縮刷版2018年11月上旬号


【11月10日】 ネットとかSNSとかで舞台「けものフレンズ」2〜ゆきふるよるのけものたち〜の感想なんかを拾っていくと、今回は乃木坂46の鈴木絢音さんと佐々木琴子さんの出演を見たいという乃木坂ファンが結構来ている感じで、「けものフレンズ」のことは知らなかったり、「ようこそジャパリパークへ」という歌はちょっとだけ聞いたことがあるだけだったりと、ほとんど世界観についても知らないし前作からのつながりがあることも感じていないようだった。それでもストーリーとしては理解ができて、その中で助け合ってわかり合っていく姿を見て取れたようでそこは安心。その上で出演していたキャストへの関心なんかも高めていってくれのなら、次にまた舞台「けものフレンズ」が開催された時、乃木坂なり欅坂46の面々が出ていなくても来てくれると思いたい。クロヒョウの評判が良いのが嬉しい。クロやん相変わらず突っ走っていたからなあ。

 舞台挨拶はとれなかったけれども、舞台挨拶のライブビューイングが見られるってんでTOHOシネマズ上野まで出て「続・終物語」を見る。150分近い上に舞台挨拶まであってなおかつ予告編もしっかり流してと3時間オーバーな上映は年寄りには酷ではあったものの、それを見越して水分もあまりとらず舞台挨拶と上映の間にしっかり手洗いも済ませたんで最後まで通して見ることができた。そんな「続・終物語」を譚的に言うならおっぱいでありパンツであったというか、それが理由でPG12になったのならたかだか絵であり乳首なんかも出ておらず股間ももちろん見せてないものをPG12にしたら、映画でしずかちゃんのお風呂シーンは描けないし「エスパー魔美」のお風呂シーンも駄目なんじゃないかと思った。映画でそんなお風呂シーンがあるかは見てないんで知らないけれど。でもちょっと謎。

 とはいえいきなり冒頭から阿羅々木火憐のすっぽんぽんが出てきたりするから刺激はダイナマイトだし、その後には羽川翼の中にいるブラック羽川が縞パンをスクリーンいっぱいに見せまくっていてエロスはメガトン級だったし、他にも21歳バージョンの八九寺真宵がお姉さんの魅力炸裂で飛びついてきて年下を惑わしていたし止めはレイニー・デヴィルとしてしか出てこなかった神原駿河の母親で、臥煙伊豆湖の姉にあたる臥煙遠江がなぜか存命の母親として登場しては大人の魅力をその全裸でもって炸裂させていたからもう目は釘付け。それこそ阿羅多木暦でなくても目を奪われてしまうだろう。伊豆湖にはない大人過ぎる魅力って奴。これで斧乃木余接がパンツを見せてくれたらさらに衝撃も走ってそれこそR15+になったかもしれないけれど、いつもだったらふわっとしたスカート姿の余接ちゃんがパンツスタイルだったのでそれはなかった。でもちょっとだけ見せていたかな。だからやっぱりPG12も致し方なし、か。

 もう1人、忍野扇ちゃんも登場はなぜか学ランだったけれども途中でイメージとしてのすっぽんぽんが登場してはサイドからのシルエットだったけれどもしっかりと胸があるところは感じられた。女子の制服の時ですらあまり感じさせないスレンダーな少女ではあったけれども脱げばやっぱり凄かった、ってことなのかな。あのシーンを見返すためにもまた行きたい。でもやっぱりブラック羽川の縞パンが見たい見たい見たいのだ。Blu−rayはいつ出るんだろう。そんな「続・終物語」だけれども導入としてのミスリード的な部分があってそこは鏡の向こう側の世界かと思わせ、けれどもすべてが反転してはいない状況から何かだけが裏返っている世界なのかもと思わせる。けれども鏡の向こう側であるにも関わらず、鏡には映らないキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードが存在していたりして、とはいえ吸血鬼ではないなら存在しても不思議はないのかと頭をひねらせた先、実はその世界はといった種明かしもあってそうかそれなら存在はできて変質もして当然と分からせる。

 残滓。妄執。いろいろと呼べそうなそうしたある種の思念が形になると火憐ちゃんは可愛らしい少女になり八九寺真宵は成長したお姉さんになり神原駿河はレイニー・デヴィルになってそして忍野扇ちゃんは特に変わらずいたりする。阿羅々木月日ちゃんもか。元より妄執とかないしそうした裏側を期待されてもいないまっさらな(あるいは真っ黒な)存在だから。臥煙遠江さんが現れたのもひっくり返ったからでも裏返ったからでもないからで、そこに残された誰かの思いが現れたってことだろう。それであれだけのことをやってしまうんだからその存在の大きさって奴が伝わってくる。謎だったのは余接ちゃんがいつもだったら阿羅々木暦はパンツを脱がせようとするって話していたことで、それは鏡の中でも裏返ったものでもないなら誰がそうしていたんだろう。そうされたいという思いの現れ? なるほどあれで余接ちゃんは構ってもらいたい子なんだろう。たとえ無表情で淡淡としていても。それは表面的なものであって。

 そんな中にあって変貌しすぎていた感じのキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのあれは阿羅々木暦が望んだものなのかそれとも当人が過去を思い出してそうあろうとしたものなのか。城の中に暮らして近づけばその威光にあてられ知らず跪いて傅きつつ、やがて自分が存在していて良いのかを思うようになって死にたくなるという凄まじさ。高貴というのはその存在だけで周囲を圧倒するものなのだろう。それな異能でもなくただ単純に血筋であり経歴でありといったものの力で。そこに耐える余接はあるいは高貴さとかを知らずひれ伏すに値しないものと思っているのか、すでに死んでいるから死にたいと思わないのか。いずれにしてもキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに接ぐ最強キャラってことなのかも、影縫余弦とか忍野メメとかいった化け物級の専門家連中は除くとして、いやそれよりも強いのかな、ちょっと不明。ともあれTVサイズの6話をまとめて「フリクリ/オルタナ」「プログレ」みたいに映画にした割りに、ちゃんと筋立てて見ていける。ポイントには見どころも豊富で目の保養もあって知らず時間が過ぎていくから、臆せず見に行こう。僕も行く。最前列でしっかり目に焼き付ける。縞パンを。膨らみを。

 そんなキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのように、高貴さが半端なくてご威光が凄まじくって自分の言動が恥ずかしくなって死を選ぶくらいのお姫さまでは白桜院日向子さまが至ってなくて良かったというか。喜多喜久さんの文庫書き下ろし小説「プリンセス刑事」(文春文庫)に登場するヒロインは、日本が女王の統治下にあるというパラレルワールドを舞台にして王位継承権第5位のプリンセスがなぜか刑事になりたいと言い出し、警視庁に入ってそして現場に赴任してくるといったストーリー。さすがに危険な場所へは立たせられず、かといってやる気満々のプリンセスを閑職に追いやる訳にはいかないので所轄の刑事がお世話係のようになり、近隣で発生している連続殺人の捜査に遠巻きにあたらせることにする。つまりは周辺の聞き込みを適当にやっていろってことだけど、そこは国民の為を思って刑事になった正義感の強い日向子さま。危険こそ冒さないものの聞き込み先で捜査情報をぶつけては顰蹙もかいつつ機転を利かせて犯人のミスリードを暴いたりもする活躍を見せる。

 そこでもしも日向子がご威光凄まじくその前では嘘もつけないキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのようなお姫さまだったら、捜査の途中で犯人は自首どころか自決し捜査にあたっていた面々も遅れを恥じて自決したかもしれない。死屍累々。でも事件は解決するというその意味でのプリンセスな刑事ではあるけれど、そうした異能に近い威光は見せず、だたやっぱり育ちの良さがあり敬愛されているという世間的な認識もあって言葉にはなかなか逆らえず嘘もあからさまにはつけなさそう。そうした部分としっかりとした知識、そして正義感でもって突っ走っていく日向子とペアを組んで抑えに回らず相棒として認めいっしょに突っ走る刑事の関係は、果たして恋愛へと向かうのか否か。それもベタだしそうはならないところが身分差って奴でもあるんだけれど、どうなってしまうかを知るには続きが必要。書かれるためにもこうして喧伝しては読んでと言おう。


【11月9日】 そして公開されたアニメーション映画版「ゴジラ」3部作の掉尾を飾る「GODZILLA 星を喰う者」は、前にもほのめかした魔女化した暁美ほむらに対してアルティメットまどかと美樹さやかと百江なぎさが三位一体攻撃で押さえつけようとしたものの、魔女ほむらが悪魔ほむらとなってこれを退け世界を支配し、人類はその下で衰退を余儀なくされるといった展開で、ある意味ではバッドエンドと言えそうだし、それも含めて人類が向かう遠い先の有り様を描いたものと言えそう。地球は人類だけのものではなく、宇宙もギドラだけのものではない。そうした中でゴジラが抑制であり対抗の中心にあって、それぞれを支配するといった状況を鑑みるならまさしく「ゴジラ」映画だったと言えるだろー。

 SFとしてもなかなかの完成度。人類が向かうべき道、もしくは向かわざるを得ない先を描いてみせたものになっているけれど、「ゴジラ」といえば多くが期待するのが怪獣映画であって、人間が怪獣を倒すなり、怪獣どうしが戦うなりといった巨大なスペクタクルがあって当然と考えている人が多そう。けれども「GODZILLA 星を喰う者」にはなるほどゴジラとギドラの“戦い”はあっても、実写の特撮版「ゴジラ」が見せてきたような怪獣プロレスはないし、映画「シン・ゴジラ」にもあった人間対ゴジラといった構図もない。どこか遠景で行われている巨大過ぎる存在による凌ぎの削り合い。それもまた怪獣バトルと呼べなくもないだろうけれど、プロレス的ではない概念のぶつかり合いといった感じで、やっぱり怪獣映画とは違うかなあ。というかゴジラ・アースほとんど動かないし。

