縮刷版2018年10月上旬号


【10月10日】 偉大な横綱だといったことは理解していても、大鵬の取り組みをテレビで熱心に見ていたという記憶はあまりなく、大相撲で横綱といえばやっぱり輪島が最初に認識した1人であり、次いで北の湖といったところになるのが昭和40年前後に生まれた人たちの感覚だろう。つまりは代表格。そして憎らしいほど強かった北の湖と比べてどこかモダンでなおかつ強さも見せてくれた輪島になびく人が多かったのも実際のところではなかろーか。そんな輪島が70歳で死去。早すぎるという声もあるし、ほかの横綱とか日本相撲協会の理事長とかがもっと早くになくなっている中では長生きをした方かもしれないけれど、それでも日本人の平均寿命からすればやっぱり早い。それだけ相撲という競技が、あるいは武道が肉体に大変だってことなんだろー。

 横綱としての活躍とともに輪島については引退後、いろいろあった先でジャイアント馬場の全日本プロレスに参戦し、マットデビューを果たしたことも同時代的にプロレスを見ていて強く印象に残っている。もとより大相撲出身の力士はたくさんいて、そもそもが始祖ともいえる力道山からして大相撲のしこ名をそのままつかっていたし、豊登もやっぱり大相撲出身で、後に天龍源一郎とかもプロレス入りして大活躍を見せてくれた。それでもやっぱり元横綱というな意外だったし驚きだった。同時にプロレスという場所が無謬の強さだけを誇る場所ではないことも感じていた年頃だったから、輪島がどういった扱いを受けるのかにも関心が向いた。

 やっぱり横綱は横綱として本当にパワフルなのか。それともプロレスラーとしてたたき上げられた選手たちに比べればどこか足りない部分があるのか。ジャンボ鶴田がアマレス出身で寝技や関節技なんかもしっかりマスターしていたのに比べると、力押しがメインの相撲取りにプロレスなんてできるのかといった意見もこの頃にはあったんじゃなかろーか。そうした中、ジャイアント馬場の庇護のもとでいくら強さを見せてもそれはホンモノといえるかどうか、迷うところではあったけれども大相撲では格下だった天龍が、プロレスのリングでは先輩として輪島を相手にガチにキックとかを見舞い、それに答えて輪島も素早いチョップとかを放っていた映像を見るにつけ、様式美とか超えてガチでぶつかり合ってそれで、互いに耐えるだけの肉体を持っていたことが伺えた。やっぱり強かっただなあ、輪島。

 プロレスのあとはいろいろやっていたみたいだし、とんねるずの番組に出たりアメリカンフットボールの総監督をやってみたりと活動は伝わっていたけれど、それも21世紀に入るとあまり聞こえなくなっていた。北の湖がなくなり千代の富士もなくなって昭和の大相撲が遠くなっていく中、最後の1人とも言えた輪島も死去していったい次の大相撲を誰が華として彩っていくかが分からなくなっている感じ。もっとも知名度を持って世間に向き合っていた貴乃花が大相撲からたたき出されるように引退し、力士の中にスターと呼べる人がまるで見えなくなっている。白鵬関のものすごさには感嘆するところあるけれど、輪島に北の湖がたいように白鵬関にだれかライバルがいて凌ぎを削るような戦いを見せてくれることもない。何となく行われなんとなく終わる大相撲ではちょっと先が思いやられるけれど、それに対する策を講じるどころか改革を後退させた先、何が来るかなあ。それを輪島が見ることはないのが救いか。合掌。

 まず根本が外国人技能実習生として招聘した際にどういった条件で来てもらったかがあって、それが電気工事に関することだと決まっていたなら企業はその仕事を担当してもらう必要があった。そうでなければ外国人技能実習生も日本まで来て働く意味はない訳で、ほかのパイプの組み付けだとかをやらせてもらってもそれはただの労働力確保(それも安価な)に過ぎない。そうした状況を国がしっかりと把握して、どうして条件のとおりに働かせないんだと文句をいって、契約の延長を認めなかったら、雇っていた会社が分かりましたちゃんとした場所で働かせますと言うのが真っ当な企業の対応だろう。

 あらゆる企業のトップに立つ経団連の会長を出している会社ならなおのこと、法令のみならず道徳にも恥じない態度で世間に、世界に望むべきだろう。それがどうしたことか、国が認めないといっている以上は雇うわけにはいかないと、自分たちが国も認めないような働き方をさせていたことを脇におくようにして解雇を決めたというからこれは驚きで、なおかつ経団連の会長という要職にある人間が、報じた新聞を批判するかのような言説を繰り出し働かせ方に間違いがあったことを認めようとしないからこれも吃驚。あるいは唖然呆然といったところか。

 国が認めないという“事実”があるなら是正すべきところをそうしないのは何だろう、法令だとかいったものを守る以上に無茶をやって良いだけのバックグラウンドがあるってことなんだろうか。ただでさえ役所が法令の枠を逸脱し、誰かを忖度するような無茶をしてそれが露見しても罪に問われない状況が続いてモラルといったものが破綻しはじめている。助け合い慈しみ合うといった和の心、大和魂めいたものすら守れない状況をそれでも、日本を取り戻すとか言って成り上がった総理を支持するライティな人たちは容認しているこの矛盾が、あらゆる場所で噴出しては真っ当な知性を侵していたりするんだろう。どこに向かうことか。こんな国ではいくら市場を開放したところで、誰も来てくれないぞ。

 日曜日に「響けユーフォニアム! 〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜」を観た立川へと出かけて、ニトリが入っている立川高島屋S.C.の8階にバンダイナムコアミューズメントがオープンする「屋内・冒険の島 ドコドコ」の内覧会を見物する。ショッピングセンターの一角にプロジェクションマッピングで砂にいろいろなものを投影する施設なんかがこれまでも展開していたけれど、ここは「冒険」というコンセプトのものとに新開発の遊具を並べて今までとは違った雰囲気を醸し出している。たとえば「どろんこジャングル」では、スクリーンに投影されるゾウにボールプールから手に取ったボールを投げてぶつけると、当たった場所に泥がついてそれがだんだんと広がっていく。適当なところで体を揺すって泥を落とし、鼻から水をかけて洗い流すあたりにホンモノ感。現実には絶対不可能なゾウやカバを相手にした泥んこ遊びを、泥に汚れず体験させてくれる。

 「ドドドの滝」は濡れずに滝を滑り落ちれるし、「ちいさな砂浜」も「ケロケロ池」も濡れずに海岸や池の中に浸れる。「はらぺこキッチン」はちょっと違っていて、プロジェクションの映像をタッチしていくことでハンバーグとかカレーといった様々な料理を作っていける。まな板のニンジンに包丁をあてるとスパンと切れてそれが鍋へ。タイミングとかなかなかよくて本当に切ったり焼いたりしているような気にさせられる。出来上がったカレーをお玉でおそおうとしてこぼすとキッチンがべったり汚れる仕掛けなんかも凝ってる。遊んでいるうちに子供は本当に料理をしている気になりそう。そうした仕掛けを特に解説はせず、遊んでいる中で理解していけるのも不親切だけれど奥深い。自分で発見した喜びこそが本当の喜びっていうのはゲームでも同じだし、教育の効果もある。そうした施設をあっさり作って展開してしまう、それもキャラクターに頼らずやってしまうところに旧ナムコの人を遊ばせることに燃えてきた遺伝子めいたものが見て取れた。次は何を送り出してくれるかな。

 ようやくやっと「Re:ゼロから始める異世界生活 Memory Snow」を観る。レムがポンコツと化していた。アニメーションの方がどのあたりまで来ていて原作がどのあたりまで書かれていたか、おいかけていないんでその後の展開はあまり分からないけれど、とりあえずロズワールの館でスバルがレムとラムに下働きを教わりながらエミリアとデートしようとしている展開だとは理解。それがちょっとしたアクシデントで先延ばしになったところを、持ち前のポジティブな姿勢で突破していくスバルの姿が描かれる。異世界に来てあれほどまでにポジティブでいられるのは死に戻りがあるからか、それによって数々の難局を乗り越えてきた自信があるからか。ともあれ観て心がキツくなることもなく明るく観ていられる掌編。ところでやっぱりスバルはエミリアが好きなのかそれともレムに思いがあるのか。ベアトリスってことだけはないよなあ。ラムはあれで捨てがたいけど。


【10月9日】 始まった10月の新番組はほとんど見られてないなかで、どうにかこうにか1話と2話を見た「DOUBLE DECKER! ダグ&キリル」がなかなかに良さげ。街に蔓延る悪を退治してヒーローになって疾走した姉を探したい所轄の巡査のキリルが、人間を変えてしまう特殊な薬物を追う組織「SEVEN−O」の刑事と知り合いいっしょに事件を解決した流れで「SEVEN−O」に転属したまでは良かったけれど、ボスのトラヴィスの勘違いか何かで定員は埋まっておりキリルは哀れにも元いた場所に返されそうに。せめて1週間だけ様子を見てと直談判するものの、事件はそう簡単には起こらず残りも1日となったところで、情報屋から危険な薬物に関する取引の話を聞いてダグといっしょに駆けつける。

 もっとも無駄足だったようでこれで終わりかと思ったところで、冴えるダグの推理によって事件は一気に凶悪化。そこで頑張ったことで「SEVEN−O」にとどまれたようだったけれど何しろ猪突猛進ですべてを好意的に解釈する莫迦だから、ダグの方もいろいろと面倒見が大変そう。仲間らしい女刑事たちはディーナがクールで口も悪くて存在感があるものの、ほかはまだ目立った接触はなく今ひとつキャラクターを掴んでない。今後の展開でダグとキリルのダブルデッカーに絡んでくるのか、個人としてキリルに関わってくるのかが興味だし、疾走した姉が絡んでくることも十分に考えられそう。そのあたりに期待。莫迦に見えるボスだけど莫迦ではボスは務まらないだろうから昼行灯的な何かがあるとこちらも期待。でもただの莫迦かもしれない。

 お店の店主がお店に関係した知識を活かしてお店に来た人の困り事を解決するお店もののミステリがいっぱいあって、それはそれで知識も得られて楽しいのだけれど、お店探しも結構大変そうな気もしないでもない昨今の情勢にこれは挑んだか斜めに抜けた感がある斎藤千輪さん「ビストロ三軒亭の謎めく晩餐」(角川文庫、640円)。アイドルが看板にいた劇団で役者をしていたけどアイドルが抜け劇団は解散。所属していた神坂隆一はならばとオーディションを受けるも採用されず仕事もない中、姉が連れて行ってくれたレストランで食事をする。それが三軒亭というレストランだった。

