縮刷版2018年4月上旬号


【4月10日】 明けてサッカー日本代表の突然の監督交代に関するニュースがテレビのワイドショーを埋め尽くし、それこそ日本相撲協会の暴挙に挑むかのように東京相撲記者クラブ会友ならぬ日本サッカー記者会会友なるベテラン記者たちがわんさか出て来ては、やれ田嶋幸三会長の施策は底が浅くで保身的で誰かの顔色を気にしていだけだと非難したり、やれ日本サッカーの発展にはスポンサーの資金が欠かせないからその考えに沿って選手を入れ替え監督を替えた判断は間違っていないと擁護する声が並ぶかと思ったら、どこのテレビ局もメジャーリーグで大活躍している大谷翔平選手のことは取り上げても、日本サッカー協会のゴタゴタについてはあまり大きく取り扱おうとしない。

 いったいなぜかと考えた時に、日本で大相撲を中継しているのはNHKだけであって、あとはかろうじてテレビ朝日が大相撲ダイジェストを放送して相撲協会からコンテンツを頂戴している身であって、ほかはニュース番組として何組かの取り組みを紹介するくらい。そんな浅い付き合いなら協会が悪いと世間が思えば叩きに回り、悪くないと考えれば擁護に回って持ち上げるくらいのことはやってのける。これがサッカーの日本代表だと、どこの民放も代表戦の中継という、なんだかんだいって15%くらいの視聴率は稼げるコンテンツを日本サッカー協会から回してもらっていて、そのご意向に逆らうというのはどういうことかといった判断があっても不思議はない。

 もちろんこれは憶測だけれど、それならまだしも単純にサッカー日本代表に相撲ほどのバリューはないだろと言われると、そうじゃないと言いたくなりつつそうかもしれないといった思いも漂うのだった。本田香川岡崎長友以外の代表選手って誰がいるか分かっているかと問われると実は心許ないし、所属まで聞かれるとまるで答えられなかったりする。南野ってザルツブルクだったっけ。そして本田香川岡崎長友の最近の所属と活躍を問われても実は答えられなかったりする。パチューカで本田って今どうだったっけ。長友ってインテルで……って移籍したじゃんトルコの……どこだっけガラタサライだったっけ。それくらい印象が薄れているサッカー日本代表のことなんてやって意味があるか? そんな日本代表がさらに弱くなって意味はいったいどうなるか? 考えるとやっぱり日本サッカー協会の判断は大きく間違っていると思うのだった。参ったなあ。

 これは恐ろしい拳法が登場してきた。その名も「首相暗拳」は、綸言汗の如しの故事もあって、いったん口に出したらひっこめることはかなわず、それでいて重大な権限を持ってしまうが故に何事であっても簡単には口に出来ない立場にある首相が、その思いを世に遂行させる上で振るう技のことあって、たとえば目配せなんかせず、頷きもせず眉をひそめることもしなければ瞬きすることもなく、ただ心にその思いを浮かべるだけで周囲に侍る官邸のメンバーが忖度し、官僚が感じ取り公務員がそうだと理解し民間人も個人も首相夫人もようし分かったといっせいに動いては、首相の思いを現実のものとする。空気投げとか合気道といったものですらない、一切のアクションを伴わないその見えない拳を誰も避けることは不可能で、なおかつ届かないこともない。恐ろしい、実に恐ろしいそんな憲法は今もきっと日々発動しては何かを隠し、壊し導いていたりするのだろう。怖いなあ。

 という冗談は案外に冗談でないとして、いよいよもってほかの文書もいろいろ沸いて出来て首相を詰めにかかっている。ここで知らなかった見ていなかった関与していなかった回りが勝手にと言えば言うほど自分の管理不徹底を世にさらけ出すだけだし、知っていたら知っていたで対象がやっぱりどこまでもお友達だったりする案件への関与を取りざたされてしまう。八方ふさがりの詰めろに入っているような状況だけれど、それでも抜け出せると思っているんだろうなあ、官邸のその中心あたりは。

 とはえいあの保守バリバリの文藝春秋が最新の2018年5月号で首相に対する徹底的な非難を内容とした記事をいっぱい並べてきた。近畿財務局の自殺した職員の父親がコメントした記事を載せたり、去年の国会で安倍総理が答弁に立っている佐川理財局長にメモを差し入れ頑張れ頑張れとやっていたといった記事を載せたり。どの1本でも昔なら内閣が吹っ飛んでいたものだけれど今は自分さえ大丈夫なら周囲がどれだけ沈んでもかまわないといったスタンス、自分は言ってないけど回りが勝手に動いたという“首相暗拳”の発動を示唆するスタンスで対応しているからなかなか動じない。とはいえ保守本流の雑誌がいよいよもって引導を渡しに来て自意識として耐えられるか。首相個人は平気でも同じ自民党の政治家たちも同類と見なされて平気に振る舞えるか。そこが鍵となっていろいろ動いていくかもしれない。とりあえず連流明けかなあ。その前のアメリカ訪問がキャンセルされたらいよいよか、会っても意味ない人に会うだけ無駄だということだから。さてもどうなる。

 つらつらと細野不二彦さんの「ギャラリーフェイク」を読む日々。ベスト版に細野さんが寄せたコメントによれば、もともとは「美味しんぼ」のアート版として企画されて主事能がさまざまなアートを吟味していく話だったようだけれど、そこはへそ曲がりの作者がフェイクすなわち贋作を扱うアングラな男を主人公に据えて、裏側からアート界をとりまくさまざまな難題に切り込んでいくといったストーリーになったみたい。ただそのおかげて、真正面の大上段からこれが究極にして至高の美であると提示して、周囲をひれ伏させるような高潔だけれど野暮でもある展開にはならず、人の数だけ存在するさまざまな美意識を絵画であり彫刻であり工芸であり時は玩具や遺跡なども媒介にして描き出し、自分にとっての美とは何かを考えさせる話になった。それと同時に社会や文化、政治や経済といったものにまつわるさまざまな問題を、ストーリーに乗せて啓発するような社会派の内容も持つようになった。上手いプラットフォームを考えたものだなあ、細野不二彦さんは。

 うーん、やっぱりどうにもトラップが甘くパススピードが遅いのが気になるなでしこジャパン。ワールドカップ出場をかけたアジアカップで2戦目にのぞんで韓国を相手に戦ったんだけれど、後半に入って相手の足が疲れて来ているにもかかわらず、もらったボールを足下におさめられないで動かしてしまったところをとられたり、自分のボールにはしてもそこで時間をとられて次の攻撃までに寄せられたりしてパスがつながらないといった感じ。ときどき前に出しても本当に見ているのかって感じにアリバイ作りに出している感じだから収まらない。逆に韓国は割としっかりゴール前まで運んでいって、そこで日本の固い守備に阻まれているといったところ。なでしこリーグだとやっぱり甘いトラップに遅いパスでも勝ててしまうところに緩さが生じてしまうのかも。とはいえ海外組の選手でもトラップが甘かったりするからなあ。男子にも共通の日本のサッカー全体にいえる問題かも。次はオーストラリア戦で勝たないとキツそう。大丈夫かなあ。まあ五輪は出られるから良いんだけれど。良いのかなあ。


【4月9日】 長くその写真のファンをやっている身としてはアラーキーこと荒木経惟さんがモデルにしていた女性に対して抑圧的なことをして批判されているのは残念なことではあるけれど、当時のまだ関係として有名写真家とそのモデルだった時代、そして巨匠に対して周囲が傅くのが当然と思われていた状況においてアラーキーが強権をふるったこと、それ自体をさかのぼってやっぱりいけなかったことだと批判することはなかなかに難しく、というより取り返せない話なので批判しても現状を変える手助けになれば幸いとして、最近になってモデルの人がやはりこれは理不尽だと言って声をあげたことに対して、そうだったかと感じ入るならまだしも拒絶し排除するというのは、大きく変化した社会情勢の中でやはりまずいことだと思うのだった。声を上げた人が望んでいる範囲は分からないけれど、その名誉を尊重してあげること、今後の活動において同じような不幸を招かないことを確約して、晩節を存分に活躍して欲しいもの。モデルを撮らずとも花と静物と風景の人としても存分以上に凄いのだから。

 夜のうちからザワザワとしていたサッカー日本代表のハリルホジッチ監督の解任がいよいよ本決まりとなった様子。田嶋幸三会長がJFAハウスで会見をして解任を発表して後任に技術委員長の西野朗さんを起用したって話に、ネットの界隈では落胆と、日本サッカー協会に対する憤りの声が広がっている。その一方で、スポーツ新聞をはじめとした旧来からのメディアは解任は仕方がないといった見解を繰り広げ、日本サッカー協会を擁護していたりするこの乖離がそのまま旧来型のメディアであり、スポーツ新聞の凋落を表しているようで切なくなる。

