縮刷版2019年10月上旬号


【10月10日】 史上最強とか言っていったい観測記録がいつから付けられてたんだと「天気の子」の神主さんに叱られそうだけれど、それでも観測史上で最強となればやっぱり緊張してしまう台風19号。大阪辺りに上陸するかと思ったら、日本列島の手前でくいっと沿岸部を沿うようにして曲がって房総半島へと一直線。東京湾あたりから本州に食い込む動きを見せていて、このままいけば12日の夜から13日の朝にかけて関東地方を暴風雨圏に叩き込みそう。前回は船橋あたりはまるで影響もなく過ごせたけれど、今回はもしかしたら高潮からの浸水なんてあったりするのかな。海から1キロはあるとはいっても斜面になっている訳じゃないから、そのまま浸かってしまう可能性もありそうだ。

 それでも前回からの影響がない分、船橋あたりはまだ良いけれども房総半島になると台風15号で屋根とか飛ばされてシートで覆われているところも結構あったりする。そこに風が吹き込んだらもう簡単に飛ばされてしまいそう。なおかつ停電の影響が残る地域はせっかく復旧した電力がまた途絶えてしまうなんてことも。あとゴルフ練習場の鉄柱が倒れてしまったところとか、復旧もしていないのにさらに倒れて期待したらもう家が潰れてしまう。さすがに備えはしているとは思うけれど、備えたところで完全な復旧が成されていないだけに元の木阿弥にならないかが今は心配されている。

 アニメファン的には鴨川に預けられている「輪廻のラグランジェ」のカット袋が入れられた段ボール箱が幾つかぬれてしまったことが心配で、ふやけてぐずぐずになっているところにさらに雨があたれば今度は中のカット袋に被害が出てしまう。全話数分の原画も動画も背景もそろっているからこその価値、すなわちアニメーションが1作分、作られる上でどれだけの原画とか動画とかいったものが使われるのかを証明している資料でもあって、それらが一部でも書けたら大きく価値は損なわれてしまう。時代が時代だけにセル画というものがないのは寂しいところだけれど、それがあったら物量はさらに増えるし保存もちょっと面倒になる。幸いにも原画と動画と背景あたりだったから保管はされたけど、それが濡れてしまわないかが心配。ちょっと見に行ってこようかな、って台風の最中に川をのぞきにいくようなフラグを立てる気はないけれど。

 リンさんとすずさんが交流をして、テルちゃんもいたりする「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の予告編が公開となって思ったことは、これはもうアニメーション映画「この世界の片隅に」とは別の映画になりそうだってこと。「この世界の片隅に」では誰とも知らないすずさんとリンさんが人生の瞬間においてクロスする一期一会だからこその淡い関係が、静かに尾を引いて分かたれた人生の差を感じさせてくれたけれど、「この世界の(更に幾つもの)片隅に」では2人の交歓がしっかりと絡み合って裏と表、右手と左手、宵と暮れのような多面を見せながら進んでいく。
B  結果、浮かぶのはそうやってどっぷりと重なって並行して進んだ関係が、ベリベリと引き裂かれて剥がされていく残酷さへの憤る気持ちであり、いっしょに歩んでいけなかったことへの悲しみであり、それと同時にいっしょにはいられなかっただろう痛みといった感情。それらを通説に味わったあとで迎えるラストは、たとえ「この世界の片隅に」と同じようであっても、より強く激しい喜びと嬉しさを感じさせてくれるんじゃなかろーか。ほんわかとして優しく、それがどんよりとして暗く、けれどもふっと明るくなった「この世界の片隅に」とは違った感じ方をさせてくれそう。そんな感情のコントロールをさて、片渕須直監督はどうやって付けてくるのか。絵柄だけでなく音楽なんかもいじってくるのか。今からとても楽しみ。東京国際映画祭で見たいけど、それはやっぱり無理かなあ。

 片里鴎さんという人の「異世界の名探偵1 首なし姫殺人事件」(レジェンドノベルス)がなかなか良かった。ファンタジー世界ならではの設定がありながら、それらも含めてフェアな謎解きを求められる本格ミステリってことで、過去だと片理誠さんの「屍竜戦記」があり大評判となった米澤穂信さん「折れた竜骨」なんかもあったりするけれど、そうした作品が好きな人なら読んで楽しめる作品ではなかろーか。探偵に憧れて警官になってつまらなくて興信所に転職したら刺されて死亡。したかと思ったら異世界に転生して赤ん坊からスタートする。

 記憶は受け継がれているから探偵を目指して本を読みつつ家の手伝いもしつつ、魔法の鍛錬もしていたら、誰よりも巧みに魔法を使えることが分かって国立学校にいくための試験を受けて来いと親に言われた。そうあって欲しいという願いが力となるのがこの世界の魔法。主人公は前世の記憶から分子運動とか物理法則とかを理解していたため、それらを頭に思い描くことで強力な魔法を発動させられた。とはいえ貧乏な平民だから特待生での入学が条件。試験を受けに赴いた国立学校で主人公は大貴族の息子で優れた能力の持ち主や、女性なのに没落貴族の跡取りであるべき男子を見なされ続けた少女と出会う。

 入学試験はパスして特待生の視覚も得て、主人公は友人となった貴族の息子や女子とともに勉学に励んでそして卒業も上位4人のうち3人ともが入る。そこで国から表彰を受けることになって赴いた場所でとてつもない事件が発生する。いったい誰が犯人なんだ。そしてどうやって事件は起こったんだ。魔法が存在することも条件い含めて推理するこでたどり着くある真相。人間のこれは厚みなのが歪みなのか。命を引き替えにして成り立つ正義などないと思えばやっぱり歪みなのかもしれない。とりあえず事件は片付いて主人公は探偵になるべく修行を始める。次からどんな難事件が? 気になるので続きを早く。


【10月9日】 「ケータイ捜査官7」ってテレビドラマがあって基本は携帯電話型のロボットが登場する特撮的なドラマなんだけれど、あの三池崇史監督が手がけたことでも話題になった上に押井守監督までもが参加して、確かいかにも押井守監督だって雰囲気のエピソードを作っていた。「たまごっち」を開発したことで知られるWizが実写なのにプロダクション・アイジーと組んで作ったことでも異色でユニーク。それがブルーレイボックス化されて発売されるってことでちょっと世間が湧いている。

 ウィズって会社はバンダイから独立した人が社長を務めていろいろオリジナルの玩具を出していたけれど、結局は独立を保てないままバンダイの企画開発に特化することになって今は表舞台から引っ込んでしまった。そんな会社でも一時はオリジナルの玩具を打ち出しメディアミックスも展開できたってところにエンターテインメントの面白さがあり、また厳しさもある。玩具の方はネットで見たら妙にプレミアムがついている感じ。携帯電話に手足が生えるだけで動く訳でも喋る訳でもないのに。基本となたガラケーも消えてしまった今、そんな時代を感じさせるってことで関心を持たれているのかな。主演は窪田正孝さん。ここも今に人気の理由か。どれくらい売れるかなあ、ブルーレイ。10年後を描いたスピンオフドラマとか作られたら面白いけど、企画する人がいないよなあ。

