縮刷版2019年7月下旬号


【7月31日】 日本サッカーリーグ(JSL)でも2部の所属で、読売クラブとか日産自動車とかヤンマーとか古河電工三菱重工日立製作所といった名門企業と比べて名前も知られていなければ、強さも及んでいなかった住友金属工業サッカーチームがJリーグの発足時に名乗りを上げ、あのジーコを呼んでチームを強くしたことで茨城県鹿嶋市という地方に拠点を置きながらも、その地方との連携というJリーグの理念をひとつ体現する存在として認められ、晴れてJリーグのオリジナル10に参画しては当初から異例の強さを発揮し、これまでに幾度となくリーグ優勝を果たしカップ戦の優勝も果たしてJリーグの中でも屈指のクラブとなって今に至る。

 普通ならそれで経営は安泰なはずなのに、ホームタウンへの定着の一方で世界で戦えるプレミアムなチームの登場という二重構造が世界各国のリーグを盛り上げる中、日本だけが超絶的な強さと人気を誇るビッグクラブを作り出せないままサッカー人気を衰えさせ、平準化されつつも突出しない運営を強いられている状況が続いている。今や名門となった鹿島アントラーズも鹿嶋市では圧倒的な人気を誇り全国にそれなりにファンを保ちながらも、親会社の住友金属は今はなく日本製鉄へと吸収される中で運営担当も代わり、前ほどの支援も受けられなくなてちたという。

 なんとも勿体ない話だけれど、企業としての活動とスポーツチームとしての展開はまた別の話なら、鹿島アントラーズがアントラーズとして独立独歩していくのがやっぱり筋。そしてJリーグ全体の盛り上げも不可欠となっている。そうした事情もあったのだろう、日本製鉄からあのメルカリが鹿島アントラーズの株式を引き取り運営権を取得。鹿嶋市をホームタウンとすることは変えずにチームを経営していくこといんなったみたい。それは果たして歓迎できる話なのか。住友金属のサッカーチームがJリーグの理念を体現してトップチームになっていったという、神話の出だしが崩れてしまったようで心元ないけれど、地域密着という理念を崩さずに運営してくれるのなら、それはそれでチームもファンも安心してこれからも進んでいけるような気はする。

 同じIT系で楽天がヴィッセル神戸を手に入れては、著名な選手を世界中から招いてチームの人気を盛り上げようとしていて、あのイニエスタにポドルスキといったワールドカップクラスの選手が所属するようにはなったけれど、フル回転してチームを強くし優勝戦線に絡むような感じではない。そして神戸はやはり神戸であってたとえばバルセロナであったりレアル・マドリードであったりマンチェスター・シティやチェルシーであったりバイエルン・ミュンヘンといった世界的に知られたチームになり得ていない。それが神戸にいるからなのか、首都圏に移転すれば変わるのかは不明だけれど、ひとつビッグクラブを作りその人気で他のチームも盛り上がって全体が底上げされる道も、決して考えてはいけない訳じゃない気はしている。でなければこのまま埋没が続いてしまいそう。プロ野球と同様に。

 かといってメルカリは首都圏に移転はしないそうで、原状を維持しつつ活性化を狙うという。そのための施策は何だろう? チーム編成の改善か、サービスなり技術を利用しての認知度向上か。手っ取り早いのは選手だけれど今、日本人が誰でも知ってて客を呼べる外国人選手なんてロナウドかメッシくらいのもの。とてもじゃないけど呼べはしない。となればやっぱりホスピタリティの向上による動員増か。プロ野球でDeNAが横浜ベイスターズを買って休場を整え観客動員を増やしていったという実例もあるから、鹿島も変えられないはずはないけど、ことサポーターの部分で“伝統”が強すぎるきらいもあるチームが変わるために何が必要か。いろいろ議論されてくるんだろう。それを見て動くかなあ、我らがジェフユナイテッド市原・千葉も。いったいいつまでJ2の底にいる気なんだろう。

 取材の依頼が回って来なかったので行かなかったVAQSOってベンチャー企業による味が変わるVRの発表会。いつか学生たちによるVRコンテストで、VRヘッドセットを装着したまま感想させた生物を食べるとそれがVRで見ているエビの味に感じられるけれど、実際には別の食用には適していてもイケナイ虫を食べているってことがあって、人間は視覚に随分と引っ張られるものだと思ったことがある。あとは電気刺激によって下に味覚を与えるといったテクノロジーもどこかで体験したっけ。VAQSOのVRはそれとは違って、特定の味にはしていないフローズンを味わってもらう時に匂いを発生させるというもの。もともと匂い付きVRの開発をしていたVAQSOだけに、食べる時に食べたいにものの匂いを選んで発生させるみたい。

 それで騙されるのかというと相当に騙されるといったリポートが出ていたりする。そうでなければ発表なんかもしないだろう。いちごにレモンにメロンにブルーハワイといった香りが味になって感じられるというからよりどりみどり? その差がどれだけくっきりと出るかは体験してみないと分からないけれど、単体の素材だけを積んだ宇宙船の中、匂いを操作することによって食べているものをいろいろと変えるといった展開に利用できるかもしれない。味なんて不必要、歯ごたえと栄養さえあれば人間は死なないって言うけれど、味がないと食欲が落ちるって人もいるからやっぱりそこは欠かせない。そうなると次はバリエーションとなっていく人間の欲望に、答えた製品って言えるかも。どこかで体験できないかな。

 他でよく書いていた人が珍しくメディアワークス文庫から刊行。森山光太郎さんによる「漆黒の狼と白亜の姫騎士 英雄讃歌1」は、まだ17歳くらいのエゼアル・スラヴァードという少年がフェガリ皇国の中で屈指の戦術家であり戦士として名を馳せるようになって、攻めてくるアウルム王国を相手に対峙していた。一方でアウルム王国では神将と名高い元帥の秘蔵っ子としてルーナ・ミセリアという少女が台頭。その仕事の途中で立ち寄った村が野盗に襲われているという展開から、行き当たったエゼアルが助太刀するような形で共闘して野盗を退けるものの、あわせてルーナやその上司が仕込んでいた作戦も見破られてしまう。

 アウルム王国としてはとりあえず目指す提督は倒せたものの一挙に攻める計画は頓挫。ルーナの麾下の兵士もエゼアルが率いる黒騎士の一団に壊滅させらえるなどその異能が広く伝わることになる。1度は背中を預けて戦い合った2人が国を違えて激突することになりそうな展開。知略に優れ軍事に長けた物たちが繰り広げる戦いは陰惨なものとなるのかそれとも。魔法や異能といった要素は見えず純粋に戦記物として楽しめそうな新シリーズ。どちらかが倒されて終わりとなるか、それとも共闘してさらなる敵に立ち向かうか、いろいろ想像もしたくなるけどまずは2人の激突の行方を見定めたい。次はいつ出るかな。


【7月30日】 京都アニメーションで作画された絵をスキャンして保存していたような原画サーバーが消失を免れ、類焼だとか水没といった自体もかわして中のデータを無事、取り出すことに成功したという話が流れてきた。起こった事件が事件で犠牲者も大勢出ている状況が根底にあるだけに、幸いではあっても本来それを幸いと呼ぶことなどなかったと思うとど、やはり悔しさが募る。鉛筆で描かれ筆圧もタッチも目の当たりにできる原画はやっぱり失われてしまっている訳で、そちらの哀しみの大きさを考えるなら、サーバーにデジタルデータが残っていたって……といった気分も浮かぶ。とはいえ、すべてが失われてしまった訳ではいのならそれを活かす道もあるだろうし、考えていかなくちゃいけないだろう。

 7月から三鷹のアニメーション会社に潜って手描きの原画を日々、触っているので鉛筆の線が筆圧めいたものまで含め感じられる物質としての原画が持つ価値というのを、何とはなしに感じていたりする。そこに修正原画などが重ねられた状態で存在していることで、浮かぶ制作の道程なども感じられるので、やっぱり紙でありカットごとでありカット袋も含めてでありといった状態が保たれていればと思ったりする。これが前提。それが無理となってしまった状況で、サーバーに残っていた原画なり修正原画なり設定資料なりをどう活用するかがひとつ、大きなポイントになるだろう。

