縮刷版2020年11月上旬号


【11月10日】 歌舞伎町にある歌舞伎町でも最大のゲームセンターが新型コロナウイルス感染症の影響で来店客が減ってしまったからか、11月29日の閉店を発表してしまった。1985年からあるそうで35年の長きにわたって歌舞伎町の真ん中で、シネマ広場を囲むようにして喧噪を見続けてきた店がまた1件。すでにミラノ座は建物がなくなり、その跡地に期間限定で立っていたVR ZONE SHINJUKUも撤退。その移転先となった池袋のMAJIRIAは8月末で確か店が閉まっていたはずで、来店客が目当てのアミューズメント施設の運営が難しい局面にあることを表していた。

 とはいえ、機材との接触が避けられないVRとは違ってメダルゲームやプライズゲームやビデオゲームはその場その場で対応も可能だし、遊ぶ側だってそのあたりを気を使っているから、全面的に閉店しなくちゃいけない状況にはなかったはず。イオンシネマ幕張新都心の前にあるナムコのアミューズメント施設も「鬼滅の刃」の大ヒットで関連プライズが人気のようで、子ども達げ賑わっていたからお客さんが来ないって訳ではないんだろう。ただ、郊外でファミリー客を期待出来るそうした店舗と違って、歌舞伎町の真ん中は日本人に限らず外国人の観光客も含めて保っていたはず。そこに影響が出たことで、零点客も減っていたのかもしれない。

 セガもアミューズメント施設運営からの撤退を発表して、事業を他者に譲渡することになった。その一方でIRすなわちカジノにセガサミーとして注力するのは解せないけれど、新型コロナウイルス感染症の動勢次第では考え直さざるを得ないだろう。今は突っ込んだ労力の元を取り返さなくちゃいけないからと、前向きになっているだけで。東京ジョイポリスもとっくに売り渡していたから、大手で施設運営までやっているのはバンダイナムコグループとあとスクウェア・エニックスグループのタイトーくらいか。コナミのチルコポルトはとっくの昔になくなっているし。施設運営でお客さんの顔を見ながら育った開発がお客さんの喜ぶゲームを作る循環も、途絶えていくことになるのかなあ。

 コロナ禍といえば音楽業界にも影響が出ているようで、エイベックスが南青山に発つ壮大な本社ビルを売却することを考えてるらしい。以前だとこういう場合は証券化した上で売却し、そのまま居続ける代わりに賃貸料を払って投資家に利回りとして還元していく手法をとったものだけれど、そうなるのか一気に売却をした上で賃貸することになるのか。あの場所であの上物だけに金額も莫大になるからこその証券化でもあったんだろうけれど、一挙売却は証券化しても売れない可能性があるくらい不況なのか、一挙に買えるくらいの値段にせざるを得ないくらいピンチなのか。CDが配信に押されライブエンタテインメントにシフトしたらコロナで全部だめに。無観客の配信でもお金がとれる可能性はあっても、それだけの観客を集められるアーティストが今いったいどれだけいるってのも問題になっているんだろうなあ。栄枯盛衰。せめてアニメだけは頑張って欲しい。

 その新型コロナウイルス感染症、東京での感染者が293人となってほとんど300人という結構な数字になって来た。第2波なのか第3波なのかいろいろ意見もあるだろうけれど、北海道で大変な事態になって来ているのがじわじわと全国にも波及している印象。これで寒さがつのればさらに増えていく可能性もあるなあ。ファイザー製薬がワクチンを開発して結構な確率で効果が得られると発表していて、鎮圧への期待も高まるけれど果たして免疫がどこまで保たれるかは不明。インフルエンザみたいに毎年打たなくちゃいけないものになるのか、そして変異が進んでタイプに合わせてワクチンが必要になるイタチごっこが続くのか。ミンクが変異の要因になっているからとまとめて殺処分されたりしてイタチごっこもないけれど、それはそれとして先行き不透明感がバリバリな中、冬を迎える北半球は果たして春を迎えられるのか。かつてない冬が来る。

 そんな季節でも外に出て元気にゴミ拾いをしている宮崎駿監督に、突撃して「鬼滅の刃」に興行成績で迫られていることをどう思うかを聞きに行った週刊誌があって、そのトップ屋としての取材魂はなかなかのものがあるけれど、聞いた言葉が関係ないし知らないしゴミを拾いたいといったものだったにも関わらず、きっとそう思っているんじゃないかとアニメ研究者とか映画評論家とかを連れてきて、勝手に想像をめぐらせるのは牽強付会が過ぎて愉快な感じがしない。過去に興行成績が伸びなかった時代もあったから、今も敏感だっていうけどそれで本人が悩んでたって話しはあまり聞かないし、増えたからといって喜んだと行った感じでもない。やっぱりちょっと無茶が過ぎるかなあ。こういう時はだから1週間でも一緒にゴミ拾いをして、向こうから「何が聞きたいんだ」と言わせるのが取材の醍醐味って奴なんじゃないかなあ。


【11月9日】 大統領選で流布されたコソコソ話の出所に関する話がネットに上がってて、中国の政策なり存在に反対する運動をしている人にトランプ大統領の顧問を一時やってたスティーブ・バノンも絡んで、いろいろと根も葉もない情報を垂れ流していることが書かれていて、つまりは反中的な意識が根底にあったりすってことで、だから中国嫌いの日本のジャーナリストや作家や経営評論家や通信社の元政治部長あたりを巻き込んで、日本でも盛り上がっている感じが見えてきた。

 問題はアメリカあたりだと真に受けているのはそっち系のインフルエンサーだけど、日本はメディアでそれなりに発信力を持った人たちってことで、テレビの司会者なんかも引っ張られて陰謀があったかもしれないと言い出してる。そういう話があるんだといった両論併記だと良い訳するかもしれないけれど、フェイクをメディアに載せて拡散し、信じる信じないは視聴者次第とやっては真に受けて流される人だって出てくるもの。だからアメリカなんかだと真っ当なメディアは流さないのに、そこが日本はいい加減になっている感じ。ヤバいねえ。

 中国嫌いはアメリカだと中国で弾圧された宗教団体の系列なんかがやってるケーブルテレビなんかでも蔓延っているようで、トランプ大統領が呼びかける不正投票があったって話に、民主党の支持者ものっかっていっしょに抗議をしているって映像が流されていた感じ。それは本当に起こっていることなのか違うのか。ネット時代はそれなりな機材を揃えれば、ネットワークと同等のクオリティで動画を作れてしまうし、インフルエンサーだったら映像が稚拙でも、ネットワークより強い伝播力を持っている。そこに視聴者が世界の秘密に触れるような情報を流したら食いつくよなあ。かくして陰謀は蔓延り分断は進む。やれやれだ。

