縮刷版2018年1月中旬号


【1月20日】 まずはこご報告。先達のお3方による推薦を得て、当方の日本SF作家クラブへの入会を諮って頂き、先日に開催の理事会にて承認頂けたとのこと。まずは推薦を頂いた方々、そして承認して頂いた理事の方々に御礼申し上げます。客観として、優れた著作業績等々を持った多くの方々を差し置いて、何故に一介の本読みに過ぎない当方がといったおののきはあるものの、一方に現役として広く読んでいる者を受け入れ、日本SF大賞のような会としての事業を外に開かれたものにしていきたい、といった考えもあるのだろうと推測し、そのために招かれたものとここは理解して、ならば持てる力を絞ってSFの普及と浸透に役立てていきたいと考える所存。会員非会員に留まらず業界の先達の方々には、よろしくお引き回しの程をお願い申し上げます。

 フランスのマクロン大統領が大学生くらいの男女を軍隊に引っ張って経験させる“徴兵制”を復活させると言って国民が大騒ぎに。体験入隊よりちょっとだけ長い1カ月の徴兵が、戦力においてどれほどの上乗せになるかは怪しいところだけれど、そうやって兵役という場に少しでも触れることで例えば忌避していた人の気持ちに同調が芽生えて“愛国”なる意識をグッと強めることもありそう。逆にそこでの経験から軍隊だのへの嫌悪感を情勢させる人もいるだろうからやっぱり効果については判断が難しい。

 ひとつ言えることはそうした場において例えば銃器の取り扱いまで教えるとしたら、国民皆兵のスイスじゃないけど自動小銃だって拳銃だて扱える人がグッと増えてはそうした銃器を使っての悪巧みなんかをする可能性だってあるってこと。そうした懸念も含んでなお実施するならそれだけの効果を見込んでいるんだろうなあ。やっぱり愛国心か。いっそだったらリセの女子高生を引っ張り戦車に乗せて「玉葱の歌」を歌わせてみれば良いのに。日本の人気アニメーションの再現だと言って喜んで参加するかも。

 舞台や雰囲気に特段の目新しさがある訳ではないものの、次が気になって見てしまう「刀使乃巫女」。十条姫和が折神紫に荒魂を見て襲いかかったものの撃退されたところを衛藤可奈美が助けて一緒に逃走。その唐突さの裏に可奈美の超高速な姫和の動きを見切ったどころか、そんな姫和ですら見られなかった紫さまの背後に浮かんだ荒魂の気配をしっかり見ていた才能の凄さがあることがだんだんと示されて、いったい何者なんだと気になってしまう。

 それだからこそヒロインなんだろうけれど、以前から疑っていた姫和とは違って、その場に来るまでは英雄と疑っていなかった紫さまであっても、いったん背後に荒魂を見たら間違いだとは思わず疑い、姫和を助けて動く可奈美の割り切りぶりはやっぱり凄い。信じるのは自分の見たもの聞いたこと、って感じか。ともあれ追われる2人を助けた女性がつないだのはいったいどんな組織? それは紫さまの背景を知っている? そうした興味をバラまかれては次も見ないわけにはいかないなあ。ってところがやっぱり上手い。剣と美少女の異能バトルって体裁だけじゃない物語作りの上手さ。ゲーム神の高橋龍也さんのこれが真骨頂ってことなのかなあ。

 金曜ROADSHOW!で宮崎駿監督の「ルパン三世カリオストロの城」が放送されてやっぱり良い視聴率を稼ぎ出したみたいで、今やすっかりドル箱となったこの作品が公開当時はサッパリでしばらく宮崎駿監督をアニメーションの第一線から遠ざけることになったのは割と知られた話。ただ1982年頃には「アニメック」を出していたラポートがまとめた「ルパン三世カリオストロの城大事典」を買って読むくらいには宮崎駿監督という名前、そして「ルパン三世カリオストロの城」という作品へのアニメ好きの好評ぶりは定まっていた感じで、3年ほどの間にいったいどういった盛り上げがあったのかがちょっと気になるところ。

 個人の体験で言うならもちろん「未来少年コナン」は大好きで毎週見てはいたものの「ルパン三世カリオストロの城」については劇場へと足を運ぶほどではなかった。それでもだんだんと高まる人気を感じてか、テレビ放送された時に家庭教師に来ていた人に頼んでベータのビデオに録画してもらったという記憶がある。それはだから1980年のこと。つまりは存在も評価も知っていたってことで、そうした知識をどこから得たんだろうと考えるとやっぱり「機動戦士ガンダム」の人気もあって買い始めた「アニメック」とか立ち読みも含めて眺めていた「アニメージュ」あたりからの情報ってことになるのかもしれない。

 ただ「ルパン三世」だけだと手を伸ばしたかというとそこは疑問で、「ガンダム」によってアニメを見て読み考える面白さを知ったからこその敷衍といった可能性は高そう。つまりはぶわっと起こったアニメブームの中で元より才能を発揮していた宮崎駿監督のことも自然と見知ったといった感じで、あとは「うる星やつら」が1981年にスタートしてそこで異彩を放ち始めた押井守監督なんかも含めた作家主義的な雰囲気が、追い風となって宮崎駿監督と「ルパン三世カリオストロの城」を名作の類へと押し上げたってことになる。決して単体でその才能が見いだされた訳ではないことは、改めて考えておきたい。それが風を読むってことだから。そんな「ルパン三世カリオストロの城大事典」で世に出てそして漫画家として活躍し始めたのがかがみあきらさんだったなあ。「風の谷のナウシカ」で宮崎駿監督がさらに名声を高めた1984年に死去。もったいないなあと改めて。

 そして見終わった丸の内ピカデリーを会場に下アニメーション爆音映画祭での今敏監督の長編アニメーション映画「パプリカ」上映。もう公開時から散々っぱら見ているから大体のストーリーは頭に入っているはずなのに、それらを表現するビジュアルの奇想にして躍動し変異のはてに混交を来す展開が目を奪って離させない。そしてスクリプト。筒井康隆さんの原作があるとはいえ映画という表現に合わせいじって絵に当てはめ聞かせてくるから知らずリズムに飲み込まれて引っ張られて流される。こりゃあ影響されるわ。身近にあんな人たちが現れたら。

 初見では展開にぶん回されてついていけず奇想天外なビジュアルなり例の玩具のパレードなりが目に焼きつき、誰が何を思って行動した挙句にどうなったかまでじっくり理解する暇がなかったけれど、こうなんども見ているとそうした人の狂気の出し入れと連鎖が分かってきて、そうかそうなりそう繋がって巻き込まれて引っ張り込まれながらも逃げ出し戻って戦ったのかと分かってくる。そうなった時にこの映画は最初から最後までが計算し尽くされたものだったと理解が及ぶ。そしてまた見たいと思わせる。あのビジュアルに見えるために。繰り返される驚きを自分自身と共有するために。

 この「パプリカ」は奇しくも同じ筒井康隆さんの小説を原作にした細田守監督の「時をかける少女」と同じ2006年に公開されてそして今敏監督にとっての映画としての遺作になった。一方で細田守監督は3年おきにコンスタントに「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」を作って日本のアニメーション映画監督としての地位を確立し、商業面でも計算できるクリエイターになった。同じように今敏監督が作り続けていたらどうなったか。カルト的人気から脱して普遍の人気を得たとも、その高まる海外での評価が爆発して世界の賞を総なめにしていたとも想像できる。けれども夢は夢でしかない。現実にはならない夢なら見続けつつ今、続く才能を見出し送り出すことでそじょ無念に答えたい。答えられるか日本、映画、アニメーション。

 しかしやっぱり千葉敦子はアニメーション映画屈指のヒロインだなあ、半目で辛辣で才媛だけど中にパプリカがいて情愛がある。そんな佇まいがいいのと細身の肢体がいいのとあってずっとだって見ていられるのだった。そしてきたるクライマックスの超巨大敦子。いつか今敏パークができたら実物大で再現してほしいなあ。理事長じゃなく。あと「パプリカ」では今敏監督のお声が聴けるのが良い。描かれているキャラクターも今敏監督風。観ればいつでも今敏監督に会える映画でもあるのだなあ。次はいつ映画館で会えるだろう。楽しみにしつつ待とう。

 自省なき提言なんていったい誰が信じるんだろうと考えるならば、「新聞記事そのものが、今やフェイク視されている自覚が欠落」といった見出しで書かれた1面コラムを読んでそのとおりだと喝采を贈る人なんで皆無だろうなあ。だってその新聞が過去にしでかしたのは編集委員が国会議員の悪口を書いては裁判に訴えられて最高裁で敗訴したことだったり、東京都内の区役所が自衛隊を拒否したと書いて区役所から嘘だろうと非難されたこと。なおかつその自衛隊に関する記事は当の1面コラムが翌日にまた引っ張って再度非難を浴びるといった具合にフェイクの上塗りをやってしまっている。そうした過去への自省をせずに「反省なき責任転嫁を繰り返すようでは、残念ながら新聞はますます信頼を失うだろう」と書いたらどの口が言うんだと失笑されるだけだろう。それで済めばいいけれどもうこれはダメだと見放されていったら先に来るのは奈落の底。そういう意識があれば書けないコラムを書いてしまえるところに分かってなさ、見えてなさの究極があるんだろうなあ。やれやれ。


【1月19日】 そして見た「ミイラの飼い方」の第2話は、サンリオでのグッズ展開の発表会に登壇した茜屋日海夏さんが演じる茂木朝ちゃんが登場して喋ってミーくんを可愛がってて人形だと間違えてもらってしまったけど逃げられてしまって無くしちゃったと謝るシーンが可愛かった。そして新しくもらった今度は本当の人形に触れて違和感を覚えなかったのかがひとつの謎。本物のミーくんは包帯の上から触るとぷにぷにしているんだけれど、それを急ごしらえの手芸で作ったぬいぐるみも再現していたんだろうか。いたとしたら中に何が入っているんだろうか。ちょっと知りたいかもしれない。来週は柏木カエデさんが本格登場するのかな。眼鏡をかけた「KAEDE様」がどうなるかがちょっと楽しみ。