 ハルオは人類のことを考えているんだろうけれども、ビルサルドのようにナノメタルと一体化して自我を捨て群体となってまで生きたくはないと思っている。その一方で、エクシフのようふ宇宙的な暴威にはもうかなわないと身を捧げたいと思っておらず、その結果として抑制装置としてのゴジラ・アースを選bぬけれどもその監視下での発展は不可能だからと文明を拒絶した中で暮らし続ける。それもまたひとつの形と受け入れれば良かったんだろうけれど、途中で文明を復活させるような動きも出てきたのを見て自分はそっちに乗るべきか否かを迷い、結果として文明を復活させないで地に埋もれさせる。それを選んでいれば、ヒロインなのに3作目では寝っぱなしのユウコだって元に戻せたかもしれないのに、いっしょに消えてしまうなんてやっぱり自分本位の若造といった感じ。残した現地妻はどうするんだ? とはいえ相手も夫と添い遂げるといった感性はないみたいで、血脈をつなげる役目を果たして群れとして行き始めている。それが人類の行く末ならそれもありなのかなあ。見た人は考えよう、それは是か非かと。

 座奏の吹奏楽コンクールで関西大会に出場してしまう上にマーチングでは全日本でのゴールド金賞常連だなんて立華高校凄すぎるし、そこで1年生ながらもトロンボーンのファーストでAメンバーに入るんだから佐々木梓はもしかしたら高坂麗奈よりも実力として上にありそうな気がしないでもない武田綾乃さんによる「響け!ユーフォニアムシリーズ」の「立華高校マーチングバンドへようこそ」(宝島文庫)。とはいえ実力で言えば麗奈も立華の推薦に合格していたか誘われていた感じだし,マーチングだって楽々とこなしそうな印象でAメンバーどころかここでもソロすら奪ったりするかもしれない。どうなんだろう。サンライズフェスティバルでもちゃんとマーチングこなしていたし、3年ではドラムメジャーを引き受けたからマーチングができない訳じゃないんだろうなあ。

 ただ、やっぱり跳んだり跳ねたり回ったりしつつ演奏もしっかりとするマーチングの練習が常態化していて、イベントなどへの誘いも多い立華の方に吹奏楽の実力者がいて当然という気もしたりする。だからこそ物語の中で高校を卒業したら吹奏楽を止めてしまう部員が多いというのが気に掛かる。演奏そのものの実力が伴わないというよりも、全国で金賞という夢のようば舞台に常に立たせてくれて、そして海外でも引っ張りだこ(なのはモデルとなった立花高校だけれど)の吹奏楽部で3年間を過ごして、その先にそれと同等かそれ以上の興奮を与えてくれる場を見つけにくいってことがあるのかもしれない。大学でマーチングが強いところってあるのかなあ。かといって警察消防自衛隊の音楽隊にそのまま行けるものでもないし。座奏ならジャズでも同好会でも楽しめるし音大で極めるといった手もある。というか音大にマーチングってあるのかな。そのあたりが燃え尽きを生む理由になっているのかも。いろいろと興味を誘われる現象だった。

 逆に佐々木梓が北宇治高等学校の吹奏楽部に行っていたらどんな波乱があったかと想像すると、トロンボーンのAメンバーのやっぱり決まって吹奏楽コンクールで全国大会まで行ったことだろう。ただ仲は良くても黄前久美子とは性格がまるで違ってとにかく猪突猛進で自分本位なところがあるから、いっしょにくっついて何かドラマを展開させるとなると梓ばかりが目立ってしまって話が転がらなさそう。麗奈との関係でも久美子と麗奈が近づくのを阻害しそうなところがあるから、やっぱりいなくて正解だったんじゃなかろーか。それぞれがそれぞれの居場所で極める。そんな梓は立華で3年生になって部長になってずっと全国のマーチング常連を堅持。一方で久美子は2年生の時に関西止まりだったのを3年で部長になってどこまで引っ張っていったか。そこが描けてこそ新しいスタートを切りたかったと梓の前で言った久美子の物語は完結するし、生きたかった場所ですべてを出し尽くした梓の物語と並び立つ。果たしてどうなるか。書いてくもらえるのか。もう書かれているのか。それは映画になるのか、等々とまだまだ楽しめそうな「響け!ユーフォニアム」の世界。付き合っていこう。

 「ようこそジャパリパークへ」が流れればそこはフレンズが集う幸せの空間になるんだなあ、と思った舞台「けものフレンズ」2〜ゆきふるよるのけものたち〜。まずはゲネプロでサーバルの回から変わってPPPとマーゲイの回を見て、そしてアライさんとフェネックの回も見てそれぞれにゲストの声優さんフレンズが良い味を出していて舞台とアニメーションをつなげてくれた。かつて放送されて今もずっと大勢を魅了しているたつき監督の「けものフレンズ」があったればこそのジャパリパークに対する幸せな空間との認識を、今回の舞台もちゃんと継続してくれていてその意味ではありがたかった。新登場のギンギツネとキタキツネのクールなギンギツネにだらだらとしてたいキタキツネという色づけは、やっぱりアニメ版からのものだろうしなあ。そして2人のフレンズがいる場所が寒いというのもやっぱりゆきやまちほーにいたからという設定からのもの。なおかつかかる音楽にもアニメ版のサウンドトラックが使われていて、聞けばあの幸せだった3カ月に気持を引き戻してくれる。そこに流れる「ようこそジャパリパークへ」。泣かないはずがないじゃないか。

 ストーリーの方はといえば姉さん気質のギンギツネと世話を焼かれるのが常態化しているキタキツネがそれじゃあお互いに良くないと感じて依存を解いていくような展開。ある意味で「立華高校マーチングバンドへようこそ」の佐々木梓と名瀬あみかの関係に通じるものがある。どんどんと寒さを増していくジャパリパークにあって神頼みをするためにオイナリサマを介する必要があってそのためにしなくてはいけないことを、フレンズちが頑張って模索しながら進めていくのも成長のドラマを感じさせる。もしかしたら博士たちがかばんちゃんとサーバルを迎えて料理なるものを頼んだ時に使わせたアレは、ここでこうやって生まれたりしたのかもしれない。その意味ではアニメ版「けものフレンズ」へと続く道ってことになるのかも。乃木坂46から参加の鈴木絢音さんと佐々木琴子さんはあのストレートな髪のギンギツネとキタキツネを舞台に再現してくれた。緊張して寡黙が2人が舞台ではそれぞれになり切るところに女優魂って奴を見た。ユニットを離れてもきっと活躍していけるだろう、仁藤萌乃さんのように。今回の舞台が最後で来春には引退というけれど、それはずっとではなくいつか戻ってマンモス姉さんを演じてくれると信じたい。


【11月8日】 東京ドームシティホールでの「i☆Ris」の結成6周年記念ライブは「プリパラ」の楽曲も含めてi☆Risのキャリアを振り返るようなセットリストでファンには嬉しかっただろうし、「プリパラ」のミュージカルあたりから入った浅い人間でも聞き覚えのある楽曲が割とあってとっても馴染めた。そんな楽曲を繰り出すメンバーの歌っている間はどこまでも激しくてパワフルで美しくって楽しげで、長くユニットをやっているグループならではのまとまりってやつが伺えた。そしてMCとかに入っても仲の良さとか気持ちの通じ合っている感じとかを漂わせつつも堅苦しくはなく、かといってダラけてもいないアットホームさを醸し出していた。6周年ならではのアニバーサリーな気分にマッチしたライブだった。

 ずっと6人が1人も欠けずに来られたことをリーダーの山北早希さんはとっても嬉しがっていて、数々のアイドルユニットが声優さんのチームも含めて生まれては消えていった6年を、ずっと同じメンバーで過ごしてこられてなおかつそれぞれが活躍している状況を、安堵しているように感じられた。同じエイベックスにはWake Up’ Girlsというユニットがいて鳴り物入りで世に出てそれこそ紅白歌合戦まで目標に入れていたにも関わらず、いろいろあったようでユニットとしての活動は間もなく終了となってしまう。アニメーションにその勇姿は刻まれていたとしても、現実としてのユニットが見られなくなってしまうのはどうにも寂しい。それを横で見てi☆Risにもいろいろと思うところはあるだろう。

 Run Girls, Runの方は「キラッとプリ☆チャン」に声優として出演してユニットにも様々な形で混じり合って名前を連ねてこれからもi☆Risともども続いていきそうな予感。とりあえず9月の中野サンプラザでのライブではとっても存在感を見せていたし、12月の幕張メッセでのプリパラ&プリ☆チャンライブでも多くのユニットに混じってMiracle KiratsもMeltic StArも現役の輝きを見せ、その中でRun Girls, Runの活躍も改めて可視化されるだろう。ソロライブもあるし。そうした妹分の先を行く意味でもi☆Risには東京ドームシティホールからすぐ目と鼻の先にあるあの会場、東京ドームを本気で目指して欲しいなあ。出来ないはずはない。日本武道館はもう終わっているんだから。待とうその時を。山北さんは30歳になるまでに。

 あの「週刊プレイボーイ」に「若おかみは小学生!」の高坂希太郎さんが登場してインタビューに答えているのを見て、講談社の青い鳥文庫に収録の児童文学が原作であるにも関わらず、集英社として太っ腹だし流行りを見逃さずにとびついていくフットワークの軽さ、それを間髪入れずに誌面化してしまえる機動力の高さに改めて感心。妙な権威でもってポップカルチャーをサイトのトップページから極力排除しているような感じにし、なおかつ全社的にポップカルチャーへの関心を向けるどころかむしろ遠ざけようとしている節すらある自称するところの全国紙とは偉い違い。だからこそ全国紙は地域紙にすら負けて集英社は儲かり続けるんだろうけれど。はあ。

