縮刷版2019年11月下旬号


【11月30日】 デビュー作となった「螺旋時空のラビリンス」をSFマガジンで誉めた讃え、そして「宝石商リチャード氏の謎鑑定」をミステリマガジンで推しつつ直木賞級だとやっぱり誉めた讃えた辻村七子さんが「宝石商リチャード氏の謎鑑定 公式ファンブック エトランジェの宝石箱」を刊行した記念で新宿紀伊國屋でサイン会を開いたので見物に行く。ネットからの応募で結構な倍率があったみたいだけれどもなぜか当選。そして行くと午後3時からの回は僕をのぞいて全員が女性で「宝石商リチャード氏の謎鑑定」が届いている層ってのが何となく見えてきた。まあ想像はついていたけれど。

 女生徒見まがうくらいに美貌の宝石商リチャード氏の宝石店で、大学生で生真面目な中田正義という青年が働き始めるというストーリーから浮かぶあれこれ。事件の方は宝石が絡んだ解決が示されいわゆるお店ものミステリとして機能しているけれど、キャラクターの方は正義がまったくのノンケで女性の友だちの話もしたりする中で、リチャード氏がいろいろと不思議な表情や態度を見せたりする関係にモヤモヤというかジンジンとしたりする人がいたみたい。そうした声を受けた人気ぶりで文庫はついに50万部を突破した。

 そして2020年1月からいよいよアニメ化となってリチャード氏の声に櫻井孝宏さん、そして中田正義は内田遊馬さんといった布陣でこれまたファンの心を貫いた模様。期待も高まる中でのサイン会では女性がお土産やら手紙やらを持ち寄って辻村さんといろいろ話をして、それにしっかりのるというか自分からいろいろと話かけている辻村さんの陽気さにちょっと推された感じ。こちらはネットでの交流もないし手紙も出したことがないため、とりあえずSFマガジンとミステリマガジンで紹介させていただきましたとご挨拶。伝わったかは知らないけれど「螺旋時空」を紹介したことはもしかしたら分かったかもしれない。あれは今もってSFの傑作として語り継がれるべき小説だから。

 サイン会を終えて新宿武蔵野館でアニメーション作品「進撃の巨人」を手がけているIGポートグループのアニメーション制作会社、WIT STUDIOがなぜか製作を手がけた実写映画「わたしは光をにぎっている」を見たらとてつもなく絶品だった。あの「アストラル・アブノーマル鈴木さん」で地方在住のユーチューバーと都会で活躍するアイドルの2役を演じ分けた松本穂香さんが主演ってだけでも凄いことは確実なのに、ストーリーも映像も抜群で見ていてこれはとても凄い映画なんじゃないかといった想いが浮かんだ。

 父はもうおらず母も自分を産んだ際に死んでしまった澪という女子。湖畔にある民宿に暮らしていたけれど、世話をしてもらってた祖母の不調もあって地方から上京して、父親の知り合いだったという男のところで暮らし始める。そこは葛飾区の立石近辺あたりにありそうな銭湯。そこに暮らしつつ仕事を探し始めた澪は、最初はスーパーで働き初めても人見知りなのか引っ込み思案か客の対応に戸惑いやがて辞めてしまう。何をしよう。そこで祖母の言葉が響いてくる。「目の前のできることから、ひとつずつ」。慣れぬ手つきで銭湯を運営する父の知り合いの手伝いをはじめ、居場所を得ていく。

 けれども、そんな淡々として平穏な暮らしも長くは続かない。下町によくある再開発の波。ドキュメンタリー映画を撮っていた男子も、ラーメン屋で修行をしてようやく自分の店を持てるくらいの腕前になった男子も、そこでの居場所を失いかけていく中、同じ様にこれからどうするんだと心配された松本穂香演じる澪は、意外にも臆していた性格が少しだけ抜けたか、自分から何かをしようとしはじめる。落ち込んでいた銭湯の主人を励ますようにしてイベントを企画し、そして最後までしっかりと看取る。

 大きな転機に戸惑いながらも、新しいことに挑もうとして不安から挑めず、良かった過去に縛られ歩み出せないまま泣いている人がいる。つまりは僕のような人間だ。そんな僕にとって過去とかにこだわらず、何をやりたいかと考えて背伸びするのではなく、今できること、してもらいたいことを頑張ってひとつずつこなしていくことで、だんだんと手に光を握れるようになるかもしれないと思わせてくれる映画だった。そして思った。できることからやっていこうと。

 都会でのひとり暮らしの不安とか、飲食店や小さな店舗が並ぶ下町の情景とか、誰もがお互いのことを思いやっている人情とか、再開発のように飛び込んでくる波乱に流されないで自分から歩みだそうと決断するストーリーとか、情動を煽って描けばとてもポップな映画になりそうな気がした。あるいは寅さん両さん的な下町人情物語になりそうな気がした。そんな題材を淡々と、自然体の風景の中に描いてとても美しく、見ていてじわじわと感慨が浮かぶ。大げさから遠く離れた松本穂香の自然すぎる演技がそんな映画に透明な光をもたらす。これがれが新しい日本映画か。同じ東京の街、頑張っている若者達を描いていても、新海誠さんにはその立ち位置的に撮れない、撮らせてもらえないタイプの映画ってこと。そんな「わたしは光をにぎっている」。傑作。大傑作。WIT STUDIOがこれで140億円を稼げばIGポートグループも安泰なんだけれど。

 文化庁長官表彰というのがあって漫画家の高橋留美子さんやアニメーション監督の富野由悠季さんが選ばれていて日本のポップカルチャーもここまで来たかというとちょっと遅いぐらいって気もしないでもない。まあ富野監督は作品の製作年代にばらつきがあって2000年代からこっち、Zガンダムのリビルドとあと「Gのレコンギスタ」くらいしか作品がないからタイミングとして今くらいになって不思議は無いけど、高橋留美子さんはもうずっと漫画家として描き続けていてそのすべてがヒット作になっているくらいの凄い人。だから10年早くても異論はなかったけれど、年功序列的な中ではそうなってしまわざるを得ないんだろう。今その活躍に匹敵するとなるとあだち充さんってことになるのかな。いずれにしても偉大な漫画家にスポットがあたって嬉しい限り。あとはそうしたポップカルチャーの殿堂を政治が後押しすることが肝心なんだけれど……。動けメディア芸術ナショナルセンター。


【11月29日】 すでに海外でもひとつ、賞をとっていた新海誠監督の「天気の子」が報知映画賞でアニメ部門を受賞して国内まず1冠といったところ。日本アカデミー賞も堅いだろうからあとは日刊スポーツ映画賞だとか毎日映画賞だとかいった賞でどこまで入るか期待が高まるけれど、前の「天気の子」の時は片渕須直監督の「この世界の片隅に」があって日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品賞を持っていかれてしまったから、そっちは初戴冠を狙うってことになる。

