縮刷版2017年12月下旬号


【12月31日】 Amazonプライムで配信されているドラマで、清水潔さんによる北関東連続幼女誘拐殺人事件を扱った「真犯人はそこにいる」をそのままなぞったようだと言われている「チェイス 第1章」の制作を手掛けているらしいプロデューサーの人がツイったーで清水潔さんに向けていろいろと説明をしているけれど、とりあえず新潮社から声明が出ているんだからそれに対して新潮社に申し開きをするのが先だろう、著者に直接リプライを送って話がしたいなんて手順が違うだろうとちょっと思った。というか説明の内容が清水さんたちの神経を逆なでしそうで、それを説明したところで納得なんて得られなさそう。

 だって自分たちは清水さんも含めた足利事件なり北関東連続幼女誘拐殺人事件についての本とかは読んでいて、そうしたものに描かれているメッセージなりをもっと広く伝えて未解決事件の再捜査へと結びつけたいんだ、なんて書いてあってつまりは原著を知ってたってことを白状している。それでもドラマでは参考文献としては上げず清水さんの側から指摘があって初めて参照していたようなことを明かしては盗用であり剽窃と疑われても仕方がないだろう。

 それとも自身が弁護士というプロデューサーはドラマの著作権についても講演するほどのエキスパートだから、実在の事件をノンフィクションとして描いた著作があっても、現実の事件をフィクションとしてドラマ化するのは原著の著作権侵害にはあたらない、って判断をしているんだろうか。なるほどそれならそういう言い訳をすればいいのに、法律面を振りかざさないのはそれが決して法律的にも倫理的にも得策ではないと認識しているからだって推察できる。もっとも、それが仮に通ったとしても今度は「宴のあと」事件で認められたプライバシー権の問題で暴かれた家族が訴えるといった可能性も。新潮社と清水さんも声明を出しただけで終わる気はないだろうから、何らかの手は打たれるだろうと思いたい。さてもどうなる。

 TOKYO MXで村上隆さんが監督した「めめめのくらげ」がテレビ放送されていたんで「輝け!日本レコード大賞」なんかを裏で見つつ表で眺めながら見ていたら最後にメイキングを遣っていて、それで黒マントなんてアナクロも行き過ぎた恰好をして悪巧みをしている珍奇な4人組のうちの2人が窪田正孝さんと染谷将太さんだったことを教えられる。2013年の公開時に2人ってどれだけ有名だったかというと、染谷さんは「嘘つきみーちゃんと壊れたまーくん」で凄まじい演技を見せていたから知っていたけど、窪田さんはまだ「花子をアン」でブレイクする前。名前で観客を集められる俳優ではなかったから今のファンも映画を見逃していただろう。そんな俳優を選んだ村上さんちょっと凄い。とはいえ映画での演技は珍奇すぎて村上さんが選んだからなあと妙な納得感を得たのも実際。そこは前者で理解してあげるのがファンというものだろう。浅見姫香さんはやっぱり可愛いなあ。

 レコード大賞の方はいったい誰が取るのか三浦大地さんがいよいよ来るのかと眺めつつ欅坂46の「風に吹かれても」を見て女性のパンツスーツ姿はやっぱり格好いいなあと思ったものの、大賞は同じ坂道シリーズの先輩にあたる乃木坂46が「インフルエンサー」で獲得。2011年のデビューから結構経つとはいえやっぱりまだまだ新人っぽさも残っていただけにそのあたり、年の経つのは早いなあと改めて実感したりする。来年はこれで欅坂46が獲得することになるのかな、ジャニーズが出ずEXILE系も降りてしまっている状況では秋元康さんプロデュースのグループしかいないものなあ。SEKAI NO OWARIはどうしてとれないのかは謎。どうぶつビスケッツ×PPPは……来年どうなるんだろう。

 「けものフレンズ」といえばコミックマーケットで買った「マンガ論争18」の中であびゅうきょさんがコラムを書いててそこで「放送前までは殆ど話題にならなかったコンテンツが大きくブレイクしたのは、アニメ製作を担当したT監督の手腕によるところが大きいことは論を待たない。この方の作家性、センスなしに『けものフレンズ』の大ヒットは成し得なかっただろう」と大々的に褒めている。そしていくつかの監督公開または監督の作家性を無視した続編なりを例に挙げて「親に当たる監督、演出者から作品を取り上げて別の人間に作らせてもろくなことにはならない」とも書いている。絶対的な至言。でもそれが通らなかった状況からはろくなものにならない未来しか見えて来ない。

 T監督が降板した場合についてあびゅうきょさんは推察の中で「ロードムービーとしての『かばんちゃん』の出生の秘密を巡る旅の結末、そしてジャパリパークが作られた謎、更にはセルリアンの正体等はT監督なくしては描ききることは不可能だ」とも。そうした意見をあるいは引き継ぐ制作元が聞き入れ、スタジオとしてのヤオヨロズは外してもクリエーター集団としてのirodoriを雇って作らせるかとうと、そこが1番ネックになっているから話は進まないだろうなあ。同じ号では小川びいさんがアニメ界を振り返って「当初の製作委員会サイドの頑なな態度には、実利面に留まらない、主導権争いの影もちらつく」と仄めかしている。いわゆるコアメンバーの壁がT監督を阻んでいるならそこを突破するのは容易ではない。やっぱりここは無理と諦め「ケムリクサ」の映像化に期待をつなぐしかないのかなあ。そして5年が経って「Z」として再会された「機動戦士ガンダム」のような再来を期すしかないのかなあ。

 あびゅうきょさんは「ガールズ&パンツァー」の2次創作本を出していて大洗での戦車戦が文化大革命学院による占領へと変わって大洗女子学園と黒森峰女学園が包囲の中に孤立する形となって次々とチームが葬られていくといった展開。その第3号では期待のサンダース女学院が西の方から侵攻して文化大革命学院の包囲を突破しようとしたものの、122ミリを積んだJS3ことスターリン3号戦車に待ち伏せられてナオミのファイアフライが撃破されケイたちにも危険が及んだため撤退の憂き目に。すでに聖グロリアーナ女学院も引き上げていて残すは西住みほのあんこうチームと西住まほのティーガー1型くらいしかなくなっているのに相手はさらに強敵クメールルージュ女学院を投入するとか。激しさを増す戦場でみほは生き残ることができるか。っていうかあびゅうきょさん、容赦ないなあ。

 高円寺に出来たシアターカフェプロセニアムで長編アニメーション映画の「算法少女」を見る。映画で久留米から来た少年の万作を演じた市川愛子さんが作り上げた映画も上映できるカフェで、奥に白い壁面が作られそこにBENQのプロジェクターから投影する形でなかなかの発光が得られてくっきりと見られた。見るのは1年ぶりでたぶん3回目くらいだけれどやっぱり良い映画。最後まで展開は知っていても算額に対する異論から算法での対決、そしてラストシーンでの千葉あきの懸命な様とかを見たくてしっかりと目をスクリーンに向けてしまう。それだけの吸引力がある映画がどうして劇場でしばらくかからないのかが謎だしもったいない。シアターカフェプロセニアムでは月1くらいで上映もしていくそうだけれど、でもやっぱりまた大きなスクリーンで見てみたいなあ。それだけの映画なんだよ本当に。それが2018年の大きな希望。お休みなさい2017年。


【12月30日】 ハヤカワSFコンテストに残っていたらしい伊藤瑞彦さんお「赤いオーロラの街で」(ハヤカワ文庫JA)を読み始める。太陽フレアが起こって変電所がぶっとび電気がまるで届かなくなってしまった世界で何が起こるのか、ってあたりを描いたフィクションだけれど当初を北海道の知床あたりに持っていって電気がなくてもどうにか暮らせるようにしつつ状況に馴化させ、それから東京都心部へととって変えさせ激変から少し外れて停滞気味にある都市の電気がないと暮らしにくい様を見せて未来に起こりえる事態を想起させる。暴動とか反乱の類が起こらないのは政府も行政も機能しているからなんだろう。そこからどうやって立ち直っていくか、それまでどうやって凌いでいくかがいろいろ参考になりそう。年内には読み終えたい。明日までじゃん。

 HDDに溜まったアニメーションをBDに移す作業をしながら「ボールルームへようこそ」を17話あたりから最終回までざっと見ていく。ちょうと漫画で読んでて胸が痛くなってきた、富士田多々良と緋山千夏とがペアをしっかり組める合宿に息ながらも対立ばかりしていて先が見えない状況から始まって、都知事杯へとのぞんで予選からだんだんと勝ち上がっていく中でお互いの欠点を認め合いつつ利点を探りあっていく成長が見られるようになっていた。短時間でそんなに人はわかり合えるのか、なんて思うけれども元よりきっとお互いの才能だけは感じ取っていた間柄。それをぶつけ合うより重ね合う方向へと舵を切るまでが大変だったってことなんだろう。

 しかし本当に圧倒的な作画力。スピーディーなだけじゃなくピンとはった背中から両脇へと伸ばした腕までがしっかりと決まった絵を描き映像として整えつつ、デフォルメされた部分なんかを迫力たっぷりに見せるなんていったいどれだけの作画陣が関わったんだ。これをCGでやろうとしたらなるほどモデルは綺麗でも動きはこぢんまりとして収まってしまう。ぐっと伸びてくるような手とかばっと近づいてくるような肢体とか。それはCGのモデルを工夫して撮ってもやっぱりそは見えない。何かしらの加工が必要だけれどそれでもやっぱり漫画のような迫力にはならない。作画の強さが生きたアニメーション。CGで一方で「宝石の国」のようは迫力のバトルも描ける今って本当に面白い時代だ、アニメーションにとって。

 12時10分からと少しだけ早い時間になっていたんでそれならと新宿バルト9へ行って「龍の歯医者」特別版を観る。野ノ子はそうかあの殺戮虫が大暴れした戦場で殺意がないからと生き延びた顔に傷のある少年兵に後、龍の幼生を追って地上へと降りたところで射殺されるのか、ってのか野ノ子が龍の歯医者になる時に見た、キタルキワでのシーンでこれは短編版「龍の歯医者」でも描かれていた部分。未来の運命を映しつつこれからの生へと足を踏み出した断片から前後に話を膨らませ、そして大きく先へとつなげたのが長編アニメーションとなった「龍の歯医者」なんだと見えてきた。

