイエティはサスカッチを受け入れないのもちょっと辛い。どういう違いがそこにはあって受け入れられないのかが分からないと、似ても出自が違えば別の存在であり続けるんだという思想が定着してしまう。かといって違っているから罰を受けるのだというのも悲しい展開。どういう扱いが良かったんだろうと迷った。とまあそれだけいろいろと考えさせられるテーマを持った作品でもあるってこと。それを圧倒的なアニメーション力でもって作り上げたライカはやっぱり凄い。ヒュー・ジャックマンとエマ・トンプソンは声優としても抜群にうまい。

 東京都の新型コロナウイルス感染者が1日で493人に達したそうで、過去最高だった8月1日の472人を上回ってきた。恐ろしいのは8月がひとつのピークだったのに対して、今回の数字はまだまだこれから増えていきそうな過程でしかなさそうなこと。内訳でも20代30代が多く居て、いまは健康だから発症はしてないのかもしれないけれど、等比級数的に数が増えていけば当然に絶対的な重症者数も増えていく。そうなった時に医療は対応できるのか。若い人の増加に比例して年配者の感染者も増え重症者が増えていくと考えるなら、いよいよヤバい時に来ていると言えるけれど、これでも政府はGoToトラベルやらイートをやめようとしない。非常事態宣言も出さない。結果起こることは何なのか。考えると家から出られない。出るけどね。


【11月17日】 気がついたNHK紅白歌合戦2020の出場歌手が決まっていて、AKB48が落選していていろいろと騒動になっていた。SKE48もHTK48も出場しないから48なグループは全滅。一方で欅坂改め櫻坂46と日向坂46と乃木坂46は出場と、坂道グループとの明暗がくっきり出てしまった。なるほど櫻坂とか乃木坂に比べるとAKB48もSKE48もそれほど活動が目立っていた訳じゃないけれど、それを言うなら日向坂48だってメジャー感が出たかというとそこまでは。AKB48に勝る認知度を得ているとも言えない中で、出場を決めたところに似ているように見えて48と46には違うところがあるんだろう。

 それが何かというならやっぱり人数で、48だと今のご時世、「密」だということで集まって新型コロナウイルス感染症のクラスターになっては拙いという判断があったのかも。46はそこはクリアしているということは47あたりが境目になているのかな、ということは赤穂浪士は「密」ということで今年の討ち入りは厳禁ってことになるのかな。12月14日は泉岳寺も閉鎖ということで。違うって。まあそこはやっぱりどれも大所帯というところで、フレッシュな顔を選んで長く出ているとこにはご遠慮願ったってことなのかも。通常の開催だったら出られたかもしれないけれど、今回は賑やかしが不要な無観客での開催。パフォーマンスをじっくり見せたいということで、出場も絞られたんだろう。

 その代わりって訳ではないけれど、観客を入れてのお祭りの雰囲気にはちょっとそぐわないBABYMETALが初出場。姉貴分のPerfumeも出場するけれど、こちらはテレビ放送で届けるという特徴を行かして現場からのパフォーマンスに真鍋大度さんあたりがいろいろと映像を重ね今までにないパフォーマンスを見せてくれるに違いない。リアルからバーチャルに行ったり来たりするような。あるいは日本から世界を行ったり来たりするかも。BABYMETALはフェスのような場での盛り上がりがあってこそのパフォーマンスという気もするので、自宅からVRで接続すれば最前列でモッシュしまくる奴ら越しにそのパフォーマンスが見られたりしたら面白いんだけれど。オキュラスと組んで特別配信してくれれば、一気に売れるかもなあ、VRゴーグルが。

 「鬼滅の刃」関連でLiSAさんも安定の出場。あとFoorinとか。男子ではジャニーズ事務所からの出場が7組もあってどれがどれだか。嵐は重鎮だから分かるとして関ジャニ∞にKiss−My−Ft2にKing & PrinceににHey!Say!JUMPまでは何となく分かったけれど、SixTONESやSnowManとなるとちょっと浮かばない。GENERATIONSもジャニーズかと思ったらこっちはEXILE系だったりと気付かないうちにいろいろとチームが出来ているものの、昔みたいにベスト10番組で活躍してくれる訳じゃないから知る機会がないんだよなあ。見たいアーチストというとアニメ「かぐや様は告られたい」の歌で鈴木雅之さんが出るのに注目か。実写で主演を務めた橋本環奈さんが絡めば面白いんだけれど。なんかごちゃごちゃ。

 いやあ参った。例のnoteでホームレスん家に遊びに行きました的なルポルタージュがcakesから誉められたと思ったら、やっぱりホームレスという立場を生みだしてしまう状況への考察が行き届いていないことを指摘され、炎上していたライターさんと掲載しているcakesが、コメントを出したり修正を行ったりと火消しに奔走。でもそれがどうにも方向性を間違えていて火に油を注いだ感じになっている。だって追加コメントが「私たち二人自身が最初にもっていたようなホームレスの方々に対する思い込みを取り除き、彼らの培ってきた力を伝えていけたら」だよ。彼らのサバイバル術を価値あるものとして伝えることを求めてるんじゃない。彼らのような境遇の人たちが出てしまう構造への遺憾が必要なのに、その事が分かってなさ過ぎる。これはまた燃え上がるなあ。noteもまとめて燃え上がってサブカルな文章がまとめて灰と散ったら見物だなあ。

