縮刷版2018年6月下旬号


【6月30日】 漏らす奴に言え、というのが長友佑都選手らサッカー日本代表が試合にのぞむスターティングメンバーの情報などを記事として掲載したスポーツ新聞とかに苦言と呈している話を聞いた感想。別にメディアは日本代表のパートナーではないし共同体でもなく、情報を求める人がいるならその情報を提供する仕事に徹するだけでもしも日本代表のスタメン情報を欲しがる人がいるなら、それを掲載するもの使命のひとつと言えるだろう。そうした活動に対して運命共同体とか言って選手が自省を求めたところで聞くいわれはない。それがジャーナリズムって奴だから。

 長く取材をする中で日本代表が勝ち続けることを期待し、そのためには情報を漏らさないで行くべきとなれば書かないこともある。そういう関係が日ごろからあるなら書かないで欲しいちう長友選手の言葉もあるいは響くかもしれない。でもそうした関係性から情報をつぶすのは本質ではない。問題はそうした情報がどうして漏れてくるかであって、つまりは代表のスタッフにスタメンを漏らしている人間がいるからであってそうした人物が誰かを特定し、選手でもスタッフでもどちらであってもちょっと黙っていろ、漏らすんじゃないと言うべきだろう。

 背中から討つような愚劣な奴が身近にいて、どうして黙っているんだ。メディアを悪者扱いするんだ。そこにやっぱり今の日本代表の奇妙な姿が見え隠れする。ナニサマ的な。そんな反発の空気はたとえベルギー戦に勝ってベスト8に進んでもなくならない。むしろ強権を強める相手に反発を抱くんじゃなかろーか。そういう危機的な状況をまるで察知せず、海外から批判を浴びている試合をこれは正しかったと言わせ続けている日本代表とそれをとりまくメディア状況が、遠からず実力的組織的に弱体化していくだろう日本代表とともに浴びて腐っていく未来。想像したくないけれどやっぱり来るんだろうなあ。次の監督選びがだからひとつの分水嶺。続投でも他の日本人の誰でもやっぱり崩壊への序曲となりそう。やれやれだ。

見ていると涙が浮かぶパネル。また会いたいよアニメーションで  去年の今ごろ、僕はいったいこれから先にどんなに楽しくて明るくて、ちょっぴり大変なこともあるかもしれないけれど、それでも優しくて嬉しい物語が描かれているんだろうとった期待を心に持ちながら、そんな期待を抱かせてくれたフレンズたちのパネルを眺めていた。1年が経った今僕は、近い将来においてそんな楽しくて優しい物語がアニメーションとして描かれることはないだろうといった辛い気持ちをどうしても抑えきれない中で、東武動物公園に並ぶ「けものフレンズ」のフレンズたちのパネルを眺めている。JRAだとかどん兵衛だとかいったCMも流れて、やっぱり楽しくて優しい世界、人間はもういなくても頑張ってフレンズたちが毎日を生きている世界に触れさせてくれたあの頃のワクワク感を今、抱けといってもそれは無理だ。

 だからといって、「けものフレンズ」が嫌いになったかというとそんなことはなく、動物園にいる動物たちへの関心を広げ目を向けさせ、足を運ばせる入口としてフレンズたちの存在はとてもとても大きくなっている。強くなっている。だからまた東武動物公園へと足を運んでいろいろなところにいるフレンズたちのパネルをながめ、動物たちを見て生きていることの素晴らしさ、自然というものの美しさを改めて知ることになるのだった。「けものフレンズ」に登場するフンボルトペンギンのフルルのパネルが登場して、それを眺め続けることでグレープくんというペンギンは名を知られ、それから1年を待たずしての死去に日本だけでなく世界が悲しんだ。入口は「けものフレンズ」だったかもしれないけれど、動物園にいる動物の死といったものを感じて限りある命のかけがえのなさを知った。そういう役割を「けものフレンズ」というプロジェクトは果たしている。今も。そしてこれかれらも。

 でも、そうしたプロジェクトの存在を僕が、僕たちが知って動物たちへの関心を強めるきっかけになったのはやっぱりたつき監督が作りidorodiのスタッフが作りヤオヨロズが作ったアニメーションの「けものフレンズ」だ。そこに描かれた動物たちの特徴であり関係性を今も強く心に刻み込んでパネルを見て、そして本物の動物たちを見ている。ただ可愛いく擬人化された動物たちのパネルが登場しただけで、果たしてここまでの浸透はあっただろうか。ストーリーの中に描かれたそれぞれに特徴をもったフレンズたちと、それが弱肉強食ではなく共存をして暮らしている優しさに感じ入ったからこその関心だろう。そこへの敬意が欠けてしまい、そして将来また同じように優しい世界が描かれる可能性を閉ざされて、どうして積極的にフレンズたちにふれ合おう、応援しようと思えるか。なかなかに難しい。

 「けものフレンズ」は大好きだし、これからも動物園でコラボレーションがあれば行ける場所なら行ってみようと思うだろう。原案の人が次から次へと繰り出すフレンズたちのパネルでもグッズでも良いと思って買うだろう。そうすることで「けものフレンズ」というプロジェクトの火が絶えないことを願いつつ。でもそんな先にやっぱり再び、あのアニメーションとしての「けものフレンズ」の優しい世界、楽しい音楽が還ってくると信じたい。絶対に還ってくるんだと思いたい。「機動戦士ガンダム」だって「機動戦士Zガンダム」まで5年かかった。その間にファンがプラモデルを買い支え映画を見に行ったことで次につながった。「フリクリ」だって18年を経て復活する。「宇宙戦艦ヤマト2202」だって上映されているなら3年後、あるいは5年後にわだかまりを超えてたつき監督が、また「けものフレンズ」のアニメーションに戻って来ないとは限らない。だから待つ。信じて待つ。それまでだから東武動物公園はずっと毎年「けものフレンズ」とのコラボレーションを開催し続けてくれ。

 などと思いつつ花畑の中に立てられたサーバルちゃんとアライさんとフェネックとホワイトタイガーのパネルを見て心で涙ぐんだ東武動物公園。それはそれとしてコツメカワウソが暑いからなのか仰向けにひっくり返って寝ていたり、カバが水から上がってこなかったりと動物たちの生態を間近に見られる動物園はやっぱり楽しい。フルルとグレープくんのパネルを見上げるペンギンがいたのはその上から噴霧器で霧のシャワーが降り注いで、暑さから浴びようとして止まっていただけなのかもしれない。新しいフレンズもいてマンドリルとかマントヒヒとかエジブトガンとはヘビクイワシとか特徴もある動物がフレンズになって描かれていた。ヘビクイワシはスパッツ姿で片足上げてて眼鏡でちょっとクールかも。次があるか分からないけどやってくれるなら新しいフレンズも見られる期待を抱きつつまた行こう。

 アーツ千代田3331で開催中の短篇アニメーションの上映会「ANIME SAKKA ZAKKA」に寄ったら片渕須直監督の長編アニメーション映画「この世界の片隅に」の船頭さんで憲兵さんでヤミ米屋さんで玉音放送の陛下の声の方が来られてた。つまりは栩野幸知さんで、前に出演した東京藝大院の修了作品「ズドラーストヴィチェ」を監督した幸洋子さんが新作「夜になった雪のはなし」を寄せていて、そこで動物たちの声を栩野さんが当てているのだった。土曜日はグッズ販売もやってて作家さんたちが売り子もやってて京は幸洋子さんが座っておられたので激励に来られた模様。気になっていたすずさんの家の模型は今は広島の博物館かどこかに置かれているそうで、ケースに入れられているから間近に見られた阿佐ヶ谷ロフトはあれで貴重な機会だたっと言えそう。また東京で見たいなあ。国立新美術館でやらないだろうか「この世界の片隅に」展。アニメーションも漫画も含めて。長尺版ができたらだなあ。どんなタイトルになるんだろう広島弁風に「こげん世界な片隅に」とかだったりして。


【6月29日】 イギリス人が言った。「こんなのはジョンブル魂の風上にも置けねえ」。フランス人も言った。「騎士道精神に反してますわ」。アメリカ人まで言い出した。「フロンティアスピリットって奴はないのかね」。日本人は答えた。「これが侍魂だ」。いやいやどこが侍だんだってツッコミが全世界から入りそうな気もしたFIFAワールドカップ2018ロシア大会のグループリーグH組最終試合、日本対ポーランドで起こった後半も35分を過ぎたあたりから始まった日本代表による20分近い自陣でのボール回し。アディショナルタイムに入ってから自陣から遠い相手陣営のコーナーあたりでボールを持ち続けるプレーは見たことがあるけれど、自陣ぜ延々と回し続けるのはちょっと珍しかった。

 どうしてあそこでポーランドが攻めにいかないのかが不思議だったけれど、すでに2試合を負けてこの試合に勝っても勝ち点が3しか入らずセカンドステージ進出が不可能なら、ボール回しに徹した日本に突っ込んでいっても対等な試合にはならない。そう考えたのか違うのか。一方で日本代表はと言えば、この試合を0対1で敗れたとしても、裏で行われているコロンビアとセネガルの試合で、コロンビアが1点をリードしている状況でセネガルがそのまま敗れたとして、勝点4で並んだ日本とセネガルの得失点差も同じなら、イエローカードの枚数で上下が判断されることになっている。そして枚数は日本の方がセネガルより少ない。ならば1点差だけは維持しつつ無用なイエローカードをもらわないよう、相手との接触を避けボール回しを続けることはグループリーグ突破を可能にする施策のひとつだった。