 そして気がついたら小松左京さんの「日本沈没」が「夜明け告げるルーのうた」「きみと、波にのれたら」の湯浅政明監督によってNetflixで連続アニメーション化されることが決まってた。作るのがサイエンスSARUだからテイストはやっぱり湯浅さん的になるんだろうけれど、「マインドゲーム」的で「DEVILMAN crybaby」的なスタイリッシュ系の絵柄になるのか、「きみと、波にのれたら」のようにキャッチーな絵柄になるかはキービジュアルからは不明。ただ設定が2020年の東京オリンピック後にされていて、日本がここからどっちに向かうかって時に襲ってきた大災害が、これからの日本と日本人の行き方を提示しそう。

 特撮だったからこその崩れ落ちる山々とか瓦礫と化す街々なんかの迫力も以前の映画版、そしてドラマ版にはあったけれどもそれを同じ密度でアニメーションでやろうとしたら、それこそ「幻魔大戦」級の緻密な絵が必要となってしまう。湯浅政明監督のアニメーションはどちらかといえば省略が多いからそうした背景にはならなさそう。ってことはミニマルに非才に遭遇した主人公たちが出会う現象を追いつつ、大きな出来事が進んでいることを流してそれに翻弄されつつも切り抜けていこうとする姿を描くことにあるのかな。国家だとか民族だとか大きな物語は脇において。

 ただそれだと「東京マグニチュード8.0」ってアニメーションと大きく違わなくなってしまう。巨大地震に遭遇した姉と弟がたどった物語を途中、悲劇と幻想も交えて綴りながら巨大地震では何が起こるか、そこではどう振る舞うべきかを教えてくれるアニメーション。それこそ毎年放送されて啓発に役立ててもらうべき作品なんだけれど、今は有明にある防災センターでショートバージョンが流れて啓発に使われているくらい。その再来を「日本沈没」に期待できるのか、もっと大きな物語へと発展していくのか。湯浅監督の采配次第って感じかなあ。Netflixで一挙配信だから毎週のゾクゾク感とは違った、畳みかけられるようなスペクタクルを味わえそう。今の境遇だと辛くなりそうだけれどそれでも配信されたら観ないといけないかな。

 まったく訳が分からない。再開されたあいちトリエンナーレ2019での「表現の不自由展、その後」で復活したらしいChim↑Pomによる「気合い100連発」がなぜか反日だとかどうとかいった文脈で語られているらしい。中で「放射能最高」と叫んでいるからだ、ってことらしけどどんな作品かを知りもしないで、文字通りに言葉尻だけとらえて批判しているとしか思えない。だってあの作品は放射能の拡散が言われた福島県の相馬へと行ったChim↑Pomの面々が、まだ復興の動きすらなく瓦礫がつみあがって巨大な船まで脇に転がった中に立って円陣を組み、今は大変だけれどここいらで気合いを入れてこれからを生きていこうぜって行った一種のパフォーマンス。そこには一切の台本もなく、回って来る順番の時に何を思ったかを声に出してっただけだ。

 現場は人がいても大丈夫だけれど、それでも感情的には放射能の不安も漂う中、これからずっと暮らしていかなくちゃいけない若い人が大嫌いなもの、退けたいもの、逃げ出したいものに対して自嘲と自虐をこめてサイコーと言っているだけ、ってことが作品を観ていれば普通に分かる。その後に最高じゃないって言葉も挟まりしっかりと、放射能だらけにされてしまった状況への批判であり嘆きであり、それでもそこで生きていかなくてはいけない者としての雄叫びになっている。礼賛じゃない。むしろ避けたいものへの避けられないからこその韜晦。それを見ていて頑張れよって誰もが思った。負けるなって思った。そいう作品だ。

 2011年5月20日だから震災からまだ2カ月ちょっとしか経ってない時期に作られた心からの応援歌。それのどこが反日なんだ。展覧会を見に行った時の感想があるからここに再掲するなら「あのプラスアルファだけを取り上げられて、お騒がせだと語られるけれども展覧会『REAL TIMES』に行けば例えばいろいろ見えてくるものがある。10人が円陣を組んで、100回気合いを入れるといった映像作品なんか、パッと見で外野が観光気分で来て騒いでいるだけのようにとらえられそうだけれど、福島原発の事故の影響で立ち入りへの遠慮が出てしまって、瓦礫の撤去が遅れてしまった地域へと入って、そこで見捨てられた感を味わっている地元の若い人たちと円陣組んで、自由なことを言いながら気合いを入れていっているところに意味がある」って書いていた。

 「現地の人たちもこうやって頑張っていこうって思っているんだと伝わる空気。組んだ円陣の中央からのぞきこむ顔を撮った映像が、変わって引いた映像になった時、陸地に乗り上げた船がすぐそばにあって、そこで起こった事態の大変さをバッと見せ、それでも強く叫び笑う若い人たちの声が、固まった心を解きほぐしてくれる。 極めてシリアルに事態をとらえつつ、それを極端なシニカルにはせず、コミカルにもしないけれども決してストイックではないような感じで行為の中に取り込んで、解釈して発信してみせようとしているところがアート。面白かった」。

 8年が経って福島第一原発は未だに終息せず解体もされないまま熱を持って放射線を発し続けている。狭まったとはいえ入れない地域はまだまだある状況で、なおも有効なメッセージを放つ「気合い100連発」を取りあげて反日だの反福島だのと言う者たちが存在するところに、どこか底が抜けてしまったこの国の意識ってものがある気がする。どうして天皇陛下の版画を燃やさざるを得なかったかを考えもせず、末節だけを取りあげて座り込みのパフォーマンスるをする首長とかも平気でいて、それを支持する人もいたりするこの状況。取り返しがつかない国になってしまったなあ。そんな国で泳いでいけるんだろうか、自分。


【10月8日】 相変わらずテレビが見られない状態なのでAmazonPrimeVideoで「バビロン」を一挙に第3話まで。野崎まどさんのあの不穏なアニメーションをどうやってテレビアニメにするんだろうと気になっていたけれど、3話までで第1巻の「バビロン−女−」をしっかりまとめてミステリアスな端緒とインモラルな会話劇、そして衝撃のクライマックスへと段取りよく運んでくれていた。絵は決してよく動く感じではなく棒立ちに表情を変えず口パクで会話させるところもあって省力的。でも見せ方と展開でしっかり引っ張ってくれていた。

 これは原作の力でもあるんだろうけど、脚本だって貢献しているとしたら第3話真でひとりで書いている坂本美南香さんという人が凄いってことになる。でもあまり聞いたことがない名前。いったい何者だ、ってそこには(ツインエンジン)と書いてあるから、プロデュース会社に所属している人ってことになる。昔のタツノコプロみたいに文芸があるのかな。それでもいきなり脚本家ってやっぱり不思議なので調べたら、ツインエンジンを率いる山本浩治さんとも関わりが深い湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」で宣伝パブリシティやっていて、そして「モンスターハンターストーリーズ」では(フジテレビ)という肩書きを付けてアシスタントプロデューサーをやっていた。

 フジテレビの人だったのか。それを山本さんがアニメーション関係の仕事を通じて知り合って、独立して立ち上げた会社にやがて引っ張ったってことなのかな。もともとが首都大学東京の2年次という2014年に、第8回活水文学賞で優秀賞を受賞したことがある人で、書くことへの興味があったんだろう。フジテレビに入社してもその思いが強く独立したか、休職したか出向したかでツインエンジンに身を寄せて「ペンギンハイウェイ」で何かプロデュース関係の仕事をしつつ、本格的に脚本家になるための修業を始めたのかもしれない。