 心に残るメロディを作るソングメーカーとして意識したのは渡辺美里さんの「My Revolution」を聞いた時あたりでそして中山美穂さん「JINGI・愛してもらいます」のメロディラインもそれに重ねて聞いてピクッと来てこれはちょっと凄いかもと覆い始めたのがだいたい1986年くらい。前後してたぶんあれは山下達郎さんのライブに行ったら無料でくれた雑誌か何かでTM・NETWORKが取り上げられてて、TMが「タイムマシン」の略だといったインタビューを読んだかしてSF好きとして興味を引かれたような記憶がある。

 その当たりで出たアルバムが「GORILLA」でたぶんこれを貸しレコード屋で借りて聞いてビートの利いたサウンドと宇都宮隆さんのパワフルなボーカルに惹かれたのがユニットとしてのTM・NETWORKを聴き込むようになった始まりだろうか。遡って「RAINBOW RAINBOW」を聞き2ndアルバムの「Childhood’s End」というタイトルにアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」じゃんと気付いてやっぱりSF好きなユニットなんだとSF好きとして嬉しく思ったのも記憶としてあるけれどもはっきりしたことは覚えていない。

 そんな初期3枚から始まったTM・NETWORKが「Come on Let’s Dance」あたりで中山美穂さん渡辺美里さんのヒット曲に重なるサウンドを自分たちでも聴かせてくれて、そして「self Control」を経てテレビアニメーション「シティハンター」のエンディング曲になる「Get Wild」で大爆発。ビジュアル的にも人気となって歌番組に引っ張りだこになっていくにつれてなぜか僕のユニットへの興味は薄れていったけれど、それとは逆に小室哲哉さんが単体で作り出す楽曲が世に染みだし初めてそれを聞いてああ、いよいよ時代が来たんだと思ったけれどもまさかあれほど爆発的な存在になるとはちょっと意外だった。安室奈美恵さんに鈴木亜美さんに華原朋美さんにTFRにglobe等々。聞けばそれと分かる曲を送り出して世界をも席巻したと思われてからもう20年くらいは経つんだなあ。

 ちょっとした週刊誌沙汰があってそして会見した小室哲哉さんが引退を表名。楽曲を作り続けることに才能面の枯渇があったとは思えないけれど、自身が音楽の権利に関するいざこざで罪に問われたことがあり、そして結婚していたglobeのkeikoさんが病気になってその介護が大変だったこと、自身の体も決して万全ではないことが重なっていよいよ気力も切れてしまったんだろう。まだ59歳で今年60歳という決して老齢ではないところで引退するのはもったいないけど、これまで決して酷い障害は残っていないと言っていたkeikoさんの病状が、ちょっとした退行を起こしてしまっているくらいに重篤だったことも話していて、いろいろと思うところもあったんだろう。その決断を今は支持しつつそれでも生み出した楽曲たちを超える曲をまた、生み出してくれると期待したい。まだ見ていないTM・NETWORKのライブを是非、見たいなあ。

 実を言うなら今までに1本たりとも「ファイナルファンタジー」を遊んだことがないので、いったいどのゲームのどこがどういった具合に面白いのか分からないし、どういったキャラクターに人気があってそのヒストリーがどれくらい知られているのかといったこともまるで理解できないんだけれど、それでもズラリと居並ぶ「ファイナルファンタジー」シリーズのタイトルとかビジュアルを見ていると、そこかしこで触れた記憶を刺激されてそれくらいに一般的なタイトルでありプロパティになっているんだなあといったことは窺えた「ファイナルファンタジー」の30周年記念展「別れの物語展」。最初のドット絵からどんどんと進化して今はもう実写と区別がつかないくらいに美麗なキャラクターになっているのも、その間の映像表現の発展として認識できるのも面白い。

 それよし凄かったのがスマートフォンに専用アプリを入れたものを持ち歩かせる音声ガイドで、何か展示品の脇に書かれた番号を入力する必要なんてなく、その場所にいけば自然と音楽が流れてくるか、セッティングによっては音声による説明が流れて来て作品世界に没入できる。少し歩けばその場所にある作品にマッチした音楽なり解説が流れてくるといった具合で、ただ歩くだけでいろいろなサウンドを楽しめるところに操作の面倒がなく、自然とそうした展示の世界に浸っていける。返却するとそうした履歴がばっちり記録されているから、聞いたのはあれだと確認したり、あれを聞き逃したと思い出して次の参考にするようなこともできる。いずれビーコンと連動させた観光ガイドなんかにも応用できそうで今後の展開にちょっと注目。

 精霊だって病気になるって、それは人間よりは頑健な肉体ではなく人間よりも繊細で複雑なメンタルに起こるものなのかもしれない、ってことを考えさせてくれる小説が西塔鼎さんによる「エレメンタル・カウンセラー −ひよっこ星守りと精霊科医−」(電撃文庫、630円)。精霊たちと話すことができて荒ぶる精霊を沈めることもできる「星守り」をなりわいとしている巫女のナニカが精霊病に罹っているらしい精霊に直面した先で出会ったのが白い衣をまおったおじさんで、オトギという名の彼は医者だそうでそれは精霊が相手でも同様で、ナニカですら理由が分からなかった精霊病を治す方法を告げてナニカに薬を処方させる。

 その見立ては心の病でどうやらオトギは精神科医らしいけれども少なくともナニカがいる世界にそうした医療技術や医療知識は浸透していない。だったらどこから来たのかという謎がひとつと、そしてナニカが祖母からならったという薬品の知識にどうやらオトギがピンと来るものが含まれていたといった謎から、彼等の正体なりご先祖なりの秘密が見えてくる。そして行き来すら可能かもしれない状況が示されて後、オトギが持つ精神科医としての知識とナニカが持つその世界の精霊にマッチした薬品でもってただ滅するしかなかった精霊病に罹ってしまった精霊を治療して歩く旅が始まりそう。それを通して一般にも通じるカウンセリングとか精神の病気の知識も得られそう。異世界医療ファンタジー野幕開けを喜びつつ続きを気にしていこう。


【1月18日】 ふわっと流れて来た情報だけ見て任天堂もいよいよ幼年少年のプログラミング教育的なものに乗り出すのかと思って読み込んだりプロモーションの映像を見たら普通にNintendo Switchのコントローラーを拡張するものをダンボールで作ろうという提案だったNintendo Labo。例えるならHORIが出しているSwitchのコントローラーを装填すればマリオカートのハンドルになるような拡張商品。それをダンボールから作ってそこにSwitchの本体なりコントローラーを装填することによって、Switchに導入されたゲームとかコンテンツを操作することが可能になるし、逆にSwitchからコントローラに信号を送ることによって振動なんかをさせてそれを動きに変えることも可能になる。

 ただ、そうしたコントローラーを駆動の心臓として使おうにも振動くらいしかしないため、トントン相撲の要領で周囲にダンボールの人形をつけたものを動かすくらい。左右で振動を変えることで進んだり曲がったりといった操作は可能になるけれど、それも振動の赴くままって感じでクルマを操縦しているような感じには成らない。そしてモーターを駆動させて何かを回したり巻き取ったりするような動作の拡張も今のところは出来てない。振動をピストンに伝えて駆動を生み出す? やってやれないことはなさそうだけれど、やるには割と大変そう。そこはだからコンピューターボードとして組み込んで、周囲のモーターとかを制御しそれを駆動に変えるIchigoJam的なプログラミング教育用のアイテムとして使うことは現時点では難しそう。棲み分けっていうか。

 そこはだからSwitchから制御できるボードを任天堂が送り出して心臓として据えることで拡張にもうひと味、加えることになるかどうかってところなんだけれど、それをやったらダンボールの工作キット的なNintendo Laboの面白さと手軽さが損なわれてしまうから、今はSwitchのコントローラーがどれだけのポテンシャルを持っているかを、さまざまなダンボールの拡張キットによって試しつつ自分ならどう使うかといった工学的な“発見”を促すアイテムとして展開していくことにしているのかも。同じようにダンボールでロボットを作ってIchigoJamと組み合わせ、BASICでプログラミングして動かしながらプログラミングの要点を覚えていく「ソビーゴ」とは違ったアイテムとして。ソニーの前後左右に走る小さなロボットにレゴブロックとか人形とかを拡張して対決とかさせて遊ぶ「toio」とはちょっと重なるかなあ。ってか「toio」ってまだ生きてるの?

