縮刷版2018年2月下旬号


【2月28日】 これは笑えるというかあきれかえるというか、日刊スポーツのデスクらしい人が運動の部活に先生の時間がとれないなら授業を減らせば良いじゃないかとネットでコラムに書いて大炎上。そりゃそうだ、高校にしたってやっぱり本分は勉強であってそれをおろそかにして運動部の部活動なんて余技に生徒を浸らせる訳にはいかない。そして週休2日にしたら良いんじゃないかという見解を勘違いして週に2回の部活は少なすぎるとも書いていたりして、勘違いの重ね合わせで頓珍漢極まりないコラムになってしまった。本気で部活は勉強に勝ると考えているならとんだポン酢だけれど、そういう考えが何か深いロジックをもって出している訳でもなく、本気でそう考えている節があるだけにやれやれ感も深い。突っ込みも入っているだけに返事が待たれるところで、それでなお運動部は勉強を脇においてでもやるのが生徒の為とか言うなら、それこそ文部科学省がメディアとはいえデマはダメと指導に入らないといけないんじゃなかろーか。さてもどうなる。

 「宇宙よりも遠い場所」のひらがなの部分だけを抜き出して「よりもい」と称するセンスがどうにも気に入らなくて、それだと作品のエッセンスを何も伝えていないじゃないかと思うんだけれど、作り手にはそれがかっこいといった頭があるんだろうから深くは突っ込まない。「僕は友達が少ない」といった自虐のタイトルを略すのはちょっとかっこわるいんで、「はがない」と言ったのはなかなか巧かったんだけれど、そう思うのはネガティブさを露わにするのはペケだからで、「宇宙よりも遠い場所」という遠くを見つめるポジティブなタイトルからニュアンスを剥ぐのは逆にかっこ悪さを押し出しているように感じたからなのかもしれない。個人的な感想です。

 そんな「宇宙よりも遠い場所」でついに小淵沢報瀬らは南極に到達、といっても砕氷船から下りた氷の上で下はまだ海なんで南極大陸そのものに来たって訳ではない。ただもう目前の状況でここからいらぬ苦労をさせるってことはないだろうから、あとは南極についてのち、報瀬の母親の貴子がどういうシチュエーションからどこに行ってしまったのかを伝え、それを報瀬らがどう受け止めるかっていた展開が待っていそう。雪上車の中にいてうなだれていた藤堂吟隊長が無線で貴子らしい声を聞いた描写があったけれど、あれは寒さが見せた幻想をつぶやいたものだったのか、それともアブダクションされて宇宙に連れ去られた貴子が見た星の海への感想だったのか。どちらかで冒険ロマンがSFアクションに変わる。さてもどっちに? 楽しみだ。

 それにしても繊細なシナリオワークと演出で見せるし引きつけるアニメーション。ほとんどが外国での作画陣だったにもかかわらず甲板で報瀬がなわとびをとんでいる場面でジャージの胸が上下していてなるほどと思わせたりしたのもそれだし、ともに寡黙でコミュニケーションが苦手な吟と報瀬が偶然なら話せるといったことを連続して見せて対比しつつ、並んでペンギンを発見してハッとするシーンを織り込んで親子ではないのに似た者同士なところを感じさせ、2人の間をぐっと引きつける。ただの怖い上司に見えた隊長が実に人間らしいところがあると分からせそして、南極に辿り着いた吟が貴子を思って涙するシーンを入れてやっぱり自己表現が下手なだけで、しっかりと心は熱い人だと分からせた。巧いなあ。そんな上手さの積み重ねでいつも泣かされる。次もきっと驚かされ笑わされ、そして泣かされるんだろう。2018年は「よりもい」で決定! って使いたくないんじゃないのかその言葉。

 1990年2月に東京へと出てきて住まいを千葉県船橋市に置いてから28年がまるまる経って、その間に近くにあって何百回となく通った船橋西武が2月28日をもって閉店。駅ビルのにShapoがリニューアルして人の流れも南口へと向いてさあこれからって時に何で閉店と思わないでもないけれど、グループとしてあちらこちらの店舗を閉めている流れにあって商圏として狭く大規模な展開ができない店舗を開けておく訳にはいかなかったんだろー。反対側には東武百貨店があるからデパートが成り立たない訳じゃないけれど、さすがに2件は共存が難しかったかなあ。跡地がどうなるかまだ知らないけれど、駅前を廃墟にしておく訳にはいかないだろーから、早急に何か店が入ると思いたい。

 その時に果たしてどうなっているのかが気になってしかがたないのが屋上の羊。9階から出られる広いテラスのような場所には1990年に引っ越してきてからずっと羊の人形が群れでいて、ある意味で船橋西武のシンボルのようになっていた。最初はたくさんいたけれど、屋上でのビアガーデンとかいろいろ営業が行われるようになってだんだんと数が減って今は7頭が残るだけ。それもお正月向けに金銀銅のいろで塗られてそれが屋上せさらされ、廃れた雰囲気になっていて閉店する船橋西武をその意味でも象徴してた。この後どこへ行くんだろう。池袋西部の屋上にお引っ越し、なんてことはまずなさそうで閉店と同時にどこかへしまわれるか廃棄されるんだろう。だから心の中ではジャパリパークへと旅だって、サーバルちゃんたちと幸せに暮らしているんだと思うことにしよう。また会うときまでさようなら。

 突然のご不幸でなくなれてからほぼ1年。「装甲騎兵ボトムズ」や「鎧伝サムライトルーパー」のキャラクターデザインで根強いファンを保つアニメーターの塩山紀生さんが案ライズの作品向けに手掛けた主にイラストレーションの原画を展示する「塩山紀生 サンライズ原画展」が東京・市ヶ谷にある東京アニメセンター in DNPプラザで3月1日からスタートするってんでその内覧会が開かれ見物に行く。本当はストップモーションアニメーション「ぼくの名前はズッキーニ」の上映とともに片渕須直監督が登壇し、氷川竜介さんとトークを繰り広げるイベントがあったんでそっちに行こうとしてチケットも買ってあったんだけれど塩山さんなら仕方がない。「ボトムズ」はのめりこむほどではなかたけれども「太陽の牙ダグラム」は好きだったし、「無敵鋼人ダイターン3」のあのタッチはやっぱり塩山さんあってのものだから。

 どこか荒々しい雰囲気がありながらも細部は繊細で、そして色彩はなかなかに鮮やかだったしりして水彩画のような雰囲気を醸し出す。そんな原画が生で見られる展示会はたぶんそれほどなかったりして、やっぱり見に行って良かったと思った。なにより内覧会ということで、「ボトムズ」の高橋良輔監督と「ダイターン3」の富野由悠季監督が共に来場していて、並べてある原画を見たり壁にサインをしたりしていた。巧い絵を描く人を見つつ自身はそういうタイプじゃないからか、あまり乗り気じゃなかった富野監督を誘って引っ張りコメントを書かせたのが高橋監督。そこで「嫌だけど来たぞ」と書く富野監督は泣くなってしまった人を思い返すような場を好まないといった心境があったのかもしれないけれど、それでも塩山さんに贈る言葉を残そうとしたかった。だから書いたんだろう。

 そして富野さんに書かせて「塩さん頼んだら書いてくれたよー」と添える高橋監督。ともに今はもう会えない塩山さんを思い言葉を手向けてた。「ボトムズ」なんて常に現在進行形だっただけに高橋さんにとっては盟友を失い片腕をもがれたに等しいくらいの衝撃だっただろう。1年が経ってもまだそれは続いていると思うんだけれど、こうやって展覧会の内覧会にちゃんと駆けつけるところに塩山さんへの強い思いもうかがえる。「ダイターン3」「ボトムズ」「ダグラム」以外でも「サムライトルーパー」があってこちらは女子の人気を集めそう。展覧会オリジナルのグッズも作っていて格好いいイラストがポスターになって販売されていた。やっぱり「ボトムズ」が多かったけれどそれにはキリコがあってスコープドッグもあってとキャラもメカも用意。もりとん「サムライトルーパー」もあって「勇者王ガオガイガー」もあった。クリアファイルやポストカードもあるからボトムズ好きな男子からサムライトルーパー好きの女子まで駆けつけ賑わいそう。僕もまた見に行こう、あの繊細なタッチはやっぱり間近で見てこそのものだから。


