縮刷版2018年11月中旬号


【11月20日】 まず分からないのがどうして経理であり監査法人でありといったところが日産のカルロス・ゴーン会長に対する報酬が、本当の額より低く有価証券報告書に記載されていることを把握できなかったのかってことで、普通に考えればお金の出納を受け持つ部署が報酬だってしっかりと把握しているはずで、その額を帳簿に乗せて、それを決算にまとめ有価証券報告書にしている。もしも支払った額と有価証券報告書に記載されている額が違えばそれは経理なりには一目瞭然。これ違ってますと指摘して監査法人もそう認めて決算を承認しないんじゃなかろーか。

 でも今回の一件では、そうした支払った実学と記載された額との間に開きが出た。そもそも起こらないか起こったらすぐ分かることがずっと公表されず、このタイミングで事件として表に出てしまうところにどうにも奇妙な印象を受ける。あとやっぱり報酬額として支払われたならそこでしっかり源泉徴収もされ、脱税なんて行う余地はまるでないはず。私利になりづらく国に脱税という損害を与える振る舞いでもないにも関わらず、逮捕という大ごとになったのにはやっぱり何か理由がありそうな気がする。どういう理由かは分からないけれど、国同士なり会社どうしなり会社の中なりでの諸々が、うごめき逢ってぶつかり合って起こった事件、ってことになるのかな。そうした解説もこれから出てくるだろうから、注意深く見守っていこう。自分の為に使ったってあれだけ稼いだ人なんだから良いじゃんか、とは言えないけれど。

 プロダクションI.Gなんかを持っているIGポートが傘下のアニメーション制作会社、ジーベックをサンライズに譲渡することになったみたいでアニメーション業界ではいろいろとこれらの展開に想像が巻き起こっている。すなわちヤマトとガンダムのコラボレーションが真っ先に浮かぶけれどもここはやっぱりサンライズで目下大人気の「ラブライブ!サンシャイン!!」あたりとのコラボレーション。まずはヤマトの女性クルーを中心にスクールアイドル「Cosmo」を結成して宇宙ラブライブに出ることを目指すという。メンバーは森雪、山本玲、岬百合亜、新見薫、桐生美影、原田真琴、西条未来、藤堂早紀、神崎恵あたりになるかなあ。中の人的には新見と神崎がセンターを競い合いそうだけれどキャラ的には森と山本か。

 対してガミラス&イスカンダルによる合同スクールアイドルはその名も「TWINS STARS」で、メンバーはメルダ・ディッツ、ミーゼラ・セレステラ、ミネーネル・リンケ、ネレディア・リッケ、エリーサ・ドメル、スターシャ・イスカンダル、ユリーシャ・イスカンダル、ヒルデ・シュルツ、花束の少女あたりが来そう。年齢に幅がありそうで人によって推しが変わりそう。やっぱりメルダとか、ツンデレなミーゼラとか、母性のエリーサとか、姐御なネレディアとか、尊いスターシャとか、ロリな花束の少女とか。でもきっとヒルデがセンターを務めて「キラッ!」とかやって喝采を浴びるんだ。1番アイドルっぽいものなあ。平均年齢が幾つになるとかは聞かないように。

 あとはやっぱりヤマト環境が浦の星女学院みたくなってしまうとか。島大介「前方に巨大小惑星! 土方艦長指示を!」土方竜「全速前進ヨーソロー!」島「それではぶつかってしまいます! 正しい指示を!」土方「がんばルビィ!」島「いや、頑張れません! 面舵取ります!」土方「ぶっぶっぶ〜ですわ!」島「ああ、もうぶつかるずら!」一堂「ずらー?」とかどうとか。まああり得ないだろうけれど。加藤が「コスモタイガー隊、いきまーす」と言うかも。といった冗談はさておいて、「宇宙戦艦ヤマト2202」が目下の作品として動いていて、過去にも「機動戦艦ナデシコ」から始まって様々な作品を作り続けてきたジーベックをサンライズが買収することでどういったメリットがあるかが目下の関心事といったところか。

 「ガールズ&パンツァー」を作っているアクタスを、サンライズと同じバンダイナムコグループのバンダイナムコアーツが買収した時は、経営のガバナンスを正常化させて作品がしっかりと供給される体制を整える、めいた可能性が示唆された。今回は制作力の高いスタジオを買収することで、サンライズを含めたバンダイナムコグループが展開したいアニメーションを機動的に作れる体制を整える、的なメリットがまずは浮かぶ。どれだけ人出があっても足りないアニメーションの制作現場を分厚くして損はない、作品が回っているうちは。一方でだったらどうしてIGポートは売ってしまいのか、ってところで作品の企画と制作の体制がマッチしていなかった、それをサンライズなら良好に持って行けるという判断があったのかもしれない。気になるのは制作会社として親会社が変わっても、権利関係はIGポートが持ち続けるのかってところ。IPを持たずに買ったところで意味はないと考えるならそのあたりもゴソッとって思われるんだけれど、好きにハンドリングは出来ないとはいえヤマトというIPが2199あたりの分から来ないなら買う意味もぐっと減ってしまうから。どうなんだろうなあ。

 気付くと創刊されてた光文社ライトブックスから、りぃん作「聖女の天秤 〜お仕置きまでがお仕事です〜」を読んだらこれがなかなか痛快無比。女神に認められることによって生まれる聖女フェリシアが、勇者らと魔王退治に行ってどうにかこうにか果たすも年月がかかり過ぎたようで、王都へと戻った聖女は20歳を過ぎてしまっていた。それが理由なのか別の思惑があったのか、出発時に約束されていた王太子との結婚は破談となって、王太子には別の国の姫が正妻として迎えられることになっていた。それは受け入れられたものの、なぜか聖女には不貞といった評判が流され、報酬ももらえずそのまま追われるようにして王都を出て行く羽目となる。

 なおかつ命まで狙われる状態。女神の託宣によって生まれる聖女は同時に1人しか存在できないため、フェリシアが聖女である限りは外に聖女は生まれない。そんなフェリシアが追い立てられることによって命を失うか、純潔を失うかすれば新たに生まれる聖女に次代につながせられるといった思惑が王や大神官たちにはあった様相。でもどうしてそこまでして聖女を取り替えようとするのか。それは、王国にとって聖女をある種の看板として頂き、その下で勇者による魔王討伐が行われることが、半ば権力と財力のより所になっていたからだったりする。

 つまり聖女は利用されていた。だから道中も崇められず下女のような扱いを受けていた。そのことにようやく気付いたフェリシアは、命を狙われながらも与えられた防御の魔法を使って暗殺者から身を守りつつ、フェリシアと同様に命を狙われた家族を探して旅をする。そんな彼女の前に、なぜか撃退したはずの魔王が現れちょっかいをかけてくる。いったいどうして? その理由を知り、何が行われていた知って、最初は永遠に純潔を保ち長生きをして聖女のままであり続けようとしたフェリシアの考えが変わる。腐敗していた王や大神官に復讐を。それは聖女に本来与えられていた、魔王ではなく蔓延る悪を糺すという役割だった。貼られたレッテル的には勧悪懲善にも見えるけれど、実は勧善懲悪だったりする痛快さがとても楽しい。物語の世界のように女神様が見てくれていたら、この世界も少しはマシになったかなあ。


【11月19日】 「ラブライブ!サンシャイン!!」のAqoursによる東京ドームでのライブでは、いろいろと感動のポイントがあったみたいだけれど、後の挨拶で桜内梨子を演じている逢田梨香子さんが「想いよひとつになれ」を9人で歌えたことが嬉しかったと話していて、そうだったライブをやろうとうことになったけれども梨子だけが憧れだったピアノのコンクールに出るために1人メンバーから抜けていた時に歌われた楽曲で、残る8人が歌ったけれどもそこに梨子はいなかったんだ。後にライブで演奏されることもあったけれども梨子がピアノを弾いても歌には加わらない8人バージョンだった模様。そこにようやく入れて歌えて、心残りだったことがひとつ晴らされた気持が浮かんだんだろー。

 そうした作中のドラマが、リアルな声優でありシンガーである女の子たちにも重なっていっしょに成長と発展を味わえるから「ラブライブ!」シリーズは長く愛される作品となり、μ’sから代替わりをしても付いてきてくれるのかもしれない。最初はやっぱり先代に心残りもあったけれど、あの東京ドームを最後に復活してくる動きもない状況では、頼る相手がAqoursしかいないってこともあるのかもしれない。いやいやまだ新しく立ち上がってきたスクールアイドルに虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会もいたりするから、ここから入ってその立ち上がりを目の当たりにして、いつか東京ドームへとやって来るのを見守るってこともありなのかも。そこにAqoursが参加し、そしてμ’sも戻ってきたら……なんてドラマはやっぱり難しいかなあ。でもいつか。信じれば夢は。待とういつまでも。

 録画してあったのを観終わった「キラッとプリ☆チャン」ではおしゃまトリックスだけどおじゃまトリックスな歩堂デヴィと明日香ルゥが出てきて緑川さらの実は可愛いものを見ると顔がにやけてしまう秘密を暴き立てようと、かわいいキャラクターが大集合したイベントで次から次へとキャラクターをぶつけてみるもののそこは我らが青葉りんかが編み出した不思議過ぎるキャラクターの斬新過ぎるデザインが、さらの頭をいっぱいにしてにやけるのを防いだ模様。いったいどんなキャラだって、それは見れば分かるけれどももしも商品化されたとして、いくらりんかちゃんでもちょっと買うのは躊躇われるよなあ。それほどまでのデザインセンスをなぜに。恐るべし青葉りんか。その才能がすべて発言した時にMiracle Kiratsは世界も震撼させることになるだろー。

