縮刷版2017年7月上旬号


【7月10日】 新番組が始まった割には決まったのしか見ていない感じがする中で、やっぱり「賭ケグルイ」はオープニングからパンツが見えるはエンディングでも黒いパンツが見えかけているは、はち切れんばかりの胸が揺れているているはでサービス満載な上に、ストーリーがもう狂っているとしか言いようがないくらいに衝撃に溢れていて、あれで結構エロスとバイオレンスに溢れていた「監獄学園」ですらヌルく思えてくるからたまらない。ただ少女が真正面を向いて歩いているだけのエンディングなのに、緊張感と高揚感が溢れかえっているのがとにかく凄い。もう目は釘付け。ノンテロップが見たいがためにブルーレイだって買ってしまいそうだよ。

 ギャンブルでの勝利と上納金の金額こそがすべてに勝る学校内で、ぎりぎりの場所に足を置いてギャンブルに挑んで相手に勝たせて調子に乗らせ、イカサマが行われているのを見抜いて大逆転して相手を失墜させる蛇喰夢子のその手段のいやらしさ。けれども未だギャンブルに純粋でイカサマを仕掛けられても、それを逆手に取って正攻法でもって粉砕していく姿がどこか格好いい。王道を行く覇者というか、そんな風格すら感じる夢子を見ているだけで足下にひれ伏したくなるけれど、弱い人間は嫌いなんだろうなあ、戦って戦い抜いて死に果てるような者でなければ近くにはいられないんだろうなあ。次は誰にどうやって勝つんだろう。毎週が楽しみ。

 「ナイツ&マジック」は動き最高で絵も最高でストーリーにも大逆転があって見ていて楽しく手に汗握る。現代から転生したロボットオタクが長じてロボットならぬシルエットナイトを見て興奮して、乗りたい作りたいと言ってそうした学校に進むものの、研修に出た先で巨大な怪物に襲われるという大変な目に。逃げることは可能だったけれどもほおって置いては辺りが壊滅するし先輩たちも命を失いかねない。そんな場面に乗り込んでいったエルネスティ・エチェバルリアくんは先輩をシルエットナイトから引きずり出しては自分好みに改造し、プログラムも新たに組んでとてつもない挙動を可能にして襲ってきた怪物を1人で倒してしまう。

 凄すぎるけれどもそれについていけるシルエットナイトでもなかった様子。斯くして自分が操縦して請われないマグネットコーティング、ではないけれどもちょっとなかったシルエットナイトを作って乗って戦うことになるのかな。オタクの魂はどこまでも。同級になったキッドとアディの義理の姉で生徒会長のステファニアがお嬢様っぽい割には活発で表情も豊かで面白い。演出がブレてギャグめいた表情をさせてしまったのかもしれないけれど、良い理解者としてエルくんを導いていっては世界を変える手伝いをしてくれるんだろう。結ばれるかは知らない、っていうかエルくん女の子に興味あるのかなあ。ネット発の異世界転生で俺TUEEE系だけれどアニメになって繰り出される絵と動きの良さ、声の良さ、そして話の面白さで今期結構良いところに行くんじゃなかろーか。最後まで見ていこう。

 誕生日なんで高いところに上ろうと東京スカイツリーへ。たぶん3度目。2年前にも年齢的な切りが良いからと上ったけれど、当時からさらに落ち着きが出てきて午前8時の開場時で長蛇の列とはなっていなかった。でもちゃんと観光客は来ていて順繰りに上へと上がっていってそれなりに人はいた状態。昼ともなればもっといっぱい押し寄せ休日ともなればさらに混雑もといった感じで、下町きっての観光地としての地位は確保しているんじゃなかろーか。東京タワーよりも交通が至便で近所にショッピングモールもあってお土産も買えて浅草や上野へも出られるから、外国人にとっては銀座や新宿よりも来たくなる場所、って言えるのかな。

 とりあえず最初の展望デッキへと上がって、そこからすぐに天望回廊へと上がって最高到達地点へ。いきなり進撃の巨人がお出迎えしてくれたのは今がコラボレーションの真っ最中だからで、ガラスを割って飛びこんでくるようなイメージを出した巨人の像もあれば最高到達地点に佇む巨人の絵もあってと巨人づくし。非常口の灯りの上にも小さく貼られていたりして、これらが本格的に暴れたらスカイツリーなんて吹っ飛びそうだけれどそうなったら貼られた絵からエレンやミカサやリヴァイやハンジさんたちが出てきて退治してくれるだろうと思いたい。外国からの観光客が見ていったいこれは何だと思ったかもしれないけれど、そこはアニメーション大国なだけあってそういうのもありだと理解して頂ければ本望ってことで。

 1時間ほどで退散して東京ソラマチにあるどんぐり共和国の前を通ったら、「メアリとは名の魔女」のポスターが貼ってあってグッズも売っていたみたいで、それはそれでマッチはしていたけれどもよく考えてみたらこれってスタジオジブリの作品じゃないんだよなあ、それでいてジブリグッズを扱うどんぐり共和国に何の違和感もなく収まっているあたりが、やっぱりジブリのクローンであり後継でありといった作品的な立ち位置を表しているって言えそう。扱いもだから特別なのかな、同じジブリの人間が関わっているからといっても「君の名は。」のグッズが置いてあるとは思えないし、ジブリの後を背負って立ってる湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」のグッズもどうも見かけないから。

 ジブリっていうある種の枠組みがあって、カテゴリーがあってジャンルでもあるその空気感を漂わせていることが、どんぐり共和国に品物を置いてもらえる条件なのだとしたら「メアリと魔女の花」は直球を放り込んだって感じだし、「ひるね姫〜知らないワタシの物語〜」は大きく外しているし、「夜明け告げるルーのうた」は裏側に潜り込んでしまっているといったところ。でも同じ日本のアニメーション映画、並べて比べていろいろ見てもらってこそ需用も広がると思えば、本当はどれも分け隔てなく扱って欲しかった。今のままだとポストジブリが細る中で商材だってどんどん減っていく訳だから。なあに宮さんが復活してくるから安心だって? いつになるやら本当に出来るのやら。ディズニーとは違う道を行ったジブリにどこまでマーチャンダイジング面がすがっていけるか。日本のキャラクタービジネスのケーススタディとして眺めていこう、その行方。

 本当はズボラで性格も狷介で関西弁で怒鳴りまくって吠えまくるのを抑えて大人しく粛々と日々を暮らしていてもやっぱり直らないそのズボラさで、人類最強の女傭兵と名高いアンナ=L・アンダーソンの家はゴミに埋もれて身動きもとれない状態に。それを見て魔族でも普段は掃除洗濯料理を嗜んでいたアーティくんは、いてもたってもいられなくなって、懸命にお掃除をしていたら帰って来た人類最強の女傭兵アンナはアーティくんを誰何し、怖くて泣き出したアーティくんを家に招き入れて執事としてこきつかいつつ、自分を何時でも殺せるものなら殺してみなさいと試す。そんな設定の世津路章さん「ミス・アンダーソンの安穏なる日々」(電撃文庫、630円)。大人の女性とショタな少年との本当は敵味方なのに補完し合うような関係が描かれる。

 泰然としてアーティくんの仕掛ける罠もあっさりかわし、夜は抱き枕代わりにアーティくんをギュッと抱きしめて眠るアンナはただの暢気なぼんやりさんに見えるけれども、時々虫の居所が悪くなるのか地が出てアーティくんがヌルい罠をしかけると怒鳴って怒って泣かせてしまう。というか、いったいどこに怒りのスイッチがあるのかがちょっと見えない。どうやらアーティくんのご主人とは旧知らしくてアーティくんの知らないところでやりとりめいたことをする。なおかつ人間でありながらも魔族に匹敵する能力を繰り出すアンナは正体がちょっと不明。もしかしたらアーティくんとの間にも過去に何かがあったのかもしれないけれど、そうした興味を引っ張りつつとりあえずは落ち着いた関係を取り戻し、女傭兵と少年執事との仲良く喧嘩する日々が続いていく。これからも続くのかな。続いたら読もう。


【7月9日】 劇場公開時の限定版Blu−rayは全部買ったし、それぞれの店舗販売版もとらのあなで全部買った上にまだ買えと? 買うけどさ。「RWBY」の日本語吹替え版をVOLUME1から3まで収録したパッケージが出るそうで、それ自体はもう持っているんだけれどVOLUME3についてはその当時、出産もあってピュラ・ニコスの声を伊藤静さんに変わってもらった豊口めぐみさんが復帰して声を入れているバージョンが別につくらしい。聞いて分かるかっていうと公開時に伊藤さんも頑張って代役を務めていて遜色はなかったけれど、とてもとても大事なエピソードをずっと演じてきた豊口さんとしても演じずにはいられなかったに違いない。比べるというより豊口さんの思い入れって奴を聞いてみたい。だからやっぱり買うしかない。VOLUME4の公開もあるんで秋が楽しみ。

 そうだジャコメッティを観に行こうと思い立って国立新美術館へ。また行列するのもいやだし地下鉄千代田線の乃木坂駅を降りたところで売っていたチケットを買ったけれど、上がったら外のチケット売り場は開けて織らず展覧会をやってる部屋の前での販売になって、そこにもたいして並んでいない。ミュシャとは違ってジャコメッティにはまだまだ人を引きつける力はないのだろーか。そんなことはないだろーけどテレビで話題になったアレめいた言説が動員を呼ぶ口コミ社会でまだそこまでのバズを起こしていないってだけかも。

 そして入った部屋で見たのは極めて具象な人物の頭部とそれから構築的な抽象のモニュメント。ロダンであったりアフリカのオブジェを模したようなものであったりと今のジャコメッティとは結び付かないフォルムだったけれど、人間最初からいきなりあの線の細い彫刻へとたどり着くものではない。観ていくとだんだんとそぎ落とされていくといった変化があってそして薄くなり長くなりといった感じに変わっていく。でもって観ているうちにああこれはそぎ落とされたんじゃなくっていったん、認識をオフにしてから改めて人間のフォルムとして形作られたんではないかと思えて来る。