 来店客の希望を聞いてメニューを組み立てるのがその三軒亭の特徴で、テーブルには幾人かいるギャルソンが付いてオーダーを受け伊勢というシェフに伝える。指名もありだからちょっとホストに似ているかも。そんな三軒亭で出てくる料理はどれも要望に的確でなおかつ美味と評判。予約もなかなか取りづらい店になっていた三軒亭で、神坂隆一はテーブルまで伊勢と話していきなり合格を告げられた。ギャルソンの。どうやら姉が伊勢と語らってニート状態にある神坂隆一のアルバイト先を探したらしい。ならばと仕方なく話を受け、研修を経てフロアに立った神坂隆一は、最初の客でいろいろやらかしてしまう。

 ケーキ持参だからデザートはいらないという女性客にデザートを出したり、クリームの乗った皿や入ったパンを食べてもらえなかったり。ライダウという言葉をつぶやくのも聞いて、いったい何が悪かったんだろうかと考えた神坂隆一だったけれど、そこに秘められていた謎をシェフの伊勢が状況から解き明かす。その理由がなかなか苛烈で見かけによらず人には苦い過去があることが示される。続くエピソードでは神坂隆一の姉が店でなくしたバッグをギャルソンたちが探し当て、姉の後輩の迷いも晴らす。ギャルソンの1人でサッカー経験者の陽介が迷い選んだひとつの道を語り、自分に自信がない姉の後輩を導く。ここでは探偵役は伊勢ではない。

 続くエピソードでは3人の常連の女性客に起こったある出来事を、元医大生でギャルソンの正輝が観察や医学の知識などから解き明かす。シェフ1人が探偵ではなく誰もが探偵というところがこの「ビストロ三軒亭の謎めく晩餐」のひとつの特色で、それはあることからポンコツになってしまった伊勢をどうにかしたいと立ち上がったギャルソン連合の活躍にも描かれる。そんな果て、神坂隆一自身にも迷いに対する答えが見えてくる。皆が足りず皆で補い合って人生を埋め合わせ最善へと誘う展開がなんか心地良い。

 そうしたエピソード群を彩るさまざまな料理。ハイジでお馴染みラクレットとかも出てきて、どれも食べてみたくなるけれど、ギャルソンが相談に乗ってくれてシェフがお好みを出してくれるレストランなんてあるのかなあ。あるらしい。ならばいつか行ってみたい。それにしても神坂隆一とは、名前が僕の双子の弟の兄といっしょなのが読んでいて不思議というか。どこかで知人でもいたんだろうか。ちなみに斎藤千輪さんは「窓のない部屋のミス・マーシュ」で第2回角川キャラクター小説大賞を受賞。そっちの人もちょろりと出てきて世界観が地続きな感じがして面白い。そっちの続きと増刷のかかったこっちの続きで、コージーミステリの世界に新しい風、起こして欲しいなあ。

 「松屋大好は吉野家の牛丼は嫌いなのかどうなのか」と「宇宙人の村へようこそ  四ノ村農業高校探偵部は見た!」(電撃文庫)の感想を松屋大好さんがレジェンドノベルスから新作「無双航路 転生して宇宙戦艦のAIになりました」を出して帰ってきた。これが超SFで驚いたというかひっくり返ったというか。普通の高校生が目覚めたら宇宙を舞台に戦っている帝国と連合との宇宙会戦で艦長が爆殺された帝国の戦艦のAIとして起動されられ自分は人間だと言って乗り合わせていたお姫さまから謎がられる。ある種、異世界転生のバリエーションに見えるけれど、これがなかんな一筋縄ではいかなかったりする

 AIとして目覚めた理由がまず類推されて、過去からのつながりめいたものが想像され、その上で人間っぽい思考とAIにはない自由さで帝国の艦隊を絶体絶命の状況から幾度となく救い包囲からの脱出を成し遂げる、それは戦記物としてとてもスリリングで、絶体絶命の状況を突破していく面白さを味わえる。人間だからこそAIのような規範に縛られない自由な発想ができるというのもヒューマニズムに溢れている感じがする。もっとも、主人公がAIになる前は高校生として地球で日常を送っていたという記憶に実はいろいろと理屈が繰り出されて、それが存在を揺さぶる。けれどもやがて自分を確立して居場所も得て次なる戦いをを目指すところに、SFとしてのスケール感を感じ取れる。引きもなかなか強烈で、一層の絶体絶命状況にありそう。そこからどう立て直す? 続刊が待ち遠しい。

 スパンアートギャラリーで始まっていた「コブラ40周年記念展 −COBRA the Illumination−」をさらりと見学。言わずと知れた寺沢武一さんの大人気漫画「コブラ」が連載から40周年となったのを記念しての展覧会で、寺沢さんの漫画の原稿がならびカラーイラストが並んでその筆致の凄みを存分い味わえるとともに、トリビュートともいえるクリエイターらによる「コブラ」にちなんだイラストレーションなども見たり買ったりできる。レトロなSFイラストレーションを描いていたイトウケイイチロウさんのもあってずいぶんとSFやコミックの方面で名前が知られてきた感じ。デザインフェスタでウインナ星人を売っていた時代から幾年月。時代が来た。

 永野のりこさんの原画もあったなあ。可愛かったけれど流石に値段が。Tシャツもいろいろあったんで今度寄ったら買うかどうか。でもやっぱり寺沢さん本人の漫画とイラストが凄すぎる。目に焼き付けるだけで十分か。あの時代にどうしてこれだけスタイリッシュな絵を描けたんだろうなあ。前にインタビューした時に、アメコミと聞いたらアメコミじゃないと言われた記憶があって、多分影響はバンドデシネの方にあるように聞いたんじゃなかったっけ。メビウスとか。あるいはフラゼッタとかのようなSFイラストレーションに影響を受けているのかもしれない。そのあたりを語ってくれるようなイベントがあればなあ、40周年記念で映画がテレビアニメの上映も含め。腰を悪くされているから出歩くのは大変だろうけど、いつか、是非に。


【10月8日】 やはり1度くらいは観客でいっぱいの劇場で観たいと、回数を増やしてシアター9という最大スクリーンを並べてきた新宿バルト9に行って「若おかみは小学生!」。子供を連れた親もいればカップルもいてアニメ好きな若い層もいたりする不思議な観客層が出来上がっていたけれど、それがさらに広がって一般層に届いた時に、「カメラを止めるな!」のような爆発が起こるのかもしれない。そこに至るまであと1歩。とはいえ週末に情報が出まくってテレビのワイドショーが取り上げようやく気付く人がいたりする状況にはまた届いていない。この週末をピークとしつつ少しずつ落ち着いていくのかもしれない。それでもロングランを続ける劇場があれば嬉しいし、何よりやっぱり1人でも多くの人に見て欲しい。だからせめて1日1回でも良いからあと2カ月、続けて欲しいと伏してお願いします新宿バルト9さま。半分はTOHOシネマズ系な訳で1週間とか10日で打ち切った罪滅ぼしを、ここでこの際に。

 これで6回だか7回だか観ていていろいろと気付いたことを列記するなら神楽を練習している場面でおっこと真月が顔をつきあわせて口げんかを始めた時、神楽を指導していたたぶんクラスメートの鳥居くんがおっこと真月の顔の間とか体の隙間から顔をずっと見せようとしてわたわたしていたのが面白かった。もちろん高坂希太郎監督による演出だろうけれども直接的なセリフのやりとりはおっこと真月の間で繰り広げられて笑いを誘いつつ、絵でも面白がれる要素を入れておくところがなかなか楽しい。細かいところでは神田幸水と息子のあかねがやって来て、幸水が先月に妻を亡くしたばかりと行った場面でおかみの峰子がちらりと横のおっこを見やる視線とか、同じ境遇にあるおっこが聞いてショックを受けないか心配している気持が出ていて胸打たれた。

 でも、おっこは受けて立つように自分だって両親を亡くしたと言ってそれがどうしたといった感じでにじり寄る。ここでショックに沈まないのはもしかして、心のどこかに両親の死を認めたくない自分がいて泣いたら終わりと思ってしまったのかもしれない。だからこそ夜に夢の中に両親が出てきてそれをまだ生きていると思いたがる、とか。分からないけどそのあたりも含めた解説本が出て欲しいなあ。幽霊のウリ坊と美陽ちゃんんが足元から胴体にかけてぼんやりと透けているのに顔だけは透けずにしっかりと描かれているのはどういった撮影処理をしたんだろう。すした技術面でもいろいろと工夫がされている気がする「若おかみは小学生!」。ムックが無理ならアニメ誌でも特集を、って言ったところで新番組のグラビア的紹介がメインとなった今のアニメ誌では無理だろうなあ。残る羽文藝別冊かユリイカか。やるかなあ。いっそ「SFマガジン」でどうだ。

 せっかく新宿まで出たんだからと世田谷文学館で「筒井康隆展」を見物。基本的には年譜があって直筆の原稿用紙が並ぶ感じで「大いなる助走」の表紙とかに使われていたり、新潮社から出た「筒井康隆全集」の全巻購入特典としてもらえた「最悪の接触」に複製原稿なんかで、その筆致とそれから専用の原稿用紙の感じ、たぶん万年筆の太字の青い文字とか見慣れていたから驚きはなく、相変わらずきれいな文字を書かれる方だといった印象を強く抱く。

 とはいえ「バブリング創世記」のあのバブリングでもって一族の歴史を綴っていくような小説まですべて原稿に万年筆で書かれてあって、書いている途中で過去に何を書いたかどうやって覚えていたんだろう、そして最後まで間違えずにどうして書けたんだろうかといった疑問が浮かんで同時に驚く。そこは下書きがあって言葉の見当があって精査した上で清書しているんだろうとは思うけれど、それでも写している時に間違えたり嫌になったりしないかが気になった。あとは「虚構船団」の複雑な言語をよく書いたなあといった印象。

 展示では泉鏡花賞と谷崎潤一郎賞を受賞した時にもらった盾だかトロフィーなんかも飾ってあったけれど、それらと同列に日本SF大賞のトロフィーも置かれていてSF作家としてもらえた賞として同格だといった意識を持っているように感じさせた。文学賞の選考委員を殺戮していく「大いなる助走」を書いた時、候補になった作家に送信されるペーパーのひな形もあって元ネタに赤字を入れて改変していることが分かった。あと筒井さん本人に送られた候補作になっていつ選考が行われるかという案内も。これをもらえば誰でも自分が受賞する、っていう気持になるんだろうか。

