縮刷版2018年5月中旬号


【5月20日】 朝起きて開催中のフランスはカンヌ映画祭で是枝裕和監督の「万引き家族」が最高賞のパルムドールを受賞したって報が入ってきた。今村昌平監督の作品で役所広司さんが出演していた「うなぎ」以来21年ぶりということで、まずはめでたいけれども逆に是枝監督にとってこれが名の知れた外国の映画祭では初めてくらいの大きな賞って感じになってて、カンヌ以外のベネチアだとかベルリンといった映画祭では何も受賞してなかったのかと調べたら出品しているんだろうかといった印象を持った。少なくとも何かの賞に引っかかっている感じはない。

 これがアニメーション作品だとアヌシーのような映画祭からクロアチアザグレブオタワに広島といったアニメーション映画祭をぐるぐる回って賞を狙っていくことが可能なんだけれど、カンヌに出してベルリンにも出してベネチアにもってことが多分仕組みとして出来ない感じで、だったら最初から狙いはカンヌって感じで活動をしていたのかもしれない。知らないけれど。ともあれいつかの審査員賞に続いてグランプリという最高賞。過去の作品では「ワンダフルライフ」がどこかSFじみてて好きだったんだけれどそれ以外はあまり見てないだけに、今回の受賞と5月25日のバンダイビジュアルからリリースされる過去作品のブルーレイディスクを見返して、その雰囲気に迫りたいかも。全部は無理でもせめて「空気人形」だけは。

 レイトヒットというらしいアメリカンフットボールにおけるプレイが成立した後の無防備になりかけたところへと突っ込むタックルについて調べてみたら、もうボールから手が離れた直後くらいにタックルを仕掛けてもレイトヒットといわれていたし、タッチダウンをした選手に向かって突っ込んでいっても、ボールを持ってスクランブルをかけたクォーターバックが滑り込むように体を伏せた上からのしかかってもレイトヒットとされ、ダーティーなプレイと誹られ両チーム入り交じっての乱闘めいたことすら起こっていた。瞬時の判断が少し遅れて起こっただけの、どこか不可抗力めいたプレイであってもそれがフェアでなければ批判され、反撃をくらうくらいにアメリカンフットボールではレイトヒットは恥とされている。そんな感じ。

 だから2秒だなんて瞬間からすれば永遠に近い時間を経て、完全に無防備と分かっているクォーターバックに向かってその背中へと突っ込んでいくなんてプレーがアメリカンフットボールでは起こりえるはずがなく、そして少なくとも高校時代から代表に選ばれるような選手が起こすはずがないというのが通説であり定説であり常識であえり掟でもある。にも関わらず起こってしまったから日本のアメリカンフットボール関係者の誰もが驚愕したし激怒した。選手の独自判断で起こるはずがないと確信して誰かがやらせたに違いないと類推し、それができるのは監督だけだろうという結論へと至った。そこをひっくり返すのは少なくとも、アメリカンフットボールをよく見ている人たちには難しいし、ひっくり返したら恥であってアメリカンフットボールの世界に身を置けないとすら思うだろう。

 だからこそ日本大学フェニックスでそうしたプレイを示唆したのではないかと想像されている監督に対する疑念が消えない訳なんだけれど、そういった状況がまるで見えてないのかどこかの経済評論家が別に本職でもないのにアメリカンフットボールで2秒もの間を置いてのレイトヒットなんてよくあることだと放言したからもうこれはどこのポン酢だといった声が巻き起こっている。民放地上波じゃないから別に世間には広まっていないけれど、こと経済評論の世界でそれなりに知られた論客が繰り出す場違いも甚だしい突拍子もない擁護。なおかつそうした日本大学の監督を批判する声は日本大学を貶めたいという陰謀によるものだといった、それこそが陰謀めいた論陣を繰り出して来たから誰もが苦笑し失笑し唖然とした。

 でも当人はいたって真面目に真剣に日本大学への謀略を疑っているようだから何というか。強い強い日本大学を弱体化させようとする陰謀だとするならどうしてその日本大学が他校の選手を潰そうとするのか、逆に潰されそうになったって話なら別なのに。まあ根底には2秒ものレイトヒットでもアメリカンフットボールにはよくあるという誤解か曲解か確信を持っての虚言があるから、それを避難して監督を引きずり下ろそうとするのは陰謀なんだと行っているだけなのかもしれない。それだとしたら根底となる誤解で曲解をこそ正すべきなんだろうけれど、言って通じる相手でもなさそうだからなあ。感じとしては出身の日本大学が非難されることが気に入らないという意識からその出口として無実の罪に仕立て上げようとしているようだし。悪いのは誰か。そこをちゃんと認識させないと。誰が? 誰もいない。そこが問題なんだよなあ、政権批判に対する無根拠にして政権の無謬性を信奉しての批判とかと同様に。やれやれだ。

 国が美術館でも積極的にアート市場の活性化をもくろむところを先進美術館に指定していろいろ支援をしていくという話が出てきているけど、これって美術館が画商と結託して美術品の価値を上げ底して、それを画商に売り払ってそれを画商が利益を乗せてコレクターに美術館のお墨付きだと売って、そして美術館が無償で寄贈を受けてといったロンダリングをしたいがためのものにしか見えない。そもそも美術館って安く仕入れて価値付けして高く売るための場なのか。コレクションが増えれば整理だってするのはメトロポリタンだってやってるらしいけど(「ギャラリーフェイク」で読んだ)、それは精査しつつコレクションを増やし未来に文化を残そうとするためのも。値段が上がったら売るような画商ビジネスなんてやっていない。

 もしも先進美術館とやらが出来たとして、収蔵作品の価値が出たら売り払って次のを仕入れ盛り上げ売ってまた買っていくサイクルのどこにコレクションを育て護る意志があるのか。今はそれほどの価値はなくてもキュレーターの感性で集めたコレクションがいずれとてつもない意味を持つことだってある訳で、そうした将来に資産を残す活動をやらない美術館が美術館である必要がないのか。そんな美術館は寄贈されたものだっていつか保管場所がないからと売り払うだろう。そんな可能性が浮かぶのも、国立新美術館なんて豪華な貸画廊を作って喜んでいる国だから。気がついたら日本からスポッと美術品のコレクションが消えてどこかの国に集まっているかも、その過程で誰かのフトコロを潤しながら。

 何が入っているか開けるまで分からないドキドキ感と、出てきたものの可愛らしさで世界的なヒットとなって5億個を売ったサプライズドール「L.O.L.サプライズ!」ってのがいよいよ日本に上陸するようで、その発表会があったんで原宿まで行って見物してくる。あの渡辺直美さんが登場してはドールにあるディーバの格好でいろいろアピール。究極のボディを惜しげもなく見せつつにこやかに応対する姿はスターでありながらも芸人といった気配りっぷりを感じさせる。いい人、なのかなあ、やっぱり。

 .商品自体は手のひらに載る大きさのボールを包むパッケージを1枚、また1枚とはがしカプセルを取り出しくぼみとかからアクセサリーを取り出しそして、カプセルの中から人形を取り出すといったもの。種類が豊富で何が出てくるか分からないからコレクションしていく楽しみもあるし、出てきたものがまたクールでスタイリッシュだから連れ歩いて写真を撮ってインスタにアップとかってことも楽しめる。子供のためのファッションドールというよりほとんど大人のためのコミュニケーションドール。そこが5億個も売れた要員なんだろう。中が見えないものでも買うのは日本ではガチャとかで普通にあることだし、元を辿ればケロッグのおまけやグリコのおまけだって何が出てくるか、分からないのが楽しみだった訳だし、案外にすんなりと受け入れられそう。

 面白かったのはウェブ向けの動画で渡辺さんがHIKAKINさんみたいに商品を取り出し紹介していく映像を作っていたことで、トップを走る芸人さんでも意識するくらいにユーユーバーといった人たちが世間に浸透し、影響力を持っていることを感じさせてくれた。というかこの商品自体がアメリカで作った会社のCEOが家でユーチューブとか見ていて、子供が玩具の包装を開けていく動画が人気になっていることから考えついたもの。開ける楽しみは自分だけでも感じられるし、だれかと共有しても面白い。そんな雰囲気をうまくとりいれ作り上げたサプライズドール「L.O.L. サプライズ!」。いつか日本でもキャラクターもので真似して出してきそうだなあ、「ONE PIECE」とか膨大なキャラで作ったら買っちゃいそうだよなあ。


【5月19日】 そして気がついたら将棋の藤井聡太六段が藤井聡太七段になっていた。竜王戦の第5組ランキング戦に登場したその時は六段の藤井聡太が船江恒平六段に買って4組への昇級を決めて2期連続の昇級は昇段といった規定に沿って1つ段位が上がったらしい。あの加藤一二三九段ですら七段になったのは17歳とちょっとで現在15歳とちょっとの藤井聡太さんな大きく更新したこの記録を、次に上回る人が出てくるかどうかはちょっと考えつかない。

 「りゅうおうのおしごと」じゃないけれど、それこそ小学生プロが誕生でもしない限りは無理そうだし、誕生してもその後に勝ち続けられるかというと話は別。そこで足踏みをする棋士も多い中で、藤井聡太さんは連戦連勝にして肝心の試合でしっかり勝っているから凄い。そうした結果でも才能を見せている藤井聡太七段がタイトルを手にするのはいつか、それは何か、ってあたりが目下の関心事ってことになるんだろう。主催する新聞社とかもハラハラしているだろうなあ。でも名人戦の毎日新聞社と朝日新聞社にはその資格はなし。あっと朝日は朝日杯で藤井五段が優勝して六段に上がっているからひとつ宣伝にはなったか。毎日はスポーツニッポン主催の王将戦で頑張ってもらうしかないなあ。

 そういう幕引きを狙ったのか日本大学アメリカンフットボール部フェニックス。内田正人監督がようやく表に出てきて関西学院大学へと出向いてクォーターバックにレイトタックルを仕掛けて怪我を負わせて後、数度のファウルで退場となった一件で関西学院側がわざとやらせたんだろうゴルァと怒り心頭でいたにも関わらず、やらせたともっぱら噂されている監督は日本大学の調査に自分は厳しいことを言いはしたけど反則を犯せとは行ってない、聞いて選手が突っ走ってしまったんだろうと責任を選手に押しつけ大顰蹙を買っていた。