 いやもう修行ではなく立派に脚本家デビューを果たしてくれた。第2話とか毒を含んで聞いたら影響を受けそうな会話劇をよく描いてた。第3話でも他人を納得させそうな誘いをちゃんと描ききっていた。原作の力だけじゃない脚本家の力があるとしたら、それはどこまで続くのか。残る話数での関わり具合、そして今後のツインエンジングループでの活躍を見守りたい。「バビロン」の方は放送がこのあと2話分あるから、AmazonPrimeVideoでの配信はそれが終わってからかな。何度でも見ると影響されそうだけれど脚本を吟味するためにもまた見ないと。メンタル弱っている今だと影響されるかもしれないなあ。ちょっと怖いや。

 辻村七子さんの「宝石商リチャード氏の謎鑑定」がアニメ化されるそうで、あの美形で女性とも間違われるくらいでそれでいて年齢は結構いってるらしいリチャード氏をいったい誰が演じるのかに興味が向いていたら、ようやく発表になって櫻井孝宏さんが起用されていた。うんピッタリ。ややハスキーさはあっても基本は美声でイケメンに相応しい上にどこか女性的なところもあり、なおかつ毒を含んだ優しい声も出せる。これならあの狷介なリチャード氏を出せるだろう。そして正義に対する様々な思いって奴もそこに込められるだろう。読んでいたら言葉で感じられる悶々が、絵になると濃さを増しそうで倒れる女性とかいっぱい出るかも。アニメ「バビロン」が観る毒薬なら「宝石商リチャード氏の謎鑑定」は観るしびれ薬ってところか。

 先に焼いたのは美術館の側であって昭和天皇がコラージュされた作品がどうにも拙いということで、それが掲載された図録を発売しないで焼却処分としてしまった。だったらと作者がその版画を焼いた行為が問題とされるなら、図録を焼いた側だって同じくらい問題だと思うのだけれどどうにもそうした議論には向かわない。なおかつ世の中では新聞雑誌に掲載された天皇陛下たちの写真が焼却処分にされたり廃棄処分にされたりしているにも関わらず、そのことを不敬と問う声はあまりない。それを言い出したらとてつもない古紙が溜まってしまうから。

 にも関わらず、返し技に過ぎなかったあいちトリエンナーレ2019でのそうした展示をことさらに挙げて、御真影を焼くとはと訴え座り込む名古屋市の河村たかし市長のもともとの稼業は古紙のリサイクルで、きっと集めた新聞には天皇陛下だって掲載されたものがあっただろう。それらを河村しちょうは1枚1枚抜き取って溜めていたんだろうか。息子が継いだというその仕事でもやっぱり天皇陛下の写真がちゃんと抜き取られていて、焼却の融解もされていないなろうか。座り込んでいる場にいって古新聞の束を渡してどうしますかと尋ねる猛者がきっとそのうち出てくるかも。いつまで座り込みをしているかは分からないけれど。

 ふと気がついたらプレイステーション5のことが正式に発表になっていた。日経にリークじゃなくWAIREDに取材させるところがグローバル企業となったSCIってことなのか。ともあれコンソールとして生き延びつつ8Kといったハイレゾリューションな表現への進化もちゃんと遂げていくところがプラットフォーマーらしいというか、AVが本業のメーカーらしいというか。これで任天堂のようにコンソールと携帯の合一を狙い間をとったようなSwitchを強化していくような動きを見せたら、コンソールはXbox ONE一色になってしまうから。それでも良いしクラウドゲームで対応も可能なんだけれど、やっぱりゲームはゲーム機で楽しみたいって人も未だ居るからなあ。圧倒的な解像度で圧倒的なボリュームを誇るゲームを是非に。とりあえず8Kでパネキット遊びたい。


【10月7日】 興行通信社の週末映画興行ランキングで「ジョーカー」が1位に。やっぱりという感じではあるけれども決して喝采を浴びての上映という感じではなく、観れば沈鬱にまみれて動けなくなるくらいの衝撃を受けている人たちが続出。にも関わらずそれを見に行かざるを得ないくらいにこの国は、この国に生きる人たちは「ジョーカー」が訴える主題に対して強く理解し共感せざるを得ない状況におかれているってことなんだろう。「若おかみは小学生!」の令丈ヒロ子さんは「ジョーカー、若おかみ劇場版よりは辛くないという噂はホントなんだろうか」とツイートしているくらいにその内容への関心は高まるばかり。こうした口コミドライブが働いて今週末もまた大勢が劇場へとかけつけ、そして衝撃に打ちのめされることになりそう。

 「若おかみは小学生!」より辛いか辛くないかと言われれば、去年の公開時に観た「若おかみは小学生!」は可哀想だったけれども救われて喜びがあって辛さはまるで感じなかった。でも今のこの境遇で観たらもしかしたらいろいろと思うところがあったかもしれない。ただやっぱり、救われる物語ではあるからそこから闇に向かうことはないけれど、「ジョーカー」は観れば落ち込むかその先へと足を踏み込むかするしかない。仮に「若おかみは小学生!」の公開時と同じ境遇で観たとしても、いつか来るかもしれないその時を思って戦慄しただろう。だからやっぱり辛さでは「ジョーカー」が上。「天気の子」よりも絶対に上。そんな映画が大流行するこの国がやっぱり生きづらさに満ちているって現れでもあるんだろー。辛いなあ。

 8月の景気判断が「下げ止まり」から一気に「悪化」に修正されたそうで、10月1日に消費税を上げたばかりでのこの変更はつまりはどん底へと落ちている状況でさらにどん底へと落とす行為が行われたってことを指し示す。来るのは底割れからの地獄行き。きっと内閣府だってそんな景況にあると分かっていたんだろうし、トレンドがそうなっていることくらい調査の過程で検討もついていたんだろうれど、だからといってそれで増税が止まる訳でもないから知らん顔して今になって発表なんてことになるのかな。駆け込み需要がぴくりとも起こらなかった9月を経て増税後の10月にいったどんな景気判断が出るのか。「悪化」を上回る「大悪化」とか「超悪化」なんて言葉が出て来たらちょっと笑う。ジョーカーみたいに。

 よく立ち寄る家から1番近いコンビニにしばらく前に本や雑誌のコーナーを移してイートインが作られたんだけれど、消費税の引き上げで食料品の軽減税率が導入されたもののイートインで食べると外食と見なされ10%が適用されることから、買ってイートインで食べる人たちがまるで見られなくなってしまった。店の方でもそうせざるを得ないのか10%になるんだよって告知のチラシをおいてあるから余計に使いづらい。レジで持ち帰りですって言ってそのままイートインに行くなんて度胸、誰にもないから。だったらと店を出てすぐ前で地べたに座って食べるかというと、それもまたヤンキー文化な感じ。やってやれないことはないけれど、そういう人が増えれば今度は路上で食べるのは迷惑とネズミよけのトゲトゲプレートが置かれるようになるんだろう。便利が損なわれ消費が冷え込む消費税。なぜ導入したんだろうなあ。

 いつの真にりょくち真太なんて名前で書き出したんだろうとちょっと驚いたつるみ犬丸さん。「戦国ベースボール」シリーズは2015年の5月が第1巻だから、つるみ犬丸名義で出た「駅伝激走宇宙人 その名は山中鹿介!」の方が先を行ってて続刊も出て面白さに活躍を期待したんだけれど、そっちの路線は続かず「ハイカラ工房来客簿」といったお店ものへとシフトしていった。でもやっぱり本質は戦国と現代が繋がる中にスポーツを持ちこむフィクションって訳で、その名も「戦国ベースボール」を集英社みらい文庫から大人気となったみたいで16巻もの大人気シリーズになってしまった。これが角川つばさ文庫から出ていたら……って地団駄踏んでる関係者もいたりするのかな。いないのかな。