 アメリカ合衆国の大統領選をめぐって日本のジャーナリスト的な雰囲気を醸し出している人とか、それなりの通信社で政治部長とかまで務めた人とかがまき散らすデマが相変わらず大変で、ウィスコンシン州で人口の9割が投票したぞ大変だなんてツイートをして拡散してるんだけれど数えればすぐ分かるように人口に対して投票数から出る割合は56%ほど。有権者でも73%で有効登録有権者数になってはじめて9割に達する。この数字を抽出しつつ人口比で語っているのだとしたらとんだデマゴーグだし、気付かないで語っているのだとしたらポン酢の誹りは避けられない。

 そんなアバウトな人が持ち上げるシドニー・パウエルという弁護士による民主党側の不正告白も、まともなメディアはどこも報じずネットメディアの一部が拡散しているくらい。それだけ根も葉もない話を数日遅れで輸入し拡散してるにも関わらず、信じて持ち上げている人たちが少なくない数いるところに暗澹たる思いが漂う。これでバイデンが大統領に就任して来日しようものなら、吶喊する奴らとか出てくるんじゃないのか、煽られて。でも煽った側は握手にはいかない。トランプ大統領には握手してもらって喜んでいたのに? そういう人たちなんだよ。だから……ってこと。やれやれだ。


【11月16日】 cakesだかがホームレスを3年間、取材したというか付き合い続けたご夫妻だかのあれでなかなか工夫して暮らしているねえって気付きをつづったエッセイめいた文章に、賞を与えたことでおいおいホームレスを観察対象にして自分たちとは違う場所にある珍しい存在といった感じに紹介するなんて、サファリの猛獣や未開の人を文明人がほらこんなに珍しい生活をしていますよと言っているに等しいといった批判が起こって、ちょっぴり炎上気味になっている。

 なるほど中にはそういう暮らしが好きでホームレス生活を送っている人もいるだろうし、その中でいろいろと工夫をしている人もいるんだろう。とはいえやっぱりホームレスというのは社会が掬うべきセーフティネットが機能せず、こぼれ落ちてしまった人がいるといった問題の現れであって、そうした状況を改善に向かわせるような言葉ならいさしらず、安全圏からちょっぴりエコでロハスでノマドな暮らしですねといったフラワーな観点からの言葉にしてしまったから燃え上がった。

 そうした言葉への批判に違いますよと擁護した人もいたけど火に油。そこでもやっぱりホームレスという存在がどうして生まれるのかといったことへの想像力が欠けていた。なるほど自分だってホームレスになるかもしれないから学んでおくといったスタンスは決して間違いではないけれど、それは自分自身の予防であってそれとは別に自分も誰でもホームレスになってしまうかもしれない世の中の仕組みを、どうにかするために考えることがジャーナリスティックな視点からは必要。そこへの意識が向かわないくらい、自己責任だろうといった意識とか、自分とは違った存在なんだからという分断の感覚が浸透しているのかもしれない。いよいよヤバい国になって来た。

 233億円まで来た「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入だけれど、1週間で積み上がったのは29億円で前週の47億円プラスからぐっと減って来た。とはいえ映画興行の常であるところの半減にはいかないところはまだまだ下支えするだけの観客が劇場に足を運んでいるってことなんだろう。というか1週間で29億円って他のどの映画だって達成していない数字じゃないのか。週末の興行ランキングで2位に入った「ドクター・デスの遺産 BLACKFILE」や3位の「罪の声」が1週間で29億円に達するのか、って考えるとやっぱり凄いポテンシャル。「君の名は。」の250億円は抜くのはほぼ確実で、そこから「アナと雪の女王」の255億円や「タイタニック」の260億円を超えてどこまで「千と千尋の神隠し」に迫れるか、ってところが注目ポイントか。よもやよもやだなあ。

 仕事からの帰りがけにバルト9で夕方割りを使って「羅小黒戦記 ぼくらが選ぶ未来」を観る。つまりは日本語吹き替え版。前に見たのがもうだいたい1年くらい前だったのでストーリーとかだいたいしか覚えていなかったけれど、見ているうちにだんだんと思い出してきて、森で暮らしていたシャオヘイが開発に押され行き場に困って街まで流れ着いたところをフーシーという同じ妖精に見いだされ助けられて霊道だかを通って離れ小島で楽しい共同生活を送り始めたのもつかの間、ムゲンという人間が現れフーシーを捕まえようとする。

 つまりは悪役はムゲンかと思わせつつどうもフーシーが妖精という身で人間に敵対している存在らしいことが見えてくる。だったらシャオヘイにとってもムゲンは敵かってことで、逃げたフーシーに取り残される形でムゲンに捕まったシャオヘイを筏に乗せて、始まるムゲンとの旅の課程でだんだんと見えてくるフーシーの悪事とムゲンの善意。その狭間で迷うシャオヘイがどちらに傾くかってあたりに「ぼくが選ぶ未来」という副題の意味が込められているのだろう。