 ジャコメッティといえばペラい板のような人間がひょろっと立っている像が浮かぶけど、展覧会に並ぶそれらはどれも同じって感じじゃなくってそれぞれに幅に違いがあって厚みにも差があったりする。でもってしかりと人間としての胸板があり尻があり手足があって顔がある。そうしたフォルムであり佇まいってものをしっかりととらえた上である人は胸を前に出し、ある人は薄くなだらかにしてといった具合に差を付け作り上げている。構築的にするんだったらどれもペラい板にすれば良いのをそうしないのはモデルがあってその特質をゼロから作り上げようとしたからで、決して100からそぎ落としていった訳じゃない。人は無から現れ1へといたる。100から削られ1に収まる訳じゃない。そんな信念めいたものを感じた。だから全部が違うし、常に変化していくのだ。

 そんな信念があったからこそ最後の展示にあった「歩く男」とか「女性立像」とか「大きな頭部」といった作品を、作っても満足はせずに造り直して結局、チェース・マンハタン銀行の前に置くことはなかった。削り出していくならたどり着ける場所は決まっているけれど、作り上げていくものだったからこそどこにも到達点は見えず彷徨って迷い続けたんだろー。今あるものはだからひとつの経過であって、それは死によって止まってしまったけれども当人の頭の中には遠い完成形がどこかにあって、そこに向かって日々積み上げているのかもしれない。真面目な人だなあ。そんな真面目な人の作品を「ジャコメッティー」だなんて駄洒落の商品にして良いのかとも思った。お茶。なんだそりゃ。でも実は磨き上げた純米酒が通じるとお酒を販売していた方が、本質を外しているのかもしれない。かりんとうはフォルムの模倣だからアリ、かな。

 国立新美術館と六本木ヒルズの森美術館で合同開催している展覧会「三シャワー:東南アジアの現代美術展」をはしご。移動の間の暑さで溶けそうになるけれどもこれが夏なんですから日傘ぐるぐる僕は退屈。とりあえず気になった作品デハ森美術館サイドに出ていたあれは誰だろう、後で調べるとしてフィリピンで2009年11月23日に発生したという事件に関する映像インスタレーション作品「Mへのレクイエム」って作品があって、事件があった場所からだんだんとカメラが逆回しになって人がバックし車がバックして離れていくという映像が続いていた。いったいどんな事件だったんだろうと調べたら分かったマギンダナオ虐殺のことだった。

 それはISISの跋扈でも話題になったミンダナオ島にあるマギンダナオ州の州知事選挙が近くに控えていて、新たに立候補をしようとしていた男性の親族が代わりに立候補の届け出に行こうとしていたツアーが襲撃されて総勢58人だかが虐殺されたというもの。やらせたのはそのマギンダナオ州を長く支配している現職知事とその一族で傘下の36ある町の半分の町長も務めているというほとんど王国めいた存在。そこに挑もうとした町長がいて当人が行っては身の危険もあると、11人の親族に34人ものジャーナリストを同行させて安全を確保していたにも関わらず、まとめて殺害されて丘の上に埋められた。そんな事件への追悼を現地から逆回しにして撮影した作品は、あるいは遠ざかり風化する記憶を表しているのか、逆に今なお惨劇の現場からは世界に向けて怨嗟と告発の声が響いているのか。いろいろと考えてみたくなる。

 19世紀の新大陸とかでの話ではなく21世紀のフィリピンでの話。そしてなおかつ捕まった一族に対する裁判はまだまだ続いて、数年前の時点では誰1人として有罪判判決が出ていなかったというからいったいどこのメキシコはカルテルなんだと思ったという。いやカルテルだったら方の埒外にあるアウトローだから無法だって平気で犯してそれに大統領が軍隊を差し向け戦争めいたものが怒っているけど、フィリピンは当時の大統領が戒厳令こそ布告したもののそうなるまで何百人も私兵を雇わせ武器を集めさせ虐殺へと到らせたのは大統領の甘さもあったから。体面を取り繕ったもののその後の裁判は遅々として進まず、そして証言を使用とした人が殺害され続けていたというから恐ろしい。

 それはフィリピンだからと言って良いかどうかは迷うところではあるけれど、島嶼が連なる国では処によってはマニラとは違って軍閥めいていたり王国めいていたりする存在が権力を持って周辺を収奪していたりする。一方でイスラムのゲリラが抑圧に対して立ち上がって結束して反抗を始めていたりもする。ISISが入り込んだものそうした財閥であり軍閥であり権力者たちへの不満があったからでもあって一概に責め立てることは難しい。そこから飛び出して世界にテロをとなると問題だけれど、現地に存在する抑圧といった問題にもやっぱり頭を向ける必要があるんだろう。

 翻って日本は権力に逆らっても夜中に射殺されて埋められるなんてことはなくチェーンソーで手足を切り取られることもないけれど、そうした物理的な虐待はなくても権利を縛られ存在を排除されるようなことは怒っていたりする。逆に権力に阿れば法律の枠の外へと連れ出して護ってもらえるような雰囲気があったりする。それでもフィリピンよりましだとも言いたいけれど、結果として何かが冒されていることに変わりがないならそれは比べずとも考え直すきっかけにはしたくなる。

 「サンシャワー:東南アジア」の現代美術にはほかにもアメリが軍が投下した爆弾の穴がまあるい池になて点在しているのを撮影したシリーズがあり、カンボジアのクメールルージュによって殺害された者たちの遺影とも言える祭壇があり、インドネシアで繰り広げられている弾圧を示唆するようなものがあったりして、権力に対峙する芸術といったものが幾つもあって抱える問題の重さを感じさせられる。アートが法律を犯すとかより犯される法律をアートが糾弾するという状況。足下のシリアスさが緊張感を持ってメッセージ性もある作品群を生み出し続けているんだろう。

 それもアートだし、今のこの日本で生み出され続けている、怠惰な日常をゆるりとまとめるのもアートであって、どちらに優劣がある訳でもないけれど、フォルムだコンセプトだとその差異性をのみ喧伝し、バリエーション違いに邁進するようなユルさではやっぱり世界という場所に並べて見たときに、どこか差異といったものを感じられてしまもの。そうしたコンセプトを越えてコンテクストでもって納得させられるならまだしも、ただ作りましたどうでしょうかではやっぱり世界で生き残ってはいけなさそう。今回の展覧会が日本人作家に何か刺激を与えるのか、それともプリミティブな世界の今を紹介するだけに終わるのか。日本万歳日本最高だけじゃもうやってられない状況を、改めて感じ取って欲しいんだけれども、果たして。

 なんかまじかるポカーンととするようなツアーが商品化されていて腰が抜けそうになるというか。現地の人によれば歴とした日本人が運営している牧場を、中国と関係が深いと決めつけそれ違うよ日本人だよ登記簿とったらすぐ分かるよと言われながら1年経っても検証せず、入り口まで言って看板が出ていたとしか書かないノーエビデンスノーファクトな記事が載ったりするような連載の現場をいっしょに訪ねて、いったどんな話が聞けるのかがちょっと気になる。いつかのバブル期、アメリカの中西部からニューヨークに出てきたファーマーなおじさんたちにロックフェラーセンターを見せて日本企業が買ったったんだよって言ったところで、ほうそうかとしか言わないようなツアーを企画してしまえるマインドがどうにもこうにもチャレンジブル。なおかつそれが屋台骨とかいったい全体どうなっているんだ? 来年がいろいろ気になってきた。


【7月8日】 「なんだスパッツか」とまず思ったことはさておいて、米林宏昌監督による長編アニメーション映画「メアリと魔女の花」は思い出のマーニーが魔女の宅急便になりすまして天空の城ラピュタに行って、そこで千と千尋の神隠しに遭ってハウルの動く城に迷い込みもののけ姫をする話だったとも思った。あとはけものフレンズ。だいたい以上。などと言ってしまうと既成のビジョンのパッチワークのように思われてしまうけれども、元より少女が田舎で突飛なことに遭遇して恐ろしい目にも遭ってそして成長していくストーリーには似通った核といったものがあって、それらをどういったパターンで組み合わせてつなぎ合わせて筋立てるかといった違いで様々な物語は生まれて来る。

 そう考えるならどこかで触れたことのあるビジョンだと思ってしまっても不思議は無いのかもしれない。そして「メアリと魔女の花」という作品の芯に通っているストーリーは、少女による世界の聞きとの戦いだと思うならばそれは「思い出のマーニー」にも「魔女の宅急便」にもなかったものだし、少女が引っ張るという意味合いでは「天空の城ラピュタ」とも「もののけ姫」とも違っている。そして「千と千尋の神隠し」のように鬱屈からの消極的な逃避とも違った、好奇心からの積極的な前進があってクライマックスに近づくに連れてどんどんと意識が高まっていく。そしてすべてが終わった時に、ああ良かった、頑張った、そして自分も頑張ろうと思えて来る。そこが良さだと言えるだろう。

 大叔母さんが暮らしている赤い屋根の屋敷がある田舎にやって来た少女メアリは、両親が来るまで、学校が始まるまでの間を退屈に過ごしている。手伝おうとしても粗忽でコップを落としそうになるは、花を支える棒と結ぼうとして茎を折ってしまうはと失敗続きで自分の存在、自分の居場所に迷っている。そこにひとつのきかっけが。黒猫と灰猫に引っ張られるように入った森でメアリは美しく咲く「夜間飛行」と呼ばれているらしい花を見つける。7年に1度しか咲かないその花は実は魔女の力を人間に与えるもの。再び入った森でメアリは蔦に絡まっていた箒を見つけ、それに引っ張られるように空へと舞い上がって雲の上に飛び上がり、渦巻く巨大な雲の奥にあった島のような場所へと降り立つ。

 そこはエンドア大学。魔法について学ぶ魔法使いたちが集められた学校で、メアリはなぜか優秀な魔法使いだと思われ讃えられ良い気分になっったけれど、そこでエンドア大学の校長を務めるマダム・マンブルチュークにかつて魔法の世界から奪われた花を知っていることを知られ、いったんは大学を離れたものの追われ村に住む少年ピーターを人質に取られるような形になって再びエンドア大学へと足を踏み入れる。そして知る。エンドア大学の奥深く、マダムとドクター・デイによってそこで行われていたのは、かつて多大なる犠牲を出しながらも続けられていた、どんな魔法でも自在に使える存在を生み出す生物の融合実験だった。

