縮刷版2020年10月下旬号


【10月31日】 高校生だった時に銃の乱射が起こって亡くなったアメリカの高校生を、CGで作ってAIか何かで音声も再現して、銃撃で大勢が今も無くなっている状況を憂いつつ、それを変えるために大統領選挙に行こうと呼びかけさせる映像が作られた。その仕草や口調なんかがきっとAIで本人の特徴を学習した上で再現されているんだろ思うけど、その思想まで再現されているとは限らないし、たぶんそうではないだろう。

 にも関わらず、誰かが勝手にその思想を作って大統領選挙に行こうと呼びかけさせるのは、亡くなった高校生に対する冒涜に他ならない。日本でも去年だったか紅白歌合戦で美空ひばりさんがAIで再現されて登場し、歌ったことに対してやりいろいろな声があがったけれど、半ば公的な存在となった美空さんがAIで甦って歌うことに対しては、それほど異論はなかったように思う。

 反発が出たのはその言葉を誰かが勝手に書いて、さも本人がそう思っているかのように喋らせたこと。過去の口調や思想を集めてぶち込んでAIに喋らせたところで、それはやっぱり本人の言葉ではない。誰かが自分の思想を美空さんに口を使って喋らせているだけだといった感情が、反発を招いた感じだった。AIで甦らされた高校生のメッセージも、それと同様に苦さがある。果たしてアメリカではどう受け止められているのか。やり過ぎだってことになっていて欲しいけれど。でないとフェイクな映像が出回って、さもありなんな言葉を吐かせて人を誘導するような世界になってしまうから。

 やれやれ。辛坊治郎さんがニッポン放送で「鬼滅の刃」の人気ぶりについて喋ったようだけれど、基本的なところを理解していない感じがあってもやもやした。アニメというのはテレビ局がスポンサーを募り集めたお金を制作費として渡して作ってもらうという、かつて主要だった仕組みを今も主流だと信じ込んでいる頭でもって、「鬼滅の刃」を「そういうテレビ局が何か仕掛けてというのとは違うグループに属する珍しいアニメなのですよ」と言っている。

 はははははははははのは。むしろ今はテレビ局がスポンサーなんて集めてくれないから、自分たちで出資者を集めてアニメを作ってはテレビの波を借りて放送し、広く宣伝をした上でいろいろな方法で回収する仕組みが中心になっている。「涼宮ハルヒの憂鬱」なんてテレビ局は一切噛んでなくってU局で展開して世の中に知ってもらおうとした。配信が発達した今はテレビはサブになって配信メインで視聴者から直接お金をもらっているような仕組みが主流になりつつある。

 そんな時代にあって、メディアの頂点の中心にいる人たちのアニメに対する認識が、30年も前のものだとうところにとうのがなかなかに興味深い。そういう考えで番組作りを行っているうちに、世間はユーチューバーの番組だとかライバーによるネットショッピングだとかがメインになってテレビは飛ばされ見られなくなっている。アニメもNetflixやソニーが食指を伸ばしているという話のクランチロールなど、配信系が台頭してまるで違ったビジネス構造を作り上げつつある。それにまるで気付かず調べましたと旧態依然の構造から、エヴァンゲリオンの製作委員会方式に少し踏み込んだ時代の認識を示す人たちが実験を握り続けるテレビの未来やいかに。

 ライトノベルについて考えていたら頭がぎゅうぎゅうになって来たので、息抜きにフクダ電子アリーナへと出向いてなでしこリーグのジェフユナイテッド市原・千葉レディースと、日テレ・東京ヴェルディベレーザとの試合を観に行く。振り返れば2002年の秋ぐらいに、当時はまだスタジアムだなんて使わせてもらえなかたL・リーグ時代のベレーザの試合を、ヴェルディの練習場がある読売ランドまで観に行った時の対戦相手がジェフレディースだったっけ。頂点にあるベレーザに対して弱小だったジェフレディースは6対0で敗れて散々だった。

 その当時を思うと相手から得点を奪うだけでなく、時には勝ったりもするんだからジェフレディースも進化した。試合はベレーザがミドルで1点を先取したのに続いて、ジェフレディースが大滝麻美選手のダイレクトボレーによって1点を返して同点になってと、きっ抗する展開を見せていた。途中からはジェフレディースが責め立てていた感じすらあったけれど、ここで追加点を奪えなかったのが後になって響いてきた。ベレーザが後半に2点を奪って差を広げる一方で、ジェフレディースはゴール前まで行きながらも浮かしたりして得点できず。1対3で敗れてしまった。

 奪われた先取点こそ山根恵里奈選手が半端に出た上を越されたけれど、あとはゴール前までベレーザの選手を入れてしまったところが問題。ベレーザは2人で挟み込んで奪うディフェンスを徹底してたところと比べると、守備でまだまだ及ばないところがある感じ。何しろベレーザは世代別の代表もいればフル代表のメンバーもいたりとそれなりに豪華。名前はまるで知らないけれどもそうした世代が台頭をしてレギュラーに入り始めている。対してジェフレディースで代表クラスは山根選手くらい。そうした差を埋めて1対3なら上々かというと、決して勝てない感じでもなかったから勿体ない気がした。そう思えるだけでも18年前とは大きな進歩。次の10年をかけて逆転して上回って欲しい。ヴェルディは時々J1に上がっているのにジェフ千葉はずっと上がってないだけに。


【10月30日】 ネット業界ではなくそっちだったか。ドワンゴが立ち上げて8番目にして序列3位のタイトル戦に一気に押し上げた将棋の棋戦、叡王戦からドワンゴが引くと発表し、どこが引き受けるのか注目されていた。中継して得するところだったらサイバーエージェント系のAbemaTVあたりが後援するのが理にかなっているなあと見ていたけれど、それだと強くなりすぎるから他のネット系ウェブ系が割って入るかなんて見ていたら、手を上げたのがお菓子の不二家だったから驚いた。

 何かメリットがあるとも思えない。ブランドとしては広く通って老舗の域だし、店舗やお菓子とコラボしたって売り上げが伸びるとも思えない。対局中に出すおやつを不二家に限定するとかあってありそうだけれど、それで棋士が喜ぶとも思えない。ましてや昼食夕食をミックスグリルやハンバーグステーキやパスタやピザに限定したら、嫌がって逃げ出す棋士だっているだおる。そういうコラボが不可能なのに、どうして参加したのか。他にSBI証券だとかひふみだとかも入っているけど、いずれも何かメリットがあるとも思えないからなあ。

 それをいうなら棋聖戦で冠スポンサーをやったり女流の棋戦に名乗りを上げたヒューリックだってメリットがあるとは思えないけれど、そこはメディアを通して名前が広がることに今も意味を感じているってことなんだろう。気になる序列は6位で竜王、名人、王位、王座、棋王に次ぐ位置。下には王将と棋聖があって、堂々の新聞社主催ながらも最下位に甘んじ続ける棋聖戦の行方がちょっと気になってきた。長く続けて来たし藤井聡太二冠がタイトルホルダーのうちは手放せないだろうけれど、むしろタイトルホルダーだからこそ高く売れると考えているかも。叡王とくっつけちゃうとかあったりして。叡聖とか? 永世叡聖ってちょっっと面白いかも。

 気になったのは、中継の主体がAbemaTVってところでニコニコではないところで、ドワンゴの手の引きっぷりが強く伺えて寂しさもつのる。ネットでの中継と将棋の相性を見いだし今のムーブメントを作るのに大きく貢献したプラットフォームだけれど、ここに来て大きく公開しているなあ。事情はあるんだろうけれど、押しかけるようなイメージでタイトル戦を立ち上げ、棋士の生活に大きく関わっておきながら、経営が傾くとサッと引くそのスタンスは、ビジネスとしては健康だけれど文化の保護という意味ではちょっと拙いかも。この傾向がKADOKAWA全体の社風に及ばないことを願う。それだと東所沢に10年後、ぺんぺん草が生えることになってしまうから。

