縮刷版2018年12月下旬号


【12月31日】 引き続きNetflixで「DOUBLE DECKER! ダグ&キリル」の最終回となる第13話「そして誰もいなくならなかった!」を見る。やっぱりというかブライアン・クーパーに捕まったキリルの姉のミラこと兄のヴァレリーがわざとだったことが分かり、撃たれて死んだとみられたダリルもちゃんと生きていて、グルになってクーパーを煽っては自らアンセムを打たせて「SEVEN−O」の出番を公然としたことになってそしてバトルもしっかり勝利。クーパーが仕掛けた自爆装置が作動し逃げ遅れたダグとキリルがどうにかこうにかたどり着いた出口で一波乱。さすがに最後は悲劇かと思ったらそこはやっぱりギャグとコメディが貴重のアニメーションだけあって、しっかりハッピーエンドになっていた。

 爆弾を抱えて窓から飛び出し四散したとみられたロボットことユリことやっぱりロボットまで復活。というかスペアが生き返ったんじゃなくその時たまたまスペアだったロボットが自爆したようで、しっかりとオリジナルは生きていたってことになった。それはそれで嬉しいんだけれど、自爆する時のユリが温泉に行きたかったとつぶやいた声が聞こえていたところに、彼女は彼女でしっかりと自意識を持っていたことが感じられたんで寂しい思いもじわっと浮かぶ。

 そのあたり、意識のシンクロはあったんだろうか。眠っている間のスペアはスペアでその間の経験をオリジナルのものとしてコアにため込んでいたんだろうか。以後、共有化する前の意識はそのスペア唯一のものだとするなら、途絶えてしまうのはやぱり死に等しい。「SEVEN−O」のメンバーは喜んでいたけれど、そこへの言及がちょっとはあって欲しかったかなあ。2階は2階で未だ画策しているみたいだけれど、それが描かれる続きが作られるかどうかとなると、面白かった割には今ひとつ盛り上がらなかった感じもあるだけに無理かも知れない。あるいは海外で大受けをしていてそちらの要請から作られるなんてことになったら嬉しいけれども、果たして。

 続けて「ゴブリンスレイヤー」の第12話「ある冒険者の結末」もNetflixで。アパートにいればTOKYO MXの放送を見られたけれどもこっちではやってないから普通だったら帰ってから録画を見るしかなかったけれど、ネット時代でサブスクリプションの時代はこうしてネットで即座に見られるのが便利。なるほどこれじゃあテレビも衰退するわけだ。あるいはテレビで見るよりは定額制のネット配信サービスでみてあげる方が実績となってコンテンツ主にお金が還元されたりするのかな。その額はテレビを見てあげるより良いんだろうか。そりゃあパッケージをかってあげる方が直接的ではあるけれど、いつでもどこでもそこにあるのを見られるネット配信が普及してしまうと、そういうのも重たいんだよなあ。難しい。

 町外れの牧場に迫るゴブリンの大群をギルドにたむろしていた勇者たちを雇うことで迎え撃ち、計略でもって待ち伏せして駆逐したものの1頭、ゴブリンロードだけは頭が良いからか逃げ出して新しく群れを作ろう画策していたところに立ちふさがった我らがゴブリンスレイヤー。とはいえダンジョンで個々に殲滅していくことには長けていても、大型のゴブリンを相手に単騎で立ち向かえるほど剣術の腕も高くないゴブリンスレイヤーは追い詰められ蹴り潰されそうになった時。実は本命が現れてゴブリンロードを見事に仕留める。そこすらも計略というところにゴブリンスレイヤーが持つ戦略眼戦術眼の高さが伺える。

 これが他にも応用が利けば凄い軍師になるんだけれど、そういった才能には恵まれていないのがゴブリンスレイヤー。世界は変革しないけれども誰かのために町をゴブリンから守ることだけは絶対的な力を発揮して、それを魔王すら倒してしまう勇者たちも認めている。分相応。人にはそれぞれに持って生まれた役割がある。それを果たすことが大事ってことなんだろう。願うならそうした役割を結果の多寡にかかわらず認め合う空気が、そして意識がどこにでも誰にでもあれば素晴らしい世界になるんだけれど、目立つことにしか人は京見を抱かず認めもしない。その結果、突出ばかりがもてはやされて先鋭化した挙げ句に細って消える。そうならないためにすべきことを「ゴブリンスレイヤー」から学んで欲しいなあ、どこかの伝統あるオールドメディアを実質潰してしまった経営者たちにも。

 食べて寝てNetflixを見てAmazon Primeを見ているだけだと太りそうなんで、歩いてこようと家を出て大須まで行って観音様に年の瀬のお参り。見渡すと大勢人がいたけれど言葉からだと中国からの観光客が結構いたみたい。大晦日を名古屋で過ごして楽しいんだろうか。まあそこそこ町は大きいし買い物もできるし高山まで足を伸ばせば雪だって楽しめるから名古屋は名古屋で悪くないのかもしれない。大久保あたりで問題になっていた韓国風のチーズが伸びるホットドッグも売っていたけど群がるほどではなくゴミがあちらこちらに捨てられるほどでもない。つまりは程度問題で流行が過ぎればそれはそれで観光の良い目玉になるんだろう。だからこそ対応できるようなゴミ箱とかを整えれば良いんだよ、町が。それを損だと思えてしまう意識が青山への児童相談施設建設への反対にも働いているんじゃないのかな。

 栄町まで歩いて閉店となった丸栄の建物を眺めつつ地下鉄の東山線を本山で名城線に乗り換え八事で降りてジャスコ、じゃなかった今はイオンの八事店に大昔からある素がきやで卵入りラーメンを食べる。味はやっぱり素がきやのまま。ちゅるっと食べて醤油豚骨めいたスープをすすって年越しそば替わりにする。大晦日だけれど店はしっかり混んでいて、どこか場末感がただよっていたジャスコ八事店からの変化ってやつを感じさせられる。近隣に人が住むようになって来たのかなあ。塩釜口方面へと向かう途中にあった高い山がまるっと削られて住宅街になっていたものなあ。昔あった八事霊園相手の石材店はまだあるのかな。今度また歩いてみよう。来年4月から暇になる可能性が高そうだし。

 夜になってBS11で「映画 聲の形」を見ながら「紅白歌合戦」も見て刀剣男子にAqoursの登場を確認。どっちも舞台が行われればすべての回が満席になるくらいの人気アーティストなんだけれど、本番に組み入れられることがないってあたりにアニソンが未だ持つ文化としての位置づけの悩ましさが漂う。レコード会社がこれで老舗で所属事務所が大手だったらあるいはと思わないでもないけれど、そういやってギョーカの枠に組み入れられないからこと自在な活動もできるし、ライブやレコードといった活動で別に紅白歌合戦は関係ないから、逆に出てあげたくらいの意識で見ていれば良いのかも。来年はBanG Dreamが出たりしないかな。あるいはi☆Risとか。本当はWake Up, Girlsに出て欲しかったなあ。それはかなわないからこそi☆Risに。そしてRun Girls, Runに。

 と言うわけで、2018年も終わろうとしていて個人的には書評とか漫画評の活動は堅調に続いていたけれど、そうじゃない方は自分の仕事とはまったく関係ないところでガタガタとしてグチャグチャになって遠からず雲散霧消するこ蓋然性が高まっている。そのプロセスにおいてサヨウナラとなる可能性もめちゃくちゃ高かったりするだけに、個人的な活動の方をどうにかもうちょっと増やして高めていけたら良いかなあ。それはでも自分1人ではどうしようもないので皆様におかれましては使える野郎と感じられたら使っていただけたらこれ幸い。まあしばらくは掴み金でもって爪に火を灯しながら数年くらい食いつなごう。その間に作家デビューか声優デビューかVtuberデビューできれば良いかな。無理だって。ならば地道に書評の仕事を。読むぞ来年も。今年以上に。


【12月30日】 お坊さんが僧衣でもって車を運転していたら、車を運転しづらい服装だからと警察官に咎められ、交通違反の切符を切られたって話。いったいお坊さんのどこが車を運転しづらいんだ、足は出ているし腕も出ていてハンドルは回せて首だって左右に振れるのにって思うけれども、そういう風に「できる」を見るよりもこもことしていて手足が動かしづらい、着物だから足も動かしづらいといった具合に「できない」を見る方が、警察としても罪に問うえてポイントが稼げて良いって判断なんだろー。

 それを言うなら和服はすべて運転しづらい服装ってことになるし、タイトなスカートだって人によっては足の操作がしづらい服装って判断を下せそう。でも、それをやって和装を好み普及を目指す和装振興議員連盟とか敵に回したり、女性から顰蹙を買うのは流石に拙いって判断もあるのか、過去にそうしたとがめ立てがあったとはあまり聞かない。今回の件をだから和装振興議員連盟の人たちは、お坊さんの僧衣がイケナイってことは着物への侮辱だと捉えて警視総監を国会に呼んでギリギリ絞るべき。そしてお坊さんたちは乗り慣れたスーパーカーを駆ってサーキットで限界突破のドライブテクを見せるべき、ってお坊さんスーパーカー乗ってるの? いや儲かってそうなお坊さんとか乗ってそうだしフェラーリにポルシェにランボルギーニ。

 太平洋戦争の最中に軍部が起こした二・二六事件や五・一五事件を挙げてファシズムを批判したことで咎められ、東大教授の座を追われ、そのまま戦時中の裁判で地裁では無罪となったものの高裁最高裁で有罪になって失意の中、1944年に死去した河合栄治郎という社会思想家で経済学者の本をいろいろとその政権運営や政治思想が取り沙汰されている安倍晋三総理が読んでいるということで、なんだ案外にリベラルな人なんだと世間が思うかというと、そう簡単にいかないのは河合栄治郎はファシズムも批判しつつマルクス主義への批判も行っていて、そっちの方面をクローズアップして反共の闘士と持ち上げる流れの中でのみ、河合栄治郎を捉えていそうな印象が漂うから。

 弟子として後に大家となった猪木正道から連なる“正論”の系譜が、当初は意識として持っていただろう反ファシズムの意思をスポイルして、日本万歳共産排除独裁御免の意識の敵として、マルクス主義から枠を広げて国に逆らうリベラルをも反日左翼と糾弾する、そんな流れの源流として河合栄治郎をとらえてマルクス主義と戦った偉人と持ち上げかねない。そもそもが版元がそうした“正論”をだんだんと極右も極左も共に批判した河合栄治郎的な考え方から、反反日のみを抽出してそちらへとシフトさせ、政権による独裁的なやり口を強いリーダーシップだと称揚しているメディアの出版子会社だから、どこまで反ファシズムを謳っているかが危ぶまれる。ちゃんと記述してあったとしても読み手が読み手だから頭に入らないかもしれない。誰か国会で質問しないかなあ、河合栄治郎が反ファシズムで批判されたことを総理はどう思うのかって。