 そんな展開の中に感じられるのが、やっぱり多感な少女として孤独の中に田舎で暮らして異世界に心を遊ばせる「思い出のマーニー」の杏奈であったり、「天空の城ラピュタ」で人間を寄せ付けない存在として描かれる龍の巣であったりといったビジョンやガジェット。そしてクライマックスに現れる驚異的で超常的な存在との対峙は「もののけ姫」におけるアシタカとサンによるたたり神との対決だったりもするけれど、そうした作品をずっと見て来た人間で、なおかつ似通ったところを探そうと目を輝かせている者でなければ感じないし、感じる必要もない。だから気にせずに観て、そして浮かび上がってくるひとつのメッセージを感じて欲しい。

 それは、制御できない力をそれでも押さえ込もうとして抑えられず、暴走させてしまう人間の愚かさを感じ取って今のこの世界、あるいはこの国におけるシステムの暴走、欲望の漏洩といったものに抱く違和感であり批判といったもの。そうしたメッセージが果たして2011年3月11日からからこちらの時代を思ってのことなのか、元より原作に込められていたものなのかはちょっと分からない。いずれにしても10代の、世界に好奇心があって、自分という存在に対する評価に不足を感じていて、背伸びをしたいと思っていて、そんな行き過ぎた欲望が何を生むかに気付いていない人たちに観ていろいろと感じ取って欲しい。

 フレンズたちは優しくて頼もしくて力になってくれるんだとうことを。さあけものパレードの始まりだ。って違う作品になっていた。いやそういう場面もあるんだってば本当に。映画についてもう少しだけ言うなら、冒頭のスペクタクルのように繰り広げられる暗闇での破壊と逃走の先が、メアリの暮らす時代、そして暮らしている場所にどう繋がっているかが分かった時にああ、そうなのかと少し驚いた。もしかしたらメアリにも資格があった? 赤い髪とかはそうした可能性の発露? でも血縁がどうなっているか分からないからそのあたりも不明。たとえそこで力はゼロになっても、得た経験とそして交流は永遠の宝となるのだと思いたい。

 「メアリと魔女の花」を見終えてから外に出ても暑いだけなんで滞留していたイオンシネマ幕張新都心でチャオベッラ チンクェッティのライブがあったんで見物。今はそうか4人組かあ。その昔、6人くらいいた頃のTHE ポッシボーとして何度かライブを観たような記憶。そしてメンバーとして今も残っている後藤後藤有貴さんには、吉川友さん主演の映画「Cheerfully」の公開時に吉川さんも交えつつ今はもういない秋山ゆりかさんも含めてインタビューしたんだった。懐かしいなあ。吉川さんは今も残っているしチャオベッラはちゃんと活動を続けている。秋山さんはもう辞めてしまったみたいだけれど、それぞれに頑張っているなら昔から見知っていた者としては嬉しい限り。この暑さの中を屋根付きをはいえ外で3本のライブとは大変そう。でも頑張ることでしか道が開けないなら突き進む。それがアイドル。強いなあ。

 たぶんWEBで人気なんだろうわんこそばさん「努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。」は余りがちな異世界転生ものではなくって俺TUEEEE系。でも工夫があって魔法が尊ばれる世界で魔法が使えない人間として生まれたアッシュという名の少年が、不憫だからと親に捨てられそこで子供の頃から秀でていた体術でもって襲ってきたモンスターを倒してしまったところを歩いていた師匠に目をかけられ、鍛えられて長じて自分も魔法使いになると師匠に言ったら自分は格闘家であって魔法使いではないと言われてしまった。

 そりゃなんだ。手を振れば風の魔法が出てすぱすぱ切れるじゃないか。ダメージを受けてもすぐに快復するのは回復魔法のおかげじゃないのか。違います。風がでるのはあまりに腕の振りが早いから。真空が出来てかまいたちが生じる。治りが早いのも単に体質。そんな少年が、現れた世界を混沌に陥れようとする魔王をワンパンチで粉砕したのを観て師匠はこの子ならと思い知り合いがやっている魔法学校に編入させる。もちろん魔法の力はゼロだったけれども飛び上がれば高く上がってしまう力を魔法と思われ、試合をすれば大声でかかって来いと叫んだだけで建物が崩れ落ち敵も吹っ飛ぶ。もちろん合格。そこでアッシュは上級生でも強いと言われる知り合いを得て、自分のことも明かしつつ魔法の力を得ようと努力する。

 杖を振ればはるか彼方まで大地が避けるくらいのパワーの持ち主に、魔力なんてもう付与うだとは思うけれども人間、望む者になりたいという思いがあって初めて生きていける。アッシュも格闘で強くても魔法で空を飛ぶことを実現したかった。そんな一心不乱の努力の日々と、次々に出来ていく友人たち(女子ばかり)との語らいの中で、現れる不穏な動きをまたしても1発で粉砕していくことになるのかな。ワンパンマンに近いところはあるけれど、侮られてはおらず尊敬もされてそして向上心もあるところが純粋で真面目。出かけた先で出会うだろうピンチにどんな凄まじい力を見せてくれるかを楽しみにして続刊を待とう。しかしやっぱりなろう系サイトはユニークな作品を次々と送り出してくるなあ。


【7月7日】 「けものフレンズ」は終わらない、ていうか月末には音楽祭があって9月にはライブもあって来年1月には舞台もあってと、作品周りでいろいろと動いているから終わってないどころかまだまだ始まったばかりなんだけれど、とりあえずテレビでのアニメーションの放送が終わってから3カ月、つまりは1クールが経って普通だったら忘れ去られてしまうところを今もなおこうやって盛り上がっているところはやっぱり凄い。今日も池袋にある楽園ガーデンっていうからパチンコ屋さんのビルの屋上あたりで「けものフレンズガーデン」ってのが始まるってアナウンスがあった。池袋西武の巨大な屋上と比べてどうなんだろうって気もするけれど、それでも涼しい屋上で星空を仰ぎながら味わうじゃぱりまんはきっと美味しいに違いない。じゃぱりまんしか出ないって訳じゃないだろうけれど。

 そして栃木県では現在ただいま「けものフレンズ」が放送中なんだけれど、そこにある那須どうぶつ王国でもって「けものフレンズ」とのコラボレーションがスタートするみたい。東武動物公園みたいいに何十体ものフレンズたちが現れる訳ではないけれど、ギュッとコンパクトに王国内にいるアルパカだとかカピバラといった動物たちとフレンズとがコラボして、いろいろと見せてくれるみたい。缶バッジとかやっぱり欲しいよなあ。行きたいけれども世界最大の秘境であるところの群馬の隣に位置する栃木だけあって車がないと大変そう。それでも那須塩原からシャトルバスも出ているみたいなんで、予約してそれで行くって手もあるかも。そう考える車を持たないフレンズたちでいっぱいになったりして。群馬サファリパークの次はこっち向けもツアーとかやらないかなあ。

 週刊少年ジャンプで始まった漫画がエロくてお母さんたち猛抗議って話題が21世紀にもなって世間を騒がしてて、お前さんたちが娘の頃にはもう少女漫画は濡れ濡れで少年漫画にだってBLな空気が漂っていてそういったものから感性を磨いてきたんじゃないのと言いたくなったけれど、立場が変われば感性も変わるし過去だって忘れてしまうもの。教育的な見地からいろいろ言いたくなるのは仕方が無い。そうやって人は大人になっていくものだから。とはいえ歴史的な経緯を無視するかのような言説でもって騒ぐのはやっぱりちょっと違ってる。かつてエロい漫画に対する世間の反発があった時、やり玉に挙げられたのは永井豪さんの「ハレンチ学園」だったっていう話はまだ良いけれど、そんな時でも我らが御大、手塚治虫さんは泰然自若と子供に良い漫画を生み出し続けていたんだハッピーといった言説が流れ出す。

 ちょい待て手塚治虫さんだって「ハレンチ学園」の頃には「ふしぎなメルモ」とか「やけっぱちのマリア」といったエロさ炸裂のアニメに漫画を送り出しては世間から大いに騒がれていたんじゃないのといった声を憑依絵師さんであるところの田中圭一さんがあげると、いやいやそうじゃない手塚先生は永井豪さんに対する糾弾のとばっちりを受けただけだといった声が挙がってもうしっちゃかめっちゃか。おいおい確か手塚先生は世間から置いて置かれることを常に危惧して時代の最先端を行く漫画に追いつこうと必死になって、劇画ブームになったらタッチを替えたり内容をシリアスなものにしてキャッチアップしようとしたし、永井豪さんがエロ炸裂で評判になったら自分もエロを書こうとした。

 そこにやや教育的な観点も入ったりナンセンスだけではなくって社会派だったりシュールだったりした要素を加えたところがさすがは手塚先生といったところで、あらゆるものを貪欲に食らって血肉に変えては勝利とはいかないまでも地位を確保してきた、そんな漫画かをあげて永井豪さんのとばっちりって言ってしまってはなんだか手塚先生を侮っているように聞こえてしまう。それとも手塚さんのエロは綺麗なエロとでも言うんだろうか。それってエロに突き進んで越えようとした手塚先生にちょっと申し訳ないような気がするなあ。褒めようとして見下して脚を引っ張る最悪のパターン。まあ言いたいことのために歴史をねじ曲げ真実を覆って言いたいことを貫き通すのがネット時代の言論作法でもあるんで仕方が無いのかも。過去に学んで未来を開こう。そんな教訓。

 そりゃあ東京藝術大学だったら入るのにまずはデッサンとかきちんとしていないと無理だから、画力にも相当なものがあるだろうけれどもそれで似顔絵が描けるかっていうとやっぱり違うし、漫画みたいなものだって東京藝大に行くよりはむしろ街中の専門学校でイラストや漫画を描いている人たちの方がよっぽど得意だったりするような気がする訳で、そんな前提も踏まえずに東京藝大を出て警察官になった人が似顔絵描きを目指してますって記事を書いて、大丈夫なんだろうかとちょっと思ったり。記事には「東京芸術大学出身の警察官が、似顔絵捜査官を目指して日々腕を磨いている。警視庁多摩中央署の渡部慶太巡査長」ってあるから調べたら、この渡部さんはどうやら工芸科の出身らしくて失業制作は七宝を中心としたミクストメディアのオブジェか何かを作ってた。