 もしかしたらあの殺戮虫が大暴れした戦場にいたりしなかったら少年兵は龍に恨みを抱くこともなく、それを操る龍の歯医者を射殺するようなことにならなかったのかもなあ、とも思ったけれどそれもまた廻る運命って奴なんだろう。キタルキワで野ノ子が少年兵の銃弾を受けたのもあるいはその見た目がかつて知り合ったベルに似ていたからなのかもしれない、なんていろいろとのりしろ部分への想像が膨らむし、天狗虫となってしまった柴名の行く末も気になるけれどもそれも含めて思い続けて楽しもう。何せ龍はジェット機が飛ぶ時代まで生きてそれからも生き続けているんだから。

 今はまだジグジグとくすぶっている感じだけれどもAmazonのプライムビデオで配信されているというドラマ「チェイス」が清水潔さんによる北関東での連続幼女誘拐殺人事件に関する著作「殺人犯はそこにいる」に設定も展開もそっくりだといった指摘はいずれ盗用か否かといった問題に発展していきそう。ドラマ制作では過去にも例えば「おたんこナース」にそっくりな「ナースのお仕事」というものがあっていろいろと取りざたされ、それから竹熊健太郎さん原作の「チャイルドプラネット」がドラマ「僕らの勇気未満都市」にまるっと持って行かれて抗議の果てに製作協力の名前をクレジットしたって話もあったりする。今回もそういったケースにあたるかというと、事案が現実にあった事件だけに少し判断は分かれそう。

 ただ清水潔さんらの調査報道によって大きく明らかにされた部分というものがあって、そうした事実へと迫っていく過程もまたひとつの著作物とするならば、それを当人の了解も得ないで既知の事実だからといって拝借するのはやっぱり拙い。だったら清水さんと同じだけの取材を重ねてご家族たちの了解を得た上でドラマ化したというなら分かるけれど、そういった経緯もこの場合はあまりなさそう。ってことはやっぱりノンフィクションが先にあって、そこに描かれた事柄をフィクションの世界に置き変えたものだってことになってしまう。これははたして盗用かそれともリスペクトの類か。迷うところではあるもののご家族の方々がモデルとなっていることに釈然とせず憤りを訴えればやっぱり批判は浴びそう。どうなるか。深川栄洋監督だけに手腕は確かと思うけど、それだけにもったいない。誰の責任になるのかなあ。

 いやもうネジが飛んでいるといったうレベルじゃない。沖縄県のコミュニティFMが沖縄の新聞とかを相手にいろいろと言っていることがデマなんじゃないかと指摘され、番組審議会が動いてこりゃあダメだろうって話になっていた訳だけれど、そうした指摘に対して「一人の審議委員が、『中国や韓国の悪口を言うな』と怒り出したという。番組審議会とは名ばかりで、実態は『2紙に洗脳された人々の集まり』(関係者)なのだ」なんて書いている。誰だよ関係者って。その誰か分からない人間の妄想に過ぎない“洗脳”だなんて言葉を繰り出し番組新議員を侮辱してやまない言葉を平気で繰り出し記事化できる記者が素運在しているっていうことが、21世紀において驚き桃の木な状況と言わざるを得ない。

 どこかの全国紙の政治部次長だった人がコラムで「」エビデンスねーよそんなもん」と吹いたことが話題になっていたけれど、そういったレベルじゃなく完全なる妄想でしかない言葉を載せてもまるで叩かれないのは、それが日常運転だと思われているからなんだろう。それが良いことなの? ってそんな訳ないじゃないか。だいたいが地元紙によれば「本紙が9月、同番組を放送している沖縄市の『沖縄ラジオ』」について差別的放送があると報道後、3局は第三者機関である番組審議会を開催」し、そして「26日に出演者から『内容を改善し継続したい』と返答があったという。

 改善するからって言ってきたから続けただけの状況が、どうして「左翼の言論弾圧に屈しない」になるのか。まったく訳が分からない。まあ見えないことは見せず表面だけを取り上げ、番組が継続したのはすなわち言論が認められて勝利を得たからだと言えば信じる世間もあるってこと。そうした世間しか相手にしていないから内輪ではいくらでも信頼は稼げるけれど、周辺もしっかり見えている状況下で夜郎自大の勝利を言いつのったところで何か意味があるとは思えない。というより信頼がどんどんと削られているだけなのに、砂上の楼閣のごとくそこに留まっている間は気持ち良くなれるってことなんだろう。いつか崩れることは分かっていても。やれやれ。


【12月29日】 そしてたつき監督から「傾福さん」のアニメーションが第3パートもつけた形で5分ほどのものとして公開されて年の瀬の憂さを晴らされる。多くを語られていない世界の描写された断片から、世界の語られていない多くを想像してみたくなるという意味でこれはSF、紛うことなきSFだと革新する。傾いた巨大なレールに向かって降りてくる巨大なゴンドラの上に構築された廃墟をめぐり、電球に封印された何かを探して集めてそして箱詰めにして出荷する。あのゴンドラはどこから来てどこへ行くの。封じられているのは何なの。それは箱詰めにされてどこに向かうの。分からないことだらけだけれど、いろいろと想像は浮かぶ。

 だからといってそれを緻密に口にしたところで正解かどうかは分からない。たつき監督のことだろうからあらかじめ、世界も人物も設定もすべてがどういった意味合いのもとで作られているかを把握しているだろうし、irodoriのメンバーもそうした理解のもとでいろいろと自分たちならではの要素を付け加えて作品にしていることだろう。でもそれを向こうが語らないならこちらも想像をして答え合わせを求めるようなことはしない。ただそうかもしれないと考えつつ、アニメーションがもっと長く作られていって物語りが見えたところで、そうだったんだ、そうだったのかといった思いを抱くのだ。

 「けものフレンズ」でも第1話で示された断片から世界を創造し、それが正解だったりズレていたりするのが楽しかった。その再来をまた「傾福さん」で見せてくれるのか、それとも別の物語を用意しているのか。分からないけれどもすでに動き出しているだろうirodoriメンバーの活躍に期待。まさかサンライズだと噂されている第2期の制作現場に“古巣”だからとたつき監督が呼ばれ「ケロロ軍曹」を手掛けた佐藤順一総監督のもと、スーパーバイザー的に物語世界の構築なり、キャラクターのモデリングなりに関わってくれるなんてこと、ないよなあ。ないわなあ。それは夢だよほむらちゃんとまどかちゃんも言ってるし。悪夢でも良いから実現しないかなあ。

 しっかりと物語の終わりを見せてくれたテレビアニメーション「Just Because!」最終回は前回、泉瑛太が合格発表の掲示板の前でふっとほほえんだことで受験に成功して、そして実は志望校を変えていた夏目美緒とすれ違いになってしまうんじゃないかって不安を抱えた人も多かっただろうけれど、続いての最終回でほほえみは苦笑であり衒いであると分かってまずは安心、とはいえ肝心の美緒が最後にどっちをえ乱打かが分からないまま、卒業式では会えずそのまま1カ月が経ってそして……といった感動のストーリーは意外ではないけれどホッとはさせられたシーンが見られてとても良かった。1カ月経てばどっちも熱が冷めてそれぞれに自分の道を歩み始めてたって不思議は無いし。

 いやいや相馬陽斗と森川葉月は仕事が忙しい陽斗に女子大で同級生にさっそく囲まれた葉月がしっかりと連絡を取り合い、写真を送り合って言い関係を築いている。葉月のスマホをのぞきこんでいる同級生はそれが彼氏と知ったかな。これが共学だと出会いも増えるけれど、すでに彼氏がいると分かれば周囲もちょっかいは出さないか。その辺りは女子じゃないんで不明。いずれにしても距離とか時間じゃなく、思いなんだと教えてくれる。だったら思い続ければ小宮恵那にもいつかはチャンスが? それはちょっと分からないなあ、大学の1年生から4年生まで付き合っていたカップルが、卒業と同時に別れてそれぞれ別々の人間と結婚したなんて話はザラなんで。

 だから諦めずに追いかけるかと思ったらどうやら恵那は芸大系を目指しそう。写真部ではコンテストで自分は金賞をとれなかったけど、代わりに自分を撮った誰かがとっていたのでそれは自分も取ったも同じと考えたか。他の2人もそろって美大系狙い。甘くないのに卒業後。とおあれ高校生活の最後の1学期に起こった諸々を綺麗にまとめて描いて、余り物の時間をかけがえのない時間に変えた。鴨志田一さんのそんな魔法をあらためて見返して堪能したい。パッケージやっぱり買うべきかなあ、恵那のサイドストーリーがあるそうだし。陽斗と葉月は……それはサイドB敵小説を期待しよう。

 国連とかが決めることにそれは日本の事情がわかっていないと叫ぶ日本国内の世界のトレンドが分かっていないライティな人たちがいたりするから仕方がないとは思うけれど、そうした人たちにだけ顔を向けた政策をとってしまって国際的な約束を反故にするのはやっぱり拙いと日本政府は少なくとも、前言を翻して過去に海外で冒した過ちについて定義を改めるようなことはしていない。周辺を関節的に煽って打ち消そうとはしても。それに比べると韓国が慰安婦合意について持ち出そうとしているちゃぶ台返しは、その内容が今になって気に入らないものであったとしても、国と国との約束として公示されてしまった以上、破ったりひっくり返したりするのは国として世界に顔を向けられない事態になりかねない。

 有意な人たちはそう考えているし、市民全体をお客さんにしているメディアですら表では合意の形成過程に問題はあったかもしれないけれど、いったん決められたものであるにも関わらず、それを保護にしようとする動きに「経緯調査という名前で外交上越えてはならないラインが守られなかったという事実だ。30年間秘密にするべき外交文書が2年で公開された。今後、文在寅政権はもちろん、今後のすべての政権の外交で重荷になるのは明らかだ。日本は言うまでもなく、どの国が韓国政府を信じて秘密の取引をするだろうか」と中央日報が書き、「日本を完全に敵対視しているかのようだ。このような言動は大衆からの支持は得られるかも知れないが、外交面での影響についてしっかりと備えができているのか気になるところだ 」と朝鮮日報も書いて国益への影響を心配する。