 「2018年12月30日のTPPの発行によって著作物の保護期間が没後50年から70年へと延長。これによって1970年に死去して50年の保護期間では2年後にパブリックドメイン入りが果たされた三島由紀夫が2040年まで保護されることになった。その後、政府は三島由紀夫の延長された保護期間が終わりに近づいていた2038年に今度は保護期間を100年に延長することを決定。世間からは三島由紀夫の保護を目的とした『ミッシーマユキォ保護法』といった揶揄の声も上がるようになった」。

 なんてことはないと思うけれども1972年に没した川端康成も含めて昭和の作家たちの著作物が、軒並み保護期間延長の中で商売として流通しつつパブリックドメインとして流布されることがなくなって、誰が得をして誰が損をするのか考える時が多からず来そうな予感。三島川端といったその後もずっと読まれ続けるだろう作家なら、本も出て電子書籍にもなって埋もれることはなさそうだけれど、そうではない、周辺にも大勢いただろう作家たちが時代の流れとともに忘れられ、埋もれていたものがパブリックドメイン化によって発掘され、誰に憚ることなく公にされてそれを見て再び脚光を浴びるといった道が保護期間延長によって閉ざされてしまう可能性があることがどうにも悩ましい。

 1969年に自殺した高野悦子さんという人が残した「二十歳の原点」とか、文庫化されて電子書籍化もされているけれど10年後にはどうなっているか。その時にパブリックドメイン化されていたらと思うし、彼女と同時代の書き手の言葉が忘れられていく可能性もやっぱりある。1971年没の高橋和巳とか日夏耿之介とか、20年前ならまだ読めた作家がだんだんと細っていく可能性にも思い至る。それでも本が未だ出ている作家だからまだ良いとして、やっぱり周辺の大勢が見つけられることなく世に再び送り出されることなく沈んだままになってしまうのは勿体ないけど、10年20年経った社会でどれだけの人が本を読み小説を読んでいるかを考えると、もうどうでも良いのかもしれないなあ。それなら今のうちにフリーにして派手に商売をした方逆に得するのかな。ちょっと考えたい。

 どうせだったら3話に1話はキャラクターを篠房六郎さんのものにしてくれたら面白がれる気がする賀東招二さんんの「コップクラフト」アニメーション化。もともとは「ドラグネット・ミラージュ」というタイトルで当時は別の名前で竹書房ゼータ文庫から発表した作品で、その際は絵が漫画家の篠房六郎さんが描く豊満な美女が異世界からやって来た女騎士としておっさん刑事とバディを組んで、異世界と現世とが結びついた場所にある島で起こる異世界絡みの事件に挑んでいた。どこかアメリカの警察ドラマを見るような配置であり展開に惹かれたけれども2巻を出してゼータ文庫は終了。とはいえ「ドラグネット・ミラージュ」はあの「フルメタルパニック」の賀東さんが描いた作品ということでガガガ文庫での出し直しが決まり、その際に受けるならロリだということでヒロインのティラナの設定が変わりイラストも村田蓮爾さんに変更された。

 そちらの方がライトノベルの読者に響くといった判断だったみたいだし、ストーリー自体に変更はなく面白いんだけれど、異世界の女騎士と言われるとやや頼りなさげな雰囲気もあった村田蓮爾版のティラナ。だからやっぱり姫騎士が異世界に来て豊満ボディと純情精神のギャップでもって現代世界にもまれる姿を見てみたかった気がしてる。だからこその3話に1話は「ドラグネット・ミラージュ」版でといった思い。かなうことはあり得ないだろうけれど、もしもパッケージ化されるとなったらその際に、オリジナルエピソードとして短編でもって篠房六郎さんのキャラへと変更されたティラナが肉体をもてあましてあたふたする姿を見てみたいかな。一方で「コップクラフト」の方もシリーズの続刊を急いで。もう2年以上出てないんだからアニメ化に合わせてこのあたりで。「甘城ブリリアントパーク」も遅れているみたいだし、しばらくは無理かなあ。

 1日家から出ないでNetflixとAmazon Primeで延々と「物語」シリーズなんかを見続け、1銭も使わないで1日をどうにか過ごしきる。。Netflixにはまだ来てない『終物語』の第1期と第2期がともにAmazon Primeに入っていたのが有り難い。1銭も使わないといっても、実家だから食事が出るし光熱費も家持ちだからこれらが重なるアパートだと1日に1000円は使う感情になりそうだけれど、それでも月に3万円あって家賃に通信費なんかも含めれば10万円くらいで乗り切れそうな雰囲気。割増の退職金が出て失業保険ももらえて貯金を崩していけば3年くらいは働かなくてもどうにか乗り切れそうな自信が湧いてきた。どこまでリアルに切実な話かと言えば割とリアルに切実な話なんでどこまで節約しつつ娯楽を得ていくことが可能かをつきつめて考えよう。


【12月29日】 名古屋へ。雪が降っていて新幹線が遅れるって表示も出ていたけれどもほぼ時間どおりに東京駅を出発して数分の遅れで名古屋に到着。三河安城から先にちょっとばかり雪が積もっている景色も見えたけれど、線路をふさぐほど積み上がっている感じはなく午後にはすっかり上がったみたいで今日明日と続くラッシュでも、どうにかしのいでけるんじゃなかろーか。ただでさえ新幹線が満席で、今日なんて朝から夕方の5時くらいまですべての新幹線でグリー車も含めて指定席が満席状態。昔からこんなに混んでいたっけって記憶を探ったら正月にまじめに規制していた20年くらい前は指定席とか使ってなかったんだ。その後10年くらい帰らず最近また帰るようになって指定席を使うようになって気付いただけかも。

 途中に見えた富士山は富士市あたりで裾近くまで雪がつもっていてなかなかの絶景。雲もなく空も晴れてて稜線がくっきりと見えた。いつか山体が崩壊したらどこまで土に埋もれるんだろうなあ。それくらい存在感のある山だった。山名湖周辺では奥の方にアネモネが生きたがった浜名湖パルパルを見定めようとしたけれどどのあたりか掴めず。まあだいたいあのあたりって感じか。いつか自分で見に行こう。来年4月から毎日が日曜日になりそうだし。そして名古屋に到着してとりあえずなくなってしまうかもしれないナナちゃん人形を見物に行く。何かのふん装ではなく弁天様のような格好をしていた。タイアップかな。

 名鉄百貨店の地下ではそんなナナちゃんにちなんだスイーツが出ていて、あの知立にある藤田屋の大あんまきにもナナちゃんコラボがあった。ってか名古屋駅で大あんまき売ってるんだ最近は。ドライブインめいた国道沿いの店でしか買えないって訳じゃないんだ。日持ちさえすれば赤福に並ぶ名古屋名物になれるかな、って赤福は伊勢名物だし大あんまきは知立の名産。それらをまとめて名古屋名物にしてしまうってどれだけ強欲なんだ名古屋は。そんな名古屋駅ではせっかくだからと新しく立ったJPビルの中にあったスパゲッティのヨコイでミラカン。味は特に栄町にあるのと変わらずスパイシーなソースがまさしくヨコイだった。チャオともココイチが東京で出している店ともそこが違うんだ。そーれってどんな味だったかなあ。そっちは忘れてしまったよ。

 家に到着するとBSで皇后杯こと全日本女子サッカー選手権大会の準決勝が行われていてまずは日テレ・ベレーザが浦和レッドダイヤモンズレディースと試合をしていて0対0でなかなかの接戦。シーズンはベレーザが圧倒的な強さを見せた一方で、浦和は今ひとつ勝ちきれなかった印象。結局は4位でなでしこリーグを終えていたけどカップ戦はタイミングさえ合えば強さ弱さのどちらに転ぶか分からないから面白い。とはいえやっぱり強かったベレーザが奪った1点を守り切って勝利。そして続くジェフユナイテッド市原・千葉レディースとINAC神戸レオネッサとの試合も延長後半に入って0対0でこのままPK戦かと思われたところでINACでカウンタ気味に抜け出した京川舞選手が詰めてきた2人のディフェンスを振り切ってシュートを放ち見事にゴール。これが決勝点となって勝ち抜け決勝をベレーザと争うことになった。

 すなわちなでしこリーグの1位と2位との激突で、その意味では順当だけれどどちらも接戦だったことを考えるなら浦和とジェフとの決勝って目もあったかもしれない。そこで差が出たのはベレーザは田中美南選手でINACは京川選手とともに代表あたりで活躍している選手がしっかり得点したこと。決定力を持った選手がいるかいないかって差なんだろうなあ。そうした各チームの突出とそして海外で活躍している選手の総合となるなでしこジャパンが出来上がれば、2019年に開かれるFIFAワールドカップ女子大会でも2011年の再来となる優勝だって狙えるかどうなのか。そして2020年の東京オリンピックでメダルは狙えるかどうなのか。そこへと至る道が年明けからいよいよ始まる。まずは元旦の決勝。見せて欲しいなでしこパワーの片鱗を。

 Netflixにせっかく入っていたので「続・終物語」を映画館で見たこともあって物語シリーズのアップされているものを次々に見ていく。ほとんど見ていたはずなんだけれど1度見ただけで忘れていたりBDを買ってはあっても見ていなかったものもあったりで、そこでそういう描写があったのかと改めて思い出しながら最近の「終物語」へと至った経緯なんかを確認する。とりあえず面白かったのが貝木泥舟という専門家たちの中にあって詐欺師でありゴーストハンターといういかがわしさ全開の人物で、戦場ヶ原ひたぎの周辺で悪さを働いたりもして決してヒーローではなかったって印象を持っていたけど、「ひたぎエンド」ではあれやこれや逡巡した挙げ句に臥煙遠江さんへの思いなんかを基点に娘の知り合いを助ける意義なんかを見いだし、千石撫子によってぶっ殺されそうになっていたひたぎと阿良々木暦と忍野忍を救い出す。

 そんな中で戦場ヶ原ひたぎの回りで蠢いたのも、結果として憎まれながらいちおうは戦場ヶ原ひたぎが望んでいたように母親を宗教から引き離そうとしたからだって指摘もあって、結構良い奴かもしれないと思ったもののそうした描写が本当だという確信もまたないのが貝木泥舟という胡乱な男の凄みって奴か。無能とは言いつつしっかりと撫子を北白蛇神社の神様の地位から引きずり下ろしてのけ、そこにかけつけた暦が青臭い正義感を振りかざすとを諫め抑えて去って行く。格好いいんだけれどそうした描写も自分を格好良く見せているだけなのかもしれないなあ。そんな貝木泥舟が大けがを負わされながらも復活してひげ面で登場してくる「するがデビル」では会いたかった神原駿河との体面もあって肉食え肉と良いおじさんぶり。これは割と素顔に近いかな。憎まれ役でありながらも裏にしっかり芯を持って動く大人の格好良さ。そこに目を向ける人が増えて欲しいと思ったものの、でもやっぱり目は羽川翼の胸とか阿良々木月火のスレンダーだけどちゃんと出っ張っている裸身に向かってしまうのだった。そういう風に出来ている。