 もらえるだけでも万々歳な気はするけれど、それをもらって賞をもらえない方がやっぱり作家としてショックなんだろうか。気になった。ほかに展示では、筒井さんの代表作ともいえる「時をかける少女」に関連したコーナーがあって、映画やテレビドラマのパッケージなんかが並んでいて古いところでは「タイムトラベラー」があって原田知世さん主演の映画「時をかける少女」があってあとは角川春樹事務所から出たものとか仲里依紗さんが主演した映画とかも並んでいて、いろいろと展開されて来たことが目の当たりに出来た。でもファンは原田知世さんのと細田守監督のを思い浮かべてしまうんだろう。

 アニメーション映画では、「パプリカ」はコーナーが作られ今敏監督によるアニメーション映画の場面が壁にいっぱり張られてた。マッドハウスを特集していくアニメスタイルが確か編集を手がけた「プラスマッドハウス」の1冊目、今敏監督特集号も置いてあって今敏監督の見慣れたサインがしてあった。会えばもらえたそのサインも、もうもらえないと思うと寂しくなった。あと、筒井康隆さんといえば断筆騒動も大きな話題になっていて、その時に行われた中野サンプラザでのイベントなんかの模様も資料によって紹介されていた。そして断筆から復活した時の巨大な垂れ幕とかは、復活祭めいたものが行われた神保町かどこかのホールに飾られたものだったんだろうか、行った記憶があるけれど観たという記憶はないのだった。

 筒井康隆さんといえば過去に役者もしていた経験を、断筆騒動の期間中に復活させたこともあってその後もいろいろと舞台に立っていたようで、それが上映されてて「かもめ」のトリゴーニンを演じている映像が流れていた。あの蜷川幸雄さんが演出をして原田美枝子さんがアルカージナを演じている舞台。雰囲気とか確かにあるしセリフにも重さがあってなるほどを思わせた。そりゃあ滝沢修さん日下武史さん益岡徹さん鹿賀丈史さん野村萬斎さんが演じた舞台と比べればって気もするけれど、単独で観れば十分に役者然とした姿。あの蜷川さんがOKしたならそれはきっと良い舞台だったんだろう。観に行けば良かったなあ。

 「小麦畑の三等星」がマイフェイバリットな人間だけれどその作者の萩岩睦美さんが新しく描き直した原画の展示会が原宿で今日まで開かれていると知って世田谷からぐるりと回ってかけつける。入ると萩岩さんご本人がおられてサインをしておられたので、売られていたミニ絵本を買って巻末にサインを頂く。先日は高坂希太郎監督からサインを頂いて良き日だったけれども今日もまた良き日。「小麦畑の三等星」は確か高校の時に刊行されて読んでその絵の可愛らしさと、お話の大変さに読んで落涙したものだった。学校で授業中に読む漫画がないか聞いてきたヤンキーに読ませたら感動してたような遠い記憶。そりゃあそうだろう。そんな漫画家が35年を経て目の前にいる。これが生きているってことかなあ。次に展覧会があったら今度はゆっくり観に行こう。

 今さら言うまでもなくポン酢な記事が常に満載な自称するところの今のところは全国紙が、7日に神奈川県の川崎駅前で行われたヘイト系な言動を公然とぶちまける集団による街宣にカウンターが応酬したという話を取り上げて、それが極めてヘイトな言説になりがちな集団による街宣であることにまるで触れずに「『表現の自由』を訴える団体」と書いて印象を薄めつつ、そうした団体にたいする予防の意味合いも持ってのカウンターに非があるような印象を醸し出しつつ一般の人たちの迷惑だといった反応を添えてカウンター活動を牽制している。

 もちろん、主義主張は自由であってそれを公然と語る自由はあっていいけれど、こちらは川崎でのヘイト的な街宣を追いかけ続けている地元紙の記者が見聞きして、やっぱり出ていた特定人種なり国民への糾弾を例にとるならば、その地元紙が指摘するように“公然ヘイト”であって集会そのものが認められるべきではなかたっといった意見も出てくる。それでも行われてしまったならカウンターで封じ込めるしかない状況からの川崎駅前での騒動を、どちらも悪いといった言説というか「表現の自由」への制約をカウンター側に見て取り記事として拡散するのはやっぱり無理が過ぎる。でも、そんな無理が通る界隈があってそこをのみ、商売の相手と決めた自称全国紙にとっては当然の書き方だったと言える。そうやって濃縮されていく読者を相手にホルホルしている今の状況が、ずっと続くわけもなく既にヤバい水域まで来ている自称全国紙が、自称でも全国紙を名乗り続けられるのか否か。そこが気になる。世間の誰も気にして無くても。


【10月7日】 有楽町マルイで8日まで開催の「若おかみは小学生!」の原画展に並んでいるストーリーボードの中に描かれた木瀬さんという、映画の中でちょっととっても重要な役割を果たすおじさんが映画に登場したのとはちょっと違って、ワルっぽさが増したようなデザインになっているのが気になった。額が大きく出た髪型は同じでも眼鏡ではなく黒いサングラスをかけている。つまりはちょっぴり“ヤ”がつくっぽい雰囲気。そんな人が宿に来て、ああいったコメントをしておっこを振り回した挙げ句、その正体を露見させたら受けたショックもきっと大きかっただろうし、見終えた印象も変わっただろう。

 そこはやっぱり映画として一般性を持たせたかったのか、実際のデザインは普通の眼鏡でやや肉体系の労働をしているっぽい雰囲気を持ったおじさん。ぞんざいではあるけれども悪い人ではない感じで、普通に生きてて自身も巻き込まれる形になって色々苦悩を追いつつも、家族の支えでどうにか生きているおじさんといった感じに仕上がった。だからこそ決して憎めないし退けられない。もちろんそれでも受け入れたおっこは凄いけれど、それを強引ではなく無茶でもないと感じさせたという点で、映画の木瀬さんのデザインはベストだったんじゃないかなあ。ストーリーボードのままだったら山寺宏一さんの演技も違っただろうし。見た目って大事。

 雪野宮竜胆さんの「普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ1」に続いて同じ講談社から創刊のレジェンドノベルスより加茂セイさん「ダンジョン・シェルパ迷宮道先案内人 1」を読む。これはなかなかにユニークというけか、結構緻密に寝られていて雰囲気と勢いだけで綴ったものとはちょっと違った歯ごたえがある。ダンジョンの攻略を目指す冒険者の荷物を運びつつダンジョン内の道案も受け持つシェルパという仕事に就いているロウが、“宵闇の剣”と呼ばれる名高い勇者のパーティに雇われダンジョンの深層に挑む羽目になる。経験豊富で冒険者としての経験もあってそして愛想も良いのが条件とかで、合致するのがロウしかいなかったが本当は断りたかった。

 理由のひとつが幼い妹の存在で、ダンジョンの制覇を目指す勇者のパーティなんかについていったら大遠征となって何ヶ月も戻って来られないことがある。そうなると親戚に阿づけられた妹は虐められ可哀想な目に遭うから、長期間家を留守にはしたくなかったし、それが理由で勇者として危険を冒して死んで妹を路頭に迷せたくないこともあって、そこそこのランクながらも勇者は辞めてシェルパになった。そんなロウだったけれど以来は断れず、また“宵闇の剣”が少数精鋭でダンジョンはショートカットから高速移動でもって深層へとたどり着き、一気に攻略することを旨としていたためロウはつきあうことになる。

 馴化する時間すらとらず一気に上る登山のようなダンジョン攻略。これなら家を空けずに済むとつきあったロウは持ち前の知識でパーティを深層へと導く。そんな“宵闇の剣”を率いるのはユイカという少女で、どこか無愛想に見えてだんだんとロウに親しみを覚えたよう。そんな態度にパーティ仲間の女子がやっかみ不協和音の中で起こった悲劇をまずは乗り越え、ユイカとロウの関係がさらに近づくけれども続く深層へのチャレンジでさらに大きな危機が迫ったところで以下続刊。それが超ハードな危機でいったいどうなるかが早く知りたい。用意周到で勇者としてのスキルも豊富なロウならきっと切り抜けるだろうけど、その先に何が待つかが気になる。

 他ではダンジョンマスター並のモンスターがここでは階層主程度。それで果たして攻略なんてできるのか。続きが知りたい。ロウがシェルパでありながら強靱で、意外な能力を秘めているところに読んでニヤリ。チートではなく人間の範疇で用意周到なところも好感。リアリティからかけ離れすぎているのも面白いけれど、中途半端にご都合主義だとやっぱり読んでいて鼻白むのだ。あと実際の登山のように計画を立て技量を把握し着実に進む迷宮探索の描写も面白い。シェルパという役割の重要さも登山同様にしっかり描かれていて、それがパーティの実在性と物語の社会性を底上げしているといった印象。次はいつ出るのかな。待とう続きを。

 もう1冊、レジェンドノベルスから第616特別情報大隊さん「女王陛下の異世界戦略1」。ストラテジーゲームで蟲がメインの悪の属性をもった「アラクネ」という陣営を使って勝利を重ねていた女子大生がふと気がつくと、異世界にいてゲームの中に入り込んだようにアラクネの女王となっていた。そこがゲームの中っぽいとは分かっても自分が誰だったかは思い出せない状況で、まずはどういった集団かを把握し蟲たちが望んでいることを理解し、そして単純にゲームの中とはいえずゲームと同種の集団を率い同じように育成が可能ながらもまるで知らない、人間たちが国を作りエルフを虐げている世界に突然現れたようだと認識をして後、その世界で生きていく手段を模索する。

 エルフを襲っていた盗賊たちを始末し、エルフに恩を売りつつ蟲から出た糸で織り上げたドレスを売って金に換えて肉などを調達して蟲たちを育成。そうしてだんだんと勢力を固めていったところにエルフを邪悪な存在と認めて襲撃した国があり、友人を殺害された女王は怒ってその国を一気に滅ぼしにかかる。10万人以上が暮らす一国を、強大とはいえ現れたばかりの蟲を率いる少女が滅ぼせるのかといったらそこが本当に滅ぼしてしまったから魔族は凄い。祈れば神も現れる世界ながらも女王の側には神を葬る剣を持った女騎士がいる。そのあたりがややチート地味ているものの、背後に蠢く謎の存在が提示されて女王すらプレイヤー的に躍らされている感じが浮かんでくる。それでも女王は世界制覇を成し遂げるのか。立ちふさがる何物かが現れるのか。興味津々、読んでいこう。

