縮刷版2019年4月上旬号


【4月10日】 新海誠監督の「君の名は。」に続く新作アニメーション映画「天気の子」の予告編が公開されて、「言の葉の庭」にも増してリアルな雨の描写に都会の街並みに目を奪われつつ、その上で動く少年少女の瑞々しさに「君の名は。」にも増してビビッドの同世代の少年少女を引きつけそうな予感を覚える。まるで自分とは無関係な美男美女たちが繰り広げる恋愛ドラマを、そうなったら良いなとという憧れでもって見に行くことももちろんある。でもそれは一時の夢でしかない。もしかしたら自分もという共感を得るならやはり空想が過ぎてもいけないし、かといって現実が濃すぎてもいけない、そんな間をしっかりととらえた少年少女の雰囲気が醸し出されている。そんな気がする。

 くっきりとして大きな水滴の描写とかはどこかスタジオジブリの作品っぽさも感じるし、キャラクターの等身にもそんなニュアンスを覚えないでもないけれど、子ども子どもはしていないからそこは安心、大人でも見に行って大丈夫な感じになっている。音楽のリズムに乗って場面が切り替わっていくところはさすが新海誠、すべてにおいてタイミングを整えてくる神業がここでも出ている。新海誠監督が自分で編集したとは限らないけれど、指示は出しているだろうからそこは新海カラーと言って良いんじゃなかろーか。RADWIMPSの音楽も「君の名は。」で得た支持をそのまま引き継げるという意味でベストで、宮崎駿監督作品がだいたい久石譲さんの音楽で彩られていたのと同様、新海誠映画という印象を持たせて観客に安心を与える。そしてやっぱりマッチしている。繊細でそれでいて強さもある空気。それが支える映画で紡がれる物語が今は楽しみで仕方が無い。

 いっぽう、久石さんの方はスタジオ4℃が手がける五十嵐浩之さんの漫画を原作にした「海獣の子」でもって音楽を提供。そちらも予告編が公開になっていて、おそらくはフル3DCGでもって描かれる海と巨大な海獣のリアルっぽさがまず来て、そして躍動感を持って動く少女の描写やキャラクターどうしの絡み合いに、フル3DCGならではのフィギュア感はなくそこに人間として存在するような感じを出している。ポリゴンピクチュアズだとやや動きに癖があるけれど、ここん家はもうちょっと2Dに近づけようとしている感じかな、まだ繰り返して見た訳じゃないからこれから検討。なにより本編全部を見てみたいことには分からないから、全体像なんて。

 男子用のトイレに下半身を丸出しにして座っている女性教師がいきなり登場した時点で、2019年4月スタートのアニメーションにあって覇権を取ったと言って言い過ぎではないとすら思った「なんでここに先生が!」。学校では厳しく指導することから「鬼の児嶋」と恐れられているにもかかわらず、佐藤一郎が入ったトイレですっぽんぽんにんっていた上に、小用を足すところを聞かれてしまった児嶋加奈。なおかつ佐藤一郎が小用を足す場面も目撃するという。それはなかなか恥ずかしい。なおかつ佐藤一郎がサボろうと入った保健室に先にいて、佐藤一郎から熱を下げるための座薬を尻に入れてもらうという事態に。佐藤一郎の羨ましいことったらないけれど、そこはちゃんと目をつぶっていたらしい。そして入れるところを間違える。どこにとか聞かない。

 とりあえずこの回は佐藤一郎と児嶋のエピソードだったけれど、他にも先生がたちがいろいろと出て来て、それぞれのカップリングでいろいろと見せてくれるような雰囲気。主題歌は上坂すみれさんでどうにもエロくて、これが深夜とはいえ地上波で放送されていいのかと思ったけれど良いから放送されているんだろう。凄い国だよ日本。そういえばAnimeJapan2019の会場で、この「なんでここに先生が!」のコーナーがあって等身大のキャラクターパネルが並んでいて、胸の所だけぽわぽわになっていて近寄って目の当たりにしてサイズ感とか確かめていた人もいたような。それが子どもも来るイベントに相応しいかどうかといった議論にもなっていたけれど、こういう内容だったと知ったらどんなリアクションが出ただろうか。あの時児嶋に触っておけばよかった? それもあるかな、それくらい魅力的な先生だから。

 こちらは覇権というよりもはや覇者といった感じの「異世界かるてっと」。いったいどれだけの声優が出演しているのか。「Re:ゼロから始める異世界生活」に「幼女戦記」に「この素晴らしい世界に祝福を」に「オーバーロード」というKADOKAWAが誇る異世界転移・転生物がまとめまってひとつになってコメディとして登場。でも出演声優は変わってないから主役級がまとめてこぞってひとつのアニメに出演している。いったいアフレコの現場はどうなっているんだろう。誰がセンターマイクを使うんだろう、てそういう儀式があるかは知らないけれど、序列とか気になるなあ。まあでもさすがに全員がそろってってことはないんじゃないかな、人だって入りきらないし。そいういうリポートが読んで見たい。

 届いた離職票を持ってまずは国民年金の申し込みをして、それからハローワークへと出向いて失業手当をもらうための手続きなんかをしてこれで正真正銘の無職となったといった感じ。いやまだ失業者認定を受けなくてはならないからそれが出て初めて失業者ってことになるんだけれど、だんだんと進んでいく状況に頭も次第に馴れてきたのかもうどうなてもいいやって開き直りが生まれて来た。このまま遊んでだって大丈夫、ってなりそうなのが怖いけれど、でも感触を見るためにいくつか応募してみてことごとく面接に行く以前の書類で落とされると、やはり年齢的に無理なんだろうなあといった感覚も生まれてくる。まあスキルもだけれど。そういう偏りが活かせる場所も探してはいるけれど、あっても果たして年齢的に大丈夫か。そこがやっぱり引っかかる。まあ個別に幾つか頂いている仕事もあるんでそれをアルバイト的にこなしつつ、もらったお金を削りながら様子をみていくのが今のところはベターかなあ。焦ってもどうにもなるものではないし。焦らなくてもどうにもならないけれど。そうなのか? そうだろうなあ。名古屋帰るか。


【4月9日】 肖像が写真っぽい、というのが最初に来る印象で、あとは数字の形とか色目とかがアジアのお札っぽいうか、日本だってアジアなんだからアジアのお札で良いんだろうけどそれにしても写真でカラーはやっぱり不思議な感じが漂う日本の新札。肖像については1万円札が渋沢栄一でこれは第一国立銀行を作り東京証券取引所を作り日本に資本経済を作った立役者だから格としては問題がない。ただやっぱり財政と経済を作った側であって聖徳太子であるとか福沢諭吉といった偉人文人の類と並べると、ちょっと脂がのりすぎているような気がしないでもない。

 津田梅子は津田塾大学の創始者で女子の教育であり英語教育を日本に根付かせた人だから、それこそ朝の連ドラの主人公になっても大河ドラマのヒロインになっても不思議はない人物。5000円が樋口一葉だったからその流れで女性にとなって選ばれたと考えるのが打倒かも。ただ他に見渡して例えば与謝野晶子であるとか平塚らいていといった人たちも候補に挙がって不思議はなく、けれども津田梅子となったのは女性解放であったり戦争批判であったりといった部分があるいは、咎められたのかもしれないと考えると今の政権っぽいなあってことになりそう。きっとそういう声も出るんじゃなかろうか。

 北里柴三郎は1000円札だと軽いんじゃないかという印象。立てた業績のことごとくがひっくり返されてしまっている野口英世よりはずっと医学の発展に貢献していて、最近だと出身者からノーベル賞受賞者も出ていたりするけれど、その風貌からやっぱりどこか野口英世よりも軽さがのぞいてしまって、1000円で良いじゃんってことになってしまったのかも。あるいはバランスを取って。かつて夏目漱石もいたから次は芥川龍之介でも良かったかなあ、でも自殺者が紙幣だとやっぱり拙いか、なら菊池寛……だと文藝春秋過ぎる。いっそ村上春樹で良かったのに。世界が欲しがるだろうから。

 500円硬貨も新しいのが出てくるみたいで、令和という年号が刻まれる格好良さとはまた別に、金色がまじったようなツートンでカッコいいようなゲーム機のメダルのような印象。持てばそれなりに重みもあって刻印も立派だから間違えはしないだろうけれど、使い込まれたらどういった感じに褪色していくかにはちょっと興味が及ぶ。5円玉とかピカピカなのがだんだんくすんでいっても硬貨っぽいけど500円玉はどんな雰囲気を醸し出すのか。銀一色ならそれはちょっと黒ずむだけ。でも2色だとそれぞれに褪色の感じが違ってきそうだし。これもまあ、偽造されづらく見てすぐ分かる区別ってことなんだろう。だったらどんどんと古いのと交換していかないと。そういう施策は採るのかな。古い500円玉だけ貯金可能な貯金箱を作って貯めさせ銀行に預けさせるとか。そういう貯金箱、どこか作りませんか?