 読者であり、サッカーファンの方を向いていたらとてもじゃないけど書けない記事を書けてしまえる記者が向いているのはどっちか? それは日本サッカー協会がサッカーファンではない方向を向いて仕事をしていることとも重なって来る。つまりはスポーツ紙の記者なんかは日本サッカー協会を向いて仕事をし、その言説をそのまま紙面化することで代弁者として機能している。そして日本サッカー協会はお金を出してくれるスポンサーなりテレビ局なりの意向を大切にして、広告やCMなんかに起用した選手の出場を求めそうした知名度のある選手たちの活躍による視聴率のアップを求めたりする。

 けれども現実、欧州でも活躍をしていない日本人選手たちの誰が出たってそのまま売り上げにはならず視聴率にもつながらない。だからこそ国内で活躍している選手たちを試合の中で盛り上げ、視聴率がとれる選手に育てていくことが重要なのけれど、スポーツ紙もサッカー協会もすでに名のある海外組と呼ばれる選手たちにすがって、ネームバリューの新陳代謝を怠ったことで国内のサッカーファンとの間に生まれた乖離が、代表サッカー離れを引き起こして視聴率の低迷につながっている。

 だからこそ国内で活躍している見知った選手を起用することが必要だったのに、それをやろうとしたハリルホジッチ監督を有名選手たちとのコミュニケーションが足りないからと切り捨てた。有名選手ったって海外でいったいどれだけの活躍をしているのか。主力にならず時々しか試合に出られないコンディションで合流されても迷惑なだけ。つまりは現在ですら過去のネームバリューを選んで、未来を捨てたその行動はワールドカップ本番にも低調なパフォーマンスという影響を与え、そしてその後の日本サッカー界のとりわけ代表とよばれるセクターへの著しい信頼低下を招く気がする。個人のファンは地域密着のJリーグを、そこに代表選手がいようといまいと楽しんでいる。代表だけが孤高の果てに衰退していく責任を日本サッカー協会の誰がとる? とらないだろうなあ。

 だったらハリルホジッチ監督で果たしてFIFAワールドカップ2018ロシア大会のグループリーグ突破が果たせたか、といった解任の理由について言うなら、まずはだったら西野朗監督だったら突破できるのかって話で、比べてみるなら場慣れしていて戦術も持っているハリルホジッチ監督の方がずっと確率的に高いだろう。なるほどこの数試合で見せた低調なパフォーマンスをそのまま本番で繰り広げれば突破なんて無理だけれど、親善試合で選手を試しつつコミュニケーションを確認していく“作業”に結果を求めるのがまず無粋。敵にスカウティングされない中で密かに選手にタスクを貸して結果を確認していき、本番直前に完成させるくらいのことをハリルホジッチ監督だったら考えていたかもしれない。

 一部選手とのコミュニケーションが不足していたといった話もあるけれど、本番で使わない選手たちとのコミュニケーションの何が必要だ。というか選手たちはある意味で盤上の駒であって、それが自分は銀ではなく金なのだから横にも移動したいと言い出したら、将棋は差し手の思惑を超えてめちゃくちゃになってしまう。願望ではなく適正によって課せられたタスクをこなしつつ、時には打破していくプレーをしていたら選ばれるだろうものを、できないから排除されて文句を言ってそれが通るサッカーに未来なんてあるはずがない。でもそちらを日本サッカー協会は選んでしまった。愚かというより他にない。

 それこそいつかの証人喚問じゃないけれど、記者に成り代わって「まさかとは思いますが、田嶋会長は会長選で対立候補となった原博実専務理事、彼と親しい霜田正浩技術委員長を離任させておりまして、その2人と近いからとハリルホジッチ監督を解任したのではありませんか」と問い正したい気分。それに対して田嶋会長が「いくら何でもいくら何でもいくら何でも」と繰り返したところで、財務相の理財局長としてしっかりとタスクをこなしてきた身から出た憤りとは違って、現実に原さんの2階級の降格だの、西野さんの権限引き上げによる霜田さんの排除だのをやって来た田嶋体制下の日本サッカー協会において、そうした狼狽は単なるごまかしに見えてしまう。そうでないなら西野監督下でどれだけのパフォーマンスを見せられるか、それはどういったものかをキッチリ証明してみせる必要があるし、できなかったら上も含めて責任を取る必要がある。その覚悟は? あれば良いんだけれど、責任をとるってことは惨敗して日本のサッカー界が完全に壊れてしまったってことでもあるし……。悩ましい。

 監督の解任といったらハリルホジッチ監督以上に衝撃をうけた「けものフレンズ」第2期からのたつき監督の解任だけれど、それが何か仕事に影響することもなく「傾福さん」を作ってはDVDを販売し、TOKYO MXでも放送されて世に存在を知らしめつつ「へんたつ」シリーズも公開して不思議なキャラクターたちによる会話劇も見せてくれた。そしていよいよ「ケムリクサ」のテレビアニメーション化も動き出したかたわらで、あのNHKから仕事を受けてirodoriとしてキャラクターデザインを提供し、そしてオープニングアニメーションも制作したというからこれは大出世。解任された当初はその言動に瑕疵があったんじゃないのなんて情報も流され大変だったみたいだけれど、ちゃんと分かっている人は才能も人格も分かっていて、こうやってしっかり起用するってこと。だったらどうして解任されたのか、ってところに立ち戻る訳で、そのあたりを改めて検証しつつ修正し、今一度の起用と言って欲しいもの。すぐは無理でも数年後、あの物語の続きがその手から生み出されることを僕は、僕たちは今もこれからも信じて生きていくのだ。


【4月8日】 ようやくやっと観た「ルパン三世 PART5」は絵はとても好みで展開も悪くなく次元大介を演じる小林清志さんもお歳ならではの感じはあってもルパンを演じる栗田貫一さんとのコンビは23年目と迎えてますます磨きがかかった感じ。そして新登場のキャラクターで、塔の地下に閉じ込められてた可愛い女の子はいったいあのパンツにどうやって重たい拳銃を差し込んでいたんだ、そんなにパンツのゴムって丈夫なのかと思ったりもしつつパンツが見られたのでとても良かった。しかしルパン、あの一瞬でよくもまあマガジンから1発だけ抜くなんて芸当を。ついでにお尻にも触っていたりして。

 オープニングが2ndシーズンの大野雄二さんなのはもはやあのサウンドがルパンと一体化している現れか。だったらギャグ混じりの路線も行程されているかとうとニヒルでスリリングな展開に第1期とかを求めるファンが多く混沌とした雰囲気に。菊池成孔さんを起用したシリーズはだから革新だったなあと改めて思うのだった。かといって菊池さんで監督は小池健さんで本編シリーズを作らせる度量は日本テレビにもトムス・エンタテインメントにもきっとないんだろうけれど。次元に五右ェ門と来た劇場&OVAシリーズを次こそはルパンでやって欲しいなあ。不二子ちゃんでも良いけれど。

 そして見た「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」はなるほど朝から花澤香菜さんの元気いっぱいというかハイテンションの演技をたっぷり聞けるアニメーションとしてプリキュアシリーズに耽溺していない声優ファンの人たちを関心を集めそう。父親のことを褒められ父親のことだけを頼られると眉がピキピキするとかいったあたりは相当に父親のことを恨んでいるというか怒っている感じ。いったい何年くらい放り出されているんだろう。探偵社を居抜きで継いだのならそんなには経ってないのかな。頼ってくる人もまだまだレイトン元教授のことを覚えているみたいだし。早く声、聞きたいなあ、「英国紳士としてはね」を山寺宏一さんが何と言うか気になるし。

 ストーリーについては前半部分とかにナゾトキのヒントをちりばめ番組時代を一種のクイズ番組に仕立て上げているから見ていて飽きさせない工夫は十分。とはいえその真相はといえば父親を嫌って飛び出した兄がいったいどうやって稼いでどれだけの財産を得たのかがちょっと見えず、家だって結局は父親の遺産をうまい具合につかまされていたりして、もしかしたら仕事の成功なんかでも裏で父親の画策があったんじゃないかとすら思えてきた。あとは行方不明になった妻子がいったいあの穴蔵で何日くらいを過ごしていたのかにも。数日だったら食事とか大変だっただろうしトイレだって。それともそういう時のための備えもちゃんとしてあったのかな。いきなり落ちて出口に気付いてネクタイピンを使うだけの才覚があの兄にあるとも思えなし。まあでも見て楽しく明るい作品。何より花澤さんの声がいっぱい聞けるアニメーションとして今期重宝しそう。追っていこう。

 こちらも日曜朝の新番組となる「キラッとプリ☆チャン」はいわゆるプリティーシリーズの最新作で「プリパラ」「アイドルタイムプリパラ」と続いたプリパラシリーズから一編しての新シリーズになるんだけれど第1話からキャラクターたちが動画サイトの「プリ☆チャン」について関心を示しつつそこで活躍してるアイドルを示しつつ自分たちでもやってみたいけどやれるか分からない迷いを描いてイマドキの少年少女のネット動画配信だとかYouTuberだとかいったものへの興味と不安を誘いつつ、それでもやってみることで得られる喜びを見せて自己肯定を与えているあたりに人気が出そうな予感がした。