 先週の月曜日で157億円に達した「映画『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入。その前週に10日間で107億円を稼ぎ出していて、そこから1週間で50億円を積み上げた訳だけれど、さすがに3週目ともなると映画興行の常識に沿って半減するからよくて30億円くらいだろうと予想して、今週明けは180億円くらいに達するかなあと思ったら違ってた。まるで勢いを落とすことなく47億円を積み上げて204億円に到達して、宮崎駿監督の「もののけ姫」も「ハウルの動く城」も抜いて日本映画で3番目につけてしまった。

 もちろん実写最高の「躍る大捜査線THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の173億円も軽々と突破。上には前代未聞の宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」と新海誠監督「君の名は。」があって下に「ハウルの動く城」と「もののけ姫」。つまりは日本の映画興行ベスト5はすべてアニメーション映画に占められたってことになる。そして他はそれぞれがオリジナルであるのに対して「鬼滅の刃」はテレビシリーズの続きもの。なおかつ結末もなくて次ぎに続く展開になっているところで、他のいずれとも、そして「躍る大捜査線THE MOVIE2」とも事情が違っている。

 そんな映画が200億円を突破するなんて誰も予想できないし、次ぎに同じ様な作品が出るともとうてい言えない。いろいろな条件がピタリと重なったところにポテンシャルを持った作品が来たからこそ生まれた前代未聞って奴なんだろう。これで実写も負けていられないと、過去にヒット作から良いところ撮りをして「躍る大捜査線」と「南極物語」と「子猫物語」を混ぜて「躍る南極子猫」なんて作ったところで観客は……来るかも知れないなあ、南極で子猫が躍る映画って言えば診たくなるかもしれないなあ。監督は岩合光昭さんで是非に。

 新型コロナウイルス感染症の新規感染者が北海道で200人を超えたそうで、寒くなる季節に部屋を閉め切って換気をしない状態が続くと、やっぱり増えてくることが一つ証明されたって感じ。今は北海道での急増に留まっているけれど、東京も高い水準が続いているし大阪や名古屋もこれからジリジリときたとしたら、12月に入って一気にぐわっと伸び得てしまうかもしれない。年末こそ実家に帰省してのんびりと思っていたら、外出禁止令が出て大型連休に続いて身動きがとれない状況になるかもしれない。GoToトラベルで可能なら富山での富野由悠季総監督展に行きたかったけど、これは無理かなあ。出歩かず院3月までの4カ月を乗り切る体力と財力をつけておかないといけないかなあ。


【11月8日】 大宮にあるプラネタリウムで7日の土曜日に、飯田将茂さんによるドーム映像「double」を観てやっぱり意味は分からないけれど、寄せては返し溺れては洗われる輪廻転生のような状況の中、抜け出て分かれた魂が肉体と儀体に宿ってお互いに影響し合う中で、どちらが真実か分からなくなるような感覚を味わった。原初舞踏家の最上和子さんが触れて動かす球体関節人形が、だんだんと意思を持って動き最上和子さんを動かす様に見えて来るというか。それは大げさだけれど人形に触れなが躍る最上さんが、人形を動かすという意識をだんだんと薄れさせ人形の動きたいように動いているように見えて来るというか。どちらも本物でどちらも偽物。だからこそのdouble=ダブルってことなのかもしれない。途中、意識が飛んだところもあて、初回から理解が進んだとも言えないだけにまた、機会があったら観てみたい。

 いやはは。愛知県で美容整形外科医の人が中心になって愛知県知事をリコールしようだなんて署名をあつめたのは良いけれど、必要としていた人数に及ばず体のこともあってここで打ち止めって宣言をしたらしい。それでいてまだ岡崎市とかいろいろな市で募集は続いているから終わってはいないとも言っていて、それが決してかなうことのないリコールの署名を、ボランティアに集めさせて時間をもらい労力をもらうのってどうなのとちょっと思った。やりたいからやっていて、集めたいから集めているんだと集める側も集めさせる側も言うかもしれないけれど、実効性が伴わないことでも形だけ整え精神性を尊ぶ風潮は、勝てない戦いに大勢を送り出したかの戦争なんかを思い出させて心が凍える。中心になっているのがそういうのが好きな人たちではあるだけに、引きずられて連れて行かれた先が荒野だなんてことはないようにと祈る。荒野ならまだ良いけれど……。

 そんな署名に人数をそろえたいが余りにちょっと頑張りすぎた結果が見られるかもしれないと、リコールの原因となったあいちトリエンナーレのキュレーター氏こと津田大介さんが何かつぶやいたところ、そんなことはしないぞと言って名誉毀損で訴えるかもしれないと美容整形外科医の人が言い始めていたそうで、だったら名誉毀損なんかしないで見せれば良いと言えるかとうと個人情報でもあるから明かすのは無理。かといって成立していないリコールでは署名を確認することはしないから疑惑は晴らされない。これで裁判となったら不正の証明を被告側がすべきなのか、潔白の証明を原告側がすべきなのか。一部にそうした不正があったけど、反対派の工作だなんて言ってもいたりしてなかなか混沌。とはいえそうした工作をとりまとめ役が受け取ってスルーするものか否か、って考えると浮かぶあれやこれや。世界は謎に満ちている。

 確かに謎。愛知県知事のリコールに関して集められた署名に不正の疑惑をつぶやかれると、そんなことをするはずがないじゃないかと応援する筆でジャーナリストの人が亜米利加合衆国の大統領選挙では不正がまかり通っていずれ裁判になってひっくり返るぞと、バイデン候補の当選が票の上では確定したにもかかわらず、主張していてなかなかな二重性が感じられて人は立場によっていろいろと変わるものだといったことが感じられる。インクをGPSで追跡するとかいった与太話はすでにフェイクと検証されているけれど、それすら引っ込める気配はない上に中国の航空便会社の封筒が1つだけうつされた写真を取りあげ、中国から大量の投票用紙が送られてきているといった主張を振りまいている。

 それこそ開けて真偽を判断する訳だから偽物ならその場で廃棄されるだろうし、手違いで違う航空便が紛れ込んだとか、海外からの輸送にFedexとかDHLとかいったものと同様にSF Exressが使われていただけかもしれないとか、そんな可能性もいろいろと浮かぶ中で最もあり得ない節を選んで不正があったと言いつのる一方で、もっと簡単な不正の手口がリコール運動の中で使われた可能性は完全なまでに否定するところに、いったん味方と決めたら梃子でも動かない頑固さなんかが感じられる。というかいったん敵と決めた相手にその敵をすべて味方と断じて応援し続けるというか。だから中国を悪く言えるなら相手がトランプ大統領でも褒め讃え続けるといった雰囲気。それがあの北朝鮮の最高指導者と握手をした人間でも。