 何かのための覚え書きから。原作でも話題だった「鬼滅の刃」がアニメになってどれだけ面白くなったのかを考えた時、刃が振り回されてキャラクターが走り回って切る映像の迫力はやっぱりアニメならでは。ストーリーはおおむね原作には沿っているけど、見せ方のテンポという意味でわりとサクサク進むマンガに比べて、アニメはじっくり見せるところはじっくりと見せてドラマティックさを増し、アクションは一気に畳みかけてスピード感やパワフルさで引き付ける。緩急がとれたなあという感じ。メリハリがあるってことになる。

 映画も前半の夢のシーンは淡々としてゆっくりと進んでそれぞれのキャラクターの事情を見せていく。登場したキャラクターの過去編を描いて説明をして戦いに戻す構成が多い『鬼滅の刃』のマンガの持ち味を、より強めた感じになっている。おかげで2度目の鑑賞では、展開を知っているのでちょっと睡魔に……。アクションの見せ場は善逸のカッコよさに尽きるかな。へたれで弱虫で騒いでばかりでうっとうしいキャラが、あの雷の呼吸壱の型、霹靂一閃を見せるシーンだけはシリアスでイケメンでグッとくる。そりゃあ禰豆子ちゃんだって惚れますよと。

 そうした技に重なる水なら水、雷なら雷、炎なら炎のエフェクトがキャラクター性を際立たせて場面に目をくぎ付けにさせる。そうした戦闘シーンがラストに畳みかけあれるんだから、子供だって寝てられません。トイレにだって行けません。エンディングに入ってようやく席を立つのも分かるし、それでなおかつ戻ってくるんだから子供どれだけ鬼滅好きなんだと。子供たちは分かりやすいストーリーの上で正義の味方が仲間を得ながら指導も得て成長し戦っていく内容が分かりやすくキャラクターを真似しやすい。アニメファンはufotableという会社が作ったのならこれは安心ブランドという確信と、オリジナルではなくストーリーを理解しやすいという点から見に行ったから、客層が広がったってことなのかな。とか考えた。

 日本学術会議批判から中国が展開する「千人計画」への批判なんかも湧きだしているけれど、そうした記事を読んで真っ先に感じられるのは、中国の研究環境は素晴らしく給与はそこそこでも研究費は潤沢で成果を出せば報酬が増える一方で、日本はとことん劣悪だってこと。たとえ才能も技術も持っていても定年後は無休で名前だけ置いておくような日本、優秀でも正規で雇わず非正規のオーバードクターとして気力を削り続ける日本にいるなら、定年を迎えた人でも若い人でも雇ってもらえてお金がもらえて成果を出せばもっともらえる中国に行くだろう、普通。そういう格差を憶測と曲解の言葉で繋いで中国を批判したところで、日本が良くなるとは思えない。指弾するべきは日本の体制なのに、中国のワルクチだけ書いていれば受ける層がいたりするんだよなあ、それこそ国に仇為す層にしか思えないなあ。やれやれ。


【10月29日】 何かのための覚え書きを朝からペキペキと叩き出す。「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」がいったいどくれあいの興行収入をあげるのかという関心について。新海誠監督の「君の名は。」が250億円に達した時にも驚きがあったけれど、でも「君の名は。」は20代から大人世代のマニアックなアニメファンが詰めかけて10億円に届くのがやっとのアニメ映画とは違って、中高生が何度も見に行く映画となって上乗せされ、大人も見に行くようになって爆発した。こうしたムーブメントが起こり、イベントとして見に行かざるを得ない映画となり得ていたたかというと、そうではなかった。

 「鬼滅の」は「週刊少年ジャンプ」に連載されたマンガが原作で、それでもアニメ化時点で確か250万部。マンガとしてはヒットしていても誰もが知っているという作品ではなかった。そしてテレビシリーズが放送されたものの時間帯は深夜。国民的というにはほど遠い状況だったにも関わらず、気が付くと誰もが知っているアニメになっていた。ここに至った経緯にはいろいろあったのだろう。同じ境遇にある「名探偵コナン」で93億円まで来たことで驚かれていたものの、長い時間、アニメを続けて見て来た子供が大人になって映画館に足を運ぶ映画になったという意味で、順当な成長だった。

 「ドラえもん」や「ポケモン」はさらに低い状況。だから、話題にはなっていても50億円くらいに到達できれば十分すぎるような気はしていた。週末3日間で47億円はだから異常事態だし、10日で100億円はさらに仰天。予想ができなかった。今となってはここまで広がると次に次にとお客さんが増えていくサイクルに入った。映画館に行けば小学生でも低学年から未就学児童が家族といっしょに見に来ている一方で、女性から大人からかけつけキャラクターに感情移入をしてみている。国民的というと意味合いが違うが、誰もが自分にかかわりのあるアニメだという風に感じるようになっている以上、少なくとも200億円はうかがえるようなポジションにはいると思う。

 テレビシリーズの放映という追い風もあるだけに、長編マンガの一部が切り出されているものだから行く気がないという人も、これで行ってみようかという気になって年明けまでのロングランとなり、伸びていくのではないだろうか。ヒットしたからヒットした、皆が見ているから見に行くというトートロジーの状況にあることは確かだが、そうした状況を支える上であらゆることが理由になっている。原作の面白さとテレビアニメのカッコよさが重なった状態で見に行かざるを得ないと思うようになったこと、単行本として映像化されてきた流れの上で、このエピソードがアニメ化されたのならどれだけすごいことになっているのかを確かめたいという気持ちが生まれていることは確かだ。

 とかいった話をどこかで喋った。自分クラスだとそこいらあたりがせいぜいで、メジャーな媒体で喋るなんてことはないから、手前勝手な考えが世間に伝わり異論を招いてぶったたかれることはないだろう。寂しいけれども安眠にはこれくらいでちょうどいい。安眠といえば「魔王城でおやすみ」をアニメで見始めたらこれがまたユニークというか、さらわれた姫が魔王の城でどれだけ快適に寝るかを追求するだけという内容で、最初は枕を手作りするところから始めて、シーツを手に入れかやもつくり騒音を遮断してといった目的のために、魔族の体を奪い取り角をひきよせ棺桶を磨きといった具合に傍若無人を繰り広げる。死んでも生き返らせてもらえるから何でもありのその振る舞いが、たどりついて得られる安眠はどれだけ心地よいのか。体験したいなあ、あの枕。

 アニメ版「ヒプノシスマイク−Division Rap Battle−」をNetflixでようやく見て、感じたのが「アイドルマスター XENOGLOSSIA感。分かるかなあこの感じ。ステージで繰り広げる「ヒプノシスマイク」は、特定のシチュエーションを帯びてのキャラクター性を乗せたラップバトルの、2.5次元的な現実と虚構とが入り交じった存在感に惹かれるところがあった。アニメだと完全な虚構に陥って、ステージのクールさが頓狂なクレイジーさに変わって不思議な思いを抱いた。このギャップは、アイマスというゲームを知らずに見た「XENOGLOSSIA」が自分には面白かったけれど、アイドルを育成して送り出すゲーム本来の持ち味とはまるで違う面白さであることに気付いて抱いたものと方向は逆だけれど同じ感じなのだった。つまりは傑作ってことかアニメ版。見続けよう。