 美術的芸術的価値から残っていて良かったと思う人たちがいて、それも当然で京都アニメーションの作品の原画は繊細で美しかったり凜々しかったりして見て素晴らしい。アニメーションの大元であってもその1枚1枚をアートとして護持して保存していきたい気持も分かる。原本が無理ならコピーでも。それが可能になった。一方、制作における技術の小計という意味で、紙に引かれた鉛筆の線の勢いなりタッチなりを目の当たりに見て、それらがカットとしてつながっているのをパラパラやって確認することも勉強なら、タッチの部分が失われたことは残念として、改めて紙にプリントしてカットの形にして触れられるようにすることで、アニメーション制作における技術の承継を促す。

 プリントが持つ意味は、デジタルではやはり永久といったスパンを保存するのは困難で、保存状態を維持すること、バックアップをとること、それが後世のマシンやソフトで閲覧可能であることといった問題がいろいろあって、手間も費用もかかりそう。紙なら重ねて積んでおけば原材料にもよるけどそれこそ1000年は保つ。鉛筆だったら重ねても写らずくっつくこともかったけれど、そうでないならインクでも褪色せず転写もないものを使い変質や腐食に強い紙を使って残しているような流れが、生まれてくればサーバーが焼け残った意味もある。そんな気がする。

 もちろん、デジタルでの保管も重要だけれど、それにはサーバー自体がどこまでの年月を耐えられるかといった問題と、限度があるならどうやって繋げていくかといった課題に挑む必要がありそう。これはアニメーションの原画に限らず写真にだってある問題。デジタル化されてフィルムが使われなくなった現在、どういう保存のされ方をされているのか、されていくのかをどこも考えているだろう。写真が商売にも繋がる新聞社なんかだと、歴史と体力があればプリントを残しマイクロフィルムとか作りつつデジタルにもしてバックアップもとれそうだけれど、体力がないとスキャンしてデジタル化したらプリントは捨てちゃったとかやったりするからなあ。自分のHDDにはこの20年近いデジカメ撮影での画像が割と残っているけどクラッシュのあった時期とか飛んでいるから残念。今のうちに全部どこかにまとめておきたい。使う機会はもうなさそうだけれど。

 記事なんかでよく報じられる「京都アニメーションの作品の原画は貴重な芸術作品であり文化財である」という見方はもちろん大切な側面であって、総合芸術であるとこのアニメーションの源流に位置する成果物として残されていて欲しかったと思うけど、一方で京アニに限らずアニメーション作品の原画はアニメ作りという業務において頻繁に活用される生きた部品とも言えるもので、再利用なり参照されてこそ生きる部分もある。そのために効率的に活用が可能な保管と参照の仕組みを作っているのだ、ってことがこの1カ月くらアニメーション会社のアーカイブ部門を手伝って分かってきた。芸術に偏るとそうじゃない作品は不要かといった話に傾きかねないので注意しないと。そしてやっぱりすべてのアニメーション会社が幸せになることを願わないと。

 クリニックに行って処方をもらい薬と引き替えてこれで1日1錠分をちゃんと飲めるようになった。前も次の診察日までの分をもらったはずなんだけれど、どこかで落としたかして数が足りなくなって先週とか1日に半錠を囓って堪えていた。それでもグッと眠くなるから1錠だともっと眠くなるかと心配したけど、午後にトラックが来てカット袋を90箱余り運び出す仕事が入ったんで眠くなっている暇なんてなかった。3人が3大の台車にそれぞれ10箱は積んで3回くらい運んだかな。大昔にディスカウントストアの食品部門でアルバイトをしていて台車にジュースとか積んで店内に保っていった経験が役立ったよ、ってそれ35年くらい前の話じゃないか。

 むしろこれから再就職するにあたって運送屋さんの仕事が見つかるかもしれない。それ本当に自分がやりたかったこと? いやでもアーカイブって基本はそれなんだよなあ。そうやって在庫を登録して所在を確かめすぐに取り出せるようにする。そのことで便利になる制作の人もいるだろうし、将来において長期に保管しておくための基礎データになる。日々そうしたデータを手作業で蓄積していくのがアーカイブの仕事なら、それもやっぱりしっかりアニメーション作りに関わっていると言えるのかもしれない。間接クリエイティブ。まあそれも良いか、今の状態ではすぐにモノカキな仕事なんてもらえるはずもないんだから。

 せっかく三鷹まで通っているんだからと、高円寺に場所を変えて始まったオタク大賞マンスリーを見物に行く。お題は「祝『天気の子』大ヒット!新海誠大喜利大研究」ってことで宮昌太郎さんを司会に志田英邦さんと機長さんが並んであれやこれや語るというか、いろいろな視点からの見方というやつを提示してくる。例えば「天気の子」で新海誠はパンツを脱いだとかいった。つまりは「君の名は。」ではまだ年上のベテラン作画陣をそろえてゴージャスにやってみたけれど、「天気の子」では同じ世代のアニメーターとか並べ自分がやりたいことをやっている感じ。あるいは年下の姉という不思議極まりない萌え属性を生み出してみたりとか。そうした独特の見方で、なおかつクリティカルな言説が出てくるから雑誌とかサイトとかのインタビューなり評論なりを読んでいるよりこういう放談は面白い。やっぱり足を運ばないと見聞は広がらないと分かったので多少復活した気力を振り絞ってあちこち通おう。いつかまた志田さん宮さんのようなライター仕事もやりたいなあ。


【7月29日】 Netflixで見られるからと録画もしていない「ダンベル何キロ持てる?」の第3話。学校の先生が近所に出来たジムに通い始めたら生徒がいたといった展開から、ダンベルや鉄アレイやペットボトルや本を入れた紙袋を持って持ち上げて下ろす運動を学ぶ。これなら家にあるもので出来そうな。前は取材といってあちらこちらに出かけていっては歩いていたけど、今は倉庫にこもってカット袋を眺めたり下ろしたりする日々。それも体力は使うけど、足の方がちょっと萎えてきた。事務系のサラリーマンとかプログラマとかアニメーターってやっぱりそんな感じなのかな。アニメーターよりは力仕事はしているか。でもちょっと運動不足。吉祥寺から歩くかなあ。それもちょっとしんどいなあ。

 朝から定例のクリニックに行って現状を報告して処方をもらう。午前4時とか朝も早くに目覚めて、それから悶々とする状況からは脱しても、残っていたらどうなっていたんだろうという未練とか、数年先とかどうなっているんだろうという不安とかはやっぱりあって、それが消えるには半年とかかかるものだと言われて、そういえば昨日もゲームデザイナーの人から同じ様なことを言われたなあと思い返す。慣れていってもう前には戻れないと思うようになれればそれで良いんだけれど、現状肯定の先に将来不安を募らせる心配性はなかなか治せないものだろうし、そこはもうちょっとかかるかもしれない。

 記者という承認欲求のカタマリのような仕事から外れると、何かに役立つかもしれないといった理由をつけて散々っぱら出歩いていたものが、もうインプットも不要と思うようになって出不精になっていく。テレビもほとんど見なくなる。アニメだって「ダンベル何キロ持てる?」くらいしか見ていない。あと「キャロル&チューズデイ」か。面白そうなイベントがあってもそれを見たから何だといった感覚に囚われ足がすくむ。SF大会があったとはいえワンフェスにいかなかったし、5月のデザインフェスタにもいかなかった。面白そうなアニメーションの上映イベントがあっって、SF大会から回れば行けたけれどもいいやと思ってパスしてしまった。

 前は仕事に関係なく面白そうなことを観て嬉しがっていたんだのに、どうしてそんな気分に逆転してしまったんだろうかが謎だけど、だったら元に戻って自分が見聞きしたいものを見聞きして満足を得るようになれば良いものの、そこへと至るにはやっぱり少しの時間が必要なんだろう。とはいえ当時と違って収入はなく、行きたい場所に気楽に行ける身でもなくなった。こういうストレスがジワジワと身を削っていくのか、適応をして自分のライフスタイルにマッチした日々を送れるようになるのか。とりあえず目先に与えられているお仕事をこなしていくしかないんだろう。今日も三鷹へ。

 記者としてのライティング能力を活かせる職場として、編集プロダクションとかどうかと思っていろいろと探してみたけれど、どこから何を受託しているかでランクもあって大手から受託してたらやっぱり安心できるプロダクションなのかなあと思っていたら、どうもそうでもないらしい。あのJR東日本が広報誌を委託していた編集プロダクションが作った冊子に掲載されていたインタビューが、存在しない人へのものとなっていたとか。というか前に行ったインタビューをいじって再掲載して別の人の名前を付けたらしい。いやはやとんでもない所業。