 過去においてしでかしたことについて謝るのはやぶさかではないものの、それは個人的な思いが一方にあって、そして国対国という部分での外交上の礼儀といったものが一方にあって、後者はいったん合意が成されたのならそれを前後に動かすのはやっぱり国としてちょっと拙い。約束したってすぐにひっくり返す国、国民の支持が集まるなら条約だって何だって破棄する国だと世界に思われたら誰も相手にしてくれなくなる。そういう意識がまっとうな頭の人にはあってだからこそ有力紙でもイカガナモノカと書くんだけれど、メディアが中立で公平を保持しても一般の喧噪に目をやり拾って集めるのは日本も韓国も変わらない。きっとこのまま外交上の礼儀は無視されてしまうなろう。それにつきあい日本も外交上の公約の見直しだ、なんて遣り始めたら同じ土俵に降りてしまうからそれだけは厳禁。泰然と自若して。

 コミックマーケットが開幕したけれど今日から公開が始まる「龍の歯医者」特別版を観るために新宿バルト9へ。劇場限定版となるブルーレイディスクを買ってそれから中野のブロードウェイで「6HP展」を観ようとしたら年末で休みに入っていたみたいでシャッターが開いておらず残念。隣にあるハンバーグハウスでビッグバーグを食べて戻ったバルト9で4月頃にテレビで観たこともある「龍の歯医者」を改めてスクリーンでみてやっぱり清水富美加さんは林原めぐみさんに声質が似ているなあと思ったのだった。そうでなければ大事なヒロインを普通は顔出しの俳優をしている清水さんで行くとは思えない。短編版での林原めぐみさんの雰囲気をそのまま出したかったのかもしれない。だから似た声質の人を選んだと。真相は不明。

 映像はやっぱりスクリーンで観るとど迫力。前列なら空中に浮かぶ龍の巨大さを全身で浴びるように堪能できただろう。そしてストーリーはやっぱり切ない。蘇って龍の歯医者となったベルが、どうして蘇ったのかといった運命めいた話になって、危機に陥る龍を救ってそして去って行くような役回りを与えられそして再び輪廻の話に帰って行った、なんて解釈もしたくなった。そうでなければ死体は残って野ノ子に見つけられた訳で、そうでなくずっと探していたのは消えてしまったからなんだろう。ごはん食べようと誘う野ノ子が可愛くて切なかった。龍がそもそもどうして実在するのか、歯医者という役は死んだ者が選ばれて復活させられてなるのか等々、不明なところも多々あるけれど気にせず雰囲気を理解し勢いで観るのが正解。虫歯菌との戦闘にリアルな銃撃戦といったアクションもしっかり楽しめる。龍の歯に入った柴名が見た光景は誰が作画したんだろう。ちょっとエヴァっぽかった。もう1度2度は劇場で観たい気分。時間をつくって行ってこよう。


【12月28日】 改廃がらみってことになるのかなあ、東京は大手町にある日本経済新聞社が入っているビルの2階で誰かが焼身自殺したって話は、直後にいったいどういった素性の人が自殺したんだってまるで伝わってこなかったけれど、ようやく日本経済新聞の販売店をやっていた人が命を絶ったって話が流れてきた。すでに契約は相手方の申し出によって解除したって話が新聞者側から出ているけれど、だったらどうしてお膝元で命を絶たなきゃいけないんだって話になって、そこに新聞販売店として新聞社に対していろいろと思うところがあったって可能性が大きく浮上する。

 週刊誌があれば追撃が行われるところだけれど、年末年始でしばらく発行はないとなると、年をまたいで立ち消えになっていくのかな。いずれにしても世知辛い業界だけに対岸の火事とはいかない訳で、売れなくなった販売店の尻を叩いても動くはずがないのにしつおく叩き続けて、紙を押し込んで反発を食らう新聞社なんてもの増えてくるのかもしれないなあ。それ以前に新聞社によっては社員がその待遇のひどさに声をあげるところなんかも出てくるかもしれない。どことは言わないけれど。同業で年収が半分ではそりゃあやってられないよなあ。どことは言わないけれど。

 朝に本屋に寄ったら前に「日本アニメ(ーター)見本市」で発表された短編をベースに長編アニメーション化された「龍の歯医者」をコミカライズしたものが売っていて、そうだそうえいば29日から新宿バルト9で長編版「龍の歯医者」の上映がスタートするんだと気付いて慌てて予約サイトに飛んだらまだがらがらだった。なるほどコミックマーケットも始まることだしアニメーションを見るような人はそっちに行っているんだろうなあと思ったりもしたし、会場が1番大きなシアター9だったからがらがらでも仕方がないと言えるかもしれない。

 ただ、テレビで放送された時にすでにそのスケールの大きさに画面には収まりきれないと思った作品で、それがバルト9では最大のスクリーンで見られるなら駆けつけない訳にはいかないじゃないか、アニメ好きとして。ってことで1席予約。この「龍の歯医者」に加えて短編版も含んだ「日本アニメ(ーター)見本市」で上映された短編アニメーションが収録されたBlu−rayも劇場では販売されるみたいで、これも買って自分へのクリスマスプレゼントにしよう。たとえ「ヤマデロイド」が入っていなくても。何で入ってないんだろ? 最高に愉快な1作だったのに。

 日本相撲協会で臨時理事会が開かれて貴乃花親方の処分ってのが決められたみたい。事前の報道なんかだと理事降格か業務停止かどちらかになるって話が出ていて、どちらも日本相撲協会が始まって以来の処分になるため大変そうだってことがあり、また業務停止になると2カ月に及べば2018年の2月に開かれる理事の選挙に出られなくなるからそれではちょっと虐めも過ぎるとなるんで1カ月の業務停止に治めるなんてことが言われてたけど、蓋を開けてみれば理事から2段階降格の役員待遇に収まった。

 弟子でへの指導が出来なくなる業務停止よりも重たいといえば重たいものの、これも理事の選挙には立候補可能ということらしいんで、とりあえず協会としては処分しましたといった体面は整えられ、そして貴乃花親方にとってはすぐまた理事に返り咲けるというメリットもあってどちらも損はしないような処分になった感じ。これを大岡裁きとみるか内輪の馴れ合いとみるかはそれぞれだけれど、被害者の関係者で往来での暴力という警察沙汰を警察に届けただけであって、本来は処分など不筆ようであるにも関わらず処分をしたって意味で禍根は残るだろうなあ。あとは貴乃花親方がこれを受け入れるかどうかか。年明けに注目。

 平鳥コウさんによる「JKハルは異世界で娼婦になった」(早川書房)とコラボレーションしているラーメン屋が千葉にあるってんで電車を乗り越し千葉まで行って、そこからモノレールで作草部まで乗り麺処まるわって店で注文して食べたら美味しかった。麺はストレートな細麺で結構柔らかめに茹でてあって、そしてスープはとろみがある感じで基本は塩なんだけれどそこにバジルがかかってクリーミーなソースで極細のパスタを食べるような感じになっていた。甘みのあるドライトマトなんかも散らしてあって見た目もやっぱりパスタだった。

 小さく角切りにされたトロ肉チャーシューがまかれてあって、麺をすすりスープを味わい具を口にするようにして食べていける。豚骨のような匂いもなく上品な味わいだけれどそれでいてスープは塩味があって温くない。これをはたして異世界にいったハルが食べたらどれだけ喜んだことだろう。彼女に思いを寄せるスモーブが頑張って異世界の素材を集めて作って出したとしたら、それはとっても強い思いがあってのものだろうなあ。でも食べて千葉はやっぱり文句を言うんだ。言わせておけば良いんだけれどそれでも鬱陶しい野郎。でも真っ先に死んでしまわないところに神様の理不尽ってものもあるんだろう。転移者に甘すぎるよ。コラボラーメンはしばらく出しているんで千葉方面に御用のある方は是非に。他の麺も美味しそうだったんでまた行こう。

 これは凄いというか、東京電力の当時の社長が社内に向かって独断でもって「炉心溶融という言葉は使うな」と指示を飛ばしていたことが分かったというニュースでもって、官邸の指示はなかったといった結論が出ているにもかかわらず、見出しに「菅直利の強圧的な態度が影響」だなん書いて、東電の社長がそう言わざるを得ないような空気を作ったといったニュアンスを醸し出している新聞がある。でも現実、当時の菅直人首相が強圧的に見える態度を示したのは、決して事を荒立てるなといったことではなくてむしろすべてを明かして適切な対応ととれるようにしろってスタンスから。なので東電の社長はメルトダウンを言って怒られると思って黙っていたというより、自分の口からそう言って事態が深刻であることを認め後で責任を追及されるのを避けたかったからだろー。

 でも菅直人元首相の悪口を言いたい新聞は強圧的な態度が沈黙を求めたものではないと感じているにもかかわらず、そういった流れを感じさせる見出しを作ってニュアンスをそっちに持っていこうとする。ほかのすべてがそうではないのに、1紙だけでは曲解も過ぎるんじゃないのって話になると思うかというと、その1紙だけが“真実”と思いたがっている勢力に向けて語ることで、狭い範囲で支持者を得て盛り上がれると考えたのかもしれない。単純に菅直人元首相の悪口が言えるならファクトなんて知ったことかと書き飛ばしているあけかもしれないけれど。どっちにしたってファクトに挑戦的な態度。それが一部に指示され続けている内はいいけれど、狭まる包囲網の中で遠からず息を詰める時が来るんじゃなかろーか。やれやれ。

 戦車のライトノベルが戦車SF特集で紹介されていなかった寂しさを埋めようと、伊吹秀明さんの「出撃っ!猫耳戦車隊<新装版>」に続いて内田弘樹さんの「機甲狩竜のファンタジア」(富士見ファンタジア文庫)を1巻から3巻まで一気読み。なぜかドイツ軍戦車のパンターが来ている異世界で、祖父から受け継いだパンターをひっさげモンスターを狩る狩竜師の養成学校に入った少年が、出会った少女たちと汲んで戦車から砲弾が発車できるようにして、そしてモンスターに立ち向かっていくといった話。美少女&戦車&ハーレムであり戦車vsモンスターといった要素からラブコメでアクションな物語を想像したくなるけれど、そうした要素も出しつつ世界の成り立ち、生命の調和にまで話が及んでなかなか深い。これも読まれて欲しいなあ。それ以前に存在を知られて欲しいなあ。