 これは炎上するだろうなと見ていたらやっぱり炎上したフジテレビによるテレビ番組「密着24時 タイキョの瞬間 出て行ってもらいます!」。まずもって番組タイトルが下品で、「退去」を「タイキョ」と書いてそこに粛々と執行されるべき行為である以上に、別の犯罪性が潜んでいるような雰囲気を醸し出して見る人をそっちへと誘導する。その番組内容も不法滞在の外国人に対して出入国管理局が退去を行うような展開ながらも技能実習生として日本に来ながら条件が酷くて逃げ出した人を取り上げつつ、どうしてそんな非道な技能実習生の制度がまかり通っているかについては触れていない。

 そして入管で大勢の外国人が止め置かれる中で不安から自殺したり、病気で亡くなったりしている実情も無視して、入管がすなわち正義の代理人のような雰囲気で紹介しているところに長く入管の問題を取り上げてきた人たちや、技能実習生の問題に取り組んできた人たちが反発している。それも当然。というかそういった反応が出るのは当たり前だと思って番組を作るべきなのに、どこかの流れに乗ったのか入管の正義をのみ前面に押し立てていてはやっぱり批判も出るだろう。河川敷の畑とか中国人だけが作っているわけでもあるまいに。日本人釣り客による買って釣りハウスとかひどいとも聞くし。そうした不法占拠の問題を不法滞在と合わせることで、外国人への反感を醸成させる。そのまずさに気づけなかったところでフジテレビは批判を浴びて当然だろー。どう釈明するか。週明けが山場かな。

 そして立川シネシティへと出向いて「劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜」を観る。極音上映だけあってすべての音が粒立って聞こえて来てとても良かった。映画自体はおそらくは最初に上映された時期に何度か観て以来だからとても久しぶり。そして田中あすかがあんまり目立っていないことに改めて気がついた。サンライズフェスティバルでのドラムメジャーもビジュアルクイーン程度の登場で、あとは中瀬古香織と高坂麗奈がトランペットのソロパート争いをしている時、黄前久美子にどうかと聞かれて「心の底からどうでもいい」と“本音”をさらした時くらい。あるいは吹奏楽部を見物に来た久美子たちを窓越しにじろっと見た辺り。そんな感じ。

 あるいは第1期を総集編した「北宇治高校吹奏楽部へようこそ」では、単なる達観した上級生といった感じにしておいて、続編「劇場版 響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜」でグッと存在感を高め、いなければいけない人って印象づけたのかもしれない。そっちが強く印象に残ってしまって「北宇治高校吹奏楽部へようこそ」も、というか「響けユーフォニアム」が田中あすかの物語のように勘違いをしていたのかもしれない。違う、やっぱり「響け!ユーフォニアム」は黄前久美子と高坂麗奈がイチャイチャとする話であって、そこから外れた「リズと青い鳥」はだから「響け!ユーフォニアム」というサブタイトルすらついていなかったのかもしれない。ちょっぴりイチャイチャしてたけど。最新作「響け!ユーフォニアム〜近いのフィナーレ〜」ではどんな感じになるかなあ。そもそもが久美子たちが3年生になってからの話なんだろうか。いろいろと楽しみ。待とう公開を。


【10月6日】 さすがに連日「若おかみは小学生!」でもないんで、イオンシネマ海老名のTHX上映に行くのはまた今度にして(今度があるかは分からないけれど)、シアタス調布で「ガールズ&パンツァー 第63回戦車道全国高校生大会 総集編」の4DXバージョンを見る。上映自体はすでにイオンシネマ幕張新都心のULTRAスクリーンで見て、サウンドも岩浪美和さん渾身のセンシャラウンドに浸ってはいたけれど、そうした音響に加えてシートが動く演出とかも加わる4DXでの上映は、オープニングからぐりぐりと動くはテレビシリーズに加わった効果音がビリビリくるわでなかなかの迫力。そこからしばらく状況説明が続くけれど、聖グロリアーナ女学院相手の練習試合が始まったとたん、戦車の動きと同様にシートが動き傾き振動する。

 あんこうチームの4号戦車を追いかけマチルダが疾走する大洗町の市街戦では、肴屋に突っ込むマチルダに合わせてシートも滑空する感じ。それは「ガールズ&パンツァー劇場版」でエキシビション中にプラウダ高校のクラーラが突っ込んだときの4DXの演出とも共通だけれど、滑る感じが増しているような気がしないでもない。気のせいだろうけれど。お風呂のシーンがあんこうチームに麻子が加わったあたりしかなくシャボンが散ったのがそこくらいで、エンディングにシャボンが舞って幸せな気分に浸れた「劇場版」の4DXとは感慨も違っていたけれど、サンダース大学附属高校からアンツィオ高校を経てプラウダ高校そして黒森峰学園へと続く戦車道全国高校生大会での大洗女子学園の奮闘に添わせ、ぐりぐりと動き回って気持をあの世界へと引きずり込んでくれる。というか椅子からずり落ちそうになるくらいの動きっぷり。観終わって体力を削られる映画というのもそうはないかもしれない。ああ面白かった。

 雪野宮竜胆さんという人による「普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ1」(レジェンドノベルス)を読んだ。普通のサラリーマンが恋人に去られ仕事はまるで面白くない状況に転職したいなあと嘯いたら見知らぬ少年がかなえてあげると言って正義のためになる仕事で歩合制だけれどちゃんと稼げると太鼓判。だったらと契約したらさっきまでいたはずの新宿から人がいなくなり、そして冒険者が現れモンスターが跋扈していた。つまりは転移。現れた探索者と呼ばれる者たちに誘われ従いつつ現れた蜘蛛のモンスター、アラクネにやられそうになっていたところで説明書から魔法や武器を発動させる力を理解し、銃剣がついたマスケット銃を取り出してアラクネを倒して探索者たちに驚かれる。

 どうやらそこは彼らにとってもゲートが開いた先に見えた異世界らしけれど、主人公のカザマスミトにとっても人が誰もいなくなった東京であることに違いはない。とりあえず止まっていた自動車に乗り込み運転したら運転できたので拠点があるらしい渋谷へと行って事情を伺い、そこで探索者登録をして仕事を始めることになるのがメインストーリー。出会った奴隷の女とその主人だった夫婦の娘らしい少女を雇い探索をして力を把握し、そして女と少女の奴隷が過去に因縁のある存在へと売られそうになったのを見かねて大金を稼ぐと言って実際に、まだ荒らされていない宝飾店へと赴き強いモンスターもどうにか倒して願いをかなえる。それによって恨みもかったみたいだけれど。

 東京というなじみのある舞台がまるで異世界のようになったという状況で、東京を知るメリットを活かし魔法も使える能力を発揮しつつ、ややチートな活躍を見せると言った主人公はなるほどある程度はパターンに収まっているけれど、圧倒的ではなくギリギリのところで戦って仲間の手も借りつつ買っていく展開にはハラハラさせられてついつい展開を追ってしまう。東京に眠るさまざまなものが異世界にとってどう見えるのかといった描写も意外な視点を感じさせてくれる。奴隷の女と少女を身に侍らせ稼がなくてはいけなくなったカザマスミトが東京を知る利点をこれからどう発揮していくか、そして恨みを与えた貴族を相手にどのような活躍を見せるのか、なんて興味を満たしてくれそうな今後の展開。読んでいこう、カザマスミトが東京の王になる日を妄想して。

 サイン会があると知って2000円分を購入した有楽町マルイの「若おかみは小学生!」の原画展でもらった整理券の時間に行って、高坂希太郎監督からおっこのイラストが入ったサイン入りの色紙を頂戴する。当日は何か出来合の色紙を用意して、それに直筆のサインを入れて渡すのかなあと思っていたら、まさかその場でひとりひとりにイラストを描くだなんて何という大盤振る舞い。90人分も整理券を渡してそれだけを果たして描いたのかと心配になった。

 まあそこは、アニメーターなら同じ絵を90枚描いたところで秒間6コマだとしても15秒分だし秒間12コマなら7秒ちょっとしか進まない絵をすらすらと描けるかというと、やっぱり大変だっただろうなあ。ありがとうございます。実は全員の絵を並べるとちょっとずつ首を振ってたり瞬きをしていたりってことは……さすがにないよなあ。そんなサインを頂きながら少しだけ会話。齋藤プロデューサーも交えての雑談からやっぱり気になっていたあのラストまで涙を見せないという見当は相当に前の段階から決めていたみたい。なおかつおっこの両親がまだ生きているかもしれないという演出も行うことにしていていたみたい。

 おかげでGAGAの試写室で初見だった時、児童文学の方もテレビアニメーションの方もまるでみたいない中でもしかしたら両親はまだ生きて病院に入院しているだけなのかもしれないと思ったり、普通に生きてるのかもしれないと思ったりもした。でもそうじゃなことがだんだんと分かってきてそして、木瀬さんという半ば“当事者”の登場によってその口からはっきりと断じられることで、おっこはふわふわとした夢の中にいた気持を現実に引っ張り出されてやっぱりそうだっただと知って号泣する。同時に見ていた人も号泣させられる。巧いなあ。もしかしたら両親のシーンをぼかしたようにするって案もあったらしいけれど、それをやらずにシームレスにしたことで曖昧さが出ておっこと同じ気持ちを辿らされた。そういった差配の積み重ねがあの感動を呼んだんだろう。やや慣れつつあって初見や2度目の頃のような号泣には至らないけれど、それでも監督の手のひらで揺り動かされる感情はある。それを味わいにまた、映画館に足を運ぼうか。

 初日なのに劇場数がぐっと減って上映回数も1日1回だったりするところが出ていてやっぱり厳しいのかとも思いつつ、オープニングの淡島世理ちゃんの巨大なふくらみだとか谷間を拝む価値はあったりするんで観に行った「K SEVEN STORIES Episode 4『Lost Small World 〜檻の向こうに〜』」。基本的には伏見猿比古と八田美咲が中学校で暴れ回って居場所をなくしつつある中で、赤の王こと吠舞羅を率いる周防尊に出会うまでが描かれていて、八田はともかく猿比古にはその鬱屈した性格形成にあたて、家庭にいろいろと事情があったんだなあということが見えてくる。