 ただし、残りの時間でセネガルが1点を奪って同点にする可能性はあって、その場合コロンビアは無理に勝ちに行かなくても引き分けのままなら得失点差で日本を上回ってグループ2位でセカンドステージに進むことができた。そういう試合展開なった場合に日本代表は残る時間の中でエンジンをかけ直してポーランド相手に1点を奪うことができたかどうか。それならボールを回し初めて10分くらいはまだ一生懸命にせめて自力でセカンドステージ進出を確保する方が確率的にも高くて、そしてやっぱりFIFAの理念でありすべてのスポーツにとって正しい振る舞いではなかったのか。そういった意見からあの長い長いボール回しを決してセカンドステージ進出の確率を上げるプレーではなかったと言う人もいたりする。それには同意を示したい。敗れてもひたむきなプレーで世界に感動を与え続けるアイルランドというチームがあるのだから。

 ただ、最終的にセネガルはコロンビアに追いつけずイエローカードの枚数は当然に減らず、日本はボール回しをやり切ってポーランド相手に追加点を奪わせず、カードももらわないままセネガルより上に来る順位でグループリーグを終え、セカンドステージ進出を確保した。それ自体はより高みを目指すべきワールドカップという大会の中で正しいことであり、その正しさのためには見苦しかろうとみっともなかろうと、長時間のボール回しは結果として認められた。認めざるを得なかった。哀しいけれど、これ、ワールドカップなのよね。

 そして、それが侍なのか、むしろ堪え忍んででも最後に事を成し遂げる忍者ではないのか、SAMURAI BLUEではなくNINJA BLACKと言うべきなのではないかと問われれば、そうかもしれないけれども実は侍とは臥薪嘗胆、恥をしのんでも主君のために身を粉にするものであって潔く散ることが美徳ではないと返し、「忠臣蔵」で昼行灯とののしられながら好機を探った大石内蔵助を見よと言えば良い。もちろんフェアではないし美しくもなく、それを構成に誹られることは承知。ならばあとはめいっぱいの戦いでベルギーを相手に戦い抜き、あわよくば勝って上位へと進出して真なるSAMURAI BLUEの切れ味を見せれば良いのだ。見せられればだけど。見せられたらポーランド相手に1点は奪われないよなあ。だからやっぱり延命に過ぎないか。やれやれ。

 たとえ振る舞いとして潔くなくても、セカンドステージへと“生き残る”振る舞いが繰り広げられていたその表側(アニメがやっぱり僕のメイン)で国のために死ぬことが尊ばれ、それ以外に道なんてないような状況であっても誰も犠牲にさせず、そして国までも救ってしまう道を探る展開が繰り広げていたのも何かの共時性ってやつか。「ひそねとまそたん」の最終話は巨大なミタツ様を眠らせるために楔女が人身御供のようになり、死ぬまでを添い遂げる必要が言われていた。それだけが日本を救う方策だった。そう教えられて棗や他の巫女たちは育ってきたけれど、そこに現れた傍若無人にして言いたいことしか言わない甘粕ひそねという存在。本当は死にたくなんかない棗の気持ちを暴き立て、人身御供の道から救い出しつつ日本おも救う方策という奴を考え出してしまう。

 それがひそねとまそたんなら無敵だというエビデンスなんてまるでない思い込みから来ていたりするところが無茶だけれど、DD(誰でも大好き)であり箱押しでありながらその発端となったまそたんが1番好きだとまそたんに認めさせてしまったひそねの強引さがミタツさまですら調伏してしまった模様。列島へと落ちて眠りについたミタツ様から抜けてくる気配なんてまるでないのに信じ続ける他のDパイや航空自衛隊岐阜基地の面々の思いをしっかり受け止めて、どこからか現れ突っ走ってきたまそたんに安心して視聴を終えられる。国のために犠牲なんていやだから。とはいえ恋路は御法度という条件は変わってないだろうから、星野絵瑠はもうDパイではいられないんだろうなあ。そうなるとノーマの放熱は誰がやるんだろう。整備員になった貝崎名緒が面倒を見るのかな。そして70年語だかにまた同じような自体が起きても犠牲は出さずに済むのか。そこはジョアおばあさん2号となったひそねがDパイたちを導くだろう。そんな未来の物語、見てみたいなあ。

 我こそは出版エージェントの走りなりといった感じに大手出版社を退職しては会社を立ち上げ、担当していた作家や漫画家を所属させた人がそんな作家が新しく出した小説に関していろいろと書いているんだけれど、そこで出版社の担当編集者を「とにかく熱意のある人で『ライト マイ ファイア』を面白くするために、すごい量のアドバイスを伊東さんにくれて、書店周りも、取材も、宣伝の対談もセッティングしてくれた」と紹介している。続けてそういうことを出版エージェントがやるんじゃなのという疑問を自分で発して、けれども「編集者と役割が重なるのなら、わざわざ新しい職業として立ち上げる必要がない」と否定している。

 曰く「作家の軸を決めて、積み重ねていく。それをサポートして、ヒットのための準備をするのが、エージェントの仕事だ」とか。でもなあ、僕の思っている作家エージェントは未だ見ぬ才能を発掘しては育て、アドバイスも行い完成させたものを売り込んで出版させては最大限に売れるよう仕掛けも考え、出版社とともに展開していく職業であって、既に名のある付き合いもあった作家を抱え込んで相談相手となりつつ版権管理という業務を淡々とこなすだけで資料集めだとか売れるための画策だとかは編集者に丸投げするのとはちょっと違うんだよなあ。っていうかそうした資料集めや校正といった編集の役割が出版社から剥がされ独立し、出版社には製作と販売と宣伝の機能が残っる将来の出版業界の中で「編集」を行うのが作家エージェントって気もしないでもない。いつかそうなるのかずっと作家の相談相手で居続けるのか。遠巻きにして眺めていこう。


【6月28日】 プチ・キャラットことぷちこ役を演じていた中学生として見知った沢城みゆきさんが、いつの間にやら成長して大人になって結婚もして出産も迫ってきたということでしばらく声優を休業するとか。デビュー時から巧かったけれども今はもうアニメーションにいなくては困るくらいの大役を幾つも背負っている声優になっているから、果たして休業で代役が立つのかそれともまとめ録りで乗り切るのか気になるところ。とりあえず目先では主役の鬼太郎を演じている「ゲゲゲの鬼太郎」が困りそう。「ルパン三世 PART5」の峰不二子も演じているけどこれはもう録り終わっていると思うけど。あと何があったっけ。

 やっぱり問題は視聴率が好調で、長期シリーズになりそうな「ゲゲゲの鬼太郎」の代役か。とはいえ目玉おやじの野沢雅子さんが初代として務めた鬼太郎まで演じると、それっていったいどこの「ドラゴンボール」の孫悟空孫悟飯親子だよって話になるし、かといって戸田恵子さん松岡洋子さん高山みなみさんといった歴代の担当を週替わりで使うのも難しそう。ならいっそ「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけを降りた矢島晶子さんが担当すれば、しんちゃんほど無理しなくても出せる気がするけれど、声質が合うかどうかはちょっと判断が付かない。どうなるんだろう。ここは姉貴分としてデ・ジ・キャラットの真田あさみさんが演じるとかあるかなあ。ないわなあ。

 気づいたら漫画の連載が始まっていて柔道編か野球編へと移行したあたりで多分気づいて漫画を誰かから借りて読んでいたか、当時はまだ可能だった本屋さんで立ち読みしていたかでストーリーのだいたいは分かっていた「ドカベン」。本格的にはテレビアニメーションが始まってから強く関心を抱いたもののいったいどこまで進んだか分からないあたりでいったん終了。そこで「ドカベン」という作品はひとつの区切りがついたと思っているだけに、今になって「ドカベン」の完結がどうと言われても正直、あまりピンと来ないのだった。むしろまだやっていたのといった感じ。

 最初の「ドカベン」に区切りがついて、他の漫画の主人公たちが結集する「大甲子園」なんて水島新司さんのサービス漫画が始まって、それなりに話題となってやがて「ドカベン」のプロ野球編とかが始まったけれど、いつかの高校野球に挑んでいた少年たちへのワクワクとする感情は覚えなかった。だから読んでもいなかったから完結と言われて浮かぶ感慨はない。ただ、1人の漫画家が生みだした野球漫画をこうやって束ねつつ描き続けることができたのは幸運なことで、もちろん才能もあったんだろうけれども野球という普遍の題材で、トップランナーになれたことが永遠の描き手へと水島新司さんを押し上げた。

 同様に、サッカー漫画では「キャプテン翼」の高橋陽一さんが永遠に描き続ける資格めたものを得た感じ。周囲もそれを普通と思ってしまう。漫画にとって良いことなのか悪いことなのか。迷うところだけれどもこれが本当に終わりなら、その後を誰が襲うかってのが目下の注目かなあ。「大きく振りかぶって」のひぐちアサさんとかも資格はありそうだけれど、埼玉県の高校野球の予選だとか練習試合だとか秋季大会だとかを地味に、そして綿密に描いていく作品の進むペースはとても遅い。劇的な場面も訪れないから読まれはしても永遠にはなりそうもにあ。「おおきく振りかぶって」メジャーリーグ編なんて想像できないから。ってことはやっぱり「タッチ」続編の「MIX」か。「MAJOR」シリーズか。野球漫画下克上の行方に関心。

 高田明美さんの画業40周年を記念した展覧会が吉祥寺で始まったと聞いて見物に行く。長蛇の列ができていたので人気だなあと思い近寄ったらグッズ売り場で展覧会場の方には行列もなく、それほど広いスペースではないにも関わらずゆっくりとじっくりと見ることができた。まずは「魔法の天使クリィミーマミ」に関するイラストとかが並んでいて、海外にファンの多いという話どおりにフランスの人とか中国の人とかが来て見入っていた。イラストは高田さんのタッチだけれど、アニメーションの資料として並んでいた設定資料はアニメで見たまま。それも高田さんがデザインしたのか誰かがブラッシュアップしたのか。ちょっと気になった。絵コンテもあったけどこれも高田さん? 調べておこう。