 東大を出た人が税金によって歳費を得ている国会議員でもあって、なおかつ税金で運営されている役所の大臣から、授業料を払っていてなお人の税金で大学に行ったと揶揄され、非難される筋合いはないってことがまず根本で、もちろん授業料だけでは大学の運営は成り立たないから、国立大学なら国がまるっとお金を出すし、私立大学でも助成金を出し、て教育という日本の根幹に関わる分野を支え育ててもり立てようとする。それは、国が長く栄えるために必須なことで、その上に立つ大臣が教育に税金を出すことを誹るというのはすなわち国の土台を毀損しかねない重大な問題であって、即座に売国野郎とかスパイ野郎といって非難を浴びせるのが保守と呼ばれる人の態度なんだけれど、どうにも盛り上がらないのは保守というより安倍チャンファンでその取り巻きなり、黒幕なりを批判し非難するなんて、考えも及ばないってことなのかもしれない。

 そうやって国の偉い人たちがその場凌ぎの施策でもって国の土台を毀損し続けた結果、景気はまるで良くならずGDPはマイナスなんて数字が出て、賃金も下がり続けて低所得者層がわんさか生まれていたりする。格差といっても上の方なんてわずかにすぎず、このままでは消費税の引き上げだなんて悪手も乗ってなけなしの消費も損なわれ、酷い有様になっていくことは確実だったりする。でも、それを非難する言葉がなかなか出てこないのは、言葉を左右する層に恩恵を与えて黙らせているからなのかもしれない、軽減税率とか諸々の。とはいえ、そうやってだんまりを決め込んで片棒を担いだメディアも、現場でもがいている人たちの反発を喰らって信頼を損ない見放されていたりする。もっとも礼賛を送ったところが最初に逝っちゃいそうなのは皮肉だけれど、それもまた国民に未だ残っている意識の真っ当さゆえんってことなのかも。

 日産自動車のカルロス・ゴーン会長が東京地検特捜部に逮捕されたとかでどったんばったん大騒ぎ。何をどれくらいやったかは知らないけれど、有価証券報告書への虚偽記載ってことで自分への支払いすなわち報酬を安く見積もって記載していたらいし。どれだけたんまりもらおうともそれに文句を言われる立場の人でもないし、それでいくら税金を支払ったところで、自分自身に損が出るってこともない。取り放題で出し放題の人だけれど、そうした個人に対してのものではなくっていろいろとお金を動かしどこかに流していたらしく、それはさすがに拙いだろうってことになった感じ。ただあくまで内部告発であって、社内からのやっかみの類も混じっているかもしれず、ふたを開けたら見解の相違の範疇に収まるかもしれないんで善悪の判断は今後の展開次第。日本の産業を救ってくれたある種の偉人でもある訳で、その貢献度合いも含めてちょっと考えたい。

 早川書房が実施しているアガサ・クリスティー賞の贈賞式を見物。オーガニック ゆうきさんという人の「入れ子の水は月に轢かれ」が受賞してた。名前の由来についてはよく分からないけど、東浩紀さんがどっちが名字でどっちが名前か分からないと迫ってた。そういうものだろうか。それを言うならブルゾンちえみだってホラン千秋だってカトリーヌあやこだってどっちが名字で名前かを問えば問えそうな気がするけれど、それでひとつづきの名前だと追えば良いような気もしないでもない。柴田勝家って名乗るよりは恐れ多くもないような。とはえい柴田勝家としか名乗れない風貌なので柴田勝家さんは仕方が無いかもしれない。ペンネームっていろいろだ。

 ハヤカワSFコンテストの贈賞式も見た。今回は大賞はなくsanpowという名前でカクヨムとかに書いていた話をまとめて応募した、三方行成さんの「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」が優秀賞を獲得していた。ガンマ線バーストを浴びてトランスヒューマンした人たちによる童話ってことは実質「けものフレンズ」か? 違うかどうか。まあ面白そうではあるけれど、そんな内容と違って作者の方がとても真面目そうだった。両手の指を振りながら「sanpow sanpow sanpow」とはやらなかった。作家として精進していけそう。一方で両手の指を振りながら「原々原々原々原々」をやられる方も拝見。次のSFマガジンに百合を書くらしい。あとライトノベルのレーベルからもライトノベルを出すらしいけど、人間の男の子が主人公だなんて書けるのだろうかといった問いかけが方々から投げかけられていた。Aqoursのライブに行ったかは聞いてない。μ’s派だから行ってないかな。ラブライバーだから行ったかな。いずれにしても名前は見知っていても顔もそれほどしらず交流も乏しいので遠巻きに観察。次のSFを担うのは誰だろう? 藍内友紀さんの次回作にとにかく期待。


【11月18日】 ANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMAではやっぱりWake Up, Girls!の活躍ぶりがとっても気になったというか、気に入ったというか。デビューして登場した映画の公開時に舞台挨拶に行って当人たちを見てからだいたい何年だろう。イベントとかに登場する機会もあって見たような印象もあるけれど、決定的に自分としてファンになる前に活動が自分の関心から離れてしまって、その後追いかけるようなことをしていなかった。同じエイベックスだと「プリパラ」からi☆Risへの関心が膨らんで、「プリパラ」系のライブに行ったりi☆Ris単独のライブに行ったりするくらい、のめり込んでいる。「キラッとプリ☆チャン」のRun Girls, Runもちょっと気になっているかなあ、出演するANIMAX MUSIX 2019 OSAKAに行きたい気がムクムク起こってる。i☆Risも出るし。

 そうやって同じレーベルの新旧のアイドルユニットが活躍を続けている狭間で、Wake Up, Girls!は2019年3月で活動を休止することが決まってしまった。どうしてだろう、っていうのはもちろんユニット名と同じタイトルのアニメーションの動勢とも関係があるんだろうけれど、それならどうして「プリパラ」「プリチャン」ではユニットが延命し、Wake Up, Girls!では続かなくなってしまったのかを考えるべき時に来ているのかもしれない。いったい誰が何を狙ってどうしてしまったのか、等々。固有名詞を挙げたところでそこに責任を押しつけられるはずもなし。むしろ生みの親でコンセプトメーカーが排除されて残った人たちが、より高みを目指せなかった方に悔しさを感じたい。奪ったのなら守り切れ、っていうか。

 とはいえ決まったのはらもう仕方が無いWake Up’ Girls!。いろいろあってデビューからしばらく歌っていた「代表曲」ともいえる楽曲をステージで聴かせづらいような話も漂っているけれど、それがあってか関係無しか、聞かせてくれた3曲は過去の代表曲とは無関係。でもそれがなかなかにポップで見ていて楽しくなた。そしてこれだけのユニットをここで終わらせてしまうのがもったいなくなった。活動休止前の試練として3本勝負を与えられ、Luce Twinkle Wink☆と「らき☆すた」の「もってけ!セーラーふく」を総勢12人でのダンス付きで披露し、「少女☆歌劇 レビュースタァライト」の出演声優で作るスタァライト九九組の7人と、「機巧少女は傷つかない」から「回レ!雪月花」を総勢14人でお祭りのような賑やかさで演じてくれた。

 ダンスも歌も完璧以上のユニットだっただけに、どうしてという想いがさらに募る。3本勝負の最後は中島愛あんと「マクロスF」から「星間飛行」を披露。「キラッ!」という決めのポーズもいっしょに見せてANIMAXでは最後となるステージの思い出を作っていた。もっとキラッとしたかっただろうなあ。こうなると残る活動も見てみたくなったけれども最終の“地元”仙台でのライブはやっぱり完売みたいで、東京でのライブはなさそうなだけにANIME JAMに登場してどうぶつビスケッツなんかと共演する舞浜アンフィシアターでのライブを見ておくのがやっぱり良いかもしれない。いろいろ重なっている日だけれど調整がつけば考えよう。「タチアガレ」は聞けないだろうけど。でも最後の仙台では最後に聞かせてくれるかな。ダメなら観客が歌って送り出せ。それがワグナーの心意気ってものだから。

 自分がいなくした同級生の実家の中華料理店へと乗り込んでいっては、チャーハンだとかギョーザだとかを何人前も頼んでそこに宇宙人を呼び寄せて、娘を失った店主をまるで動じさせないのはきっとやっぱり新条アカネが神様だからで、そういう風に街を作り替えてしまったんだろうけれどもだったらどうして響裕太は新条アカネの策略にハマらず言うことも素直に聞こうとはしないのか、ってところに神様でも万能ではなさそうな感じが漂う。アレクシス・ケリヴの方が上位で悪魔的な立ち位置からそそのかして新条アカネを神様に仕立て上げただけで、すべてが手のひらで躍らせることができる訳ではないのか否か。気になるけれども目の前で曖昧な返事で拒絶までされても切れなかった新条アカネはちょっと珍しい。やっぱり人前では仮面を被り続ける訓練が出来ているのかな。

 でもアンチがアレクシス・ケリヴの力で怪獣を生みだして戦いの現場に乱入した時は何か嫌そうな雰囲気を出してた。問答無用でアレクシス・ケリヴが映ったモニターを蹴り飛ばしていたから、そのあたりの直情径行はやっぱり新条アカネの本質に近いんだろう。っていうかモニター蹴り割るのは何枚目? それでなお平気にあの家に住んでいるのは神様だからなのかお金持ちだからなのか。そこもやっぱり気にあるけれど、無理に探求はしないで毎週少しずつ明らかになっていく展開を剥かれたタマネギの中をのぞくようにして味わっていこう。芯はあると思いたい。アンチはこれで退場ってこともないんだろうなあ。グリッドマンに4つの新世紀中学生によるパーツがついて大活躍できるようになるのはいつなんだ。やっぱり気になるんで早く来週、来ないな。