 あとはプリパラシリーズから久保田未夢さん芹澤優さん若井友希さんを引っ張って起きつつ林鼓子さんというまだ15歳の新鋭をメインに据えてしっかりとした演技をさせ、そして久保田さんとの掛け合いもちゃんと見せていて聞いていてまるで不安も不穏もなかったところがとても良かった。まあ「アイドルタイムプリパラ」の夢川ゆいさんを演じた伊達朱里紗さんも声に特徴があっていろいろな役が出来そうだし、あの「夢」と散々っぱらつけるセリフも噛まず違和感を覚えさせずに立て板に水と喋る巧さもあったから、そうした声優選びに長けたシリーズとしてきっと楽しませてくれるだろう。後は厚木那奈美も出演してRun Girls, Runでひとり出演していない森島優花さんにエンディング以外の出番を早く。

 せっかくだからとイオンシネマ幕張新都心へと行って「ガールズ&パンツァー最終章 第1話」のドルビーアトモス版を鑑賞。空間を包み込むようなサウンドという意味合いでいうならセンシャラウンド9.1chでもそれなりに実現はされていたけれど、方向性までしっかりと制御して聞かせるといった部分が効いていたのか、知波単学園が隊長の西絹代の問いに答えてひたすら突撃突撃言いまくるところで被って発せられるセリフのひとつひとつがちゃんと聞こえて来たような気がしたのには驚いた。あとはマーク4で登場したサメさんチームの自己紹介で大波のフリントがマイクを持って身をくねらせるシーンでちゃんと歌っているのが聞こえて来たというか、歌っているのかどうなのか。出てくる角度を調整してそうやって重なった声でもしっかり聞かせることが可能な技術かどうかを今一度、確認する意味でももう1度くらいは行ってこないと。とりあえず手持ちの仕事を片付け次の週末にでも。

 分け合ってずっと細野不二彦さんの「ギャラリーフェイク」を読んでいるんだけれどやっぱり今の時代にこそ連載が続いていてくれたらと思わないでもない。世界最大のフェイクニュースをばらまいて相手を貶め自分を持ち上げたあげくに世界最大の国家の大統領にまで上り詰めてなおフェイクな言動をばらまき続ける人間に対して、フジタがその審美眼にかなわない相手と認め自分の審美眼を否定されたと感じて反撃に出るようなストーリーが今は読んでみたくて仕方がない。フェイクまみれで成功した男がちょっとしたフェイクを暴かれ失脚していくような。相手が大物過ぎるならそこはフジタ1人ではなく世界に信頼が厚い三田村小夜子のネットワークとラモスのトレジャーハンティングの成果、ジャン・ポール・香本による人を惑わす香をまとったフェイツィによる接近戦なんかも辛めその背後でサラの大金がうなるような感じ。ついでに日本のフェイクな奴らも一層されると嬉しいんだけれど。短期集中連載でいかが。

 本当かねえ、夜になって飛び込んできたサッカー日本代表のハリルホジッチ監督解任話。そりゃあ今の時点でチーム作りに苦心しているのは不安な要素ではあるけれど、やりたいサッカーについてのしっかりとしたビジョンを示しながらもそれについて来られない選手たちをこそどうにかすべきであって、自分たちがやりたいことをやろうとしてやれない選手たちの意見を取り入れスポンサーの意向も聞いての解任だとするならこれはもう日本サッカー協会という組織が機能不全に陥っているってことになる。いちおうは自分を貫き伝統を貫こうとしている日本相撲協会のほうがまだマシってレベル。だいたいが今の時点で誰が監督を引き受けてくれる。それこそ次の大会を目指してチーム作りを始めるようなロングスパンを示さないと誰も応じてくれないぞ。数十億円出して今はフリーになってるファビオ・カペッロでも呼ぶのかなあ。あるいはマガトかアンチェロッティか。名前じゃないのになあ。


【4月7日】 昨日立ち寄ったコンテンツ東京2018の中のクリエイターEXPOには、何と東京オリンピック/パラリンピックのマスコットをデザインした谷口亮さんが結構大きめのブースを構えて作品を見せつつ来る人たちに挨拶をしてデザインの力を売り込んでいた。これまでも何度か出展者としてブースを構えていたことがあったそうだけれど、今回は栄えある受賞が決まったことを祝う目的と、あとはイベントとしての集客なんかも考えて主催者がブースを構えてもらったみたい。

 自費で出展すれば3日間で結構な額をとるのがクリエイターEXPOで、そこに誘って出展してもらった上に大きなブースも提供するなんて、まるで芥川賞を受賞した作家への編集部の対応が、求めるものを書いたらら隅っこに載せてやるぜから、巻頭を差し上げますので自由に何枚でも書いてくださいへと変わるような感じだけれど、マスコットの発表から1カ月とかの中で誘ってスペースを確保しブースを出させるのはなかなかの英断だと言える。そういった粋な計らいが出来る主催者なんだから、来る東京オリンピック/パラリンピックでの展示会場問題にも柔軟に対応していけば良いんじゃないかなあ。どういう状況になっているんだろう、最近。

 買うLenovoのX201が次々にバックライトが着かなくなる症状に陥って出先で使えず、それでもしばらく経つと戻ったりするからヒューズがとんでいるとかじゃなく、接触不良か何か理由があると思うんだけれど調べるのも治すのも面倒なんで、中古でX201を取り寄せハードディスクドライブだけ差し替えてそのまま使ってきた。でもってまたぞろ同じような症状が出始めたんで、新しいといっても中古だけれどX201を取り寄せハードディスクドライブを使っている奴から抜いて差し込んだら起動しない。

 最初にパッとブルースクリーンが出てすぐ消えてはシステムエラーを修復しろと行ったガイドが出て、それをやってもやっぱり治らないのでちょっと困る。元から入っているハードディスクだったらちゃんと起動するからハードがおかしいわけじゃない。じゃあいったいといろいろネットをあさってどうやらBIOSでハードディスクドライブのモードがIDEのままだと起動しないんでSAHCモードに切り替えろといったアドバイスを見てとりあえず、最初から入っていたハードディスクをブートさせた上でBIOSをいじって設定を変えたら今度はそのハードディスクで起動しなくなった。

 これはいったいどういう訳だと思いつつも、だったらと今まで使っていたのを差し込んだらちゃんと起動した。それでシステムがインストールされてないと起動しないとかいったマッチングの問題があるみたい。ともあれどうにかこうにか使えるようになったんで、あとはそっちを使いつつバックライトが消える症状が出たのをしばらく寝かせて予備にしつつ、数年くらいをどうにか乗り切ることにしよう。いい加減X240あたりまでバージョンを上げて、OSもウィンドウズ10に切り替えた方が良いのかなあ。でもFTPとかメールとかの環境を移行させるのが面倒だから今のハードディスクドライブをX201で使い続けたいんだよなあ。中古をあと2台くらい買っておくかなあ。

 日本経済新聞に掲載された中条昇平さんによる寄稿とか朝日新聞で長くアニメーション界を取材してきた小原篤記者による評伝とかをのぞけば今のところ、日本の新聞だとかあと雑誌なんかですばやく高畑勲監督に関する追悼の記事を書いて載せているところってそれほどなくて、ネットから拾い集めたようなトリビアをまとめサイト風に載せているところがアクセスを稼いでやれやれって感じ。たぶんずっと取材してきた記者なりライターはいるだろうし批評家だっていっぱいいて、書いてもらおうとするなら書いてもらえるんだろうけどそれをネット時代に即応する形で展開できるだけの馬力がまだまだ足りていないのかもしれないし、記者にも昔ほど書ける人はいないのかもしれない。

 そんな中でニューヨーク・タイムズとかはAP電を掲載した上で自前の記者が評伝を書いて掲載してたし、経済誌として知られるフォーブスとかも記者か特派員のブログめいた形式で高畑勲監督に関する結構しっかりとした評伝を載せてきた。そこには「機動戦士ガンダム」の富野由悠季監督に昔聞いた話なんかを載せていて、「未来少年コナン」なんかで関わった時とかの話で宮崎駿監督からはキャラクターの造形を学んだし、高畑勲監督からはシアトリックでドラマティックというから作劇の部分を学んだって感じ。そうしたものがなかったら「機動戦士ガンダム」はああいった作品にはならなかったとも書かれてあった。

 富野監督は「未来少年コナン」で14話と21話の絵コンテを担当していて、高畑監督は9話を10話の演出をやっていて、重なってはいないんだけれど同じ作品で少しなりとも接触はあっただろう。宮崎監督は当然全部に関わっている。だから富野監督が2人から何らかの影響を受けたというのはあり得る話。そうしたエピソードがもっと日本のライターなり記者から出てくれば、日本のアニメーションの歴史ってものにも膨らみが出るんだけれど、作品性から優しさだとか日常の丁寧さといったものばかりがクローズあっぷされ、なぜそうしたかといった拘りの部分にまでは及んでいないのが少し寂しい。