 貧乳、といったら真っ向から否定されそうでそれこそが美しくて有り難いのに貧しいとは何事だと怒り出しそうな少年が主人公の、辻室翔さんによる「ココロアラウンド 札幌市白石区みなすけ荘の事件簿」(ファンタジア文庫)は20年ほど前、人類の1万人に1人くらいの割合で超能力に目覚める者が現れたという世界が舞台。とくに超能力者が迫害されては暴れて世界が滅亡に瀕するといったことはなく、それなりに管理されつつ暮らしている。つまりは自治。札幌にあるみなすけ荘には何人かの超能力者たちが暮らしていては、超能力に絡んだ犯罪を取り締まるような仕事を請け負っている。

 藤坂工輝も超能力者でその力は何と「死ぬと生き返る」というもの。不死、という訳ではなく痛みも苦しみも得ながらきっちりと死んでは、あの世みたいなところで胸の薄い……ではなく絶品な女神さまと交流しつつAよりのBなりBに近いAといった判断を下しつつ、持ち直して生き返ってセーブポイントからリスタートするという日々を送っている。その日も流れる人を助けに川に飛び込んだらダッチワイフで、女神に笑われても情けは人のためならずという信念だからと気にしない。生き返っては同じアパートで暮らす女神さま同様に胸がジャストサイズな八野心と会話をしたりしていたけれど、そんなみんすけ荘に下着泥棒を捕まえてという以来があって紛糾する。

 誰の下着を囮に出すか、ということで住人で元ヤンキーで魔法のステッキを手に持つと視力が良くなったりする佐山花恋の下着については、彼氏でくしゃみをすると姿が消える久地中京が認めない。八野も工輝が断固反対ということで、とてつもなく胸が大きいため、工輝からは肉呼ばわりされている、異能は持っていない牧下玲菜の巨大なブラが囮に使われ、それをとりに現れた泥棒を捕まえようとしたら工輝が刺されて死んでしまった。でも生き返ってそして洗脳が横行していること、痴女が話題になっていることが確認され、なるほどと探索に回っていた工輝と八野の前にブルマ姿でノースリーブの制服という異色の婦人警官が現れる。まさに痴女、なんだけれど違うよう。

 そんな出会いも経つつ男たちを洗脳する本当の痴女との戦いも経て、八野が持つ力が何かが分かってそれが利用されそうになるのを工輝が死んでも生き返る力をフルに使って阻止しようとする。その戦いが凄まじい。死んでもその場で生き返って挑み殺されおうともまた行き帰り戦いを挑む繰り返し。いつかストックも切れるんじゃないかと心配になるけど、すぐに治らなくなるくらいで能力は消えてなくならないみたい。そうした能力を使った戦いぶりと、犯罪の様を描いたSFでありミステリ。もっと多彩な組み合わせによるバトルが見たかったけれど、脱げば脱ぐほど力が出る痴女婦警に全部持って行かれた。実在するなら見たいなあ、ブルマから水着になっていく婦人警官。

 名古屋より帰京、というか帰千葉だけれども広い実家にいて両親は高齢ながらも健在で天気は良く手元にまとまったお金があると、ここでいったん東京でカキモノをする仕事は打ち止めにし、今の寝る場所だけしかなく自炊もままならないような生活を改善する機会ととらえて東京を(千葉だけど)引き払って実家に帰り、本も玩具もDVDやらBlu−rayyらも整理をしてから数カ月を休み、それから地元で週休2日で8時半から6時までの健全な職場を探してそこで事務でも何でもしながら平穏無事な毎日を過ごしつつ、夜に本を読み土日に出かけて映画を見たりイベントをのぞくような暮らしをするのが、70歳までを生きる上で大切なんじゃないかという気がしてきた。

 今さら言っても何にもならないけれど、元の職場に残っていたとしてもきっと60歳でで放り出されてそこから行き場の無さに迷うことはだいたい確実。それならまだ地元でいろいろ動けるうちに戻るのに絶好の機会だったといった見方も出来る。とはいえ一方で賑やかな首都圏にいてカキモノが続けつつあちこちを見て回りたいといったいった思いもあって、募集している「J−CAST」に興味を向けたりもしている思考の分裂ぶり。会社が立ち上がったころに今の会長の人にお目にかかった記憶もあるけど、こういった種類の会社になるとはちょと思っていなかったなあ。でも今は書籍を紹介するサイトも作ったりして一般性を帯びてきている感じ。BuzzFeedのはっちゃけぶりも気になるけれど、日本的にはっちゃけているJ−CASTも考えてみるかなどうするかな。やっぱり弱気だなあ。


【4月8日】 そういえばコンテンツ東京の会場からシャトルバスですいっと移動した青海の展示場は思ったより広くって、2つの平べったい建物が東京テレポート的から上にあがった場所を基点にずっと続いているような感じだった。幅もあって足したら東京ビッグサイトの東の奥に出来た7ホールと8ホールの合計よりも随分と広い、というか8ホールがそもそも3000平方メートルしかないから青海は東7ホールが2つ並んだくらいってことになる。これは結構広いけれどネックはやっぱり距離か。歩いて歩けないこともないけど夏とか炎天下はキツいからなあ。駅からすぐってのは嬉しいかも。その分、待機列をどこに作るかでシミュレーションがいりそう。次の夏コミでは使うんだっけ? 見に行かないと。

 いやいや娘に「ぼっち」とはつけないでしょうとは思うものに、そういう語呂合わせが名前の基本になっているんだから仕方が無い。ってことで「ひとりぼっちの〇〇生活」の第1話をさっと見て、徹底的にコミュニケーションが苦手な中学1年生が別の中学にいった幼なじみにクラスメートの全員と友だちになるまで絶好だと言われ、だったらクラスメートなんていなければ良いと妄想して策を巡らせるあたりが段取りとして楽しく、そして実際にクラスメートと対面して仲良くなろうとしてぎこちなさを炸裂させ、戻してしまうくらい緊張する様に人見知りとして共感する。

 そんな明いてがヤンキーっぽいけど砂尾なこというところが語呂合わせにしてちょっと外してたりしそう。いや見かけはともかくなかなか素直な子ではあるけれど。ほかにも本庄あるとかソトカ・ラキターとか倉井佳子とか耳にすればそんな名前で良いのと思う子ばかりのクラス。でもぎすぎすとはしてなくってホンワカとした中にコミュニケーションの不全を埋めていくための道筋って奴が感じされるようになっている。これも花田十輝さんの脚本。いろいろと手広い方だなあ。ぼっち役の森下千咲さんはこれが初の主役級か。でもあわあわとしているところが巧かった。なこ役の田中美海さんはWake Up, Girlsの片山実波役から始まっていろいろ活躍の幅を広げている。「ソンビランドサガ」にも「プリパラ」にも出てたし。他のみなも頑張れ。

 名古屋へと帰郷して銀行と郵便局を回って資産の現状をだいたい把握。毎月の積み立ては停止して、郵貯と銀行の定期の残存を確認し、会社から出たお金を定期化しつつ当座のフローも確保し、満期まであと4年ある定期性の生命保険の額を足して今、いったいどれくらいあるかを積み上げたら、それなりの給料でそれなりの期間を働かなくても得られるくらいはあると分かったものの、それから先がすっからかんになってしまうと、長い老後を身動きとれなくなるので、やっぱり早いところ次の仕事を見つける必要がありそう。とはいえやっぱり歳も歳だし、モノカキ系の仕事なんてあるはずもなく、現場でガリガリ書くのも体力的にキツくなていく。となればここは名古屋に引っ込んで、リモートワークとかしつつ実家でのんびり余生を過ごすってのもありかもなあと思ったりもして来た。八十亀ちゃんの本拠地だし。

 とはいえ、やっぱり現場にいたい、そして見聞きしたものを大勢に広めたいというのが長く記者なりライターをやって来た人間の性分って奴。実家に送ったカメラのコンパクトフラッシュとかスマートメディアを掘っていたら、2006年ごろからの取材の画像がまだ残っていて、いろいろやって来たことが思い出された。開くと例えばた2007年のアニメロサマーライブを「Generation−A」としてAポップという言葉を使ったプロデューサーに被せて、自分たちの作った言葉だということを伝えたかった金杉肇さんへのインタビューをドワンゴでやった時の写真とかが入っていて、MAGES.が去年から取材案内をくれなくなったアニサマを、実に初期から追いかけていたんだなあってことを思い出した。

 あと、今は「あにめたまご」でちょっと前は「アニメミライ」だった文化庁の若手アニメーター育成事業が最初は「Project−A」と呼ばれていた時に取材した話とか、「これはゾンビですか?」で脚本家上江洲誠さんに取材した話とか、あの「フラクタル」に関連してイベントが開かれた時の話なんかが出て来て、長く追いかけてきたんだなあってことを感じるとともに、そうした一線に立つことがしばらくは、あるいはもうずっとかなわないのかと思えてちょっと寂しくなってきた。