 理由は予定していたインタビューが行えなかったかららしいけど、それなら別のインタビューを掲載するのが筋であって、無理なら飛ばすしかない訳だけれどスケジュールも内容もある程度フィックスされた状況で、変える訳にはいかなかったんだろうなあ。とはいえ担当のライターがでっち上げても、編集長なら確認ができるし校正とかを経ているなら確認だってするだろう。納品されたJR東日本の側だってチェックはしていて当然なのに、全部スルーで掲載されて挙げ句に休刊とかあり得ない。それとも長く使っていたところで、間違いは犯さないといった安心があったのか。単なる馴れ合いか。分からないけど編集プロダクションとかこれからの進路としてやっぱり気になるところだけに、他山の石として噛みしめたい。

 蒸気た立ちこめ機械がうなり猟奇が漂う。そんな設定を持って繰り広げられるスタイリッシュな物語が、スチームパンクというカテゴリーに求められる要素だとしたら、白雨蒼さんの「英国幻想蒸気譚1 レヴェナント・フォークロア」はまさしく直球ストライクを行くスチームパンク作品だ。舞台はロンドン。美女の体から鋼鉄の手足が生えた怪物が通りがかった男を襲うも、現れた東洋人らしい男が剣を振るって怪物を撃退。救われた男はヴィンセント・サン=ジェルマンを名乗り助けたツカガミ・トバリと同居をするようになって。ロンドンで起こる人が心臓が抜き取られて殺害される事件に挑む。

 ベーカー街に住むという私立探偵から紹介を受けたという少女が、失踪した同級生を探して欲しいという依頼を持ちこみ追った先に現れたのは、トバリと因縁があって彼の家族を惨殺し、行方をくらましたボクを自分を呼ぶ女。以前にも増して凶暴さを強め戦闘力もアップした彼女を支援する人物と、サン=ジェルマンにも深い因縁があったようで、そんな2組による新たな対決が始まる予感を示しながら物語は次巻へと続く。有名人がぞろぞろと登場。もしかしたらトバリとヴィンセントの事務所に雇われる少女にもモデルなんかがいるのかもしれない。彼女の雇い主はグラハム・ベルって名前だったし。

 物語自体は肉体を改造された怪物たちの跋扈があり、過去から続く錬金術師たちの抗争があり、そして舞台となっている時代に生まれ生きる男と女の愛憎入り交じったバトルがあってと、読み手と楽しませてくれる要素がてんこ盛り。レストレード警部が活躍する時代ならではのあの名探偵の登場もありそうで、増えていく有名人たちがトバリと女の戦いにどう絡んでいくかに興味を誘う。「彼は竜殺しの英雄(ジークフリート)ではない」「彼は聖人ジョージ(ゲオルギウス)ではない」「彼は怪物を殺す者(ベイオウルフ)ではない」といった畳みかけの言葉遣いもスタイリッシュでリズム感もあって引きつけられる。ネット発の才能が繰り出すスチームパンクの新シリーズとして、どこまで広がりどう収まるのかを見ていきたい。


【7月28日】 「WONDER」とか「AND AND」といった作品で日本のみならず海外でも知られるアニメーション作家の水江未来さんが、文化庁からUNIJAPANを通じて行われている映像クリエイターの海外で開催される映画祭への出品支援がこのところグッと減額されてしまっている問題を指摘していた。調べたら同じ様な嘆きをしている映像クリエイターが割といて、これから世界に出て行こうとする、そしてそこでの評価を得て映像を一生の仕事にして優れた作品を送り出し続ける活動に滞りが出るんじゃないかと心配している。

 世に出たいんだったら自分の責任で出れば良いじゃん、というのはひとつの理想だけれども初期の段階でかかる費用は漫画や小説やアートの非じゃないのが総合芸術としていの映画でありアニメーション。そして世界の映画祭での評価がダイレクトに活動に跳ね返ってくるのも映像の世界であって、そこでひとつの評価のチャンスを閉ざされてしまうというのは映像クリエイターにとって死活問題。なおかつ日本という国の価値を文化面から底上げする活動に滞りが出て、結果として世界の中で埋没してしまう可能性もあって、どうしてそういう将来への投資をスポイルするのかが分からない。いや別の意味で分かりすぎるんだけれど。金がないんだこの国は、そういうものに投資する。

 水江さんの指摘で調べたら、UNIJAPANの平成31年度の募集要項では確かに支援額が全体の2分の1になっていて、そして上限も以前は個人のクリエイター向けのカテゴリーで20万円だったものが15万円に引き下げられている。さらに別の指摘も見ると以前は海外字幕をつける費用は別に用立ててもらっていたものが、今回は渡航費用とこみになっていたりして、そちらで以前は70万円の上限とかあっただけにこれはちょっと下がりすぎといった気がする。それも問題だけれど、水江さんによれば出品できる映画祭が限定されて、個人の映像クリエイターの挑戦できる可能性がグッと狭まってしまっている。

 見渡すと関口和希さんとか野田ゆり子さんとか個人のアニメーション作家が困っている感じ。別のクリエイターの人によれば、フランクフルトで行われる世界最大級の日本芸が際「ニッポン・コネクション」日本国際映画祭が対象外になっていて、それから香港国際映画祭も入っておらず欧州やアジアへと出て行くステップを奪われてしまっている恰好。北米最大級のジャンル映画祭でアジアからの出品が多くあって、今敏賞という日本にとって嬉しい賞まで作ってくれたファンタジア国際映画祭もなければ、韓国で開かれる。富川国際アニメーション映画祭も入っていない。富川国際ファンタスティック映画祭はあるのに……。世界にわんさか映画祭はあってたった23の映画祭しか認めないとかいったい何? もう出て行くなと言っているとしか思えない。

 インディペンデントなアニメーション関係にはさらに厳しく、世界4大アニメーション映画祭としてアヌシー国際アニメーションフェスティバル、広島アニメーションフェスティバル、ザグレブ国際アニメーション映画祭と並ぶオタワ国際アニメーションフェスティバルが対象外になっている。欧州でもドイツ語圏に届くシュツッツガルト国際アニメーション映画祭も支援の対象外。ほかに世界にいっぱいあるアニメーション関係の映画祭に出そうとしても渡航費用や字幕を付ける費用がかさむため、出せない状況になってしまった。東京藝大院の久保雄太郎さん米谷聡美さんがコミック「とつくにの少女」につくアニメーションを「進撃の巨人」のWIT STUDIOで作ったりと個人クリエイターが商業で活躍するケースも増えて垣根が崩れる中、新鋭が世に名を売る唯一の機会とも言えそうな映画祭への出品をスポイルされて、将来なんて開けるのか。そこに疑問が浮かぶ。

 これはUNIJAPANがいけないというより大元の文化庁が絞っているのであって、それはだから財務省であり政府が絞っているとうこと。クールジャパン推進とかいったって内実はこんなものってことなんだろう。一方でクールジャパンなんとか機構に何十億円とかぶっ込んで、それが成果をあげずにどこかに溶けてしまった話も伝わっている。もちろんクールジャパン機構も必要な組織ではあるけれど、運用の部分で問題があってもあっちは安泰、こっちは削減といったちぐはぐさは否めない。問題は、そうした制度のうよきょくせつで翻弄されるクリエイターたちが、世の中に出ていく機会を確実に奪われるということ。そして映像作家が世に送り出されず、日本の地位が下がっていくということ。将来への投資を怠ったツケが、遠からず科学分野で出そうな日本で文化も沈んで何が残る? まったくもってやれやれだぜ。

 朝はやっぱり沈んでいるけど寝ていたら暑さで腐るので第58回日本SF大会こと「彩こん」へ。11時過ぎには到着したものの午前のプログラムはすっ飛ばしてディーラーズルームで売られていたお弁当を購入して昼ご飯。ただのミックスフライ弁当で1000円はそりゃあ高いけれど、館内は飲食禁止でそこでだけ食べられるものということで仕方が無い。見知った方々に次のお仕事はないかどうかと探って歩いて種をまく。芽吹くかどうかは分からないけど、まかなきゃ咲かないので頑張るしかないのだった。

 そして午後から「ディノブレイカー」という2000年代にジーベックが手がけてアメリカのカートゥーンネットワークで放送されて、そして日本ではANIMAXでだけ放送されたアニメーションで、日本ではパッケージにならず現在見ようとするとバンダイチャンネルで見るしかなさそう。というより存在が知られていないから見ようという人もあまりいないんじゃないかなあ。なので今回を機会に盛り上がって欲しいけれど、ジーベックに果たしてどれだけ資料が残っているか、神谷純監督も分かっていないみたい。引き上げてきた段ボール箱の中に果たして入っているんだろうか。今は「機動戦艦ナデシコ」絡みをサルベージしているけれど、他にもいっぱいあった作品もやっぱり拾い集めて残したいなあ。でないとジーベックという会社が忘れ去られていってしまうから。