 富野監督の言葉なんかも日本でそうしたことを聞いた記者ではなく、外国人の記者に書かれてしまって日本で長くアニメを見て来た記者たちは、自分も含めて何をやっていたんだって気になるし、現在進行形で何をしているんだって気にもなる。ネタはあっても書く場所がない? だったら自分でブログでも開いて書けば良い。そうやって思い出を言葉に残して刻んでこそ後世に伝わるのだから、ってことで昨日と今日とで日記にいろいろと書いておこう。あとは「火垂るの墓」を通して見て高畑監督の凄みを再認識するだけだ、幸いにして来週の金曜ロードショーで放送されるみたいだから。ても見たら泣くんだろうなあ。怖いなあ。

 宝島社から出た瑞山いつきさんの「浅草あやかし絵解き 怪異とグルメは飯のタネ」を読んだら浅草のら麺亭に行かなきゃいけない気がしたんでリュックに読みかけの「ギャラリーフェイク」を何冊かぶち込み電車を乗り継ぎ銀座線で田原町まで出てそこから歩いて伝法院通りの西の端にあるら麺亭へ。お昼を少し回ったばかりだったけど行列はなく少し待ったら中に入れたんで名物という肉厚ワンタン麺とそしてセットでシューマイ2個にライスをつけて食べたら結構満腹になった。ダイエットしたいのに。まあ仕方がない。

 小説は怪異が見えてしまう青年の絵描きが友人の推理作家ともつるみつつ浅草に現れる怪異をながめつつ浅草界隈を歩いてグルメを満喫するといった展開。絵描きの青年は子供の頃から見えてしまってそれを母親に行ったら疎まれ友人からも嫌われていたけど、預けられた家にいた年上の少女は見えるタイプでその父親から恐れられなかったことをきっかけにポジティブになり、見えるものを絵に描いて人気となって画家になりイラストも描くようになったといった感じ。そして縄暖簾とか送り犬とか怪異なり幽霊なりを絵に描いて吸い込み封印することをやっている。そんな展開に登場するのがら麺亭であり神谷バーの上にある食堂。ほかいろいろ出てくるんで本を手に浅草を歩いてみよう。その前に1本、長い原稿を片付けないといけないなけれど。だからこそパソコンには動いていてもらわないと困るのだった。この調子だと保つかなしばらくは。


【4月6日】 そして目覚めるとアニメーション監督の高畑勲さんが亡くなられたとの報。しばらく前から体調を崩され入退院を繰り返していたという話だったけれど、そうした情報は表に出ないまま陰ではなかなか大変な闘病が続いていたという話。とはいえ年末から今年にかけてお目にかかった方もおられるようで、大林宣彦監督が余命半年と言われながらも存命のまま次の映画も作ると意気軒昂でいるように、高畑勲監督も病気と折り合いをつけながら次の作品のことを考えていてくれるんじゃないかと何とはなしに思っていた。でもやっぱり人間、寿命であったり病気であったりと生命としての限界には勝てないものなのだろう。82歳。大往生ではあるけれど、それでももうちょっとだけ生きていて欲しかった。せめて宮崎駿監督の次の作品ができあがるまでは。

 個人として映画館で見た高畑勲監督の作品は最後が「かぐや姫の物語」になる訳で、今はもうなくなってしまった有楽町マリオンの上のTOHOシネマズ日劇の1000人近く入るスクリーンで見たように記憶している。高畑さんの映画ならそこで見なければいけないような気がしたというか、それかそこしかやっていなかったというか。お客さんは決して大勢は入っていなかったけれど、映画はパステル画のような映像が華麗に動いて「ホーホケキョ となりの山田くん」の挑戦を久々に思い出した。逆に最初に劇場で見た高畑勲監督作品がこの「ホーホケキョ となり山田くん」になったりするのかもしれない。実は「火垂るの墓」と「となりのトトロ」の2本立を僕は劇場では見ていないのだった。

 この2作品が公開された1988年は就職もした年で、土日なんかも仕事があって劇場になかなかは足を運べず、後に宮崎駿監督の代表作になってしまう「となりのトトロ」を見るのは数年後、テレビ放送が最初になってしまった。そして「火垂るの墓」に至っては今になるまで全編を通して見たという記憶がない。断片として冒頭の清太が自分の死ぬ場面を自分で語るようなシーン、そして節子が死んでしまって荼毘に付されるシーンなんかを追いつつ戦災の中、孤児になってしまった兄と妹が苦労をしながら懸命に生きて、それでも生ききれずに倒れていくといったストーリーと設定を頭に入れ、それだけで胸がいっぱいになってなかなか見ようという気が起こらなかった。見れば泣いてしまうことが確実だから。

 続く「おもひでぽろぽろ」はテーマが地味すぎて行こうという気が起こらず、「平成狸合戦ぽんぽこ」も楽しそうだけれどちょっとなあと敬遠していた中で、宮崎駿監督の「もののけ姫」がとんでもない記録を打ち立て、スタジオジブリが世界に冠たるアニメーション制作会社となった次の作品として選ばれたいしいひさいちさんの漫画を原作にした映画が、いったいどんなものかを確かめに行かざるをえなかった「ホーホケキョ となりの山田くん」。まだ本八幡の駅前にあった古い映画館の小さな劇場で見たそれはやっぱりとんでもなくって、これ以降に高畑勲監督が自分で監督をしなくなったか、できなくなった理由もちょっとだけ分かった。そして14年ぶりとなった「かぐや姫の物語」は、これが最後になるかもしれないという思いもあっての鑑賞で、「山田くん」と同じような映像的な驚きと、そしてストーリーへの感嘆を覚えて次を期待したくなった。それももうかなわない。残念というより他にない。

 劇場アニメーションとしては「太陽の王子ホルスの大冒険」があり「パンダコパンダ」があってそしてテレビシリーズでは「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」「母を訪ねて三千里」があって「じゃりン子チエ」もあったりするから宮崎駿監督の作品以上に見るものは多く、そしてそこから学べることもたぶん多い。圧倒的な動きのすごみとどこへ連れて行かれるか分からないストーリーのスペクタクルが宮崎駿監督の特徴ならば、高畑勲監督の特徴は丁寧な演出であってそれは何気ない展開の中に気付かないうちに仕込まれていて、自然にそう感じさせられてしまうから普通に見ていては気付かない。でも、なぜそう感じるのだろうかと考えることでそうかと気付くことがある。だからこそ今一度、それらのテレビシリーズであり劇場映画を叙情とか、悲劇といったテーマ性だけでなく演出の面から語りつつ、上映し放映してその真価を後世に伝えるような活動を見たい気がする。そうすることで日本のアニメーションはさらに豊穣になって世界の追随を許さないものになると思うから。あらためて哀悼の意を示して黙す。ありがとうございました。

 海外でも高畑勲監督の訃報はAPやAFPなどの打電を掲載する感じで大手のメディアに掲載されていてUSA TODAYやニューヨーク・タイムズ、ワシンポン・ポストにバラエティ、そしてタイムにNBCといった新聞に雑誌に3大ネットワークがその訃報をちゃんと伝えている。日本でそれだけ即座に報じられる海外のアニメーション監督がいるとしたらジョン・ラセター監督くらい? 今敏監督の訃報がニューヨーク・タイムズとロサンゼルス・タイムズのサイトにトップで画像入りで掲載された記憶もあったりする中で、日本のアニメーション監督であってもしっかりとりあげ報じる姿勢が海外メディアにはあるなあと改めて思ったりするのだった。欧州でもフランスのル・モンドに英国のBBS、そしてフランスのエル・パイスが掲載。スペイン語での「火垂るの墓」のトレーラーもあって、見て設定を思い出してじわっときてしまった。続くように本編まるまるのスペイン語版もYouTubeにアップされていたけれどスペイン語でも見たらやっぱり泣くんだろうなあ。いつか覚悟を決めてみよう。それとも訃報を受けた追悼上映とかがあったりするのかな。それならそれで見に行こう。

 今日もきょうとてコンテンツ東京2018へと出向いていってファンワークスがNetflixで4月20日から配信する「アグレッシブ烈子」がどういった具合になっているかの話を聞く。サンリオのキャラリーマン選挙から生まれたキャラクターで普段はおとなしいOLがストレスをため鬱憤をためるとそれを晴らそうとひとりカラオケにいってですボイスによるデスメタルをうなるといったギャップの面白さで評判になり、「王様のブランチ」で1分間のアニメーションが放送されて2年も続いてた。とはいえ日本のOLに独自のライフスタイルだけにドメスティックかなあと見ていたら、むしろ海外で火が付いてBBCとかニューヨーク・タイムズに取り上げられる人気ぶり。自由を謳歌していると思われがちなアメリカンの女性もやっぱりガラスの天井を感じ、抑圧を感じるなかで大変な日々を送っていた。それがだから今のMeeToo運動につながっているんだろう。