【2月27日】 八木ナガハルさん、という人の漫画「無限大の日々」(駒草出版、980円)がドSFだった。どれくらいどSFかというと宇宙で異星人で科学で生命といった諸々に迫るSF中のSFだった。宇宙に広がるさまざまな星で発見されたオサムシは、同じに見えてそれぞれが独自に進化していることが分かった。人類の進出に伴いついていったものではなく、したがって人類の痕跡をそこに辿るのは難しと、研究費も打ち切られようとしているにもかかわらず、担当する機械人の教授は人間だった頃の脳髄を売って資金を得て、オサムシがいっせいに進化した謎を探るべく実験を行う。

 それが驚きの成果をもたらすという「SCF特異昆虫群」は、距離とは無縁に同時多発的に発生しては進化する生命の存在の裏にあるコミュニケーションなりネットワークの可能性を宇宙規模で示す。蟻たちがミサイルを撃ち合う「蟻の惑星」は、動物でも昆虫でも日々の生活の中でとんでもないものを生み出すことがあるという事実を、惑星規模で生きる蟻の中に見いだす。いずれもすさまじく生物SFであり宇宙SF。それらがふわりした絵で描かれるところに八木ナガハルという漫画かの特色がある。

 ドキュメンタリー監督の鎹涼子が見たあれこれを描くシリーズにとも言えそうな作品群では、地表からまっすぐいに延びる軌道エレベーターではなく、斜めに延びて地球を何周も周ってやがて宇宙へと到達するハイウェイが作られた真相に迫る「ツォルコフスキー・ハイウェイ」がなかなかに壮大。ラリィ・ニーブンとかジョージ・R・R・マーティンとかジョン・ヴァーリーといったあたりの壮大な宇宙物のSFに触れているような木にさせられる。同じく鎹涼子が登場する、幸運に支配された惑星を描く「幸運発生機」は機械が支配し人類が支配されているという形態の未来的なだけでなく、最大の幸運のために人権も意志も剥奪される描写が面白い。

 ぬぽぽんとした異種生命が知らず蔓延っては人類と交流したり、敵対したりしている粟岳高広さんのまったりとした作品と感じが似ているものの、割と地球に似た地域で別次元も交えてシチュエーションの異様さを描く粟岳さんに対し、八木さんの方は宇宙的にスケールがあって進化や変化といたニュアンスを取り入れハードでシリアスなテーマ性をそこに漂わせる。宇宙とロボットと昆虫と人間のさまざまな生命が出会い、それぞれの事情を抱え生きている様がどれをとっても海外SFの短編を読んでいるかのよう。とはいえそれを言葉で書けばまったりとした感じは消えてしまう。そこがだから漫画として描かれる意味なのだろう。杉谷庄吾さん「猫村博士の宇宙旅行」がワイドスクリーンバロックとしたら、こちらはハードSFソフト包み。その意味でも注目されて良いかも。

 「最獣要計画 Z」だなんて銘打たれていて、いったい何かを想像できない人はいないだろうけれど、そこは隠そうとするタカラトミーの戦略に乗って「Z」はマジンガーZであるとか機動戦士Zガンダムであるとか、やっぱり老人Zのことだろうと噂をしながら始まった会見で、明らかにされたのはやっぱり「ゾイド」の新シリーズ。1999年か2006年まで続いた第2期から12年ぶりとなる復活は、新たに「ゾイドワイルド」というネーミングを得て今までとはサイズをコンパクトにした上に、組み立てる楽しみというのを付け加えて子供の飽きっぽい心を掴もうとしている。

 ロボットのようなフレームの上にパネルをはって恐竜とか動物をモチーフにしたメカ的な生命体のゾイドを作り上げるのが今までだったけれど、今回は発掘して組み立てるというコンセプトを取り入れ、バラバラになった化石の骨を組み上げまずは骨格を作り、その上にアーマーだとか武器だとかをかぶせて1体のゾイドを作り上げる。ロボットとしてではなく生命体として印象づけることで子供が対象に関心を抱き安くなる、ってことなのかも。そして想定のサイズも小さくして、全長を8メートルほどにして搭乗員がコックピットの中ではなく、首とか頭にまがたるような感じにする。ちょっと大きな象といったところ? そうすることで自分に身近な存在として意識できる。

 これはアニメになった時に、ゾイドを自分の相棒としてそれぞれのキャラクターたちがかたわらに置き、操りながら戦うといった展開が可能になる。夏にはそんなアニメも放送されるみたいで、前のゾイドのロボットバトル的、あるいはロボット格闘技的な展開から集団での戦いめいたものへと変化したストーリーを楽しめそう。デスザウラーみたいに圧倒的な強さを見せるゾイドが見当たらないのが目下の迷いどころだけれど、だんだんと品数も増えてくればティラノサウルスをモチーフにしたものとか出てきてくれるんじゃなかろーか。とりあえず出たら1つくらいは買って組み立ててみるかなあ。ゾイドってほとんど知らないんだけれど、世代的に。

 衆議院で第1党となった政党の党首は首班として指名されることが半ば公然となっているこの国で、その第1党の自由民主党総裁がすなわち内閣総理大臣となることもまた半ば必然であって、つまりは総理と総裁は一体となって考えるべきだという前提に立つならば、過去に諸々あって2期6年と定められていたその総裁の任期を、他に余人を持って代えがたいといった外からの声を受けるといった体裁で延ばし3期6年にしたということは、すなわち総理大臣としての地位もそれだけ長く保たれるといったことになる。

 結果として最高権力者としての座に居続けようとしている今の日本の総理大臣を、潔くないといって非難するならば、同じように国家主席の座に2期10年という憲法の規定を書き換えてまで、無期限に留まろうとする中華人民共和国の習近平主席を権力に固執する人物と評することに異論はないだろう。それは逆に言うなら中国の独裁を批判する声をそのまま日本の総理大臣に向けることもまた当然だということで、そうした相互主義を安倍総理の応援勢力と批判勢力のどちらがよりつよく貫いているかというならば、別に安倍総裁=総理は嫌いでも中国の主席は好きといった人が決して多くはない雰囲気から、批判勢力の方がどっちも悪いと言っているような気がしないでもない。

 逆に中国嫌いの人たちが主席への批判を口にしても、同じ口で安倍総裁=総理の任期延長を批判しているかというとなかなかに見えづらいところ。民主主義国家における選挙で選ばれた人間だからといった擁護もありそうだけれど、そうやて選ばれようとも総裁になれるかどうかは自由民主党という政党内の思惑が大きく影響し、その結果として選ばれた総裁が総理大臣に指名されることを考えると、ストレートな民主主義的手続きによって選ばれたとは言えなさそう。だったら中国はどうなんだと比較してチャラにするより、中国もアレだけど日本もアレだよなあといった両にらみをここはすべきのような気がする。つまりはどっちもどっちであり、どっちも身を改めた方が良いんじゃないかってこと。でも決まってしまうんだろうなあ、総裁の3選からの総理大臣としての権力維持も、終身に近い国家主席としての基盤保持も。やれやれ。

 すげえなあ月刊HANADAの2018年4月号。どれもこれも朝日新聞への批判記事といった体裁でまるまる1冊作ってる感じ。保守なら今ある日本の問題を経済でも外交でも教育でもなんでもいいから書き記して訴えればいいのに、たとえ経済は株価が上がって万歳で、外交は中国封じ込めに頑張っていて、教育はもっと道徳やろうぜと安倍総理を讃える方向で論陣張っても、それはそれでオピニオン。そして朝日新聞を批判したって何もこの国の課題も訴えられないにも関わらず、瞬間の扇情で関心を誘えるからとそっちに走る。でもこれって新聞不信を招いて全部が没落するだけって結果が吉田調書あたりで出てたりするんだよなあ。雑誌は売り切って逃げられるけど、そっちに染まってしまった新聞は落ちるだけ。なのにいっしょに走っては、そんな雑誌の目次を掲げた全面広告を載せてしまう。刹那の情動を煽るんでなく長く読者の日常に資する情報を伝える立ち位置を、もう完全に見失ってしまっているんだろうなあ。やれやれ。


【2月26日】 マススタートなるどこか自転車レースの競輪にも似て集団で走りながら最初はゆっくりめ、そしてだんだんと速度を増してジャンが鳴ったら加速する感じのスピードスケート競技が、今回の平昌冬季五輪から種目として加わったみたい。その栄えある最初の金メダリストに日本から参加の高木菜那選手が輝いたのは土曜日のことだからもう話題としては新しくはないけれど、ああいった競技がどうして盛んに行われるようになってそしてオリンピック種目にまで入ったのかには興味があるところだったりする。

