縮刷版2019年12月下旬号


【12月31日】 アップデートされた「荒野のコトブキ飛行隊 大空のテイクオフガールズ」に新しいステージが登場したのでプレイ。撃墜数を重ねると新作アニメが見られてゲームに登場するハルカゼ飛行隊がコトブキ飛行隊と絡みながら、ウッズ社長とリリコが取り組んでいた雷電探しに協力するストーリーで、酔っ払うと強いベルが媚薬でぶっとんでても相変わらず強いこと、そしてガーベラが小さいけれども格闘とか出来そうなことが描かれていた。ギャップ萌えはキャラ設定の華。そんなキャラがいっぱいだけに、メインヒロインのキリカが普通すぎて目立たなくなっている。イベントではセンター務めるのかなあ、行こうかなあ。

 「ブレードランナー」の舞台となった2019年が終わろうとしている年の瀬に、「ブレードランナー」でさまざまなデザインを担当したビジュアル・フューチャリストのシド・ミードさんが死去。春にアーツ千代田3331で展覧会も開かれてこれまでも業績が大々的に振り返られ、「宇宙戦艦ヤマト2045」だとか「ターンAガンダム」といった日本のアニメーション向けの仕事も改めて確認されて、先駆的にして最先端のデザインに対して改めて関心が向かい始めただけあて、再びの個展とそして久々の来日なんて可能性も夢みていた。

 けれどもそれもかなわなくなった。振り返ればパシフィコ横浜で開かれたイベントで「ターンエーガンダム」の構想が発表された際、デザインをシド・ミードが担当することも明らかにされてその会場に当人がいて、手元のカメラで撮影をして記事にしたことがあったっけ。それが当人を見た最初であり最後の機会だったけれど、デザインを手がけたターンエーガンダムやターンXといったメカは今もしっかり残っていて、そして永遠に語り継がれることになる。作品を手がける人はこれがあるから羨ましい。最後くらいの仕事になるのは「ブレードランナー2049」かな。それがテレビ放送されていた12月30日に死去というのも、運命のようなものを感じる。黙祷。

 保釈中で日本からの出国を禁じられている元日産自動車のカルロス・ゴーン会長がこっそりと出国をしてレバノンに到着していたことが明らかに。旅客機で移動してたらその顔立ちから分かりそうなものだけれど、プライベートジェットを利用したようでそこは大丈夫。あとはどうやって出国ゲートを抜けたかだけど、いろいろ噂があってコントラバスだかウッドベースのケースに潜んで外に出た上で、向こうでも別の名義で入国をしたらしい。お金があるから出来ることでもあるけれど、お金があるなら日本にいたって優雅な暮らしはおくれたはず。それでも出たがったところに何か理由もあるんだろう。

 声明も出ていて不公正な状況に置かれていることを訴えていて、これからメディアに対していろいろと話していくとのこと。海外のメディアとかがこぞって話を聞きに行って人質司法めいた日本の状況を聞いて暴いていった先、日本への入国なり日本での事業展開をひとつのリスクと踏まえて投資を抑制なんてしたら、さらに日本の経済は停滞していくんだろう。伊藤詩織さんの件でも日本の司法への不信感がが海外メディアで指摘されていたりする。それを改める国かというとそうでもない状況に、募る不安を誰がどうやって解消してくれるんだろう。オリンピックまでは続く喧噪の先、来る混乱の中で生きていく術を頑張って得よう。

 レコード大賞を獲得したFoorinがトップバッターをしっかり務めて紅白歌合戦が開幕した大晦日。昨日も今日もまるで実家から出られず、寝室と食堂と居間を行き来しながら寝転んでゲームをしたり本を読んだり微睡んだりする引きこもり生活を送ってしまった。これでアパートなら家から出なければ食べ物もないし、ちょっと歩けばこもれる店もあるから出歩けるけど、そうした必要がない実家だと出る必要がないと本当に出なくなってしまう。

 まだ勤め人だった去年だったらミリオン座に『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を見に行って、矢場とんにPRアニメを見に行っていたかもしれないけれど、そういう気力が戻って来るには、まだもうちょっとかかりそう。それでも、4月からの9カ月間をどうにか生き抜き、年明けからの3カ月を生き抜けば退職してからの1年をどうにかやりくりできたことになる。今の流れを続けられる保証はないけれど、どうにかなったという結果を糧に、1年1年を生き抜いていきたいので皆様にはよろしくお願いしますと年の瀬に。良いお年を。


【12月30日】 「蒼き鋼のアルペジオ −アルス・ノヴァ− Re:Birth」ってアプリゲームがあってNetflixでテレビアニメや劇場版を見返したついでにダウンロードして始めてみたけれど、どうやら来月で終了らしく始まってから1年経たずの撤退に、この界隈の難しさって奴を感じるかというとやっぱりゲームがゲームなだけに仕方のないところか。

 プレイヤーが集めるメンタルモデルがイオナとタカオとハルナとキリシマとヨタロウとコンゴウだけ。それらが服装の違いで何パターンかあるだけだからすぐに集めきってしまいそう。プレイの方は育てつつ海戦を進んでいくといったもので、時間はかかるけれど育てて突破していく楽しさはまああった。ただだんだんと1回の戦いが長くなるため繰り返し遊ぼうという気が起きず、途中で先に進まなくなってしまう。

 ガチャに相当する建造も資材が勝手には集まらないから、毎日1回試してみるといったことができないし、それをやりすぎると続きがなくなる。通信によって誰かと対戦するといった楽しみもなさそう。かろうじて3DCGのメンタルモデルの造形が楽しく、動かしたりして遊んだり、アニメーションでコンゴウの胸が揺れたりタカオのスカートの下が見えたりするのを楽しんでいたけれど、それも限界があった。ここでの撤退はだから正解。でもそうした楽しみが味わえなくなるのは寂しいかなあ。終わっても動くようにはいてくれないかなあ。

 かつてその会社名で発表した歴史がある以上、ガイナックスが「新世紀エヴァンゲリオン」を作った会社と言われること事態が否定され歴史から消されてしまうことはないだろうけれど、目下「エヴァンゲリオン」のシリーズを手がけている会社、すなわちカラーと混同される恐れがある状況を鑑みて、そうした言い方を公然とはしないで欲しいと望むことは問題ないし当然かもしれないと、カラーを率いる庵野秀明さんがダイヤモンドオンラインに寄稿した文章を読んで思った。

 「エヴァンゲリオン」に関するいくつかの企画がこれで止まってしまったという話は、事情を確かめようともせず悪印象を勝手に抱いた側にちょっと否定的な視線を向けたくなるけれど、そこが事情を斟酌してもそこからさらに続く取引先が問題視しているかもしれず難しい。結果としてそうした事態が起こったのなら、やっぱり混同するような報道を裂けてもらうしかないってことになるんだろう。そこは了解。しかしダイヤモンドではもっと赤裸々に、ガイナックスとカラーに関する話がぶちまけられていて、そこまでこじれていたのかと読んで結構驚いた。

 もちろんカラー側の言葉ではあって、元を含めたガイナックス側の見解は出ていないからはっきりしたことは分からないけれど、厳密さを尊ぶ雰囲気を持ったカラー側の言い分を信じるのなら「フリクリ」だとか「トップをねらえ」なんかに関する権利をカラーが引き取ろうとして、交渉まで行っていたにも関わらず知らないうちに別の所に売られてしまったというのがちょっと寂しい話。その時の相手は事件を起こした経営者ではなく庵野さんの古い知り合い。それでそうなってしまったのはなぜなのか。厳しかったんだろうなあ経営が。