 いっそ彫刻科を出ていて似顔絵もその場で石に刻みますとか粘土で塑像しますとかっていったらユニークだったけれども出来上がってくるのがロダンとは限らない訳で、ジャコメッティみたいに細かったりアルプみたいに構成されていたら元が誰かなんてまるで分からない。いっそだったら警視庁の中に似顔絵部なんてものを作ってそこに油画科日本画科工芸科彫刻科デザイン科建築科等々を分けておいて、事件があったらそれぞれから出張って似顔絵を作って競い合うとかすれば面白いんじゃなかろーか。油画科だとバロック係が似てる度では抜けているけど完成までに時間が必要。シュール・レアリスム科は何が何だか。デザイン科はタイポグラフィで表現されてて顔が分からない。建築科は建築物で似せるから敷地が広くないと無理という。結局、専門学校出のアニメーターが1人で事件を再現して犯人を当てるアニメを作って見せてそれで犯人逮捕という。どうでしょう。

 とある全国紙を標榜する新聞のサイトに掲載された「秋葉原の安倍晋三首相の演説で、『安倍やめろ』のコールをしたのは誰?」って記事が凄いというか、いくら【ネットの話題】てゃ銘打ってあるからといって、そこは新聞なんで記者が出張って取材して裏をとってから話題を報じているのかと思ったら、ネットのギークな話がいっぱい載っているサイトにだいたい書いてあったことをくるりとまとめたった感じ。そこにしばき隊だった人がいたって書いているけど、どうしていたのかを聞きに行った訳じゃないし、政治家の人が元都知事とやりとしりたことも、どういう経緯だったのかと当人に当ている訳でもない。ネットでそうだったんだからそうなんじゃない的なまとめサイトを、さらにまとめだだけって感じ。これでよくまとめサイトが怒らないものだねえ。

 間違っている、って言われたところでネットにそう書いてあったから紹介したまで、って言い抜けられると思っているのかもしれないけれど、明らかに間違っていることをアクセス稼ぎのために書いてはいつまでも消さずにいた人が偽計業務妨害で逮捕されたばかりの状況で、やっぱり事実かどうかを確認して載せるのが公器を標榜するメディアの役割だろー。上の方のテレビ局ではさすがに反省が行き届いてきたか、新しく社長になった人が情報収集をしっかりやれと叱咤し、ポワトリンとか作っていた人が偉くなって「インターネット情報をそのままうのみにした初歩的なミス」とばっさりやっている。そうやって上が健全化を図ろうとしている時に、同じグループ内でネットのうわさ上等、アクセス稼げりゃなんでもオッケーな雰囲気で突っ走っていると、気がついたら崖の縁を飛び出していることもあったりするからちょっと省みて欲しいけれど、無理だろうなあ、前しか見ていないっていうか、今しか考えられない感じだし。やれやれ。


【7月6日】 ふと気がついたら7月3日でテレビアニメーションの「はれときどきぶた」が放送開始から20周年になっていた。今や1000億円企業になったアニプレックスがまたSPE・ビジュアルワークスといってた頃に「るろうに剣心」の後くらいでどんな作品をやるんだろうかって話を社長の白川隆三さんとしていて、絵本を原作にした「はれときどきぶた」ってのをやるんだって聞いて記事にしたことがあったっけ。おとなしめのほのぼのとした「ちびまる子ちゃん」みたいなアニメになるのかと思ったら、最初はそろりと滑り出してそして途中から一挙に加速したハイテンションのギャグアニメとなって見ている人はしがみつくのが精一杯ってノリになっていった。

 最終回に近づくに連れて「はれときどきお別れ」「はれときどき旅立ち」「はれときどき…」って感じに3部作的に盛り上がっていって感動と感涙を巻き起こした、ってその頃になるとリアルタイムには見ていなかったんだけれど、後日にワタナベシンイチ監督が登壇するトークイベントか何かでそのあたりの上映があったんだっけ。とにかく凄かった死凄まじかったハイテンションギャグアニメを、見て嬉しがっていた子供たちも今はもう30歳とかそんなものになっているのかと思うと過ぎ去った時の長さって奴を改めて思い知る。

 あの頃にSPE・ビジュアルワークスに入ってアニメプロデューサーとして仕事を始めていたら、今では1000億円企業の重役さんになれていた? それはないか、社長やってた人だって転職して別の会社の社長になっているくらいだし。まあそれそれとして利益だって100億円を超えるくらいに儲かっているならアニプレックス、会社の礎となった「はれときどきぶた」をHDリマスターしてサウンドも5.1chサラウンドにしてブルーレイディスクボックスにして発売したって罰は当たらないんじゃないかなあ、値段も体力があるんだから大盤振る舞いで1万円くらいにして。全61話収録でそれくらい出たら10万セットだって売れるから結果として言い商売になるのでは。ってここで言ってたって届かないか。偉くなりたい声があちらこちらに届くくらいの。

 日本科学未来館で発表会があったんで、その前に東京ビッグサイトへと立ち寄っていろいろな展示会を見物。インターナショナルギフトショーとかインテリアライフスタイルといった、他が大々的に開いている展示会を吸収するかのように、リードイグジビジョンズが展示会の種類を広げている感じ。西館から東館の新しいホールまでをほぼほぼ使ってぎっしり埋めている当たりに、営業力の高さって奴を思い知らされる。こうやってかっぱがれると他の展示会もなかなか成立しないなあ。今は日経がやっているエコだっていつかリードが持っていくかも。ドローンに手を出さないのはすでに2つがあってなおかつ食い合い気味で共倒れが見えるからかな、ラジコン的なホビー市場が制約を受けてビジネスしか市場がない分野だもんなあ、当面は。

 玩具のドローンだったらまあ、家で遊ぶようなユースはあってもやっぱり大きなものにはならない。だったらそんな玩具に教育を載せてみたらってことで中国のメイクブロック社ってところが送り出してきたのがエアブロックっていうプログラミングが可能なドローン。タブレットとかスマートフォンに入れたアプリを操作して、ブロック状になった命令を組み合わせていくプログラミングでそれで飛ぶ高さだとか光らせるLEDの色だとかを決められる。タブレットを振ると発信とかも。そうやって自分で命令できて、なおかつ飛ばせるとなったら子供たちだって触ってみたいだろうなあ、値段が2万2000円したってこれは買う、そんな気がした。

 日本ではソフトバンク コマース&サービスってところが取り扱うみたいで、そんな子会社あったっけって思ったらソフトバンクがソフトバンクたるゆえん、すなわちソフト緒銀行としてコンピューター用のソフトウェアを流通させていた事業がそのまま発展して残っているのがこの事業ってことになる。本家にして本流。でもやっぱり世間は今のソフトバンクは携帯電話の会社でヤフーの親会社って見ているんだろうなあ。まあ仕方が無い、それが時代の流れって奴だから.

 ちなみにこのエアブロックってドローンはあんまり他では観たことがない外見で、中央にある六角形のモジュールの周囲に6個のパワーユニットすなわちプロペラが回るモジュールを磁石でくっつけて形にする。全部水平にくっつければ上に飛ぶし、2つを水平にして4つを垂直にすれば少しだけ浮き上がって地面の上とかを自在に動き回るホバークラフトになる。そういった創意工夫も可能なドローン。ぶつかれば磁石だからはずれてバラバラになるため衝撃はそれで吸収される。大きな破損はなく組み立て直せばまた飛ぶといった具合。感嘆で楽しく奥深いからちょっとしたホビーをかねて試したい大人が買っても良いかも。7月14日発売。

 「BORUTO−ボルト− −NARUTO NEXT GENERATIONS−」もひとつのエピソードが終わったみたいで、アニメが始まった当初から浮かんでは人々を操っていた黒い影の正体が分かり、それを使っていた人物も判明して明るそうなこどもたちの日常の裏側に過去から続く階級というか区別というか因縁めいたものがあって、それが子供まで縛る厳しさってものを改めて感じさせられる。アニメではもう大丈夫ってなったけれども現実の世界では格差が階級となって決定的な差を気付き、どうしようもない状態であえぎ続けるこどもたちを生んでしまっているからなあ。そんな処に現れ誰をも救ううずまきボルトのような人間が増えてくれたら世界ももっと前向きになれるんだけれど。せめてそういった子供たちがアニメを見て増えてくれることを祈ろう。エピソードは次ぎからどこへ向かうんだろう。ミツキの正体明かしか別の話か。

 発表になったテレビアニメーション版「クジラの子らは砂上に歌う」のキャスト。主役のチャクロを演じるのは花江夏樹さんで最近だと「アクティブレイド」でミュトスっていう頭が良さげなイケメンを演じていたっけか。決して線は太くないけれども芯は強そうな、そんな声がなるほどチャクロにはぴったりか。そしてリコスは石見舞菜香さん。まだほとんど役という役をやったことがない人だけれど、それだけに感情が乏しい中で泥クジラに移ってそこでだんだんと感情を芽生えさせていくような成長をリアルタイムで聞かせてくれそう。泥クジラきっての武闘派でなおかつイケメンのオウニは梅原裕一郎さん。終わったばかりの「カブキブ!」だと村瀬とんぼって知性派を演じていたけどむりそ「タイガーマスクW」のタイザー・ザ・ダークこと藤井タクマに近いか、ダークで怜悧で強靱で。ぴったりだ。

 脇ではやっぱり気になったギンシュ姉さんがみかこし小松未可子さんで良い感じ。スオウはイケメンから優しい役までこなせる島崎信長さん、リョダリは小野田坂道で水篠颯太で杠花奏と引っ張りだこで売れっ子の山下大輝さんと若手でありながらも実力のある人たちが固めていて安心。そして団長に神谷浩史さんとイケメンだけれど何か企んでいそうな声音って奴を出せるベストの人が配置され、もうこれは声だけでも聞かずにはいられないって気になっている。もちろん映像も素晴らしい感じであの独特のタッチがアニメーションとして見て違和感がない雰囲気で再現されている。ストーリーはそれなりに長くて深いけれど、アニメーションは全何話でどこまで描くのかな。想像するなら舞台でも演じられた帝国戦までか。それでも見られることがまずは嬉しい。これをきかっかけに原作も読まれてそしてSFだと気付かれて、日本SF大賞なり星雲賞を受賞して欲しいなあ。応援しようし続けよう。