 昨日、6時間のANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMAを見たわ。今日は4時間のラブライブ! サンシャイン!!からAqoursの東京ドームでのライブ。明日は……さすがにないけど2日間で10時間を見ても飽きないところがアニソンの良さ。明快で楽しく心地が良い楽曲が多いから。そんなラブライブ!サンシャイン!!のAqoursは2016年4月1日のμ’sが立って以来のラブライブ!勢としての東京ドーム。その時は観客席から皆で見ていたそうだけれど、自分たちでそこに立つという想像はなかなかできなかったみたい。そりゃそうだろう、同じ「ラブライブ!」をいう名を冠しながらも社会現象にまでなったμ’sと同じだなんてとても思えなかっただろうから。

 でもAqoursはやってのけた。しっかりとライブを積み重ねアニメでの活動もしっかりと続けていってようやくたどり着いた東京ドームは2日間が満席で、ライブビューイングも入れれば15万人が見た勘定。これってもしかしたらμ’sを上回っているかもしれない。そして何より嬉しいことは、Aqoursは「今が最高」と歌ってそこを最後にはせず、これからもどんどんと活躍をしてはまた東京ドームに戻ってきたいと言ってくれていること。映画だってこれから公開されるし、台北にソウルになぜか幕張も含めたアジアツアーなんてのも行い、メットライフドームでもって5th Liveも開催する。つまりはこれから現役バリバリに突っ走っていってくれるユニットは、紅白歌合戦に出てもなお卒業なんてしないで来年も再来年も出場するくらいのビッグなグループになってくれると思いたい。次はいつ東京ドームで遭えるかな。仕事じゃなくってチケット買って見に来たいな。

 っていうか仕事で来たくても仕事場がなくなるような気さえしないでもなかったり。FACTAって経済誌が書くには「自前の販売網がなくなる地域では、地元紙や他の全国紙に委託して配るか、郵送する形となる」とかで、販売網を縮小してかいくことになるらしい。でもそんなことは名古屋ではとっくにやってるし、外の地域も合配でずっと相乗りだった訳で自前の販売網なんてそもそも無いに等しいのに、さらにこう言う書き方をするのは関東の1都6県と関西の2府3県以外はもはや合配すら諦め、それらに間に合うように印刷して配送するコストすら削るって意味なんじゃないのかなあ。意地でも全国に届けて全国紙と言っていたのがもう出来なくなるっていうのはそういうこと。でもって届けられない地域はどうするかっていうと電子新聞を読んでって話になるんだけれどそれで読まれるならとっくに今の段階で全国で電子新聞が読まれている訳で、そうでないのはそういうことってだけなんだろー。未来は何処。


【11月17日】  三木なずなさんの「善人おっさん、生まれ変わったらSSSSランク人生が確定した」(ダッシュエックス文庫)をとりあえず読む。現世で善行を積みすぎて神にも転生可能だと天使に言われながらも従わず、そのまま人間へと転生する際に聖水を飲まなかったものだから前世の記憶を持ったまま貴族の息子として転生。もう2歳くらいで普通にしゃべれるようになり、聡明な上に多大な魔力も持っていて父親を助けて悪を排除するような善行を積んでいく。その魔力量は史上最高レベルで錬金術だって賢者の石だって行い作り出してしまうほど。でもそれを世界征服のようなことには使わず普通に日常を送っていく。許嫁もいて美少女の皇帝からも好かれてなお6歳とかの子供として日々を過ごしている。

 チート過ぎるし俺TUEEEE過ぎるけれどもそれゆえに敵はなくいても早く生まれ変わって人間になるようにと諭して滅する功徳ぶり。そんな振る舞いに嫌味がなく、ひたすらに真っ当に世の中を突っ走っていくところが読んでいてストレスを感じないで楽しく読める理由になっているのかなあ。瀬戸際まで追い詰められながらも大逆転する話も悪くはないけれど、だったら追い詰められる以前に最初からすべて圧倒すればいい。そんな存在がいればこの世に争いは起こらないし誰も不幸にならない。ある種の理想。世界もいつかこうなれば良いのに。ナポレオンのアレキサンダーもジンギスカンも誰もそうはならなかったこんだよなあ。だからこそ求められる理想の英雄。出でよいつか。この爛れた世に滅びをもたらすために。って滅ぼされるのかやっぱり。

 横浜に行く用事があったんで、横浜駅前にあるクロサワ楽器で今日から始まった楽器祭りをさっと見物。おおユーフォニアムだバリサクだ。「響け!ユーフォニアム」なんかを見ているとついつい欲しくなってしまうけれど、どちらも買ってしまっては家に置く場所がないし、吹こうにも音が大きくてアパートではちょっと練習ができない。実家だったら周囲に家もあまりないからミュートをつければ練習できそうだけれど、そのためには会社が傾いて沈没をして実家に帰って失業保険で暮らすしかないからなあ。その可能性はゼロではないどころか割と高い確率であるんだけれど、そうなると今度は楽器なんて買っている余裕がない。おそらくはこれが最後になるかもしれない賞与とやらで買ってしまうか。でもバリサクもユーフォもそれを買ってしまったらあとに残らないのだ1銭も。それがボーナス? それがボーナス。そんな所までもう来ている。

 そして横浜アリーナで開催のアニメミュージックの祭典「ANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMA supported by ひかりTV」を取材で見物。栄えあるオープニングアクトを務めたのはオーイシマサヨシとTom−H@ckによるOxTで、目下放送中のアニメーションではミステリアスな展開が注目されてナンバーワンを突っ走る「SSSS.GRIDMAN」のオープニングテーマ「UNION」を聞かせてくれた。おまけにグリッドマンも登場。この格好良さを見て改めてアニメを見たくなった人も多いんじゃなかろーか。さらにOxTは懐かしい「プリンス・オブ・ストライド オルタナティブ」の「STRIDER’S HIGH」を披露。観客から「ソォーイ!」のかけ声をもらって一体感を出していた。

 OxTが凄かったのはそれだけじゃなくって、女性アーティストが断然多いANIMAX MUSIXに来ている男性アーティストだけを集めた上に、女性アーティストの歌を元のキーのまま唄わせるという無茶ぶりな「漢祭り!」というコーナーにも登場しては、ずっと歌いたかったと要求していた楽曲として「ウェルカム・トゥで始まる…」と言ってあああの楽曲だなと観客を誘い、ペンライトを草原のような緑に変えさせた後で言葉通りに「ウェルカム・トゥ」で始まる「北斗の拳2」のオープニング曲で、TOM☆CATが歌った「TOUGH BOY」を熱唱して観客たちを唖然とさせつつ圧倒した。パワフルなボーカルはやっぱり凄いオーイシマサヨシ。なおかつちゃんと「ようこそジャパリパークへ」の歌詞も織り交ぜていてちゃんとくすぐりを心得ている。凄いユニットになったなあ。

 一方のTom H@ckさんはMITH & ROIDの方でも登場してはライトノベルの楽曲を演奏するセレクションの第2部で「幼女戦記」と「オーバーロード3」の主題歌をそれぞれ聴かせてくれた。というか「幼女戦記」や「オーバーロード」はライトノベルで良かったんだと改めて思ったというか。あのあたりは扱いがなかなかに曖昧だったりするのだった。戻って漢祭りの方は、PENGUIN RESEARCHが「涼宮ハルヒの憂鬱』で平野綾がハルヒとして熱唱した「God knows…」をハイトーンボイスで聞かせてくれて、アニメ以上にスピーディーでテクニカルなギターソロも披露された。

 漢祭りにはGRANRODEOも登場。声優として出演していた谷山紀章が楽曲を提供していたギタリストの飯塚昌明と出会い、GRANRODEOを結成するきっかけとなった「君が望む永遠」からMinami(栗林みな実さん)の「Precious Memories」を披露してくれた。のびのある声はまるで持ち歌のような伸びのある声を聞かせてくれた。そのあと、PENGUIN RESEARCH、OxT、GRANRODEOが揃って「けいおん!」から「Don’t say “lrazy”」をパワフルに歌って漢祭りを締めくくった。ちなみにこの最後の楽曲でギターをひっていたのが若き日のトムさんらしい。いろいろと奇縁があるなあ。

 アメリカが沖縄や小笠原諸島を日本に返還したのは、別に領土としておかなくても基地とか自由に作れるし、冷戦だとか対中国といった状況の中で日本にもっと働いてもらうなら、喜ばせておいて損はないと考えたのかもしれないし、ベトナム戦争で疲弊してリベラルに傾いた民心なんかをそらして、自国の結束を高めようとした意図なんかもあったのかもしれない。本国から遠く離れた極東の、ハワイのように観光地としても未成熟な土地にいつまでも関わっていては大変だって思いもあったのかな。そうした意識があってもなくても、手放してくれたのはやっぱり珍しいことで、ソ連なんかは北方領土をいつまでも手放そうとはしなかった。

 韓国も竹島を実効支配したままで、いつしかそれを国の尊厳のような位置にまで持っていってしまったからもう絶対に占領前の状況へと戻すことはないだろう。領土問題とはそういうものだから。それは日本が尖閣諸島の領有を主張して譲らないのと同じこと。いつしか対中国の橋頭堡としてシンボル化されてしまった尖閣諸島周辺海域を、中国といっしょに調査して海底資源を有効活用していこうといった話にすらならないし、なり得ない。それを言ってしまっては敗北であり、実質的な支配権を譲り渡すことにつながりかねないと考えているから。それでずっと塩漬けはもったいないよとなっても、尊厳の前には腹が減ろうが飢え死にしようが関係ない。そういうものだろう。