 毎日映画コンクールはアニメーション映画賞を「君の名は。」が取り大藤信郎賞を「この世界の片隅に」が取ってと訳あった感じ。今年はほかに「プロメア」とか「海獣の子供」とか「君と、波にのれたら」もあるからもしかしたら訳あったりひっくり返ったりするかもしれない。というか「海獣の子供」にはどれかにひっかかって欲しいけれど、可能性があるとしたら大藤信郎賞か、あるいは文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門大賞あたりになるかなあ。そっちは前は「天気の子。」はとれず「この世界の片隅に」がとたからやっぱり分け合うかな。いやいや「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が狙ってくるかもしれないなあ。

 今日も今日とて三鷹で劇場アニメーションのカット袋を整理する日々。会社に入る前にピザ屋さんがある入口で長身な上にスリムな男性が革ジャン姿で経っていて、マスクをしていて格好いいなあと思ってよく見たら社長だった。還暦くらいなのに相変わらず。だからこその完成をこれからも作品作りにガシガシと発揮して欲しいです。最近ちょっと劇場映画のムーブメントに乗り遅れている感じがあるし。「天気の子」級とは言わないまでも「プロメア」級のが欲しいなあ。それにしてもあんな恰好でどこに行ったんだろう。

 仕事では水産加工業のごとくにカット袋から背景を取り出し袋につめ、セル画と動画をカット袋に戻してそして原画だとかレイアウトだとかタイムシートだkとかを袋に詰める分類を繰り返し。カット番号で400近くまで行ったけれど全部で1000はカット数があるからまだまだ3分の1ちょっと前といった感じ。そんなカットを見ていると、コルクボードに写真を止めてある場面でコルクボードの質感を出すために、背景を描くんじゃなくコルクボードをそのまま使ってあったのを知ってちょっと驚いた。その方が早いとはいえしかしやっぱり面白い。

 あとは登場人物が漫画家デビューして描いているマンガの原稿を映した場面で、本当にマンガの原稿が誰かによって描かれていた。本宮ひろ志さん風のタッチで原稿用紙に描かれてフキダシには鉛筆でセリフが。あるいは描き途中のものとか。誰が描いたんだろう。アニメーターさんではないよなあ。ある意味で貴重な品々だけれどそれが果たして世に出る機会はあるのか。もちろん映像作品としては出ているけれど、原画として展示されて目の当たりにできるかどうかが目下の関心事。せっかく分類して整理しても死蔵されてはもったいない。活用されるために頑張っているんだけれどそれが可能な状況は来るか。景気かなあ。あるいは声。それが見たいという。高まるか。って何の作品か分かったら凄いかも。

 そうしたアニメーション資産の利活用なんかに有用とされるメディア芸術ナショナルセンターの設立に向けた法案整備が国会審議の停止のよって宙ぶらりんに。もちろん安倍政権がいろいろとヤバいことを隠していて、それを暴いていかなければ政治がぐちゃぐちゃになってしまうというのはよく分かる話で、だから野党が頑張っていることは理解できるんだけれど、そうやって頑張って果たして安倍政権が倒れるか、あるいは明かすかっていうと過去、そんなことはまったくなかった訳で単なるポーズで終わってしまって法案が通らないという苦痛を国民が味わったりしている。

 だから審議には応じて別に追求をとも言いたいけれど、別に追求しようにものってこないからこそのすべてのストップというのも分かるだけになかなか辛い。メディアがもうちょっと政治に潔癖だったらここまで泥沼にならなかったんだけれど、もはやどこ吹く風が通常になってしまった世の中だけに、審議拒否はポーズにもならなくなっている。今はだから野党は国民が臨むことは応じて行きつつそうした支持を政権交代に繋げる努力をして欲しいなあ。という訳でメディア芸術ナショナルセンターをよろしく。これが通過しないと来年から食えなくなっちゃうかもしれないんだ、ってやっぱり自分の都合かい。そりゃ自分が大事だから。

 中曽根康弘元総理が死去。レーガン大統領の前で大法螺を、じゃなくってホラ貝を吹いてご機嫌をとったりしてタカ派政治家だと思われていたけれど、憲法改正にあたっては改憲派ではあっても日本が極右なりに走って戦争に向かうようなことは嫌っていた感じがある。そこは戦争を知っている世代の政治家で、またやれば勝てるだとか負けた記憶を消したいなんてことはなかった。ある意味で重しにはなっていたけれどその死去で今の戦争を知らない坊ちゃん総理がますます調子づかないかと心配になって来た。長老がどんどんといなくなって残っているのが森喜朗元総理では……。日本はいよいよ大変かもしれないなあ。


【11月28日】 これは吃驚というかそんな映画が作られていたんだとようやく気がついたドキュメンタリー「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」。映画「この世界の片隅に」が公開されたあたりから3年間を追い続けた記録だそうで、数多くこなしてきた舞台挨拶や呉とか広島への訪問、そして世界を駆けめぐっての上映会などに参加した足跡が記録されているんだろう。横浜で開かれたクラウドファンディングの報告会とか参加したものも多いからもしかしたらどこかに映っていたりするかな。あとサイン会とか。

 でも本当に観たいのはこの3年間もずっと作り続けていた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のことで、舞台挨拶とか世界各地の映画祭への出席の間間にどれだけの資料や史料を集め直してあの物語を作り上げたのか。ただ原作から落とした部分を付け足しただけじゃなく、すでにある「この世界の片隅に」とい映画に匹敵するだけの調査を行った上に既にある部分すら精査し直しただろう映画が作られて行くプロセスを観ることは、この世界を映画の上にどうやって記録していくかといったアーカイブ的な作業への参考になる。その緻密さ、その執念深さを学びたい。

 問題は、そうやって集められた資料とか史料とそして映画に関する材料が公開後にどうなってしまうのか、ってところでデジタル部分はハードディスクに保存しておくことも可能だろうけれど、本棚の右から左までぎっしりと詰まった本とか紙類なんかはこのあと散逸してしまうのか。たった1枚の写真のために買い揃えた資料もあるかもしれないから、邪魔かとうとそうした調査と検討のプロセスもまた映画が完成するまでの道のりとも言える。それを含めて1本の映画だとするならば、やっぱりまるごと保存したいところ。それだけの費用と場所があるかはともかく。でもやらなくちゃ。そして片渕須直監督を中心においてあの写真を次々に見せる技を披露してもらう、と。それは流石に無理か、次の映画もあることだし。