 すでにショートトラックという競技があって、これも集団で走るんだけれど、一瞬のかけひきやら一瞬のミスで順位が変わるという面白さ、それと誰かのミスに巻き込まれて集団で転倒するといったスリルがあって、それをショートではないスピードスケートでもやったら良いってことになったのかもしれない。夏季五輪の自転車競技でも以前はトラックでスプリントとか追い抜きのように2人で走って勝敗を競う競技がメインだったものが、日本の競輪を参考しにして集団で走りながら最後は一気に加速してだ入れが最初にゴールに飛びこむかを競うケイリン競技が加わった。これも見ていてどこで誰が抜け出すか、それを誰が阻止するかといったかけひきの面白さを堪能できる競技になっている。

これに倣ってスピードスケートでも、2人づつ走って純粋にタイムを競い合う、あるいは2組で同時に滑り出してやっぱり最終的なタイムで順位差をつけるパシュートといった競技に加えて、大勢で走って誰が最初にゴールするかを競うマススタートも加え、観客に楽しんでもらおうといったことになったのかもしれない。日本人選手がその第1号金メダリストになったのは偶然で、例えば競輪に慣れた日本人選手がオリンピックのケイリンで金メダルを取れないように、世界とはやっぱりある自力の差がマススタートでも日本を絶対的な有利とはしていない。それでも高木菜那選手が勝てたのは、ひとえに個人の資質であってかけひきも出来たことが、最後のコーナーでインを差して一気にまくり上げてトップでゴールする力となったんだろう。ここでの成果をお家芸としてプレッシャーを与えることなく、マッチした資質の選手を育て送り込んで次も勝てたら面白いし、そうでなくてもどういう勝ち方があるかを見るのも楽しそう。4年後への関心がつながった。

 これも土曜日に行われたカーリング女子の3位決定戦で、日本から出場したチームが見事に英国チームを下して銅メダルを獲得。ずっと五輪に出てはいてもメダルに届くかというとまだ遠そうだっただけに、ここで一気に世界との差を縮められたのは後に続く人たちにとって大きな励みになったかもしれない。もしかしたらこれで国なんかが本気で強化に乗り出してくれるか、っていうと過去にずっと五輪に出ていながらもチームは育たず今回出場のLS北見があって中部電力があってといた感じで、全国的に普及しているとはちょっと言いがたかったりする。

 かつて強かったチーム青森は今は休眠状態にあるという。プレーする子供達はいても、選手としてその道で行こうとなるとやっぱり支援は乏しく大変みたい。代表に選ばれてようやく支援も出るみたいだけれど、それでも全体の3分の2止まりで、残りは選手やチームが自分たちでスポンサーを探すことになる。それでいてメダルをとればしゃしゃり出てきて自慢げな顔をする為政者がいたりするところに、腹が立つやら呆れるやらといった感じ。調子の良いときだけ出てきて親戚面するヤカラとこれではあまり変わらない。日頃からどれだけ支援していけるかを、今回の五輪で漏れ伝わってきた冬季競技の選手たちの苦労から国とかに感じとって欲しところだけれど、そういった考えはあるかなあ。

 下町ボブスレーとかいって国が国威発揚めいた態度で持ち上げたボブスレー競技は、国からお金も回してマシンを作ろうとはしていても、日本国内で競技したいという選手は、メインの練習場所となっている長野のスパイラルが閉鎖され、国内で同様の競技を行える場所がなくなってしまった。オリンピックが終わった後でも平昌にいけばコースは残るから練習も競技も出来るけれど、それだって日本からだと遠征などの費用はかかる。地元にあってこその競技者育成になると思うんだけれど、そういった考えは国にもなさそうだし自治体にも費用負担は大変そう。だったら企業がってなるけれど、下町ボブスレーにはいっぱいステッカーは貼ってもスパイラルをネーミングライツで運営したい企業はいなさそう。そりゃ冬しか目立てず競技も行われなければ支援だってできないよなあ。そんなちぐはぐなこの国のスポーツ振興施策。20年後が大変だ。

 台湾で起こった地震に際して寄付をするならどこが良いかでここはイケナイと特定の窓口を挙げてデマを流した人が、批判され暴かれて大変だって話が毎日新聞に載っていた。つい軽はずみでツイートをしてしまったこと、それが住所まで暴かれる大事に発展するネットの恐怖としてとらえられがちだけれど、この問題はこのツイートをした人にが、深く考えることなしに脊髄反射的にこうしたツイートをしてしまうくらい、心身にこうしたデマゴーグが染み渡っているってところにあったりする。

 募金に関する窓口のピンハネデマとかどこかの国に流れているんじゃないかデマってのは、この5年とか10年くらいの間でネットを中心にじわじわと広がり、多くをそう思わせてしまっているところがある。今回のように批判され謝罪に追い込まれたところで、噂そのものはすぐには払拭されず、信じ切った人がまたどこかで同じような考えを発信してしまう可能性は低くない。空気として、あるいは底流として存在しては事あるたびに吹き出して来る。

 某国際政治学者のスリーパーセル発言然り。あれも空気のように拡散された彼の国に対する批判なら何を言っても許される的気分が背景にあって、そして出て批判されても気分は晴らされず居座り広がってまた繰り返されてそして……といった感じ。なんでこうなってしまったかなあ。それは情報がダイレクトかつフラットに提供され拡散されるネットのせいでもあるんだけど、そうしたネットに対抗し得る言説を良心とともに繰り出し対峙する既存メディアの言説が弱かったせいでもあるんだろうし、今や既存メディアがアクセス稼ぎのために気分の言説を集め濃縮して拡散しているんだからどうしようもないのだった。行き着く先は何処。ろくでもない未来しか待ってなさそうでゲンナリ。

 どうやら権利元がちゃんとライセンスをしているということらしいので「けものフレンズぱずるごっこ」を起動してステージ100までどうにかこうにかたどりつく。並べて消していくってパズルで、それでパネルの部分を全部消すとか多く消して得点を稼ぐとか、隠れているボスを探し出すとかセルリアンを隅っこまで移動させるといったプレイがついてくる。最初はクリアできなくても何度かやっていると不思議とクリアできてしまうんで、ついつい重ねてプレイしてしまって気がつけば何時間も経っていた。そこに「けものフレンズ」が必用かと言われると難しいけれど、「けものフレンズ」のスキンが被せてなければプレイしていなかったって意味では看板にはなっているんだろう。キャラクターグッズとはまあ、そういうものだから。次はステージ200までクリアだ。


【2月25日】 いまや美大系アニメーション作家なり個人アニメーション作家のショウウィンドウを化している「ポプテピピック」が今度は胡うえいうえいさんと佐藤美代さんという、ともに東京藝術大学大学院のアニメーション専攻を修了したクリエイターを出して着た。胡さんは1年次の七面鳥が動き回るアニメーションが妙に記憶に残っていた人だけれど、「ポプテピピック」で繰り出してきたのはベーコンがベーコンを焼いてベーコンにやけどするという意味不明のシュールな作品。それが原作にあるかは読んでないので確かめられないけれど、学生時代の作風とはまた違ったところを攻めつつ平面の中に動きをもたらす作風は残しつつといった感じを見せてくれた。ずっと活動してたんだなあ。

 佐藤美代さんは「きつね憑き」という砂絵とペインティングを混ぜたような作風でもって民話の類いを描いていたアニメーション作家で、この作品で毎日映画コンクールにもノミネートされた。その後に「モブサイコ100」というバリバリの商業アニメーションでエンディングを担当してちょっと話題になっていたけど、「ポプテピピック」ではサンドアートのアニメーションでポップな枝を描くという無茶と、そして花咲かじいさん的な民話的世界という自身の世界を混ぜて提示してきた。これまた話題になっているからやっぱり見た人には衝撃があったんだろう。学生アニメーションを見慣れているとああやってるなあと思いほくそ笑むだけなんだけれど、テレビアニメという場で繰り出されるとやっぱり違和感込みでインパクトもデカいというか、そういった混ざり合う驚きってのをきっと狙っているんだろうなあ、監督は。