 そんなストーリーを思い出しつつ冒頭の森で追われるシャオヘイの走りっぷりの作画のすごさに簡単し、筏の上から始まっていろいろと繰り広げられるシャオヘイとムゲンの愉快なやりとりにほくそ笑み、真面目で有能そうに見えてところどころ抜けているムゲンにほほえみシャオヘイににまつきといった感じに楽しみどころが割とあって飽きずに見て行けた。妖精だってスマホを使うのかってところが中国であっても時代物ではなく現代が舞台のファンタジーだってことを改めて感じさせてくれた。まあ「夏目友人帳」のニャンコ先生だって人型になればスマホくらい使いそうだし。

 そんな展開の先、クライマックスで繰り広げられるムゲンとフーシーとの戦いがやっぱり迫力。縦の物中から外から空間を存分につかい動き回らせる戦いの計算を、誰がしていてどんなコンテを描いてそれを作画陣がどう理解して絵にしていったかに興味が椋。3Dではないよなあ。どうだろう。そんなバトルを支える音響は中国語版からアップグレードされているのかどうなのか。ズンと響く重低音めいた音が前も入っていたっけか。いずれにしても岩浪美和さんが手がけてすごく響いて耳に届く音響になっていた。それと日本語のセリフが相まって、理解と没入を助けてくれた。やっぱり海外アニメでも日本語版があると良いなあ。「RWBY」も良かったし。続きは日本語版にならないんだろうか、「RWBY」。


【11月15日】 相変わらず中国嫌いをこじらせて、バイデン嫌いになってトランプ好きに偏らずにはいられない日本のジャーナリストっぽい人たちが、バイデン陣営がアメリカ合衆国の大統領選で不正投票をしていて、それをトランプ大統領が暴いて結果をひっくり返すことに強い確信を抱いて、SNSなんかでその根拠とされるエピソードを拡散しているけれど、どれも数日前に出てはフェイクだと否定されたものばかり。日本語にされて人口に膾炙される時間差を利用して、真実らしさを煽りアクセスを稼いでいる感じだけれど、どうしてそこまでトランプ大統領に肩入れするのか、そこがやっぱり分からない。トランプはアジアから米軍を引こうとしている訳だし。

 そんな大統領より軍産複合体との仲が良いらしいバイデンの方が日米安保を守って中国の脅威だって押さえ込んでくれるかもしれないのに、っていった理屈はもはや通じないのかも。そうと決めたらそれを貫き、そこについたファンの期待を裏切らない立場を貫いていかなくちゃいけない。そのうちに自分もその考えに染まってしまって抜けられなくなっているといった感じか。個々のジャーナリストがそうなるのは良いけれど、そうした人たちを起用し続けフェイクをまき散らし続ける日本新聞協会加盟のメディアがあったりするのがなかなかヤバイなあ。まあとっくに特定宗教を持ち上げる紙面になっていたりするんだけれど。右派で鳴ってた政治家が、バイデン支持を打ち出すと裏切り者呼ばわりして批判する。味方なのに、そういう区別もつかなくなっているところもヤバイなあ。

 公開に向けて湯浅政明監督への合同インタビュー仕事があって、書いて送ったもののまだ掲載されないうちに公開が始まってしまった『「日本沈没2020 劇場編終版」を、是非に劇場で見て欲しいという言葉を原稿に添えた以上は見に行かなくてはいけないと、しばらく茅場町のVELOVCEで原稿打ちをしてから、TOHOシネマズ上野へと回って最前列で鑑賞。すでにオンライン試写で観ており、その前にNetflix版もおさらいしてあってストーリー展開も演習具合にも理解があったせいで、何が起こってもその次にはどうなって、最後はどうなるかが分かっているせいもあって、辛さよりもそれを受け止め乗りこえて歩み進んでいった先、もたらされる様々な解答に感じ入ってしまって、映画全体をひとつの完成形として見てしまった。

 あっちへ行ったりこっちて行ったりする中で、酷い出来事が起こり酷い人たちが現れ安全な場所を求めて彷徨う人たちに試練がもたらされ、それが心にズキズキと刺さっていた初見時と比べると、唐突な死も非道で差別的な言動も、こうした自体に起こりえる出来事として半歩下がったところから達観気味に、あるいは諦観気味に眺められるようになっていた。これが映画を初見にして「日本沈没2020 劇場編終版」に触れた人だと、さっきまで喋っていた陸上の仲間たちが、駒沢陸上競技場のロッカーで悲惨な目に遭い、歩の空腹をどうにかしようと頑張った父親が大変な事態に陥り、いっしょにトイレを探していた三浦七海さんがばったりと倒れ、そして母親や先輩にも悲しい事態が訪れる。