 ただ小説では書かれているっぽい仁希って猿比古の父親の話が、ただの若作りをした鬱陶しいおっさんにしか描かれておらず何をしていて金持ちで、どうして猿比古をいじめ抜いたかが見えずちょっと戸惑う。猿比古には母親にあたる木佐も顔を見せるだけ。そんな2人が過去にクラン絡みの何かをしていたかって話でもあればつながるんだけれど、映画だけだとちょっと唐突だったかなあ。八田はもう普通すぎてどうしてあそこまで世間に反発しているかが分からない。周防に憧れたというより逃げたかっただけの凡人に見えてしまう。でも今は吠舞羅でも切り込み隊長的な位置にいる。才能も度胸もあるようには見えないんだけれど。まあそうした凡人でも忠誠と上昇志向があればそれなりの地位にあって強さも得られるというのは普通の人にはありがたいか。全員が猿比古のような天才ではないし、世理ちゃんのように巨乳でもないのだから。巨乳関係ないか? いやあれが剣の鋭さにきっと。考えよう。


【10月5日】 バンダイナムコアミューズメントが横浜と博多に「ハムリーズ」という英国では最古の玩具店を日本に持ってきてオープンするとか。特徴はエンターテイナーという職種があって来店する人たちを喜ばせて楽しんでもらう役割を担っているらしい。デモンストレーターという職種もあってこちらは玩具を使って楽しんでみせて買ってもらおうというもの。そうやってお店を楽しめる場に帰るのって前身ともいえるナムコがかつてデパートの屋上に遊園地を作ってデパートをとーたるで楽しめる場に変えたこととか、ナンジャタウンにただの従業員ではなく演じて誘って楽しんでもらうナンジャリアンを置いたのと似ている。つまりはナムコにとっては得意技が今、改めて英国発の玩具店を誘致することで炸裂したとも言えて中村雅哉さんが存命だったらきっと喜んだに違いない。どれだけお客さんが来るか。開店したら観に行こう。

 「『とある魔術の禁書目録』の神裂火織と『モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ』のソラ。共通点を答えよ」「どちらも監督が錦織博だ」「ぎゃふん」。なぜ「ぎゃふん」かはそれぞれのキャラクターがまとっているファッションを見れば分かる気もするけれど、それが流用かインスパイアかどうかはこの際脇に置くとして、mixiグループのXFLAGが提供しているソーシャルゲーム「モンスターストライク」を題材にしたという新作の長編アニメーション映画「モンスターストライク THE MOVIE」に登場するソラという少女のキャラクターが、片方の左脚の部分が根本から千切れた感じになったジーンズをはいて手に巨大なデスサイズ(大鎌)を持ち格闘するシーンはなかなかの迫力。戦う際に踏みしめたり開いたりし脚の付け根につつい目がいくのも仕方が無いとして、その描かれ方はスピード感があり重量感もあってフル3DCGによって作られているとは知らなければ気付かないくらい、2Dのアニメーションっぽさを漂わせた映像になっている。

 そこはやはり「宝石の国」という市川春子の漫画原作を、その繊細なテイストをくずさないまま、迫力のアクションシーンも含めてアニメーションとして描き上げたオレンジによる制作だけのことはあると感嘆。ややスピーディーなきらいもあって誰が戦っているかに気付くまもなく展開が進んでいって、もうすこしキャラクターを見せて欲しいという贅沢は浮かぶものの脇で展開されるそうした戦いは、おそらくゲーム的に欠かせないキャラクターたちへのサービスといった位置づけて出ているだけで満足という理解をしつつ、主役級となるキャラクターたちの戦いについてはしっかりとメリハリをつけ、近くに寄っては離れ回り込んでとらえるようなカメラワークも整えて戦闘の場面を見せている。「宝石の国」再来、といった感想はキャラクターのテイストが違いすぎるからすぐには浮かばないかもしれないけれど、言われればなるほど共通点も少なくないように思える。

 そんな戦闘シーンばかりを見ていれば、十二分に楽しめるといった作品だと言えそうな「モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ」ではあるけれど、映画というのはアクションだけが連続して続いても面白いものではなく、そうしたアクションがい必然として登場するためのストーリーであり、そのストーリーの上で役割を演じるキャラクターといったものがアクションに負けず確かなものである必要がある。では「モンスターストライク THE MOVIE」のキャラクターはカナタという少年がいて、13年前に東京の中心部が地面からえぐり取られるようにして空中へと持ち上がってそのまま浮島となる事件が発生した際、その渦中にいながらも不思議なことにほかの大勢の人間たちと同様に浮島の外へと移動させられ、今は湖とも海ともなった旧東京の陥没地帯を眺めながら友人たちと日常を送っている。

 そこに異変。ひとり残ったカナタの周囲に犬とは言えないモンスターが現れカナタを追い回す。倒そうにも武器はなく、一瞬だけ手が輝いた際に投げた石がモンスターに効果があったように見えたもののその後に力は発動せず、追い回されてもうこれまでとなったところにジーンズの左脚部分だけが根本からカットされ、素足がむき出しになった少女が手に武器を持って現れ、モンスターの犬たちを蹴散らしてはカナタのことを彼の母親で、浮島に残ったらしい女性から聞いていたらしくカナタを引き連れ空を飛んで浮島へと戻って、そこでカナタには力があって、浮島を墜としつつ自分たちは自分たちの世界へと戻ろうとしている勢力の横暴を抑えるために力を貸すべきといった態度で迫ってくる。ソラには仲間がいてトウヤやユウナといった面々と、今は誰も人間は住んでいない東京の街を歩きながら敵らしい襲来をかわしてカナタの母親の元へと急ぐ。

 浮上してから13年も経っている東京の街が廃墟というにはいささか整っている部分が多いこと、そこでカップラーメンのような食事をしているのは保存がよくてもやや良すぎるきらいがあって、地上と交易でもしているのかと浮かびながらもシールドがあって交流はできないことになっているため、やっぱり消費期限切れのものを食べているのか浮島では時間の経過がないのかといった想像も浮かぶ。まあそこは神裂火織の生足ファッションにも似たソラのファッションセンスと同様にスルーしてできないことはないものの、主筋として山寺宏一が声を担当しているセルジュという男が最後、全身を穢れに覆われながらも仲間たちを元いた世界に返そうとして画策をしていたら、人間たちが無へとたたき込むたけの画策をしていたことがわかり愕然としながら、そうした状況を止めようともしないで覚醒したカナタと戦う場面で、誰が何のため、誰のために戦っているといった状況への理解が混乱して、気持を添えづらかった。

 カナタがセルジュを倒したところで、地上から干渉されている無への転移は止められないはず。モンスターたちが向かうなら地上への憎しみのはずなのにそうはならずカナタは目の前のセルジュだけに狙いを定めてつっかかっていくその行動がやっぱりよく分からない。どうしてそこまで人間に対して親切なのか。セルジュがカナタに何度も問うけど明確な答えがないまま進んでいくのでどうにも落ち着かないし、仮に博愛だとか言われたところでどこか宗教がかってしまって余計に身が引いてしまう。間もなく公開される「宇宙の法 黎明編」は作っている関係から宗教ががかっているのは当然だけど、まだ人類とレプタリアンとの間に理解ができるかどうかといった問題に踏み込んでいる気がする。宗教映画より論理が下がって感覚が前に出るところで果たして納得できるか否か、ってあたりが見る人によっての好みを分けそう。

 声はなあ、窪田正孝さんは訥々と喋る時は良いけれども叫んだりするとやっぱりちょっと抜けてしまうし、広瀬アリスさんは迫力を出したところは感情がこもってとても良いのに日常の言葉だとたどたどしい。そんな中にあって山寺宏一さんは山寺さん的な粘っこさが出てしまってやや突出し、トウヤという青年の細谷佳正さんは細谷さんならではの落ち着きが出ていてこれは逆に馴染みすぎている。ほかも一流の声優が固めた作品の中で主役2人が果たして妥当だったか否か。2時間ない映画だしそういうものだと思って聞けばあまり気にもならないくらいに修養はできているけれど、それでも別にベストといったものがあったかは考えたい。錦織博監督はこの映画、どういう気分で作ったんだろうなあ。アクションに特化し神裂火織を再来させればそれでOK、というのもひとつの覚悟だけれど、果たして。

 発売から15分で完売になった新宿バルト9での「若おかみは小学生!」の舞台挨拶付き上映はしっかりとチケットを購入してあたのでいそいそと出向いて映画を観てひとしきり涙ぐんでから、登壇してきた高坂希太郎監督とDLEでマネジメント面を担当した齋藤雅弘プロデューサー、マッドハウスでアニメーション制作を仕切った豊田智紀の両プロデューサーに司会の前Qさん、そして深夜にもかかわらず微動だにしないおっこが並んでいろいろと話してくれた。まずひとつ、90分という枠の中に収めたことでいろいろと入れられなかったエピソードなんかもある中で、あと少しだけあれば入れられたらしいエンディングのその先、ウリケンという原作に出てくるおっこの彼氏でウリ坊にとっては弟の孫がちらりを顔を見せるような映像が、もしかしたらパッケージ化の際に付くかも知れないらしい。

 「この世界の片隅に」でも最初は予算と時間の都合で落としたエピソードが復活し、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」として上映されることもあってちょっとしたムーブメントではあるし、それが見たいという感覚も分かるけれどもおっこと真月が神楽を舞って花が散る中でエンディングへと入りイメージボードで全体を振り返って余韻に浸るあのエンディングをひとつの完成形と感じて入る心には、蛇足になりかねないだけにいろいろと考えていきたいところ。それは「この世界の片隅に」で描かれなかったからこその想像があったことと共通で、何でもかんでも付け足せば良いという煽りはあんまり好ましくないと思うのだった。だから別バージョン別テイク的な扱いでそこは。ディレクターズカットのオリジナルとはしないでとちょっぴり。

 そういえばエンディングについて高坂監督、当初は自分が描いたイメージボードを使うのを嫌がっていて、豊田プロデューサーも同じ見解だったけど黒バックに花が舞うだけだと子供向けでは暗いという意見から、撮影監督の加藤道哉さんがイメージボード入りのを作って見せたところ、これは良いということになって豊田プロデューサーが乗り齋藤プロデューサーも乗って結果、ああいった見ていろいろと感慨が甦ってくるエンディングになったとか。加藤さんナイス。有楽町パルコで開催中の原画展に行けばイメージボードは見られるし、ポストカードにもなっているけどやっぱり本で見たいところで、そこはいろいろと出版の話もあるらしい。間に合わなかっただけで今後の盛り上がりもあるだけに予算もついて大きな1冊になってくれればこれは行幸。応援したい。