 「フリクリ」については権利がプロダクション・アイジーに移ったことで「オルタナ」「プログレ」といった2作品が新しく作られて公開もされて、その資料が今の働いている場所に届いたりして整理を手がけもしたから親しみはあるんだけれど、鶴巻和哉さんが所属するカラーが権利を引き取って、そこがハンドリングした上で何か新しい作品が作られた場合にいったいどんなものが出て来たかは気になってしまう。僕は「オルタナ」も「プログレ」も嫌いじゃないけど人によってはいろいろ言っているからね。「トップをねらえ」についてはどこが権利を持っているのやら。そしてどうなっていくのやら。とても気になる。

 「ナディア」だとかDAICON FILMに関する権利なんかも行き先が気になるところ。庵野さんの投稿には「そんな中で、自分たちが深く関わっていた複数の過去作品の重要な資料が大量に、福島ガイナックス(現株式会社ガイナ)に売却されていたことが判明します」とあってその辺りなのか別のいろいろな作品なのか、気になったけれど「それらの資料は、人と手間と時間とお金をかけてカラーが入手し、作品関係各社の了承を得て、今は『ATAC』(特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構)の管理下で保管しています」とあるから、ウルトラマン関係みたくいずれどこかのタイミングで世に出てくるだろうと期待したい。

 アニメーションの制作会社が栄枯盛衰の中で雲散霧消して、手がけていた作品の権利が散逸してしまってその中で制作資料が廃棄されてしまうような事態は過去にもあったし今も起こっているしこれからも発生しそう。実際に「機動戦艦ナデシコ」を手がけていたジーベックの解散によって「ナデシコ」なんかが利活用されづらくなっていたりする。そこはプロダクション・アイジーが引き取ったらしいから、整理の上で世に出て来てくれると願いたいけれど、それには利活用してくれる人たちがいてマーケットがあることが大事。見たい行きたいという声が高まることが必要だけれど、そんな動きは起こるかなあ。20周年で何もなかったしなあ。ともあれ庵野さんのこの叫びが、今のタイミングで出たことで何が起こるか。京都や福島や米子や新潟がワルモノとも限らないしそれぞれに動いている企画もあるし、みんなが丸く収まり素晴らしい作品がまた世に出ることを願いたい。

 日本レコード大賞が発表になってNHKとかにずっと出演していた「Foorin」が「パプリカ」でもって受賞したとのこと。歌は2018年からあったような記憶だけれど、本格的に流行り始めたのは2019年だからそうしたヒットが受賞するのもひとつの今の傾向として面白いかも。何よりセンターのちせこと新津ちせさんが受賞したというのが嬉しいとうか、見知った人が凄い賞を取っているのに励まされる。ご両親がどうとか言われているけれど、映画に出ては素晴らしい演技で大人達を感動させているちせさんは、単独でも素晴らしい役者でシンガー。だから受賞は自分と仲間の力だと胸を張って大丈夫。紅白歌合戦はトップバッターとのこと。見よう。


【12月29日】 12月28日にお台場のユナイテッドシネマお台場で開かれた「機動警察パトレイバー the Movie」の上映とトークイベントでは、押井守監督と脚本の伊藤和典さんとの実写版をめぐる“対立”だけが語られた訳ではもちろんなく、どのような経緯で映画が作られ、その後のパトレイバーシリーズの押井監督がどのように関わったり関わらなかったりしたかが、出席した当時バンダイでプロデューサーを務めた鵜之澤伸さん、東北新社いにたGENCOの真木太郎さんからそれぞれの記憶を元に語られた。

 最初はテレビシリーズとして動かしたかった鵜之澤さんだったけれど、バンダイが乗らずOVAとして動いて押井守監督で全6話が作られた。もっとも、押井監督は「6本が終わって、これで終わったと思った。僕としては不本意だった。現場に立っちゃいけない、演出しちゃならんと言われていた」。それは「天使のたまご」みたいなことになりかねなかったから、というのが理由らしい。「あんたは現場に立ったらダメだといわれた。それをかなり恨んでいた」と押井監督。「現場を見れない監督ってやる意味ない。終わりだ。パトレイバーと縁を切ると決めていたら映画の話が来た」。

 そこは確からしいけれど、その後に続々と出てくるテレビシリーズであり、アーリーデイズと呼ばれるOVAシリーズの第7話といった作品について、押井監督が知っていて断ったか知らずにいて話が来て断ったかはあまり定かではなかった。ただ、映画を作っている最中にテレビシリーズの話が来て、「今じゃないだろう」と思ったと伊藤和典さんは振り返っていた。いつかのゴールデンウィーク、仕事でハワイにいた鵜之澤さんのところに電話があって枠がとれた、10月からだという話になった。「できるわけないだろう」というのが現場の一致した意見。とはいえやらなきゃということで、最初はスタジオディーに行き、そしてサンライズに行ってどうにかこうにか始まったという。伊藤和典さんが頑張ったんだろうなあ。

 一方、劇場版の方も佳境で大変なことに。決して枚数が多い方ではないのになかなか終わらない。見ると細かい作画をしているらしい。「アバンタイトル、無人で暴走している軍用レイバーの絵を村田(峻治さん?)が全然上げられない。怒りまくって、シートを見たら1コマで打っている。あいつの家にいって首を絞めた」。そんなこともしていた押井守監督に答えたか「作画監督をやった黄瀬(和哉さん)が英断を下した。みな映画が初めてで、IGも初めての映画だったから、1コマ2コマだらけだったのを、黄瀬が来て全部3コマに打ちかえたいと言ったので、良いよと」。

 それでリミテッドになってカクカクになったかというと違うらしい。「嵐の波のシーンも3コマだからね。あれがあって初めて成功した。結果として良かった。3コマの方が絵に力が出る。2コマだとなめらかに動くけど力が抜ける。やたらと枚数を使うとブヨブヨになるだけ。それは黄瀬といアニメーターの大英断だった。僕も勉強した」と押井守監督。その後の作品でそうしたメリハリが出ているか。気になるところだ。

 メリハリといえば、松井刑事が東京の街、それも開発によって取り壊されていく古い街並みを歩くシーンが「機動警察パトレイバー the Movie」ではアクセントになっている。大切な要素だが、あれも最初は苦肉の策。「活劇だと間に合わない。静かなシーンで尺を稼がなきゃ」といった判断から入れたシーンだったが、「やっているうちに、自分もその気になっちゃった」と押井監督。「こっちの方が面白い」。果ては「帆場はほぼいなかったことにして良い? と言われた」と伊藤和典さん。「ダメ、絶対にダメ」と答えた。「その方が映画の次元としてはひとつ上がるけど、混乱する人が出てくる。気持ちよく、ラストの音楽を聴いて映画館を出て欲しいから、帆場がいなかったということいんしてはダメだと言った」。

 何しろ当初は、ラストの零式との一騎打ちもなく、方舟をひっくり返して終わりだったらしい。枚数の割り当てもなかったところを頑張ったアニメーターたちがいた。そのあたりは、有楽町マルイで開催中のパトレイバーに関する展覧会に飾られた、クライマクックスシーンの原画類が如実に物語っている。すさまじいアクションと、そこに関わる人たちの表情を原画と、被せられた黄瀬和哉さんの修正原画によって目の当たりにできる。見て確かめよう、そのすごさを。そんな再確認が可能な状況を見るに付け、なるほどアーカイブという仕事にも意味があるし価値もあるしやりがいもあるのだと思う年の瀬。いつまで関われるかなあ。