 佐藤美代さんが毎日映画コンクールにノミネートされた前年に同じ毎日映画コンクールで大藤信郎賞を獲得した小野ハナさんも当麻一茂さんとのユニットUchuPeopleでアース・ウィンド & ファイアー−もどきのフエルトアニメーションを送り出してこれまた衝撃を与えてくれた。東京藝大院からの挑戦がこれだけ続くとついつい「ズドラーストヴィチェ」の幸洋子さんとかルミネのCMで知られるシシヤマザキさんなんかの参加も期待してみたくなるし、異色さで言うならひらのりょうさんとか「MAZE KING」のキム・ハケンさんなんかが「ポプテピピック」をどう描くかも気になるけれど、やっぱり師匠の山村浩二さんにここは登場してもらいたいところ。まあ難しいだけれどそれなら山村調のを1本。やれたら「ポプテピピック」はサブカルクソアニメから昇格でアートネタアニメとして永遠に讃える。永遠に。

 「ダーリン・イン・ザ・フランキス」はついに廃棄された町並みなんかが登場してきたけれども雰囲気としてはモロに日本の住宅街といった雰囲気でヒロとかイチゴといった名前もどうも日本っぽいからやっぱり日本人の末裔ってことなのか。少なくともオリオン座があるから地球ってことは確か。その未来を舞台に描かれているとするなら現実にはいない叫竜とはいったい何者か、どうしてマグマエネルギーを狙って襲ってくるのか、そしてフランクスに乗る子供たちは生殖を知らず性行為とも無縁そうな教育の中に育てられているのか。そんか彼等が出産について学ぶような本を拾ってしまところに何か作為はあるのか。いろいろ気になるけれどそんな謎なんて吹っ飛ばして最終回までいってしまいそう。そもそも何クール作品なんだろう。水着祭りはイクノの勝ちかなあ、眼鏡でセパレートに勝てる者なし。絶対にだ。

 ほかにミステリのシリーズはないからたぶん単独での新シリーズ立ち上げだと思うけれど、はっきりしたことは分からない三門鉄狼さんの「探偵女王とウロボロスの記憶(講談社タイガ)は若くしてミステリの俊英としてデビューした庫院薫子が探偵役となってとある学園で起こった事件に挑むといったストーリー。その事件とは聖信光学院という女子校で元生徒会長の美嘉一見麻莉という少女が屋上から突き落とされて転落死、したはずなのに消えてしまってそして学園の中に出没するといったもので、生徒たちは以前に起こったという聖女の復活伝説の再来と崇め奉る。もっともそんなことはないと断じる一派もあって学園内に喧噪。そのため薫子の周辺で助手として面倒を見ている涼晴人が、学園に通う知人の連れられまずは調査に赴くと、前に1度転落して消えた元生徒会長がまたしても屋上から転落して今度は確実に死んだだろう姿を目撃する。

 いったい誰が。屋上に上がって見渡したものの犯人らしき存在は確認できず、そして戻るとまたしても落ちたはずの元生徒会長の姿が消えていた。いったい何が起こっているのか。愛車デューセンバーグを引っ張り出しては学園に乗り込み調査を始めた薫子の前に真実が次々と明らかにされていく。人間が見たものと見たかったものとを混同して記憶を捏造してしまう傾向を踏まえ、元生徒会長を突き落としたという黒い男の正体を暴き、絶対的な信仰が崩れた時に起こるだろう反動めいたものを検討し、誰がいったい何を狙って最初の突き落としを行い、そして2度目の突き落としが起こったのかを突き詰める。そして真実が見えてくるものの、その向こうにもうひとつの真相めいたものが現れ薫子の前に将来何かの影響をもたらしそう。それは敵として? そんな可能性も想像したい。突拍子もない推理ではなく観察とロジックをたてにして、人間の曖昧な想像をも加味して虚構や願望を払った真相を見つけ出すストーリー。続きはあるか。それまでに探偵女王シリーズの新作は完成するのか。いろいろと期待。

 今年こそはとの期待も込めてJリーグの第2部に属するジェフユナイテッド市原・千葉の東京ヴェルディとの開幕戦を味の素スタジアムまで観に行くと、ピンク色をした復路を持った王国民がいっぱい歩いていた。すぐ隣にできたアリーナで田村ゆかりさんのバースデーライブがあるらしい。いったい何歳ってもちろん17歳に決まっているじゃないか。以上。もしも東京ヴェルディの試合がアビスパ福岡だったらきっとライブのリハーサルなんて放り出して味スタへと駆けつけたかもしれないなあ、田村ゆかりさん。地元のアビスパ福岡を大応援しているらしいし。試合は2点を奪ってFC岐阜に勝利したみたい。主題歌を歌っている「のうりん」ともコラボしていたFC岐阜との試合はある意味で田村ゆかりダービー。奉るご本尊が応援するアビスパ相手ならFC岐阜も負けて本望? それはないか。

 さてジェフ千葉の試合は早々に増嶋竜也がゴール前に抜け出したヴェルディの選手を倒して1発退場となって数的に不利な中で試合が進む。攻めてもゴール前でクロスの精度が低かったり持ちすぎたりしてタイミングが合わず奪えない中でヴェルディが1点を奪って今回もやっぱりアウェイは弱いのかと思った後半、ラリベイ選手がたたき込んで1点を返して同点となってどうにか形は作れたと思ったところで相手に与えたコーナーキックから押し込まれて再びリードを奪われそのまま試合終了。黒星からのスタートとなってしまった。

 1人少ないというのはあったとしても、サイドからボールを放り込んでそれがトップに届かないようなクロスの精度のつたなさ、センターを突破していくようなパスワークの足りなさがあって形を作れていないといった印象。放り込むならターゲットにしっかりと当ててそれを拾う動きを見せないといけないのに、どこか漫然としたところが漂っている。もとtサイドからのクロスの精度を上げつつ中央での人数を増やすのか、真ん中からでも崩せるようなパスとランを鍛えるのか。始まったばかりとはいえやることが多そうなこれから。初夏までにエンジンをかけてそこから加速していって欲しいけれども。ゴールキーパーのロドリゲスは守備範囲が広くそして反応も最高で何点も防いでた。これはやってくれそうだ。次はやっぱりホームのフクダ電子アリーナにも行ってみよう。

 日本SF大賞が決定して飛浩隆さんの「自生の夢」と小川哲さん「ゲームの王国」の2作品が選ばれた。飛さんは以前に「象られた力」で受賞しているから今回で2度目。歴史ある日本SF大賞でも本賞で2度はないはずで、世界初の快挙を成し遂げたのが本格SFをずっと紡ぎ続けている飛さんならうん、当然かなあと思うと同時にノミネートさえされれば同じ快挙を成し遂げられそうな人たちがなかなか残れない状況もまた改めて感じるのだった。北野勇作さんとか。宮内悠介さんとか。そのあたりはいずれ改善もされてくと思いつつ、小川哲さんのような新しい才能がしっかりと認められる状況の素晴らしさもまた感じたい。途中までで止まっているのを読み切らないと。


【2月24日】 真ん中あたりにストーンを置いてまっすぐ投げられないようにしても、その脇を過ぎてから曲げてハウスの真ん中あたりにストーンを持ってきた韓国。ならばと日本も曲げてサークルの真ん中に1番近いところに石を置いてこのまま過ぎれば勝ちだったところを、韓国はそれより近いハウスの真ん中にストーンをピタリと止めてポイントを奪って見事、決勝へと駒を進めた平昌冬季五輪カーリング女子。初のメダル確定とは行かず日本代表としては残念だったけれどそれでも4位以内を確定させたその活躍は褒められるべきだし、同じように銀メダル以上を確定させた韓国代表もやっぱり内外からその奮闘を褒められるべきだろう。眼鏡がどうとかガンプラがどうとかいったことを抜いて。

 というかそうした雑音がこの競技だと妙に多くなる。おやつタイムに食べているものが何だとか会話する時の相づちの「そだねー」がユニークだとか。それはなるほどコミュニケーションの良さを裏打ちはしているけれど、競技においてどれだけ優れたプレイをしているかといったこととは直接的には関係ない。そうした解説が必用だしそうした場所に立てたチームが日本でどれだけの艱難辛苦を乗り越えてきたかもクローズアップされてしかるべきだろう。メダルがとれたところで報奨金なんて出ないくらいの厳しい環境。プロとして食べられる訳でもない競技生活をくぐりぬけてその場所に立ったとたん、もてはやされて旬の扱いをされても五輪が過ぎて1年も経てばだれも関心を示さなくなる。そういった現象をカーリングは幾度となくくぐり抜けてきた。