 例えばプロ野球チームでもプロサッカーチームでも、監督の采配が拙くて長くリーグの最下位で喘いでいたり、下部リーグへと降格になったりしてそれで観客動員が下がり経営状態が悪化して、選手を大勢抱えておく訳にはいかなくなったんで選手のリストラを行うとなった場合、誰だって監督の采配が拙かったといってその責任を追及し、監督も自分が悪かったと恥じて退任するのが普通の思考って奴だけれど、ここで監督の責任はリストラ後の新しい体制を率いて上位へと進出させること言ったら世界中が爆笑すること必至だろう。間違った采配をしたから低迷したにもかかわらず、その間違った采配を今後も続けると言っているに等しいその無自覚ぶりが、通るプロスポーツの世界ではない。ところがそんな不思議が通る世界がどこかの企業であったりするかもしれない現実に、直面してしばし呆然としている年の瀬。もはや話が通じる次元ではないといった呆れと諦めが浮かんでいたりする。どうしたものかなあ。どうしようもないんだけれど。やれややれだ。


【12月28日】 なんでこれがライトノベルのガガガ文庫から出ているのかがまったく謎めいている江波光則さんの「デスペラード ブルース」。小学館が一般文芸のエンターテインメントに長けていたなら、ハードカバーなりソフトカバーの単行本にして新しいノワール、新しいサスペンスが登場したと言って売り出し、馳星周とか誉田哲也とか道尾秀介とか東山彰良といった直木賞山本周五郎賞山田風太郎賞大藪春彦賞あたりに名前が出て当然の作家の列に並んで読まれ持ち上げられて、「このミステリーがすごい」あたりで取り上げられ、すぐさま売れっ子になっただろー。

 けれどもガガガ文庫では東山彰良さん誉田哲也さんの読者は感心も示さなければ存在にすら気付かないし、当然のように文庫だから大藪春彦賞とか直木賞の候補になることもない。それを勿体ないと思うか、ライトノベルのレーベルのファンとして江波光則さんに接することができることを喜ぶべきか。迷いつつもガガガ文庫で及ぶ範囲の狭さを思ってもうちょっと広く取り上げられて欲しいと願う気持も漂う。神座市というところに住んでいた主人公は高校生の頃、近所に住んでいた老人から殺人拳の無明拳を習っていたものの、トレーニングを終えて家に帰ったら両親も妹も殺害されていた。

 理由は不明で犯人も不明。知らないハードロックだか何かのCDがガンガン鳴る中での異常な殺人ながら犯人には迫れないまま主人公はひとり、募集に応じて東京に出て工事現場で働き始める。そして仕事を終えて繁華街を歩いていたらチンピラに絡まれ金を奪われそうになったのを撃退したところを、職場の先輩に見られそこから生まれた縁から頼まれてソープに出入りするようになり、風俗嬢を無明拳の技で昇天させたりもして付き合うようになったらその風俗嬢のパトロンらしい主人公の職場の社長が薬物を大量に捌いていたことが判明して捕まり、そして風俗嬢も主人公が連れて歩いていた時に何者かによって刺殺されてしまった。

 そして浮かび上がってくる主人公の家族が惨殺された背景。神座市という街を支配する3つの家。そのよくわからない状況の中、何かに巻き込まれるとなく目の前に起こっていることを信じて自分の道を進む主人公が、権力を振りかざす3つの家の思惑に巻き込まれていくのかそれともインディペンデントな活動を続けつつ持ち前の無明拳で立ちふさがる的を突破していくのか。見えない先行きの向こう側にある謎、その先あるかもしれない事態の解明に期待をしてこれからの展開を読んでいきたい。しかしとてつもなく強いんだ無明拳。けれどもより強い相手がいるというバトルの楽しさも味わえる。不思議な拳法が跋扈する夢枕獏さんお小説から伝奇的要素を抜いたような暗黒小説とも言えるかな

 キャラクターデザイナーの天野喜孝さんとメカニックデザイナーの大河原邦男さんが供にタツノコプロで「タイムボカンシリーズ」とかのキャラクターデザイン、メカニックデザインを担当していたのはよく知られた話だし、「うる星やつら」や「魔法の天使クリィミーマミ」「機動警察パトレイバー」のキャラクターをデザインした高田明美さんも元々はタツノコプロにいて布川ゆうじさんと知り合い、布川さんが後にスタジオぴえろを設立した時に移って仕事をし始めたことおアニメーション界隈的には認識されていたりする。そんな3人が布川ゆうじさんのプロデュースでもって、ラフ絵と呼ばれる制作過程のラフスケッチめいたものを見せてクリエイターがどうやって作品に近づくいていくのかを見せる展覧会「ラフ∞絵」に出展するのはよく分かる。

 不思議だと世間に思われるのが、そんな3人といっしょに「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の秋本治さんがどうして展覧会をいっしょにするのかってところ。というか、一般層も含めた認知度では「ファイナルファンタジー」よりも「機動戦士ガンダム」よりも「うる星やつら」よりも「こち亀」の方が圧倒的に知られていて、売れ行き的にもやっぱり上で稼いだ金額でも秋本さんが4人でトップなはずなのに、決して偉ぶってもいないし突出もしていないのは秋本さんが元はタツノコプロでアニメーターとして動画なんかをしていたから。つまりは4人とは元同僚、あるいは元同窓でそして布川さんは大先輩。そうした中に秋本治さんが入るのはだから決して不思議ではない。

 本人もタツノコプロ時代は大勢でアニメーションというものを作っていて、そうした集団作業が漫画ではないから楽しかったといった思い出を持っているそうで、そして社員旅行もいっぱい開かれてそこに入り込むのも楽しかったとタツノコプロ時代を振り返っていた。集合写真に天野喜孝さんとか大河原邦男さんもいたというから貴重な1コマ。でも家庭の事情もあったらしくてアニメーターを辞めて描いた漫画が大ヒットして今に至ったその道も、やっぱり嬉しいと思っているんだろう。もしもずっとアニメーターを続けていたらどうなったか。天野喜孝さん大河原邦男さんのように独立していたかな。そういう歴史も考えてみたくなる。今の秋本治さんの絵柄で原画とかやってるイメージはないからやっぱりどこかで漫画家に転向していたかなあ。

 タツノコプロ時代については天野喜孝さんも触れてくれたけれども、秋本治さんとは逆に旅行が嫌いだったとのこと。それでも連れて行かれたから集合写真に写っているんだろう。相模湖のホテルに缶詰にされて吉田竜夫さん久里一平さん中村光毅さんといった偉い人たちがいっぱいいる中で自分がそこにいるのが辛くてどうやって逃げようかと考えていたとか、社長室の横がキャラクター室でそこにひとりで隔離されたとか。勉強にもなったし楽しかったけど逃げたかったと言った天野喜孝さんに秋本治さんが「絵が巧くて速いから隔離されていたんだよね」とツッコミ。なるほどそうだろうなあ。

 大河原邦男さんは元がオンワードでテキスタイルをやっていた人だから、漫画にもアニメにも興味が無いままタツノコプロに入ったんだけれど、中村光毅さんからやってみないかと言われガッチャマンのタイトルデザインをしてそして3カ月経ったらメカ専門になてしまって、そしてそうした仕事の楽しさを業界に入って知ったという。天野喜孝さんとの絡みでは、ガッチャマンのミイラ巨人の回で天野さんが当時はガッチャマンの敵方キャラで活躍していたそうでミイラ巨人を天野さんが描いたんだけれど、それが途中で壊れていって最後に骨格がすべて見えるところで天野さんのデザインを元に中はこうなているというデザインを大河原さんがしたという。つまりはあれは天野喜孝×大河原邦男の合作キャラってことらしい。そう言われると改めて見直したくなったなあ。

 そんな展覧会「ラフ∞絵」の発表会には布川ゆうじさんにとってもタツノコプロの大先輩に当たる笹川ひろしさんが来場をしていて、こちらもタツノコ時代の思い出を話してくれた。宴会の話なんかが上がって笹川さんが着ぐるみ姿でいたら、高田明美さんが寄っていたのか近寄ってきてポカポカと叩いてきたってことを話してた。大先輩の笹川さんをポカポカって凄い行いではあるけれど、着ぐるみ姿でなおかつ酔っていたら気付かないよなあ。高田明美さん自身はあまり覚えていないようだったから本当に高田さんだったかどうかは不明。でも上もしたもなく中良くひとつの作品に向って突っ走っていたタツノコプロのアニメーション制作会社としての活力が伺える。そういうアニメ制作の現場が今、分業化で失われているとしたらちょっと寂しいなあ。ひとつ場所に集まりいろいろな部署が交流を持つ意味を、もしかしたら「ラフ∞絵」から学べるのかも知れない。

 ラフ絵を見せるっていう意味については制作過程でクリエイターたちがどういった部分に力を入れているかが分かるってあたりか。秋本治さんはネームを描く時に両さんはさっと描くけれど苦手な女の子はいろいろな線で描いて最良のものを探ろうとしているとか。そうした試行錯誤の後を目の当たりにすることで、クリエイターの力の入れどころを掴むことができる。高田明美さんはフィニッシュ手前の「うる星やつら」のデザインの方が良い表情をしていたって感じてラフをとっていたという。そうしたラフが展示されれば剥き出しのクリエイティブの痕跡に触れてパワーを得られるかもしれない。そういった意味を感じ取りにいくと良いのかも。あと秋本治さんがガッチャマンの白鳥のジュンを描き天野喜孝さんがガンダムを描き大河原邦男さんが両津勘吉ロボットを描いたようなチャレンジも見られそう。高田明美さんは前に描いた大鷲の健を持参したけど本番では何を描いてくれるかな。「Mr.クリス」とか描いてくれたら嬉しいかな。


【12月27日】 杉井ギサブロー監督の「銀河鉄道の夜」や「グスコーブドリの伝記」などでキャラクターデザインや作画監督などを務め、今はグループ・タック倒産後に立ち上げたBILBAの代表としてスタッフを率いアニメーション制作をしている江口摩吏介さんが、ポプラ文庫ピュアフルで刊行されている渡辺仙州さんの小説「文学少年と書を喰う少女」を劇場アニメーション化したいと考え、そのパイロットフィルムを作るためのクラウドファンディングを立ち上げたのがだいたい1カ月前くらい。300万円という金額を目標にスタートしたものが最終日となった今日12月27日、残りも10時間を切った中で無事に達成できたようでこれは僥倖。あくまでもパイロットフィルムであって本編ではないけれど、大事な第1歩であることには変わりがなくその成功を今は心から喜ぼう。