 あと面白かったのは、真月が書庫で呼んでいるユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」の原書は高坂監督がこだわって出したものだけれど、途中で撮影さんが気にかけて齋藤プロデューサーに聞いてこれはダメかもとなったものの、高坂監督が折れずだったら使用許可をもらおうとして、日本の出版社に聞いたら直接著者とやりとししてって話になってメールを出したものの返事は来ず、撮影の方で出す、ぼかす、消すの3つのパターンの映像を用意してビデオ編集の最終日まで引っ張ったギリギリになって著者から許諾の返事が届いたという。まさに奇跡。真月があの本を原書で読んでいるからこそ漂うパーソナリティってあるし雰囲気ってものもある。監督もそこを狙ったのかな。聞けば良かった。

 もうひとつ、舞台挨拶で楽しかったのはグローリー・水領さまが温泉でスッピンの際に眉毛もなくそうとして女性陣から反対されたといった話。眉毛がなくなった顔を人前にさらすことの大変さを女性は感じていたからからなのかな、そんな顔を他人とはいえ見せられませんという心理。そこを高坂監督も分かっていなかった、と。そこで押し切ってリアリズムを追求して起こる状況を考えた時に止めて頂けてナイスであった。実際のところ温泉で女性はすべて化粧を落とすのか? 謎めく。グローリー・水領さまはお仕事モードの濃い化粧もあればおっこちゃんと買い物に出かける女性ならではのメイクもあり、自室とか露天風呂とかですっぴんんいなってそばかすを見せている顔もあってといろいろと楽しめるところがファンを誘っている。監督の狙い通りだったらしいから釣られたといえば釣られたんだけれど、それで観じられるグローリー・水領さまの心境の変化とか本心めいたものが分かるから、やっぱり必要だったんだろう。その意味では高坂監督、ナイス。


【10月4日】 そして気がついたら新宿バルト9での「若おかみは小学生!」の舞台挨拶が、21時30分からスタートする回にも広がっていて19時からのがとれなかった人にはこんな朗報はないといったところ。シアターも大きな6だから花金(死語)のサラリーマンやらOLさんの観客もたくさんはいりそうな上に、舞台挨拶ということでドライブもかかって満席なんてことになったら、来週以降の上映にも大きな弾みがつくかな。6日からの3連休でも結構大きめのシアターを用意してくれているし、最大規模のシアター9での上映もあったりするからこれまで朝しかやっておらず、観られなかった人はこぞって行こう。僕は海老名のTHX上映が気になるなあ。どうしようかなあ。

 デイリーのツイッターで触れられた作品としても、映画の部門で「若おかみは小学生!」が他に圧倒的な差をつけてトップを走っている感じ。とはいえ未だスポーツ新聞とかが取り上げては来ておらず、テレビのワイドショーも無関心なのはテレビ東京のテレビアニメーションと関連しているってこともあるかもしれないし、やっぱり「カメラを止めるな!」ほどにはムーブメントが来ていないとも言える。そこを踏み込めて“現象”にするためにはだからやっぱり劇場をいっぱいにするしかないんだろー。それか超有名人による宣伝か。漫画とかアニメーションといったクリエイティブな人たちはいっぱい観に行って激賞しているんだけれどここはアイドルか大女優かジャスティン・ビーバーに是非、「『若おかみは小学生!』は良いぞ」とツイートして欲しいなあ。「若おかみの小学生は良いぞ」ではちょっと違うから気をつけて。

 日本でも最高峰の頭脳が集まっているはずの財務省が決めているはずの税制なんだからどこにも誤謬があるはずはないと思いたいんだけれど、消費税の引き上げに関して漏れ伝わってくる話がどうにもこうにも底抜けな感じがして大丈夫なんだろうかといった声がちらほらと。たとえば食料品とかを8%に据え置く軽減税率を提供するかどうかで例えばコンビニエンスストアで食料品を買ったとして、それをイートインのコーナーで食べる場合は外食と見なされ10%を適用するかどうかといった問題が出てくるらしい。

 どこで食べようとコンビニで買った弁当だとかを食堂の料理と見なすのは妙だから食料品の枠で良いじゃんと思うんだけれど、それだと飲食店が不利になるとかどうとかいった声があがっているらしい。これにはコンビニも困ったのか、持ち帰る食料品は8%の軽減税率を適用しつつもイートインで食べる分には10%を適用するなり、イートインみたいなコーナーはあってもそこは飲食禁止にするなりといった対応策を考えているらしい。イートインで飲食禁止ってそりゃあ存在自体が矛盾も甚だしいし、そもそもが分けることすら微妙なのにきっと大まじめに勉強で鍛えられた脳を駆使していろいろと考えているんだろう。

 税率が10%に上がっても中小の店についてはそこでクレジットカードで支払った人については8%のままにして、中小の店でのクレジットカード使用率を増やすといった案もあるみたいだけれど、そうやってクレジットカードを使われたら今度は店が手数料を負担することになる。それで増えた分を価格に転嫁したらまったくの無意味になるし、しなければかえって中小企業の経営を圧迫する。ったい何がしたいんだか。まったく訳が分からないけどこれだってきっと序の口なんだろう。もっと恐ろしいものが出てくる予感。ドキドキ。

 そんな財務省のポン酢ぶりも政治の方の珍奇な振る舞いに比べればまだマシか。内閣改造によって生まれた新しい閣僚たちの中に過去、あるいは現在もその職責にふさわしいとはいえないかもしれない人が含まれていることが早速、検証されては喧伝され始めている。EM菌だなんて根拠も乏しいオカルト的な疑似科学を信奉して推進しようとしていた議員が科学技術担当相になっているし、教育勅語という戦後の国会で否定された代物を、それでも良いことが書いてあるんだと嘯いて現代に普及させようとしている議員が文部科学相になっていたりする。

 政策のトップに立つ人間がそうした信条の持ち主であるというだけで、各省庁はEM菌を科学技術的に否定はしづらくなるし、教育勅語を教育の現場からい排除するどころか認める方向へと流れてしまいがちになる。そうはならないと言えるかとうと、トップにいる人間の顔色をうかがって“忖度”をして政策に取り入れるのが今の官僚。そうやって露見すれば議員は下が勝手にやったと言い逃れ、けれども露見しなければ喜んでその功績を議員は自分のものとして有権者に開陳する。そんなパワハラでなおかつ無責任な状況がずっと続いているこの国が、遠からず落ち込むだろう泥沼を思うとどこかに逃げ出したくなってくる。今の貯金で20年、暮らせる場所ってどこだろう。実家に引きこもるしかないかなあ。

 VR空間でライトセイバーを振り回して飛んでくるブロックを切り裂いていくリズムゲームがちょっと前に話題になっていたけれど、さすがに誰もがVRヘッドセットを持っている訳ではなく、ARヘッドセットなんてなおさら普及してない状況でリズムゲームはやっぱり筐体を使って指先で操作しタイミングを捉えていくのが今なお普通ってところ。各社からいろいろなゲーム機が出ていたりするけれど、そこに加わったのがマーベラスで「WACCA」という名前のリズムゲーム機をこれからゲームエンターに投入していくらいしい。

 そのイベントが渋谷であったんで見物に行って、文字通りに360度の輪っかになって円形の液晶の回りにタッチパネルがついた筐体を見て、どういった操作になるんだろうかと興味津々。そして始まった会見で、空中に指先を這わせるようにしてタッチパネルに触れていく操作方法を見て、これがARだったら端で見ていると躍っているか指揮しているように見えるかもあなあと考えた。空中に触れるとタッチしたことになるゲームは、インサイドアウトのカメラをARヘッドセットにつければ可能なような気がするけれど、現状のトラッキング能力とかを考えるとやっぱりまだまだ先のことになるのかな、それとも案外に近いのか。

 SFだのコミックだのアニメだのといったフィクションの中では普通に平気に使われている技術、空間ディスプレイのようなものとか実用化の可能性はあっても実際に作るとなるともうちょっと、技術的なブレイクスルーが必要なものがありそう。それまでは筐体を使ってそれに触れるゲームで遊んでもらい、将来への布石を感じてもらうのが良いのかもしれないなあ。とりあえず「WACCA」、面白そうです。でも入っているのがハードコアタノシーというハードコアテクノのレーベルの楽曲だから、慣れていないと激しいビートに打ちのめされてゲームなんてやっている場合じゃなさそう。聞きったらいったでゲームがおろそかになるしなあ。音楽を浴びつつゲームに集中する神経の使い方が必要そう。鍛えられるなあ。


【10月3日】 なんか突然に新宿バルト9で「若おかみは小学生!」のトークイベント付き上映が決まったみたいで、そのチケットの売り出しが午前0時からあったんでもう熱くもないから全裸ではんく服を着てパソコンの前で待機。そして時間が変わると同時にアクセスをしてどうにかこうにか2列目の席を確保する。最前列はたぶん取材に来るメディアのために空けているから観客では最前ってことになるのかな。出演するのは高坂希太郎監督とDLEのプロデューサーとマッドハウスのプロデューサー、そして司会の前Qさんときっとおじさんばかりだけれど、舞台挨拶ではなく映画の評判が口コミで広まり始めてから初めて高坂監督が人前に出て何か喋るとあって、これは聞き逃せないと思った人がいっぱいいたみたい。発売から15分で売り切れてしまった。

 席数も少なかったから仕方が無いし、2分で完売とかって凄まじいことにはなっていないあたりにまだまだ、口コミでの広がり具合も足りてない感じがするけれど、この数日を見ても田中圭一さんや私屋カヲルさんや日下部匡俊さんといったクリエイターが続々と感想をツイートし始めていて、それぞれに決して余裕がある日々を過ごしている訳ではない多忙なクリエイターでありながら、観に行ってそしてしっかりと感想をつぶやきたくなるくらい、映画としての強さがあるってことがだんだんと証明されて来ている。

 もちろん「カメラを止めるな!」の指原莉乃さんやライムスター歌多丸さんといった伝播力のあるスピーカーが誉めていないため、広がりにはまだまだ方よりもある感じだけれど女流棋士の香川愛生さんは2度観に行ったみたいだし、ほかにも著名人が続々と乗って来そうな感じ。この週末に上映を拡大する劇場もあるみたいで、そこで見た人の評判が乗れば上映が終わってしまう今週をひとつ区切りとしつつも来週あたりから、プログラム編成に独自性を発揮できるチェーンとかでは夜の上映を増やして大人の層を呼び込みつつ、そうした人たちの口コミでの評判がメディアに載って親子にも感心が広がって、平日の昼でもちゃんとお客さんが入るようになってくれれば嬉しいんだけれど。とりあえずトークイベント付きを見て、余裕があったらイオンシネマ海老名のTHX上映を見てこよう。だから頼むから連休の台風、日本列島を避けてくれ。