 文化庁メディア芸術祭のトークイベントで片渕須直監督と原恵一監督と湯浅政明監督がそろい踏みした現場にいて、そして小池健監督の「REDLINE」とピコグラフによる「TAILEENDERS」という、レースがテーマとなった近未来アクションなアニメーション映画の両方を取材した人間なんて珍しいと思うけど、そうした成果がまるでキャリアに反映されていないというのがどうにも辛い。だったら自分でメディアを立ち上げられば良かったんだけれど、当時はフジサンケイビジネスアイにしてもSANKEI EXPRESSにしても書けば割と書けたんでちょっと出遅れた。

 そのうちにAnimeAnimeがが出てナタリーからコミックナタリーなんてのも出て来て、ORICONだとか映画.comとかアキバ総研なんかが頑張ってアニメ系の記事を載せるようになると、もはや個人が出る幕なんてない。そうこうしているうちに媒体の方は取捨選択が進んで、年齢層が上に向いてポップカルチャーなんてものは紙面的にも場所がなければウエブ上でも登場する余地がなうなってしまった。IGN JAPANが頑張って載せてくれてはいるけれど、これまでのようにどれでも載せてもらえる訳にはいきそうもない。それでも少しでも枠があるならそこに勢力を傾けつつ、蓄積を崩しつつ居場所を作っていくしかないんだろうなあ。その方法が分からないのがキツいんだけれど。どこかの媒体で拾ってくれそうなところはないかなあ。ないよなあ。年取ってるし、禿げてるし。


【4月7日】 劇場公開された「続・終物語」ではなく「暦物語」がBS11で放送されてて、だいたいのオチを分かった上で見るとなるほどそうかと思えてくるからネタバレはやっぱり避けた方が良さそうと分かる。学校にいつの頃から登場した祠とその中の石。信仰を集めているようだけれど羽川翼が入学をした頃にはそうしたものはなかったという。いつ出来た、といったところで祠の誕生秘話が明かされ、その原因となった振る舞いに気づいた阿良々木暦によって祠は速攻破壊。そして残された石もコンクリートと分かったけれど、それが放り出されたままで信仰は続くか否か。人はそれらしく見えるとそう振る舞うのだとしたら、石だけではちょっと難しいかもしれないなあ。

 そして戦場ヶ原ひたぎが気になった屋上の花束は、誰が何のために置いたかということで結果と原因が逆転している状況が明かされる。自殺があったから花束が置かれたのではなく花束が置かれたから自殺が抑制された、と。花束が置いてあるから気になって事故が多発する道路も含めて、原因と結果を逆に推測してしまう人間の心理のようなものをうかがわせる佳作。このあと砂場の鬼の顔とか風呂に結婚相手の顔が洗われるとか、いろいろと続く怪異譚とその種明かし。短い話にしっかりとオチをつけてキャラクターごとに描いてしまう西尾維新の構成力と着想の姿が、短いからこそ詰まっているシリーズだなあ。これが6回続いてそして「続・終物語」かな。5月の半ば。それくらいまでにこちらの身の振り方も固まっているかな。いないかもなあ。はあ。

 予言はなかったけれども商売の極意は味わえたのらふくろうさん「予言の経済学2 巫女姫と転生商人の異世界ギルド代表選対課」(レジェンドノベルス)。お姫さまの巫女の危険を予言した言葉をしっかりと聞いて、合理的な解釈を加えて真相を解き明かして世界を救ったリカルドが、通う学校で始まる学院祭で模擬店を出して競い合うおうな状況に陥って、そこで経済学とか統計学とかの知識を持ち出し飲食店の運営知識も入れ込んで貴族だとか大商会が牛耳り一般を追い出しにかかった模擬店勝負に割って入って波乱を起こすという、「食戟のソーマ」みたいな展開を楽しめる。貴族たちが良い場所を取ってしまって参加すら不可能に成りかかっても、姫巫女がいる中庭を使ってそこにフードコートなる概念を持ち込み、仲間にした学生たちの恨みを買わないように調整をほどこし協力して勝負に挑むようにする。

 最初はゆっくりした出だしながらも、途中で潮目が変わったことを来店者のアクセサリーから身分などを割り出しその行動原理を推測して導き出すあたりに、統計学なり心理学なりの応用が見える。異世界転生者ならではのスキルといったところ。決してパワーだとか頭脳に特化している訳ではないけれど、その世界にはない知識を振るうことで圧倒的に有利になれるとうのは設定としてもユニークだ。ギルドのトップ争いにも巧みに影響力を及ぼして、自分の存在を唯一無二のものにしてしまうところにリカルドの権謀術数なところも見える。それが今後も吉と働くか、出過ぎて打たれるかはリカルド次第か。動き出した不穏に次はサイドの姫様の予言はあるのか。それはリカルドとの関係にも影響するのか。期して待ちたい続きを。

 じっとしていると、たとえイジワルされても永久ではないし永久であっても誰一人知らない場所より良かったかも知れないという後悔がジワジワと沸いて足腰が立たなくなるので奮起して家を出て、伏見にあるミリオン座が今日で今の劇場を閉めて別の場所に移転する、その最後の上映という奴を見に行く。映画は「この世界の片隅に」。終わったら抽選会があってミリオン座に長く掲げられた「この世界の片隅に」のイラストが入って片渕須直監督のサインも入ったシートをもらえるとあっては死んでいる訳にはいかなかった。たとえ記事にできるかどうか分からなくても現場に行くのが出没家なのだ、っていうなら記事が書けない場所でも気にせず受けて平気な顔をしていれば良かったと、やっぱり浮かんでくる後悔。だからそれをやっても場所そのものが保たないといった認識で打ち消したんじゃないのか。こればっかりは賭けみたいなものだったからなあ。

 もとい伏見ミリオン座だ。映画はもう何度も見ているから良いとして、いつも気になりながら言及には及ばなかった晴美さんが亡くなられたそのエピソードで、空襲によって家を壊された女性に最初、すずさんが水を借りたいと声をかけるとうなずくのに、すぐさまお礼を言ってもぴくりとも動かないのは、まだかろうじてあてうなずかせた冷静さが、目の前の事態に薄れ呆然の感情をわき出させて返事なんてしている気分じゃないと感じさせたから、なのかもしれないしき気のせいだろうけれど。今回は水島哲とすずの倉庫でのやりとりあたりで意識が飛んだ。心労から錬られずもやがかかったような頭が時々現実からの逃避を促すのだった。どうなったら気にせずぐっすり眠れるようになるのだろう。開き直った時か。

 終映後に抽選会があって期待していたシートは当たらず。それでもミリオン座のピンバッジが当たった分だけ「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第7章 新星篇」の大抽選会付上映会よりは運が良かったか。あと机の上にご自由にお持ち帰り下さいというのがあって、映画にまつわる道具なんかが並んでいてフィルム缶もあったけれどもスプライサーという映画のフィルムを切ってつなぐ機器があってその中でも大きめのを持って帰る。35ミリの映画のフィルムを切ってつなぎあわせる奴だから、8ミリの自主映画でも16ミリのアニメの切り出しにも使えなさそう。でも今時のアニメでフィルムもデュープもないからどのみち使い道はないのだった。置物にはなりそう。とはいえミリオン座の記念の品なら題字にするか、映画に愛着のある人に譲るのが良いのかなあ。どこかで35ミリを買ってきて繋ぐ体験でもしたいけど。売っているのか35ミリ。

 大阪市の市長と大阪府の府知事が立ち場を入れ替えて選挙に出るという前代未聞で職責への無責任すら感じさせる事態をそれでも、大阪市民も府民も受け入れともに当選させてしまうという事態はいったい何だろう、自分たちの身に起こっている緊縮からの衰退もまるで気にしてないってことなのか。もはや気にならないほど気持が萎えて揺るがなくなってしまっているのか。このままでは次は大阪城も売り飛ばされて金に換えられ、大学は潰され一部になり図書館美術館の類は消えて交通ですら安全が蔑ろにされるんじゃなかろーか。そこまでされても平気なのかな。今回の結果が即実現に向かうとは思いたくはないけれど、大阪都構想もこれで再燃していくことになるんだろー。そうした見えない敵と戦って仕事している風なアピールをしている傍らで、必要なことが行われないまま滅びていく。そんな状況が来るのかなあ。大阪に。そして遠からず全国に。やれやれ。


【4月6日】 映画を見たばかりでどこがどうイジられているのかを確かめようと「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部 波乱の第二楽章」の主に前編を読んで新1年生が入ってきた時、楽器が置いてある部屋にいた黄前久美子に会ったのは小日向夢で、先輩だと思い挨拶したけど気づいてもらえなかった話になっていたのが映画「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」では久石奏が神妙そうな顔で久美子と出会う場面になっていた。これで物語の中核に奏という存在があることが示された一方、夢は脇へと追いやられて物語には絡んでこなくなった。それでも画面をずっと見ていれば、麗奈の隣とかで吹く夢の姿が見えたかも。だからあと何回か観ないといけないなあ。

