縮刷版2019年4月下旬号


【4月30日】 重荷になっていた人件費の圧縮を目的に、給与水準が高い上に世代的にも最も多かったりする層に対して、強く代替わりを求める声を受けて会社を飛び出して1カ月。次に行くべき場所も決まらず、転職サイトから応募してみた採用案件のことごとくに書類ではねられ、年齢の高さと実績の至らなさを痛感して気分も沈んで朝に立てず、夜に寝られない気鬱な状態が続いていることもあって、今日で平成が終わって明日から令和になるからといって、それをまったく喜べないでいる自分。平成最後の1カ月を無職で過ごし、そして令和最初の1カ月も無職で過ごすだろうこの改元の2カ月間は、人生においてきっととてつもなく強い印象できざまれることになるのだろう。あるいは令和を通してずっととか。そう考えるとまた気鬱に沈みそうになる。

 というか、明治から大正、そして昭和を経て平成へと至った改元にはすべて、天皇陛下の崩御という事態が重なっていた訳で、それを今回は退位だからと喜んでいいのか、退位であってもそれは玉体に及ぶ老いを受けてのもので、静かにお見送りすべきなんじゃないかと思うのだけれど、世間の空気がそれを何かめでたいことのようにあおり立てるから、誰もがそう思い込んではしゃいでいる感じ。これで本来の崩御による改元が戻ってきた時、平成から令和の記憶を引っ張り出して喜びそうになるのを止められるか。そこが気になる。新天皇の即位年齢からすれば令和がどれだけ続くかとなるし、皇位継承順位からすればその次もとなって代替わりをおめでたくなんて迎えられなさそう。あるいはだからこそ今回の異例を騒いでいるのかもしれないけれど。

 とは言え、これで身分が安定していたら、たとえどこの部署でどんな仕事をしていたとしても、10連休になっていたかどうかはともかくとして、この日ばかりはと皇居あたりに繰り出して、変わる元号を慈しんでいたような気もするから結局は自分の気分次第といったところか。最初から開き直って自由にやっていくと決めていれば、この1カ月だってもっと楽しく過ごせたかもしれないし、これからだって気楽にやっていけるかもしれない。ただ、30年を船の上で過ごしてきたのが急に環境が変わって、ゆらゆらと揺れる体を落ち着けられないのも仕方が無い。だから今は早く揺れを抑えてどっしりと構える必要がある訳で、そのために何が必要なのかを令和に変わった5月には、ちゃんと突き詰めていきたい。でもまあやっぱり朝に沈んで迷うんだろうなあ。性格は急には変えられないから。

 本当は29日に帰省する気でいたけれど、片渕須直監督の登場が急遽決まったのでのぞいた六本木のアカデミーヒルズ49で開催の、押井守監督がいろいろと語る「Howling in the Night2019」では、片渕監督が「この世界の片隅に」について講演なんかで語る時に繰り出す、パソコンから次々と資料を引っ張り出しては投影する芸を堪能。それ事態は珍しいことではなかったけれど、押井守監督のファンにとってはあの技はやはり新鮮に映ったんじゃなかろうか。ここで思ったのが、資料なり史料を集めて整理し分類して記憶してあるからこそ活用できるんだってこと。押井監督が仕事場にしているプロダクションI.G.なんかが積極的に構築を始めているアーカイブってものの重要性を感じさせてくれた。

 課題は、そんな片渕監督オリジナルのアーカイブをさて、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の作業がすべて終わった時、作品全体のアーカイブとして保存していくかってことで、いつまでも片渕監督のPCには止めておけないのなら、整理して分類して保存しておく必要がある。でも、どういう形で保存するかって問題があるし、元となった壁面の書棚を埋め尽くした資料や史料も含むのかってなるとさらに困ったことになる。膨大過ぎるから。とは言え散逸させてしまうのも勿体ない。せめて作品と関わった部分だけは抜き出し紐付けて保存しておきたい。それを誰がやるのか。分かっているのは片渕監督だから任せるという訳にもいかないし……ってところで、MAPPAなりGENCOが動いて「この世界の片隅に」のアーカイブを作ろうクラウドファンディングとか立ち上げたりしたら面白いんだけれど。

 逆の意味で表紙絵詐欺かもしれないと思わされる人も多そうな河東遊民さんの「傀儡のマトリョーシカ」(講談社ラノベ文庫)。シュヴァンクマイエルのアニメーションのようにどこかおどろおどろしい女性のイラストが表紙を飾り、口絵も中のイラストも版画のようなタッチでライトノベルというよりはジュブナイルのような雰囲気を醸し出していて、そして虐めだとかいった展開が示唆されてこれは相当に暗くて悲惨な内容かもしれないと感じさせ、今の沈んだ心で読み切れるのだろうかと不安に思ったものの読み始めたら空気の読めない、かといって苛立たせることのない紳士的な莫迦の吶喊があって、珍奇な会話があって妙に楽しく読んで行けた。

 病弱な美人の姉の指令を受けるようにして阿喰有史は雑賀更紗という女子生徒に友達になってと言い寄り金を払えばと言われてだったら払おうとして冗談だと言われ冗談が分からないと答えてこいつはいったい何者かといった興味を抱かせる。そこではいったん諦めるものの以後も実直に打算なくつきまとってはだんだんと引き寄せていく阿喰有史の独特のキャラクター性が芯にあって、その周辺に現れては文芸部員になっていくハーモニーとか苅部一帆といった面々との関わりを経つつ文芸部の仕事になっている生徒のお悩み相談に答えていく。そこには、更紗を虐めから救って欲しいという柳井保美からの以来もあった。

 だったらと立ち上がった有史は教室に行って首謀者と目される池永という女子に面と向かって虐めはやめよう、虐めるなら自分を虐めれば良いと言ってのける。ここにも空気が読めない莫迦の猪突ぶりが見てとれるけど、空気を読めない嫌な存在にならないのはそれが正義とか義侠とかではなく単純にそう行動するのが最善で最短だという意識が見えるからなのかもしれない。もっともその池永という女子生徒から持ちこまれた案件もあって、そして彼女ですら誰かに秘密をバラされるからと要求されていじめの片棒を担いでいただけだったことが判明する。

 だったら誰が更紗を虐めていたのか。ってあたりを探って行きつつ、自分たちにも迫る要求に応じていろいろやったり罠を張ったりするところに学園ミステリとしての読み所もあったりする「傀儡のマトリョーシカ」。これが普通に可愛い少女たちとイケメン男子(でも顔はイラストでは見せてない)たちのイラストだったら、ああ青春ミステリとしてスルーされたかもしれないと考えると、たとえ逆表紙詐欺と呼ばれようともシュヴァンクマイエルなイラストを付けて「この小説を読まなければ、あなたの秘密を公表します。」というコメントで関心を誘った戦略は正しかったのかもしれない。読んでああありきたりだと思うかというと、キャラクターの独特さはしっかり伝わり他にないものと感じさせてくれたから。続きがあればそれでもイラストは変わってしまうのかな。可能なら両方のラインで出していって欲しいなあ。「ドラグネットミラージュ」が「コップクラフト」になってイラストが篠房六郎さんから村田蓮爾さんになって、ちょっとガッカリした自分がいるから。


【4月29日】 5月10日の発売よりちょっとだけ早く、「――ねえ、柴田」(SKYHIGH文庫)の川瀬千紗さんによる新刊「満月の夜、君と――(SKYHIGH文庫)を読み終える。大学に入って金曜日になるとダイニングバーでアルバイトのピアノ弾きをしてる圭吾という青年は、10月になっていつも来ている深森という女性と知り合って、だんだんと仲を深めていく。相手の暮らす場所にもいったりするけど、マンションから何故かエレベーターを地下に降りた場所にある部屋。そういうところもあるんだと思いつつ関係は続いていた、そんな中、深森が奇妙なことを言い出した。

 自分は10月になって深森を見かけてだんだんとつきあい始めたと思っている。けれども深森は初めて会ったのは5月のことだと言った。このズレはなにだ。圭吾には10月に初めて会ったという覚えしかない。ただ一方で、深森が話した花火のエピソードについては、友人とそういう話をした記憶が深森絡みでなぜかあった。この矛盾はいったい何いだ。浮かぶのは、パラレルワールドを行き来するような少女の姿。時を駆けるというか時空を飛ぶというか。けれどお違った。そしてそれは圭吾にとっての幸運と、深森にとっての悲劇を示すものだった。

 結果、浮かぶひとつの命と引き替えに失われる命があって良いのか、といった疑問。例えるなら人魚姫の悲劇にも似たその展開を、認めて良いのかと思ったものの優しい作者によって道はちゃんと開かれるに違いない。だから読者は信じて深森と圭吾が出会ってだんだんと近づいていくその関係、かわされる言葉などを読んで青年と女性の馴れそめから恋仲へと至る過程を味わおう。可能なら自分の糧にしたいけど、金曜日にピアノは弾けないからなあ。それにしても、こういうさらりと読めて深くて切なくて優しくて嬉しい物語を紡ぐ作者が出てくるから、エブリスタのような小説投稿サイトは面白い。異世界転生ばかりじゃないし。目下の無職の身としてこうした、新鮮な物語が紡がれる場所に携わりたいけど歳が歳だから携わらえてはくれそうもないのだった。ならばせめて読み手として応援しよう。するしかないのだけれど。