【12月27日】 図録も欲しいし原画もしっかりと見直したかったので池袋のサンシャインシティで開かれている「ガールズ&パンツァー博覧会」を見物に行く。午後も少し経っていたから行列も減って中にはすっと入れてそして原画も人の壁に阻まれないでじっくりと観ることができた。線はとても綺麗でダイナミックでレイアウトも功名で、よくもまあ描いた者だと人間の手から生み出される絵の凄さってものを改めて認識する。そうした絵ですら作画監督とかの目にかかれば修正が施されるというからどれだけの関門を経てきたんだ。そうやって作られたからこそ時間もかかった一方で、支持される作品になったんだろう。「ガールズ&パンツァー」はすばらしいなあ。最終章の第1話もやっぱりもう1回くらい観ておくかなあ。

 今日が年内の最終日らしいので市ヶ谷に移った東京アニメセンターにもよって「干物妹!うまるちゃん」の展覧会なんかをさっと観る。500円の入場料を取るけれど、その分は漫画の原稿を間近に見られてこれくらいのサイズに描かれているものかってのを確認できる。結構細かく描かれているなあ。あとは名場面を再現したミニチュアめいたものもあって干物になった時の雰囲気なんかが良く出てた。そんな有料ゾーンを抜けた所にはうまるちゃんの部屋が再現されてて昔発売されてた等身大うまるちゃんがベッドで寝ていたけれども凄いのは布団のシーツ柄もポテトチップスのパッケージも再現されていたことか。そこはそれ、カーテンだってパッケージだって印刷する大日本印刷の力ってことなのか。いっそ売れば良いのに布団のシーツ。

 誰がたつき監督「けものフレンズ」を殺したか。なんてミステリでも書かれかねない状況がやっぱり訪れてしまったことをまずは哀しむ。そして憤る。もうほとんど死に体だったコンテンツを一挙に日本を代表する作品へと持っていった最大の功労者を継続して使えず作品が持っていた可能性のうちでも最大にして最高と現時点で位置づけられるたつき監督による「けものフレンズ」のアニメーション第2期を、視聴者やファンから奪ってしまったことについて、権利元はそれこそ世界にわびるくらいの気持ちでいてくれないと、企業への信頼を大きく損なうことになる。コンテンツ企業でありながら、1番大事なものを守れないでぶちこわす企業だってレッテルを貼られて。

 だからといって権利元としてもどうしてこういう事態になってしまったのか、説明しづらいってのがだいたいのところだろう。「けものフレンズ」を作ったヤオヨロズの福原慶匡プロデューサーが3カ月にわたる騒動に決着をつけるようなツイートをしてそこで明かしているのは「3月には2期の依頼があり実制作を続けておりましたが、8月頭にコアメンバーで行われた会議にてヤオヨロズに対して今後続投は無いと明言され、降板を宣言されたと認識しています」といったこと。いったい誰がどういう理由で。そこが明かされないとモヤモヤとした思いがずっと漂い続けるだろう。

 理由としてはコミックマーケットでの同人誌販売とか同人的に作った12.1話の突出が理由だと取りざたされていたけれど、それについても福原プロデューサーは「9/27の公式発表にあった情報共有についても、12.1話は委員会へ報告の上制作しておりますし、各企業とのコラボ動画に関しても委員会からの正式な依頼の元で作りました。コミケにおける同人誌についても吉崎先生からの許可があり、その際のご提案により特別許諾と明記して頒布しました」と書いているからまったくもって瑕疵はない。というかコミケは8月半ばで8月頭の会議で問題になるはずがない。

 だったらどうして。だからつまりといったあたりで、いくつか取りざたされた理由なんかがまたぞろ浮かんでくるんだろう。そこへの直接的な否定がまだないだけに、燻りが昂ぶりへと変わる可能性も。それは燃え広がって「けものフレンズ」を焼き尽くすのか。そうなってしまった時にクリエイティブな職にあるひとたちは公開しないのかなあ、あれだけ世界を盛り上げた作品を潰してしまうことに。それよりも守りたいものがあるってことなのかなあ。誠クリエイティブな人たちの発想は分からない。とはえい1度は盛り上がったコンテンツに盛り上がった理由があるのなら、それを再び求めるという道はある。だから今は半歩譲ってお先にどうぞと言いつつ、その結果を見極めつつ第3期でのたつき監督の再登場を願って待ち続けよう。何年でも。

 これはクールだ。そしてキャッチィだ。第13回MF文庫Jライトノベル新人賞で佳作となった久追希さんによる「クロス・コネクト あるいは垂水夕凪の入れ替わり完全ゲーム攻略」(MF文庫J、580円)はかつて裏ゲームで勝利したものの勝利条件があまりにも苛烈で心を壊してしまった少年の垂水夕凪が、スマートフォンのふとした操作のミスによって見知らぬゲームの世界にプレイヤーとして引っ張り込まれてしまった。なおかつ自分のボディは美少女で春風という名でおまけにステータスは“姫”。さらにはゲームは“姫”を狩ることが最大の目標になっていて夕凪はゲームの世界で他のプレイヤーから追われる身になってしまう。

 もっとも露見すればの話で、気付かれない中で自分の手持ちのカードを見極めひとまずゲームから「脱出」したところ、なぜか自分の身体がさっきとは違う場所にいた。おまけに泣きながら走って行ったという姿を隣人の目撃されていた。何かが起こっている。再度ゲームの世界に身を転じて春風という少女になるという繰り返しの中で、夕凪はゲーム内で春風を操っている人格が現実世界の自分と入れ替わっていることを知る。だったら元に戻ったところでゲーム内の誰かを見捨てればとなるけれど、それで自分の人格がどうなるか分からない不安があり、また人間の少女のように振る舞う春風を見捨てることも辛かった。だから夕凪は何が何でもゲームを攻略しようと動き出す。だがそのクリア条件はあまりにも厳しかった。

 それこそ針の穴よりも細い可能性、さらには抱いていた希望がたたきつぶされる事態もあってクリアは不可能といった状況に陥る。それでも憤り諦めない夕凪が、絶対にクリア条件を残しているだろうゲームマスターの性格を読み、それを探って身を春風の中に入れ、招待を夕凪と知りかつての裏ゲームで敗北した汚名をそそごうと挑戦してくるプレイヤーの相手もしながら細い細い条件を手繰ってクリアを目指す。カードによって発動される能力の組み合わせ、あるいは明示された勝利条件の裏などを思考して察知して勝利の可能性を探る展開はゲーム小説でありミステリでもあり異能バトルでもあって楽しめる。そんな道があったのかと驚けるけど、それでもクリアできなかった条件をどう逆転するかといった楽しみがラストにあって、そうかそうだったのかと驚かせてくれる。大団円、となったものの相手はしつこいゲームマスター、きっと次の手を繰り出し襲ってくる中で夕凪が新たに得た仲間たちとどう戦っていくかが今は気になる。続編、期待しています。


【12月26日】 そろそろ次のレビュー候補を決めなくちゃと思って松村涼哉さん「1パーセントの教室」(電撃文庫)を読む。「ただ、それだけでよかったんです」で鮮烈なデビューを飾った青春でミステリな作家のたぶん3作目。クラスメートの日々野明日香は超絶美少女ながらも死神といった黒い噂をたてられていた。それは、彼女と関わりを持った者が次々を不幸な目に遭っていくからで、死んだものもいれば転校していったものもいて、だから彼女を付き合おうとする男子もいなくなっていたところで、雨ヶ崎誠哉に明日香が言ってきた。キミに恋をしました。

 実は明日香自身が死神ではなく、死神に魅入られたものを彼女が好きになっていたのだった。誠哉には告白された前後から不幸が起こるようになり、人気のジュースやメニューが彼の購入で売り切れとなって、その都度後ろにいた少女が誠哉にいらだちを覚えるようになって、いつか爆発するかもといった状況になる。刺される前に少女と仲直りしようとして言うことを聞いたらそれが別の恨みを買う事態になって誠也はある解決方法を導き出して事態を収める。

 靴箱にへこんだあとがついていた時、それは近隣の別の少女に男子生徒によるストーキングがあったからだといった噂が流れていることを知って、誠也は状況の改善に取り組もうとする。けれども真相は別のところにあって、それで傷つく心を穏やかにするひとつのワードを見つけ出す。不幸を可視化する明日香をかたわらにアドバイスも受けつつ、身に降りかかる不幸の原因を探って溶きほぐしていく展開が、推理の妙味を味わわせてくれる。消えてしまったクラスメートの失踪の“犯人”に誠也がされた時も、その事件の奥にあった少女の認められたいけれど認めてもらえない寂しさを探り出して溶きほぐす。事件を推理するのではなく事件になる前に原因を溶きほぐすといった差異化が面白い。

 こちらも「僕らはどこにも開かない」で鮮烈すぎるデビューを飾った御影瑛路さんの「殺人探偵の捏造美学」(講談社タイガ)は、美しい身体の一部を切り取り顔を削った女性の死体を残して去る希代の殺人鬼は、氷鉋清廉という名で天才精神科医としても知られ警察による事件捜査に協力している。そこに起こった殺人鬼・マスカレードによる女性の殺人事件に、刑事で妹がマスカレードによる最初の被害者だった百合とともに挑むことによる。恨みを抱く遺族と犯人とがペアを組むという異常な事態。なおかつ被害者を事件後に観たという証言もあいついで何が起こっているのかが分からなくなる。

 死んだ女性はいったい誰だったのか。そしていったい何が起こっているのか。どうして彼女は一切の顔写真を残そうとしなかったのか。彼女を慕う集団はいったい何だったのか。死体となって発見された彼女への粗雑に見える作業ぶりもあって、その事件は本当に殺人鬼・マスカレードによるものなのかといった疑問もわき起こる。そんな事件を自身で捜査している氷鉋清廉が導き出した結論は真実なのか。そうでないならどうして犯人が指摘されて認めたのか。重なる謎の奥にある殺人鬼・マスカレードの美学と、それを貫くために人心を操る術の巧妙さをを知るだろう。犯罪はこうして作られ、そして殺人鬼・マスカレードは次を狙って暗躍する。