 それが政治で外交だと言えば言えるのかもしれないけれど、「私は金正男を殺していない」という映画を観るにつけ、マレーシアの空港で金正男の顔にVXガスを塗りつけ死に至らしめた2人の女性をいたずら動画の撮影だからと騙し、誘導してやらせながらすぐさま逃亡し、残っても出国して国に戻った国の人たちの、頂点に君臨する最高指導者をやっぱり許していいのかという話になり、そんな人間と握手をして権勢をアピールしたトランプ大統領を盲目的に支持し続けるのはどうなんだろいうという話になってくる。やらせた側は外交に護られ裁判の場に引きずり出されることはなく、捕まっても釈放されて国に返されていた一方で、ベトナムとインドネシアの女性2人は有罪になったら死刑がまっている境遇の中、拘置所に縛られ不安の日々を送り続けた。

 いたずら動画の撮影と言って誘った話はすでに知られていて、映画でそれが語られても意外性はなかったけれど、そうやって誘った側を不問に付して明らかに利用されたと分かる2人の女性を真犯人の如くに糾弾した検察と裁判所の態度を、それも政治で外交だからと赦せる訳がないと映画から伝わってくる2人の女性の苦しみと悲しみから強く思う。そんな立場に追いやった側への憤りを募らせるなら、握手をして相手に国際舞台で同等感を与えたトランプ大統領への憤りも募らせて欲しいものだけど、それはしないのはなぜなのか。謎めく。映画では2人の女性のその後が描かれていて、ちょっとウオッチしていなかっただけにそうなっていたのかと驚いた。外交や政治は弱者を虐げすりつぶした上に成り立ち権力はその上であぐらをかき続ける。そこのすり寄る言説はだからとても、醜い。


【11月7日】 間抜けだと笑ってもいられない状況というか、あきれ果てて虚無感が溢れ出すというか、アメリカ合衆国の大統領選に絡んでバイデン候補がもはや当選確実といった状況にあることに、中国嫌いの日本の人たちがバイデン候補は中国と中が良いはずだといった思いから、敵(中国)の味方としてバイデン候補を下げ敵であるところのトランプ大統領を持ち上げるスタンスを固めて、その中でバイデン候補側にいろいろな不正があったんじゃないかといった噂をばらまいているんだけれど、その如くがフェイクでデマゴギーで、それをばらまく人の知性理性感性が心配になってしまう。

 だってGPSだよ、それが投票用紙のインキに仕込んであるっていうんだよ、あるいはすかしが全部に入っていて、放射性同位体元素で鑑別が可能だとかいうんだよ、もうタワケかと、ポン酢かと。なるほどマイクロカプセルをインキに混ぜて塗布して擦れば香りが出るような印刷ができない訳じゃないけれど、マイクロカプセルレベルのナノチップが開発されてそれが投票用紙にすき込まれて、GPSで追跡ができるなんて技術がいったいいつ開発されたんだ。そもそも電力はどうするんだ。誘電性ナノインクを使い温度差を使って発電でもするのか。そんな訳はない。

 聞くほどにあり得ないテクノロジーで、その出所も内容もペンシルベニア大学の阿念バーグ/パブリックポリシーセンターというフェイクニュースを調査し指摘する機関によって嘘だと証明されている。海外ではそうやって嘘だと断じられた情報を何日も遅れて引っ張って来ては、軍事評論家を自称する人がネットで発言してそれを見た一般紙でコラムを書いているような、それも新聞批判をしているような作家が取りあげやっぱりそうだったんだとバイデン候補をヒナするわ、通信社の政治部長まで歴任した人がやっぱりそういうことなんですねと同意をするわ、科学や技術へのリテラシーのなさをさらけ出していたりする。

 端から見たら滑稽だけれど、そうした人でも言っていそうに信用されていて「そうだったんだー」と拡散されているから厄介極まりない。どうして信じてしまうんだろう。それだけ世間に中国憎しでバイデン憎しな感性が、蔓延ってしまっているってことなんだろう。嫌中を票集めに利用して人気取りにも活用して野放しにしてきたツケが出ているなあ。投票箱に細工をしたって持ち出される映像が堂々とロシアに関連した紋章が張られた投票箱が映ったものだったりするし、集計に細工があったといったテロップがつけられたニュース映像は、単に異論をとなえているだけのものだったり。そうまでしてバイデン候補を貶めてでも中国を悪く言いたいというか、中国を悪く言うためには何だって利用するというか。哀れだなあ。

 六本木ヒルズで開かれた東京国際映画祭のマスタークラス「アニメが描く風景」を最前列で見る。「魔女みならいとをさがして」の佐藤順一監督による「粗挽きソーセージの方がおいしい」が響いた。映像が高精細になるにつれて美術も高精細になっているけれど、それで良いのってお話。でもって「サイダーのように言葉が湧き上がる」のイシグロキョウヘイ監督による吉田博への言及も面白かった。「サイダーのような言葉がわき上がる」のあのパンフォーカス無限大な背景美術には、鈴木英人さんだけじゃなく版画の方から影響があったとか。川瀬巴水なんかも上がってた。吉田博は年明けに東京都美術館で展覧会もあるので気になったらゴーだ。あるいは合わせて先行上映会とか開けば良いとも思った。夏まで公開に間が開きすぎるんだよなあ。

 そんなTIFFマスタークラス「アニメが描く風景」で最後に出た質問で、これからの背景美術はどうなって欲しいかという質問に対してそれぞれの監督が答えた話はこんな感じ。「ジョゼと虎と魚たち」のタムラコータロー監督はは、「スタジオが得意な絵があって、大きく外れることは難しい。そこから外れたイシグロキョウヘイさんはすごい。あれはコントロールするのが難しい。パンフォーカスで全部見えている。牛尾憲輔さんの音楽との相性がとても良い」とまずは「サイダーのように言葉が湧き上がる」でとんでもない背景を見せたイシグロキョウヘイさんについて言及。

 そして「同じツールをつかっている以上は、どうしても似通ってしまうケースが多い。予算制約ある中で作るから画一的になる。テレビシリーズは3か月くらいで終わってしまうから、何かそこで開発はできない。美術監督も得意分野を生かしつつ個性を発揮する場を提供されない」と現状を語りつつも「どうしたら他の作品と差k別化できるか」を考える必要はあって、ディレクターが頑張るなり頑張って欲しいといった話をしてくれた。