 北方領土もたとえ2島がもしかしたら返還、というより相手の言い分ではロシア領土として認めた上で日本に譲渡されようとしても、4島こそが今もなお日本の領土であってロシアに実効支配されているだけであって、それらの将来の返還につながるような言質を得ない限りは話を聞いたりするのはダメで、口にすることすらイケナイこと。それが、尖閣や竹島で頑なな人たちだなんだと思っていたら、そういった人たちが支持する我らが安倍総理が、2島返還をほのめかしたことでなにやら雲行きが怪しくなった。

 4島の帰属は日本であって、そのすべての返還というのが鉄板だったが故に進まなかった北方領土問題を、少しでも動かした偉い人ってなってしまいかねない。それは結局のところ、尊厳ではなく体面しかなく盲進すらあってそれですべてが判断されているってことになりそう。なおかつそうした2島の返還なり譲渡ですら真実かどうか分からない。そんなことは言ってないけど言うかもしれないから、まずは平和条約だって言われ、それすらも前進を言いくるめて引き受けてしまうかもしれない。結果、永遠に北方領土が返ってこなくても。そんな問題すら存在しなくなっても。それでも支持される総理の下で動く日本が10年後にどんな姿をしているか。考えるだけで夜寝られなくなっちゃう。ずっと寝ているかもしれないけれど。ニートとして。あるいは死者として。


【11月16日】 「キネマ探偵カレイドスコープ」シリーズの斜線堂有紀さんによる新作「私が大好きな小説家を殺すまで 」(メディアワークス文庫)を読んで思ったこと。もしも幕居梓が鮎喰響だったら、遥川悠真は3作目でなじられ4作目で蹴り倒されていたかもしれない。ちゃんとしたものを書かない作家に響はとっても厳しいから。でも梓は信奉し似せて近づき超えてしまった。作家にとってはそっちの方が辛いかもしれない。デビュー作が大ヒットした遥川悠真が大好きだけれど、家では母親に虐待され夜の間はクローゼットに閉じ込められていた幕居梓という小学生が、手に悠真の本を持って線路際に立っていた時に悠真に声をかけられる。

 自分の本を持って自殺されるのは迷惑。とまあ素っ気ないけど親切で、母親が蓄電してひとりぼっちになっていた梓を家に招き入れ、本を読ませ半ば世話もするような形で時間を凄く。中学校にも通うようになった梓だけれど対照的に悠真は新作への評判が果てしなく悪く、何も書けなくなってしばらく。本など持ち込めないクローゼットの中で覚えた悠真の本を反芻していたくらいに知り尽くしていた梓が悠真のような文体でモチーフで書いた初の小説を、悠真が自分の作品として世に問いそれが大ヒットしてしまう。以後も短編を梓が書いて悠真の名前で出したり。ゴーストと作家の決して隷属ではない協業関係が出来ていく。

 でもやがてゴーストが梓の学校の男子に露見し、一方で日常を書き綴っていた言葉を悠真に読まれた先。起こった悲劇は果たして悲劇だったのだろうか。ずっと悠真になり切ろうとしていた梓だったけれど、そしてそれを信じていたふりをしていた悠真だったけれども梓の学校の男子はそれは梓の文体であり梓の小説なんだと喝破する。自分では認めたくなかった自分の才能。悠真のためにすべてを尽くすことでしか居場所がなかった梓にとって、それは恐怖だったかもしれないけれども一方で悠真にも恐ろしいことだった。否応なく認めなくてはいけない現実。そして……。落ち着いた先、残った者たちが道を歩み始めた先にある、それぞれが自分の脚で歩いた結果がどうなったかが知りたい。響は自分を貫き通した。梓は自分になれたのか。

 「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の宣伝も兼ねてかつて「宇宙戦艦ヤマト」を最初に取り上げたらしい当時はまだアニメ誌ではなくカルチャー誌だった「OUT」を復刊させようとする動きがあるらしく、上映イベントに関連してそうした発表もあったようだけれどもこれを聞いてまったくピンと来ないのはそのヤマト特集号を目の当たりにしたことがなく、またその登場が自分にとってまったく印象に残っていないからでどうしてヤマトでOUTなのかが、ヤマト人気に火を付けたきっかけだったという客観的に見知ったレッテル以外に思い浮かばないからなんだろー。アイビー特集で一世を風靡した雑誌「POPEYE」がVANヂャケットの復刻ブレザーにおまけでつくような感じ? それなら買ってしまうかなあ。

 「OUT」というアニメ誌についても買ったのは1980年の3月号、あの「機動戦士ガンダム」を特集してピンナップとしてセイラ・マスがヌードになった「悩ましのアルテイシア」を掲載したということを半年とか経ってから気がついて、探して古本屋で手に入れた程度で、そのピンナップは大切に利用したけれども外のページに何が載っていたかはほとんど記憶に残っていない。「スターシマック」は載っていたかなあ。だからもうちょっとたって「OUT」がアニパロで有名になってもそれは単行本とかで読む程度。濃い投稿にもハマらずアウタシアンなんて言葉も知らないままひたすら「アニメッック」でストーリーとか設定回りを追っていた。あとは昔の特撮とか。

 想像するなら1980年代に大きく話題になったアニパロと投稿の「OUT」のファンが懐かしの「OUT」復活だと喜んでいるんだろうけれど、でもそうしたファンって1977年にはまだ子供で「宇宙戦艦ヤマト」の特集をしてカルチャーの中にアニメーションをぶっ込んできた、アバンギャルドでアグレッシブな雑誌としての「OUT」を見知ってその“復活”を喜んでいる感じじゃない。そしてアニパロとして楽しんだだろう人たちにとって「宇宙戦艦ヤマト」は多分それほどの題材じゃなかったんじゃなかろーか。むしろ「ガンダム」であり「サムライトルーパー」といった当り。そこに「宇宙戦艦ヤマト2202」をぶっ込んで、無理矢理に初期と全盛期を接続してのける企画が誰にどれだけ喜ばれるのか。そこが今は気になっている。お手並み拝見と行こう。

 旭日旗そのものを厭う気持は分からなくもなくって、それが近年のメディア環境の中で濃縮されるように発露しては煮え固まってしまったものでも、そこに至るまでにもつれた感情を整理させられず、むしろ煽るような施策を打ち出してきた側にも一定の責任があることも理解している。自衛艦に掲揚されるものは旭日旗ではなく識別旗だと主張しても因縁がほぐれないことも残念だとも思うけれど、そうした日本の旭日旗由来ではなく、中国の文化大革命期にいろいろと作られた毛沢東主席を偉大と称え、毛沢東語録を太陽のごとき書物だと崇めたい意識を赤い放射線に表現したデザインをもって、日本の旭日旗だと言いつのって、そうしたデザインを利用した映画祭のポスターを批判するのは流石に違うんじゃなかろーか。

 それって日本のみならず、中国のデザインに対して異論を唱えていることでもあって、瞬間にそうだと判断したものの今となっては少し振り返って判断して欲しい気がする。もしも中国の文化大革命時代に発生した、赤い放射線で毛沢東主席を偉大な存在と称えるような意匠を元に描かれただろうデザインがいけないというなら、例えば中国のアーティストが文化大革命期のそうした意匠を使ってパロディなり、時代を象徴するようなアートを作り、デザインを行っても自分たちとは無縁の国で、むしろ敵だった日本の旭日旗と混同されて非難されてしまいかねない。それって迷惑なことこの上ないし、独自の文化に対する侮辱も甚だしい。そこまでの意識があったのか否かを、映画祭のポスターに異論を唱えた人は言うべきだし違うと分かれば撤回すべき。似ているから悪いじゃあそれはやっぱり宜しくない。さてもどうなることやら。

 収監されたシェリルを助けにアルトが女装して乗り込むのってもっと早い段階かと思っていたら、後半だったことに改めて気付いた「劇場版マクロスF サヨナラノツバサ」のMX4D上映。バルキリーでの戦闘シーンであっちこっちに動き回るシートの凄さに振り回されて膀胱の尿が降りてきてちょっと大変だった。歌の方はランカの方もシェリルの方もテレビシリーズからすっかり離れた楽曲を多く歌っていたんだなあ。そして三島も大統領も割と悲惨な死に方をしていた。テレビだとどうだったっけ。ラストはアルトが遠くへ行ってしまうというのは覚えていたからそのとおりだったけれど、残されたシェリルが目覚めるのがいつになるか、分からないだけにアルト帰還後の世界というのが見たくなった。Δへと移行してしまった今はもう無理かも知れないけれど、いつかFの劇場版の続きをお願いしたいところ。アルト姫はやっぱり美人だなあ。


【11月15日】 電撃大賞の贈呈式では今回、どのカテゴリーでも大賞が出なかったことが気になったけれども選考委員ではイラスト部門のいとうのいぢさんがこれからは個性が必要って話していた件。いとうのいぢさん自身の個性と聞かれて即座に答えられるかというとやっぱり悩むところだったりするけれど、見ればそれと分かる線であり造形というのがいとうのいぢさんにはあるような気がする。それは立派な個性であり武器。そうした部分がこれから出ているクリエイターにもあるかどうかってことになるんだろう。

 今年はイラストで金賞のうらべさんは巧かったけどどういった個性が出せるかが未知数。マンガで金賞の岩国ひろひとさんはすでに作品の掲載が始まっているからやっぱりすでに確立したものを持っていそう。同じく金賞の御眼鏡さんは可愛らしくて賑やかな絵が描けそうな感じだったんで、これからオリジナルを描くなりコミカライズを手がけるなりする中で独自性を見せていってくれるんじゃないかなあ。名前を刻んで追っていこう。小説はやっぱり人それぞれかな。