 そうした抑圧からのささやかな解放をうたう「アグレッシブ烈子」はだからアメリカでも海外でも等しく女性の支持を得て、もっといっぱい見たいといった声が起こってNetflixでのアニメーション化につながった。ハイターゲット向けが多い中でこうしたものがどこまで受けるか、未だ半信半疑の日本に対してむしろ海外から早くやってくれといった期待があるとうからちょっと異例。だからといって言葉遊び以外のたとえばビールのラベルは下の向けるなとかいった日本の会社生活の“掟”めいたものもそのままストーリーに入れて残しているという。ネット時代はそうしたギャップも別のオプションで理解が広がる。番組だけで分からせなければいけなかった昔とは違う状況にあって、日本を出しつつ世界に受ける作品にしていくとのこと。デスメタル以外の音楽も取り入れ恋愛の要素なんかもあるかもしれないワールドワイド版「アグレッシブ烈子」。世界に旋風は起こるか。グッズが世界で爆発するか。こうご期待。


【4月5日】 試写会が開かれたようで武田綾乃さんの「響け!ユーフォニアム」を原作にした長編アニメーション映画「リズと青い鳥」がどういった内容なのかがジワジワと広がっている感じ。張り詰めたような雰囲気の中に響くノイズにも似た音楽がもたらす緊張感が登場人物たちの依存しあっているようですれ違っているようでもある関係性を意識させ、スクリーンから目を離させない作品になっているっぽいことが広まってきた。こう聞くとエンターテインメント性があまりなくってちょっと敬遠したいかもと思う人も出そうだけれど、とりあえず黄前久美子と高坂麗奈はちゃんと登場するしユーフォニアムも響くから期待はして言い。

 とは剣崎梨々花という1年生のオーボエ奏者がコメディリリーフとまではいかないけれども緊迫感の中にふわっとした空気をもたらしてくれるんで、その姿を見ていると逃げてばかりじゃいけないやって思えてくるから安心というか、先輩になるってそういうことなんだなあと思わせてくれる。良いキャラクター。もしも「響け!ユーフォニアム」の続きが書かれて久美子たちが3年生になった編が刊行されるなら剣崎梨々花も鎧塚みぞれの後を継ぐオーボエ奏者として重要な役割を果たすのかな。でもやっぱり久美子と麗奈のストーリーになりそう。久美子部長だし。その下ぜ全国目指すわけだし。

 しかしここまでアニメーションばかりを見て来て初めて、「リズと青い鳥」がどういった原作からの広い方になっているかを確認しようと小説を読んだらほとんど前任が関西弁になっていたというのは驚きだったというか、そっちから入った人には周知の事実であり驚きでもあったんだろうけれど、同じ強気のキャラクターでもリボンの大きな吉川優子が標準語なのと関西弁なのとでは何か持ってる強さの質が違うような感じがしないでもなかった。関西弁だと底堅い感じで標準語だと張り詰めている感じ。別に当人に違いはなくても印象としてそういったキャラクター性が浮かんでしまうんだよなあ。鎧塚みぞれと傘木希美の「リズと青い鳥」コンビが関西弁だったらどんな雰囲気の映画になっただろう。それは「映画 聲の形」の登場人物が岐阜弁だったとしても同じになるか。変わらないか。

 絵画に描かれたモチーフやら色彩やらを分析して研究するのが図像学なら、そうしたモチーフやら色彩によって見る人に影響を与え時に操ることすらするのが図像術って奴らしい。谷瑞恵さんによる「異人館画廊」がそんな図像術について詳しい18歳の少女にしてイギリスの大学で西洋美術史を収めた此花千景を主人公にしたシリーズ。自身にもそうした図像術によってもたらされた影響があり、また図像術を蘇らせようとする動きなんかも画策される中で、日本へと戻り画廊を経営する許嫁なんかもそばにいながら日々、持ち込まれる図像術がらみの事件なんかを解決しているといったミステリー仕立てのストーリーになっている。

 訳あって絵画や芸術が絡んだライトノベルなんかを引っ張り出す中で改めて読んだ最新刊では、かのルーカス・クラーナハが描いたとされる図像術絡みの絵画をなぜか模写できたらしい少女が自殺未遂をはかった事件に挑んでは、高校で美術を学ぶ少年少女たちの間に渦巻く才能への嫉妬と羨望が浮かび上がる。上手い者は下手な者を見下せるような空気感。そんなものが高校の段階であるならやがて大学に行ってより上手い人に出会っていったいどうなるか。地方の天才が中央の凡才以下になって挫折し苦悩しやめていく状況が生まれるんだろうなあ。そんな中で上り詰めてもやっぱり世に出てすぐにアーティストとして活躍できる訳ではない厳しさ。画家ってアーティストってどうやればなれるんだ。それを考え抜いて村上隆さんはメディアに露出しコンテクストを組み立て分かりやすさをのぞかせ世界に理解させた。その意味ではやっぱり努力家ななろうなあ。天才かは分からないけれど。

 そして気がついたら大谷翔平選手が第2号ホームランを放っていた。他にもヒットを放ってマルチ安打で前の試合を合わせるとヒットは5本。その前の試合で確か1本打っていたから通算で14打数6安打5打点ときっとカリフォルニア・エンゼルスでもトップクラスの打撃成績を収めているんじゃなかろーか。そしてその間に投手で1勝。ここで終わってもその衝撃から10年に渡って語られる怪物として記憶に刻まれたような気がする。イチロー選手はともかくとして松井秀喜選手のメジャー1年目が16本塁打で安打数は179。投手もやりつつだから果たしてここにたどり着けるかは曖昧だけれど100安打で10本塁打を打ちつつ10勝すればもはや伝説の域に入りそう。次の登板がいつかは知らないけれどその時の感じで以後、二刀流を貫かせるかそれとも打撃にこだわらせるかを判断することになるのかな。

 もうポン酢かと。もとよりタブロイドなんでテキトーさも一般紙よりははるかにイっちゃってたんだけれど、同じグループで目的のためには検証なんてなおざりにして都合の悪い情報は入れずに書き飛ばしては批判を浴びて謝罪までした以上、タブロイドであっても少しの根拠は添えるものかと眺めていたらまるで根拠なく憶測だけで印象を操作するような記事を掲載していたからタマらない。山尾志桜里議員が地元で1年のうちに440件ほどの駐車料金を払っていたという件。それが名古屋の錦であり栄だったからきっと歌舞伎町みたいな歓楽街で遊び回っていたんだろうというニュアンスを醸し出している。

 でもちょっと待て。なるほどネオン煌めく陥落街も錦三丁目にはあるけれど、大ぐくりで錦や栄は東京でいうなら銀座や赤坂といった感じ。そこに国会議員の関係者が会合や会食のために車を出してもきっと誰もとがめ立てはしないだろう。ちょっと離れた場所が選挙区なのにとも書いているけど、地元のどこにそうした会食会合を行う場所がある? それなりな人と会って話す場所として銀座赤坂あたりを指定し出向くことをおかしいと思わないのなら、名古屋の錦や栄も同じようなものとして勘定するのがベターだろう。1年365日を超える多さは気になるし、議員がいつも地元にいる訳じゃないことを考えるならなおのこと事務所の関係者はなにをしていたって気にもなるけど、それをつきつめ事務所が答えないなら現地を回って歓楽街に来ていたといった証言をつかみ、載せてこその調査報道。でもそれをするとただの繁華街飲食街での会合だったと分かるから、調べず印象をほのめかした? そうだとしたらやっぱりまずいよなあ。訴えられたらやばいよなあ。やれやれ。


【4月4日】 やっちまった感が全開というか日本相撲協会。舞鶴での巡業で挨拶の途中に倒れた市長を診て救命のために心臓マッサージをしていた女医さんに向かって、女性は土俵から降りてと何度もアナウンスをしたとか。客からの指摘に若い行司が先走ったって報もあるけれど、そうした状況を脇で止める親方は誰もいなかったのかというところがひとつやっぱり問題になる。市長については命は助かったようでそれが心臓マッサージのおかげかどうかは分からないけれど、それでもやっぱり人の命が関わる緊急事態に対して、伝統を盾に土俵を降りろと告げることが、この現代においてどれだけの非難を浴びるか日本相撲協会も親方衆も分からないとは思えない。でも言ってしまい放置してしまうところに何を大切にすべきかを間違って解釈し、実行してしまう人たちしかいないといった状況が浮かび上がってくる。

 元横綱の日馬富士関による高の岩関に対する暴力事件への対処もそんなひとつで、身内で決着を付けようとしたものの、常識と良識で判断しようとした世間とぶつかり非難を浴びた。でも改まったかというと矢面に立った貴乃花親方をつるし上げては同じ失敗をやっぱり身内の論理でまるめてしまった。それを理事会も評議委員会も良しとしてしまったところに浮かぶ変わりたくない遺志。でも今回の一件でそうした旧態依然とした体質に、さらなる非難が浴びせられることになるだろう。もちろんだからといって女性をどんどん土俵に上げろという訳ではない。やるべきことをやるべき時にやる体質。それがちゃんと作られていくかがこれからの展開かなあ。でもやっぱり変わらないんだろうなあ。

