縮刷版2020年10月上旬号


【10月10日】 菅総理のグループインタビューとやらが行われたそうで、それを別室にいた記者が録った音声を聞くともう存在としてヤバいんじゃないかと思われるくらい答えになっていない。学術会議の会員には総合的俯瞰的で広い視野に立った人材が求められると言っていて、記者から総合的俯瞰的とはどういうことかと問われると、総合的俯瞰的で専門分野以外の広い視野を持ってバランスを持った活動をすることが求められるということだと答え、専門的分野以外の業績が求められるとはどういうことかと問われると、専門的分野の枠にとらわれないことだと答える。

 倍返しなんてものじゃないそのまま返し。そうした説明に留め死守するという意識が感じられる。そのくせ見たのは99人だったのかと聞かれあっさりそうだと言ってしまう。105人推薦したはずが総理のところで99人になるまでのどこで誰がどう削ったかは総理の任命権論を成り立たせる上で重要なのに総理自身の判断とすると何故かを突っ込まれると考えてか責任を回避しようとしている。それが権限の行使という拒絶の妥当性を毀損しているというのに。気づいていないのか。そして記者はそこをどうして突っ込まないのか。ヤバい。何もかもヤバいこの世界。政治も。ジャーナリズムも。

 某紙1面コラムが書いていた。民主党が人事院人事官候補だった特別記者について、いったんは総務部門会議で同意に差し支えないとしながらも、執行部が「政治判断」でひっくり返して不同意としたという。当然、某紙は反対理由の説明を求めたけれど、民主党は説明責任を果たさなかったという。本当か。当時の国会で民主党で当時議員だった近藤洋介さんはこう説明していた。「総裁に次ぐ最重要ポストである人事官には、半世紀以上にわたって報道機関出身者が六代続けて就任してまいりました。大手報道各社が持ち回りで指定席を確保している状況で、報道機関が人事院のあり方について中立公正な報道ができないのではないかとの指摘を受けております」。

 50年近くにわたって6代続けてマスコミ出身者がその席に座って、既得権益と化していたようなことが言われていた。だから「候補者に資質があることは認めつつも、民主党としては、人事院が置かれている現在の重要局面にかんがみ、この機会に新たな分野から人材を求めるべきだと考え、不同意であります」と答えた。それから当時は社民党の議員だった、今は世田谷区長の保坂展人さんのの説明。「マスコミ出身者の指定席となっていること自体も改めるべきだという理由で、不同意といたします」。ちゃんと国会という葉で説明をしていた。

 マスコミ人だからというだけで排除するのは、職業選択の自由的な意味から拙いとは思うけど、アメリカのメディア界隈で言われている、リボルビングドアー(回転ドア)的にメディアと政府を行ったり来たりする行為は、ジャーナリストの矜持として、そして倫理としてどうだろうという世界的な意識もあるから、それを指摘されてゴネるのもみっともない話だろう。元からの学者が、学術の場で活動を求められていながら、それを認めないというのとは意味が違う。なおかつ菅義偉総理と政府はここまで明快には説明をしていないのだから、もっと説明しろと言うべきだろう。結局は身びいきで民主党嫌いの一方通行。それで通用するんだから日本のジャーナリズムが政府に入るのに異論を唱えるなんてできないか。やれやれ。

 よりスポーツイベントで政治的社会的メッセージを掲げるのはどうかと、大坂なおみ選手の全米オープンでの行為に「違和感を覚える」と書いたコラムがやっぱり某紙に載っていた。でも、全米オープンは「Be Open」として許されたから大坂選手も身につけただけなんじゃ。「Be Open」とは、「全米テニス協会は、他者へのリスペクトを涵養する努力に賛同し、人種的不公正、ジェンダーの平等、LGBTQ権利擁護など、いま急がれる社会的イシューに光を当てる取組みを進めています」という動きから、大会中にそうした展示を行い、選手がメッセージを発することを認めたもの。だから大坂選手は毎回黒いマスクで登場した訳だけれど、五輪やウインブルドンでは禁止されてるから、きっとやらなかっただろう。

 コラムの大半が読めないから論旨は推測だけど「大坂選手の黒いマスクを手放しでたたえることに、私は違和感を覚える。スポーツの神聖さや純粋さを損ねる恐れがあると思うからだ」というから、技能で競う場に思想を持ち込むないでということか。そして五輪やW杯での行為へのペナルティを挙げてるけど、それらは大会規定で禁じられたもの、禁じられていなかったものといった観点からのペナルティ。だから罰せられた。禁じられてない場でやった行為に、違和感を覚えられても困るだろう。

 それでも異論があるならそれは、神聖なスポーツの場での思想掲出を認めた全米テニス協会への違和感になり、且つ全米テニス協会の時代に応じた変化への異論になる。誰もがどこでもやりはじめたら収拾はつかなくなるし、実力本意のスポーツへの敬意が薄れる懸念はあるからコラム筆者の違和感はわかるから、禁止され続け続ける場があっても異論はない。一方で状況に応じて認められ個々の判断でアピールが行われる時代になっていくことも認めざるを得ない。そんな感じか。


【10月9日】 「罪の声」がベストセラーになっている塩田武士さんの新刊「デルタの羊」(KADOKAWA)は何とアニメーション業界が舞台。読み終えた感想はといえば、「ヒャッハアアアアアアアアアアア!」と叫びだしたくなるくらい面白くて面白くて面白かった。アニメの企画が立ち上がっては吹っ飛ぶ苦渋。それが度重なる苦痛。けれども諦めない夢中の先に訪れる喝采と可能性。善人たちばかりのアニメ界だからこそ壊れもするし潰れもするけど、生まれもするし輝きもするのだと知れ。そんな感じ。

 ストーリーについては未読の人も多いだろうからまだ多くは語らないけれど、入れ子のように入り組んでいるように見えてそれらが重なり並行して走りだしては消えた可能性が戻ってきてまとまり爆発する。歓喜と感動の瞬間。それが……そして……。上手いなあ。そしてやっぱり面白い。アニメづくりにかかわる人も、アニメが見るのが好きな人も読んで損なしのアニメ業界エンターテインメント。アニメ化しないかなあ。

 新宿バルト9でのアニメーション映画「REDLINE」公開10周年記念上映会に行く。ジェイムズ下地さんが新しく作ったリミックスのサウンドトラックを購入し、場内に入って映画を見終わり、舞台挨拶になった時にJPを演じた木村拓哉さんから花が届き祝電も寄せられた。「ドラマ『教場』の撮影のため、会場に赴くことが出来ませんが、公開後10年も経って皆さんのおかげで上映して頂ける。全ての『REDLINE』ファンに心よりお慶び申し上げます」。映画を気にしてくれているのが嬉しいなあ。JPは格好良かったなあ。