  口笛を吹いていたホイップさんんはあれは絶対に桃山みらいのお父さんなんだろうけれど、明確には言及されないままさっと来てはさっと去って行ったその間で、あのアンジュさん相手に口笛で楽曲を残してそれがそのままMiracle Kiratsの新曲となって歌われることになったみたい。「キラッとプリ☆チャン」でお披露目があったけれどもこれといって凝ったメロディではなくって割と素直にストレートなアイドル歌謡といった感じ。というか「キラッとプリ☆チャン」で歌われる楽曲は全体に分かりやすいメロディラインで「プリパラ」なんかのポップミュージックとはやっぱり一線を画している。その意味では大人の視聴者が聞いて満足できるかといったところで戸惑いもある感じだったりする。

 ただ、9月の中野サンプラザでのライブに登場した「キラッとプリ☆チャン」勢力が見せてくれたパフォーマンスはなかなかにビビッドでグッとくる感じで、アイドルとしての実体を持って歌われるとなかなかに強い存在感を醸し出してくる。それでいて子供でも覚えやすいメロディラインは、番組の視聴者年齢をぐっと下げたところに想定している「キラッとプリ☆チャン」にとってはむしろ必須のものだったのかもしれない。児童や小学生の低学年が見て楽しんで自分も憧れるアイドルの姿。そしてなり切って遊べるという楽しみ。それらを展開する上で分かりやすい楽曲をわざと選んで提供しているのかもしれないなあ。12月には幕張メッセでライブもあるから、そこで外の「プリパラ」勢と対抗してどこまで目立てるか。期待して開催を待とう。チケットは確保済みだし。席どの辺かなあ。

 こつこつとコンビニで見つけては買って食べていた「けものフレンズマンチョコ」のシールが淡路町のファミリーマートで購入した中に入っていた分でようやくコンプリートできた模様。シークレットのスザクとヤマタノオロチは前に確保していたものの、どうやらコンゴウインコとアミメキリンが出ていなかったようでこれまでの確保分とまとめてみたら、それらは重複がなかったからやっぱりそうだったんだろう。これで20種類が並んだけれども問題はどうやって保存しておくかか。名刺なんかを並べるカードケースに1枚ずつ入れておくかなあ、いっそ何かに張ってしまえば剥がされない限りは残るんだけれど、新品のままとっておきたい気もするし。人気の流れで生まれたような商品が、来年1月からの新番組の後にもちゃんと同情するかは目下とっても不確定。これが最後になるかもしれないといった覚悟で重複分も含めて保管しておくか。一部の店頭ではまだ売ってるみたいなんで買い足していこう。

 そんな淡路町から歩いた場所であの萩尾望都さんが登場する舞台の製作発表会見を見物。2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故後、起こってる出来事へのいたたまれない思いなんかをすぐさま漫画に描いて発表し、大御所がこれだけ素早く動くのか、それだけ事態は深刻なんだと思わせた短編漫画「なのはな」が、あの男優だけの劇団スタジオライフによって舞台化されることになった。24ページほどの短い作品だけれど描かれていることは祖母を失って小学6年生の少女は迷い母親は嘆き祖父は空元気を見せているけどやっぱりもういないだろうことは感じて入る。そんな複雑な心境の中で果たしてどういった希望を見いだせばいいのか、ってところでこの漫画はなのはなを植えて土壌の改良を進めようとしたチェルノブイリの事例が提示される。

 果たしてなのはなだったりひまわりだったりする植物を植えて土壌が綺麗になるのかは分からないところではあるけれど、何もできないんだという無力感に苛まれていた所に聞かされたそうした情報は、何かできることがあるんだという光明となって人々を勇気づけ元気づけた。そのエピソードを含んだこの漫画もだからやっぱり震災から今度の3月で8年が経ってだんだんと記憶が薄れつつある中で、まだまだ福島には大変な人たちがいて大変な状況が続いているし、震災全体を含めても復興のまだ途上だったりするのが、舞台化によって改めて世に存在を知ってもらえるといった光明をもたらしそう。「ラララ」の歌を唄っていたシンガーのモデルとなった明石さんがそのまま楽曲を作り舞台に立つそうで、あの演者の中に入ってどれだけの演技を見せてくれるかが気に掛かる。若い頃に文芸座にいたというから演技はできるんだろうなあ。「ラララ」の歌で何が歌われるかか。萩尾さん詞を書き足したりするかな。公演を期待して待とう。

 東海地方に在住経験のある中高年から浮かぶ「浜名湖パルパルって前は舘山寺パルパルだったよね」って見解。調べて実は浜名湖パルパルの前は遊園地パルパルだったとうのは既に書いたことだけれど、問題はどうして「舘山寺パルパル」という名前が浸透していたかってところでCMがあったのか連想させる並びがあったのか、調べても出てこないだけに難しい。聞けば済む話かもしれないけれど、当時を知っている人が浜名湖パルパルに残っているとは限らないしなあ。しかしどうして「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」は浜名湖パルパルだったんだろう。石井・風花・アネモネの暮らしていた場所が近かったのかなあ。

 だったら外に行きたいところもあったかもと想像してみる中部・東海レジャー施設。「おおい風花、今日パパやっと時間ができたから前から行きたがってたあそこに連れて行ってあげるよ、香嵐渓ヘビセンターだっけ」「違う浜名湖パルパル!」「いやあパパ、前からアネモネ、じゃなかった風花の雰囲気はヘビっぽいなあと思っていたから香嵐渓ヘビセンターに行きたいって聞いてやっぱりと思ったよ」「だから浜名湖パルパルだって!」「ほうら着いたぞいっぱいヘビがいるなあ、あれはキングコブラだね、ヤマカガシにハブにヒャッポダ。ニシキヘビもいるよ。眼なんてアネモネ、じゃない風花にそっくりだ、type the ENDを操縦している時の」「浜名湖パルパル……」。

 そんな会話が石井家であったらちょっと愉快かも。香嵐渓蛇センターは1度だけ行ったけれども本当に蛇がいっぱいだった。あるいは「アネモネ、今日パパ休みが取れたから連れてってあげるよ、前から行きたがってた恵那峡ランド」「浜名湖パルパルだし、ってか今は恵那峡ワンダーランドだし」「関ヶ原メナードランド?」「潰れたし」「サンケイバレイか」「とっくに琵琶湖バレイだし」「びわこー温泉」「こーよーパラダイス、って違うし」。思い出す昭和。いろいろなCMが流れていたなあ。だから名前は覚えた。行ったことがあるのがこの中には1つもなにも関わらず。それでもそれだけにやっぱり舘山寺パルパルの“語源”が気になる。CM流れていたのかなあ。


【11月14日】 お台場の(青海だけれど)日本科学未来館でずっと開かれていたデジタルコンテンツEXPOがなぜかIntaer BEEという放送と映像の展示会に引っ張り込まれて開催されることになって幕張メッセへ。企業や大学の研究室なんかが成果を発表する展示は変わってない上に、周囲に放送だとか映像に関する大手の企業がひしめき合っている中での展示は、逆に新しいアイデアや技術があるからといって誘われ、今後の展開につながるような可能性もありそう。学生なんかが出しているVRのコンテストでも、そこに面白さがあれば企業なんかがスカウトに来るとかあったら楽しいんだけれど、それだけの目を持った企業はあるかなあ。

 そんなデジタルコンテンツEXPO2018では筋電気刺激を使って自分の手の動きを誰かに伝えるような装置があって、目の前の人が指を曲げると自分も曲げざるを得なくなる感覚が操られているようで面白かった。いずれ生体アンドロイドを遠隔操作する、なんてことも可能になるのかな。同じ装置ではパーキンソン病の人の手の震えを再現して、それでいろいろな道具を扱うとどれだけ厄介かなんてことを体験もさせていた。病気の人の苦労を健常者がいくら想像したって現実に体験することにはかなわない。ならばそれを再現してみようって感じ。前々から同じ筑波の研究室では、障がい者とか子どもの身になれる装置を開発していたからその延長なんだろう。

 学生対抗のバーチャルリアリティコンテストもデジタルコンテンツEXPOと日本科学未来館で併催されていたものが、今回は組み込まれるような形で開催されていて、大学とか大学院とかが研究室から自慢のVRを持ちこんでいた。狼に噛まれて血が噴き出すVRとか、体験すると血が噴き出しても安心な気持になれるのかな、ってそれじゃあ死んでしまう。どれだけ痛くて恐ろしいかを体験しておくことで、避けようという気になれるVRってことらしい。あと自分のVRヘッドセット越しに見ている視界が離れた場所にある仮面の見ている視野と重なっていて、顔を動かすと仮面も動くといった装置は、自分がVRを楽しんでいる上にそのしぐさを外部からもで見られ、なおかつ仮面の目を覆うとVRの視野もふさがれるよういしてあることで,外から介入もできる。一人遊びになりがちなVRを大勢で楽しめるようにする装置。これも活用されそう。

 そんな中にあって立教高校池袋校の生徒が出していたVRが、火災の現場を歩いて逃げるVRで火にまかれて煙を吸ってしまうような状況を、はき出す二酸化炭素の量を量ることで再現してもういっぱいいっぱいになったらそこで倒れてゲームオーバーにしていた。なかなかの緻密さ。なおかつominiっていう丸いゲージの中で足の裏を滑らせムーンウォーク的な動作を行うことで進んでいるようにする装置を、自分たちで再現して作り上げて持ちこんでいた。スリッパで歩くと畳で滑って戻るため何歩でも繰り返し歩いて行ける。それを学生が作ってしまう根性に喝采。ほふく前進を再現して爆弾まで辿り着いて電線を切るVRは長野の工業高校によるVR。高校生の頑張りが目立ったIVRCだった。