 これは凄い。そしてすばらしい。第72回毎日映画コンクールが発表になってアニメーション賞に何とふくだみゆき監督による自主制作のアニメーション「こんぷれっくす×コンプレックス」が輝いた。去年は新海誠監督による世紀の大ヒット作「君の名は。」が受賞した賞だけに、一般向けの商業アニメーション映画が取るのが普通で今回も湯浅正明監督の「夜明け告げるルーのうた」が受賞で「こんぷれっくす×コンプレックス」は大藤信郎賞の方かとみていたらまるで逆だった。そこが不思議だし審査員の人たちの英断でもある。側聞したところでは先にアニメーション映画賞が決まるらしいのでそこでこの作品がベストだと押した人がいたってことだろう。

 じゃあ大藤信郎賞は誰ってことになって、学生の短編アニメーションではバランスがとなって湯浅監督に行ったかどうか。まあ去年も大藤信郎賞は片渕須直監督の「この世界の片隅に」で、商業的な大ヒット作と文学的な傑作を並びもり立てるといったバランスが働いての商業作品による住み分けが出来た感じだったけれど、今回はアニメーション賞が自主制作によるFLASHアニメーション。劇場の上映もわずかといった知る人ぞ知る作品をメインに推すのは相当に勇気もいったことだろう。けれどおそれが通ったってところに審査員の人たちの、アニメーションの面白さを追求した作品だといった認識が働いたってことだろー。

 いずれにしても快挙。自主制作のアニメーションが毎日映画コンクールのアニメーション映画賞をとるのは1989年にこの賞が始まって以来初めて。これがひとつのきっかけとなって、商業とかインディペンデントとかアートとかサブカルとか関係なしに、アニメーションはアニメーションだといった地平から議論して選考して贈賞する意識が定着し、広まってくれれば面白いことになるかもなあ。一方の大藤信郎賞を湯浅監督が受賞したのもその作風やその制作体制からみるとこれも妥当かも。サイエンスSARUというスタジオでFLASHを使い少ないスタッフで作り上げていくあたりは商業的自主制作といたt雰囲気もあるから。アーティスティックなビジュアルとテーマも含めて受賞に相応しい。これを機会にリバイバル上映とかあればなお結構。「こんぷれっくす×コンプレックス」との同時上映とかないかなあ。観たいなあ。

 サンリオエキスポで商品化の発表があってアニメーションの放送が決まっていることは知っていたけれど、先週から始まっていた放送の第1話を観たらもうこれが悶絶するくらいに可愛くって面白くってもしかしたら今期でも屈指の人気作品になるような気がしてきた。もちろん「宇宙より遠い場所」とかあったりするし「ポプテピピック」も「BEATLESS」も「ダーリン・イン・ザ・フランキス」もあるし「BORUTO」はストーリー的にも面白さが増してきているけれど、ホッと癒やされ安心できる作品となるとミーくんの可愛らしさが炸裂している「ミイラの飼い方が」が1番のような気がしないでもない。「サンリオ男子」も悪くはないけどあれはキャラクターが動き出すわけじゃない。「ミイラの飼い方」はミイラのミーくんが動いて吠えて涙する。そのいじらしさに打たれない人はいないだろう。実物大ミーくんとか出たら懐に入れて歩く人とかいっぱい出そう。時々「わん」と吠えてくれると嬉しいんだけれど。

 良かった良かった。去年の「超歌舞伎」が終わったあとで病気を発表して療養していた中村獅童さんが今年のニコニコ超会議2018でも初音ミクと共演しての「超歌舞伎」を見せてくれることになったみたい。演目はまだ発表されていないけれども新作というから「今昔饗宴千本桜」とも「花街詞合鏡」とも違ったボーカロイド曲とボーカロイドの登場を含んだ演目を見せてくれることになるんだろう。でもやっぱりラストは獅童さんが観客席に降りてきての「千本桜」によるらんちき騒ぎになるんだ。こればっかりは定番なんで譲れないと思うけれども果たして。あとはNTTの技術をどこまで取り込むかだなあ。イマーシブテレプレゼンス技術「kirari!」を初年度は単体で行い2年目は背景の切り取りも含めて場所を問わずに行った。その上となると果たして。2月のNTTの新技術発表会あたりに注目したい。

 うーん、バブリーダンスが企画として秀逸でそれを踊りきった登美丘高校ダンス部の実力は認めるにやぶさかではないし、そうした実力を買って映画のプロモーションに起用した企画も面白いとは認めるけれど、一方で高校のダンス部といえば登美丘高校しかないような空気が流れ出てしまっているのはちょっと寂しい気がしないでもない。バブリーダンスが世に喧伝された全日本高校ダンス部選手権大会で優勝したのは登美丘高校ではなく同志社香里高校であって、そこが繰り出した一糸乱れぬダンスにはすばらしいものがあった。その力量をたとえば映画のプロモーションで起用して披露するといった展開だってあっただろうけれど、企画者はバブリーダンスで世に知られた登美丘高校をその知名度で選んだといった印象。実力は2の次ってことはないけれど、だったら実力が拮抗し上も行くところがスルーされていいはずはない。今後どこかが起用するなら全国にあるそうした頑張っている高校ダンス部を積極的に取り上げて、ムーブメントを広げて欲しいなあ。でないとバブリーダンスが飽きられたらそのまま女子高生ダンスムーブメントも廃れてしまうぞ。


【1月17日】 笑い声がデカいのは仕方がないところもあるけれど、次にそう来ると分かっているような感じで先に笑い始めたり、言葉による突っ込み入れたりしていたヤカラが舞台「けものフレンズ」の1月16日夜の公演で最前近くの舞台に向かって右端すなわち僕が座ってた席のやや隣方向にいて、誰か止めないのかと思ったものの最後まで言ってしまって結果、ちょっとした騒動になってしまった。歌唱時にひとり無関係なコールをしたのもそのヤカラっぽい。お仕事で見たゲネも含めれば前回2回で今回3回目の観劇なんで、やれやれと思った程度だったけれど、初見の人はネタバレ食らってるようで気持ちが削がれただろう。演者もやりづらかったみたいでいろいろと苦言が飛んでいたので次に見る千穐楽は騒動のない、一体感のある舞台になって欲しいと願おう。

 日本SF大賞の候補になったんでずっと手を出していなかった柞刈湯葉さんによる「横浜駅SF」(KADOKAWA)に手を伸ばす。出てすぐ読んでいたら気付かなかったかもしれないけれど、原作を読んでいなかった弐瓶勉さんの漫画が題材になった長編アニメーション映画「BLAME!」を観たあとだと、なるほど「BLAME!」の設定に相当な影響を受けていることが分かって映画に展開を重ねて観ることができた。「BLAME!」では人類を蔑ろにして増殖する都市が「横浜駅SF」ではなぜか横浜駅の果てしない増殖とう形にになっていて、線路を伝って隣の駅も近隣地域もすべて飲み込んでは本州の果てに辿り着き、九州やら北海道やらに進出しようとして九州や北海道のJRと戦っている。

 線路を埋めて走る列車も飲み込んで増殖する駅を駅として人類が放置してしまった理由とかなかなかに謎だけれど、源流として永遠に工事が続けられている横浜駅という存在がある以上は、その工事が無限に続くといった設定は変えられない。そこにどういった理屈を乗せどんな物語を加えるか、といったところで見せた腕がこの作品では機械文明とかAIとかの反乱めいたニュアンスとしてSF心をくすぐった。広がってしまった横浜駅で生きる人々、どうにかして裏をかこうとする人々の生き様や戦いも環境の上に想像されたもので、いつかあるいは来るかもしれない雁字搦めの未来って奴を想起させる。とりあえず展開では横浜駅は崩壊に向かうようだけれど、それをしのいでさらなる増殖を始めるなんて可能性もあるのかな。ともあれユニークな1冊。「BLAME!」がなければトップだったかも。

 ちょっと前に元琴欧州関の鳴戸親方が率いる鳴門部屋がテレビで紹介されてて弟子のひとりでブルガリアからたぶん来た虎来欧って力士がフィーチャーされていた。まだ髷も結えないぼさぼさ頭ながらも体は大きく将来はとても有望そう。兄弟弟子から誕生日に声をかけてもらえず不機嫌になっていたら夜にプレゼントをもらえて嬉しそういんしているところは日本の若者と変わらない。そしてようやく携帯電話を手に入れたらそれで本国の両親と話そうとしたのも昔ながらもひとりで暮らす子供といった感じだけれど、音声ではなくテレビ電話で顔をみながら話していたのがちょっと現代っぽかった。

 2018年の初場所では三段目にいて今日の時点で2連勝。全勝すれば幕下に上がれてそこで優勝なら十両へと昇進して晴れて関取の身分になれる。そうなって給金も出て部屋も立派に潤う訳で、果たしてそこまで行けるかどうか。琴欧洲関が大関まで行き優勝もしているのを振り返るに付け、モンゴルだけではない欧州出身の力士にもまた大活躍をして欲しいしそれが出来ると思っている。部屋の境遇も良さそうだし楽しそうだし、それでいてしっかり稽古はしてそうなんでまずは今場所の活躍に注目。それのしても今の三段目って羅王って力士もいれば光源治って力士もいるんだなあ。どんな力士なんだろう。凄まじいのか美しいのか。ちょっと気になった。

 うーん、それは口に出すのも文字として書くのも憚れるくらいに醜悪な言葉で、そんなものを世界に冠たる超大国の大統領が口にしたから問題になってるのであって、新聞テレビも嫌々ながら報じる意味もあって使っているけれど、それを1度として以後も延々と使うようなことはしていないだろう。それなのに日刊スポーツときたら、そんな言葉を堂々と見出しにとって、そこから選手が出てきたと書いてのけた。例え日本語であってもそれがどれだけヤバいことなのか、気付いてないのか書いた記者や乗せた日刊スポーツは。日本語のカタカナを読める外国の人が読んだら読んだらどんな気持ちになるか考えないのか。

 おまけにこの記事、すぐ下に陸上競技のウサイン・ボルト選手の写真を堂々と掲載している。つまりはウサイン・ボルト選手は口に出すのも憚れるくらいに醜悪な言葉で称される場所から出てきたと言っているようなもので、例え記事でそうした言葉を使うことが悪いことだと書こうが、そしてたとえ悲惨とされる境遇から世界に出て活躍していることを褒め称えようが、出身地を書くことすら憚れる言葉でもって称されることを嬉しいと思う人なんていないだろう。そういった想像力は働かないのか。働かないんだろう。だから書いてしまう。表だっては良識として使われがたい醜悪な言葉が使われ、顕在化することによってそれが使われたと報じられることも行われ、一般に使われるようになってしまってやがて醜悪な言葉が世にはびこるというひとつの例がまた生まれてしまった感じ。反日だよかサヨクだとか。参ったなあ。