 優しい関西学院側はそうした部分はいずれ調べてくださいといいつつそれでも酷い反則を犯した選手をすぐに退場させず、ねぎらうようなそぶりすら見せたことは指導者としてどうなんだといった指摘をしていたところにようやく、内田正人監督が答えてすぐに注意をしなかったのは拙かったといた認識を、関西に出かけがてらの囲み取材で発言した模様。だから監督を辞めるとまで言ったものの肝心の部分、監督がそれをやらせたのかどうかといった部分への言及はまだなく、24日だかが期限となっている第2次の回答の中でいろいろと言うことになっているらしいけれど、この時点で自分は命令していないが注意していなかった責任はあると言っているならその線で押し通す意志を示したとも言える。

 綿密な計算の上に立てられた作戦をすべての選手に徹底させて臨むアメリカンフットボールにおいて、非道にして残酷ともいえるクォーターバックへの極端なレイトタックルをどうやったら選手が勝手に自分の判断で行えるのか? といった疑問は未だに残っているし生徒たちの証言としてもそうした指示があったといった感じになっている。でも内田正人監督はそれを頑として認めずただ後始末に置いて手違いがあったといった態度を崩さないことに、果たして関西学院大学はどういった判断を示すのか。そして現場でその言葉をもしもあったとしたら聞いていた日大フェニックスの選手たちは。目下のところそこがとても気になっている。

 関学側がそこが落としどころなら幕引きへと持って行っても良いと政治的に判断をしても、日大の方は強権を振るって選手を動かし、今また強権をふるって自分の責任を軽減した人間が近くに居続けることに、どれだけの不安を抱くのか。普通はやってられないと思うだろう。次にいつまたそうした強権が発動するか分からないから。そう考えるとここで政治的な決着を狙い収束を計ろうとしたこが、新たな火種となって燻りそう。とらえずは関学側の判断待ちか。それにしても長年のライバルであり共に日本の大学アメリカンフットボールを支えてきた相手チームの名前を「かんさいがくいんだいがく」と読み間違えるとはなあ、内田正人監督。つまりはその程度の意識しかしていなかったことなのか、だからこそ非道にして残酷なプレーも平気で支持できたのか、って話にもなってしまう。やっぱりまだまだ収まりそうもない。

 池袋のシネ・リーブル池袋で「劇場版 空の境界」の公開から10周年を記念した連続上映が始まっていて、その中でもやっぱりこれは劇場の大きなスクリーンで見たいし見るべきだと思っている「第五章 矛盾螺旋」の上映が始まったんで出かけていって見物する。チケットを取ったときはそれほどでおなかったけれど上映が終わって振り返ったらほぼ満席。10年が経っても集まる支持の多さに作品としての存在感、そして寿命の長さを改めて思い知る。「Fate/GrandOrder」勢がコラボとかしているからと入ってきているかはちょっと分からない。

 公開が終わってからしばらくして出た特装版のDVDを買って家でも何度も見返したけれども、劇場で見る「矛盾螺旋」は、というか冒頭で両義式がチーマー風に囲まれた臙条巴を助ける場面で、体をくるりと回して着した時に瞬間、はだける着物の裾から見える太ももはやっぱり最高だったなあ。これがDVDなら止められるけれど劇場ではその一瞬が勝負。来る瞬間を身構え待ち構えて瞬きすら惜しんでスクリーンに見入るのだった。ここで遅れて入場してきた奴が前を横切ろうとするものなら蒼崎燈子を「傷んだ赤色」と呼んだ者と同じ末路を味わわせてやるだろう。確実に。

 カットが前後してストーリーを1本では追えず両儀式と臙条巴を中心としたストーリーとは離れたところで動く黒桐幹也や蒼崎燈子の振る舞いなんかも挟まれ一体今はいつで何が起こっているのかを1度では理解しづらいところもある映画だけれど、そうしたぶちまけられた断片をかじりつつ前後させていった果てに浮かんでくる、とりあえずそう見せておいて何が起こっていたかを改めて示し、あるいは繰り返すことによって何かが起こっているらしいと感じさせて惹き付ける手法が相変わらずに凄まじい。

 1本でずっと進んでいくと前の記憶が薄れていくのがこれは無理矢理にでも思い出させて切りつけてくるところもあるからかえって強烈にすり込まれる。そういう効果を狙ったのか、そもそもどうしてそんな入れ子のようでモザイクのような構成になったのかはきっと当時いろいろ語られたんだろうけれど、思い出せないんで改めて考えつつ聞かずとも浮かぶ効果ってものがあるんだとは理解する。DVDの限定版にライナー、入っていたかなあ、読み返してみるか、これは好きなシリーズなんで枕元に積んであるのだ。

 コルネリウス・アルバと蒼崎燈子との最初のバトルがあって荒耶宗蓮が絡んで大変なことになってから健気な幹也の突貫があり臙条巴の気づきがあってそして来るクライマックス、エレベーターから現れた両義式がくるくるくるくると回りながら飛んでくるシーンもやっぱり劇場で見ると迫力がある。いったい何回転してるかはこれもDVDをスローで再生すれば分かるんだろうけれど、そうした引っかかりと入れずに瞬間の躍動に感嘆するのもまた、劇場で映画を見る楽しみって奴なのかもしれない。もう1回くらい見ておきたいなあ。

 しかし10年かあ、「劇場版 空の境界」は。映画として凄いという話を聞きつけ第五章からテアトル新宿あたりに通い始めたけれどもそれを見た8月より少し前、5月末に公開された「第四章 伽藍の洞」を見た大学生がその後に秋葉原へと回って例の連続殺傷事件い遭遇して命を落としたといった話が今でも頭に強く残っている。この第五章を見られなかったんだなあ、彼らはと考えるとその悔しさにも共感が浮かぶ。もしもエヴァンゲリオンの新劇場版を完結まで見られなかったら。そんな人生に浮かぶ後悔たるや。だから早く作って庵野秀明監督は。

 そして当然のごとくに「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン〜きらきらメモリアルライブ〜アイドルおうえん上映会をほとんど満席の新宿バルト9で鑑賞。真後ろに声出しの男子が並んで普通だったらやかましいところを最大席数のシアター9ではそういった声すらも空間が飲み込んではアクセントへと変えてくれて、他の人たちの嬌声なんかとも混じり合って激しくて熱いおうえん上映会に仕上がったといった印象。振られるペンライトも多くて居心地としてとてもいいものを感じた。

 オーロラドリームからディアマイフューチャーと続いた「プリティーリズム」からのコースは今回は「レインボーライブ」となって彩瀬なるらのハッピーレインが出たり蓮城寺べるらのベルローズも出たりといった感じに見ていた人には懐かしくて嬉しい回になったかもしれない。「プリパラ」からもファルルが登場してはボーカルドールとしての流麗な歌声を聞かせてくれてそしてプリティーリズムからプリパラも交えた「Make it」へと収斂する流れとなってWITHを経て萌黄えもと桃山みらいのソロ曲に至って終演といったところ。可変の部分に曲がいろいろあって充実ぶりでは「オーロラドリーム」に継ぐかもしれない。ただ楽曲的にはやっぱり「オーロラドリーム」編が個人的には好きだったかもしれないなあ。おおえん上映会で3度は見ることにしているんで明日また見てもう1回、水曜日くらいにバルト9でまた見るかなあ、またしてもシアター9が用意されてるみたいだし。


【5月18日】 星野絵瑠がF2のパイロットになりたいという気持ちは痛いほど伝わってきて、誰よりもしっかりとランニングをして体力だって男性の自衛官に負けないくらいになっているにも関わらず、少しの失敗でパイロット候補から外されてしまう女性自衛官という状況を叫びながら語っていたシーンを、もちろん自衛隊だって認識はしているんだろうと感がえると、そういった認識を露見させることで現場に色濃く残る女性だからといった意識をこれでぶっ壊そうとしているのかいないのか。ゲスな男性自衛官が直接は出てこなかったから嫌気を感じる人も少なかっただろうけど、女性自衛官の口から差別を言わせることでその存在がやっぱり伝わってきた「ひそねとまそたん」だい6話。

 嫌な気分だけを抱えて終わるのも寂しいので、解消する方向が示されていって欲しいもの。OTFに乗ってる段階で男性パイロットなんかよりはるかに強大ではあるんだけれど、架空の乗り物ではない現実の戦闘機パイロットに女性がなれる道って奴を、ここは指し示しておいて欲しいなあ。とおあれ絵瑠は心を入れ替え自分の言いつけをずっと護っていたOTFのF2ことノーマをどうやら認めた様子で、一方ノーマもずっと絵瑠のことが気になっていたことが分かってお互いに信頼が得られたところで他の3人も含めて島を脱出してミッションコンプリート。もっとも無人島のはずが鳥居があってOTFらしき絵が残され全員が太平洋戦争時の戦闘機に擬態したOTFとそれを操縦していたDパイの夢を見た。彼女はジョアおばさんなのか違うのか、なんて謎も浮かんで楽しみになって来た展開。防衛事務次官のジョアおばさんへの驚きも含めて画策している何かがDパイたちを虐めるようなことにならないと良いけれど。

 昨日はライゾマティクスを見たわ。今日はチームラボ。ってことは明日はネイキッドであさっては落合陽一かというとそうはなりそうもないものの、エンターテインメントにデジタルテクノロジーを活用して今までにないビジョンなりガジェットを見せてくる集団が、相次いで東京都内で開催中のイベントに協力をしている状況に2020年の東京オリンピック/パラリンピックの関連で、ライゾマティクスとチームラボとネイキッドと落合陽一さんとほか、テック系の企業が大集結して新しいビジョンを生みだしては世界を驚かしてくれる状況に、少しずつ近づいているのかもしれないと思えてきた。VRとかARで勃興してくる企業が混じる可能性もあるかなあ。あると面白いなあ。

 さて昨日の乃村工藝社とライゾマティクス・アーキテクチャーによるコラボレーションに続いて、今日のチームラボがコラボレーションした相手はDRUM TAOという和太鼓エンターテインメント集団。初音ミクとのコラボレーションが間もなく開催される鼓童と重なるところがありつつも、和風にこだわっている感じはなくてコシノジュンコさんと衣装のコラボレーションをずっとしているスタイリッシュさも持っている。その中にはマトリックスよろしくレザーのロングコートなんてのもあって、クールな雰囲気で奏でる太鼓にマッチするようにチームラボが作り出したクールな映像がプロジェクションマッピングによって演奏している背後に投影されていた。