【10月28日】 ドン・キホーテで売り出された「仕事猫」のフーデットパーカーが被ろうにも首のところで頭が入らず着られないといった声を、買った人から聞いていてとりわけ頭が大きいだけなのか、それともやっぱり首周りが小さすぎるのか、気になっていたらツイッターに「仕事猫」のパーカーに頭が通るようにするために、逆さにして首のところに頭を突っ込み広げようとしているイラストが投稿されていて、やっぱり全体的に小さかったんだなあと分かった。それで伸びて着られるようになるものかというと、伸びてみっともなくなる可能性が高いけれど、ネタになるならそれでも買っても面白いかと近所にあるドン・キホーテ行ったら売ってなかった。残念。

 31日にあるなでしこリーグのジェフユナイテッド市原・千葉レディースと日テレ・ベレーザの試合とか、定員が決まっている今のスタジアム事情では当日券で入れなくなる可能性なんかもあるかもしれないと、前売り券を買って振り込みに行こうとローソンを探したら1番近いところにあった店舗が消えていた。船橋あたりだとサークルK・サンクスがファミリーマートに変わった上にセブンイレブンがやたらと増える一方で、元々のファミリーマートが幅を利かせていることもあって元々ローソンが少なかったけれど、そこから1店舗消えてしまってどこに行けばと検索して、とりあえず千葉街道沿いに見つけて歩いてチケットを買いに行く。入ると「鬼滅の刃」コラボがいっぱい。今いちばん賑わって良いコンビニなのに、店舗網で損をしているなあ。それとも船橋だけの事情なのか。謎肉。

 自分の言葉なんてものもなければ、自分の思想なんてものもまるで感じられない菅義偉総理大臣が国会での所信表明演説に続いて代表質問に登場して、例の日本学術会議の問題について法律的な問題について答えることなく、ひたすらに組織の問題をあげつらうような答弁に終始して前に進む感じがまったく見えない。曰く「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りがみられることを踏まえ、多様性が大事だということも念頭に、任命権者として判断した」とのこと。自分で判断したのなら、99人分しか名簿を見てないって話は嘘じゃないかってことになるけれど、その時の話を撤回する気はなさそうで、公務員の任命権云々から自分の判断で行ったという答弁に終止。その根拠については人事のことだからと逃げて答えない態度を取り続けることで、膠着状態からだんだんと他に関心が向かっていくのを狙っているのだろう。それが許されてしまうこの国の言論状況。流言暴言の類でも自分の言葉で相手を誹るトランプ大統領の方が余程人間っぽいよなあ。

 巨大なスキードームの「ザウス」が消え去り、船橋オートレース場も閉鎖となって幾年月、巨大な家具屋のIKEAだけが残っていた南船橋の土地に新しくスケートリンクがオープンすることになったそうで、12月から滑りに行けるならちょっといって見たい気がしてる。大昔に西大須のスケートリンクですべってから、かれこれ40年はスケートなんてしておらずリンクに立てばひっくり返って頭を打ちそうな気がするけれど、統べるだけで内ももが絞られ背筋も鍛えられそうなスケートだけに、太り気味の体を絞るためにも何度か通ってみたい気がしてる。とはいえ場所が場所だけに亡くなられた女性オートレーサーの坂井宏朱さんのことは深く思って滑りたい。恒久的な施設なのかなあ。何月まで滑っていられるのかなあ。スピードとフィギュアのどっちがメインなのかなあ。気になります。

 気がついたら将棋の奨励会三段リーグが始まっていて、女性でプロ棋士四段を目指す西山朋佳三段と、中七海三段の2人ははともに1勝1敗のスタートだった。33人いて連勝が8人で連敗が8人ということで、17人が同じ1勝1敗にひしめきながらもう負けずに上位にしがみつこうとしている中で、2人は果たしてどのようなリーグを戦っていくことになるのだろう。次が連勝できれば8人の連勝から幾人かが脱落して上位に並べる可能性もないでもない。西山三段は次点を1つとっているから、3番以内に入ればフリークラスでもプロ棋士4段になれるから、是非に頑張って欲しいところ。綾崎隼さんの「盤上に君はもういない」に倣えばダークホースからの巻き返しもあるから中三段にもまだまだ可能性はあって欲しい。何しろ奨励会三段はアマチュアでも最高峰の強さを持った人たちが集う場所。そこにいられるのならそこから上にだって行けるはずだと信じて待とう、その時を。


【10月27日】 医師で作家といえば日本では森鴎外=森林太郎が思い出されるけれど、『舞姫』は駐在武官としてドイツに留学していた時の経験を書いたもので、医師としての知見が入った作品となると果たしてどれかあっただろうか、というくらいに作家の顔と医師の顔が離れている。むしろ漫画家の手塚治虫の方が、医師としての知見をいかんなく発揮した『ブラックジャック』が代表作になっているし、難病の問題を公害と絡めて描いた『きりひと賛歌』に、社会派の医療ミステリ的なニュアンスが感じられる。

 ミステリだったらシャーロック・ホームズのシリーズを書いたアーサー・コナン・ドイルが医師でもあるが、ホームズのシリーズで医師は探偵ではなく助手のワトソンで、治療にその腕前を振るうこてゃあっても知見で事件を解決に導くようなことはあったか。いずれにしても医療ミステリというにはちょっと遠いかも知れない。精神科医の北杜夫の作品に治験がいかされているのは「どくとるマンボウ」が登場する随筆の類。ひとつ、『どくとるマンボウ最後の名推理』というミステリがあるようで、お馴染みの北杜夫ことマンボウ氏がどんな推理を見せているかがとても気になる。

 医師である経歴を活かした作品として近年、人気になったのが2005年に第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞して2006年に『チーム・バチスタの栄光』でデビューした海堂尊や、2020年の本屋大賞に『無限のi』がノミネートされた知念実希人。いずれも医療機関として医師として活動する主人公たちが、医療に関連して起こる事件の謎を解決するといったストーリーで、白い巨塔だった医療の世界で命を救おうと懸命に働く医師たちを描き、医療に関するプロフェッショナルな知見をもたらしてくれている。

 知念実希人にはあの「涼宮ハルヒの憂鬱」で知られるイラストレーターのいとうのいぢが表紙絵を寄せてキャラクターを描いた「天久鷹央の推理カルテ」シリーズがあって、脅威的な記憶力や計算力、知能を持ち医師として活動しつつ、病院に持ちこまれる不思議な事件を解決していくストーリーが繰り出される。語り手は助手のようにつく内科医の小鳥遊優で、コミュニケーションに難がある鷹央の面倒を見つつ巻き込まれながらいっしょに病院の謎に挑む。そんな医師による医療機関が舞台のライトミステリーとして、津田彷徨の『ゴミ箱診療科のミステリー・カルテ』は読んでいける感じかと何科の覚え書き。

 やっぱり驚いた津田健次郎さんが声を担当する「極主夫道」のNetflixでのアニメーション化。すでに新潮社から出ているコミックをPRする映像で、津田さんが役者として登場しては、最凶のヤクザとして恐れられながら今はすっかり主夫をしている「不死身の龍」をばっちりと演じてこれなら実写も行けると思っていたら、ドラマ化が発表されてそっちは玉木宏さんに持って行かれてしまった。玉木さんも端正な中に狂気を秘めていて役にマッチしているから異論はないけど、津田さんの立場はどうなるかと嘆いていたらしっかりアニメでの主演が決まってた。これはもう観るしかない。1回くらいは実写として登場したら愉快かも。ってか半分は実写にするとか。それだとドラマと食い合うか。悩む。