 ひとつひとつが驚きと呆然と落涙をもたらす離別であって、それが毎週少しずつ進むならまだしも2時間半の間に立て続けに起こって、呆然としつつグッとこみ上げてくるものが収まらないうちに次の呆然が重なり気持ちを昂ぶらせ続けそう。それもまた映画としての”感動”だと言えなくもないけれど、辛い人には辛いかもしれない。これが初見となった人たちに聞いてみたいところではある。ただ、今時の映画はそうしたあがったりさがったりのジェットコースター的な展開も少なくないだけに、見て感情を引きずり込まれる前に次の展開が来て、そして頑張った結果が得られるクライマックスへと至って、ネット配信版と同様の感銘に溺れることができるかもしれない。10時間近くをかけずとも得られるひとつのビジョンを2時間半で得られるという意味で、便利な劇場編終版と言えなくもない。

 そんな「日本沈没2020 劇場編終版」は小松左京が「日本沈没」を描こうとした時に意図した、日本人とはいったい何だろうかを、日本という国土を奪うことによって問おうとしたことが始めて描かれた映像版だったのではなかろうか。純粋な日本人たちが国粋主義的な思いの中で凝縮させていくのではなく、フィリピン人の母親であり日本人との混血としての自身でありユーゴスラビアから来た青年でありエストニアを拠点に活躍するユーチューバーでありといった、多彩で多様な人々を絡めることで相対的に感じさせようとしたところに、小松左京からアップデートされたような感じもある。もしかしたらKITEの出自にひねりもあるかもしれない。回想に流れた子供時代、西洋凧をあげるKITEの服装からそんなことを思った。

 そうしてたどり着いた場所で剛はeスポーツの選手となり日本代表としてオリンピックに出場して金メダルをとりながら、それでも国はどこでも良いんだとつぶやくコスモポリタン的な人間像を見せる。すっかりアスリート体型になった歩は失った足を義足に変えてパラリンピックに走り幅跳びの選手として出場する。水泳の選手だった母親に体型も似てきたところが親子の関係を思い出させてちょっぴり涙を誘うところが憎い。ぎゃあぎゃあ言ってた15歳の頃と比べた成長ぶりが感じられた。

 そうして国に依りながらも場所は国外だったりする人もいれば、浮上した土地に戻り国土に依拠する人もいてと、さまざまな日本人たちの日本に対する温度差のある感情を見せることで、どうであっても良いんだよ、自分がなりたいようになり、やりたいようにやれば良いんだよと教えてくれている映画。それでいて最後に日本のさまざまな風景を重ねて良いところもあったとくすぐる映画。自分なら何を選ぶ? そう問われて迷うけれどもその前に、生き残らなくちゃいけないからなあ。それとも誰かのために何かを繋ぐ役割をまっとうする? それもまた格好いい生き方。先輩、その走りは最高でした。もう1回くらいいって、湯浅政明監督のコメンタリーを聞きながら見よう。


【11月14日】 早くに家を出て茅場町にあるカフェヴェローチェでかつかつと原稿書き。インタビューしたものを構成し直しストーリーが流れるように整えつつつ質問の部分で細くなんかも入れていくんだけれど、今回はお相手が2人だったので会話が噛み合うような感じになるように調整もしたから結構大変で、それ以上に結構楽しかった。現場では何を言ってくれるかいつもヒヤヒヤで、ろくな質問ができなかった恐怖でテープを聴き直せないことが多いけれど、塩漬けにしていたら動くものも動かないのでえいやっと一気に仕上げて送信。通るか否か。まあ賭けだ。

 時間もあったので下北沢トリウッドへと回って、既にNetflixで配信されている「泣きたい私は猫をかぶる」を見ようと思ったら、ちょうど人形怪獣映画というなかなか異色の「狭霧の國」が始まる時間で、佐藤大介監督と主役の声を演じた井上優さん、そしてお母さん役の石本径代さんが来られて舞台挨拶をするというので、入ってまずは映画を鑑賞。なるほどアニメーションではなく人形劇で、怪獣を操演か何かで動かしながら大分の山奥にいる怪獣が暴れ回るストーリーを撮っていた。

 あとで監督は人形劇が撮りたかった訳ではなく、怪獣映画を撮りたかったけれど予算もあるから自分のできる範囲で人形劇になったと話してた。本気で特撮をやたらどういう感じの映画になっただろうなあ。伝承と恐怖。「大魔神」みたいな映画になったかもしれない。今だと普通にCGとか使えばいくらだって撮れそうな気がするけれど、それだとやっぱり質感が違ってくるというのがある種の感性。あるいはクオリアって奴で、そこを着ぐるみまでいかない人形で撮ったとしても、やっぱり伝わる質感、質量感ってものがあるような気がしないでもない。どうなんだろう。ヒロインの造形がなかなかそそられた。トリウッドに飾ってあるので観察しよう。

 200億円を超えた『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』で竃門炭治郎を演じてメディアで大いに話題となっている声優の花江夏樹さんが、「借りぐらしのアリエッティ」で主役を演じた志田未来さんと共演しているアニメーション映画があるんだから東宝は、『鬼滅の刃』に振り向けている枠の1割でも使って上映しつつ関連性を喧伝すれば、10億円だって稼げるかもしれないとも思ったけれど、流行っているものに流行っているならと行く日本人の性向から考えるなら、たとえ声優が同じでも自分とは関わりのない作品にはなかなか足を向けないどころか、関心すら向けようとしないだろう。