 読むのも仕事のうちなので、読み逃していた水城水城さんという人による「罪人楽園」(MF文庫J)を読む。かつて大迷窟と呼ばれるダンジョンにパーティーで潜っては仲間を巨大な蛇か何かに惨殺されつつひとり、生き残って下半身が蜘蛛で上半身が美少女というアラネアに助けられ、とある能力も授かったウィル・ロウエンという少年が、牢獄から凶悪な罪人たちが脱走して逃げ込ん大迷窟の中にアラネアらしき下半身が蜘蛛で上半身が少女のモンスターが出たという情報を聞き、単身で潜ったところ直前に酒場でパーティを組まないかと誘って来た少女たちのパーティが凶悪犯と戦っていた。

 結構強くて巨体の凶悪犯を倒した4人組。そして仲間となるかと思いきや、効いてなかったか立ち上がった凶悪犯に1人また1人と少女たちが潰され、壊され、串刺しにされ、そして最後の1人までもが。ならばと立ち上がったウィルが少女を助けて2人でなんてハッピーにはならず、ここで4人のパーティが全滅で口絵にも出て来たリズも退場という容赦なさ。らちるきさんお「絶深海のソラリス」並に全滅エンドが待っているかもしれないと思ったけれど、途中で出会った処刑人を処刑する少女ミザリーはシスカという監督の少女に能力を抑えられながらもめちゃ強くって、現れる罪人たちもモンスターたちもなぎ倒して進む。途中で姫騎士なのに殺人に走ったオーレリアも混ぜてパーティー化。そして再会できたアラネアにウィルは喜ぶが、狙っていたミザリーが能力解放で迫ってくる。

 パワフルだったり顔の皮を剥いで化けたり魔紋を刻んで操ったりと様々な犯罪者たちが大迷窟に潜んで現れ襲ってくる犯罪者オンパレードが楽しく、それらを倒して行くウィルやミザリーの活躍ぶりも痛快。ちょい美少女の顔が潰されたり引きちぎられたりするスプラッタもあるけれど、全体にバトルが中心でちょい魔法も入る感じでエンターテインメントしている。ミザリーが触手に絡まれたりするのはお約束かな。でも姫騎士変じて殺人騎士は別にオークに絡まれない。絡まれたってあっさりクビとかはね飛ばしただろうけれど。そんなオーレリアの騎士ゆえに殺すのだという論理の飛びっぷりにちょい、納得しそうになったところに兵隊でも軍隊でも騎士でも武士でも、殺すことを生業とした装置の置かれた立ち位置ってものを考えたくなる。殺さない自衛隊の不思議過ぎる立ち位置にも。続きがありそうでアラネアにミザリーにオーレリアの美女3人を侍らせた不死身のウィルがどう立ち回るか、そこに追撃してくる敵はどれだけ強いのか。浮かぶ興味に続きを期待。

 海上自衛隊が南極観測船「しらせ」の運用から自衛隊員を降ろしたくて仕方が無いって記事が出ていて、その狙いがようするに中国あたりの海洋進出に備えなくちゃいけないといったもので、書いている新聞がそうしなければならないといったスタンスに傾いていることも含むなら、そうしたい勢力が「しらせ」を海自が手放すことを既成事実化してるんじゃないかとも勘ぐりたくなったけれど、方針としても出ていたりするから或いはやっぱり手放すかもしれないと考えた時、代わりはやっぱり七神屋が出て来てネーミングライツを買って「ペンギン饅頭号」とするんだろうかと考えたけど、それはあくまで「宇宙よりも遠い場所」の話だから、もうちょっと現実的に考えて石屋製菓に出て来てもらって「白い恋人号」とすれば船員も集まりそうな気がするのだった。「白い恋人で南極へ」。ほ受けそうじゃん。

 「シド・ミード展」には行けてないし「バースデー・ワンダーランド」もまだ見てないし改装なった東京都現代美術館にも行けて無くてこの2カ月、心が沈んで壊れてなかなか立ち上がれなかったりしたけれど、大型連休に入って多少は心も落ち着くだろうからそれを経て「シド・ミード展」にも行きたいし「バースデー・ワンダーランド」も見たいし「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」で買ってあるムビチケも消化したい。出来ればまた川崎のチネチッタのLIVE ZOUNDで見たいなあ。立川シネマシティが極音で参入してくるのはまだ先かなあ。イオンシネマ幕張新都心のULTIRA9.1chにも期待はしているんだけれど、果たして。

 そんな合間を縫って押井守監督が岡部いさくさんとそてい片渕須直監督を呼んで語るイベントがあったので見物に。内容は一切書けないけれどもつい先日が押井監督も片渕監督お長いアニメーション業界人でありながら、初対面だったというのが意外というか、そりゃあ同じ業界にいたって顔を合わせる機会も限られるものってことなんだろー。接点があるとしたら宮崎駿監督だけれどすれ違っていたのかな。これで片渕監督のミリオタの凄まじさも分かっただろうから今後接点も増えるかも。しゃべり出したら2人とも、止まらない口だし。


【4月28日】 フジテレビが何かBLに特化したアニメレーベル「BLUE LYNX(ブルーリンクス)」を立ち上げるとかで、直木賞作家ながらもBL好きでやおい好きの三浦しをんさんが、イラストレーターの丹地陽子さんとコラボレーションしたショートストーリーなんかの公開も始まったとか。アニメーションビジネスジャーナルが 「フジテレビが”ボーイズラブ“ 3つめのアニメブランド『BLUE LYNX』で展開」という記事をアップしていて、「ミツコとハッチン」とかが放送された「NOISE」ってあったけどって思ったけれど、今はもうはないから「ノイタミナ」と「+Ultra」と合わせ3つなのは違いない。

 一応は同じグループに属しているらしいテレビがアニメにどっぷりなのに、新聞の方はといえば逆に遠ざけているような感じがあって、そのギャップがグループ間での互いの距離感になっているのかなあと穿ってもみたくなったけど、ここでいよいよヤバいとなったらやっぱりお台場の方針に沿ってBLでも何でも積極的に取りあげていくようになるのか、やっぱり政治や外交で偏愛に溢れた記事を掲載して特定層の支持に頼っていくのか。前者があるとしたら何か食い込める隙もあったかもと後悔も浮かびそう。目ん玉のグループで1番最初に三浦しをんさんを記事にした自分が、そこに絡めないのはどうにも残念だし。でも、そうした刷りよりが可能ならとっくにやっていた訳だから、独立独歩を目指す中、やっぱり出る幕はなかったと思うしかないんだろー。そうでなければやりきれない。未練がましい生き物なのです人間は。

 アニメーションビジネスジャーナルの記事によれば、「BLUE LYNX」レーベルの第1作は 「どうしても触れたくない」のヨネダコウさんによる「囀る鳥は羽ばたかない」だそうで、ヤクザと元警官の用心棒という2人の屈強っぽい、そしてアウトローっぽい2人の関係が描かれる。そんな2人でもそうなるのか。テレビではなく映画ってのも今時かなあ、さすがにテレビで堂々、BLのアニメーションだと放送をできる状況にはないのかなあ、それが変わってこそ、あるいは変えてこそのフジテレビの再浮上だと思うんだけれど。軽いと揶揄されてもトレンディードラマを作って天下を取った訳だから。それができるテレビ局だから。新聞は……様子見かなあ。

 オープニングでちらっと映るチアリーダーが脚を上げる場面でいっせいにそろっているんじゃなく、ちょっとづつ微妙にタイミングがズレているところに作画の力って奴を感じたテレビアニメーション「MIX」。あの「タッチ」の20年後の続編という触れ込みで登場したのは知っていたけれど、「タッチ」の続編だということでもうこれで完結だと納得していた記憶が続いて混乱してしまうことを懸念して、漫画の方は読まずに来たからアニメが作品として初見だったりする。ほんわかとしてそれでいてチクチクと刺さるような状況があるのは「タッチ」と同様か。双子じゃないし年子でもない同じ年の兄弟がいて妹もいるシチュエーションをよくもまあ、組み立てたものだと感心することしきり。

 確か「みゆき」も血のつながらない妹がいたけど、もう1人のみゆきもいたからヒロインが義理でも姉妹ってのは先がどうなるか、安心できつつできなくもあっていろいろと興味もそそられる。あと家族だと、ベランダに妹の洗濯物とか干してあって、それが映し出されても特に流れに違和感はないから。お風呂だけはさすがにそのままでは映さないか。ちょっと前まで小学生だった時は違ったのかな、でも中学生になるとすぐに変わるのかな、そのあたり、妹という存在とは無縁なのでまるで感覚が分からないのだった。先にストーリーが気になって見てしまって、ああそうなるんだと思いながら見ると憤りも減るけれど、リアルタイムで読んでたらコイツなんだ二階堂ってなったかも。人間、いろいろと事情があって秘密があるってことで。長い漫画だけれど深夜アニメでどこまで描かれるのか。NHKだったらずっとやってくれたかもしれないなあ。そこがアニメの分かれ目ってことで。