 紙媒体もいよいよ難しい時代に入ったというかとっくに入っているというか。とりわけ情報を扱うメディアは速報性が求められる中で紙媒体では追いつかなくなっている感じ。オリコンという会社の元になったオリジナルコンフィデンスという言葉からとった「コンフィデンス」というエンターテインメントビジネス情報誌をオリコンが発行をやめるとか。以後はネットでの情報提供になるんだけれど、それで紙ほど稼げるのかどうかってところがなかなか見えてこない。紙って固定費はかかるけれど収入も安定しているから。とはいえすでにそれだけのボリュームが確保できていなかったら、ここでネットに切り替えデータを有償で展開する方に向かうのも当然か。新聞はボリュームがあるだけに紙をやめられないんだよなあ。そこが四苦八苦の要因で。

 通っているアニメーション制作会社がある三鷹駅の北口に松屋があって、そこの上が松屋フーズの本社ということでもしかしたら最高のサービスが受けられるかもと時々入るけれど、全国の松屋のどこも同じメニューであることに変わりはないから味が特段凄いということは別にない。そんな松屋がカレーをやめるっていう話が飛び出して、ネットニュースなんかが騒ぎ立てていたけれどもその中にいちおうは全国紙もあって何というかどうしたものかといううか。

 情報源は松屋の公式ツイッターだから「オリジナルカレーをやめる」という主張自体に虚偽はなく、それを書いて間違いということはない。ただ、新聞なんだからそうしたツイッターが何を意味するのかを聞いて本当にカレーをやめるなら撤退と書いて理由をそえるべきだし、何か他に思惑があるならそれも含めて書くのが報道って奴だろう。そして裏がとれなければ書かないのも判断。というかネットですぐさま盛り上がった、これは創業カレーへと切り替えるための前宣伝に過ぎないという声が真実なら、その新聞はまんまと松屋の宣伝に乗せられたことになる。扇動に躍ったというか。

 そして実際に松屋は創業カレーを売り出すことを発表。すぐさま新聞もそれを記事にはしていたけれど、ネットの情報をそのままコピペして垂れ流すことをやって許されるのはネットメディアであって、新聞がそれをやったら信頼に関わる。あらゆる情報が精査され吟味され裏とりもされた上で掲載されていると誰もが思うからこそ、新聞は新聞として信頼され信用され生きていける。にも関わらず……。そうした一線すら超えてしまったところにいろいろと難しい事情があるんだろうなあ。っていうか別の方面では一線どころかすっかり右奥へと踏み込んでしまっているから。黒字になったし採用も始めているけれど、未来はいったいどうなのか。そこはやっぱり気になるなあ。

 そして三鷹では段ボール箱から膨大な量になるカット袋を若い番号順に取り出していっては並べてそして、背景を抜いてとレッシングペーパーをはさんで袋にいれ、レイアウトとか原画とかタイムシートとかを抜いてこれも袋にいれ、セル画や動画をカット袋に戻して分類して保管していく作業をずっとやっている。何時間も同じ作業を続けていると、自分が漁師がとってきた魚をさばいて身だとか卵さとか頭とかに分けて並べて保存していく水産加工場で働いているような気になって来た。扱っているのがただの魚ではなく、そしてやっているのが世界で数人という違いはあるけれど。せっかくさばいた身とか卵とか骨とか誰か食べてくれるのかなあ。料理して出す場とか出来るのかなあ。それがあるなら気力も湧く。今はなくても未来にあると信じて気力を振り絞ろう。


【11月27日】 Amazon Prime Videoでノイタミナの過去作品が一気に増えるようで、あの作品この作品が観られるようになるとネットとかで話題になっていた。多かったのが「東京マグニチュード8.0」の配信開始で、首都圏にマグニチュード8.0の巨大地震が起こったらいったいどんな状況になるのか、その中を少年と少女が家まで戻る際にどれだけの危険があるのかを、アニメーションながらも綿密な下調べの上に描いて話題になった。今も有明にある防災センターではこのアニメの一部が啓発のために上映されていたりする。

 このアニメが放送されてからしばらく経って。マグニチュードが8.0を超える東日本大震災が発生してアニメの中で起こったことが大いに参考になった。さすがに津波までは想定はしていなかったけれども、結構な揺れに見舞われた東京とか大都市圏では似た経験をした人も多いんじゃなかろうか。あれからまもなく9年となって記憶も薄れ始めている中、改めて巨大地震が何をもたらすかを知る意味でも見てもらいたい作品。本当はテレビで再放送されて欲しいんだけれど、そういう方面ではフジテレビってからっきしだからなあ。ノイタミナで再放送されたのなんてあったっけ、再編集版の「PSYCHO−PASS サイコパス」くらいかなあ。

 だからノイタミナの配信は結構嬉しいかもしれない。ほかにも「ギルティクラウン」とか「図書館戦争」とか「東のエデン」とかあってプロダクション・アイジー的にはこれを機会に過去作品を盛り上げてば良いんじゃないかなんて思わないでもないけれど、目下の放送中作品に目いっぱいのリソースを注いでいるからそうした余裕なんてないのかな。僕らは僕らでもっと昔の作品なんかをどうにかしようとしていたりする感じだし。ほかに注目作品はやっぱり小林治監督による「Paradise Kiss」か。山田優さんが声を担当してオシャレな映像でもって作られた作品だけれど、話題にあまりならなかったんだよなあ。パッケージ出たっけ? それすらも記憶にないだけに改めて見てクールさを感じたい。

 そんなAmazon Prime Videoではなく、 Netflixの方でここのところ観ているのが「蒼き鋼のアルペジオ −アルス・ノヴァ−」。もう何度か見返しては居るしBlu−rayディスクも持っているけど漫画版とは違った展開ながらもストーリーがギュッとしまっていて面白い。あとはサンジゲンが3DCGを使いつつ2Dライクなアニメーションに挑んだ初期でありながら、とても表情豊かで動きもしっかりしていて最近よりもむしろ2Dアニメーションに近い雰囲気を感じさせる。「ブブキブランキ」も悪くはなかったけどどこか3D感がまだあったし、あとはストリーが……。なので「アルペジオ」は原点でありエヴァーグリーン。劇場版2作品も観られるのも嬉しい。

 可能ならその劇場版をまた映画館で観たいけれどもそれはさすがに無理かなあ。イオナのラストについてはなかなか寂しかったけれど、エピローグに希望が見えたからあるいはまだ続いているのかもしれない。原作の方のイオナは千早群像と分かれて後、自立をして口調もきびきびとしてしっかり艦長といった風情を見せている。第四施設に関する問題も浮上しアドミラリティ・コードも登場してと真相に迫りつつあるけれど、とりあえずキリシマがメンタルボディを取り戻してヨタロウから抜けたことが大きな大きな展開か。長かったよなあここまで。アニメでは最後までヨタロウだっただけに改めて、漫画版のアニメ化なんかでキリシマの美麗な姿を内山夕実さんの声ともども楽しみたいかも。あるかなそんな展開は。