 そう、「万華響−MANGEKYO−」という今回の公演ではチームラボが日本の自然をテーマにした映像を作り出しては演奏に重ねるように舞台上なり舞台横なりに投影してそこに実際とは違った自然の空間を作り出し、観る人を異境へと誘う。太古のうっそうと茂った森があり、水が滝のように流れ落ちる空間があり松が立って雪が散る庭のような場所があり、桜が咲き乱れて舞い散る空間もあってと季節も場所も様々なシーンが投影されては演奏している人たちをその場に起き、見る人たちをその空間へと引きずり込む。

 花が咲き乱れた森とかは本当に綺麗で、そんな場所で演奏なんて実際には不可能だけれどこうやってプロジェクションによって再現することで可能になる。映像技術がもたらす空間の移動、認識の拡張。これを巨大なスケールで行った時、いったいどんな演出を持ったイベントが出来上がるだろう。そう考えると東京オリンピックなんかのイベントが今から気にかかる。とはいえライゾマティクスは別にしてチームラボやネイキッドが参画するとは限らないからなあ、それこそ国家総動員的に日本のエンターテインメント系テック集団を結集させ、国家予算で世界を凌ぐビジョンって奴を作り出してくれないかなあ。1964年の東京オリンピックで日本のデザインと建築が一気に進んだような驚きを、今回も見たいのだけれど。利権渦巻く世界だけに難しいとは思うけど。

 DRUM TAOの演奏は人数をあまり広げず少数精鋭というか女性も交えダンサーめいた人も起きつつ様々な太鼓を叩く人たちと、ジャンガラを叩きながらコミカルな仕草なんかも見せる人たちが入れ替わり立ち替わりして様々な音色を作り出す。笛に琴が入るときもあって1人がいろいろな楽器を演奏できるのも特徴みたい。鼓童だとメンバーも多くて迫力のあるステージを作れるけれど、DRUM TAOは少ない人数を手数の多さでカバーしつつ演習も乗せてシックなシーンも作りだし、ストーリー性のある舞台を見せてくれるといった感じなのかもしれない。チームラボと組んで日本の自然の移り変わりを演じられるのも、そんなストーリーテリングが可能な編成故なんだろー。

 途中、大きい太鼓と小さめの太鼓を首から提げたメンバーが歩きながら交差したりする場面があってアメリカのドラムロールを思わせた。吹奏楽とか着けたくなった。海外で人気なのもこうした現地の文化を和太鼓で再現して見せているからなのかもしれない。東京の夜のエンターテインメントが少なく外国から来た人たちが行く場所がないっていう課題に答えるべく、JTBが企画したらしいイベントだけに外国人の観客でもいろいろと楽しめそう。言ったら賑やかに騒ぐ外国人観光客とかといっしょに観覧できるかもしれないなあ。機会を見て自分でのぞきに行ってこようっと。

 今日から始まったアニメーション版ゴジラの第2作目となる「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を見た。うまいなあ。うますぎる。勝利のカタルシスの後に見せた絶望的状況。もはや打つ手なしの瀬戸際をどうにか切り抜けて始まったストーリーがドンガンカサクヤでインドムーな予感を漂わせつつもまずは目の前のデカゴジラをどうするかってところから物語を起こして科学大好き宇宙人の必殺技だったメカゴジラを引っ張り出してさあバトルかと思いきや、欲をかいたか合理的判断の帰結かとんでもない手を持ち出しそしていよいよ物語も終わり、ルストウィラードはどうなったんだと思わせそこにとてつもない厄ネタをぶっ込んできた。

 もう事態は地球レベルにとどまらない状況となってふと浮かぶ、もしかしてゴジラって良い奴かもしれない可能性。人類はともかく地球という星を守り、きたる災厄に立ち向かうべく準備をして来たのかもなんて想像すら浮かんでしまった。まあそれはないだろうけど次は宇宙的厄ネタの顕在化なんてものがあったりして、そしてハンバハマムヤンも起き出して人間そっちのけの大決戦とか起こったりしちゃったり。そんな中を俺はネットワーク端末遺伝子を探していると言いながら男が這い出て来たりするクロスオーバーも起こって世界はプランゼット計画が発動する、なんストーリーを妄想しつつユウコちゃんの無事を願おう。鱗粉塗ればナノメタルも剥がれ落ちるんじゃないのかなあ。


【5月17日】 新御三家で誰が1番好きなのかと問われても、女子ではないからルックスとかで選ぶことはなくて気持ちとしてやっぱり歌の巧さで選ぶことになるんだけれど、今のアイドルたちと違って誰もがスペシャルに歌が巧くなくてはデビューなんてさせてもらえなかった時代のアイドルの、誰が巧くて誰が下手かを考えるのもまた難しい話。それでもやっぱり突出して歌唱力があるなあと思ったのが西城秀樹さんで、叫び吠え絞り伸ばすようなその歌唱力と圧倒的な声量でもって紡がれるさまざまな歌は、聞いていて心にガンガンと響いてきて、自分もあんな風に歌えたら良いなあと思わせてくれた。

 だったらどの歌が1番好きかと問われれば、これはもう真っ先に「ブルースカイブルー」が出てくるくらいに大好きで、ロックでポップな西城秀樹さんの歌にあってちょっと路線が違うんじゃないかと言われそうだけれど、こうしたバラードを歌わせても、というよりバラードだからこそ分かるその歌唱力と声量に、歌ってこうやって歌うものかと強く思わされた。静かに始まってからだんだんと高めていって、そして2番でまた静かなところからぐわっと高めていった先、クライマックスの部分でドカーンと叫んで耳目を集める。そんな一種のストーリーを味わいたいがために聞くのが「ブルースカイブルー」という歌だった。

 いつかまた聞けたなら。そしていつか生で聞けたなら。なんて思ったこともない訳ではなかったけれど、そうした機会は訪れないまま西城秀樹さんは脳梗塞で倒れ、リハビリによって回復はしてもやっぱり歌声となると厳しかった。それでも闘病を続けていつかは復活も、なんて願っていたのが5月17日に訃報が伝わり、あの歌声は永遠に封印されてしまうことが確定した。もう聞けない。もう見られない。とても寂しいことだけれど、一方でずっと苦闘して来た中で味わった痛みを、もう感じることはいのだといった安心も少しだけ浮かぶ。残された妻子の方にどれだけのものが残ったのかは分からないけれど、一時代を築いて音楽史にその名を画一に刻んでいる西城秀樹さんのご家族が、不幸になることはないと思いたい。

 「ブルースカイブルー」以外の曲ではやっぱり真似をしたことの多さで「薔薇の鎖」が挙がるだろう。マイクスタンドを蹴り上げて逆さまに持って歌うあのポーズをまねするために、箒やモップを蹴り上げた人たちがきっと日本に延べでなら1億人以上はいるんじゃなかろーか。あるいは「傷だらけのローラ」のあの冒頭を口まねし、「ブーメランストリート」のあの冒頭も口まねした人の数。そして「YOUNG MAN」の歌にのって両手を使って「YMCA」のポーズをとった人の数。いずれも延べで1億人を超えていて、そして「YMCA」のポーズは全世界で100億人を超えているかもしれない。

 もともとはビレッジピープルの「YMCA」という歌だったものを、日本語で歌いポーズも付けたらそれが世界に広がったとか。ヤンキースタジアムのグラウンドキーパーたちが踊るくらいにメジャーな振り付けになっている。その意味では西城秀樹は世界のHIDEKI SAIJOだとも言えそう。アジアでも知られた歌手だただけに訃報が伝わるにつれて慟哭の輪も広がって、そしてヤンキースタジアムでニューヨーク・ヤンキースが試合をする時にスタジアム全体でHIDEKI SAIJOを悼んで「YMCA」の大合唱が行われる、なんて夢を見たけど正夢になるだろうか? しばらく気にしていよう。

 御三家では郷ひろみさんは未だに圧巻の歌唱力とそしてスタイルを維持して様々な歌を歌ってくれているし、野口五郎さんもメロウな曲をメインにしてしっとりとした歌を歌ってくれるシンガーとして活躍を続けている。花の中三トリオが山口百恵さんは引退して桜田淳子さんは宗教上の理由で表に出てこられず、森昌子さんが頑張ってはいてもかつてほどのアイドル的な存在感はない中で、新御三家の健在ぶりを改めて感じ入るとともに、美醜だけでなく歌があったればこその今なのだろうと思ったりもする。直後に出てきたたのきんトリオは果たして歌で新御三家の後を引き継いでいるかというと……。その意味でもアイドルがエンターテイナーとしても超一流だった時代の名残が、徐々に薄れようとしているのかもしれない。だからこそ今、その訃報を受けて問いたい、歌って何かと、アイドルとは何なのかと。合唱。

 六本木ヒルズで発表会があるんでその前にとMX4Dでの「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」を鑑賞。たった3人しかいないのは平日だからだろうか。観終わった印象としては前にTOHOシネマズ新宿で見たときよりはまだ、ビートのタイミングが歌にマッチしていたし動きは迫力たっぷりで香りもしっかり吹き出していて、施設としてへたれてない印象を受けた。オープンしたのはTOHOシネマズ六本木の方が新宿よりははるかに早いけれど、MX4Dが導入されたのは新宿より遅かったっけどうだっけ。土地柄にそれでいっぱいの人が映画を見るってこともないのかも。ともあれシュアなアクションを感じられるって意味で六本木は穴場かも。来週もまたやっているようなら乗ってこよう。

 モーションではやっぱりメッサーくんがバールとなりそうな中を白騎士相手にドッグファイトで奮闘する場面、全身の筋肉が膨張するようなシーンに合わせた座面の下がボコボコと動き回ったのが面白かったしマッチしていた。自分がメッサーくんになった気がした。他の空戦もしっかりと動いてMX4Dでマクロスを見る意味って奴を味わわせてくれた。評判がいいのもそうした作り込みがしっかりいっているからだろう。これで自身を持った河森正治監督が、次は最初からMX4D向けに映画を作るといって空戦とライブだけのマクロスを作ったらどうなるだろう。2時間後に立ち上がれない人が続出? ありそうな話。特典のポストカードはカナメさんでメッサーくんとのあれやこれやを考えると遠くを見るような表情にいろいろと浮かんでしまう。テレビシリーズではデルタ小隊の隊長の方にお熱な感じがあるらしいカナメだけれど劇場版だとお姉さん的な関係になっていて互いに意識していたのかもって思わせるから、なおのこと視線が気になってしまうのだった。