 せっかくだからとニコニコ超会議2019の2日目へ。「異世界かるてっと」のコーナーに寄ってクレーンゲームでシークレットのバッジをとったら、出たのが「Re:ゼロから始める異世界生活」のナツキ・スバル。ニートな男子キャラをいきなり掴んでしまうあたりに自分の今の境遇が象徴されてて嫌になる。スチームパンクのコーナーでは弥栄道こと塚原重義さんが展覧会「めがねと旅する美術展」に出していたアニメーション作品のDVD「押絵ト旅スル男」が出ていたので購入。前にかった太宰治の小説が原作の「女生徒」もなかなかだったのでこちらも期待。今は映画を作っているのかな、インディペンデントなアニメーション作家が「ポプテピピック」なんかで作品を出して注目される状況もあるし、「ダムキーパー」の鼓大介さんがピックアップした「トンコハウス映画祭」も開催されててと話題の短編アニメーション。もっともっと盛り上がれ、って思うけれどもそれを報じる側にいられないのがどうにもやっぱり寂しいなあ。

 てっきり千穐楽と思って買ってあったチケットが前日土曜日の第2回公演のものだったと判明して、どうにも年明けから心が壊れてたんだなあと思いつつも仕方が無いので後方から立ち見で観劇した超歌舞伎。前から5列目だと舞台が高くて見えなかった、口上をするミクさんがちゃんと遠目に見えたのと、あと精神的に不安定で明け方に目が覚める関係で、観劇中に寝てしまうような事態にならず通してストーリーを確認できた。思い出したのは2016年のバージョンでは何幕って感じにその時々の状況が説明されていたけれど、今回は通してストーリーが綴られていたってことか。

 それでいてちゃんと大正100年から神代の時代に戻り初音の前から美玖姫へと次がれ佐藤四郎兵衛忠信の登場となって白虎の転生と美玖姫に分からせ、そこにかつて初音の前を襲い千本桜を枯れさせた青龍の精が現れどんちゃん、といった展開になっていた。1時間ほどの中にしっかりと導入から中盤を経てクライマックスへと持っていくのはなかなか。なおかつ六方を飛んだり青龍の精の悪辣さを見せたり、その青龍と忠信との戦いで様式を見せる様な場面を盛り込み歌舞伎としての特徴と大城差をしっかりと見せようとしている。これなら歌舞伎馴れして超歌舞伎は不慣れな人でも歌舞伎として楽しめそるだろう。

 そこにぶつけられる中村獅童による超歌舞伎ならではの煽り。千穐楽ってことで口上も長く立ち上がっては花道まで来て煽ったりするのは、昨日あたりはまだあまりペンライトも通らずかけ声も静かで満足できなかったから、だろうか。そうした煽りのおかげで最後は大きくおり上がって気分良く幕張メッセを僕たちは楽しく引き上げられた。溜まっている諸々も少しは減殺されたかな。そして中村獅童ら超歌舞伎の一座も手応えをさらに感じて幕張メッセを後に出来たことだろー。次は何しろ京都四條・南座での超歌舞伎。専用の劇場にいったいどれだけの機材を持ち込めるのか。そこではどれだけのテクノロジーを見せるのか。今回のように歌舞伎に少しのアレンジを持ち込んだように見せる手もあるし、伝統の京都で常識をぶち壊すという手もある。そもそもペンライトは振れるのか。そんな疑問を確かめに、京都に行きたいけれどもその頃の身分がどうなっているか、まったく分からないからなあ。いっそ無職を通せばスッキリするんだけれど、それでスッキリはしたくないし。悩ましい。


【4月27日】 「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」すら見てない人間が「アベンジャーズ/エンドゲーム」についてネタバレを叫ばれたところで気にならないどころか分からないと思うけれど、「ガールズ&パンツァー」を実は「ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦」から見て遡ってテレビシリーズをバンダイチャンネルで有料で鑑賞して全貌を知ってアンツィオ戦を見てそうだったのかと喜び、そして「ガールズ&パンツァー劇場版」へと歩を進めた人間がここにいることだし、「アベンジャーズ/エンドゲーム」をまったくのサラの状態で見て驚いて遡ってマーベル・シネマティック・ユニバースを全部見るくらいのことをするかもしれないから、やっぱりネタバレはされて欲しくないかなあ。サノスの顔がデカいくらいは良いけれど。

 だったら見に行くかというとまだ行けない。なぜならニコニコ超会議2019が始まったからで、朝も早くに幕張メッセまで出かけてプレスの行列に並ぼうと思ったら、プレス受付がある幕張メッセのエントランスに入れてもらえない。前は横のテーブルで時間まで過ごしていたのが今回はメッセの建屋に入ることすら制限してた。コンビニもお客さんを制限されて大変だっただろうなあ。とうかプレス受付が午前9時からって書いてあるのに午前10時からとか主張してどこかズレてる。こうしたズレがもしかしたらあちらこちらに潜んでいて、いろいろな流れを歪めているのがドワンゴのどこかガタってユラいでいたりする原因? いずれにしても情報伝達はどうにかして欲しかった。明日はどうなる?

 さても午前10時に始まったニコニコ超会議2019ではホールの8をだいたい使って展開されてたVTuberのコーナーを見に行ったけど、早くてあまりまだ人が居ず。だったらと戻って毎年恒例のNTTのブースを回って、最先端のテクノロジーが遊びとかエンターテインメントとかに使われている様子を観察する。横に長いディスプレーをラグビー選手が走ってトライするからそれに合わせて自分もとらいするってアトラクションは、超歌舞伎でも使われていた「Kirari!」っていう臨場感を与える技術が使われているそうで、自分もラガーマンになった気分を幕張メッセに居ながらにして体験できた模様。スマートフォンでも広視野角を実現したというVRは、見てないけれどもきっと広い視野を楽しめたんだろう。

 サウス・バイ・サウス・ウエスト2019で出したとかいう映像に触感とか付けた上にVRも加えたアトラクションは、これも体験はしてないけれど簡易版で手のひらに電気刺激がビリビリときたから、本番では腕にはめたサポーターみたいなものから映像にシンクロした感覚がびしびしときて、ただでさえVRで高まっている臨場感を大きく高めてくれていただろー。匂いなんかも出してたらさらに没入観も増しそう。それだけの没入観でいったい何を見るか、ってところがこれからのポイントになるだろうなあ、ホラーとか心臓に悪そうだけれど試してみたい人とかいそうだし。心拍数をモニターしてヤバければ止めるような機構が付けば流行るかな。

 そんなNTTがいろいろな技術をぶっ込んで歌舞伎をアップデートした超歌舞伎が4回目となって初演で大好評だった「今昔饗宴千本桜」を再演。すでに発表会で言われていたことだけれど、いろいろな新技術がぶっ込まれながらも「歌舞伎」らしさを見せようとしたらしく、初日の初演を見ても4年前に見て「おお!」と思ったような驚きがテクノロジーの面ではあまり感じられなかった。それは逆に言うなら自然に技術がとけ込んでいて、当然の演出として感じられたから。たとえば分身の術。舞台の上の方で中村獅童が戦っていると、その複数いる相手が分身の術でもって別の場所にも現れいっぱいいるように見えた。でもそれを普通と思って驚かなかった。

 中村獅童がそのまま下段のスクリーンに現れたのもそれくらいできて当然といった感覚。この先に実は獅童が音海斗に変身しつつ同じモーションを見せるのが、今回から投入された分身の術なんだけれど、観客にとってはああミクちゃんとセットの海斗が出て来たんだなあとしか思えない。獅童と同じ動きをしていると気づければ「おお!」となるんだけれど、気づかなくても転生した姿の海斗がそこに現れたこと、そして六方を踏む獅童が現れたことが時間と空間を超えて大集合して強敵に挑み美玖姫を守るという意思を、舞台を通じて演出の中に織り込めたらそれで良いって判断なのかもしれない。

 初演の時はそれこそ黒バックの中で獅童が演技をしているところを見せ、それが舞台上のスクリーンに分身として現れ「おお!」と驚かせた。技術があればこんなことができるんだと見せつけたけれど、4年経ってそれをやっても驚かせるための驚かせになってしまう。そうではなく、自然に、けれどもあり得ない演出があってその背後でテクノロジーが動いている方が見ている側も構えずに見られてなおかつちょっぴり不思議がれる。3DCGのアニメーションが昔はそれだけで凄かったけど、今は当たり前でその中に自然な動きとか表情とかがあって知らず凄いものに触れつつ楽しんでいるのと同じになっていくのかもしれない。

 とは言え、やっぱり驚きが欲しい気もしないでもない。「Kirari!」が得意としている遠隔地の臨場感をその場に持ってくるという技術を超歌舞伎に活かして、アメリカにいるトム・クルーズなりジョニー・デップが割って入るような驚かせがあったら愉快かもしれない。それが超歌舞伎である必要がないなら別の演目で世界から俳優たちが参加して1つの舞台を作り上げるようなイベントを、是非に見せて欲しいなあ。でもそういう遠隔地からの合成は、VTuberたちがすでに実践しているから敢えて生身の人間で嬉しがるってこともないのかな。VTuber、本当に凄かったなあ、人気も数も。今がピークならあとは落ちるだけだけど、この賑わいなら淘汰はされてもまだまだ行きそう。今のうちに参入しておくか、声だけは自信があるからスキンを被せてラノベを語るイケメンとして。禿げの爺さんと中身がバレたら大変だ。

 超歌舞伎ではあとやっぱり見たかったテクノ法要×向源を見物に。テクノのサウンドをバックに読経があってそこにVJも乗るといった具合に見ていて楽しくそして荘厳な感じもするこれを海外に持っていったら、宗教的な儀式と行った部分で異論は出るかもしれないけれど、ミュージック&アートのパフォーマンスとして一種独特の雰囲気を持ったものとして人気が出るような気がする。去年見た般若心経がプロジェクションマッピングで投影されたりすると感じの意味は分からずとも身が引き締まる思いがするのは日本人も外国人も似たようなもの。そうした衝撃を分かりやすいテクノに乗せて展開して行くことで広まる文化があるのなら、やってみても良いんじゃないかなあ。いっそだったらミクさんに読経をさせるとか? 出来たっけ。そして意味を知らず言葉で紡いでも良いんだっけ。聞いて見たいお坊さんに。