 とはいえその集英社の「週刊プレイボーイ」もどの面下げて高坂監督の前に出られたんだというか。「若おかみは小学生!」といえば女性占い師のグローリー・水領さんが運転するポルシェのカブリオレの格好良さにグローリーさんの美しさともども世界が驚嘆しているんだけれど、これからのポルシェブームを牽引しそうなそんなシチュエーションをどこよりも早く取り上げていたのが「週刊プレイボーイ」。あの麻宮騎亜さんによるポルシェが主役の漫画「彼女のカレラ」を連載していながら、どういう訳か打ち切りという所業を行いネットからも遠ざけてしまった。

 つまりは、ポルシェと美女はもう受けないと判断したようなその雑誌が今になって盛り上がっていると飛びつくとか、どういう無定見で無分別なことなのか。高坂さんの前に顔を出すなら麻宮さんのところに赴いて、三跪九叩頭して連載の打ち切りをわびつつ今再びのポルシェと美女をとお願いし、轟麗菜とグローリー・水領のコラボレーションイラストなんかを描いてもらって掲載するのがポルシェに対するリスペクトであり、そんなポルシェを好きで出しただろう高坂監督への心からの賛辞だろう。すでにインタビューは掲載されてしまったから、もう遅いなんてことはなく今からでも「若おかみは小学生!」の素晴らしさを世界に伝えるために、麻宮さんの手によるグローリー・水領さまと轟麗奈のポルシェで語り合うイラストを、漫画を「週刊プレイボーイ」に乗せるのだ、って原作はだから講談社なんだって。やったら凄いなあ。やらないだろうけどなあ。

 流れて来た大塚ギチさんのくも膜下出血から転倒による頭蓋骨骨折での脳機能障害という話。さらに伝え聞く限りでは会話なんかは可能なようではあるけれど、長時間の作業とかは無理そうでアンダーセルを率いての編集だとかデザインといったクールな仕事は無理みたいだし、ライターのような脳を使い倒す仕事も大変そう。何より出歩いてゲームセンターで熱いゲーマーたちの姿を見て追いプロデュースするような活動もきっと難しい。ネオンの輝く街中に穴蔵のように存在するゲーセンで、目の前の誰かを倒すとか残されたスコアを超えるといかいった純粋な思いでコインを投入してスティックを握りボタンを叩くゲーマーの、その熱を大塚さんが拾い世に伝えてきたからこそ今のeスポーツという、格闘ゲームがそれこそ万人もの大観衆の中で闘われ、勝者が称えられ何千万円といった賞金を得る時代が到来した。そんな時代にポジティブかネガティブか、思いは分からないけれども確実に強烈な言葉を繰り出せる人間を今、無くしてしまっては絶対にいけない。絶対に。

 幸いにして同様の思いを抱いている人は多くいるようで、大塚さんが立ち寄っては応援してきた、日本の格闘ゲームの歴史を語る上で絶対に外せないゲームセンター、ミカドの人が大塚さんを応援する言葉を投げかけて活動のための、というより生き延びるための支援を呼びかけ始めた。早速に応じてはみたけれど、期末に出るご褒美が月給より少なくなるという、およそ日本のエスタブリッシュメントと呼ばれるメディア産業にはあり得ない状況に陥りそうな身分では何年も支えるような金額を支援することは無理なので、他の多くのゴージャスに生きている人たちには、是非に日本の文化を支える言葉の使い手だと理解し、支援を伏してお願い。一緒に青空の下でアーケードゲームに興じる人たちを見たゲームサマーフェスティバルの再来を、大塚さんいはいつかまたお願いしたいなあ。闘会議は違うんだよ、あそこにはフラワーな喜びもヒリつくスリルもないんだよ。

 テレビ朝日が防弾少年団をミュージックステーションから閉め出したとの報、寄せられた防弾少年団の誰かがどこかで「原爆を万歳している」Tシャツを着ていたのは許せないといった声を受けてのものらしいけれどもそのTシャツは別に防弾少年団のグッズではなく、韓国でまあナショナリズム的なメッセージをクールでスタイリッシュなファッションに落とし込むブランドが出していた、光復節という日本にとっては終戦でも韓国にとっては解放を記念する日に向かって何が起こっていたかを綴った中に、日本の敗戦というのがあってそこへと至る過程で原爆が落とされ、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏を認めたた結果として朝鮮の人が喜んだ光復節があったという話で、原爆が投下され大勢の人が亡くなったことを直接的に万歳をして喜んでいる訳ではない。

 喜んでいるのは独立と解放という彼らにとって当たり前のことがメッセージにされたTシャツを、着ていたことが日本のテレビにとって問題ならそれはあの戦争とそこに至った帝国主義的な日本を認めるってことなってしまう。それこそが反動なんだけれどそうした考えなんかテレビ局にはないんだろうなあ、文句を言われるなら排除するってだけのこと。昔からそうだけど今も同じな事なかれ主義。もちろんそうともとれる部分がないわけではないし、あまりにもストレート過ぎる主張を身にまとうことで、他の国の人たちが寂しい思いをすることをエンターテイナーなら考えて欲しかったという気もするけれど、それを強要するのは思想信条の自由にも反するし、閉め出すのは表現の自由への挑戦になる。今後だからそうした方面から叩かれることを覚悟しているかというと、そうでもないところにこの国のメディアの、ジャーナリズムの衰退と死ってやつが見え隠れ。まあとっくに死んでるどこかよりは良いんだけれど。3ケタのボーナスの夢は夢で終わるのか。


【11月7日】 下院で民主党が勝利して、上院では共和党が勝利したようなアメリカの中間選挙がいったい世界にどういった未来をもたらすかについて、まるで想像が及ばないけれども下院でトランプ大統領の施策がなかなか承認されない状況が続いて、それを逆手にとってアメリカのためにならないとトランプ大統領が喧伝した時にアメリカの国民はやっぱり民主党が足を引っ張っていると感じて、次の大統領選挙でも共和党の候補だからおそらくはトランプ大統領に入れてまた4年、その政権が続くような気がしてならない。

 マイケル・ムーア監督の「華氏119」を見てもトランプ大統領が意外にも支持を集めて当選してしまった背景には、対抗馬となるべき民主党がバーニー・サンダース候補を蔑ろにしてエスタブリッシュメント層に受けの良さそうなヒラリー・クリントンを押し出したことにアメリカの普通の人々がたとえリベラルであっても嫌気を覚えてしまったこと、そして従前よりのオバマ政権下でのあまり自分たちにとって特ではないといった印象が広まっていたことがあった。つまりは民主党が自分たちで壊れていったような感じで、それがこれからの2年間で繰り返されれば結果もまた繰り返されるんじゃなかろーか。

 まあ共和党とか民主党とかの政策に詳しい訳ではないし、アメリカの事情に通じている訳でもなくって「華氏119」を見て何となくそんな状況にあると感じていているだけに過ぎないんだけれど、日本にあてはめて安倍政権があまりにも無体な政策を繰り出しながらもそれに対抗すべき立憲民主党も国民民主党も民主党もどこも国民の感覚に沿うような政策を打ち出せないで自滅の道を歩んでいる。今度の参議院議員選挙に送りだそうとしている候補に福島の原子力発電所事故に絡んでいろいろと毀誉褒貶のある人間を入れていることも、信頼を減じている理由になっているけどそれに対して説明をしないまま、ネットではネガティブな印象が広まっている。そうした尊大さからくる自滅をやっぱりアメリカの民主党も辿ると考えると、結果もまた同じになるんじゃないかって日本人なら感覚的に分かっているのかもしれない。大変だなあとお互いに声を掛け合うこれからの2年。その間に世界は、そして僕たちはどうなっている? それもまた不透明な未来。

 しかし政権がポン酢だとその下にある官庁も超エリートでありながらやっぱりポン酢になってしまうのか。例の消費税引き上げに関連した軽減税率の適用範囲で、コンビニが備えているイートインで食べるならばそれは外食にあたるから消費税は10%になるといった意見が出て、いやもう阿呆かと、調理もされていないものを買ってその場で食べるのが外食なのかといった声が起こった。ただまあ聞けない話でもなかったのが今度はイートインの設備ではなく、コンビニの前に置いてあるベンチに腰掛けて食べたらそれも外食にあたるから軽減税率は適用されず10%の消費税が課せられるという。外だぜ。冬なんて寒空だぜ。それを施設扱いするとかポン酢以外の何者でもない。このままだとヤンキーがコンビニの前で地べたにしゃがんでカップ麺とか冷やし中華とか食べていても、そこに座れるスペースを作っていることが施設だと行って外食だから10%だと言い出しそう。まさかと思うけれどもすでにまさかな事態が続いているからあながち外れはしないかも。もう本当に酷いことがまかりとおる。そんな国に生きている。いつまで生きていられるだろう。

 リアルサウンドにブシロード創業者の木谷高明さんへのインタビューが掲載されてて、バンドリ関係を諦めずに持ち上げて高めている活動が紹介されていた。アニメの出来が今ひとつでもそこで崩さず新チームを入れて次につなげるあたりはプロレスの運営にも似ているかな。Roseliaのメンバーが入れ変わっていることを“物語”と言ってファンの批判も受けて謝っていたけれど、一方で不測の事態であっても物語に組み入れ興味を持続していく手法はプロレスにもあって、それで続くなら逆にファンにも嬉しいような気もするだけに、一概には批判できなかったりする。終わってしまうのが何より悲しいことだから。

 そんな木谷さんの不屈ぶりは素晴らしいとして、記事で触れられている情報の拡散の形態について「例えばスポーツ新聞の場合は、昔と比べて新聞の売り上げが落ちる中、Yahoo!ニニュースなどへの転載の手数料で売り上げをあげているんです。中には、1日中テレビを見て書き起こしの記事を書いている人が複数人いるらしいなどという話もあるんですよ」という言葉が、メディア状況は利用する木谷さん側とは違って作るメディア側としてヤバいなあという気がしないでもない。ジャーナリズム側とでも言うか。まさか嘘でしょと思いたいところもあるけれど、ラジオ番組で爆笑問題がコメントしたことをそのままニュースにした記事が出たりしているから、やっぱり存在しているんだと思うしかなかったりする。