 観終わって六本木ヒルズの中でライゾマティクス・アーキテクチャーが、乃村工藝社とコラボレーションして「建築の日本展」の中に置いた「パワー・オブ・スケール」というインスタレーションの説明と、そして両社がこれからも協業していくって話を聞く。インスタレーションはは傍目にはただの平台に見える場所に光で上下左右に仕切りがつくられプロジェクションによって電話ボックスだとか中銀カプセルタワーの一室だとか茶室だとか同潤会アパートだとかが現れ、原寸大で体感できるようになったもの。模型を作らずともひとつの場所で様々な建築物をシミュレーションできる、それも同時に同じ人に見せられるといった部分でVRだとかARだとかより展示会向きかもしれない。ヘッドセットを付けているとどうしても人数が少なくなるから。

 今後も両社は組んでいくみたいで、どんな展示物を見せてくれるか楽しみ。真鍋大度さんが率いるライゾマティクス・リサーチがPerfumeのライブを演出して名を高め、東京オリンピック/パラリンピックのイベントに採用の可能性が取りざたされているけれど、こちらも展示物や建築物を新しく見せるといった展開の中で、オリンピックやパラリンピックに関連した起用がありそう。何しろ乃村工藝社はお台場ガンダムみたいなものも作った会社。それこそ各所に日本のスーパーロボットをぶったてて、ライゾマティクスが歴史を語りスペックを伝える演出をそこに加えていけば世界から集まった人たちも、楽しみつつ日本には凄い兵器があるんだと思い手を出すのをためらうかもしれないから。逆に早くたたきつぶそうとする? それもまた興味深い展開ってことで。


【5月16日】 高畑勲監督を送る会が東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で行われたみたいで、宮崎駿監督が「太陽の王子 ホルスの大冒険」の頃を上げてその仕事ぶりとかを称えていたようだけれど、明けてテレビのワイドショーなんかが伝える高畑勲監督の業績は、スタジオジブリを宮崎駿監督とそして鈴木敏夫さんとともに立ち上げた話とかから始まって、宮崎駿監督との関わりをメインにしてスタジオジブリでの仕事なんかがもっぱら語られている感じて、宮崎駿監督が挙げた「ホルス」がどういう話だったかについて触れるテレビは見かけない。

 1985年にジブリを作りましたという報からいっしょにジブリで「風の谷のナウシカ」を作ったなんて話になって、おいおいどうやったら1984年公開の「ナウシカ」を1985年設立のジブリで作れるんだって思ったけれど、「ナウシカ」をジブリ作品と思っている人も結構いたりするし、トップクラフト自体が発展的解消の末にジブリに移行していったと見られないこともないので、一般の人にはそう思ってもらってかまわないのかもしれない。

 ただ高畑勲監督の業績はジブリ時代をメインとするよりは、やっぱり「ホルス」であり「パンダコパンダ」であり「アルプスの少女ハイジ」であり「赤毛のアン」であり「じゃりン子チエ」といった、ジブリ以前の作品を取り上げる方が実際的。集大成として「火垂るの墓」を入れて語る方がよほどリアリズムであり地に足の付いた作劇でありといった部分で語りやすいのに、世間はスタジオジブリこそがアニメーションの本流であり王朝であってその王様たる宮崎駿監督を本紀として語りつつ高畑勲監督のことを世家なり列伝として絡めていくといったとらえ方をしている風がある。

 なるほどジブリ以降のとりわけ「もののけ姫」以降において宮崎駿監督の皇帝ぶりは際立つけれど、「ハイジ」「アン」「母をたずねて三千里」のあたりの高畑勲監督はテレビアニメーションにおける王様であってロボットアニメ全盛になりつつある中で“母と子の”テレビアニメーションを作り人にアニメで語ることの素晴らしさを植え付けた。そうしたリテラシーが今の普通にドラマをアニメで見ても違和感なく見ていられる日本人の心情を、作り出したのかもしれないとすら思える中でスタジオジブリ史観、そして宮崎駿王朝史の脇役として扱うのはどうにも釈然としない。

 わかりやすさを求めるテレビだけならまだしも、スポーツ新聞までもが高畑勲監督の業績としてリストに挙げるのがスタジオジブリ時代の監督作品でありプロデュース作品というのは、やっぱりどこか間違っているような気がしないでもない。せっかく宮崎駿監督が追悼の辞で語っているなら「ホルス」がいったいどういった内容を持った作品で、それが階級闘争的な文脈の中でどれくらい世の中を鋭くえぐった作品なのかも合わせ語ってこそ高畑勲監督の心情を代弁できると思うのだけれど、そこまで踏み込んで分析したって読者が分からないならジブリの監督のもうひとりといったとらえかたで、ジブリ王朝の宮崎駿王権下で宰相然として差配した高畑勲臣といった紹介をしてしまおうってなるんだろうなあ。あと10年経ったらジブリ時代すら忘れ去られそう。そうしないためにも「ハイジ」をギャグCMから取り戻さないと。

 上野毛あさみさんが実は「日高屋のアライさん」を書いている足立淳さんだという衝撃の事実が明らかになって「ステージガールズ」について盛り上がってから1日を待たずして、作画を担当していた黒岩よしひろさんが亡くなられていたことがご遺族から公表されてそのタイミングに慄然とする。偶然とはいえ何か呼ぶものがあったのか。これでもう第3巻は永久に出ないかというと、どうやら原稿は最終回まで用意されていてそれをコミックガンボで副編集長をしていて、産経新聞出版から2巻までが出た時も編集に関わっていた人がちゃんと持っているらしい。売れなかった関係で出せなかっただけで、そんな状況さえ超えれば出せるというなら追悼の意味も込めてここに3巻まとめてフッカンドットコムして欲しいもの。3冊5000円でも僕なら買うかな。ご冥福をお祈りしつつ事態の推移を見守りたい。

 これはヤバい。マジヤバい。日本大学がアメリカンフットボールのチーム、フェニックスを率いている監督の釈明を聞いたみたいで、それによると関西学院大学ファイターズのクォーターバックに日大フェニックスのDLが相手はすでにプレーを終えているにもかかわらず、突っ込んでいって怪我をさせたことについて、別にQBを潰せなんて指示は出しておらず選手が自分でやったことだと言っているらしい。そして選手も調査に自分の意志で行ったとかいったことを話しているとか。これってずっと出回っていた選手は監督の指示に従ったまででだから、監督は退場になった選手を咎めず退場後のコメントもよくやった的なものになっているといった報道と真っ向から対立している。

 仮にそれが本当なのだとしても、日大という自分がお世話になっている場所で監督という絶対的な権力者に責任を負わせるようなことを選手が言えるはずもない、といった状況下で発せられた言葉に、どこまで信頼性を感じていいのかにまず衆目の疑いが向かう。そうでないならなおのこと、圧力がかかっている場での発言で虚偽である可能性もあったりする訳で、そうした可能性を排除するため第3者による公平で公正な発言が行える場を設けるべきなのに、そうした調査委員会的なものを日大が発足させる動きはなく、オフィシャルとして監督には責任がなさそうで、選手も猛っただけといった愚発性で押し切りそう。

 でも、状況からそうではないと見る目も多いだけに、監督は無実でした選手が悪い奴でしたといった話で収まるとは思えない。監督が選手に責任を押しつけるチームが存続できるとも考えづらい。そういう意味では握手の上塗りが続く対応を、どうして日大側がとり続けるのか、ってあたりにやっぱり腑分けして暴くべき何かがあるんだろー。まずは関西学院大学の17日の会見でのリアクション。その後の日大側の対応がこの地上から日大フェニックスというチームを永久に消し去るか否かの分水嶺になるだろー。それとも日本の学生フットボールリーグは自分達には狭すぎると海外に雄飛する? 日本のフットボールではいくら甲子園ボウルに優勝したチームで会ってもアメリカの地方のカレッジにだって粉砕されるんじゃないかなあ。

 藤田祥平さんじゃないけどやっぱり中国の深センはかっとんでるなあと思った第9回教育ITソリューションEXPOでの出展。プログラミング教育とかに役立つロボットとか電子ブロックの教材が出ていたんだけれどその中に深センから来た会社が幾つもあって、それぞれに独自性があって目を引いていて、日本このままで大丈夫って思わせた。まずはベル・クリエイティブ・グループってとこの傘下にある会社が出していた「MABOT」で、黄色と白色を基調にした球体がごろごろと転がっていて、それらを手にとってつなげていき、クルマやロボットのような形を作ってから、スマートフォンなどからプログラミングを送信すると、クルマがラインをなぞるように走り出し、ロボットも周囲を動き回る。

 中さまざまな機能を持った球形のモジュールを接続することでロボットを作り出すというキット。ローラーが回転する駆動部があり、色や赤外線、接触などを読み取る各種センサーがあり、プログラムを受け取って伝える制御部があって、そうしたモジュールをつなげる関節部をはさんでそれらを組み合わせ、バッテリーユニットを接続することで動くガジェットが出来上がる。駆動部などがどう動くかを、スマートフォンやタブレットの上でプログラミングして制御部に転送し、ガジェットが動く様子を見たり、手元のスマートフォンから操作したりして楽しめる。ホットプラグで接続するから電源を入れたままで自在な組み替えが可能。すでにKickstarterでクラウドファンディングが行われて成立し製品化されて評価も受けているだけに、日本に入ってきたら関心を持つところも出そう。どうなるか。

 Paracra(Shenzhen)Technologyという会社が持ちこんでいた「LOGITOW」というブロックタイプの教育玩具もユニークで、赤や青、黄色といったブロックをつなげていくと、側に置かれたタブレットの画面に同じ色と形をした3DCGのモデルが登場して、これがアニメーションとなって画面の中を動き出す。様々な色のブロックをつなげていくと、タブレットなどの画面の中で色に対応した音が鳴り、組み合わせ次第で自分だけの音楽を作れる遊びもできる。ブロックを手にとって組み立てる楽しさの先に、作ったものが動き出したり、音楽な奏でられたりするといった喜びを味わえる。画面の中だけでブロックを組み合わせ、何かを作るシミュレーションをすることとは違った面白さは、やっぱり子供たちにアピールしそう。どうなるかに注目。