 そんな楽しさ満載のニコニコ超会議を取材に来られるのも今年が最後かもしれないなあ、今はアルバイト的に取材をさせてもらっているけれど、来年まで同じ立場にいられるとは限らないし、来年にそこがあるかも分からない。けどでも見渡すとこうしたイベントを取材できるメディアは山ほどあって、そこに混ざれない身の至らなさにグッとくる。あるいはここまで取材する人たちがいるのなら、別に自分が取材しなくても良いんだから大人しく引っ込んでいれば良かったと思えなくもないけれど、それならそれでしがみついて漫然と日々を過ごせば良かったかというとそれで溜まるのは賃金だけでスキルはつかず、3年後が不安になる。これからの何年かを考えまずは何かを勉強できそうな場所を探していこうかと思うのだった。何が出来るかなあ、自分に。


【4月26日】 ようやくやっと見た「キャロル&チューズデイ」はなるほどやっぱりブライアン・エプスタインよろしくキャロルとチューズデイが作ったユニットに何か感じた元ドラマーで元プロデューサーのガスというおっさんが、近寄ってきてはマネジャーを買って出ていろいろと鍛え始めるもののどこかズレてて将来がちょっと覚束ない。それでもそれなりに人脈はあったみたいで、目下最も燃えてるDJを紹介しては2人を送り込んだものの、相手もプロだけあってファンとして会うならともかく、音楽を聞いて欲しいといった頼みには応じないと却下する。

 そこでチューズデイがとった行動が無理に歌うとかパフォーマンスを見せるとかじゃなく、持ってきた楽譜を火にくべて燃やしてしまうって無茶苦茶さ。それで火が着いてスプリンクラーが作動しDJはずぶ濡れになったけれども、騒動の中でキャロルもチューズデイもうまく抜けだし豪邸を後に走り去る。これも後に何か伝説になるんだろうか。燃え残った楽譜を見てそこに何か才能を感じるとか? 分からないけど歌っていたらネットでバズってすぐデビュー、即人気者とかにはならないところに有り体の今時な展開とは違った渋みを感じる。何もしなくて人気者じゃあつまらないからね。

 一方の元子役、アンジェラの方もいろいろと試してアダルトとして脱皮しようとしているけれど、そばにいるマネジャーのダリアもまた元子役だったみたいで、それで挫折した経験を語って甘さをたたき直そうとする。今でも結構な人気があって取材もあるのにそれでも覚えられないって可能性があるんだろうなあ。キャロル&チューズデイの存在にはまだ気づいてないみたいで、ふれ合ったり邪魔し合ったりするような展開は見えず。それもいずれはあるんだろうか。DJと作曲家というそれぞれに絡むスターミュージシャンたちの対立めいたものも含め、エスカレートしていく展開とその果てに来る奇跡の7分間とやらが今から楽しみ。その頃にはこちらの心も落ち着きを取り戻していると良いけれど。

 Facebookでオープンで現状を綴ったところ、シェアを経ていろいろとご紹介を頂けて、いろいろなお話は頂けて嬉しく思う一方で、そうした申し出が今度は自分に出来るのかという不安に沈みそうになって、今の自分から自信というものが大きく損なわれていることに気づいたり。いろいろなご厚情に即答したい思いもありつつ、ライターとしてそこで日々を掘っていったとして、そのさらに先はどうなっているんだろうといった不安が顔を出して立ち上がろうとする足を引っ張る。

 だったら残ってた方が良かったかというと、そちらもそちらで将来の不安があった訳で、1年2年の安住の先に似たような状況が来るのなら、今、目の前に来たものを囓りつつ掘り進んでいくしかないと割り切るしかないのかもしれない。20年後を考え実家に戻ってのんびり余生というのも惹かれない訳じゃないけれど、その時に自分が今以上に後悔してないという保証なんてないのだから。などと考えつつ失業者認定の講習会に行くと200人くらいが1室でこれからの失業者としての過ごし方に聴き入っていた。手続きの大変さはもとよりこれだけの人が老若男女、失業しているという現実のどこが好景気なんだろう。何がアベノミクスなんだろう。そこのけじめをつけないで政権を禅譲した先に来る、支えを失った景気を思うとやっぱり今、決着をつけておくべきなんだろうなあ。仕事探そう。

 陣内燕太の妄想が炸裂していた「さらざんまい」の第3話。殺人事件があって背後に欲望を集めようとする組織があるんだけれどそれを途中で阻止する形で河童たちが介入して、解消させるといったパターンがだんだんと固まってきて、対立の構図も見えてそこからどういった積み重ねがあるのか、途中でどう転ぶのか、ってあたりが興味の向かいどころになっていきそう。警察官の2人に指令を出してた存在は何者でそして何を目的にしているのか。人間なのか人知を超えた存在なのか。河童との関係なんかも含めていろいろと想像しおう。これで24話の2クールとかあれば物語も膨らむんだけれど、12話の1クールでは世界も限られるだろうから、3回で1つのタームとして次からは変化が起こってくるから、「少女革命ウテナ」で黒薔薇編に入ったみたいに。期待。

 歳もあるしスキルも足りず、再就職の応募を書類で跳ねられる連続の中で生きていくには心を平静に保たねばと、良い音楽を聴きに中野サンプラザへ。WakanaがひとりになってKalafinaの名も解散となって、名実ともにソロアーティストとして始まったツアーをいくつかこなして来た中で、やって来た東京では音楽監督の武部聡志さんが途中に入ってそのピアノで2曲。まずは武部さんがWakanaに歌って欲しかったという「ハナミズキ」を朗々とWakanaが歌ってさすがなハイトーン、そして音感を聞かせてくれて次、Wakanaが武部さんのピアノで歌いたかったという「ovlivious」を聞かせてくれて3人で歌い分けるところも1人でこなして音域の広さを感じさせる。

 なおかつ表現力。KalafinaではKeikoの中音域から低音域の支えがあってHikaruの情感もあった上をWakanaの澄んで強い高音域が引っ張り全体を形作れたけれどもソロではそうはいかない。ならひとりですべてをこなすしかないとなった時に表現への進化が始まった。というか、元がゴスペルを歌っていたというのならパンチに情感も乗せなきゃいけないわけで、それが改めて出て来たって言えるのかも。「ovlivious」でもKeikoが持ってたところ、Hikaruが持ってたところをそれぞれに音域を得て表現も乗せつつ1曲の歌として歌い上げてくれた。

 アルバムからの曲も多く、それらは自分に合わせ自分のために作られた楽曲に自分で詞も書いたなら歌ってそこに感情が乗る。そんな楽しさ、軽快さ、深さがあった歌たちを聞けたライブだった。カバーもあって楽しげで力強くて深くって。あの音域なら何だって歌えるのを選んで歌ってるからどれも素晴らしい。いつかもっと楽曲を増やしてカバーアルバムも作って欲しいなあ。そんな中にはちょっとだけでもKalafinaが入れば嬉しいけど。ピアノだけの「oblivious」はやっぱりよかったなあ。僕たちはやっぱりKalafinaが大好きだったんだ。

 あと、ソロでは割と歌ってくれていたような「水の証」も。これも歌い続けてほしいなあ。そうやってWakanaから紡がれる梶浦由記さんのサウンドを耳に残しつつ、いつかまたKeikoとHikaruを交えたKalafina3人が並んでステージに立つ日を夢見るのだ。あれだけのユニットが映画館での舞台挨拶だけに止まり、ライブという最後の挨拶をしないでいなくなってしまったのはやっぱり寂しい。あの映画で見せてくれた感動を誰も味わえないまま永久に過ごすのは悲しい。だったらいつか、きっと、そしていつもに。そうなる時までは僕も頑張らないといけないなあ。沈んでる場合じゃない。届く仕事をとにかくこなして前に進むか。進ませてくれると嬉しいけれど。


【4月25日】 どうせ無理とは分かっていてもとりあえずいろいろ応募をしては断られ続ける日々。まあ歳も歳だしキャリアも拙いから仕方が無いとは言えば仕方が無いんだけれど、それで沈んでいては沈みっぱなしになるので気を振るって挑んでやっぱり跳ね返される繰り返し。そんなに自分はダメかねえ、ってところでここしばらく、カクヨムの方でやってる日記のダイジェスト化を作っている時、ずっと昔に読んだ向山貴彦さんという人による「童話物語」に出て来た一説の引用に触れて、ちょっとは頑張らなくちゃと気を取り直す。<BR>
>  「誰だって、自分が思っているよりはすごい人間だよ」。主人公のペチカという少女が、旅の途中で出会った蒸気機関車の女性運転士から言われたこのセリフが、今の自分にズッキューンと音速で突き刺さる。いろいろ言われて路頭に迷って門戸も閉ざされ、自分に自信をなくしてオタオタとしている今だけど、30年やってきたことが無駄だとはやっぱり信じたくないし、無駄とは思っていない人も外にきっといたりする。そうした伝手を得て自信を取り戻すことで、これからの20年を戦える自分を作るのだ。そう思えば今もちょっとは辛くなくなる。<BR>
>  物語自体は、世間をひねて自分の殻へと閉じこもり、周りのすべてが自分に敵対していると考えていた少女が、優しさと出会い理解と出会い友情と出会い自分を見つけて立ち直ってついでに世界も救う話。描かれる物語世界の緻密さ重厚さ、そして積み重ねられる人々の感情の機微が、長い物語にも関わらず読み手をつかんで離さず、哀しみを超え波瀾をくぐり抜けて感動のラストシーンへと連れていってくれる。そんなストーリーに最初に読んで感想文を書いて感動を露わにした。諦めてばかりいる人生を鼓舞して頑張ろうと書いた20年前の文章が、今の自分を励ますとは当時はとても思わなかった。