 「魔法密売人」の真坂マサルさんによる「死にかけ探偵と殺せない殺し屋」(メディアワークス文庫)も一風変わったバディもの。天才ながらも傲慢さが仇になってか殺し屋を雇われ殺されてしまった、かに見えた探偵が身体は意識不明のまま、生き霊となって当の殺し屋にとりつく形で新しく舞い込む殺しの仕事に向かっていくものの、前は確実に相手を仕留めていて闇社会で恐怖された殺し屋が、なぜか舞い込む事件で相手を殺さなくなり、けれどもそれで腕前を疑われることなく殺し屋稼業を続けていくことになる。理由は舞い込む案件に裏があるから。その裏を天才探偵が推理し殺し屋の行動力と重ねて調査し解決していく。ちょっと奇妙な、そして愉快なバディストーリーの幕開けだ。

 第6回「僕たちは新作アニメのプロモーション映像を3時間かけて一気観したらどのくらいつづきをみたくなるのだろうか?」こと「つづきみ」が開かれたんで見物に行く。前々から気になっていたいしづかあつこ監督による「宇宙より遠い場所」はやっぱりとっても良さそうで、司会の吉田尚記アナウンサーも知らなかったけどこれは観たいと話してた。少女たちが南極を目指すというものだけれど、研究員とか自衛隊員とか報道カメラマンとかにならないといけない南極に女子高生がどうやって行くのか、ツアーなら行けるけどそれが目的ではないだろうストーリーの中、極地に行くこと、そこで暮らすことの意味なんかが語られるんだろう。今から楽しみ。

 KAエスマ文庫のどファンタジーを発行元の京都アニメーションがテレビアニメ化するって聞いてどんな感じになるのか気になっていた「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は映像がとてつもなく凄まじかった。綺麗でそしてよく動く。ファンタジー世界に暮らす少女というか機械人形みたいなヒロインを中心にいろいろな人物が絡んで織りなす物語、って感じ。原作は買ったけど読んでも多くを記憶に留めていないので、改めてアニメーションを観ながら振り返ろう、っていうか京アニってエスマから出した作品だとストーリーも設定も大きく変えてくるからなあ。なので改めて原作を読みつつアニメの放送を待とう。

 意外にグッときたのが「citrus」で、少女向けのコミックが原作かと思ったら百合姫からのアニメーション化でなるほど百合はあったけれども無理筋のハードなものではなく、お嬢様学校に転校したビッチ系な風体の少女が学校で出会った黒髪でまじめそうな生徒会長となぜか義理の姉妹になって一緒に暮らすことになって起こるどぎまぎとした日々。そういった描写に加えて美術というか背景が緻密で質感も良く世界に見入ってしまった。茶のローファーの光沢があって川だといった雰囲気なんてもう抜群だった。ストーリーは知らないのでこれも観ながら確かめていこう。ハードなのかソフトなのかも含めて。

 当人は亡くなられても世界観が引き継がれ書き継がれている松智洋さんの「メルヘン・メドヘン」は裸がいっぱいそうで楽しそう。「りゅうおうのおしごと」はプロ棋士を目指す小学生の女の子の日常がしっかりとした絵で描写されててこれはファンを掴みそう。どういうファンだ。「博多豚骨ラーメンズ」は前にPVも観ていたからあとは割と入り組んでいるストーリーがどこまで整理されて毎週観て楽しいものになるかだなあ。林ちゃんって美少女? の声が梶裕貴さんであることにどういう理由があるか、原作未読で気付いている人はいるのかな。そこも楽しみ。「BEATLESS」は街中の日常的なシーンを描いた絵柄にやや不安。、でも戦闘シーンは派手はでしかったからそっちに賭けているのかもしれない。

 上野で小学生たちが走り回る「三星カラーズ」は絵柄がとってもキュートで良い。「ヤマノススメ」枠的に評判を呼びそう。「ハクメイとミコチ」はとにかく背景がすばらしかった。「とんがり帽子のメモル」の雰囲気を絵柄は随分と違うけれど思い出してしまった。ああいった優しさを持った作品が少なくなっているだけにこれには期待。「だがしかし2」は新キャラも加わってきて派手さがましそう。「カードキャプターさくら クリアカード編」はさくらちゃん友代ちゃん小龍くんの声が10数年前と変わってないのが凄まじいというかすばらしいというか。声優さんって凄いなあ。そんなあたりは確実に観そうな作品。「宝石の国」「クジラの子らは砂上に歌う」のようにもう観るしかないと分かっていた作品があった前クールとは違うけど予告編を見れば見たくなる。やっぱり意味のある「つづきみ」。次は何が出てくるかな。「けものフレンズ2」に来て欲しいな。それは夢だよほむらちゃん。そうかもなあ。


【12月25日】 実家でいろいろと預貯金を精査してまあしばらくは食いつなげる金額が貯まっていたことが分かったので、そのうちのいくらかを預金性の高い生命保険商品へと切り替えて5年ばかり塩漬けにすることにする。ってもすでに定期預金なんかを10年以上は塩漬けにしたまんまで金利が0.01とかそんなひどい状況になっているので、4年11か月で解約するとグッと減るというリスクは承知しつつ5年後に定期預金の100ばいくらいの金利になっている保険商品に切り替えておいてまあ、死んだり病気が発覚しない限りは特だと行った認識にしておく。あとは定年後に年金みたいに月割りでいくらか入ってくるお金があれば良いんだけれど、それはこれからの貯金でまかなうか。10年で10万宛でそれが10年で10万ずつ帰ってくるような。慎ましいなあ。

 「ガールズ&パンツァー最終章」第1話の公開に引っかけたようなSFマガジン2018年1月号の「戦車SF特集」だけれど案の定、ライトノベルに触れられた形跡がないのでここにいくつか紹介してライトノベル読みの矜持を見せたい。まずはやっぱり伊吹秀明さんの「出撃っ!猫耳戦車隊」シリーズで、猫耳少女が戦車に乗って戦うといった設定では、野尻抱介さんの「ロケットガール」にも似て戦車という狭い兵器に入って戦うには身体が小さい少女の方が都合が良いといった解釈があった記憶。あと人種による差別なんかも提示されててビジュアルは萌えでも世界観は結構シリアスで奥深い。

 差別という意味合いでは霜越かほるさんによる「双色の瞳 ヘルズガルド戦史」でも差別がひとつテーマになっていた。長い戦乱の果て、遺伝子が混乱を来した中で人間らしさを持った者だけが「選ばれた民」になれる世界で、ヒロインは双色すなわちオッドアイを隠して帝都に上がり養女となって選ばれた側に紛れ込み、軍人となって内燃機関を備えた戦車を駆って戦う。差別が絡む設定があり、その中で少女がどう生き抜くかが描かれるはずだったけど1巻だけであとが続かなくなったのが残念至極。どこへ行った霜越さん。戻ってきて欲しいなあ。

 第二次世界大戦時に活躍したドイツの戦車乗りたちがヴァルハラに蘇り、その経験と能力を生かして緻密で激しい戦車戦を繰り広げる。それも誰もが美女に美少女という姿で。それが深闇文貴さんの「戦闘国家の饗宴 ヴァルハラの戦姫 英雄降臨」。ヒロインの名はミカエラ・ヴィットマンと聞くだけで、「ガールズ&パンツァー」シリーズで戦車乗りたちに触れた人はどういう話だと関心を抱きたくなる。スターリンもヒトラーも美少女化している世界もなかなか。版元もマイナーで作者も正体不明なだけに読める機会は少なそうだけれど見つけたら買いの1冊だ。

 亡くなられた佐藤大輔さんの最後ぐらいの作品も戦車ものだった。現代のミリオタ少年が転移した世界には長生きをするエルフがいたけれども人間たちの世界からはどこか隔絶されていて、そんなエルフが反攻のために建国して領土を得ようと戦い始める。廃棄された戦車をどうにか仕入れ魔法で直しそろえて向かう先、勝利もあれば敗北もあって一進一退。最新刊ではまさに絶体絶命といったところで後が続かなくなってしまった。モデルはイスラエルと近隣諸国との戦いが繰り広げられた中東戦争。その帰結を見ないまま今へと至る混乱が続く世界が果たしてどこへ向かうかを、フィクションで想起させてくれるはずだったのにて。残念。

 あとはやっぱり兎月竜乃介さんの「ニーナとうさぎと魔法の戦車」。戦火によって放浪の身となった少女が私兵の戦車隊に拾われ砲手となって戦争により生み出された厄災の野良戦車を相手に戦い続ける。美少女×戦車にファンタスティックな世界観。ドラマCD化されたけどアニメ化はされず。何で? それからゆうきりんさん「ぱんほー!」も忘れちゃいけない。帝国崩壊後のドイツで続く戦乱を終息させようと集まった傭兵の中にヘッツアーって軽戦車を駆る部隊があってそれが車長から操縦手から砲撃手からみな女の子たちばかりだったって設定。戦車戦についての描写は精緻でかつ綿密でとても勉強になった。もっと評判になっても良いのになあ。

 せっかくだからと「ガールズ&パンツァー最終章」第1話を劇場で。4回目。中学からの内進組でマリーを信奉していながら押田が割にヤンキー気質で言葉も悪ければ手も出るタイプというのがちょっとユニーク。でもって安藤は三白眼気味の目つきの悪さがやっぱり悪役と言った雰囲気で、そんな2人と対比するからこそマリーの超然とした雰囲気も引き立つといったところなんだろう。気付いたところでは継続高校が無限軌道杯を見に来ていた時に前に妙な髪型の女子が2人か何人か立っていたけどあれは何かモデルがあるんだろうか、そして戦車道の生徒なんだろうか。出場はしてないはずだから絡まないとは思うけどそこは何か手を打ってくるかな。転校とか。ちょっと関心。