 続けて「うる星やつら」が並んでいたけど、興味深かったのは映画では第1作の「うる星やつら オンリー・ユー」に関連したラムとロゼの絵なんかが3枚か4枚あったことで、対して今に至るまで名作との呼び声が高い「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」のイラストは幼女ラムが描かれたもの1枚しかなかった。映画が完成したのがギリギリで雑誌なんかでイラストを展開するのが難しかったのか。アニメ誌的にはやっぱり難しすぎてイラストを載せるに至らなかったのか。分からないけれども「ビューティフ・ルドリーマー」に押されて今ひとつ面に出る機会が少ない一方で、中身的にはとてもキュートで切なくもある「オンリー・ユー」に今一度、触れる機会になれば楽しいかも。劇場でまた見てみたいなあ。

 最後は「機動警察パトレイバー」に関するイラストとかをメインに「ファンシーララ」やらオリジナルのイラストなんかが並んでて、1990年代以降の画業をおおまかにだけれど振り返ることができた。月刊OUTの1990年5月号に掲載されたらしい特車二課第二小隊のメンバーとかは香貫花クランシーがいたからアニメーション版準拠ってことか。テレビシリーズもOVAもほとんど見ておらず映画は「機動警察パトレイバー2 The MOVIE」ばかりなんで香貫花の印象がまるで薄いのだった。グッズ売り場には「クリィミーマミ」と「うる星やつら」の版画とそれから「クリィミーマミ」の原画が販売されてて原画は結構なお値段。アニメの原画というよりはイラストの下絵といった感じだけど、高田さんの生のタッチに触れられるならと買う人もいたりするのかな。時間を見つけてまた見に行こう。

 初ノ宮行幸ってどこかで聞いた名前かと思ったら「天保院京花の葬送」シリーズに出てきた芸能人にして霊能力者だった。京花と対抗するように出てきては彼女に先んじられる当て馬的な位置づけだったけれど、山口幸三郎さんがそんな行幸を不憫に思ったか主人公にしたシリーズをスタート。「霊能探偵・初ノ宮行幸の事件簿1」(メディアワークス文庫)はとある芸能事務所に入って新進のアイドルの面倒を見るマネージャーになったはずの小路美雨という女性が、なぜかレコーディングスタジオで双子の妹の由良と2人で現れた行幸に関心を持たれ、そのまま行幸の事務所へと引き抜かれてしまった。

 理由は美雨が霊を引き寄せる体質だったから。放っておくと被害が広がりかねないということで、霊を張られる行幸の監視下に置かれることになった。芸能面は由良が仕切って心霊相談は美雨がマネジメントするというかアシスタント代わりに使われるといった具合。そうやって車の事故を引き起こす、かつて恋人に置いてきぼりにされてはねられ亡くなった女性の霊を鎮めたり、婚約者が結婚前に死んでしまってから10年、新しく結婚することになった女性の夢枕にかつての婚約者が現れるようになった事件ではその彼が彼女に残そうとした何かを探して未練を断ち切る。

 悪さをする霊も元はと言えば事件の被害者のようなもので、悪霊として虐げるのはしのびないけど表向きクールな行幸はあっけなく成仏させてナイーブな美雨を嘆かせる。とはいえ裏ではしっかり相手のことも考えている行幸。元婚約者の枕元で発せられる声の意外な正体を紹介して、10年の時を経ての喜びを与える。なんだ良い奴じゃん。でも「天保院京花の葬送」シリーズでは負けん気が強くて出しゃばりな、いけ好かない二枚目に描かれていた。それともちょっとだけ成長したのかな、そっちに美雨とか出てこなかったし。シリーズがクロスするかは分からないけれど、これ単独でも十分に面白いし他のシリーズがあることも気にならないんで安心して読んでイケメンのいけ好かないようで実は優しい霊濃探偵ぶりを堪能しつつ、美雨の霊を集める体質が何かを巻き起こす可能性と、彼女の将来とかを想像していこう。


【6月27日】 NEWSPICKSが日本経済新聞に「さよなら、おっさん」という広告を出して、おっさんじゃない人たちに読んで欲しいって呼びかけていて、賛否両論というか圧倒的に否定が多いような印象。このコピーが意図するところでやり玉に挙げられている、旧弊で融通の利かなさそうなシステムは苦手だけれど、そうしたシステムを「おっさん」という言葉でくるんであげつらう態度もまた苦手だったりする。おっさん中心の価値観だの、おっさん中心システムだのと言いつくろってはみたものの、中心にある官僚の腐敗であり、政治の怠惰といったものから目をそらし、なんとなく気に入らない上とかの世代への不満をおっさんという言葉に凝縮させているだけにしか思えない。原因を探り問題点を把握し解決へと導くプロセスは、「さよなら、おっさん。」などと言っているだけでは掴めないし、辿れれない。でもここの人たちは、そう言うことで下の世代の支持が集められると思っているんだろう。実におっさんくさい。そういうこと。

 豊洲というか新豊洲あたりで発表会があるってんで西船橋駅から武蔵野線でそのまま東京行きだと混むむからとりあえず南船橋まで出て、そこで京葉線に乗り換え新木場まで行ったまでは良かったけれど、いつもの癖で東京ビッグサイトに向かうりんかい線に乗ってしまって国際展示場駅に着いてこれはしまった豊洲にはいかないと気づき引き返そうか迷ったものの、国際展示場駅で降りてゆりかもめに乗れば新豊洲まで行けるからとそっちに切り替え無事到着。あのチームラボが新しいアート作品を巨大な建物の中で見せる発表会だけに、朝から大勢カメラマンも来ているかと思ったら、テレビも含めてまだ数組といったところ。みんな午前中から内覧会を見ることはしないで、午後に登場する有名人の記者会見を見てから内覧会に行くつもりなのかもしれない。おかげでそれほど人で混雑することなく、渋滞もしないで見られた「チームラボ プラネッツ TOKYO DMM.com」という展覧会。

 前にお台場のフジテレビ関連イベントで「DMM.プラネッツ」として展示されていたものがスケールアップして、どこかの新聞社が海辺だからといってどこかから白い砂を持って来て、敷き詰めて疑似ビーチを作ってバーベキューなんか楽しめるようにしていたアトラクションがいつの間にか終了し、空いていた土地をそのまま使ってドカンとでっかい建物を建てた中に再び展示した。前のを実は観てないからどういったものか分からず、事前に水に入るから気をつけてって話を聞いていて、行ったら入口でまず靴を脱ぎ、そしてロッカーで靴下まで脱いで裸足で入るように促される。パソコンとかも持って行けずスマートフォンは持ってないから大丈夫として、身一つでカメラだけ首から下げてエントランスを過ぎたら坂になっていて水が流れ落ちていた。渓流じゃん。

 足首くらいまで使ったその水の流れる坂を上ると滝が光って落ちていて、そして足を拭いて入った部屋はビーズクッションが敷き詰められていて、これで一休みできるかと思ったら甘かった。沈む沈む。そして身動きがとれなくなる。寝ても起きるのが大変な柔らかさ。「やわらかいブラックホール」というタイトルはまさしくといったところで、捕まったら逃れられないその部屋を頑張って踏みしめて上って抜け出して、それからも次から次へと現れる不思議な展示を見ていく。LEDがいっぱいつるされた作品なんかはちょっと前にオープンしたお台場の「チームラボ ボーダーレス」なんかにもあったけれど、こちらは部屋の隅っこだぇLEDの森になっておらず、鏡張りになっていてそこにつるされたLEDの光が映ってまるで自分が宇宙の中にいるような気にさせられる。太陽とか星みたいな輝きも映し出され、進む時間を堪能できる。1日だって見ていられるかも。

 美しいって意味では足がひざ下まで水に浸かる「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング(IZUMI)」という作品も、水面にプロジェクションで光が投影されてそれが人間の動きに合わせて変化して面白かったけれど、ぬるめの水に足をつけているのはなるほど気持ちが良いものの、ずっと入っていっては足がふやけてしまうし、間違えて転んでもしたら服が大変なことになってしまうから10分くらいで退散する。スマートフォンで綺麗だからって撮影していて、落とす人とかいっぱい出そうだなあ、そして「チームラボの作品、全部抜く」という番組で水が抜かれた作品の床からいっぱいのスマートフォンとそして誰かがこっそり持ちこんで逃がした亀とかが発見されるという、そんな夢を見た。隠し部屋みたいになった「冷たい生命(Cold Life)」のコーナーは水面が続いているんだけれど水が冷たくしてあった。凝ってるなあ。それが作品に必要ならやる。こだわりってやつだなあ。

 ざっと内覧を見てから豊洲まで歩いてマクドナルドで写真なんかを整理して、それからまた歩いて新豊洲まで行ってこれで1キロは歩いたかな。そこで北野武さんが登場する記者会見を聞いて結構真面目に北野さんがテクノロジーが作り出す未来のビジョンについて考えていることが分かった。自分たちが今生きているこの世界は未来の誰かがコンピューター上でシミュレーションしているものじゃないかという認識は、SFだと「フェセンデンの宇宙」なんかから面々と語り継がれる問題意識だけれど、現実をシミュレートできてしまうコンピューターテクノロジーの登場を見るに就け、自分たちの世界がそれでないとは限らないと思うのは不思議ではない。それをちゃんと理解していること、つまりは現実の虚構性を感じていることが北野武さんのどこか冷めて自分を眺めつつ突破していく力になっているんだろう。