 「テルマエ・ロマエ」のリブートは過去に映画化はあってアニメ化もあったけれど、フラッシュアニメっぽい作りだったこともあってちょっと違っていたこともあって、今回あらためて実現したのかも。とはいえストーリーはすでに使われ尽くしているから、リブート版「テルマエ・ロマエ・ノヴァエ」ではヤマザキマリさんが新しいストーリーを書き加えることもあるとか。完結している話ではあるけれど、続きが描かれるのか隙間にぶっ込まれるのか。元よりユニークな展開の中にローマと日本の文化を紹介する漫画だから、いろいろエピソードは入れられそう。それがNetflixを通して世界に出て行く。分かるのか? 分かるんだろうなあ世界はのび太の畳みの部屋だてしっかり理解している訳だし。

 名簿は見ていないから誰が拒否られたか知らないといっていた菅義偉総理が今度は、だいたいが東大が(とは言ってないけど特定の大学が)大過ぎるんじゃないかと文句を付けたらしい日本学術会議の会員拒否問題。もっと広い大学から会員を募れ、大学によらず民間からも入れろ、若手だって登用しろとか言ったそうだけれど、そもそもが業績を極めて名を遂げた人たちが集うアカデミーな訳で、そこに優秀な大学が多く入るのは当然だし、業績のない若手が登用される余地もない。民間だったらあり得るけれど、出身母体を観たら東大京大旧帝大がズラリなんてこともありそう。そういう状況を無視して広げろとか言って、本質の法律違反は煙に巻こうとする態度を世間は見逃すか? 見逃すんだよなあ、もうどうでも良い感がだんだんと出て来ている。前政権から続くぐだぐだ戦略。日本という国もぐだづがの中にすり減っていずれ雲散霧消、と。やれやれだ。


【10月26日】 カンテレこと関西テレビで10月24日の土曜日午後7時から放送された「鬼滅の刃」のアニメーションが何と視聴率で15.1%もとってしまったとか。アニメでおまけに再放送でこれだけの数字とは誰もが吃驚。というか普通にバラエティを放送したって今時これだけの数字はとれないし、プライムタイムのトレンディドラマだって10%に達したらもう大ヒットの類。そうした状況下でアニメのそれも途中の話数を再放送して15%もとってしまっては、普通の番組を作っている人たちも何だこりゃって思いそう。というか経営者がこれだったら番組製作にお金をかけるよりも人気アニメを引っ張って来たら良いんじゃないかと思ってしまいそう。

 でもそれは新しアニメに投資するってことじゃないから未来の大ヒットは生まれてこないというジレンマ。難しい時代になったなあ。というか元々は関西で読売テレビが普通に深夜帯に放送していた「鬼滅の刃」をどうしてカンテレに持って行かれたのかって言われそう。そういう契約での放送だったから仕方が無いとはいえ、早くに手を打てばどにかなったかというとそこはフジテレビが取りにいってネットでカンテレが放送できたのであって、日本テレビが取りに行かなかったことの方が攻められそう。ここで食い込んでおけば「名探偵コナン」に続くドル箱を手に入れられたかもしれないのに。どう巻き返す? テレビシリーズ2期の座組が今から気になる。

 そんな人気を大いに受けて「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入が10日間で107億円の興行収入を上げたとか。わずか10日での100億円突破はもちろん日本の映画史上最速で、新海誠監督の最新作「天気の子」が34日間で達成した数字を3分の1以下で成し遂げてしまった。その「天気の子」は141億円だから、射程圏内に入ったと言えそう。目先では宮崎駿監督の「風立ちぬ」が120億円で上にあるけど、これはあっさりと抜き去って、「天気の子」から155億円の「崖の上のポニョ」あたりをうかがって「もののけ姫」「ハウルの動く城」といったあたりにどこまで迫るかが数字的な注目ポイントになるのかな。

 初速はあってもテレビシリーズであること、親子連れで子供が観に来る映画ではあってもティーンから大人が何度も繰り返し観に行くタイプではなさそうなことを考えると、3週目から半減を続けていくのが興行のパターンではあるけれど、こうした評判を聞いてアニメだからと観に行かない層が動き始めると話は違って来る。自分たちにも関係のあるものだと意識するとしたら、内容よりはヒットしているというシチュエーションで、乗り遅れまいとする人たちによってヒットがヒットを呼ぶようになった時、もはやマーケティングでは計れない領域に達する。それは「千と千尋の神隠し」とも違った現象。果たしてどうなるか。そしてどこまで行くか。見守りたい。

 こうなるとやはり話が出てくる実写版「鬼滅の刃」の登場で、菅田将暉さんだとか佐藤健さんといった当りが竈門炭治郎役で上がっていたりするけれど、それじゃあただの青春アクションになってしまう。アニメのようなど派手な展開を描くには、ど派手な監督が良いってことでやっぱりここは北村龍平監督によって映画化を望みたいところ。キャストは竃門炭治郎が小栗旬さんで竃門禰豆子は芦田愛菜あんで我妻善逸は玉山鉄二さんで嘴平伊之助は綾野剛さんで鬼舞辻無惨は黒木メイサさんと、実写版「ルパン三世」のキャストで並べてみたいところ。

 もちろん北村組から冨岡義勇に榊英雄さん、不死川実弥に坂口拓さん、宇随天元に松田賢二さんと「VERSUS」からのメンバーを並べ、こちらも縁が深い北村一輝さんを煉獄杏寿郎にあてればもう迫力満点の柱たちが出来上がりそう。悲鳴嶼行冥はドン・フライ? いや「ゴジラ FINAL WARS」での存在感が光ったんで。「あずみ」からの縁で胡蝶しのぶは上戸あやさんでもいいかなあ、とまあ、いろいろいったところでさすがにこのメンバーでは10年前ならいざしらず、今だとちょっと年齢が上がりすぎか。いやいやアメリカだったらここかららが本番とも言えるから、ハリウッド狙いでこのメンバーで行ってくれたら楽しいかも。期待したい。大いに。

 「HIRUKO」に続く飯田将茂監督のドーム映像「double」をさいたま国際芸術祭2020で観た。これから観る人のために詳細には触れないでおくけれど、激流にまみれた先、原初舞踏家にして押井守監督のお姉さんという最上和子さんと、井桁裕子さんが最上さんをモデルに作ったという球体関節人形とが触れて操り操られて混じり合うような映像に、心を吸い込まれてしまった。まさにdouble=ダブルといった映像。それらの意味についてはまだ深く考えはいないけれど、演じた最上さんが球体人形に触れて自分が支配しているように感じたのか、それとも人形がどう動きたいかを感じて体が動いたのか、その関係がちょっと知りたい。どこかでティーチインとかあったらまた行こう。


【10月25日】 大魔王こと及川徹の声を演じているから剽軽な人とは限らないのが声優の人たちで、津田彷徨さんによる「ゴミ箱診療科のミステリー・カルテ」(一一八〇円/星海社FICTIONS)では何とイラストではなく写真によって浪川さんが登場しては、作中で探偵役となる三神宗一郎という医師になりきってみせている。理由は不明。まずはボイスドラマからの展開でも予定しているのか、それともPVが作られてナレーションを務めてでもいるのか。分からないけどそんな浪川さんが及川徹というよりは、「鬼滅の刃」の鋼鐡塚みたいに、いざとなったら超シリアスだけど普段は自由奔放な声で演じたら、そのまま三神宗一郎になりそうな気がする。そんなキャラクター。