【5月15日】 サッカー日本代表というチームがあってそこにハリルホジッチ監督というチーム構築の責任者がいて、そのハリルホジッチ監督がワールドカップ2018ロシア大会でグループリーグを突破し、決勝トーナメントへと進出するための策を講じつつそのために必要な戦術を浸透させようとしているのだったら、プロフェッショナルのサッカー選手としてすべきはそうした監督の戦術を理解し与えられたタスクを的確にこなすことなんだろうけれども本田圭佑選手にとって、そうした監督の支持に答え与えられた責任をまっとうするという行為はどうやらプロフェッショナルのそれではないらしい。

 NHKの番組「プロフェッショナルの流儀」に出演した本田圭佑選手はその中で、「ハリルのやるサッカーに,全てを服従して選ばれていく。そのことの方が僕は恥ずかしいと思ってるんで」と言ったという。これはつまりハリルホジッチというプロ中のプロ監督が繰り出す戦術を拒絶するということに他ならず、そしてそうした戦術に従って戦ってきたチームメイトをも「恥ずかしい」存在として罵倒したに等しい言動ともとらえられる。なるほど本田圭佑選手がハリルホジッチ監督をも上回るサッカー選手としてのプロフェッショナルならそうした言動も世界がきいて納得するだろう。けれども現実、ACミランで10番を背負いながらも試合には出られず活躍もできないまま放出され、メキシコのパチューカとうチームをプレーオフにも導けなかった選手でしかない訳で、それで世界はハリルホジッチ監督を上回るプロフェッショナルと認めるかというと難しい。

 むしろ監督のタスクを存分にこなしてのけることこそプロフェッショナルだといった認識にある世界において、それはただのわがままであって戯れ言に過ぎず法螺ととらえられても仕方がない。見て大勢は笑うだろうし、そうした監督のタスクを拒絶することをプロフェッショナルだとうそぶく選手をもしも次の監督になった西野朗さんが選ぶとしたら、それは自分以上のプロフェッショナルだと本田圭佑監督のことを認めたに等しい状況となる。それで果たして選手たちは統率できるのか。監督の戦術戦略に従うことを恥ずかしいと思う選手を選んだとあって監督の沽券は保てるのか。そう思えば西野監督は本田圭佑を外して当然だし、むしろ外すべきだといった思いすら浮かぶ。

 なおかつ罪深いのは、NHKがそうしたサッカー選手としてプロフェッショナルと思えない言動を公言するような選手を「プロフェッショナルの流儀」という番組に出してプロフェッショナル認定してしまったこと。満天下に自分勝手に自分を貫く行為をプロフェッショナルと思わせた罪は思いけれど、そうした自省や自重を行える組織だったらそもそもこういう番組を作らなかっただろう。これで本田圭佑選手も香川真司選手も選ばれなかったらハリルホジッチ監督を解任した意味はどこにある? そういう意味でもこれからの展開に興味津々。2月からほとんど試合に出ていない選手を選んじゃそれこそ西野朗監督の沽券に関わるとも思うし。

 長田信織さんの「数字で救う! 弱小国家」(電撃文庫)のように国をついだ王様なりが危急存亡にありながらも資金力軍事力のどれでも劣っている状況で、国を売ってでも生き延びる道を模索するような話かとタイトルから想像した鳥羽徹さんによる「天才王子の赤字国家再生術〜そうだ、売国しよう〜」(GA文庫)は実際はぐうたらが好きだけれども才能はあって聡明な王太子が病気になった父王の代わりに国の面倒をみることになって、そこで起こった隣国の帝国で皇帝が崩御し、別の隣国によって攻められたりする外交的な苦境に対して軍を率い内政なんかも整えながら立ち向かっていくという軍記物的ストーリーが繰り広げられる。

 帝国相手にはとりあえず自国の立ち位置を理解してもらってそこを仲良くして置いた方がいいと思わせ軍隊を鍛えてもらい、そして攻めてきた隣国相手には少数ながらも戦術面で上回ってこれを撃退。その勢いで金鉱のある山までとったもののそこはもう枯渇しかかっていた金鉱で、だったらと返したくてもプライドを護りたい隣国は大量の軍勢を送り込んでくる。さっさと突っ返したくてもできない状況で王太子は籠城しつつ相手を攪乱し疲弊させた挙げ句に指揮官を倒してゲームセット。本気で挑めばもっと軽くひねれそうなところをそれをやれば自国も疲弊は免れないことから最小限の労力でどうにかしのいでいこうとする。ネガティブなのも慎重と読み替えればこれも美徳。戦略が思惑を外れてもカバーして有利に運ぶ才能は見ていて心がスカッとする。この勢いで全土平定……とは行かないだろうからとりあえずは帝国との関係に注目か。派遣された大使のおっぱいがどうなるかも。どうなるんだろう。

 教育ITエキスポが明日からだと気づいたんで今日から秋葉原でオープンとなった「カウボーイビバップ」のコラボカフェを見物。内装的には立て看板と垂れ幕が同じデザインで幾枚かかかる程度で、あとはトレーディングポートレートが額に入って並んでいるくらいと凝ってはないけど、メニューはいろいろと豊富でドリンクもいろいろあってファンは楽しいかもしれない。初日ということで午前11時の時点でこの日だけかもしれない整理券を配ってて予約なしで行ったら、12時40分からの整理券をもらえてそれで行って青椒肉絲の肉なしとドリンクのソードフィッシュ2を注文。グッズはグラスとネクタイピンとアクリルプレートは数量制限があってそれ以外はいろいろ変えたのでトレーディングポートレートを2枚買ったらスパイクとエドだった。コースターは1品につき1枚でこちらはスパイクとジェットとメインな2人。まずまず。

 初日なのかもしれないけれど開店と同時に満席で整理券が来るくらいには未だに「カウボーイビバップ」という作品が持つ伝播力は相当なものといったところ。その後も整理券は順調にあけていって12時40分の回が開くのを待っている時は14時半くらいのを配ってた。夜についてはちょっと不明。でもやっぱり初日だから整理券とか出るかも。2日目以降も行って様子を見て入れるなら入るし入れないなら整理券をもらうのが良いのかな。初日でこの状況なら土日はもっとすごい人かも。あと外国人もいてメインテーマでニコニコしてた。通じるんだ全世界的に。しばらく楽しんで店を出たら2階の中古DVDとかグッズとか売ってる店で5.1chのDVDボックスが6800円でで出ていて手を出しそうになった。でもきっと持っているか、そうでなくてもBDボックスを持っているのでぐっと堪えた。「ろくでなしブルース」はいつソフト化されるのだろう。コラボカフェのメニューにはあるのになあ。

 日本大学フェニックスの選手による関西学院大学ファイターズのクォーターバックに対する遅れての危険なタックルが騒動となっていること、それ事態は正しいことで時のスポーツ庁長官が問題視したり日本アメリカンフットボール協会が生命を出したりJOC日本オリンピック委員会までもが別にアメフットはオリンピック競技でもないにも関わらずコメントを出したりして、そういったプレッシャーがちゃんと届いて日本大学がいろいろと謝罪なり対応策を考えてくれれば良いんだけれど試合の中で起こった出来事で、幸いにして関学の選手に大きな怪我はなかった事態でこれほど騒ぐのだったら、同じように騒いで欲しい事案がある。

 それは、高校のバスケットボール部で顧問が部員を虐めて罵倒した挙げ句に自殺に追い込んだ事件とか、練習中にしごきを加えて怪我をさせたとか、長い距離をランニングさせて心臓発作で死に追いやった事件なんかでもスポーツの中で起こった危険な指導であり、人命にまで関わる重大事なんだからとスポーツ庁は全国の運動部とかに対して通達を出すなり、各部活が結果として所属していることになる各競技団体のトップも生命を出すなり、JOCもコメントを言うなりして再発を防ぐべきなのに、学校のことは学校に任せるような及び腰なのはなぜなのか。そうした斑模様がどうにもこうにも釈然としないのだった。高野連でも高体連でも文部科学省でももっと子を上げれば良いのに。それとも部活のしごき、顧問の指導は教育だからオッケー? 大学だって教育だろうに。やっぱり何かがズレている。


【5月14日】 「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」ではすでに流されていた萌黄えもによるソロ曲の「スキスキセンサー」がテレビで初お披露目となった「キラッとプリ☆チャン」は、弟からもう野球の試合の応援に来るなと言われて吐根で料理を作っても目玉焼きがオムレツになるという、ある意味で画期的な才能も見せたりしていたえもだったけれど、そのぐだぐだな雰囲気がプリチャンを通して世間に伝わり今ひとつ。そんなえもを見てまるでえもくないと桃山みらいが突っ込み気を取り直して応援のためのプリチャンライブを行ったえもに答えて弟はどうにか野球で勝利する。

 そんな展開の中に繰り出された、自分たちがやる気のない企画はやってもダメだといった警句は、番組作りをしている大人たちの琴線に触れたんじゃなかろーか。しかし赤城あんなは人気プリチャンアイドルなのに世間的な人気がまるでなさそうなのが謎。財力でイイネを買っている? それはたぶんないけれど、ギャグ要員に堕している感じがあるのでライバルとしての存在感を立て直しつつ、各話完結のストーリーからだんだんと全体を貫くテーマみたいなものが見えていってくれたら「プリパラ」や「プリティーリズム」みたいに長く愛されるシリーズになるだろう。関心をはらって見ていこう。

 週刊少年ジャンプで将棋漫画が始まったので久しぶりに買ってみた。いったいいつ以来だろうと思い出そうとしてもあんまり思い浮かばないから勝手に想像するなら「約束のネバーランド」が始まった時以来かもしれない。それ以前となると1990年代の初頭になってしまうから遡りすぎ。でもたまに買ってみると連載がまとめて読めてこんなに面白い漫画が今のジャンプに溢れていたことが分かって次もまた読んでみたくなる。これが怖いところなんだよなあ、週刊漫画誌の。とりあえず「食戟のソーマ」の遠月追放をかけた進級試験にひとまず決着が出たみたい。でもこれがアニメで放送されるのは数年後になるのかなあ、今の放送分ではそこまで辿り受けないだろうし。