 舞台挨拶に登壇したのは原作と脚本を書いた石井克人さん、小池健監督、そして音楽を手がけたジェイムス下地さんの3人と木村大作PD。公開時にも言われていたけど企画から7年かかったというから10周年というより16周年、その前も少しあって2002年くらいから動いていたというから18年くらい付き合ってきた3人だけに、公開された時も感慨はひとしおだったけれど、こうして10年が経ってなお観客が見たがる映画になったことを喜んでいた。

 ただ海外に比べて日本での受けが今ひとつなのを気にされているようす。当時はプロデューサーだった東北新社の人が今は社長になっていることに石井さんから「東北新社さんもっと国内で推して」と呼びかけていた。 ジェイムズさんも音楽は海外で人気らしくいろいろと見られていたり聞かれているんだとか。それに比べて日本ではってところらしい。こういう差が生まれるところに「REDLINE」という映画が持つ早すぎ感じが漂う。だったらいっそNetflixで世界展開すれば良いのに。Huluは日本については日本の会社だからなあ、マッドハウスの親会社の子会社的な感じの。だからHulu先行なのか。

 小池健監督は「AFLO SAMRAI」をやる選択肢もあったみたいだけれど、今となってはオリジナルの「REDLINE」で海外に遠く届いていることで、いろいろなオファーもあるみたいだし長い目で見れば良いんじゃないかなあ、石井さん下地さんとのトリオで「LUPIN THEVRD」のシリーズも手がけられた訳だし。その小池監督が、途中で企画が止まりそうになった時、一説では丸山正雄さんの机に手紙を置いたという話が出たけど小池さんには身に覚えがないのか忘れたのかといった反応。事実か否かは別にして、やりたかった作品だったってことは伺えた。

 冒頭のイエローラインあたりはほとんど小池さんがひとりで作っていたという話もあって、ほとんどアートしていると石井評。これも都市伝説として朝の8時にマッドハウスに来ては12時間くらいひとりで描いていたという。だからすべてが小池色。「REDLINE」には美術がいないのは背景も含めて小池健監督が描いていたからで、それだけの濃度と密度を持った描写が繰り広げられるからこそ、ソノシー・マクラーレンの「Yes!」と叫んでゴールするシーンの爽快感も強まるってことなんだろう。

 そんな「REDLINE」は今回初めてデジタイズしたそうで、これまではフィルムかBDからの上映だったけれどようやく劇場でハイクオリティの映像と音響でもって鑑賞できるようになった。だったらと期待したくなるちゃんとした興行ってところで、ちらりと聞こえた、とあるブラインドメーカーと同じタームにもしかしたらといった期待も膨らむ。期して待とう発表を。

 どことは言わないけれども自称全国紙あたりが日本学術会議が兵器の開発につながるような研究は嫌がっているのに、兵器の研究を学術機関ともやっている中国とは仲良くしているのはケシカランと自民党が言っているって書くことで、いかにも日本学術会議が中国寄りな所だといった印象を醸し出そうとしているけれど、どっこい中国だけじゃなく韓国技術アカデミーとも韓国行政研究院ともイスラエル人文・科学アカデミーともブルガリア科学アカデミーともバングラデシュ科学アカデミーとも友好協定とか協力覚書を結んでいるのだったりする。

 そして中国と日本との協力を通して、日本の学術研究が軍事に転用されたことが確実ってわけでもなく、具体的な事例があるわけでもないのに、中国と協力関係を結んでいて、中国は学術が軍事技術に協力しているから、日本の学術も間接的に中国の軍事技術に協力しているという飛躍を平気で開陳する。日本でもやらない軍事研究をどうして中国とやれるんだっての。事例として持ち出す船を泡でコーティングして燃費を向上させる技術の開発を、防衛省とやらせなかったことも、防衛省の案件だったからで民間が委託すれば応じただろう。順番が逆なのに防衛に協力しないのは非国民的な雰囲気で糾弾する雰囲気が、どんどんと色濃さを増す昨今。いよいよヤバさも極まってきたなあ。


【10月8日】 プレイステーション5を分解する映像が公開になっていて、そこで人間といっしょに映っているプレイステーション5を見た印象。「でかい」。それこそ昔のビデオデッキだとかを建てているくらいのサイズ感で、買った人はいったいどこに置くことになるのかが今から気になって仕方が無い。プレイステーション3も確かに大きかったけれど、プレイステーション5を比べると建てた場合でプレイステーション3が高さで32センチなのに対して、プレイステーション5は39センチと7センチも差があったりする。奥行きだとプレイステーション3が27センチでプレイステーション5は26センチだからだいだいいっしょ。それだけに際立つ高さ、あるいは寝かせた時の幅ってことになる。

 まあ最近はテレビも大型化が進んでいるから横に置いても遜色はないし、下に寝かせても目立たないくらいにはなりそう。それよしも気になるのはファンのデカさで、それだけぶん回さないと冷却できないくらいに熱がでるってことなのだとして、それだけのファンが回った時にいったい音はどれくらいになるのかが気になる。プレイステーション3は結構な音が出て静粛性を求められるBDプレイヤーとして使うのが憚られたりしたっけ。ゲームをプレイしている時は気にならなかったけど。その後に静粛性が増した機種とか出てプレイステーション4は小型化も進んだけれど、またしてもでかくなってどんな反応が出てくるか。買ってないけど気になるところ。見守りたい。

 気がついたら映画「いとみち」のクラウドファンディングが予定の300万円を大きく超えて400万円近くまで達していた。安彦良和さんが描いたいとちゃんを含め登場人物が描かれたTシャツはこれでもらえることが確定。エクスパンションとして500万円のネクストゴールが設定されて、集まったお金は青森ロケでもスタッフやキャストの宿泊費に使ってもらえることになったとか。うん結構、すでにもらえるものは決まっている訳で、それ以上の善意はよりよい映画が出来上がるために使われるのが映画を応援する身として1番嬉しい。すでにロケも終わったみたいで、あとはポストプロダクションが待っているんだろう。公開は来年。待ち遠しいなあ、いとのばあちゃんが誰で、そして津軽三味線でヴァン・ヘイレンを弾くのかが。

 もちろん村上春樹さんではなくルイーズ・グリュックというアメリカの詩人が受賞したノーベル文学賞。アメリカの詩人といえばホイットマンとかエリオットとかワーズワースといったところがだいたい浮かび、あとはレイモンド・カーヴァーのように作家で詩も書く人くらいだからまったく予想もしていなかった。知っている人には有名な詩人なんだろうか。最近だとボブ・ディランも詩人として受賞はしているけれど、それ以前だとトーマス・トランスロンメルとかヴィスワヴァ・シンボルスカとかほどんと聞いたことがない人ばかり。1990年のオクタビオ・パスも詩人だけれど評論とかの方が知られているからなあ。そういう意味で世俗とは無縁に与えるノーベル文学賞。通俗過ぎるハルキさんではやっぱり無理かなあ、あと20年は。