 神奈川県立・薩摩工業高校という舞台設定の無茶ぶりに吹いたのもつかの間、繰り出されるストーリーのスピーディさに目を黒白させたりもする出口きぬごしさん「さよなら西郷先輩」(メディアワークス文庫、610円)。タイトルにあるように西郷先輩こと西郷隆盛(当時は吉之助)が高校生で2号生筆頭として鹿児島県立ではなくなぜか神奈川の県立薩摩工業高校に通っていて、新入生の大島アイカという新入生の目を通す形で幕末の歴史が現代になぞらえられて駆け足のように描かれていく。何しろ歴史がそのまま再現されているから幼い篤子こと篤姫は徳川家定の彼女になり、そして番長になったばかりの島津斉彬はチェリーコークがあたったかして本当に死んでしまうし、目をつけられた西郷が月照なる男とプールに飛びこみ自殺しようとして月照だけが死んでしまう。

 ライトノベルで学園もので一種番長ものの形にはめ込みながらもストーリーは幕末維新の倒幕に関する歴史をそのまま使ってあるからどんどんと人が死んでいく。この勢いならきっと途中で出会うだろう土佐工業高校あたりの坂本龍馬も死ぬし、1年生として入り大島アイカと西郷先輩をガードする人斬り半次郎こと桐野利秋も篠原国幹も西郷とともに西南戦争の代わりになる何かを戦ってともに死ぬことになる。そして残った大久保利通(当時は庄助、後に一蔵)も西南戦争の翌年に暗殺されることになるんだけれど、そうした諸々を見届けて大島アイカこと奄美大島の島妻、大島愛加那はしばらく生きていくことになるんだろう。そんなストーリーになるのかどうか。読んでのお楽しみってことで。しかし大河ドラマに合わせてぶっ込んでくるとは、意外にフットワーク軽いなあ、メディアワークス文庫は。

 ジャーナリストだろうと何だろうと虚偽を言いふらしてそれを改めなければ訴えられるのは仕方がないってのがやっぱり状況で、なるほど言論には言論でって言うけれども虚偽を募ってそれに真実をぶつけたところで虚偽をそうだと信じたがる人たちには何の説得にもならないなら、司法の場で改めてしっかりと虚偽だと認定してもらわない限りおさまらない。そうなるまでに幾ばくかの猶予を与え真実をしっかり言って聞かせながら改めなかったんだから、どうぞ司法の場で決着をつけてもかまわないぜと挑発して来たと受け止めてかまわない、って判断も働いたのかも。そうやって挑発して置いていやいや司法の場で白黒は拙いだろう、リングの上でパフォーマンスの見せ合いしようぜって今更言ってもそれは通用しないってことでもあるのか。推測であり推理でありフィクションであると言っちゃってるところもあるし、これはなかなか大変な戦いになりそう。しかし5000万円はデカいなあ。


【12月24日】 2020年のコミックマーケット98がゴールデンウィーク中に東京ビッグサイトで開催されることをもってしても、展示会場の不足が解決した訳ではないのだといった意見も出始めている中で、確かにそれはそうだけれどもコミックマーケットは、あるいは同人誌即売会は現実の問題として迫る東京オリンピック時の東京ビッグサイト閉鎖といった事態に対してどこに落としどころを設けるかといった“出口”を想定しつつ勘案し、結果ゴールデンウィークの利用といった提案を受けてそれを他の同人誌即売会ともども受け入れることにしたといった感じ。

 そこで日本展示会協会のような徹底抗戦および実現不可能なメディアセンターの移転なり、防災センターへの展示会場建設といった案に乗っていっしょに戦っていたら、きっと今も出口の見えないまま会期を迎えて結局開かれることはなかっただろう。条件の中で何が最善かを考え行動することの必要性というものを改めて考えたりするのだった。というか日展協に並ぶかそれ以上の勢力を形成できながらも妙な共闘をしないでここまで冷静に成り行きを見てきた人たちの理性に脱帽。そして日展協がどういった妥協策を持って本当に展示会が必要な企業に資することをするか、そちらにも注目した。

 パパラチアが復活してそして眠りについて第1期が終わったといった感じの「宝石の国」。金剛先生と月人との関係についてフォスフォフィライトが疑念を抱いてそれをふくらませていった果て、先生からフォスに呼びかけがあってさあ何が語られるかといったところで続くとなってしまったため、これはもう続きが作られるのを待つしかないって感じ。たぶんパッケージの売上げも大丈夫だろうから半年とか、1年とか待てば作られては単行本で描かれているフォスと月人との邂逅あたりまでは行くんじゃなかろーか。問題はその先、完結にならないとアニメも中途半端で終わってしまい、そして残り和数がないとテレビアニメにならないなんて可能性も。そのあたりを含めて連携して映像化がされていけば嬉しいんだけれど、「鋼の錬金術師」みたいに。どうかなあ。まあ気長に待とう。パッケージ買うべきかなあ、やっぱり。

 なんか騒がしいことになっているので、帰省次いでもって来ていた平鳥コウさんの「JKハルは異世界で娼婦になった」(早川書房、1300円)を呼んだら面白かった。小説家になろうの女性向け18禁コーナーに連載されていた作品で、だから性描写は多いけれどBL的なものではなく、女性が性を商売にしながらも自立する道を模索していくといった設定が根っこにあってこれは呼んで強く心を押される人もいるんじゃないかといった思いが浮かんだ。

 同級生の男子といっしょに交通事故にあって異世界に転移した女子高生のハルがそこで就いたのは、自分の身体を売って稼ぐ娼婦という仕事。異世界転生・転移に欠かせない異能ガチャの埒外に置かれた特殊さを感じさせつつ、娼婦という仕事についてまわるセックス描写への期待めいたものを抱かせる。ただしこれは諸刃の剣でもあって、それしか他に生きていく手段がなくなってしまった少女が、水商売に足を踏み入れ身体を売って生きていく中で誰かと出会い、恋情なども抱いて成功する、あるいは破滅していくストーリーは現実世界でも書くことが可能で、わざわざ舞台を異世界にする必要があるのか、といった声を呼びそう。実際に呼んだし。

 けれども違った。そうした分かりやすい設定やストーリーではなかった。女子高生のハルが千葉という男子といっしょに放り込まれたのは、いわゆる男尊女卑の風潮が色濃く表れた異世界で、街を襲うモンスターを相手にした戦いが尊ばれる状況にあって、元より女性は軽んじられ、剣技や魔力といった武力につながる異能も持っていないハルが、生きていくために娼婦を選んだというのは自然な流れ。そして今時の女子高生といった感性と、援助交際をしていたという経験を生かし、悲嘆に暮れるような湿ったものではなく、それが今は当然なんだといった乾いた情動で受け入れ、乗り切っていく展開に痛みよりも快さを見てしまえる。そこが女性の読者に受け入れられた理由かもしれない。

 もしもこれが現実世界が舞台で、アンダーグラウンドの世界に売り飛ばされた女子高生といった設定だったら、空気がシリアスに寄ってしまって女子高生の独り立ちといった展開をカラリとは描きづらくなっただろう。自分になぞらえて不幸を感じて忌避された可能性もある。異世界だからこそ成り立つハルの立ち位置があり、そこを起点に女性が虐げられることへの違和を見せつつ、密かに戦っている姿を描いていける。なおかつ異世界転移だからこその展開も次第に明かされ、ハルが今を乗り切り未来に近づこうとするしたたかさを持っていることも読み取れる。ハルはどうして娼婦になったのか。いったい何をやろうとしているのか。そうした部分が見えて来た時、「JKハルは異世界で娼婦になった」という物語が男尊女卑の世界にあって、女性のとてつもないポテンシャルを改めて示して世間に問いかける、強いメッセージを持った物語として感じられるようになるはずだ。

 舞台となっている世界の状況から人々の暮らしや心理を想起でき、創出される展開を追っていけるという意味で、通例に留まらないシチュエーションを提示して驚かせ、楽しませるSFやファンタジー、ミステリに強い早川書房から刊行されることに違和感はない。じわじわと世界を侵食する女性の自立や自決の波が、今はまだ色濃い男尊の空気すら変えていくかもしれないとすら思わせる。それを神が狙ったとしたら? 狙いはやはり魔王か? それはいったいどういった存在で、今はどこにいて何を思いながら人間たちと対峙しているのか? そうした懐疑へのサジェスチョンもあって、ハルを筆頭とした登場人物たちのこれからを想像してみたくなる。

 ジャニーズで有名人と結婚した例では木村拓哉さんと工藤静香さんがが真っ先に挙がるけれど、岡田准一さんと宮崎あおいさんもそれに続くくらいのビッグカップルって言えるかな、いやいやそれだったら東山紀之さんと木村佳乃さんの結婚もあるから先輩には先輩といったところか。変わっているといったら宮崎さんは再婚ってことで、前の人がいろいろあったりして妙な名前の出方をしたこともあって、離婚を経て去就が注目される中で俳優としてしっかりと活動している人を選べてまずは収まったといった感じ。ご夫妻での共演はしづらくなるかもしれないけれど、基盤を得てこれからもどんどんと活躍していって欲しいもの。宮崎さんをみたのはたぶん大林宣彦監督の「あの、夏の日〜とんでろ、じいちゃん〜」だろうけど覚えているのは青山真治監督の「EUREKA ユリイカ」かなあ、寡黙で可愛かった。今は押しも押されぬ大女優。人は成長するのだ。

 かつて書かれたベトナムにおける韓国軍の所業についての記事で、筆者のジャーナリストに批判が及んで記事自体も根拠が怪しいとつっこまれても撤回はしなかった週刊誌の発行元から、そのジャーナリストに非道な目に遭わされたと訴えている女性ジャーナリストが告発の本を出したこともあるから、出版社がすべてにおいて同じ方向を向いているとは限らないし、それぞれの主張を平等に公平に出しさえすれば良いのかもしれないえけれど、どちらかといえばそのジャーナリストとべったりな関係にあって、2冊も安倍晋三総理を讃える本を出させた版元から本を出した作家でブロガーが、自分は非道な目に遭わされた女性ジャーナリストに刺激を受けて同じように仕事で非道な目に遭わされたことを告発したんですと言って、それを素直に受け入れていいのかどうかはやっぱり迷うところだなあ。べったり度合いが違うからなあ。世の中はいろいろだ。


