縮刷版2017年9月下旬号


【9月30日】 梅田阿比さんの「クジラの子らは砂上に歌う」があって白井弓子さんの「イワとニキの新婚旅行」があって吟鳥子さんの「あなたを死なせないための物語」もあってと攻めてる感じの秋田書店の少女漫画からまた1冊、すごいSFでファンタジーな作品が登場。青井秋さんという人の「凍る空、砂鉱の国」(プリンセス・コミックス)は、砂漠が広がる世界にあって集落でフラグメントの細工職人をしている少女セッカが主人公。フラグメント? それは触れたものを縮小してしまう“銀砂嵐“によってできる、風景画閉じ込められた結晶。それが自然の風景などなら細工して飾ってインテリアになる。だから職人がいるけど時に巨大な嵐が街をのみ込むこともあって人もろとも結晶になる。

 師匠の元で頑張り自分の細工を作れるまでになったセッカは師匠と町に行く。セッカは町で奇妙なフラグメントの細工を売る見せに迷い込む。その後に嵐の報があり師匠は先に村へと戻る。気になり後を追ったセッカは村が嵐にのみ込まれてしまった様を見る。結晶と化した村を前に立ちすくむセッカを助けてくれた謎めく少年ティト。そこで動けなくなった2人を結晶を追うハンターの集団が助ける。敵か味方か。やがて浮かび上がる村を内包しているような結晶を集め細工して売りさばく謎の一団の存在。故郷の結晶もその手に? そして旅が始まる。

 不思議な設定の世界を舞台に、運命に翻弄される少女。どこから来たかも分からない謎めく少年。結晶に閉じ込められた故郷を求めて謎の一団を追う女性ハンターといった具合に、それぞれに事情を抱え秘密も持ったキャラクターたちが砂の海を進んでいく。淡々と進む展開の中に開かされる世界の様。その先にあるのはどんな驚きか? 興味を惹かれる。昔はこういう少女漫画でファンタジーでSFは割とあったなあという記憶。佐藤史生さんとか鳥図明児さんとか。萩尾望都さんもそうか。そんな記憶を刺激される。それは「クジラの子らは砂上に歌う」「イーフィの植物図鑑」「イワとニキの新婚旅行」「あなたを死なせないための物語」でも同様。だから秋田書店は面白い。「凍る空、砂鉱の国」も結晶に閉じ込められてなお命は紡がれているのかが今は気になる。明かされるまで読んでいこう。

 それっぽい言説を元にした憶測が乱れ飛んでいるけど、ちょっと考えればそこにはいろいろと穴もあって通用しないと分かるのに、そうあって欲しいというバイアスがいかにもな言説のいかにも感を高めているといったところ。今は突如公表された同人的映像を持って製作委員会が激怒したって話がまことしやかに伝えられているけれど、それっていつの話だよってところで、放送局サイドの“激怒”がその後も続いていたならネット上から削除され、ペナルティとしてその後の映像制作だて依頼されなかっただろうし、半ば公認の言葉として「ばすてきセット」だなんてフィギュアが出されるはずもない。事後承諾だったとしても切り分けは終わって完結している話と見ても良いんじゃなかろーか。

 だったらコミックマーケットに同人誌を持ち込んで売った話は、ってなるけどそれより前にコミティアでも売って相当な評判になっていて、それで問題があったのならもう止めてとなって次のコミケに出せるはずもないし、そのコミケで大評判になったことが咎められたとしたなら、次のコミティアに出てまた人気を呼べるはずもない。だいたいがコミケに出ることなんて数カ月も前に分かっていることで、そこで何かやるのが問題だったら誰か止めているだろう。むしろ同人としての二次創作だとコミケは乗り切れても、それなら一次創作しか認めていないコミティアにどうして出られるのって方が問題。そこはだから制作チーム側にも功労を受けて一定の権利を認め、活動させていると見てとれる。

 それもまた正常性バイアスかもしれないけれど、諸々動いていたのをどれも問題視していたと見るよりはまだ、納得性を持った解釈のような気がする。だからやっぱり8月まではそれなりに歓待されていたものが、9月に入って一気に興ざめとなって排除される事態となったと見る方がなんか良さそう。そこまで事態を急転直下させられるのはいったいどういう事情なんだと考えていくとそこには守られるべき何かって物が伺える。

 それを守ればヒット確実のアニメーション版から中心的な人間を排除しても、収支とんとんで治められるかあるいはIPひとつ潰しても、別のIPを守れるといった判断が働いた、と。そのあたりもまた陰謀論めいてくるし、本当にそこまでのことなのか分からないけれど、大人だったら権利や収益を巡っての喧嘩なら話しあいで解決できるものが、できないというならそれは子供の喧嘩なんだと見るしかない。話し合いでも説得でも解決できないそのこじれを、解きほぐせるのは親の拳骨ぐらい? そんなものがあるのかなあ。あって欲しいなあ。

 そんな状況への話題も出るかと思ったヤマカンさんこと山本寛監督によるアニメーション作品「薄暮」のクラウドファンディング支援者に向けたイベントでは、具体名を挙げての糾弾というよりもそうした事態が起こり得てしまう大状況への懸念といったものがヤマカンさんから語られた。作り手側の問題というよりは、受け手の側としてどこまで自分たちが求めるものを実現させるために動けるか、って話でもあってだからこそクラウドファンディングによってある程度、どこからのプレッシャーも受けずあっても支援者の存在を示して跳ね返せるような仕組みを、作っていく必要があるのかもしれない。そんな未来への階段と「薄暮」はなり得るか。なり得るべきだと思ったから支援し続ける。それだけだ。

 渋谷の丸井にオープンしているポップアップストアで「RWBY」のイニシアルプレートを買ったらRWBYじゃなくてRWWYになった。サーチでだいたいの形をかんじとれるんだけれどBとWは全体に四角くなっているんで判別が難しかったという。でもBは今度はRとの区別が大変そうで、次に買うときもそこで引っかかりそう。コンプリートはできるのか。そして秋葉原のとらのあなで「RWBY VOLUME1−3」のBlu−rayを購入。劇場で公開された日本語吹替版を1作目から3作目まで収録したもので、それぞれについては劇場限定版もその後の一般販売版も買ってあるんだけれど、これには公開時に出産でピュラ・ニコスの声をあてられなかった豊口めぐみさんが、特別にVOLUME3でもピュラを演じたバージョンが収録されているから買わない訳にはいかないのだった。そういう風に出来ている。


【9月29日】 特に新しい燃料投下はなかったけれど、動きとしてはテレビ東京の社長が定例会見で「けものフレンズ」の一連の騒動について触れて「何とか将来、すでに発表されているような第2弾ができるよう、いろんな形で模索していければ。テレビ東京も制作委員会の一員としてそれが実現できるよう」と言ったとか。公式の見解としては製作委員会に名を連ねている関係もあってそれ以上は言えないというのが体面。ただ、そういう事情にわざわざ触れるということは、製作委員会としての立場を超えて何か言いたいことがあるか、言える何かがあるってことだとも受け止められる。だからこそ「すでに発表されているような第2弾」と言ってたつき監督による続編への期待を見せたのかも。そういうニュアンスかどうかは正確なところは分からないけれど。社長にこうまで言わせて権利元、まだ守り続けるのかなあ。

 あとは週刊文春が参戦をして10月7日にネット放送か何かで今回のあれやこれやを取り上げるとか。10日も先の報道だなんてこのスピーディに物事が進む時代にあり得ないとは思うけれど、そこまで事態に打開がみられないまま文春の取材力でもって“真相”が暴かれた時にダメージを食らうのが誰なのか、って考えたらここはやぱり早急に丸く収めた方が良いかも知れない。ネットのゴシップサイトでは信用できなくても文春となるとやっぱり裏は取れていると見做されるだろうから。それがゴシップサイトと同じ内容だったら世界はどうなる? 誰1人として生き残れないままひとつのコンテンツが吹っ飛ぶ。それどころかもう1枚の看板だって吹っ飛びかねないなあ。くわばらくわばら。

 今はその人はそんなことはないという意見が大勢で、アニメーション監督とかキャラクターデザイナーとかが怒り心頭で見方をしていたりする。そして4月頭に「ばすてき」を作った時に支持めいたことをしたとか、ガイドブックでアニメの監督と原作者が和気藹々と対談しているとか、そんな昔の話を持ち出してほらやっぱり仲が良いんだといった理解になって、だから会社が良からぬことをしでかしたんだといった陰謀RONが渦巻いているけれど、辿るとJRAとのコラボを紹介はしていてっも、その後にアニメ関係で監督との仲をうかがわせるようなツイートを原作者はしていない。そこがどうにも気にかかる。

 アニメが再放送された時も、動物たちが主役であることを妙に強調していて、監督の功績とかについては言及を避けていた。「あにさま」でのマナー映像もどん兵衛とのコラボ映像もまるで関心の埒外で、ブシロードのゲームのイラストを出して新しい「けものフレンズ」を作っているとわざわざ言ってたりするあたりに、何かあったんだろうかといった想像も浮かぶ。3月4月とかいった昔ではなく、この1週間くらいで急に暗雲が立ちこめいきなりハシゴが外された感じだったのかもしれない。だからプロデューサーは予定をキャンセルしてつづきみに「ラブ米」2期の宣伝に来られなくなり、監督もこれは何だとツイートに及んだと。果たして真相は。文春を待ちたくはないなあ。