 本気でそう思っているのだろうか。そう言えと弁護士さんの方から指導されているのだろうか。池袋で高齢者が車のアクセルとブレーキを踏み間違えて時速100キロ近くで車を暴走させて、人をはねて命を奪ってしまった事件で後半が始まって、過失を認めるのかといった周囲の思惑をまるっと外れてアクセルを踏み続けたということはなく、何かの以上で走り続けてしまっただけで、自分いは責任がないから無罪だと主張したとか。いやいやそれだったらどうしてブレーキを踏まなかったのか。踏んだけど止まらなかったとでも言ったのだろうか。

 そうした主張に対して検察の方では、データを調べてアクセルを踏み続けた記録はあっても、ブレーキを踏んだという記録はないと主張しているから、きっとそのとおりなんだろう。今時の自動車ってだいたいがコンピュータまみれですべてが管理され統御されている。異常があればすぐに解析できるし、記録を調べればどう操作したかも追跡できる。もちろん「空飛ぶタイヤ」のように誰もが過失だと持った一件が、車自体に問題があったということもあり得るから一概に否定はできない。そこはだから検察なり弁護士なりが調べて証拠を出し合った先で、裁判官がきっちり決めていくんだろう。そこで有罪となった場合、認めず虚偽を話したってことで重くなったりするのかな。これも行方を見ていこう。


【10月7日】 男性しか今はいないプロ棋士の棋戦に叡王戦が加わって8大タイトルになったのに続いて、女流棋士も8番目のタイトル戦となるヒューリック杯白玲戦・女流順位戦というのが創設されたとか。ヒューリックはプロ棋士の棋聖戦でも冠スポンサーになっているし、女流でも以前からヒューリック杯静麗戦というのを提供していたけれど、さすがに2つのタイトルを持つわけにはいかないから清麗戦は大成建設に譲ったとか。それでも譲り受けるところがある状況に女流棋戦への注目度の高まりを感じたりする。それとも藤井聡太二冠の活躍で将棋への関心が高まっている余波なのかも。

 この新しい女流棋戦で特徴的なのは、優勝賞金が1500万円と女流にあって高額なことで、ヒューリック杯棋聖戦が8大タイトルでは序列最下位で一説によれば700万円くらいだと言われているのと比べると、それより高くてヒューリックは一般棋戦よりも高い金額を出すくらい、期待を表しているとも言える。まあ棋聖戦は産経新聞社が主催の冠スポンサーに過ぎないから関与度が違うといえば違うのかもしれない。だったら新聞社がもっと出すべきかというと、出せないからこそのそんな序列なんだろうなあ。これなら女流で活躍すればより稼げると、性別を偽って女流棋戦に参加する元奨励会員とか出て来そう……ってそれは「しをんの王」に出て来たネタか。

 あと、女流順位戦というのを創設したことも重要かも。男性では名人戦というのがあってそれに付随する形で順位戦があって、C級1組からA級まで5段階の序列を決めている。ランキングに応じて給与めいたものも変わってくるし、それぞれのランクでリーグめいたものが行われるから対局数が確保できる。女流棋士にはそれがなく、タイトル戦の予選で負けたらおしまいなところがあったけれど、これである程度の収入は確保できるようになり、もっと将棋に打ち込めるようになるかもしれない。それで強さが増して男性への苦手意識が払拭された暁に、女性でもプロ棋士四段に平気になていく時代が訪れるのかもしれない。どんな棋戦になっていくのか。見ていこう。

 起きたらあの偉大なギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなっていた。1997年くらいからずっと癌であちこちを患ってはいたけれど、活動はしっかりと続けていたから病気を御しているのかと思っていた。でもやっぱり最後は負けてしまった。残念無念。せっかく越谷オサムさんの「いとみち」が実写映画化されて、ロック好きのお婆ちゃんが三味線でヴァン・ヘイレンの楽曲を弾く場面が見られるかもしれなかったのに。そして……ってこれは未読の人もいるから黙っているけれど、凄い場面が期待できたかもしれない。いったいどうなってしまうのか。分からないけれどもそんな津軽の三味線ばあちゃんも熱狂させたギターを目の前で見たかったなあ。ご冥福をお祈りします。

 「ジョゼと虎と魚たち」も映画化されて公開が迫り、「サイダーのように言葉が湧き上がる」の公開日も決まり、志村貴子さんの漫画が原作の「どうにかなる日々」も10月末に公開といった具合に、恋愛物の長編アニメーションが例年にも増して多い年になっているだけに、まとめをいつか書くこともあると考え、だったら見ておかなくちゃいけないと、原稿を書きに越谷レイクタウンにこもったついでにイオンシネマ越谷レイクタウンで「思い、思われ、ふり、ふられ」のアニメーション版を見る。

 ちょっと前に実写映画版が公開されて、予告編なんかをその前に散々っぱら見たけれど、それによれば一目惚れし合った少女と少年が、それぞれの母親と父親の再婚で姉弟になってしまって禁断の恋が繰り広げられる話かと思ったら違ってた。そういう関係も要素としてあるけれど、ヒロインはどちらかといえばそうした姉弟の弟に恋心を抱き、姉と友人になった市原由奈って少女をメインヒロインに位置づけつつ、友人となった山本朱里を介しつつ山本理央への関心を深めて行きつつ、自分なんてと卑下して臆して恋心を告げられず、告げても相手はやっぱり姉への思いを引きずっていて須直になれない関係が最初は濃く描かれる。

 そんな間に由奈とは幼なじみの乾和臣という同級生の少年が、朱里に感心を抱き朱里も和臣に気持ちを向けるものの朱里と理央の関係に配慮したり、和臣の映画監督になりたいという夢に朱里が遠慮したりして歩み寄れない。誤解と曲解が呼んだ近づきたいのに近づけない関係に、苛立ちつつもやもやしつつキュンキュンしてしまう心理を、誘導しつつ最後にスカッとまとめあげてのけるストーリーがとても良く、そして上手かった。ラストシーンを経て安心して映画館を出ることができた。

 自分に適用できるかというと、恋心を抱くという感情がまずはなかなか理解できず、そして恋心を抱いてもそれを告げるという行為に及ぶだけの気概を抱けないところに遠い世界の出来事といった気がしないでもない。とはいえそう感じようとして引きこもっているところは、由奈の態度にも似た部分。そこから由奈は自分に自信をつけ、拒絶されることも厭わず突き進んだ訳だから、その勇気に敬意を払いつつ自分にも当てはめて、告ってみるのも手かも思ったけれど、この年でこの風貌で告る相手もいないのに、どうすりゃ良いんだと気がついたのだった。映画館に来ていた女子高生たちは頑張って学んで行動してくださいな。そうなってこそ映画が作られた意味もあるから。応援します。