【7月27日】 警察による身元の調査も終わってご遺族の方へと続々と連絡が入っているみたいで、そこを捕まえる形でさまざまな訃報が飛び交い始めている感じ。しばらく前から新聞とかテレビなんかに名前が出て来た監督について、いよいよ実名の報道があって日本のみならず世界が哀しみの声を上げているのがツイッターから伝わってきて、当人や周囲が思う以上に世界にその良さが伝わっていたことが分かって悲しくなる。

 僕たちにとっては「らき☆すた」の引き継いでの監督さんであり、「フルメタル・パニック ふもっふ」や「甘城ブリリアントパーク」の監督だけれど、海外だと「氷菓」や「鈴木さん家のメイドドラゴン」なんかの評価も結構高い。ほのぼのとしてしっとりとして楽しい物語を丁寧な映像と演出で描く。そんなアニメーションの良さが舞台こそ日本であってもしっかりと世界に伝わっているってことなんだろう。万国共通の良さを生み出せるスタジオの現時点での停滞はだからやっぱり日本にとって大いなる損失なんだと国は知るべきだ。それをやるのが人気取りの政策であっても何か成されるのなら応援したい。

 そしてもうひとり、こちらも映画祭で多く支持されたアニメーション映画でキャラクターデザインを手がけていて、可愛いだけではないどこか憂いと内面を持ったキャラクターを描いてスタジオの作風に新しいページを加えた。もしも「リズと青い鳥」が従来の「響け!ユーフォニアム」と同じキャラクターデザインだったらあの緊張感、あの静寂観は出なかっただろう。「映画 聲の形」が別のキャラクターデザインでも、パッションが前面に出すぎて観ていて痛くなっtだろう。繊細で静謐。それでいて命を感じさせられるキャラクターを描ける人だった。「氷菓」で監督とキャラクターデザインを担った2人。そして色彩設計の方も……。今さらながらにとてつもない犯罪だったこと実感して震えて涙する。命ある身で落ち込んでいる場合じゃないなあ。

 とはいえ、人が多く集まる場所はそれだけ多くの人が人生においてしっかりとした営みを送っていることを目の当たりに見せつけられ、そしてクリエイターも多くいる場で我が身のクリエイティブな才能の無さを改めて噛みしめさせられ気鬱さもグッと増す。自分はどうしたら良かったんだろうと思えて後ばかり振り返る。それはだから数年後の未来に問題を先送りしているだけだと分かっていても、起こっていない不幸はやっぱり感じられないものなのだ。とはいえ引きこもっていては暑さに体がヤられてしまうので頑張っておきだして第59回日本SF大会こと「彩こん」へと向かう。暑いなあ。

 開会式を終えてとりあえず、山賀博之さんと赤井孝美さんが出席して「王立宇宙軍 オネアミスノ翼」を語るコーナーを見物、まだ若い頃から喰うための道を考えてはアニメを作り特撮を作り会社を作って映画まで作ってしまった面々が語る、持っていた才能を越えて努力した先にあった現在の姿だと思うと今からどれだけのことが自分には出来るのかと沈んでしまう。これだけのことをやって来たって言いたいけれど、それすらなかったことにされてしまった気分を押し上げるのはやっぱり難しいのだ。

 トークで興味深かったのは、決して自主製作チームがそのままプロになったって訳じゃなく、すでに「超時空要塞マクロス」でプロの仕事に触れていた面々がよりプロ化していったといった認識でいること。「DAICON4」のオープニングアニメーションから繋がっている訳ではないのだ。当事者たちの意識から語られたことだから本当なんだろう。そして話はバンダイの社長を説得して作り始めたあたりと、美術を頑張ってそして色調が背景とセルとで違和感があってはいけないと、セルの上から汚しのペイントを入れたといった話が赤井さんが語られたこと。後に「まほろまてぃっく」で信号機にまで汚しが入れてあって、それはさすがにということになったらしい。ガイナックスのある種の伝統。これから気をつけて見ていこう。

 司会といいつつただの見物人として笹本祐一さんと佐藤竜雄監督という「ミニスカ」から「モーレツ」となった宇宙海賊の話なんかを含めていろいろと聞く。どういう理由かはともかく今はKADOKAWAからシリーズが再刊となって新作も出ていろいろと楽しみ。佐藤監督は「遊戯王」の仕事なんかをしていたようで、監督作品がちょっとしばらくないけれども今、いろいろと仕込んでいる感じがあるみたい。「天気の子」も見たけど笹本さんは「海獣の子供」がお気に入り。大きな画面で見ろと訴えていたけれどもそんな機会がまだあるか。それこそ池袋のIMAXで見せて欲しいなあ。あるいはイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーン。とはいえ張り替えたら皺が寄ってたそうで直しが必要。リニューアル後に上映とかあったら嬉しいけれど。

 公開に切り落とした後ろ髪を引かれつつ星雲賞の発表へ。自由部門は宇宙関係で、ミネルヴァ2が小惑星リュウグウに降りたプロジェクトだそうで、やっぱり宇宙はSF者には人気みたい。ノンフィクション部門では筒井康隆さんの「筒井康隆、自作を語る」が受賞していて数としては結構目だけれど受賞はしばらくぶり。筒井さんから「久しぶりの星雲賞受賞で大昔毎回のように受賞していた頃を思い出して感慨もひとしおです」というコメントが届いていて、筒井さんらしい良いっぷりが受けていた。それもまたSFファンだからだろうなあ。

 アート部門は加藤直之さんでいったい何度目? ただ今のタイミングではプラネタリウムに天井画みたいなのを描くというプロジェクトが動いているだけに、その宣伝にはなったみたい。「銀河英雄伝説」の何かを描くそうで許可も出たけど金額が足りなくなったとか。怩フファンドを宜しくと。そろそろ応じるか。メディア部門は「SSSS.GRIDMAN」で雨宮監督が登場。「制作中からいろいろあったが賞をいただきうれしい。なぜグリッドマンか。僕の世代からすると特別マイナーなものではない。良く親しまれたもので、スタッフや皆さんと作り上げてファンの皆さんに響いた」とか。世代って少しズレると捉え方が違って売るから、そこを考えないと評価も難しい。

 「円谷作品が原作のグリッドマンであることがここまでの結果を生んだ」というけど、普通に面白かったから、でしょう。「特撮のアニメ化は珍しい者ではないにしろ、数えるくらいしかない。これから増えるといいなと思う。素敵な賞をありがとうございました」。増えることを期待してます。海外短編部門はリュウ・ツウシンさんの「円」。中国SF強いなあ。そして海外長編部門はピーター・トライアス「メカ・サムライ・エンパイア」。こちらもSF者に人気だったから受賞は当然か。海外は早川勢が圧倒的。そこに竹書房が食い込むかがこれからの注目か。

 そして日本SF短編部門はやっぱりというか草野原々さん「暗黒声優」が受賞で登壇したげんげんげんげんげんげんげんは次はメディアミックスを狙いたいとか。「暗黒声優」がラジオドラマになったら面白いと言っていたけど「暗黒声優」の声優っていったいどんな声を出すんだろう。それが気になる。長編部門はやっぱりな飛浩隆さん「零號琴」。直前の企画で作品について喋るのは最後にすると宣言していたそうで、受賞のステージではあまり触れなかったけれども完成までに7年をかけたそうでそれはトライアスよりはるかに長い。なおかついよいよ「グラン・バカンス」「廃園の天使」に続くシリーズが2020年2月号の「SFマガジン」から連載スタートだそうで、完成までにどれくらいかかるかは分からないけどいよいよあの世界に終止符が打たれることになるのかな。なればばったで星雲賞となるんだろう。生きていたいなそれまでは。


【7月26】 沼津市といったら今は「ラブライブ!サンシャイン!!」の舞台として全国から大勢が訪れる“聖地”であって、アニメーション作品を通じたプロモーションを展開するだけで全国から人が集まるし、出て行ってもたとえばアニ玉祭と同時期くらいに大宮駅に出展されていたブースに、大勢の行列ができるくらいの知名度はあるはずなんだけれど、そんな沼津市がポニーキャニオンの東京本社内に「沼津市観光プロモーション 東京デスク」と作ったとの報。