 それこそ準決勝に進んだ段階で総理大臣が声をかけて激励するくらいのことをすれば良いのに、金メダルを獲得した選手にしか価値がないような雰囲気でもって総理大臣は選手たちを取り扱う。金メダルの選手には電話をしても銀メダル以下ではどうなのか。なおかつ讃えるときも自分が日の丸を持つ写真を載せる目立ちたがり屋の眼中に、カーリング女子のこれまでの4年間、いやそれ以前からの8年12年16年20年といった歴史なんてまるで入ってないんだろう。羽生結弦選手や高木美帆選手に国民栄誉賞? 金メダルだけがスポーツ選手の価値だといわんばかりのそんな振る舞いを誰か止める人はいないのか。いないんだろうなあ官邸にも、そして取り巻きのメディアにも。ハーバードを出てハンガリーからスキーのフリースタイル女子ハーフパイプに出場して何もしないエリザベス・スウェイニー選手のそこまでの頑張りを讃えられる世界でありたい。オリンピックって、スポーツってそういうものだから。そういうものだったから。

 人は変わるものだけど、変わりすぎているじゃないかと思った高津雪那・鎌府女学院学長。かつてお特戦隊の1人として大荒魂の討伐に向かいながらも役に立てずに途中で交代。その時のトラウマがあって今なお折神紫に尽くしているというのは分かるけれども弱々しかった性格が猛々しくなってまるで別人の様。とはいえ紫が人間ではなく大荒魂の化身か何かとおそらくは知り、だからこそ刀使たちに荒魂から抜いたノロを注射して異能を発動させるなんてことを平気でやっているのは、紫を信奉しているって以上の変化があるとしか思えない。だってもはや相手は紫ではなく大荒魂なんだから。それでも付き従うとうのは正義を燃やした紫の精神ではなくその外見をのみ信奉していた現れか。それともやっぱり今も紫は紫で何か思惑があって大荒魂と同居しているのか。ノロ集めのためだけとはいえしっかり討伐もしてる訳だし。その狙いがいつ明かされるか、それが何かに目下注目

 永遠に近い命の中で得た出会いをすべて別れに変えなければならない身を呪い、そんな生を厭いどうにかして身を滅ぼしたいと願う者たちの慟哭を幾度となく聞いてきた。人魚の国を食べて不老不死となった少女が出家し人の生と死を見つめ続けた八百比丘尼の伝承しかり、眷属を得たもののすぐに失いそして彷徨い歩いた果てに日本で消滅することを選ぼうとした「傷物語り」のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードしかり、不死の運命をいつか誰かに渡して死にたいと願っていた「コードギアス 反逆のルルーシュ」C.C.しかり。

 人の子の運命は短いといつしか交わりを経った妖怪たちも「夏目友人帳」に多く出てきた。100年に満たない人の人生の儚さなど気にせず超越して当然に存在ですら、人と交わりそししていつか必ず分かれてしまうことを悔やみ、そんな身になった自分を呪う。なぜなのか。人からすれば永遠の命など悪魔と契約してでも得たいものだと思っているにもかかわらず、得た者たちは総じてそうした運命を厭う。どうしてなのか。それは、そこに「愛」という感情が芽生えてしまうからだろう。慈しみ守りたいと願う「愛」という感情がを知って、そしてそんな「愛」が奪われ壊れてしまう悔しさと寂しさと苦しさを知ってしまうからだろう。

 人の生など関係ない。短い命など知ったことか。そう超然と構えてさえいれば別れの哀しさなど浮かばない。永遠の命を捨てたいなどとも思わない。天上天下唯我独尊。自分さえ在ればそれで良いと確信していれば何も怖れることなどない永遠の命が、けれどもやっぱり辛くて苦いものだといったニュアンスで描かれ続けるのは、どんな存在でも「愛」なくしては存在できないことの現れなのかもしれない。人魚でも。吸血鬼でも。魔女でも。そしておそらくはアンドロイドでも。

 イオルフの民の長老はそのことを強く分かっていたのだろう。だからマキアに、そして同じイオルフの民たちに人を愛することをしないようにと諭していたのだろう。けれどもその長命とそして永遠に近い若さを取り込もうとメザートという王国の軍勢が攻め入り女たちを連れ去り男たちはおそらく皆殺しにされ、レイリアという少女はメザートの王宮に召し出されて王子の子を産むことを強要された。そんな騒乱の中からひとり、マキアという名の長老の下で暮らしていた少女は、暴れ出したレナトと呼ばれる空飛ぶ獣に引っ張られて離れた森へと投げ出され、そこで盗賊か何かに襲われた馬車を見つけてその中で産声を上げていた赤ん坊を拾う。

 母親が握り守っていた赤ん坊を、母親の指を折り開いて引っ張り出し、居合わせた男の忠告も聞かずに連れて言って育てようと決心する。行き会わせた農場の親切な女将ラシーヌに面倒を見てもらい、機織りもしながら暮らしていく。いわば母子家庭。それも血のつながりはない。それでもマキアは拾った赤ん坊を我が子と思い育てる。いっしょに暮らしていたラシーヌの家もラングとミドという2人の息子と暮らす母子家庭ながらもチーズを作り毎日を懸命に生きている。そんな中で変わらない姿の母親を、まだ気にすることなく成長していったのがエリアルと名付けられたかつての赤ん坊。母親を母親と慕うその姿にマキアも親としての自覚を育んでいく。そして愛も。子供への愛というものも。

 だからこそやがて来る別れにいろいろと苦しみが生まれる。悲しみがよぎる。成長しないイヨルハのことをラシーヌたちは知って分かっておいていた。それでも周囲は不審がる中でマキアはエリアルを連れて村を出て、いろいろな場所で暮らしていく。そんな日々の中で母親のためにと頑張ったはずのエリアルをやや疎んじるマキアの姿は、親の心子知らずと言いたくなる親の半ば身勝手な感情も少し表し親たちをハッとさせる。子たちもグッと感じさせる。そんな関係性を見直させる物語が演じられる。

 やげてマキアすら追い越していくエリアルに、それでも母親として接しようとしてもエリアルがついてけずにいる。兵士となって出て行きそしてマキアには違った運命が待ち受ける。騒乱。邂逅。そうした中でマキアとエリアルは存在していた愛を改めて確かめ合う。それは別れの哀しさを誘うための毒薬ではなく、今を素晴らしいものに変える妙薬なのだと知る。別れは必ず訪れる。命の長さにかかわらず誰かは誰かと必ず別れるそれでも苦しまないのは今、そこにある愛を精一杯に感じているからだ。いつか来る別れすらも、今ある愛を最高のものにしてくれるスパイスなのだと思えば別れも寂しくない。悲しくない。そんなことを思わされる。

 もちろんマキアひとりが別れを多く受け止めるのは不公平かもしれない。マキアにとっては苛酷なことかもしれないけれど、だからといって出会わずにいて愛さずにいた方が良かったとマキアは思ったか? そうではない。決してそうではないと物語のラストに描かれる別れの儀式が感じさせてくれる。別れがあるのは出会ったから。その出会いが何にも勝る喜びなのだ。そう教えられる。岡田麿里監督による長編アニメーション映画『さよならの朝に約束の花をかざろう」とはそんな作品だ。

 岡田麿里さんという脚本家が監督としてどこまで演出に携わっていたかは判断できない。場面場面の見せ方にどこまで関与していたのかはコンテを読んでみないと分からないけれど、書いた脚本から浮かぶ別れを愛の結晶と感じさせてくれるメッセージ性を、どこか世俗を離れて浮き世に生きていたマキアが、あたふたとしながらも精一杯に生きていく中で表情を豊かにし、感情を露わにするようになった、その姿に岡田麿里の監督しての差配が乗っているのではと思いたい。心情を書けるからこそ描けるのだと思いたい。

 浮き世を離れつつも伝説ではなく、高級な布を織る一族だと知られていたイヨルハがどうして、誰からも保護されずタブーなどに守られもしないでコミュニティを維持し続けていられたのか、それがどうしてメザーテだけの暴虐を受ける羽目になったのかが少し分かりづらかった。他が手を出そうとすればいつだって出せたのではないか。レナトでなければたどり着けない場所でもないだろうに。そう思うけれどもだとしたらやはり世界にひとつの倫理があって、それに守られながらも倫理を外れた者がいつしか生まれ、禁忌を犯したのだと考えよう。だからこそ滅せられたのだとも。