 凄いテレビ局。バラエティ番組で30年くらい前に繰り広げられていたコントが実は差別的なニュアンスを含んでいて、当時は笑って許してちょんまげ的な、いやそれすらもなく笑って当然といったスタンスで放送していたものが、今は明確に差別的で侮蔑的であると認定される時代。それが分かっていてけれども放送されてしまい、抗議が嵐と届いている状況に社長の人が「時代が違っていて、不快な面をお持ちになった方がいたことは大変遺憾なこと。謝罪をしないといけない」と明確に問題意識を示して対応を打ち出している。ところが広報は「差別の意図はありませんでした」「不快な思いをされた方がいらっしゃることについては、真摯に受け止め」るといった具合に、そこに問題が存在していたといった認識すら見せていない。本当に分からないのか、分かっているうけど分かっていないふりをしているのか。分かっているなら止めるだろうからやっぱり分かってなかったし、今も分かってないのかもしれない。そんな現場に任せておけないと年末の終了もあったりするかも。対応に注目。

 全日本模型ホビーショーが始まったんで東京ビッグサイトへ。いつもどーりに西館(にし・やかた)での開催かと思ったら東館(ひがし・やかた)も奥の奥にある7ホールと8ホールを使っての開催で、ちょっと広くなった気がする会場にプラモデル会社とラジコン会社がブースを並べていろいろとアイテムを競っていた。やっぱり気になる「けものフレンズ」はマックスファクトリーがテレビシリーズのキャラクターの雰囲気を再現したフィギュアを出すみたい。サーバルとかばんで「さばんなセット」、ペンギンアイドルユニットのPPPの5人が揃っているのは「ぺぱぷセット」で分かるけれど、アライグマとフェネックのセットが「ばすてきセット」というのはその「ばすてき」の位置づけに悩ましいところがあると取り沙汰されている状況で大丈夫なのかといった憶測も浮かぶ。とはいえ出しているということは「ばすてき」も含めオーソライズされたものだといった認識も浮かぶんで、そのあたりは今回の問題に絡まないといった理解もできそう。だったら真実は……って文春に暴かれる前に自分から言った方が良いと思うよ。

 全日本模型ホビーショーにはあの小松左京さんや平井和正さんの文庫本とかの表紙絵を描いてSFアートの僕の中でのトップクラスに位置する生ョ範義さんが描いたミリタリー・アートの作品が展示されていて、行くとあんまり観たことがない軍艦だとかを真横からモノトーンで描いた絵がいっぱい並んでいた。油彩画のようにリアルでシリアスな、それこそ物語が浮かんできそうな情動を刺激する作品とはまるで違って静謐で質素な作品。それを2面図のサイズ感なんかを参照にして描いたというのが艦艇画のシリーズ。奥行きを持っていて立体感すら感じさせるその画力は、そのまま当時の艦艇を現代に蘇らせている。そこを水兵さんたちが歩いていそうな印象すら覚える艦艇画は今回3日間の展示であとは来年1月からの生ョ範義展には出ないそう。それだけに日本海軍の艦艇のファンは見て行くべきだろー。あとは「この世界の片隅に」なんかで戦艦の必死な戦いを目の当たりにした人も是非。

 舞台「クジラの子らは砂上に歌う」のDVD上映会を観てサミを襲った悲しい運命に涙ぐみ、生で聞いた「スナモドリ」が素晴らしかったとまた涙ぐむ。2016年4月に舞台が行われて初日の初演と最終日の千秋楽公演を観たときも泣いたけれど、筋立てが分かっていながらやっぱり泣いてしまうところに物語が持つ共感させる強さだとか、それを舞台上に現出させた演出家の力量が見て取れる。それだけの舞台が当初はやっぱり原作の知名度もあってあまりお客さんがはいらず、キャストたちはどうなるんだろうと不安に思ったそうだけれど、口コミが評判を呼んで千秋楽は満員の中を熱い舞台が繰り広げられた。そんな“奇跡”を目の当たりにして体感もしたチャクロに演じた赤澤燈さん、リコス役の前嶋亜美さん、そしてスオウ役の崎山つばささんの3人は、DVD上映会でありながらも駆けつけたファンに嬉しかった様子。ここまで来たんだといった気持も強かっただろう。そんな思いをさらに膨らませてあげる意味でも来年1月の舞台は全席真完売の勢いを見せつけよう。ギンシュねえさんは相変わらず活発で明快で良いなあ。


【9月28日】 新海誠監督の「君の名は。」がハリウッドで実写化というニュースが飛びこんできて浮かんだ光景。サウスダコタに暮らすネイティブアメリカンのスー族の少女が目覚めるとそこはオクラホマに駐屯する第7騎兵連隊の中で、自分は隊員の男のひとりとして馬で駆け回っている。そしてサウスダコタで目覚めた騎兵連隊の男は自分がネイティブアメリカンの巫女として儀式に参加している。そんな繰り返しが続いた中で2人は自分が入れ替わっていると気づくが、やがて連絡が途絶えてそして騎兵連隊の男はしばらく前に起こったウーンデッド・ニーの大虐殺を知る。主演はケビン・コスナー。そんな「君の名は。」があったらだいたい「ダンス・ウィズ・ウルヴズ」と思われてしまうんだろうなあ。

 ともあれアメリカでの実写化だから避けて通れないだろう人種の部分でマイノリティを噛ませつつ格差なんかもいれつつそこに社会性とか盛り込んで入れ替わりの果てにそれぞれの暮らす環境を知りそして起こってしまった悲劇、隕石の落下かハリケーンの襲来か分からないけれどもそうした悲劇の中を乗り越え立ち上がったひとりの少女が救われるストーリーになるんだろう。ならないかもしれないけれど。というか、ああいった入れ替わり物って日本だと「転校生」の頃から馴染みがあるんだけれどアメリカで果たして受け入れられるんだろうか。あとはやっぱり都会と田舎の設定で、ニューヨークなりシカゴなり羅府を片方とするならもう片方はサウスダコタかオレゴンかケンタッキーか。アラスカってことはないよなあ。まあ良い、あのJ・J・エイブラムスがプロデュースするなら妙でも愉快な作品いなることだろう。すでにあるアニメーション映画の価値が揺らぐ訳でもないんで目一杯、楽しいものにして下さいな。

 衆議院が解散されて総選挙へと突入したけれども北朝鮮からのミサイル怖い騒動で盤石の人気を得ていたはずの安倍晋三総裁率いる自民党が、小池百合子東京都知事が新たに立ちあげた希望の党の攻勢によって一気に苦境へと追いやられた感じ。準備不足で資金も足りず候補者だって集められないだろうとでも思っていたんだろうけれど、ウルトラE的に民進党が解党気味で候補者を立てず希望の党の公認なり支持なりをもらって立てといった感じになって実質的に連合というか吸収されての選挙戦を戦うことにしたみたい。

 そのため候補者は全国的に揃えられ、資金面だって解党でも分裂でもない中である程度は提供していって自民党を相手に戦える。一方で共産党との共闘とまではいかないまでも忖度を阿吽の呼吸があって自民党相手に戦えそうなところも。さらには小沢一郎さん率いる自由党まで乗って野合なのか野党連合なのか分からない状況が生まれて自民党を包囲する。幹事長に据えてイメージを向上させようとした山尾志緒理さんを不倫騒動ではじき出し、前原誠司代表へもハニートラップ疑惑をぶつけて排除し民進党の人気を地に落として自民党の盤石を演出しようとしていたにも関わらず、小池新党の登場によって一気にバランスが変わってしまった。

 ここからさらにスキャンダルでもぶつけようとしたところで、選挙が近づく中でのそうした暴露合戦はお互いのためにならないし、実質的な選挙妨害にもないかねあいんで大きくは出られない。だったら政策でとなるけれども増税を言わざるを得ない自民党に対して延期を言える新党であり、原発にも慎重な姿勢を言い抜けられることもあって自民党には手強そう。憲法改正は公明党を傍らにおいてなかなか自民党も加憲くらいしか言えないなかで、明確ではなくても仄めかして戦える小池新党。それがアレルギーを呼ばないくらいに世の中の雰囲気は傾いてしまっている。

 だったらと前々からの支持者だった高齢者を呼び込もうにも若い人を育てると言ってしまった手前、手厚くはできないし若者は若者で流されやすいから小池新党へと行ってしまいそう。はたしてどこまで議席を維持できるのか。蓋を開けたら東京都議会員選挙のようなことになるのか。可能性はないでもない。でもやっぱりそうやって台頭した小池新党が、自民党の安倍政権より右っぽいところが悩ましい。対抗すべきがちょい左ではなくより右だなんて。それでも差異は差異だと乗ってしまうのが今の人達。結果どうなる? あんまり嬉しくないけれど、とりあえず自民党の安倍政権べったりだった新聞あたりが共に沈没していく可能性なんかを想像しよう。

 ハン・ソロを賞金稼ぎに奪われ、ルーク・スカイゥオーカーがダース・ヴェイダーに衝撃的な言葉を告げられ、混沌の中にエンディングを迎え、先への不安と期待がないまぜになった気分で続きを待つことになった「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」になぞらえて、「RWBY VOLUME3 日本語吹替版」を語っていた。ビーコンアカデミーがグリムとホワイトファングニに襲われ壊滅的な打撃を受け、シンダー・フォールによってピュラ・ニコスに悲劇が訪れそしてルビー・ローズの灰色の瞳が発動をして迎えたエンディングで、ワイス・シュニーは屋敷へと戻りブレイク・ベラドンナは姿を消し、そしてヤン・シャオロンは腕を失って呆然とした気持の中にあった。そこから想像できる未来は、絶望からの快復であり別れてしまった仲間たちとの再会であり仇敵へのリベンジであり、そして明るくて希望に満ちた未来の奪還だった。