 いやあ参った。一般紙の文化部の記者が週刊文春だとかAERAに掲載された外国産牛肉におけるホルモン剤の投与に対する批判記事への批判を記事としてウエブサイトに書いている。もちろん食品の安全性について啓発する記事は悪いものではないけれど、だったら自分のところで研究者を訪ねるなりしてエビデンスとって確たる論拠のもとの記事化すべきなんだろーけれど、やっているのは週刊文春でありアエラであり記事に対する反論をいろいろなデータから集めて並べているだけであって、国内の食肉加工業者やら畜産業者に聞いている感じもない。

 「2016年に河野太郎・消費者庁担当相(当時)がブログでこんな説明をしている。『肥育ホルモンを与えると赤身の肉の割合が増えるため、サシ(脂肪)を求める日本の生産者には投与するニーズがない』」ってブログから引っ張ったりはするけれど、足で訪ね歩いてデータを集めた節がない。これじゃあアエラやら文春をdisればアクセスが稼げるだろうといった思惑しか感じられない。それを文化部の記者が書いてしまうのはそういう記事しか載せてもらえないと思ったか、そういう記事をかくのがもはや使命と思ってしまっているのか。正月早々、沖縄の観光収入と基地収入の比較とか、沖縄県をdisりたいがためだけにデータをこねくりまわした記事でBuzzFeedに突っ込まれていたばかりなのに、依然として目的のためにはエビデンスとか気にしない雰囲気が改まらない。もう本当に「やばい」状態にある感じ。やれやれだ。


【1月16日】 竜王になりたい。って思った人がぐんぐんと増えていそうな「りゅうおうのおしごと!」のアニメーション放送。小学生女子が押しかけ弟子としてやって来ては同居し、その友達も集まって部屋で明け方まで指導対局を行うといった境遇をハッピーと思えるからなんだろうけれど、現実として竜王という将棋でもとりあえず第1位とされているタイトルに手をかけるにはプロ棋士になるというとてつもない関門を抜ける必要があり、そこから予選を勝ち抜きタイトル戦に臨んで勝利するという果てしない壁がある。そしてなったらなったで奪われるかもしれない、負けるかもしれないといったプレッシャーに潰されそうになる中で、自分を保っていかなくてはならない辛さ。それと引き替えに小学生の女子たちにモテモテになるからといって竜王になりたいか。なりたいなあ。

 そう思って将棋を目指し実際に竜王を取るプロ棋士が出るまであと何年くらいかかるだろう。小説が出始めてからはもう2年くらいになるけれど、今回のテレビアニメーション化で見て憧れる人、評判を聞いて感心を持つ人が小学生くらいに生まれてそして将棋を学んでプロになるまで3年とか4年とかそんな感じか。そして竜王位を獲得してインタビューで「りゅうおうのおしごと!」を読んでましたと言って小学生の女子を弟子にとれますと発言して事情を知らない人たちからアレやコレやと言われるのだ。「3月のライオン」を見てとか「ヒカルの碁」を読んでとかいってもアレとかコレとか言われないのになあ。禁断はやっぱり禁断か。だからこそそれらにも増して面白がられているんだろう「りゅうおうのおしごと!」。そろそろ読んでみるかなあ。

 じゃぱりまんだじゃぱりまんだ、ファミリーマートでいよいよもって「じゃぱりまん」が売り出されたのでさっそくチーズカレー味とチョコ味を買って昼飯がわりにぱくつく。普通に美味い。まあここん家はスライムまんとか作ったりしてコラボレーションにはなれているから普通に味もしっかりとしたものを送り出してくるだろー。企画としても「ドラゴンクエスト」ほど深く浸透しているとは思えない「けものフレンズ」であるにも関わらず、なんとなくそれなりに知られているのかネットとかの反応でも結構売れている様子。テレビでも取り上げられたみたいだし、150万個とかいう限定数もすぐに到達して今生んじゃかかろーか。そうなったら次は色を変えた「じゃぱりまん」になるんだろー。どんな色があったっけ。そしてどんな味になるのかな。ちょっと楽しみ.

 この「じゃぱりまん」とのコラボでは特にキャラクターは絡んでないけど同時にファミリーマートで始まった700円以上のお買い上げでひけるくじにはイラストレーションによるグッズがついてくる感じ。それらはやぱりコンセプトデザインの人によるもので、僕たちがテレビを見て楽しんだあのアニメーション版の雰囲気といったものは感じられない。2月にはすき家でもコラボレーションが始まるんだけれど、それに合わせて「けいばじょう」とか「ふっくら」といった感じで流れて作品性を感じさせつつ面白さも味わわせてもらいつつしっかりとJRAであり日清のどん兵衛のPRにもつながっていたアニメーションが流されることはないだろう。そこがとても悲しいし寂しい。せめて本編がダメならそういうところでの起用は良いんじゃないのかなあ。それですらコアメンバーを脅かす影響力を放つから無理かなあ。つまりは凄い監督なんだよたつきさん。次作期待しています。

 一騎当千の強者をただ政略でもって戦線から遠ざけ田舎に左遷してそこで酒浸りにするのって、軍政的にあんまり賢いとは言えなさそうなんだけれどとりあえずは平和になったといった認識の中で英雄が目立っては拙いと考える阿呆がいるのが政治の世界。という訳でジラルドという炎を放って数千数万の兵士を相手に互角に戦える力を持った英雄を田舎の砦に追いやったら、そこで現地の若い人たちを部下にしつつ酒びたりの日々を送っていた。国に逆らい反乱を起こして実権を取り戻そうとしないところは真面目だけれど、職務に対してはちょっと不真面目。そんな人の良さも軽んじられる理由になっていたんだろうなあ。

 そんなジラルドという25歳の騎士を主人公にした三島千廣さんによる「酔いどれジラルド かつての英雄と押しかけ嫁」(ノベルゼロ)ではタイトル通りに父親が嫁を連れて都からやって来て置いて帰ってしまったから困ったというか驚いたというか。とくに女色が激しい訳ではないジラルドは現地で配下についた少女すら持てあましていたから、背も高いユリーシャという少女に押しかけられてはメイド服姿で身の回りの世話をされ、愛飲していた酒もとられて怒りたくても怒りのもって行き場がない。そんな感じにふわふわしていたところに現れた敵の陰。どうしてまた。そこで村など見捨てて逃げればいいものを、やっぱり根が真面目なのか単身で戦い防ごうとするもジリ貧に。もうダメかと思われた時に現れたのが……。

 といった展開はだいたい予想通り。そうした展開をもうちょっと早めに見せつつ、さらに困難に直面したところを2人とそれから村人たちも束ねてどうにかしのぎつつ、自分を追いやった王都にもリベンジを遂げるようなハードなストーリーを読みたかった気がしないでもない。これで2人で王都に戻って現地妻(違うけど)のハンナはどうするんだ。慕ってくれていたお姫様は怒らないのか。いろいろと予想される泥沼を乗り越えていく展開が続きがあれば見られるのかな。というか16歳にしてジラルドくらいの一騎当千ぶりを発揮していた女騎士をあっさりと退役させてジラルドの嫁になるのを認めてしまう軍政の抜けっぷりがやっぱり不思議。もう滅びるしかないような気もしてきたぞロムレス王国。

 イワビー復帰公演、終わる。PPPのみんなでマーゲイごっこをやっていた。そこに本物のマーゲイが絡めば面白かったけれど本来の姿に戻したということで、前振りのマーゲイがイワトビペンギンの代わりを務めます告知も今回はなかった。やっぱり2日感だけの限定版。ゲネプロだけじゃなく本番も観ておいてよかった。そんな舞台「けものフレンズ」がゲネプロも含めれば5回は観ているんだけれど観飽きないし最後のアイドル対決シーンは盛り上がるし、今回の再演から曲数が増えたんでフィナーレの「ようこそジャパリパークへ」まで含めて5曲が続くミニライブ的な時間帯になってとても楽しい。せっかく買った”ひかるぼー”が前回はそんなに威力を発揮させられなかったけど、今回はめいっぱい触れるんで嬉しいファンも多いだろう。

 そのフィナーレでは観客席にフレンズたちが降りてきて間近に観られる。今日なんて最前列の舞台に向かって右側にいたら目の前にサーバルちゃんが立って「はいどうぞ」をやってくれて最高だった。あとはシロナガスクジラとかプリンセスとかも通過したり立ち止まったり。他の場所でも近くまで来てくれるんで左端になる千秋楽は違った違った風景が見られそう。とにかくラストまで楽しくフィナーレでは涙も浮かんでそして誰もが笑顔で劇場を後にできる舞台「けものフレンズ」。もう同じメンツで、同じ演目で公演があるかはわからないけどこの公演を永遠と心に刻んで今年を乗り切ろう。朝に浅草寺でおみくじ引いたら4回連続凶だったんだ。なんだそりゃ。


【1月15日】 ももいろクローバーZで緑を着ている有安杏果さんがグループから抜けるとの報。すでにももいろクローバー時代から早見あかりさんが抜けてZになっているから、今度も1人が抜けてももいろクローバーZ改とかにするとかいったネタで凌ぐかと思ったものの、5人になってビッグになって紅白歌合戦にも出て大きく飛躍し固く定着したグループを変えることは目下のところなさそうで、残る4人でももいろクローバーZを引き継ぎ活動していくことになりそう。KAT−TUNだって6人が今は3人になってしまったけどKAT−TUNのままなのとまあ同じ、かな。