 そこは2つの人格が統合されてお互いのベターな形に収まりハッピーエンドへと向かうのかと思ったら、望月唯一さんによる「銀色の月は夜を歌う」(講談社ラノベ文庫)は““かぐや”とうヒロインの名前がすべてを表すように月へと帰ってしまう感じにちょっぴりセンチメンタルな読後感を与えれる。熱心に練習をしてテクニックもあった朝日奈悠は高校の軽音楽部で組んでいたバンドの仲間から、自分たちにはそこまでできないと思われついていくのが辛いとも感じさせてしまってバンドは崩壊。ひとりでは軽音楽部も維持できない状況へと追い込まれ、それでも音楽は捨てられないと路上でひとり、エレキギターをアンプもなしに弾いていたら通りがかった女子からライブに参加してと誘われた。行くとライブハウスで彼女はキーボードを弾いていて、中学生らしい双子の女子がドラムとベースを請け負っていた。

 そして始まったライブで悠はかぐやという名前らしい少女がとんでもないテクニックの持ち主で、ついていくのが大変だというかつてのバンド仲間の心境を少しは味わいながらも彼女といっしょにバンドをやりたいと思い、その日限りのライブが終わってもどこにいるのか探していった先、意外なところにかぐやを見つけた。何と正体は同じ学校の生徒会副会長。面識もありながら気付かなかったのは副会長の時はおさげで眼鏡もかけていてまるで雰囲気が違ったから。つまりはバンドの時だけ姿を変える? そうではなく、辛いピアノの練習に追い込まれた果てに心が2つに割れて、夜になるとかぐやが出てきて奔放に振る舞い音楽にいそしんでいるのだと聞かされた。

 そんなかぐやとバンドを組んで学園祭に出たいと悠は考えるが、副会長は絶対に嫌だと拒絶する。いったいどうなる。そしてどうなった。そのエンディングは寂しいけれどもそれぞれの思い、とりわけ音楽に押しつぶされた副会長の本来の思いにも配慮したものってことになるのかもしれない。ただ、いったんはキレイに収めてもそこはもとよりひとつの人格、消えてしまったとは言いながらも奥に引っ込み満足しているだけで、一方の自分を押さえ込んでいるだけかもしれない副会長の心が大きく揺さぶられた時、音楽への熱情が戻ってきた時にかぐやも再び戻ってきてくれるなんてこともあるかもしれない。中学生だった双子のドラムとベースが入学してメンバーが増えた軽音楽部におさげで眼鏡の副会長が、中身かぐやとなって参入して音楽を楽しむなんて続編、あったりすると嬉しいな。どうなるかな。

 ノーベル賞を開設するサイトにNHKがバーチャルユーチューバーのキズナアイを起用したことを、どこかの弁護士さんが女性を性的なアイキャッチにして使うことはよろしくないとか言って、それに反応した東京新聞の記者が女性蔑視のキャラにNHKがお墨付きを与えたとか書いて炎上しかかっている雰囲気。まずもってキズナアイはイラストではなくバーチャルアイドルとしてある種固有の“人格”を持った存在であって、アイドルだからキラキラとした衣装も着ているけれどもそれが性的だというなら女性アイドルはすべてが性的な搾取の対象であって、この世界に存在を許されなくなってしまう。

 もちろんそうだというなら、世界のあらゆる女性性を際立たせた描写は不可能になってしまうんだけれど、ここではイラストがエロいといった部分に押し込めキズナアイというバーチャルユーチューバーを否定しにかかる。ちょっとフェアじゃない気がする。もちろん、あらゆる女性性を強調したライフスタイルと戦っているなら、それはそれで称えるべきだけれど、それに乗っかるような東京新聞の記者による女性蔑視にお墨付きというコメントは、番組の中でパーソナリティとして活躍しているキズナアイへの中傷であり、同様にあらゆる番組に出演しているアイドルであれ女子アナであれ女性のアシスタントなりパーソナリティを女性蔑視の象徴だと言っているに等しい。

 それとも心底からそう思っているのだろうか。なるほどバーチャルユーチューバーをただのキャラクターであり動くイラストレーションと捉えているなら、単体としてのエロティックさに眉をしかめるのもありかもしれない。でも、バーチャルユーチューバーはこのテクノロジーが発達した時代において、ひとつの個性がキャラクターというスキンをまとって普段とは違う自分を出すような、新たなるペルソナとしてその存在を認め活動を生身のアイドルたちと同種のものとして認識していくべき時期にある。そうした方面への関心もなく、学ぼうという姿勢も見せないで見た目と過去の同様の経緯から、女性蔑視と断じてしってははこの先、より扇情的なスキンをまとった仮想人格が出てきた時に対応できないんじゃなかろーか。する気もないのかもしれないけれど。やれやれ。

 空埜一樹さんの「伝説の救世主の保護者」(ダッシュエックス文庫)をさっと読む。クライブという魔族退治屋がめちゃくちゃ強い上にそこに現れた救世主ながらも見てくれは少女のルーチェが合流し、こちらはなかなかグラマラスな美少女のレインを守護騎士として同道しながら魔王を倒すための旅に出る、といった展開。尊大な救世主に見えてやっぱり根は幼女というルーチェの健気さを知ってちょっぴり涙。そして人間なのに矢鱈と強いクライヴの正体めいたものがあるのかが気になった。魔族の姫のアンリエッタは合流しながら四天王のアグニはやっつけてしまう扱いの差はなんなんだろう。もしかしたらいずれ復活して合流するのかも知れない。普通に読んで普通に楽しいライトノベル、ですね。


【10月2日】 なんで右ハンドルなんだろうかと考えるなら「若おかみは小学生!」に登場するグローリー・水領さまが運転するポルシェ911は、ロケーション的に海辺を走る道路の海岸線側を左から右へと向かわせるというシーンで登場するため、左ハンドルでは海岸線の方にグローリーさんが座って中央分離帯側がおっこになっておっこが車窓から海を眺めたりすることはできなくなるし、絵的にも中央分離帯側から撮ったとして手前におっこがいて奥にグローリーさんがいる感じになっておっこだけをピンで抜きづらい。ウリ坊と美陽ちゃんと鈴鬼くんの人形をぎゅっと握りしめて耐えつつもやっぱり対向車線にトラックを見て、過呼吸になるような場面を作りづらくもあるし、そこからポルシェが路肩に止まっておっこが飛び出す場面も、助手席のドアを開けたら後ろから来る車にぶつかるかもしれないような左ハンドルでは描きづらい。

 これが右ハンドルなら、手前にグローリーさんがいて奥におっこがいて車窓から海が見えるというレイアウトも作れる。だったらいっそ右ハンドルの日本車にでもすれば良いって話もあるけれど、六本木で占いしとしてバリバリ稼いでいるグローリーさんが右ハンドルの国産車になんて乗っていたらどこかマッチしない。GT−Rだったらとは思うもののちょっと違う。だったらやっぱり外国車ってことになるけれど、ここで右ハンドルも普通に走ってそうなBMWとかアウディではグローリーさんのハイパーな感じが出ない。かといってフェラーリやランボルギーニの右ハンドルなんてあり得ないからハイパーではあってもツーリングカーの範疇に入ってグローリーさんのキャラクターにもマッチするポルシェの右ハンドルになった、なんて勝手な想像をしていたりする。本当のところはどうなんだろう。サイン会で聞いてみるかな。それとも前日のティーチイン付き上映会で明らかにされるかな。チケット頑張って確保しよう。

 ソーシャルゲームなんかを展開しているgumiが出資するような形でVRとかARなんかのインキュベーションを行っている「Tokyo XR Startups」の第4期に参加している企業がこれまでの成果を発表するイベントがあったんで秋葉原へ。お昼時でもあったんで「カレーの市民アルパ」に寄って金沢カレーを食べたら今までよりもセッティングに工夫があって、それからカレーの味も濃さを増していたような気がしたけれども気のせいか。カツはサクサクしてて美味しかった。そしてデモ。とりあえず試したエドガという会社のVRは、HTC Viveを被るとそこはプレゼンテーション会場になっているというもので、プレイヤーは壇上に立って集まった観衆を前にしてプロジェクターに映し出される資料をバックに、プレゼンテーションをまずは行う。

 どこを見ているとか声はどうだとか身振り手振りはしっかりしているかといったところをセンサーがトレースしてそのプレゼンテーションが説得力のあるものかどうかをチェック。終了後にはそうした項目から判定が出て、そして場所を変えて壇上にいる自分のアバターがどんな動き方をしているかを確認し、ホールで自分がどこを見ていたかも確認することでより良いプレゼンテーションができるよう鍛錬していける。いきなりデカいホールに立たされ慣れないプレゼンテーションをさせれたら誰だって戸惑うもの。そこをこのシステムで勉強しておくことで体は慣れ、声も出せるようになる。今までのように壁に向かって黙々と練習するよりも早く場慣れできるし、スキルアップにもつながりそう。

 エドガはこのシステムそのものを売るんじゃなく、そうしたeVRラーニングを付くってプラットフォーム上に揃えて提供していく会社。ほかにもいろいろなVRラーニングのプログラムを作ってるみたい。ただスピーチの仮想体験というコンテンツは、それだけ仮想の自分に近づける楽しみを味わえる。アバターをギレン・ザビにして「あえて言おう、カスであると」の演説が上手く出来たかどうかを確認するIPを利用したVRアトラクションにして提供されたら試してみたい気がする。あるいはクワトロ・バジーナによるダカールでの演説の再現とか。どっか作らないかなあ。上手くいけば称賛されてその後のゲームでエゥーゴが隆盛してティターンズを追い詰められるようになる、って展開のひとつに組み込んでも面白いかもなあ。さてもさても。

 ユニゾンライブというところは歌を唄うバーチャルユーチューバーことVTuberを作ってプロデュースしているところで、「音羽ララ」という名前のVTuberがまずは活躍を始めているらしく、ネットを見たらいろいろな歌を唄ってそれなりに評判を集めていた。最新の「君の知らない物語」は寝転がっているから全身が見えないけれど、楽曲によっては立って躍っているのがあって3DCGのモデリングも顔立ちもなかなかにしっかりしていた。計画ではソロだけじゃなくバンドにしていく予定もあるそうで、そうしたVTberによるバンドがあるいはチャートを席巻する時代も今後来るのかもしれないなあ。もう1社、VTuberを展開しているところがあったけれど、どのVTuberかはその背後に会社があることをあまり感じさせたくないということで、内緒。一芸を持ってすでにプロモーションにも参加しているようで今後に期待。