 そうそう「蒼き鋼のアルペジオ」の世界では海は霧の艦隊に占拠されて外洋航海ができず空も飛行機が飛べない状況になっていて、大陸間の交易は不可能となって資源に乏しい日本なんかは大変な状況に陥り、そして大陸では暴動が起き世界は疲弊して衰退して滅亡の手前まで行っている。移動があって始めて世界はつながりそして繁栄した訳で、そんな体制の上に載って誰もが今の暮らしを享受している中、飛行機は温暖化に影響を与えるから乗らないとか言い出すことは果たして是か非か、ちょっと考えなくちゃいけないかもしれない。

 アーティストが飛行機はもう乗らないといってワールドツアーを行わないのは主義だから仕方が無いとして、それを日本の国会議員がたとえ環境大臣だからといって褒め讃えて良いのかどうか。飛行機による貨物輸送でもって日本が受けている恩恵を考えた時、あるいは飛行機で来る観光客なりビジネス客で日本が受けている利益を考えた時に飛行機での移動は悪だと言い切れるのかどうなのか。そこまで踏み込んで発言しないと足下を掬われることになりかねないけれど、言っているのが政界きっての詩人だからこれはもうある種の理想空想の類だと考えるしかないのかもしれない。船だって重油で動いてる訳で当然のように温暖化には影響を与えている。そうしたものまで否定し始めたらそれこそ「蒼き鋼のアルペジオ」の世界になってしまうんだけれど。それで良い? 霧の艦隊が押し寄せメンタルモデルで溢れかえるならそれはそれで嬉しいかな。


【11月26日】 朝に弱くなってしまったのが薬のせいなのか、単なる怠惰のせいかはちょっと判断がつかないけれど、いよいよもって締め切りとなるとやっぱり落とすわけにはいかないと、早朝に起きて片付けようと考えたもののそれはやっぱり無理だと思い直し、きのうのうちに今日は休むとカレンダーに書き込みつつ、普段よりは早めの午前9時には起きてすぐさま支度を調え家を出て、船橋中央図書館のパソコンが使える席を使ってひたすら原稿を書きまくる。

 夏の間は船橋西図書館に行ってよく原稿を書いていたけれど、そっちは専用のコーナーがあって朝1番で並んで席をとったら3時間はずっと使えるようになっているので、目的が同じ人が集まりやすく環境として割と静かだったりする。船橋中央図書館はそうした予約が不要な変わりに、長く陣取って洗濯物とか乾かしている人もいたりして、席も専用といった感じじゃないので平日くらいしか行かなかったりした。その変わりに時間制限を言われないので、今日は4時間くらいいる覚悟でまず入り、カフェオレで糖分を頭に送り込んでから原稿書き。そしてどうにか3時間くらいで書き終える。

 西へ行っていたら稼げた金額だけれど、それでも締め切りを抱えながら仕事をこなしても能率は下がるし、ただでさえ不安がわき上がる気分によろしくないから、ここは相殺と割り切ったという次第。明日からはまた西へと通ってセル画を抜き取り背景を袋詰めして原画を整える作業に邁進。その結果としてあの名作映画が甦るようになるのなら、って思いたいけど果たして利活用はうまくいくのか。20余年に及んでいろいろ話題に上りながらも展覧会とかあまり開かれなかった作品だからなあ。でも名作であることに変わはないので、これを機会に活用が進んで欲しい。バカばっかな世の中にこそ相応しい作品なのだから。

 12月20日の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開に向けて片渕須直監督に関連する企画が盛り上がっているようで、あの爆音極音で有名な立川シネマシティで「アリーテ姫」と「マイマイ新子と千年の魔法」の上映が行われるらしい。これは僥倖。「マイマイ新子と千年の魔法」はDCPとなって音質が格段に向上して、先週に新宿ピカデリーで観た時なんか虫の声から風の音までがしっかりくっきり聞き取れるようになっていた。これがあの上映環境も極上な立川シネマシティにかかるなら、やっぱり観ておきたい気が満々。きっとアートブックも販売されるだろうから、まだの人は行くと善哉。さすがに片渕須直監督の登壇やサイン会はないだろうけれど。

 そしてあの「アリーテ姫」の上映もある。こちらはDCPなんてないから35ミリのフィルム上映。何年かまえに三鷹でもって上映かがあって、その時は背後でカタカタと鳴る映写機の音を聞きながら上映をみたっけか。それもまたなかなか風情があったけれど、映画館で観ておいた方がやっぱり良い作品であることに変わりが無い。最初に観た時も映画館というより東京都写真美術館のホールだったから、改めて極上の上映環境で観てみたい気がする。いつになったらブルーレイが作られデジタルリマスターされDCPになるか分からないだけに、フィルム上映可能な劇場も減っている今、観られる時に見ておかないと次いつ観られるか分からなくなるから。頑張ってチケットとろう。その前に時間を作らないと。

 片渕監督といえば年明けの1月8日も五反田のゲンロンカフェで土居伸彰さんとの対談が控えていて、こっちはチケットの拡大販売があったのでそれでとりあえず席は確保。一応会員ではあっても最近、出不精が祟ってあまり出かけなくなっていたから久々に覗いてみるのも良さそう。前に土居さんと対談があった時は、ユーリ・ノルシュテインの新作映画制作に向けた経過をドキュメンタリーにした作品を語る会だったから、テーマもあまり「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は及ばなかった。今回は公開も始まってのイベントだから、いろいろと詳細を語ってくれそう。絵コンテ本とかムックとかも発売になるし、サイン会もきっと開かれるだろうから買うのはそれまで待とうかな。

 大河原邦男さんが暮らしている稲城市でしばらく前に駅頭にガンダムとザクの大きなフィギュアが置かれるイベントがあって取材に行った記憶。そして11月30日には大河原邦男さんのデザインしたメカが描かれたマンホールが登場するとか。ガンダムにボトムズにヤッターワンにアイアンリーガーのマグナムエースになしのすけ。最後のは大河原さんが稲城市のためにデザインしたオリジナルキャラクターで、それらがあの広い稲城市のどこかに置かれるらしい。いやちゃんと長沼駅、矢野口駅、南多摩駅、若葉台駅と決まっているけど見て回るとなると結構距離があるようなないような。日テレ・ベレーザの試合を見に行っていた時は割と通っていたけど最近ご無沙汰だからなあ。寒くなるんで春になったら見て回るか。そんな余裕が身心にあるか分からないけれど。いや半年先のi☆Risを観るために行き抜くんだと決めたばかりじゃないか。頑張ろう。


【11月25日】 毎年恒例の「このライトノベルがすごい! 2020」が刊行されたのでパラパラ、というか協力者アンケートに答えているからちょっと前には見ていたけれども今日が発売日なので情報も解禁、宇野朴人さんの「七つの魔剣が支配する」(電撃文庫)が文庫部門で総合とそれから新作の1位に輝いて、去年の瘤久保慎司さんによる「錆喰いビスコ」(電撃文庫)に続いての2冠を成し遂げたっぽい。宇野さんは新人ではないから瘤久保さんとはちょっと違うけど、それでもやっぱり新しい作品が上位に来るのは今後の展開に後押しにはなるのかもしれない。