 芸能界からしばらく距離を置くって報もあって、ソロでもやれるし楽曲も作れる才能が野に下ってしまうのはもったいないけれど、一方で日大芸術学部で写真を学んだフォトグラファーでもある訳で、そっち方面での活躍なんかがあればちょっと面白いかもしれない、って有安さんがどんな写真を撮るかは知らないけれど。ホンマタカシさん系の日常的風景なのか長島有里枝さん系のポートレイトなのか蜷川実花さんのように作り込まれた肖像写真なのか。そんなあたりもその学歴なんかを見た誰かがプロデュースしていくのか、そうした外部的要因に振り回されるのが嫌でしばらく距離を置くのか。後者だとしたら冷却期間を置いて本当の自分を出し始めることに期待。元芸能人というゲタを履いてない有安杏果さんを見られる時を期待して待とう。

 全米の各地にある映画批評家協会の中からハワイ映画批評家協会が賞を選んで最優秀アニメーション映画賞に「Coco」といっしょに片渕須直監督の「この世界の片隅に」を選んだとのこと。各地域の映画批評家協会賞を総なめにしてアカデミー賞も確実とみられている「Coco」と同じだけの評価を得られたってことは、ノミネーションされるとしたら「Coco」が有力とみられている米アカデミー賞での健闘なんてことおあり得るかもしれないなあ。「この世界の片隅に」は外国映画賞も受賞と2冠はさすが。まさかアカデミー賞でも……ってそれはないか、そっちのノミネートは別経由みたいだし。

 嬉しいのはハワイという、ある意味で太平洋戦争の発端であって真珠湾攻撃にいろいろと複雑な感情を抱くだろう人も暮らしている地域で、太平洋戦争末期の日本を描いた映画が認められたってこと。もちろん一方でハワイには日本からの移民も多くいて、広島出身者なんかもいたりして関心とか親近感を抱いた人もいたかもしれない。でもそうした日系人だけが映画批評家協会のメンバーってことはなく、日本を敵国と思ってるだろう人も多い中で作品性が認められてアニメーションとして、そして外国映画として受賞した。底に語られている戦争が日常にもたらす混乱と脅威を、あからさまではなく現実に即して描いたことが誰にでも起こりえる普遍のメッセージとして伝わったのかもしれない。その勢いは果たしてアカデミー賞まで続くか、その前のアニー賞はどうなのか。期して待とう。

 朝からワイドショーでパトリック・ハーランことパックンが、トランプ大統領によるとてつもなく凄まじい失言というレベルすら超えた発言を取り上げて、それがどれくらいとんでもない汚くて醜くて酷い言葉なのかということを解説していた。新聞やテレビやラジオがニュースとしてもそうした言葉を書くこと、放送することがはばかられるくらいの言葉であり、パックン本人が口をすることももちろん母親には聞かれたくないといった恥を強く自覚しているくらいの言葉を、国民の代表であり自由と平等の国アメリカを象徴する大統領職にある人物が、使ってしまって良いはずがなくいろいろなところで物議を醸している。そう呼ばれたアフリカとかハイチあたりはもちろん、同じ共和党内にもこれはさすがにといった空気が出ている感じ。

 だったらすぐに辞任なり弾劾へと至るかというとそうはいかないところに、4割をちょっと切ったところで踏みとどまっているトランプ大統領への支持率がある。どうしてこれほどあんぽんたんなのに支持率が落ちないかというと、元よりそうした失言込みで大統領に選んだような人たちが、そのとおりの振る舞いをされて支持を取り下げるはずもないということ。たとえ醜くて酷い言葉であっても、そういう言葉である以上は本心をある程度代弁しているところもあって、それを代わりに言ってくれたといった喝采もあるのだろう。たとえ大統領であっても。

 はたと気付けば大統領だなんて国の象徴が汚い言葉をまき散らして世界中から侮蔑のまなざしをもって見られたら、それは自分たちへの侮蔑と感じて身を改めるのが普通。でもそこにまだ気付いてないか、同じように来るならやってやるぜの精神に染まってしまっているのか、支持を下げる気配がないところに切り下がっているモラルの水準といったものが感じられる。日本のような。それはなにかというと、かつてなら宰相や大臣としての器を問われ致命傷になった失言や振る舞いが、今は訂正し以後気をつけると言えば見逃されるってこと。そんな宰相らが作り出すリベラルサヨクやハンニチだのといった仮構敵への反感に同意してもり立てるから支持率も下がらず今に至る。

 トランプによる失言の連発も、日本のそんな状況がアメリカにでも起こっているだけのことなのかもしれない。それが超大国アメリカの象徴であって良いのかといった疑問符ももはや意味をもたないくらい、アメリカの大統領という職位は汚されてしまった。このあと誰がなろうとも、健全で潔癖な言葉が支持を集めることはなく、直裁的で激しくてそして醜くもあるけれど心を揺さぶる言葉に支持が集まり、そんな言葉をどんどんと発してアメリカの言論の空気をそれこそトランプ大統領が発した言葉のようなものへと変えていく。そんな中で反目が煽られ対立が生まれていった先、アメリカはどうなり世界はどうなるかが今は心配。日本? お仲間の誕生を歓迎しているんじゃないのかなあ。日本だって反日だのサヨクだのといったタームが前ならこれほどメディアの前線へと出て一応は全国紙の記事に書かれることなんて殆どなかったのに、今は使われそうしたタームにクルリとまとめられ顕在化したい意識の上に反意が乗って、確たる事実もないまま雰囲気だけで攻撃へと至ってる訳で。やれやれだ。

 警察官が制帽を被っていないだけでも職務怠慢で叱られるからあり得ないのに、そうした警察官が駅前で遊んでいる子共を邪魔者扱いしてそそのかし、徒歩で駅2つ分も先にある広場へと追いやるような振る舞いを見せるなんてあるはずがないにも変わらず、そうした警察官を出して交番勤務に据えていたりする「三ツ星カラーズ」には、やっぱりちょっと認めがたい気持ちがあったりする。子供とふれあう良いおまわりさんばかりじゃないとは言っても、職責として子供を危険な目に遭わせたり、おもちゃとはいえ銃器を向けたりするようなことはない。でもそういう警察官を出してしまうところに作者であり、それをアニメーションにした人たちの警察官という職責への理解や敬意が足りない気がする。両津勘吉だって無茶やってたっていうけれど、子供を危険な目に遭わすようなことはしなかったよなあ。むしろだまされやすい大人をだまして自分がだまされるというトリックスターぶりで喜ばせてくれた。そういうさじ加減がないんだよなあ。さても今後どうなるか。面白いから見てはいくけど。


【1月14日】 なんか大学のアニメーション学科とかを出てのインディペンデントアニメーションを作っているクリエイターを総まくり気味な感じが出てきたテレビアニメーション「ポプテピピック」。もとより制作が神風動画でインディーズなところから活動を広げてきた会社ではあるけれど、そこがネットワークをふんだんに活用して知人系のインディーズなクリエイターにがしがしと仕事を依頼しているといった感じ。たとえばオープニングにも名前が出てくるさとうちひろさんは東京工芸大学のアニメーション学科とかで「さとうのちひろ」という作品を作ってASK?映像祭2014で大賞とか撮った人だし、フェルトのポプ子とピピ美にダンスを踊らせたUchuPeopleは東京藝術大学大学院のアニメーション専攻で「パモン」というフェルトのキャラクターが踊る作品を作った当真一茂さんが作った会社だったりする。

 そのUchuPeopleで当真さんといっしょに作品を作って編集なかを手掛けた小野ハナさんは藝大院の修了作品となった「澱みの騒ぎ」が第69回毎日映画コンクールであの大藤信郎賞を受賞した気鋭のアニメーション作家。もしかしたら「ポプテピピック」に参加してくるクリエイターの誰よりも受賞歴という意味ではビッグな賞を受賞した人かもしれない。ちなみに直近の受賞作品は片渕須直監督の「この世界の片隅に」。つまりはそれくらいの価値ある賞だったりする訳で、そんな受賞者が今回のように当真さんのサポートをするのではなく、自分の作風を出して「ポプテピピック」を作ったらどうなるかにちょっと興味がある。残酷で陰惨な……ってそれはいつもの「ポプテピピック」か。

 ほかに「USAWALTZ」の池亜佐美さんとか「熱血人面犬」の山元準一さんの名前もあったりする「ポプテピピック」。この流れならたつき監督らが所属するirodoriがインディペンデントアニメーションのの流れで参加するって噂が出たって不思議は無い。まあそれはなさそうだけれど、いっそだったら芸大美大でアニメーションを教えている山村浩二さんとか古川タクさんとか大御所も参加したら、とてつもないものが出てくるかもしれないなあと思ったけれど参加はあるんだろうか。個人的には「15時30分の拍手喝采」や「雨ふらば、風吹かば」の沼田友さんが作ったら人情味のある作品が出来るかなあと思うけれどスクリプトで情感を作るのが上手い人だけにショートショート的過ぎると良さが出ないかな。あとはシシヤマザキさんによるロトスコープな「ポプテピピック」とか。ちょっと楽しみ。

 もちろん声優さんのとっかえひっかえも最高で、前半は悠木碧さんと竹達彩奈さんがペアとなってかっ飛ばし、後半はなんと古川登志夫さんと千葉繁さんという「うる星やつら」の諸星あたるとメガネがペアとなってぶっ飛ばしてくれた。途中の「ポプテピピック」というタイトルコールは千葉さんだろうか、やり続けているうちにだんだんと壊れていって愚痴も出た。いったい何本くらいとったんだろう。愚痴といえば檜山修之さんと真田アサミさんが線画にあてて物まねをやらされてキレるというアフレコ現場でのやりとりと入れつつ、ポイントは背後にたつ貞子、ではなくそのさらに後ろの床からのぞくポプ子とピピ美というたたみかけ。もう1本、下山吉光さんと新井里美さんの夫婦でやっぱりアドリブの物まねやらされキレる場面は貞子の下の化け物のさらに口の中というたたみかけを見せて笑わせた。どこまでぶっ込んでくるのか。そっちもそっちでやっぱり楽しみ。それで小松未可子さんはいつ出てくるの?