 VRやMRなど最先端のテクノロジーを使ったコンテンツがずらりと勢揃いするコンテンツ東京2018が開幕したんで見物に行く。注目は南国ソフトで、マイクロソフトのMRヘッドセット、HoloLensとセットで使い、バーチャルな物体に触れた感覚を再現するだけでなく、キャラクターの感情を触覚に変えて表現するデバイスを新しく開発して提案していた。どう使うかというとこんな感じ。バーチャルな女性の周囲に浮かぶさまざまな言葉をタッチして、女性に向かって言葉をかける。たとえば「髪型が可愛いね」とか、「ちょっと太ったね」とか。聞いてリアルだったら好感なり反感を抱くだろうし、表情だって変わるだろう。そんな感情を、南国ソフトではデバイスを通して触覚で伝えようとしている。

 その名も「ほろふれる」というデバイスは。プレートに取り付けられたリングに人差し指を通して、指をプレートに密着させつつ親指と中指でプレートの下にあるベースの部分を握って固定。その上で人差し指をタップするような押し込むと、指にさまざまな抵抗が感じられる。好感の時はすっと下り、反感の時は咎めるような感じに固いといった具合。その際にはCGのキャラクターの表情も好感反感に合わせた感じに変化する。バックにあるのは栗本鐵工所が開発したSoftMRF(磁気粘性流体)という素材で、VR ZONE SINJUKUにある釣りVRのコントローラーにも使われていて、無段階に抵抗を変えられるようになっている。

 南国ソフトではその技術を、人間が浮かべるさまざまな感情を触覚に変えて表現するために活用。感情を視覚だけでなく触覚で伝えるためのインターフェースとして提供していくみたい。もちろんバーチャルな物体の感触をリアルに再現することだって可能で、石膏像が現れた時には石膏像の固さを感じられるようにし、柔らかいものは柔らかい感触を作り出せるだろう。でもそれならすでにハプティクスがいろいろと実践している。もう一段階違ったところに触感を持って行こうとする実験。そのためのデバイスがいったいどういった展開を見せるのか。どんな感情にどんな触感がふさわしいかも含めて、これからの研究と応用が待たれる。

 南国ソフトはもうひとつ、「ホロストーリー」というコンテンツも出展していてその内容は「絵本の世界へ、共に」というもの。オスカー・ワイルドによる「幸福な王子」の世界に数人のプレイヤーと共に入り込んで楽しむことができる。使用するのは1台のWindows Mixed Realityと数台のHolo Lensで、最初はWindows Mixed Realityを装着したプレイヤーも、HoloLensを着けたプレイヤーも同じ3DCGで作られた空間の中に入って王子の像がツバメに宝石を届けて欲しいと願うストーリーを体験する。王子が金ぴかでなかなかにスタイリッシュ。声も有名声優さんらしいけれど誰だろう。ちょっと気になった。

 そして王子が宝石を届けたい相手を聞いたら、Windows Mixed Realityを装着したプレイヤーはVR空間の中を見渡して空中に浮かんだ島々を見渡しながら届ける先を探すことになる。見つかりそうで見つからないその島を、HoloLens越しに同じ空間を見ているプレイヤーはボイスチャットで伝えてたどり着けるよう誘導する。同じストーリーを体験しつつ、ゲームを協力してプレイする要素も盛り込んだ新しい時代のデジタル絵本。体験版はそこまでだったけれど、ストーリーはまだまだ続く感じて王子がボロボロになり、ツバメがヨレヨレになっていく展開を目の当たりにすることになるのかな。その後はどうなるのかな。完成版がデモされる機会があったら行ってみたいかも。

 コンテンツ東京2018では、キャラクターなどを持つ企業がライセンスを取引する第8回ライセンシングジャパンもやっていて、コトブキヤがフレームアームズ・ガールを大展開していて目にも鮮やかな縞々が見られてとても良かった。何が縞々かは聞かない。アニメーションの第2期も決まったみたいでのほほんとしながらもハードなバトルが楽しめる不思議なアニメにまた会えると思うとちょっと嬉しい。プラモデルのついていないBlu−ray BOXも出ていたみたいでこれはちょっと買っておいた方がいいのかな。あとは気になったのはソニー・ミュージックエンタテインメントの「大福くん」か。AnimeJapan2018と併催のファミリーアニメフェスタ2018に出展されていたのを見て、どこが出したんだと思っていたらソニーだった。デザインしたのはネットで話題のPantoviscoだとか。これからちょっと注目下も。

 何が問題かって嫌韓であり反中であり沖縄の反基地運動誹謗であり民進立憲民主等々の野党批判であり朝日罵倒であり与党というより安倍ちゃん大絶賛という目的のために事実をねじ曲げあるいは見ないふりをして自分達に都合の良い記事を下手が得ていることが、満天下に露見してメディアとして社会の木鐸としてイカガナモモノカと思われ敬遠されていることが最大の問題であって、そこんところを是正しないで上向きはおろか下げ止まることだってあり得ないにもかかわらず、そこには手を着けず下がるのは状況が悪いんだと逃避モードに入りつつ儲かっているらしいとネットに首を突っ込んだところで、そこでトンデモな牽強付会が繰り返されてはさらなる敬遠を受けポータルからも見捨てられてジ・エンドだと思うんだけれど、それを言ったところで聞く耳を持ってる感じでもないか。東京オリンピックは迎えられそうもないかなあ。はあ。


【4月3日】 南スーダンへの自衛隊派遣に関する日報に続いてイラク派遣に関する日報も発見されたそうで、まあ隠しておきたかったけれども出てくることはあるとして、無いと断言してしまったものが出てくるのはやっぱりいろいろと問題を引き起こしそう。というか無いと言ったものでもあったりするのが霞が関だとするならば、探せばあるいは焼失したとされる「竹内文書」なんかも法務省の地下倉庫に眠っていたりするんだろうかと思わないでもない。見つかったら皇統に関する常識も変わるかな。あるいは親魏倭王の金印とか。見つかったら日本に卑弥呼がいて邪馬台国があったことが分かる訳だし。平蜘蛛の茶釜なんかもあって欲しいかなあ。いっそ生きている源義経とか。奥が深いぞ霞が関。

 コンテンツ文化史学会の会長を務めている東北芸術工科大学の吉田正高教授が突然に亡くなられたとの報がネット周辺を行き交う。お目にかかったことがあったかどうか、記憶はあやふやながらも当方が報道として接しているコンテンツ関係の分野でアカデミシャンとしての立場からアプローチして、さまざまな研究成果を出していた方だといった印象。そしてコンテンツ文化史学会という研究と調査を旨とした団体で、しっかりとしたリサーチの上に定量的かつ実証的な研究成果を出して行ってくれていると思った矢先の訃報は、アーカイブといった分野がますます重要になるこの世界、そして歴史といったものの確証化が書かせないこの世界において大きな損失となる気がする。

 振り返れば2014年の1月早々に浜野保樹さんが急逝されて、映画やゲームやアニメーションに詳しく親しみも覚えている立場から、政府に対していろいろと意見ができる人材を失って衝撃を覚えていた上に、2015年の12月には数々のオタク系イベントを立ち上げて運営し、海外にも展開していたコンテンツプロデューサーの櫻井昌孝さんが駅のホームから転落して事故死するという事態が起こって、コンテンツという分野におけるかずかずの先駆者であり先導者を亡くしてぽっかりと穴が空いていた。そこに加わって穴をさらに広げそうな吉田さんの訃報。受けていったいどういった対応をすればいいのか。もちろん故人を悼みご家族やご友人一同に弔意を示しつつ、収集して実証していく人材をしっかりと育て支えていく必要がありそう。って僕に出来るのはその著作を買うことだけれど。継ぐのは誰だ。

 そして訃報は続く。「シネコン至上主義」といった連載をメールマガジンで行って本も出していた柴尾英令さんが突然に亡くなられたとの報。約束に現れず訪ねたら亡くなられていたとうのは朝に起きて来ず見たら亡くなられていた吉田正高さんとも共通する突然死的なシチュエーション。あるいは別に理由があったのかもしれないけれども、この春先に気温が急激に変化している中で体調の調節が追いつかなかったりしたのかなあ。寒い脱衣所から暑い風呂場に行ってヒートショックで亡くなる方が続出する冬にも似た現象でも起きているのかなあ。分からないけれども言えることは、さほど年齢に違いのない方の相次ぐ突然死的な訃報は、つまり自分にも起こりえる可能性があるってことで健康には気をつけ、夜はしっかりと眠りストレスもためないで生きていこう。そのあたり、閑職で月給もらってる人げんだから生きていることだけは出来そうだけれど。つまらない人生と命ある人生とどっちが良いかなあとは悩むけれど。

 カミツキレイニーさんがスニーカー文庫から「それでも異能兵器はラブコメがしたい」を出したんで買って読む。異能兵器がラブコメしていた。世界に5人くらいだっけ、地球をどうにかできるくらいの異能を持った少年少女が現れたとかで、それらを手に入れた国は世界において優位に立てるってことで見つけられればもちあげられつつ、他国からは狙われる羽目になっていた、そんな1人が日本にもいたみたいで、クラスの同級生がそんな少女でかつて小学校の頃に同級生だったという少年が話しかけようとしても、昔みたいな快活さが見られずいつもおどおどとしている。それでも誘って同級生の少年と、もう1人の少女といっしょに水族館にマンボウを見にいったら襲われた。