 気になるとしたら協力者ランキングではダントツの1位なんだけれども、WEBランキングつまりは一般の人たちからの投票では30位までにも入っていないことで、そのあたり単に現在進行形の人気投票にはしたくない編集部の意向なんかも入って、目利きによる将来性を買った投票が多く集まる協力者ランキングに傾斜配分をしているから仕方がない。ただ白鳥士郎さん「りゅうおうのおしごと」みたいにWEBランキングで4位に入って協力者ランキングでも2位にいたりする作品もあるから、面白い作品は誰にとっても面白いっていうこと。そうしたバランスに注目したランキングもちょっと知りたい気がする。

 単行本・ノベルズの部門では古宮九時さんによる「Unmamed Memory」(電撃の新文芸)が1位に入って電撃組がW受賞したのはあるいは、小説投稿サイトからの展開が圧倒的な人気を誇る状況に少し変化が見られたってことなのか。この作品については協力者ランキングで6位に入った一方でWEBランキングでも19位だからどちらにもそこそこ受け入れられているって感じ。新作ながらこの状況はむしろ将来性については「七つの魔剣が支配する」より期待できるのかもしれない。ちょっと手を出してなかったけれどこれは読まないといけないかな。

 協力者によるプッシュで上位に入った作品では二丸修一さんの「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」とか八目迷さん「夏へのトンネル、さよならの出口」なんかがあってどちらもなるほどクロウト受けが先行しそうな作品。とりわけ「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」は、三角関係の目新しさが際立っていてラブコメ王国の電撃にあってもちょっと異色の発展を遂げるかもしれない。ノベルズ部門では講談社のレジェンドノベルズがどれだけ来るか気になったけれど、19位に「ゲーム実況による攻略と逆襲の異世界神戦記」が入ったくらいで、「迷宮の王」も「無双航路」もちょっと届かない。どっちも凄いのになあ。これもクロウト受けする作品だけれど、文庫と違って届きにくいのかも。お楽しみはこれからだ。

 マーケット的に注目すべきなのはやっぱり普通にWEB投票による10代から20代のランキングで、そこでは前半後半含めて衣笠章悟さん「ようこそ実力至上主義の教室へ」(MF文庫J)が圧倒的。つまりは今のライトノベルの主流はそこってことで、個人的にはみんな仲良く楽しく明るい学園生活を描いた作品が好みなため、学園サバイバル的な要素がギンギンに詰まったこれはどうにも苦手だったりするけれど、今まさに学園生活を送っていたり社会人になりたての人たちにとって、権謀術数をめぐらし謀略をくぐりぬけて勝利していく必然性に駆られている中で、大いに溜飲の下がる作品ってことになるのかもしれない。社会を象徴しているというか。なんだかなあ。でもそうなんだろうなあ。

 ははははは。乾いた笑いしか出てこないけれどもやっぱり今もって変化の兆しが見えないどこかの元全国紙。安倍総理が「桜を見る会」の前夜祭的なパーティーをホテルニューオータニで会費5000円で開催したことで、有権者に対する利益供与じゃないかとかいった話が広まって厳しい視線を浴びているけれど、それを逸らそうとして持ち出したのが野党の人によるホテルでの朝食セミナーが2000円を切った値段で開かれているぞ、っていう話。政治資金報告書の記載なんかから金額の総額を人数で割ったものらしく、仮に半分の参加でも5000円には届かない、そんなに安くやっているじゃないかと主張したいらしい。

 おいおい、どこの世界に夜のパーティーと朝の朝食セミナーを比べて高い安いを言う人がいる? 喫茶店のモーニングセットが高級レストランのディナーより安いのは当たり前。それを比べてほらと言えるだけでなく、新聞というある意味で正確性と公共性を重んじられる媒体に記事として掲載してしまえるところに、もはやどうしようもない空気を感じないではいられない。あまりにも夜郎自大で針小棒大な身びいきが、反発を呼んで右肩下がりっぱなしの状況を繰り出したからには、それを改める方向へと舵を切ったかと思っていたけど、半年経っても変わらないこの状況が行き着く先に何がある? そう思うとやっぱり逃げて正しかったか、ぬるま湯でも浸かっていた方が良かったか。難しいなあ。本当に。


【11月24日】 ある日、宇宙船が落ちてきてひとつの町が非難だとか立ち入り禁止だとかの大騒ぎになってから10年。宇宙船に乗っていた宇宙人たちは社会に溶け込んで働いたり起業したり、不満を抱えて潜んでいたりといろいろな生き方をしている。そんな宇宙人がいる社会を舞台にしたSFとも言えそうな根本聡一郎さんによる「宇宙船の落ちた町」(ハルキ文庫)は同時に、社会で今まさに進行しているいろりおな事態を暗喩と言うより割と直接的なモデルとして取り込んで、問題を浮かび上がらせた社会派の物語。読めばそうした事態がもたらした分断とか格差とかいったものを乗りこえるひとつの指針のようなものが見えて来る。

 宇宙船が落ちてきたあたりが宇宙船から漏れ出た物質の汚染によって住めなくなって、住人たちは故郷を出ざるを得なくなって各地に散らばり、そこでやっぱりいわれない中傷めいたことも受けている。これはつまりは福島で起こった原発事故のひとつのメタファー。福島から移り住んだ人たちが受けた好奇の視線、そして何か違う存在を観るような意識を宇宙船が落ちた町からの移住者たちも受けたのだろう。そして宇宙人たちが受ける差別は移民なり、在日と呼ばれる人たちが受けているものと重なる。日本人とは違うことから直面する障害を、乗りこえるために宇宙人たちは時に自分を偽り、時に身分を問われない場所で働き、そして社会の外側で暮らすようになる。

 宇宙人たちは優遇を受けているといったデマはまさしく在日の人たちに向けられている中傷と同様。そうした問題を語りながら物語は、芸能界でもトップラスのアイドルグループで1番人気の少女が、宇宙船が落ちてきた町の出身でその時はアイドルグループの警備をしていた大学生の主人公に頼んで町へと連れて行ってと頼むところから本格的に動き出す。どうして彼女はそんな場所に行きたいのか。そして大学生の少年に頼んだ理由は何なのか。かつて得られたある種の親切。共に理解したいと願う心。それらがあってこそ乗りこえられる壁なんだと教えられるだろう。