 違っていた。「RWBY VOLUME4 日本語吹替版」に描かれるルビーたちの姿は「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」のようには丸く収まらず、英雄たちの帰還とは行かないまま、混沌を引きずって誰もが思い悩み、考えあぐねてその場から身動きできずにいる。まずワイス。シュニー・ダスト・カンパニーを率いる父にミストラルへと連れ帰られ、屋敷から外に出ることを許されない状況で、周囲がビーコンアカデミーのあるヴェイル陥落を不備のせいにして真実に目を向けないことに憤っている。そしてブレイク。ホワイトファングの中心的メンバーだった過去もあって常に身を危険にさらしていることもあり、ヴェイル陥落後は仲間たちから離れて故郷のメナジェリーへと向かい父母の下、ついてきたサン・ウーコンとともに停滞の日々を送っている。

 そんなブレイクがビーコン襲撃事件の際にアダム・トーラスと出会い、戦っている場面に割って入ったところで腕を切り落とされたヤンはアイアンウッド将軍の計らいもあってか、精巧な義手を送られながらもそれを身に着ける気にならず、変わってしまって戻れない自分を卑下して沈んでいる。ひとりルビーだけがミストラルを目指し、チームJNPRの中からピュラ・ニコスを除いたジョーン・アーク、ローラ・ヴァルキリー、ライ・レンとともに急増のチームRNJRを結成して街道を行き、村を襲うグリムを退治しながら進んでいる。落ち込まず逃げもしないでやれることをやろうとする、その前向きさはさすがヒロインといったところ。それでも自分が放った不思議な力を狙う存在が現れ、いったい何があるのかを戸惑っていたりもする。

 ハンターになる夢を抱き高い可能性も持ってアカデミーへと入学し、仲間たちと出会い語らい戦いもして実戦もこなしていくなかで、いつしか芽生えていたかもしれない無敵の感情があっけなく取り崩され、ただの学生に過ぎなかった現実を突きつけられるのは、この社会ではよくあること。幼くして大人を翻弄する天才などそういるものではない。それでも安穏とした日々ではない苛酷な体験が学生であってもティーンに過ぎなくても、ルビーやワイスやブレイクやヤンに強さを与え使命感を与えていた。一時の挫折に身を縮こまらせていたとしても、いつまでもそんな弱者に甘んじているような少女たちではない。そう感じることで展開の中、ワイスやブレイクやヤンが留まっている場所から踏み出すことへの期待を抱きたくなるだろう。果たして彼女たちは動くのか? 見守って欲しい。

 チームRWBYだけではなく、ジョーンやローラやライらチームJNPRにとっても挫折からの快復の道程となっている。淡々としているライやいつも賑やかなローラが過去にどんな経験をしていたのかが描かれる「RWBY VOLUME4 日本語吹替版」。その怒りにも似た戦いぶりが見られるクライマックスはこの回における最大の見せ場かもしれない。今までにない凶悪な風貌をしたグリムはライとローラの過去にも関わる存在。血気も走るけれどそこをジョーンが抑えルビーが引っ張るようにしてチームワークを取り戻し、スピーディーにしてパワフルな戦いを繰り広げる。「RWBY VOLUME1 日本語吹替版」にも登場した、試験の中で巨大な空飛ぶグリムをチームワークで倒した場面にも並ぶ集団戦の迫力を楽しみたい。

 ローマン・トーチウィックの退場とニオポリタンの行方不明で当面の敵も消えたかと思いきや、より強大な敵の登場によってルビーたちの戦いは苛烈さを極めそう。四季の女神を同化させていたとはいえ、あのピュラを追い込んだシンダーを同格かそれ以下と見做すような人物たちがセイラムの配下として登場し、中にはルビーたちの前に現れ手練れのハンターだったクロウ・ブランウェンと互角に見える戦いを繰り広げる者も現れる。他の2人もいったいどれだけ強いのか。いずれ激突するだろう時が楽しみだ。ちなみに日本語吹替版ということで、セイラムの下にいる者にも声がついた。ドクター・ワッツは大川透で巨漢のヘイゼル・レナートは大塚明夫、クロウたちの前に現れた凶暴そうなティリアン・キャロウズは塩屋翼といずれもベテラン揃い。聞かずとも浮かぶ声がピタリとはまるキャラクターたちで、最初からこの声で作られたのではないかとすら思えて来る。

 そんな癖の多そうな奴らがルビーたちの前に現れ、死んだはずのオズピンと何か関わりを持っていそうな少年オスカーの横を通り過ぎていった先、どれだけの混乱が起こり戦端が開かれるのか。気になる続きは未だ見えずこれからの配信となりそうだが、誰もが懊悩を経て自分を取り戻し、旅路へと足を踏み出したからには再結集を果たしてチームRWBYとして戦ってくれると思いたい。その傍らにはチームJNPRも……といけるかどうか。そんな奇跡は起こるのか。何より物語は「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」のように前向きなエンディングを迎えられるのか。そうあって欲しいと願いつつ、まだまだ少女たちの戦いを見えて欲しいとも思いつつエンドロールを眺める。「RWBY VOLUME4 日本語吹替版」はそんな映画だ。

 たつき監督によるアニメーション版「けものフレンズ」からの排除を記したツイートが巻き起こした騒動は、公式の見解としてたつき監督が所属するチームへの非難ともとれる文言が提示されたけれど、その言葉を信じるには具体的な問題が不明でただ雰囲気だけを作って非難の矛先をそちらに向けたいだけといった雰囲気が漂う。そうこうしているうちに噂話かある程度の確証を得てのものなのか、原案を手掛けていた吉崎観音さんこそが問題の震源地だといったニュースも流れ始めて、そんなことはない、ずっと一緒にやって来たじゃないかといった反論も起きている。

 もっとも、振り返ってみればJRAとのコラボを紹介して以降、原作者がアニメと同様のテイストを持ったコンテンツを紹介したり称賛している風はない。「あにさま」も「どん兵衛」もスルー。そこに何か事情でもあるんだろうかといった思惑が浮かぶ。なるほどオフィシャルとしてオーソライズした見解において非難されているものがあるなら、その反対側にオフィシャルととして守ろうとしているもの、守らざるを得ないものがある。そう考えるとひとつの構図が見えてくるけれど、そんなことってあり得るのかなあ。でも契約の問題だったら大人の喧嘩であっても解決できない喧嘩ではない。大して感情が先走った子供の喧嘩を大人が諫めるのは難しい。こうなると行く末ははなはだ暗いんだけれど、そこはふと我に返ってしでかしたことの大変さを感じ取って円満な方向へと物事を進めて欲しいと強く願おう。車の両輪にしてツインエンジンの2人に不和などあってはいけないのだから。


【9月27日】 夜中のうちに公式からコメントが出ていたみたいで「けものフレンズ」のアニメーション第2期からたつき監督が降りた件は製作委員会側の説明によるなら第1期のアニメーションを制作していたヤオヨロズが製作委員会側の許諾なんかを経ないでいろいろと企画を回してそれを咎められ、止めてと言ったのに止めないし認められないなら降りると言ったので降りてもらったということいになっている。だからその勝手に回した企画って何だろうというのが今後の争点になりそうだけれど、少なくともドワンゴ系のMAGES.が作ってもらった「あにさま」ではないだろうし、日清食品のどん兵衛とのコラボでもないだろう。そういうのってちゃんと許諾得ないと作れない訳だし。

 だったら「けものフレンズ」第2期に出られるかもって声優さんをスカウトしたようなこと? それだって別にアニメーション制作会社の独断で決められるようなものではないだろうから違うような気もしないでもない。グッズを作って売っている感じもないしそもそもがアニメーションの絵を使ったようなグッズがない。それが欲しい人もいそうだけれどそうはなっていないところに、ヤオヨロズの立ち位置ってのが製作委員会の逆鱗に触れるようなものだったか、ちょっと疑ってみたくなる。まあでも向こうがそう言うならそれは違うと言わないと、ヤオヨロズという会社の立つ瀬だって無くなるだろうから反論も公式非公式でいろいろと出てくるだろう。

 というか、直近で評判になっているコラボレーションのアニメーションを作ってもらっていて、それに泥を塗られた格好の日清食品が怒り出さないかって方が気になる。続編を作らせないと分かっている制作会社にコラボアニメーションを頼んでいて、黙って納品させてそれを公開した途端にこれと同じテイストのものは次からは作られませんよと来られたら、なんだそりゃって話しになるだろう。そういうワルイコトをしている会社に頼んだのかよお前らって話しにもなりそう。そして問い詰められて違います違いますとなった時にいったい誰がやり玉に挙げられるのか、どこに矛先が向かうのか、ってあたりも含めてまだまだ一波乱ありそう。そのあたりを遠目で見つつ僕は「けものフレンズLIVE」の劇場上映チケット確保に頑張ろう。TOHOシネマズ上野で見たいなあ、動物園の総本山な訳だあし。

 パンチラだパンチラだ、ジェーンのパンチラが見られるってんで録画してあったのを再生してじっくり見入った「BLACK LAGOON」の第17話だけれどあれれ、最初にランサップインでジェーンが襲撃者たちのショットガンに気付いて様子を見ようとしてドアを開けに走るシーンでスカートがひるがえって見えるパンツの形とか手の動きとかが、うまく逃げ出したものの船がおらず足止めされているラグーン商会の船着き場にある事務所でやっぱりジェーンがソーヤーのチェーンソーから逃げようとして階下に続くドアを開けにはするシーンで見えるパンツの形、手の動きと一緒のように見えたというか。いやまさか精緻な絵で鳴る片渕須直監督がパンチラをバンクだなんて思わないけれども、テレビシリーズでもあるし何より目に優しいんで何度も使って見たといった、そんな理解も成り立つのかなどうなのかな。皺の形もいっしょだもんなあ。もうひとつ、疑問があるのはシェンホアが履いているかといったところ。どうなんだろう? 見たいけど見ようとしたらククリナイフで首飛ばされるんで自重。