 「サイダーのように言葉が湧き上がる」のイシグロロキョウヘイ監督は、「希望は、佐藤順一さんおっしゃっていたように、アニメの作り手側からアートスタイルを提供できるものを求めていること」で、「自分は絵描きではないから、やりたいことはあって考えはあっても、描くことは無理。僕と言う監督という単位で新しい美術で貢献するなら、イマジネーション元を持つこと。自信をもって折れずに行く。新海誠さんのようなきれいな背景を求められることもあるけれど、逆らっているつもりもないけれど、フラットに肩の力を抜いて考えても良いんじゃないかな」と話してた。

 「『少女革命ウテナ』を見ると、小林七郎さんなんですが、描いてないところが多いんです。思い切りアートスタイルとして成立する。解像度にビビらず描かないところは描かないという点で、監督に免罪符を与えては」。確かになあ。省略しても余白があってもかえってそれが心理を表すこともあるのだから。「僕らの七日間戦争」の村野佑太監督は「時代に沿っている流れとしては、はやり新海さんがあって、そういうものに寄せてといわれることがある。イシグロキョウヘイさんほどのアウトローでなければ、短編とか自主製作で大きなお金が動かない中で、個性を出す作家が出てきているから、目と付ける配給とか出てくるのでは。似ているものとは違う背景スタイルは、そういう人たちが作っていくんじゃないかな。そこに商業も負けないようにしないと」と話してた。

 そして「魔女みならいを探して」の佐藤順一監督。「僕はテレビ向き演出で、映画に向いていないので本数をやってはいないけれど、「魔女みならいを探して」と「泣きたい私は猫をかぶる」をやっていて、ひっかかったことがある」という。それは「シナリオの時に映画らしさとは何かを議論していて、映画だからこうじゃないの、こうすべきじゃないのと話している。呑み込めなかったけえど、やっていて分かった。映画らしさというのは幻想だ」。なるほど。

 「実は映画らしさと思っているものは、お客さんとか見る人たちにはそれほど重要じゃないという疑惑がある。密度を限界まで上げずにシンプルな戦で描いても訴求するんです。密度を高い方に進んでいくのは良いけれど、違う方向を目指す演出家なりクリエイターがいれば。アウトローは大事」。ということでイシグロキョウヘイ監督なり、インディペンデントなアニメーションなりの才能が求められている感じ。『ロングウェイノース』のような海外の長編アニメーション映画だって恐ろしくシンプルなのにちゃんと背景になっているから。そういうものだ。


【11月6日】 日本だったら開票が始まってすぐさま体制が決まって当落すら分かってしまうだろう選挙状況とは違って、アメリカ合衆国の大統領選挙はバイデン候補もトランプ大統領も選挙人の過半数を抑えられないまま向かい合った状態がまだ続いている。情勢ではネヴァダ州をほぼ抑えたバイデン候補が過半数の270人を獲得して勝利をほぼ手中に収めているんだけれど、よもやよもやの事態もないとは限らないだけに、決まるまでは明言はできないなあと思っていたら、他の州でもぐんぐんとバイデン候補の票が伸びて驚いた。

 ジョージア州がほぼ横並びとなってきっ抗を見せ始めて、ここが先に決まってもバイデン候補の当選が決まるかなあと思っていたら、随分と話されていたペンシルヴァニア州までもがバイデン候補の票がトランプ大統領を上回って色分けが民主党の青になっていた。これで両方を取ったら一気に決まってしまうけど、差が1%以内だといろいろと異論も唱えられるらしいんで、トランプ大統領が裁判でも起こしてなおいっそうの混乱が起こりそう。

 それはそれで納得の事情だけれど、遠く離れた日本で票が捨てられたとか調達されたとかいったデマを本気で信じて流すジャーナリストがいるのには驚いた。一般紙にだってコラムを持っていそうなジャーナリストが陰謀論とデマに染まっているこの国の言論空間って何だろう。ってかまあ、そういう人が発信できるメディアも限られてはいるんだけれど。その限定空間がSNSを経て広まっていることが問題かなあ。人は信じたいものを信じる生き物だという性質をハックしている感じ。助長されていく風潮が日本を多う前にどういかしないとメディアごと。

 クリエイター搾取な業界だというアニメーソン業界に対する外野の視線をそれなりに地位のある人が持ってしまうと影響力のあるメディアで信用されやすい言葉を紡いでしまうからなかなかやっかい。大ヒット中の「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が稼ぎ出すお金が、原作者の吾峠呼世晴さんにいったいどれだけ還元されるんでしょうね、といったニュアンスのコラムが発表されていて、いつかの「テルマエ・ロマエ」映画館に絡んだヤマザキマリさんの訴えなんかも世間に思い出させて作家は可哀想だといった空気が醸し出されそうになっている。

 「『いや、そんなことはない。映画がヒットすればコミックスが売れるのだから、日本の漫画の作者にだって還元されるじゃないか』というのは正論かもしれませんが、それは事の本質ではなく、結果として起きることです」という分析もあるにはあるけれど、出している結論がネガティブな方向に傾いていてちょっと辛い。ヒットしたら本が売れて原作者が潤うということが、結果として起こるかどうか分からないくらい、アニメは何がヒットするか分からない。それでも原作の良さを世に広めたいと、製作側はリスクを負ってアニメ化に挑んでいる。

 それで売れなくても、原作者には原作料が入るし出版社にだって権利料が支払われるだろう。そして大ヒットしたら原作者は本が売れてさらに多くのお金が入るし、権利元にもグッズが売れていっぱいのお金が入る。そうなってようやく製作者側はどうにかペイできるくらいだというのが実情。それ以上当たるなんてことは滅多になく、そこにかかったアニメ制作会社なり出資者なりの頑張りが、報いられることがアニメーションというビジネスにおいてはまず大事なんじゃないのかなあ。というか、「鬼滅の刃」はアニメ化が発表された当時の部数は200万とかそんなあたりで、決して大ヒットしている作品ではなかった。

 アニメ化しても果たして見てもらえるかといった不安もあったあろうけれど、そこをしっかりアニメにしたことで爆発的な人気となって発行部数は1億部をこえて原作者にはとんでもない学の印税が入り、そして出版社にも莫大な売り上げが入った。そこでたとえば映画に出資していなくても、ざくざくとお金が入ってくるのが原作側。自分たちが作ったアニメで本が売れたら、還元して欲しいよねっていうのがアニメの製作なり制作側の思いに違いない。もちろん苦闘の果てに作品を生みだした原作者こそが潤って当然ではあるから、そこは原作料の段階で話し合うなり、映画がヒットした場合の還元を契約に入れておけば良い話。それをせずして映画が売れても雀の涙というのは、アニメを企画し作り世に出しヒットさせる側の苦労を軽んじている気がするなあ。どうだろう。