 現在の問題を架空の出来事に例えて描くエクストラポーション、あるいはシミュレーションがSFの醍醐味というならこれはまさしくSFだけれど、あまりに同時代的で生々しい設定はやはり社会派の小説と言った方がいいのかも。芸能界にあるしがらみめいたものも描かれて、大変だなあと思いつつもそうした集団のトップに立つ人物が、間にいるマネジャーとは違って真面目で一本気なところは好感。本心があって取り繕った状況があって、後者に会わせようとしたら芸能界なんて吹っ飛ぶというその言葉を、実際の芸能界もちゃんと活かせばのんさんなんてとっくに映画にもドラマにも復帰しているのになあ。そこはだからまさしく空想を描くSF、なのかもしれない。目立たない本だけれど今なお必読の書。

 しかしこうして懸命にフィクションが現実を重ねていろいろと呼びかけても、現実の世界で激しい意見が飛び交いそうした意見への反発と同時に同調も呼び覚まし、社会を分断する方向へと走っているから厄介というか。最高学府でもトップの学校で教えているという人が、自分の会社での話とはいえ特定の国籍を持った人は採用しないし書類で落とすと言及。それはひとつの採用基準ではあるものの、単純に国籍だけではない部分でいろいろな見解を示していたりするところが、全体への差別を呼びかけないと学校側から注意を喚起されていた。学校は関係ないとはいえ、その学校名で活動しているならやはり影響は免れないならひとつ意見は表明しておく。それもまた見識だけれどその先にどういった判断が下るのか。観てみないとちょっと分からないなあ。どっちに転んでも騒動は収まりそうもないけれど。そういう社会になってしまった。

 そしてi☆Risの7周年を記念するライブ「七福万来」をパシフィコ横浜で。セットリストはきっとどこかで出るだろうから書き記しはしないけれども聞き慣れた曲もあればデビュー曲もあってとなかなかに広くて楽しくて、テーマを持ったツアーとは違った満感全席のようなおいしさにあふれていた、って言えば中華街も近くチャイナ服をアレンジしていたメンバーの衣装にもそぐうコメントになるのかな。

 昼夜続くツアーと違って夜からの1本だけってこともあってメンバーも最初からフルパワーで最後までメインパワーを発揮していた感じで踊るし回るし歌うし喋る。芹沢優さんなんかくるくる回っていたし若井友希さんなんていつも以上に飛び跳ねていた。29歳にもうすぐなるらしいリーダーの山北早紀さんとかも疲れを知らないで最後まで走りきっていた。久保田未夢さんはクールさを感じさせないではしゃいでた。澁谷梓希さんも最後の泣いていたけどずっと強い声を出していた。茜屋日海夏さんは髪型が変わって染まってた。

 そんな感じに誰もが7周年という場に渾身の力で臨んでいて、そしてやりきったことへの感慨を話しつつもここではまだ止まらない、止まりたくないってことを訴えていた。なるほど日本武道館はやったけれどもそれは「プリパラ」という後押しもあってスタッフに連れて行ってもらった感じだと、ツアーの中でも確か話していたっけ。それをまた繰り返しつつパシフィコ横浜の5000人近いキャパを完売させたのはi☆Risの力だと自信を示しつつ、まだまだ上を目指したいというのはとてもとても勇気づけられる話だった。

 日本武道館後、ちょっと停滞した時期があったというのはそれくらいからライブに通い始めた身としてちょっと信じられないけれど、メンバーがそう感じているからにはそうなんだろう。ツアーがあっても決してキャパは大きくないし地方はライブハウス規模だし1日2回で同じファンを呼ぶような感じと決してまだ広がってはいない。でもまだまだ続ける意欲はたっぷりある。それなら応援し続けるしかない。半年後に始まるツアーの頃、いったい自分が何をしているかまったく見えないけれど少なくともその頃までは生き伸びて、笑って参加できるようになっていたい。i☆Risが辛い時期を乗り越え頑張ってきたのなら、僕も今を乗り切ってその時を迎えよう。


【11月23日】 ジャンル無用というのがライトノベルの楽しさだったはずなのに、どうにも最近は小説投稿サイトで人気の異世界転生系が割と大きなマーケットを閉めているようで、どこもかしこも気がついたらどこそこだといったあらすじが冒頭に掲げられた作品を、並べていたりしてそれはそれでバリエーションの違いを楽しむ面白さはあるものの、広がりといった部分からはやはり遠ざかっているように思えたりする中、MF文庫Jから登場した二語十さんによる「探偵はもう、死んでいる」がジャンル無用の何でもありの面白さを、見せてくれているようでちょっと期待。

 すでに公開されている冒頭部分を読むにつけ、飛行機の中で医者でも弁護士でもなく探偵を求める声があがって、そんなのありかとふて寝を決め込もうとした巻き込まれ体質の少年が、隣席で立ち上がって自分は探偵だと名乗るだけに留まらず、少年を助手に指名してはハイジャック犯をたちどころに撃退したシエスタという少女に誘われるまま世界を飛び回るようになる。つまりは探偵による冒険活劇かと思ったら、プロローグて探偵は死んでしまった。タイトル通りに。

 そして物語は学園へと移って、少年が少女にのどちんこを捕まれるというコミカルな展開へと流れて学園ミステリへと向かうのかと思わせておいて、その少女に特有のある事情から何かを察した少年は、少女を伴ってとある刑務所へと向かう。そこにいたのがコウモリというコードネームを持つ人造人間。なんだそれ、仮面ライダーか、っていった驚きもそのままに、コウモリは異常に発達した聴覚で少女の“正体”を見抜いてのけ、そこから世界を脅かす秘密組織を相手にした少年と少女の戦いが幕をあける。

 つまりは異能バトル。ミステリから学園ラブコメを経てSFでファンタスティックな異能バトルへと広がっていった物語は、アイドル物にもなりつつ何でもありの展開を見せ続ける。学園ミステリなりラブコメなり異世界転生なりといったジャンルに固定した方がファンも分かりやすいし読みやすい。そうしたマーケティングを無視するかのように、荒唐無稽を絵に描いたような物語を繰り広げてのけるこの英断。なおかつそれを大々的に売ろうとしているMF文庫Jの決意。ライトノベルにどこか被さっていた薄膜のようなものをぶち破って、何でもありの楽しさを取り戻そうとしているように見える。それが成功するかは分からないけれど、心意気は受け取った。ここにこうして応援を寄せてこれからの活躍を見守ろう。シエスタが過去に繰り広げた名推理の数々にも触れたいから。

 明治大学で開かれた漫画やアニメ、特撮のミュージアムに関する報告会を聞きに良い来たかったけれど、明日のパシフィコ横浜行きを考えると今日中に週明けに来る締め切りのうち、1本は仕上げておきたかったので家から出ず、午前中は布団の中であれやこれや妄想をしながら過ごし、午後は玄関先で電気ストーブを燃やしながらカタカタとパソコンを叩く。これで調子が良かったら、午前中から外に出てどこかで原稿を仕上げ、そしてシンポジウムに臨むんだけれど、夜に飲む薬のせいか午前中はあまり頭が働かず、午前中がほとんど使い物にならないから仕方が無い。