 その活躍にだったらもう1度うちでも、ってならないところがお家の事情か。代わってLINE文庫からつるみ犬丸名義で「出雲の阿国は銀盤に舞う」が登場。戦国の世に歌舞伎を極めながらも故郷に帰ってなくなった出雲阿国が現代に甦ってはアイスダンスの選手ながらも心が弱くて上手くいかない男子の前に猫の姿で現れて、いろいろと指南するといったストーリー。まさしく戦国と現代とスポーツが結びついた「駅伝激走宇宙人」の路線復活。それをやっぱりKADOKAWAではなくLINEでやられてしまうところにやっぱりいろいろな謎を感じる。

 お話しは父親のプレッシャーに弱く本番でいつも失敗するアイスダンスの男子が、女子の熱烈なアクションも受けつつ復活を目指して阿国とともに頑張るっていったストーリー。プレッシャーだけでなくリフトしたペアの美しさに見とれて落としてしまうあたりは単に集中力が欠けているだけって思わなくもないけれど、常に緊張を強いられていると時々フッと気持ちが途切れてしまうこともあるし、空想へと心が飛んでしまうこともある。そうした性格をよく描きつつ、それをどうやって克服していくかも描かれていてプレッシャーに苛まれて沈んでいる身にいろいろと突き刺さる。果たして復活できるのか。そしてその後は。阿国の活躍も見てみたいところ。「銀盤カレイドスコープ」以来のフィギュアラノベに喝采。ラノベなのかはよく知らない。


【10月6日】 「信頼していた出版社がやらかしたニュース」と「響け!ユーフォニアム」の武田綾乃さんがツイートすれば、万城目学さんも「筆者・作品、さらに自分の会社とトリプルで評判を既存することを厭わない宣伝部に、万事お願いしなければならない現実を前に躊躇する。そら、躊躇する」とツイートして、いったい何が起こっているんだろうと驚き慌てていた例のヨイショ感想文の件は、さすがにやり過ぎだと感じたが身内からの非難も答えたか、取りやめになったようでまずは一安心といったところ。

 感想文をツイッターで募ることは別に悪いことではないし、ちょっと面白がってみんなで誉めてくれれば嬉しいよって言ってもそれは構わないとは思うけれど、ヨイショ前提の感想分をおおっぴらに求めてしまうことがやっぱりどこか虚ろな感じがするし、それに対価を出すというのは作家が、あるいは版元が評価をお金で買いますよって表明でもあって、そうした感想文を素直に信じて良いのかって問題も起こってくる。

 なるほど推薦コメントだって解説だってお金をもらってその本をある意味でヨイショしていたりする部分もあったりするから、そうした仕事をちょこちょことしている僕としても感想にお金は出すべきではないと言われると困ってしまう。ご飯が食べられなくなってしまうから。でも、そういう場合は感想を求められて思う範囲で答えることが、結果として誉めているといった呼吸がそこにあるものが、今回は最初からヨイショ前提だから何か裏が見えて仕舞った感じがある。底が抜けてしまったとも。

 どうせそうだからこれでいいのだというあからさまな態度が、ここに来てあらゆる分野に噴出している感じ。政治でも経営でも行政でも、タテマエより先にホンネが出てそれを恥じない人たちが率いている社会は弱者への悪罵も平気でホンネとして飛び交うようになる。生きづらいなあ。そんな生きづらい社会に所属を飛び出してしまって漂い始めてちょっとヤバかったかもしれないけれど、そうした所属自体もいずれ消えていく感じ。ならば早めの手を打って、次のボートにたどり着ければ良いんだけれど未だ海原のまっただ中。港はどこだ。

 以前だったらイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーンに「HELLO WORLD」がかかって岩浪美和音響監督が来訪するとなったら絶対に見に行ってたところだけれど、気力に乏しい今の心境ではそれを見てから夜の阿佐谷ロフトに転戦するのも無理だろうと諦め、かといって図書館にこもって原稿を書く気力にも乏しかったので家でうらうらと昼過ぎまで寝ていたらだんだんそれが普通になってしまいそうになってきた。仕事したって将来何につながるのって思うと起き上がれなくなる。でも生きていかなきゃいけないのなら何かをしなくちゃいけないんだと思うとそこはいやでも動かないと、ってことで気合いを入れて起き出して、阿佐谷へと向かってアニメーション監督のコバヤシオサムさんが司会を務めるイベントで杉井ギサブロー監督と、それから前田庸生さんのトークを聞く。

 杉井監督は前にインタビューもしたことがあったし、今は無き銀座シネパトスで評伝のドキュメンタリーが上映された時とかに行ってトークを聞いていたからおおよそお感じはつかめていたけれど、沼津で生まれ育って東京に行ったあたりから掘り起こしていくコバヤシオサム監督のトークで振り返るとなかなかに新しい発見もあり、1時間くらいのインタビューでは聞けないこともあっていろいろと勉強になった。とりわけ面白かったのが、「ジャックと豆の木」あたりを手がけて「まんが日本昔話」が始まるかどうかって時に放浪の旅に出た話。聞いてはいたけどその先々まで前田庸生さんがやって来て、絵コンテをとって帰って行ったらしい。

 とはいえそうして稼いでいたんじゃなく、鬼の子どもの絵を売って歩いていたというのは前にも聞いた話ではあっても、本当にそれで1日に10枚も売れればと思いながら歩いていたけど売れずに宿賃にも困りながら、それでも鷹揚にかまえていると毎日の焦りとかいつか気にならなくなるって話がちょっと響いた。追い立てられて自分がやらなければと思い込んでいたのに、そうじゃないことに気付く。そして何もしないことが不安じゃなくなる。羨ましいなあ。そうはいっても時々は絵コンテを描いてお金ももらえてたんだから、って思ってしまうけど、そういしたお金は家族に送って自分は気ままでもない放浪生活。その中でいろいろと感じることが大事なのかもしれない。旅に出るかなあ。お金だけはあるんだよなあ。

 とにかく午後6時半から10時を過ぎるまでの長丁場では、アニメーターという仕事についての心得めいたものもあって、最近はあまり動きを描きたがらない人がいたりするって話しにそうかもしれないなあと感じたり。東映動画であの大塚康生さんの下で仕事をしていた話から、大塚さんは本当に絵を動かすのが上手くって、そしえ描いたものを店絵回っていたという。あの時代は誰もがアニメーションは絵を動かすもので、アニメーターはそうした絵を動かすことが大好きだったんだという。それってアニメーターの基本じゃないのと言えば今もそうだけれど、でもやっぱり現場ではキャラクターの絵だけを描いていたい人、それしか描けない人もいるんだとか。

 動かす喜びはだからデジタルの方へと移っていて、CGでのモーションなんかでどうやって動かすかってところで日々の鍛錬が行われている。一方で絵描きとしては抜群なのに動かすことにはあまり興味を示さないアニメーターさんたち。このギャップがあるいは将来の作画アニメーションに何かヤバい事態をもたらすのかもしれない。すでにもたらしているのかもしれない。ほかには杉井監督が旅先であだち充さんの漫画を読んで気にしていたら、アニメ化を頼まれ「ナイン」を手がけてそれがあだち充さんに気に入られ、自分の漫画をアニメで表現してくれる人がいたってことが「タッチ」のアニメ化にも繋がったという話。