 本広克行監督で押井守巻頭の原案を映画化した「ビューティフルドリーマー」を池袋で観た。わははははははははははははは。大笑い海水浴場。つまりはそれくらいに面白い映画なんだけれど、何を語っても初めて見る人の興を削ぐんでストーリーも設定も何も言わない。とりあえず40代50代60代のそういう人たちは観に行くに限ると言っておくっちゃ。非常に良くできている上に、とても心に刺さるから。僕もあと1回は観に行こう。その前に予習復習もしておかないと。秋元才加さんはとにかく凄い。素晴らしい。それだけは言っておくっちゃよ。


【11月5日】 処置無しというか愛知県の大村知事に対する美容整形外科医や名古屋市長らによるリコール運動で、署名が行われてその集計が行われるという段になって自称するところの全国紙が出しているオレンジ色のニクいタブロイドが、リコールの投票が行われるために必要な86万人の8割くらいは集まったと報じていたりした。そして蓋が開いて集計が行われて、順次各所の選挙委員会に提出されていったんだけれど、その数を美容整形外科医や名古屋市長といった主催者がまるで発表しようとしないからひっくり返った。

 新聞に情報を流すくらいに集まっているなら堂々と言えば良いし、「最低でも80万筆以上あると実感がある」と言っているんだからその実感を数字で証明すれば良い。すぐに提出するところまで来てるんだから、当然に実感を実数に置き換えられるのかと思いきや、語らずそして選管が7万ちょっとくらいだと言い、そうした情報をつかんで大村知事があんまり集まってないと聞いているというと、スパイがいるとか批判して数字が正しくないかのごとく言いつのる。だったら数字を出せば良いのに出さないのは出せないのかどうなのか。まったく訳が分からない。

 その一方で、提出にいったら整っていないからと突っ返されたとか、時間が来たので占めると言われたとかいって相手の手続きを批判する。いやだってそれが決まりなんだから護るのが筋でしょう。署名が集まってから提出まで準備期間もあったんだから数を数えて必要なナンバリングもして時間内に提出すれば良いだけでしょ。それが出来ないのかやらないのかやれなかったのか。慌ててナンバリングをすれば選管が病人を虐めているとジャーナリストらしい人が擁護をして選管側を批判する。だったらもしも原発差し止めだとかいった署名の提出で、不備だからと突っ返されてゴネたら何を言うか。野党が官僚に質問主意書を送って夜中まで働かせるのはパワハラだと怒るんじゃないのか。それはそれでこれはこれの二枚腰を見せて平気な心理の太さが、今のこの時代を生き抜くコツなのかもしれない。

 アメリカの大統領選挙でジャーナリストらしい人はバイデン候補が何か陰謀をめぐらしているんじゃないかと推察されるコメントをテレビで発言していたといった情報を拡散していたけれど、すでにフェイクであって長いコメントをつまんでそう聞こえるように仕立て上げたものだと周知されているにもかかわらず、フェイクの方を取りあげ拡散してはSNSからイエローカードを突きつけられていた。だからといって持論を引っ込める訳でもなく謝罪をする訳でもない剛胆さがあれば、この世の中を渡っていけるようになるのかと思うと、真似したくなるかというと絶対にそんなことはない。

 そんなジャーナリストもヤバイけれど、相手の言い分をそのまま載せて80万票の8割も集まっていると紙面で報道しているオレンジ色のニクいタブロイドも、もはや誤報のレベルを超えてプロパガンダの域に入っていて相当にヤバい。それで日本新聞協会の加盟紙なんだから、倫理的にいろいろと突っ込まれて除名の通告を受けたって不思議はないのに、そこは互助会的な団体だけあって右も左も呉越同舟な感じ。テレビだったらBPOが働くけれど新聞はそれがないんだよなあ。誤報の類はいずれ信頼を損ない売り上げに響くだろうからやらないに越したことはないんだけれど、ギリギリの状況では誤報で煽った方がより売れるって判断もあるんだろう。この後に及んで地元メディアのほとんどがリコールの署名提出を報じていたにもかかわらず、「報道しない自由」を行使してどこも報じてないという美容整形外科医の言い分を検証もせずに載せていた。これで大きく数が足りてなかったとしても、あと少しだったと言い続けそう。やれやれだ。

 駒井連さんの主演で映画化されている越谷オサムさん原作の小説「いとみち」で、メイド喫茶でアルバイトをすることになるいとの祖母で三味線名人のハツヱを誰が演じるのか、気になっていたけどしばらく前に発表になっていたそうで、津軽三味線を全国から全世界へと広めた名手、高山竹山の最初の弟子だったという西山洋子さんが配役されていた。これならいとの祖母を演じてほかにいないくらいの腕前を披露してくれそう。気になるところがあるとしたらヴァン・ヘイレンとかクイーンといったロックを三味線で弾いてくれるかってところか。それがある意味で長い気の秘訣にもなっていたし、より腕前を凄く見せる要素にもなっていたから。映画公開が待ち遠しい。


【1月4日】 アメリカ大統領選挙の開票が始まって、バイデン候補が優勢と伝えられていた割にはトランプ大統領が前回と同じ様な得票を見せて勝ちそうな雰囲気になって来た。とはいえぎりぎりのところがまだって、ミシガン州をバイデン候補がとればそっちに転ぶようなところま来ている。それこそいつかのフロリダみたいに、わずかな票差で投票人がどっちかに流れて優劣が決まる状況が、ミシガンあたりで再現されそうな印象。票が捨てられたとか入れ替えられたとかいった陰謀論も出て来て揉めそうな中、大統領令から戒厳令が敷かれて大変な状況に陥ったりするのかな。目を離せない。

 太宰治といえばどうしても東京の西の方に縁が深い作家といったイメージがあって、三鷹で暮らしては「走れメロス」や「人間失格」といった代表作を執筆し、三鷹を流れる玉川上水に入って自殺をし、そして三鷹にある禅林寺に埋葬されては遺体が発見された6月19日の「桜桃忌」に大勢のファンを集めていたりする。そんな太宰でも実は暮らした場所として1番愛していたのが船橋市だということは、本人が死ぬ2年前に書いた「十五年間」という回想記に書かれている。済んだ時期こそ1年3カ月と短かったけど、その間に「晩年」という最初の作品集が刊行され、芥川賞の候補にもなってと文士としていよいよこれからといった気分に満ちていた。