 20年ぶりに触れた「童話物語」の感想が、現実のとてつもない壁に打ちのめされる自分の気鬱をすぐに晴らしてくれるとはまだ思えないけれど、それでもやらなくちゃいけないのなら、やるしかなんだろう。かけていただける声も幾つか出始めている中で、何かを選べる身でもないならある程度、こちらのスキルや能力を勘案し、かけてくれただろう声を受けてこなしていくことで、少しずつでも自分を取り戻して行くのが今の自分に出来る唯一のこと、なのかもしれない。向山貴彦さんはようと1年前に死去。だから頑張りたくても頑張れない。僕はまだやれるのだからやるしかないと思いつつ、20年を経て僕に言葉を残してくれた向山さんに改めて感謝と追悼の言葉を贈る。ありがとう。

 三軒茶屋にエンターブレインがあったころから通っていたから、もうどれくらいの年月になるんだろう。ファミ通のハマさんこと浜村弘一編集長がどんどんと偉くなっても続いていたゲーム市場について話してくれるレクチャーを、これが見納めと思って挨拶も兼ねて見学に行く。所属もないのにいつまでも記者の顔して行くわけにも行かないし。詳細についてはいずれどこかが記事にするだろうからそれにお任せするとして、教えられた現状からゲーム市場ではクラウドゲームがどんどんと広がっていく中で、プラットフォームが他のプラットフォームと連携しながらユーザーを引き寄せていく状況になっていきそうと分かった。

 例えばGoogleが出してくるStadiaってクラウドゲームは、ゲーム機が無いだけじゃなくダウンロードも不要とか。コントローラを使ってスマホだって操作できるから、いつでもどこでも4K相当のゲームを簡単に遊べてしまう。僕なんか人はそんなにいつでもどこでもゲームがしたいのって思ってしまうけど、日本でだってスマートフォンのアプリを電車の中で遊んでいたりする人の多さを思えば、Stadiaをスマホで、そしてモニター越しに遊ぼうという人だってきっと出てくるだろう。そしてYouTubeでのインフルエンサーによるゲームプレイ動画なんかを見た人が、そのままシームレスに遊びに行くようなことも起こっていく。

 Ninjaっていうゲーマーは遊ぶだけで1億円とかもらっちゃうくらいのインフルエンサー。そういう人に導かれ、遊ばれるゲームがきっとこれから増えていく中で、日本のゲーム会社による日本のゲームはどうなっていくのかが気になるなあ。そちらはプレイステーション4のような元気なコンソールの上で遊ばれるのかな。しかしNinjaを始めゲームプレイのインフルエンサーの稼ぐこと稼ぐこと。日本だとニコニコのゲーム実況で頑張ったって1億円は稼げない。1000万円だって無理だろうけど世界ではそれが叶になっているらしい。宣伝したい側がいて宣伝できる人がいれば成立する関係。ライトノベルを宣伝したい版元があってそれを宣伝して1億円くらい稼げないかなあ、その前にインフルエンサーになれ? ごもっとも。でもインフルエンサーってどうやってなるんだろう。23年ウエブ日記書いてても少しも有名にならなかったんだよ、自分。やれやれ。

 eスポーツに関する話もあって世界でTier1の領域に入る「オーバーウォッチ」とかそのあたりのゲームに対して日本のチープはやっぱり資金力の問題もあるのは上位に入れず、そしてそうした領域に日本人が強いゲーム、日本のゲームなんかも入ってないことが世界とのギャップとして取り沙汰されそう。いくら「ウイニングイレブン」とか「グランツーリスモ」で強くなっても世界トップのフィールドで大会が行われ大金が支払われなければ意味がないとは言わないまでも、世界から取り残されてしまうから。だからやっぱりそういう方面を鍛えるしかないんだけれど、一方でオリンピックの種目になるかもっていった誘い文句からeスポーツの公然化を進めている動きの中で、スポーツゲームが入ってこないというのもちょっと寂しい話だったりする。

 IOCの側だと体を動かさないんだからスポーツじゃないだろうという意見が根っこにあって、そして人を殺すようなゲームもやっぱり拙いんじゃないのといった意見も乗って、だったらクレー射撃なんて突っ立って撃つだけだろうって意見はさておいて、だったらもeスポーツはゲームだけで独立してやっていくからオリンピック関係ないってことになったら日本の推進意欲も萎えてしまう。だったらいっそスポーツに関係するゲームだけを認めてオリンピックとか、スポーツの大会でやってしまえばって話もあってそれは「スポーツe」という名前で呼ばれているんだとか。FIFAにしろウイイレにしろパワプロにしろNBAにしろ、スポーツゲームなら実況を見ていても分かりやすいから親和性は高いだろうなあ。でも賞金は? ってなったところでeスポーツ側と乖離が出たらやっぱり拙い。どこへと向かって進むのか。眺めていく必要はあるだろうなあ、ゲームの担当記者は。僕は今は降りてるからウオッチに止める。戻れれば嬉しいけど……無理かなあやっぱり。

 ライトノベルも読まなくちゃってことで猫子さんという人の「暴食妃の剣1」(オーバーラップ文庫)を読んだらこれがなかなかシビアだったよ。生活に困窮し能力も下の冒険者ディーンは荷物運びでどうにか生計を立てていたけど、潜った魔迷宮で囮として置き去りにされて絶体絶命。逃げ込んだ底で悪魔にして暴食妃ベルゼビュートの心臓を見つけ力を借りてどうにか外に出る。そして、心臓を剣に打ち直し、あらゆる力を食らう魔剣として使おうとするも材料も能力もまだ足りず、それなりに稼げはしても一気に英雄とはならないディーンは、かつて世話になった一流の冒険者と、連れていたエッダという少女と魔迷宮に潜りそこで非道の真実を知る。

 一流の冒険者のまさかの本性。とても太刀打ちできない相手だけれど、そこは暴食妃ベルゼビュートの力も借りつつディーンはエッダと2人でギリギリの戦いを演じ、どうにか難局を乗り切る。この戦いもまた薄氷というか確実に死が迫った状況で、死んでも行き帰るか圧倒的に強い主人公たちで賑わう傾向にあるライトノベルの世界に、クールでシリアスなシチュエーションって奴を戻してくれた。英雄だって裏では恨みとねたみに染まっていて、悪事を繰り返さなくては生きていられないという、そんなシビアな世界がゆるふわ系ファンタジーの多い昨今に重く響く。これは面白い。そしてどんどんと面白くなりそう。偉い奴に目を付けられディーンは大丈夫か。まあそこは最終兵器のベルゼビュートがいるから大丈夫かなあ、燃費は悪いけど。そのあっけらかんとした食いっぷりがシリアスなトーンの中で救いだな。


【4月24日】 歳のせいかキャリアの薄さか、応募してはドスドスと音を立てるように閉じられていく企業の門戸に、もうメディア企業で社員記者としていろいろと取材して書いて伝えるような仕事は難しいと感じる昨今。アヌシー国際アニメーション映画祭で、日本のアニメーション作家たちが、大々的にプレゼンテーションを行うという発表会の記事みたいなのが大手紙のサイトに載っていて、取材をしたのかと思って読んだら「PR TIMES」というプレスリリースを配信しているサービスが作ったリリースを、写真も含めてそのまま掲載していただけ。速報ではないものの中身はたぶん新聞が今までのように後日に記事にするよりも濃く、こういうサービスが出て来て取材や記事の執筆が外部化されていった時、記者すらいらないといった状況も起こりそうな気がしてきた。

 というか、たぶんそういう方針からの最近の採用抑制で、入社してから数年間をおいて取材のイロハを覚えさせてきた地方支局というシステムすら狭め、縮めていたりする状況は、記者ではなく編集者をPCの前に置いて、配信される記事なりニュースリリースなりを選んで貼り付けていくという、今のネットメディアの大半がやっているのと同じ方へとシフトしていく現れなんだろー。もちろんそれは全てではなくて、資産があって販売網もまだしっかりしていて売り上げも立っている全国紙の上2つとか経済紙のトップ、そして有力ブロックしや県紙あたりが取材して記事を書き載せることでオリジナリティを保ちつつ、その記事を配信して稼ぐ流れを掴み、他はそれらを受けて流すだけといった1.5次元メディアに推移していくという、そんな2分化が起こりそう。

 そうした2分化の縮退側で残るのはだから強烈なオピニオンで、その話の中に入れれば書き手でいつづけられるけれど、そうでなければ居続けられないという状況の波に直撃されて流されおぼれてアップアップしている今、すべきはだからやっぱり普遍的な情報の書き手という立場を離れるってことなのかなあ。個々にはもちろん書けるし書いて楽しいことはあるけれど、すべてが自分の選択って訳ではないから。そこはだから個人が個人で作り発信するこうしたメディアでやるしかないってことか。だったら居座って何をやらされてもそれはお仕事と割り切って、日曜ライターで日曜書評家で日曜評論家で個人記者で良かったかどうか。迷うところではあるけれど、ドスドスと閉じられた門戸とは別方面に自分を活かしてくれる場所もあるかもしれないので、しばらくは探して彷徨おう。