 でもって午後にどうにか形は作ったけれど、やっぱりまとまらないのを横目にパシフィコ横浜のチケットを請け出そうと外に出たら異常な寒さ。冬は近いとはいえまだ11月でこの寒さでは、12月とか1月にはどれくらの寒さになるんだろう。ただでさえ出たくない布団からますます出られなくなりそう。朝からいかなくちゃいけない身でもないだけに、怠惰が板に張りついて蒲鉾になってしまうかもしれない。午後だけでも仕事にいく状態を作っておいて良かったかもしれない。その仕事もフェイズが変わってちょっと新しい展開に。国宝級の品物を触って扱うことになるけれど、それが国宝となるか死蔵されるかは今後の展開次第か。触った結果通い方向に転ぶと良いけれど。

 テレビがずっと着いたままの仕事場で仕事をしていら時は、夕方になればどこかのテレビで相撲中継が流れていたから何となく誰が出ていて誰が優勝したか分かったけれど、引きこもるようになってテレビを観なくなり、外へと出かけるようになってもやっぱりテレビがなくてまるで観ず、そして家にあったテレビが着かなくなってニュースも観なくなると今が相撲の季節で、誰が優勝争いをしているのかまるで気付かなくなっていた。ちょっと前にロケ現場の帰りのバスに同乗して、モニターを見て今が九州場所のまっただ中だと気付いたほど。そこに果たして白鵬は出ているのか、知らなかったけれどスポーツニュースで今日、白鵬の優勝が決まったと流れていて出ていたんだと気がついた。

 最多を更新する43度目の優勝はやっぱり凄い。その凄さをもうずっと続けていながら追いつけないほどの凄さって何だろうと思ったりもする。北の湖だって千代の富士だって貴乃花だって朝青龍だってここまでの圧倒的な強さは見せなかったからなあ。他がだらしないって訳じゃないんだろうけれど、それにしても凄い白鵬関。まあ東の横綱の鶴竜が休場してしまい、大関も豪栄道、高安とも休場とはってはひとり横綱が走るのも仕方が無い。かろうじて大関の貴景勝が4敗で食い下がっている感じでは、大相撲が盛り上がりってのを取り戻すのはまだちょっとかかりそう。せめてあとひとり、スター力士が出てくれレばなあ。


【11月22日】 将棋の王将戦に大阪王将が冠スポンサーとしてついていたことに最近気がついたけれど、将棋の棋聖戦にはちょっと前からヒューリック杯として不動産会社のヒューリックが冠スポンサーについていて、新聞社とか通信社が主催して一部ドワンゴも加わった八大棋戦で唯一のそうした状況に、運営し53いる新聞社の経営が苦しくなっているんじゃないかといった話が飛び交っていた。っていうか実際に苦しいからこその今の我が身の状況ではあるんだけれど、そんな新聞社が運営していた囲碁の女流棋戦で五大タイトルのひとつ、女流名人戦がいよいよ休止されると発表。1988年から始まっていて女流では女流本因坊に続いて古いタイトルだけに引き受け手とか探したみたいだけれと見つからなかったらしい。

 だったら冠スポンサーもと思わないでもないけれど、それも得られず7月の時点で主催から降りることを発表していたみたい。ところが変わりに新しい棋戦が始まってタイトル戦となるため五大タイトルは維持されるというからちょっと不思議な話。将棋の名人戦とは違って囲碁で女流ともなるとそうはバリューもないからスポンサーになっても得られるものが少ないって判断だったのかもしれない。あと将棋と違って囲碁は女流も普通に男子の棋戦に参加しているから、女流だけの棋戦というものにもバリューは乏しかったのかもしれない。

 もとより五大タイトルといったって、女流本因坊を共同通信社以外は企業が運営しているのがほとんどだから、新聞社として将棋と囲碁のタイトルとともに維持していただけでも珍しい話なのかもしれない。とはいえ続けられるものなら続けていたものを続けられなくなったというのはやっぱり経営面が厳しかったんだろうなあ。囲碁だと十段戦も主催しているけれどこれにも森ビルが冠スポンサーになってその上で、優勝賞金が当初の1500万円から下がって今は700万円で序列最下位になってしまった。ここが崩れてそして将棋の棋聖戦もってなった時、いよいよ厳しさも世間により強く認知されるのかもしれないなあ。そうなる前に別のアクションがあるかもしれないけれど。

 YOU GET TO BURNINGというかDearestな方の紙の整理がとりあえず終わったので、昼から夜までかけて箱に詰めてエクセルに登録して所在を確認できるようにする。あとは撮影をすれば何があるかが分かるんだけれど、絵として具体的にどこのシーンかは絵コンテと照らし合わせないとちょっと難しそう。絵っていっても表面はタイムシートが被っていたり、セルでも上の方のがめいているからどのキャラクターのどの場面か分からないから。そこはだからやっぱり絵コンテの電子データが必要なんだけれど、どこかにあるんだろうか。紙のはCDドラマにセットになったものが家にあるんだけれど。それをとりあえず持っていってこれから整理に入る絵の具が塗られた透明なシートの確認に役立てようか。

 サイクロプス、つまりはひとつしかない目が顔に大きく見えているのに怖くなくってむしろ可愛いところかZトンさんのイラストのたまものか、他の人から脈々と流れてきているサクロプスの可愛い描き方の成果なのか。そこは追ってきた訳じゃないから分からないけれど、折口良乃さんによる「モンスター娘のお医者さん7」で表紙に描かれたメメちゃんの泣きながら頑張ろうとしているような表情を観てキュンとならない人はいないんじゃなかろーか。

 もしもメメちゃんがリアルな肉体を持って実在したとしても……ってところまで言い切れるか分からないけれど、映画「妖怪大戦争」とか「妖怪百物語」あたりに登場する一つ目小僧だって結構可愛いんだから、サクロプスの美少女がいても受け入れられそうな気がする。口から煙を吐いてマネキンにしてしまわなければ。一つ目っていうとやっぱりそこに行き着くんだよなあ、僕らの世代は。お話しの方は一夫多妻で3人の妻が決まったグレン医師をしたいそうな新たな少女プラムが登場。ヴァンパイア族の娘でギャルっぽいけどコミュニケーションが苦手だったりするところがあったりする。

 着飾ってデビューを飾りたいけどうまくいかないお年頃。優れたアクセサリーを作るメメを慕っているけど空いては自虐女王みたいなところもあって自分なんてと気後れを見せるし、アラーニャってファッションデザイナーを師匠と呼んで慕っても、それは勝手なファン心理だから相手にはなかなか通じない。そこで引っ込まないところがプラムの良さ。そんな彼女とグレン医師の交流から、しばらく中断していたお祭りが再開されて二代目モーリーの奥から先代が復活して竜闘女のスカディも昔なじみに会えて八方丸く収まった。誰かが不幸にならず誰もが幸せになっていく、というかさせるグレンの手腕を楽しんでいけるシリーズ。でも何か波乱の予感。どうなるか。追っていこう。