 だから、TOHOシネマズのもっと大きなスクリーンで、佐藤順一監督と柴山智隆監督による「泣きたい私は猫をかぶる」が上映されることはきっと金輪際、あり得ないんだろうなあ。それが今のアニメーション映画の現実。1本が馬鹿当たりしたからって期待してはいけない。いけないけれどもせっかくのこのアインメーション映画に吹いた追い風、そして声優の花江夏樹さんに向いた風を大いに捕まえて欲しいと思うくらい、『泣きたい私は猫をかぶる』は良い映画だった。

 何しろ舞台が愛知県で常滑市だ。知多半島にあって海岸からのぞむ海には中部国際空港も浮かぶ注目の街だ。そして何より名古屋市から名古屋鉄道で行けるという意味で実質名古屋だ。名古屋出身者として応援するしかないし、そうでなくても応援したくなる映画だ。 無限大謎人間だからあだなを「ムゲ」という中学生の少女は、同じ暮らすにいる日ノ出賢人という少年が大好きだけれど、乙女のように恥じらいながら好きだと言うことはできず、登校途中に裸足になって書けだしてはお尻から当たる「日ノ出サンライズアタック」を見舞ったりしていろいろとちょっかいを出すけど分かってもらえない。

 まあ当たり前。でも諦めないムゲはクラスメートが日ノ出の悪口を言っていると、屋上から飛び降りては地上に立って悪口を言った相手に文句を言う。いや屋上からって猫かよと思った人は大正解。実はムゲは猫だった……じゃなくって猫に時々なっていた。どういうことか。ある時、巨大な体躯の猫から猫の面をもらったら、それを着けると猫に変身できるようになった。ムゲは出歩いた先で日ノ出と出会い彼の優しさに触れて好きになる。

 飛び降りたのも猫の時の行動様式が出てしまったから。それくらい好きなら人間の時にも素直に好きを言えば良いのに、できないのはいろいろと気を回しすぎるところがあったから。ヒップアタックをかます乱暴者に気遣いが? それこそが本心を隠すひとつの方策。ムゲは母親が家を出てしまって父親と離婚。そして父親と暮らしていたところに再婚相手が来たけれど、母親への気遣いもあってかなかなか心を開けないまま、張り付いたような笑顔を向けて大丈夫だからと遠慮するような日々を続けていた。それが板についてしまっての日ノ出サンライズアタック。けれどもタロウと日ノ出に名付けてもらった猫になれば、いっしょにいられて本心も聞ける。

 猫になっちゃおうかな。それは大歓迎と現れる仮面屋の巨大猫。でもそいつには企みがあって……といった感じで進むストーリーは、家族の事情にもまれ悩む少女であり少年が、自分の本心を言えずに迷い潰されそうになる中で、お互いに関心があってもすれ違ってしまいそうになるコミュニケーションの難しさを描いていく。思春期に迷う誰もが見たくなる内容で、建前が先に来て本音を出しづらい大人にだて大いに関わりのあるストーリー。それが人気声優の花江夏樹さんに「エール」でも活躍中の志田未来さんで見られるんだから見に来てよと、宣伝すれば良いのに先行してNetflixで配信してしまったからウインドウが変わってしまったのかなあ。どっちが良かったんだろう。ちょっと悩む。

 それにしても緻密に描かれた常滑市の風景。あれで半島だから高低差もある場所から海を望みつつ見下ろす市街や、陶芸の街だけあって並ぶエレンが積みの煙突を持った作陶の工房、学校に公園に諸々の風景がデフォルメされず、かといってくっきりとでもない中にきれいに描かれていてそこにいるような気にさせられる。叔母が住んでいるから時々言っていた常滑市だけれど、当時は漁港があって潮の香りと陶芸の工房が入り交じった古い街並みだった。今はそれも残しつつ新しい街並みもできているみたいで、ちょっと行ってみたくなった。

 そういう巡礼心もくすぐる作品だけに、全国公開されて大勢を常滑市に関心を向けさせて欲しかった。なおかつ言葉に出せないもやもやを抱えた人たちに希望を与えて欲しかった。表情の仕草も確かに描かれたスタジオコロリドならではの丁寧で優しいアニメーションにも目が向いて欲しかったけれど言っても詮無い話。それでもこの機会を誰か捕まえて、花江夏樹さん志田未来さんをネタに大いに喧伝して欲しいなあ。


【11月13日】 13日で金曜日だけれど、もうずっとヤバい状況が続いているから不吉だとかまるで思えない感じ。むしろ金曜日ってことで明日が土曜日で明後日が日曜日と週末が来るから13日とか気にせず浮き立つ気分の方が勝っている。毎日がハッピーだとたまに不吉な日を思い浮かべたくもなるんだろうけれど、そういうゆとりがなくなっているって現れなのかもしれないなあ。