【12月23日】 まさか名古屋の外れというより名古屋の外であって名古屋との境目にあたる赤池に映画館が出来て、そこで「スター・ウォーズ」の最新作が見られるようになるなんて事態を例えば3年前の自分に言ったところで信じなかっただろうなあ。だって赤池だよ、周囲にあるのは和合のゴルフ場くらいで年に1回、中日クラウンズが開催される時に賑わうくらいであとは住宅とかがあったりしつつ山が広がってベッドタウンではあっても商業地ではなく、開発したところで客なんて来るものかといった印象があった。実際に赤池駅周辺には大きなスーパーマーケットもなく書店だってあったりなかったり。そんな場所に巨大なショッピングモールを作って映画館を入れて、本当に賑わうかと思ったら賑わった。

 それはきっとこの10年くらいの間に、赤池駅からたとえば半径で10キロ圏に住宅が建ち並び大勢の人が暮らすようになってひとつの商圏が成立してしまっていたってことの現れなんだろう。兆しとしては30年以上前に緑区にAPITAが出来たあたりで感じられてはいたけれど、それが日進市とか東郷町なんかも含めた地域に広がっていて、なおかつ映画を見るような人たちも暮らすようになっていたってことなのかもしれない。そんな赤池プライムツリーに帰省がてら立ち寄って見物。なんとVRも登場していた。ハシラスのブランコに乗ってジェットコースターを楽しむといったもの。そういう時代なんだなあ。次に来る時は何が出来ているか。サッカー場とか出来てたりして。それは無理か。なら屋内スキー場。もっと無理か。

 懸案となっていたコミックマーケットの2020年の開催が、ゴールデンウィークに東京ビッグサイトを使ってのコミックマーケット98開催という方向に落ち着いた模様。なおかつ他の同人誌即売会とも連携した「DOUJIN JAPAN2020(仮)」というプロジェクトを立ち上げ、「『GW』の『東京』だけではありません」という言い方でもって全国規模で時間も2019年から2020年にかけてと伸ばし、全国の同人誌即売会も含めた総合的なムーブメントにしてしまうみたい。クールジャパンのひとつの形として世界でも知る人ぞ知る同人文化が、個々の即売会単位ではなく全国的にして全世界的なものとして視覚化され、認知される機会としてこれは結構意味を持つかもしれない。

 ただ気になるのは、ゴールデンウィークに東京都がコミックマーケットのためにビッグサイトを空けるといったアナウンスを出した時に、すでに他の同人誌即売会がゴールデンウイークを使っているため、コミックマーケットが入る余地なんてないんじゃないのといった意見であり、それでコミックマーケットを“強行開催”するならそれは他の同人誌即売会即売会の軽視といった意見といったものが出たこと。そこはそうした先約者たちに引きつづき開いてもらい、コミックマーケットは別の場所なり短い数日なりを使って開くか、やっぱり飛ばすしかないといった見方なんかもあったりした。あるいはひとつの理念なんだから、規模よりも開催することを第一義とする、なんて意見もあったかもしれない。

 とはいえ、ももはや理念という範囲には留まっておらず、東京ビッグサイトの全館(ぜん・やかた)を使って3日間をぎっしりと埋めるくらいの参加者を集め50万人もの一般参加者も得るという、それだけの規模があってこそのコミックマーケットといった立ち位置になってしまった以上は、たとえば日程を1日だけにするとか、規模を使える臨時棟だけにする訳にもいかなければ、地方へと多数のボランティアスタッフも引き連れ開催するというのも無理な話。だったら可能な時期で最大限の日程を規模を維持できる時期に渡橋ビッグサイトを利用する、というのがひとつの解決方法とするなら、東京都がその時期を確保したゴールデンウィークにコミックマーケットが正規のナンバリングを得た即売会を開催するのが、コミックマーケットにとってはベターな解決策、ってことだったのかもしれない。

 あとはそこに他の同人誌即売会も含まれるのか、それともコミックマーケットにゴールデンウィークの東京ビッグサイトを譲って日程や場所をズラし開催する方向で調整するのか、といったあたりがいろいろと気にされそうだけれど、そこに絡んでくるのが「『DOUJIN JAPAN(仮)は『GW』の『東京』だけではありません」といった言葉。追い出すとかいっしょにやるとかってんじゃなく、すべての同人誌即売会がひとつの意識を持って同人文化の盛り上げに資する活動をするというコンセンサスの下、やっぱりコミックマーケットがあってこその文化であるといった雰囲気を醸成し、あるいは育て上げた米澤さんの思いを汲んで今こそ恩返しだといった感覚をそこに乗せて理解をさせようとするのかもしれない。

 その上で、たとえばコミックマーケットの片隅で他の同人誌即売会も店を構えるといった方向を選ぶのか、それともここは規模的に可能な場所を探して広く全国で様々な同人誌即売会を開催して、クールジャパン的な文化の創出と発展に誰もが貢献しているんだといった意識を持ってもらおうとするのかもしれない。まあ勝手な憶測だけれど。そうなった時に浮かぶだろうネガティブな見解、足の引っ張り合いのような事態こそが同人文化の、あるいは漫画でありアニメーションでありゲームでありコスプレでありといったポップカルチャーを敵視する人たちにとっての僥倖となるのなら、そんなことにはさせないと誰もが今を緊急と意識し、何ができるかを考え同じ方向を向いて走り始めることが、求められているような気がするんだけれど、果たしてどんな展開を見せるのか。今後のアナウンスに注目。

 54歳とは遅いデビューだったんだなあ、葉室麟さん。そして12年間作家活動をして直木賞も受賞してさあこれからというところでの死去。66歳は決して高齢ではないだけにいったい何があったんだろうと思ってしまう。同じように遅くの本格的な作家デビューからわずか5年で亡くなられながらも鮮烈な印象を残してハードボイルドの世界に確立した存在感を今も持たれている稲見一良さんのことを少し思い出してしまった。稲見さんの場合は癌が発見されてもう残る人生をどうするかってところで昔取った杵柄とばかりに作家に戻った感じ。そして葉室さんは長く地方紙とか地方局で仕事をこなしてから好きな歴史の分野で作家デビュー。だからもっと書きたかったし書くこともあっただろう。もったいないけれどそれもまた人生。残された言葉があとは長く語り継がれることを祈りたい。黙祷。

 Twitterトレンド大賞ってのがあってそのアニメ部門の1位に「けものフレンズ」が輝いたとかで贈賞式が行われたけれど、そこにたつき監督(おそらく)が「けものフレンズ」を代表して賞を受け取りに来られたことに、意味があるのかどうなのかをちょっと考えてしまった。もちろんいろいろあったからで、主催者が是非にとたつき監督を呼んだとしても「けものフレンズ」のプロジェクトを動かす総体が嫌だと思えば無理だろう。あるいはYahoo!検索大賞のように尾崎由香さんを出すという手もある中で、敢えてたつき監督(たぶん)が出たことに何かを感じたいものである。おそらくとかたぶんというのは鳥の頭を被っていたから。佇まいを見ればああたつき監督だって分かるけどでも顔をみないとやっぱり正確なところは分からないのだった。尾崎由香さんは東武動物公園でイベントってこともあったとはえ、ある意味での“復活”を前向きにとらえて期待しよう。もうすぐ放送開始1年。


【12月22日】 年末にかけて音楽番組にバブリーダンスの登美丘高校が引っ張りだこになっていて、この勢いなら紅白歌合戦にだって出るんじゃないかとすら思えてきたけど年末年始の歌番組に大阪から高校生が駆けつけられるかがちょっと微妙なんであって中継かどうなのか。まあこれで高校ダンス部の大会が世間に認知されるのは良いことだけれど、一方でダンスといえばバブリーダンスといった“ネタ”として消費されてしまわないかといった不安も浮かぶ。あれで結構ハードなダンスを群舞でシンクロさせてやっていて相当に高度なんだけれど、衣装とかテーマといった表層しか伝わっていないものなあ。

 前に日本高校ダンス部選手権大会の関東地区大会を見たことがあって、その時も出てくる学校はそれぞれにテーマを選んでいろいろなパターンのダンスを見せてくれた。群舞がそろっている場面もあれば何人かが抜け出してソロパートを見せたりするところもあって、そうした多彩なテーマを楽しみながらどうやって1つのパッケージを作り上げていくかを味わっていた。そうした楽しみをすっ飛ばして高校生のダンスといえばバブリーダンスだなんて短絡が生まれてしまっては、ほかのすばらしいダンスが埋もれてしまう。夏の大会もバブリーダンスが優勝した訳じゃないんだよなあ、実際に。

 そこはだから学校も分かっているだろうから、ネタに走って衣装に凝るとかいったことはないと思いたい。前に見た時も「サザエさん」をモチーフにしたところがあって面白くって全国大会にも行って朝のワイドショーに取り上げられたけれど、それが主流になった訳じゃなかったし。少人数での参加もあって川崎北高校の3人がすごいアンサンブルを見せてくれたっけ、そういった驚きも味わえる場として来年こそは全国大会、観に行きたいけれどすでに全日本吹奏楽コンクールと同様に、ダンス部の夏野甲子園化してチケット取りづらくなっているって話だしなあ。かといって取材で入ればダンスが見られない。そこはだから頑張ってチケットを取りに行こう。侍ダンスとかあったら面白いかもなあ。

 そうかいわゆる格闘とかの技能は持ち合わせていないのか子の戦士。でも自分が生き残る選択肢を選びに選び続けることによって生き残ってしまったというからそれも才能なんだろう。戦って勝てるようになればさらに選択肢が広がるかとも思わないでもないけれど、戦わなくても勝てるなら戦わないよなあ。「十二大戦」。分からないのはどうしてそこまで自分の願いって奴を口にできなかったのかってことで、別に他愛のないことでもかわまないし、それこそ嫌いな奴だって含めて生き返らせたって良かったんじゃないかと思わないでもない。忘れたところであった事実は変わらないならそれをいつか知る可能性だってある訳だし。そういった抜けがもしかしたら続編「十二大戦対十二大戦」なんかに絡んでくるのかな。読んでみようかアニメーションも終わったことだし。