【7月5日】 そうかやっぱりアニメーション版の製作委員会による許諾を受けていたのかハリウッド版実写映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」。デジタルハリウッド大学の特任教授となったギャガの創業者で今はフィロソフィアという会社で日本のIPを世界に向けて売り込んでいる藤村哲哉さんの講演があって聞きに行ったんだけれど、そこで最初はやっぱり講談社と契約をして士郎正宗さんの原作本を元に映画化することになっていた。ただやっぱり難解な原作を1億ドル以上の製作費をかけて映画化するからには、大勢が観に来てくれないと成立しなくなるってことで大勢が理解しやすいよう、どこか紹介編みたいな内容になった。

 その上で脚本を手掛けたクリエイターたちが、こぞって押井守さんの「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」を見ていてそれが与えた影響が大きかったこともあって、なるべく担いようにしたもののだんだんと似てきてしまったという。その段階でもうこれは許諾をとらなくちゃとなって、撮影に入るまでに製作委員会からアニメの影響を大きく受けた映画だけれど、訴えないでねってことを認める契約書を取ってきて欲しいといわれて取りに行ったって藤村さんは話してた。これは守秘義務でもないからふつうに明らかになって良さそう。そこで突っ走らないでちゃんと契約を吟味するあたりが、契約こそ命なハリウッドのエンターテインメントビジネスらしい。日本だったら他人のそら似ですでごまかしそうな気がするし。

 しかしギャガでやり手だった藤村哲哉さんをしても10年はかかったという実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」の企画実現。ナムコのパックマンをフル3DCGのアニメーションにするって時にも来日していたマーベル映画の立役者、アヴィ・アラッドという大物を獲て藤村さんが映画化を講談社へと持ちかけて、そして権利交渉なんかで3年がかかってようやく企画開発が始まってそこでまた5年。脚本を作り上げるのがやっぱりアメリカでは大変で、そこで何と600万ドルを使い8人のライターが手をかけた。クレジットに残っているのは3人だけれどそれはハリウッドの脚本家組合の規定でクレジットに名前を残せる条件が決まっているからで、そこに到らなくても仕事をした人には相応のお金が支払われている。アイデア出しは無報酬だなんてどこかの国とは大違い。やっぱりエンターテインメント大国は凄い。

 そしてグリーンライトが点灯して製作がスタートして2年でどうにか完成といった具合。決まれば早いけれどもそこまでの間にかける時間の長さとお金の金額が、日本とはけた違いのバジェットをリクープ可能な規模の映画に仕上げるんだろう。とはいいつつ「ゴースト・イン・ザ・シェル」は製作費の回収にはちょっと到らず続編がちょっと危うそう。アヴィ・アラッドはやりたかがっているそうで、これからのパッケージの売上げなんかを見つついろいろと交渉していくことになるのかな。続編が作られなければ映像化の権利は返さなくちゃいけないから、その期間は分からないし、そもそもがいろいろな声を浴びてスカーレット・ヨハンソンがもう少佐を演じてくれなさそうで、そのあたりも含めて企画の練り直しがあるのかも。動向に注目。

 まあ「ゴースト・イン・ザ・シェル」についてはホワイトウォッシュっていう横風が吹いて流されてしまった感がなきにしもあらずだけれど、他の日本のIPはいろいろと海外で注目されている感じ。藤村哲哉さんがいうには知名度が抜群か、あるいはストーリーや設定が超面白いものが向こうでも企画の俎上に載るとかで、前者だとポケモンがありバイオハザードなんかが挙げられて、後者だとリングだとからせんだとか桜坂洋さん原作の「ALL YOU NEED IS KILL」なんかが挙がる。前者はともかく後者はどうやってキャッチするのか不思議だけれど、例えば「Shall WE ダンス?」だったら全米で公開されてそれを見た人が声をかけ、「リング」「らせん」もそんな感じに海外に出て行った。

 「ALL YOU NEED IS KILL」はこれは海外で本が売れてそして脚本を作りスタジオに持っていったら話が進んだってことを聞いている。藤村さんによれば今は日本の作家のエージェントなりがいて、海外向けに作品を書いてもらうだけでなく、脚本まで作って治めるところも出ているとか。もしかしたら日本の作品をただ英語化するだけでなく、英語の脚本にして送りつけるような商売ってのが成り立つかもしれない、脚本が書けて英語が出来る人なんてそうした能力を出版エージェントに売り込めば仕事になるかどうなのか。でもやっぱり脚本となると向こうの組合に入ってなければ本当の仕事が来ないからなあ。下働きに終わらないような報酬が約束されるなら、やってみる人とか出てくるかな。

 次回予告のナレーションでもってスタン・リーがエクセルシオール!!と話す声が聞けるってだけで「THE REFLECTION」はアメリカンコミックス好きは見るべきなんだけれど、それ以上に凄まじいばかりのアメリカンこみっくテイストな映像が繰り出されるんで今までのテレビアニメーションに慣れてしまった人もやっぱりこれは見ておいた方がよさそう。NHKでもって第1話の試写会があってそれから長濱博史監督と三木眞一郎さん、伊瀬茉莉也さんといったスタッフやキャストの取材会があって見物に行って、そして始まった映像を見てまずは口がぽかんと開く。

 なんだこれは。川瀬巴水の版画とも切り絵ともとれそうな日本情緒にあふれた河川の映像というより絵物語的なシーンから始まって、橋の上に立つ9nineに似せたキャラクターが喋るシーンを経て場面はいよいよニューヨークへ。そうなればいわゆるアメコミのアニメーションっぽい陰影がくっきとして奥行きもあって外連味たっぷりに動くビジュアルが繰り広げられるのかと重きや、日本的な切り絵からややズレてリキテンシュタイン的な太い輪郭線のコミック的絵柄でもって怪人が登場しヒーローも登場しては暴れ戦うシーンが続く。

 それはシンプルで図案的で平面的でもあって、3DCG時代の奥行きがあって立体感があってグルグル回って激しく動くものとは対極の、「ニンジャスレイヤーフロムアニメーション」とも重なる紙芝居的な展開が続いて、いったい今はいつの時代なんだと思わせる。思わせるけれどでもそうした映像を見ているうちに気持ちはアメリカンコミックのページをめくって読んでいるような気になってくる。そうなのだ、この「THE REFLECTION」はアメコミ原作のアニメーションの新シリーズなどではなくって動くアメコミそのものなのだ。なんてことをちょっと思った。

 ストーリーはアメコミ的で世界を揺るがす事件が起こってそれから3年、大勢が死んで生き残った人の中に特殊な能力を持つ者たち、リフレクテッドというのが生まれて来る、そんなリフレクテッドの一部がテロを起こしたのを、違うリフレクテッドがヒーローとなって抑えにかかるといった構図。どういった組織的な背景が両者にあるのかまだ見えず、そして主役ともいえるエクスオンを追いかける少女がいるのもちょっと分からないけれど、その辺りはエクセルシオール!!とスタン・リーが叫んで紹介された第2話以降で明かされていくんだろう。

 とにかくもう見たことのない映像。そしてスタン・リーならではのストーリーがいったい何を描こうとしているのか。そんな楽しみもあるし、9nineのメンバーが割としっかりと描かれながらその声をしっかり当てているのも見どころであり聞き所かも。誰かを演じるのではなく自分自身を演じるといった感じだから割と出しやすかったのかもしれない。三木眞一郎さんは自分がしっかりと履歴を確認できない役はやらない人だけに、長濱博史監督もしっかりとどんな人物か教えているみたい。そんな三木さんが作った声ならその一言でもキャラクターの心情が滲んでいるに違いないので耳をそばだてて聞こう、第1話のラストのセリフを。

 それにしてもスタン・リーと豪華だしトレヴァー・ホーンの音楽も凄まじい。どうやってそんな大物たちとコンタクトをとったのかって当たりが気になったけれどもこれはもう長濱博史さんが好きだ好きだ大好きだと言い続けたことがめぐり巡って紹介してくれる人がいて、スタン・リーに届いて好きなら一緒にやろうぜって話になって、そして1回頓挫をしてもやっぱりやりたいならやろうぜってことになって、こうして結実したらしい。10年くらいはかかったけれど、それでも実現できるなら人間、好きだやりたいやらせろと言い続けるのが良いのかも知れない。天は見ている。人は知っている。そんな感じ。

 9nineといえばメンバーだった川島海荷さんが「ナナマルサンバツ」で声優を務めていたけれどもその声はううん、喋りはともかくやっぱり声質的にキャラクターにマッチしているかどうかってあたりが感覚的に迷うところ。慣れれば気にならないのかもしれないけれど、ああいった造形のキャラクターが喋る声ってのがフッと浮かんでそれとのギャップに今は迷っている。でもストーリーは抜群に面白いし見ているだけでクイズの勉強になるんでこれは欠かさず見ていこう。これが売れたら青柳碧人さんの「双月高校、クイズ日和」なんかも実写映画化ってことになったりしないかな、あれだけ数書いているのに映像化からはほど遠い青柳さんにこのあたりで光を。そして「浜村渚の計算ノート」の映像化を。


【7月4日】 置鮎龍太郎さん47歳に関智一さん45歳に保志総一朗さん45歳に阪口大助さん43歳に吉野裕行さん43歳に杉山紀章さん43歳に岸尾だいすけさん43歳に根谷美智子さん51歳に子安武人さん50歳に三木眞一郎さん49歳という、名前を聞けば凄まじくも凄い面々が勢ぞろいしつつも年齢を見るとなかなかにおじさんおばさんだったりするところに、今時のイケメンイケボイス声優さんを並べて視聴者をかっぱぐようなアニメーションとは違った腰の据わりっぷりを感じた「潔癖男子! 青山くん」。それで演じるのがおじさんだったらまだ分かるけれども現役ばりばりの高校生たちによるサッカー部員だというのがまた凄い。いや根谷さんは顧問だからちょっと年上か。でも実年齢の半分くらいか。