 でもって世界が毎日を13日の金曜日と感じる原因になっている新型コロナウイルス感染症の新しい感染者が13日は全国で1695人になったとか。結構な人数。東京だけでも374人の新規の感染者が出て連日の300人超え。大阪も263人いたりして全国的に高止まりから増加する傾向を見せてきている。北海道は人口に対して235人だからもう大流行していると言えそう。これが冬将軍の南下に伴い本州へと降りてきたとき、どれだけの感染者を出すのかと考えただけで怖くなってくる。

 どこかのサッカー選手がそういう人数に対して重症者がどれだけいるのって突っ込んでいて、心配しすぎだよっていう世の風潮にのったような態度を示しているけれど、12人もの死者が出ている疾病を大半が無症状かのように伝えて軽く見ようとするのはやっぱりちょっと拙い気がする。立場のある人はそれなりに言葉や態度にも気をつけて欲しいよなあ、大変だとは分かるけれどそれがエスタブリッシュメントの義務ってことで。重症者も今は平衡を保っているけれど、ちょっと傾けば一気に医療崩壊へと至る可能性もあるらしい。

 食い止めるにはいち早い対策なんだけれど、政府はGoToを引っ込めるどころか拡大して延期しようとしているからなあ。どうしてなんだ。そりゃあ近畿日本ツーリストが大量の店舗を閉めて社員の削減にも乗りだしているし、ANAとかJALも社員を外に出してどうにかしのごうとしているくらい、厳しい状況におかれていてこれでGoToの実入りすら削られたらどこまで悪化するか分からない。そうした業種に偏って支えるなんて他の業種にとっては贔屓も過ぎるって気はするけれど、何もしないよりは何かしていることで回る経済もあると思うとやめられない。とはいえ状況がこうなってくると、景気より前に大切にすべき健康ってものがある。決断の時は近い。

 いよいよヤバくなっているのはとある美容整形医の人も同様か。愛知県知事をリコールするといって署名を集めたものの、リコールの実施に必要な人数は集まらず直前まで自信満々に語っていたのにひとり停戦を表明。でもまだ署名が続いている岡崎市とかもあったりするから、引き続いてそうした署名を募って心意気を見せるのかと思ったら、主宰者の思いを受けて活動を続けようとする人たちに対してもうやめろと良い、果ては裏切り者のスパイ呼ばわりまでして罵倒し始めた。多くの共感を呼び込んでいこうとしていた運動なのに、自分がやめたら他もやめろってそれはいったい何なんだ。自分が全てなのか。ちょっと理解が及ばない。

 これは事情がちょっと分からないけれど、本当に頑張っていたボランティアの人たちがヤバげな署名が上がって来たのを見て出したらヤバいと避けたところ、盗んだのかと糾弾をしたらしくてもうやってられない感も募って来たんじゃなかろうか。普通に考えたら相当に無茶だし勝手だし尊大だって分かりそうなものだけれど、それを理解できないくらいに焦りかあるいは別の何かに囚われているのか。いずれにしてもこれでもう、誰も後に続いてリコールを求めようなんてしなくなるだろう。それ以上に美容整形医とか名古屋市長の言動について行こうとも思わなくなるんじゃなかろうか。やれやれだ。いやこっち的には大歓迎なんだけれど。そもそもが無理筋だったってことで。

 組合運動をバックに多くの働く人たちの支持を得て党勢を伸ばして自由民主党とがっぷり組んでいた時代もあった日本社会党だったけれど、高度経済成長を経て誰もが豊かな感触を得るようになると組合に頼らずとも良くなって支持が下がって衰退していき、いつしか万年野党の誹りを受けることになる。土井たか子委員長の誕生で盛り上がったとはいえ単独政権がとれるはずもなく、自民党や新党さきがけと組んで村山富市総理の下で政権はとっても緒戦は自民党の傀儡、イニシアティブをとれないまま民主党に議員を奪われ野党でも端っこに追いやられていった。

 そしていよいよ国会議員が党首1人だけの政党とすら言えない状態に陥りそうな社会民主党。これだけ経済が悪化して働く人たちが非正規に陥れられ苦況に喘いでいるというのに、そうした人たちの願いを吸い取れず国会で訴えられず政策に反映させられないのでは復活もあり得なさそう。かといってそうした声を取り込んで政策に反映させるなんて、民主党でも無理なら自民党がやるはずもない。うちがやりますと声高に訴えたところで、自民党から政権を奪取なんてできないといった選挙の構図が見えてしまって、最初から諦めてしまっているんだろう。どうしてこうなった。本気で政権を取りに行く動きを社会党が見せず野党第1党の地位に安穏としていたことに、呆れ諦めてしまった気持ちが今も続き蔓延っているんだろう。だからこその衰退であり1人政党化。そして誰もいなくなった時に日本の労働運動は終わり庶民は黙りそして日本は終わりの始まりを迎える。嗚呼。