 みっちゃんこと鈴木美玲がキレたのはサンライズフェスティバルの現場じゃなくて、もうちょっと前の練習中でそこで鈴木さつきばかりが受け入れられる低音パートに居場所を無くした気になって、逃げ出すんだけれど小説ではやっぱり練習中の出来事。そりゃあの間際になって混乱を起こしたら他の部員だって迷惑だろう、出番だって近づいていたのに。でも練習のシーンで早くに帰るってのを入れているから、続けて練習中にキレるのを入れたら時間が足りなくなるってことでサンフェスとくっつけたんだろー。みっちゃんの面倒を見るように頼まれた奏が久美子に持ち出した代価として、剣崎梨々花から鎧塚みぞれのことを聞かれる場面があったんだけれどそれもカット。というか今度の劇場版は出てはいても梨々花ちゃんはモブに下がって希美もまったく絡まない。

 そういうキャラクターの取捨選択をすることで、「リズと青い鳥」分がないとはいっても1冊以上はある物語をまとめ上げた。石原立也監督が凄いのか脚本の花田十輝さんが素晴らしいのか。ってか花田さん、「リズと青い鳥」こそ手がけてないけど「ユーフォ」のシリーズに「ラブライブ!」のシリーズを手がけ「宇宙よりも遠い場所」のようなオリジナルも書いてと八面六臂の活躍ぶり。3月に開かれた東京アニメアワードフェスティバル2019のアワードで脚本の賞をとっていたのも頷ける。月永求に川島緑輝が直接コントラバスを弾いて上手さに納得させる場面もそういえば使ってなかったっけ。どういう演奏に求が感動したか聞きたかったけど、それで尺を取り絵も面戸ならばっさりと落としつつほのめかせる。そんな技も使われていたなあ。つまりは見どころたっぷりってことで、見ていない人は物語の結末を誰かに聞く前に映画館へと足を運ぼう。

 冗談でも政治家が、首相と副首相の地盤を結ぶ道路を作ろうとする動きを後押ししたような発言をしたらそれは利益の誘導を推奨するもので非難されるべきだろうし、その言葉が現実のものだったらなおいっそうの非難は避けられず国交副大臣の辞任はやむを得ない上に、半ば収賄にも似た振る舞いだとして関係者が処断されても不思議はない。でもそうした話にはいかず国交副大臣の冗談であって、その冗談がちょいキビしめだったから処罰されたといった流れに収まってしまうところにこの国の、悪事であってもなあなあで澄まされてしまう雰囲気がなお一層濃さを増している感じがありそう。これで首相も副首相も傷つかないで住んでしまう訳だし。でもそうした忖度を言わせる振る舞いをして来たって状況はやっぱり覚えておくべきだろう。そうすることが栄達に有利な状況があるってことだから。何という国だ。

 もしも「ショーン・オブ・ザ・デッド」の世界に無双なJKがいたらバッタバッタと切り伏せてはショーンたち一行をあっさりとパブまで運んだんじゃなかろーか。でもそれで一安心とはいかなかったからゾンビの扱いが落ち着いて平穏が戻った「ショーン・オブ・ザ・デッド」の世界に夢想のJKはいなくて良かったってことで。津田夕也さんによる「JK夢想1 終わる世界の救い方」(レジェンドノベルス)はある日突然に街にゾンビが溢れ出し、そして一方でJKすなわち女子高生の頭に声が響いて彼女は家にあった祖父の日本刀を手にとって、ゾンビを切り伏せその都度に与えられる能力だとかアイテムを手中に収めてだんだんと強くなっていく。

 存命な人たちを学校へと運びとりあえず安全地帯を確保しそれでまたスキルアップがあったりして、戦えば戦うほど、守れば守るほどに強くなっていく展開はいずれ俺TUEEEとなった女子高生の活躍に溜飲を下げる展開になるかと思ったら、ラストに大きなどんでん返しが待っていた。フェーズ1の終了に伴いゾンビはいっそう強くなり、そしてJKのようにスキルを持った者は殺し合いを仕向けられる。すなわちゾンビが現れ勇者が生まれ戦い成長してからリセットされるという展開を、誰かが一括して仕組んだということになる。いったい誰? ってところが物語の鍵となるのかどうか。神様の実験かオーバーロードの気まぐれか。SF的には後者であって欲しいけれど。JKが相手にする敵も現れ次にはフェーズ2の殺し合いが始まりそう。それが一段落付いたら何が起こる? ドラゴンとやらの出現は? 続きが楽しみ。

 「ポプテピピック」に東京藝術大学大学院映像学科アニメーション専攻の修了生がわんさかと登場してはインディペンデントな作り方で商業でも楽しめるアニメーションを提供してアートとコマーシャルの垣根をぶっ飛ばしていたりする状況下、テレビ東京で始まった「けだまのゴンじろー」というアニメーションのエンディングを同じく東京藝大院を出た見里朝希さんが手がけてフェルトによるストップモーションアニメーションを提供した。ちょうど修了作品の「マイリトルゴート」が世界各国の映画祭にエントリーされたり賞をもらったりして注目のアニメーション作家が、最新作を単独のオリジナルではなく商業作品のエンディングとしてキャラクターを使って作品を作る。凄いことかもしれない。

 それは才能が使い潰されているのかそれとも才能が広がる機会を与えられているのか。気にはなることだけれど作家性を残して作られたエンディングは、それは立派に作品だと言える。「モブサイコ100」のエンディングを「きつね憑き」の佐藤美代さんが、オイルペインティングでもってエンディングを手がけ称賛されたのと同じロジック。ここはだから素直に見里アニメーションの新作が登場したと見て讃えるのが良いんじゃなかろーか。きになるとしたら見里さんがフェルトによるストップモーション・アニメーションの達人と思われてしまうことか。毛玉だからフェルト素材のアニメーションはマッチするけれど、これがキャンディのようなキャラだったら「CANDY ZIP」のような素材で作っただろー。映像の目的にマッチした素材を選び仕上げるようにとTAAFで外国のプロデューサーから言われていた見里さん。それを思うなら惹句で素材を限定しないで欲しいと言っておく。次は何をどれで作るのかってところで覚悟も伺えるし。媒体放り出されてなかったら、そのあたり話を聞いてみたかったなあ。


【4月5日】 「ラブライブ!」のオフィシャルサイトが大変な目に遭っていて、ドメインが誰かの手に渡ってしまったらしく書き換えられては乗っ取ったぜ、そして艦これのシアとに転送するぜってメッセージが出るようになってしまった。ハッキングだのクラッキングだの無茶な操作をした訳ではなさそうで、担当者がもしかしたら更新だ何だと騙されて、渡してしまったら帰ってこなかったのかもしれない。その辺りの仕組みを良く知らないから何とも言えないんだけれど、それなりにバリューもあってアクセスも多いコンテンツのドメインが、まるっと乗っ取られてしまうおは前代未聞。まずは取り返すなりして状況を回復し、「ラブライブ!」というIPの価値を保った上で原因を探り再発を防ぐ必要があるだろー。でなければまた起こるだろーから。「けいおん!」のサイトが「BangDream」のサイトに変わるとか。それは流石に気づくか。

 初日には行かず2日目に行ってもう疲れたので3日目も遠慮したコンテンツ東京では、キャラクターとかトレードマークといったIPを展示して取り扱うライセンシングジャパンのコーナーがとてもとても大きくなっているように感じた。アニメーション制作会社こそ先だってのAnimeJapan2019にも出展していたから多くはなかったけれどもゲーム会社がいればキャラクターを持った企業がいて、そして横浜ベイスターズだとか阪神タイガースといったプロスポーツチームまでもがブースを構えて自分たちのIPを展開しようと頑張っていた。阪神なんかはこうしたイベントにも10年以上も前から出ているけれど、ベイスターズとかライオンズなんかも出始めたのは巨人にすがって放映権料で潤った時代ではもうなくて、個々に球団をIPとして稼いでいかなくちゃいけない時代、というよりそれで稼げる時代になったからだろー。

 こういう流れにはいずれBリーグなんかが続きそうで、千葉ジェッツとか栃木ブレックスとかいった人気チームがグッズを広く展開していくことで、より全国区になっていくんだろー。Jリーグのチームが見えなかったのはリーグがそうしたチームのIPを一括管理しているから、ってな理由でもあるのかな。浦和レッドダイヤモンズだって鹿島アントラーズだって自前で売れば売れそうな感じ。水戸ホーリーホックはそこにガルパンだって載せられる場合もあるから売れ行きも良いだろうけど、でもいなかったのは全国区よりも地域性が高くって、ライセンス展開に向かないとかが得ているからなのかもしれない。ユニークなところではボールのミカサなんかが出展していてボールとかそれを使ったバッグなんかを見せていた。見れば見るほどそうした動向をまとめて記事にして教えたくなるけれど、媒体を持たない浮薄の身にはいかんともしがたいのでここにこうして書いて教えることにする。これがマネタイズされれば仕事なんて探さないんだけれどなあ。というかこれが仕事か。乗り遅れたなあ。アキバBLOGにも虚構新聞にも。