 オフィシャルなりオープンなりの情報がコピペされ、連鎖的に拡大してそればかりを浴びせられる状況の中、取材をして現場にも足を運んでコストをかけて情報を集めて、それを経験と知識を持った人が整理し道筋をつけて見せるといった行為は減っていくだろうし、そうした行為に対して閲覧して広告モデルに協力するなり有償で閲覧するといったスタイルへの慣れも薄れ、情報に対価を支払うとのが当たり前という感覚も途切れた先、あらゆるシーンにおいて調査報道的ジャーナリズム的スタイルは滅びてしまうような気がしてならない。そうなった世界は幸せか。あるいは大丈夫か。気にしてもしょうがないんだけれどやっぱりどこかでリテラシー回帰の空気を作らないと国が滅びるんじゃないかなあ。滅びても良いのかなあ。

 確かもうその肩書きにはない人が未だにその肩書きを名乗っている不思議もあったりするけれども、何か事情があるかもしれないと斟酌しつつ一方で、今度は奄美大島という国境にあって国土防衛の最前線に位置する訳でなく、目下リゾート地として開発なんかも考えられている奄美大島が、海外のとりわけ中国と言いたげな層によって買い占められているって記事を書いていたりして、きっとやっぱりいつものトーンだろうなあと読んだらいつもにも増して不思議時空に連れて行かれた。

 「2016年9月、この高台の一角にある町有地6937平方メートルが、香港資本の総合商社会長で、香港在住の日本人A氏に払い下げられた」ってまずは購入者は日本人で、そして「A氏は高台周辺の土地も買い進めて「計1万2362平方メートルを個人の名義で購入したそうだけれど、この広さって100メートル×120メートルほど、サッカーグラウンド2つに満たない広さしかなく、書いてあるとおりに美術館くらいしか作れないんだけれど、それが自衛隊の駐屯も行われてる離島の要衝に中国が楔を打ち込むような仕業といったトーンいなっている。読んで信じるテ人も多くて頭が痛い。いっそリゾート地で海外資本による投資があったら全部スパイだ侵略だと書くのが世間に受ける秘訣かなあ。食べられなくなったら真似するか? いやでもそれは心が痛いし。やれやれだ。


【11月6日】 NHKの佐賀放送局長が慰労だか何かで行った温泉で酔っ払って女子風呂をのぞこうとしてバレて処分されていた話はきっと、のぞいた風呂にフランシュシュのメンバーがいてハリウッド仕込みの特殊メイクも剥がれた状態で入ってたんでそれを見てしまった放送局長が怖がって逃げ出して暴れたことが露見に繋がった、なんて考えているけど真相は不明。でもやっぱり佐賀だし温泉にゾンビとかいそうだよなあ(いません)。ともあれいろいろと注目を集めている佐賀がまたしても注目を集めてこれでサガン鳥栖も無事にJ1残留となったら佐賀も一気に沸き立つかなあ、東京都内にオフィシャルなアンテナショップも出来てフランシュシュもライブをするかなあ、それを更迭された元佐賀放送局長が取材に来てトラウマを刺激されて暴れるまでがワンセット。さても。

 老いらくの恋といったらやっぱり還暦過ぎた男女のどこか過ちめいたものを含んだ逢瀬なり、枯れきった中にも執着めいたものが滲んでそれが過ちへと繋がっていきそうなニュアンスを孕むけれど、そこへと至る1歩手前のアラフィフあたりが子育ても一段落し、酸い甘いもかみ分けられるお年頃となって感じる恋とはどういったものかを、描いた小説が村山由佳さんの「はつ恋」(ポプラ社)ってことになるのかな。ポプラ社から届いたから村山早紀さんの作品かと思ったら村山違い。そして内容はといえば割と最近はエロスも漂う濃密な恋情を描いてきた村山さんが、そこから少し離れては、2度の離婚経験を持つアラフィフな南房総暮らしの女性作家を主人公に、幼い頃にご近所だった年下の男の子と今は恋仲になっているという設定の物語を綴っている。

 大阪に仕事を持つ彼とは普段は離れて暮らしているけれど、時々は相手が東京を経て南房総へとやってきて、古い民家で暮らしながら執筆活動をしている主人公と逢瀬を重ねる。それが執着めいた濃密さではないものの、かといって乾ききってもいないしっとりとした関係にあるところが村山さんのあるいは新境地ってことになるのかな。互いに好き合い、睦み合う関係も保たれているけど、若い熱さとは違い、かといって老いらくの恋といった枯れた感じもなく年相応の、それかちょっと若さも漂う楽しげなアラフィフ男女の関係が描かれている。喧嘩もあるけど離別には行かず保たれ続くのも嬉しい。

 例えば小学生くらいの頃、近所に住んでいた中学生くらいのお姉さんに憧れた男子は、そのお姉さんといつか別れてしまってそして、何十年か後に一緒になれたら嬉しいのだろうか。当然のように容貌は変わっているし容色も衰えてはいるだろうけれど、それでも憧れのあの人が自分と一緒にいてくれるのは嬉しいと思うものなのかもしれない。いつまでたってもお姉さんはお姉さん。逆に近所のガキがおっさんになって現れて女性はどう思うのか、ってところも気になるけれど、こうして一緒になろうとしているのならやっぱり嬉しいものなのかもしれにあ。2度の離婚を経てもなお誰かを求める気持を失わない女性作家の人間としての情念に。味わいたい。今の村山由佳さんはこんな感じなんだろうか。ちょっと気になった。

 コミケ有料化、と言えるかそれともそれが元よりの心意気だったものを、もう少し可視化させるといったあたりか。2020年の東京オリンピック/パラリンピックのために東京ビッグサイトが改装中だったりで全部を使えなくなる上に、別会場でも開催となる関係で施設を借りる費用は増加する一方、広告なんかが減るためすべてをまかなうためにはもうちょっと、カタログの販売率を高めなくてはいけないといった感じ。かといってこれまでもカタログを買わずに入っていた人もいたりする中、どうするかということで、フェスみたいにリストバンドを着けている人が入れるようにするみたい。他の同人誌即売会がカタログを持った人を入場させる有料イベントになっていながら、総本山が無償で通してきたのがやっぱり凄いけど、運営的には大変だったってことなのかな。

 気になるのはそのリストバンドを東京ビッグサイトの入口あたりで場で売るのか、事前にどこかのショップで販売してもらうのか、カタログに挟み込んでおいて当日は分厚くて重たいカタログを持たずとも開場に入れるようにするのか、ってあたりか。あとは会期が4日間になったコミケに4日間とも通うなら、リストバンドは日にちごとに4本必要となるるのか、それとも1本通しなのかってあたりか。4日間通しだと風呂にはいっても溶けない素材にしないといけないしなあ。それとも取り外し自由にするとか。フェスじゃないから手首ホールドにはしなくてもいいのかな。いずれにしてもそっちの製造とチェックのコストもかかりそう。大きなイベントには運営にもいろいろと大変なのだなあ。オリンピック組織委員会から迷惑料とか回ってこないのかなあ。

 「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第六章 回生篇」なんかを見た時にも上映されて、ウエブだけじゃなくだんだんと劇場でも流れるようになった映画「響け! ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」の予告編では、やっぱり黄前久美子と新一年生の久石奏がフィーチャーされていて、あの2人とそれから新しく入ってきた他の1年生の面々を中心とした話になりそうな印象。ムビチケを買うとランダムにもらえるクリアファイルも、卒業した田中あすかに部長の小笠原晴香、中瀬古香織の学年と、それから吉川優子に中川夏紀に傘木希美に鎧塚みぞれの4人の学年、そして久美子に加藤葉月、川島緑輝に高坂麗奈の4人が描かれたメインの学年に加えて、W鈴木の美玲にさつきとそれからコントラバスの月永求に混じってニマつく奏がいたりするから。

 そんな1年生の4人が、「リズと青い鳥」ではハグの場面に押し込められてまったく活躍しなかったのが、「誓いのフィナーレ」ではきっとはっちゃけてくれるんだろうと思いつつ、「リズと青い鳥」で描かれた部分を除いて原作小説「北宇治高校吹奏楽部 波乱の第二楽章」を描くのか、それとも未だ書かれていない第三楽章まで行ってしまうのか、ってあたりが目下の興味の向かいどころか。みぞれと希美の関係を脇において、まずは新一年生が入ってきて諍いもありつつコンクールメンバーが決まるまでと、その後に府大会から関西大会へ行ってそして……ってところを描きつつ、久美子が奏のニマついた仮面をペリペリと剥がし、その後にどういった関係を築いていくかを小説版よりこってり描いてくれると楽しいかも。

 問題はだから奏の声かなあ。キャラクター的には「終物語」の忍野扇ちゃんそのものなんだけれど、水橋かおりさんだと他に比べて大物過ぎるか。でも曲者どうしで黒沢ともよさんとの掛け合いも聞いてみい気が。そこもやっぱり興味の向かいどころ。ボーイソプラノらしいコントラバスの月永求くんの声もやっぱり気になるかなあ。2019年4月公開で先は長いからムビチケでも買って待っていよう。まずは1枚。クリアファイルは新一年生の4人組。剣崎梨々花ちゃんが混じってないのがちょっと残念。次は狙って旧三年生が欲しいけれど、そこはランダムなんで仕方が無い。どうせ10回は通う映画だから新宿ピカデリーに行く用事があればその時に1枚づつ買っていくかなあ。ダブったらそれも運命。