 スティーブン・スピルバーグ監督の映画「レディ・プレイヤー1」のパッケージ発売が発表になって、合わせて行っていた森崎ウィンさんのインタビューも解禁に。あの「俺はガンダムで行く!」というセリフに古いガノタたちが「ダイトウ行きまーす!」だろうといった声を挙げたりしていたけれど、僕個人としては映画であのセリフを聞いた瞬間にこれはありだしこれこそがありだと感じていた。それというのもあの場面はダイトウが瞑想の果てに自分の決断を吐露する場面で、軽く「行きまーす」などと言ってはちょっと似合わない。考えに考え抜いた選択、それを自分に言い聞かせ周囲にも知らせる意味なら「俺」は「ガンダム」で「行く」ことを告げるあのセリフがベスト。他に選びようもない。

 そう感じていただけに、インタビューなんかで森崎ウィンさんがあそこは侍が死ぬ覚悟で扇情に赴く気持ちを入れたかった、だから「俺はガンダムで行こう」ではなく「アムロ行きまーす」のパロディでもない、「俺はガンダムで行く!」と言い切りビックリマークも付くくらいの勢いを持った言葉を選んだと話していて、確かにそのとおりだと喝采を贈りたくなった。まだ若いのに、そして初のハリウッド映画でスピルバーグ監督というビッグネームの下でメインキャストに名を連ねた大役でありながら、臆さずベストを選びとって提示する胆力はなかなかなもの。この力があれば本人が決意を持って口にする「俺はオスカーを10年以内に取る!」も決して夢ではないだろう。叶うことを祈るし、叶うだろうと信じる。ドルビー・シアターに立つ森崎ウィンを見られる日は、遠くないぞ絶対に。


【6月26日】 アメリカの映画芸術アカデミー会員に招待されることがどれだけ大変なことか、想像してもまるで思い浮かばないけれおd、会員になればあのアカデミー賞に投票できる権利が得られるというからには、とてつもなく重みのある資格であることは確か。自分だったら受けて日本のアニメーション映画をいっぱいノミネートさせちゃうぞって思ったりもしたけれど、誘われる機会なんて一生無いから招待された方々には是非に受けて頂いて、日本からのアニメーション映画のノミネートをガンガンとやって欲しいなと、今回アカデミー会員に招待された新海誠監督や細田守監督、そして片渕須直監督に対して思うのだった。

 今の日本でトップを行くアニメーション監督が揃っての招待とは、いったい誰がリストアップしているのか気になるところ。片渕須直監督なんて「アリーテ姫」と「マイマイ新子と千年の魔法」と「この世界の片隅に」くらいしか作品がなく、海外での上映も決して広い規模ではなく、映画祭での受賞もアヌシーの審査員賞くらい。それでも気に掛けてもらえるのは、ROTTEN TOMATOのような批評サイトでの高評価とかがあるからなのか、推薦者の中に熱烈なファンがいるからなのか。いずれにしてもこうして名が広まれば、次の「この世界の片隅に」長尺版上映で、前回は逃したアカデミー賞へのノミネートなんてことも起こり得るかもしれないなあ。

 個人的には、ここに湯浅政明監督が入っていれば完璧だった気も。ほかにも俳優でイッセー尾形さんが入っていたり、ライブピクチャーで園子温監督が入っていたりするそうだけれど、アニメーション関係では短編アニメーションがアカデミー賞にノミネートされた「Negative Space」の桑畑かほるさんが、パートナーのマックス・ポーターさんともども招待されていたり、「OH! LUCY!」の平柳敦子さんも入っていたりして、結構勢力が広がりそう。アニメーションの音楽もやっている菅野よう子さんも入っていた。900人を超える人数が一挙に招待された中で決して比重は高くないけれど、取りこぼされずに見てもらえていると分かっただけでも嬉しいと喜ぶべきだろー。MeTooへの取り組みも進む中で改革も進むアカデミー賞の今後に期待だ。

 神山健治監督がプロダクションI.Gの石井朋彦プロデューサーと組んで作ったスティーブンスティーブンって会社があったけど、その後いったい何をやっているかを追いかけていなかったら新宿バルト9で開かれた「映画館でVR!」という発表会で上映された「夏をやりなおす」というVRアニメーションのエンディングに石井朋彦さんの名前があって、これを作ったクラフターという会社がスティーブンスティーブンから名前を変更したものだったということを思い出した。調べたら「花とアリス殺人事件」とか作ってたりして宮崎駿監督の3DCGによる短編アニメーション「毛虫のボロ」も手伝っているみたいで、デジタルなアニメーション会社としてそれなりに基盤は固めている模様。博報堂が絡んでいることも大きいのかも知れない。

 あと「おそ松さんVR」も手がけていて、それから「日本アニメ(ーター)見本市」のために作られた「evangelion:Another Impact」にも関係しているみたい。そんな会社が入っているからこそ、ソニーからスピンオフしたVAIOとそして東映とが組んでVRの映画館での上映を進めるプロジェクトの中で最初に上映される3作品が、「夏をやりなおす」「おそ松さんVR」「evangelion:Another Impact」になったのかもしれない。「おそ松さんVR」についてはAnimeJapan2018のビジネスデーに体験して面白かったし、「evangelion:Another Impact」は2D版で迫力たっぷりだったのがVRになって目の前に巨大なエヴァが現れそう。新宿バルト9での発表会では体験できなかったら、7月2日からの上映をこれは見に行くしかない。

 体験できた「夏をやりなおす」は、ひとり校庭にしゃがみこんだ少女に案内されて夏の学校を見て回るというもので、「ぼくの夏休み」みたいにふんわかとした作品かと思ったらぎょっとさせられるホラーだった。いっしょに……とか、抱きつかれて……とか、初見なら驚くこと請負の展開で、2度目でもなかなかグッときそう。それが映画館で大勢同時に鑑賞すること、そして、VRヘッドセットを使う場合にたいてい併用されるヘッドフォンが使われず、映画館のスピーカーから音響が再生されるのを聞くようになっていることがあって、周囲の身じろぎだとか悲鳴なんかが聞こえてきて、怖さを誘われるような気になる。ひとりで家でってイメージがあるVR映画を、大勢で楽しむようにすることで生まれる一体感。それを味わえる場とアピールし、映画興行に新たな形を加えるのがこの「映画館でVR!」というプロジェクトの目的って言えそう。

 傍目には、大勢が映画館のシートに座って顔にVRヘッドセットを付けてスクリーンの方を見ている光景は不思議だけれど、始まれば音響が館内に響く中でめいめいが自分の見たい方を見ながらストーリーを追っていく。パーソナルでありパブリックでもあるという新しい上映の形が果てして定着していくのか。とりあえず7月2日からの上映の評判が今後の展開を決めるだろう。コンテンツとしては清水崇監督の「呪怨VR」だとか「仮面ライダーVR」なんかも予定されているらしい。あとはライブVRをみなで楽しむような企画も行われることで、映画館にMX4Dだとか4DXだとかIMAXだとか爆音上映だとか応援上映といった集客プログラムに新しいメニューが加わることになる。そんな将来を伺う意味でも7月2日に上映が始まったら見に行こう。1500円で30分は高いか安いかといった評価もしなくちゃいけないし。

 交番を襲撃して警察官から銃を奪おうとする試みは、それこそ過激派による交番襲撃が行われては警官に応戦されて射殺された事件が発生したた1970年頃から行われているけれど、これだけ日本中に交番があって、拳銃をぶらさげた警察官がいながら似たようなことが頻発していなかったのは、警察官がそれぞれに柔道剣道を極めて段位を持ったプロだから、挑んでも撃退されると行った認識が広くあったからなんじゃなかろーか。とはいえそうした警察官でも1人で不意を突かれては、人間だから叶わないこともある。富山で警察官が刺されて拳銃を奪われた事件はそんなひとつの例と言える。

 ただ、奪われた拳銃が次の乱射に使われ民間人を死亡させてしまったことで、警察に対する風当たりは強まって果たして全ての警察官に拳銃の携帯が必要なのかといった議論を生むだろう。拳銃を腰に結びつけている紐が切れずほどけもしないようにはできないのか、なんて可能性も考えたりするけれど、紐の心にワイヤーは入れらえても、結び目に鍵を着ける訳にはいかない。指紋認証か何かで登録者でなければ発射できないようにする? それもコスト的に現実的ではないからなあ。やはり携帯の要不要に話が向かうのかな。急がないと似たようなことをしでかす奴らが絶対に現れるから。今ってそういう時代だから。

 ハーレー・ダビッドソンといえばある意味でアメリカの象徴のような企業で、ヤマハだとかホンダとかカワサキにはない重厚を前面に打ち出し、あの広大な大陸を駆け回るオートバイとして広く世間にアピールして来たけれど、もはやアメリカで作ってアメリカで売ってそれでペイできる状況ではなく、アメリカナイズされた重厚さを好む世界へと向けてオートバイを売っていたりもするのだろう。だから、トランプ大統領が欧州からの輸入品の関税を引き上げて、それに報復するべく欧州でもアメリカからの輸入に対する関税を引き上げたことに、商売を邪魔された形となったハーレー・ダビッドソンが対抗して海外生産を強化しようとしたは至極当たり前の話だろう。

 そこを我慢しろ、お前らのためにやっているんだからとトランプ大統領は言うけれど、それでアメリカ合衆国政府が1万台くらいハーレー・ダビッドソンのバイクを買ってくれる訳ではないし、アメリカ国民だって救いの手なんて差し伸べない。そんな余裕なんてないし。グローバル化が進む世界で企業は国境をまたいで商売をしているのを、国内の一部だけを見て輸入品を止めれば自国製品が売れると考えるのは時代遅れも甚だしい.安い輸入品を使っているからこそ安いサービスを国民に提供できていたセクターもあるものを、関税によってコスト負担を高めた結果、トランプ大統領を支持していた貧しいアメリカ国民が真っ先に打撃を受けるなんて笑い話にもならない。そんな構図に気づくかというと気づきそうもないんだよなあ、トランプ大統領。このままだと中間選挙にも影響が出るかなあ。