 コンテンツ東京のコンテンツマーケティングEXPOには電子出版のボイジャーが出していたGaze−On高精細画像表示システムとゆーのが面白かった。パソコンとかタブレットに小さく表示してある画像をぐいっと広げると、何と億画素(6.5万×6.5万)まで伸ばせるようになっているんだとか。こういうのに良くある解像度の違う画像を切り替えシームレスに見える技術が使われているんだけれど、本当にスムースに大きくなっていくから面白い。小さいのを見せるのがサムネイルならこれはまさしく逆サムネイルといったところか。そんなボイジャーのGaze−On高精細画像表示システム、漫画原稿だと拡大するとフキダシの写植もホワイトの修正もカラーのタッチもくっきり見える。これで漫画原稿をアーカイブ化しておけば、塗りのタッチとか修正とかも含めて残せそう。

 萩尾望都さんとか竹宮恵子さんとか、自分の漫画原稿の行方を気にしていたし、そういう作家から明治大学の米沢嘉広記念館とかに漫画の原稿とか寄贈されていきそう。でもそのままでは見られないならいったんれで作っておいて、アーカイブとして利用するなんて使い身がありそう。伸ばせばくっきりと見える写植の痕跡にホワイト修正のペイント具合。あらら萩尾さん以外と少ないぞって分かりそう。著名漫画家の原稿のアーカイブ事業に採用とかされると面白くって、漫画家とか画家が画像販売サイトで見本をこれで作って細部まで見てもらえるようにする、というのも商業的な使い方としてありそう。個人が使えるならこれでいったん保存しつつ保管が難しくなった原稿は売っちゃうとか出来るじゃなかろーか。逆にこちらを電子書籍的に売ってマネタイズするとか。聡いとそういう商売をする人が出てくるかもしれないなあ。乗り遅れる僕はだから永久の無職に。やれやれ。

 山田尚子監督による長編アニメーション映画の「リズと青い鳥」が、武田綾乃による小説「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章』の裏、というと少しニュアンスが違うけれども小説の主旋律というよりは楽章のひとつであって全てを描いてはいなかった。それだからこそのあの濃密さで鎧塚みぞれと傘木希美との重なり合っているようで、ズレてもいたりする関係を描ききったと言えるのだけれどそれはやはり「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章』の全てではなかった。だったら、新しく公開となる「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」が小説『北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章」の全てかというと、少し違う。

 そこはやはり上下巻にわたる小説を2時間ない映画の中にまとめたのだから落ちた部分も当然にあるし、下巻の核となっている「リズと青い鳥」の部分も既に映画で見せているからと触れられてはいない。だったら慌ただしくダイジェストのように進んでいくのかというとそれも違って『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』は自分という存在を信じているようで信じ切れていない少女や少年が居場所を求め居心地を願いながらも居たたまれなさに怯えるのを諭し、導いて自分に自信をもたせ、居場所を与えようとする調和と成長の物語という部分が、くっきりと見えるようになっている。

 メインとなるのはもちろん黄前久美子で、『リズと青い鳥』では話に絡まずただ「リズと青い鳥」の旋律を高坂麗奈とともに吹いて刺激を与えるくらいだったけれど、こちらでは新しく低音パートに迎えた4人がそれぞれに癖があって関係にもギクシャクしたところが生まれてしまって、どうしようかと思い悩む場面が多く出てくる。そこには同級生よりは新1年生が絡むことが多くて、先輩たちを相手に自分を主張するのとは違ったあたふたとした姿を見せる。先輩でありながらも完璧ではない姿に最上級生とは違った立ち位置も伺えるといったところ。そんな久美子だからこそ居丈高でもなければ媚びるでもなくまっすぐに、久石奏であり鈴木美玲といった自分をどう扱ったら良いのか迷っている1年生たちの心を開いて感情をはき出させ、そして改めて仲間へと引き込むことが出来たのかもしれない。

 そんなところが主旋律となった映画は、それでもやっぱり全日本吹奏楽コンクールをクライマックスに持ってくる。どうなったのかは「リズと青い鳥」では明かされていないけれど、原作の「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章」を読めば結果は分かっている。その分、ドキドキ感は下がるけれども「リズと青い鳥」では部分だった演奏が、コンクールを舞台にフルに聴けるというのが今回のウリか。第三楽章のみぞれのオーボエに希美のフルート、そして伴奏のハープも完璧。なおかつ全体に調和のとれたドラマ性のある楽曲だったと分かるだろう。

 小説だったら諸々の段取りもある部分を削って結果だけさらりと見せる演出はなかなかに良い切れ味。そうしておいて鈴木美怜の葛藤や久石奏の自暴自棄をたっぷりと描いているところにも、それを見せようとした石原立也監督の取捨選択の巧みさを感じる。でもサンライズフェスティバルのところは感動の後だっただけにちょっぴり冗長に聞こえてしまったかも。胸とかに目が向く田中あすかのドラムメジャーではなく吉川優子のドラムメジャーで、曲も耳につく「ライディーン」ではなかったから。でもラテンな味で良い曲だった。何だろう。

 さて武田綾乃によってただいま原作小説の続きが書かれているようで、3年生となった黄前久美子や高坂麗奈による最後のコンクールに向けた物語が繰り広げられる。新たな1年生も入ってくるだろうし、それでやっぱり起きるオーディションへの葛藤も描かれるだろうと思うけど、そうした物語を相談所とは行ってられない立場で引っ張ることになる黄前久美子が何を思ってどう振る舞い、そして決断するかを見せてくれそう。結果はどうか。楽曲は。そんな興味とともに待った刊行を受けてさあ、映画だテレビでの最終章だと期待せずにはいられない。黒沢ともよも期待してたし。あるよね。あるはずだよね。作ってね。それまでは生きるから。地に這いつくばっても。


【4月4日】 やるかもしれないとは思っていたけど、本当にやるとはさすがはたつき監督。「趣味の12.1話」として先週で終わったはずの「ケムリクサ」の続きめいたエピソードを、放送と同じ時間くらいにアップしてはロスに飢えていた人たちの心にまさしく水をもたらした。「けものフレンズ」でも1週間後の同じ時間に12.1話を提供して何をやっているんだと驚かせたけど、それが後に勝手にやったんじゃないかといった憶測を呼んで悪者にされてしまうというか、悪者にされたから憶測混じりで語られてしまった。資本を動かしIPを動かすのに無許可なんてないだろうというのが心底の気持だけれど、悪者にされてしまうとその文脈からは外れない。だから今も原因のひとつにされている。

 そうした経験を踏まえてもなおやっている以上は「ケムリクサ」の12.1話はまがうことなき本物で、そしてサイドといった生優しいものではなく続きめいた展開を見せてくれている。消えたはずのりくにりょうにりょくの3人がしっかり意識を持って存在していて、逆さになったオニバスのような丸い葉みたいなところから垂れ下がる建物なんかを眺めている。存命であることを喜びはしゃいでいたところに現れたあれはワカバ? わかばならすでにりくにもりょうにもりょくにも会っているから気づくはず。そうでないならミドリを自ら伸ばして消えたワカバが復活してきた。これは驚いた。本物、ってことはないだろうからミドリに吸収されて消えたワカバが転写でもされて復活してきたってことだろうか。

 だったら、りんやりつやりなたちと旅をして赤い木を倒したわかばはいったい何者か。あれもワカバがミドリ化した中に残っていた記憶めいたものがりんたちの危機を察して飛び出して来たものなんじゃないのか。想像もいろいろと浮かぶけれど、そうしたことへの結論を言わないのがたつき監督流。あとはだから見た人たちがいろいろと想像をして設定を重ねていくしかないんだろう。そしてこれからの物語も。あの空間はりんたちがいる場所とは違うから、外に出られるかどうかがまずはひとつ。出たら出たで一緒に出て来たワカバがりりを復活させたいと願い、それには統合が必要だと訴えすでに人格をもったりんたちを消せないとわかばが憤って戦うとか。それだとりんたちはどっちの見方をするんだろう。6人はそれぞれにりりを持っている訳だし。めっさ気になる。だから続きをこの際是非に。まさか「ケムリクサ2」を降板させられるなんてことはないはずだから。

 逃亡のおそれも証拠隠滅の可能性も極力廃されたからこその保釈だったはずのカルロス・ゴーン氏が新たに浮上したらしい容疑でもって逮捕されるという不思議。それってもう取り調べが行われたい話じゃないのか。でもって立件に不向きだからと除けられたものじゃないのか。違うとしても保釈して立件も行ってなお調べて逮捕する必要があるとしたら、それは逮捕しなくてはならないという意志がどこかにあるからとしか思えない。そこに罪があれば暴いて罰するという目的に向けた司法としての手順は踏み間違ってはないかもしれないけれど、情動といった部分ではどこかにおかしさを感じざるを得ない一件。11日に会見をすると言っちゃったことが響いたかなあ。そこでペラペラ喋られたくないと。今回も勾留延長延長延長でさらに別件で再逮捕とかで株主総会まで閉じ込めておくのかも。どういう国だと世界が思うだろうなあ。すでに思われているか。やれやれだ。