 たとえば部屋でドミノ倒しを遊び始めて、入室してきた若手医師の柊が倒してしまったのを怒鳴りつけては尚させる。姪にあたるらしい研修医の女性は恫喝にも懇願にも応じずさっさと片付けようとするか、柊におしつけようとするけれど、だからとってやめようとはしないで2人を巻き込んでドミノを並べ続けるから相当な胆力の持ち主か、それとも別に何か企んでいるのか。どうやら後者。港市立医療センターなる勤務先にあってゴミ箱診療科と陰口をたたかれる総合内科の部長室に陣取っては、電子カルテを見たりニュースを見たりしながら病院と世界で起こる出来事に目を光らせ、降りかかる火の粉に前もっていろいろと対策を立てていたりする。

 夜勤で柊が担当した患者の中から例えば母親といっしょにやってきた女子高生が、口頭で話した症状から感じられた所見とは違った可能性を見いだして、何かあるかもしれないと告げておいたり、腸閉塞が懸念される患者に別の病気かもしれないから改めるようにと忠告してのける。このうちの1件は後に大きな意味を持ってくるからさすがなものだけれど、そうした有能さは普段はあまり出さないまま、飄々と病院内を動き回ってはアルコール禁止のはずの患者達を集め、酒盛りをしていたりする。いったい何なんだ。それにもちゃんと理由があるから大丈夫。そこまで考え動く三神がひとつ、気にしていたのが新型コロナウイルス感染症だった。

 とはいえ、まだ世界にも広がっておらず風邪のようなものと思われていた新型コロナウイルス感染症が病例として持ちこまれそれを鮮やかに解決してのけるような展開にはならない。持ちこまれるのは病院内で奇妙な声が聞こえるといった幽霊騒動であったり、保管してあったマスクが紛失してしまったりといったとるにたらない事件。三神はどちらも解決しては、問題が起こった原因にもなった病院内のWi−fi環境整備を訴え、消えてしまったマスクの代わりを補充しつつ消えたマスクまでも見つけて過剰な在庫を抱えさせる。さらに柊に降りかかった誤診の嫌疑をあっさり晴らしてのける。

 そこまででも確かにミステリー。安楽椅子ならぬ部長室にこもって状況と情報から病院内の問題を解決してしまうけれど、凄いのはた先、襲ってきた新型コロナウイルス騒動の中で、知らずしっかりとアドバンテージを得てしまっていた。どうやって。そしてどうして。それも安楽椅子探偵の凄いところ。情報を先読みし状況を考え抜いた上で必要な対策を講じるために、何が必要かを考えて動き根回しをし誘導までしてのけたその才覚が、日本の政府にいたらと思いたくなる。いやまだ騒動は収まっていない。来る世界的な第2波に向けて政府は三神宗一郎のような先読みと対策のプロフェッショナルを見いだし役職に据えるのだ。三神が本当にいたらとっくにその場に座っているかもしれないなあ。

 なんというか。たとえ刑事告発をした相手が書類送検をされたとしても、逮捕されていない人を容疑者だとは呼ばないことはマスコミにいた人なら知っていると思ったけれど、いろいろと取り沙汰されて政治評論の最前線から外された人が、その要因となったジャーナリスト志望の女性との関係で自分への誹謗中傷があったからと訴え出て、その告訴が受理され送検されたからといって、容疑者と呼べと訴えているところがどうにも寂しくうつってしまう。

 訴えている場所もライティな主義主張で知られる人物を、プロデュースしていると思われる媒体だったりするからなおのこと、訴える言葉に色がついて見えてしまう。政治評論の人なら一時の失墜は被っても、評論で取り返せばいいのに。いろいろあっても経済学者は官邸の補佐官に復活を遂げた訳だから。そういう意味ではしでかした内容に色をつけ、非難を続ける社会もちょっと面倒か。疑いが一応は晴らされていたにもかかわらず、非難を浴びせ続けている訳だから。刻まれて血を流し続けるスティグマを消す統べはあるのだろうか。組織に所属したまましばらく冷や飯を食いつつ復帰を狙った方が良かったのか。考え中。


【10月24日】 大阪でビルの上から転落した男子がぶつかって下に居た女性が重体となり、死亡したという報にぶつけられた側の不運さが悲しく、転落した側のそこに至った状況が分からないまでも寂しくて、だんだんと寒さが増すこの時期に心が痛む。いずれにも立たれたこれまでの生というものがあって、続いていたらいったい何が得られたのかを考えた時、我が身に当ててこれからどうしていくべきかがいろいろと浮かぶ。とりあえず今日を精いっぱいに生きなくちゃと思う。巻き込んでしまった側に対して思うことはあるけれど、それを言っても取り返しはつかないのなら同じ事態を引き起こさない、そのことを願ってやまない。

 広告を出したのが日経と読売と産経だけで、朝日や毎日や東京・中日は避けたところに届けたいところに出す側の腰が及んだのか、相手が断ったのかいろいろと想像が浮かぶ。部数が激減していて明日をもしれない最小規模の全国紙にとっては干天の慈雨とも言える国家基本問題研究所の日本学術会議に関する意見広告の出稿だったようで、1面のコラムでそのことをしっかり紹介している。スポンサーの意見にのっちゃう編集のスタンスに、金で動くのかお前はダンボーかといった声もあがりそうだけれど、元から同じスタンスだからこそ載った意見広告だとも言えるから、どっちが先ってことでもないんだろう。中身の正しさは別として。

 というか、自分のサイトに書いた日本学術会議が乗り込んでいって北海道大学の防衛省絡みの研究をやめさせたなんてデマを否定され、撤回した国家基本問題研究所がそれでもしつこく日本学術会議を批判し続ける、それもお金をかけて意見広告まで出す意味ってのが分からない。国の政策として外交方針はこうあるべきだとか、経済政策はこうあるべきだといった大所高所からの意見を提言するのが、国家の基本問題を研究する公益財団法人としてあるべき姿のような気がするし、恰好もつく気がする。大学で軍事関連の研究はしないでおこうといった取り決めを行っている日本学術会議が、国家の戦略を縛っているという考えなのかもしれないけれど、全ての大学が従っている訳ではないし、大学が軍事研究に携わらなければ世界に追いつけない状況に日本の企業があるっていうのもちょっと怖い。

 まあ、三菱が全勢力を傾けて作っていた国産旅客機の元MRJが計画凍結となったよに、世界に誇るべき日本の技術が実は結構衰退している状況で、大学が頑張らないとさらに落ち込む可能性もあるから必死になるのも分かる。とはいえ、天下国家を語って格好を付けるシンクタンクが取り扱うには些末な話を、それでも前面に掲げて追求するのはそれが目下、政権にとって最重要の問題として取り沙汰されているからだろう。そこで援護射撃を行う意味での反学術会議の意見を言うことで、何か良いことがあったりするのだろうか。そうやって得た良いことが、意見広告を通じてメディアに回るとうのもまた、いろいろとヤバい事態なのかもしれない。

 日本学術会議については、「日本弁護士協会再建準備会」だなんて、弁護士の人もあまり聞いたことがないという団体が、民間団体にすべきだと提言したそうだけれどそれのことを報じた朝日新聞が、団体名をどちらかといえば新しい歴史教科書を作る会として取りあげていたところに、いろいろと見えて来るものがある。なるほど準備会の世話人は新しい歴史教科書を作る会の会長で、メンバーも重なっているのか会見写真に教科書系で見かける人がいたりする。そういった見る人が見れば通底するものを感じ取れる集団が、それでも名前を変えて政権に味方するような動きをするところに今の政権の、ゾクッとする肌触りが感じられてならない。どこに言ってしまうのか。何をしでかそうとしているのか。周囲に持ち上げられて良いように利用されていただけの前の総理とは違う怖さが漂う。