 ずっと暮らしてればあるいは、別の人生があったかもしれないけれどもバルビダールが行き過ぎて入院となったため船橋から引き上げそれっきり。やがて三鷹へと移り住んでは愛憎入り交じった生活の中で破滅的な人生を歩んでいく。船橋が太宰ゆかりの地だと思わせるのは、住居跡に置かれた碑文だとか、植えられた爽竹桃くらい。あと海老川にかけられた橋のひとつに刻まれた顔のレリーフか。

 そんな太宰が愛した街らしく、船橋は三鷹や吉祥寺や下北沢といった街に劣らず、いろいろな文芸作品で舞台となっている。たとえば深見真さんが書いたライトノベル「シークレット・ハニー 船橋から愛をこめて」では船橋を舞台にエスピオナーなバトルが繰り広げれたりするかと思ったら、直木賞作家の東山彰良さんによる大藪春彦賞受賞作「路傍」では、池袋や渋谷にはほど遠いものの、そこそこの賑わいを持った街として登場し、虚無的な日々を送る若いチンピラの姿が描かれるそして吉本ばななさんの「ふなふな船橋」では、夜逃げした父と再婚した母から離れ、船橋で暮らす親戚のマンションに身を寄せた少女が夢で経験する不思議な出来事に、梨の妖精ふなっしーのぬいぐるみが絡むといっ内容のストーリーが繰り広げられる。

 イトーヨーカドーや海老川といった、船橋の住民にはおなじみの場所が登場していて、「キッチン」が世界で大人気の作家に取り上げられたと思うと、船橋市民的にはちょっと誇らしい気分。そんあ船橋小説群に新しく加わったのが、水生欅さんによる「君と奏でるポコアポコ 船橋市消防音楽隊と始まりの日」だ。今は無きLINEノベルが新潮文庫と組んで実施した「新潮文庫×LINEノベル 青春小説大賞」で栄えある対象を受賞した作品で、こうして刊行されて良かったなあとまずは思う。内容はといえば、サブタイトルにあるように、船橋の消防局が抱える消防音楽隊の活動が描かれている。警察や自衛隊が音楽隊を抱え、祭りのパレードに登場して演奏を聴かせていることは割と知られているけれど、消防隊にも同じように音楽隊があって、消火や救急といった活動を広める役割を果たしている。

 船橋市消防局にも消防音楽隊があるということだけど、入団希望者が減ってメンバーが足りなくなったからか、数年前から市民から隊員を受け入れることになっている。そうした現実に即して小説でも市民団員が募られて、高校に入学したばかりの栗原優芽が同じ中学校を出た友だちといっしょに参加を決めた。高校にも吹奏楽部はあったけど、スポーツのレギュラー争いだとかにもあったりする中学時代の苦い経験が優芽に入部をためらわせた。そういえば同じ学校の吹奏楽部が舞台になった「響け!ユーフォニアム」でも、黄前久美子が中学時代に同じ問題に直面してたっけ。

 そんな「響け!ユーフォニアム」にも重なるように、芸大出の指揮者がへたくそな消防音楽団を鍛える場面もあるにはあるけれど、多くは消防という本業と音楽隊という副業の関係。遊びか趣味かと思われがちで、消防に燃える団員にはお荷物にもなている音楽隊だけれど、人々に消防活動を伝える役割は担っている。とはいえ財政的には利益を生まずサービスにも直結しない文化事業は予算を削られる運命にあって、取りつぶしの聞きが迫っている。日本全体で起こる文化事業が蔑ろにされる風潮も感じさせる展開に音楽団員はどう立ち向かう。そしてヒロインの優芽は逃げていた自分とどう向き合う。そんな内容。面白い。

 セガがゲームセンター事業を売却だそうで、過去に大型施設のジョイポリスを売却してCAセガジョイポリスという会社の運営にしたこともあったから、ロケーション事業から手を引いている流れはあったものの、業務用ゲーム機を試す場として有効でもあっただけに今後どうするかが気に掛かるところ。家庭用ゲームやらソーシャルゲームが蔓延る中で、ロケーションはプライズとメダルさえあればオッケーってことになっているのかな、でもって新型コロナウイルス感染症の影響もあって客足が鈍るロケーションを抱え続けるリスクは高いと考えたかな。セガのゲーセンといえばナムコやタイトーのゲーセンとタメを這っていただけに、一角が崩れるのは残念。ひとつの時代がまた終わった。


【11月3日】 初SGだ。オートレーサーの森且行選手が川口オートレース場で開かれた日本選手権オートレースで見事に優勝。クラスとしてはSGで、なおかつ歴史も名もあるレースでのSGだから、名実ともにトップレーサーに輝いたといえる。もちろん今もS級のトップレーサーだけど、ずっとSGには縁が無かっただけにこれは嬉しい。おめでとう。そう心から言ってあげたくなる。SMAPを脱退してなりたかったオートレーサーになって20年。頑張り続けた結果だろうなあ。

 レース自体は振り返ればトップを走っていた鈴木圭一郎選手を追って森選手がずっと2番手を走っていたけれど、そこに荒尾選手が飛び込んで2位となって1着を鈴木選手と争う展開に。じりじりと話されてこれはもう終わりかと思ったところで荒尾選手と鈴木選手が接触したのか落車して、3番手の森選手が1番手に躍り出た。これを幸運と良い実力が無いのにと言う人もいるけれど、優勝決定のレースに進出するのがどれほど大変かを考えたらそれは言えないし、後続を走っていたのが中村雅人選手や高橋貢選手らSG常連のオートレーサーだっただけに、彼らを抑えてまずは2番手をとり、その後1番手に立っても抜かせなかったところはやっぱり凄い

 過去にもSGを制する機会はあったけれども決勝目前に落車したりしてそれまでずっとトップで来ていた流れが断ち切られたりしたようなことも確かあったっけ。それでも腐らず普段のレースでポイントを重ねて、数度はA級に落ちながらもだいたいがトップランクのS級で走り続けてきたことを見ても、今なおトップレーサーだって言って間違いはないだろう、絶対に。これで年末のスーパースターにも出場が決まったし、SGを重ねG1もG2もとって元SMAPだから持ち上げられているんじゃないのとかいった今も漂う無知な人の思い込みを粉砕してやって欲しいもの。期待してます。

 東京国際映画祭2020。一般も入れるEXシアターでP&I上映枠で「魔女見習いをさがして」を見る。そうかもう20年も前になるのか。1999年に始まって4年が経って終わって1年だけ「明日のナージャ」を挟んで、あとはずっとプリキュアシリーズという世代より前にいた「おジャ魔女どれみ」を見ていた世代が、「おじゃ魔女どれみ」から感じとった魔法を使える素晴らしさを、現実の世界でも出したいけれどもそこは現実、魔法なんてない中で帰国子女の吉月ミレは一流商社でフェアトレードの担当をしていたものの利益主義に傾く上司に逆らいとばされる。