 「映像研には手を出すな!」のアニメーションが放送されるNHKで湯浅政明監督の過去作品が続々と放送とか。「夜明け告げるルーのうた」と「夜は短し歩けよ乙女」でどちらもフジテレビが出資もしているアニメーション映画なんだけれど、何度か深夜で放送はされたもののNHKのように夜もそれほど深くない10時台とか11時台からの放送となるとやっぱりそっちの方が多くに見てもらえそう。なにより全国放送だし。フジテレビの深夜帯での放送は果たして全国向けだったのか。そこが分からないけれど、自社の「ノイタミナ」で「四畳半神話体系」を作ってもらって世に送り出したフジテレビが、こうして世界が注目するアニメーション監督になった湯浅監督を守り立て日本テレビのジブリくらいの看板にしないのが分からない。

 かつての「南極物語」とか「子猫物語」くらいに大々的に守り立てれば、10億円のアベレージでヒットさせられる監督になったかもしれないのに。「PSYCHO−PASS サイコパス」のシリーズだってずっとフジテレビでの放送が続いているんだけれど、その割にフジテレビが局を挙げて盛り上げているって感じはあまりない。むしろ東宝の方がのっている? 世界的にも認知度があるし女子の人気も高い作品はフジテレビにとってこれからの大きな商材になる。お笑いだとかアイドルだとかドラマに負けない看板になり得るのに、あまり乗り気じゃないのは感覚の問題なのかなあ。名作アニメもマジンガーもドラゴンボールもうる星も、フジテレビだった過去はいま何処。遅くないから回帰しないかなあ。


【12月28日】 声優さんをめぐる2つの話題。ひとつは目出度い結婚話で、アイマスとかに出ている声優の立花理香さんが、プロ野球のオリックス・バファローズに所属する若月健矢選手と入籍したとのこと。野球選手との結婚といえばアナウンサーなりリポーターなり女優さんといったあたりが“定番”だったけれど、そこに声優というお仕事が加わったのが、世間におけるアニメーションとかゲームとかいったポップカルチャー分野の浸透具合を示しているような感じ。あるいはテレビという媒体自体が届く範囲を狭め薄める中、相対的に他のメディアの濃度が高まっている表れなのかもしれない。

 一方で、声優で「機動戦士ガンダム Gのレコンギスタ」で主演を務めている石井マークさんが活動休止を報告。適応障害とのことで仕事に対する不安があったのかと休業報告を読んだら、事務所関係からつながるある意味で“身内”からの言葉によって不信感が募り、心が痛み自信を失い仕事に行いってもうまく喋れない状態が続いていたらしい。声がお仕事の声優さんにとってこれは一大事。舞台にも立っているけど同様の理由で演技ができなければ休養するしかない。

 自信を深く傷つけられる言葉が持つ破壊力は、身をもって感じているだけに今、石井マークさんが陥っている何をしたくてもうまくできない不安感というのも認識できる。元より自信のない、何も成し遂げたことがない人間なだけに、そうした不安に苛まれて身動きがとれなくなっているんだけれど、テレビアニメの主役という大きな仕事を成し遂げ、今また劇場版として動き始めた作品で主役を演じている石井マークさんですら、自信を奪われ仕事を休まざるを得なくなるのはなかなかに辛い報。いったいどれだけの抑圧がかけられたのか。そこが気になるけれどそれより先に自分の不安をどうにかするのが先でもあるので、今はできることから頑張りそして石井さんの復活も信じて様子を見ていこう。「Gレコ」劇場版のこの先、どうするかも気になるし。

 「ひとつだけ気になっていて、前にも言ったけど、なんでみんなパチモノみたいな名前なの?いずみの・あきらとか」。押井守監督と脚本家の伊藤和典さんといえば、幾つもの作品でタッグを組んだ間柄ではありながら、「機動警察パトレイバー」という作品をめぐって、どういう関係になっているのか外から眺めていて気になるところがあった。実写版パトレイバーと呼ばれる「THE NEXT GENERATION パトレイバー」を押井守監督がヘッドギアという、パトレイバーを送り出したクリエイター集団からひとりだけ抜け、手がけたことに他のメンバーがどういう感情を抱いたか、という部分だ。

 もしかしたら抜け駆けを嫌って関係も疎遠になり、対立すらあるのではなどといった憶測も浮かんでいた。それだけに押井守監督と、ヘッドギアのメンバーのひとりとなる伊藤和典さんが並んで登壇した、28日開催の「機動警察パトレイバー the Movie」の上映イベントで、どんな話が出るかに世間の関心も集まっていた。そうした中、上映後のトークイベントも終盤にさしかかったところで、伊藤和典さんから押井守監督に向けて行われたこの問いかけに、見ている観客側にピッとした雰囲気が走ったような気がした。

 もっとも、そうした問いかけは、押井守監督もすでにあちらこちらで受けていた様子で、聞かれても動じず「あちらこちらで言ったけど、アニメと同じキャラクターではやる気なかった。伊藤でも鵜ノ澤でも良かったんだけれど、名前って根拠を表すから。一字違いとか微妙に違う名前にして中身を別物にしていったおかげで、キャラクターを自分でイメージできた」とすぐさま理由を話し始めた。「演出的な根拠になる。今更田辺とか田中といか言っても締まらないし」。そして続けて「伊藤君はネーミングの才能がある」。受けて伊藤さんが「最近はそうでもない」と言い、押井監督が「ネーミングとはセリフは抜群に巧い」とたたみかけると「最近はそうでもない」と伊藤さん。

 そんな会話のキャッチボールに、実写版パトレイバーをめぐるわだかまりのようなものは、もうないのかといった印象が漂った。とはいえ内心はよく分からない。というのも伊藤和典さん、最後の挨拶でこんな言葉を発して押井守る監督への“挑戦心”をのぞかせた。「実写があったおかげで、それまで疎遠になっていたヘッドギアの押井さん以外のメンバーが再結集することになりまして、パトレイバーはそうじゃんくこうじゃないかとうアンサーになる物を作ってます」。答えて押井監督。「自分勝手に作った実写パトがあって、気に入らないぞとなった。今進行中のパトレイバーはストレートバックになる。関知してないけどお手並み拝見。凄いことやってくれれば逆に嬉しい」。自分で抜け駆けをしておいて、この言葉もまた挑発的に聞こえるが、何十年にも及ぶ関係、同じ熱海に暮らして時々見かけたりもする間柄だからこそ、漂う親愛めいたものも感じられる。同時にそれぞれのプロ意識も。

 上映された「機動警察パトレイバーthe Movie」について押井監督は「苦しい中でヘッドギア頑張った」と振り返った。「いろいろあった。今、パトレイバーが見たいんだという人間がかることに対して、事を始めた人間はどこかで答えるべきだと私は思っている。私は私の答えを出した。後は他の4人がどのような答えを出すか。お手並み拝見」。どんな答えが出てくるか。それはどこから、どのような形で出てくるか。トークイベントに居合わせたGENCOの真木太郎さんにこそ話して欲しかったが、それは時間的にかなわなかった。願うなら今一度、押井守監督、伊藤和典さん、バンダイでプロデューサーだった鵜之澤伸さん、真木太郎さんというメンバーに、ヘッドギアの出渕裕さん、ゆうきまさみさん、高田明美さんも並んだトークイベントで、お互いにそれぞれのイメージする”答え”を話してもらいたい。かなわぬ夢か。時間が解きほぐして叶う現実か。待ちたい。


【12月27日】 ダンスのエンディングでいろいろと物議を醸したけれども作品としては高い評価を受けていたはずの「星合の空」が12話で終了、というかお話しの途中も途中で終わっていたそうで、続きは次のクールでとなったかとうとどうもそうはなっていないらしい。赤根和樹監督によれば当初は分割2クールの予定だったのが、途中で1クールになったので脚本構成を練り直すかどうか考えたものの、すでに作画作業にも入っていたし構成も練りに錬ったものだったから、ここで縮めることはできないと途中で終わる1クールでとりあえず幕を下ろすことにしたという。