 うひゃあ。事実が記された歴史書だって嘯いていたと思ったら、織田信長が比叡山の焼き討ちとかをやったって記述をしつつ一方で、日本は大虐殺を行ったことなんてないって記述もあってどういう矛盾なんだという指摘が繰り出され、どっちか訂正になるかなあと思っていたら織田信長の固有の振る舞いであって民族として虐殺をしたことがないっていう、文学的な修辞なんだけれどそれを分からない奴は莫迦だなんてことを言い出して、歴史書だって行ってた言葉は今度はどこにいったんだ、それすらも文学的修辞なのかといった異論も飛びそう。当人に届くかどうかは分からないけれど。

 8人いる女性天皇は男系であって、すなわちすべて父親が天皇だったという記述にしても、2人が違っていてそのうち1人は死後に天皇とされているから該当しないこともないけれど、即位時を考えるなら天皇ではなかった訳だし1人は確実に外れていたりする。歴史なんだから極力厳密さを求めてしかるべき部分に対して、1人くらい違っていたって良いじゃん的な態度を見せてそれを擁護する人たちのどこに、歴史を自分たちにとって正しいものに引き寄せようとする意思があるのか。自分たちに都合が良いように解釈をしてそれで納得すればオッケーという、とてもじゃないけど歴史に向き合う態度とは思えない。まあそれで良いんだろう、自分たちが愉快でいられさえすれば。

 新たに日本人の特質について織田信長のことを記したルイス・フロイス神父が書き送った言葉だってものを挙げていたものが、実はフランシスコ・ザビエルの書いたものだったって指摘もされていて、これなんてもう完璧なまでに間違いなんだけれどもどういう言い訳をするんだろう。同じ外国から不況に来た神父ということで、同列に考えるのが文学的な解釈なんだと主張するんだろうか。しかねないよなあ。あとどうやらユダヤ人に協力した人を記載していくゴールデン・ブックというのがあるらしんだけれど、それがユダヤに貢献した人の名を刻む石碑ということにされ、日本人の名が杉浦千畝も含め刻まれているって書かれていて、いったいどこから出た話なんだってことになりそう。っていうか育鵬社の教科書にそうあるらしいから、それに石碑というネットロアを絡めて引っ張ってしまったんだろうなあ。果たして今後指摘が挙がるか。ネットの噂をも広い歴史にする文学的作法とでも言うんだろうか。言いかねないだけに恐ろしい。

 これでもう20回目くらいの取材になるんだろうか。かつてのメディアワークスがアスキーメディアワークスとなって今はKADOKAWAとして実施している新人賞の第25回電撃大賞の贈呈式があって、応募総数5631作の頂点にいろいろな賞が贈られた。小説では大賞が出なかったけれども金賞に新潮189センチと大型新人の渋谷瑞也さん「つるぎのかなた」が輝いて、三上延さんからトロフィーなんかを受け取っていた。剣道の世界で最強と呼ばれながら、もう2度と剣を握らないと決めた少年が、剣の道に戻り仲間やライバルを得て成長していく姿を描いた高校生たちの青春剣道物語。弓道だったらアニメもやっている「ツルネ」があるけど剣道だと誉田哲也さん「武士道シックスティーン」みたいな感じになっているのかな。刊行されたら読んでみよう。

 凄かったのが渋谷さんの受賞コメントで、が、金賞は受賞者のうちでは最高賞ながらも「悔しい」とまずコメント。刊行に向けてすでに直しが始まっているんだけれど、その原稿に様々な指摘をもらって「こんなにも直すところがあると自分で気づいていれば、もっと面白いものが作れて上にも手が届いたかもしれない」と話した。つまりは大賞を逃したことがやっぱり残念だった感じ。とはいえそうした順番が後々に影響をしないのが電撃大賞。受賞しなくたってデビューしてベストセラー作家になれる。三上延さんがそうだった。だから順位とか気にせず「日本一面白いレーベルに見いだして頂いたことに責任と誇りを感じつつ、エンターテイナーとして良い物を作り続けていきたい」と渋谷さん。その心意気がどんな作品を生み出すか。来年2月くらいの発売を期して待とう。

 総評も興味深くって、コミック部門の選考委員だったいみぎむるさんは「全体のレベルが高く、みな上手だなあと思って見ていました。受賞を逃してしまった作品にも、すごく上手な作品があって、絵の上手さだけでは今は受賞は難しいと思いました。絵の上手さにキャラ作りや演出の上手さ、セリフの上手さが絵にプラスして必要です」と指摘して、もっと個性を出していく必要性を訴えていた。同じことはイラスト部門のいとうのいぢさんも言っていて、「年々、レベルが上がって来ている。選考段階で見ているものは、どれが受賞してもおかしくない上手な作品ばかり。個性とか自分の武器を強みに出していかないといけない時代。自分のこれだけは負けないというものを推して、高めて頑張って欲しい」と呼びかけていた。個性って何か、それはどういた層に受けるのか、なんてことも考えて描く必要があるんだろうなあ、小説も似たような設定の上にどう個性を乗せるかを考えたいなあ。


【11月13日】 公開から2周年を迎えた「この世界の片隅に」の舞台挨拶付き上映に片渕須直監督が登壇して、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の進捗状況を話して、どうやら着々と進んではいるらしいんだけれども元よりスケジュールと予算の関係から難しい場面を避けていたこともあって、それらを復活させるとなると相当な手間がかかるといったところで30分伸ばすからといって30分アニメを作るスケジュールではいかなさそう。まあ気長に待つから良いんだけれども2019年は湯浅政明監督の新作映画「きみと、波にのれたら」が初夏に公開予定で強力な対抗馬になりそう。

 あとは「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」も確か4月だかに公開で、原恵一監督の新作だとかもありそうだし、新海誠監督の方も何か動いている感じ。「ガールズ&パンツァー最終章 第2話」も6月くらいにあってと話題作が目白押しだから、そんな中で公開されて戦って果たして勝てるのか、ってすでに勝ってる映画だからあとはおまけの人生を歩んでくれればそれで良しってことなのかもしれないけれど、27億円まで興行収入が達したところで新作にまたいくらかぶっ込めんでしくじれば、次に作りたいものも作れなくなってしまう。だからやっぱり成功して新作と同列に語られ賞レースにも乗っかった先、新たな観客を得て盛り上がって欲しいなあ。その成功をバックに次の作品へと向かう、と。2021年ごろだっけ。期待して待とう。

 そして末次由紀さんの「ちはやふる」第40巻を買って若宮詩暢のYouTuberデビューを確認したものの美少女ではあっても趣味は悪くテクノロジーに疎いその身でいったい何ができるかといったところが大きな課題になっていきそう。まあ競技かるたのクイーンという珍しい職種ではあるし見かけとのギャップも凄まじいのでそうした意味では目立てそう。クイーン戦への挑戦が決まった綾瀬千早との対戦を想定しての練習相手にされそうになっている綿谷新は、いきなり訪ねて来られて配信にも登場させられて大変かもしれないけれど、とてつもなく頓狂な詩暢を相手に木訥さでバランスがとれる新ならあるいは目新しい漫才コンビとして世界に注目されるかも。練習の模様を中継するだけでも凄いコンテンツになりそうだけれど。

 それにしてもここで真島太一を挑戦者に持ってこないのはやっぱり競技かるたという世界において実力を超えてのフロックは出さないといったある種の決意か。祖父が長く名人を務めたかるたの競技者で、その孫として幼いころから教えられてきた新がいくら周防名人の教えを乞うた太一であっても連敗する訳にはいかないからなあ。というか太一が1勝できただけでも凄いかもしれない。東大にだって入れそうな頭でサッカー部でも活躍できる人間だけに、かるたでもそれくらいの実力は出せるってこと。もしもだったら小学校から辞めずに続けていたら……。そこが陸上部とは別に道場で続けてきた千早との違いとして挑戦者決定戦に出たのかな。やっぱり努力は才能に勝ると。

 さてもいよいよ名人戦&クイーン戦となってこれから単行本でも4巻5巻といった戦いが繰り広げられていきそう。まずは下準備として千早が女王中の女王、度会さんの教えを得つつ猪熊遥を詩暢と想定した練習を始めて果たしてどこまで迫れるか。直感の天才ともいえる千早が場当たりではなく対策を練ってそれを覚えていけるとも思えないけど、ことかるたになると雰囲気が変わる度会さんの凄みにあてられこれはやらなきゃいけないと思ってしっかり取り組むこともあり得るからなあ。けどそうやって新年のクイーン戦に熱中して大学進学とかどうするんだろう。そこが謎めく。巻末のおまけ漫画では波田燈吾の姉が登場して2人とも美人で一家揃って明るそう。そんな下で育った燈吾や1年生たちって千早たちが卒業してもかるた、続けるのかなあ。その後輩達はいったい。実写版映画だとひとつの未来が描かれていたけど、そこに向かって進むのか。それにはやっぱり受験頑張らないと。

 なんていうか、例の防弾少年団に対するバッシングだけれど、発端となった原爆Tシャツは文脈的には光復節へのプロセスであって、万歳は彼らにとって歴史的に意味が大きい独立復活への万歳であって、原爆そのものへの万歳でないことは説明されているし、SSの帽子についてはスタイリストが持っていたもので、画像が出た時にやっぱり問題となって雑誌会社と所属事務所側が謝罪をして、写真も撤回されていたことが明らかにされた。つまりは筋が違っていたり、もう済んでいたりする話が今になって蒸し返されては、日本を中心に繰り返しのバッシングが行われている感じで、謝っても許されないと彼の国を批判している人たちが、しつこく批判を続ける態度がどうにも気になって仕方が無い。