【6月25日】 ハリルホジッチ監督はおそらく本田圭佑選手はFIFAワールドカップ2018ロシア大会の日本代表に呼んだだろうと思っていて、そして所属チームのボルシア・ドルトムントでほとんど試合に出られていなかった香川真司選手は、体調とかプレーの切れなんかを考えて呼ばなかっただろうと推測していて、それがおそらくはスポンサー筋の逆鱗に触れたんじゃないかって思っていたりもするんだけれど、結果として呼ばれた本田選手と香川選手が西野朗監督の下でどんなプレーをしているかというと、1試合目のコロンビア戦ではPKこそ決めたものの試合が進むほどに埋没してしまった香川選手は、2試合目のセネガル戦でもやっぱり存在が今ひとつ見えず、乾貴士選手や柴崎岳選手の活躍の中に埋没してしまった。

 きっと西野監督もそうなってしまうことは想定していて、だから1試合目でも2試合目でも本田選手を香川選手の代わりに入れては残る20分間にボールを溜める、セットプレーで仕留めるといったタスクを与えてそれをきっちりこなした本田選手が1アシストに1得点という結果を残した。これが香川選手と併用で最初から試合に出ていたら、途中でバテてしまって使い物にならない置き石が2つになっていただけ。かといって2人とも出さない選択肢はない中で、とりあえず試合が壊れなければと70分間を香川選手に与えつつ、柴崎乾に大迫勇也選手や原口元気選手の若さに任せて試合を作ってもらったんじゃなかろーか。

 これがハリルホジッチ監督だったら香川選手は呼んでなくって井手口陽介選手でも入れて試合を作りつつ終盤に本田選手といったチョイスをしたかもしれない。それで11人のコロンビアもセネガルも撃破したかもしれないと思うと、経験を若手に積ませられなかったことは4年後のカタール大会に向けて大きな禍根となりそう。浅野琢磨選手に三竿健斗選手といったあたりが入っていれば次のアジア大会に弾みがつき、そのままワールドカップ予選にだって挑めていたかもしれない。久保裕也選手もそうだなあ。いっそ久保健英選手まで入れていたらさらに期待も膨らんだと思うと、今のいい顔をとって未来の泣き顔を選んだ日本サッカー協会の愚も感じられる。でも自分たちはその時にはいないんだから関係ないんだろうなあ、一生を背負って生きる覚悟を決めてた長沼健元会長は腹の据わり具合が違うなあ。長沼さんの障害者サッカーへの貢献は忘れません。

 ともあれセネガルに2度リードされて2度追いついたことで日本代表のグループステージ突破は大きく可能性が膨らんだ。ただここで2連敗をして敗退が決まったポーランドが、過去の出場大会と同様に敗退が決まった3試合目で100%の勝率だとかいう話を真に受けるなら日本代表はポーランドに敗れてしまう可能性もある。その時にセネガルとコロンビアが手を握って引き分けて勝ち点を積み上げたら日本代表はコロンビアとの得失点差で下になって敗退しそう。そういう憂き目に過去も遭っていただけに可能性はゼロではない。勝つか引き分ければ文句はないけどそういうヒリつく試合で使いまくられた柴崎乾原口大迫は動けるか。そう考えるとなかなか厳しそうだなあ。どうなるかなあ。目を離せない。

 そんな日本代表の試合が始まるかどうかといった時間に飛び込んできたのが、ネットのブログで活躍をしていたHagexという人が刺されて亡くなったというニュース。ネット上で目立った活動をしている人たちのどこか胡乱な部分を突いてイジっていた人だけに、いろいろと恨みも買っていたんだろうかといった思いも浮かんだけれど、いくらなんでもネットで指弾した人が実力行使に出るなんてことはなかったみたい。刺したという容疑者はネット上で荒しのように活動をしては幾度もIDの停止を食らっていた人らしく、Hagexさんも取り上げていた。それがどうも恨みを買ったようで故郷の福岡に帰ったところで福岡在住の容疑者に襲われた。東京で仕事をしているなら東京に居続ければ良かったのに、故郷に錦を飾りたいといった思いでもあったのかなあ、それが結果として徒になってしまった。残念とした言い様がない。

 だったらネットでの告発だとか指弾といった行動は危険かというと、相手がそれなりに社会的な地位もあって発言力もありながら、どこかとんちんかんだったり世間的に問題だったりする発言をした場合に指弾するのはありだろう。影響力もある人たちがその影響力を間違った方向に発揮しては世界が傾く。それを咎めて止める活動には支持もあるし、言われた方だって社会的な地位もあるから言論やら法律で反撃はしても、実力行使に出るなんてことはない。それをやってしまっては社会的な居場所を失うから。でも、最初からそんな居場所を持たない人が、かろうじて持っていた自分を発散する場所を奪われた時に何を思うか。絶望からもう失う物は無いと実力行使に出るのは、最近起こった新幹線での暴力とか、10年前の秋葉原での連続殺傷事件の犯人と同様。それを果たして事前に察知し止めることは難しい。

 可能性があるとしたら、散々っぱらIDを取得して荒らしては排除されることを繰り返していた犯人に、こうした連続してのID取得ができないようにシステムの側でしておくことだった。でもやらなかったのができなかったのか、繰り返しのID取得で未練を与えつつ恨みを募らせさせた。結果こうなったとしたら運営の方にも自省すべき点があるだろうけど、現状の報道はHagexさんの方で何かネット上で相手を低脳呼ばわりして恨みを買ったようなストーリーになっているから、運営の方に目が向くことはなさそう。そうじゃない、荒らしまくっていた人を窘めようとしたのが逆恨みを買ったということを行っておかないと、同じように無敵の人、社会から外れて何も失うものはないと自暴自棄になった人による同じような事件がまた起こる。そこに気づかないのかメディアは。気づかないんだろうなあ、だから繰り返される。やれやれ。

 SFも書いてガス抜きはさせたからと集英社オレンジ文庫は辻村七子さんにリチャード氏のシリーズへと戻らせたのか、早くも第2部となる「宝石商リチャードの謎鑑定 紅宝石の女王と裏切りの海」を書かせてリリース。大学を卒業したものの官僚の試験に落ちた正義をリチャードは宝石商のインターンにしてはスリランカにある拠点に放り込み実地勉強をさせていた。そこに舞い込んできた謎のメール。リチャードの兄らしき人物によるリチャードを助けてといった内容のメールで、航空券もそしてリチャードが乗船する予定になっていた宝石の商談会が行われる豪華客船への乗船券もついていた。

 確かめようにも兄には連絡がつかずリチャードには連絡しづらい正義は、そのまま出向いていっては船に乗って案の定リチャードから厳しい視線を向けられる。そして自分がどんな目に遭っても助けようとするなと言われながらもそこは直情径行で自省の聞かない正義。老人からのセクハラまがいの言動をリチャードが浴びる姿にかっかとしたものの、そんな正義に宝石窃盗の容疑がかけられ自分が何かにはめられたと気づく。それはリチャードに恩を着せて言うことを聞かせようとしたものなのか。別の何か陰謀が動いているのか。潔白を証明するために動き出した正義がたどりついた真相は、リチャードに対する新たな敵の出現へとつながっていく。その理由は。その目的は、正義とリチャードに迫る陰謀と戦う展開が今後繰り広げられるのかな。舞台は日本へと戻るのかな。宝石をめぐる諸々を蘊蓄混じりに解決していった日常系ミステリから様相を変えそうな第2部に、注目だ。


【6月24日】 アーツ千代田3331で上映されているANIME SAKKA ZAKKAの短篇アニメーションに入っている幸洋子さんの「夜になった雪のはなし」では「BLACK LAGOON」の銃器描写の観衆やら「この世界の片隅に」の船頭さんにお坊さんに憲兵さんにヤミ米屋の店主に玉音放送の昭和天皇などの声を担当している俳優の栩野幸知さんが声を当てているんだけれど、メイキングを観ると最初は標準語でシナリオが書かれていたものを現場で栩野さんが出身の広島弁に変えて喋ったらそれがどうもハマったようで全部が広島弁になったらしい。対抗して幸さんが出身の名古屋弁をあてるかとうとそちらは淡々と標準語。その対比の中でメタモルフォーゼしていく動物なりの雰囲気が広島弁だとよく感じられるらしく、それが変更の理由になったとか。どんな感じかは現場で上映を観て判断を。

 ドイツすげえ。いや試合運び全体は1点のリードを許した対戦国のスウェーデンの硬い守備にはばまれなかなか得点を奪えなかったのを、どうにか後半にサイド攻撃を使うようになって後半早々に1点を返して同点に。それでも1試合目でメキシコに敗れているからこれで引き分けでは拙かったドイツが、アディショナルタイムにゴールに向かって左側からクローゼのフリーキックがどんぴしゃに決まって2対1でリードしたまま試合を終えて、セカンドステージへの進出に望みをつないだFIFAワールドカップ2018ロシア大会。ちょっと面白くなってきた。

 アルゼンチンがヤバそうな中でブラジルはどうにか持ち直してフランスイングランドスペインポルトガルもきっと進む中にドイツがいないとやっぱり寂しい。1試合目を落としてもスペインのように優勝できない訳じゃないんで3試合目の韓国戦を勝って弾みをつけたいとろ。逆に2連敗の韓国は厳しくなったけれど、メキシコ相手にシュートで1点を返したのは上々。アジアの国が軒並み低調で終わったら、いくら枠が広がるとはいってもアジアの枠が大きく増えない可能性もあるんでそこは1チームでもセカンドステージへと進んで欲しいもの。日本代表が1試合目で勝ったから大丈夫? 参考にはならない試合だったものなあ。次のセネガル戦が全て。さてどうなる?