 無職だけど情報をアップデートしないと老けるのでコンテンツ東京で落合陽一さん鈴木おさむさんとニューズピックスのCCOを務める佐々木紀彦さんの講演を聴く。まずは佐々木さんがコンテンツ黄金時代と題してコンテンツが自由になる、コンテンツにお金が集まる、コンテンツ人材がプロ化するといった話をして、コンテンツを自分で作り出せる人の優位性なんかを指摘する。既存のメディアは壁があって行き来がなかったけれど、これからはメディアを増やして繋げていくのが当たり前になるとも。一方でネットフリックスがテクノロジー投資の10倍をコンテンツに投資している実態を挙げて、コンテンツが求められ作られてく時代が到来し、その中でプロ化したコンテンツ人材が求められるといった話をする。

 すなわち脚本家であれプロデューサーであれ、IPを持つ才能の価値が飛躍的に高まると佐々木さん。そして魅力的な場所を作れば才能が集まるとも。そうした見解にとある新聞社はどうだろうと考えて、多くのアクセスを得たいならコンテンツを重視すべきでありながらも、現状の収支を整えるためにむしろコンテンツへを生み出せる人材への投資が縮小してたりするんじゃないかと実感を交えて思ったりする。まるで反対のその道がどこへ向かうかは分からないなあ。続いて次いで落合陽一さん。アンパンマンで遊んでる大人の動画が300万再生されてる話を出しつつ、それを子供が淡々と1日8回とか見てるけど大人には面白くない訳で、そうし動画への広告費は結局は使われない訳でそこにギャップを感じていたみたい。

 つまりはプロがちゃんと見られる動画を作って対象に向けて流せばもっと有意義になるってこと。とはいえ優秀な人材がいるテレビ局からの人材の流動化がない。そこを随分と気にしていた。だから鈴木さん佐々木さんとの対談になった時、もう極限まで時間を整えて番組を作っているテレビの人たちを挙げて落合陽一さんは、TVの番組製作スタッフは優秀だけれど時間芸術にとらわれているといった指摘から、その才能を活かせる場を用意するかいずれ出て行くだろうってな感じの話をしていた。今は福利厚生がしっかりしているけれど、変化があれば優秀な人は独立して良い映像コンテンツを作るようになる。それで3億円を稼ぐ人が3、40人は出てくる状況が訪れたら、テレビが王様の映像コンテンツの世界も変わりそう。そのためには最初の1人が出る必要がありそうだけれど。スタープロデューサー。いるかなあ。

 あとはやたらとEテレの番組の優秀者を話していた落合陽一さん。サブスクリプションで作れるからなんだろうけれど、それでもやっぱり凄い番組が並んでるからなあ。そして鈴木おさむさん。子供たちが気にしているものとしてYouTubeとTWICEのような韓流を挙げて、これらはどれもTVでやってないのを子供たちが好きだという状況を紹介し、顔を見せないでアニメ的な画像だけを見せる「すとぷり」の人気ぶりを紹介し、2.5次元が流行っているけど演劇プロパーからディスられているらしい話も紹介して、何かが代わっていることを示してた。あとは地上波がサイマルやれたら最高だとも。これは広告モデルが電波とネットじゃ違うから無理かなあ。

 その鈴木さん。能や狂言を吹き飛ばす歌舞伎が出て来て、それが今や伝統の中心にいるような過去の例を挙げつつ、2.5次元ミュージカルも人気になるし、映画も応援上映とかそこに行かなきゃ楽しめないイベント性が出てくるといった話をしてた。体裁とか伝統とかをかなぐり捨てて楽しめれば勝ちってことなんだろうね。これって音響監督の岩浪美和さんが、映画館ならではの楽しみを増やしたいと推進してる映画館の音響革命にも通じる話。そういう努力が映画というコンテンツを変えて森敢えて行くんだろう。

 とまあ、そんな感じに良い作り手が良いコンテンツを作りそれにお金がつき稼げると言うコンテンツ至上のような意見が聞けて、見かけの収支を整えるためにコンテンツを蔑ろにして平気な態度は未来に禍根を残すと思ったけれど、そんな当たり前すら通らない苦境にあるってことだとも理解しなくちゃいけなさそう。向こうには頑張って下さいと良いつつ悔しいから頑張らないでとも思いつつ、もはや関係のない身ならば自分が最良の古典津を出せるよう、頑張るしかないとも決意した。それでもやっぱり浮かぶ将来への不安。ネット系のニュースも年寄りはあまり必要としていないみたいだし、かといって残ってたってやっぱり必要とされてないならどこで食い扶持を稼ぐのか。宝くじがあたって遊んでいてもOKな立場から自分でサイトを立ち上げるのが1番か。それは夢だなあ。地道に転職活動、頑張ろう。

 「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」が原案になっている劇場アニメーション映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の声優陣が決まったそうで、誰かとみたら主人公は佐藤健さんで山田孝之さんがいて有村架純さん、波瑠さん、坂口健太郎さん、ケンドーコバヤシさん、安田顕さん、古田新太さん、松尾スズキさん、山寺宏一さん、井浦新さん、賀来千香子さん、吉田鋼太郎さんが出演の予定、ってプロフェッショナルな声優が山寺宏一さん1人しかいないことに大丈夫なのかと思いつつ、俳優だって演技者だから顔が出なくたって演技は出来るとも思っているので、とりあえず心配はしないことにする。有村架純さんも「思い出のマーニー」に出ていたし、まあ出来るでしょう。気になるのは佐藤健さんかなあ。そこは主役補正で気にせずに。


【4月3日】 ドリパスで上映行われた「カメラを止めるな!」と「ショーン・オブ・ザ・デッド」というゾンビ映画の変化球を2作続けて見る企画に参加。最初が「ショーン・オブ・ザ・デッド」ならそれだけ見て帰ろうかと思ったけれど、「カメラを止めるな!」だったので改めて見てやっぱり良くできた作品だなあと感心。冒頭の30分がどういう位置づけを持っているのか分かっていても、というかだからこそそこかしこの綻びめいた部分を、そうだよそうなんだよといった思いで味わえる。このあたり、真っ新の初見の時も奇妙だなあと感じていた部分で、後で答え合わせがあってやっぱりと思ったから、そう感じるようにわざと綻びさせているのかもいしれない。計算だった凄いし偶然だったらもっと凄い。

 そして続けてエドガー・ライト監督の「ショーン・オブ・ザ・デッド」。どーしてこれが「カメラを止めるな!」と一緒に上映されるかといえば、やっぱり剛速球のゾンビ映画ではないから。イギリスで何か得体の知れないことが起こって、一夜にして街に人を襲って食らう存在が跋扈し始めるんだけれど、主人公で家電販売店に勤めるショーンという男は、恋人をパブ以外の場所に食事に誘うような解消もなく、ルームメイトとして割と真っ当な生活をしているピートと、そして働かずゲームばかりしていて時々大麻を売ったりもするエドといっしょに一軒家に暮らしている。ピートはエドのその日暮らしのような態度が大嫌いだけれど、ショーンは親友らしいエドに面と向かって生活を改善するようには言えずに居る。

 そんな環境で起こった異変だけれど、自分の周囲で起こっているリズとの諍い、エドへの対応、母親が再婚した義父への態度といった関係をどうするかで頭がいっぱいなのか、元より周囲のことを気にするゆとりがないのか、前日とは打って変わって死体のようなのに歩き回る存在がいたり、誰かを襲ったり襲われたりしていることが目に入らない。テレビをつけても大変なことが起こっているというニュースに耳を傾けることなく、ガチャガチャとチャンネルを変えては何も起こってないような日々をそのまま凄そうとする。観客はちゃんと周りで何が起こっているのか分かっているのに、ひたすら無関心なショーンにそれこそ「志村後ろ」と言いたくなる。そんなおかしさが冒頭から漂う。

 ゾンビが問題だと分かってからも、気になるのは母親のことでありリズのことであって、2人を救って安全になればそれでOKといった結論から入って、途中の過程も結論のその先がどうなるかも考えないで突っ走る。そうした態度をエドも承認するかのようにして2人で突っ走っていくところに、人間はしょせんは自分ひとりなんだなあといった思いを抱く。そんな映画なのかもしれない。キャラクターの造形も絶妙で、ショーンは後先考えないようなところがあり、デービッドはあれやこれや考えすぎて行動が定まらず、そして動いてはドツボにはまって最後はゾンビに喰われてしまう。まともなのはリズくらい。それでもショーンに引っ張られパブまで行って大変な目に遭うところは、やっぱり完璧な人間なんていないし、いたら物語なんて成立しないってことの現れか。

 もう打つ手無しといったところからの大逆転めいた展開は、「ヒストリー機関」なるアニメーションで「投げっぱなしなんです」と言われたジャンルの映画にしてはしっかりしているというか、それだからこそロメロの「ゾンビ」に対するパロディにもなっているんだろう。これがどうして日本で劇場公開されることなく、埋もれてしまっていたのかは謎。やっぱり真正面からのゾンビ映画に対してパロディでは受けないと思われたのか。それがやっぱりど変化球だけれど錬られたシナリオの映画は面白いと知らしめた「カメラを止めるな!」のヒットによって見直され、ドリパスで取りあげられそしてTOHOシネマズでの上映に至った。映画って何が起こるか分からない。あの「ヒックとドラゴン」も新作がついに日本公開とか。ライカの「ボックストロール」も「クボ/KUBO 二本の弦の秘密」のヒットで公開された。支持し続けること。呼びかけ続けること。そして通うこと。それが良い結果をもたらすのなら頑張って通い続ける、貧乏でも。