 もはや政治は腐っているうどころか壊れているどころか存在すらしていないかもしれない悲惨な状況に陥っている感じ。大義もないままの解散で立ち向かうといった国難が実は自分自身のことだと世間には思われている安倍総理のポン酢ぶりもなかなかだけれど、対抗軸となるべき野党の筆頭で先だって党首になったばかりの人間が、自分は次の総選挙に無所属で出るかもしれないといったことを伝えたかどうかでニュースになっている。当人は否定したようだけれど、一般紙が書いている以上はどこかに根なり歯はあった話で、それが通ってしまったら先の代表戦は何だったんだ、それに出て勝って党首になったのに党を守り維持するどころか真っ先に抜けていこうとはどういう了見だ、って意見もあちらこちらか出ていた様子。そりゃそうだよなあ。ここでいくら大義として自民党政権を倒すための振る舞いだといったところで、自身の足場すら裏切ってしまえる人間を自民党からの政権交代でトップに誰も置きたくない。そんな可能性を考えれば戯れ言なんて言えないはずなの言ってしまえるところがもう、終わりに着てしまっている党の党首ってことなのかも。どうなるかねえ。

 クールごとに放送が始まるアニメーションの予告編とかプロモーション映像とかを一気に見る「つづきみ」があったんで見物に行く。映画も含めて50本以上の紹介があったけれどもやっぱり気になるのは「クジラの子らは砂上に歌う」かなあ、梅田阿比さんの漫画を原作にしているけれど、その雰囲気をくみ取りつつ整えられた線でもって可愛いキャラクターから格好いいキャラクターまでが漫画のテイストを受け継ぎつつアニメ化されていて、漫画を観るといった印象すら受ける。バトルシーンとかもきっと迫力あって切ないものになるんだろうなあ。1クールだとしたらやっぱり帝国を退けるまでになるのかな、それはミュージカル版も一緒か。漫画の方はちょっと状況が複雑化していて泥クジラがちょっと忘れ去られているんで、そのあたりが一気に進んでくれる可能性に期待しつつ漫画の世界が色つきで映像になったアニメ版「クジラの子らは砂上に歌う」を頑張って観ていこう。

 これもやっぱり漫画が原作となった「宝石の国」は市川春子さんの描く繊細極まりないタッチを活かしつつも明るさと柔らかさを醸し出してアニメーションとして見て楽しいものに仕上がっていく感じ。キャラクターの作画はどれも完璧極まりなくって、線の細いキャラクターたちをしっかり動かし、そして途中で何かにぶつかって壊れてしまう展開も入れて漫画版好きの人をアニメへと誘導している。声はやっぱり女性声優が担当しているみたい。元より性別とか分かりづらいというかそもそも存在してるのか分からないキャラクターだけれど、どっちへ傾けるかで印象もぐるりと変わってくる。繊細系の男性声優で揃えても出来たかなって思わないでもないけれど、見た目がああなんでやっぱり女性メインで男性よりも混ぜた感じにしたのかな。いずれにしても楽しみな漫画原作の2本。

 ほかでは西尾維新さん原作の「十二大戦」がいつものシャフト的な絵柄から大きく離れて猥雑でスリリングなイメージになっていて、そして何より緻密でこれは話題になりそう。基本、殺し合いなんでストーリーも凄惨なものになりそうだけれどそれなら上に「王様ゲーム」があるんでバトルロイヤルの競演となって僕たちの心をささくれ立たせそう。あとオリジナルでは「つーかー」か。何だそれはコミュニケーションのドラマ化と思ったら「TWO」で「CAR」な話。つまりはレーシングサイドカーに乗る少女達の物語で車高が低くほとんど板みたいになったサイドからパッセンジャーと呼ばれる方が体を倒しあるいはバイクの方を乗り越えてバランスをとりながら走って行く。ピチピチのレーシングスーツを着て体を大きく動かし伸ばしたりするからボディラインもしっかりと見えるけど、そうした眼福よりもやっぱりあまり知らない世界を描いてくれるストーリーに関心。これで世間にニーラーブームが来るのかな?


【9月26日】 午後1時からの発表といってもそれに参加するにはパスが必要で、申請してあるそのパスの配布が午前11時から始まるのならまずはパスを受け取って、午後1時からの発表への受付が始まる正午まで待つことになるんだろうと予測して、午前10時50分くらいにパスを配布するカウンターに着いたら2番だった。そして10分くらい待ってパスを受け取り今度は正午から始まる発表会そのものの受付まで時間を過ごしてそして1時間ちょっとが経って始まった受付を2番で抜けて発表会場に入って最前列にいるオフィシャルの横の席をとって任務完了。

 ではなくそこから更に1時間を過ごしてから始まった第30回東京国際映画祭のラインアップ発表会では「鋼の錬金術師」がオープニングに決まっただとかいった話はすっ飛ばし、最後の方で行われたアニメーション企画の発表をしっかりと聞く。初年度が庵野秀明監督で2年が「機動戦士ガンダム」で、そして去年が細田守監督だった特集上映に今年は原恵一監督が登場するってんでこれは行かなきゃと思いつつ、発表会では原恵一監督も交え氷川竜介さんも脇に立って解説を入れつつ何がどう凄いのか、そして何が上映されるのかって話を聞く。

 結果、「エスパー魔美 星空のダンシングドール」とか「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」とか「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」だとか「河童のクゥと夏休み」とか「カラフル」とか「百日紅〜Miss HOKUSAI」といった、誰でも知っている原恵一監督作品が上映されることになって、あと実写映画「はじまりのみち」とそして「エスパー魔美」のテレビシリーズからオリジナル脚本の2本が上映されることになったみたい。いつもの、って言ってしまえばそれまでだけれど、いずれもが受賞歴があってそして巧みで面白い作品なら見て損はない。「星空のダンシングドール」とかもうあんまり上映もされなくなっているし。

 いつもの感が出てしまうのは「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」からこっち、作っていないからで理由は不明だけれどきっといろいろと仕込んでいるんだろう。ちょうど着ていたシャツが新作に関連するものだって話もあったんで、遠からず何か出てきては過去作品の序列をひっくり返すかおしれない。本当にどんなテーマになるんだろう。せめてタイトルだけでも教えてくれれば良いのに。それはそれとして見たい作品はうーん、家で見るには覚悟のいる「カラフル」かなあ、あとは原恵一監督が自分の監督人生のターニングポイントとなった「オトナ帝国の逆襲」か。塔での回転しながらの駆け上がりシーンは記録に残る名シーンだし。だから映画祭の大きな画面で見たいなあ。

 なんかいろいろと湧いてくる。ヤオヨロズが「けものフレンズ」を乗っ取って自分たちの系列事務所おで声優を固めるとかどうとかいった話だけれど、だったらどうしてそもそものたつき監督排除なんて話になっているんだ? 乗っ取れてないじゃないか? そんな疑問もひとつあるし、かばんちゃんが事務所違うから排除されていいるとかって話もだったらこの前の「けものフレンズLIVE」にかばんちゃんが出ていたのは何なんだ? って話しになる。直後のミュージックステーションのフェスにも出ていたし。

 つまりは声を担当している内田彩さんがすでに有名声優で人気者で忙しいから「けものフレンズ」という作品のためにちょっと動員しづらかったってことで、ここまでヒットしてくるとやっぱり出したいと思う人も増えて来て、スケジュールを抑えられるようになったってだけのことなじゃないかなあ。そうした事情を勘案せずに陰謀論だけ繰り出しどこかに黒幕めいた存在がいるような印象を振りまいている。その方がアクセスだって稼げるだろう。でも現実、状況は混沌として理由は判然としていない。いい加減に狼少年を止めないと平時でも疑われるだけになってしまうと思うのだった。脚本家の後退だって、完全排除された訳じゃなく、再放送された時も前半は名前、残されてもんなあ。信じたがる気持はどうすれば諫められるんだろう。

 熱心な読者だったのは豪屋大介さんの方で、「A君(17)の戦争」とか冴えない少年が異世界で意外な才能を発揮して無双するという今まさに主流となっているジャンルの先駆けとも言える作品だし、時に残酷にもなったりエロティックにもなったりする部分は今ですら先鋭的と思われてもおかしくない。そして「デビル17」にいたっては全編がこれセックス&バイオレンスといった雰囲気で、むしろ今なら過激過ぎて出せないかもと言われてしまうくらいぶっとんでいた。そんなシリーズがふわっと出てそして続かなくなっていることが、残念でならないんだけれどもはや続きを求めたって出るはずもないのは分かっている。作者かもしれないと思われていた方が亡くなられたから。

 そんな佐藤大輔さんをしのぶ会が開かれて、なぜか案内状が届いたのでこれはやっぱり見ておきたいとのぞいていろいろな方の挨拶からどういう方だったのかを感じ取る。豪快だったんだなあ。そして多作。原稿がなかなかとれないとか続きがなかなか出ないといった噂話ばかりが漂うけれども並ぶ著作の数は半端がないし、ジャンルだってグングンと広がっている。そしてそれ以前のゲーム作者としての顔もあってそんな多才が熱狂的なファンを得つつもメインストリームとは少し外れたところを歩み続けたのは、やっぱり書かれるものがいつもぶっ飛んでいたからなのかもしれない。あるいは設定画緻密すぎて理解させるのになんだかいも踏まなくてはいけない感じがあったとか。