【10月6日】 トランプ大統領も罹患した新型コロナウイルスはホワイトハウスに蔓延しているようで、ホワイトハウスの浜崎あゆみとも言われたらしい大統領報道官のケイリー・マクナニーも、新型コロナウイルスの陽性が判明して記者にもひろがって一種のクラスター化している感じ。これが他の施設だったら即座に閉鎖となるところを、あろうことが入院したばかりのご主人ことトランプ大統領が、さっさと退院しては執務に復帰してしまった。2週間は隔離するのが常識なのにそんなものは通用しない世界トップの権力者。マスクも外す姿を見せていて、これで支持者にうつして相手が亡くなりでもしたら何を言うのかが気になった。

 でもそこは自分がうつしたとか言わないだろうしうつるものだとも認めないんじゃなかろうか。ホワイトハウスに広がっているのもたまたまだって良いそう。あるいは新型コロナウイルス感染症にかかったことで強さをアピールするとか。さっそく支持者からジョー・バイデンはかかってないけどトランプ大統領はかかってなおかつ復活した、何て強いんだって賛辞が出ているくらい。イギリスのボリス・ジョンソン首相は酸素吸入器につながれ数週間は動けず、退院してもやせ細って弱々しくすら見えたのに、トランプ大統領はそこは矍鑠としているように見えるのは、テレビタレントでもあった経験から自分を強く見せ続ける大切さを知り、かつ実行する気力も持ち合わせているってことなのか。でも病気はそんな意思などあっさり吹き飛ばす。向こう数週間に何が起こるか。目が離せない。

 新型コロナウイルス感染症の特効薬を発明したらノーベル医学生理学賞をとれるかどうかは分からないけれど、ブラックホールの研究はようやくノーベル物理学賞に到達したようで、「皇帝の新しい心」なんかのロジャー・ペンローズがラインハルト・ゲンゼル、アンドレア・ゲズともども受賞。もしもスティーブン・ホーキング博士が存命だったらペンローズともども受賞していたかもしれいけれど、亡くなられていたからこそのこの3人になったのかもしれない。役割分担はよく分からないから今後の解説を待ちたい。

 日本でも知られた大物物理学者の受賞だから、各紙がすばやく報じていたけれどもそんな中で自称全国紙のサイトになかなか速報が載らず、どうしたんだろうと見ていたら発表から1時間半以上が過ぎてようやく更新された模様。現地での会見を見て入れた原稿ではあったけれど速報を入れなかったのはやっぱり人手が足りていないからだろうか。それとも勘所が鈍っているんだろうか。ノーベル賞なんて入れたところで世間はまるで騒がないとでも思っているのかもしれない。それよりは日本学術会議を批判というか日本学術会議に背を向けた政権を良く言った方が読者受けすると考えているとか。

 それが証拠に加藤勝信官房長官の会見で日本学術会議の会員に4500万円が支払われているという見出してもって、政府から支援が行われていることを記事にしているんだけれど、よく読むと1人あたりではなく総額で210人いる会員で割ったら1人20万円くらいにしからなない。月額だったら1万5000円ちょっとで交通費にもなりそうもないのに、それを1人4500万円かもと思わせる見出しで記事にするから、脊髄反射する人たちがそら見たことか、だから学術会議は潰さなきゃと吠えまくっていた。そうした反応をまた真に受けて拡散をする人たちも結構いて、そうした声にいちいち総額だと突っ込んでいくのも無理な話。かくして学術会議の会員は高額のお金をもらって政府に逆らう非道な奴らだといった印象だけが広まっていく。

 せめてメディアならしっかりと事実を伝えて欲しいけれど、印象操作をしているのがそのメディアだからどうしようもない。自称全国紙がいちおうは所属しているメディアグループのテレビ局でも状況はいっしょで、上席解説委員という結構な肩書きを持った人がテレビ番組で日本学術会議の会員は6年を勤め上げれば日本学士院のメンバーになれて年間250万円もの年金をもらえるんだぜと言って出演者からそりゃひどいといった反応を引き出し、視聴者からもそれなら潰されて当然といった反応を得たりしていた。

 でも、まっとうな人からは日本学士院は優れた業績を積み重ねてきた学者を顕彰するような組織であって入るにはそうとうなハードルがあってなおかつ終身制だから入れ替わりも少ない。たまにノーベル賞を受賞した人がすっと入るのは欠員があるからで、それでも埋めないという状況から毎年110人が入れ替わる日本学術会議のメンバーが持ち上がる訳ないと考えれば分かりそうなものなのに、それを言わずにシームレスでつながった互助会的な存在であるかのように言ってのけた。

 さすがに非難囂々だったから自分の口から訂正するかと思ったら、別の番組でアナウンサーから間違いがあったと言わせ、出演した番組には出演しないでそちらもアナウンサーから誤解を与えたといった釈明を話させた。誤解を与えたんじゃなく錯誤を語ったのであって自分の口から謝罪して撤回すべきなのに、あろうことか日本学術会議のメンバーから推薦されて日本学士院の会員になるのだといった、これも大間違いを平気で言ってのけたからたまらない。日本学術会議の会員には学士院の会員候補を推薦する資格はあっても、推薦される資格を持っている訳ではない。そこをねじ曲げてまで日本学術会議を悪く語ろうとする真意はいったいどこにあるんだろう。そこまでして菅義偉総理を讃えたい理由花にだろう。そこが気になる。ついていったって新聞社は傾きテレビ局は視聴率が下がるばかりなのに。謎。


【10月5日】 そういえば1着だけ、KENZO HOMEのスーツを持っていて、記憶では久屋大通に面したファッションビルに入っていたショップで、バーゲンの時に買ったチャコールグレーのスーツだったっけ。シングル3つボタンでパンツはタックが入った30年ほど前の仕様。当時は体重が58キロくらいしかなかったから、Sサイズでも着られてしまったので他のブランドはMを買っていたのにそれだけはSを買ったっけ。

 しばらく着ていたし、東京に出て来た時にも持って来たけど、けれどだんだん着られなくなったのと、スーツそのものを着なくなったこともあってどこかに埋もれてしまった。そんなKENZO HOMEも含めてケンゾーブランドを率いたファッションデザイナーの高田賢三さんが新型コロナウイルス感染症で死去。しばらく前に亡くなった山本寛斎さんも色彩の魔術師然としていたけれど、どちらかといえば和のテイストを持ちこんで着物的で祭り的な雰囲気の色彩だったのに対して、賢三さんはやっぱり色彩がカラフルではあってもどこかユーラシアでありアフリカでありといったグローバルなフォークロア的な色で彩られていたように思う。

 デザインもシンプル。スーツもそうだったけれど裏地にパープルが入っていたりテキスタイルが凝っていたりとそれなりにこだわっていはいたおうだ。そうしたデザイナーが活躍できる場も、今のこのデフレな社会でファストファッションが隆盛の中、狭まっているのだろうなあ。DCブランド全盛だった時代は遠くになりにけり。そんな高田賢三さんがファストファッションの雄、ユニクロが製造を手がけたアテネ五輪の選手向け移動用ファッションのフェザインを手がけてていたのも不思議な話。花柄のTシャツとかあったなあ、あとマントみたいな黒いパーカー。裏地が赤い。それが今日、部屋の中から引っ張り出された。偶然だけれどひとつの必然と思い別れを惜しもう。