 「ラフ∞絵」のニュースがいろいろなメディアに登場したんだけれど、圧倒的に多かったのが「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を描いた漫画家の秋本治さんをフィーチャーしたもので、ネームと呼ばれる漫画の下書きめいたものをいっぱい紹介している話を中心にして記事にしたり報道にしている。なるほどそれも凄い話なんだけれど、元をたどるならタツノコプロという場所に籍を置いたことがある天野喜孝さん、大河原邦男さん、高田明美さんとそして秋本治さんが、タツノコプロで演出を手がけスタジオぴえろ(現ぴえろ)を立ち上げアニメーションを作り続けた布川ゆうじさんが、4人の描くラフ絵を紹介したと思って始めたもの。そこにはアニメーション関係の絵を絵がく上でのメカでありキャラクターの思考過程めいたものが意識として中心にある気がする。

 漫画の下絵なりネームはだから傍流といった位置づけなんだけれど、4人を並べた時にやっぱり日本人が1番知っているのは秋本さんで、そして繰り出されているネームとか下書きの量も質もやっぱり凄いなら、そうした絵を創作の秘密として取りあげ、見てもらうことで自分がクリエイターになる時に何をすれば良いかを考えるきっかけにしてもらうのも、当然のことなのかもしれない。とはえいやっぱり大河原さん天野さん高田さんの作品が注目されないのは残念。高田さんなんてあの「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」の映画ポスターの下絵めいたものを出しているんだから。これはマニア垂涎にしてファン注目。「魔法の天使クリィミーマミ」と「機動警察パトレイバー」の間に挟まり壁の裏にあるから気づかれにくいので行ったら必ず見るように。打ちのめされます。

 どん底をのたうち回っている境遇から脱出する上で、お釈迦様から垂れ下げられる蜘蛛の糸になり得るかもと期待していた予定がやむを得ない事情で延期となり、おまけに外も寒いとあってこれは1日寝てくらす日にするしかないと、沈みながらもカクヨムで始めた日記の回顧をひたすら書いては積み足しつつ、一部を公開して世間にいろいろやって来たことをアピールする。それで何かある訳じゃないけれど、自分の仕事を振り返るきかっけにはなるかなあ。でも踏み外してばかりの道を後悔するばかりなんだよなあ。あの時決断していたら、とか。だったら今の決断を良い方に解釈すれば良いのに、そうはならないのが人間の心理って奴。だからこそ欲しかった蜘蛛の糸。いつか復活する時を希う。

 そんな怠惰な後昼下がりに春のセンバツ高校野球で愛知県の東邦高校が優勝を果たしたとのこと。バンビ坂本を擁して決勝まで行った1977年は印象にあるけれど、前に優勝した1989年の選抜では誰が活躍したか記憶にない。相手の上宮には元木大介がいて種田仁がいてとなかなかの布陣だった様子。それを破って優勝したなら凄いことだったはずなのに。平成に代わって最初の甲子園だったから慌ただしさの中で関心を抱けなかったのかも。そんな高校が今度は平成最後の選抜でも優勝をする。これが奇縁というやつか。あるいは運命か。例え元号が令和に代わっても、東邦高校は選抜の平成王として永遠に刻まれることだろう。そして令和で優勝できないという運命に? あるかもなあ、それが運命なら。


【4月2日】 植田益朗さんと河森正治さんがトークを繰り広げた「アニメ!マスマスホガラカ」から帰宅して眠ろうとして酷い寒気に襲われて、気温が下がっているのか体調が不思議になっているのか分からずすこし臆する。忙しかった時代に河森さんも自律神経失調症になって体温の調整がうまくいかず、夏でも分厚い革ジャンを着ていたとか。心が痛むと体も痛む。そこに至る過程で気づいて治せれば良いんだけれど、当面において心が晴れる要素が皆無なのが痛い。どうしたものか。垂れ下がってくる蜘蛛の糸も掴む前に着れてしまわないかと心配。そもそもそんな糸なんて来ているのか。だめだマイナススパイラルに入り込もうとしている。気分転換気分転換。

 という訳で「ポプテピピック新作SP」。声優さんがテレビとネットで違っているとか、そういうのは個人的にはどうでもよくって頑張ってますねとは思うものの、おなじ事の繰り返しでもあってそこに新味は覚えない。よほど意外なセレクトとかじゃないと、政治家とかプロレスラーとか。それも演技がヤバい感じになりそうでやらない方がましなのか。ちょっと迷う。むしろ「ポプテピピック」は新しいクリエイターの起用って奴で、前に例えば佐藤美代さんとか当真一茂さんと小野ハナさんによるUchuPeopleといった東京藝術大学大学院アニメーション専攻の修了者たちによるインディペンデントな作風での商業アニメにクロスオーバーの夢を見た。

 今回もポプ子とピピ美がぐにゃぐにゃになるクレイアニメで野田ゆり子さんが登場。つい最近の東京藝術大学大学院映像学科アニメーション専攻による第十期生終了作品展に「Where is my home?」を出していたばかりで、ただクレイでキャラクターを動かすだけでなく、自分だけが違うような場所にいて居たたまれない気持になったり、違う者がやって来て排除されて憤って出て行ったりするような展開を描いて差別といったものへのやるせない気持を表現していた。つまりはしっかりアニメーション作家を商業アニメのギャグアニメでクソアニメというパッケージの中で使う。これによって世に存在が知られ仕事も増えるかもしれない可能性は、別の系統樹にあって切り離されていたインディペンデント系なりアート系なり学生系のアニメーションに道を拓く。

 あるいは商業がインディペンデント系に認められる可能性。そうしたクロスオーバーを意図してやっているところに作っている神風動画の企みめいたものを感じる。いつか真意を聞いてみたいし、起用されたクリエイターがその後にどういった影響を受けたかを聞いてみたいけれど、そこは媒体を持っていない記者が無能だという現れで、いかんともしがたいのだった。今回なんてさらに「ズドラーストヴィチェ」「夜になった雪のはなし」の幸洋子さんも作品を寄せていたりした。

 いずれも「この世界の片隅に」の憲兵さんこと栩野幸知さんが声で出演している索引で、あちこちで賞もとっている。それでも知られていないクリエイターを「ポプテピピック」という看板の下から送り出す。きっと大きな影響が出るだろう。フル3DCGで登場の青山敏之さんは言わずと知れた伝説の「PROJECT WIVERN」の方で今さらな大物。冒頭のロボットアニメには大張正巳さんが参加してことぶきつかささんもキャラクターを描きそれを山元準一さんが作っていたりする。ベテランを集めつつインディペンデントからの俊英も混ぜたこの制作体制の破天荒さが、固まりがちなクリエイターへの評価をシャッフルして新しいクリエイターへの注目を増すことにつながるか。可能なら半年後にまたスペシャルを作ってそこに学生からと超ベテランをぶち込みとんでもないアニメを作って欲しいなあ。声も凝って。

 震えながら目が覚めた朝に「けものフレンズ2」の最終回。海底火山の噴火が巨大なセルリアンを生み出してそれが海から襲ってくるような仄めかしはいったいどこへ行ってしまったのか、ビーストと呼ばれる野生が解放され過ぎているようなフレンズはどうしてキュルルやサーバルやカラカルが訪れた海のホテルにかばんちゃんの船に乗ってやってきてセルリアン退治なんてことをしでかしたのか、なおかつそれで味方かとおもったらきっちりフレンズたちも襲いつつ自分ひとりが崩れるホテルの下敷きになって消えてしまうってことは知性があったのか、ただの偶然か、オオアルマジロとオオセンザンコウと声がどことなく似ているアライグマとフェネックが出てくる必然性としてアライさんが強かったりする意外性はどこから来たものか、なんて浮かぶさまざまな思いに対して何か答えがあるのかって考えた時、とりあえずそれがどうしたと理解するのが安心して1日を過ごす秘訣かもしれない。

 キュルルの絵を見てセルリアンが実体化するけれども思い入れの多寡でもって強さが変わるといった設定はだったらどうしてキュルルの描く絵にはそうした力があるのかといった問題へ解答を求めるけれど、そこに理由なんてものがあるのかどうかは分からない。キュルルは特別だから筆に力があるんだよ、フレンズ化した時に与えられた異能だよっていうなら他のフレンズにだって動物の常識を超えた異能が出なくちゃいけないし、そもそもが人を含めた動物ファーストな物語で、動物の常識を超えて異能が炸裂するような展開があって良いとも思えない。そうした理想の裏を行って予想不可能な展開を見せてくれたという意味で、「けものフレンズ2」は気になるアニメの1本にはなった、ってことなのかな。次はあるのか。それはどういう展開になるのか。次はそもそもセガのゲームアプリ「けものフレンズ3」なのか。劇場版「けものフレンズよ永遠に」が作られたりするのか。気になることがいっぱい。その意味でまだまだ楽しませてくれそう。「ケムリクサ」をぶつけられなかったらどういった反響を呼んでいたかなあ。