 「Just Because!」はいよいよ受験とそして発表、その結果を知るあたりで音が途絶えて声も入らないままただ封筒をがさがさと開ける音だけが響いてきたところに演出のシンプルさを狙い意識を引きつけようとする技ってのが感じられた。途中の夏目美緒の目がギャグっぽくなったところは賛否両論かな、そういったアニメーション的なお約束表現を避けてきた感じもあって、せいぜいが口がひょにょっとなるくらいだっただけに目が四角くなるのはやっぱり違和感があった。テレビシリーズでは試したけれどパッケージでは手直しされる可能性もあるのかな。そういったところも確認するためにやっぱりパッケージは買わないといけないかなあ、でも7000円はやっぱり高いよなあ、テレビで見られたものに7000円を出す価値、ってやつをもっと感じさせてくれるには作品の凄さかそれともおまけの多彩さか。5000円なら出せても7000円はキツいとどうして感じるのか。ちょっと考えたい。「宝石の国」と「クジラの子らは砂上に歌う」も集めたいし、ちょっと困った良い作品が多すぎる。

 池袋のサンシャインシティで「ガールズ&パンツァー博覧会」が始まるんでちょっとだけ内覧会をのぞいてくる。基本は原画展でテレビシリーズからOVA、そして劇場版といったところの原画から結構なシーンが選び抜かれて展示してある。修正原画もあって目とかの指示が結構多くてなるほどそれだけ視線に注力したってことが分かって面白かった。大きい原画用紙をつかってぎっしり描く場面もあったりしたのも分かったし、アンツィオ戦のあとの食事のシーンとか。あれだけの賑やかさを小さな原画では描けないから。

 一方で戦車の絵というのはほとんどというか見た目1枚もなかったというか、それは戦車がCGで造形されている関係で、原画となるとキャラクターしか存在してないってことなんだろう。メカ作画といったものの不在は果たして原画マンとかアニメーターにとっていいことなのか。フリーハンドで完璧な4号戦車とか描けるアニメーターが出てくることはもうないのか。いろいろと心配してしまう。まあそうしあ戦車不足は山田卓司さんによるジオラマと、あとミリタリー考証の人たちにより音声ガイドで楽しめるから目では美少女たちを追いつつ声で聖グロリアーナ女学院の戦車の堅さに秋山がどう挑むのかといった言葉を聞いて戦車成分を補おう。お土産は舞台挨拶でも紹介されていたペナントとかどうせしょう。いろいろな種類があれば買いそろえて部屋に飾って円形に出来るんだけれど。昔遣った人、いるよね? 僕は絵はがきはだったからやらなかったけど。あと通行手形派。

 これは嬉しい、去年の今頃に渋谷で上映されながらも一瞬で終わってしまってその後、何カ所かで上映される機会はあっても多くの目に触れることなく1年が過ぎてしまおうとしていた「算法少女」が大晦日に高円寺のシアターカフェ プロセニアムってところで上映されることになったとか。口を酸っぱくしてこれはすばらしい映画で算法に挑む少女たちのバトルがあってそしてとっぴりの恋もあって裏でうごめく謀略なんかもあったりする、奥深いテーマを持ったアニメーションだと言い続けてきたけれども見られてないから伝わらない。けれどもこれで少しは世に広まって再上映の機会なんか作られると嬉しいかな。でもシアターカフェってところでのプロジェクション上映なら観客数も限られるか。入れるんだろうか。大晦日はだから東京に残って駆けつけたいものである。

 ああ、久しぶりにアニメ-初版「けものフレンズ」のあのまるっとした顔立ちのサーバルちゃんを見られたよ、「ミュージックステーション」の年末特番でどうぶつビスケッツ×PPPが出演して「ようこそジャパリパークへ!」を歌っていた背景に流れていた。あそこでさすがに原案の人のイラストレーションだけを映し出すわけにはいかないし、そもそも僕たちが1年近く経ってもこうして「けものフレンズ」にハマっていられるのも感動のストーリーを見せてくれたアニメーション版があったから。その価値をなおざりにするようにイラストレーション準拠のキャラクターをグッズでわんさか送り出してきたって少しもピンとは来ないんだ、ってことを分かって制作側も考えを改めてくれると嬉しいんだけれど。買わなければ買わないで沈んでしまうからなあ、態度が難しい、とかいいつつ京もクリアファイルをもらってどん兵衛を食うのだった。また見たいなあ新作アニメーションを。


【12月21日】 「アニメガタリズ」が凄いことになっていると風の噂で聞いたので最新話を見てみたらほんとうに凄いことになっていた。アニメのお約束を画面ではやりつつ登場キャラクターのヒロインはそのことに気付いていないため、画面として見える範囲で起こっているさまざまなエフェクトなり状況なりが登場人物のリアルな生活を浸食するといった展開から、アニメだからこそのお約束めいた表現を客観的に指摘してみせている、といった感じ。たとえば飛び散る汗だのきらめく星だのも空中に浮かんで手にとり触れられるものになる。「翌日」とかいった具合に画面に出てくる表示に登場人物がぶつかり邪魔だとひっくり返す。

 極めつけは4:3画面への変更。アナログ時代に作られた作品に入り込んでしまって16:9の感覚で動いて黒枠にぶつかり行く手を阻まれる。アニメあるあるネタをアニメの登場人物がリアルに感じてしまったらどうなるか、ってあたりを見せてくれるんだけれど、それがだんだんと他のキャラクターたちにも浸透していって、これはリアルじゃないけれどもヒロインにとってはヒロインとしての特質でもあったネコ先輩の声を聞くといったことが、ほかの登場人物にも出来るようになってしまってその世界が完全な虚構へと陥ってしまう。それでもなおヒロインは飲み込まれないで違和感を覚え続けた先に来るのは世界の崩壊か。外側に何かがあると示してくるりと丸めるのか。メタな演出は過去にもあるけどそこで破裂させずに収縮をさせて治める展開というのはなかなかないので、そうなる可能性を信じて次を待とう。

 アカデミーを無事に抜けて下忍となったボルトたちのお話へと入っていった「BORUTO−ボルト−NARUTO NEXT GENERATIONS」は、先に映画となった中忍試験へと向かう前にようやくボルトとサラダとミツキが3人で第七班を形成して、ちょっとずつナルトやサスケやサクラが組んでいた頃へと近づこうとしているけれど、中忍試験では結構な騒動も起こったりする感じだし、そこから先にいったいどれだけの試練を経れば大人になってサラダなりボルトが火影となれるのか、想像するだけでも道が遠く感じられる。裏返せばそれだけ話が描けるってことで、それを自分では描かず池本幹雄さんに任せた岸本斉史さんはうまく引き継げたって感じかなあ。作品自体も代替わりをさせフェイズを変えて前とは違った様相を見せ、単独でも楽しめるからそのあたりもうまい展開。長く続き過ぎる漫画の多い中でリニューアルの1つの成功例って言えるかも。

 去年はダンボールで作られたAT−ACTが異様を誇っていた日本テレビでのスター・ウォーズに関連する展覧会、今年は「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」の公開を記念したものになっていて、模型はカイロ・レンが操り飛んでいくタイ・サイレンサーが3分の1のサイズで壁から突き出ていた。とんがっていて結構速そうだし当たったら痛そうだけれど、3分の1サイズでも人にそのまま突き刺さるような小ささではないからきっと刺すようには作られていないんだろう。当たり前だ。等身大フィギュアもあってカイロ・レンにエリート・プレトリアン・ガードにキャプテン・ファズマに特殊部隊仕様のストームトルーパーの4人。ぜんぶファースト・オーダーじゃんってことになるけれど、顔の造形をしなくてマスクで押し通せるから作りやすいのかも知れない、ドロイドと同様に。

 作品では「来人勢刃」って名前の日本刀がなかなかで、ちゃんと関の刀匠が作っているんだけれども刃に青い線が入ってジェダイのライトセーバーといった感じだし、グリップも丸くてライトセーバーっぽかった。束じゃない造形って誰が作っているんだろう、拵えまでは刀鍛冶は作らないだろうから。あと将棋盤もあって駒師さんとイラストレーターが組んで作ってあってファースト・オーダーはスノークが王将でレジスタンスはプリンセス・レイアを王将にして対面していた。ストーリー的にはレジスタンスが押されるんだろうけれど、それを言うならスノークはああなりレイアはああなったんで王を取るゲームとしての将棋ではレジスタンスが勝ちってことになるのかな。イラスト関係ではMika Pikazoって人が描いたレイが可愛かったなあ、あと「僕のヒーローアカデミア」の堀越耕平さんが描いた「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」のポスター。そのままポスターとして発売して欲しいかも。

 スタンプもあって2組のアーティストが8種類ずつ作っていて、しっかりスター・ウォーズなんだけれどどことなく愛嬌がある造形に仕上がっているんでそのまま押して眺めてにやにやしたくなる。っていうか普通にスタンプとして売って欲しいくらいのクオリティ。まとめて紙に押して額に入れて飾ったら楽しいだろうなあ、でも8種類のスタンプを赤黒交えてうまく並べて押して格好良くするのってなかなかの試練。そこをうまくやれるのがセンスってことになるんだろう。僕はちょっと無理だ。グッズ売り場には前にCEATECで体験した「STAR WARS/ジェダイ・チャレンジ」のデモンストレーションをやっていて、体験したらCEATECの時より遊びやすくなっていた。斬りつけ守る繰り返しだけれど手に振動は来るし相手のリアクションもばっちり。本当に戦っている気になってくる。製品も販売しているんでお持ち帰りもOK。スマートフォン使っていたら買っていたなあ、ってかこれやるために買っても良いかと思い始めている。怖いなあ、スター・ウォーズ。

 中国脅威論を唱えたい方々の界隈で有名な「2050年の国家戦略」っていう一種のフェイクな文書があって、それを引っ張り出して中国は日本を占領して東西に分割して統治する気満々なことが地図に示してあるんだと言って騒ぎ立てたりしているんだけれど、それはあくまでもフェイクふぇあって公然としたものではなく、使うならば現行の中国の覇権主義的な部分を指摘しつつ、あっても不思議は無いよねといったニュアンスで引っ張るならまだわかる。でもそうした紹介をいっさいしないで、同僚が面白がって張っていたといった引きで紹介したあげく、引き写しを間違えて翌日に訂正を出す社会の木鐸であり公器の1面コラムがあるから何というか世紀末も極まったというか。訂正だってそれがどういった厄ネタなのかまるで触れてないしなあ。教養とか知性とかいったものとは対極の何か、言いたいことのためにはどんな材料でも引っ張り並べる積極性って奴が教わりそうなコラムになってしまったなあ。やれやれ。


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