 中華系らしく迫ってきたけどその前に、とある事情で不死身にさせられていた少年がボディガードとして守って逃げ切ろうとしたところに現れたもう1人の異能兵器はあらゆるものを増量できる力を持っていた。もちろん自分自身も。そして命じられ嫌々ながらも逆らえない状況に追い込まれ自分をどんどんと大きくしてしまった中華系の異能兵器。すっぽんぽんで歩き回るその姿を実際に見られたらどんなに嬉しいかとも思うけれど、大きくなった分の質量とか分子構造とかどうなっているかにちょっと興味。等倍で大きくなっているのか増えているのか。増えていたら減らすの大変だしなあ。かといって分裂してたら違う生き物になっていそうだし。そういうことは気にしない気にしない。そして少年は記憶を失っていた異能兵器の少女とラブコメを演じるといった展開。落ち着いたものの異能兵器は未だ存在してラブコメをしたがっている。どうなる世界。そして新たな異能兵器は現れるのか。続刊があれば期待。あるだろうし。

 「響け!ユーフォニアム」に登場するキャラクターを描きながらもテイストのまったく異なる「リズと青い鳥」について「響け!ユーフォニアム」シリーズを監督している石原立也さんがコメントを出していた。曰く「僕が思うに、山田監督の作るフィルムはチリチリと痛痒い感覚と共にさらっとしたような、ヌメッとしたような、湿っぽいような鼻腔をくすぐる独特な感触がありましてこれがたいそう心地良いのです」。試写で観た今ならこの、痛痒い感覚というのはとても分かるというか、どちらかというとチリチリとした痛みの方が上回って身をさいなむ感じがあって、それが帰結へと向かって進む物語の中で少しずつ和らいで安心感へとつながっていく。「二人の少女が奏でる不協和音が心地良い、『リズと青い鳥』どうぞご覧ください!」というコメントにもあるように、安易な友情とか恋情に傾かずすれ違う関係、別々の人間なんだという確定を感じさせてくれる。その上に改めて重ねられる関係を見て友人って良いものだなあと思うのだった。僕には縁遠いけど。だからこそ見て泣くのだ。公開されたらまた見て泣こう。

 仏の顔なら3度までだけれどアートのパクりは1度までなら知らなかったで過ごせても、2度目はやっちゃいかんだろうというのが常識で良識。でもなぜか奈良県にある大和郡山市では透明な電話ボックスに水を満たして金魚を入れるアート作品を、かつてそれが最初に展示された大阪で同じものがあると福島のアーティストから指摘され、それが本当かどうかは判然としないもののそうだと気付いたことにして、続く出展を取りやめた経緯がありながら、やっぱりそれは違うものだからと堂々展示して指摘され、それなら自分がオフィシャルで作品を展示するんでと提案されたにもかかわらず、著作権には触れてないけど文句言われるんで引っ込めますという最悪の選択をしてしまった。展示してあるものが電話ボックスに金魚なら来場する人にとっては同じだし、元のアーティストだって自分の作品が展示されて嬉しいし、その費用をアーティストが持ってくれるなら地元だって万々歳。なのに誰かが間違いを認められず引っ込めるというこの展開に間違いを謝れない人の系譜を見るのだった。残念。


【4月2日】 オープン戦では投打共に振るわなかった大谷翔平選手だったけれどもデビューした試合ではちゃんと第1打席からヒットを放ってメジャーで安打を記録するという、全米の野球少年たちが1度は夢を見ることをやってのけただけでなく、今度は投手としてマウンドに立ってメジャーで1勝を上げるという、より難しさの増したことをやってのけるんだからやっぱり凄い。どれだけの野球少年たちが高校大学と野球をやってプロになりメジャーと契約してロースターに入りマウンドに先発で立って投げて勝利を挙げられるか、って考えた時にそれだけでも大谷翔平選手は凄いと言えるだろう。なおかつここから勝利を重ねていけば。プロとしては当然でもやっぱり凄いこと。そうなって欲しいと願いつつこれからの活躍を観ていこう。次はやっぱり打者での起用かな。

 いよいよもって動き出したメディア芸術センターの設立構想に関連して、安倍ちゃん大好き新聞あたりが「麻生太郎政権時代に『国立メディア芸術総合センター』建設計画があった。しかし、当時の民主党から『アニメの殿堂』『国営漫画喫茶』などと批判され、計画は中止に追い込まれた」なんて書いているけどちょっと待て。この一件は身内の自民党からも大批判が飛び出して、とりわけ今の外相の河野太郎さんが座長を務める自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトが真っ向から反対の意見を出していた。それは純粋に計画の無茶を指摘したものではあったけれど、情勢として麻生政権末期に党内でも敵味方が生まれる中、全面支援とはいかなかったのも実際。今なら上向け上で同じ計画が出て来たとしてもOKと言ったんじゃなかろーか。


 それともやっぱり前と同じように中身を精査してダメなら真っ当に反対をしていくんだろうか。当時の様子を河野さんはブログに「急遽、補正予算の話が出てきたので、お台場に、四、五階の建物という話が突如出てきた」「何をするのかもあやふやだ。アーカイブなのか、展示なのか、あるいはクリエイティブの現場を見てもらうのか、それらのすべてなのか」と書いている。箱に予算の117億円がすべて使われ、具体的に何を集めるか、どう展示するか、どう運営していくかがまったくの白紙だった。それがなくして国立メディア芸術総合センターなんてありえない。だから反対と言ったことは至極真っ当。ただ、それをクリアしたら果たしてゴーサインが出たかというと、麻生潰しの中でつぶれていったような気もしないでもない。

 河野さんはこうも書いている。「何を集めるのか。アナログで集めるというのが説明だが、アナログのもの、例えばアニメのフィルムなら、上映すれば劣化する。デジタルのままだと超長期の保存が難しい」「『ゲームなら、基板で収集するのか。漫画なら何を集めるのか。集めたものは保存が目的なのか、楽しんでもらう目的なのか」。何をどう展示するかを考えないで箱だけ作っても愚の骨頂とうのは当然。動物園だて檻を作ったところで中に入れる動物の種類が違っていればまったくの無駄になってしまう。ハードとソフトが一体で議論されてことのメディア芸術総合センター。それが片方だけという状況に異論をとなえるのも当然だろう。 そうした意見を持っている河野さんが、今回の構想に絡んでくれたら最高だけれど果たして。

 僕個人としては当時の箱だけの構想であってもとりあえず作っておけば、あとはソフトもちゃんとついっていったと信じたいところがあって、そのために浜野保樹さんとか竹宮恵子さんが尽力してた。構想を手直ししつつ推進することだって出来たけれど、自民党も民主党も今の構想はすべて悪といった雰囲気で蹴飛ばしてしまって、そして9年が経ったら同じ構想でも自民党万歳で反対したのは民主党だけって空気を作って差異化に利用する。そういった姿勢でちゃんとしたものが出来るのか。クールジャパンの尖兵として作られたリオのジャパン・ハウスだって予算がつかず回らないなんて話も出始めている。ロサンゼルスとロンドンに作られてもどこまで運用されるのか。そう考えるとメディア芸術センターだって今後の展開はなかなかに微妙。そこをしっかり精査し管理し運営していける人材がいれば良いんだけれど。上目遣いではなく公僕として国のためになると信じて活動できる人材が。

 元気があって前向きで時に傍若無人だけれどそれでも突破していくストーリーがずっと描かれていた「響け!ユーフォニアム」のシリーズでありながらも山田尚子監督による「リズと青い鳥」は線が細くなって音楽も牛尾憲輔さんといった具合に「映画 聲の形」からスタッフがそのまま起用されただけあって、繊細にして先鋭的な雰囲気を持った映画に仕上がっていた。それは親愛とも恋情ともとれそうな感情、救済とも依存とも取れそうな関係が2人の少女の間を行き来している、その最中に挟まって全身に細い細い針を突き立てられているような痛みを感じさせられる映画だった。いたたまれなさにも身を焦がされるけれど、それでもじっくりと目を開き、しっかりと耳を澄まして見入り聞き入る90分になっていた。つまりは素晴らしく凄まじい。そんな映画だった。刮目して耳そばだてて公開を待て。

 自分には奥行きのある風景に見えているものが他人には幾何学模様の平坦に見えたりするのをひとつには脳の認識の違いととらえることもあるけれど、立っている場所が違っているだけで同じ場所に立てば同じ風景なり幾何学模様に見えるといった可能性を次元のズレにあてはめて、ちょっとズレた次元で描いた風景画が元いた次元ではとてつもない抽象画に見えてしまって褒められてしまったからさあ大変。小海澤有紗という美大生の女子はそんな境遇に陥ってしまって他人とのコミュニケーションがなかなかとれなかったりするけれど、周囲ではぶっきらぼうな天才に見えてしまってなかなか大変な生活を送っているという、そんな設定の話が桐山なるとさんの「オミサワさんは次元が違う」(ファミ通文庫)。