 そして新宿ピカデリーで「超人ロック<劇場版>」のBlu−ray発売を記念したトークイベント付き上映会。ここで思ったのが僕は果たして劇場でこの映画を観ていたかってことで、漫画版「超人ロック」でもベストワンに挙げたい原作「魔女の世紀」がアニメーション化されたんだから当然観ていて不思議はないんだけれども、この年のこの月のこの日はあの「風の谷のナウシカ」が公開された年月日でもしかしたらそっちに忙しくって「超人ロック」を観るのは飛ばしていたかもしれない。というか1984年の2月にはあの「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」が公開されつつも大学受験で私学の合格発表が出るまでは身動きがとれず、2月後半かあるいは3月初旬の国立の記念受験が終わってから、「うる星やつら」を観に通って「風の谷のナウシカ」にも行って「超人ロック」はすっ飛ばしていたかも知れない。

 一方で原作は穴が開くほど読んでいたから映画を例え初めてみても見覚えのあるシーンが満載だから記憶が混同して映画も観ていたと思ってしまっているかもしれない。エンディングにも聞き覚えがたっぷりあるからやっぱり観ていたのかなあ、違うかなあ。当時に返ってみないと分からないけれど、でもまあ今こうやってBlu−rayで観られるんだからそれはそれで良いってことにしておこう。それにしても新宿の松竹劇場で舞台挨拶に出た難波圭一さんに声をかけて送り出した松竹の社員が小杉十郎太さんだったとは、なかなかに奇縁というか。翌年に2人は「機動戦士Zガンダム」で共演。人間到る処に青山あり、だねえ。


【11月5日】 カンベさんて壁村さんのことだよなあ、って思った人が対象となっている女児の視聴者層にどれだけいたかは分からないけれど、ブラック・ジャックの格好をして輪転機に砂を撒いてでも止めろと支持を出しては担当している漫画家の原稿が上がるのを待ち、あるいは書かせようとプレッシャーをかけ続ける編集者の凄みに圧倒された「キラッとプリ☆チャン」。人気漫画家の最新話が休載になって続きを楽しみにしていた子供たちは残念がっかり。そんな漫画家が桃山みらいの家のスイーツ屋に現れたのをきっかけに、漫画家を応援するというプリキャスの企画がスタートする。

 そこにつきまとうのが漫画家の担当者。昔は普通にスカート姿のキャリアな格好だったのが、どうしてパンツにマントのブラック・ジャックになったかは謎だけれどもきっと放送された11月4日の前日が、手塚治虫さんの生誕90年という重要な日だったからなのかもしれない。とにかく強引の窓を蹴破り入ってくるようなこともする編集者だけれど、書いてくれさえすれば優しく嬉しい態度を見せる。そうなるためにもMiracle kiratsを使って漫画家を鼓舞し、自分いとって描き事は何だったのかを見つけさせようとしたのかもしれない。目の前で話題のプリチャンアイドルが躍ってくれたらそりゃあ描くよね、っていうのはどうかなあ、アンジュさんだったら描く前にひれ伏すかなあ。

 十三湊さんの「成巌寺せんねん食堂 おいしい料理と食えないお坊さん」(メディアワークス文庫)がとても今時で示唆されるところ多々だった。東京のリノベーションをメインとした不動産関係の会社で働きながらも先輩と衝突して居づらくなって退社を決意した千束というアラサー女子のところにかかってきた父親からの電話。門前の仲見世で精進料理の食堂を営んでいる家で祖父が倒れたというから駆けつけたら、足を痛めたくらいで今日明日にどうということはない。でもどうして騙してまで田舎に呼び戻したのか。それは仲見世が頼っている成巌寺の次男坊で、千束とは同級生だった體ケという僧侶が仲見世に地代の10倍への値上げとか店のリフォームを求めてきたからだった。

 浅草の浅草寺でも起こった仲見世への地代の値上げは、もうずっと昔の価格でやっていたのを適正価格にしないと寺だって税金が払えなかったりするからで、けれども店の方としてはずっとその地代でやってきたのが10倍ではやっていけなくなるから猛反対。揉めそうになっているところに陽道とは知り合いで不動産関係にも詳しい千束なら話をつけられると呼ばれたらしい。それで出向いて話して相手の言い分も分かるけれども、はいそうですかと受け入れられない事情もあったりする経営状況。なおかつ自分の実家の食堂も、弟の千尋が料理人になって後継は安泰かと思ったら、料理の才能がなくて将来に不安が残る。

 それこそ千束の方が料理人としての才能はあるくらい。そんな状況で跡継ぎ問題にも悩みつつ田舎の仲見世の経営問題にも触れつつ、千束と陽道の間に漂う不穏なのか甘いのか判断の難しい関係もあって混乱しそうな状況を、その徳でまとめてしまう長兄で将来の住職の清道の暖かさが心に響く。アラサーとなって将来に迷う女性にも男性にも、自分がいったい何をできるかを考えどこに居場所があるかを考えた上でそれからの道を選ぶ指針になりそうな物語。もしも清道の言うように千束が精進料理の食堂を継いだとしてその婿に陽道が入る可能性は……薄いかなあ、そこを突破していくような物語、そしてまだまだ先行き不透明な仲見世の再興計画の行く末を見定めるためにも続きが読みたい。

 講談社レジェンドノベルスの新刊が出たので幾つか読んでみた。まずはのらふくろうさん「予言の経済学1 姫巫女と転成商人の異世界災害対策」はとても大好きな部類に入る物語かも。大学で経済学とか学んでた学生が異世界に転生し、商人となって現代の知識も活かしつつ効率的に蜂蜜を取る方法を持ちこんでは、高品質の量産品を作りつつ売るような商売を歩く関数電卓みたいな少女を助手して営みつつ、街にある学校でも学んでいたけれどもそこに高級な蜂蜜を売ってる豪商の息子がちょっかいかけてきて鬱陶しいことこの上ない。商売の邪魔をしてこのままだと潰されるかもしれない可能性も浮かんでいたところを、救ってくれたのが学校に来ているお姫さまだった。

 何か思惑があるかと訝る主人公ではあったけれど、そこは公明正大で親切なお姫さまらしく、諍いを仲裁したかっただけで特に恩を着せることもなかった。とはいえそうした言及こそが目立ちたくない主人公にとっては豪商の息子を煽ることにつながって迷惑この上ない。だからといって邪険に出来ない状況で起こったのが、その王女の予言者としての仕事に不吉な影が見えたことだった。水車のある村が何者かに攻められ大変な目に遭う。そんな予言だった。

 もっとも世間はそれを信じない。隣国を刺激するからといった理由もあったし、東方では魔物が現れてはこれを退治する緊張が続いていたけれど、他はそうでもなかったから安穏としていたのかもしれない。とはいえ主人公には水車のある村は聞き捨てならない問題らしく、お姫さまから話を聞いて当たっていたら大変なことになる可能性を考慮するもの、お姫さまの言というだけでは世間は動かず対策を打てない。騒いだところでそれが重要だとは信じられてないから。あるいは重要と信じると問題も起こるから。

 ならばとデータを集め識者のお墨付きも得るという、迂遠だけれど確実な方策を打ち立てて対策に挑むという展開は、ノリと勢いと固定観念で進みやすいファンタジー世界の冒険とかにデータによる裏付けを与え、納得の中で動かすという合理をもたらした。もちろん直感なりひらめきも大事。あとはデータと汗という、企画立案とプレゼント実行に必須の要素を確認できる1冊。電撃文庫から出ている長田信織さんの「数字で救う! 弱小国家 電卓で戦争する方法を求めよ。ただし敵は剣と火薬で武装しているものとする。」ともどもファンタジー世界に現代の合理と功利を持ちこみ楽しませてくれる作品だ。お勧め。

 もう1冊、レジェンドノベルスから出た浦賀やまみちさん「無色騎士の英雄譚 1」はほぼほぼイントロダクションに過ぎないという不満を避ければ、楽しんでいけそうな世界観をもった作品かも。ニートで両親に負い目のあった息子がパチスロで大勝ちしてこれで親に何か買ってやれると悦に入っていたところを負けた男に襲われ殴られご臨終。そして目覚めた世界で勇者か何かやってた両親の息子として生まれついて回った先で定住したら母親が死に父親からいろいろ鍛錬は受けて猟師としての腕前もそこそことなったけど父親も破傷風か何かで死んで1人となった。

 その名もニートと呼ばれた少年は、幼なじみと良いこともしてあとは結婚を申し出るだけとなったところに流れて来た貴族が無体をして、それを咎めたら捕まり奴隷に墜とされた。でも事が事なんで逃げて良いよとなって、ニートを護送していた騎士だか兵士ともども脱走して辿り着いた先が戦場となり、老体に鞭打った騎士か何かが現れ襲ってきたのを一人立ち向かって足止めする。それがきっかけとなってニートが英雄としての道を歩み始めるらしいけれどもそこは以下続刊。約束された英雄の道へとどういった経路で何をして昇っていくかを追っていく楽しさがありそう。あと出自にもどうやら訳があって両親は結構な有名人だったらしいことも。そうした資質と学んだ槍術、そして現代からの転生者としての知識が活かされ成り上がっていく様を楽しみたい。

 こういう思考の持ち主が、依然として代表各として筆をふるってるうちは浮上はないなあ。それどころか今以上の沈没もあり得るというか、それってもう水面下なり地の底に沈むってことじゃないかと、4万キロの彼方から思っていたりするのだった。とある元ソウル支局長氏のコラムがあって、韓国の元徴用工の人たちがブラック労働をさせた雇用主に対して保証を求めた裁判で、韓国の司法が行政の止めておけ判断に乗らず法律に則って支払うべきだといった判断を下したことに対し、その元支局長氏はだったら日本が朝鮮半島に残してきた財産の半分、今の価格で2.5兆円くらいを要求したらとか書いている。もうポン酢かと。潰れ甘食かと。