 そして新番組とすてスタートした「ダーリン・イン・ザ・フランキス」はハルハラ・ハル子に魅入られたナンバダ・ナオ太みたいにヒロという少年がゼロツーという少女と運命的に出会いフランクスのストレリチアに引っ張り込まれてキスして抱き合ったら変身して戦って強かったという、そんな展開。コドモの男女が深いシンクロを見せることで強くなるという設定が1つあるけれど、ゼロツーがパートナーにしていたのはおっさん気味でなおかつ怪我までしていてあまりシンクロしてなかったのにどうして選ばれてそして3回の出撃でだいたい消耗するとかいった説明はまだなし。ゼロツーがどれだけ命を吸い上げるのか、なんてことがあるいはあったりするんだろう。

 あとはやっぱり世界観そのもので叫竜とやらがいったい何者で何を狙って襲ってくるのか、そんな叫竜を迎え撃っているフランクスの登場メンバーはいったい何を守っているのか、それはどうやって生み出されどうやって選ばれてそして選ばれなかったものはどこへと追いやられるのかといった部分もまだまだ未知数。ディストピア的世界でパーツとして戦わされている少年少女、っていった展開も感じられるけれど、それもやっぱり守るべき世界の有り様が分からないとはっきりしたことは分からない。少なくともデジタルワールドの話ではないかな。まあそうした世界観が明らかにされる展開も含めて見ながら理解していく。とりあえずゼロツーはよく脱ぎそうだし。何歳くらいって設定なんだろう。胸わりと大きかったよ。

 街へと出たついでに銀座で開かれているVRの展示会をさらりと見物。あまり東京でのイベントには出てこない「100匹ペンギン」というやつを試してVR空間でペンギンを呼び集めてゴールへと引っ張っていくという、単純だけれどやりがいがあって没入感のあるVRがとても面白かった。作者はじゅーいちさん。オキュラスタッチのコントローラーのボタン操作で前身したりアイテムを出したりそれを掴んで拾ったりといった操作をする必要があって、間違えるとアイテムをばらまいてしまってそれにペンギンが群がり自分が手にしたアイテムに振り向いてもらえなくなったりしと操作に慣れが必要だったけれど、やっているうちに覚えられるし集められなくてもアイテムに固まって蹴飛ばしているペンギンを見るのも可愛いから気にしない。ゲーム性と世界への没入性を楽しめるVRとして注目。

 あと試したのはストライクガジェット研究所が出していたVR体感ウエアで、つまりはお腹の部分にシリンダーめいたものがいっぱいついててそれがVR空間内で美少女がパンチを繰り出すのに合わせて体にめり込み殴られているという感覚を再現するといった感じ。展示してあったものは映像での殴るタイミングとウエアのシリンダーが動くタイミングが少しズレててシンクロ率がやや下がったけれど、合わせようと思えば合わせられるというのでそうなった時に美少女にサンドバッグにされてちょっぴり快感といった気分をより味わえそう。そうなる時が来たらまた試したいなあ。

 なるほどこいつはスポーツだ。そしてスポーツ観戦だ。コナミデジタルエンタテインメントのサッカーゲーム「ウイニングイレブン2018」を使って対戦するe−Sportsの大会「PES LEAGE WORLD TOUR 2108 ASIA ROUND」が日本サッカー協会が入っているJFAハウス 日本サッカーミュージアムで開催されたんで見物に行って、準決勝まで勝ち残った4人による対戦を目の当たりにする。最初は日本人選手のSOFIA選手とフランスから出場のTioMiit_PW選手でボルシア・ドルトムントとパリ・サンジェルマンを使っての対戦はなかなか1点が入らないまま延長へ。それも後半となってTioMiit_PW選手がゴール前はじからのクロスをカルバーニに合わさせて1点を奪いそのまま逃げ切って勝利した。

 双方とも守備に長けて攻撃にも妙があってしっかりとゴール前まで運ぶんだけれど相手の守備にあって抜けずSOFIA選手が放ったシュートもゴールキーパーが手に当て枠の外へ。そうした試合ぶりはともに守備の固いサッカーチームによる実際の試合を見てるようでゲームでありながらも、そしてそこにいる1人と1人が操作して作り出している映像であるにもかかわらず、1つのサッカーの試合として目が向いてしまう。手に汗握る攻防から隙を突いてのゴールはどちらを応援しているでもなく歓喜と解放の気持ちがわき上がる。観戦の対象としても面白い上に選手たちも選手選びからフォーメーション、そして途中の切り替えに試合での操作といった技量を要求されるため知力体力反射神経といったものがないとなかなか勝ち上がれない、といったところもスポーツ選手に等しいものがある。つまりは立派にスポーツなのだ。

 準決勝の第2試合も日本からmayageka選手が出場してパリ・サンジェルマンを操作しポンポンと2点を奪って楽勝かと思われたものの、相手をしたリバプールを使うjosesga93選手がミドル気味に放ったシュートがmayageka選手側のプレイヤーに当たってコースが変わりゴールイン。そこからさらに1点を加えて同点に追いついたjosesga93選手がさらに1点を加えて3対2でmayageka選手を下して決勝へと駒を進めた。たとえ2点の差があっても、というか2点という半端なリードだからこそ安心と緩みからすぐに追いつかれてしまうところも実際のサッカーと同じ。危険なスコアと言われているとおりのことが起こるのはつまり、実際のサッカーのプレイヤーたちもゲームの「ウイニングイレブン2018」のプレイヤーも同じ心理状態に陥りそして一方はひっくり返し一方はひっくり返される。ここでもゲームがそのままスポーツとしての存在感を醸し出している。

 決勝は勝ち上がったTioMiit_PW選手とjosesga93選手が対戦してここでも緊迫した試合の中、TioMiit¥_PW選手が1点を奪って逃げ切りワールドツアーの初戦となるAJIAラウンドでの優勝を決めた。このあとツアーは南北アメリカラウンド、そしてヨーロッパラウンドを巡るそうでアジアラウンドの上位8人はそのまま次のラウンドへと駒を進めるといったところ。そうやって各地を巡る大会でポイントを稼いだ選手たちから上位が夏に開催の決勝大会でチャンピオンを目指して激突する。アジアラウンドでは準決勝で敗れた日本人選手もツアーで価値を重ねて上位に入れば決勝大会には行けるし、拮抗する実力をみればそこで優勝できる可能性はある。期待したい。

 ただ2点を奪いながら逆転されたり均衡した試合で1点を奪われるとそのまま行かれてしまうのはもしかしたらメンタルがまだおとなしいのかもしれない。以前に「ウイニングイレブン」の大会で世界に出たことがあって、今はFIFAサッカーゲームの方でプレイしているプロゲーマーのマイキー選手が、ゲームでもやっぱりお国柄が反映されると話してた。それは戦術とかもそうだけれどメンタルなんかも同様。南米の選手は大差を付ければすぐに雑になり諦めるといった具合。そして日本は競り合いに弱い。そんなお国柄を超えるような選手となるべく、自分を磨いていって欲しいもの。日本生まれのゲームだもの、日本からチャンピオンが出て欲しいよね、やっぱり。


【1月13日】 同じブシロードグループの響と新日本プロレスに所属している訳だから社内結婚と言えるかもしれないし、その関係できっと現場での共演なんかも多いだろうから出会いについての違和感もないし、なによりカズチカ・オカダという一世一代のプロレスラーと自分を比べてかなうと思える男性なんて億人に5人もいそうもないから三森すずこさんのファンがカズチカ・オカダさんに対して何か羨望と尊敬を覚えても、嫉妬と怨恨を抱くようなことはあまりなさそう。なるほどこれは良いカップルだと讃えつつ、幸せにして下さいね家にお金の雨を降らせて下さいねとお願いするだけだろう。

 まあ東京スポーツが書くことだからどこまで本当かは分からないし、元々がプロレスに強い新聞だからこれは本当だと思えたりもするような曖昧な環境。今後どうなるかは分からないけれどどうなったって気にはならないと思いたい。「ラブライブ!」の声優さんにはパーソナルな情報においてネガティブな印象だけをあげつらわれてもう2年近く、名前が作品と絡めて取りざたされることがなくなっている人もいるから。それはもったいないことなのでプライベートはプライベート、そして声は声として認め讃えていって欲しいもの。見守っていこうその行方。しかしカズチカ・オカダさんの方が年下とはなあ。若いんだなあナンバーワンプロレスラーでありながら。

 「JKハルは異世界で娼婦になった」に関するコメントがどったんばったん大騒ぎになったりもした山本弘さんの、これも結構な問題作らしい「プラスチックの恋人」(早川書房)をを読んで思い出したのが手塚治虫さんの漫画「やけっぱちのマリア」で、当時の良識だとか健全に挑んでダッチワイフの恋人めいた描写から人が恋をして愛情を抱く対象の自由さを感じたりしたけれれど、結局ヤケッパチは少年として“成長”して恋愛の対象というものを見つけ、人と人ならぬダッチワイフとの恋愛は可能か、そして認められるものなのかといった生命倫理に挑むような主題は有耶無耶にされたっけ。

 対して「プラスチックの恋人」は生きたダッチワイフというか、オルタという生きているかのような動作言動を見せる性愛のための人形があって、中に日本だけながらもマイナー・オルタという外見は少女少年が存在していて、これが本当の人間なら、そして写真や映像なら罪となるものであっても人形のマイナー・オルタがあいてだったらどうなのか、といった地平からそうした相手への恋情劣情の衝動がロジックで補強されようとしていたものの、最終的には現在の良識だとか健全の意識から認められないということになってしまった。