 情報には触れていても僕がクラウドファンディングに乗ったのは2日前のことで、その時で全体の75%程度ほどとちょっと厳しい状況にあった。このまま9割を超えても未達となってしまい、あと2人の応募があれば存続が決まったかもしれないにも関わらず、時間切れとなって目の前でガシャンと閉じられた「ラブライブ!サンシャイン!!」の浦の星女学院による生徒募集みたいな展開にならないかとヒヤヒヤしていた。そうはならないよういろいろと紹介もしたけれど、同じように大勢の人が呼びかけてくれていたみたいでどうにかこうにか達成し、そして少し超えた状態でフィニッシュとなった。「この世界の片隅に」のクラウドファンディングも振り返ればまずはパイロットフィルムを作るための費用集めだった訳で、それが話題となって本番へのゴーサインも出た。それでも時間に制約があった訳でアニメーション作りはやっぱり厳しいけれど、作れなければその後もなかったと思うなら最初の第1歩を踏み出せたことはやっぱり大きい。ここからどうなるか。信じて見守りたい。

 映画になるらしい「おしりたんてい」シリーズで、映画の原作になるというのが「おしりたんてい カレーなるじけん」というエピソード。もともとイベント限定で売られていた書籍で、2017年に池袋で開かれた「おしりたんてい なぞときフェスティバル」でまずは売られて、そしてららぽーとで開かれた「おしりたんてい なぞときカーニバル」なんかでも売られたそうで、きっと熱狂的なファンなら駆けつけてイベントを楽しんだついでに、限定本の方も手に入れていただろう。そうした「おしりたんてい カレーなる事件」が映画になるってこともあり、来年の1月からコンビニエンスストアのセブンイレブンで取り扱いが始まるってニュースが流れてきた。

 いわば販売場所の拡張で、より広い範囲で購入できるようになったと喜ぶべき話のような気がするんだけれど、反応とか見るとセブンイレブンだけに限定してまずは販売し、書店では販売を遅らせるなんて非道だといった声がわんさか漂ってきている。なるほど最初から新刊として登場したものなら、イーブンの条件にしないで書店よりコンビニを先行するのは不当競争だといった声も出ただろうけれど、今回のはイベントなんかですでに売られていたもので、それがコンビニへと広がったというもの。狭めても限ってもいない状況を挙げて果たして批判できるかはちょっと考えた方が良いかもしれない。映画に合わせた書籍化ならすべてが同条件という気もしないでもないけれど、これまでがこれまでだからなあ。どうなることか。

 僕があと5歳くらい若かったら、小学生の高学年とか中学生くらいで「キャプテン翼」に出会って熱中しつつサッカーもプレイして、自分を翼だの岬だの日向小次郎だの若林源三だのといったキャラクターになぞらえて楽しんでいたんじゃなかろーか。すでに高校生になっていたしサッカー部でもなかったから、漫画にハマったりアニメに見入ったりといったこともなかったけれど、直撃を受けた世代からは少なくない人数のサッカー選手が生まれて日本がもしかしたらワールドカップの常連となり得た原動力になっているかもしれないし、世界を見渡しても「キャプテン翼」のアニメを見たことでサッカーにハマり、世界的な選手へと成長していった人も少なからずいるだろー。アレッサンドロ・デルピエロなんかがその代表格。あとはリオネル・メッシとか。

 そんな直撃世代がもしも目の前で「キャプテン翼」を描いた高橋陽一さんが、翼くんとか岬くんとか日向小次郎を描いてくれたら、神を見るのを等しい気分になって尊さを感じ、跪いて見入ったかそれとも伏して拝んだかもしれない。世界にはそれくらいして不思議はない人がいるだろう影響力を持った高橋陽一さんのライブドローイングが、生で見られるイベントが葛飾区のタカラトミー本社で開かれたんで見物。何でも「キャプテン翼」の世界を楽しめるカードゲーム「キャプテン翼フットボールカードゲーム」が発売になったとかで、行くと高橋陽一さんが登場して、慣れないサインペンを使い中腰になりながらも3人のキャラクターをさっと描いて見せてくれた。

 先だって浅野いにおさんのライブドローイングも見たばかりで、何もない場所にしっかりとキャラクターを描き背景まで入れて仕上げていった腕前にプロの漫画家らしさを見た思いがした。高橋陽一さんの場合は顔だけだったけれど、それでも翼は翼で岬は岬に見える輪郭と目をしていて、そして日向小次郎は精悍さが際だって見るからに強そうな感じで、そこにもやっぱり漫画家として30年以上、「キャプテン翼」を描き続けて来た実績といったものが感じられた。ゲームの方は3枚のカードをまずは使いそれに加えたカードで攻守のポイントを比べ、勝敗を決めるといったもので割と簡単そう。南葛SCと明和FCに別れて戦うことが出来そうで、翼と岬のゴールデンコンビを繰り出しシュートを決めたいところだけれど、逆に日向小次郎らを使い相手のSGGK、若林源三をぶち抜くってのも快感かもしれないなあ。ハマっていた人なら大人でも楽しめそうなゲーム。これで遊んで海外にまた翼からプロになる選手が出てくるのかな。

 「コードギアス 復活のルルーシュ」にルルーシュが登場して福山潤さんが出演すると公式からアナウンス。とはいえ回想なのか精神なのか実体なのかは未だ明らかにされず、どういう具合に“復活”するかは2019年2月8日の劇場公開をお楽しみにといったところか。見た人間から言えることがあるとしたら相変わらずC.C.は尻でカレンは乳ということくらい。それだけで十分だけれどそれ以上もあるならこれは楽しい映画ってことになるだろー。問題はその続きの展開があるかってことで、ここはせっかくだから「コードギアス 就活のデュバル」とか「コードギアス 婚活のコーネリア」とか「コードギアス 恋活のシャーリー」とか作って欲しいなあ。デュバルとか会長にくっついていくんだろうか。「コードギアス 妊活のヴィレッタ」……は大丈夫か、子供生まれそうだったし。これは切実な「コードギアス 終活のC.C.」。彼女の最大の望みだから。「コードギアス アイカツのナナリー」ってのもあって良いかも。すでにアイドルだけれどここは是非にステージで。


【12月26日】 東京アニメアワードフェスティバル2019で行われるアニメーション オブ ザ イヤーの候補作をファンからの投票によって決める「みんなの選んだベスト100」が発表になって、2018年度のテレビアニメーションと劇場アニメーション映画が100作出そろった。今のところの得票数では「BANANA FISH」が1位で2位に「宇宙よりも遠い場所」が入っていて、目下放送中な上に原作に熱烈なファンがいるテレビアニメが1位に入る一報で、まったくのオリジナルだったいしづかあつこ監督の「宇宙よりも遠い場所」が続いた意味ってのを改めて噛みしめる。面白かったものなあ。放送が2018年1月から3月で、12月まで続いていた「BANANA FISH」と比べると記憶に薄そうなのに残ったのもそれだけ強い印象を与えたってことだろー。

 あの「ポプテピピック」ですら9位に沈んでいて、「ゾンビランドサガ」とか「SSSS.GRIDMAN」といった新しい作品が上位に出てきていることからも、リアルタイム感ってのは結構重要そう。ここからファンが選ぶ1位を決める投票だと、追い込んだ「ゾンビランドサガ」が上位に出てきそうな気がするなあ。プロが選ぶ作品賞とかだともうちょっと違ってくるかもしれないけれど。一方の劇場映画部門は興行成績も良かった「名探偵コナン ゼロの執行人」が1位に来ていて普遍性の勝利ってのを見せつけた。興行収入がコナン映画で過去最高の88億円はやっぱり半端じゃないってことか。

 「劇場版 夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜」「ガールズ&パンツァー最終章第1話」「リズと青い鳥」も入ってそして「若おかみは小学生!」も入ってSNSでの盛り上がりなんかが反映された感じを受けた一方で、映画祭なんかの賞レースでは本命の「未来のミライ」や対抗の「ペンギン・ハイウェイ」が入ってないのはちょっと意外。一般性すら得られなかったってことなのかなあ。個人的には賞レースでは「さよならの朝に約束の花をかざろう」が獲って欲しいけどそれも入ってなかった。残念だけれど仕方が無い。こうした中からプロが選ぶとなるとやっぱり「若おかみは小学生!」が来るかなあ。まだ上映が続いていた「この世界の片隅に」は受賞したけど映画祭での上映がなかったんで、「若おかみ」には来年3月の復活上映を期待したい。それまで劇場での上映が続く可能性もあるけれど。そっちの方がファンとしては嬉しいかな。

 もしかしたら南氷洋での調査捕鯨などという、世界中からにらまれながら行う疚しさを抱かされ、外交上のリスクにもなっていて、その上にコストもかかる一方で収穫はたいしたことがなく、食材としては今や好事家以外には喜ばれもしないことを誰かさんの思惑にのって営々と続けることは無駄であって、ここでだったらIWCを脱退し、その管理下において認められていた南氷洋での調査捕鯨もできないようになれば、大義名分を立てつつ調査捕鯨から撤退できると誰かが踏んだのかもと、そう思わなければまったくもって意味が不明な日本政府によるIWCの脱退発表だったりする。

 国際海洋法条約によれば、どこであろうとも捕鯨を行うには適当な国際機関にお伺いを立てる必要があって、それがIWCだったりする状況で脱退をして領海だとか経済水域内で商業捕鯨をやりたくても、なかなかやれる状況にはない。それすらも無視して商業捕鯨を行えば、受ける批判は底知れなくて果てしなく、2020年の東京オリンピック/パラリンピックへの参加を再考する国だって出てくるんじゃなかろーか。いわば国際的な恥辱を被りかねない一件であるにも関わらず、誰かさんのプライドを満たすために「我が代表堂々退場す」「聯盟よさらば、わが代表決然議場を去る」を85年とかそんなものぶりに繰り出して、一時の快楽を得てもここから続く道は決して平坦ではない。そうした将来を感じてなお脱退してクジラを捕る意味って何? そこがやっぱり分からない。

 目先のことしか見えないのか。いちおうは全国紙らしいメディアの1面コラムがクジラのコロがいっぱい食えるようになるとかヌかして、そんな簡単にいくわけないし鯨のベーコンがコンビニで売ってたってどういう世界だって苦笑を買っていたけれど、政府でIWCの脱退を進めている人たちの頭もそんなノスタルジーに染まっているとしか思えない。IWCでの交渉に立った日本の元役人とかは、クジラを野放しにすれば海洋資源が食い尽くされてしまう恐れありと警鐘を投げかけていて、それを聞いてコロが喰えなくなるのが寂しいという意見の浅薄さを悟ったみたい。考え無しに書くからそうなるのだ。