 ポニーキャニオンといったら「響け!ユーフォニアム」のパッケージなんかを出してたりしてアニメーションにも力を入れてはいるものの、「ラブライブ!」のシリーズは別に手がけていない。そこの本社に観光の拠点を置いて「ラブライブ!サンシャイン!!」を絡めたプロモーションが出来るのか、って浮かぶ疑問はだから「ラブライブ!サンシャイン!!」に限らないで沼津市そのものをプロモーションしていく東京の拠点になる、その手助けを総合エンターテインメント企業としてポニーキャニオンが行うといったことになるんだろう。

 映像だとか出版だとか放送だとか配信だとか、チャネルは関連事業を通じて持っているだろうからそうしたメディア力を活用し、沼津市に限らず各地域の観光プロモーションを支援していくといったビジネス例。あとはちゃんとサポートが行われて沼津市にとって有意義な成果が得られるか、ってところだけれどポニーキャノン絡みのIPを活用する、となると沼津といえば「ラブライブ!サンシャイン!!」という意識を持ったファンが首をかしげるかもしれないから、舵取りにはなかなかの大変さが求められるかもしれない。まあ、江ノ電なんてわんさかとIPが乗っても揺るがないから、そこは作品次第か。

 ニコファーレを閉めニコニコ本社を移転するドワンゴが今度はニコニコ超会議と闘会議を一緒に開催すると発表。もともとがニコニコ超会議の中の超ゲームエリアから独立するような形で開かれた感じの闘会議だから、元の鞘に戻ると言えば良いんだろうけれども結構な規模となった上に、アミューズメントマシンの展示会のジャパンアミューズメントエキスポ(JAEPO)とも合同開催にし、それからeスポーツを仕切ってる日本eスポール連合会(JeSU)のイベントもいっしょに開催して規模を広げていただけに、そこから闘会議が抜けてしまうのはちょっと問題があるような気がする。

 東京ゲームショウがコンシューマのためのイベントで、JAEPOはアミューズメントマシンの展示会で、はっきりと分かれてしまっている間にゲームだったらアナログだってありな闘会議が入り、eスポーツはアミューズメントだってコンシューマだってソーシャルだって関係なしに出来るものだというスタンスでもってとりまとめていた感もあった。そこから闘会議が抜けてしまっては、JeSUが参加する意味がなくなってしまう。間を取り持つ闘会議がなくなってしまったら、JAEPOとJeSUが並ぶ意味なんてないからなあ。そういう業界全体のことを考え、公共の場として育てていくことも今のドワンゴには無理ってことなんだろう。もしかしたら叡王戦もそのうち止めてしまうかなあ。

 そんなドワンゴに愛想を尽かしたのか、それとも整理が始まってKADOKAWAに飲み込まれてしまう前に、自分たちのビジネスを確保しておきたかったのか志倉千代丸さんが率いるMAGES.がMBOをかけて独立。5pbブランドも持っているゲームと音楽の会社として展開していくことになったみたい。志倉さんといえばKADOKAWAの中にあって教育事業を訴えN高等学校の設立を後押ししたって言われている人。校歌も作って提供していたのに、抜けてしまってどうなんだろうと調べたらちょっと前に角川ドワンゴ学園の理事を退任していた。この頃から予定していた行動なのかも。N高の展開が心配だけれどこちらは校長先生がしっかりしているし、生徒も増えているからきっと堅持されるだろう。信頼にも関わってくる話だし。

 京都アニメーションを支援する募金の口座を京都アニメーション自体が立ち上げたので少しばかりを支援。半ば無職というか働いてはいるけれども時給いくらの身ではそれほど稼げないものの、せめて1日分くらいはと口座から振り込んでそして頑張って出した分くらいを三鷹で働く。解散したアニメーション会社が残した資料なんかがカット袋に入れられた形なんかで撮影されているので、それを在庫管理アプリに登録していくという作業で500枚近くある中から300枚くらいを登録しただろうか。地道で地味な作業だけれどそれをやっておくことで、どこに何があるかを把握できるようになる訳だから歴史的にも文化的にも大切な作業なんだと思いたい。

 実際にそのとおりなんだけどやっていると時々立ち位置を見失うから。なぜ自分がって。まあでも誰かがやらなきゃいけないのなら、手が空いている自分があっても良いと思えばそれはそれで。そういう自分の苦悩なんて京都アニメーションで被害に遭われた方たちや、そのご家族や関係者の痛みや苦しみや哀しみに比べたら塵にも等しい大きさでしかないのだから。今生きて動ける場所が自分にはあるのだから。支援の講座は日本動画協会とか、JAniCAもスタート。動画協会は業界団体として大口の取引先なんかからまとめてどかんと寄付を入れてあげて頂きたい。JAniCAはYahoo!と組んだみたいでウォレットを使ってクレジットカードで募金ができるみたいだし、Tポイントでも寄付が可能とフィンテック的。銀行まで出向いて振り込みとか手間をかけたくない人でも、寄付が出来るといった選択肢をこうして広げていくことで、より多くの支援が集まるなら林立していたって良いのだ。ニセモノが混じってくることだけは防いでね。


【7月25日】 相変わらずカット袋を撮影する毎日だけれど、これまでとは作品が変わって今年の頭に上映された「PSYCOH−PASS サイコパス」の劇場版なんかが回ってきて、映画館で観たシーンなんかを原画を眺めて思い出す。これが公開されてた当時は辞めるか残るか迷ってたんだっけ。って思うと胸も苦しくなるけれど、そんな原画に触れたのは辞めたからでもあってこういう機会が後に何かに繋がることを考えるのが未来を生き抜くために必要なのかもしれない。じゃあ具体的に何がってところに至らないのは頭がまだ上手く働いてないからなんだろう。もうちょっと元気を溜めないと。クリニック通いをしながら。

 海賊から帝国艦隊士官学校に入学とはまた大きく振ったものだと思った笹本祐一さん「超ミニスカ宇宙海賊1 海賊士官候補生」(KADOKAWA)は、まだ高校生なのに加藤茉莉香とチアキ・クリハラがそろって帝国艦隊士官学校の入試を受けることになって、結構な好成績を叩き出して見事に合格してしまう。海賊が儲からないから転職をしようという訳ではなく、情報部から何か動いているから調べて欲しいという依頼を受けての半ば潜入。とはいえ、試験にゲタは履かせてもらえないから、試験はちゃんと受けてすでに現役の海賊ならではの知識を判断力で最初の関門は突破する。

 そこで学校のヨット部の先輩で電子線に長けたリン・ランブレッタとも合流し、いろいろ調べ始めることになる茉莉香とチアキ。パワードスーツをまもって宇宙に飛び出し惑星に降下するようなハードの訓練もこなしながら調べていった中、奇妙な現象が起こっていることに気付く。その内容は読んでのお楽しみとして、弁天丸の面々も近くまで来て調査に当たって暴かれた、お偉いさんたちによる士官候補生たちによる卒業試験をめぐるやりとりなんかは、まあ伝統的な余興なんだろう。現実の士官学校なんかでも行われていたりして。そして気になる奇妙な現象の目的。強請? 洗脳? 弱体化? 見えない狙いが明らかにされる続きを早く。それが終わって海賊に復帰するのかしないのか。超ミニスカになったということはチラリと見えるのか見えないのか。作者に会ったら聞いて見たいなあ。SF大会で会えるかな。

 通信社からも現在公開中の映画のキャラクターデザインを手がけた人として、「リズと青い鳥」とか「映画 聲の形」の独特なキャラクターデザインを手がけたクリエイターの友人関係を当たって連絡がとれなくなっているといった記事が出ていたことに気がついた。いくらなんでもこれだけの日が経って、まだ連絡がとれないなんてことがあるのといった状況が、つまりはといった状態を想像させるけれど、発表されていない段階ではダイレクトには名前を公表しづらいといった判断で、おそらくは分かっているその名前を状態を報道しないようにしているんだろう。

 だったら発表されるまで、仄めかしなんてやめれば良いかどうかは報じることを使命にしているメディアの側、そして安否を知りたいファンにとってはやっぱりその取材力を使った報道はあって欲しいものだし、逆に家族とか同僚とかにとってはまだおおっぴらにはして欲しくないものなのかもしれず判断に迷う。ようやく警察も亡くなられた方の身元を把握したようで、それが発表になるかならないかはまだ分からないけれど、いきなりドンと名前を並べられるよりは、盛れ出るこうした遠回しの情報があった方が、覚悟も決められるのかもしれない。