 愛知県の教育大学に通う長瀬ソラは教育実習に出た先で発達障害の子と向き合いすぎて教師になることに自信を失っていて、そして尾道のお好み焼きやで働くフリーターの川谷レイカは絵の修復しになりたいと勉強はしているものの、音楽をやっているふりをしている男に貢いで分かれられないでいる。そんな3人のちょっとずつ世代が違っていても、ともに「おジャ魔女どれみ」のシリーズをみていて大ファンで、魔法玉を大事に持っていて、鎌倉にあるMAHO堂のモデルになった家を訪ねて偶然出会って意気投合する。

 そこから始まる3人がそれぞれに抱えた成長してからの悩み、魔法難手存在しない現実社会の懊悩をそれでも「おジャ魔女どれみ』で学んだ友達ずきあいだとか夢を見続ける楽しさなんかをよりどころにして乗り越えていこうとした先、それぞれが持っている”魔法”に気づいて歩き始めるというストーリーは大人たちにかける素晴らしい魔法。そんなアニメーションになっている。

 鎌倉から高山から奈良から京都から尾道から名古屋から全国を旅する展開はGoToアニメ。見ていて旅する楽しさを感じさせてくれるけど、現実の旅が難しい昨今を3人の楽しさに増えることで埋めることもできるみたい。そうしてとレイカを演じていた百田夏菜子さんも言っていた。デフォルメされたりする表情や仕草はもう本当に『おジャ魔女』的。佐藤順一監督ならではの作法が出ている感じで楽しめた。若い鎌谷悠監督は『おジャ魔女』世代なのかなあ。気になった。

 ソラ役の森川葵さんはおどおどとしたソラをしっかり演じていたし、レイカ役の百田夏菜子さんは尾道の方言を聞かせてくれてすずさんっぽかった。声もアニメにぴったり。そして松井玲奈さん。ちょっぴり大人のミレをもう完璧に演じきっていた。うまくなったなあ。そのあたりの世代がハマる年頃になったってことなのかも。あるいは声質がそうだったのかも。前はちょい無理かなって感じたこともあったけど、今なら推せる。ともあれすごく良い映画。13日公開なんでまた見に行こう。

 ストッキングのATSUGIがタイツの日ということでツイッター上にタイツ姿の女性や少女の画像を並べつつアピールしようとして炎上した件は、集めたイラスト類から男性がタイツなりストッキングをフェティッシュの対象に掲げ、それらを感じ取れるシチュエーションであり構図でありスタイルで描かれていたところから自分の疚しさが疼いたというあたりで、カウンターとなるタイツを着用する女性層の反発を得たことは想像に難くない。タイツであっても原宿のストリートファッションを集めた「FRUiTS」てきな画像が1枚もなかったからなあ。企画したのが女性だとか描いたのが女性だからといった声もあるけど、その上で決定権じゃは誰なのか、向かう先はどこだったのかは考えないといえいとけなさそう。リアクションメディアのどこかが追いかけるかな。見守りたい。


【11月2日】 川崎フロンターレの中村憲剛選手が今シーズン限りの引退を表明。175センチと決して大きくはない体格ながらも、先読みと視野の広さで相手を翻弄するプレーを見せて、フロンターレでも中心選手になっていながら2006年のジーコジャパンまで日本代表に選ばれることなく、そのまま過ぎ去っていくのかと思っていたら後任に入ったイビチャ・オシム監督が代表に抜擢しては遠藤保仁選手や阿部勇樹選手らとともに使い続けたことで、すっかり代表に定着してオシム監督が病気で退いた後の岡田ジャパンでも活躍を見せ、2010年のワールドカップ南アフリカ大会での日本代表でもしっかり出場を果たした。

 それから10年。40歳はサッカー選手としては三浦知良選手は別にすれば結構な高齢にあたるけれど、それでもしっかり活躍できる選手になったのはオシム監督下で考えて動きプレーすることを叩き込まれつつ、自身がやってきたことを認められ自信が芽生えたことが大きいんじゃなかろうか。遠藤選手もそうだし阿部選手も同様に、オシム選手が重用した選手たちが今なお走り続けているのはそれだけ、サッカーをプレイする楽しさを感じ獲ったからなんじゃなかろうか。とはいえいずれ限界は来る。その時が訪れてシューズを脱ぐ決断をした中村憲剛選手にお疲れ様でしたと労いの言葉を贈りたい。

 157億円とはまた凄い「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入。10日で107億円にも驚いたけれど、そこから7日間で50億円を積み足した訳で、半分に減ったと言えば言えるけれおども1週間で50億円は他の映画と比べても突出した数字。すぐに飽きられずに3週目の週末でもしっかり数字を作れるくらいに、観客に認知が広がっていたりリピーターが増えていたりするんだろう。すでに「崖の上のポニョ」を抜いて「風立ちぬ」も抜いてしまって、日本のアニメーション映画だと上には「もののけ姫」と「ハウルの動く城」と「君の名は。」と「千と千尋の神隠し」しか存在していないことになる。
B  「もののけ姫」が193億円だから先はまだちょっとあるけど、衰えないペースが今週も続けば週末を超えて40億円くらいを積み上げて、「もののけ姫」も「ハウル」も抜いて一気に200億円の大台に到達してくるかもしれない。逆に半減の法則で170億円180億円と伸び悩む可能性もないでもないけど、話題騒然な状況だけに落ち込むことはなさそう。クリスマスを超えるロングランに新作の発表なんかが重なれば、ブーストもかかって「君の名は。」を伺うところまで行くかも知れない。さてどうだろう。まったく予想はつかないんだよなあ。そこがまた楽しいんだけれど。

 昨日に続いて東京国際映画祭のP&I上映で見たフライングドッグ10周年記念映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」を観る。とてもキュンキュンと来る映画だった。映画祭での本上映もまだだから多くは語らないけれどもビビッドな色彩と鈴木英人かよと思わせるデザイン的な美術の中で繰り広げられるショッピングモールを舞台としたボーイ・ミーツ・ガールの物語は口下手な男の子とコンプレックスを抱えた女の子が俳句と配信という対極的な自己表現を行いつつ近づいて触れあってといった展開に心躍った。