 もうひとつ、気になったメドメルのその後、か。あの場所に留まったところで監禁されるか陵辱されるかどちらか。滅びた国の王族などそんな運命に甘んじるしかほかにない。だとしたらマキアとレイリアはメドメルを見捨てたのか。その腕に抱きしめられなくても思い続けたメドメルをレイリアは突き放したのか。もしかしたらエンディングにヒントがあるかもしれない。考えたい。ともあれ圧倒的な美術の中、深くてそして普遍とも言えるメッセージ性を持った物語が描かれるアニメーション映画がここに誕生した。見て考えよう、今をめいっぱいに生きて愛して別れを喜びに変えるための道を。そんな道を自分の足で歩んでいくために必用なことを。


【2月23日】 無言のリリースが行われてから1日が経っても公式からリアクションが出ない「けものフレンズぱずるごっこ」をダウンロードはしたものの始める意欲が起こらない中、はやくもバージョンアップが成されていて作り手としてはちゃんとサポートはしていく意思がある感じで、それだけのことをするからにはやっぱり本気がそこにはあるといった印象。だからもしも問題があるとしたら権利元がどういったマネジメントを行ったかってことになるんだけれど、画像も音楽も良いからそれらを使ってと言ったのだとしたら何とも愛のない話。そしてそれを許した権利元がいるとしたらどういった態度で「けものフレンズ」というIPに臨んでいるのか。いろいろ気になっている。それともやっぱり海賊版? まさかなあ。だったらそれこそすぐに声明でるはずだしなあ。

 そんな「けものフレンズ」がしまくらとコラボ−レションしてパーカーとかTシャツを作ったんで買いに行く。とりあえず調べたら津田沼駅前にあるパルコの中に店があるようなので行ってそこではパーカーは1人1着限定だったので黒時でフードの裏がジャングル模様のパーカーと、そろいの丈がちょっと短いパンツを買ったけれどもはいていく場所なんてなさそうだからパーカーは外、パンツは中で着ることになるのかな。あとは黒地のTシャツで合わせると田舎のヤンキーがコンビニに買い物に行くようなファッションができあがる。田舎のヤンキーもどきなんでまさに相応しいけど近所のコンビニ、今日からサンクスをファミリーマートに変える工事で閉鎖なんだった。残念。

 これも機会だからと今度は東陽町の西友に入っているしまむらで迷彩柄な中にサーバルちゃんとアライさんとフェネックが紋様になってプリントされているカーキのパーカーとそれからセットアップになるやっぱり丈の短いパンツを購入。ますます来て行く場所がなさそうだけれどそのうち放り出されて毎日が夏休みみたいになったら着ることもありそうだからとっておく。そうやって溜まっていく着ないファッションがわんさかあるなあ、アニメデザインの博士と助手やサーバルチャンがプリントされたTシャツだって買ったままだしなあ。東陽町のしまむらではあとサーバルアライフェネックにトキとアルパカもプリントされたTシャツを購入。まとめて着るとキャラが五月蠅いくらいで個人的には嫌いじゃない。これを着て歩けたら一流のニートになれるかな。

 宮原知子選手の4位は本当によくやった方だと思うけれども平昌五輪のフィギュアスケート女子、絶対女王かと思っていたメドベージェワ選手が縁起をして完璧に近い雰囲気を見せていたにもかかわらず、ザギトワ選手に届かず2位の銀メダルに留まった。あるいはザギトワ選手が急激に去年あたりから急激にポイントを挙げてきたんだとも言えるけれど、まだ15歳という年齢は体も小さくてジャンプとかにキレを見せられる。対して18歳となったメドベージェワ選手は体付きにもメリハリが出始め前のような感覚からズレていくお年頃。その交替のタイミングがこの時期に出てしまった気がするなあ。若さで上り調子の選手の方が有利に働く競技だけに。

 これと同じようなことを経験したのがたぶん浅田真央選手で、もしもトリノ五輪に出られていたら上り調子の中で荒川静香選手を上まわって金メダルをとれたかもしれないけれども年齢制限がわずかにかかって出られず、そして次のバンクーバー五輪では体も大きくなてしまった反動が出たか伸び悩む中を金妍児選手に越されてしまって銀に甘んじ、以後のソチでも復活できないまま過ぎていった感じ。本当にタイミングって恐ろしい。きっとこれから娘をフィギュアスケート選手にしたい親はオリンピックに出られるタイミングを計って子供を作ることになるかもしれない。まあメドベージェワ選手は次を狙っても良いし、そのセーラームーン好きでユーリ好きを活かし日本でプロスケーターとして滑れば大人気となること請け合いなので、平昌から日本へと渡ってジェーニャから日本語を学び日本に居着いてくれたら楽しいかも。IOCとの諍いが絶えないロシアでアスリートをやるのも大変そうだし。

 ひええ、まさかそうくるとはトランプ大統領。アメリカのフロリダにある高校で元生徒が侵入してはアサルトライフルだかを乱射して大勢の死傷者を出した事件で、学校に銃が持ち込めないのが問題でそれを認めて先生が武装すれば侵入者だって撃退できだろうって言い始めた。いやいやそれだと今度は先生と生徒とで撃ち合いなんかが発声して学校が戦場になりかねない。信頼によって守られている平穏が暴力によって均衡を保っているだけになればどこかでバランスが崩れてしまいかねない。でもそんなまっとうな議論などトランプ大統領の前では不可能なんだろう。かくして学校では先生が銃で武装してその所持している銃器によってアーマライト先生とかピースメーカー先生とかコンバットマグナム先生と呼ばれるようになるんだ。大口径で大火力の銃器を持っている先生が担任ならと親も安心しそう。でも生徒の人気は太腿デリンジャー先生に集まるという。胸の谷間ジュニア・コルト先生とどっちが人気かなあ。

 東京工芸大のアニメーション専攻卒業制作展、選抜のSプログラムを見る。柴田渓さん新誠太郎さんの「draw」は変幻するイメージがVJっぽかった。筋とかないから濁流に身を委ねる感じで見た。石塚理央さん「Rosetta」は恋する少女の執着を描いてとてもいわゆるアニメしてた。あるいはアニメのオープニングとPVを足したような作品だった。しっかりとストーリー性もあった。佳作。小西宙矢さん「TRY」はデフォルメキャラの3Dモデルに絵本みたいな色味とタッチの加工を施してあって凄かった。お話も頑張りが目を引きつつ報われないような寂しさも感じさせた。アニメーションに進むかゲームに行くか。どちらでも活躍できそうな才能だった。

 渡辺未來さん「失恋」は「しつこい」と読む落ちに打ちのめされた。オノ・ナツメさん的キャラが駆け回ってて目を引きつける。そして……。健気も過ぎればウザいのだろう。渡辺悠太さん「『あい』をたべる」はフエルトのストップモーションで見せるいじめの諸相。辛いが、その辛さが人形により描かれてふわっと迫る。「ぼくの名前はズッキーニ」に通じるストップモーションアニメーションの効用かもしれない。佐藤いよさん「ナクシモノはこっち」が巧い巧い。放って置かれる犬が動くが…。それは飼い主のスマホを隠し見つけて役立つところを見せようとするもの。かわいいねえ。でも騙してはいけない。イラストのようにキチっとした絵でしっかり動かすところも巧かった。ちゃんと起承転結があって短編としてまとまってた。

 蛯名裕輝さん「Heavy S talker」はスケブに連続して描く蛾やカマキリの怪物バトル。超上手い絵と軽いナレーションのギャップが気になった。久保雄太郎さんのように画力で見せてスタイリッシュにぶつけてくるような作品でも良かったんじゃないかなあ。梁世暁さんリン・シエキさんによる「転」は苛烈な暮らしの中で1人がすがった無駄な行為が実りをもたらす展開と、それを描く昔話風な描が素晴らしかった。ペアでどういう担当なのだろう。引き込まれた。矢葺ゆりなさん「Re start」はエイが変じた女の子が可愛かった。変化途中はどうなるかと思った。本吉賢介さん「ロープのぼり」はEVOLTAくんより頑張る人の話だった。あの上に何が?