【11月12日】 東京都の新規の新型コロナウイルス感染症感染者数が393人だったそうで、3カ月ぶりくらいの390人台というよりもはや400人といった方が良い数字をこうして見せつけられると、いよいよ第3波も本格的に始まったなあと思うしかない。全国の合計も3カ月ぶりくらいに1500人を超えたそうだけれど、以前の8月8日はそこがピークといった感じだったのに対して、今回はここからガンガンと増えていきそうな予感があるだけに不安も募る。どうしてこんなことになったのか。気の緩みだろうなあ、国家的な、GoToなんてキャンペーンを平気でやってしまうんだから。

 あろうことか政府は来年の東京五輪で2週間の待機が必要な開国からの観戦客に対して待機は不要ということにするらしい。ちょっと待て、そもそもが五輪が開催されるようなら2週間の待機なんて不要なくらいに世界から新型コロナウイルス感染症の影響が退いていなくちゃいけない訳で、それで始めて選手も観客も大手を振って世界を移動し日本に来られる。日本だって受け入れられるる。それが未だ2週間の待機からの観測が必要なのだとしたら、新型コロナウイルス感染症はまったく鳴りを潜めていない状況だってことになる。そこで実施するのは待機をなくすことでなく、待機が必要な状況を鑑み五輪を中止することなのに、そういう議論に向かわないところにこの国の政治の優柔不断ぶりが見てとれる。そんなにまでしてやりたいのか。やれやれだ。

 マイクロマガジンから届いた漫画が手塚治虫関連ではなく「さくらと介護とオニオカメ1」という作品で、いったいどういう経緯でそういう漫画を出すっことになったのかが気になった一方で、内容はとても真面目に介護という社会的な課題に挑んでいて、読むといろいろ勉強になる。というか自分は介護という場面にいまだ直面していないから、抱える家族の悩みのようなものも、介護に従事する介護福祉士の人たちの苦労というものも分かってはいない。そこをオニオカメという新人だけれど元気いっぱいの女子による挑戦と、リーダーのぶつぶつ良いながらも引っ張っていく姿を通して学べるという意味で、とても有意義な漫画と言える。

 介護の現場を知っている人だと、あるあるといった話もできるだろうし、自分たちが何を考えどのように取り組んでいるかも分かってもらえて嬉しいと思えるものかもしれない。あるいは介護される側も、そういうことを考えていてそういうことをされると嬉しいということを、知って貰える漫画という意味づけがあるかもしれない。トーンは明るいし陽気だし元気だけれど、回想的な内容を現代から振り返っている場面でいないリーダーがどうなってしまったか、そしてにしうらさんとオニオカメが見上げた夜桜にどんな意味があるのか。それが分かった時にまた、いっそうの感慨が浮かぶのかもしれない。読んでいこう。

 ライティな人たちのこれと決めたらフェイクでもデマでも乗っかって拡散してその状況を世にすり込もうとする意欲はいったいどこから来ているんだろう。中国を絶対悪としてそれに対抗するためには誤情報だろうと拡散して平気だと分かってやっている可能性もないでもないけれど、そうした理由付けすらなく心底からアメリカ合衆国の哀悼両選挙でジョー・バイデン候補を応援する側が不正をやりまくっているって信じているようなところがある。

 開票の集計をごまかすならそれは共和党からだって来ている監視の目をくぐり抜けなきゃいけないし、海外から不正の投票があるならそれは現場で弾かれていて当然。あるいは共和党だって同じことをやって不思議はないのに、民主党側はそれをごっそりと、でも大々的に出来るんだと真剣に信じてしまっている。またく意味が分からない。前に日本学術会議に関してデマをテレビで吹聴して批判され、自分では謝らずアナウンサーに謝らせた目ん玉なテレビ局の上席論説委員様が、今度はアメリカでトランプ候補側にベッタリな弁護士が利害もバリバリな情報を吹聴したのを真に受けて、アメリカではこうなっているのに日本はバイデンが買ったかの如く報じてるのはいかがなものだとコラムに書いて、あとでジュリアーノが吹聴した情報はフェイクだったと分かってコラムを訂正し、さらには削除してしまった。

 それが土台となったコラムは削っただけでは成立しないから当然だけど、それだけ根幹となる情報を真偽も確かめずツイートだけを根拠にコラムに書いて平気なジャーナリストが、東京のキー局に存在するということ自体、世界から観たら奇天烈にうつるだろうなあ。別のジャーナリストも同じ情報を今も吹聴しつつトランプは勝つと信じている節があったりして、そっち側の人たちの盲進ぶりはまったく衰えない。きっと就任式が終わっても吹聴し続けるに違いない。認めたくないものらしい、ポン酢故の過ちというものでありながら。


【11月11日】 「体操ザムライ」をNetflixで配信分をとりあえず観てレオナルドの謎っぷりがどこに帰着するかに興味が向く。メン・イン・ブラック(1人は女性)の3人組に追いかけられているところと、3人がスポーツに興味がありそうな場所を探しているところから何か運動選手だろうという予想はつくし、展開から考えるなら海外でとてつもなく有望な体操選手として囲われながらも逃げ出して、憧れの荒垣城太郎を見かけたのをこれ幸いと押しかけ居候しているってことなのだろうか。そして荒垣と南野鉄男とのバトルに割り込んでその圧倒的な演技で2人を圧倒しつつ、次の段階へと導いていくといった感じ。