 「この作品は通常のアニメとは違う物にしたいとの思いもありましたので、これもまた『星合の空』らしい放送の終わり方かも知れません。自分としては後12話分のお話を作り、眞己や柊真達の未来を皆さんにお見せする機会を与えて欲しいと思っています」と赤根監督。「今はメディア自体も変化の真っ只中にあると思うので、『星合の空』がどのようになるかを見ていただければ面白いかとも思います」。ネットメディアが前半を評価し後半のお金も出して作らせる、ってなれば美しいけどそういう可能性があるとしたら、必要なのは作品への支持。それを表明するために何か動きがあるのか。あれば乗りたいなあ。様子を見守ろう。

 11月から12月にかけて続けていた、「YOU GET TO BURNING」というよりは「DEAREST」の方のカット袋を取り寄せ開いて原画をカットごとに並べセル画をカットごとに並べ背景を取り出して順番に並べセル画についていたレイアウトとかタイムシートとかもカット番号順に並べエンドロールも確認をしてだいたいの整理を終える。2000年に買ったストーリーが録音されたCDについていた絵コンテを開きつつカットを確認しつつ1ヶ月くらい眺めていたのでストーリーとかシーンとかだいたい頭に入ったので1月18日の秋葉原UDXシアターでの上映は作業を振り返りながら見ていこう。「YOU GET TO BURNING」の方は今後の課題か。

 作業の前半では、生原画だけを整理して袋に詰めてカット番号順に並べて箱に入れ、後半では原画は既に抜かれていて、背景とセル画が入ったカット袋を2週間くらいかけて整理していたけれども、劇場版1作分の長期保管が目的だったから、背景を抜いてレイアウトとか紙類を抜いた後、セル画は動画に圧着していたりするので無理に剥がさずカット袋に戻したものを、薄い箱に入れてあまり圧力がかからなようにして重ね、それを何箱も作って1作分の山を作った。

 背景もトレッシングペーパーをかけてOPPの袋に入れ、薄い箱に重ねて入れて4箱とかそんな感じ。レイアウト類は4箱分くらいになったかな。そうやって分けつつカット番号を記録しどの箱に入っているかを記録しておくことで、カットごとに背景が欲しいレイアウトがあれば欲しいセル画が欲しいといった要望にそれならこの箱を開ければそこにあるって分かるようになっている。ただ、これは大量のカット袋に入った大量のセル画を整理して分類して記録して保管するやりかたで、例えば家にあるセル画だとかカット袋をどうやって保存する場合に適用できる話ではない。

 いろいろなところで買ったセル画をどう保存するかとなると、クリアファイルに入れてそれを本棚とかに立てておくとか、紙の袋とかに入れて机の引き出しに重ねて入れておくとか、段ボール箱に積み重ねて棚の上に置いておくとかそんな感じになりそう。それで傷とかつかないかとか熱で痛まないかとかあまり考えてない。何かの付録でもらったlainのセル画が部屋のどこかにあるはずなんだけれど、もしかしたら筒状にしてどこかに積んであるかもしれない。本の下敷きになっているかもしれない。

 こういうのをどうしたらいいか、考えるのが今は仕事だとするなら袋に入れてトレッシングペーパーを上に重ねて傷が付かないようにした上で、あまり重ねないで薄い引き出しとか箱に積み上げておくとか、その場合も空気に触れないようにするとか熱が籠もらないようにするとか、そんな情報があればありがたいかもしれない。何センチまでなら大丈夫ですよとか。あとは真夏に室温が30度を超える部屋でも大丈夫なのかとか。実はあまり考えたことがないのだった。

 昔もらった今敏監督の「PERFECT BLUE」の場合だと、動画がついたセル画がカット単位で4袋くらいあって背景とかレイアウトなんかも入っていたりして、これを適当に積み重ねていたりする。これを仕事場での作業のように分類してセル画と動画はカット袋、背景や紙類は別の袋と分けるのが良いのかもしれないけれど、そのカット袋が1つの単位として制作の工程で使われたというなら、その状態を保って保管しておくのが博物的標本的に意味があるような気もしないでもない。ありのままで、っていうか。

 でもそれは間違いで、カット袋の中でいっしょにしておくと動画とセル画の圧着が進み劣化も進んで全体に影響がでるかもしれないと言うのだったら、やはりセル画はセル画にして動画も綺麗に剥がして背景も紙類も分類して小分けするのが正しいのかもしれない。そういう情報って実はあまり出回ってない。そうした分類からの保管が手間なら、せめてその状態で重ねず涼しい場所におきっぱにしておくべきとか、そんな情報が広く出回るようになれば、個々の家にあるカット袋は保護されいつか人類の財産になるかもしれない。「PERFECT BLUE」のカット袋とか、いい加減整理しないと劣化が進むだけだものなあ。

 インタビュー仕事で海外の今敏監督大好きクリエイターに会うことでもあったらお土産にするかとか思った時期もあったけど、そういう機会はなさそうだし。寄贈したところで有名クリエイターが手がけた有名シーンでもないとオークション的なバリューとして無価値と思われるだけ。鑑定団的な値付けだとそうなってしまう。でもアニメ資料としての普遍性な意義はそうした値付けとは違うところにある訳で、そのギャップをどう埋めていくかが、今後出てくるポップカルチャー的資料の保存に必要なことなのかもしれないい。


【12月26日】 テレビが見られない環境がかれこれ4カ月ほど続いていて、ワイドショーとかまるで見ていないので日本科学未来館の毛利衛館長によるマンモスの毛を文字通りに拝借した問題がどうなっているのかまるで分からない。ネットとかでも騒がれてないからきっと沈静化したんだろうと思いたいけど、SNSとかでフォローしているのが割と真っ当な思考の持ち主ばかりだから、枝葉末節な話はもとからあまり流れて来ないので気付いていないだけで大騒ぎになっているのかもしれない。

 SNSのフォロワーだと安倍総理に対して批判的な声が多くって今にも辞職してしまいそうな感じなのに、世間的にはむしろ支持率を高いままで保っていたりするからやっぱり感覚が違うのかもしれない。だったら世間に馴染みたいかというとその逆だからこれで良いのかもしれない。とはいえそうしてズレたままでいるのは嫌韓反中の言説の中にだけ浸っている人たちと立場が違うだけで変わらないからなあ。遍く意見を見た上で自分なりの見解を持ちたいけれど、枝葉末節を夜郎自大に大言壮語するテレビを見始めるのも億劫だし。視野を広く持つ努力だけはしていこう。

 週末に上映会があるんでその前に行っておきたいと、有楽町丸井で開催中の「機動警察パトレイバー30周年突破記念展〜30th HEADGEAR EXHIBITION featuring EARLY DAYS─PATLABOR THE MOVIE〜in 東京」を見物に行く。OVA版のキャラクター設定から始まって「機動警察パトレイバー The Movie」の展示へと流れて三鷹あたりで眺めていた原画とそして黄瀬和哉さんによる修正原画が展示されていて、改めて見て往時のアニメーターはちゃんと原画を描きそれに的確な修正を載せた上で動画に回り映像となっていったんだなあってことが伺えた。