 新型コロナウイルス感染症といえばアメリカのトランプ大統領が感染を発表して入院したものの、病院から出て車に乗って集まった人に元気なところを見せたとか。日本だったら2週間は隔離で病室から出さないようにしているのに、アメリカだと病室から出た上に同じ社内に運転手を乗せて走らせるとか、許されるのかと思うけれども許されるのだろう大統領の権限なら。それとも自動運転だったとか。それはないよなあ。そんな無茶をやって一般の人に迷惑をかける人物を、それでも大統領として推せる人たちがいる国ってやっぱり不思議。とはいえ酸素吸入もしたとかヤバい薬を飲んでいるとかいった話もあって、実態は不明。突然にって事態もあるかなあ。見守ろう。

 ヤバいといえば日本の総理大臣も相当にヤバい。例の日本学術会議の会員で、推薦された105人のうち6人の任命を菅義偉総理大臣が拒否した件に関して当人がいよいよ会見で喋ったけれど、これがまるで中身の乏しいものだった。いや乏しいどころか空っぽの虚無か。曰く、日本学術会議の「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から今回の任命について判断した」とのことで、つまりは任命しなかった6人がいては総合的で俯瞰的活動は確保できないということになるけれど、ここで打ち出した総合的で俯瞰的な活動が確保されなくなるって良い訳がさっぱり分からない。

 言葉から想像するなら、総理大臣なり政府が日本学術会議に求めている活動に、6人が入ると支障が生じるってことになるけれど、そもそもが学術会議側が自分たちの活動に必要だから推薦した6人が、いない方が総合的に考えて活動に支障が出る。そうではないというなら政府が日本学術会議を良い訳にしてやりたい施策に反対しそうだからって話になるけれど、それはつまり政府の意向に反対しているからって解釈になるはずなのに、菅総理は過去の見解の違いで選ばなかったということはないと言い切った。だからさっぱり分からない。

 だいたいが政権の意図にのみ沿う人材ばかり集まった集団では、総合的にも俯瞰的にもならない。どちらかというと独裁的で近視眼的活動が確保されてしまうんだけれど、そう突っ込まれても答える言葉はきっと、総合的で俯瞰的とは総合的で俯瞰的だということですといった進次郎語になってしまんだろう。もはや日本学術会議を莫迦にしているとしか思えない。これは日本学術会議側としてもいよいよ腹をくくらないといけないなあ。どうでるか。やっぱり全員辞任か。そんな覚悟が見られなければ日本学術会議は政府の意向に沿った提言をする集団として満天下に認められてしまうぞ。

 榊原良子さんが演技観の違いから、押井守監督と対立して以後しばらく袂を分かっていた期間があったといった話についてブログで語っていた。「機動警察パトレイバー2 THE Movie」の最後で南雲隊長が柘植に対して「あなたを逮捕します」という言葉をどう言うか、ってところで強く激しく言えば毅然とした態度となるけど、そう割り切るだけのタイミングがないんじゃないかという印象から少し迷いを込めたらそれが押井監督には気に入られなかったとか。結果は弱いニュアンスが残っていたように思うけど、それで喧嘩したといっても、2008年の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0」の人形使いは家弓家正さんが榊原良子さんに変わったし、同年の「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」でも整備士の笹倉永久を榊原良子さんが演じていたから、今は仲良しってことなのかな。新作にも出られるかな。


【10月4日】 日付が変わって新型コロナウイルス感染症で入院したトランプ大統領の主治医が会見するというのでABCの中継やBloombergの中継なんかを待って30分ほど推して始まった会見は、英語だからあまり分からなかったけれど反応を見ると経過は良好で、熱もそれほどなくイギリスのボリス・ジョンソン首相のように酸素吸入器に縛り付けられているといった感じでもなく、退院して普通に選挙戦を戦いそうな感じ。2週間は隔離じゃないのかって言われそうだけれど言われて改まる大統領でもないしなあ、それだったらホワイトハウスであれほどまでに大流行しないって。

 とはいえ、ここで容態が急変しないとも限らないだけに、目下戦っている大統領選がどうなるのか気になるところ。現職の大統領にsite候補者が選挙戦の最中に亡くなるなんてこと、前代未聞だろうから。振り返れば1968年の大統領選は、ケネディ大統領暗殺を受けて副大統領から昇格して後、1964年の大統領選で勝利したリンドン・ジョンソン大統領が再選を目指したものの、ベトナム戦争への反戦気運もあってジョンソンは撤退。ジョンソンを追い詰めたユージーン・マッカーシー候補のマッカーシー旋風がそのまま行くかと思いきや、ロバート・ケネディ候補が立ってカリフォルニア州の予備選で勝利し一気に有力候補になった。

 ところが、ロバート・ケネディも兄と同様に暗殺されてしまい、その後をマッカーシーが盛り返すことなくヒューバート・ハンフリー副大統領が指名を獲得し、共和党のリチャード・ニクソン候補との大統領選に臨んで敗れるという状況へ。これに倣うという訳ではまったくないけれど、トランプ大統領が近くどうにかなったとして、マイク・ペンス副大統領がとりあえず大統領に就任するもののすぐさま選挙となった時、前回途中で退いたテッド・クルーズなりルビオなりケーシックなりが立つのかというと、急場ではさすがにジョー・バイデンに勝てないだろう。やっぱりペンス副大統領が候補として立つのかな。それより以前にトランプ大統領が持ち直すのだろう。倒産したってクビを切られたって復活して大統領になった男だから。

 城達也さんが亡くなられて25年となった今、オープニングの「それは、いつ生まれたのか誰も知らない」というナレーションを小林清志さんが担当するのは理にかなった話で、途中、ベラが少女の姿で働くダイナーの店名が「U−GANDA」であることも含めて大昔からテレビアニメ「妖怪人間ベム」を見てきた身には、なかなか心をくすぐられるところがある映画だった「劇場版BEM −BECOME HUMAN−」。テレビで放送されたシリーズは見ていなかったけれど、昔ながらのベムとベラとベロの3人が、妖怪人間として戦いつつ、人間ではない醜い姿への恐怖を悲しみ「早く人間になりたい」と願っていただろうストーリーを含んで見れば、ついていけるところがあるだろうと映画館に見に行った。

 テレビシリーズから2年後という設定の劇場版は、ベムたち妖怪人間を追っていた女刑事のソニア・サマーズがリブラシティでの出来事を経てベムたちと別れた後も、怪奇事件を追いながらベムたちを探し求めていたという展開から、ドラコ・ケミカルという製薬会社の城下町的な島で妖怪人間の目撃情報があって出かけていった先に、ベムらしき人物が妻を得て子も女の子と男の子がいる家庭から、近くにある製薬会社に勤めて広報室で働いているというシチュエーションがまず繰り出される。