 問題は、公開されたことで一挙に親族に取材が向かうことで、そこをどうにかしないと個々に大変なことになってしまいそう。そこはだから弁護士さんが呼びかけて自粛を願うのが最善だけれど、果たして応じてくれるのか。そこばかりは報道の自由とはあまり言いたくないんだよなあ。すでにして事件現場に置かれた献花のすぐ後に脚立を並べてじっと待つ記者やカメラマンが多く居て、ゆっくりと弔意を示せる状態じゃないらしく、場合によっては遺族が確認に来たら一斉に追いかけることまでするらしい。そんなメディアスクラムがエスカレートする可能性を抑えるために出来ること……。声を上げるしかないんだろうなあ。

 飯島真理さんの初期のアルバムがデラックスエディションとしてリリースされるそうで、もう随分と前だけれど紙ジャケットで再発された時に買ってはあるんだけれどすでに部屋のどこかに埋もれて出てこない状況もあって、改めて欲しい気がするものの身の上が身の上だけにおいそれとは手が出せない。部屋が狭くなるようなCDだとか本だとかを極力買わないようにしたいとも思っているからここは「ROSE」と「BLANCHE」だけにしておこうか、なんて考えたら「midori」って3枚目にあの「愛・おぼえていますか」と「天使の絵の具」のプロモーションビデオがつくらしい。どちらも好きな曲だけに観たいところでそれで「midori」も買うなら「kimono stereo」もってなって4枚とも買ってしまうんだろうなあ。1日8時間働いた分がこれでふっとぶ。そういう人生を選んだのは僕だけに仕方が無い。働こう。


【7月24日】 日本動画協会に続いて京都アニメーション自体も支援の窓口を開くとの報。海外とか企業とかが支援を行いたくても窓口が見つからず、とりあえずクラウドファンディングに応じたりしていたこともあっただけに、ダイレクトに支援に繋がる窓口が出来ることで応じやすくなるだろう。割と見知った弁護士さんが間に入っているだけに、支援にまつわる税制だとか、手数料だとかいったものへの配慮もきっとあるだろうから、まずは被害に遭われたかたの快癒であり、親族を失われた方への支援に繋がるように願いつつ、応じる準備を進めておこう、ってお金あんまり持ってないけど。もちろん、日本動画協会の方が窓口として使いやすければそっちもあり。どこがではなくどこも嬉しい取り組みなのだから。

 それにしても遅々として進まないというか、粛々と進んでいるといった感じの情報開示は、NHKに続いて朝日新聞が「らき☆すた」の監督のお父さんに取材をして、連絡が入らず安否が分からないといった感じの報道をしている。事件からもう何日も経っていて、安否不明ということは、つまり……という状況を示唆しているんだけれど、それを直接会社には聞けないし、警察とか消防とかの取材でだいだいのことは判明していても書けない筆を、お父さんからの取材という形で出しているんだろうなあという想像はできる。直接だったら悲しいけれどこうやって盛れ伝わってくるのもやっぱり悲しい。日が経てばさらに情報が漏れ出てきて、日々を悔しさに滲ませるんだろう。まだまだ長引きそうな感じ。

 そして今日も今日とて三鷹に出かけていってアニメーションアーカイブのお仕事をいそいそと。アニメーションと関連したパッケージとか書籍とかをビニール袋でくるみつつバーコードを貼って撮影をして所在存在を確認できるようにしたり、雑誌から作っているアニメーション作品の記事とか広告とかを切り抜いてはファイルにしまっていく。グループが結構あってなおかつカラーとは違った作品も作っていたりして、意外な作品が関連だったと後で知って切り取った残りの束から改めて切り抜いたりする。グルグルとかそうだったんだ。そうした残りから京都アニメーションに関連した作品を個人的に切り抜いて保管。「響け!ユーフォニアム」のピンナップに添えられた原画の池田晶子さんの名前にいろいろと思う。でも今はただ祈る。それしか出来ないから僕には。

 木の上にいるカブトムシやクワガタムシを捕まえようとして昇った妹が木から落ち、命を失ってしまった。ショックで母親は失踪し、妹にとっては実父だけれど、母親の不倫相手との間に生まれた自分にとっては血は繋がっていない父親と暮らしている塔野カオル。怒りっぽくなってカオルが作った食事も投げつける粗暴さも見るようになった父親との関係もあり、そして何より妹を目の前で失ったことに責任も感じて日々を生きている。そんなカオルが山で見つけたトンネルに入って鳥居をくぐり灯籠の光を見てしばらく。外に出たら随分と時間が経っていた。

 そんなシチュエーションを持った作品が八目迷さんによる「夏へのトンネル、さよならの出口」(ガガガ文庫)。入ったところで妹のなくしたサンダルを見つけ、もしかしたら奥に行けば願いがかなうかもしれないと思いつつ、浦島太郎の伝説も流れる状況に逡巡していたカオルの前に、花城あんずという少女が転校してくる。コミュニケーションを苦手としているのかあまり騒がず、クールに振る舞っていることで川島という同級生のギャルに目を付けられイジられる。それに対して拳でず殴り返すくらいのクールさ。川島の彼氏という上級生もあんずに転がされたとおろをボールペンで刺されて戦意をそがれ、退学してしまう。

 そんな花城あんずと会話するようになったカオルは、2人でウラシマトンネルの探索を始める。無くしたものを取り戻せるというそのトンネルに入って、どれだけの時間が過ぎるのかをつきとめようとする。なぜそこまでするのか。無くしたものを本当に取り戻したいのか。カオルの場合は妹だけれど花城あんずの場合は何なのか。取り戻せたとしてもそれにはある“犠牲”が伴うけれどそれでもやっぱり望むのか。そんな問いかけが投げかけられ、高校生の日常が描かれる中、迷いがちな思春期の少年少女にいろいろな選択肢を見せ、不思議を望む心が浮かぶ。

 花城あんずはウラシマトンネルで拾い集めた過去から、自分が本当にやりたいことを思いだし、それに取り組むようになる。けれどもカオルは別にやりたいことはなく、家庭の事情もあって決断してしまう。そして……。もっとも、それは個人的な出来事であって、そこから世界が激変するような大げさなことは起こらない。浦島トンネルがどうして存在するのかも分からない。カオルと花城だけが使えたのかも不明のまま。小さくて、狭い事件。でもそこに少年少女が覚える普遍の悩みがあったりする。今をどう生きる。明日をどう生きていく。逃げるか。進むか。そんな物語。読めばきっと思うだろう、今をやりたいことのために生きる大切さを。

 取締役会で議論がなかったのがいきなり株主総会で議題として上がって社長の続投を認められないとうのはなかなか日本的ではない経営だけれど、それだけ切羽詰まっていたかそうしなければ辞めさせられなかったかってことなのかもしれないアスクルとヤフーの対立。アスクルって会社を誰もが知っている会社にしたという意味で岩田彰一郎社長の功績は大きかったのかもしれないけれど、めまぐるしく時代が変化している中でITのリテラシーがあるのかどうかといった辺りできっといろいろ疑問も起こったのだろうなあ。出身母体で大株主のプラスも反対しているのならやっぱりそういうことなのかな。ヤフーとソフトバンクが持っていったらどうにかなるという訳ではないかもしれないけれど、どうにかならない訳でもなさそうなんで、ここが分水嶺ってことか。ともあれ状況に注目。こういうもの言う株主がいればどこかの新聞社もああなる前に変われたのになあ。


【7月23日】 吉本興業の社長の人が出てきて会見をしたそうだけれど、全員クビを和ませようとした発言だとか言ってる時点でもう駄目っぽい。最高権力者が冗談でもクビとか口にしたらそれはもう冗談にはならない訳で、そうした自覚を持たずにトップになってしまったこと、というかトップにしてしまったことの責任をもっと上の人であるとか、株主とかは自覚した方が良いんじゃなかろーか、ってことはやっぱりテレビ局あたりか。会長の人は平成の吉本を盛り上げた人だからその実績を買われたって分かるけど、社長の人ってまるで聞かない名前だった訳だし。その進退に極楽とんぼの加藤さんも進退を賭けているみたいで、明日のテレビで何を報告するかに注目。まあ見ないけど。