 そこで「やけっぱちのマリア」だったらヤケッパチは“成長”を遂げて魂が入ったダッチワイフのマリアから自分を抜け出して人間の少女という出口を見つける。わいゆる良識と健全の枠内に自分を収めるけれど、「プラスチックの恋人」にそうした“成長”はなく出口もない。ただ閉じられるだけ。そして置き去りにされるだけ。革命的な精神は敗北を遂げる。そこから先、人間の良識だとか健全さだとかいったものを相手に戦い、次代を開くことこそがSFの役割であって、山本弘さんにはそうした世界を見せて欲しかったという気もするけれど、今のままだとそうなってしまうぞという警鐘をならすのもまたSFの役割でもあるから仕方が無い。今は作品に示されたビジョンの是非、そして突破していくために必要なロジックなり観念の変化なりを考えたい。

 舞台「けものフレンズ」の再演を観ながら、人がいなくなって廃墟となったジャパリパークでサンドスターノ供給を受けつつ生まれ育ち生きているフレンズたちが出会い旅する中で人の痕跡をたどり人について考えるという世界観の根幹、そしてアライグマとフェネックの仲良しぶりとかサーバルちゃんのあっけらかんぶりとかPPPのアイドル稼業に対する情熱とかマーゲイのヘンタイさんぶりはアニメーション版「けものフレンズ」のビジョンから受け継いでいるものでアニメーション版への共通理解があってこそ分かるし面白がれるし泣けるといったことを考えるなら、やっぱり今なお続くこの隆昌の根幹、その1本を確実に成しているアニメ「けものフレンズ」をなかったことにするのは不可能だろう。

 もしもそうしてしまったら、ファンの結構な部分がやれやれと思ってしまうことだろう。もはやアニメ版の名残などないフレンズたちののべつまくなしなグッズ化もアニメ版で僕たちがフレンズという存在に抱いた好意があり、その原点を作ってアニメ版にバトンをつないだ吉崎観音さんへの敬意があってこそ向き合えるのだけれど、それがただ原案としてのフレンズ絵だけあってそれがただ溢れるだけではいずれ拠り所となっていた思想であり物語を失って、離散するだけだと思うのだったというそんな土曜日。ゲネプロに続いて初日初回を観た舞台はやっぱり面白かったなあ。

 もしも「リングにかけろ!」の主人公たちが黄金聖闘士とかが跋扈する世界に迷い込んだとしてもきっとその拳ひとつで討ち果たしていくような気がするけれど、それは別に魔法だとか超能力だとかオーラといったものを使っているのではなく、練習のたまものとして得た果てしない体力であり、そして技術といったものを駆使しているだけに過ぎない。でなければボクシングというスポーツを題材にした漫画であることの根幹が崩れてしまうから。テニスも同様に、たとえボールを放って魔術師ですら倒せないようなゴブリンをあっさりまとめて30匹くらい討ち果たす。

 なおかつそこで放ったボールがあらかじめちょっとした合図ですべて手元に帰ってきて鞄に収まるような回転がかけられていたといえ、それは技術であって魔法ではない。信じられるかといったところでそうなんだから仕方が無い。なおかつそれくらい全国レベルのテニスプレイヤーならできて当たり前という認識でもってテニスという競技が繰り広げられている世界で、高校生の大会に出ては無敗を誇った「コート上の造物主」とあだ名されるプレイヤーを破った相馬王助という少年がある日突然に異世界に召喚されるというのが望公太さんによる「異世界テニス無双 テニスプレイヤーとかいう謎の男がちょっと強すぎるんですけど!」(GA文庫、620円)のストーリー。

 凶暴なモンスターに襲われていたエリーシャという少女の魔術師が呼んだんだけれど手にしているのはラケットで持っているのは黄色いボール。それらを使ってコート上でボールを撃ち合うスポーツをしている少年が、どうして召喚されてしまったのかは分からないけど目の前のモンスターにかなわないことは明白とエリーシャがあきらめかけた時、王助のラケットが火を噴いた。観念的ではなく物理的に。ってそこでは火は噴かなかったけれど、誰か噴かせようと思えばできるのが王助が自分のいた世界で繰り広げてきたテニスというスポーツ。強烈なボールで相手のガットを破るとかいったレベルではなく降ったラケットで真空を作り出してドラゴンが吐いた火を消し撃ったボールで分厚い皮膚をえぐって体に大穴を空ける。

 それは魔術ではなく魔法でもなく技術。ボールを分身させることもボールをあらゆる知覚に感じないよう消してしまうことも技術によって出来てしまうテニスプレイヤーたちによる試合は時に1つのラリーが3時間に及ぶこともあったりするというからもはやテニスなのかどうなのか、分からないうなるもののそれがテニスという認識の下に生きてきた王助が、あくまでもテニスによって現れた敵をねじ伏せていくという展開を楽しめる。インフレーション激しいスポ根漫画の世界に生きる主人公たちの無双ぶりを客観的に描きつつ、そんな世界のテニスがどれだけ凄まじいかを感じさせつつそれでもかなわない敵がいそうと感じさせ、そこをスポ根漫画の限界級にある王助がどう突破していくかが今は気になる。いずれ宇宙すら吹き飛ばし兼ねないなあ。それでも技術言い張る王助を見てみたいので続きを早く。


【1月12日】 なんだハーフサイズか「だがしかし2」。永遠の夏休みかと思っていた物語世界が、冒頭でぐっと秋から冬といった風景に変わっていたけれど、始まってしまえば未だ夏といった風情で駄菓子に関する話があればどこからともなく枝垂ほたるが駆けつけてきてはあれやこれや蘊蓄を披露するといった展開に変わりは無く、ビッグカツをカツ丼代わりに食べる方法だとか駄菓子にそんなのあったのかと驚きのペペロンチーノが実は焼きそばで半分あまったソースはお湯で溶かしてスープにするとかいった話を知ったからといって、家で実践することはもうたぶんないよなあ、でも貧乏が極まってきたらやってしまうかも。それは遠い未来のことではない。いやマジで。

 もしかしたら東京モーターショーよりも人が多いかもしれないというのはちょっと言い過ぎだけれど、東京モーターショーより面白いかもしれないというのは本当のような気がする東京オートサロン2018。いわゆるカスタムカーの祭典であれやこれや細工をしたりして暴走だのデコレーションだのをするのに最適なクルマを作り出す、っていったニュアンスからどちらかといえばヤンキーな人の集まりと思われていた節が10数年前とかはあったけれど、今となっては没個性的なクルマが増える中で自分だけのクルマを持ちたいといった細分化されたニーズに応えるべく、さまざまな会社がパーツを作って提供するのみならず自動車メーカー自体が本体で、あるいは子会社のパーツ会社を使ってそうしたカスタムを行うようになっている。

 コンセプトカーのように将来といっても5年とか10年先の手に届きそうもないビジョンしか見せてくれない東京モーターショーのメーカーブースとは違って、東京オートサロンのそれは今過ぎにでも手に届きそうなクルマのかっこよさってものが提示され、そのままディーラーに、あるいはパーツショップに足を運びたくなる。来場者にとっては切実な情報が得られるし自動車メーカーやパーツ会社にとってもビジネスに直結する場としての東京オートサロン。だから来る人もギラギラしているし出す方にも活気がある。そうした双方の盛り上がりが幕張メッセを全館使うといった以前こっちで開催されていた時の東京モーターショー並みの賑わいを見せるに至った。期間こそ3日間だけだけれど業者日の初日でも通路が歩けないくらいの人が来ていただけに、2日目3日目の混在ぶりは東京モーターショーを超えるんじゃなかろーか。そんな気がする。

 そんな東京オートサロン2018ではやっぱりこれを見ておかなくてはと本田技研工業の子会社で自動車用品を開発・販売しているホンダアクセスが手掛けた「けものフレンズ」とコラボレーションしたフィットをチェック。なるほどホンダフィットのクロススタイルと呼ばれるオフローダー的なアクセサリーがついた車体をベースインにして、色をジャパリバス的に整えフレンズたちのシルエットのステッカーを貼り内装にもいろいろと凝ったところを見せてファンも納得の1台に仕立て上げていた。たとえばリアシートをとっぱらって置かれた木のベンチは、こはんちほーでサーバルとかばんちゃんが出会ったアメリカビーバーが、ログハウス建設に力を貸してくれたお礼にと作った木のベンチが再現されていた。まるでそこはジャパリバス? そんな気にさせられた。

 そして前のシート。運転席側はサーバルをイメージした色と模様になっていて、ヘッドレストには長い耳までついていた。そして助手席はかばんちゃんをイメージした赤いシートでヘッドレストにはぼうしがかぶせられ、背面にはかばんがぶらさげられていた。フラップが1枚ついただけの白いリュックは市販の商品で代用したくてもなかなか同じ物がなく、「けものフレンズLIVE」か何かでは無印良品のリュックを使っていたような気がしたけれど、この「けものフレンズ」コラボレーションフィットに取り付けられたかばんは、このために特別にあつらえたものだとか。どうりで本物そっくり。そこまで似せたいというリスペクトをきっと開発者たちも持っていたんだろう。エンブレムとかも格好良かったなあ。

 あと窓のステッカー。外からだとシルエットだと中から見るとイラストンになっている。同じ形状で左右反対の上に絵柄も違うステッカーを作り、ズレないように窓の両面から貼ったらしい。その労力とその配慮だけでも信頼が持てる。ホイールも毀損のものを色を変えセンターにエンブレムをつけて作ったみたい。そうしてトータルでジャパリバス的なホンダフィットってものを作り上げた。欲しがる人もいそうだけれどリアシートとか不便そうだし市販となるともうちょっとクルマらしくなるかなあ、バーバパパとコラボしていたN−BOXみたいに。東京オートサロン2018が終わってからどこで展示されるかは未定みたいだけれど、1月21日まで東京は渋谷にあるAiiA 2.5 Theater Tokyoで舞台「けものフレンズ」が開催されているんで乗り付けて駐車場に飾ってファンを喜ばせて欲しいなあ。あるいは「お祭りだよ! けものフレンズがーでん」が再演されたらその会場に置くとかして。乗り回しもしたりして。たーのしー。