 あと「僕のヒーローアカデミア」がせっかくの華々しくも格好いい学園祭でのライブシーンでコンテ撮、じゃなかったペン入れが完成していない状態での掲載になっていた。麗日お茶子はちゃんとペン入れが済んでいるのに次のコマでの蛙吹梅雨ちゃんはペン入れがまだなのはなんでだと梅雨ちゃんファンとしては訝るのだったケロ。ライブではセンターに入ったベースでボーカルの耳郎響香が大活躍。両親はどうやらミュージシャンだったみたいだけれどそれでも自分に個性があるならそちらではなくヒーローを選ぶところに何かドラマがあったんだろう。これもアニメで放送されるまでは何年かかかるかなあ、単行本を読むしかないかなあ。

 そしてこれが本命の将棋漫画、里庄真芳さんによる「紅葉の棋節」は前に1巻もので出たのの連載分みたい。内容は中学生で棋士を目指す紅葉という名の少年がいてプロ棋士の兄がいて天才と謳われたけれども死んでしまったみたいで、そんな紅葉の前に女性だけれど女流ではないプロ棋士の銀杏が現れるといった展開。これは1巻物と同様だけれど出会いの感じとかがちょっと違う。サービスシーンもいっぱいあってなかなか楽しいけれど、それからの展開は読んでのお楽しみとして、気になったのはプロ棋士を目指す主人公の少年が狙うタイトルが「名人」ではなく「竜王」というところだった。ある意味で21世紀的と言えるかも。

 読売新聞社がずっと主催してきたタイトル戦の十段戦を発展される形で発足した竜王戦は、当時から賞金総額だか何かが名人戦を上回って最高で、序列的にもトップに立ってはいたもののやっぱり将棋と言えばな名人位にどこか格として及ばず、下に見られている感じがあった。フィクションなんかでも将棋を目指す少年少女がやっぱり狙うのは名人といった空気があったけれどもこれが最近ちょっと変わってきている。きっかえのひとつが白鳥士郎さんの「りゅうおうのおしごと」で、中学生でプロ棋士となった主人公が順位戦でC2級からA級へと上がってそこでトップに立って初めて挑戦できる名人位ではスピード感が足りないからか、竜王位が材料として選ばれそのタイトルを獲得した10代の少年を主人公に据えていた。

 そんな現実に追いつくかのように藤井聡太六段が出現しては連勝記録を打ち立て、四段から六段へと駆け上がっては竜王戦でもそれなりな場所にいて現時点では獲得が可能だったりする。もしも挑戦者になったりしたらそれこそ世間も大騒ぎしそう。ドワンゴによる叡王戦が加わって8つになった将棋のタイトル戦でも序列トップだった竜王戦が、知名度を世の中で高めた上でそうした露出が風格も誘って、名実ともに将棋界で最高位のタイトルになっていく可能性も浮かんでいる。もしもそうなったら読売新聞社は白鳥士郎さんに巨人戦のチケットを束で贈っても良いんじゃないかなあ、巨人ファンとはちょっと思えないけれど。

 とはいえフィクションに取り上げられる際に読売新聞社が竜王位を使うことを許したからこそ成り立った小説だとも言えるからそこはおあいこか。結果として共にハッピーな状況にある訳だから名人位を除く他の棋戦も今からでも遅くはないから実名を提供しても良いんじゃいかな。いやいやそれをやってしまうと序列最下位になった棋聖戦なんか、今季からヒューリックが特別協賛についてヒューリック杯棋聖戦になっているから小説でもそう記述しなくちゃならなくなって面倒そう。

 特別協賛自体は珍しいことではなく、竜王戦でも野村ホールディングスが特別協賛についているし、名人戦でも大和証券グループが協賛についている。でも野村ホールディングス杯竜王戦にはなっていないし大和証券杯名人戦にはなっていないところを見ると、ヒューリック杯棋聖戦は事情としては特殊なんだろう。ヒューリックの出している分が多いとか。そうなるともはやタイトル戦の名義貸しだよなあ。タイトルホルダーも次から○○ヒューリック杯棋聖と呼ばなくちゃいけないんだろうか。ちょっと謎。いずれにして棋聖戦を主催している新聞社がそういった条件を飲まざるを得ないくらい厳しいってことは分かる。どこの新聞社かは調べてちょ。

 上海に行き福島に行き、記録を読み返し録音や録画を検証して、改めて南京で起こった捕虜銃殺の実像を浮かび上がらせた今回のNNNドキュメント「南京事件2」だったけど、これってつまりは前回の放送で取り上げられた、「幕府山事件」と呼ばれる揚子江側での捕虜殺害の現場にいた連隊を率いていた連隊長が、それは虐殺じゃなく自衛発砲だったと言っていると書かれた南京事件否定本を持ち出し、ドキュメンタリーの内容を否定してきた新聞の歴史戦とやらへの反論だったって感じ。NNNドキュメントでは、いやいや連隊長そこにいなかったでしょ、連隊長の証言って戦後も随分経って行われた弁明的な証言を聞き書きした新聞記事でしょって改めて示して、絡んできた相手を退けたといったところ。

 実のところ「幕府山事件」での自営発砲節が実は連隊長だけしか言ってない話で、他の兵隊さんたちの手記を束ねて読めば捕虜を解放するために船を用意したとか、それで発表されてやむなく撃ったといった話が虚構であることは、すでに広く知れ渡っていた話であるにも関わらずそれを否定派が繰り返して引用し、孫引きしたものを新聞が資料としてあげて世間に広めるものだから、南京事件なんてなかったと思いたい人たちの手によってそれがネットで拡散され、事件を否定する論拠として使われてしまっているから厄介な話。今回のNNNドキュメントでは、民放地上波というある程度の権威を持った媒体が、そうしたフェイクを真正面から潰しにかかったのだけれど、否定したい人たちはそれすらも聞く耳を持たず、取材や検証もなしに噂の噂を噂することで打ち消しにかかる可能性が大きそう。

 デマやフェイクを正すにはとてつもない労力がかかるのだけれど、そうしたら労苦を新たなデマやフェイクが低コストで拡散されて無為にしていく徒労感を、もしかしたらドキュメンタリーをディレクションした清水潔さんたはまたきっと覚えることになるのかもしれない。ある意味でスマイリーキクチさんへの誹謗が世に出ては、それを信じて信じ込んでしまう人たちがあふれかえっていくら否定しても弁明を行っても、まるで消えないまま誹謗中傷が積み重なっていった件にも重なるネット的な言論状況と言えそう。そんな状況でこういった”無敵の人”相手にまっとうな見解をぶつけても無視され続けるのだとしたら、いったんテレビという場で公然の見解を出しておくもは無駄ではないのかもしれない。そう思いたいけれどもはたして。否定派はやっぱりすでに現れて来ているからなあ。どうなるか。第3弾を作って改めて真正面から潰しにかかるか。今後に注目。

 山田尚子監督と音楽の牛尾憲輔さんのトークを聞いて改めて音楽とかにも気を向けつつ見たいと思っていった「リズと青い鳥」だけれどやっぱり難しいなあ、終盤で足音が4歩だけ合ったというのもはっきりとは確認できなかったし、みぞれが剣崎梨々花とかをプールに誘って良いかと希美に聞く場面ですっと間を横切る人で音が揺れたかも正直聞き取れなかった。耳が悪いなあ。一方で原作では1人のファゴットが2人いることが分かったし、そんな2人と梨々花を入れたダブルリードの会の1年がそろってみぞれとプールに行けたことも、一緒に練習をしたことも分かってだんだんとみぞれが外に気持ちを向けていくプロセスが感じられた。目の前で梨々花がオーディションに落ちて涙したところから変わった感じかなあ、あれでやっぱり優しいんだ、みぞ先輩。


【5月13日】 東海辰弥選手を要して京都大学ギャングスターズが関西の学生アメリカンフットボール界に旋風を巻き起こすまでは、関西学院大学ファイターズが長く君臨をし続けていたのと似通って、関東では日本大学フェニックスが最強を謳われ学生日本一を決める甲子園ボウルの常連として関学大ファイターズとしのぎを削り合っていた。けど1990年代に入って日大フェニックスは勝てなくなって変わって関東では法政大学とかが台頭して日大は時々しか甲子園ボウルに出られず、出てもそこで関西勢に敗れて社会人も含めた日本一を決めるライスボウルへの出場も果たせずにいたのが2017年、実に27年ぶりに日大フェニックスが甲子園ボウルを制して“復活”への道を歩み始めた。

 そんな矢先の5月、交流戦的な関学大ファイターズとの試合でひとりの選手がラフプレーを繰り返して退場から出場資格を剥奪されるという、スポーツ界にとってのなかなかな不祥事が発生した。とられたプレーの映像なんかを見たらなるほど関学大ファイターズのクオーターバックが、前へとパスを出してから2秒とか3秒経ってひとりの日大フェニックス側の選手がクオーターバックに近づいていって、斜め後ろに近いような場所からタックルをかませて関学大ファイターズのクオーターバックをたたき伏せている。完全なる反則で日大フェニックス側は罰退のペナルティを科せられたけれど、その選手はその後もボールのないところにいる選手を狙ったり、果ては暴力すらふるったりして問題視され、そして選手としての資格を停止されるにいたっている。

 血の気の多い選手がとにかくボールを持った選手に照準を合わせたら最後まで突っ走って倒して反則をとられている、ってことなら危険だけれども闘争心の範囲で語れないこともない。けれどもこの一件は、明らかに時間差をおいて相手がボールを持っていないと分かっていても、決めたら突っ込んでいくようにとでも言われているかのごとくの行動だっただけに、選手の属人的な問題で語ってはいけないといった認識ができつつある。だったら誰が責任者なのかと言われればやっぱり執拗なサックを求め、それを是とした指導者ってことになる。

 そうすべきだといった指導があれば従うのが選手たち。従わなければ待っているのは降格だったら誰だって必死にクオーターバックを追いかけボールがなくてもタックルをかますだろう。試合後のコメントでも自分がわざとそういったプレーをさせているかのような態度をとって、関学大ファイターズの関係者を激怒させていたりする日大フェニックスの指導者が、そういう意図ではなかったんだと釈明するかすいませんでしたと謝罪するかと思ったら、次の試合に出てこずどこかでお留守番というところにこの一件の大変さを深刻に考えていないか、流せば逃げられると踏んでいる日大フェニックス側の不足が今なおあるといった感じ。今後釈明があるにしても、責任の所在が曖昧なままではさらに火を着けかねない問題だけに展開が気になるところ。続報を待ちたい。