 女流の身で奨励会の三段リーグに入りながらも将棋界を去った女性が改めてプロ棋士を目指そうとしてアマチュアでも参加できる棋戦に挑む「将棋指す獣」って漫画があって、出てくる人たちのそれぞれに将棋を指す理由めいたものが語られていてその辛さ、大変さ、けれども求めざるを得ない強情さを感じさせてくれたけど、同じように奨励会の三段リーグを全勝で突破し四段のプロ棋士になる資格を得ながら将棋を辞めてしまった天才棋士の男子が出てくる八奈川景晶さん「黒猫のおうて!」(ファンタジア文庫)でも将棋を指す理由が描かれて、将棋指しの業のようなものが感じられる。

 三段リーグを全勝で抜けながら辞めてしまった元奨励会員の名前は長門成海。最終局で7手詰めとなりながらも相手が最後まで投了しなかった将棋の際に自分がやっていることの意味にふと気付き、これ以上は続けられないと将棋界から離れる。四段昇段は決定事項だし今だと勝利した瞬間に四段になるのかな、けれども棋戦には参加していないそうした棋士が引退なんて出来るのか、ってあたりは調べてないから分からない。これはそこから復帰できるのか、って問題にも関わってくるからちょっと聞いてみたい。

 ともあれプロにならずニートになってアパートで寝起きするだけになていた成海の部屋の扉を叩く音。明けるとそこにはゴスロリ衣装を着た女子がいた。聞けば三河美弦という名の女流棋士で、それなりに知られてはいたけれど、プロ棋士を相手に勝てないという話しで、何が悪いのかを成海に見てもらいに来たという。将棋を離れたことを伝えておひきとりねがいたかったけど、なかなか引かない相手のプロ棋士には勝てない理由を探ろうと対局して理由を感づく。そこで教える立場になる義理はなかったけれど、翌日からも迷わずゴスロリ服で通ってくる美弦を相手に師匠めいたことを続け、美弦の姉で女流タイトルの持つ主でまる美夏や大家の娘の安芸茜らを巻き込んで、ニートの元棋士による将棋道場が作られる。

 相手をリスペクトしすぎるのか、それで手が止まってしまうのか美弦が男性のプロ棋士に勝てない理由はだいたい成海にも見えている。それをしっかりを自覚して、戦い方に反映すれば解決する問題だけれどそれが出来ないからこその相談なんだろう。おまけに克服したと思ったら早速別の問題が持ち上がってゴスロリ姿での対局がそのまま続いてしまいそうになる。嬉しいけれども棋士としてはどうあんだろうなあ。とはいえ、白鳥士郎さん「りゅうおうのおしごと」(GA文庫)にもゴシックな衣装で対局する女流はいるから関係ないのか。結果、得られる憧れの棋譜をまね、最善を尽くして戦う価値を教えて貰えるストーリー。

 「りゅうおうのおしごと」のように宙ぶらりんの立場にある女流棋士の難しさを世に知らしめる啓発的な展開は薄いし、棋士が対局に臨むのにどこまででも自分を深め、削って立ち向かうシリアスな描写も少ないけれど、棋士という存在に興味を抱き将棋という遊びをやってみたいと思うようになることは確か。いろいろあって何歩が進んだ将棋界の中、成海と美弦の将棋とプライベートでの関係がどう進むかがちょっと気になる。というか美弦は女流で奨励会三段に入ってプロ棋士を目指している訳ではないし。究極の可能性を突き詰めた「りゅおうのおしごと」よりもふんわりと、将棋界と女流棋士について感じたい人はこちらから読んでも良いかもしれない。

 いろいろなアニメーション会社が追悼と応援のメッセージを出す中で、アニメーション会社が加盟する日本動画協会が京都アニメーションのための支援を始める姿勢を打ち出したみたい。海外では京都アニメーションの作品を配信か配給している会社がクラウドファンディングを行って結構な金額を集めてくれたみたいで、他に方法がない海外の人にとては有り難いタイミングでの実施だったけれど、日本はいろいろな窓口がきっとできるだろうからクラウドファンディングのようなものに乗る必要もないし、新しく立ち上げる必要もない。そう考えていたらアニメーションのいちおうは業界団体がちゃんと立ち上がってくれたので、あとはその方法や目的を見て乗るかどうかを決めれば良いんじゃなかろーか。もちろんアニメイトとか先行しているところの募金も有効に。仲間なんだから無茶はしないだろうから絶対。

 ふと気がついたら池袋に移転してきたニコニコ本社が7月いっぱいで閉鎖だそうで、スタジオなんかもあってそこからいろいろな配信も行われたけれど、同じ池袋に出来るスタジオに移転だそうでどれだけの規模になるか分からないものの、池袋という場所にはとりあえず根付いてくれるみたい。映画館も出来たしハロウィンに絡んだアニメっぽいイベントもあるし東京アニメアワードフェスティバルも池袋が中心。ポップカルチャーの街となりつつある池袋に根を下ろしてくれればこれは嬉しい。ニコファーレも閉鎖というのは意外だけれど、最近は使う機会も減っていたから仕方がない。叡王戦とかの大盤解説はどこでやるのかなあ。所沢? それもまたKADOKAWAじみてて良いかも。


【7月22日】 そういえば事件が起こってからこっち、というよりそれ以前からずっと朝のワイドショーという奴を見ていない。しばらくは早朝に目が覚めて、居ても立ってもいられない気分にテレビとか見ていられなかった時期があり、クリニックに通い始めそしてとりあえずの仕事場を得てからは早朝に目覚めることはなくなったけれど、起きてもやっぱりワイドショーは見ずニュースも見ないでタブレットを眺めているか、本を読んでいるか洗濯をしているかといったところで、やっぱりワイドショーは見ていない。

 だから、吉本興業で起こった闇営業に関する所属芸人の問題についても、誰がどういうスタンスで何を言っているかはあまり知らない。ひとつ思うところがあるとしたら、吉本音社長が自分たちはテレビ局の株主だから影響力を行使できるといったことを嘯いたのに対し、テレビ局はもっと真剣に違うと反論するか、態度で示すべきだといった点。それは吉本に限らずテレビなりメディアに影響力を行使して、特定の誰かを排除するよう誘っている事態に対し、従属なのか忖度なのかは別にして従っていた歴史を改めて検証し、今後の対応を決める必要があるから。自分たちもまた荷担していたことを認めないまま、叩かれた権力を叩いて別の権力に阿る繰り返しでは、同じ事態が続くことになるだけだろう。

 もうひとつ、京都アニメーションを襲った惨劇についてもテレビのワイドショーが何を言っているかを見ていない。セルロイドがたくさんあるから燃えやすいとかいった、いつの時代の話をしているんだ的なコメントは即座に否定されるから良いとして、ポップカルチャーを狙った犯罪に対しポップカルチャー事態も犯罪への親和性があるのではなんて雰囲気へと誘導しかねない雰囲気があるとしたら、それは最悪あけれど見ていないので何ともいえない。京都アニメーションの作品が海外でとてつもなく支持を集めている事態をワイドショーがどう捉えていいか迷っている点も、作品性なり技術面なりに踏み込んで話しているのか単純にジャパンのアニメだからグッドと言っているだけなのか、気になるけれどもそれも見ていないので分からない。

 “世間”というものが果たしてアニメーション会社なりアニメーション作品なり京都アニメーションという会社なり事件そのものなりにどういう認識を示しているか、気になるところはいろいろある。三菱重工が爆破されたテロで亡くなられた方は8人。そして地下鉄サリン事件では13人。今回はすでに34人もの方が亡くなられていて企業を狙ったものでも無差別でも、最悪な事態となっているにも関わらず、それだけの重さを持って世間が受け止めているかがちょっと見えない。

 もしかしたら、アニメーション会社だから、といった枠内で語られ矮小化されているのか、なんて想像も浮かんでしまう。それはお笑いの会社のお笑い芸人だから、お笑いの質問をぶつけても構わないと感じて気持を色で現してと訪ねて批判されたテレビ番組のスタッフにも言えることかもしれない。そんなやりとりをテレビ見れば感じられることもあって、そこから突破し改善していく道を探るべきなんだろうけれど、今の自分の元気力(げんき・ちから)では圧倒されて流されてしまう。だからしばらく見なさそうだけれどそうも言ってられない時が来たらその時は。っていうかそんな時を作り出さないといけないなあ。僕にできることはあるはずだから。どこかに。きっと。

 斧を振り回して大暴れしていた髭の男ややっぱりプロデューサーだったらしい「キャロル&チューズデイ」、というかほとんどA&Rの人っぽくって楽曲ににケチをつけるというよりは演奏と歌声にダメだしをして最高のテイクをとるまでひたすら歌わせ演奏させるという、昔ながらの録音方法をといっていた。それに付き合うキャロルとチューズデイも凄いけれど、招かれた有名ミュージシャンも凄くって、なおかつたったそれだけでOKを出したキャロル&チューズデイを誉めていたからなお凄い。過去にもミュージシャンとして参加してとんでもないテイクをプレイさせられたんだろうなあ。それでも付き合うからには相当な凄腕ってことになる。これは期待出来るか。