 10年前ならキャーキャー言われた面々でも今となると若い世代に押され上に押し上げられてしまうところがありがち。それは世代交代だとも言えるけれども、俳優だったら脂ののりきった演技巧者として引っ張りだこの40歳代がもう上がりとされてしまうのは間違っている。そう考え敢えて40代から上の声優さんばかりをキャスティングしたなとしたら製作した側の信念って奴にも感嘆すべきところがある。実際に子安さんにしたってまだまだ存分に聞かせてくれている訳で、これを機会に若くて受けるからってだけのキャスティングが改まってくれれば声優になって若くして使い捨てられるような寂しさもなくなっていくと思いたい。40代女性声優陣だけのハイスクール物って次ぎに来るかな。南央美さん久川綾さん田村ゆかりさん堀江由衣さん……は17歳だから入らないか。気をつけないと17歳教には。

 まず言っておくならそれはクールジャパン機構という組織の問題ではなく、2人と言われるセクハラを行って批判されている人物がおそらくは共に経済産業省から出てきた人だとしたら、そうした性質の人物を送り込んだがあるいはそうした性質の人物が蔓延りやすい経済産業省の問題であって、日頃の業務の中で育まれた妙な意識がいちおうは上司の目もあり体面もある役所の中では抑えられても、外に出てそこでお殿様然とした時に解き放たれてしまったんだと言えるだろう。にも関わらず経済産業省では「経産省は投資の適切性は見ているが、機構内の職員のトラブルは機構で対応すべきだ」なんて言ってしまって責任の所在を認めてはいない。

 対応として拙いような気もするし、それで済ませてはいけないような気もするんだけれど、クールジャパンといういわゆるオタクな人たちからは毛嫌いされているバズワードが前面に出てしまっている関係で、ああクールジャパンなら仕方が無いかといった短絡でもって語られてしまっているところがあってちょっと気分が優れない。もちろんクールジャパン機構がやっていることの全てが褒められるような案件ではないけれど、ちゃんと仕事をしている部分もあってそれが日本のクールを世界に知らしめているなら認めた讃えるべき。そして同時に職員に対して非道な振る舞いをしたものがいて、それが共に同じ属性を持っているならその属性をひとつのポイントにして、元よりのエリート意識なり出向に伴う旅の恥はかきすて的振る舞いなりを挙げて批判すべきだろー。

 官僚の天下りが問題だって言われるけれども、そうやって下った先で雇ってもらうからには立場も決して役所にいたころのような上から目線ではいられない。自ずと態度にも丸みが出てくるものだろー。そうでない人もいるとは思うけれど。でも出向でもっていずれは元に戻る身ならそこで何を暴れようともいずれ上に立てることは確実。だったらと傍若無人に振る舞って当然と思っても不思議は無い。天下りより天腰掛けの恐ろしさをこそ世間は追究し、出るなら戻らない覚悟って奴を持ってもらうくらいにしないと同じことはまた起こるんじゃなかろーか。そういえば前の文部科学省事務次官を「官僚のクズ」と罵った通商産業省つまりは今の経済産業省の元官僚がいたけれど、自分の古巣の同僚たちが犯した「人間のクズ」に等しい振る舞いに、ちゃんと罵詈雑言を投げつけるか。目下の注目。きっとスルーするんだろうなあ。

 テロリストに襲撃された学校にいた冴えない少年が実はとてつもない凄腕の傭兵でテロリストたちを叩きのめして撃退し、そして迫った首謀者がかつての傭兵時代の恩人だったというシチュエーションの、それ自体はどこかで読んだこともあるようなないような気がしないでもないけれど、そこに美少女を入れてロボットを混ぜてテロリストではなく謀略によって冤罪に陥れられた元軍人といった設定を載せると少し変わった雰囲気の作品に仕上がる。坂下谺さん「スクールジャック=ガンスモーク」(ガガガ文庫)はそんな感じのストーリー。機巧外骨格っていうかつまりはロボットみたいなものに乗って戦うことが普通になりつつある時代、そのパイロットを養成する学校があってそこでエースと呼ばれている花江だ連理という少女は、過去にテロに遭って両親を失ったところを情報軍という機巧外骨格を操り戦う部隊の最初の任務によって助けられた。

 感動して自分もそんな機巧外骨格乗りになるぞと養成するための学校に入って、そこに整備のために来ていた少年が黒宮凜児。実はかつて情報軍に所属して戦っていたことがあったけれども、敵国に教われ一般市民が大勢が死んだ街に入って悲劇を目の当たりにしたことが、逆に情報軍のせいだとされて糾弾をされて世間からつまはじきにされる。凜児は辞めて機功外骨格を整備する会社に入ったものの、そこでかつて乗っていた機体が置いてある学校に行き当たって通っていたりもした、そんなある日、その学校がテロリストに襲われる。ちょうと来賓として情報軍を嵌めたらしい陸軍の偉い人が来校中で、それを狙っての犯行だった模様。そしてそこの中に凜児が所属していた部隊の上官が混じっていた。

 意図せずに起こった師弟対決。上官は自分たちを追い詰めた世間に対する復讐めいたものを起こしたいと考えていた。けれども凜児は自分を追い詰めた世間よりもそんな世間に弓引くかつての上官たちを許せなかった。そんな激突の場に居合わせた花江連理は、かつて2人が助けた被災者。因縁を持った3人の激突は謀略によってつまはじきにされる悲しみがあり、だから世間に対して復讐しても構わないのではといった誘惑があり、けれども正義のために戦った者として犯罪は罪でありテロは許せないことだといった信念を貫く強さがある。ゲリラ戦的に戦う方法や機功外骨格を操っての戦いの迫力などが楽しめる1冊。凜児がなかなか機巧外骨格に乗れなかったトラウマへの挑戦もあって、どうやって超えていくかも分かる。自分をしっかり持つこと。そして絶対にブレないこと。そんなことを強く自覚したい。

 アメリカ攻撃月刊なんでアメリカを嫌がらせることが出来れば、というかそういったアピールを国内向けに出来さえすれば偉大なる将軍様も満足となるから本当はそうでなくてもそうだと言っていた可能性も考えた。でも北朝鮮中央テレビが大々的に大陸間弾道ミサイルの発射に成功したと発表して、今までの火星12号とは違った火星14号だとネーミングをしていたところに本気の度合いを感じたし、周辺でも上がった高さや届いた距離、そして飛んでいた時間なんかから類推して、これを中距離弾道ミサイルだと言い抜けることは無理でやっぱりICBMの開発に成功したんだと見る外部的な判断も現れ始めた。打ち向けに嘘をついても外から寄せられるこうした意見で嘘がばれれば現場も命が危ないなら、嘘は付かずに本当のことを言うってもので、そして本当にICBMが出来たのだとしたらあとは核弾頭を詰めるかどうか、飛距離をさらに伸ばしてアメリカ本土まで届けらっれるかといった当たりをひとつの判断基準いして、アメリカ側からの反応もいよいよ出てくるだろう。トランプ大統領は何をする? ラリアットを食らわせるか? 要注目。


【7月3日】 世間が東京都議会議員選挙で沸き立っている最中に将棋の竜王戦予選で佐々木勇気五段と藤井聡太四段が対局をしてどっちが勝つかに注目が集まる中、フジテレビがミスターサンデーで都議会議員選挙を伝えつつもあのレジェンド加藤一二三九段を解説に招いて終盤の模様を紹介。珍しく大盤を使って指し手を見せつつここからどうなるといった予測も行う本格的な解説で、そこで状況から加藤一二三九段がきっちりつ詰めてみせては佐々木五段の勝ちを予測していたあたりがさすがはプロ棋士だった。NHKの将棋中継では普通にやられていることだけど、民放なんかでは珍しく初めて見た人にはまだ先があるのにもう終わりと分かるんだって驚かれたんじゃなかろーか。

 でも将棋を報道するならやっぱり必要なのはこうした手順の解説であって、それは野球中継で配球を整理したり次の配球を予測したり、打撃の巧さを指摘したりするのと同じこと。あるいはサッカーの中継でどういったパスが効果的でそこで誰が走っていたからパスが通ったのか、シュートまでどういう風にボールが運ばれたか、その際のディフェンスのポジショニングは正しかったかといったことを紹介するのと同じこと。つまりは普通のことなんだけれどなぜか将棋ではそうした指し手に関する話より、何を食べたか何を着ているかどこを見たかといった周辺の話ばかりが取り上げられる。野球の試合で合間にベンチ裏で何かを食べたなんて話は絶対に取り上げられないにも関わらず。

 あるいは棋譜を持っている主催者が他社なり媒体にリアルタイムでの大盤解説をしないようもとめているのかもしれないけれど、だったら後の番組でだって紹介すべきなのにあんまりやられない。分からないから? そういう理由付けもあるみたいだけれど分からないことを分からないままにしていたら永遠に分からない。そこで何がいったい将棋の面白さなのかを理解して、手順を解説してどれが妙手でどれが敗着だったかをしっかり指摘しておくことで、見た人がそうか将棋って奥が深いんだと思い自分でも並べてみようとなれば、新しいファンが広がり市場も生まれてそれが番組にだってなっていく。刹那の快楽を満たすより未来の糧を今から育む努力。それがメディアの役割なんだけどなあ。そういうことをする余裕もなくなっているんだろうなあ。

 誰のためのテレビ? ってあたりをなおざりにしているような案件がここにも。テレビ朝日が今は日曜日の朝7時から9時くらいまでかけて放送しているアニメーションや特撮ヒーロー物の枠を少し後にズラすことになったとかで、代わりにジャニーズ事務所の次代を担う東山紀之さんがキャスターを務める情報番組とやらを持って来るらしい。生放送だから朝が良いってこともあって選んだ時間帯。でも裏にはフジテレビの新・報道2001もあるし関口宏さんが長く司会を務めて朝の定番になっているサンデーモーニングなんかもあったりする中で大変そう。これで挑戦して撤退なんてことになったら、東山さんのキャリアに傷が付いてジャニーズ事務所的にも宜しくないから是が非でも成功させようとしてくるだろう。ジャニーズのタレント総動員とかして来たりして、情報番組なのに。