 同じ日本代表としてきたるアテネ五輪に出るのか別の国から出場するのか。日本語ペラペラってことは日本とも関わりがありそうだけれど、有望な選手だったとしたら知られていて当然。そうでないなら海外の秘蔵っ子だけれど国籍が今は二重で日本代表も選べるって感じかな、知らんけど。声が陽気で明るいレオナルドなのに渋さが似合う小野賢章さんで、逆に暗くて張り詰めた南野が普通は明るい梶裕貴さんというのが不思議。とはいえ梶さんは「天気の子。」とかで渋いリーゼント刑事を演じているからそっち方面に役を振っているのかも。小野さんは逆に広げているといったところ。そんな2人を御してる浪川大輔さんは「ゴミ箱診療科のミステリー・カルテ」の表紙に登場している三神宗一郎を感じさせる渋みがあるなあ。消えたレオナルドがどんな立場で現れるのか。楽しみ。

 アニメもネットで観るなら漫画もネットで読む時代。小学館の「うえぶり」でもって「葬送のフリーレン」と「龍と苺」を読みふける。超絶長生きなエルフの魔法使いの感覚と、人間の感覚とのズレがもの悲しくも愉快な展開を楽しんでいたものが、魔族との血みどろの戦いへと至って「葬送」の意味が寿命の短い人間の仲間たちを見送る意味に、魔族を容赦なく叩きつぶしていく死神としての意味も重なりハードでシリアスでバイオレントな漫画へと転移したかと思ったら、裸でスクワットするエルフが出て来たりしてのんびり旅行へと戻って、フリーレンのぼんくらぶりも戻ってきて読んでいてぐふぐふと含み笑いが浮かぶ。

 そんな中にも勇者ヒンメルの凄さというやつがジワジワと流れ出してきて、フリーレンを御していただけでなく世界にもいろいろと勇気を与えていたことが分かってなおいっそう物語世界が広がって深まった。ここからフリーレンが旅をして何か資格をとってから向かうだろう北部の魔王城でいったい何が起こるのか、っていうかそこに至るまでにさらにいろいろと起こりそう。魔法使いと戦士は加わったけれど僧侶も勇者もいないパーティに新たな出会いはあるのかも含め、展開を見守っていこう。これが掲載されている「週刊少年サンデー」は今、とっても面白いんじゃないか。

 そして「龍と苺」もあるし。こっちはこっちでネット版ではアマ竜王戦の地方予選で結果が出た模様。2人とも出られると分かっている決勝でも真剣勝負をする2人。苺は眠さを吹き飛ばそうとしてかシャツとか脱いでタンクトップだかでたたき付けるように将棋を指していてなかなかの迫力。絵としては決して匠ではないけれど、その分戦いの激しさって奴が感じられる。もしも映画化されたらやっぱり平手友梨奈さんが演じてばしばしと腕をふって駒を将棋盤にたたき付けるのかなあ。行儀が悪いと日本将棋連盟から怒られそうだなあ。そんあ当りを含むかどうかは分からないけど第2巻もまもなく発売。買ってそして続きも追いかけよう。

 北海道で感染者が増え大阪でも東京でも愛知でも増える傾向にある新型コロナウイルス感染症について、日本医師会の会長がいよいよ第3波を警戒する必要があると呼びかけている。そりゃそうだけれど、一方で政府が何か対策をするかというと逆にGoToなんとかを呼びかけ続けて全国的に感染者を散らばらせているといった感じ。感染対策の偉い人が飲み会するなら右手に箸をもちつつ左手ではマスクを持って外し食べたらはめてそしてといった動作を呼びかけている。そこまでするなら飲み会なんか行くなというのが筋だけれど、GoToイートを呼びかけている政府に逆らうと今の時代は反政府活動家呼ばわりされるから言えないんだろう。

 街中を観ると飲み屋のテーブルを囲む全員がマスクなんかしないで飲んだり食べたり喋ったりしていて、そりゃあうつるわと思うけれども止められない。そういう機会が絶無な人間には迷惑ではあっても当人たちには外せない憩いなんだろうなあ、あと政府にとっては経済的に。とはいえ感染が拡大していけばいずれは止まるだろう会食に旅行。年末に重なり帰省をままならなくさせるかもしれないなあ。

 新型コロナウイルス感染症といえば防衛大学でクラスターが発生したようだけれど今はだんまり。医官が対策を訴え出たら校長によってとばされたそうで、さすがは日本学術会議の連携会員だっただけのことはある、ってそうじゃない、連携会員でありながらそんな非科学的なことをするなんて。科学者じゃなく中国政治の専門家だから分からなかったのか。でも本当に大規模なクラスターが発生して、けれども処分が出なかった時は日本という国がかの大戦での敗戦を後追いすることが確実になった時だろう。インパールしかり特攻しかり。犠牲の上に権力者たちがあぐらをかいて無責任をまき散らす。やれやれだ。<BR>

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