 一方でアンジェラの方はAIがアンジェラの歌い方を完璧に再現して歌ったことのない歌まで唄わせていたりして、それならもうアンジェラいらないじゃんって話になっていろいろ悶着が起こりそう。いやきっと彼はAIを越える何かを出してくることを期待しているのかもしれないし、だからキャロル&チューズデイに関心を持ったともいえるけれど、それを感じて自分で発憤できるかが今後に関わってくるのかも。そしてキャロルの父親が判明。彼だったか。でも自分の過去と境遇を考えあっさりと身を引く格好良さ。まるで高倉健さん。だからこそキャロルも赦せたのかも。2人がまた会う時、世界がバラ色に輝くと良いな。

 ネット発らしい笹塔五郎さんによる「最強の傭兵少女の学園生活 ―少女と少女、邂逅する―」(ダッシュエックス文庫)は俺TUEEEE系にして百合ものという重層的かつ多様性に富んだ設定がまずは面白い。竜すら倒す伝説の傭兵の娘として育った少女が、普通を学びに魔法学校に入ってそこで……という展開。でも普通ではなかなかいられない。入学試験の実技で父の言いつけを守り、勇者の力を手加減しながらも教師を倒してしまうし、知り合った少女も含め狙ってくる暗殺者をあっさりと撃退してしまう。それどころか命すら奪ってしまうところが結構シリアス。ふんわりほのぼのの展開にはしないところがネット発にしては珍しい。そんなヒロインに驚かず引かない友人もまた、命をかけてすれすれのところを歩いている身の上なんだろう。敵も本格的に狙ってきそうだし、百合百合しい関係を見せつつバトルなんかでも楽しませてくれそう。


【7月21日】 どこかに落としてしまったか、次の通院までワイパックスの錠剤の数が足りなさそうなので囓るのを半錠に抑えたせいか、いろいろと心配事が浮かんでモヤモヤとした気分。仕事に通っているのは良いんだけれど、金曜日までに目先の仕事をあらかた片付けてしまって、月曜日いからやることがあるのかが見えず、果たして行っても良いのかどうかを迷ってしまう。聞けばいろいろと教えてくれるんだろうけれど、聞いて良いのかどうかすら迷うあたりにネガティブ思考のスパイラル状態が効いている感じ。自信を失うとはそういうことなのだ。

 あとはやっぱり収入か。それなりに出ればあとはリストラの際にもらったお金で月に10万くらいずつ、埋めていけばどうということはないんだけれど、それだって10年は保たないと考えると、やっぱり不安になってしまうのだった。もちろん、そのまま勤めてたって6年で定年で、延長なんてきっとなく、そして経営状況を考えれば10年先なんて分からなかったんだけれど、今この時点ではそれなりの収入で安心できた訳だしなあ、なんてマイナススパイラルが始まってなかなか止まらない。これも薬が足りてないせいか。明日は1錠まるまる飲んで気鬱を晴らし、そして仕事をもらって働こう。幸いにしてアニメーション界にとって、そして日本の文化にとって重要な意味を持つ仕事に携わっている訳だし。

 そんな気分であっても家に居たら暑さで余計に気持が沈むんで、前売りを買ってあった国立映画アーカイブでの企画上映「逝ける映画人を偲んで2017−2018」の中の「白蛇伝」とそして「天までとどけ」という短編の上映を観る。「天までとどけ」は童話を元にした作品観たいで不勉強ながらも未見で未知。漁師の父親と2人で暮らしている少年がいたけれど、父親が海で遭難して戻って来なくて、それで家の灯りを灯し足りないとなると家の前でたき火を焚いてそれを目印に海から父親が戻って来ることを願っている。

 遭難したんだから船で戻ってくるはずもなく、小屋を焼き家も焼き教科書も焼いてしまっても燃やすものがなくなってしまった時、友だちが集まって難破船を運んで燃やしてそれを囲んで躍っているのを海上から観ていた外国船があった。以前にも灯台ではないその場所で燃える火を美しいと評していた船長。天まで届くほどに伸びる炎に近寄り輪になって踊る子ども達を観ようとしたことで生まれた奇跡。ってそこまで結論は出てないけれど、きっとあの後に幸せが戻ってきたと思いたい。1人原画らしい掌編。これがどうして「白蛇伝」と同時に公開なのかはちょっと不明。

 そして「白蛇伝」。東映アニメーションこと東映動画が最初に手がけた長編アニメーション映画で、1958年というからもう60年も前に作られてフィルムなんかは相当に痛んでいた。色はくすんで光が混じり色彩も整わず黒いコマも出ていたりしたものを修復して今さっき作られたかのようにピカピカの映像にして上映してくれた。もう本当に美しい映像によって描き出された、人も動物もよく動くアニメーションだけれどストーリーの中盤に大道芸が長くはさまり、動物たちが悪さをしている描写もあってこれがどういう関わりを持つのか、ちょっと分からなかった。人間や動物の仕草や芝居をこれだけ作れるんだというアピールがしたかったのかな。

 そうした映像を挟みながらも白蛇が変じた白娘という女性と人間の青年との恋路を描いたストーリーでは、白娘がとにかく美しくてなまめかしくて可憐で可愛い。表情も仕草も古びてなくってこれならディズニーに負けてないって声を大にして言えたんじゃなかろーか。「太陽の王子ホルスの大冒険」のヒルダもよく東映のアニメーションきってのヒロインと言われるけれど、どこかアニメ的なキャラクター設定でもあってディズニー的とは言いがたい。その意味で東映動画がディズニーに挑んで最初に成し遂げた成果として、白娘は永遠に讃えられそう。動物よりも大道芸よりも和尚よりも見せろと言いたいくらいに。

 鑑賞に来ていた朝日の小原篤さんと上映前に「天気の子」についていろいろと話して、とりあえずSTORYという川村元気さんの会社のクレジットが出たことの意味なんかを考えたけれども浮かばない。あとやっぱり全体の起伏についてか。ミュージックビデオ的にポンポンと展開する感じではないし、途中で大きく場面が切り替わる感じではなくラストまで行ってそこでドカンと突きつけられるものがあるから、やっぱりどこか平板かもと映ってしまうのかもしれない。ただその分、終盤のインパクトが凄いんでこれはこれで余韻がもらえる映画だとは思う。その展開をどう受け止めるかで賛辞も非難も生まれそう。興行については100億は行くと見たいけれど50億がやっととの説も。果たして?

 立川のシネマシティにもあった京都アニメーション作品の原画が、町田にあるアニメガ町田にも少し飾られていてそれが今日までと聞いて京橋から出向く。行くと行列が出来ていて、「響け!ユーフォニアム」や「リズと青い鳥」、「free」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」「ツルネ」といった多彩な作品の原画が飾ってあってそれぞれの作品のファンが熱心に見入って撮影していた。立川のオリオン書房にもあったスタッフによる寄せ書きはこちらは映画「free」のもので、並ぶスタッフの名前と言葉を観ながら涙ぐむ女子とかいて、男性ファンばかりではなく女性にもファンをちゃんと広げて確保し続けた京都アニメーションというスタジオの立ち位置を改めて思い知る。それだけに……。だから祈る、無事を、快復を、再起を、そして安寧も。

 噂も飛び交っていて心配される木上益治さんが三好一郎名義で監督した京都アニメーションオリジナルの短編アニメーション「バジャのスタジオ」のBlu−rayが売られていたので購入したら、結構な厚さの製作資料がついてきた。監督名の三好一郎さんが記されマネージャーとしてキャラクターデザインや作画監督として知られる池田晶子さんの名前もあってと観ればどうにも居たたまれなくなる表紙。開くとそこにはさらに情動を揺るがす絵とかが描かれているんだろう。聞くとアニメーションにはスタジオとして京都アニメーションの内部が登場しているとか。それはつまり……って思うとさらに心が揺れ動く。もう観られないその風景が、アニメーションの中に残されているという、これは悲しいけれども同時に心の支えでもあるのか。もう鉛筆を持てない人たちに比べたら、命ある自分の何と幸せであることか。その意味を噛みしめ、携わっている仕事の意義を確認しながら込められた思いを身に受けよう。


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