 完璧を期すなら廃墟となった図書館に出産に関する手引き書なんて残しておかないだろうから、第十三都市部隊の面々がいずれはその本を発見して赤ちゃんなんてものを作ることに興味を抱くだろうという計算はあったと見るのが妥当な気がするけれど、それだと9’sの面々がパパたち七賢人を相手に第十三都市部隊がやろうとしていることをさも大事のように報告したのは間が抜けているから、何か偶発的なことが起こったとも見て取れる。そういった計算が果たしてどこまで隅々にまで張り巡らされているのか。「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を謎解きの対象として徹底的に吟味しづらいのは、そうした部分にまだ行き当たりばったり感があるからかもしれない。ヒロが02と過去に知り合い今またパートナーを組んでいることも含めて。

 まあそれでも第十三都市部隊にはきっと含みがあるんだろうことは感じられて、パパたちの厳命によって爆弾をかかえて叫竜につっこんでいった他の部隊の面々とは違って、割と反抗的だし探究心もおう盛だし心理的なタブーを持っているような感じもない。そうした自由な彼女たちや彼らがいったい何を目的として存在させられているのかは、きっと博士が知っているんだろうしパパたちのうちでも何かを隠しているんだろう。そして現れた叫竜の姫とやらが人間と同じ形態をして、人間たちをニセモノ呼ばわりしているところからもあの世界の階層に何からの逆転劇が仕込まれていそう。そうした想像が当たるかどうかで「ダーリン・イン・ザ・フランキス」がこの1年を語られ続ける作品になるかどうかがかかっているかも。幸せなところに落ち着いてくれれば良いけれど。

 電撃文庫から出た宮入裕昂さんによる「スカートのなかのひみつ。」(KADOKAWA、610円)がなかなかに良かったというか、冒頭から天野翔という名の女装したとてつもなく可愛い男子が出てきては、吹いた風でスカートがまくれあがったところを巨体の八坂幸喜真という男にパンツを見られ女装だと気付かれ声をかけられ、それで脅されるんじゃないかと心配したらクラスでも学校でも公認の趣味だと理解されるように導いてくれた。それで親友になった2人は通りがかりにみかけた男子を女装が似合うと確信し、声をかけて引っ張り込んで女装させたらこれが似合って3人で、いよいよ女装アイドルを目指し始めるアイドル青春ストーリーかと思ったら……。

 パートが変わって活発な丸井宴花という美少女がいて、ジャージ姿の新井田牧乃という少女を引き連れ歩いていたところで風が吹いて宴花スカートが風でまくれたのを目撃したのが広瀬怜というセーラー服の子で、それがきっかけとなって広瀬怜は宴花らと知り合い彼女が伝統行事のお姫さまとして踊ることが決まっていることを知る。そんなふたつのパートに何かつながりがあるかとうとまるでないからちょっと戸惑う。2つの違うストーリーが並行して進んでどこかで重なり合うって感じでもない。あるいは天野と宴花とうそれぞれのパートの“ヒロイン”を語るダブル主人公の話なのか、といとそうかもしれずそうとも言えない感じ。

 天野翔と巨体の八坂がメアリーと呼ぶようになったもう1人の少年と女装アイドルを目指す展開で主導権を取るのはもっぱら八坂で、それは交通事故で脚を怪我してしまったある少女のために八坂が何かをなしとげようとしていて、その材料として天野とメアリーを日本一の女装アイドルに仕立て上げようとしている感じがあるから。つまりはヒロインの入院しているためにヒーローとして八坂がいて、彼のために天野とメアリーが頑張る話になっているから。とはいえ八坂はヒーロー前として前へは出ないし入院している娘もとりあえずは入院中。一方で何か思いを貫こうとしている宴花という少女を広瀬怜が見ていくパートでも、広瀬怜が主に語り手となりながらも主体として何かを成し遂げるより、宴花という少女をサポートする立場にあったりする。誰を主人公とは言いづらく、そしてどこへと向かっているかもつかみづらい。

 そういう意味ではストレートな展開の把握に戸惑うところもある「スカートのなかのひみつ。」だけれど、女装が好きな自分を貫こうとする天野と、吃音で自分に自信になかった心身を女装で変えるメアリーと、誰かのためにサンタになりたいと2人を女装アイドルにしたてようとする八坂がいて、伝統行事のために頑張る宴花と彼女を支えたいと願う広瀬怜らの全員が主役とも言える。群像劇ってほどの主体の入れ替わりはないけれど、総体劇として全体で何かを目指しているドラマとして読むと感じも分かるかもしれない。誰に心を添えて読めば良いかで戸惑っても、それぞれにちょっとずつ重なる青春の悩みや迷いを舐めつつ味わいつつ、全員がちょっとずつ自分なんだと思い読んでいけば良いのだ。

 そんな物語から感じられるのは、たとえ秘密であっても隠さずポジティブにとらえようという事。そうやってたどり着いた場所で天野もメアリーも広瀬怜も八坂も宴花も新井田牧乃も全員が逃げず自分を前へと進められる。悔やまず迷わず突っ走れ。それでこそ得られる成功がある、そう思わされる「スカートのなかのひみつ。」。それにしても八坂という男の格好良さにはただただ感嘆。どうしてあそこまでポジティブな人間がいるのか、なおかつ猪突猛進の莫迦ではなくていろいろ考えそして突っ走っては貫いていく凄さがある。野生の勘とでも言うんだろうか。そんな人物に振り回されるなら天野も広瀬怜も主人公でなくたってかまわないかもしれないなあ。


【5月12日】 第38巻が出ていよいよ名人とクイーンへの挑戦者決定戦が始まった「ちはやふる」。クイーン戦に出た綾瀬千早はとりあえず第1戦を勝利したものの絶好調が災いしてかタイミングが合わずに第2戦でリードを許してもしかしたらそのまま敗戦だなんて可能性も。いやいやそれだとエンターテインメント的に拙いだろうとは思うけど、だとするならば逆転して勝利へと至るために千早がいったいどうやって自分を取り戻すのか、ってドラマが必要になる。

 それは隣で繰り広げられている名人位への挑戦権を争う真島太一と綿谷新との対戦ってことで千早とは幼なじみの2人が激突するその試合のどちらがどういう風に勝つことが、千早を奮い立たせるのかってところに男女関係の未来も見えそう。いやそれはないか千早のような朴念仁に限っては。勝負への執念。そして勝ち方。その姿こそが千早を変えるだろう。どうなるか。続刊を待とう。次は秋ぐらいかな。

 板垣巴留さんの「BEASTARS」も第8巻が出てこれで年内に第9巻も出たらマンガ大賞の候補から外れるところだったから受賞した今回がギリギリだったってことになる。それなりに知られ始めていたからこそ文化庁メディア芸術祭の新人賞を獲得し、手塚治虫文化賞の新生賞を受賞し、そして秋田書店の雑誌に掲載されている漫画でありながら講談社漫画賞の少年漫画部門を受賞といった連続しての栄冠が与えられたんだろう。まさに旬。そしてなおかつ面白みと深みを増しているところにこれからの興味も向かう。

 ハイイロオオカミのレゴシはアルパカのテミが何者かによって殺された事件を本格的に追うみたいで、いろいろと修行をして強くなっている。一方で演劇部の部長を辞めて草食獣のアカシカでありながら、肉食獣が作るシシ組のボスになったルイの今後。レゴシへの誤解も生まれたみたいだけれど対立するのか仲間になるのか、そして何を目指すのかってあたりも今後の興味が向かうひとつと成りそう。30巻とか続く話にしてしまうと入るのも大変だけれど今ならまだ追いつくから気になった人は読み始めてみてはいかが。あと数巻で片付くって可能性もないでもないけど。ほかにどういった話が描けるかも見て見たいし。

 荒魂のねねがタキリヒメの胸元に飛び込んだのは、いつもいっしょにいる益子薫がそうしたボリュームとは無縁で抱かれてもふかふかではなかったから、という説に果たして妥当性があるかどうかはこの際置くとして登場してまだ間がないのにタキリヒメが攻めてきたタギツヒメを相手に敗北して存在を座れてしまった感じ。高慢に見えて高潔さも見せてくれた美女って感じだっただけに退場は惜しいけれども同じ荒魂でありながらタギツヒメがノロを吸収して強さを増しているいんも関わらず、防衛省の奥にこもってノロを求めなかったのもやっぱり自分に神としての矜持があったから、なんだろうなあ。そんな「刀使ノ巫女」最新エピソード。

 折神紫から分離した大荒魂が3つに湧かれた中でタギツヒメに対して残るイチキシマヒメはネガティブ全開の引きこもりなだけに、タキリヒメを吸収したタギツヒメと戦ったら瞬間で敗北しそう。潜水艦に乗って移動していようともタギツヒメが見逃すとは思えない中でいったいどういう逆転の手段を衛藤可奈美たちはとるのだろうか。そもそもそんな手立てはあるんだろうか。ノロを移植されるようにして強化された敵方の刀使たちも現れ手を焼いている中で可奈美たちの勝利条件が見えてこない。いったいどういう筋をたどるだろう。ますます見逃せないなあ、っていうか観ているのってこれと数本になってしまった。アニメへの精神が衰えている。年かなあやっぱり。

 せっかくだからと池袋はサンシャインシティに行ってウルトラマンフェスティバル2018の発表会を見物する。その前に食堂に寄って博多明太子の食べ放題をご飯にてんこ盛りに持って食べる。白飯に明太子があれば人間、なんだか生きて行けそうな気がしてきた。貧乏になったらこれで頑張るか、それとも明太子は贅沢だからたらこにすべきか。マジで考えないといけなくなりそうだしなあ。さてウルトラマンフェスティバル2018は原点回帰っていうかウルトラ兄弟の絆とやらをテーマにしたものになりそうで、それもあってゾフィーからウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンジャック、ウルトラマンA、ウルトラマンタロウのウルトラ6兄弟がズラリと登壇。昭和世代にはウルトラマンといえばこれぞのセレクトに、公式サポーターとして登壇した爆笑問題の2人じゃないけど心に震えが来た。