 世界的な組織が決めていることに逆らって被る事態を考えた時、諸手を挙げて歓迎できることではないことくらいは分かるだろう。でも、政府もその政府に与するメディアも85年とか昔と同様に、日本の尊厳めいたものが保たれたと悦に入る。そこからギュッと経済を締められ破綻しそうになった挙げ句、逆ギレして突っ込んでいって大勢が死んだ昔をなぞる気十分。そうなった時に政治家は、そしてメディアは責任をとれるのか。築地の新聞が戦争を煽ったとか非難しているのと同じ轍を踏もうとしている無茶を、誰も諫めないからこその衰退なんだろうなあ。参ったなあ。やれやれだ。

 SFマガジンの2019年2月号が百合SF特集ってことで発売前から話題になっていて、予約で完売が予想されたため発売前増刷を行ったにも関わらず店頭から消えてしまったことで、再度の増刷をかけることになったらしい。初音ミク特集でもそこまでいったっけ。世間的にどれほどのバリューがあるか今ひとつつかみづらい百合だけれど、SFマガジンからすこし広げたあたりまでなら十分に通じる吸引力を持っていたってことなんだろう。個人的には美少女が2人いちゃいちゃしているという外形的な美点でもって百合だ尊いと讃える心理は苦手で、美しくなくたって惹かれ会う心情こそが主体的な百合だと思うんだけれど、特集が外形的な称揚か内面的あるいはジェンダー意識的相愛かは読んで判断しよう。百合SFガイドで森田季節さん「ウタカイ」が紹介されている点は誉めてつかわす。これは良い本。ハヤカワで文庫化しないかなあ。

 「『日本国紀』の副読本 学校が教えない日本史」が店頭に並び始めていてぱらぱらっと読んでみたけど百田尚樹さんと対談している編集を担当した有本香さん、巻末で内容への批判があると訴えコピーしてバラまくと言い出す者まで出始めたと非難しているものの、自分たちが大量のコピペを「日本国紀」で行っていたことについては一切触れていない。コピーしてバラまくぜっていう言説は、自らのコピペ行為への批判という文脈、すなわちウィキペディアから剽窃した部分があるならライセンス規約的にフリーコンテンツとしてバラまかれても文句を言えないでしょっていう文脈に乗ったものなんだけれど、そういう背景に一切触れてないからまるで意味が通じない。

 これから順次書店に出回っていく中で、こうした開き直りとも言えそうな部分が読まれていっそうの炎上へと発展するのはちょっと避けられなさそう。4人だかいた監修者に謝意を送っている部分もあったりしたけれど、その中の人には自分は監修者じゃないと言って身を遠ざけた人もいたりするから話がややこしい。ここで改めて謝意を送られて大丈夫なんだろうか。がっつり監修してくれたって言っちゃっているだけに事後が気になる。校閲も3人いたって言ってたりして、それでこれなのかってやっぱり言われそう。とはいえあれだけ朝日で呉座勇一さんが批判をしても、一切触れようとしなところにアカデミズムからの真っ当な批判を受けてスベるのは避けたいって意識おあるのかな。歴史読み物だって最初から言っておけば内容についてはこれほど騒がれなかったのになあ。剽窃云々はまた別の話。年を越してどうなることか。7刷では何が改変されていることか。


【12月25日】 話が出たときにも思ったけれども名古屋大学と岐阜大学の大学運営法人の統合を受けて2つの大学がグループになるなら、もう別々の大学としてそれぞれに同じ様な学部で学生を募るよりも同じ大学にして学部を名古屋と岐阜に分けた方が効率的な気もするというか、バックオフィスだけを統合したって今でさえ人手不足の大学職員が右往左往するだけのような気もするだけに、巧いやり方を模索して欲しいところ。でもってやっぱり名前は名古屋から出て岐阜を平定して岐阜城を作った織田信長にちなんで「織田信長大学」としたら世界も唖然とするんじゃなかろーか。

 でもって次は伊勢を平定して三重大学も組み入れ、近江も組み入れ滋賀大学も安土校として所在地を安土城跡へと移転。さらに越前から加賀越中へと進出していき福井大学金沢大学富山大学も同じグループに組み入れ等しく「織田信長大学」と名乗ったら軍門に降る振りをした京都大学に寝首をかかれて崩壊。けれども後をついて大阪大学も神戸大学も鳥取大学までをも傘下に組み入れた「豊臣秀吉大学」が出来上がるといったところでちょっと話が広がりすぎた。そうなると果てはすべての国立大学が「徳川家康大学」の傘下に入ってしまうことになるからなあ。名古屋大学と岐阜大学と三重大学あたりでちょうど良さげ。誘わないのかな三重大学。

 杉井ギサブロー監督の「銀河鉄道の夜」でキャラクターデザインを担当し、同じ杉井ギサブロー監督の「グスコーブドリの伝記」でもキャラクターデザインや作画監督を務めた江口摩吏介さんが監督を務めて作りたいと願っている長編アニメーション映画「文学少年と書を喰う少女」のパイロットフィルム制作に向けたクラウドファンディングにようやく支援。300万円の目標に対して240万円と8割まで来ていて、ここで冬のボーナスが3ケタでもあれば残りの半分くらいは突っ込んでみたいとすら思ったもののその金額の半分くらいの手取り額ではいかんともしがたく切歯扼腕。今や公務員の方が圧倒的にもらっている経済状況に余裕がある人は是非、応じて欲しいところなんだけれど残り2日といったところで果たして達成できるか。ちょっと分水嶺。でも確実に歴史に刻まれる作品になると思うので、興味とお金のある人は是非。

 竜王位を失った羽生善治棋士の肩書きが羽生善治九段になったと日本将棋連盟が発表。もちろん九段だから九段というのに何の問題もないんだけれど、7つのタイトルについて永世の資格を持ち前竜王という呼び方だって可能な中で敢えて「九段」を選んだということは、やはりまだまだタイトルを取ることができるという自信なり、挑戦してタイトルを奪って肩書きも取り戻すんだという意欲の表れなんだろう。目先もA級順位戦で1番になれば名人位に挑戦できてそこで獲得すれば100期目のタイトルとともに名人の称号もつけられる。そこに向けて自分を鼓舞する意味でも十九世名人だとか永世竜王だといった肩書きは馴れ合いになると踏んだのかもしれない。実際のところ九段であろうと十九世名人であろうと羽生善治という棋士への尊敬は変わらない。それなら現役としてのルールの中で自分を他の現役と同じ条件で戦い抜く。そこに覚悟も見えるけれど、本人はいたって普通に九段だから九段でしょ、って思って選んだのかもしれないなあ。いつまで「九段」か。それが今後は注目ポイント。そんな棋士も他にはなかなかいないよなあ。

 デパートに買い物に行ったって話だったらまだ、商業の最先端を視察して昨今の懐具合がどうなっているかを確認したかったと言えば通じないこともないけれど、総理大臣が近所を散歩したってだけの話を取材して記事にしてそれを配信なり報道してしまう日本の一部とはいえメディアのもはや偉大なる将軍様を仰ぎ見る独裁国家における御用メディア的状況に将来が暗くなる。それのどこがニュースなのか。総理大臣が下々のものと交流するのは珍しいことなのか。天皇陛下がお出ましになられて被災地の方々と交流を持たれたというのは確かにニュースだし、それを見ることによって天皇陛下はいつも僕たち私たちのことを気にかけてくださるんだという前向きな気持を抱くことができる。けれども総理大臣が散歩をして通りがかりの人と会話したって話を聞いて、どんな気持になるかというとそれがどうしたの一言で、何ら前向きな気持になれない。

 むしろそれが報じられてしまう状況に、メディアはいったい総理大臣をどこまで特別な存在にしたいんだといった意図が感じられ、それを止めないでむしろ捧持させる総理大臣の側の作為も感じられてとてつもなく恐ろしい状況に向かっているのではといった不安が増す。通信社が1社だけ、取材をしてそれを今までだったら配信していて記事化するかどうか判断するのは媒体側だったものが、今は通信社も媒体を持っているからそのまま配信してしまったといった言い訳も立つけれど、どこかの総理大臣大好きな自称するところの全国紙が写真まで抑えて載せているのを見るにつけ、一部に総理大臣を天皇陛下の高みまで押し上げたいような意図が蠢いているかのような錯覚を起こしてしまう。それが錯覚なら良いけれど本意だったとしたら……。何かとても拙いことが起ころうとしているなあ。

 NON STYLEの2人がコードギアスのゼロとC.C.の格好をして出てくる「コードギアス 復活のルルーシュ」完成披露イベントがあるってんで見物に。井上裕介さんがゼロでまあ、それなりな格好をして出てくるとは予想していてなるほど背丈はややずんぐりだけれど仮面もつけてゼロといった格好で出てきてくれたし、ご本人もコードギアスが大好きらしくてその知識を活かしたトークも繰り広げてくれたんで納得できた。気になったのはC.C.の格好をしてくるという石田明さんで、キャラクターとしてルルーシュやスザク、カレンらと並んで人気の高いC.C.を適当な格好でコスプレされたらかえって宣伝のすべりっぷりから作品への憎しみがわき上がるだろうといった心配があった。

 現れた石田さんはヒールが高かったこともあって長身な上に全体にスリムで、顔だちこそ丸いもののスタイルとしては悪くなく、作品への愛があるかないかはともかくとして見てくれとして許せる範囲内だった。お尻がさらに丸ければ良かったけれどそこまで望むのも酷なんで、全体としてC.C.を冒涜はしていなかったとだけは言っておく。完成披露試写もあって内容については2月9日の公開まであまり突っ込んだ話は言えないけれど、特徴を言うならC.C.は尻でカレンは乳。それは間違いない。あと続編といってもテレビシリーズというよりは劇場版総集編3部作の続き。つまりはシャーリーは継続です。やっぱりテレビシリーズのあの展開は残酷すぎたからなあ、ユーフェミア1人で相当にキツかったけどそこに上乗せになったものなあ。だからこそ総集編で改変したのかも。それとも誰かの思惑が入って改変された? そんな想像もしたくなった「コードギアス 復活のルルーシュ」。タイトルも気になるし。復活。ルルーシュ。どういうことだ。答えは2月9日。公開を期して待て。


【12月24日】 そしてまだ終わらなかった「DOUBLE DECKER! ダグ&キリル」はキリルがニカイこと宇宙に浮かぶコロニーからやって来た人間で、そして肉体を強化する薬品「アンセム」への抗体を持っていていろいろと狙われているらしいと判明。だからクーパーという軍人に勧誘され誘い込まれて囚われたものの、そこにやってきたダグに助けられさあ逃亡となったところでキリルの姉のミラというか兄のヴァレリーが舞い込んできて捕まって人質に。なんて間抜けな、って思わないでもないけれど、自分から身を隠すくらいに聡明なヴァレリーがただ弟が心配で危ない場所にやってくるものなのか。切り札となっていたキリルからとった抗体入りの弾丸もクーパーに踏みつぶされてしまった中、大逆転が働くとしたら意外なところからで、捕まったヴァレリーがブラフでフェイクでそこから突破口が開けると踏んだけれども果たして。今ひとつ盛り上がってないけど僕は好きだった秋アニメ。最終回まで見守ろう。