 直後のロキソニンテープが効いたか足首は痛いは痛いものの足をついて歩けないほどではなかったので、イオンシネマ幕張新都心でも最大のULTIRAスクリーンで上映が始まった「リズと青い鳥」を見に行く。見上げるように巨大な鎧塚みぞれの顔が水槽をみつめながら「ふぐ」というシーンを全身で浴びれるだけでも素晴らしい上にULTIRAのスクリーンが持っている立体音響を活かしてそれぞれの音をしっかりと再現。北宇治高等学校吹奏楽部が練習している場所に自分がいるような感覚であり、学校という場所でありみぞれと希美が歩く場所に自分が寄り添っているような気にさせられた。極音だの爆音といったものとは違った静かな中で粒立つように響いてくる音響を全身で聞き取りたい作品もしっかりと上映できるイオンシネマ幕張新都心スクリーン8の素晴らしさを堪能できた。7月4日まで上映しているんで時間を見つけてまた行こう。

 前回のマキナ・中島を演じた西田望見さんが登壇しての応援上映に続いてカナメ・バッカニア役の安野希世乃さんが登壇した「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」の応援上映があったんでTOHOシネマズ上野まで。映画の中で“死神”ことメッサー中尉との関係が強く描かれているカナメだけに、舞台挨拶にはネットで買ったというメッサーのバングルを着けての登壇。そしてネット番組で呼びかけたようにさまざまなバングルをつけたファンの喝采を浴びていた。番組では応援上映のドレスコードも求めていたようで、メッサー中尉のようにトサカ頭にしてきた人、カナメのようにハーフアップにしてきた人を客席から探しては見つけて来場のお礼を言っていた安野さん。メッサーを演じた内山晃輝さんとの登壇も夢見ていたもののこれはかなわず、いつか登壇できればと話していた。

 上映前の登壇だったため応援上映のポイントを聞かれた安野さんは、まずは映画で新規となったお風呂のシーンで一生懸命にどんな匂いがするかを観客席で想像して欲しいと呼びかけていた。シャンプーのブランドなどが上がっていて、上映時にもそうした名前を叫ぶファンが何人かいた。2番目のポイントはデルタ小隊の一員のチャックに対する応援で、テレビシリーズと違って映画では「ワルキューレ」がウィンダミア王国に拉致され、メンバーのハヤトやミラージュもウィンダミアの船に潜入して、最後の作戦に臨むのが隊長とチャックだけと寂しい状況。そんなチャックを応援するべく登場シーンでは「ウーラ・サー」というかけ声を入れようということになり、上映時も登場する度に「ウーラ・サー」という声が響いていた。

 「劇場版マクロスΔ 〜激情のワルキューレ〜」でも屈指の名場面となるメッサー中尉のラストバトルとカナメとの離別のシーンでは、「メッサーを言うのが楽しくなってきた人もいるけれど、メッサーがカナメの腕の中でコトリとなる時は、万感の思いで楽しく『メッサー!』ではなく悲痛の叫びで『メッサー!』と叫んで」と呼びかけていた。もっとも上映では誰もが悲劇的なシーンに見入ってしまい、叫ぶ人がいないという自体に。2人の離別を邪魔してはいけないという配慮が働いたのかも知れない。このほかエンディングに流れる「Dansing in the Moonlight」に合わせて手振りをして欲しいと呼びかけ実演をした安野さん。上映時は手を動かす人がしっかりといてこちらは願いは届いたようだった。

 最後に挨拶としてワルキューレのメンバーがリレーで応援上映の舞台挨拶に臨んでいることに「一緒に回っていけるのが嬉しい。楽しい何ヶ月かを過ごせて一体感を得られた」と喜んだ。そして「また間近にお会いできる機会を得られたら」と再会を望んで開場の拍手を浴びながら退場していった。応援上映は次はレイナ・プラウラー役の東山奈央さんが登場。声優としてのキャリアも人気も格段な人だけにファンも大勢詰めかけそうだけれど、ワンダーフェスティバル2018[夏]と重なるかと思った日程が前日の土曜日だったんで、これも頑張ってチケットを取って行けたら行こう。どんなエロ可愛いレイナが聴けることか。ドレスコードは何になるのかなあ。ちょっと気になる。

 沖縄の翁長知事が膵がんで入院をして手術して退院をして今は治療中の身であるのは知られた話で、そうした中をすっかり髪の毛がなくなった頭で登壇をして沖縄の戦没者追悼式に登壇した姿を保守系のサイトが揶揄混じりに紹介しては反感を買って当該記事を削除した。なるほど以前からその髪型に対していろいろ言われていた形跡はあったものの、病身を押しての登場に対して浴びせて良い言葉ではなく、だからこそ非難も集まり受けてサイトは削除したんだろう。でもそもそも載せる方がよろしくなくって、削除しても載せた事実が残っているのだからそれに対して謝意なり説明なりを行うべきところをまるでなかったことのように澄ましている点がさらなる追撃を浴びている。

 同種の保守系サイトは差別的な言動をにらまれ広告を剥がされる状況に。それでも誹謗混じりの記事を載せているのはある種の根性だけれど、それで保つ運営でもなかろうし、保つなら何か裏もありそう。削除したサイトも煮たように広告から干し上げられた時にどういった態度をとり続けるか。それを避けたかったからこその速効削除だとしても、遠からず似たような記事を載せてはやっぱり反感を覚えられて広告剥がしを浴びるだろう。それでも運営し続けられたらいったい何がどう動いているのか。闇か趣味か。どこまで暴かれるかは分からないけれど、ある種の曲がり角に来ていることは確かだろう。そうしたサイトが支える政権がどうなるかも含めて、状況を見守っていこう。


【6月23日】 「REDLINE」だ「REDLINE」だ、ドリパスで成立して小池健監督の「REDLINE」の上映があったんで秋葉原のUDX THEATERへ。午前10時半からは人によっては早朝だけれど映画館でアニメーション映画の封切りを見ようとすると午前8時半からスタートとかざらにあるんで気にしない。早くに申し込んだので早めに入場できたんで座席は最前列のど真ん中。滅多に見られない大きなスクリーンで「REDLINE」を観られるのなら、とことんまで大きく観られる場所で観たいってのが心情なんで、それが叶ってまずは良かった。

 最初のイエローラインでのレースでソノシー・マクラーレンがゴールしながら「Yes!」と叫ぶシーンだってこれなら全身で体感できるし実体とっても心にズキュン。その場面が観たくって僕はもしかしたら「REDLINE」の上映がある度に駆けつけているのかもしれない。とはいえ劇場で観るのはいつ以来になるんだろう。六本木のシネマート六本木で観た記憶はあるんだけれどその後どこかで観たっけか。ドリパスでの上映がお台場であった時に見ていたかなあ。文芸坐でのオールナイトは観てない気がする。いずれにしてもこれは絶対に劇場で観るべき作品。大きなスクリーンいっぱいに爆走するマシンやら、大げさな仕草もばっちり描かれるJPやソノシーやほかレーサーたちの活躍を目の当たりして、その世界に自分が入り込んだような気分になれるから。

 凄いのは、これが全編手描き作画だったりすることで、名だたるアニメーターをかき集めて描いてもらえたところに時代の良さを感じる。今ならデジタルで簡略化って話になるし、描ける人だって8年が経ってやっぱり減ってきているだろうし。良い時代だったなあ。映画だけあって作画はどこの念入りで、原案と脚本を手がけた石井克人さんの感性と、そして監督の小池健さんのビジュアルイメージをアニメーターたちがとことん描き抜いている。パワフルでエキサイティングでクールでファッショナブルでロマンティックでスピーディー。こんな映画が2010年代にあったことを世界はもっと語り継がなくてはならない。今なら爆音上映と応援上映で歓声にあふれた劇場を作りたいけれどそれも叶わないだろうなあ、ドリパスでこうして上映されるだけでも御の字か。

 最初に見た時も思ったけれど、木村拓哉さんのJPは木村拓哉さんが顔出しをしている俳優の映画やドラマにも増して木村拓哉さんならではの格好良さが炸裂している感じ。ハウルの動く城」のハウルよりも格好いいけど、これの声優業がハウルほどに広まっているかというとそうでもなさそうなのが残念。映画公開時もあまりインタビューとか出ていなかったみたいだから、どういう理由でこれを演じてどういった感じに演じきったかが聞いてみたかった。蒼井優さんのソノシーも可愛い。浅野忠信さんは浅野忠信さん。そして青野武さん。ほとんどこれが遺作になったんだっけ。独特の声と演技が炸裂してる。次はいつ劇場で観られるか分からないけど、機会があったら頑張ってチケット取ろう。イオンシネマ幕張新都心のULTIRAで上演してくれたら最高なんだけどなあ。

 UDX THEATERを出たら雨。その中を小走りするようにしてアーツ千代田3331へと回って「ANIME SAKKA ZAKKA」を少しだけ観る。土曜日はグッズ売り場が店を広げていてその中に幸洋子さんのDVDがあったので購入。「黄色い気球とばんの先生」「ズドラーストヴィチェ」といった作品を始め過去の作品がいっぱい詰まっている上に、ライナーノートもジャケットも手作りでひとつひとつ違っていて、さらにはチェキも1枚入ってほとんどアート作品といった感じ。いつかアカデミー賞短編賞でも受賞すれば貴重な一品になるかもしれないので部屋の中でなくさないように保管しよう。