 昭和ウルトラだったらこれにウルトラマンレオが加わるんだけれどもレオってある意味でウルトラ兄弟から外れたところの出身になっているから、ここに加わらなくて正解だったのかもしれない。7人だと多すぎるから外したのかもしれないけれど。そこは謎。それにしてもウルトラマンが好きな子供たちが観客に集まった場でも太田光さんは手抜きをせずにいろいろとぶっこむ。麻生太カのものまねをしたりTOKIOの話を振って不祥事は起こさないようにねと言ってみたり。これで誰か兄弟のひとりがメンバー呼ばわりされたらどうなってしまうのか。まあ架空のキャラクターに不祥事はあり得ないからそこは安心できるのかも、中の声優さんが引っかかるってこともないし。

 思ったのは相当にウルトラマンへの人気が回復しているってことで、サンシャインシティの噴水広場の地下1階から3階あたりまでのテラスに人がびっしりと群がって発表会を見物していた。子供たちもいっぱいいて目を輝かせて怪獣とかウルトラヒーローたちを観ていた。仮面ライダーとかスーパー戦隊に行く前に、純粋にヒーローが怪獣と戦うドラマとして楽しめるのがウルトラマンってことに改めて気づいたのかもしれない。IPとしての売り上げもバンダイナムコグループに関して言えば去年の40億円弱が60億円弱まで上がっている感じ。ドラゴンボールみたいにゲームが大ヒットしているとかガンダムみたいにガンプラが安定的な売り上げを出しているってものでもないのに、しっかりと維持しているだけに今が布石となって数年後、大きく花開くこともあるのかも。新番組も始まるし、この数年に期待。「レディ・プレイヤー1」の続編に出たらさらに爆発するかもなあ。

 そしてやっぱり観ておかなくちゃと「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」のアイドル応援上映会、ディアマイフューチャー編を観に新宿はバルト9へ。満席の中で女性も多く居てプリパラ勢の男子も混じって塩梅の良い応援が聞けてなかなか楽しかったけれど、もう1回観たくても日曜日の応援上映は売り切れみたいで月曜日はないみたい。仕方がないので川崎か幕張新都心へと遠征をして応援上映を聞いてみようか、でも人数あんまり多くなさそうなんでペンライトを振るだけになってしまうかも。音楽的にはオーロラドリームの方が記憶に残ったかな、でも2度3度と観ればみあの一番な歌声も効いてくるかも。あとはファララとガァララのユニットか、観ていてきゅんきゅんとしてきた。残すはレインボーライブ編。これも頑張って応援上映を見に行こう。


【5月11日】 航空自衛隊の男性パイロットたちによる女性自衛官に対する見くだしっぷりがどうにもゲスで見ていて鬱陶しくなるけれど、自衛隊が協力もしているアニメーションだからきっとこうした描写も了解の内、自衛隊に今なおはびこる男尊女卑的雰囲気をあからさまにしつつ男性自衛官たちに自省を求めた、っていうのはちょっと考えすぎかなあ。でも見てこれで改まらない男性自衛官がいたらやっぱりどうにかしないと後々尾を引きそう。いくら財務相がこの後に及んではめられた可能性があるとうそぶき、セクハラ罪という罪はないとまで言っているとはいえ。これだって野田聖子総務相&女性活躍相からダメ出しを食らっている訳で、世間の一部が今は閣下と称えていても、見放せば総理大臣もろとも凋落していくだけ。その辺の潮目を読まないと。読んで自爆をもろともかまそうとしているなら別だけど。

 さて女性自衛官へのセクハラパワハラが鬱陶しい一方で「ひそねとまそたん」は、そんなプレッシャーをなにくそとはねのけようとしているF−2Aを駆るDパイの星野絵瑠がのテンパり具合もなかなかに見ていて痛々しく、どうしてそこまでファイターパイロットになりたいと願うのか、過去とか経緯とかをちょっと知りたくなってきた。もとより資質はあっても女性はパイロットになれない現状を疎んじているのか、あの世界ではなれるけれどもDパイに回されて悔しがっているのか、パターンもいろいろとあるだけに心理の流れをちょっと知りたい。あとやっぱり身体を鍛えているだけあってスポーツブラなんだなあ、それを外すと結構ボリュームもあるみたい。男性パイロットならずとも目は釘付け、っていうかそれでランニングをしたら岐阜基地が滅びるかも、でもってF−2Aは目覚めるか? あれで結構気をつかって絵瑠がそうあって欲しいスタイルを維持しているっぽいから。

 展開としてはそんなDパイが未だ候補生に過ぎない貝崎名緒を基地に残して無人島へと移送され、そこから1週間以内に脱出して来いという命令を受けたものの食料はレアメタルも含めてふとももが食べてしまいさあ大変。でもダウジングという超常現象に頼る日登美真弓も動かない方が吉とばかりにあけみといっしょに寝ているだけの絹番莉々子もあてにならないと決めつけ甘粕ひそねが火を着けようと悪戦苦闘し水を探して迷い込んだその先で、泉があってまそたんが水浴びをしていたその水を持って帰ったら真弓が自然薯を掘り起こし、莉々子はあっさりと火をおこしてキャンプの準備が整っていた。ちゃんと役に立つ2人。むしろ役立たずのひそねも含めた3人が補い合って急場を凌ごうとしていたその脇で、自分が帰投すれば問題ないとんばかりに筏を組んでいる絵瑠は果たして心をいつか開くのか。そうなった時にどんな可愛らしさを見せてくれるかが今から興味。ツンツンツンツンで突っ走り続けることはないよねえ、ないよなあ。

 「映画 聲の形」での山田尚子監督と音楽の牛尾憲輔さんとのトークイベントがとてつもなく面白くて深かったので、同じ面子が揃った「リズと青い鳥」でもトークイベントがあったら行こうと思いながらもチケット発売に出遅れて、最後列しかとれなかったもののシアターが2番目くらいに大きなところで最後列でもそれほど離れてはいなかったので、むしろ音響とか前目で見ることが多いいつもとは違った感じに響いてきてとても面白かった。冒頭のみぞれと希美が歩く辺りは結構わしゃわしゃとノイズが入っていたんだなあ。その速度はBPMでみぞれが60で希美は110と結構な差がある感じ。これがエンディングではみぞれが100となり希美は99と101の間を行き来していてそんな中で奇跡的にも4歩だけ、ぴたりと合ったらしい。重なり合わなかった2人、すれ違っていた2人が歩み寄って重なる映画のテーマにも通じた偶然。こういうことってあるんだなあ。

 ロールシャッハテストなんかでインクをたらしてそれを2つ折りして転写したのを広げて見せて、何に見えるかってことをやっているけどそんなインクの転写によって図像を作り出すのをデカルコマニーといって、シュールレアリスムの絵画なんかに使われていたりするという。驚くことに牛尾憲輔さんはこのデカルコマニーを「リズと青い鳥」の音楽作りに利用していて垂らしたインクを転写しつつ、たとえば上段を4小節の五線譜にして下段を5小節に切って色に相応したさまざまな音をあてはめることによって重なりとズレを作り出すとか、あるいは上を3段で下を4段にして重なりを変えるといったこともやって似ていて違う音を並べていく手法を使っている。って聞いてどういうものかまるで分からないけれど、それによってあのノイズでありながらも琴線に響く音楽ができあがるのかもしれない。

 時には大きく広がったインクのシミを画像データとして記録した上でそれを音のデータに変換してノイズとしてならすこともやるとか。自分で音符を拾って五線譜に刻んでいく作曲とはまるで違った方法だけれど、空間にあるさまざまなノイズを集めて固めて聞かせるようなことが逆に、僕たちが普段聞いているこの世界の音をそのまま感じさせてくれるのかもしれない。ユニークだったのは希美がみぞれをプールに誘って、そこでみぞれが「他の人も誘って良い?」と尋ねる部分で作画的には2人の間をすっと横切る女子がいて、その中でみぞれのどきっとしてうっと感じてさらりと流す表情を描きつつ、音的にも横切る人の波形が出るよう、音楽をスピーカーから流しながらその前を牛尾さんが横切って、そしてそうやって変化する音をマイクで拾って録音して使っているという。聞いてすぐに分かるかというと微妙だけれど、知ることによって何か違いが感じられるかもしれないんで帰ったらサントラを聞き返そう。あるいはまた映画を見に行くとか。凝ってるなあ。凝り過ぎだなあ。

 やれやれというか、とある自称するところの全国紙で編集委員と論説委員の肩書きを持って安倍ちゃん大好き記事を書き続けている人がまたしてもというか、北朝鮮における拉致問題の解決が一気に進みそうなこの時に野党は森友だ加計学園だ財務省のセクハラだ防衛省の日報改竄だといった問題ばかりを追及して挙国一致がなってないといった論点ずらしの文章を書き散らしている。まったくもっておいおいというか、それを言うなら就任してから5年も経っている安倍ちゃんが今までどうして何も1ミリたりとも拉致問題を全身させられなかったかの方を問うべきで、現に北朝鮮の指導者からなんでお前ら監督の大統領とかアメリカの特使とか経由で言うだけで、直接言って来ないんだとぶちまけられていて、この5年の無策ぶりを暴露されてしまった。

 いやいや就任してから続けた5年の圧力こそが今につながったんだなんて言い訳だってしそうだけれど、それでも米国の議会でいろいろと突き上げられ、そして閣僚とかスタッフをころころと入れ替えもしながらアメリカのトランプ大統領は拘束されたアメリカ人の3人をこの数カ月で一気に解放へと導いた。そこにも経済圧力のたまものがあるなら日本だって即座に誰かを行かせるなり、自分が行って取り戻してくると言えば良いしやればいい。それを言いもせずやりもしないで机上の空論めいたことを言うだけだから蓮池透さんは呆れるし、拉致被害者の家族の中にもそろそろどうにかして欲しいといった声もあがる。そうした意見に総理が即断即決するだけの話に野党の追及とか関係ないだろう、今までだって党勢を背景に何だって通してきただろう、それがどうしてこの件だけは野党の協力が必要? 結局のところ進まず進められない責任の追及をそらしているだけ。その筆先をかついでいるだけの記事が支持を集める界隈が、これからも中心であり続けるとは思えないだけに新聞の将来がちょっと心配だ。まあ他人事なんだけど。


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