 秋元康さんのプロデュースによってアイドルたちがガールズバンドを組んでデビューするプロジェクトが立ち上がったとか。同じ楽器でも演奏する人が何人かいて楽曲によって選抜するというのはアイデアとしてはユニークだけれど、そんなものはセッションであってバンドと言えるかというとちょっと微妙。それにアイドル的な美少女たちに楽器を持たせて弾かせてデビューさせるなんてことは、プリンセスプリンセスがかつて赤坂小町としてデビューした時代からある話だし、SCANDALだってダンススクールの選抜4人が弾けなかった楽器を特訓して弾けるようになってデビューして今に至る。もう腕前はプロ以上でドラムのRINAとかギターのMAMIなとかセッションに参加しても弾きこなせるだろう。

 もっとも、プリプリやSCANDALがアイドルからバンドへと“脱皮”していく展開に、愛玩からの脱却めいたものが漂って反骨とか反攻といったものを醸し出しているのに対して、秋元さんのバンドは美少女でアイドルが楽器を弾いたら格好いいんじゃね? 的な外形がまずあって、その裏側にもしかしたら必死に楽器をやって来ました的ドラマもあって、それをちょろっと見せて感動を誘って引きつけつつ、でもやっぱりアイドルなんです的な薫りでもって引きつけようとしている印象。それで引っかかるのがイマドキのチョロいアイドルファンだと思われているのが癪だけど、実際に楽器を弾きこなす姿をみれば努力も感じつつ格好良さも覚えて興味を抱くんだろう。その意味では面白い。

 ただ、そうした試みもブシロードの木谷高明さんが「BanG Dream!」なんかで既にやっていることで、声優さんたちが楽器を奏でるバンド少女たちが登場するアニメーションに出てゲームにも出てそしてリアルでも楽器を演奏するライブを開くといった展開を行っている。「けいおん!」で出演した声優さんたちがアニメでは役として楽器を弾いていてもリアルではそうしたところを見せなかった一方、「ラブライブ!」シリーズでは声優さんたちがアニメでアイドルユニットを結成して役として歌い、そしてリアルでも同じコスチューム、同じ振付で歌って大いに盛り上がったという、そんな流れからアニメでもリアルでも楽器を演奏して歌えば格好いいんじゃない的着想で、生み出されたもののような気がする。

 アイドルにも増して楽器を演奏するイメージの薄い声優さんたちが頑張って練習して舞台に立って演奏もしてのける。それで武道館公演まで成し遂げてしまうドリームが先行してあったりすると、秋元さんがやろうとしていることはどうにも遅く感じられてしまうけれど、「BanG Dream!」なんて知っているのはアニメに詳しいファンくらいで、実際の人はメディアの人間も含めてまるで存在を認知していない。だから目新しいと思い飛びついて話題にして記事もするし、レコード会社もついているから歌番組にも出てくるだろう。来年なんかは紅白歌合戦とかにも出てしまうかもしれない。μ’sやAqoursがいくらCDを売ったってライブを満席にしたって、所属レコード会社が新興のランティスでは歌番組からは呼ばれない。そんな分断された音楽状況を分断されたメディア状況が盛り上がっているように見せかける。でも実際の音楽ファンたちはどうなのか、ってあたりでこれからいろいろとひずみも出てくるんだろう。

 喜多川信さんの「空飛ぶ卵の右舷砲2」(ガガガ文庫)が登場。今度は伊勢湾が舞台だから名古屋ライトノベルって言って良いかな。名古屋弁は出ないけど味噌おでんは出るし。第1巻ではヘリコプター乗りで副操縦士の青年となぜか船長と呼ばせる機長で砲手も務める姉ちゃんコンビが東京地域に出没する樹竜という人間を陸上から海上へと追いやった怪物たちを相手に戦うストーリーが繰り広げられたけど、それがひとまず片付いて拠点としていた伊勢湾へと戻ったところで、東京で知り合った少女の弟で体が植物みたいになってしまうヤドリギと呼ばれる状態に陥った人間が誘拐されたと言われ、取り戻すために動き出す。

 副操縦士の青年には妹がいてやっぱりヤドリギの状態にあって、そうした思いも働いたらしいけれども相手は誘拐されたヤドリギたちが運ばれる途中でかっさらった海賊たち。そこを突き止め乗り込むまでの物語があって、その上に本来ヤドリギたちをまとめてさらった一味との戦いも待っていて、その過程で人間の決して綺麗ではない部分も見え、そして自分の感情を他人に添えて語ることの難しさが描かれ、それでもやっぱり後悔しない生き方をしようといった思いが浮かんで立ち止まっていた足を前へと進ませる。そんな展開。

 もちろんヘリコプターによる空戦シーンもいっぱい。オズという名の機長の妹で、東京でヘリコプター乗りとして活躍しているセキレイは出ず、対樹竜戦も今回はなく棘を生やしたエキュレイユという機種のヘリコプターを相手にした緊迫のバトルが描かれる。映像でみたいねえ。アニメ化しないかねえ。次は大阪湾へと出向いてヤドリギを誘拐する謀略の真意が掴めそう。集まったヤドリギたちを樹竜が襲わず引き返した理由も判明するか。刊行が待ち遠しい。しかしモズっていったい何歳だ。姉ちゃんなのかおばちゃんなのか。マヨうなあ。

 ヘリコプターといえば「響け!ユーフォニアム公式吹奏楽コンサート〜北宇治高校吹奏楽部第3回定期演奏会〜」を見に横須賀まで行ったらヘリコプター搭載護衛艦として作られたという「いずも」が停泊していて、それなりの大きさを見せてくれていたけれども目が「ガールズ&パンツァー」の学園艦に慣れてしまっているせいか、あまり大きくは感じられなかった。学園艦は小さな大洗女子学園ですら「C−5Mスーパーギャラクシー」が離着陸できるんだから大きいよなあ。まあ現実の空母は大和型戦艦を改装した信濃で66メートルでいずもの248メートルから18メートルほど長いだけ。空母赤城で261メートルで空母加賀は238メートルといったところでいずもがことさら小さい訳ではない。

 とはいえ、ジェットの時代に戦闘機を発進させるとなるとエンタープライズで342メートルかるから差は約100メートル。これで空母と言われヘリコプターからせいぜいがSTOLを飛ばす程度のものを配備して、制空権の確保にどれだけのメリットがあるかと言われるとなかなか難しい。オスプレイでもF35Bでも搭載したところで敵艦隊は撃滅できないし離島防衛にだってどれだけ威力を発揮できるのか。人員と物資の供給拠点として利用できる程度ならそれらが出向くシチュエーションなんて災害派遣くらいだろう。そのためにわざわざ作って運用するとか奇妙だけれど、やっぱり持ちたい航空母艦って奴なのかもしれない。いっそそれなら空中戦艦でも作るくらい言えば良いのに。科学立国日本の威信をかけて反重力を生み出して。それが夢ってものだから。

 さて「響け!ユーフォニアム公式吹奏楽コンサート〜北宇治高校吹奏楽部第3回定期演奏会〜」は前に神奈川で聞いた第2回と比べてMCとかあまり入れず作中の下手な演奏の再現とかも入れずにひたすら「響け!ユーフォニアム」に関連した楽曲を演奏していくといったもので、最初と最後にTRUEさんによる「DREAM SOLISTER」と「SOUNDSCAPE」のコンサートバージョンによる歌唱があってとユーフォの音楽にハマった人ならたっぷりと浸れるコンサートに仕上がっていた。注目はやはり映画「リズと青い鳥」に登場した楽曲「リズと青い鳥」のフルバージョンで、映画では流れないけどCDには入っている第1楽章から第4楽章までをきっちり演奏してくれた。

 中でもやっぱり第3楽章のオーボエとフルートの掛け合いは、映画の中にも増してスリリングというか映画だと途中で感情が昂ぶりすぎて傘木希美のフルートが止まってしまうけれど、そこは洗足学園音楽大学 フレッシュマン・ウインド・オーケストラだけあって完璧に譜面以上に情感も含めて再現してくれた。ちなみにオーボエもフルートもどちらも女性奏者。というか全体に女性が多くて「三日月の舞」で高坂麗奈が吹くトランペットのソロも女性が吹いていたし、その「三日月の舞」でアップになるシンバルもやっぱり同様に女性だったし、小笠原晴香部長が駅コンで吹いた「宝島」のバリトンサックもやっぱり同じバリトンサックスを女性が吹いていた。合わせたのか元から奏者に女性が多いのか。音大だから女性が多そうだけれど楽団となると男性も多い世界なだけに気になった。ともあれ素晴らしいコンサート。また見たいけど次も開いてくれるかな。次こそは東京都内で見たいなあ。


【12月23日】 御手座祀杜さんの「アジャンスマン:あるいは文化系サークルのラブコメ化を回避する冴えたやりかた」(ファンタジア文庫)が凄い。現代コンテンツ表現調査部会ことPR会というのが高校にあって、かつて世界が驚く映像作品を創作しつつも会員たちは正体を明かすことなく卒業して離散。そしてひとり、休学を経て復学した会員の山繭旁が改めて登校してPR会に顔を出すと、そこはオタク少女の溜まり場になっていた。コスプレ大好きな江良メルカ、SFやロボットアニメに詳しい上代アキナ、見た目は外国人の黒田・イシス・シュトラッサー、そして声優らしい天竜寺かなた。ハイスペックな美少女たちに囲まれて、取り残されたダブリのオタク先輩が引っ張り回されるラブコメ展開が始まる、かと思ったら違ってた。

 天竜寺かなたはサインを求められるくらいの活躍をしはじめていて、イシスは店頭のタブレットにフリーハンドで絵を描くと周囲で見ている人たちが驚くくらいのハイレベル、レイヤーも自作で本格的な衣装を作るし誰とでも仲良くなれるくらいにコミュニケーション能力に長け、そしてアキナはネットの小説投稿サイトに作品を発表し始めていて、それがとても優れていた。そんな少女たちの能力に気づいた旁は、もっとアクセスが欲しいと願ったアキナの希美を叶えようとする。実は秘められていたその能力で。

 アジャンスマン、すなわち<改編>の能力者として様々なアドバイスを繰り出し、アキナの創作能力を持ち上げることができる旁。ネットの小説投稿サイトでどういったジャンルが読まれ、そして人気を得られるかを分析して提案し、SFだった作品をそのストーリー性も活かしながら人気のファンタジーへとすり替えさせ、望みどおりにアクセスの上位へと踊り出させる。かつて世界が注目したPR会の創作でも、旁はその<改編>の能力を発揮してクリエイターたちを持ち上げた。だから世界が驚く作品が出来た。それが訳あってしばらく学校を離れていた後、戻ってきて新たに発動させる機会を得た。