 「タブレットで絵を描く時代だが、鉛筆で描かれた躍動感がある力強い線を体感してもらいたい」と元ぴえろの社長でタツノコプロにもいてアニメのプロデュースをいっぱい手がけ、2日からアーツ千代田3331で始まった展覧会「ラフ∞絵」の実行委員長を務めている布川ゆうじさんがこう行って鉛筆描きの絵が持つパワーめいたものを仄めかせば、「機動警察パトレイバー」に「魔法の天使クリィミーマミ」のキャラクターデザインで知られる高田明美さんも、」「鉛筆は基本の画材。鉛筆と紙があれば絵が描けます。デジタル中心の人も、鉛筆を持って手に馴染ませていみてください」と話して鉛筆で絵を描く効能めいたものを指摘する。天野喜孝さんも鉛筆描きの絵を見てと話してた。やっぱり鉛筆描きはデジタルにペンで描かれた絵とは違うのか。気になった。

 鉛筆によって手で描かれた絵には魂がこもるとかパッションが感じられるというのはただの心理的な印象で、手描きの絵をタブレットで見ればそこにやっぱりパッションは感じたりするけれど、そうした見た目以上にたとえばアナログな線の逡巡めいたものには、人の心理から来るゆらぎみたいなものがあってそして試行錯誤の過程には良くしようといった描き手の思いが乗っていて、それらが見る人にタブレット上の整った線との違いを感じさせるのだろー。トップクリエイターがこぞって鉛筆の線を生で見る効能をうたっているのだからきっとそうに違いない。分からないけど。そんな「ラフ∞絵」では秋本治さんによる原画をトレスしたような動画が展示されていて、アニメーターとしても優秀だったんじゃないかと思わせた。そのまま続けていたら……でも展示してあるラフのどれからもキャラクターの魂めいたものが漂っているから、デザインではなく存在としてキャラクターを描き魂を込める漫画家として止まってはいられなかったかも。「ラフ∞絵」で見るべきコーナーでした。


【4月1日】 もしも辞めずに残っていたとして、異動があってまたく畑の違う場所で新年度を迎えたかもしれない可能性を考えて、そしてそれまでの部署に残留したとして、これまでのようにゲームであるとかアニメであるとか玩具であるとかエンターテインメントといった分野の記事を書いて、IGN JAPANに出稿するといったことも行えなくなっていただろうと考える。それでも昼間の間の居場所であり、年間で600万円相当の給料であり、交通費であり社会保険に健康保険といったものの補助は得られて月曜日から金曜日までを安泰に暮らしながら、土曜日曜を娯楽に当てて静かに暮らしていけた。あと数年は。あるいは定年まで。

 それで良いのかと問われて、良かったかもしれないといった気分が浮かぶのは、直面ちている宙ぶらりんの状態から来る不安の裏返しであって、ここに新しい岐路が開ければ、途端に安心に変わるだろうとは思うし、残った場合に果たして2年後があるのか、定年までの6年間があり得るのかといった問題が急浮上すれば、安心はしないでも間違いではなかったと安堵はできる。ただ、現時点で岐路が開ける気配が一向にないことが、不安に拍車をかけて今を居たたまれない気持にしていたりする。こればっかりは4月1日、すなわち本日より会社員という身分を外れ、剥き出しの状態に置かれた人間にはなかなか祓えない。ずっとそういう境遇で頑張ってきた人には、何て甘いんだろうと思われて当然で、情けなくもあってそれが気鬱に拍車をかける。

 どうしたいのかという目標もなく、何ができるのかといった技術もないのに無茶をしたと思い込めば、それがマイナススパイラルに入って気鬱を深化させかねない。そうならないためにも今、頼ってもらえていることをしっかりとこなして、次につなげていくしかないのだろー。月に1本の書評であっても、そこに存在を認めてもらっていると確信し、ここから何かを広げられる可能性を想像していく。そこにやりたいことを盛り込んで行ければなお結構だけれど、そういう場所があるかなあ。あることはあるけれど、今さらアラフィフのロートルなんていらないってのが最大のネックか。いっそすっぱりと切り捨てて、そして名古屋に戻って余生を過ごすというのもひとつの選択か。新年度早々、エイプリルフールの面白さが欠片もない夢想に苛まれながら迎えた新年度。そして新元号の発表日。

 沈んでいても仕方が無いと、どうにかこうにか起き出して渋谷へと向かってそこでタカラトミーが新元号を「人生ゲーム」に入れて号外として頒布するという場面を見物しようとする、そんな途中に発表になるかと思った新元号が、なかなか明らかにされない。そうこうするうちに地下鉄は渋谷駅に到着し、手にニコニコ生放送が写し出されたタブレットを持ってハチ公前の広場に降りて眺めていたら、ようやく菅官房長官が現れて、「令和」という新元号を発表した。印象はやっぱり「令」が「冷」と重なったり、命令の「令」とも重なって固そうに感じられたってことかなあ。

 もちろんその出展となった万葉集の詩歌が意味する令月は、めでたい月ということで冷たくもなければ固くもない。和の方は風の和らぎを意味する言葉からとられていて、全体にはおめでたくて柔らかい言葉でるのに、見た目で違う印象が浮かんでしまうところが漢字の怖さって奴だろーか。まあいずれ馴れるんだろうけれど。「平成」って見た時はなんか間が抜けたように感じたからなあ、その語幹から。そういうものだ。中国の漢籍からではなく日本の古典から取られたことについて言うなら、そんな古典を著した平安だとかの教養人の源流にあるのはやっぱり漢籍だから、孫のように影響は確実に及んでいると言える。けれども日本の古典だからと悦に入るから気持悪い。古代から伝わった学問の系譜を見ずして何が教養か。ここでしっかり意識しておかないと、漢籍の教養を失った世代の著作から語呂の良い語句を平気で選んで来るようになるぞ。それが怖い。そこまで元号が保つかというのは別にして。次代次々のその次とかさらに次とか、まずは継承が成されるかが気になるし。

 そんな「令和」という元号を、さっそく組み込んで商品化してしまったのがタカラトミー。平成版としてたくさんの「人生ゲーム」を発売してきたけれど、元号が変わるのに合わせて新しい「人生ゲーム」を「令和版」として発売することにして、それを一足早く、元号が発表になった瞬間にシールをつくって貼ることで作ってしまえってイベントを実施した。渋谷の109前に行くと、とりあえず「令和」という新元号を改めてパネルにして出して、それから午後に「人生ゲーム+令和版」というのを頒布するイベントを実施するとアナウンス。ならばとちょっとだけ外し、ファーストキッチンでワイルドロックという肉と肉で卵とか野菜が挟まれた糖質の低いハンバーガーを食らい、頼まれているインタビュー仕事のテープ起こしだけをやっつけて戻り整理券をもらって待つことしばらく。回ってきた順番でルーレットを回したけれども「令和」にとまらずもらえなかった。残念。

 まあ、もらっても家に置く場所はないし、転売とかもしたらいけないことになっているんで宝の持ち腐れになる可能性はあったから、外れて正解だったのかもしれないけれども一方で、無職化した日に発表された新元号がいち早く刻まれたアイテムであるといった意味で、人生においての記念になったかもしれないと思うとちょっぴり残念かもしれない。すぎに暮らしが立て直されて、不安もとれた時にもらっておいて良かったと思えるか。そうなる境遇に至れる道筋をだから早く整えないといけないんだろうなあ。太い手が差し伸べられる兆しはないのなら、こちらから腕をつかみに行くしかない。5月から真面目に考えよう。スーツは買ったからあとは頭を丸めるくらいか。今はまだちょっと寒いから遠慮。

 もしも残ってどこかに異動していたら行こうと思えたかどうなのか。夜の8時から渋谷のキャンプファイアで植田益朗さんという元はサンライズのプロデューサーで「ターンエーガンダム」だとか「銀河漂流バイファム」だとか「シティハンター」なんかを手がけた人がウエブラジオをやっていて、そこにバルキリーで有名な河森正治さんを招いて4月末からのシド・ミード展の話とか、5月末からスタートする「河森正治EXPO」の話なんかをするなかで、河森さんが昔関わりながらもボツとなった企画の資料がいっぱいみつかり、展示することになったという話が出た。

 監督が多忙で引っ込めざるを得なかったらしく、河森さんはマクロスに関わっていたから不興を買ったと思っていたら監督の多忙が下人だったと分かって胸のつかえがおりたとか。それこそ40年越しだなあ。どちらかといえばハードな至近未来が舞台だったその企画からいろいろ分岐する中で生まれてきたのが楽しいくて歌とか出る企画でそれが「マクロス」になったというからある意味で源流であり原因かも。そうした話を聞いて見ると「河森正治EXPO」も奥深いところまで見られるかも。ってすでに大量に資料がありすぎてどれを展示して良いか分からず、見ようとしたら何時間だってかかりそうだと思案顔。でもきっといっぱい出すんだ、それが河森さんという人だから。あのバルキリーのごく初期のペーパーモデルも展示とか。朽ちそうなのをどうするんだろう。展示中に塵になったらちょっと泣くかも。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る