 どんな原画を展示するかはおおよそ聞いてはいたものの、カットをまるごと抜きつつそこからどの絵を選ぶかってところでキュレーターの内藤さんによる目利きぶりも感じられた。アニメーションなんだから何枚かの原画を並べて動きを見てもらいたいっていう欲望はあっても、展示スペースがそうは広くないなら動きの瞬間を感じられる1枚を抜くしかない、ってところでその瞬間、動きが前後に感じられる原画が選ばれているなあという印象。2枚並べられる場面なら動き始めとか、それが大きく変わるところとかを抜いて並べてその間を想像させる。そうすることで絵が頭の中で動き出すって寸法か。

 原画と修正原画を重ねて展示することで、裏の原画もうっすらと透けて見えてどういう状況なのかも分かるのが面白い。レイアウトめいた別セルの上にキャラセルの原画を重ねて場面を想像させるとか、どういう風に手直しがされて映像に近い感じになっているかを感じさせるとか、そんな展示をすることでアニメーションがブラッシュアップされていく流れを掴める。これは原画ではなく複製を重ねつつ後からバックライトを照らして空かしをよりはっきり見せる展示も。ぶらさげて手でめくれるようにする展示もないでもないけれど、それが無理ならこういう風にくっきりと見せる工夫があっても面白いかもしれない。アニメーターを志す人たちへの教育という観点でも。

 数日前から作画監督とかされている人のツイートが話題になっていて、昔みたいにしっかりしたレイアウトを描き原画を描いたのを動画が割って収めてって流れが変わり、レイアウトが描けず原画にならず修正も覚束ない状態でどんどんと下手になっていくアニメーター界の状況がそこには綴られていて、何とかしなくちゃいけないはずなんだけれど現場の忙しさもあってかどうにもならないまま、首だけが絞まっていく状況にあるらしい。ここで踏みとどまるためにも上手い原画に上手い修正、上手いレイアウトはどんなものかを分かってもらい、それを作るには何が必要かを考えてもらう機会が必要。それを可能な余裕と経済が訪れてこそ、アニメ大国としての日本も復活できるんだけれど……。道は遠いなあ。

 この年の瀬に年間ベスト級のライトノベルを出されてもと思ったけれど、年間ベストが出終わった後だから次年度のベストにすれば良いのだ。木質さんの「サイコパスガール イン ヤクザランド1」(オーバーラップ文庫)。まず言えることは今すぐ読めってこと。遅くても明日には手に入れて読めってこと。ヤクザというか暴力団が蔓延り市民を恐怖させている関係で、都市伝説を怖がる人が減ってエネルギー不足に陥った都市伝説たちが次々に街を出ていく中、口裂け女三姉妹の末っ子らしい徒花は残りヤクザをぶっ殺して最恐の座に返り咲こうと目論む。

 そのパートナーにはヤクザに陥れられ冤罪を掛けられ心中に見せかけられて殺害された刑事の息子・瑞穂がいて、ヤクザ事務所の調査を請け負い徒花に教え、聞いた徒花はベレッタに鉈にハサミを持ってヤクザの事務所に乗り込み撃ち殺し刺し殺し殴り殺す。拷問するし機械ですりつぶすしと、血みどろなバイオレンス展開もあるけど、印象は残虐な活劇といった感じで殺されていくから読んで妙にスッキリというか。刑事の息子には復讐でも徒花には恐怖が栄養だからほとんどゲーム感覚。だから実に痛快無比に描かれる。

 もちろん相手もプロのヤクザで、そのトップも残酷さでは負けておらずミスした傘下のの組長を脅し冗談と収めつつ続いて貶める連続で恐怖させるなかなかの人物。そんな組長と徒花がそれと知らず出会い繰り広げる交流も見物。対立関係じゃなければ良い友だちになれた? そうも思ったりする。ツチノコやメリーさんといった都市伝説も巻き込み対立からヤクザ相手への殲滅戦へと向かっていく。これでもかといった虐殺があり蹂躙があってやがてたどるいた頂上戦、その展開を読めば誰もがシビれてサイコーと叫びたくなるだろう。映像化希望。


【12月25日】 日本科学未来館の毛利衛館長が、ブラッド・ピットにマンモス展を見てもらいたくってマンモスの毛を抜いて見せて誘ったというニュースが流れてきて、これは大変なことをしでかしたって憤り、記事をよく読んだらどうもニュアンスが違ってる。抜いたのは抜いたんだけれどそれは箱にいっぱい入っているマンモスの毛の束というか固まりから1本だけ抜き取ったってことで、決して剥製のようになったマンモスからプチンと毛を抜き取ったってことじゃない。つまりは展示物を破損も棄損もしていないにも関わらず、世間にはいかにもプチンと毛を抜いた酷い所業だってニュアンスが広がっている。

 「マンモスの毛を抜く」って伝えられれば浮かぶのは、屹立する剥製から抜く行為であってそうじゃないならそうじゃないことを、しっかりと伝えないと意味がまるで違ってしまう。もちろん固まりになっている毛からでも抜いて外に持ち出すんだったら余程の注意が必要で、袋に入れて見せたというからそこはちゃんと分かっていたけど返す段取りをちょっと間違えた、っていうのが毛利館長側の説明。それが本当か後付けの言い訳で部下に責任を転嫁しているか分からないけれど、少なくとも剥製から抜いたものではないという意識から「抜いてない、借用しただけ」といった説明をしたんだろう。

 だったらそれをちゃんと新聞も受ければいいんだけれど、言葉では説明しながらも「マンモスから毛を抜いた」といったニュアンスだけが伝わるような方向付けをしている感じ。確かに博物館を運営している責任者として、例えば展示してある刀剣類から鍔だけ外して持ち歩いて見せるとかしちゃあ拙いだろうけれど、金箔を剥がして持っていった訳ではないから罪といってもどれほどのものはかは考える必要がある。そこを吟味しないで騒ぐ世間もメディアも何か、引っかけようとでもしているんだろうか。誰かを糾弾してそれに乗っかって騒げば溜飲が下がるんだろうか。面倒な世界。まあでもやっぱり博物館の館長としては不用意だったかなあ。どうなるんだろうこの先。

 IRといっても投資家向け広報ではないカジノリゾートに関連した贈収賄で自民党の衆議院議員が東京地検特捜部にあげられたという報。北海道方面への誘致をめぐって中国系の企業からお金をもらったらしいけど、ほかにもいろいろな疑獄に関わっているという話もあってなかなかに活発なお人柄だってことも伺える。あるいは親の看板も元からも地盤もなくカバン持ちから始めた人だけにお金がいっぱい必要だったのかも。それでもIRは安倍政権にとっての必須項目だからこれで事件が起こって潰れたら拙いと止めるだろうところを、止めなかったのは安倍ちゃん菅ちゃん系とは違う流れに乗っていたからなのもと妄想してしまう。そっちを潰して自分たちの方面へ。同じ党内でもそんな内ゲバめいたことが起こるほど、強い力を持っているってことなのかもしれない。なんだかなあ。

 出生者数が90万人を切ってそして年間の人口の減少が50万人になったという話にいよいよこの国もヤバい状況がくっきりと見えてきたって言えるのかも。人口なんてまだまだ増えると思っていたし国土だって狭いとはいえまだまだ地方とか郊外とかには余っている。働く場所さえ分散できれば十分に暮らしているだろうし人が増えれば消費も増えて地方でも産業が成り立つようになるはずなんだけれど、こうまで減少してしまうとただでさえ一極集中も進む中、地方が壊滅してやがて大都市圏へと集約していくような状況になっていきそう。東京とか大阪とか名古屋とか。