 そんなあだち充さん原作のアニメでキャラクターを造形したのが前田庸生さんで、あの漫画のタッチをアニメにする難しさに挑んでちゃんとあだち充キャラに見える、そしてアニメーションで動かせるキャラクターを造形したとか。杉井監督のさまざまな作品にで名前を見かける前田庸生さん。絵も抜群に描けるし演出もできるけれどお1990年代半ばからはデジタルへと関心を向けてグループ・タックが札幌にビー・ユー・ジーと立ち上げたサテライトで仕事をしていたのが今のサテライトに繋がっているということは、マクロスシリーズのCG活用にも大いに関わっているってことなのか。京都在住でなかなか来られない人だけに貴重な話が聞けた。ともあれこうしたアニメーション関係者の生の声を、やっぱり聞いておかないといつ聴けなくなるか分からないというのは7月に思い知らされた。聞いて何をするってことでもないけど、誰かが聞いておけばそれがいつか繋がるのならそれもアーカイブなんだと思えてきたので、落ち込んでないで頑張って出かけていこうかな。


【10月5日】 「らんぷの下」でデビューしてそれがあまりの絵の巧みさと物語の重厚さで漫画ファンの度肝を抜いた一ノ関圭さん。その後も作品は発表し続けているものの、寡作で短編が多く単行本はわずかに3冊ほどと決して大流行漫画家ではないにも関わらず、その業績をまとめた「漫画家本 一ノ関圭本」が出るやいなや、世のクリエイティブにどっぷりと浸っている人たちがこぞって驚き讃えていたりする。例えば井上俊之さん。スーパーアニメーターとして「ももへの手紙」や「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」なんかに傘下しっている人がTwitterに本の紹介を挙げていた。

 そして松原秀典さん。キャラクターデザインなんかも手がける人で最近だと「この世界の片隅に」でとてつもなく重要な枠割りを担っている。やっぱりスーパーなアニメーターさんがこんな本が出ているんだと紹介していたりする。ほかにもいっぱい。漫画家だから漫画のファンとか同業者には知られ讃えられていても不思議じゃないけれど、絵を動かすアニメーターにこれだけ認知されているのはその絵の巧さがそのまポーズの確かさや動きの素晴らしさに繋がっているから、アニメーターとしても凄みを感じない訳にはいかないからなんだろー。

 出身は東京藝術大学の美術学部油絵科だから芸術教育の王道にしてエリート街道のまっただ中を歩いた感じ。だから絵はうまくて当然だけれど物語にまでその素晴らしさが及んでいるからこそ、デビューから40年以上が経った今も色あせないで存在感を保っているう。そんなものすごい漫画家を最近までほとんど知らなかった僕に、編集の人が声をかけてくれて「一ノ関圭本」に寄稿することができたのは、僥倖だし恐れ多い話。ちょうど時期が会社をリストラされて1カ月ちょっとが立って、出す履歴書のことごとくが書類ではねられ頼りにしていたキャリア支援会社は再就職先を世話してくれるんじゃなく、履歴書の書き方や面接の受け答えの方法を教えるだけの場所だった。

 絶望しかなかった時期、それこそ朝早くに目覚めたらそのまま寝られずのたうちまわっていた時期に依頼を受け、それほど知らない漫画家でありなおかつ大勢から慕われ尊敬されている伝説の漫画家に関して僕が書けるのか、って不安も浮かんで余計にのたうちまわった。もうどうしうようもなくなって、クリニックに通おうと決めて予約を入れたら2週間先。どうやってそれまでしのごうかと考えながらも原稿は原稿だからと頑張って、図書館に通い「茶箱広重」に登場する二代広重と三代広重が描いた横浜絵が展示してある神奈川県立近代美術館にi☆Risのライブを観るついでに寄っていろいろ調べたっけ。

 それでどうにか「らんぷの下」と「茶箱広重」という一ノ関圭さんでも美術に寄ってそれだけに美術関係アート関係クリエイター関係の人からの支持も厚い作品の解説めいたものを書き上げて、送って果たして大丈夫かと不安にまみれているのが現在。まあでも編集の人がOKを出して一ノ関さんもたぶん読んでいらっしゃるのならそれで良かったんだと思いたい。漫画家本は「皆川亮二本」で「海王ダンテ」について書き島本和彦本で「ヒーローカンパニー」について買いて「細野不二彦本」で「ギャラリーフェイク」について買いて今度で4冊目。さらに「小山ゆう本」でも書いているから立派に漫画評論家って感じだけれどそういう仕事、他にはないなあ。会社でもまるで評価されなかったっけ。もっとアピールすべきかな。でも自信ないしなあ。頑張ろう。

 始まったと同時期にHDDレコーダーが故障してそれと繋げているテレビが観られなくなってしまってラグビーのワールドカップがいったいどういう状況で進んでいるのか、観る機会がなかったけれどもようやくやっと現場で試合そのものを観戦。東京スタジアムでのイングランドとアルゼンチンの試合はサッカーだったらフォークランド紛争なんかの因縁も含んで激しい試合になるところを、ラグビーだと観客席が混じり合ってアルゼンチンから来た人の隣にイングランドのジャージを着ている人が座っていたりして、殴り合ったりあざけり合ったりはなくわいわいと観戦している。これが上流階級って奴? それは英国4協会についての話であってアルゼンチンとかあ違うだろうから、ラグビーという競技の一種風土ってことになるんだろう。

 サッカーのワールドカップの時はなかった東京スタジアムは調布から満員の京王線に乗って飛田給へと降りるとJリーグの時よりもちょっと多めの人が来ているって感じ。FC東京都浦和レッズか鹿島アントラーズか川崎フロンターレだったら超満員になって飛田給からの道もいっぱいになるんだけれど、東京ヴェルディとジェフユナイテッド市原・千葉だと4000人が集まるのがやっとで、道いっぱいの人たちなんて久しぶりに観た記憶。でもって入場はタブレットのQRコードを読んで終了。発見とかなくスムースだった。荷物検査は飲み物だけを避けていたのかな、でもそれなりにスムーズでアメニティは悪くない。

 行列が出来る前にカルビドッグというかフランスパンに焼き肉を挟んだものを700円で買いハイネケンを700円で買ってスタジアム飯は終了。なるほど回って来るのはハイネケンを背負った子ばかりでソフトドリンクとか欲しい子どもにはちょっと困った感じかも。でもまあ水筒なら持ち込めるし下では売っているから気にはならないか。試合の方は最初こそきっ抗していたけれども前半の終わりにかけてイングランドがライン際の攻防からトライを2度決めてアルゼンチンを引き離し、そして後半にもトライとペナルティゴールを決めて試合をほぼ決める。アルゼンチンも後半の終了間際にトライを奪ったものの時既に遅しで39対10の大差で敗れ去った……ってそんな大差になったのか。