 願い通りに人間になれたのか。過去を清算して人間の間で暮らすようになったのか。といった状況の一方で、ベムが現れ炎を操り何者かと戦っている。ベラはダイナーで人間の少女のような暮らしをしてそれなりに満足しているような雰囲気を見せる。三者三様の生き方を選んだ3人にソニアが今さら何かをいえる資格はないだろうと思うものの、自分が傷つけた妖怪人間たちへの贖罪の意識を払いたいという自分勝手なソニアの思いと、そしてその島で起こり始めた事件めいた自体に対処できるのはベムたち妖怪人間しかいないのにという正義感が先走って、ソニアをちょっとうっとうしく思わせる。

 とはいえベムは自分から本当に人間のような生活を望んだのか、といったところで示される奇妙な事象。その先にある謀略がリブラシティでの事件よりもさらに深く、それこそベムたち妖怪人間の発生からさらに過去へと遡るような深さを見せることで、ソニアの探求とベロの孤独な戦いへベムやベラを引っ張り込んでいくことになるのか。そこがお話のひとつのポイント。そんな先に描かれるベムの「早く人間になりたい」という願いが行き着く先に、ハッピーとはいいづらいけれどもひとつの堅実な物語の終わりを見る。よく頑張った。そしてこれから頑張れ。そんな言葉をベムとソニアにかけたくなって来た。 そんな映画だ。

 小西克幸さんが演じるベムは、「デカダンス」のカブラギ組長に近い雰囲気。ベムの小野賢章さんは少年さが強く出ていてとってもフレッシュ。ベラのM・A・Oさんはトニカクカワイイ。あと物語の中でとても重要な役を占めるバージェスという男を、Kis−My−Ft2の宮田俊哉さんが演じているのだけれど、これがプロの声優かと思わせるくらいに巧くてハマっている。冒頭に流された舞台挨拶的コメントでも、声優3人に囲まれ遜色のない発声をしていたけれど、本編に入るともはやアイドルグループの一員だという意識すら飛んでしまった。こういう人材がいるからジャニーズはすごい。

 プロダクション・アイジーによる映像はクールとかハイエンドというよりアメリカンコミック的な雰囲気を漂わせつつ、「THE REFLECTION」ほどには漫画的ではない微妙な線。それでも見ていると安定していることが伝わるし、アクションになればモンスターへの変幻からパワーと異能をふるっての激しいバトル、崩壊する都市といった部分をどこまでもど派手に描いてのける。安定した高品質はさすがプロダクション・アイジーといったところ。それで作られる企画が「BEM」で良いのかはよく分からない。個人的には懐かしく、面白く新しかったので良しだ。さすがに杖を手に持ち「ウー・ガンダー」は言わなかったなあ。あとそうか「BEM」の世界では変身をすると服がはじけ飛ぶのか。ベラは大変。人間になりたがるのもよく分かる。


【10月3日】 時々は秋葉原UDXシアターみたいなところで上映はされるけれど、それこそイオンシネマ幕張新都心のULTIRAとか、グランドシネマサンシャインのIMAXシアター級のサイズでもって、立川シネマシティばりの爆音で見たいし聞きたい映画「RDLINE」がそこまでのゴージャスさはかなわずとも、大きなスクリーンでもって爆音で上映される機会が久々に到来。映画公開から10周年を記念して新宿バルト9で石井克人さん小池健さんジェイムズ下地さんの登壇によるトークショー付きでの上映が決定し、そのチケットが売り出されるってんで争奪戦に参加する。

 それこそ「シン・ゴジラ」の応援上映なみにものすごい争奪戦が繰り広げられるのかと思ったけれど、バルト9の座席指定システムがどうにも引っかかりが多くて、座席指定をしようにもすでに買われた座席が表示されづらい状況が続いてうまく席をおさえられない。そうこうしているうちに良い席を買われてしまうんじゃないかと心配したけれど、タブレットなんかと並行して表示しているうちに現れた画面では、最前列は封鎖してあるから実質最前列となる2列目のセンター付近にまだ空きがある。これはと思い抑えてこちらは完了したものの、その後なんどかアクセスをしたらなななか満席にならない。

 日が明けてまた見たらセンター付近はだんだんと埋まりつつあるものの、全席完売にはちょっとまだ余裕がある感じ。世紀の傑作で、あの木村拓哉さんが主演のJPの声をあてていて蒼井優さんが演じるソノシー・マクラーレンが「Yes!」と満面の笑顔で叫んでくれる映画がどうしてすぐに満席にならないんだ、ってあたりに日本の映画でもアニメーションでも広く漂う原作を“確かめに”行く映画の多さってものが感じられてくる。それは作り手も安心だけれど見る側も安心で、そんな相互関係が濃縮されてそういう映画しか作られなくなっている状況下、まったくのオリジナルが切り込んでいってもなかなか理解されづらい。

 そこを細田守監督は「サマーウォーズ」以降の映画で挑み続け、新海誠監督もデビューしてからずっと挑戦して広がりは見えているものの、まだまだ一見のそれもリバイバルの映画に人がつめかけるほどにはなっていない感じ。今敏監督だって没後10年かかったんだものなあ。小池健監督もしばらくは「LUPIN THE3RD」を作り続けるしかないんだろう。渡部高志監督が、才能のあるクリエイターは業界にはいらずインディペンデントで作り続けた方が良いというのはオリジナリティが発揮できる場所でなくなりつつあることを、言っているのかもしれない。それでもやっぱり見て欲しい「REDLINE」。せめて9割の入りまでもっていって、ULTIRAスクリーンで爆音上映されるところまでたどりついて欲しいとここに喧伝。見れば「YES!」と言いたくなる映画だから。キムタク来てくれないかなあ。

 「先輩きたっすかわたしに逢いにきたんすかお泊まりしてくんすかご飯はどこで食べるんすか食堂っすかルームサービスっすかお風呂は大浴場っすか個室っすか背中流すっすか先っぽ当たるかもしれないっすけど夜は添い寝した方がいいっすか朝は起こしにいってあげるっすお持ち帰りもオーケーっすよ」「うぜえ」的な。そんなホテルが東所沢にオープン。いわずとしれたKADOKAWAが手がけたところざわサクラタウン内のアニメホテルで、部屋にアニメ関連の絵だとか立て看板だとかが飾ってあって、コラボレーションメニューも味わえるらしい。そのひとつが「宇崎ちゃんは遊びたい」。献血関連ではいろいろ話題になったけれど、それを目当てに来る人向けにはあの張り出した胸元も問題はないらしい。