 とはいえ人口も減少していく中で消費は減って産業も立ちゆかなくなるから、いずれそうした大都市圏ですら数を減らしていくことになる。それこそ鳥取県島根県あたりの人口が毎年消えていくって例えられるけれど、言葉どおりに鳥取県島根県が消滅してしまったりするかもしれない。いや島根は出雲と玉造温泉は残るかな。対応はだから少子化をとめることなんだけれど今の財政で子供1人につき何十万円も払うといって守り立てたところで、それで暮らしてはいけない状況が一方にあるから動かない。だとすれば少ない人口でなおかつ地方でもなりたつ産業を育成するとか。ITによるリモートなお仕事が増えるとか。書評だったら田舎にいたって出来るから、それで食えるなら実家に引っ込みたいんだけれど、そうは行かないものなあ。どうなっちゃうんだろう、20年後の日本。

 多岐川恭さんではなく多岐川暁さんという人による「うさぎが逃げる 無限遊戯セットアップ」(富士見L文庫)はハッカーたちの興亡記。うさぎという女子高生の趣味はハッキングで、「グレー」という名でとある企業にハッキングをしかけて情報を持ち帰る。元よりハッキングできるかどうかが興味の的だから持ち帰った情報が何かは見てなかったんだけれど、新たに挑んだハッキングの最中に追跡され、そして家に誰かが侵入してうさぎの作ったハッキング関連ツールを持って行かれる。ただし持ち帰った情報は無事。どうもそれを狙われているらしい。慌て逃げようとしたうさぎに2人の男が接触した。彼らは敵か味方か。スリリングなハッキングサスペンス。


【12月24日】 日曜日に船橋中央図書館にこもって朝の9時半から4時間くらいかけて書いた原稿がどうにかこうにか「リアルサウンドブック」に掲載。ゆずはらとしゆきさんの「空想東京百景」シリーズの最新刊となる「メトロポリス探偵社 空想東京百景<令>」(LINE文庫)についての書評で、昭和39年の東京オリンピックに向けて復興の勢いを高めつつ古い街並みを変化させていった時代を舞台にした前作から、令和2年の2回目の東京オリンピックに向けて昭和の遺産を根こそぎにしてしまおうとしている時代を舞台に、復活した魔女と探偵たちのと戦いなんかを描いている。

 ラブコメチックでギャグも多くてどこかノスタルジックで退廃的な雰囲気の漂っていた前作からライトノベル度が増している感じ。toi8さんが描く絵物語的なイラストも前作ではもうちょっとファンタスティックな感じがしていたけれど、今回はキャラがメインなためもうちょっと漫画チックになっている、といったところか。何しろ赤いブレザーを着てトレンチコートを羽織った眼鏡っ娘が登場するからそれだけで萌え要素3倍増し。前作だって男装の美少女探偵が主人公で女サイボーグ刑事とかも出ていたけれど、どこか昭和アニメや昭和漫画な雰囲気があったからなあ。ともあれ続いて欲しい作品だけれど、LINEがYahoo!と合併で未来はどうなるか不透明。緑の文庫が赤い文庫になっても出て欲しいけど。果たして。

 リアルサウンドブックでは10月から月1ペースでライトノベルなんかを紹介していて、1回目はアニメ化された「本好きの下克上 司書になるためには手段を選んでいられません」を紹介し、2回目は「十二国記」を端緒にしてライトノベルから文芸へと広がっていった作家なんかを紹介した。ともにフックのあるテーマだっただけにランキングでも2位とか1位とかとったけれど、今回はさすがにライトノベルでも知る人ぞ知る作品であり作家なんで、10位に入れば御の字と思ったらアイドルだとか有名人とか漫画だとかが並ぶランキングで小説の書評なのに5位まで上がって嬉しい限り。それでどれくらいのアクセスがあるのか分からないけれど、責任は果たしたって言えるかな。次はどんなお題になるか。数少ない仕事だからしがみついてでも書いていこう。その前にライトノベルの総括やらなきゃ。

 劇団四季のミュージカルすら観たことがないんだけれどもブロードウェイだかでロングランされ日本でもロングランされているミュージカルの「CATS」を実写映画にした「CATS」がアメリカで公開されて大惨敗した模様。何しろウイークエンドの3日間で興行収入がアメリカ国内だけで661万ドルしかなく、世界合計でも107万ドルといった具合で今のところ「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」と肩を並べた程度の成績しか上げられていない。もちろん「すみっコぐらし」は何週間もまとめての数字だから今後「CATS」が抜いていくのは間違いないけど、それでも100億円にはとうてい届かなさそうで、50億円ですら果たしてって感じになっている。

 理由はやっぱり見た目の問題というか、舞台だとゴージャスな毛皮だとか服だとかで猫の雰囲気と人間の雰囲気を混ぜ合わせているのに、映画だとCGIの技術を使って人間の上に毛皮を被せて直立歩行の猫たちが猫みあたいな仕草をしつつもダンサーとして抜群の動きを見せる映画になっている。見ればボディラインがくっきりと出て中が女性だとどこかなまめかしく、男性でもやっぱりなまめかしいといった具合にとてもエロティック。股間もつるりとしているから、いろいろと想像できてしまう。その意味で個人的には大好きなビジュアルで、老舎の「猫城記」のサンリオ文庫版に描かれた猫そっくりなところも気に入っているんだけど、世界的にはウケがよろしくなかった様子。このままでは流石に拙いと差し替えもあるかもしれないけれど、それが来る前に日本で最初のバージョンを見てみたいなあ。

 小泉総理時代の桜を見る回の記録が国立公文書館に残されていて、見た人があげた画像によれば「60」という区分けをされた招待者は総理大臣の担当だということになっていた。「60番台」というと61とか62なんかも入って官邸とか自民党とか与党の公明党の招待枠になってしまうけど、「60番」についてならそれは明確に総理の管掌。そう限定して問うても官邸なり内閣府はご飯論法でもって60番台に話を広げて官邸や自民党ですよと答えて逃げようとするだろう。そうはいかないと追い詰めてもそれは小泉総理の話で我々は違うと言い逃れ。だったら紹子をと聞けば捨ててしまったと逃げていく。どうして捨てたん小泉総理は捨ててないぞと言ってもそっちはそっちでこっちはこっちと言うに決まってる。かくして終えず逃げられるという寸法。でもだったら違うかどうかくらい言ってみせりょと言ってもそれは明言しない。後でバレたら困るから。そんな虚構が見えてもどうにもならない虚しさが、この国も国民の心も蝕んでいる。真面目さを奪っている。未来は? やれやれだ。


【12月23日】 キムラケイサクさんが仕事をし過ぎているらしい堺三保監督のショートフィルム「オービタル・クリスマス」。ロフトプラスワンで完成間近のその映画の予告編とかを見せるイベントがあってのぞいたら、現地でのメイキング映像が流れてほとんどがグリーンバックで撮られていたにも関わらず、予告編では宇宙船の中、計器類とかモニター類が並ぶコックピットで男性がいろいろと操作をしていた。それらがすべてCGだというから驚きというか、どれだけの手間をかけているんだというか。

 そのお陰もあって素晴らしい映像となる一方、キムラケイサクさんの本業ともいえる仮面ライダー関係のCG制作スケジュールに押され、完成も遅れ気味になっているとか。本当だったら1番向いていそうなサンダンス国際映画祭に出展できればって話だったけれど間に合わず、今はSXSWとかトロントとかいろいろなところを狙っているらしい。夢はカンヌでそしてアカデミー賞短編映画部門へのノミネートだけれど、そこに至るまでにはどこかの映画祭に入ってそして受賞しないと。