 派手に見えて目には刺さらず牛尾憲輔さんの音楽は「映画 聲の形」のように淡々として心情を思わせながら響いて風景と展開にマッチしていた。新型コロナウイルスがなければ夏前に公開されて夏の映画として内容にもマッチしていたんだろうけれど、新型コロナウイルスがあったからこそマスクの苦労も分かる映画になっていた。というか登場人物の1人しかマスクしていないのって今のこの風景からはとてもかけ離れたものなんだなあと改めて気が付いた。誰もマスクをしていない風景って映画の中にしかこれからは登場しないんだろうか。それとも映画やドラマも誰もがマスクをしているように変わっていくんだろうか。ちょっと気になった。市川染五郎さんの17歳のシャイなチェリーくんの声はもうどはあまり。配信少女のスマイルを演じた杉咲花さんもばっちり。見て損なし。11月3日に見られる人は幸福だ。

 元より無茶なやり口だったから、説明しようにも説明できない状況から組織の悪口しか言えなくなっている日本学術会議に対する批判勢力。どこかの新聞が出しているオピニオン誌は日本学術会議なんてろくな奴がいねえ的なことを吹いていて、だったらその新聞ではもうこれから何かあっても学者にコメントなんか取るんじゃないぞと思ったり、総理大臣が「閉鎖的で既得権益になっている」と日本学術会議の新しいメンバーかあら6人を落としたことについて語ったことに、そうは言っても99人もの新会員を送り込んでいるんだからつまりは総理大臣が既得権益の王様ってことになるんじゃないかと思ったりした。配下は配下で学者を罵倒するような言葉を国会で吐きまくっていたりして、そりゃあこんな国から学者は出ていくさ。それで国賊呼ばわりされてはたまらんよなあ、国力を損なっているのは誰だっていうの。やれやれだ。


【11月1日】 ショーン・コネリーは「007 ロシアから愛を込めて」の文庫本が家にあった関係からジェームズ・ボンドのやっぱり筆頭として認識している感じがあって、映画を見始めた時期に全盛だったロジャー・ムーアもその後のティモシー・ダルトンやピアース・ブロスナンもどことなく違うイメージで見てしまっていた。というかロジャー・ムーア路線を引き継いでいる感じで、ニヒルだけれども甘い感じのショーン・コネリーとは一線を画していた気がする。

 もっともそんなショーン・コネリーのジェームズ・ボンドが一体となっていた目に飛び込んできた「未来惑星ザルドス」とか、「バンデットQ」のショーン・コネリーはひげ面のおっさんと化して紳士なスパイといった風体とはまるで違った印象。どうしたんだろうと思いつつもやがてそちらがショーン・コネリーといった印象が強まっていっては「薔薇の名前」の修道士や「インディ・ジョーンズ」シリーズでのハリソン・フォードの父親役で見せる老け役がぴたりハマってショーン・コネリーとはそういう役者だという印象にすり替わっていった。

 ロジャー・ムーアがボンドのイメージから脱却できずにいたのと大違い。それを見ているから今のダニエル・クレイグもそろそろ降りたがっているのかもしれない。あまりに強烈な当たり役をあまりに強力なキャラクターで得てしまうと後が辛いという一例。クリストファー・リーブのスーパーマンなんかもそんな感じだったのかもしれない。そんなショーン・コネリーが死去。映画館で最初に観たのは「幻魔大戦」と併映だった「バンデットQ」でのアガメムノン王役だったなあ。二本立てのおかげで削られハッピーエンドにされた「バンデットQ」の本当のエンディングは未だに知らず終い。これを機会に見直してみるか。日本語吹き替えは若山玄蔵さんがやっているんだろうか。

 社会批判で売ってるブロガーがツイッターでもって「アニメ『鬼滅の刃』が大ヒットした背景には、安倍晋三前首相の数々の不正しかり、菅義偉首相の憲法違反の不正しかり、一国の首相が平然と不正を繰り返しているのに、何ら処罰もされずにウヤムヤにされて行く不条理な現状への国民の苛立ち、勧善懲悪を求める庶民の怒りがある」って書いていて、子供はもうちょっと純粋に面白さを理由に見ているんじゃないかなあと思って、楽しむべきアニメを政治批判の材料にする捉え方にちょっと苛立った。

 そりゃあ自分だって昭和50年史で三島事件に触れたり、ニュースで連合赤軍やあさま山荘や連続企業爆破事件を見たり、「少年朝日年鑑」で公害とか同和とかに触れたり、ロッキード事件があったりした小学生時代に、雰囲気としての社会批判的なものは感じていた。そうした空気が自分のアニメを見る視線に乗り、アニメの作り手が作品に乗せる意識とクロスしていたことが、皆無だったとは言えないけれども、大人が語るようにアニメを社会批判から見ていたかというと、それはそれでこれはこれと楽しんでいたっけ。子供を舐めるなと言う大人は子供を理由にして大人の感情を正当化したいだけかもしれないから、子供がそうだと語ってくれるまでは与しないで距離を置こう。

 国際映画祭でプレスルームが存在しないという、何か恐ろしものの片鱗を味わいつつ東京国際映画祭2020アニメーション映画「どすこい すしずもう」を見る。あの白組のフル3DCGパワーで作られたショートアニメーション集。呼び出しによる取り組みの紹介から、おにぎりの観客をカメラがなめるところまではルーティンで、そこから各力士たちをピックアップして対戦させては、それぞれの特徴を生かした見せ場や取り口を描きつつ勝負を決める取り組みが延々と続くの。

 そりゃ毎週だとか毎日放送するアニメーションをまとめたものだから仕方がないのだけれど、まとめられるとだんだんとこんがらがってくるのだった。そうした中でとりあえず、たまごのさとに存在感があったのだ。強そうだけれど途中で必ずハプニングが起きるのだ。それでも気にせず取るのだった。良いのか? 良いのだ。なっとうまきのまめと、いかのしんの取り組みでは途中でイカ納豆ができるかと思ったら、そうはイカなかったのだった。合体はしないのだ。残念。たこのつぼの吸盤が何かしでかすのは予想がついたけれど、しらすまるのしらすたちがまさかそうくるとは思わなかった。

 3DCGはいかのしんとわさびぎょうじが接触したら、うっすらわさびの跡がいかのしんのいか部分にくっつくくらいに作りこまれていたのだ。ネタの質感をそれと感じさせつつも絵本テイストにとどめる塩梅が見事だった。なすびおやかたは声が津田健次郎さんだったのだ。どすこいだけどドスは効いてなかった。とりあえずおすしが食べたくはなるのだけれど、口に入れた時に砂がじゃりじゃりしてないかは気なった。映像では土俵の砂が力士たちにくっつくようにはまったく描かれていなかったにも関わらずだけれど、相撲で土俵に砂はつきものだと頭に刷り込まれているから仕方がない。そういうものだ。


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