 そんな舞台「けものフレンズ」のゲネプロがあったんで見物に行く。というか初日の初回のチケットをしっかり買ってあるんで見る分には不足はないんだけれども仕事として世に広めたいという思いもあるんで開場時間の随分前にかけつけそれなりのポジションから観察。前の品川プリンスホテル クラブeXから広くなった会場は段差もあって見やすく、その上にダンスもバトルもスケールアップしているから前見た人でも存分に楽しめること請負だ。

 とりわけ13日と14日はイワトビペンギン役の相羽あいなさんがお休みなため代役をPPPのマネージャーでアニメの中では物まねもやっていたマーゲイ役の山下まみさんが務めることになって、その代替わりを舞台の中でしっかり理由付けしていて違う役者が演じているといったことに理由を付けていた。なるほどこれなら納得して違う誰かのイワビーを楽しめるし、その違いっぷりがいじりとしても出てくるから面白がれる。なおかつ演じている感じは本当に相羽あいなさんのイワビーそっくりで、山下まみさんの芸の幅広さって奴を改めて感じさせられることだろー。13日と14日の代役公演を見られた人は幸運かもしれない。なおかつ相羽あいなさんの帰還を見るならこれは一石二鳥って奴で。

 歌も増えてて舞台「けものフレンズ」のサウンドトラックに入っていたものの初演では歌われていない2曲が登場。クライマックスのサバンナガールズvsPPPという歌対決の流れの中で紹介されるんで、ヒツジが使用を呼びかける光る棒がここからずっと使いっぱなしになる。初演では3曲くらいしか使う暇がなくてもったいない気がしたし不完全燃焼の気もしたけれど今回はバリバリに燃えられるんで光る棒は持参必須、あるいは購入必至。今回もちゃんと売ってくれるだろうと思いたい。アライグマとフェネックによる観客いじりのアドリブもなれたものだけれどやっぱり面白い。役として良いのか役者が良いのかあ。その両方だろうなあ。そんなアラフェネのユニットが末永く登場し続けることを願いたい。そのためにはやっぱりたつき監督の(以下自粛)。っていうか人間が撤退したあとの廃墟としてのジャパリパークってアニメの設定を引っ張ったものだしなあ。だからやっぱりたつき監督を(以下省略)。


【1月11日】 もしもまだ監督が同じ人だったら、この1周年という記念すべき日に新しい動画を作って僕たちを大喜びさせてくれただろう。そして第2期への期待をさそって2018年という年をもっともっと楽しいものにしてくれただろうけれども、いろいろあって監督は降板して第2期が作られているかどうかも不明な状況。それでも第1期の大ヒットがあって今があるなら公式サイトもこの1周年を祝うコメントの1つでも発信すればいいものを、まるで無関心を決め込んでいるところに事態の複雑さって奴が見て取れる。はしゃげばコアメンバーに粛清されちゃうとか? なんだコアメンバーって。そんな中で声優さんたちが1周年を祝って暮れているのは嬉しいところ。自分を得た作品への感謝を忘れない気持ちを僕たちは愛し、人として応援したくなるのだ。ありがとう。そしてこれからも応援していこう「けものフレンズ」を。

 「機動警察パトレイバー」が30周年だといった話題が流れていたのでそれだったらと思い出して20周年の作品を考えたら「Serial experiment lain」がまさに7月で放送開始から20周年に当たっていた。今なお根強いファンもいるだけにどこかのクラブを借りてサイベリアの再現とかやりそうだけれど、公式に何かイベントが行われるといったことはなさそうで、劇場版が作られるとか全話一挙上映があるとかだったら大喜びなんだけれどそれでお客さんが集まる感じでもないからやっぱりひっそりと20周年を迎えて過ぎていくんだろう。せめて自分だけでも家でBlu−rayかDVDを見返すか。ユリイカに安倍吉俊さんに絡んでlainの話を書いたときに見て以来かなあ。

 20周年だと2017年末でちょうど「VIRUS」が20周年だったけれど大張正己監督のデザインセンスとアクションセンスがふんだんに詰め込まれた作品であるにも関わらず、特段にリバイバルがあるといった感じがしない。早くBlu−rayになって欲しいんだけれどそういう気配はまるでなし。同様にBlu−ray化が待たれる「ジェネレイターガウル」は今年が20周年だけれどこれなんて、DVDボックスですら1度出てそれっきりだからなあ、もったいないったらありゃしない。タツノコプロ55周年に絡めて復活してくれないかなあ。

 20周年だと「星方武侠アウトロースター」が今まさに20周年なんだけれどこれはサンライズフェスティバルで時々上映されるから完全い忘れ去られてはいない感じがして安心。同様に来年が20周年となる「星方天使エンジェルリンクス」もサンライズフェスティバルで去年上映されたんで、来年も是非に何か一つ盛り上がりを。そんな20周年絡みで最大の案件と思っているのが「はれときどきぶた」で、今がまさに20周年の待っただかなKにあるにも関わらず、アニプレックスがBlu−rayボックス化に動いているという話は聞かない。FGOでしこたま稼いでいるんだからそのお金を使って会社が立ち上がった当初を支えた偉大なアニメーション作品と讃え、永遠に残す意味でBlu−rayボックス化に挑めば良いのに。それがご先祖様への供養ってもんだけど、アニメ命的な人がいないとそういうのは無理かなあ。お金命って訳ではないと思いたいけれど。

 似せすぎるとかえって似ていない部分が見えてしまって違和感を覚える“不気味の谷”現象が起こるかもって最初は思っていた新型aiboだったけれど、まるで犬といった風貌でしぐさなんかも犬に似せてあるにも関わらず、やっぱり犬じゃないといった残念感を覚える隙なんてないくらいに全身から可愛いだろうオーラを漂わせて、あっさりと“不気味の谷”を突破してのけていた。ソニー本社とはまるで関係なく渋谷モディでソニーが運営しているスポットに新型のaiboに触れるスポットが登場するってんで見物に行って、初めて見たaiboは有機ELの瞳にさまざまな表情の目を映しだしてはこっちを見て、そして動くと首を振って視線だけで追いかけてくるところがあって、まるで本物の犬に関心を持たれているような気にさせられる。

 そうした相手の能動性をリアルと思うことで、そこに自分との関係性が生まれ、なかなかロボットなんだ機械なんだ反応に過ぎないんだと切り捨てられなくなる。そんなaiboに近寄ってなでたりすると首を振ってすりすりとして、あごに手を遣ると口を開いてぺろぺろとなめりょうな感じを見せてもう、これは本物だとしか思えなくなってくる。もちろん手触りは固くて毛並みなんてまるでないけど、反応のリアリティが人形であるとか作り物であるとかいった認識をかるく吹き飛ばしてくるから恐ろしい。渋谷モディにいって触れればもう、aiboを飼いたくなってくる。そんな狙いもあって触れる場所を作ったんだろうなあ。

 渋谷から秋葉原へと廻って「ボーダーブレイク」というゲームの発表会。アーケードで知られたものらしいけれど、それがプレイステーション4へと行くといった発表内容に来場者からどよめきが起こったのは、やっぱり「ボーダーブレイク」をアーケードで遊ぶものだと思っている人が多かったからだろう。もちろんそうした筐体プレイはまだ続くだろうけれど、家から対戦できるようになればそれはそれでファンも増えそう。何しろダウンロードは無料で課金も基本は無料のフリー・トゥ・プレイ。プレイステーション4さえあれば、そしてネットワークにつながっていれば24時間いつでもどこからでもアクセスできて10対10のロボットバトルを楽しめるならやってみようという人も出てくるだろう。主にプレイステーション4ユーザーに。そこからアーケードへと持っていくとお金になるけど、プレイステーション4だけでどう稼ぐかがちょっと興味。アイテム課金にエグいのを持ってくるのかなあ、それともマシンに広告か何かを入れるのかなあ。それは「TIGER & BUNNY」だよ。

 さらに六本木ヒルズへと廻って「PLAY!スペースインベーダー展」の内覧を見物。日本にビデオゲームを根付かせたといっても過言ではないタイトーの「スペースインベーダー」が登場して今年の6月で40周年。これを記念したいろいろなプロジェクトが動いている中で、六本木ヒルズの展望台を使って「スペースインベーダー」に関する展示やちょっと新しめのゲームで楽しんでもらおうというのが「PLAY!スペースインベーダー展」で、そのタイトルどおりに自分で遊べるゲームがいくつか置かれていた。たとえば10人がコントローラーを持って向かうは六本木ヒルズの展望台の大きな窓。そこに映し出されたインベーダーに向かってビームを発射し撃退して久ゲームは大きさとも相まって相当に楽しそう。

 ボルダリングの突起がついた壁にプロジェクションマッピングでインベーダーを映す遊びは、両足をマットから浮かせてしっかりと突起に乗せた状態で左右上下にあらわれるインベーダーへと手足を伸ばして増える必要があって相当に体力を使いそう。下とか足で蹴飛ばさないと届かないものなあ。足で光のボールを蹴ってそれを向かってくるインベーダーに当てて消していくってアトラクションもあって、家でゲームばかりやっていると体力が落ちると言われそうな子供が遊んで鍛えられそうな気がした。ちなみに巨大インベーダーは外が夜景にならないとプレイできないから午後5時半以降のプレイ。行くならそのあたり注意して行こう。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る