 25点くらいでイングランドの勝ちがほぼ決まった60分過ぎから観客がどんどん帰り始めて70分頃に僕も退散。その時にちょうどアルゼンチンがトライからゴールも決めて10点まで来たけどその後に10分ないなかでイングランドが2トライとか決めた感じ。怒濤だねえ。華麗にランとか使わずスクラムから組み合い橋ってはモールなりラックで固まりを作り出しては橋ってすぐ集団。その繰り返しでジリジリと推しつつ時々キックで前へと広げる試合は、怪我人とかが出てすぐい止まってテンポ良いとはいえない。どんどんと進むサッカーとのそれが違いだけれど、男たちが組み合って押し合って進んだり止まったりするのをビールを飲みながらながめつつ歓談していれば試合そのものは気にはならないのかも。勝負そのものに心を傾けるサッカーのサポーターとの、そこが違いなのかもしれない。次は3位決定戦。日本代表来てくれるかなあ。


【10月4日】 世界から優しさや慈しみが失われようとしている。というか国が率先してそうした慈しみや労りを排除しようとしている感じ。例の消費税増税で食料品は除外されたけれどもそれは持ち帰って食べる場合であって、食堂とかで食べれば外食と見なされ10%の消費税がかかってしまう。ワゴンのような店で買ってしつらえられたテーブルや椅子が並ぶフードコートで食べようとした場合にも、外食と見なされ10%の税金がかかってしまうことからショッピングモールなんかのフードコートはこれで死亡が決定。かといって、スーパーなんかで買ってきた総菜やら弁当やらをフードコートで広げて食べようとしても、それは認めないといった告知があちらこちらで取り沙汰されている。

 今までだったら普通にフードコートで食べている人もいれば、開いている場所でお弁当を広げて食べている人もいてそれなりに自由が利いたけれどもこれからは、お弁当とか持ち込み組は食べる場所を失ってしまう。いやいやだったらショッピングモールにあるベンチとかソファで食べようかと思っていたら、そうした飲食を許さないとばかりにベンチやソファを撤去するショッピングモールも出て来たとか。でもそれって普通に来店しては休みながら1日いろいろと店を見て回って楽しんでいるリタイア組なり家族連れをも排除してしまうことに繋がらないか。考えれば分かりそうなことなんだけれど、消費税で“不正”を働く輩を排除する方に気持ちが傾いて利用者のことを忘れてしまっている。

 あるいは消費税での食料品の軽減税率という斑もようような制度がスーパーとかショッピングモールから顧客のアメニティという最大のテーマを忘れさせてしまっている感じ。それとも不正をさせないために、財務省から経済産業省を通してショッピングモールとかにベンチを撤去してスーパーとかで買った総菜とか弁当を食べさせないように通達でも出ていたりするのか。そうだとしてものっかるショッピングモールがあったとしたらそれはポン酢で戯けで牛乳を拭いたぞうきんなみに歪んでいる。これで問題になって取りやめず軽減税率も適用が見直されなかったらこの国は、政治も行政も商業もすべてが歪んで融解していることになるよなあ。やれやれだ。

 トッド・フィリップス監督の「ジョーカー」が公開されて前に試写を見た時から主張していた、これは銃の使い道を間違えてしまった森嶋帆高が天野陽菜と出会えないまま東京で沈み腐っていった先に陥る境遇を描いた、ある意味で新海誠監督の「天気の子」と裏表の映画なんだという主張が広く認められた感じでやっぱりそうだよねとガッツポーズ。道こそ踏み間違えてはいないけれど、陽菜も含めて貧困に喘ぎ上に這い上がる道も見いだせない若い人たちが、自分たちの幸福を求めて世界の衰退も気にせず突き進むという意味で同じベクトルにあるとも言える。

 観てだから「ジョーカー」と同様に「天気の子」も希望より絶望が先に来るはずなんだけれど、そこはアニメーションだけあって救ってくれる仲間がいて落ち着く先もあるって点で、まだ幸せが見いだせる。だから何度でも観られる。「ジョーカー」はもう観たくない。試写で観てから本当にしばらく朝の気鬱が復活したものなあ。今も不安は続いているけれど、ちょっとだけ手伝っている仕事がそれなりに楽しそうなので救われている。そこで失敗したらまた落ち込むことは確実なだけに、失敗はしたくないけどそうした不安がさらに追い打ちを掛けるというスパイラル。ここはだから我慢して前を向くしかないのだった。「天気の子」をもう1度観てこようかなあ。

 その「天気の子」、観客動員が1000万人を超え興行収入も130億円を突破してきたようでこれで宮崎駿監督の今のところ最後の長編アニメーション映画「風立ちぬ」の120億円を抜いて日本映画で歴代7位に躍り出た。上にある宮崎映画は「崖の上のポニョ」と「もののけ姫」と「ハウルと動く城」と「千と千尋の神隠し」。目指すはとりあえず155億円の「崖の上のポニョ」になりそうで、それを超えても「もののけ姫」の193億円や、そのひとつ下にある「躍る大捜査線THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ」の173億円には届かないかなあ。まあでも「ジョーカー」が実質「天気の子」ってことで「ジョーカー」に行ったつもりで「天気の子」を観る若い人とか出てくるかも。あるいは「ジョーカー」が怖いリストラ中年が癒やしを求めて「天気の子」に走るとか、ってそれは僕のことか。いやほんと。

 日本のアニメーション関係者が見に行って褒めちぎっているのは決してリップサービスではなく本気に心底から技術的にも作品的にも素晴らしいからだという「羅小黒戦記」。中国オリジナルの作品ながらも日本の観客を動員し、そして中国でとてつもない数の観客を動員しているのを観るにつけ、今までのように進んだ日本の技術と企画で中国を席巻することの難しさも浮かんで来た感じ。東宝から別会社を立ち上げた古澤佳寛さんが中国との合作を話していてそこで「日本の人気IPを中国に持ち込んでアニメ化すれば収益的に見えるところがあったのですが、いまは日本IPに金額が付きにくくなってきていて、そのやり方は通用しない。中国で人気のIPを僕らのやり方でおもしろく見せるか、中国でオリジナルを作るか……」と話していた。つまりはそういう時代にあって、中国の企画に参加せず日本オリジナルの強さを信じて戦う業界に未来はあるか。あるいは中国を批判ばかりしている反中な保守というより右翼政治家に日本の将来を担わせて良いのか。考える時が来たなあ。考えている場合ですらないかもしれないなあ。


【10月3日】 それで火星の何かが変わったのか。すぐに変わったんじゃなく変わるきかっけが生まれたという意味で、その7分間が後に奇跡だたっと言われるようになっただけなのか。そのあたりがどうにもモニョった「キャロル&チューズデイ」の最終回。大統領選に出たものの選挙参謀のジェリーが自作自演までやって自分の応援する候補を勝たせようとしたことが露見し、そのジェリーにかけている資産家は法律違反を暴かれ失脚。それで何かが変わるかというとただの混乱でしかなく、煽られ吹き上がった移民排斥の動きを止めるリーダーシップを持った候補者が立ったという話もない。

 というか、移民擁護が対立軸にならないからこそ、チューズデイの母親はそっちに乗ってより過激な言動をアピールした訳で、右かより右かって状況がキャロル&チューズデイと仲間たちの歌によって大きく変わるとも思えない。実際、キャロル&チューズデイが歌っている場には武装勢力が乗り込んで来て邪魔をしようとしていた訳で、そうした流れを歌がどうやって食い止めたのか。そこが描かれないまま投げっぱなしですべては君の心にあると言われてちょっと納得できない。もちろん想像はできる。できるけれどもそこを感動的に描いてこその表現だろうに。エンターテインメントだろうに。