 そういうところも含めて確認していくことがこれから出来るのも、あまり熱心な読者ではなかった人間の“特権”か。問題はそうした作品の多くがノベルズだったりして書店では見つけづらいことかなあ。古本屋さんならきっと出回っているから集めて行くか。とりあえず「征都」の愛蔵版が手に入ったのでまずはこれから。あとは「学園黙示録 HIGH SHOOL OF THE DEAD」のブルーレイボックスも手に入ったんでこれも見よう。放送中も何とはなしに眺めていたけど、どんな話しだったかあんまり覚えていないのだった。原作漫画も読んでみたいけれどこれも佐藤大輔さんの死去によって続きが出ないというから残念というか、クリエイターの訃報はファンにいろいろな悔しさを残すのでやっぱり長生きして欲しいものである。あらためて黙祷。


【9月25日】 「香香」と書いてシャンシャンと読むそうで、そういえば「夜来香」と書いてイエライシャンと読むんだったと思い出したけれど、どうしてそういう名前になったかは不明。良い香りがするのかな? まあ可愛いらしい名前でそして可愛らしい見てくれをしていても、上野動物園で生まれた新しいパンダの子供はすでに体長が60センチを超えてアライグマの倍くらいには育っていて、顔に乗せたり頭に乗せたりしたら窒息するか首が折れそう。お腹の香りを確かめたくてももはや無理なサイズは、やっぱり大熊猫とあるなかで猫ではなくて熊なんだなあということを改めて思い知らされる。でも可愛く見えるのはやっぱり見てくれの良さか。そうやって生き残ってきたのかなあ、パンダって種は。

 これもやっぱりある意味で異世界転生&俺TUEEEEだったのかもしれない「ナイツ&マジック」は、死んでしまったプログラマーが異世界に転生してそこで趣味のプラモ作りをロボットに置き換え、知識と好奇心を最大限に発揮してロボットというかシルエットナイトを作ってはアップデートを繰り返し、かつてないものをどんどんと作っていってそして責めてきた敵国を相手に勝利を重ねていくといった感じで、ちょっとした挫折はあってもすぐにカバーするだろうを感じられるから安心して観ていられた。むしろ敵の方があっさり倒されすぎで、ドラマもなしに異世界からやって着た俺TUEEEEに無双されて可哀相な気もしてきた。原作だともうちょっとそのあたりへの踏み込みもあるんだろうけれど、1クールで治めるにはこの急ピッチでの成長が必要だったのかも。おかげで毎回楽しく観ていられた。第2期とかあればまた観よう。

 試写があったんで「DCスーパーヒーローズ vs 鷹の爪団」を観る。タイトルどおりにFROGMANさんが描く秘密結社鷹の爪団が、スーパーマンやらバットマンといったメンバーをジャスティスリーグとしてかかウェルDCとガッチリ組んだ長編アニメーション映画だけれど、鷹の爪団の映画なだけにやっぱりFLASHなアニメ風の絵でもって綴られていく上に、これもいつもどおりにバジェットゲージなるものが使われていて、展開があってそれが予算を喰うようだと、どんどんとゲージが下がっていって、それが映像の方にも影響を与えるところが愉快痛快。例えばナレーションに大物が起用されるとか。アニメーションがFLASHから3DCGのゴージャスなものになるとか。前々から使われている手法だけれど、それがDCとう世界的なIPをハンドリングしているこの作品で使われると、もうしっちゃかめっちゃかな画面になって笑いが出る。

 そうした芸をしっかり見せつつ総統や吉田くんたち鷹の爪団の活躍もいれつつ、バットマンの苦悩も見せつつスーパーマンとかワンダーウーマンといったジャスティスリーグの存在も示しつつ島根をディスりつつ東宝方面をイジってのけた最高にユニークな映画。あのジョーカーとあのハーレイクインにそんなことさせて大丈夫? って思わされたけれどそのシチュエーションに関しては、共に自主制作的な時代を過ごしたクリエイターたちだけに大丈夫なんじゃないかなあ、って何が起こるか分かってしまうかもしれないか。沈黙沈黙。むしろジョーカーとハーレイクインのイメージに対する挑戦の方が心配か。でもこうやって完成したってことはDC側でもオッケーしたんだろう。100分ちょいが飽きないストーリーも見事。見どころはいっぱいあるけどとりあえず、GONZOと白組の仕事は最高。ゲージも減るよそのクオリティだと。あとは劇場で。

 小池百合子東京都知事がパンダの子供の名前発表にかこつけて記者を集めた流れで国政に向けた新党「希望の党」を立ちあげると発表したことにも騒然としたし、安倍晋三総理大臣が衆議院の解散を発表してそして国難に立ち向かうとかいって自分が国難であったことを忘れたかのうような言動を振りまいたことにも騒然としたけれど、やっぱり今日の最大のサプライズにしてアングリーな案件は、「けものフレンズ」のアニメーション版を手掛けたたつき監督による自らの降板を明らかにしたツイートだろう。どこの差し金かがしっかり綴られたツイートは、当人の無念とそして内心の憤りを強く感じさせ、そんなたつき監督によるアニメ版「けものフレンズ」が大好きだった人たちの怒りと悲しみを大いに煽って、矛先を飯田橋方面へと向かわせている。これは荒れるだろうなあ。それこそIR部門がしっかりとした対応を取らざるを得なくなるくらいに。

 それにしても理由がさっぱり分からないというか、たとえ理由があったとしてもそこまでの状況へと到らせてしまったことが理解不能というか。もちろん「けものフレンズ」というIPはたつき監督のものではなくて、「ケロロ軍曹」の吉崎観音さんが作り上げたキャラクタープロジェクトが根っこにあって、それにゲームが乗りそしてアニメーションが乗ったといった感じで、たつき監督はいわば雇われのアニメ担当課長的な存在だとも言える。せめてアニメ部長くらい? でも決定権じゃではない。ただそんな部長であっても才能は抜群で、irodoriというチームとともに世界観を練りキャラクターを造形し背景なんかも描いていって、アニメ版「けものフレンズ」というひとつの確立した作品を作り上げた。そしてそのビジュアルでありストーリーであり背景であり世界観がファンを引きつけ楽しませ、今に到る大ヒットへと繋げた。

 そこにおけるたつき監督とそして伊佐佳久作画監督と白水優子美術監督によりチームirodoriの貢献は多大で、もしも同じような雰囲気を持った続編を作ろうとするなら誰ひとりとして欠いてはいけないメンバーだった訳だけれど、どういう理由からか版権を管理している会社はアニメ版の第2期からたつき監督を外す決断をした模様。それは想像するならチームirodoriも含めての降板であって、そうして作られるものがあれだけの社会現象を引き起こしたアニメ版「けものフレンズ」とは違うものになるだろうことは、間抜けでなければ容易に想像がつく。もの作りをずっとやって着た版権元なら考えるまでもなく理解していることを敢えてやったという所に、何か事情があったんだろうとは推察できる。

 問題はそうした事情が降板という最悪の結論に到るしかなかったものなのか、それとも到らなくても良かったものが誰かの面子なり思惑でそうなってしまっただけなのか、見えないだけにモヤモヤとした気分が残る。アニメ版のクリエイターとしてたつき監督の名前が取り沙汰されて、本来の作り手である吉崎観音さんの名前が下がってしまうなんてことはなかったし、それを厭う吉崎さんでもないとは思う。あるいはこだわる余りに制作面でクライアントの希望をいえられず下ろさざるを得なかったという可能性も考え付くけど、手の早いたつき監督らirodoriの面々がそんなヘマをするとも思えないからなあ。IPを勝手に転がした? そこまで子供でもないだろう。だったら何が? って考えても分からないからやっぱり胸苦しい。

 過去、例えば「紙兎ロペ」を作り上げ声まであてていた監督が外され、けれども未だに「紙兎ロペ」が作られ続けていることもあって、そこに連続性を見て取れるかどうか、いろいろと迷うところでもある。気にするほどの差異はないのか、見る人が見れば分かる差異がはっきりと浮かんでいるのか。そんな間に揺れる先達を思いつつ、きっと作られるだろう「けものフレンズ」のアニメ版第2期を、そういう名前で呼んで良いのかどうかちょっと分からず、あるいはまったく違った新しいアニメ版「けものフレンズ」となる可能性も勘案しつつ、今は事の成り行きを見守りたい。たとえ何が起こったところでたつき監督と伊佐監督、白水監督が作り上げたアニメ版「けものフレンズ」の存在は抹消される訳ではない。それは確実に存在し、そして存在し続けると思えば僕はうん、とりあえずは十分だ。あとは他のプロジェクトへと発展していく「けものフレンズ」を応援していくだけだ。


【9月24日】 1923年の9月、東京の路上で起こった惨劇の根底にあるものが、日頃からつぶやかれてきた不逞なる言葉でもって括られていた人々への猜疑心と憎悪の感情で、それは日頃から接していて何の不穏も感じていなかったはずの人たちもまとめて覆って猜疑と憎悪の感情を向けさせ、その命を奪う非道を誘った。はじめは突出した一部を指しての言葉だったのかもしれないけれど、特定の勢力を結びつけて頻繁に語ることによってその勢力全体をも不逞という言葉が包み込む結果を招いてしまった。

 そんな過去を振り返るなら特定の勢力のごくごく一部のそれも未だ存在すらしていない因子を指す不穏な言葉を敢えて持ち出し繋げて語ることによって、勢力全体への不信を惹起し憎悪を喚起して何か事が起こった場合に一部ではなく全体を、そうした不穏な存在として感じさせるようになっていく。そして何が起こるかというと1923年の9月に東京で、あるいは千葉で神奈川で起こった惨劇の再来で、そうはならないように為政者たるもの慎重に言葉を選ぶべきなのに、時の副総理は刺激ある言葉でしか歓心を誘えないとでも思っているのだろうか、ただ受けを狙って悦に入りたいだけなのか、余りに危険な言葉を軽口で叩いて世間を騒然とさせる。