 ほかに「とある科学の超電磁砲」の部屋があったり「この素晴らしい世界の祝福を!」の部屋もあったりして、タペストリーが飾ってあってどこのオタク部屋かとも思ったけれどオタク部屋では優雅にベッドでは寝られないからそこはひとつの理想郷、なのかもしれない。「このすば」だからといって馬小屋を再現している訳ではないし。こういう経験は前にKADOKAWAで旅行関係の部署が東京ドームシティホテルとコラボして「未来のミライ」の部屋を提供していて、いろいろと蓄積をしていたはず。成果は果たして? かといって泊まりに行くほど余裕はないし。千葉から神奈川ならGO TOは使えるんだろうか。調べよう。

 やばい媒体だとは思っていたけど権力についていくってことはここまでやばい言動でもしなくちゃいけないってことなのかなあ。某自称するところの全国紙。社説にあたるコーナーで例の日本学術会議が候補にあげた新会員のうち6人を、総理が拒絶した話についてこんなことを書いて来た。「学問の自由の侵害には当たらない。科学者で構成する政府機関『日本学術会議』が推薦した新会員候補の一部について、政府が任命を見送った一件だ。任命権は菅義偉首相にあるのだから当然だ」。

 いやいや、そこは以前に当時の中曽根康弘総理大臣が任命権を振りかざして拒絶することはないって答えているだろう。解釈を変えたならそれを公にしないと。そうした変更が学問の自由の侵害にあたりそうなことはひとまず置いたとして、任命する権利を是認するとして、だったらどうして任命を見送るかについて説明を求めるのが筋。でもそれはない。しようともしない。しないことで権力が意思をもって思想を振り分ける危険性について認識している現れでもあるのだろう。

 けれども、そうした政府の苦慮をぶち壊すかのようにコラムでは「見送りの理由は明らかにしなかった。1人はテロ等準備罪を新設する改正組織犯罪処罰法について『戦後最悪の治安立法』として反対していたといった具合に、暗に政府のご意向に逆らったから拒絶されたのは当然といった流れを醸し出している。これはやばい。けれどもそれがやばいということに気づいていないか気づいていないふりをしているのかやばいとすら思ってないのか。思ってないのだろうなあ。やれやれだ。いつか報道の自由すら奪われかねないことに気付かないのかなあ。お貸し下げの思想を代弁することが任務だから、自由なんてそもそも気にしてないのか。やれやれだ。


【10月2日】 いやあ参った。こうなるとテコでも動かないのは安倍晋三前首相も同じだったから、いったんそれが正しいと言った以上は譲ることなく押し通し、味方するメディアやらインフルエンサーやらを巻き込んでやいのやいのと論争させつつ、ほかに重要なことがあるだろうといった口調でもってすり抜けていってしまうんだろう。言論の自由やら学問の自由やらはとてつもなく重要なことで、国の佇まいを決めるくらい守らなくてはいけないものであるにも関わらず。

 報道によれば「菅義偉首相は2日夜、日本学術会議の会員候補の任命を拒否した問題について『法に基づいて適切に対応した結果だ』と述べた」とか。でもその根拠法となる日本学術会議法には「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあるだけで、学術会議側が推薦したものについて任命はしないといった法はないような書き方になっている。なおかつ以前にも拒絶される懸念から問い合わせて、それはないといった言質が出ていたりする。にも関わらず「法に基づいて」と繰り返してしまった以上は、それを法として譲ることはなさそう。これまでの流れを見る限り。

 ここでヤバイのは、菅義偉首相が譲ることをせずに6人の学者の任命を拒否したという事実だけが残ったら、その6人は理由を説明されることなく首相であり内閣であり政府でありすなわち国が拒否した学者というレッテルを背負い続けることになってしまう。昔だっったら非国民扱い。今でも口にこそ出さないけれどもそういう目で見たがるライティな人もいたりするだけに、そんな学者が国立大の教授やってるなんてと攻撃されかねないか心配だし、私大でも影響を被りそう。

 レッドパージならぬスガパージって奴がアカデミズムに吹き荒れ、言うことを聞かない学者は全員がすだれ満月になってしまうという恐ろしい状況が起こりかねない。学者でmなければすでにすだれ満月な僕には関係ない話に見えるけれど、こうやって思想信条に関して踏み込んで統制をとって、それを譲る気も無ければ反省する気も無い状況が定着すれば、この国はとてつもなく恐ろしいことになってしまう。だからこそノーベル賞をとった日本学術会議の梶田会長も組織を挙げて撤回を求めている。

 そうであるにも関わらず、安倍首相大好きを唱えてきた報道の側から「本日一番ワロタ記事。朝日が応援する左寄りの学術会議に手突っ込まれて怒り心頭なのはわかる。だけどこれが学問の自由への侵害と考えるのはごく一部の記者と学者と政治家だけなので皆さん騙されなきよう」とかってコメントが出て来たりする。もうどポンコツかと。一部の記者だけが喝采を浴びせている上に、一部じゃない学者の総本山が挙げて反対しているのに、それを見ようともしないで菅首相を褒め讃える。もはや一種の芸域にまで達していると言えそう。もちろん幇間芸だけど。それくらい好きなら頭もすだれ満月にすれば良いのに。僕はしてるぞ。自動的にだけど。

 「BLEACH」西欧編ってことだとするなら、舞台は「鬼灯の冷徹」のEU地獄みたいなところだろうかとちょっと思った「BURN THE WITCH」。久保帯人さんによるコミックの連載とか読んでなくって、前情報とか入れてなくってバルゴ・パークスって少年が「パンツ見せて」と叫ぶ羽の生えた犬っころにつかまり浮遊しているのを2人の魔女が箒じゃないドラゴンめいたものとか羽根つきステッキみたいなものにまたがって飛んで助けたりしている展開からしてよく分からない。

 そのうちのニニー・スパンコールって金髪の魔女が表ロンドンではアイドルグループの一員で、つまりは裏ロンドンってのがあってドラゴンがいたり魔法が使えたりするような場所だったりという二重構造。とはいえそうすソサエティみたいに行くのが大変ってことでもないみたい。そんな重なり合ったロンドンの裏で起こっている大騒動。バルゴは竜をざわつかせるかという理由で排除されることになって、護廷十三隊……じゃなかったトップ・オブ・ホーンズって円卓のメンバーからブルーノ・バングナイフってのがやってきてバルゴを始末しようとする。

 そこに、ニニーと同じグループのメンバーだったメイシー・バルジャーが面倒見ていたドラゴンが、大変化してとんでもないものになってさあ大変といった展開。そこからバルゴにも裏ロンドンでもトップ級の怪物たちをおびき寄せては始末するのに使えるとあって始末命令が解除され、メイシーも加わって、ニニーと新橋のえるの2人を中心にいろいろ大騒動が巻き起こる、ってことで良いのかな。
B  そんな2人が所属する笛吹きたいのチーフが怪し気な風体だけれど行動も怪しげ。いったい何者ってあたりは漫画を読めばわかるんだろうか。読まなきゃ分からない映画ってやっぱり不親切だし、練りこまれた脚本って感じにもなってないけどテレビシリーズの一端めいたものだと思えばこれはこれで美少女の魔女が飛んだり戦ったりする展開を楽しめるのから別にいいのか。新橋のえるはとにかく大きいし。何がかは言わない。舞台挨拶の中継もないかいだけれどほぼ満席。それだけ世間には久保帯人さんと「BLEACH」の人気がまだまだ高いってことなのかも。