 そう考えると、「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」のクライマックス、ミンメイを擁してマクロスとゼントラーディがメルトランディへと挑みつつ全てをひっくり返そうとするシーンの迫力と、もたらされた結果の凄まじさは歌のとてつもない力って奴を目の当たりにした最高峰のシーンって言えるんじゃなかろーか。現実だったらライブエイドでありウイ・アー・ザ・ワールドがあって歌の素晴らしさが何かを変える胎動って奴を感じさせられた。それをフィクションじゃなく現実に経験していると、集まってただ歌っただけで何かを変える手応えって奴を見せてもくれず、感じさせてもあまりくれない「キャロル&チューズデイ」のクライマックスはどこか軽い。

 まあでもあまり強いメッセージ性を込めて何か意識を誘導させようとすると、どうしても反対側の意見も出て来てぶつかり合う。そこはだからほんわかとして楽しい歌の中で何かが浮かび上がって来る気分って奴を感じ取るのが今はむしろ広く効果を届ける力があるのかもしれない。ふんわかと、やんわりと、しっとりと、のんびりと。このアニメーションがだから今、この格差に潰れ差別に沈んだ社会を激変させられなくても、3年が経って5年が過ぎて10年を迎えたあたりで優しさと慈しみの心を尊ぶ気分を「キャロル&チューズデイ」で学んだ人たちが、社会のあちらこちらで何かを変えようとしてくれれば良いのかもしれない。そうなって“奇跡の7分間”だったと振り返る。そうありたい。

 なんか凄いというか、今いろいろと台風で被災した人たちへの対応をやっているからと国会議員が言っているにもかかわらず、自分の相手をしろとカメラを回し続ける国会議員がいるという状況がどうにもこうにも現実として理解できないというか、台風の被害が取り沙汰されている時に自分への言及ができたんだから今だってできるだろうというロジックは、船が左右に多きく揺れている時に自分の相手が出来るなら、転覆して沈みかけてて大勢溺れている時だて相手できるだろうと言っているようにもとれて、それちょっと無茶なんじゃないかと思うしかなかったりする。

 そこはだから自分もいっしょに手伝うからその間にちょっと相手もしてと言えば逃れられない気もするし、好感だってもたれるかもしれないのにひたすらに自分のためにこそ時間をと言いつのるのはどこか矛先を向ける相手を間違えている気もしないでもない。悩むのはそうした言動を相手が相手だからと認めて支持する人たちが割といたりすることで、誰であっても被災者の救援を行っている人をその過去とか属性で糾弾したら、始まる支援も始まらなくなってしまう。今は何が大事かを見極めそのために行動する人をだから国民は選んで国会に送り出さなきゃいけないんだけれど……。凄い国になって来たなあ。

 ふと気がついたら近所にあったヤマト運輸の配送センターがちょっと遠くに移転していて、今までみたいに家で届くのを待つんじゃなく、預かってもらって行ける時間に立ち寄って受け取ることが難しくなった。本とか割と頻繁に届くといちいちそのために午前中を部屋で待っていることなんでできないからなあ。無職のアルバイターに近い身とは言え、それなりに仕事を持っているからせめて昼前には家を出てそっちに向かいたい。まあ遅くても11時くらいまでには来るから大丈夫っちゃあ大丈夫なんだけれど、そうした時間を家で洗濯とか原稿書きに使う前に寝てたりネット観てたりするからなあ。意志薄弱なのがいけないんだ。涼しくもなるし玄関先で待っていても大丈夫になって来たからしばらくは午前中の配送を依頼し続けよう。


【10月2日】 今は21世紀でここは民主主義的先進国なのか。長崎県にある入国管理センターに収容されていたナイジェリア人の男性が死亡したという一件で、亡くなられた原因はいわゆる餓死だったと報じられていた。つまりはハンガーストライキを行った結果の栄養失調から来る衰弱死。それを自分で選んだ一種の自殺だというなら、個人が命というものをかけて何かを訴えていることに対し、結果として見殺しにしにしてしまったセンター側に一切の責任はないのか、ってことになってしまう。

 もちろんセンター側も拒否し続ける相手が意識を失ったところで、点滴などの治療を行おうとしていたらしいけれど、結果として亡くなってしまった以上は対応が後手に回ってしまったことは否めない。望んでいるのが仮放免で、けれども収容前に窃盗で長く服役をしていて、出所後に収容されて国外退去を言い渡された人物に放免は認めがたかったという理由もありそうだけれど、長く服役をして勤めを果たしたのなら、そこから国外退去ではなく、入国し時と同様にフラットな状態でスタートさせてあげても良かったかもしれない。何が何でも国外退去しかなかったのか。人物像が分からないから何とも言えないけれど、ちょっと寂しい話でもあるなあ。

 関西電力では下っ端の管理職ではなくトップが原子力発電所のある地域の助役から巨額なお金を受け取っていたという話。菓子折の下に厳禁というスタイルも前時代的だしそもそもトップクラスがキックバックをもらっているというところが前近代的。それが露見すればどうなるかくらい分かっているのに、会社にはおいていない家に保管してあったで言い抜けようとして言い抜けられると考えてしまっているところに、それが普通だった前世紀の名残めいたものが漂う。っていうか原発を作りたい関電が地元にお金をばらまくならまだしも、どうして地元からお金を受け取るのか。構図がちょっと分からない。いずれにしても21世紀じゃないよなあ。

 こちらは逆に22世紀的? いやいやそれは20世紀から見たディストピアとしての22世紀的であってそんな未来なんて来て欲しくないし来るはずもないと思いたい。東急不動産がオフィスで働く人たちに脳波計をとりつけて、ストレスがあるとか楽しんでいるとかいった感情の動きを脳波から測定して記録していこうとしているらしい。ってかそれが悲しかったり嬉しかったり起こっていたり緊張していたりする脳波だってどうやって鑑定するのか。おおむね分かったとしても人それぞれに違うだろう波形をまとめて調べたところで何が分かるのか。そもそもがそうやって個人の心情にまで踏み込みそうな調査を、強制的に行うこと自体がストレスの原因。それで得られた結果に何の意味があるんだろう、って考えるとやっぱりディストピア感が漂う。

 何か話題性にはなるけど、非道な会社だって逆効果だってありそう。もちろん近未来的には個々人のバイタルがワイヤレスで測定されては把握され、メンタルケアだとかに利用される可能性はある。「PSYCHO−PASS サイコパス」で描かれている世界がまさにそうで、結果としてそれで潜在犯として拘束される人がいる一報で、大勢はデータによるマッチングなどがもたらす幸福を享受している。それを幸福と感じることこそがディストピア的とも言えるのかもしれないけれど、近代から現代へと流れる中で自由は削られ統制の中で安全と安心を得てきたのが人類。その延長として東急不動産の実験なんかもあって、いずれ「PSYCHO−PASS サイコパス」のようなシビュラシステムによる管理が行われるようになるのかもしれない。その時は権力者であろうと容赦なく同一の条件で監視下におかれることを願いたいけど、そこが最も心配なんだよなあ、この前近代が蔓延る一党独裁的民主主義の国では。

 劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」の公開もあって文庫本を読み返そうとしても出てこないから書店を探したらあまり見ず、そしてネットをみたら文庫本なのに3000円近くなっていて、こりゃいったいどういうことだと首をかしげたものの仕方が無いので枕元に埋まっていた上巻だけを引っ張り出して読んだりしてた。そんなところによく使っている西船橋駅構内のBOOKS EXPRESSにKAエスマ文庫の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が上下巻とも登場。早々と上巻が売り切れそうになっていたけれど、補充があって今日10月2日の時点でそれぞれ10冊以上もあったから、買いに行けば普通の値段で買えることになる。そこで誰かが買い占めてネットで売ろうとかって考えなければしばらくは大丈夫なんじゃないかなと思いたい。外伝はなかったのでこちらも補充を是非。