 そうした人たちによって改めて蒸し返されているナチス風のライブの演出とかパフォーマンスも、そもそもがソテジというユニットが使っていたマークなりを元にしたものであって、ライブもソテジの25周年ライブに参加して行ったものだから防弾少年団だけが批判されるといったものではなさそう。なるほど黒に赤という配色はミリタリー的でともすればSS的とされそうだけれど、クール系な舞台ではままある配色であって即座にナチスを連想させると言って良いものでもない。あとはライブの雰囲気がミリタリー風である一方でヤンキー風味もあって、そうしたやんちゃなイメージを醸し出そうとしたことに即座にナチス礼賛とクレームをつけては、似たような配色の演出が難しくなってくる。誤解を招くこと自体が問題という声もあるなら、今後気をつけますで良いと思うんだけれどそこをしつこくやることで、溜飲を下げたいタイプの人たちがきっといるんだろう。だから収まらない。音楽という世界で国境を越えて誰もが楽しくなっていけるジャンルで起こった排他と誹謗の連鎖。断ち切らないと永遠に繰り返されるぞ。

エクセルシオール!  「エクセルシオール!」というあの言葉を目の前で本人から聞けたのは何よりの行幸だったかもしれないと、去年の東京コミコン2017に来日したスタン・リーのことを思い出しつつ今朝ほどから世界を悲しませている彼の訃報を受け止める。横にあのスティーブ・ウォズニアックを置いてもなお輝いていたその存在感。世界が熱中するヒーローたちを生みだし続けたことへの敬意が誰からも感じられたステージだった。今年も来てくれるかなあと思っていたけど、アナウンスがないまま月末に開催が迫る中で届いた訃報。やっぱり来られる感じではなかったんだろう。とはいえ開催されることでもあるんでここは東京コミコン2108の会場に、今からでも間に合わせてスタン・リーの殿堂をぶち上げてはあらゆるヒーローたち、ヴィランたちが自分たちの生みの親だと詣でてその旅路を送って差し上げて欲しいなあ。きっと天国からそんな様子を見ながら「エクセルシオール!」と言っているだろうから。

 ディスプレイを開くとキーボードが浮き上がってくるシャープのメビウスMURAMASAを使っていた人間だからノートパソコンがさまざまなギミックを仕込んでくるのは割と好きで、横にキーボードが広がってフルサイズになるThinkPadとかいつか実物が見たいなあとも思っているけどもう古いし今の時代に合わないから作られることはないだろう。逆にディスプレイ部分が取り外せてタブレットになる2 in 1なノートパソコンはこれからの需要で既にある分だけでなくいろいろと増えていきそう。そんな2 in 1ではやっぱりディスプレイが取り外し可能になれば、今度はパソコンとして旨く使えなかったりする問題をVAIOが解決。A12(Pro PA)は画面を開くと浮き上がるスタビライザーが全体を支えて奥に倒れない。そのスタビライザーが案外に堅牢でたためば収まり悪くなく、タブレット部分を外したキーボード部分のフック類とかも飛び出ずかといって小さすぎずタブレット部分を添えればスムースに刺さってぐらつかないのでなかなか扱いやすかった。値段はきっと高いだろうけど使って面白いノートパソコンかも。でもまだしばらくX201を使い続けるんだろうなあ、やっぱりキーボードが打ちやすいんだよ。


【11月12日】 物語としての「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」は、テレビシリーズでどこか不安定でピーキーで、だからこそ異能を発揮できたけれども人生としては不憫だったアネモネという少女が、そのテレビシリーズとは別の世界、得体の知れないエウレカセブンなる物質に攻められ大勢の命が失われたこの僕たちが暮らしているのとまったく同じに見える地球の、それも日本を襲っているところで特殊潜入部隊を率いてそのエウレカセブンと戦った父親の後を継ぐように戦いに加わっていく、といったもので、誰かにやらされているのではなく自分のために戦う姿勢を見せてくれている。

 そしてVRゴーグルのようなものをつけてダイブしたエウレカセブンの中ではまるでテレビシリーズの世界のようにニルバーシュ・タイプ・ジ・エンドを操り吊り下げられるようなスタイルでもってテレビではどこか精神安定剤に過ぎなかったドミニクが、ナビゲーターとして導く中を戦っては勝利を重ねてエウレカセブンの存在を縮めていく。けれどもそこでいつも引っかかる青い髪の少女の存在。「レントン」と叫ぶそのエウレカがやがてエウレカセブンの中心核の奥に潜んで立ちふさがって世界を飲み込もうとする。そんなエウレカをかつてのレントンのように導く石井・風花・アネモネ。そこにもやっぱり引っ張られ引きずられ必死にくらいついていたテレビシリーズのアネモネのような姿は見えない。

 そんなアネモネがいる世界へと引っ張り出されたエウレカは、ずっと探していたレントンと果たして再会できるのか、そして事態の終焉とともに現れたゲッコー号とホランド・ノヴァクやタルホ・ユーキといった面々とどう絡むか、そんな鍵となりそうなデューイ・ノヴァクが企んでいることとは、等々の謎を残して以下次号。それが誰の物語なのかは分からないけれど、やっぱり今はまだどこか遠くにいて空を見上げているレントンが現れエウレカと再開し、アネモネとそしてドミニクまでをも加えた面々がどったんばったんとした大騒ぎを演じてくれると思いたい。まったく予想がつかないところへと向かわせてくれそうで、その意味では「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」と同じ単なるリバイバルではなさそう。これだからアニメって止められない。

 前の映画ではテレビシリーズからの利用というか、それぞれに描き直されてはいるんだけれど基本的には同じレイアウトで使われていた部分は、今回は風花・アネモネがダイブした世界での描写となって登場。吊り目気味になって勝ち気でピーキーな表情がいっぱい見られて懐かしかった。一方でリアルな世界は普通の女子といった感じでどこか可愛らしい。不思議なのは幼少期の場面だけを3DCGによるモデリングのキャラクターにしたことで、顔立ちも表情も作画に比べてやっぱりどこか平板で無表情に傾いている感じがする。それでも視線とか口とか傾きとかで表情を表現したりしていて、そこに声が乗って人格も立ち上がる。作画とちゃんぽんなだけに差異も見えるけどやがれそれが主流になれば慣れていき、なおかつそこに作画と同様の匠が乗ってくるんだろう。印象としては「ブブキブランキ」とかのサンジゲンな3DCGモデルに近いかなあ。メインで作ったのはどこの誰? CG WORLDあたりで特集されると期待しよう。

 月刊アニメージュ2018年12月号に掲載の、「若おかみは小学生!」の高坂希太郎監督インタビューで日本のアニメーション制作会社もピクサー的に「色んな人の意見を取り入れていくべきで、面白いものを作るということについて、もう少し真剣に考えてもいいんじゃないかな」と話しているのがとても気になった。ピクサーもそうだしきっとディズニーも色々な人が色々な場所で作品に絡んで1本の映画に仕立て上げていくから。まずはシナリオのビルド。「ワンマンバンド」のマーク・アンドリュース監督だっったかな、来日した時にインタビューした際に長い時間の相当をシナリオの構築にかけたって話してた。ストーリーがあってこその映画。そこがぶれては面白いものにならないって判断だろう。

 それからこれはカメラオペレーターという職種のサンドラ・カープマンさんがコンテンツ東京で公演したとき、映像作りでカメラ位置とかその動きとかを指摘して直させてたって話を聞いた。カメラがキャラクターの先を行くことはないとかいった感じの指摘を、あがってきた映像に対して逐一行って直させる。それによてスムースな映画の見え方が完成していくといった感じ。こうした作業をおそらくはキャラクターの設定とかシナリオとか作画とかでも行っているんだろう、その集大成として出来上がってくる映画だからそりゃあ万人が見ても感心する出来になっている。日本だと監督が自分の意見が通らないとかんしゃくを起こすなんて話がインタビューには載っていて、誰のことかと想像しつつそれも1つの色だけど、その色が薄くては意味が無いといった突っ込みを小黒裕一郎さんがしていた。

 だから日本ももっと、個々にノウハウとアイデアを持った人たちを集約しまとめあげていくアニメーション作りをした方が良いって話なんだろうけれど、それができるスタジオって限られているからなあ、そもそも人がスタジオに集まるなんてことがないから、日本の場合。あとインタビューでは「ジブリにしても勢いのあるうちに文芸部を作って、才能のある人を集めてちゃんとしたお話を作ればいいんじゃないかなあって、ずっと思ってました」と話していたのも気になった。これに関しては、1996年ごろ、徳間書店がDIRECTVというCSのチャンネルを作った時に、ジブリチャンネル作ってTVシリーズを手がけるラインを作ろうって話があったことを思い出した。鈴木敏男さんにインタビューして記事にしたっけ。

 クリエイターを集め文芸を整えタツノコとか東映アニメーションとかトムスエンタテインメントみたいなスタジオになる道がそこに開けていたけれど、結果は宮崎駿監督ありきのスタジオに収斂。それが「もののけ姫」とか「千と千尋の神隠し」とか「ハウルの動く城」とか生んだんだから悪い話ではなかったんだけれど、結果として宮崎駿監督の“引退”とともにスタジオジブリは“解散”となってクリエイターは散り散りとなって今にいたる。もったいないけどそれもまた選んだ道。代わりに他のスタジオが似たようなことをやってくれれば良いだけってことで、「若おかみは小学生!」を手がけたマッドハウスやDLE、そして良質の作品を送り出し続けている京都アニメーションとかに期待したい。ボンズにも。