 なおかつそんな軽口をいざという時に備えに備えようとしただけの言葉だから目くじらをたてる必要はないと支持する人も大勢いる。本当にいざとう時でも是々非々で切り分けられるなら良いけれど、日頃の不逞扱いが全体へと及んで路上の惨劇を引き起こした過去を鑑みるなら、そうしたレッテル貼りは極力避けるべきだろう。そうした想像力を働かせて否定はしないまでも非難はしておくのが真っ当な思考力の持ち主なのに、ここまでじわじわと広がってきた他国を侮蔑的に見る感性は真っ当な思考を奪って猜疑心と憎悪の感情だけを肥大化させている。そこに突っ込まれた言葉の棘は遠からず、有事の際に暴発して暴走して1923年9月の再来を東京のみならず日本中に引き起こすだろう。これは予言だ、かなって欲しくない、けれどもかなってしまいそうな。

 甲子園大会の地区予選で連投の果てに怪我をした高校野球のエースが、選手を退いて野球部のマネージャーをやりながらも密かに練習して、翌年の地区予選で選手として投手として華麗なる復活を遂げてチームを甲子園に連れて行くのは感動だけれどどこかありきたりの感じも漂う。それに練習時間をみっちりとっている選手たちと違って空いた時間しか練習できないマネージャーの身分で甲子園レベルの競技について行けるはずもない。そんな現実を踏まえてもなおドリームを見せてくれる小説もあるけれど、田辺ユウさんの「嫌われエースの数奇な恋路」(電撃文庫)はただの美談でも感動のストーリーでもない展開になっていて、これが現実の高校野球なのかもと思わせる。でも決して苦くはない。

 押井数奇は今でこそ野球部のマネージャーをしているけれど、元々は野球部のピッチャーで1年生ながらも先輩に負けない球を放っていて、甲子園の予選では怪我をした先輩の代わりに投げて投げて投げ抜いていたら怪我をした。それが原因で地区予選の決勝で敗退したけれど、先輩たちにとってはよくぞまあそこまで連れて言ってくれて感謝の気持ちでいっぱいなのに、そうでない下級生にとっては自分の我が侭で投げ続けて怪我をして、甲子園行きを台無しにした戦犯扱いされてしまっている。冷静に考えればそうでないことくらい分かるはずだけれど、目の前で夢を絶たれた悔しさ、先輩達を慕う気落ちが数奇への反発へと向かい彼を選手の座から引きずり下ろす。

 というより怪我で投げられない状況でも数奇はなぜか野球部を辞めずにマネージャーとして留まる。それは彼の頑張りを知った先輩たちの思いを汲んでのものでもあるけれど、辞めずに残ってできることもあるといった判断、そしていつか復活という気持も持ってのことらしい。とはいえやっぱり先輩やら同級生には受けが悪い数奇はマネージャーとして主に1年生の面倒を見ていた、そんな中で野球部自体の活躍もあって新しくマネージャーになりたいとう女子が大勢集まった。50人ほど。それを自分が担当だからと蹴っ飛ばした数奇の言い分を聞かずにひとり留まったのが蓮尾凜という少女。野球に詳しく頭も良くて口も悪い彼女は数奇の拒絶も突破して残りマネージャーとして活動を始める。

 どうしてそこまで、といったところに数奇との関係もあるんだけれど、そうした凜の言動とは別に数奇自身を取り巻く環境、甲子園の夢を絶った人間として嫌う先輩や同級生たちがいる中で、そう言っているだけでは何の解決にもならないことを時に悪口混じりで言い放ち、時に自らプレーでもって証明してのけるところに数奇自身が野球を愛し、野球部を愛していることが伺える。だからこそ嫌ってはいてもはじき出さずに言い分は取り入れ練習に励む選手たち。同じ目的のために対立を治めて視線を合わせていく流れはいがみ合うだけの状況を突破するヒントを与えてくれる。打算とか妥協とか呼ぼうともそれが必要ならそうするしかない。感情に流されてはいけない。当たり前だけれどなかなか出来ない態度がそこにある。

 もうひとつ、いくら密かに練習をしてもそれなりの球を投げられるようになっても故障は故障で一朝一夕には治らない。そんな現実に直面しながらも数奇がやるときにはやることで部員たちを奮い立たせ、甲子園行きを促すところもまた格好いい。予選のマウンドに立ち快刀乱麻と投げて勝って完全復活、というドラマも期待はしたいけれど現実の前にどこまで最善を掴めるか、ってこともまた、重用なことなのだから。熱血とかではなく、理不尽ないじめとかに負けず理路整然と状況を束ねて前へと進むための指針を感じさせてくれる物語だ。

 殺人で無期懲役となった男がいて、殺した相手の親族から訴えられて賠償金を支払うよう求められたけれども当人は刑務所に入って服役中で支払えるものではなく、だったらと服役囚の親のところに行って文句を言うことが法律的に正しいかどうかと考えると、成人であって親からは半ば放逐されていた人間がしでかしたことを、親だからといって責任を取る義務はなくだから裁判でも親を相手に支払うような求めは提起できなかったといった感じ。それでもやっぱり殺された子を思う親の心情として、相手の親に会いに行って文句を言う気持への同条は可能だろう。

 問題は、そうした親ならではの気持を勝手に組むようにして新聞社の記者が看板背負って乗り込んでいって、服役囚の親にどうして誠意を見せないのかと詰問気味につっかけていくとで、もちろん記者当人は支払い義務があるのは服役囚であって「家族には法的な支払い義務はない」と分かっているようだけれど、それでもなお親族でもないのに誠意を見せるべきだといった考えから無関係の人間のところにって糾弾するのは、中立が尊ばれる記者としてはやはりちょっとヤバいことなんじゃなかろーか。第4の権力ともいえる新聞社の看板を掲げて迫ればそれは圧力でしかなく、それを部外者が正義感というよりそれを言えば受けるかもといった感覚をおそらくは持ち合わせて堂々とやってしまう状況を、許したら身勝手な正義の筆誅とやらが跋扈し弱者は貶められてく。だからそこはすっこんでろと退け、まとわりつくなら司法に問うのが流れとしてはマッチしていると思うけれどもさてはて。

 入間人間さんの「きっと彼女は神様なんかじゃない」(メディアワークス文庫)がSFだった。原始的な暮らしをしている人々の中の、ちょっとだけ変わり種の少女が敵対する東の部族に対抗する知恵を得るため、海にそびえる神の岩に贄として向かわされるけどそこで見たのはポッドに入った少女。開いて目覚めさせた少女はメイという名で原始的な暮らしをしている人々に驚く。そしてメイは自分は神様なんかじゃないという。では何者? そこで時折差し挟まれるメイと皐月という少女との交流。一方で目覚めた世界で襲ってくる四本足で動く東の部族。その顔を見てまたメイは驚く。知り合いか。でも人間とは違う。何者だ? そんな展開から浮かび上がってくるのは、悪化する環境を避けて地球から飛び立った船がいたこと。行く先で環境を変えるはずだったのに、それが発動したのが……。目覚めた世界と自分がいた世界との繋がりを感じ親しかった者たちの変容を見てメイは懐かしまずに今を選ぶ。そんな物語。絶望の現在を希望の未来へと替えて少女たちは生きる。


【9月23日】 遊び人の金さんが実は江戸でも最強クラスの強さだったことを考えるなら“遊び人”とはあるいは誰よりも強い職業なのかもしれないと思ったら、百瀬祐一郎さんの「オール・ジョブ・ザ・ワールド」(ファンタジア文庫)に登場するホールデンに下された【遊び人】のジョブは最底辺で強さも賢さも伴っていない上に他のジョブへのチェンジも不可とあって良い職業に就くため職業訓練校で頑張り、首席として卒業をしたホールデンは大弱り。おまけにジョブが発動してしまったところに居合わせた王女さまにキスして国王から訴えられて100億の賠償金を背負わされてしまった。もう踏んだり蹴ったりのホールデンだったけれどそんな彼に何かを見たか、街でもそれなりに知られた企業が誘ってホールデンを引き入れる。

 当人の適正に応じて託宣めいたものがあってジョブが決められそれに伴うスキルも枝有られる世界が舞台の物語。離ればなれになった妹と暮らすにはお金が必要と頑張ったのに借金まみれとなったホールデンだったけれど、就職した会社で同窓生とそしてキスをしてしまった王女さまも一緒のチームになって盗賊を倒しにいく仕事を言いつかる。女性を口説くか奇妙な踊りを踊るくらいしかスキルのないホールデンにとっては大変な仕事だけれど、その先で発動したあるスキルがホールデンの行く末に少しの光明を灯す。そして起こった大事件の中、凶悪な敵がいて驚くべき存在が現れるる中でホールデンに新たなスキルが発動してすべてを解決へと導く。やっぱり遊び人は最強だったってことで。職業があらかじめ決められてしまう世界で自分を出せる身分の素晴らしさも感じたい物語。遊び人で食える世界にならないかなあ。

 メディアの報道が嫌いで自民党というか安倍総理とその取り巻きが大好きな人たちはきっと、難民といっても頭に武装を着けた特殊な存在が相手なら射殺もやむなしだから麻生副総理の言うことに間違いは無いと擁護しそうだけれど、講演という場でもって難民の中にいるかもしれない武装したスパイ的な存在が確実に実在をしてやってくる可能性を自分の中で認識した上で、そういうのは射殺だと一足飛びに言ってしまうのはやっぱりとてつもなくヤバいだろう。難民に武装勢力が含まれているかもしれないといた猜疑心を芽生えさせ、扱いが乱暴になったり難民の受け入れを渋るようなニュアンスが醸し出されてしまう可能性があったりするから。それはもうとてつもなく博愛な心理から外れている。