 11話は大変だったけど最終回はちゃんと真っ当に作られていたみたいだった「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか2」は、ヘスティアが川に流され助けられた村にいた村長さんが以前に誰か女神のファミリアにいたらしく、その女神様を守れずむしろ守ってもらう形で助かって女神様は天界に送還されてしまったという悲しい出来事が明らかになって、年老いても思い続けるその心根に少し寂しさを覚えてしまった。ほほど慕っていたんだなあ。でも老人は亡くなって生まれ変われば新しい意識で再生できるけど、分かれた女神様はずっと思い続けることになる。それともすぐに忘れてしまうのか。そのあたり、長く生きる神様の心境が気になった。ヘスティアならベルくんのことをずっと覚えているだろうし。あと黒竜の鱗にアイズさんがえらく反応してた。嫌悪といってもいいけど何かあったっけ。長い話だけにちょっと覚えてないのだった。「ソード・オラトリア」読み返すか。


【10月1日】 2002年に日本と韓国で開かれたサッカーのワールドカップ2002日韓大会でセネガルとトルコの試合のチケットを買えたので、遠く大阪まで出向いて観戦してから大阪でカプセルホテルに1泊し、そこから京都へと出てちょうど開かれていたアミューズによるアーティストといっても芸術方面のアーティストによるオーディションの成果発表を見物。そこでデザインフェスタとかGEISAIに出てくるのとは違って、キャラクターのフィギュアを展開していのを見て親和性を感じたのが、原型師で造形家の寒河江弘さんを知ったたぶん最初だった。

 振り返れば実写版「ブギーポップは笑わない」の吉野紗香さんが演じた宮下藤花からのブギーポップを造形していて、キャラクターとは違ったリアルな人物を造形するのに長けた人だという印象を抱いた記憶。その後、恵比寿で古典も開かれのぞきに行っていろいろ話してからもう17年くらいになるのかな。その間、ワンダーフェスティバルに出ているのにお目にかかったり、バンプレストが開いた「造形天下一武道会」で僕が大好きな人造人間18号を作ってくれて、必死で応援してトップに輝いたのを喜んだりしていたっけ。その寒河江さんが今、厄介な病気で入院されているみたい。

 ツイッターには今のお姿が写真で登場し、モデラー仲間がお見舞いに行っている状況が配信されていて元気そうではあるけれど、ふくふくとしていたお顔とかがやっぱり変わっていたりして、笑顔の間に闘病という文字通りの戦いを演じていることが感じられた。でもご本人は意気軒昂で、2020年の冬に開かれるワンダーフェスティバルにもしっかりと出展する気概を見せていて応募もして当選通知ももらっていた。ならば見に行くしか無いので寒河江さんには回復して出て欲しいと心の底から願っている。今の自分も決してあちらこちら出歩ける見でもなく、不安に潰されそうになっているけど寒河江さんを思えばその不安なんて微々たるもの。歩いて動けるこの幸せを幸せと思いつつ同じ場所へと戻ってきてくれることを信じて待とう。いやずっと先を歩いている寒河江さんを追いかけよう。

 「一党集中的な独裁主義の時代においては、一番の権力者は総理です。彼に全く受け入れられない『アート展』には持続可能性などありません。権力の威を借りた展示こそが、多くの人に学習意識を促し、十分に教育的で洗脳的であるべき、という強要に応えるものになっていくことが求められている次第です。公金を拝領した企画や会場であればなおさら、こうした隷従が重視されます。総理の御代においては、彼が見たくないものに対する圧力は、権力というものに阿る一般社会からも生じるのであって、まさに『総理のアートへの好悪』こそが問題となってくるのです」。

 元ネタについては特に触れないけれどもとある公開が中断されているアート展に関連して、見てきた人が一般大衆という最高権力者から激しい糾弾を受けたのだから中止は当然だといった論を貼っていて、はり当然のように諸々の突っ込みが入っている。そもそも抗議をしたのが大衆と言えるかどうかが微妙なところで、全体ではなく一部であってもその意見を聞くべきというなら、別の一部の意見も聞かなくてはいけないところを抗議があったこと、それをのみ一般大衆の意見とすり替えるような論旨に納得できるはずがない。

 そもそも支持されないものが芸術というならゴッホだって生前はまるで評価されなかったのが死後に高騰。そうした事例を踏まえてあらゆる表現を認め守るべきであるにも関わらず、大衆という言葉でくるんだ一部の意見を正当とするのは拙いだろう。末尾においてセンシティブな問題をはらむ展示をそうした配慮もなく検討も不十分のまま送り出したことへの批判があって、これはまあ納得のいくものではあるけれど、途中の論旨は一部が切り取られていたのだとしても全体の論旨、すなわち嫌がる勢力があって攻撃したものを見せるのはいけませんといった意見は、表現を行っている人たちにはやはり認めがたいものだろう。とはいえ、そうした批判があっても引かず媚びず阿らないで立ち続けていきうなのが現在。親玉からしてずっとその場に居続けている訳で、おかげで消費税が10%に上がってしまった。どうなるんだろう日本。寝て起きて通って帰って寝て起きる繰り返しだけで生きられる人間になってしまいそうだよ。すでになりかけているけれど。

 所用があって西に行くのを止めて船橋西図書館で3時間くらい原稿書き。そこへと行く途中でコンビニに入ってソーセージとカロリーメイトを買ったら何と消費税が8%で据え置きだた、って食品だから当たり前か。その場で食べると言ったら10%になったんだろうか。コンビニのイートインに関連した扱いがどうなっているかにちょっと興味。あと食玩というカテゴリーがこの軽減税率で壊滅するんじゃないかという不安。もうそれこそ30年以上は昔にバンダイが食品事業へと進出した際、食品売り場のルートで玩具を売るためにガム1個で玩具がついたような製品を開発して繰り出して来た。

 それはそれでユニークだったし顧客ともマッチしたんだけれど、これからはそうした商品を出すなら10%の消費税を適用される覚悟が必要になる。主従で言ったらなるほど玩具の方が圧倒的でガム1個ならお菓子は数パーセントすら行かないかもしれない。そうした製品であっても魂の叫びとしてこれはガムだ、玩具はおまけだと主張できたのが客観的な判断が下されるようになってどう見たってガム1個に模型がついてれば模型が主だよねって話にならざるを得なくなる。

 何しろピーピーとなる増えがケースについているだけで価値あるものだと判断されて軽減税率が適用されなくなるとか。一生吹けるものでもないし音色だって良い物では無いならそれは主ではあり得ない。でもバランスから見て価値あるものだと判断されたら拙いというなら、最初から10%にしてしまおうという動きが強かった感じ。結果、お菓子なのにいろいろと違う税率のものがあったりする。スーパーやコンビニはPOSの登録で対応可能だけれど駄菓子やさんでそれができるか? できないよなあ。他にもボーダーな商品がわんさかあってどうするかを決断したり迷っていたりする感じ。10%でも買って貰える素敵な玩具という意識が買い手に働くうちは良いけれど、景気厳しい中で見放されていくのかもしれない。


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