 なんで日本人が朝鮮半島に個人資産を持てたのか。そしてどうして残して来なくちゃいけなかったのか。それは日本が朝鮮半島に意欲を燃やして進出し、そして併合なんかした果てに守り切れず太平洋戦争でアメリカに敗北し、ソ連の参戦も許したからであって、そうした責任を問うなら戦争を始めて負けてしまった当時の政府だの、軍部だのを誹るべきなんかないのか。なんで負けたんだ、おかげで財産がパーだとか。でもそうは言わず独立を果たした韓国を相手に勢いで威勢のいいこと言って、やんやの喝采を浴びる。それで溜飲を下げたい人たちが当人も含めて多いんだろうなあ。っていうかこの元支局長、国際的に通用しない司法判断を下すと指摘する韓国の裁判で、当時の大統領の振る舞いが行き過ぎだったと認められて無罪放免になったんじゃないのか。司法判断が政治に阿らず独立した機関だったから無事ですんだわけで。そうした“恩”に報いず公正性にも触れずに誹る薄情さ。それが大和魂とか日本人の誇りとか言い出すズレが今のこの惨状を生んでるんだルオなあ。冬、越せるかなあ。


【11月4日】 仕事に行く用事も映画の舞台挨拶とかを見る用事もなかったんで、千葉は作草部というところにある「麺処まるわ」が始めた映画「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション」とのコラボラーメンを食べに出かける。今回は西千葉から歩いて行こうとして駅を降りたら、若い子たちがぞろぞろと降りて同じ方向に向かっていたので付いていったら千葉大学がそこにあって学園祭をやっていた。せっかくだからと中に入って散策。屋台とか出ていて楽しそうだし、発表もアニメーション研究会とかマンガ研究会とか模型研究会とかあって見物したかったけれど、長居をするとラーメン屋に行けなくなるので適当に切り上げる。競技ダンス部がソーシャルダンスを披露してくれて、「ボールルームへようこそ」気分を味わえた。アニメの影響で部員は増えたのかなあ。メンバーによっては学生の大会で好成績を残しているみたいだし、いつかプロの大会で活躍してくれるかも。

 そして「麺処まるわ」でコラボラーメンを所望。以前に来た時は確か伊藤計劃の映画「虐殺器官」とのコラボラーメンを食べたんだっけ、それとも違うラーメンだったかな、って記憶を探ってそうだった「JKハルは異世界で娼婦になった」とのコラボラーメンだったと思い出す。ピンク色も使われた表紙絵をモチーフにしつつ濃厚さを持った醤油系のスープに細麺が入ったラーメンだったっけ。そして「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション」とのコラボラーメンは、エウレカの緑とアネモネのピンクが混ざったようなビジュアルで、スープにはほうれん草が練り込まれて緑色をしていて、けれども飲むと醤油系な味が残っている、って感じ? 麺は細打ちでバリまでいかない固さがって食べやすい。ピンクはゼリーだったっけ。鶏肉も入って見た目とは違い割とさっぱり。何杯でも行けそうだったけれど忙しそうだったので食べて出る。ごちそうさまでした。他の店もやってるみたいだし探して行こう。

 そういえば「K」ってそういう話だったんだと今さらながらに思い出したのは、連続上映が続いている「K SEVEN STORIES」の第5話となる「メモリー・オブ・レッド 〜BURN〜」を見たからで、「K」だととある学園に通っている伊佐那社という少年が突然、赤のクランこと吠舞羅のナンバー3だった十束多々良を殺害した犯人だと指摘され、クランズマンたちによって襲撃される展開から始まっていた感じだったけれど、今回の「メモリー・オブ・レッド 〜BURN〜」ではそんな吠舞羅で十束多々良がどういった立場でクランの運営に関わり、「赤の王」でありキングでもある周防尊との関係を気付いていたかが語られていて、単に同じクランのボスと手下などではない関係があったからこそ、後の激しい展開も起こったのかと納得させる内容だった。

 って思うけれども「K」の方がどういう流れだったか実はあまり覚えてないんで、そっちで十束多々良がどれくらい存在感を持っていたか、ちょっと確かめる必要があるのかも。とりあえずナンバー2の草薙出雲ともども学生時代がら周防尊とは知り合いらしく、周防尊が赤の王として目覚めた後は3人でクランを初めてだんだんと人を増やし、今の「BAR HOMURA」を根城にして活動していったことが伺えた。他のメンバーを入れず3人だけで話すときは上下関係もなくイタズラめいたことだって行われて、それを周防尊も受け入れるという関係性。暴れ回る愚連隊といった雰囲気は欠片もないんだけれど、それもやっぱり過去に3人が中心となって散々に暴れて、赤のクランの地盤を固めたからこその平穏だったんだろう。

 そんなバランスが崩れるきっかけとなった十束多々良の殺害を経て、伊佐那社はその内に持った「白銀の王」の魂でもってかつてその体を動かし十束多々良を撃った「無色の王」を追い詰めていく、そんな展開の中で周防尊は力を使いまくってファイスマン偏差が限界を超えてダモレスクダウンを起こしそうになって、以前からの因縁もあった青のクラン、セプター4を率いる宗像礼司に自分を倒させるといったところが「K」のストーリーだったっけ。伊佐那社は何者なのか、その周囲を動き回るネコの正体は、先代の「無色の王」の残した言葉を指針にして動き回る夜刀神狗朗はどんな行動に出る、といった展開を記憶に止めてはいるけれど、もうちょっと思い出すにはやっぱりテレビシリーズの1期を見直すしかないのかなあ。Netflixにあるみたいなんで時間が出来たら見直そう。その後は3部作の公開が迫る「PSYCHO−PASS サイコパス」の2期だ。便利な世の中になったなあ。

 インドで下位カーストだという理由で13歳の少女が首を切られて死ぬという事件が発生。これまでも何度となく繰り返されていながら一向に減らないカーストの格差から来る横暴な事件に人間に染みついた偏見だとかがどれだけ危険かを改めて思い知る。戦後の平和教育の中、押さえ込んでいた近隣諸国への偏見が鎌首を持ち上げていたりする状況が、いつか似たような事態をもたらさないかと恐れる。それからやっぱりカーストという言葉を、安易に軽々しく使ってはいけないということも改めて感じた。よく学校で階層化が起こっている状況をスクールカーストと表現するけれど、これがどうにも僕は苦手だったりする。

 ライトノベルのカテゴリーでも、よくスクールカーストものとかいった言葉が使われているけれど、僕はあまり使いたくない。カーストという自分では如何ともし難く他人でもどうにもできない状況にある制度が、インドで現実的に実際的に凄まじい差別をもたらしているにもかかわらず、それを学校という場の格差なりに当てはめ用いることに抵抗感があるからで、無論当事者にとっては如何ともしがたい状態であっても、インドのような問答無用がないなら頑張って欲しいこともあって、如何ともしがたい言葉を安易には使って欲しくないのだった。あとカーストじゃなくヴァルナ=ジャーティ制度なんで。卒論でそのあたり調べたけど覚えてないのだった。自分の卒論、読み返してみたいなあ。

 宝多六花と新条アカネの水着姿のイラストが描かれた抱き枕カバーが発売されて、本編と脈絡のない登場に女性の商品化を意図したものだって非難も起きそうだった「SSSS.GRIDMAN」だったけれども第5話でその水着姿が登場したから、もうこれは完全に本編に沿った商品化だと言えるようになったというか、そこまで考えて発売したなら版権元はなかなかに巧妙だってことになる。ここで逆にサムライキャリバーとかグリッドマンの水着抱き枕を出したら、それこそ本編とは無関係に対象を性的なものとして描いたってことになるから。グリッドマンの水着姿がどうなるかはまるで予想が付かないけれど。

 そんな「SSSS.GRIDMAN」でとてつもなくグラマラスなビキニ姿を見せてくれた新条アカネが林間学校的なリバーラフティングの場にも怪獣を持ってきていてビックリ。街中に置くだけじゃないんだと驚いたけれど一方で、あれは本当に電車で行った先の山間部なのかという謎も。向かう途中で裕太も内海も居眠りしてしまっていたし、後から追いかけた新世紀中学生の面々も途中で寝ては起きてここが到着駅だと気付いて慌てて降りていった。でもそこは本当に電車で行った先なのか。どこか街に誓い場所だったんじゃないのか。いっそすべてがジオラマの上に作られた世界で、登場人物はそこに投影された存在に過ぎない、とか。でもそんな仮想の人格を嫌いだからといって消すのも妙な話だからなあ。あるいはアカネが作った理想の世界には不要な者も現れて着たからバグ取りのように対応しているとか? 今回もいろいろ浮かんだけれどもやぱり凄かったアカネの水着。あのスマホってやっぱり胸の肉(脂肪)に埋まっていたのかなあ。そもそも埋まるくらいに柔らかいのかなあ。わたし気になります。


【11月3日】 ブラックアナライザーが言った。「ソノイケンハセイコウリツガヒクスギマス。ジーケイカクヲユウセンスベキデス」。藤堂早紀は撃った。「バキューン」。そして乗り移ったヤマトでアナライザーが藤堂早紀に言った。「パンツミセテクダサイ」。藤堂早紀は撃った。「バキューン」。そして地球圏から戦術支援AIは滅び去った。とかどうとか思ったりもした「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第六章 回生篇」だったけれども2200年にもなってAIがちょっとしたコンピューター程度っていうのはやっぱり不思議というか、すでに人間とそっくりなロボットだっていて不思議はないし、「宇宙戦艦ヤマト2199」にはガミロイドという思考するロボットも出てきたけれど、そこはやっぱり時代が粋すぎたら変わるものも多すぎるってことなんだろうなあ、南部や新見の眼鏡だっていつまで使われているんだというか。SFは難しい。

 Keikoに続いてHikaruもスペースクラフトプロデュースを退社して、これでKalafinaで残るメンバーはWakanaだけになってしまった。すでにソロでの活動も予告していたりするから今後、Kalafinaという名前での活動はなくなってしまってWakanaはWakanaでソロを歌いつつKeikoもHikaruもそれぞれに自分の活動を続けていくことになるのかなあ。といってもKeikoとか半年以上が過ぎてもその後の活動の動勢が見えないし、Hikaruもすぐに活動を始めるといった感じがない。