 とか考えていてもズルズルと沈んでいくだけなので、今回は今のところここだけが音響の良さを売りにできているチネチッタ川崎のLIVE ZOUNDで「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」を見に行って、まずは予告編で流れた「天気の子」の音響の良さにギクッとする。RADWIMPSによる音楽や歌も突き抜けるように響くんだけれど、それより前に出てくる街のさまざまなノイズがちゃんと粒だって耳に届いてくる。予告編の段階でこれならもっとダビングが進んで声まで乗って音楽が入った映画そのものはどうなってしまうのか。今から期待で胸が躍る。

 問題はだから、「天気の子」をチネチッタがちゃんとLIVE ZOUNDで上映してくれるかだなあ。あとは立川シネマシティとかイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーン9.1ch。もちろんそうした劇場向けに音響を作り混んでくれるか、劇場で作り込めるような音響データを作ってくれていればの話になるんだけれど、配給のTOHOはやってくれるのか、制作のコミックスウエーブフィルムがそこまでやる気満々なのか。今は映画館での体験がネットでの視聴に勝って人を映画館へと向かわせる原動力になっている。そんな映画館ならではの体験を増進させる音響面でのアピールを、「天気の子」には是非になってもらって他の映画の底上げ、そして映画館の音響への意識向上に繋げて欲しい。TOHOシネマズってあまり、そういうのに熱心って聞かないし。どうなんだ。

 「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」に関してもまずは台詞がしっかりと聞き取れるのが良い。演奏のシーンでピークを持っていくからなのか音楽ものだと芝居のシーンがどこかぼやけてしまったりすることもあったような記憶。でも「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」に関しては台詞はどれもしっかりと響いてきたし、演奏シーンではどの楽器の音もしっかりと耳に響いてきた。サンライズフェスティバルで「サンバ・デ・ラヴス・ユー」のイントロが鈴木美玲との対話シーンからちゃんと流れていて、そして本番へと繋がっていくことを改めて感じ取れた。これはこっちがよく見ていなかったからなのかな、そういう心境になかなかなれなかったってこともあるし。

 ラストに来る吹奏楽コンクールの関西大会における「リズと青い鳥」の演奏はもう本当に聴き入るといったレベルの完成度。スクリーン近くの正面に座って感じたけれど、ここのパートはカメラが切り替わっても音を振らずにずっと固定で観客席から演奏を聴いている感じにしているんじゃないかって感じた。鎧塚みぞれのオーボエが出てくる位置、傘木希美のフルートが鳴る位置、ハープが響く位置からトランペットにユーフォニアムにサキソフォーンにクラリネットが鳴って打楽器系が響く位置なんかも目をつぶっていたらだいだい同じ場所から聞こえて来た。まるっと吹奏楽部をスクリーンの中に押し込めそこで演奏させているような感じ。もちろんLIVE ZOUNDでなくてもそうなっているんだけれど、粒だって聞こえるから余計にそう感じたのかもしれない。コンサートがしばらくない今、フルでライブ並の「リズと青い鳥」が聴ける唯一の場所、ってことになるかな。もう1度くらい通いたいけど、立川シネマシティが極音を持ってきたらそっちに行くかも。来るかなあ。

 無職が板について蒲鉾になりそうだったので職探しに繋げようと元青山ブックセンター六本木店の文喫六本木で開かれたLINEノベルPresents「あたらしい出版のカタチ」の第1回を見物、ストレートエッジの三木一馬さんに新潮文庫nexの高橋裕介さんが登場し、LINE執行役員の森啓さんを交えLINEノベルについて語る。副題は「ミリオンセラーの作り方」ってことでまずは三木一馬さんが「俺の妹がこんなに可愛いはずがない」を例にキャラ立てをして漫画を読んでる若い人にリーチしようとして関係性とかギャップとか特技とかいったものから考えていったと話し、そして「魔法科高校の劣等生』について触れてこちらはハードボイルドでSF感が強かったネット版から読者層を下げるべくイラストを考え俺妹の作画監督さんにまずお願いして絵を得て作者にアプローチ。そうやって獲得して現在に至る、と。

 高橋裕介さんは知念実希人さんの天久鷹央の推理カルテシリーズで途中、鈍ってきたところで表紙のレイアウトを変更。絵を小さくして作者名よりサブタイトルを大きくして年配者でも買いやすくしたという。さらにもっと上目に今度はDr.知念が挑戦するというカバー上カバーを出してミステリ感で売ってミリオン突破。編集者も細かく工夫をするのだなあ。宮部みゆきさんの「ソロモンの偽証」は6分冊の2冊ずつで表紙を作り。 1巻2巻で3階から飛び降りる男の子がいて3巻4巻で教室で話す子たちがいて5巻6巻で体育館の模擬裁判というパノラマ3段を表紙にして書店で並んだときの迫力を出そうとしたと。それで文庫版でもグッと売れた「ソロモンの偽証」。それを真似ればミリオンが作れる訳じゃないけど、編集者の工夫は分かった。

 以後、LINEノベルというプラットフォームについて話され三木一馬さんは森啓執行役員の採算度外視でワオ!と驚かせてくれる施策に共鳴し拾っていただいたという言い方で参画意図を表明してた。そして細分化されていくメディアの中、見つけられにくくなるけど、蒔いておけば1回火が着くとわっと伝わると。そんなネットの特性を踏まえ展開もプロモーションも考える時代なんだなあと思ったよ。高橋裕介さんはテンポが変わっていくことに触れていた。そんな時代だからこそ「新しい出版のカタチをエンターテインメントにする」くらいの展開が必要。参加9社すべてからオファーが来た小説、なんて出たら凄いと。それがメディアでバズって注目が集まれば、ってのも今は皮算用だけど起これば凄いなあ。

 そんなLINEノベルというプラットフォームでは、あるいは目の前のベストセラー編集者は何を求めているかという問で三木一馬さんは不味いかもしれないと言われて出されるラーメンは食わない、という言い回しから。自信がないけどと出される作品は読まない、自信を持って書いている作品は編集に伝わるといった話をしてた。高橋裕介さんは書いていく人が良い、どんどん書いてってことを話してた。これから来そうなのは三木一馬さんはアイドルとか何かを応援したい文化から応援したくなる作品を挙げつつ読んでスカッとする作品、それは不謹慎でもコミカルに。書かれることでスカッと思える作品が来るし作ってるようなことを話してた。なんだもう先があるのか真似できないや。

 高橋裕介さんは現状、やっぱりミステリが強くで確かにミステリは謎解きでスカッとするとは話しつつ世界を考えると「ソードアート・オンライン」みたいなのが突き抜けるからと指摘。ファンタジーとか出したいと。それは「十二国記」の新刊出る話が大騒ぎになってる状況も鑑みつつ話してた。後はトレンドを見て書くべきか独自性を出すべきかといった問いで三木一馬さんはデビューするならオール80点のものもありだけどこの作品は俺しかかけないという熱意があり、この作者に会いに行きたいと思うようなものに惹かれると、そんなことを話していた。森啓さんによればランキングはLINEノベルにも付くけど、会社を挙げてつくっているAIを使い個々人が読みたそうなものをリコメンドしていくような機能も出てくるみたい。それが実装されていけば上位万歳な投稿サイトとは違う雰囲気も出てくるかも知れないLINEノベル。今、小説投稿サイトとしていろいろと仕事をするなら、ここん家に可能性とか見えて楽しそう。僕の仕事場所はないかなあ。ないよなあ。


【4月23日】 坊ちゃん文学賞といったらやっぱり思い浮かぶのが、田中麗奈さんが主演した映画「がんばっていきまっしょい」の原作となった敷村良子さんの作品で、受賞したのが1995年だから3年後にはもう映画になって劇場にかかって、敷村さん本人も保健室の先生だったか何かの役で出ていたのを覚えている。この作品があったからその存在を覚えていた坊ちゃん文学賞が生んだスターとなると、それは瀬尾まいこさんで、こちらは2001年に「卵の緒」という作品で受賞。その後に「幸福な食卓」を出して吉川英治文学新人賞に輝き本格的な作家といった雰囲気を醸し出し始めた。

 勤めていた学校も辞めて執筆に専念するようになったのか、2018年に出した「そしてバトンは渡された」が山本周五郎賞の候補になって、そして本屋大賞を受賞してとある意味で小説のてっぺんを極めた作品を出したという意味で坊っちゃん文学賞はそれなりの地位を得たって言えそう。でも、そんな坊っちゃん文学賞がショートショートの賞に様変わりするとか。すでに第15回で部門としてショートショートもあったみたいだけれど、小説部門もちゃんと残っていたのが変わって第16回ではショートショートの部門のみになるみたい。審査委員はショートショートをたくさん出している田丸雅智さんで、ほかに声優の大原さやかさん、映画監督の山戸結希さんも参加するみたいで美しい審査員に会いに応募して、賞をとりたくなってきた。字数も4000字で良いみたいだし。でも第15回ですでに1000編を超える応募があったから、競争も激しそう。ならば100編を書けば引っかかる率もあがるかな。そんな力はないけれど、1本2本は出しておきたいなあ、ある時間を使って身を削って書き上げて。