 問題はそれではじき出された仮面ライダーとスーパー戦隊がそれぞれ午前9時からと9時半からになることで、ともに東映が一生懸命に育て育んで来た番組で、それに玩具のバンダイも乗ってスポンサーとして支えてきたコンテンツ。それがあろうことか裏番組にやっぱり東映グループのこちらは東映アニメーションが看板にしている「ドラゴンボール」があり、そして「ONEPIECE」があってモロに激突する。「ドラゴンボール」も「ONEPIECE」も玩具やゲームはやっぱりバンダイナムコグループが強くって、同じ会社がスポンサーとして支える番組が、裏と表で激突して食い合うような自体が10月から起こるのか、それは拙いとフジテレビの方が枠を変えるのか。ちょっと動きから目が離せない。

 フジテレビが動かすとしたらそれは視聴率的にかなわないと感じ、別の方が良いと判断したってことでもあるし、テレビ朝日の足下にひれふすってことでもある。左前になりつつあるテレビ局へのネガティブなイメージが増すことにつながりかねないだけに踏ん張りたいところだろうけれど、それで共倒れになったらかなわない。どこかで妥協をするんだろうなあ。「ワイドナショー」と入れ替える? それだどアニメが昼に近くなり過ぎて出かけてしまう人が多くなって見てもらえなくなりそう。いっそ水曜日の夜7時とうかつての定位置に戻るとか? それで視聴率がとれる状況じゃないからこそ、アニメは夕方から駆逐されてしまった。いっそあったら深夜のノイタミナ枠に持っていくか。監督も湯浅政明監督を起用して。グニャグニャ動いてゴムゴム伸びる「ドラゴンボール」と「ONEPIECE」が見られるようになったら、それはそれで面白いんだけれど。面白がってる場合じゃないか。

 あれは青山スパイラルホールでの発表会見、「ドラゴンクエスト」なんかの開発を手掛けていたゲーム制作会社のレベルファイブが、自分たちで新しくソフトをパブリッシングするっていうことを打ち出して、そこで出して来たのが「レイトン教授と不思議な町」だったっけ。今も若々しいけれども当時はさらに若々しかった日野晃博社長が「PRGではない。自社ブランドとして新しいタイトルを打ち出す上で、あえてレベルファイブらしくないものを出す」って話していた。ニンテンドー3DSっていうハードウエアの特性なんかも鑑みつつ選んだそのタイトルが、10年を経て世界出荷1600万本のビッグヒットになるとは、当時どれだけ予想した人がいたんだろうか。日野さんには確信があったんだろうか。ちょっと聞いてみたくなった。

 そんな「レイトン」シリーズも10年が経っていよいよ代替わりに突入した模様。ベルサール九段で開かれた発表会で明らかにされた新作には、何とレイトン教授が登場しないで代わりに娘さんのカトリーエイル・レイトンが新しくレイトン探偵事務所というのを開いてロンドンの街に起こる事件を解決していくことになるらしい。声は有村架純さんで声優となると「思い出のマーニー」のマーニーとか、「くるみ割り人形」のクララなんかを演じたことがあるけれど、今度は勝ち気でそれでいて淑女といったちょっぴりオトナびた役どころ。どんな声を出すかに注目が集まりそう。そして相棒も変わって今度はシャーロって喋るイヌが務めるんだけれど、その声をあの役所広司さんが担当するというから驚きというか。ちょっとだけ見た映像によると、どこか気だるくユーモラスな雰囲気を醸し出していた。

 役所さんも声優だったら最近は細田守監督の「バケモノの子」で主演の熊徹を演じていたけれど、その同じ映画でサルのバケモノの多々良を演じていたのが誰あろうレイトン教授役の大泉洋さん。今回、出演がなくなっていたことについてビデオメッセージを寄せる中で「ところで私は呼ばれていないのかということは非常に疑問なところでありまして」と話して、本当はそこにいたかったよなことを仄めかし、娘役となった有村さんとは恋人役が良かったとかボヤき、「レイトンはどのように参加してくるのか楽しみにして」とも言って登場をアピールしていた。

 これを聞いて役所さんは「今のコメント、すごく見苦しいですねえ、嫉妬と悔しさがありありと出ている感じ。次が出られるんじゃないかという希望を持っている感じが卑しい」と一刀両断していた。本心なのか冗句なのか分かりづらいけれど、互いに言い合う関係があるんだなあとは思った。でもやっぱりあの「英国紳士としてはね」が聞きたいから、レイトン教授と大泉洋さんには是非に出演を願いたいなあ。カトリーは何って言うんだろう。「英国淑女としてはね」って言うのかな。「英国レディはいつも優雅に」とかだろうか、紅茶を飲みながら1滴もこぼさず優雅に、ってそれは違う人か。スマートフォン版もあるみたいなんで発売されたら遊ぼうっと。


【7月2日】 小説を読んでいるかテレビアニメーションを観ているかしないと誰が誰だかさっぱり分からない可能性が高そうだけれど、小説を読んでいたりテレビアニメーションを観ていたりしてもやっぱりあんまり誰が誰だか分からないから気にしないで見るのが良いかもしれない「劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女」。とりあえず司波達也というとてつもない魔法を使えるけれども感情に乏しくそれでいて妹の司波深雪は絶対に決めている少年がいて、そしてそんなお兄様が大好きで大好きでたまらない深雪という妹がいるという関係性は理解。加えて美雪もとてつもない魔法使いであらゆる運動を固めてしまえる能力を持っている。

 分子運動を固めて凍らせてしまうことだって自由自在。その威力は凄まじくって映画でも煮えたぎる火口のような爆心地へと近づいてサッとすべてを固めてしまう。海に浮かぶ潜水艦だってカチンコチン。それって最強かというとより最強なのが兄の達也でこちらは戦略級の魔法師といった称号というかカテゴリに入れられていて国家によって管理され時々軍の仕事もしては攻めてくる隣国の港をまるまる吹き飛ばしていたりする。「マテリアルバァーストォ!」なんてかけ声は必要なくて狙って分子を1滴。それをそれこそ核分裂なのか核融合なのか分かってないけどいじって膨大なエネルギーを引っ張り出す力を持っている。

 そうした分子に作用する魔法の使い手でもある達也は、けれども魔法の絶対量が少なく魔法科高校では2軍扱いで最初は区別されていた。だから劣等生。「魔法科高校の劣等生」というタイトルはそんなところから来ている。でも隠しておけないその能力を発揮して、学校内での事件から隣国が攻めてきた騒乱まで、あらゆる場所で大活躍して信頼を得ていく。仲間も増え知り合いも増えていった果ての大所帯が、「劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女」の冒頭に出てくる別荘での男女の集団といったところ。そういう理解でだいたい宜しい。

 さて映画はといえば、そんな別荘からちょっと離れた場所にある、海軍の基地か何かがある脇のショッピングモールで買い物していた帰りに自家用のティルトローター機にひとりの少女が紛れ込んでいた。名をカカオというらしい少女は実は海軍の研究所が密かに研究していた、魔法師を束ねてその魔法力だけを抽出し、戦略級の魔法士にも匹敵するような凄まじい魔法を発生させること。でもそれは非人道的なことで、そうした"実験”に因縁があった達也を動かし一行はとらわれている少女たちをまとめて救い出そうと動き出す。

 一方で新たな集団的戦略級魔法師の登場を問題視する国からこちらも戦略級の魔法師リーナが送り込まれて来て、研究所を根こそぎ消してしまおうとして逃がそうとしている達也とぶつかる。過去に戦い知人でもあった2人。そして起こったとてつもない災厄に敵対する2人はどう挑み、そして何が起こるのかといったところがクライマックス。誰が誰だか分からなくても、魔法の力を搾り取ろうとする非道な研究が軍部で行われている問題について挑む正義が為されようとしているといった理解は出来るだろう。

 ただし、魔法師が絶対の正義かというと過去に遺伝子操作で生み出され、強大な力を持って国を支えあるいは動かしてきた魔法師たちは行政としての国家とはまた違ったところに権力を持っていて、その維持と発展のために協力したり、家どうして対立したりしている。達也と美雪も四葉という家の中で駒として動かされる立場。映画では虐げられる魔法師の少女たちのために活躍したけれど、それが家のためにならないと分かれば果たしてどう行動したか。そうした権力の関係性が別にあてこの「魔法科高校の劣等生」というシリーズを勧善懲悪のヒーローものとは違う立場に置いている。だから面白いとも言えるのだけれど。

 映画にも登場した剣術道場の千葉エリカはむしろ正義のかたまりで、一緒にいた吉田幹比古 や西条レオンハルトもどちらかといえば若い正義で動いている。けれども途中に現れた強力なバリアをはれる十文字克人や海中から氷を放った七草真由美には家もあってそれぞれに別の思惑で動いたりもする。学園バトルにして社会性も帯びて外交の問題も入れつつそれでもやっぱり迫力の魔法によるバトルが楽しめるシリーズの、ほんの一端を味わえる物語として「劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女」を観るのが良いのかも知れない。あそこで解放された少女たちはその後、いったいどんな運命を辿るのか。軍部とは別の家々の思惑も渦巻く魔法師の世界にようこそ。使い潰されないことを切に願う。

 ははははは。そんな「劇場版 魔法科高校の劣等生」を観たおまけにもらった冊子は小説でちょっと前に描かれていた、魔法師の存在をもっと一般に理解してもらうためには可愛い魔法師を前面にうち立てアイドル活動をしてもらえば良いって七草家の思惑を、四葉も受け入れ司波深雪をアイドルとしてデビューさせ七草真由美もその妹たちも千葉エリカまでもがアイドルデビューしていくといった並行世界のストーリー。そして起こる大フィーバーはその未来を選んでも悪くないと思わせるけれど、魔法師へのやっかみではなく深雪のあまりにも美しい声が観客を迷わせ惑わせてしまったことが魔法師への疑念をそうではないのに生んでしまって批判が起こり、賛意も起こってぶつかり合って賛辞を招くといった展開。美しいってやっぱり罪なんだなあ。そうはならなかった未来が今は進んでいるけれど、いつまたラプラスの悪魔は違う未来を選ばないとも限らない。ありえるか柴田美月のデビュー。そして水着。いやファンなんで、眼鏡なだけに。