 えっと「バビロン」じゃないよね「PSYCHO−PASS3 サイコパス」の第5話は、正面から話している人の顔をとらえた場面で口しかぱくぱくしていなかったり、大勢が描かれている場面で誰もが同じ方向を向いていたりといろいろ作画的に微妙なところがあってどうしたものかと思ったというか、どうしようもないんだろうと考えたというか。ストーリー自体はいろいろと複雑化してきて狐の組織に迫りつつ、先を行かれて困る展開にどこへと向かうのかが気になるところ。霜月課長がギャグ要因化しているのも面白いけどそういう描写ってこれまでのシリーズであまりなかったから違いが際立つ。ペッツを何錠も頬張ったりホロのナビゲーターを燃やしたり。おかげで観る楽しさもあるからまあ良いか。折り返してさてどこへと向かうか。これも観ていこう。


【11月21日】 auのLISMOのCMでとてつもない可愛らしさを放っていた頃だったら川口春奈さんの登場に気持ちも沸き立ったかもしれないけれど、それから何年も経った今、どういった雰囲気でどういった活動をしているのかあまり見ていないからいったいどんな濃姫というか帰蝶を演じてくれるのか、まるで想像がつかないから代役として立ったことへの評価は保留。ただカリスマ性を見せつけてくれただろう沢尻エリカさんの代わりに演じなくてならないプレッシャーを承知で引き受けたその心意気は買わざるを得ない。

 事務所が同じ研音だから、っていうのはこの場合関係ない。この気に推したい女優をということであてはめられたのだとしても、それならなおのことかかるプレッシャーは大きくなる。不評だったら今後の女優生命にだって関わりかねない代役を、演じてのけた暁には10年20年は戦える女優になっていくんじゃなかろうか、ってそこはやっぱりよく分からないなあ。個人的にはやっぱりのんさが良かったなあ。それにしても濃姫って織田信長の評伝とかでも結婚までは良く語られるけどその後がちょっとはっきりしない。織田信雄とかいった子供たちの母親でもない、そんな役をどこまで演じきるのか。そこも興味。テレビ買い換えるかなあ。

 「総理が主催する『桜を見る会』をめぐり、総理の選挙事務所が『桜を見る会』に参加できる可能性を示し、有権者に総理への支援を呼びかける会合を開いていたことが分かった」。っていうのはとある記事のパロディで、元ネタはベネッセが新しい大学受験の試験で民間委託の部分を受けていることを営業の際にアピールしていたことに対して、文部科学相が抗議をするとかしないとかいった記事だけれど、、宮内庁御用達にしても政府の入札指名受託にしてもそれがある種の信用に関わることだったら営業に使って何がおかしいって話になる。そういう場所で自慢できないくらいにテキトーな指名だったのか? 違うだろうに。

 ある意味で堂々と戦って勝ち得た栄誉なんだから自慢して当然、とまでは言わないまでもそれに指名した側が抗議するのは間違っている。それよりも問題はやっぱり利益誘導にしか見えない選挙区の有権者に対する様々なサービス。それをやってしまった現場に対して総理大臣は抗議すべきなんじゃないのか、って自分に対して自分が抗議はできないか。だったらそこは法と正義に則ってどこかがちゃんと言わないと。1000人もの枠があって民間人に過ぎないと閣議決定された夫人にも枠があったらもうそれはベネッセのアピール以上に実弾性が高い訳だから。でもスルーされるんだろうなあ、健康保険が崩壊するかもしrないFTAの衆議院通過とともに。そんな国に生きている。生きていけるか自信もないまま。

 テレビに関連した出演者のアテンドも一段落して三鷹でのアーカイブ業務にぼちぼち復帰。ずっと進めているYOU GET TO BURNINGというかDearestな奴の紙の整理を昼から夜までかけて進めて、1本分をどうにかやり終える。番号順に並べ直したら割とちゃんと揃ってる気が。これで展覧会とかもやればできそうだけれど、いざやるとなると選ぶ人も大変なら仕切る人もきっと大変なんだろうなあ。でも見たい、やっぱり見たい可愛いツインテールの美少女だとかロボットを操る3人娘だとかいろいろなキャラクターたちを。そんな時が来ることを願って整理。あとは撮影をして記録だ。

 10年後の今にそんな仕事をしているようになるなんて、想像したかとうとまるで想像できなかったけれども片渕須直監督の方も10年が経ってなお「マイマイ新子と千年の魔法」が劇場で上映されるとは思っていなかったんじゃなかろーか。舞台挨拶が行われた新宿ピカデリーで10年目を記念する上映会が開かれて片渕監督と、諾子を演じた森迫亜衣さんが登壇。森迫さんは10年前にはいなかったから「マイマイ新子と千年の魔法」絡みではこれが初の登場になるらしい。10年経っても監督は替わらずエイベックスのプロデューサーも変わらず「10年経った気がしない」と片渕監督は言うものの、森迫さんを見た時だけは「10年とはこういうことか」と思ったとか。少女が美女になる年月ってことですね。

 舞台挨拶こそ満席だったもののその後しばらく低迷して上映時間を減らされ打ち切りか、なんて話が出始めてから劇場に足を運ぶ人が増えたもののシネコンはそれで復活するほど甘くなかった。もう終わりかってところでラピュタ阿佐谷が上映を買って出てロングランへと至ってDVDが出てブルーレイディスクも出てDCPまで作られて8年目9年目10年目の上映も実現した。こんな映画が他にあるか? ってところでやっぱりそれだけ響く映画だってことなんだろう。ファンが盛り上げ作り手が答えていっしょになって長く生き続ける映画がある。そんなカテゴリーを切り拓いたって意味で「この世界の片隅に」に先行して「マイマイ新子と千年の魔法」には価値がある。そう思う。

 海外でパッケージが作られる際に行われたクラウドファンディングで、日本から変えたアートブックを再編集というか抜粋した上で新しくインタビューを乗せたメモリアルアートブックが出たんで劇場で購入し、片渕監督からサインを頂く。いろいろとご心配をかけているかもしれないけれども私は元気です。まあ今はリハビリみたいなものだけれども改めて、10年の今まで這いつくばるような場所から盛り上げ今なお上映される栄誉を得た上に、新しい「この世界の片隅に」の大ヒットを成し遂げ「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」まで作れるようになった10年という片渕監督の歳月を思い、僕にも何かあるかもしれない、というよりあるようにしなくちゃいけないという意識を新たにする。頑張ろう、10年後にも笑って劇場に足を運んで20年目の「マイマイ新子と千年の魔法」を見られるように。


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