 買うかどうか迷っていたけどやっぱりこれはお金のある無しにかかわらず手に入れておくべきだと「若おかみは小学生!」のテレビ版付きBlu−rayコンプリートエディションを購入。付属の原画はおっこがわりと真面目な顔で前を向いているもので、Aパートあたりでようやく着物を着始めた頃って感じか。そりゃあ例えば廊下をスパッツも露わにして拭き掃除をしている場面とか、おっこではなくグローリー水領さんがお風呂に入っている場面が欲しかったけれど、そういうのはたぶんしっかり手元に残して展覧会とかで見てもらい、割とありがちだけれどでもヒロインが出ているものをプレゼントに出している、って考えるのが良いのかな。ネットとか見るとグローリー水領さんにドリンクを運ぶ画面とかあったみたいなんで、前半だけに絞った訳ではなさそう。いずれにしても歴史に残る貴重な作品の貴重な原画なので部屋に埋もれないように除けておくか、さっさと自宅に送って保管しておいてもらおう。このままだと生活全体が沈みかねないし。

 そんな名作アニメーション映画を作ったアニメーション制作会社のマッドハウスがいろいろと揺れている感じ。制作進行を務めていた人があまりの長時間の時間外労働を気にしてユニオンとかに訴えて、それが週刊誌に書かれていろいろと問題になっている。昔から制作進行の仕事の長さは言われていたことで、原画をまいて回収をして監督に届けてリテイクもまいてとそれはもう大変な日々を過ごしている。相手がいることなので自分の管理ではどうしようもなく自然と遅れそして長時間労働になっていく。システムとして仕方が無いとはいえそういうシステムにならざるを得ないところが問題で、システムを改善するかパートナーを増やすかして負担を減らすしかないんだけれど、それができれば世界はとっくに変わっている。

 原画は朝の9時から午後5時までしか仕事をしちゃいけないとか、それで数がちゃんと上がるとかいった夢を夢じゃなくするようなガバナンスが企業に出来れば言うことないんだけれど、出来ないんだよなあ、やっぱり。昔はきっとそれでもひとつ場所に原画も動画も募って肩を並べて仕事をしていて、それらを見ながら自然と引っ張られていったんだろう。でも、自宅作業がメインになると原画はノリの良い時間に描いてそれを回収にいかんかちゃいけないから夜になったり朝になったり。でも全員じゃないから時間は無期限に延びていく。そういう人には仕事を回さないなんて贅沢ができるほど人材も多くない状況をどう改めるか。本数を減らす? それだと今度は仕事にあぶれる。デジタルにして回収の負担を減らす? それもありだけどまだまだだろうなあ。かくして悲惨は続いて改善に向かわずの繰り返し。でもそれではという英断と叡智が業界に広がれば、変わる兆しも出るのかな。良い作品を作っているんだから良い会社になってとお願い。

 将棋でいうところの三段リーグを勝ち抜けるという、ある意味で絶頂の行きにいる将棋の新人棋士だったら別だけれれども成績優秀にして将来期待というった判断でプロの囲碁棋士にされてしまった仲邑菫初段が勢いを持っているとはやっぱり思えなかっただけに、プロ初戦を敗れてしまったというのも仕方の無いことなのかもしれない。とはいえ174手までは行っての投了ならまだ期待はできるのか。とりあえず最初の勝利が出るまではその実力を判断するのは避けたいなあ。これまでの最年少対局記録を持っていた藤沢里菜女流三冠だってプロになりたての頃は割と苦戦をしていたみたいで、それで成長につれて強さを増しての今の三冠なのだから。それにやっぱり僕よりは圧倒的に強いだろうし。

 もちろん「平成」の額を持つんだろうなあ、菅義偉内閣官房長官。27日と28日に幕張メッセで開催されるニコニコ超会議2019の会場に登場する予定で、平成を懐かしむブースを訪れたらそこに飾ってあって平成の象徴にもなった「平成」おじさんを演じてみせては、キャッチイな雰囲気を周囲に振りまき次の内閣総理大臣への道を駆け上がる、とそんなストーリーが描かれていそう。仕込んだ二ドワンゴには罪一等が減じられてカドカワの孫会社から子会社へと復活、そして日本SF大賞にも1000万円のスポンサードがある、なんてことはきっとないけどでもやっぱり、政治にコミットしてお祭りの中に人気を煽っていく展開にはなりそう。安倍総理もかつてニコニコ超会議で戦車の上に乗って騒いでた。それで無節操と言われずむしろ人気が上がったりする今のメディアと人心を、操り自由民主党の覇権は続き、そして日本は……。未来が怖いなあ。


【4月22日】 「なんでここに先生が?」とやっぱり思うだろうなあ、帰ったら自分の部屋に先生がいたりしたら。でもって母親がお酒を飲ませてへろへろにさせて、ボディとか見せさせてしまったんだからもうこれは据え膳状態だけれど、そこは理性でしっかり押し切ろうとしたら相手が迫って来たからもう大変。でも酔いが覚めたらすっかり忘れて、お姉さんと呼ぶことすら赦されないかと思いきや、それには陰でしっかり照れているところを見るともしかして胸を見せたことも、キスしたこともちゃんと覚えていたりするんだろうか。それで表では態度を緩めないその強靱な心に感じ入ったよ。これで将来、嫁になったらデレるのかトガるのか。それも気になる2人の関係。テレビアニメ「なんでここに先生が?」は毎回快調に放送中。

 でもって「Fairy gone フェアリーゴーン」の方は、キャラクターこそ増えながらも話としてはあまり進まないというか、妖精に絡んだ本か何かを奪い合って追いかけあっているだけで終わったしまった感じがあって、どういう勢力が何を狙ってくんずほぐれつしているのかが見えてこない。あの黒い書が手に入るとどうなるんだっけ。そしてヴェロニカ・ソーンは何を狙っているんだっけ。そうした状況を第1話に遡ってまた確認していかないと分からないところも出て来た。ウルフラン・ロウは何をしたいのかも。ヒロインのマーリャ・ノエルが人工的ではない妖精付という特殊な立場なのに、そのチートな戦いぶりを見せてくれないってのも話にメリハリがない理由かなあ。まあ良い、とりあえず見続けよう。今シーズンで珍しく毎回見ているアニメだから。

 っていうか何かアニメを見る気力もライトノベルを読む気力も削がれて気もそぞろ。社会が描かれた作品を読むと、そこに描かれた生きる苦労が自分にそのまま跳ね返ってきて、心穏やかに架空の世界の話だと読むことが出来なかったりする。それでも読むのが仕事だからと浦賀やまみちさん「無色騎士の英雄譚 2」(レジェンドノベルス)を読んで、主人公のニートが転生前にサラリーマンとしてどこまでも会社にしがみつこうとしていた様に、ああそうだ自分もそうすべきだったのかもといった気分が沸き上がる。でもそんな主人公でさえニートとなってしまう社会の厳しさ。ユルく生きられないならここで生活基盤を整え直すのも運命だったのかもしれないなあ。名古屋で余生を。そんな選択肢が拡大中。

 さて、小説の方はといえば、奴隷の身に落とされながらもどうにか逃げ出し戦場へと出てそこで対峙したのがとてつもなく強い将軍で、どうにか命は助かったものの戦場から離れてしまったところにその将軍がいて、弱って死にかけていたので助けたら信頼をされて2人でその将軍というか大貴族の家を目指すことになった。とはいえ戦場を抜ける訳にもいかず徒歩での道行きをニートは才覚を発揮し、馬車を得て旅程を縮めて将軍の城が他の貴族に乗っ取られるまえにたどり着いて将軍の孫娘を結果として守り、ニートも功績を称えられて孫娘の婿に相応しい直参の貴族になる道を選ばさせられる。

 それには試練が必要だったか、義父となる男を相手に戦って戦って敗れそうになってもどうにか耐えて気に入られ、そして貴族になった途端に辺境へと派遣されることになってたどり着いたら隣国の大軍に攻められていた。いやもう艱難辛苦の連続なんだけれどそれをいろいろと思考を巡らせ解決していくニートの頭脳と胆力に感心。フィクションならうん、何でもあるだよなったと以前だったら楽しめたけど、今は現実こんなにうまく行く者かといった気分もあってまっすぐ受け止められないのがちょっとツラい。エンターテインメントは逃避では楽しめないものなのだ。だからやっぱり早く身分を落ち着けたい。そうでなければせめて希望を、明日の糧を。

 ここまでぶっ飛んでいれば中身とか読んで別に現実の切実さは感じない、草野原々さんによる「これは学園ラブコメです。」(ガガガ文庫)。主人公の少年がいて慕ってくれる幼なじみがいたりして、そして2人でトーストを加えて学校までダッシュしている途中で出会った居丈高なツインテールの少女もいたりする、ハーレム的ラブコメ風なシチュエーションが突然に主人公の交通事故死で崩れそうになった時、そこに現れた作者がラブコメで池と訴えどうにかラブコメの路線に復帰する。けれどもそこに襲いかかる“なんでもあり”の恐怖。これが乗るとラブコメで当たり前のシチュエーションとは違って、とんでもない事態でも平気で起こってそれをキャラクターたちが受け入れてしまう。読んでいる側は混乱するけどそれは“なんでもあり”には関係ない。作者としても編集としても困る事態だ。