 そう。オタサーが舞台のラブコメと見せかけて、創作とは何か、人気が出るための方策とは何かを示しつつ、創作の能力を一種の異能的に描いた異能バトル的雰囲気も感じさせるのが「アジャンスマン:あるいは文化系サークルのラブコメ化を回避する冴えたやりかた」という作品。この捻り具合がどうにも凄い。面白い。旁の立ち位置もユニークで、ライトノベルによくあるようにひとり創作に関する能力を持たない無能者に見せかけて、これもまたライトノベルによくあるように違う異能を持ってそれが発揮され、俺TUEEEではなく誰かを強くさせる。それが<改編>の能力。かつてのように創作の異能を持った少女たちが集いしPR会で旁は、改めてその異能をふるって少女たちを導く。

 読めば創作にかける熱情を感じ、創作の才を持たないことに歯噛みし、けれども自分にもできることがあるかもと感じられる。かつての仲間たちは今、どうやら四分五裂しながらそれぞれに活動を始めていて、文化という部門でそれぞれに世界を変えようと画策している様子。そんなひとりがアキナと旁の前に立ちふさがって、人の心を操り導く文才を使って翻弄してくる。なおかつ旁にも組まないかと呼びかける。つまりはそれだけの能力を旁は持っているということ。けれども応じず今のPR会に残って少女たちを上へと導くことになりそう。かつての仲間たち、そして因縁のある者たちが立ちふさがりそうな展開の中、文化系異能バトルが繰り広げられそうだ。そこからどんな創作物が送り出され、どんな創作論が、創作法が示されるのか。続きが楽しみ。PR会に加わってきた前生徒会長の大きな胸ともども。

 そして最終回を迎えた「SSSS.GRIDMAN」はすなわち「電光超人グリッドマン」のエピソードのひとつというか、ある種の続編であったというか。自分を神様と言っていた新条アカネの立ち位置はコンピューターワールドに自分の思いを投影させることができるリアルワールドの住人。想像するならきっと思い通りにならない世界への鬱屈から逃避していたんだろうけれど、コンピューターワールドでもうまくいかない自分にだんだんと落ち込み、そこをアレクシス・ケリヴにつけ込まれて怪獣を生み出す依り代にされてコンピューターワールドを大混乱に陥れた、って感じか。ハイパーワールドからリアルワールドを経てアレクシス・ケリヴを追いかけてきたグリッドマンは敗れて四散し記憶も曖昧に。けれども響裕太の体を借りて戦ううちにだんだんと力を取り戻していったという、そんな感じ。

 気になるのは、すべてが終わって新条アカネがリアルワールドへと帰還したあとのコンピューターワールドだけれど、グリッドマンから放たれたフィクサービームによってとりあえずは修復されてラストバトルの後は消えた模様だし、娘の方のアノシラスも残っているからアンチともどもしっかりと世界を維持していってくれるだろう。そこでかつて新条アカネによって消されてしまった人間たちも元に戻っているかが気になるけれど。というか、そもそも意思めいたものを持ってそこで人間たちが暮らしているってことの方が奇妙なんだけれど、「電光超人グリッドマン」のアノシラスが登場する回で音の妖精が実体化して現れたところを見ると、そちらはそちらで世界がちゃんと営まれているんだろう。だから続く、これからも。

 あとは戻った新条アカネの行く末か。「SSSS.GRIDMAN」の世界で自分を思ってくれる友だちとして作り出された宝多六花からは、ずっといっしょにいたいという願いは叶わないで欲しいといった、ある意味で決別だけれどその真意は新条アカネにちゃんと日の当たる世界に戻って欲しいといういたわりから出た言葉を受けて、目覚めた世界でいったい何を始めるのか。怪獣を造形してモデラーとして名を馳せる? それも気になるところだし、そもそもが幾つなのか、そして誰なのかも気になる。「電光超人グリッドマン」に縁の誰かかなあ、当然テレビシリーズから25年が経っている現在のように時間も経過しているんだろうなあ。翔直人や馬場一平、井上ゆから主人公たちの子供とか。悔い改めた藤堂武史の娘が親みたくひねてしまった? そんな事後譚があれば見たいなあ、「電光超人グリッドマン」の事後譚として実写の特撮で。

 ヒューマントラストシネマ渋谷で「revisions リヴィジョンズ」の先行上映会を見物。3000円は高いかもしれないけれどS.D.Sこと渋谷ディフェンスサービスのTシャツがもらえるから逆に安いかも知れない。ストーリーについては2019年1月の放送開始まで伏せるかというと、すでに木村航さんによるノベライズ「revisions リヴィジョンズ1」がハヤカワ文庫JAから発売されていて、そこでだい4話までのストーリーがすべて明かされているので読めば設定も展開もだいたい分かってしまうから、すべて隠す意味はないだろう。渋谷の半径1キロが300年以上も先の未来に転移して、そこでリヴィジョンズなる勢力が人類に何かしようとしていて、アーヴなる組織が人類を守ろうとしているように見える構図。でも本当はどちらが人類の味方かはちょっと分からない。そこが謎めく。

 そんな未来に転移した大勢の人間の中で高校生の5人がメインキャラクター。中の堂嶋大介は小学生の頃に誘拐されて、そこで謎の女ミロに助けられて皆を守るように託された記憶を持っている。それを守って中が良かった他の4人を守ろうとして突出して手も出してウザがらえるけど本人はいたって大まじめ。そして未来への転移が起こってミロと“再会”してストリング・パペットというロボットを託され操縦して襲ってきたリヴィジョンズのメカを退けたら、自分はもうすっかりヒーローだと舞い上がってしまうから厄介というか。それで失敗もして反省すれば良いんだけれど、持ち上げられれば図に乗るタイプなだけにちょっと心配。けどやっぱりヒーローだから未来での過酷な日々の中、何かを学んでいくんだろうと思いたい。量子ゆらぎとかシュレーディンガーの猫になぞらえられる観測者問題なんかも取り入れSF的なアイデアも潤沢。観終わって感嘆すれば日本SF大賞だって狙えるかも。期待しよう。


【12月22日】 一田和樹さんの「大正地獄浪漫2 浅草十二階事件」(星海社FICTIONS)を読み終える。本が人を惑わし事件を起こさせるのを止める組織、内務省直属秘密組織・特殊脳犯罪対策班ゲヒルンが新たに対峙するのは、「死娼館」という読んだ女性を淫乱な娼婦に変える本によってもたらされる悪影響。女装しながらも戦えば最強に近い葵ですら影響を受けて意識を失い、気付いたら娼館で客をとっていてそれを当然と思ってしまったのだから恐ろしい。それでもかろうじて気を取り直して抜け出しつつ、戻って組織を挙げて取り締まりに向かうものの、実働部隊にあたる人形女給兵団のメンバーが被害を受けてしまったりと解決に壁が立ちふさがる。

 それでも組織を挙げて娼館の蔓延っている状況を是正し、政府や軍隊の内部にまで食い込んでいた影響を排除しようとしていった果てに見えてくる、片目金之助という組織のトップが何を画策していたかが浮かび上がってきてその思考の凄まじさに圧倒される。表面的には人形女給兵団の隊長が休養を取る間の代理隊長を決めるため、4つある舞台のトップを務める四天王が特徴を活かして試合を行う展開に、バトルものの楽しさも味わえるけれど、そんな余興めいた展開すらもすべて片目による策謀パーツに過ぎないから恐ろしい。少女が娼婦になってしまう事件、一斉に列車に飛び込み轢死してしまう事件の謎を解いた崎、巡らされる片目の時代ならではの策謀に驚こう。

 声でガッツを演じていたって肉体までもがガッツじゃないから、リアルでオールマイトのそれもマッスルフォームを演じるのってやっぱり難しいに違いない。それでも元の肉体が鍛え上げられていて長身な岩永洋昭さんなら演じれば完璧に演じられそうだと、ジャンプフェスタ2019のネルケプランニングで舞台化される「僕のヒーローアカデミア」の発表会を見て感じる。本人は体重を40キロ50キロ増やして身長も3、40センチ伸ばすと言っていたけどそれは冗談。ただ誰よりもオールマイトになりきっていたって、ヒーロースーツを着てみた姿への印象を話していたから少し鍛え、なおかつ演出も含めて役になり切る舞台では、本物のオールマイトがそこにいるって思わせてくれそう。

 緑谷出久や爆豪勝己といった学生についても文句なしの姿を見せてくれそうな舞台。漫画やアニメと違って元が二枚目だったり可愛かったりする俳優たちだけれど、それでも雰囲気としての出久であり爆豪を演じてくれるだろう。気になるのは麗日お茶子ちゃんかなあ、あのプニプニとしたボディラインはちゃんと出してくれるのかな、それを言うなら八百万百かあ、谷間とか出しちゃっているものなあ、蛙吹梅雨ちゃんはやっぱり蛙っぽいのかなあ、そして葉隠透明は……ってキャスト表に葉隠はいなかった。やっぱり無理か透明人間を見つけてくるのは、あるいは光学迷彩を発明するのは。とりあえずどれだけの暴れっぷりを見せてくれるか楽しみ。実写映画化も噂されているけれど、それに負けない日本ならではの2.5次元化って奴を見せてくれ。

 言わんこっちゃないというか、ファーウェイのスマホを分解したら「余計なもの」が出てきただなんて誰ともしれない政府関係者とやらの言葉を報じてファーウェイは怪しげな会社だって印象を満天下に広めたお台場のテレビ局が、当然の如くにファーウェイから法的措置をちらつかされてさあ恐れ入るかと思ったら、元自衛隊のサイバー防衛隊初代隊長とやらを引っ張り出してきて、「余計なもの」という言葉から想定できるハードウェア的なパーツではなくソフトウェア的な操作でもってバックドアがしかけられ、データが抜かれてるってニュアンスのことを報じて開き直ったからファーウェイとしても堪忍袋の尾が切れたか、引き続き法的措置を口にしてプレッシャーをかけてきた。

 だいたいが元防衛相のサイバー専門家の言だって自分で調べて見つけたというものではなく、入手している情報といった感じで具体的な検証を行った上でのデータではない。再現性もなければ実在すら疑われるものを理由に不正を疑われてはファーウェイだってたまらないだろう。当然に釈明を求め受け入れられなければ損害もあっただろうから賠償を求める。当然の流れに果たしてフジテレビが真っ向立ち向かうかと思ったら、記事を消してしまったといった話が伝わってきた。今や世界でも2位のスマートフォンシェアを持つ会社で、通信インフラに関しては世界トップの企業を相手にドメスティックなテレビ局が立ち向かえるはずもない。