 政権なり愛国者なりがヤンヤとはやす杉浦千畝さんだって、命をビザを発給し続ける中に武装をして外国に渡りナチズムを浸透させようと目論む工作員がいたかもしれないけれどもそういった分け隔てはせず、望む者にはビザを与え続けた。そういった博愛こそが日本人の美徳であり優位性であったにも関わらず、今は相手が何を言っても良い存在だといったニュアンスのもと、北朝鮮からはるばるやってくる苦労をしまくっていただろう難民の中に疑いの目を向ける。それは相手の分裂にもつながるし日本へのいらぬ不信感にもつながってくる。得策じゃないのにそう言ってしまうのは、下に見る心理があり何をしでかすか分からないという侮蔑があるからなんだろう。そういった心理を満天下に公言して恥じない心理がさっぱり訳が分からない。そんな人ばっかりになるのかなあ、この国は。

 たかはし智秋さんの胸の谷間が深かった。以上。いやそれだけじゃ無かったんだけれどでも目はもうたかはし智秋さんの胸元に釘付けになってそれから田村ゆかりさんのふわっと広がったスカートから伸びる脚にも目が向かって話も半分くらいで聞いてしまったかもいしれない「LAST SONG」のイベント。2018年から放送開始だからまだ間があるにも関わらず、しっかりと前宣伝的なイベントを開いて人気を高めておこうという戦略なんだろう。でも最初はNetflixでの配信だから多くに広めても意味があるのかどうか。テレビだけがウィンドウだった時代とは違う宣伝なりマーケティングが必要になっているのかもしれない。とはいえたかはし智秋さんの胸だけは誰もがしっかりと目に焼き付けたから、その印象を持ち帰った参加者が拡散をする効果なんかを狙っているのかもいしれない。拡散せざるを得ないよなあ、やっぱり。

 作品としては鈴木このみさんと田村ゆかりさんがそれぞれに田舎の純朴な少女と王都の閉じ込められているお姫さまを演じ、歌で異能の力を発動させることができるそうしたヒロインたちが冒険をして危険にも遭いながらだんだんと近づいていってそして出会ってダブルの能力を炸裂させそうな展開になっていそう。歌が決して平和だとか癒やしだけを発動させるものではなく、災厄だって招き寄せることがある。そんな展開の中で自分の歌が自分のものとして歌えるのか、歌わせてもらえるのか、等々気になる部分もあるんで放送されたら見たいけれどNetflixでは手が出そうにないのだった。ハイスピードのルーター買うかなあ。

 森田と純平という名前で1人だけれどユニット感を出している監督の力量については実写畑がメインでアニメーションについても脚本での関わりくらいしかなかった監督ではあっても、業界の慣習とかに流されずしっかりと段取りを踏んで作っているように感じられた。実際はどうかは分からないけれど、脚本を読む段階で役を掴んでいるかを検討しているところを見ると、真剣に作品作りに取り組んでいそう。それを声優陣も受け入れ朝早い時間の打ち合わせにもちゃんと来ていたという。眠そうな表情を1部にしながら。そうした革新性と、一方で音楽を畑亜貴さんに頼んでいく鉄板狙いの保守性が重なり合うところに生まれるアニメの世界はどんな感じか。イベントだけでは掴めなかったのでまたいつか、選考上映会でもあったら観に行こう。なくてもナローで繋いで1部だけでも見て楽しもう。

 そうか今回はチームRNJRか。そうなるのはストーリー的に当然だとはしてもやっぱりまたチームRWBYが揃った場面を見たかった気もする「RWBY VOLUME4 日本語吹替版」の公開舞台挨拶回。せめてピュラ・ニコスも入れて欲しかったけれど一方では本筋から外れ、そして実際に本編内で活躍するのがチームRNJRのメンバーだから仕方が無い。それでもやっぱりピュラ・ニコスがなぜ入っていなくてチームJNPRとなっていないのか、って憤る人もいそう。それは否定できないけれど、そうでないからこその悲壮感も出るって奴でテレビシリーズのバトルから次へと移っていったストーリーがどうなるか、それはやっぱり見てのお楽しみと行くのかな。ネットで全部見られるけれど見たら続きが見たくなるから我慢して公開を待て、舞台挨拶がなくたって「RWBY VOLUME」が深淵で意義深いエピソードであることは事実なんだから。


【9月22日】 映画を作品面からだけでなく興行面とか配給、宣伝といった部分も含めてトータルに評論できる斉藤守彦さんが虚血性心不全で亡くなられたとのこと。ずっと持病として抱えていたものが到来したのかどうなのか。いずれにしても急な訃報は斉藤さんが推したことも人気の原動力になった「この世界の片隅に」の片渕須直監督や、春にキネカ大森で「ポッピンQ」との二本立て興行が実現した際に上映された「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜」の宇田鋼之介監督らを残念からせている。キネカ大森の二本立ては斉藤さんかの提案で、これがなければ僕たちは今年になって劇場でフィルムで「虹色ほたる」を観ることはできなかっただろう。ただただ御礼。その意志を汲んで映画館は「ポッピンQ」であり「虹色ほたる」であり公開館数がグングンと減っている「あなたの声をとどけたい」なんかを上映する動きが続いて欲しい。黙祷。

 東京ゲームショウ2017では「ラブプラス」のVRとか気になるタイトルはあるけれど、そうしたメジャーのじゃないベンチャー系のVRなんかを試して歩く日々。そんなひとつのEXPVRによる「BE THE HERO」は、漫画の主人公になった気分で失踪して刀を振るい手裏剣を投げて敵を倒すといった楽しさがあるVRコンテンツ。面白いのは敵と戦う場面で格闘ゲームみたいにリアルタイムでダメージを与えたり与えられたりするんじゃなく、コントローラーを操作して抜刀して何度か振って目の前に来た赤い球を斬り、そして刀をカチンとを鞘へと戻した瞬間、斬られていた敵が四散するといった感じになっているところ。剣の達人が敵を斬って鞘に刀を戻した瞬間、ブシャッと血が吹き出てドウと倒れるような雰囲気を自分自身のこととして味わえる。

 手裏剣を投げるのも両手を頭の横に持ってきて手に手裏剣を取り、それを投げると空中に留まって散らばった感じになる。そして自分の右手を顔の前に持って来て印を斬ったようなポーズを取ると、滞空していた手裏剣が一気に動き出して敵へと飛んでいってまとめて粉砕する。そのアクションは、漫画のヒーローが異能の力を振るって敵をあっさり倒す快感って奴を自分にもたらしてくれる。もうひとつ、走るところもせかせかと手を振り速度を稼ぐのではなく、大きめにゆったりと振るとVR空間内の自分が段々と加速していく感じになっているのも面白かった。これも雰囲気を重視したVR空間の設計と言えそう。コントローラで操作するのとは違った操作方法がVRの場合は必要なんだってことを思い返させたタイトルかもしれない。

 逆に画期的とは言えないVRのプレーを組み合わせることによって、楽しいアトラクションに変えてしまうのがハシラスの「ゴールドラッシュ」っていうタイトル。囲われたフィールドの中に4人が入って、フリーロームとまではいかないもののケーブルでつながれたVRヘッドマウントディスプレイを装着して部屋の中を移動しながらボールを拾って投げてお宝を取り出していくといった内容。それ自体はありがちだし、途中でトロッコに4人で乗るとVR空間の中をジェットコースターのように移動して、着いた場所でまたお宝探しをするといった展開も、トロッコの移動ギミックに目新しいところはなく、振動と効果音と風でもって動いている感じを与えている。どれととっても今ある普通のVR技術なんだけれど、それらが組み合わさると実に迫真の体験ができるから面白い。

 VR空間で体を動かし球を拾って投げるプレーをしていると、その延長にあるトロッコでの移動も仮想空間で自分自身の肉体が行っている運動にように感じられ、没入感が増す。最初からトロッコに乗って移動の様子をVR映像とそして振動なんかで体感させ続けるようなVRアトラクションは可能だろうけれど、すべてがそれだと圧倒的すぎて没入感も引いてしまいそう。そこに日常でのVR体験を入れ込むことによって、見える世界のすべてがVR的な不思議な現象が起きる場所だと認識し、最先端ではないショボい事案でもリアルに感じてしまうといったところか。トランポリンで跳ねて進むVRとか、回る木馬のような装置とかを投入して歩いて行けるVRアトラクションを提供しているハシラスだけど、そうした流れとは違ったところに「ゴールドラッシュ」はあるのかも。面白いので試す人は長蛇の列を覚悟で並ぼう。

 知り合いから寄ってねと言われていたのでVRコーナーに出ていたトビー・テクノロジーによるアイトラッキングの技術が仕込まれたVRコンテンツを体験する。ゴーグルの中にトラッキング用の装置が仕込まれていて、それが眼球の動きを即座にとらえてコンテンツへと反映させる。例えばアバターの目が自分の目の動きと連動したりとか、遠くにあるビンを見て投げた石が真っ直ぐ飛んでいって当たったりとかいった展開は、自分自身がVR空間にいるような気にさせるし、思い通りにならない悔しさを感じさせずに百発百中の楽しさを醸し出すようになっている。飛ぶ物体を見ててトリガーを弾くと放たれたミサイルが追尾して当たる仕掛けなんかは、マクロスでバルキリーに載っているパイロットが空戦の中で飛んでくる敵機やミサイルを目で睨んで位置を入力し、そしてミサイルを放つと狙ったところへ飛んでいって撃破する感じ。VR ZONEがこの装置を取り入れ「マクロスF」とかのアクティビティを作ってくれたら嬉しいんだけれど。