 演技をやりたいといったことを以前、インタビューした時に話していたから歌って演技もできるミュージカルとかに挑戦して欲しい気がするけれど、演技となるとまた別のスキルが必要だから今は充電期間ということになるのかな。このままフェードアウトだけは勘弁。現実問題、Keikoが抜けて梶浦由記さんが外れてしまった時点でKalafinaをKalafinaたらしめるアウラのようなものは削げてしまって、残るWakanaとHikaruが2人でデュエットをしたところでそれはKalafinaにならないことは分かっていた。そしてソロで見たWakanaがKalafinaの歌を幾つか唄ったところでそれはWakanaの歌であって、3人が3様の声をハモらせて構築するKalafinaの歌、Kalafinaという音楽とは違ったものになっていた。

 好き好きではなく形として違うものをKalafinaと言えないならもう、WakanaはWakanaというシンガーとしてソロで立つのが1番の道。そしてKeikoもHikaruもそれぞれに立つのが筋なんじゃなかろーか。いつか、また10年が経って“成人式”を迎えた時には3人が、集まってそこでKalafinaという音楽の存在を改めて見せて欲しいと願いつつ、今はそれぞれの門出に祝福あれと祈る。

 出版販売会社、と敢えて言っているところに岡崎つぐおさんによる含みもあるんだろうけれども「ジャスティ」なんかを書いてた漫画家の岡崎つぐおさんがツイッターで、版元に届いたファンレターを仕分けして作家のところに送り届けるのは、そうした出版販売会社にとって通常業務じゃないから今後は行わないと通告して岡崎さんを驚かせ、そしてそれを知った出版社の人たちを驚かせていた。講談社なんかはそうしたファンレターとかプレゼントを作家に届けるのは「通常業務」だと重ねて強調して意思表示。ほかも編集者がそれは当然といった声を上げ、また作家の方もファンレターをもらって嬉しかったといた言葉を通じて今後もそうしたものを臆さず贈ってといった声を上げていた。

 大昔だったら連載中の漫画雑誌に漫画家さんの家の住所が載っていて、ファンレターを送ろうといった言葉も添えられていたけれども作家を出版社が囲うようになり、また安全とかも考慮して出版社が自分たちの気付でファンレターとかプレゼントを預かって作家間中に届けるようになってから結構な時間が経つ。悪罵が連ねられた手紙とか、危険物が封入された小包なんかが直接、作家漫画家のところに届けられたらいろいろ拙いし危ない人だって尋ねて来るかもしれない。村崎百郎さんはそうやって家に来た人に刺されて死んでしまった訳で、やっぱり誰かが預かるのが作品を出させてもらっている版元にとっては「通常業務」の範囲だろう。

 ただ、岡崎さんが書いていた出版販売会社となるとちょっと違うのかもしれない。それがどういう業務形態のどういった会社がまるで想像がつかないけれど、もしかしたら単純に原稿をプラットフォームに流す仕事をしているだけで、作家を育てたりマネジメントしたりといったエージェント的な業務についてのコストも割かず意識も持っていないのかもしれない。そうしたところが大量のファンレターを受け取り、仕分けして中身もチェックして作家に回すのはやっぱり「通常業務」の範囲を外れていると考えても当然かもしれない。あるいは作家を育てるとか守るといった編集的気質、もっと敷衍するなら兄貴分的親父的先生的同志的結合すら意識できない、ただの機能と化した人間には想像なんてできないのかもしれない。そしてそうした機能化が今時のコスト至上主義の中で蔓延っているのが、今回の件の根っこにあるような気もする。出版社には今はまだ同志的結合が見えるけれどもそれもいつまで持つか。専門にするエージェントがこれから発展していくのかもしれないなあ。

 前回の「SF・ロボットアニメ部門」がC3AFAでの発表だったProject ANIMAの贈賞式は、第2回目の「異世界・ファンタジー部門」では浜松町あたりを中心としたお祭り「浜祭」に文化放送も関わっているってこともあってか、その会場のひとつとなった東京タワーの直下での開催となって見上げるように高い東京タワーの足元にしつらえられたステージに、豊永利行さん小松未可子さん三上枝織さんを迎えてスタート。J.C.STAFFの松倉友二チーフプロデューサーも登壇して、大賞を含めた企画についてあれやこれやと説明があった。とりあえずキャラクターもしっかりしていてストーリーもある企画が通りやすいとのことで、声優さんの3人が応募した企画は例えばみかこしのは設定に凝りすぎでストーリーラインが見えず、三上さんのはそもそもがファンタジーではなくジャンル違いだったとか。応募するなら相手を見ろ、そして狙いを示せってことみたい。

 豊永さんのは老人になった勇者が出てくる話だったけれど、それをいったい誰に見てもらうのかってところで企画に興味は示されても決定には至らなかった様子。アニメをご老体が普通に見るようになる10年後あたりに復活が期待できるかなあ。アニメとしてはこれでベテランの声優さんたちがいっぱい登場しては、口パクがないところでもアドリブで埋めて楽しいだろうなあってことを松倉さんは話していたけれど、それで見てもらえて買ってもらえる企画になるとは限らないところが難しい。あとギャラが幾らになるのかも。そんなこんなで過去の2度にわたって落選し続けた豊永みかこし三上さんは次はみかこし三上の「みつこし」ペアーが江戸時代×魔法少女×戦隊物で何か作るらしい。分かりやすいけどわかりやすすぎ。豊永さんは構成作家と一緒に宇宙人の少女が秘密道具で地球で何かをする話。国民的アニメにいろいろ混ざった感じだけれどもそれも「キッズ・ゲーム部門」の定番だからなあ。とおあれ次こそは通るかに期待。したいけれども。果たして。


【11月2日】 公開が始まった「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第六章 回生篇」を新宿ピカデリーで柱エ信義監督と福井晴敏さんの舞台挨拶付きで見る。お二方は先だっての最速先行上映でも登壇はしていたけれど、その時は上映前の挨拶だったんで内容について踏み込んだコメントは出なかった。今回は上映後。そろってアンダーアーマーのジャージを着て登壇した羽原監督と福井晴敏さんだったけれどもそこはお二方ともご中年なのでなかなかに体育教師然とした雰囲気が醸し出されていた。アスリートという感じとは対極の。それもまた人生。何のこっちゃ。

 さて今回はすでに第五章でも姿を見せていた「銀河」の登場がどうして実現したかというところに関心が集まっていて、福井さんがもう1隻、ヤマトを出したいなあといった願望から実現したようなことを話していた。といってもまったく同じでは芸がないからちょっと違ってマーチャンダイジング的、あるいはビルバイン的なデザインのブラッシュアップがされたものってなったのかな。実際にプラモデルとか出るみたいなんでそこは成功していると言えそう。とはいえビルバインはダンバインより強く、ガンダムMark2はガンダムより強そうだけれど「銀河」はヤマトより強くない。というより武器が使えない。そこはちゃんと設定してたとか。

 でもってそのクルーが女性ばかりというのも、初期の段階でヤマトが地球を出奔するにあたって女性クルーが残ってしまってヤマトの中に色気が足りなくなっていたのを補うため、っていうのが初期の願望で、そこに理由付けをしていった結果として「銀河」との組み合わせでG計画なるものが出来上がったとか。ガンダム計画でもゴジラ計画でもないG計画のGって何だ? それはパンフレットに書いてあるのかな。あとで読もう。とおあれそうやって旧ヤマトのクルーとそれから新しい「銀河」のクルーを合わせてて女性がいっぱいになった結果、「銀河」がヤマトを見送る場面で感涙の5人おっぱいが実現した。プラス1おっぱい&藤堂艦長という絵面も生まれた。こんなに嬉しいことはない。その意味で願望をぶち込み物語に仕立て上げた福井さんと、映像に仕立てた羽原監督らスタッフには感謝の言葉しかない。

 願うなら第七章でも「銀河」クルーの再登場を願いたいところ。森雪と桂木透子と西條未來だけではやっぱり足りないから。うん。そんな第七章についてはさすがに福井さんも明言は避けたけれどもとりあえず、まだまだ話が広がるみたい。それって「天元突破グレンラガン」みたいに宇宙のスケールを超えてしまうってことなのか? さすがにそうした世界観にはなさそうだから彗星帝国ガトランティスすら上回るオーバーロード的な存在でも現れ荒れた宇宙を平らかにしてくれるのかもしれない。いつか出会ったアケーリアス文明の方舟が戻って来るとか。高次元意思たるテレサの顕現とか。まあいろいろ球はあるんだろうけれど、それが「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のようにはなって欲しくないと切に願う。悲しい話はもう十分だから。公開は2019年3月1日。テレビ放送と並行して走っているから遅れるってことはないと信じよう。生きねばそれまで。潰れようと。クビになろうと。どっちも可能性があるからなあ。ナンノコッチャ。

 映画の上映前の予告編でアニメーション映画らしい「明日世界が終わるとしても」の映像が流れたんだけれもこれがなかなかにグッとくる感じ。あいみょんってアーティストの歌も凄かったんだけれど、それに合わせてただ歩くだけの少女のキャラクターがおそらくは3DCGでの造形で、それを2Dっぽいアニメーションにして見せている感じでその動きが2Dとはやっぱり違って小首をかしげるというか、首が揺れるというか実写の人間が歩いて生まれるリアルな肉体のぶれを描画によって再現しているように見えた。あるいはそれっぽさを出しつつどこかの違いも感じさせ、引きつける効果を狙ったというか。とにかく目を奪われる。これが全編続くのか、予告編だけなのかは分からないけれども自分にとって見るべき映画になった。公開は来年1月25日。行かねば。