 これもあるいは並行世界の「Re:CREATORS」か。総集編とはいいつつそのままやらずに物語の中で物語から生み出された存在としてのメテオラちゃんをその外側へと引っ張り出して物語を語る存在においてはこれまでの出来事を語らせつつ自在に変化もつけてみせては仏頂面の頭でっかちではなく褐色のナイスバディを持ったアクティブな女性にして引っ張らせる。それでいったい何が起こるってこともなく、見た人が嬉しかったってことだけれどもファンのリアクションこそがエネルギーになるあの世界では、そうした変化を望めばあるいは物語の中のメテオラも、褐色のナイスバディナお姉さんとして登場してくれるかも。そして復活したシマザキ・セツナが歌ってそれがまた……。そりゃあディスコメも集まるはずだよなあ。仮想の未来はやっぱりなしってことで。

 「左がかった人たち、安倍政権をたたきつぶそうと必死」といった見出しもまた唖然呆然とするような、単なる個人的な嫌悪感から出た区分ワケに従っての、自分が好きな存在に対する攻撃的な一派をレッテル張りして排除しようとした言動であって、そして安倍政権なるものへの絶対的な信奉から来る攻撃者への反意であってそこに政治的中立性だの公益性だのといったスタンスは欠片もない。なおかつそうした個人の講演録が、所属する新聞社の題字を背負ったサイトのトップに堂々掲載されていることがどうにもこうにも悲劇的というか喜劇的というか。自分のところの社員がどこかで喋りましたって公器を標榜して公益に殉じるような報道をすべき新聞社がやってオッケーなのかねえ。オッケーなんだろうねえココん家基準じゃ。もう本当にやれやれだ。

 そして東京都議会議員選挙が行われて自由民主党は大敗して都民ファーストの会が大躍進。都民ファーストの会がいったい何をやってくれるかなんて期待が薄くて小池百合子東京都知事への追い風に乗って当選した雰囲気も多々あって、その一挙手一投足を仰ぎ見るだけで影響下から抜け出せず逆らえば公認を外されるんで言いなりになるだけの、国政での自由民主党といっしょなだけじゃんと思わないでもないけれど、そういう批判を受けた自民党のカウンターとして登場したならそれなりにチェック機能も働かせて、小池都知事独裁の追認機構とはならないと思いたいけれど、そうはならないのが日本の政治って奴だからなあ。派閥政治だったころの自民党ってどうしてあんなに巧く回っていたんだろう。改めて55年体制の罪ではなく功の部分を研究してみたくなった。さてもどうなることか東京都制。そして自民党政権。


【7月1日】 終わってみれば「正解するカド」はファーストコンタクトものというよりは、「<映画>アムリタ」から「2」までで綴られていったメディアワークス文庫での小説群に登場した最原最早が、娘の最原最中に託そうとしたこと、ハヤカワ文庫JAから出た「know」で道終・知ルが向かっていこうとしている先、そして講談社タイガで続けられている「バビロン」シリーズで人を死に誘う曲世愛というが企んでいることといった、人類そのもののが知性を発展させテクノロジーと融合し、死をも超越してその先へと向かうためのステップを少女や女性を導き手として描いて来た、野崎まどさんという作家の別のアプローチだったのかもしれない。

 ヤハクィザシュニナが真道幸路朗を相手に抱いたそれは恋情にも似た感情で、そうした感情を異方存在が持ち得ることが意外だったけれども世に知性と呼ばれるものは合理化されるほど感情から離れてしまうもので、そしてふと思い返した時に合理性ゆえの足りなさに気付いてノイズのようなものとして、感情をもとめその中でも屈指の心地よさをはらむ愛情にすがろうとするのかも。でもそれを受けられない立場でもある真道がとった方策の凄まじさ。他人に16年もの人生を吐き出させるとは驚きだけれど、それに従ってしまうくらい花森は真道に心酔していたのかなあ。

 あるいは美少女と16年間も一緒に暮らせる僥倖に酔った? いやいや赤ん坊は泣き幼児は暴れ小児は怒りそして思春期には反抗期が待つ子供を育て上げる大変さを思えば、相手が美少女だからって受け入れられるものでもないか。だからこその花森の助けが光ったヤハクィザシュニナとの最終決戦。人類は勝ったけれども肉体としての存在を失ってしまった真道幸路朗を果たして徭沙羅花はどこまで追い続けるのか。ラスト、ベランダからふっと横に消え、そしてクリアボックスに飾られた3つの折り鶴のうちの1つが動いたのが気になった。あれが3人の家族の象徴として、そして家長とも言える存在に動きがあった? だから会いに行った? 分からないけれども今後いろいろと分析も出るだろう。野崎窓さんによる本も出るっぽい。どんな解釈になるのか。「野崎まど劇場」的なちゃぶ台粉砕解釈だったらそれこそ喝采だ。

 こちらもとりあえず最終回だった「ソード・オラトリア ダンジョンに出会いとを求めるのは間違っているだろうか外伝」は小説として読んでいるから展開はだいたい分かっているけれど、59階層でもって出会った精霊が変じたモンスターの連続詠唱を相手にまずは耐えたリヴェリアの魔法、落ち込む仲間を鼓舞して戦陣を斬って突っ走った団長フィンの勇気、防御するモンスターの固い弦を手にした戦斧でぶち破り切り裂き道を作るガレスといったロキ・ファミリアの古参の凄まじいばかりの強さが目の当たりにできて、これで結構強いと思っていたベートでありティオネ・ティオナの姉妹でありといった面々のまだまだ感が浮かぶ。でもやっぱりアイズは強いなあ。そんなアイズでも危なかったところを救ったレフィーアが格好良かった。この遠征の最大の勝者は彼女かも。そう認めてもアイズはやっぱりベル・クラネルが気になってしまう。報われないなあ。それが恋って奴か。だったらしゃあなしだ。

 これも潮目か。日曜日の東京都議会議員選挙投票を控えて最後のお願いに回って歩いていた政党の党首から自由民主党の安倍晋三総裁が出ては秋葉原で演説を行ったみたいだけれど、帰れコールをか浴びせられやめろといった横断幕も飾られて散々な出迎えだったみたい。秋葉原といえばかつて麻生太郎さんが総理大臣だった折りに選挙戦で訪れて演説をして我らが麻生と歓待された土地。その後も何かあるたびに日の丸が何本も立って自民党政権を支えるような雰囲気を醸し出していた。ネットを愛好するそうした人たちに親和性もあったってことなのか。でもさすがに今はライトだ何だといった方面からの敬愛を超えて、自分たちの職だとか居場所を奪いかねない政権だって意識が芽生えてきたのかもしれない。

 それかかつては親派がガチガチに固めて入る余地もなかった保守系候補者の演説に、今はすき間も出来て反対はが入り込んでシュプレヒコールを上げて横断幕を出すくらいの余裕が生じたのかもしれない。つまりは支持率の低下。そうした状況を目の当たりにして果たして安倍総裁は何を思ったかというと、自分に罵声を浴びせる人たちを敵視しこんな人たちに負ける訳にはいかないと吠えたとか。こんな人たちでも有権者であって国民であって、そうした人たちからどうして反対の声が上がるかを感じて噛みしめるのが国を率いる者の責務だろう。でも自分に反対するものは敵であって存在が許されないかの如くの発言。そんなところに安倍晋三総理という人物の厄介さが見て取れる。どうして未だに半分くらいが信じているんだろう。そこがどうしても分からない。

 丸の内TOEIで昨日今日と開かれてている「劇場版 美少女戦士セーラームーンR」の応援上映で今日は幾原邦彦監督の登壇があったんで見物に。あの映画のことであり、聞き手がきゃんちだから絶対に18秒の止め絵のことが語られるだろうと思い、ととりあえず予測で予定稿としてこう書いておく。「怪物に襲われ店の中に投げ込まれたうさぎが目覚めないのをみかね、ちびうさが鼻をくすぐって起こそうとする場面では、伝説とも言える長い止め絵が使われている。これについて幾原監督は『テレビだったら放送事故になったかも』と話し、映画ならではの面白さをねらったことを明かした」。怪物に襲われたんじゃなくって、妖魔に教われそうになったちびうさを抱えてうさぎが自分から飛びこんで気絶したんだけれど、そんなシーンについて登壇した幾原邦彦監督が語るには。

 18秒の止め絵のことは「覚えています。テレビでやれないことをやろうと思いました。テレビは無音が禁止されているんです。映画じゃなければできないこと。ただただエゴです」。だいたい合ってた。たぶんそうだろうと思ったけれど、それでもAmazonプライムビデオで見ていてやっぱりギョッとしてしまった。止まってるんじゃないかとカーソルを再生ボタンの上に持っていってしまったよ。ネットでこれなら劇場ではどんな反応があったんだろう。やっぱり驚いたのかなあ。当時はまだ「セーラームーン」の映画を見に行く習慣がなくてその驚きを現場では味わえなかった。ちょっと寂しい。なので今、話題になっていることには積極的に立ち会おうと思う。とかいいつつまだキンプリの第2弾、観に行ってないんだよなあ。早く行かないと。

 例の格安航空会社の飛行機に乗ろうとしたら車イスの人は自分でタラップを歩けなければ乗せませんと言われて這い上った件で、事前に連絡していない方が悪いと行った声が出て、でも事前に連絡したら乗せてもらえなんだよと反論して、そんなことあるんかいとか言われていたら実際にいっぱいあったみたいで、宮古島に行けると喜んでいた女性が行くのを諦めざるを得なくなった。やっぱり高い壁がある。でもそれを指摘すると、今度はそもそも飛行機という乗り物は安全性の観点からっていった話が出てきて、結果としてハンディキャップのある人の選択肢を狭めていく言説がまかり通っていく。そんな泥沼をだから入り口でせき止めるためにも、健常者なら絶対にもとめられない事前に連絡という“壁”を壊して、社会全体で弱者を包み込んでいけるような空気を作らないといけないんだけれど、それを言うと自分が損をしているように想う人がいっぱい出て荒れるんだ。いつ自分が同じ立場になるのか分からないというのに。寂しい時代。


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