 震えてばかりもいられないので、イオンシネマ幕張新都心のULTIRAで「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を見る。2度目。1席空けて満席となった劇場は、未就学とまではいかないけれども小学校の低学年がいっぱいいて、それで分かる話かというと分かるからこそ来ていたんだろう。上映の間中、飽きた雰囲気を見せることもなく前のめりでスクリーンに見入っていたから。個人的な印象としてはやっぱり前半、夢の部分はテンポがスローで自分も夢に誘われそうになたtけれど、目覚めて鬼との戦いに移ってからはアクションの連続で眠らせず、飽きさせない。

 パワフルでスピーディーな動きをしっかり描きつつ、メリハリをきかせて感情の起伏もしっかりとらえてあってスクリーンの中の登場人物の呼吸に沿うような気分で見て行けた。剣を振るう場面ではいっしょに振るい技名を叫び、息を整える場面ではいっしょに息をするような感じ。動きとは別に音響もしっかり考えられていて、息をする場面では息づかいがしっかり聞こえてさあ、ここから一気に立ち向かうといった気分にさせてくれる。すべてにおいて完璧に作り込まれた映画だからこそ、完璧な映像と音響を提供できる映画館で観たいもの。最初にIMAXレーザーで見て、そしてULTIRAで見たから次は立川シネマシティの極音か。新しい特典が追加されるような見に行きたい。


【10月24日】 大阪でビルの上から転落した男子がぶつかって下に居た女性が重体となり、死亡したという報にぶつけられた側の不運さが悲しく、転落した側のそこに至った状況が分からないまでも寂しくて、だんだんと寒さが増すこの時期に心が痛む。いずれにも立たれたこれまでの生というものがあって、続いていたらいったい何が得られたのかを考えた時、我が身に当ててこれからどうしていくべきかがいろいろと浮かぶ。とりあえず今日を精いっぱいに生きなくちゃと思う。巻き込んでしまった側に対して思うことはあるけれど、それを言っても取り返しはつかないのなら同じ事態を引き起こさない、そのことを願ってやまない。

 広告を出したのが日経と読売と産経だけで、朝日や毎日や東京・中日は避けたところに届けたいところに出す側の腰が及んだのか、相手が断ったのかいろいろと想像が浮かぶ。部数が激減していて明日をもしれない最小規模の全国紙にとっては干天の慈雨とも言える国家基本問題研究所の日本学術会議に関する意見広告の出稿だったようで、1面のコラムでそのことをしっかり紹介している。スポンサーの意見にのっちゃう編集のスタンスに、金で動くのかお前はダンボーかといった声もあがりそうだけれど、元から同じスタンスだからこそ載った意見広告だとも言えるから、どっちが先ってことでもないんだろう。中身の正しさは別として。

 というか、自分のサイトに書いた日本学術会議が乗り込んでいって北海道大学の防衛省絡みの研究をやめさせたなんてデマを否定され、撤回した国家基本問題研究所がそれでもしつこく日本学術会議を批判し続ける、それもお金をかけて意見広告まで出す意味ってのが分からない。国の政策として外交方針はこうあるべきだとか、経済政策はこうあるべきだといった大所高所からの意見を提言するのが、国家の基本問題を研究する公益財団法人としてあるべき姿のような気がするし、恰好もつく気がする。大学で軍事関連の研究はしないでおこうといった取り決めを行っている日本学術会議が、国家の戦略を縛っているという考えなのかもしれないけれど、全ての大学が従っている訳ではないし、大学が軍事研究に携わらなければ世界に追いつけない状況に日本の企業があるっていうのもちょっと怖い。

 まあ、三菱が全勢力を傾けて作っていた国産旅客機の元MRJが計画凍結となったよに、世界に誇るべき日本の技術が実は結構衰退している状況で、大学が頑張らないとさらに落ち込む可能性もあるから必死になるのも分かる。とはいえ、天下国家を語って格好を付けるシンクタンクが取り扱うには些末な話を、それでも前面に掲げて追求するのはそれが目下、政権にとって最重要の問題として取り沙汰されているからだろう。そこで援護射撃を行う意味での反学術会議の意見を言うことで、何か良いことがあったりするのだろうか。そうやって得た良いことが、意見広告を通じてメディアに回るとうのもまた、いろいろとヤバい事態なのかもしれない。

 日本学術会議については、「日本弁護士協会再建準備会」だなんて、弁護士の人もあまり聞いたことがないという団体が、民間団体にすべきだと提言したそうだけれどそれのことを報じた朝日新聞が、団体名をどちらかといえば新しい歴史教科書を作る会として取りあげていたところに、いろいろと見えて来るものがある。なるほど準備会の世話人は新しい歴史教科書を作る会の会長で、メンバーも重なっているのか会見写真に教科書系で見かける人がいたりする。そういった見る人が見れば通底するものを感じ取れる集団が、それでも名前を変えて政権に味方するような動きをするところに今の政権の、ゾクッとする肌触りが感じられてならない。どこに言ってしまうのか。何をしでかそうとしているのか。周囲に持ち上げられて良いように利用されていただけの前の総理とは違う怖さが漂う。

 震えてばかりもいられないので、イオンシネマ幕張新都心のULTIRAで「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を見る。2度目。1席空けて満席となった劇場は、未就学とまではいかないけれども小学校の低学年がいっぱいいて、それで分かる話かというと分かるからこそ来ていたんだろう。上映の間中、飽きた雰囲気を見せることもなく前のめりでスクリーンに見入っていたから。個人的な印象としてはやっぱり前半、夢の部分はテンポがスローで自分も夢に誘われそうになたtけれど、目覚めて鬼との戦いに移ってからはアクションの連続で眠らせず、飽きさせない。

 パワフルでスピーディーな動きをしっかり描きつつ、メリハリをきかせて感情の起伏もしっかりとらえてあってスクリーンの中の登場人物の呼吸に沿うような気分で見て行けた。剣を振るう場面ではいっしょに振るい技名を叫び、息を整える場面ではいっしょに息をするような感じ。動きとは別に音響もしっかり考えられていて、息をする場面では息づかいがしっかり聞こえてさあ、ここから一気に立ち向かうといった気分にさせてくれる。すべてにおいて完璧に作り込まれた映画だからこそ、完璧な映像と音響を提供できる映画館で観たいもの。最初にIMAXレーザーで見て、そしてULTIRAで見たから次は立川シネマシティの極音か。新しい特典が追加されるような見に行きたい。


【10月23日】 三鷹で約20箱分のカット袋を出したり撮ったり戻したりしたら指の力が抜けてきたので切り上げる。「どうにかなる日々」を見て帰ろう。pg2だからきっと首とか飛んだり内蔵とか散らばったりするんだ。絶対そうだ。なんて想像を抱いて新宿バルト9で「どうにかなる日々」。志村貴子さんが描くちょっぴりエロティックな短編のオムニバスから4編を選んで、「あさがおと加瀬さん」の佐藤卓哉監督がアニメーション映画化した。

 元の漫画からしてから肩の力が抜けた展開の中で、出会った女性たちだとか男性たちだとか幼なじみの少年と少女だとかが引きずる恋情にもやもやし、浮かぶ情動にじんじんとしながらも表面上は取り繕って平穏無事に毎日を、過ごしていく感じが見ていてこのご時世に心をとてもほっこりさせるストーリー。それが、アニメーションという動きを得て声もついた中で、ちょぴりの肉感を得たものの俳優さんが演じるドラマほどの生々しさに至らないところは、絵で描かれるアニメーションならではの効果だろう。漫画の持っている、説明を抑えて状況にいきなり引きずり込んでは、戸惑いの気持ちにさせていっしょに考えさせる。そんな映画になっている。