 雨が降っていたのでベンチが使えずデッキでしゃがみ込んでパソコンを広げて「境界線上のホライゾン2」のオールナイトのチケットを確保して、「REDLINE」の感想とかを記録してから立とうとしたら足がしびれていて、どうにか立ち上がったものの感覚がないまま足をついてしまって、右足首を思いっきりグキリとやってしまう。これは捻挫だ、きっと明日には腫れるに違いないと思い近所の薬局で湿布でも買おうと入ったら調剤もやっていて薬剤師がいたのでロキソニンテープをもらう。医師の処方はいらなくても薬剤師の指導は未だいるのだった。近所のVELOCHEに入って足首に1枚貼ったおかげで、痛みは出始めても歩けないほどではなかったのがまずは行幸。夜が明けて腫れ上がったら困るけど、今のところは大丈夫そうなので日曜日も頑張って出かけよう。マクロスΔの応援に。

 女性エンジニアが少ないと男性エンジニアはモチベーションが上がらず、女性エンジニアもあまり会話ができないからと縮こまってしまう問題をAIによる機械学習で解決できるのではといった講演での提案がいろいろと物議を醸しているそうで、結論を言うなら女性エンジニアが増える環境を作れば良いし、男性女性関係なくコミュニケーションがとれるような状態になることがベストではあるものの、そこへと至らないなら女性を見せかけだけでも増やそうといった提言に、女性をそうした“愛玩性”でしか見ていないのではといった疑問を抱く人がいるのもまた真実。そうではない気持ちをもっと巧く説明するべきだった。

 ただ決してマスコットでもメイドでもアシスタントでもない対等なエンジニアとして女性を認めつつも現状いないなら架空でも置きたいといった心理を、どこか性的なものとして感じ取って押し込めてしまうことには、どこか窮屈さを感じないでもない。これが激しく非難されるのだったら以前にIT系の企業がエンジニアは朝食をとらないからという理由で、女性マネジャーなるものがジャージ姿で会社に来ては弁当を配ることを始めたことがあったけれど、これなんかあからさまに男性は女性から弁当をもらえば喜ぶといった決めつけがあり、女性は弁当を配る立場にあるんだといった認識があって、性差を際立たせていた。でも当時は一種のギャグめいた受け取られ方をしてネットで賛辞も飛んでいた。数年を経て大きく変わった認識は是として、その案配を今は考える時かもしれない。ところで今も女性マネジャーの弁当手渡しって続いているんだろうか。

 ときわ書房船橋本店でボイルドエッグズ新人賞を受賞した黒瀬陽さん「別れ際にじゃあのなんて、悲しいこと言うなや」(早川書房)を見つけて購入。1996年に中学生だった人たちにとって、ピンポイントで往時の状況を思い出させながら鋭く刺さる物語。そして、同時に今を生きる全ての人たちが普遍に感じて入る文化の喧噪というもの、友達とか家族とかとの関係の喜悦、そして異質なものを差別して自分を保とうとしがちな社会の苦渋を感じさせる物語だった。僕自身は31歳くらいで迎えた1996年だけれど「新世紀エヴァンゲリオン」であり小室哲哉といった文化の喧噪はしっかり味わっていて理解はできる。ただどこか達観しつつ観ていた身では中学生たちが驚きをどう味わったかは分からないもので、それを感じさせてくれるという面もあった。今の時流を席巻する文化が若い人たちをどう動かしているかを考え、差別と戦うための意識を育む糧にしたい。


【6月22日】 そして気がつくとFIFAワールドカップ2018ロシア大会のグループステージでアルゼンチンがクロアチアを相手に3点を奪われて敗戦。リオネル・メッシを要しながらもバルセロナとは違って代表ではまるでチームがまとまらない状況は相変わらずだけれど、それでも個人技で突破できていたかつてとは違ってメッシ1人ではどうにもならなくなっている感じか。とはいえクロアチアもすでにベテランの域に入ったルカ・モドリッチ選手が活躍しているところを見ると、個人ではなくチームがしっかりと機能をして1人に頼らず1人を目立たせないようになっているんだろう。連勝でセカンドステージ進出を決めたクロアチアはもしかしたら、今大会の台風の目となるかもしれないなあ。レアル・マドリードで組んでいるポルトガル代表のクリスチアーノ・ロナウド選手と激突なんてこともあるのかなあ。楽しみ。

 うーん、例えば自分は箱推しでDD(誰でも大好き)でもあってフェスに出てくるアイドルユニットやら声優やらを全部応援はするけれど、でも最初にきっかけを持ったのはどういうグループの誰といった個人であってその子が一番大好きであることには変わりないんですと、当該の子の前で言ったとして相手はそうなんだ自分が一番なんだと納得して喜んで握手してくれるかというとやっぱり「何言ってんだコイツ」ってなるような気がしないでもない。他の誰かが少しでも好きならそれは自分だけが好きではないことなのだから。

 そういう理屈を果たして甘粕ひそねはどうやってねじ曲げてごまかしてまそたんによる吻合を防ぐのか。いろいろ好きだけれどもそうしたオール大好きのきっかけで中核はまそたんだからオール大好きはすなわちまそたんが大好きと同じことなんだと言ってる感じがあるけれど、そういう言葉によるレトリックが通用する相手ではない。貞が心の中でかつて親しく思っていた楔女の少女への情愛を思い出しただけでまそたんはおかしくなって吻合が始まった。男女の仲ではない友情ですら拒絶する敏感なまそたんの感覚を、ひそねはどうやってクリアしたのか、ってところにひとつ謎があるし疑問もある。

 そこは、言葉が気持ちと直結していて一番好きは一番好き以外の何物でもないひそねの心理をストレートに受け止めて、そうなんだとまそたんが納得させられてしまったのかもしれないなあ。だから飛べたし吻合も起こらなかったと。「ひそねとまそたん」第11話。そうした展開は良しとして、一方でミタツ様とやらの腹の中に入ったDパイや巫女やらがこれから辿る運命を考えた時、日本のため国体のために誰かが犠牲となることを是としてしまうのかといった問題が残る。ひそねの強引思考パワーでもってねじ伏せたところはあっても、他のOTFにとってはやっぱり自分が唯一であって、Dパイに誰かを思うことを許していないし逆に言うなら誰も思うことのない娘だけがDパイに選ばれている。

 それが人として正常か否かは人の好き好きによるのかもしれないけれど、一般社会においてあらゆるコミュニケーションを拒絶してしまう人間はなかなかいない。そこに居場所を与えつつそれこそが正義めいた展開を見せてしまうのはやっぱりあまり好きじゃない。そして楔女と呼ばれる巫女が辿る運命は、貞がいとおしいと思った前回の楔女が辿ったらしい運命を示すことで国のために犠牲になること、それ以外が考えられない。三角棗もそうなってしまうのか否か。そこにどうにかやって来られた甘粕ひそねの誰でも好きは誰かが好きなのと同義だといった強引さが炸裂し、ミタツ様ですら納得させて犠牲をとらずに眠るのか。そうでなければもとより女性の自由を制約して成り立つ国体護持への嫌気が増すだけだものなあ。どういう結末を持ってくるのか。来週の放送から目が離せない。

 ヤスダスズヒトさんが描くキャラクターがクールでスタイリッシュな上に繰り広げられる物語がドライでちょっぴり殺伐としていて読むほどに口中がカラカラに乾いてくるようなスリルを味わえる。そんな物語が新井輝さんによる「忘却のカナタ 探偵は忘れた頃にやってくる」(ファンタジア文庫)。主人公らしき男は岬翼といういかにもボールが友達みたいな名前な青年で、探偵をやるかたわら忘却社という会社の社長代行のようなこともやっていて、持ちこまれる事件を3日で解決してはその記憶をさっぱりと消してしまうことができるらしい。ただし会うには12階建てのビルの13階にあるという事務所まで行く必要がある。何かの謎かけのようでもあり、どこか異次元が絡んでいるようでもあるそんな事務所にたどり着いた少年が、さらわれてしまった知人の少女を助けたいと言って飛び込んできたものの岬翼は留守で三倉咲夜という実はお嬢様の助手めいた少女がいた。

 岬翼は現れないまま緊急事態だと少年に案内をさせてさらわれた少女を探しに行ったらそこには不良がいて、なおかつとてつもなく強い男まで現れて、咲夜の知り合いの武術使いもあしらわれてしまった。そこに遅れて登場の岬翼が殴りかかってきた巨体の男を払っただけて両腕は折れ曲がり、方は外れて全身の骨格がバラバラに壊されてしまう。とてつもない強さ。そしてその岬翼には不思議な力がって意識に入り込んで記憶を殺す、すなわち消去することができた。忘却とはそういった能力の上に成り立っていてさらわれ襲われた少女から事件の記憶はなくなり、ついでに助けを呼んだ少年との記憶もなくなってしまう。ちょっと切ない展開。でもそれが少女のためならば。

 そんなキャラクター紹介めいた展開があって、戻って咲夜が同級生の少女につきまとっていたストーカーらしき存在をどうにかするため、未だ知らなかった忘却社を尋ねて行って岬翼と出会うエピソードが始まって、それが以前に屋敷の中に入り込んで咲夜の部屋をのぞくんじゃなく、迷い込んだ猫を見つけようとしていた男と同じ人物だと知って憤りつつも岬翼の力を借りて同級生の少女の体操着がなくなったり誰かにつきまとわれているような事件の真相を暴く。それはとても自分勝手な思い込みから出たものだったけれど、やっぱり強かった岬翼にかなうことはなかったもよう。何しろ裏のバトルフィールドで無敵を誇った女性を簡単に壊してしまったくらい。その女性は今は男装ホストをやっていて、その妹が咲夜のボディガードだったりするという関係が見えてくる。咲夜は知らない武闘でつながった裏の関係。ちょっときな臭い。