 そこを考えるなら最初の「余計なもの」のところで謝っておくべきだったのに、相手が中国なら何を言っても許される的な気分でもあったんだろうか。あったんだろうなあ、それが今の世の中の空気って奴だから。あるいは目ん玉グループ周辺の。同じメディアグループに所属する新聞は新聞で、情報通信技術なんてまるで無縁のおじいちゃん記者がやっぱり根拠を示さないまま悪口をかきまくっている。曰く「『製品を分解したところ、ハードウエアに余計なものが見つかった』とか、『バックドアに利用される可能性』に触れた一部の報道について、『まったくの事実無根です。日本に導入されているファーウェイの製品はファーウェイならびに日本のお客様の厳格な導入試験に合格しております』と疑惑打ち消しに躍起となっている」といった具合に、ファーウェイが図星を指摘されて慌てふためいているようなニュアンスのことを書いている。

 加えて「いくらファーウェイが釈明しても米国などが納得しないのは、次世代通信技術『5G』の覇権争いという側面以前に、同社の正体が中国共産党および人民解放軍の支配下にあるとの確信があるからだ」と。そこにはやっぱり具体的にどんな「余計なもの」のがあったかといったエビデンスは一切なし。バックドアに利用される可能性についても、報道があったとお台場のテレビ局の話をそのまま検証もせずに垂れ流している。もはや同罪といったレベル。そこに聞きかじった中国陰謀論を添えてやっぱり怪しいだろうと言ってしまう飛躍っぷり。訴えられたらこれも論拠不明のネガキャンとして取られるだろう。確実に。

 日本では人民解放軍のフロント企業的なニュアンスで書かれるファーウェイの成り立ちだけれど、遠藤誉さんがそうじゃないってことを何度も書いている。「ホァーウェイ(原文ママ)の創業者、任正非氏は、たしかに何百万人もいた中国人民解放軍の兵士の一人だったが、1985年の中国人民解放軍100万人削減によって『解雇された兵士の一人』に過ぎない」。そこから仲間と頑張って立ち上げた会社で交換機とか売っていたらだんだんと大きくなって、それでも安住せずに多大な投資を行い人も大切にして会社を育ててきた。人民解放軍とやらに搾取されていたらそんな待遇も研究も行えなかっただろう。今も日本に来ては日本の顧客を相手に誤解を与えないよう努めようと社員に呼びかけているとか。どれだけ出来たお父さんだってことで。

 そうしたプロのウォッチャーからの指摘をまってく無視して、おじいちゃん記者は「ファーウェイは設立が1987年だが、80年代初め、最高実力者トウ小平が『4つの使命』という党指令を発し(中略)、情報通信機器4社が創立された。『巨龍』『大唐』『中興』『華為』で、前2社は解散し、もはや存在しないが、中興は今の『ZTE』、華為は『ファーウェイ』へと変貌、飛躍を遂げた」なんて書いてしまえる。そう書いた方が読者としている層には受けがいいことは分かるけれど、でも企業にとって大いなる損失を招きかねない言説を、無根拠で垂れ流して訴えられないという保証はない。現にテレビ局には警告が向かっている訳で、新聞だってとは思いつつも社会的な影響力が既に皆無と化しているのかリアクションが聞こえてこない。それは僥倖、と言えるかというと別の意味で未来に暗雲が漂う。どうしたものかなあ。どうしようもないんだろうなあ。収益悪化に人を減らし拠点も減らして帳尻を合わせようとはしても、原因となった商品性はまったく見直そうとしないんだから。やれやれだ。


【12月21日】 裁判所による東京地検特捜部の拘留延期請求棄却といった事態を受け、今日にも釈放だなんてメディアがこぞって1面で報じた朝に、日産自動車のカルロス・ゴーン元会長を東京地検特捜部が別の容疑で逮捕という所業。個人の会社で行っていた投資の損失を日産自動車に肩代わりさせたといったもので、これ事態は既に報じられていたけれども立件される様子がなかったにも関わらず、拘留延期が認められなかったとたんに持ち出してくるところに検察の慌てた様子なんてものも伺える。もっとも逮捕状を裁判所が出したということでもあって、もしかしたら棄却という部分で裁判所の体面を保ちつつも新たな逮捕を認めることで検察の体面も保つ馴れ合いなんて可能性も、素人ながら思ってしまったりもする。

 いずれにしてもちぐはぐとした展開を海外が見たらやっぱりこの国の司法は奇妙で異常と思うだろうなあ。だから株価も下がる。そもそもが今回、容疑にされた特別背任だけれど自分の会社で出したデリバティブの損を本当に肩代わりさせたかどうかは未だ判然としないところで、損失の出た取引そのものを移しただけに過ぎなくて、それを手じまいした結果として逆に利益が出た、なんて可能性もあったりすると以前、この案件が発覚した時に書いていた人がいた。その後にこの取引がどういう手仕舞いに至ったかは報じられていた記憶がなく、今回の逮捕に際しても取引そのものを譲ったとしても結果として日産自動車がいくらくらいの損を被ったかが具体的、直裁的には書かれていないように見える。

 つまりはやっぱり藪の中。なおかつ公訴時効の期限を過ぎた案件であるにも関わらず、海外にいた時もあったからとその分を縮めてまだ時効にはなっていないといった解釈も加えてきた。留学だと時効が停止するといった話もないでもないけれど、ずっと行きっぱなしではなく行ったり来たりしつつ身分も所在も明らかにしていた人間を、逃亡と同種の扱いにして良いのかどうか。そういったところも海外から奇異に見られそう。この件すらも勾留延長が認められなかった時に検察はどんな手を打つか。保釈はいつになるのか。ケリーというもう1人の逮捕された人は出てくるみたいだし、それを受けていろいろな言説が飛び交った果てに公判維持は可能か否かも判断されて、大逆襲が始まったりするのかしれない。個人的には拘留先に乗り付けたGT−Rに飛び乗り颯爽と保釈されていくゴーンが見たかったなあ。

 蒲田の東京工科大学で羽島テイル「特撮のDNA−『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで−」を見に蒲田へ。途中で松家カレーというそれなりに知られているらしいカレー屋さんに寄って豚肉の焼いたのが上に乗ったカレーをかきこみ、それからキャンパスへと乗り込み、ぐるっと回って見つけた会場に入ってずらっと居並ぶプロップ類を見る。手前には蒲田ということで舞台になっていた映画「シン・ゴジラ」に絡んだ展示。ワンダーフェスティバルの会場にも展示されていた第5形態のプロップなんかも見つつ、やっぱりそこが本場の蒲田くんも見物しつつ進んでいった先で、歴代ゴジラの関連プロップや東宝特撮映画のプロップも見てよくぞ保存してあったと感嘆する。

 撮ったらあとは不要品なのがこうした映画の小道具類。それは特撮だって同様なはずなんだけれど、やっぱり歴史ある円谷プロダクションなり東宝が、後のことを考えてとっていたのかそれとも有意な人がこういう日を見越して保存してあったのか。コレクターから寄贈してもらったものもあるのかな。いずれにしてもこうして収拾され保管されていることによって、後代に特撮というものにはこういったリアルなプロップが使われていたんだってことを証明できる。すでになりかけているVFX全盛の時代では、映画のプロップなんてモニターの中に描画されるものといった認識が主流となっていく。そこにこうした小道具類を突きつけることで、やっぱり作られていたんだ、それもそっくりに、あるいはリアルにといった認識を得てもらえる。

 悩ましいのはプロップがどういう感じて作られたのか、そしてどういう感じで撮影に使われ、だから映画の中で本物っぽく見えたのかといった認識が、展示物からだけでは得られないということで、そこを映像なりで保管してインタビューを流すなり撮影過程を見せるなり、それこそCGを使って映画での使われ方や撮影のされ方を再現することによって、技能として後世に伝承していけるんじゃんかあろーか。そこまでやってくれると有り難いんだけれど、今はやっぱり収拾と保管で手一杯なんだろうなあ。東京都現代美術館で開かれた特撮展だと技術の継承も含めて「巨神兵東京に現る」が作られた。それくらいのお金と手間暇をかけることによってお家芸、伝統芸を維持発展できるだけれど、そこに国が何かしてくれるとも思えないからなあ。いろいろと難しい。

 第73回毎日映画コンクールの候補作が発表になってアニメーション映画賞・大藤信郎賞には長編アニメーションから「未来のミライ」「ペンギン・ハイウェイ」「さよならの朝に約束の花をかざろう」「若おかみは小学生!」「ちいさな英雄−カニとタマゴと透明人間−」「リズと青い鳥」が順当にノミネート。どれがとっても不思議ではないけれどもここはやっぱり「さよならの朝に約束の花をかざろう」か「リズと青い鳥」「若おかみは小学生!」に受賞して欲しい気がするなあ、「ペンギン・ハイウェイ」も悪くはないけど僕としては岡田麿里さん山田尚子さん吉田玲子さんといった才能への注目が集まって欲しいのだった。でもやっぱり「未来のミライ」になるのかなあ、それも悪いとは思わないけど細田守監督はもういっぱい栄冠に輝いているのでここはひとつ。

 短篇アニメーションだとANIME SAKKA ZAKKAで見た若井麻奈美さん「タンポポとリボン」や幸洋子さん「夜になった雪の話」が入っていたり、2人と同じ東京藝術大学大学院のアニメーション専攻出身だったりする佐藤美代さんの「あのねのかぼちゃ」がやっぱり気になる。「夜になった雪の話」が受賞したら「この世界の片隅に」にも何役かで出演していた栩野幸知さんが登壇をして何か言ってくれそうな。水江未来さん「DREAMLAND」も入っているからノンナラティブでありながらもストーリー性をを感じさせるこれが入って今のアニメーションの物語主義をぶち壊してくれる、なんてことも期待。他にもおられる方々も含めて誰が受賞をしても嬉しい賞。見守りたい。

 途中を見たら劣勢に見えたけれども角を馬にして2枚並べてもっていたからあるいはと思ったものの飛車がまったく動けない中で自玉を攻められ飛車も奪われ届かなかったような感じで竜王戦の第7局を投了へと至った羽生善治竜王。これで広瀬章人九段にタイトルを奪われ自身は実に27年ぶりの無冠となって、そしてタイトルの100期獲得という偉業も先へと遠のいてしまった。残念だけれどでも今もA級にいて順位戦では上位を走ってしっかりと名人位への挑戦をにらめる場所にいる。他のタイトル戦でもいつまた予選を勝ち抜いて挑戦者にならないとも限らない。大山康晴十五世名人だって50歳を過ぎてなおタイトルを保持していたし、加藤一二三九段も66歳でタイトル戦に登場して挑戦を果たした。そうした先人たちよりなお強い羽生竜王が無冠になってもすぐに返り咲かないとは限らないから遠からず、100期の偉業を目の当たりにできると思いたい。だからお疲れ様でしたとはねぎらわない。返り咲いてそこでおめでとうと讃える。それが偉大な棋士への態度だから。


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