 可能性なら受賞作がアカデミー賞短編部門への道を与えられるショート・ショート・ムービー・フェスティバルなんか良さそうだけれど、開催が日本なので出してピッチで世界の有名プロデューサーに買われて長編化とはなりそうもないから、そっちは後回しにするのかも。果たしてスクリーンで観られるのはいつの日になることやら。日系らしいカオリちゃんって子役も可愛いし、ストーリーも岩浪美和さんらプロフェッショナルのお墨付き。立川シネマシティでだって上映させてやると豪語していたから、そうなる日を夢みて今は完成を待とう。観るだけならクラウドファンディングでDVDが回って来るから良いんだけれど、やっぱりスクリーンで観たいよね。カオリちゃん。

 平成だったら休日だったのが令和となって記念日としては残らず平日に。いつものクリニックに寄って薬を出してもらいそれから三鷹の職場へと向かう途中、駅の上にあるコーヒー屋で締め切りがあるのかないのか分からない原稿の部分を作っていく。テーマに合わせてパートパートを整えていく感じ。適当な長さになったら合わせて1本の原稿にすれば良いんだろうけれど、あれも必要これも大切とやっていったら相当な長さになってしまいそう。それで原稿料が変わらないなら損かというと、そこはやっぱり書きたい気が勝ってしまう。アニメーション会社の質を求めて予算を超える状況、笑ってられないなあ。

 果たしてそこも同類か、それともしっかりと予算は守りつつハイクオリティを維持するのか。興味津々な新しいアニメーション会社が誕生。あの「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の片渕須直監督が、MAPPAからスタジオを分社化するような形で「コントローレ」という会社を設立。社長はMAPPAと同じだから系列ではあるんだろうけれど、MAPPAがラインの中でテレビシリーズなんかを作っているスタジオのかたわらで、何年もかけて1本の映画作品を練り上げ作り上げるスタジオがあるというのも管理としては大変なのかもしれない。

 だったら独立させて必要な人材もそこで調達しつつ、じっくりと作品に取り組める環境を、ってなったのかな。もちろん主力はきっと「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」から移るんだろうけれど、それ以外も広く募集するみたいなんで腕に力のある人は行くといろいろと勉強になるかもしれない。何しろ今度は十二単が動き回るような平安時代が舞台。20世紀の着物ですでに「写経」の域に入っていたという作画が果たしてどれくらいの大変さになるのか。それを通過することできっと将来に大きな財産となるだろう。耐えられればだけど。カラーが本拠の松原秀典さんも参加するのかなあ。エヴァに戻って追い込みにかかるのかなあ。

 そんな「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は興行通信社の週末興行ランキングで10位には入らず。ただ出足は前作よりも良い様で上映ごとの入場者数は若干上回っているらしい。ただスクリーン数が100を切ってる状況ではどれも満席で立ち見が出ても10位に入るのは厳しかった。2週目からグッと館数も増えるみたいなんでそれで観客も入ってロングランとなって10位あたりをしばらく続ければ、10億円の大台を超えていってくれるんじゃなかろーか。毎日映画コンクールとか、日本アカデミー賞とかでの受賞も上乗せとなればさらに善哉。ポストカードの配布もあるみたいだし、2週目も頑張って行こう。ムビチケもあるしなあ。

 そして片渕須直監督は広島での舞台挨拶を行いつつ、地元の中国新聞のインタビューに答えて、広島市が一部を取り壊そうとしている旧陸軍被服支廠について、どうして取り壊すのか分からないと言い、原爆ドームのような意味がないというけれど、同じだけの意味を持っているしそれでも意味がないというなら、自ら意味を訴えていくべきだと話してた。あれだけの規模で1945年8月日の原爆を浴びた建物が残っているのは他になく、それだけでも貴重だというのに。なるほど映画とかで描けばそこに行ったような気持ちにはなれるけれど、本物がそこにあって目で見られて手で触れられる方が遥かに、というより絶対的に価値がある。改装も利活用も不要で、ただそこにあることだけで世界に何かを訴える建物を、残す意味を改めて考えて欲しいもの。片渕監督がそう言えば動くか? 宮崎駿監督が言って自然が守られるように。


【12月22日】 カイロ・レンとリンとが手を携え、Xウィングとタイファイターを連ねて「待ってろよ、銀河魔王!」と叫んだところで場面が変わり、どこかの温かそうな家の中、お祖母さんが子供たちの枕元で本を読んで「こうして銀河魔王は倒されたのでした」と言って本を閉じ、「この物語はここでおしまい」と言って寝付いた子供たちの顔を見てから部屋へ戻ると、そこには飾られた2本のライトセイバーが。そして流れ出す徳永英明「夢を信じて」。背景に流れるカイロ・レンことベンとリン、フィン、ポーにチューバッカの姿。「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」とはそんな映画だ。だいたいは。本当だって。

 シンカリオンのメディア向け試写が日曜日という不思議な日にあって、その回だけは子供を連れてきも大丈夫とう親切試写になっていて、大人ではなく本当の観客に当たる子ども達がどんな反応を見せるか確かめたい気もあって、行こうかとも考えたけれども目覚めると外は寒くて遠出には向かず、そして書かないといけない原稿もまだ残っていたんで団長の思いで試写を諦め、昨日は席がとれなかった船橋中央図書館に開館と同時に入っては、パソコンを使える席に陣取りカタカタと原稿を打つこと4時間。緑がトレードマークの文庫から出た令和の東京を描いたライトノベルの感想なんかを綴ってどうにかこうにか完成させる。

 背中の方を見ると窓際の席にはいつも来るハウスフリーなおじさんが、やっぱり開館と同時にやって来ては座って新聞を読んだり本を読んだりしている。決して匂いとかはなく服装もこざっぱりはしているけれども、持った荷物の多さからハウスフリーだろうとは想像できる。夏場もいたけれど今のこの冬空の下、どこで夜を過ごしているのか気になるところ。いつ自分もそうなるか分からないだけに、そうした生き方を観ておくことで時間を過ごしつつ生き延びる手段が得られれば幸いか。昨日の最終日に行列して買った年末ジャンボ宝くじと、年末ジャンボ宝くじミニが当たって10億円とか5000万円とかが当たればそんな心配もなくなるんだけれど。夢過ぎる。

 カタカタと打っていたら3000字くらいになってしまって、もらえる稿料からはオーバースペックな気もしないでもないけれど、ネット媒体に字数の制約はなくどれだけまでって決められてもいないので、短く書いて説明不足になるよりは、多く書いて饒舌な中に中身の薄さをごまかすのもひとつの手段、なのかもしれない。錬り込まれて削られた上に編集の目も通った紙の媒体はだからそれだけ不自由な中に安心感もあるってことになるんだろう。いやネットだって長くたって面白いものは面白いからそれは書き手次第か。そういう時代に適応できるかなあ。できなきゃハウスフリーになって昼間は図書館でボンヤリ過ごすだけなんだけれど。

 あまり長居しても前日の僕みたいに使い人が来ても使えないんで、適当な時間に退散をしてさあどうしようかと考えて、まだ観ていないアニメーション映画「ぼくらの7日間戦争」を新宿のEJアニメシアターへと見に行くことにする。南船橋のTOHOシネマズやおおたかの森のTOHOシネマズでも上映はしているけれど、地下鉄で中野までの定期があると新宿には160円で行けるからそっちの方が交通費が安いのだった。前の宮沢りえさんが出演していた実写版を観たかどうかあまりに記憶が無く、ストーリーも朧気だからほとんど初見の気持ちで楽しめそう。予告編の絵はどこか手抜きな感じがするけれど……。大丈夫か?