 池袋の丸井が来年の8月で閉店だそうで、最近はよくアニメ関係の展示会なんかを開いていて、今敏監督の上映会もあったりしたのでそっち方面で繁盛させていくのかとも思ったけれど、基盤となる店の売り上げが落ち込んでいては支えるだけの体力も乏しくなってしまうのだろう。微妙に池袋駅の西口から遠くて行く理由がなかなかない。それこそ立教大生でもなければ行かなさそうな上に、最近は東口にグランドサンシャインシネマやらTOHOシネマズ池袋やらが出来て大繁盛。サンシャインまで行かずとも遊べるからそっちに人が流れてしまった感じかなあ。他に何が入っても客は呼べないならいっそオフィスにするかというと、それもままならないテレワーク事情。巨大な漫画喫茶にして6万円で1カ月滞在できるくらいにしてくれれば、泊まり込むのに5年くらい。


【10月1日】 僕にとっては「ムーミン」のスニフだろうか。その前に「鉄人28号」の再放送で大塚署長としての声を聞いているかもしれないけれど、強く印象づけられたのは1969年放送の「ムーミン」におけるスニフで、それをやっぱり再放送か何かで見てそして、「ドラえもん」の声を演じてスニフだって思ったのが、声優がいろいろな役を演じていることを感じた初期かもしれない。そんなスニフでありドラえもんであり後のバカボンのパパでもある声優の富田耕生さんが死去。いろいろな声を聞かせて下さりありがとうございました。

 確か10年くらい前に、赤塚不二夫さん原作のアニメを集めたDVDが出る際に、赤塚アニメに出演していたレジェンド級の声優さん、ニャロメの大竹宏さんにバカボンのパパの富田耕生さんに本官やイヤミの肝付兼太さん、そしてひみつのアッコちゃんの太田淑子さんに揃ってインタビューする機会があった。その時に最初の「天才バカボン」と、そして「元祖天才バカボン」で雨森雅司さんが見事にハマっていたバカボンのパパを、富田さんが演じるにあたって悩んだことを伺ったっけ。

 「富田耕生さんは、91年放送のテレビスペシャル『バカボン・おそ松のカレーをたずねて三千里』でバカボンのパパを演じてる。72年の『天才バカボン』や76年の『元祖天才バカボン』で演じていた雨森雅司さんが84年に死去。あの口調も含め、日本人の心に大きく浸透したキャラクターだけに、90年の『平成天才バカボン』で後を継ぐことに『悩んだし、やめた方が良いとも言われた』という。ベテランでもやっぱり悩むんだと驚きつつ、それだけ役に真剣なんだと感じさせられた。

 けれども「しかし『赤塚漫画の基本は、ギャグとペーソスといたずらっぽさがあること。それを基本にやれば良い』と決めて収録に臨み、『似せてやるのはつまらない』とそのままの自分で演じきった」という。インタビューの時、初代ニャロメの声で有名な大竹宏さんが、富田耕生さんのこの言葉に添えて「声優志望者で、声を変えれば良いと思っている人がいっぱいいるけれど、そうじゃない。内面から喋らないと」って話してくれたっけ。ちなみに肝付兼太さんも、小林恭治さんのイヤミを継ぐ形になって、赤塚不二夫さんが肝付さんのイヤミは違うって言っていたとぴえろの布川ゆうじさんから聞いたらしいけど、後から何も言われなかったので受け入れられたんだろうと話してた。

 その肝付さんが聞いた富田耕生さんのバカボンのパパは「違和感なかったよ」とのこと。これに答えたたのがさっきの富田耕生さんの言葉。インタビューから披露と「ハートは同じだから。雨さんと。赤塚漫画の基本はギャグとペーソスといたずらっぽさがあること。それを基本にやれば、後ははねまわっていればいいなあと」。平成天才バカボンのパパはこうして生まれた。声優志望者はだから何かに似せるんじゃなく、自分の声で役になりきることで役を自分に引っ張り込むことを考える必要性があるんじゃないかな、ってそれを言って通じる力量があったからこそ富田さんも肝付さんも演じられたんだろう。あとは認める周囲もあったと。肝付さんも3年前に亡くなられ、昭和のレジェンドたちがどんとんといなくなる。大竹さん太田さん、長生きして下さい。

 田辺聖子さんの短編小説を「ノラガミ」のタムラコータロー監督が劇場アニメ化した「ジョゼと虎と魚たち」を試写で観る。公開までまだ時間があるからあまり言わないけれどもとりあえず、大阪を舞台におしゃれな絵柄で青春がつづらられるアニメーションは珍しいけどとても感触が良く、そしてジョゼという車いすの女の子が喋る、というか演じた清原果耶さんの大阪弁がとても強気で可愛らしかった。あと中山大志さんの喋りが細谷正佳さんばりにナチュラルで良かった。それから図書館の司書として出てくる女性が眼鏡っ娘で可愛らしかった。総じて素晴らしいアニメーション映画。東京国際映画祭でかかるのでまた観に行こう。

 日本学術会議に推薦された105人の会員からなぜか6人が内閣総理大臣の任命を受けられず、メンバーになれなかったという話はいよいよもってヤバい国になって来た感がわしわしと漂い漏れる感じ。なるほど総理大臣が任命する形だから拒否だってできるんだろうけれど、そこは過去において内閣法制局が推薦に対して総理大臣が拒否することはないといった前提があるとかいった方針を出していて、ある種の形式になっていることを示している。認識としても学問の自由を憲法が保障している以上は、そこに今の政府にとって気に入らない信条の持ち主がいたとしても、学問的な業績とは切り離して考えるべきで認めるというのが当然だし、感覚的にも度量の広さを示すことになる。

 でも拒絶した。過去において前例がないことをやった以上はどうしてかを説明するのが普通だけれど、今の総理大臣と官房長官では法律にそれが認められているからそうしたまでで理由を説明する必要はないといった言い逃れをしそう。そして総理の幇間メディアが総理大臣は権利を行使しただけなんだから周囲があれこれ言うのは筋違いといって支援しそう。でもそんなメディアも政権が変わって自分たちが推す思想信条の持ち主が拒否されたら横暴だと文句を言うんだろう。その程度の覚悟で学問や思想信条の自由を右に左に揺るがして平気な内閣と幇間メディアに引っ張って行かれるこの国の末路やいかに。やれやれだ。


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