 百合という少女に告白されて高校時代をいっしょに過ごしたえっっちゃんと、卒業した学校でたぶんいっしょになって付き合っていただろうあやさんが、そんな日々などなかったかのように結婚すると行ってきた百合の結婚式で出会って始まる新しい関係。百合への憎まれ口をたたきながらも未だ引きずる思いの行き場を、お互いに求めるような関係が微妙に揺れつつもだんだんと近づいていくようで面白い。「えっちゃんとあやさん」。

 卒業していく生徒たちに教室で卒業証書を手渡す、情緒のへったくれもない卒業式が終わって下校していったはずなのに、職員室へと戻ってきた矢ヶ崎に告白されながらも特に大きな展開とは向かわなかった男性高校教師の澤が、1年後にやっぱり卒業証書を渡しながらも新しい出会いはないまま、同じような年を繰り返した先で生徒たちとの関係を縮めていく。一気呵成に進まない意識だけれどのんびりでも前向きなところに心引かれる。「澤先生と矢ヶ崎くん」。

 AVに出たらしい小夜子といういとこが親にしかられ逃げてきた甥っ子のいる家では、小学生のしんちゃんが幼なじみのみかちゃんといっしょに勉強をしている。とても中よさげに見えるけれどもしんちゃんは、押し入れで寝転がっていたり、出てきてしんちゃんにおっぱいを押しつける小夜子が気になって仕方がない。そんな小夜子が出たAVをみかちゃんといっしょに見てしまったしんちゃん。何が起こるでもなく過ぎていくけれど、ちょっとだけお互いの心に刺激を残したみたい。「しんちゃんと小夜子」。

 中学生になったしんちゃんとみかちゃんは、ベストカップルだと思われているけれど、ぐっと近づいてイケナイことをしてはまだいない。それでも小夜子の存在から植え付けられた刺激の芽がだんだんと芽吹いていき、そして……。「みかちゃんとしんちゃん」。そんな4編から感じられる、過去に引きずられ今にすがる女性たちや、過去の告白を思い出しながら今に空虚さを感じる男性教師や、年上の従姉が残した香りのようなもにむずむずとし続ける少年や、成熟した女から受けた刺激に喚起させられながらも抑えてもやもやし続ける少女の、どうにもならない日々にキュンとくる。

 それでもだんだんと進んでいく女性たちの関係、埋められる男性教師の時間、近づいていく幼なじみの少年と少女にどうにかなるんだとも思わされる、そんなアニメーション映画「どうにかなる日々」。淡泊だけれど指先ですっとなでられるような快楽があり、ふわっと触られるような歓喜がある。今はどうにもならないけれど、いつかどうにかなるかもしれない。そう感じて、そう信じて劇場を出て吹く風は冷たくて、けれども柔らかい。

 将棋の竜王戦が豊島将之竜王と羽生善治九段との間で戦われていて、第1局を豊島竜王が勝利して迎えた第2局は名古屋の大須にある万松寺で開催。ラジオセンターアメ横ビルがカモンしたCMで近所にあるお寺として登場することもあって、名古屋人には何となくなじみがあるけれども将棋の対局が行われるような格調を備えたお寺だとはちょっとおもわなかった。近所にはゲーマーズがあったりアメ横があったりと秋葉原的な雰囲気。そんな場所で長考時間に抜け出しお買い物だって出来そうだけれど、対局中は外出禁止だからそれはできない。オタクな棋士だったら歯がみしただろうなあ。

 名古屋だけあって気になったのが将棋めし。初日はそうでもなかったけれど、2日目は豊島竜王が和食とみだの確か3200円はするひつまぶし丼を選べば、羽生九段は味噌カツではあるけれども矢場とんではなくなごみどりというところが提供している味噌とりかつ定食。とんかつとは違って胃にぐっとたまらずさっぱりとして追い込みの頭を冴えさせたのか、第2局は羽生九段が勝って1勝1敗のタイにした。タイトル100冠がかかった対局だけにここで勝って流れを自分に引き戻せた羽生九段が、このまま一気に追い込んでいくかそれとも豊島竜王が目下最強の力を遺憾なく発揮するか。次の対局がやっぱり鍵になりそうだ。それにしても美味しそうな味噌とりかつ定食。値段もそれほど高くはないから帰省したら食べに行くか。

 もうヤバいのを通り越して滅びへの道を着実に歩んでいる感じ。6人を不採用にした日本学術会議だけれど、その重要性は感じているからこそ99人を任命したにも関わらず、批判を浴びると組織自体が不要だといった風潮を醸し出し、そこで働く官僚たちも不要だといった空気を作って削減しようといった流れを作り出してしまった。重要な組織だからこそ官僚が行って運営していたもなのに、今後は「官僚を配置する代わりに、新型コロナウイルス禍でアルバイトを失い、生活費に困る大学生を起用するなど民間人材の活用」で対応するらしい。パソナが出て来そう。こうして公的なサービスを官僚なり正規の公務員から非正規の職員やらアルバイトに切り替え人件費を削減しつつ仕事は変わらないまま、ワーキングプアを生産していった果て、国会職員も警察官もアルバイトと民間の非正規が占める国になっていく。儲けるのは淡路島ばかりなり? やれやれだ。


【10月22日】 10月16日に公開された「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入が、18日までの週末3日間で46億円に達したというのは広く流布されたニュースだけれど、その数字がもつ凄さが実は日本史レベルを飛び越えて、世界史レベルだったことが見えてきた模様。ニューヨークタイムズが伝えたところによると、日本を除いた全世界でのその期間の興行収入を足した数字が、「鬼滅」の1作に及ばないらしい。いやいやアメリカなんて公開3日間で100億円ってことだってあるじゃないかと言われそうだけれど、新型コロナウイルス感染症の影響で映画館が閉まっているアメリカでは、封切り予定だった映画がどんどんと公開延期になっていて、国内の映画興行が激しく落ち込んでいたりする。

 そして中国も回復して来たとはいえ、ハリウッドの超大作も来ない状況で映画館への客足も前ほど伸びていない模様。そんなアメリカ国内と、中国やヨーロッパ、アジア各国にアフリカに南米なんかの16日から18日の興行収入をBoxoffice Mojoの集計から見てみると、足し算が間違っていなければ3600万ドルくらいになるみたい。大して「鬼滅」はドル換算だと4400万ドルくらいになるからやっぱり世界興行を上回っていた。計算違いをしていたとしても同じくらいで留まりそうな状況だから、やっぱり「鬼滅」の凄さは揺るがない。なるほど世界が注目するわけだけれど、だからといって世界が引っ張ったからといって売れるとは限らないし、そもそもが引っ張れない状況に映画館があるからこそ、この状況だとも言える訳で喜んでばかりもいられない。

 新宿バルト9なんてこの3日間くらいはすべてのシアターで「鬼滅」を上映するみたいで、他の映画は存在すら消されてしまっている。それで100億円200億円といったところで、他の50億円なり30億円なり稼ぐ映画が幾つも落ちてしまったら、その上で「鬼滅」がなくなってしまったら映画館にお客さんは戻ってきてくれるのか、ってことになってしまいそう。これからまだまだ面白そうな映画が公開されるのに、それらも煽りを食らって公開規模が縮小された暁に、映画館で映画を見る習慣が新型コロナウイルス感染症による閉鎖をくぐりぬけてようやく戻り始めていたにもかかわらず、スポイルされて消滅してしまうかもしれない。そう考えると、この時期に映画館もいろいろな映画を楽しむことを、子供たちに覚えさせた方が良いんじゃないかなあ。