 いやいやどうして、予告編でどこか手抜きというか古い感じというかテレビスペシャル的に思えた絵柄でちょっと舐めてた「ぼくらの7日間戦争」がすっげえ面白かったというか。まずはマレット可愛い。そしてSEVEN DAYS WARが素晴らしい。後者についてはそういう世代なのでとりわけそう思うのだ。何のこっちゃ。実は前の映画も原作も、あまり詳しくは知らないんだけれど少年少女が7日間、立てこもって大人たちかの抑圧から逃げ切ろうとするって話だと分かっていればだいたいのことは大丈夫。

 政治家の父親が東京に出て誰かの地盤を継ぐからすぐに引っ越さなくちゃいけないけれど、それが嫌な娘が隣の家に暮らす少年に話したら、彼女のことが好きだった少年が逃げようと言ってだったらとなって、なぜか暮らすのいろいろなメンバーが集まって山の上にある廃坑となった炭鉱の建物でキャンプを始める。すぐに見つかるはずではなかったのに、逃げ出したタイ人の子供がひとりで暮らしていたという事情があって入国管理官たちがやって来て、少年少女が入り込んでいることが判明。最初はその入国管理官たちによる説得だったけれど、戦史を研究するのが好きだった少年の知恵で迫る大人達を撃退しているうちに、政治家の父親にもバレて大ごとになっていくといった展開。

 戦史好きの知恵だけでは、大人たちのパワーにはかなわないところおあったけれど、そこは勇気と計略と偶然ともあってどうにかこうにかしのぎきる。そんな中に撃ち込まれる厳しい楔。耐えられるか? っておtころで繰り広げられる青春のストーリーがとても良かった。老い先短い人生、本音で生きなきゃねって思った。その後、どうなったかはよく知らないけど何とかなるんだろう、何とかなったんだから、戦車なんか使っても。そしてマレットがかわいい。すごくかわいい。とてつもなくかわいかったのでおっこちゃんに継ぐGAGAアニメのかわいいキャラクターに認定したい。


  【12月21日】 38分ものシーンが追加されて、より原作に近くなったと同時にキャラクターの心の機微がくっきりと浮かび上がるようになった「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」に対して、メディアでもいろいろなレビューが出て来ているけれども天下の朝日新聞が掲載したレビューがどこか頓珍漢というか、普通の人が映画を観たかのような感想で評論家といった肩書きに相応しい内容かどうかといった疑問が湧き上がっている。曰く「「挿話に長くこだわったせいで底に潜めた反戦のテーマを薄手なものにしていないか」。

 なるほど「この世界の片隅に」の漫画から始まり映画「この世界の片隅に」も含めてそこから反戦への思いを浮かべることはできる。けれどもこうの史代さんも片渕須直監督も、反戦をメインテーマンいして掲げた訳ではない。あの時代に生きたひとりの女性、北條すずの暮らしを軸にして周囲の人や町を描き、そういう時代だったんだ、そしてそうなっていったんだということを感じさせることによって、結果として戦争とはなかなか厳しいものだと感じさせる。

   それを巧妙な反戦と言うなら言えないこともないけれど、テーマとして前面に掲げたものとはいえない。反戦もあれば恋愛もあり仕事への矜持もある。けれどもとりわけ反戦こそが主題であってそれが薄れたといった異論を唱えている。どういう目的で漫画が描かれ映画が作られたかを、映画評論家なら見知った上でそれを踏まえてそうはいっても反戦が感じられた作品なのに、薄れたのは残念といった口ぶりで語って欲しかった。

 もうひとつ、今どうして公開しなければならないのか、急ぎすぎだといった批判を加えて「前作はロングランを終えたばかり」とも書いているけれど、そのロングランとは土浦で危篤な社長がギネスとかびっくり日本新記録に挑むような気持ちで細々と続けた、1000日を超える異例にして異色のロングラン。決して普通の劇場が支持が得られるからと続けたものではない。それを基準にロングランが終わったばかりと書くのはやはり妙。そうした事情すら調べず表層に流れる「ロングラン」という言葉だけを掴んで書いたのだとしたら、やはり不勉強の誹りは免れない。

 斎藤環さんも反論していたように、一般の人が原作を読まず映画だけ観て「この世界の片隅に」から反戦のテーマを感じ取り、けれども新しい「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」からは反戦のメッセージが薄れてしまったと感じるのは仕方が無い。そうした可能性を片渕監督もしっかりと意識して映画を作っている。けれどもプロの評論家が、前作だけを観て原作も読まずインタビューとかも読まないで自分の感覚だけ、目の前で起こっていることだけを夜郎自大に語っても許される環境があるのだとしたら、映画評論家とはまた何とも自由な商売だろう。媒体と結びついて発信力があるならそれも許されるなら、映画評論家になりたかったなあ。ライトノベルじゃ食えないんだよ。

 伊藤詩織さんによる政治評論家を相手にした民事裁判は伊藤さんの証言に信憑性があるということで政治評論家に賠償が命じられたけれど、それに絡んで豊島区議が合意の上で性交渉したはずなのに後からひっくり返されてはかなわないから、あらかじめ合意書を撮っておけとネットで発現して話題に。いちいち書類に署名捺印なんてさせるのも興ざめだけれど、問題は暴力なる別の手段によって相手の自由意志を奪い、体を奪うような行為において合意書もまた、暴力なり別の手段によって得られる可能性があるということ。それでも書面で残っていれば合意なのだと後で言われて、泣き寝入りする人が増えたらまるで逆効果になってしまう。シチュエーションへの想像力がまるで欠如した暴論。まあ表音文字に過ぎない「ハングル」で会話する人がいた、って書いてしまうくらいだから仕方が無いか。

 締め切りが近い原稿が3本くらいあるうちの1本を近所のフレッシュネスバーガーにこもって2時間くらいでやっつける。最初は船橋中央図書館に行ったけれど、いつも使ってる電源のとれる席が埋まっていて空きそうもないので転戦。フィッシュバーガーをかじりつつ流れてくる音楽をすっかり聞き覚えてしまいながらどうにかこうにか完成させ、帰って寝るかとも思ったけれどせっかくだからとイオンシネマ市川妙典へと「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」を見に行く。前回前々回はたぶん初日に観ていたけれど、今回は同じ20日に「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」があったから仕方が無い。

 それに前作「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」が何か今ひとつでのれず、積極的に見に行こうっていう気も失せていたけどそこは1977年に第1作を観ている世代としてやっぱり行かなくちゃいけないという気持ちが勝った。でもって観た「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」はとっても面白かった。2時間22分あるとかいう長さがまるで気にならず、次ぎから次ぎへと襲ってくる敵をかわしつつ、次ぎから次ぎへと与えられるミッションをこなして進んでいく展開をワクワクしながら見て行けた。前回のポーみたくボンクラな作戦を見せるポンコツがいなかったこも良かった。危険が迫ってもしっかりと救われるカタルシスもあった。

 そんな中でカイロ・レンとレイとの関係、カイロ・レンと母親であるレイアとの関係などがきっちりと清算され、レイの正体も明かされつつルーク・スカイウォーカーとの関係も改めて描かれて感慨深いクライマックスを見せてくれた。すべてが収まったあとの、どこか寂寥感が漂いながらも地に足がついた感じがあるエンディングも良かった。これで全てが終わって、新しい時代が始まっていく、その中で無名を取り戻した人々が自分たちの生をしっかりと掴んで進んでいくだろうことが予想できた。戦いの先に戦いがある時代の終焉。それは望んでいてもなかなか得られないし、悪を倒せばやって来るものでもないけれど、いつか誰もが自然に慈しみ愛し合う世界が訪れて欲しいと映画を観ながら思った。良い映画だった。42年、付き合ってきたけどこれで終わりか。人生を飾ってくれてありがとう。これからの20年を次ぎは何をより所に生きていこう。エヴァかなあ、やっぱり。


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