 長谷川亮太さん「『空の向こうへ』」は不安に惑う少女の現実と虚構をアニメ的作画で描いた作品だった。アニメっぽさで「Rosetta」と双璧か。普通にアニメ制作会社に入って動画作画からアニメーターへと進めそう。そっちに行ったんだろうか。石川昇さん「MELOGLYPH the Journey」はヒエログリフがピコピコしてた。田中和希さん「まま」もフエルト素材のストップモーションアニメーションで、女の子と母親とのコミュニケーションが上手くいってない感じを描いてた。母親が羊のマスクになるのは優しくあってほしいという願望だろうかそれとも。長いけど心の動きが感じられて見入った。最後は面迫俊影さん「AKEVITT」。河口洋一郎さんみたく人工生命的に増殖したり変変したりする3DCGのオブジェクトを眺めているうちに時間が過ぎた。質感とか結構出ていた、そんな東京工芸大アニメーション専攻卒業制作展。個人的には選抜じゃないけど能勢陽二さん「かわいいサイコ」が好き。女子のサイコっぷりとか最高だ。


【2月22日】 飛び込んで来た大杉漣さん死去の報にだって「バイプレイヤーズ〜もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら?〜」に遠藤憲一さん松重豊さん田口トモロヲさん光石研さんと出演しているじゃん、それが目下絶賛放送中なのにどうなってしまうのと不安に思いつつ何でまた急にと驚きつつ意識がどったんばったん大騒ぎ。しだいに伝わってきた報だとそおん「バイプレイヤーズ」のロケがあって出かけた先で食事して、宿に帰ったら腹痛でこれや拙いと松重豊さんがタクシーで病院に連れて行ったとか。

 でも急性心不全の症状が出てそのまま息を引き取ったという。腹痛と急性心不全との因果関係がなかなかに掴みづらく、すぐに心筋梗塞か何かだったと分かれば救命できたんだろうかといった疑問も浮かぶ。というか心不全だからといって心筋梗塞とか解離性大動脈瘤といった病気であるとも限らない訳で、そのあたりがはっきりして、腹痛との因果関係がつかめたところで同じような年配の人に怒りやすい突然死への警鐘を鳴らして欲しい気もしないでもない。まだちょっと離れているけどいずれ自分だってその界隈に辿り着くわけだし。不摂生の度合いは運動だってする俳優とは比べものにならないくらいだし。

 大杉漣さんといえばもう最近では「シン・ゴジラ」の大河内総理大臣でゴジラの熱線にヘリコプターごと打ち抜かれて殉職するという最後を見せてくれたけれど、それ以前から北野武監督の映画の常連で独特な存在感を放って世に存在を認められ、そして黒沢清監督の映画なんかにも出て俳優としての地歩を遅まきながら固めていった。昔で言うところの大部屋俳優から抜け出てまだ20年といったところで、これから5年10年は活躍してくれそうだったのに、もうその佇まいを見ることはできないのが残念無念。松重豊さんの「孤独のグルメ」みたいにこれぞというフィックスがあるでもない一方で、だからこそ何にだってなれた役者は知らず80歳まで出続けてくれたに違いない。だからこそ……。黙祷。

 田口淳之介さんって誰だったっけ、ってしばらく考えてKAT−TUNの中の前だか後の「T」の人だと気づく。その割には尖ってなくて真面目そうでガンダムが好きで機動武闘伝Gガンダムのドモン・カッシュを愛していてそのセリフをもじって「俺のマウスが光って唸る、相手を倒せと轟き叫ぶ」とまで言ってしまう陽気な人だったからやっぱり尖ったアイドル的なKAT−TUNにはちょっと合わなかったのかどうなのか。でも尖り具合では亀梨和也さんと双璧の赤西仁さんが真っ先に抜けた訳だからそこは関係ないのかも。少なくともKAT−TUNに所属したままでは「ガンダムヒーローズ」の発表会には出られなかっただろうし。

 その「ガンダムヒーローズ」はネットにつながったPCで遊ぶゲームみたいでカードというかユニットでもってモビルスーツとパイロットを選んで並べてマウスでドラッグしドロップしていけば対戦が可能。相手の旗艦を墜とすかダメージを与えたポイントが相手より多ければ勝ちみたいで何かやっているうちに勝てもするけど、いろいろと考えた上で戦略を立てて攻撃していっても勝てるし負けたりもする。知識と経験が生かせるしそれがなくても勘で勝てたりもするようなゲーム性はとても楽。何よりいろいろなガンダムのメカとキャラに触れられるのがいい。プレイ時間が3分というのも。始まったら試してみたいけど、キュベレイとハマーン様があるかどうかが目下の関心事か。でなければGアーマーとセイラさん。アーマーはないかなあ。

 にゃんにゃんにゃんの日、って訳でもないけど「けものフレンズ」の新しいゲームアプリ「けものフレンズぱずるごっこ」とやらがいきなり配信になっていて、それに関してあれやこれや騒動が起こっていたりしてなかなかに緊張する展開が訪れそう。とりあえずダウンロードはしたけどまだ開いてなかったりして、本当に遊んで良いのかそれとも削除すべきなのかを考え中。完全インディーズの非公式アプリかというと、ちょっと前に「けものフレンズ」関係の番組が何かでリリース情報が出されていたから完全なオフィシャルっていった認識の上に立つタイトルだろう。だから問題があるとしたらアニメーション版「けものフレンズ」のデザインがそのまま使われていたりすることだったりする。

 ちょっと前、アニメ版の製作委員会に名前を連ねているヤオヨロズが関知してない中でリリース発表が行われ、プロデューサーが異論を出していた。ただ、監督の降板に関していろいろあった後だけに、ヤオヨロズを外しても製作委員会として稼動して素材の利用を認めて作られたタイトルだろうっていった判断も成り立って、その意味ではやっぱり公式なのかと思っていたらどうもリリースされた中身にいろいろと不安な要素が多いらしい。表示が甘いとかゲーム性が怠いといった意見とはまた別に、使われている音楽だとか素材だとかの引っ張り方の安易さを指摘され、これって本当に公式にライセンスを受けたものなのかといった声が上がっている。こうなると公式の反応待ちだけれど、果たしてどっちへ転ぶのか。その行方を見てから始めるかどうか考えよう。

 「宝石商リチャードの謎鑑定」が第6巻の「転生のタンザナイト」で一段落をしたこともあって、SFリミッターを外して書くことを許され刊行を認められたんじゃないかとふと思った辻村七子さんによる「マグナ・キヴィヌス 人形博士と機械少年」(集英社オレンジ文庫)。帯にはリチャード氏の作者ってあるけれど、僕らにとっては「螺旋時空のラビリンス」でもってタイムループに工夫を乗せたSFを読ませてくれた作者の人。それが「機械少年」とタイトルに入った本を書き、内容は帯に「魂は機械仕掛けの体にも宿るのか?」なんて入るようなもということはきっとSFに違いないと期待してしまう。そして読み終えた「マグナ・キヴィヌス 人形博士と機械少年」は紛うことなきSFであった。それも少し認識を改めさせられる。

 若くしてアンドロイドの調律を手掛ける仕事に就いたエルガー・オルトンは仕事の終わった後に町でアンドロイドを見かけて調律を呼びかけつつコミュニケーションを高めようとする努力をしている。どうやら堅物か朴念仁かであまり他人とのコミュニケーションが得意でないらしい。その割にはアンドロイドのゆがみを取り除く仕事をしているから不思議なもの。つまりは不思議な出自を持っているエルは仕事からの帰り道、登録情報がない少年のアンドロイドが豹のアンドロイドに襲われている場面に行き当たる。豹は逃げ怪我をしたアンドロイドを連れ帰って修理し豹を探しに行ったところで官憲に破壊されてしまい、そしてワンという名の少年アンドロイドを引き取るような形でエルと2人の生活が始まる。

 アンドロイドにしては傍若無人で減らず口も叩くもののどこかに優しさも持ったワンと、真面目で堅物で仕事のこと以外は知識としては持っていても実行を伴わないエルとではどちらが“ロボット”なのか分からない。そんな正反対の2人が互いに欠けているようなものを補うストーリーかと思ったら、エルという存在がどうしてそれほどまでに世間知らずなのかといった理由も明かされ、そしてだからこそ純粋でまっすぐでワンの違法に消去されてしまった記憶を探し求めて下層にあるサーカスと呼ばれる、裏ではアンドロイドの不正改造を行っている場所にも行ったりする。そこで起こった危機をワンが救うといった展開に浮かぶエルとワンとの関係。それってBL? 違います。だってエルは……。そこも少し驚いた。