 だから阻止しようとするストーリーが繰り広げられる「これは学園ラブコメです。」は、まさにそうタイトルを口にすることで学園ラブコメであり続けようとする信念の強さが求められる。途中でラブコメがファンタジーになりSFになろうとも、主人公も作者も戦い続ける。とはいえ捻くれたファンには“なんでもあり”も割と面白かったりするんだよなあ、アルフレッド・ベスターの「虎よ、虎よ」みたいなタイポ芸も入ったりして読み応えもしっかりあるし。いやいや、そこでもやっぱり「これは学園ラブコメです。」と貫く草野原々は本当に心底から学園ラブコメが書きたかったのか。そもそも草野原々にとっての学園ラブコメとは何なんだ。ハヤカワ文庫JAから出た「大進化動物デスゲーム」を読めば分かるかな。ってそれは学園ラブコメなのか? ともあれ読もう。きっと唖然として現実なんか気にならなくさせられるし。

 もうデビューから37年にもなるのかと驚きながらも、そうした時代をあまり感じさせないところがある岡村孝子さん。フォーク的で演歌的でもあった「まつわ」こそ時代性を帯びてはいたけれど、それ以降のソロになってからの曲とかフレッシュでさわやかだったりしていつの時代に聞いてもふんわりと気持を包んでくれた。そんな岡村孝子さんが急性白血病で入院とのこと。治らない病気ではないし寛解した人も大勢いるからきっとそうなってくれると思いたいものの、そうではなかった人たちもいたりするからそこは様子見。同じヤマハのポピュラーソングコンテスト出身で、同じ愛知県出身の明日香さんが2013年に亡くなっておられるだけに、連続は心としてやっぱりキツいので是非に回復を、そして寛解を。

 NGT48の山口真帆さんが復帰したと思ったら卒業を発表、そしてコメントで「私はアイドル、そしてこのグループが大好きでした。だからこそ、このグループに変わってほしかったし、自分がつらかったからこそ、大切な仲間たちに同じ思いをしてほしくないと、すべてを捨てる覚悟で取った行動でした 」と真っ向から発言していろいろあったことを訴えている。何しろ「事件のことを発信した際、社長には『不起訴になったことで事件じゃないということだ』と言われ、そして今は会社を攻撃する加害者だとまで言われていますが」とまでコメントしてしまうんだから不信感なり憤りは相当なもの。それを止められないまま許してしまう運営には、やっぱりそういう自覚があるんだろう。でも改善ではなく卒業させる方向に。これはやっぱり拙いことなんじゃなかろーか。組織がほころびを認めながらも改善できなり理由はどこに? そちらの方が暴かれた時に終わるひとつの時代があるかもなあ。AKB商法とか。さても。


【4月21日】 もはやネットアンケートレベルの頻度で履歴書を書いて志望動機を書いてネット上の転職サイトからあちらこちらに採用の申し込みをしている状況。まあ年齢も年齢なんで通る見込みはないことは100も承知なんだけれど、そういうことでもやっていないと社会と繋がっている感じを保てないので仕方が無い。泰然自若として果報を寝て待つ余裕があれば良いんだけれど、そこまでにはなかなか至れないのだった。大手出版社とか上場企業とか申し込んでみるかなあ。玉砕も繰り返せばひとつくらい通ったりして。それはないか。玉砕だから。どっかーん。

 多少は諦めも付いてきて数時間なら心にゆとりも出来たんで、しばらく読めてなかったライトノベルを消化しようとまずは長野文三郎さんによる「皇女殿下の召還士1」(ヒーロー文庫)を。ギフトっていうか異能が得られる儀式があって、期待されていた主因公が得たのは召還の能力で、さてどれだけ凄いものを引っ張り寄せるかと思ったら出て来たのが洗濯ばさみ1個だった。これでどうしろと。周囲の落胆も大きく彼女からも三行半を突きつけられた格好。それでも毎日何かは召還できるらしく、やっていたらDVDだとかが出たり格闘の研究本が出たりしてそして戦闘能力と知識を持ったオートマタまで現れる。

 その知識を活かし戦闘能力も借りてダンジョンへと潜り、皇女殿下と出会い力を認められてガーディアンに取り立てられたりする出世ぶり。あと格闘の教本で学んだことも活かされて、王都にいる結構強いはずの少女すら圧倒してしまったりとチートぶりが発揮されるけれど、あまりに無茶ではないところに安心感。そしていろいろとしでかしては女性たちから好かれていく主人公は、多脚砲塔まで召還してしまってそれを引き連れ、皇女殿下が配属を命じられた辺境の砦に赴き魔物たちを駆逐する。

 きっとそこから始まる栄達の中、新しく何かとんでもないものが召還されはしないかと期待も膨らむ。出し入れ可能な倉庫は便利だし多脚砲塔も有効だけれど女性にはやっぱり化粧水が良いみたい。あとは食料とかスクール水着とか。飲めば性欲が増進するブランデーだの着れば力が限界まで高まるスクール水着だの、元の世界のどこにそんなものがあったのかと突っ込みたくなる。オートマタはまた出てこないのか、等々の興味もあるけどやっぱり展開としては皇女殿下との将来か。果たして魔物は駆逐できるのか、そして領地経営はうまくいくのか。そんな展開を期待しながら見ていこう。

 とはいえ、一方でやらなくてはいけない依頼もあるんで昨日から今日にかけてあちらこちらの電源がとれそうな喫茶店を回って長い時間をコーヒー2杯とか頼みつつ平成のアニメの歴史を振り返るような原稿を打つ。30年を10年ごとに分けてそれぞれに400字詰めで20枚くらいとか、無理だろうそんなに書くのなんてと思っていたけど書き始めたら書き落とせないことがいっぱい出て来て伸びる伸びる。それでも大きく絞って削りまくってみたものの、だいたいがそんな当りの字数に落ち着いて、読み返してみてあまりに極私的過ぎて果たして大丈夫なのかと心配する。まあゴールデンウイーク向けなんでそれまでに直せば良いのかな。でもゴールデンウイーク中に平成が令和に変わるんで早いうちがいいのかな。

 1990年代については最近、自分の日記を読み返してはトピックを拾っていたんでアニメ関係の話題も随分と思い出せていたけれど、2000年代になるといっぱい見すぎていた一方で時間も経っててうっすらとした記憶しか無い。それでも面白いトピックを探して見つけたのが例の「ガンドレス」の公開にまつわる騒動で、上映数日前に未完成が発覚してそれで上映するかどうかとなって、混乱を避けるために上映が挙行されたんだけれどお詫びにビデオがついてくるってことになった。そのビデオはもちろん我が部屋に転がっているのだった。どこかにだけれど。DVDも買ったので未完成上映版も見られるのだった。

 そうした最初の上映時の話題とは別に、完成版が上野のスタームービーで上映されて監督と声優の川上とも子さんが来場した時の話題も掘り出せた。監督はどうやら上映初日に劇場に言ったらしいけれど、「逮捕しちゃうぞ」か何かのスタッフが見に来ていたのを感じ取って居たたまれなくなって去ったとか。川上さんは「ガンドレス」の舞台挨拶がスケジュールに入っていて1年間違えているんじゃないかと思ったと話してた。これは監督にはキツい一言かもなあ。でも当日の舞台挨拶は和気藹々と進んだ印象。今と違ってネット系のエンターテインメント媒体もなく、記録もあまりなさそうなだけに自分の日記の希少さを改めて噛みしめる次第。1円にもなってないけど。10円くらいにはしたいなあ。

 読んでないなあ、手塚治虫文化賞の受賞作品。マンガ大賞の「その女、ジルバ」も新生賞の「あれよ星屑」も短編賞の「生理ちゃん」もきっと読めば感嘆の感動を得られるものなんだろうけれおど、マンガを良く読んでる世代にとってはどこか遠い世界のラインアップでそれも含めて賞が自分たちとは関係の無いものになってしまっていきそうな気がする。マンガ大賞はラインアップでサブカル系が来てもトップに少年漫画が来ることがあるからまだ、自分たちに関わりのあるものだと思ってもらえてるんじゃなかろうか。まあ、そこで棲み分けが出来ていると考えれば良いのかな。特別賞は「ゴルゴ13」のさいとうたかをさん。今さら感もあるけれど、そうやって功労者を順に表彰していかないと、モンキー・パンチさんとか小池一夫さんとかご高齢の方から順に鬼籍に入られる。そこもやっぱり判断が必要なのかも、今なら誰ってあたりを。

 「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」でサンフェスの時に北宇治高校が吹いている楽曲をどうにか「サンバ・デ・ラヴズ・ユー」と突き止めネットで明後日いろいろと聴く休日。といっても毎日が休日だけれど。アニメではマーチングなのでスーザフォンが使われていたけれど、ネット上にあった千葉高校の吹奏楽部は普通のチューバを男子生徒が手持ちで振り回しながら吹いていた。それでいてしっかりと低音を響かせるところが男子なんだろうなあ。後藤卓也が男子の唯一のチューバだけれども太い大きな音を出せところが買われてて、そして卒業した後のメンバーで高校から始めた釜屋妹がコンクールメンバーに入ったのはやっぱり大きな音が出せるから、だったりするところにソロとは違った編成の妙って奴があるみたい。鈴木さつきにはちょっと可哀想。でも加藤葉月は入ったからそれは嬉しい。でも後編に何が起こるか。そんな不穏を抱えて6月の刊行を待つのだった。その頃には身辺整理も済んでるかな。


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