 そのボンズ、東京アニメセンター in DNPプラザで「ボンズ20周年記念展」のPart.1最終日だったんで見物に行く。上映されてるボンズ制作のアニメーションOP集を見てこんなにクールでスタイリッシュでポップでファンタスティックなアニメーションを作っている会社だと改めて「ボンズ」というスタジオの名を印象づけられて欲しいものだと思ったり。ジブリとか東映アニメーションとかGAINAXとかプロダクションI.Gとか京都アニメーションとかってスタジオ名から作品が語られることもあるけどボンズって多彩な上にどれも代表作めいてて作品が強すぎてボンズだからという感じにならないような。それだけどれもハイクオリティってことなんだろうけれど。そんな素晴らしく凄まじいボンズの作品のOP集のどれにも必ず出てくる「南雅彦」の名前を日本はもっともっと盛り上げていかないと。メジャーなメディアじゃ鈴木敏男さんくらいしか挙がらないアニメのプロデューサーだけど現役でこれだけ作ってるプロデューサーってなかなかいないんじゃないかなあ。


【11月11日】 ゴジラ、モスラ、キングギドラという三大怪獣らしき者どもがとりあえず存在を揃えながらも、三つどもえのプロレスを見せてくれなかったゴジラ映画があったりするから、別に特撮ヒーロー番組であっても怪獣が出てこない回が今さらあったって不思議ではないし、残念でもない。なおかつそれが「SSSS.GRIDMAN」という、ある意味で特撮怪獣ヒーロー番組をアニメーションでもってメタに構築した作品だったら、中で怪獣が暴れない回があることに言及されて、それがそのまま繰り広げられても、特に驚くことはなしに見てああやっぱり怪獣は暴れなかったなあと安心できるというか、納得できるとうか。そもそも特撮じゃなくってアニメだし。

 そうした特撮的な世界をアニメで描くこと、それが「電光超人グリッドマン」を元ネタにしたものであることを想定するなら、今回のようにより世界そのものへの謎へと話が広がっていってくれた方が嬉しいというか、一気にここまで明かしてしまって後の展開はどうするんだというか。前週にラフティングをしに山へと行って川を下った話を描いて即座になにやら地元に救う怪獣なるものが少女めいた格好をして現れ、響裕太に何が起こっているかを明かし、実際に電車に乗せてそれがどこにも行かないことを感づかせた。駅名の表示が最後はその駅も先の駅も前の駅も同じになっていたところに、世界が「劇場版 魔法少女まどか☆まぎか 新編 反逆の物語」的であり「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」的になっていた。

 だったら、それをいったい誰がやっていたのかというところで、「ビューティフルドリーマー」で言うところの無邪鬼にあたるのが新条アカネ。そのことを地元の怪獣少女は気付いていたようで、そのまま裕太に伝えてしまって驚いた裕太は憤っていたけど相手はその世界を作った神様で、逆らいようもなかったりする気がしないでもない。でもあえてアンチに裕太殺害を命じたってことは、自分では直接手を下せないものなのかもしれない。いろいろと謎めくアカネの神様としての立場。一方で内海将は目の前の神様がご威光を示しながらもそのアカネを埒外と勘違いして袖にした。恨みを買っただろう内海はやっぱり消されてしまうのか。そんな興味も湧いてくる「SSSS.GRIDMAN」。世界に果たして外側はるのか、それはネットの外のリアルみたいなものなのか、リアルがアカネに囚われ続けているのか等々、存在そのものへの謎にも挑んでくれる今後の放送が待ち遠しい。

 グループがアイテムでスクールだったりと小規模のチームがいろいろと蠢いて誰が味方で誰が的で何をやっているのかさっぱり思い出せなかったりする「とある魔術の禁書目録3」だけれども、とりあえず麦野沈利が浜面仕上の前に沈んでこれから復讐の鬼と化しつつツンデレにもなっていく様は楽しめるのかなあと、ちょっとだけ展開を思い出してはみたものの、こうした小さいチームによる学園都市の何かをめぐる争奪戦が背後関係を説明しないで一挙に語られて果たして視聴者はついていけるのか、それを見て原作を読もうと思うのかを考えるともうちょっと、親切な導入をつけてあげて欲しかった。1期2期を一挙放送するとか。それを見れば吹寄整理の可愛いすっぽんぽんも見られた訳で。まあピッチングでパンツを見せてくれたから良いか。この後展開はどうなるんだっけ、イギリスでのバトルがあってそのままロシアでフィアンマ戦だっけ。ともあれ展開がダイナミックに動いて新約前の物語が終わる。そこまで一気に行くのかな、フィアンマ戦は映画でも作るのかな。まあ吹寄がいればそれは正義。あと五和。そういう見どころだけはしっかり用意してくれるから鎌池和馬さんは天才なのかもしれないなあ。

 そして新宿バルト9で「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」を舞台挨拶付きで鑑賞。上演後に登壇したのはアネモネ役の小清水亜美さんにエウレカ役の名塚香織さん、ほとんど出ていないレントン役の三瓶由布子さんに京田克己監督だったけれどもそこに主題歌を歌っているRUANNさんが加わってステージで生歌と生ダンスを披露。ややグランジなビートに乗った歌を唄うだけかと思ったら、バックパネルに顔を向けて集中をしてからイントロで切れ味の鋭い本格的なダンスを見せてそれから歌に入って途中でも、マイクをスタンドごと引っ張ってセンターに移動させつつ歌いダンスも見せるといった具合に、アーティスト然としたところを見せいてた。

 これでまだ15歳の中学生だって言われて誰が信じるか。もちろん「SPEED」だって安室奈美恵さんだって、それくらいの頃にはすでにステージで歌とダンスを見せるアーティストとして活動は始めていたけれど、どちらかちえばストリートから出てきた新鋭が本来は音楽なんて無縁のアニメーション映画のファンを前にして歌い、踊ってそれでしっかりと魅了してしまうところに大器の可能性を見た。あまりのパフォーマンスに三瓶さんとか涙ぐんでしまったものなあ。それは本編ではどこか不憫な娘だったアネモネが、映画では自分を目一杯に出そうとして突っ走っていく少女になっていて、そんなアネモネを歌がしっかりと捕らえていたからでもあるんだけれど、14年近くをレントンでありエウレカセブンと付き合ってきた三瓶さんを瞬時に感じさせ涙ぐませるその歌詞力、歌唱力、何より魅力はやっぱり凄いと言っておこう。ライブ、見に行きたくなって来た。

 えっといつ以来になるんだろう、2017年1月の戸田あたりが最後に見たライブだったかもしれにあきゃりーぱみゅぱみゅが9月26日リリースのアルバム『じゃぱみゅ』を引っさげ全国ツアーを挙行中。その1つがようやく東京は中野サンプラザに回ってきたんで見物に言ったら10列目だった。ちょい前に数列あるから実質13列目とかそんなものだけれど山下達郎さんではとれない距離なんでなかなかに近い。もういったい幾つになったんだろきゃりーぱみゅぱみゅの顔とか脚とかもしっかり見える距離でとくに太りもせず痩せもしないで変わらない姿で躍ってくれていた。

 昔はといえばもっとポップにシュガーにスイーツに舞台装置なんかを仕上げてきていたけれども増田セバスチャンさんが関わっているのかいないのか、カクテルのグラスを模した大の上から登場しては歌って踊ってそれから名前が英語で描かれたライトをバックに階段くらいのの前で歌って踊って110分。往年のヒット曲から「CANDY CANDY」』をやったり「にんじゃりばんばん」をやったり「ファッションモンスター」をやったり「君に100%」をやったりしつつも新譜から元素記号を歌っていくという「演歌ナトリウム」を入れたりようやくアルバムに入った「原宿いやほい」を歌ったりしてそれなりに耳に馴染みつつ新しさも感じさせたライブになっていた。

 ひらりとしたスカート姿から男性用のタキシードを着こなし同様にタキシード姿の男性ダンサー4人で歌うシーンもあって、そしてちょっとだけ派手なドレス姿に戻ったりしつつもやっぱり無理にギミックをつけるような派手さはなく、まあ年相応の育ち方ってものを見せてくれてる感じ。無理をしているような印象派無く存在としてのきゃりーぱみゅぱみゅをしっかり維持して舞台の上に現出させてくれている。もしかしたらこれはあまりテレビとかに出ずCMとかにも出ずタイアップもあまり出さずにメディアの上で猛スピードで消費されることを抑え、かつての印象がジワジワと熟成していくようにしたからかもしれない。単純に一時期ほどの人気が下がってタイアップが減ったということがあるのだとしても、結果としてブランドやイメージを壊さないで来られたことは幸運だったのかもしれない。狙っていたのだとしたら事務所が凄いけれども果たして。

観客層はといえば相変わらずの幅広さで、小学生くらいのこどももいればおっさんおばさんにおじいさんおばあさんあたりもいたりする。若い層でもティーンがいれば20代30代もいてとほかのアーティストではなかなか見られないごったにぶり。かく言う自分だって50を超えたおっさんな訳でそうした人たちが来ても違和感がないくらい、バラエティに富んだ観客層をそれぞれに満足させるというアーティストもやっぱり珍しいかもしれない。中高生くらいでもちゃんときゃりーぱみゅぱみゅが好きみたいだから、時流に聡い世代が見放して断絶しているということもなさそう。どういう回路で見知ってファンになってライブに通っているか、ちょっと興味がある。そんなきゃりーぱみゅぱみゅの現在地が見たければ12月8日、追加公演で東京国際フォーラムが開かれるんで興味のある方はのぞいてみてはいかが。僕は翌日がプリチャンなライブだから体力温存で遠慮しるつもりだけれど。当日券出るならあるいは。


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