 これも「ご飯論法」と言うんだろうか。安倍晋三総理が自由民主党の総裁に再任されたことを受けて内閣改造に踏み切ったようで、そこでもうトンデモな人事が行われているかもしれないといった話はさておいて、女性閣僚が片山さつき議員の地方創生・規制改革・女性活躍推進担当相しかいないことについて、世界的な流れもあるのに1人じゃ少ないんじゃないのと問われて答えたことが「党においてはですね、松島みどりさんに、党七役の広報本部長を務めていただくことになったわけでございますし、参議院の会長を橋本聖子さんが務めておられます」と聞いてもいない自民党での話をまず口にする。そこにどれだけ女性が起用されていたって閣僚とは関係ないし、党三役でもなければ閣僚とは釣り合わない。

 でもって「今回、片山さつきさんにですね、入閣をしていただき、1人ということになったのですが、2人分、3人分、発信力を持ってですね、仕事をしていただけると、こう期待しております」と回答。おいおい、発信力が2、3人分あれば女性閣僚も2、3人いるのと同じって? そんな総理大臣が率いる政府が各所でもっと女性比率を増やしなさいと訴えたところで、企業だって団体だって私たちが抜擢したこの人は2人分、3人分の発進力がありますからちゃんと政府のご意向に答えてますよと言われたら返す言葉もなくなってしまう。事実としての実績を空想の皮算用で言い抜けようとしたって無理な話で、それをもし、世界の人が聞いたらコイツイッタイナニヲイッテルンダとなるだろー。でもそうしたことを本人は気にしないし、同じ内閣の人たちも気にしていないしきっとメディアも気にしないんだ。言い訳と欺瞞が炸裂するこの政府が何をしたって信じられる訳、ないよなあ。元より信じてないけど。やれやれ。

 例えばくそまずい飯を出している食堂があって、そのせいで売り上げが減ってこれはいよいよどうにかしないといけないとなった時、まずすべきなのは飯を美味くすることであるにも関わらず、打つ手が飯を運ぶウエイトレスの数を減らし、料理をするコックの数も減らしてそれから売り上げが減った分だけ店構えも小さくして席数を減らしてるほど人件費分とか家賃分のコストはカットできる。それで瞬間の収支は合っても、依然として飯はくそまずいままだから客足はさらに減る一方でもはや切り詰めるところもなくなってしまう。そうなってからやっぱり飯を何とかしたところで、コックはおらずウエイトレスもおらず店も狭くしてしまったためそれ以上は売り上げは伸ばせない。そんなポン酢をやらかすところはこの時代、さすがにないとは覆いたいけれども現実にあったりしそうな気がしないでもなく、ちょっと心がモヤモヤしている。あるいは切実にイライラしている。どうしたものか。


【10月1日】 午後の8時にはJRが止まってしまうというので早めに帰宅してテレビを見ていたら、世界バレーというのがやっていてそれもライブでの試合だった。場所は横浜アリーナだから最寄りの駅は新横浜で新幹線なりJRの在来線で帰ることになる。でも試合が終わる頃にはもう電車は止まってしまっている訳で、観客のことを考えるなら試合は中止すべきだったにもかかわらず結構してしまったところにテレビ局も絡んでの興業としての難しさがあるのだろう。とはいえ格闘技のRIZINは電車のストップを考慮して午後の7時過ぎにはメインイベントが終わるように順番を組み替え生放送を諦めた。格闘技がそうした配慮をする一方でバレーボールが客のことをまるで考えないスタンスなのはどういうことだろう。そこに格闘技がファンサービスの上に成り立つエンターテインメントであり、バレーボールは未だ封建的な体育会系の空気の中にとらわれているってことが伺える。プロ化なんて出来ない訳だ。

 記憶を失っていたミッキー二階堂が復活して始めたプリチャンの大会に参加したMiracle KirattsとMeltic StArによる対決もあった「キラッとプリ☆チャン」は前週がMeltic StArによるライブだったのに対して今週はMiracle Kirattsのメンバーの桃山みらいに萌黄えもに青葉りんかのそれぞれが1曲ずつ歌ってくれるという大盤振る舞い。前日に生で中の人を見たライブが今度はキャラクターとして演じられていて、その一致度に改めて簡単したというか今回はちゃんと青葉りんかの足も上がっていたので映像的にもちょっと嬉しい。永久保存したいけど新クールに入ってHDDも混んでくるからなあ。さっさとBD−REに移すか。それよりやっぱりDVDを買っていくか。ちょっと考え中。

 ごうごうと風は吹いていたものの家が震えるほどではなく、アンテナも吹き飛んではいなくてちゃんと着いていたテレビで速報で沖縄県知事選の開票速報が流れて、オール沖縄とは言うものの日本政府の政権からすれば野党に属する政党がこぞって玉城デニー候補が、政権与党の自民党やら公明党が推していた佐喜真淳候補を破って当選。前の翁長雄志知事の訃報を受け後継指名を得たという触れ込みもあって、半ば弔い合戦的な意味合いから有利かなあとは思っていたけど、対立候補は政権与党の看板を背負って続々と大物を送り込んで支持を表明し、経済界あたりの支援を取り付けているような雰囲気もあったし、政権というより安倍総理個人を応援しているような人たちが勝手連的に立ち上がっては玉城デニー候補にとってはネガティブな雰囲気を醸し出そうとしていたから最後になるまで分からなかった。

 そうしたネガティブな情報戦に流されてしまった果てに敗れる可能性は、先の新潟県知事選でも起こっていたりして野党にとって厳しい状況が続いているかもしれない不安はあった。それがふたを開けてみれば大差をつけての玉城デニー候補の当選。それだけ沖縄県の人たちは自分たちが置かれている状況を噛みしめ、何が問題かをちゃんと理解し、そうした問題に寄り添ってくれる候補を応援したってことなんだろー。一方で得体の知れない陰謀論を拡散しては貶めようとした勢力が、支持しているように見えた佐喜真淳候補への不信を抱いたような状況もあるって文筆家の古谷経衡さんがリポートしていた。玉城デニー候補が知事になれば中国が攻めてくるって、それはもはや戦争であってすぐに起こるなんてあり得ないし、そもそも米軍基地が密集している沖縄をどうやって攻撃するんだって話。考えればすぐ分かる。

 軍事ではなく経済支援でもって懐柔にかかるとしても、それは投資であって悪い話ではない。そうした中国資本の流入がいやなら日本資本が立ち上がれば良いだけのこと。国士然とした大金持ちはいっぱいいるし、大企業にだって安倍総理の親派はいる。そうした人たちがどうして沖縄を経済で支援しようとしないのかを、中国に文句を言う人はまず指摘し指弾すべきなのにそうはしないのはやっぱり中国が嫌いだからなんだろー。基地の問題にしても普天間を辺野古に移転することには環境の問題もあるし、沖縄から沖縄への県内移設では問題解決にならないという思いからの反対であって、これが県外移設をすんなり受け入れてくれるところが出てくればそれに乗るだけ。日本国民が全員で負担を負うのが筋っていう話なのに、全米軍基地反対といった主張だとすり替えられて中国に明け渡す気なのかといった批判を繰り出して来る。

 考えれば分かる無茶で無理な論理でも、ふわっとした空気でもって投げてくればそれに感化されてしまう人もいる。基地問題にナイーブな沖縄の人ではない、日ごろから中国脅威論にさらされ身を染められている人はケシカラン候補だといった意見を玉城デニー候補に対して頂いただろう。とはいえ、有権者ではない外の人が何を考えようと沖縄県民は動じなかった。それはとても良いことだったけれども問題は、中国脅威論を口にする人たちがわんさかいて、それに賛同する人たちもわんさかいたりする本土の人たちが多いことで、沖縄の選択を間違いだと責め立て批判し差別的な視線を抱くようになっていく。それがなおいっそうの頑なさを生み、分断を招いて果ては中国に頼らざるを得ない状況へと至らせる。こうなると中国脅威論を叫び分断をもたらす側にこそ日本を揺さぶる意図があるんじゃないかと思えてくる。もしかして……それも根拠のない陰謀論。とはいえ染まった人の多さを考えると、そして沖縄の若い人たちに蔓延する“ネットde真実的”な風潮を考えると、未来は決して安泰ではない。正しさを口にしてそれを認める空気を作るしかないのだけれど。どうなるかなあ。

 ファーストデイということで映画館に足を運ぶ人も多くいて、その中で各所で上映している「若おかみと小学生!」が朝からの上映にもかかわらず軒並み満席となった様子。もっと早くからそうなっていればと悔しさも浮かぶけれども口コミにはやっぱり1週間はかかるということで、スタート前に仕込んでおければ良かったもののそれができない映画の場合、興行がどう拾い上げるかってところに今後の展開もかかって来そう。TOHOシネマズ系はもう軒並み今週で終わりのようで、頼みのチネチッタ川崎もやっぱり今週がラストウイーク。あとはイオンシネマ系にかけるしかないんだけれど、都心部に少ない上に上映回数もやっぱり午前から昼時に限られているから会社帰りに大人が見るって感じにはいきそうもない。どこかレイトショーで上映し始める映画館は出ないものか。池袋なり渋谷なりで。口コミによる評判もどんどんと高まってきているし、今週辺りの動向を見て決断してくれる劇場が出ることに期待だ。

 何をやられた方かまったく情報はないけれども今年のノーベル医学生理学賞が京都大の本庶佑特別教授と、米テキサス大MDアンダーソンがんセンターのジェームズ・アリソン博士に贈られると発表。日本人ではおととしに大隅良典さんという人が受賞をしてから2年ぶりでの受賞でトータルでは5人目の医学生理学賞。湯川秀樹と朝永振一郎の物理学賞と川端康成の文学賞とそして佐藤栄作の平和賞しかなかった時代に物心ついてそれから、江崎玲於奈の物理学賞までちょっと離れていた記憶があるだけに、今みたいに毎年のようにポンポンと出てくるとありがたみというのが薄れてしまう。あとは試験に出るとしたら大変だろうなあと。僕らだとこれに福井謙一の化学賞が加わったくらいだったから。今のラッシュはだから1960年代70年代の自由な教育と80年代90年代の潤沢な予算のたまものなんだろうなあ。どっちもガチガチの今から30年後40年後にノーベル賞の出現率はどうなるか。そこがやっぱり問題か。


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