 やがてエルが調律の仕事を受け持った女性のアンドロイドが治したにもかかわらず破壊されてしまった一件から、人情を持った人間らしいアンドロイドのワンとはまるで違う人でなしとしか思えない人間が現れアンドロイドを虐待し続けている状況が明らかにされる。それは違法とはいえないけれど決して正常とも言えない中、ワンの過去が露見し連れ去られた先、ワンとの日々から自分について考えるようになったエルがとある行動に出て、その結果としてエルの正体が明らかにされ、なおかつギヴィタスの表と裏を貫く意志めいたものが見えてくる。その意志に認知されたエルは、そしてワンはこれからどんな日々を歩むのか。アンドロイドも人造人間も人間より人間らしい不思議が、逆に人間の人間をどんどんと外れていく無様さを感じさせる。人間の外側に人間らしさを置いて人間の空虚さを問う物語なのかもしれない。


【2月21日】 やっぱり素人が食らう船酔いは凄まじいみたいで、脳天気のカタマリみたいな玉木まりもやっぱり酔って寝転がり、白石結月は早々と酔いが出たみたいで4人の中では最初に気分をいけなくし、元気いっぱいの三宅日向も顔を痩せさせるくらいに酷い酔いが出ている感じ。そして小淵沢報瀬もやっぱり酔ったみたいでこれは別に母親が南極に行っていようと関係ないみたい、っていうか母親といっしょに南極にいった大人の女性はなんで平気なんだろう。そう毎年毎月船酔いを経験している訳でもなさそうなのに。1度2度経験していると違うのかな。

 そんな「宇宙よりも遠い場所」。震える40度を過ぎて狂う50度も越え叫ぶ60度も乗り切ったペンギン饅頭号から見えてきた南氷洋に浮かぶ氷山のその向こう、あるはずの南極大陸まで辿り着くのが来週かな。1クールだとしたらそんなテンポじゃないと追いつかないんだけれど。ここまで来てもまだ報瀬の母親の貴子がどういったシチュエーションで雪上車の外に出たか何かして、そのまま吹雪の中に消えてしまったかが分からない。忘れ物? それとも人助け? それだと相手がいるはずだし。幻聴? それはないよなあ。誰が悪いのでもなければ本人が悪いわけでもないその事故の真実が見えた時、報瀬が何を思うかが目下の注目ポイントか。見ていこう。

 これは快挙、なんだろうか。東京アニメアワードフェスティバル2018で商業作品を表彰するTAAF2018アニメ オブ ザ イヤーが発表になって劇場映画部門は片渕須直監督の「この世界の片隅に」、そしてテレビ部門はたつき監督による「けものフレンズ」が受賞した。公開時期で言うなら2016年の作品で2017年3月のTAAFでアニメ オブ ザ イヤーを受賞していたって不思議はない作品なんだけれどど、年の途中で区切られるレギュレーションがあったから、その後の公開となった「この世界の片隅に」は2017年の作品も含めた中からの受賞となった模様。

 結果、春に立て続けに公開された神山健治監督の「ひるね姫〜知らないワタシの物語〜」とか湯浅政明監督の「夜は短し歩けよ乙女」とか「夜明け告げるルーのうた」が賞をとれず、夏公開の岩井俊二監督による短編映画をアニメにした「打ち上げ花火、下から見るか横から見るか」、そして伊藤尚往監督による「きみの声をとどけたい」なんかも割を食ってしまった格好。どれも好きな作品だけにもったいない気がしないでもない。そこはだから最優秀前の優秀賞扱いで讃えてあげて欲しいところ。おっと米林宏昌監督による「メアリと魔女の花」もあったぞ、すっかり記憶から抜けて落ちてしまっているくらいに印象がない作品だったなあ。「思い出のマーニー」は強かったのに。そこがやっぱりジブリと非ジブリのびみょうな違いってことなのかな。

 そんな映画部門以上に話題を呼びそうなテレビ部門の「けものフレンズ」。とにかく作品としては文句なしなんだけれど、その後にいろいろあったことで表彰を誰が受けるのか、ってあたりでいろいろと頭を悩ませるところとか出てきそう。コアメンバーが出てくる訳にはいかないけれど、監督って訳にもいかないし。プロデューサーが打倒とするならヤオヨロズの福原匡慶さん? これもやっぱり監督と同じ位置づけになってしまうからなあ。とはいえ個人賞で監督・演出賞をたつき監督が受賞していて、個人宛なんでこれは当人なりその代理が受け取るより他にない。となると誰か来るのかそれとも。そういったところでお祝いしたくてもしづらい状況を作ってしまったことを、騒動の渦中にあってなお真相を明かさないコアな部分は強く噛みしめて欲しい。罪のない作品を罪作りにしてしまった自省とともに。

 仮面女子とスケルトニクスを見に幕張メッセへ。って訳ではないども仮面女子は出ているのがだいたい分かっていたから見るのはお約束だったかも。そんな第5回イベント総合EXPOほかの展示会でスポーツビジネス産業展ってのが始まっていたので近寄って、キヤノンが出していたワイドな画角で撮影したサッカーのピッチレベルからの映像を魚眼みたいにゆがんでおらず、ふらっとな画面にそれを角度をつけて並べた3枚のディスプレイに表示して臨場感を味わわせる展示がなかなか面白かった。ホームとアウェイのチームのゴールキーパーが首を動かさなくても見えるのだ。そのディフェンスラインの動きから善戦への上がりなんかを一目瞭然。見ていると何が拙かったのかってのも分かるだろう。何よりピッチレベルの迫力を味わえる。これでパブリックビューイングをやってくれたら最高かも。

 もうひとつ、キヤノンではピッチをぐるりと囲んだ場所から撮影した試合の様子から選手のボディを読み取って3Dデータ化してそれを立体的なCGとして生成し、実写の選手のテクスチャを貼り付けることで実際の人間がプレイしているように見せつつ、3DCGで描かれているから操作自由な映像を作り出す技術を見せていた。真上からなんて撮ってないのにちゃんと真上から見下ろせるし、特定の選手へと寄ってその選手のプレイをどこからでも確認できるからちょっと凄い。そうしたデータ化とレンダリングと合成にどれくらいの時間がかかるか分からないけれど、瞬時にやれたらもう中継も大きく変わってくるだろうし、データ化された試合を販売することでその上にキャラクターなんかを載せて違う映像として楽しむことだって出来そう。夢が広がるテクノロジー。2020年の東京オリンピック/パラリンピックで何か活かされてくるかなあ。

 仮面女子の1発目のライブを見て声援を送りつつ場内をうろうろしていたらスケルトニクスが出現。3人だかで立ち上げた会社から代表だった白久レイエス樹さんと中野桂樹が確か抜け、阿嘉倫大さんだけが残って今も外骨格ロボットとしてのスケルトニクスを運用しているといった感じ。ココンというサイバーセキュリティの会社から出資も受けてとりあえず会社は存続し、その上で見た目はやっぱり格好いいスケルトニクスの展開を考えているみたいで、とりあえず分かりやすくアトラクションなんかの展開としてイベント総合EXPOに出てきたってところみたい。ハウステンボスでは動いているしNHKの紅白歌合戦にも出場したそのユニークさを活かさない手はないからなあ。見て面白いと感じたエンターテインメント系起業が引っ張っていけば面白い展開もありそうだけれど。アクチュエーターを取り付け電気を流してパワーをアシストするようなところまで行けばもう完璧なんだけど。

 梶浦由記さんのスペースクラフトプロデュース離脱が正式に発表となってご本人からも関連のツイートなんかが発信され、噂ではなかったことが分かったけれどもそれがどうしてかなんて聞いても誰も教えてくれるはずもないから、今はただ長い間ご苦労様でしたと頭を垂れつつこれからも良い音楽を作って欲しいと願いつつ、やっぱりKalafinaだけは面倒を見ていって欲しいと心から思うのだった。あの3人の個性をめいっぱいに引き出しつつ融合させて、Kalafinaというグループでもジャンルでもないひとつの音楽を作り上げられるのはやっぱり梶浦由記さんしかいなさそうだから。どの曲をとっても完璧にマッチして聞かせてくれるそのコンポーザーぶり。Perfumeから中田ヤスタカさんが外れてしまってどうなるか、って考える以上にもうハマってしまっいるその関係を今しばらくは見ていきたいのだった。とりあえず3月3日の両国国技館でのライブ、どんなパフォーマンスを見せてくれるかに注目。


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