 テレビもテレビで「鬼滅の刃」が人気だと見るや、フジテレビがキー局となって全国放送した冒頭の部分と、那田蜘蛛山編以外のエピソードを放送することで視聴率を稼ごうとする動きになっている感じ。「快傑えみちゃんねる」が終わってしまった後、あいた時間を「坂上忍のどうぶつ王国」で埋めていた関西テレビが、それすら放り出して「鬼滅の刃」を金曜日午後7時というゴールデンな時間で放送することにしたとか。14話くらい残っていて1回で2話ずつ放送するとしたら7週間だから年内はかろうじて保つのかな。それで仮に引っ張ったところで、来年以降にその時間を何で埋めるのか。戻ってきた子供の視聴率のためにアニメをはめるといったところで、都合良く番組なんて調達できないだろうから。それともNHKみたいに他局で放送されたものを引張る手に出るか。新作はばかすか作られていてもMXとネットの域から出て来ない流れがこれで変わるか。気にしてみたい。

 歴史認識についての意見はさまざまあって、難癖に近いものもあって辟易させられることもないではないけれど、根本となる部分の問題でどっちかといえばこっちが手順を踏み間違ったところもあったりするだけに真っ向否定はできないから、話し合いと賠償によって解決の道を探ろうとして、それに同意をしてくれる人たちいたりするから相手だって決して一枚岩的なものではない。にも関わらず民族全体が難癖をつけてくるような書き方をして、「幼稚だ」と言うのは特定の民族をひとくくりにして誹謗するヘイトスピーチの最たるもの。それが自称とはいえ全国紙に、記名の寄稿コラムだとはいえ掲載されてしまうのだから責任は重大だろう。

 早速ハッシュダグも出来て意見が繰り出され、どこがヘイトだと言ったり向こうだって酷いと言ったりする声が浴びせられてもいたりする。向こうが言おうがこっちが言ったら立場は同じなら言わないのは美意識ってものだろうに。ともあれ今回はちょっとした騒動になりそう。そんな全国紙と同じグループらしいテレビ局でも、出演した弁護士がちょっと前にデマだからと取り消された、日本学術会議が北海道大学に圧力をかえて防衛省からの研究を撤回させたという話を改めて持ち出して番組で喋ってしまっていた。とうに否定され、喋った特別解説委員はしばらく表に出られてない言説をここで持ち出し、喋ってしまう人間を出してしまう脇の甘さが今の惨状につながっているんだろうなあ。「鬼滅」にすがりたい気持ちも分かるけど、関西テレビみたいにゴールデンで毎週にはせず深夜で消化し最後も土用の昼間に消化してしまうから、数字は稼げないだろうなあ。そういうセンスが今は寂しい。見せてくれ底力を。アニメについてはセンスを持った人もいるはずなんだから。


  【10月21日】 新橋の駅前にブシロードが「D4DJ」っていう、新しいIPの宣伝をする広告を出したんだけれど、その前でれいわ新撰組が何か集会をしている写真をツイッターにアップしているのを見て、ブシロード創業者で今はコンテンツ戦略を所管している木谷高明さんが、看板を見えるように演説してくれといったツイートを被せていた。うーん。気持ちは分からないではないけれど、そこでれいわ新撰組が演説をした写真を上げたからこそ、背景の「D4DJ」の存在も写真を通して一部なりとも世間に伝わった。れいわ新撰組がそこで演説をしなければ、看板の写真はツイッターには上がらなかった。それならどっちが効果があったかを考えた時、隠さないでと抗議するのはちょっと筋を外している気がする。

 こういう時に木谷さんだったら、宣伝してくれてありがとうといった言葉をかけて見方に引き込んでしまっていた気がするんだけれど、ちょっとピリピリしているような印象。想像するなら最初に「D4DJ」の広告看板の前で、抗議集会をしている集団が画像を上げていて、その集団と「D4DJ」を関連づけたツイートが被せられたのを見て、同一視されるのは迷惑だといったようなツイートをしたことがひとつのきかっけとなって、看板の前で何かをする行為にネガティブな観念を固めてしまって、以後もそれに引きずられているといったところか。細田守監督の「未来のミライ」が最初のレビューで超ネガティブに報じられたことが、後のレビューを批判に傾けたようにネットの強い印象が、空気を左右してそちらに染めてしまう問題を、ちょっと考え対抗する手段を打ち出したいもの。出来るかな。

 細田守監督といえば、「ウルフウォーカー」というアニメーション映画について語るオンライントークに出演して、次回作について絵コンテがようやく上がったという話をしたとか。別の仕事があったしそもそも声がけされていないから、オンラインでの取材会とやらを見てないけれど、「未来のミライ」の公開後、ほとんど見かけなくなっていた細田監督がちゃんと作品作りに取り組んでいたことが分かってまずは安心。興行的にちょっと下がってしまっただけに、次が作れるか心配していたから、とりあえず今一度挑戦する権利は得たってことになるだろう。1本で消えてしまう長編アニメ映画の監督もいるだけに、作り続けられるのは幸せなことだから。

 問題はどういう作品になるかということだけれど、アクションだとか青春だとかいったものにこだわらず、何を語ろうとしているのかを受け止め、それを自分に当てはめて考えることで細田守監督の作品は奥深いところまで楽しめるのだと感じるようになっているから、何が来たってたぶん安心だろう。11月28日に富山県で始まる富野由悠季展のオープニングで、富野監督と細田監督のトークがあるようで、そこで次回作について何か語ってくれるかもしれないのでちょっと行ってみたい。というか富野さんと細田さんでいったい何を語るのか、サンライズのロボットアニメのオーソリティーと、東映アニメーションから長編アニメ映画へと向かった叙情の監督とで噛み合うのか。興味津々。当たれば行こうGoTo使って。

 たまには外に出ようと秋葉原まで出てショップをざっと眺めてから、カフェにはいって電源をとりつつ原稿を書くこと2時間ほど。ひととおり完成させてから、運動でもしようと御徒町を経て上野まで歩く。途中の自転車屋でチネリからツーリング車が出ているのを発見。ロードほど細くはないタイヤでフレームはコロンブスのクロモリで、サドルがブルックスの革サドルといったポイントがランドナー好きの琴線に触れた。変速機がブレーキレバーに組み込まれていたけれど、ダウンチューブにシフトレバーを取り付けられそうだったから、改造してランドナーバーにギドネットレバーをつけてストッパもつけ、シックなバーテープを巻いてよりツーリングさりさを出して乗り回したい気分。それならARAYAのランドナーを買った方が良いか。ミニベロって手もあるなあ、と想像できるくらいには気分は快復した感じ。

 上野からは池袋へと回ってエヴァストアなんかを眺めた後、カフェにこもって1時間くらいかけて原稿を整えて完成させて草稿。とりあえず仕事した。前に買ったグローバーオールのダッフルコートがこすれて穴が開いてしまったので、エヴァのパッチをあててカラフルにできればと思ってエヴァストアをのぞいたけれど、アイロンではりつけるパッチが売っておらずアニメイトにもなく、だったらとのぞいたユザワヤもアイロンのアップリケは子供っぽいのしかなかったので、あるいはコスパならと池袋から地下鉄丸ノ内線で御茶ノ水まで出て歩いて秋葉原に戻ったけれど、ラジオセンターからアトレに移ったコスパにはなく、通販で取り寄せることにする。赤いコートだから2号機関連で固めればそれっぽく見えるかな。そういう所に気を回せるくらいにはやる気が戻ってきた感じ。ドパミン様々。


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