 次元がズレても存在そのものはそこにいるから見えたりもする。でも言葉すらズレてしまって聞きづらくなったりするからそんな時にはイエスかノーかの棒を出して受け答えする。それもお高くとまっているととられて大変な小海澤さん。そんな彼女の大変さに気付いた経済学部からはるばる美術学部のあるキャンパスまで通っている大学生が、仲良くなりつつ仲違いもしつつそれでも同じ場所に立っていられるように頑張るというストーリー。下手な風景画なら抽象画に見えても下手なまま、それが凄いと思われるなら風景画だって凄いんだという理屈はそうかなあと思いつつそうだろうとも思うのだった。次元がズレても小海澤さんは美人のままだし。そういうこと? そういうこと。

 いやあ。とある南西地域における支局の長を務めていた頃、無から有を生み出して世間を震撼させたことが魔女とも錬金術師ともとらえられたか咎められ、任を解かれてしばらく漂っていたものの、そこは管理職になんかいかずしっかりと報道の最前線に抜擢されるんだからまさに会社の顔ってことなんだろう。その筆致を突き立てられた相手が抗議をして来ても、「つぶすからな」「ヘビみたいな男だ」「受けて立つよ」と堂々と言えるのも顔ならでは。そうしたブレイブな振る舞いが世間に報じられても、特に動じるとこはなく会社の顔を張り続けてくれそう。いっさいの干渉を跳ね返し反論も受け継げずに保たれる至高のジャーナリズム。とても僕にはまねできないや。まねしたくもないけれど。


【4月1日】 まだ普通に並んでいるかと思ったら刊行から10年は経っててその間にアスキー新書なんてものがどうなっていたか分からない感じで新刊が見当たらず、古本を取り寄せて読んだ小山登美夫さんの「現代アートビジネス」(アスキー・メディアワークス でキュレーターとギャラリストのみならず、アートディーラーとギャラリストというものにも違いがあることを知る。絵を仕入れて売るのがアートディーラーならギャラリストはハコを持って意識して若手の作家も仕入れ世に送り出して評判をつけて育てていく。そういうのって本来は美術館のキュレーターが行うもののような気もしていたけれど、イマドキというか昔から世知辛い美術館は評判になったものしか買わず見せない訳で、そこに紛れ込ませた若手の展示なんかも実際はギャラリストが間に入ってこれはと思う作家を美術館に送り込んでいるといった感じ。

 フジテレビギャラリーが草間彌生さんを送り出し西村画廊が舟越桂さんの名を高めそして小山登美夫ギャラリーは村上隆さんと奈良美智さんという現代アートの最先端2人を一時は抱えて売り出していて、そんな評判をだんだんと聞いて世間が騒ぎ美術館も買い出して今に至るといったところ。国立新美術館とか森美術館とか自前で美術品なんか持たず収蔵庫も置かずに巨大な貸画廊として運営されている一方、企業もコレクター的な役割を果たさないようになって川村美術館から名品が次々に流出していたりする状況下、発掘から育成を行うギャラリストの手腕も前以上に高まっているような気がする。とはいえ売り先が財布の紐を締めている状況でどこへ持って行く、ってことでここでも海外に早くから才能が流出していく可能性なんかを考えてしまうと,ギャラリストの意識も高く保つのが大変そう。日本にアートマーケットが成り立ち栄える日は戻るのか。なんてことも考えて今週いっぱい、考えよう。

 今度出るSKYHIGH文庫の如月新一さんによる「放課後の帰宅部探偵 学校のジンクスと六色の謎」(三交社)がなかなかに面白い。高校に進んで入る部活を決めかねている森山深緑という少年が、同級生の少女から“隠れ倶楽部”というものの噂を聞いて思うところがあって、先輩に尋ねに行ったら知らない女子の先輩がいて、自分がそんな“隠れ倶楽部”の部員でもしも知りたいなら課題をクリアすることといってミッションを手渡される。名を水縞白亜という女子の先輩によるミッションは図書館にこっそり本を置き、UFO関連の雑誌を閲覧し、そして1冊の本を借りて出てこいというもの。深緑は一部を残しクリアし、最後に噴水の亀をスキップして渡れという指令も実行する。

 そし白亜先輩のところに戻った深緑は、彼女がいったい何をしたかったのかをものの見事員言い当て、“隠れ倶楽部”なるものの正体を知る。なおかつ分かった亀をスキップして渡ることが意味するあるジンクスも。実行してしまったその身に起こることはいったい内、って興味も引かれつつ、同じジンクスを持った白亜先輩の周囲で起こるいろいろな謎を、深緑少年が観察とロジックで解き明かしていく。そんな学園ミステリになっている。たとえば昼となく休憩中となくパンを食べてる深緑の同級生のオタク少年に女子たちが話しかける理由とは? 傍目にはうらやましそうな構図でも、聞けばなんだというかやっぱりねというか。そういう理由でも話しかけられるなら僕も昼となく夜となくパンを食べるんだけれど。

 ほかには美術部で消えた真新しいパレットとパレットナイフの行方とか。知ってああそうかとわかる謎も、流れの中、常識の範疇うではなかなか気付かない。まさかそんなことって思ってしまうことをズバズバ言い当てていく深緑はなかなかのものだけれど、そんな彼が白亜先輩に振り回されっぱなしなのはどこか気に入るところがあったのかな。境遇を聞いて同情したとか。あるいは同病相憐れむという奴で、かけられてしまったジンクスの謎を解かないうちは離れられないとか。それは不幸になるというものと、幸せになるというものの両方があって本命はどっちだというもの。いくつかのエピソードをまたいで明らかになりかけたその真相は本当に真実か。それも含めて今後の展開と、そして深緑の推理が冴えるストーリーを読んでいきたい。続くかな。

 引きこもってFPSのゲームばかりに明け暮れていた少年が、どうも腐った食事ばかりを置いて行かれるので何があたっと部屋から出たら家族がゾンビになっていた。おまけに世界中がゾンビだらけになっていて、追われて逃げ出した先でまだ生きている少女と出会う。彼女はゾンビについてのエキスパート。映画ばかりみてもしもゾンビが出たらどう対処すべきかをずっとずと考えていたという。そしてそんな日が来て実行にうつして戦って生きてきて少年と出会い、さらにもう1人の狙撃のエキスパートも加えて始まる逃避行。榊一郎さんの「Zの時間」(HJ文庫)のそれがストーリーだけれど、ゾンビだらけになって回復不能な世界で今のところ3人だけが生き続けるなんて可能なのか。日本アニメ(ーター)見本市の「ヒストリー機関」で吉浦康裕監督がフィクションに出て来たゾンビものを「投げっぱなしなんです」と言っていたことに当てはまるオープンエンド。そこはだから頑張ってとしか言い様がないんだろう。ゾンビに誰よりも詳しい少女はそんな当然帰結を知っているだろう。頑張れるかなあ。自分だったら頑張れるかなあ。

 確かに台湾が香港のように中華人民共和国に組み入れられてしまったら、今とは違った状況が東シナ海に生まれ軍事的政治的な面でいろいろと変化が起こるだろうけれど、そうした状況を避けるべく台湾に対して日本がもっとアプローチすべきだという見解の中で、台湾を日本を守る「盾」だと表現するのは果たして適正なのかと考えると、自分たちにとって都合の良い「道具」としてしか見ていないようなニュアンスがそこには漂っていて、言い方にもっと気をつけた方が良いんじゃないかと思わないでもなかった某紙の某コラム。八紘一宇と言ったり五族協和といったり大東亜共栄圏と言ったりして平等博愛対等を歌いながらも内実は武力で押さえ心で見くだしていた過去の心理が、そのまま今につながっているよう。言われた方だって俺たちはおまえらの「盾」じゃないと思うだろう。そういった気配りも日本こそ大事、そして中国は大嫌いという意識の前では雲散霧消してしまうんだろう。書き手がそうなら載せる方で思慮すべきなのにスルーというもの同じ気持ちが載せる側にもあるからなんだろう。寂しいねえ。

 その某紙。もはや真っ当にして正当な思考などというものは、安倍様を称賛するという心意気の前にはすべて雲散霧消している様子で、曰く「公文書改竄も一部官僚が組織防衛目的に行った不祥事の域を出ない。果たしてこれが国家を揺るがす一大事か。国会議員が勾留中の被告に教えを請うたことの方がよほど国会史に残る汚点ではないか」と政治部長氏が書いていて呆然とする。官僚が国の行為を後々まで記録しておく公文書を勝手に改竄したんだぞ、後世に正しく伝えられるべき歴史をねじ曲げたんだぞ、すなわちこの国の形を大きく歪めて国への信頼性を大きく損ない世界からなんだあの国はと思わせている事態が「国家をゆるがす一大事」でなければ何だというんだ。ポン酢か。これを政治部長が言ってしまって平気だという状況に未来といったものへの大きなもやもやを感じないではいられない。言ったことをすぐに変え、言いつくろっては知らん顔をする政治家たちを身近に感じて入ると、綸言汗の如しとかいった故事などまるで気にしなくなるんだろう。やれやれだ。


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