 体調が芳しくなく湯浅政明監督のトークイベントも結局、新作が発表になった「夜明け告げるルーのうた」の回しか行けなかったけれども、とりあえずラインアップ発表会も含めて5本くらい書いたんで来年のパスは確保できるんじゃなかろーか。これも潰れたりクビになったりしなければ、だけれど。いやだからその可能性が以下略。そんな第31回東京国際映画祭でグランプリが決定。「華氏119」を見た時に上映の案内を見たフランス映画の「アマンダ」が東京グランプリ/東京都知事賞というものに輝いたそうな。これがどのくらい権威があるか分からないし、そもそも去年が何だったかすら記憶になかったりするんだけれどとらいえず、映画は面白そうなので公開されたら見に行きたい。

 あと最優秀監督賞は「堕ちた希望」のエドアルド・デ・アンジェリス監督が受賞していて、最優秀女優賞にも同じく「堕ちた希望」に出演のピーナ・トゥルコさんが受賞とか。どんな女優さんなんだろう。そして最優秀男優賞はマイケル・ノアー監督の「氷の季節」に出演していたイェスパー・クリステンセンが受賞。名前から見てイケメンっぽいけどやっぱり知らないのだった。日本からコンペティション部門にノミネートされていた阪本順治監督の作品で、稲垣吾郎が出演した「半世界」は観客賞を獲得。まあそうだろうなあ、日本なだけに。もう1作、「愛がなんだ」も興味深いけれどもどっちも見られず。まあ「半世界」は試写状が回ってきているからそっちで見よう。下手をしなくても正月映画は木村拓哉さん主演の「マスカレード・ホテル」とガチ合うなあ。狙ったのかどうか。オールスターキャストのサスペンスって意味で興行は「マスカレード・ホテル」が勝ちそうだけれど、映画であり役者としての注目だと炭焼きだなんて異色な役に挑戦した「半世界」に軍配? そこをどう扱うかでメディアの今のスタンスも分かるかな。

 己を顧みないで主張を絶対と決めて貫き通すその意志にある意味での敬意は払うけれどもそうした主張があまりに頓珍漢で、ちょっと拙いんじゃないのと理路整然と窘められてもなお曲げない人に対していったいどういった言葉が届くかというと、やっぱり届かないまま突っ走り続けるんだろう。問題はすでに地位ある人がそうした根拠のない確信を振りまき続けていることで、それを窘められたら改めて繰り出す別の言葉がまたしてもトン痴漢だったりするにも関わらず、学術とかの世界で地位を得たりしていることにいったい世界はどう向き合えば良いのか。まったくもって不思議な世の中。あらゆる本のタイトルは営業が決めると満天下に向けて断言して、すぐさま違うといった反論が繰り出されても自分がそうだったからそうなんだと譲らないのはやっぱりどこか妙だよなあ。どこがとは言わないけれど。困ったなあ。


【11月1日】 「SSSS.GRIDMAN」で宝多六花と新条アカネの抱き枕カバーが出るってことでいろいろと問題を提起されておられる御方がおられて、美少女キャラクターを愛でたい層に向けて美少女キャラクターの美少女性を打ち出した商品を作ることが、そうした美少女性がクローズアップされることを良しとしない層にとっては目障りだといった認識があるんだろうと想像できるけれど、それを言い始めたらあらゆるアニメーションなり漫画なり、それこそアイドルも含めて美少女キャラクターを取り上げたグッズが作れなくなってしまう訳で、それって果たして真っ当な主張なんだろうかといった思いが浮かんでつきまとう。

 嫌だなあと思うことはもちろん避けられないし同感だとも思うけれど、だからといって差し止めるなんてことをしたら今度は逆に美男子性をクローズアップしたグッズだって同様に作れなくなってしまう可能性をも否定できなくなってしまう。そうした美醜を離れたキャッチーさですら差別だと言い始める人だって出てきそうで、そうなったらもうあらゆる欲望に沿った品は世に問えないことになってしまう。それってもう表現じゃないだろう。だから例えば18禁めいた規制を飛び越えたようなものだったら、反対して当然でもそれの為のキャッチィな段階で踏みとどまっているものまでを、反対して規制するのはお互いのために良くないんじゃないかって、そう感じて欲しいんだけれど反対している人の嫌だって気持ちに理屈はないからなあ。やれやれ。

 というか六花とアカネがあるならそれこそグリッドマンそのものの抱き枕カバーだってあって欲しいし、サムライキャリバーさんの抱き枕カバーもあったら欲しがる人がいそう。グリッドマンはやっぱり抱くとごつごつしてジャンクなパソコンの感触がするんだろうか。サムライキャリバーさんのは背中に日本刀が刺さっていて寝返りとか打ちづらいんだろうか。まあそういうことはなさそうで。アカネはむしろあの生足を再現したクッションとか出してくれて、踏みつけられる真似とかできたら喜ぶ人もいるんじゃなかろーか。いずれにしてもまだ放送から4話でここまで話題になったってことで、この2018年10月スタートのアニメーションでは「ゴブリンスレイヤー」ともどもトップに来そうな気がするかな。あとは「幼女戦記」ってそれは再放送か。でも面白いんだよなあ。

 阿佐ヶ谷駅から歩いて高円寺駅方面へと向かうガード下にあった阿佐ヶ谷アニメストリートが2019年の2月末を持って終了とか。オープンしてすぐくらいに覗いたときには店舗もそれなりに埋まっていたしカフェとかあったりマッドハウスが店を出していたりして、アニメグッズを買う楽しみもあったんだけれどだんだんと櫛の歯が抜けるようにして店がなくなり入れ替わって、今はいったい何が出ているのかまるで分かっていないのだった。「攻殻機動隊ARISE」を見られた店もあった記憶だけれど記憶違いかもしれない。場所はまあ、ちょっと歩くけれどもそれだけの距離でも引きつける何かがあれば通っていた。今敏監督の仕事場回りが再現された時にはお金を払ってのぞいたけれど、ごく初期のそれがピークではやっぱり続かないかもしれない。試みとしては悪くなかったのでこれを活かして次の展開を考えて欲しいなあ。秋葉原と池袋だけではやっぱりツマラナイから。

 つい最近、何かの小説に登場したのを読んだような記憶があるんだけれどまったくの記憶違いかもしれないので確かなことは言えないポーカーのテキサスホールデム。5枚の手札を交換しながら役をつくっていく普通のポーカーとは違って、手札は2枚だけであとは公開されていく5枚の共有カードのうちの3枚と組み合わせて何か役が出来れば良いってことになっている。ただし3枚が開くまでにまず2枚の手札を見て良い役が出そうもなければ降りることができるし、そこからベットして3枚が開いてこれでフラッシュがいけそうとか、すでに行っているとかストレートが作れそうとなったら、さらにチップを積みまして勝負していける。

 本当に勝てそうならそこで一気に全賭けしたって良いけれど、そういう手を他が見せた時が要注意。絶対の手があると見せかけて、実はブタなのを隠して他を降ろそうとしているだけかもしれないから。そうした駆け引きとか心理戦の要素があるのがテキサスホールデムの楽しみ。そんなポーカーが何とゲームセンターで遊べるようになるというからこれは楽しみ。バンダイナムコアミューズメントが送り出す「ポーカースタジアム」がそれで、筐体に現れる2枚の手札を指先でタッチしてめくって確かめ、場に出てくるカードを見極めかけ続けたり降りたりといった勝負ができる。自分がカジノのポーカー台の前にいるような気になってくるゲーム。向かいに美人のディーラーがいない分、プレイに集中できるってのも良いかもしれない。ディーラーの手さばきによる仕込みもないだろうし。

 駆け引きを挑んでいるような相手の表情が読めないって所に、リアルではない難点ではあるけれど、相手が手札をめくる動作はアバターを介してちゃんと分かるし、会話とかから本当に役を作っているかも感じ取れる。繰り返しプレイするうちに相手のスタイルも掴めてくる。そこから心理戦をしつつ運にも賭けるテキサスホールデムの醍醐味を味わえるって寸法。格闘ゲームと違って実力差が出ないからゲームが苦手な僕でも楽しめそう。近くロケテストも始まるみたいで、時間があれば覗いて来よう。それがなくても2019年春には稼働するそうだから、早くから通って腕前を上げランクを高めてチャンピオンになってそして本場のカジノで連戦連勝、とはならないところがリアルの難しさか。これでeスポーツが始まり賞金が出るようになれば嬉しいんだけれど。

 表紙に出てくる美女が物語の開始早々に脇へと引っ込んでしまう悩ましさはあるものの、銀翼のぞみさんの「女勇者が自分に性奴隷にならないかとパーティを追放すると脅されたので離脱を選択します」(ダッシュエックス文庫)はおねショタ炸裂のファンタジーとして読んでゾクゾクとさせられる上に、虐げられている女性がいたらやはり助けるべきか否かを身に問われる問題意識なんかもありそうで結構読ませる。勇者が率いるとあるパーティに所属していた12歳の霊装騎士、レムくんだったけれども今ひとつ強くなかったりしてパーティの足手まといになりかかっているところで、マイカという勇者から連れて歩くには自分の性奴隷になるしかないと言われてそれは嫌だと離脱してしまった。

 美人の勇者に囲われるなら悪い話じゃないと思うし勇者の方だってレムが好きだからずっと一緒にいるための方便として性奴隷を言い出したんだと思うけれども、少年の澄んだ心はそうした駆け引きを厭い離脱し暮らしていた教会に戻ったら神父もシスターもレムを商売道具と見ていたことが判明。愕然として2人を訴えつつレムくんは出奔した先、死すら望んで入ったダンジョンで褐色エルフの美少女と出会い彼女を自分の奴隷とし、また罪の問われて奴隷に墜とされたシスターも拾い上げつつ新しいパーティを作ってダンジョン攻略に乗り出していく。おねショタでありながらも立場的には自分が支配するという倒錯も見られる関係性がなかなか愉快。おねショタ炸裂の領主の娘がレムを婿にするとも言い出し引っ張りだこの中、果たしてレムは生き延びることができるか。彼を最初に性奴隷にしようとしたマイカとの再会はあるのか。いろいろ楽しい展開の続きが気になる。


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