 ストーカー事件は落着したかに見えて暴力が策動していたのを密かにその妹の方がある方法でつぶしていたりするところもなかなかにダーク。決して正義とは言えないその振る舞いがやがて浮かび上がっては咲夜を戸惑わせ、岬翼との激突を生むことはあるのだろうか。彼がかつて社長だったという火村葉をどうにか退けて後も本当に完全に脅威を排除できたのかが見えないこともあり、味方に見えて敵かも知れない関係を意識しつつ舞い込んで来る依頼をこなしていくようなストーリーが繰り広げられていきそう。妙に達観しつつ鈍いところもある咲夜、戦えば強いボディガードの盾無真森にその姉で男装ホストの真林、裸でうろつく火村葉といった女性陣に独特なキャラクターが大勢いる中、戦闘力と記憶に潜る能力を振るう岬翼は圧倒的で居続けられるのか。周囲との関係は。続きが気になるので出して欲しいなあ。謎めいた少年も出てきたし。


【6月21日】 スペイン戦で怪我でもしたかと心配したクリスチアーノ・ロナウド選手は無事だったようでサウジアラビア戦に登場してしっかりと1点を奪っていた。スペイン戦ではハットトリックだから1点は物足りないと言えば言えるけれども2戦4発はやっぱりさすがの実績というか、過去の3大会で3点しかとれなかったのがこの歳になって爆発しているのはやっぱりたゆまぬ鍛錬と節制のおかげってことなんだろう。女性関係はともかくアスリートとしては完璧にして完全のボディ。そのプロ意識こそがクリスチアーノ・ロナウド選手をバロンドール級の地位に10余年、起き続けているとも言えそう。体脂肪が10%を超えても平気などこかの国の代表選手とはやっぱり器が違うということで。絞ったからといってクリスチアーノ・ロナウド選手になれるとは限らないけれど。

 「『いい加減にしろ』と申しましたのはその、入浴で言うところの湯加減を念頭においてのものでありまして、そこで加減というのは適切な状況のことを指すのであります。ひるがえって国会のあの場で発言をしておられたがん患者の方は、受動喫煙の危険性をおっしゃって禁煙化の重要性を訴えつつも、喫煙者への配慮を残しておられたました。聞きましてこれはどうにも温い、適温ではないと感じもっと厳しくしろ、喫煙は許すまじといった姿勢で臨むべきであると感じ、ご発言をもっと熱くしろという意味から『いい加減にしろ』とエールを贈ったのであります。決して喫煙者を批判するような言葉を詰った訳でも、肺がんで苦しんでおられる方を非難した訳でもありません」。

 そんなという言い訳が出てくる可能性についてふと考える。さすがに無いとは思うけど、今の政治は誰が聞いても珍妙な言い訳にしか聞こえない言説がまかり通って果ては閣議決定されてしまう時代だから油断ならない。何の話かって国会で行われたらしい受動喫煙なりから肺がんになってしまった人が受動喫煙の危険性を参考人として訴えていた場で、自民党の議員が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばしたという話。1度ならず何度かとばした挙げ句にそれを咎められても釈明せず、だんまりを決め込んでいることが報じらえてあまりにもあまりだろうといった非難の声がわき起こっている。

 これは当然で遠からず自民党の幹部も事情を問いただしては釈明させるだろう。でないと党が危ないし、それ以前に自民党の議員が経営もしているファミリーレストランの経営にも事が及んでいくことになる。早期の火消しが求められる案件だけれど、それなら先に釈明をっしておくべきだったのに黙っていたのは他のもっと偉い人たちが、言い訳にならない言い訳をしてそれを通してしまっている状況を見たからか。逃げ切れると踏んだからか。可能性は割とありそう。

 さすがにこれはヤバいとなって釈明に及ぶとしても、まずは「言った記憶がないんです」とまずは逃げてみせ、そして聞いた人が多数となって録音まで出てきたら「そういった意味ではないんです」と話をすり替えようとして、けれどもさすがに通らないとなって「お気持ちが傷ついたとしたらお詫び申し上げます」と言って相手の受け止め方に責任を押しつけ、自分自身の発言は間違っておらず撤回もする意志はないと突っ張る可能性が昨今の前例なんかを見ると割とありそう。とはいえ総理や副総理といった権力者ではないからメディアもここぞとフルボッコにして自分がまだまだ陣笠だと自覚することになるんだけれど。

 それにしても本当にこんなのばっか。そういう意識がさらに広がればまた起こるかなあ、政権交代。どうかなあ。などと言っていたら自民党の議員が本当に、「ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くお詫び申し上げる次第でございます」といった具合に、そう感じたのなら悪かったよといった感じに、相手の受け止め方に丸投げをして自分の責任から逃れようとする言い訳をしてきた。ある程度は予想していたけれども良心に一縷の望みも抱いていただけにこれはショック。こうした自責なき謝罪の横行はやっぱり昨今の首を後ろにそっくり返しながらの面堂終太カ的な謝罪に習ったものなんだろう。

 それから「参考人のご発言を妨害するような意図は全くなく、喫煙者を必要以上に差別すべきではないという想いで呟いたものです」って文言も、参考人は喫煙者の配慮をしつつ喋っているって報道にあった後の言葉だけに胡乱さが炸裂している。だいたいがどうして呟きが参考人にまでヤジとして届いて聞こえるんだ? 独り言なら心の中で言えば良いのにそうじゃないのは聞こえるように言ったことであってすなわちヤジでしかないだろう。でもつぶやいただけと逃げる。本人に責任も自覚もなさそうなこうした言い訳を、出して追われると思っていたりするところにも今のニッポン無責任権力者時代が見てとれる。もうこれは止まらないだろう。そして誰も放言をして責任をとらず放言が毒のように広まって善意を駆逐し悪意をはぐくむ世界が訪れることだろう。参ったなあ。

 さすがに15歳の中学生ではウインブルドン選手権の決勝をテレビで見ることはなかったけれど、高校に入って雑誌の「ポパイ」を毎号買うようになった中でスニーカーやらファッションやらの文化の流れでテニスも取り上げられていて、そこでウインブルドン5連覇を果たしたビヨン・ボルグと敗れたジョン・マッケンローの話も割と振れられていたりして、関心を抱くなかでウインブルドンの決勝で迎えた両者の対決を、もしかしたらテレビの中継で見ていたような気がする。模造記憶かもしれず、ボルグがマッケンローに敗れていた全米オープンの試合を勘違いしているのかもしれないけれど、前年は勝利して王者に止まり続けたボルグがこの年はマッケンローに敗れ、王座の明け渡しという歴史的な場面がそこに出現した。

 とてもドラマティックではあったけれど、でもやっぱりそれを映画にするのはちょっと難しいということなのか、あるいは第2部のためにとっておくのか「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」という映画では1980年のウインブルドン選手権決勝で激突をして、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマッケンローをボルグが退け前人未踏の5連覇を達成すると同時に世代交代をせき止める展開が描かれていた。3時間55分にも及んだ決勝の試合、7度にも及ぶ第4セットタイブレークでのマッチポイントをボルグが見せながらマッケンローがはじき返してセットを奪ってカウントをタイにする、スリリングなシーンが余すところなく映像化されている。ドキュメンタリーではなく映画として。

 そう、これは演技。「ストックホルムでワルツを」に登場していたスベリル・グドナソンがボルグをそれはもう本物そっくりに演じ、そしてシャイア・ラブーフが悪態をついて暴れ回るマッケンローの若くて激しい様を演じきっては1980年のテニスシーンとそして文化を今に甦らせている。「レディ・プレイヤー1」でもって1980年代のゲームカルチャーとかポップスとかが紹介されていたけれど、スポーツシーンを語りファッションを語る上でも欠かせないボルグvsマッケンローの激突が、こちらの「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」で紹介されていると言えそう。併せて観るといろいろと見えてくるものもあるだろう。ブロンディの「コール・ミー」とか流れるとやっぱりびんびんくるよなあ、1980年代に15歳から25歳を過ごした身として。

 面白かったのはコートで悪態をついて審判も観客もけなすマッケンローの悪童ぶりが、実はボルグにもあったってことでスウェーデンでまだ子供だった頃にテニスを始めた時は審判に文句ばかり言ってラケットをなげつけコートから飛び出すくらいの悪童だった。それをデビスカップの監督だった人間がコーチとなって諫め抑えて表では冷静沈着で、氷のようなプレースタイルとコミュニケーションスキルを身につけさせたけれど、宿に戻れば自分の思い通りにさせようとしてピリピリとし、やがて爆発をして周囲を排除するようなことをやらかしてしまう。発散できないマッケンローといったところ。そしてマッケンローが悪態をつきながらも自分のリズムでプレーするところを羨ましがっている。

 逆にマッケンローは有力弁護士の子として生まれ何不自由なく育つ中でテニスを始めボルグにも憧れた繊細な天才少年。それが試合の中で自分をどこまでも発散しながら強くなっていった。ボルグにはなく、そしてできなかったものを持っているとも言える、そんな2人が試合で激突するんだからこれはもう面白くならないはずがない。そしてウインブルドン決勝、センターコートに立ったマッケンローがそれまでの悪態を抑え試合に集中してボルグに挑んでいった様は、それこそが自分の本性なんだといった印象を感じさせる。猫を被って貴公子を“演じて”いたボルグはそこでは勝てたけれども翌年には敗北。そこで本当の自分をさらけ出すにはもう遅すぎたのかもしれない。

 ボルグ引退。一方でマッケンローは全盛に。少しだけ重なった2人のテニスプレイヤーの邂逅を描き世代交代を示しアスリートのあり方を描いた映画として、これは多くに見られて欲しい。映画でどうやってあんなにもたくさんのドネーのラケットを集めたんだろう。それが不思議。あとボルグはフィラを、マッケンローはセルジオ・タッキーニを着ていなかった。ロゴが入っていなかったというか。映画という場所でそういう部分を見せられなかったのかもなあ。でもフィラを着てないボルグもセルジオ・タッキーニを着てないマッケンローもどこか違うんだよなあ。パッケージ化の折りにはそこまで再現して欲しいなあ。


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