 東京ゲームショウを2017を早々に退散して東京藝術大学にある美術館へ。「素心伝心」という展覧会ではクローン文化財と呼ばれるホンモノではない美術品や出土品を展示したという内容。つまりはフェイクであり贋作なんだけれど、そうした言葉ではくくれないくらいに真剣な複製が為されている。つまりは本性に迫る再現を成し遂げたものを贋作とも複製品とも呼ばずクローン文化財って呼ぶのかもしれない。そんな展覧会の展示物では「法隆寺釈迦三尊像」がちょっと迫力。確実にレプリカなんだけど見た目だけじゃないホンモノらしさが漂うのは、形に迫り色に迫り作られ方に迫って再現をしているからなんだろう。

 それもある側面ではフェルメールのメーヘレンによる贋作に近いところがあるかもしれない。偉大なる画家の神髄に迫ろうとして工夫を凝らしたメーヘレンの努力は、文化財が持つミームも含めて再現したいという思いと重なるところがありそうだから。面白かったのは「法隆寺釈迦三尊像」は3Dスキャンしたデータから作った光造形の模型を繋ぎ合わせたものではなく、そうやって作られた模型から肩とをって鋳造し、組み立てたものだてことで、素材なんかがホンモノに負けないものとなっているからやっぱりニセモノとは言いづらい。

 作り方でも、表面を整えず形を作って鋳型を取って鋳造したパーツは、取り出した部品に最初の3Dプリンタからの制作物が持っている積層痕が移ってしまっている。それを削ってならしてぴかぴかにしたというクローン美術の「法隆寺釈迦三尊像」。その方がトータルで雰囲気を整えられるってことなのかな。鋳造の仏様と木製の土台はつまりホンモノと同様でそれはもはやホンモノだけどニセモノといった具合。ただ、歴史的な仏様としての価値はやっぱりホンモノにしか宿りようがない一方で、フォルムでありバランスであり質感であり紋様の美しさでありといった部分はクローン美術でも存分に感じられ。それはすなわち美術品として価値は整っているということになるのかも。フェイクとか贋作とかレプリカを考える上で大いに指針となりそうな展覧会でした。


【9月21日】 東京オリンピックでの東京ビッグサイトのメディアセンターとしての使用に伴い使える面積がぐっと減り、5月から9月は完全閉鎖となり仮設施設も7月から9月は完全閉鎖となる問題で日本展示会協会から防災公園に建てれば話がメインになって来ていたと知る。なるほど1.5キロも離れた場所にある仮設の展示場よりは近いし広くもなりそうだけれど、でも東京ビッグサイトの目の前にある防災公園に仮設の展示棟を建てたら、オリンピックの準備に伴いビッグサイトと一緒に使えなくなるんじゃないのかなあ。あるいはそっちにメディアセンターを建てたって、終わっても残しておけるものではないなら取り壊してレガシーにもならない。それとも防災公園潰す気か?

 豊洲の新市場を使わないならあそこをメディアセンターにしてしまえば良いという意見もあって、冷房の施設も完備しているから熱を発生さえる放送機材が置かれても安心だって話しにもなっていたけれど、現実的に東京ビッグサイトからメディアセンターを動かすのはICOとの約束もあって不可能ってことなんだろう。だったら防災公園でもいっしょだけれど、そこは近いからといって突破するのか? それもまた妙な話。約束で東京ビッグサイトのメディアセンターとしての利用が動かしがたいなら、やっぱりお台場有明から離れた場所に仮設施設を作るか、ちょい離れた地方を積極活用する出口を想定しないと隘路に入って仕舞いそう。コミックマーケットもきっとそのあたりを考えつつ、今はまだ最善を探っているんだろう。それとも何だろう、日展協は防災公園を潰す話が絵空事じゃない手応えでも覚えているんだろうか謎肉。

 東京ゲームショウ2017が始まったんで早くに東京ビッグサイトへと出向いてプレスパスをもらってプレス入り口に行列。午前10時の入場は一般と同じで混雑しそうな展示にはヨーイドンの競争になるため少しでも早く入場する必要があるのだった。そんな待機列で待つこと時間くらい。開幕したゲームショウではとりあえずDELLのブースへと駆けつけ新しく投入されるVRとかMRとかに使えるヘッドセッの「Dell Visorをテストする。まず着けやすい。プレイステーションVRみたいにゴーグル部分が跳ね上がる感じなので逆にそっちを固定しバンド部分を跳ね上げゴーグルを目に当てバンドを下ろせば装着完了。この簡単さが普及を促しそう。

 不思議なのは手に持つコントローラーの先端に取り付けられた円環が光っていることで、これがHTC Viveのトラッカーだったらそっちに受光器めいたものがついて周囲のカメラから動きをトラッキングするようになっている。その分スペースと設備が必要となるけれど、Dell Visorはたぶんゴーグルに取り付けられたカメラから周囲を認識し、コントローラもトラッキングをするから周囲に置くセンサが不要となっている。そしてしっかりと動きもキャッチするから、たとえばパンチを放って敵を倒すゲームでもしっかりと自分の腕の動きをトレスしてゲーム内の腕の動きに反映させる。

 簡単でそれでいて正確。こういうデバイスが出てくると、HTC ViveやOcurus Riftくらいしかないと思われがちなヘッドセットの世界も市場が塗り変わったりするのかな。今後の展開に関心。そんな東京ゲームショウ2017ではeスポーツへの傾注が凄くって、巨大なブースが作られ大会が開かれたり、基調講演がeスポーツをテーマにして行われたりして、日本にある関連団体も統合をしてアジア競技会での正式種目化に対応しつつ、本丸とも言えるオリンピックの正式種目化を目指そうといった意気込みが感じられる。でも、そんなシンポジウムに集まった外国のeスポーツ関係者からは、オリンピックで正式種目になったところで、そこから残酷なゲーム(シューティングとか)が排除されたらそれは本当にeスポーツなのか、ゲーマーにとって本物のeスポーツなのかといった声が出てきた。

 まずは当然の話で、どんなゲームでも良いって訳じゃ無くeスポーツの世界で人気のゲームがやっぱり入って欲しいだろう。それはシューティングであり格闘でありといったジャンルで、オリンピックの健全性とかに相応しいかというとちょっとズレている。でもそうしたジャンルなりタイトルでなければeスポーツ感が出ないなら、貫くべきだし出来ないのなら無理にオリンピック種目になる必要なんてなさそう。見ているのはファンか、それともオリンピック種目かで喜ぶ経営者たちか。団体統合まで模索して推進しているゲーム業界にとっては、耳の痛い直言だけれどそういった感性は大事にしないと日本だけ上滑りしたeスポーツの“健全化”がはかられ、世界の潮流から置いて行かれるぞ。どうするんだろうなあ。

 いやもうポン酢としか言いようがない大阪府と大阪市の行政的などったんばったん。大阪維新の会の支配下にある大阪市でもって建築家の安藤忠雄さんが中之島に児童図書館を作ったらどうかと言いだし、設計までしたから企業とか市民に寄付してよと呼びかけるという話で、それに大阪維新の会から出てきた大阪市長がのっかり大歓迎とか言い出した。でも、そんな大阪維新の会を立ちあげた人間が知事をやっていた大阪府には、世界的にも知られた大阪府立国際児童文学館というのがあってそこには個人からの著書の寄付があり、出版社からの善意の寄付もあって高く評価されていた。けれども何かを潰すことによって自分の存在感を示したい感性の持ち主が、後に大阪市長となってやり玉にあげた管弦楽団とか文楽なんかと同様に、要不要の世間の反発を受けづらい児童文学館ということもあって潰してしまった。

 スパイを送り込んで盗撮をさせて漫画ばかり読んでいるといった話もぶち上げ廃館への流れを作り、そして世界的にも評価されていた蔵書は別の場所にある図書館に統合されてしまって前のようには閲覧できなさそうになっている。一方で建物の方は後の利用が決まらず書庫か何かになったまま。だったらずっと明けておいても良かったのに、“実績”が欲しい偉いさんの功名心か何かで廃館が決められてしまった。それなのに、全く同じではないけれども似たような施設が、今度は大阪市の方に作られようとしている。なるほど吹田市にあった国際児童文学館を大阪市で引き取るわけにはいかなかったかもしれないけれど、同じ大阪維新の会という枠組みの中で、二重行政がどうとかいった話しをしておいて、未だ府立図書館に移管されて残っている児童文学館の蔵書を横目に、自分たちのところにも児童図書館を作るってどういう了見かが分からない。

 自分の財布を傷めず寄付だから良いのか、って話しにもなりそうだけれど、どうしてそんな話しに企業や一般市民が乗る必要があるのか? 過去に著者や版元の善意が生みだした世界的な児童文学館を潰したのは、大阪市長が拠り所にしている政治団体を作った人で今も斬れたかというとその影響下にあることは否めない。つまりは児童文学の敵の一派でもあるような人間が喜ぶプロジェクトに、笑顔で協力したがる企業とか市民がいるのか。過去に食らわされた仕打ちを思うなら、ちょっと協力しづらいだろう。そう思えば少しは反省の色も見せるべきなのい、そういった雰囲気はないし安藤忠雄さんの方も過去のそうした経緯を考慮する節を見せない。知ったら果たして寄付だよりのプロジェクトをぶち上げたか? ちょっと気になる。行く末も含めて。まあ上手くはいかないだろうなあ。図書館に理解のありそうな設計者でもないものなあ。


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