縮刷版2017年11月中旬号


【11月20日】 「フル3DCGアニメ−ション映画を見たよ」(「GODZILLA 怪獣惑星」だな)「宮野真守さんが主演声優で」(やっぱり「GODZILLA 怪獣惑星だ」だ)「日本人を演じてて」(ほか「GODZILLA 怪獣惑星」じゃないか)「人類の存亡をかけてロボットに乗り単機で侵略者に挑む」(うん「GODZILLA 怪獣惑星」しかない)「妹を助けようとしてて」(幼なじみと混同しているけれど「GODZILLA」と考えよう)「富士山が」「「プランゼット」かよ!」。といった会話が心の中で繰り広げられたかどうかは本人しか知らない「GODZILLA 怪獣惑星」。上映を終わって思ったことは「どうして20年前に誰も気付かなかった?」ってことか。

 あるいは異星人から技術を習得してようやく分析できたって見方もできないことはないけれど、その異星人の宗教がかった一派と技術信仰がある一派はそれぞれゴジラが地球に現れ世界を滅ぼしている最中に飛来して、高いテクノロジーを地球に授けてリフトアップしようとした。シャトルでステーションに脱出してそのまま恒星間飛行へと移れたのもそうした宇宙人のテクノロジーがあったからで、それを最初からゴジラの分析と対処に向けていれば宇宙船で20年、地球で2万年だなんて期間を過ごさせてはゴジラを跳梁させる必要はなかったって言えなくもない。だから船内ではわずか20年の間、それも資源とか乏しい中で新しい分析方法が編み出され、そしてゴジラ退治の武力が編成できたのかが気になって仕方がない。

 もしかしたら仲の悪かった異星人は地球上では交わらずそれぞれに勝手な助力を行って各個撃破され、地球人とともに宇宙へと出て放浪の旅を始めてようやく技術を交えてステップアップを遂げたのかもしれない。そのあたりニトロプラス入りしていた大樹連司さんが書いたノベライズに書かれていたりするのかな。読んでみよう。そうした懐疑は置いて「GODZILLA 海獣惑星」はSFとして存分に味わい深くて地球にゴジラが生まれ現れ暴れて地球人を追い出したプロセスも、そんなゴジラを改めて討伐するために組まれた作戦もSF的な想像力にあふれていて、見ていてそうかそうなるのかといった驚きを味わえる。ゴジラとはいったい何なのか。仄めかされた理由はすなわち宇宙の摂理でもあるだけに、それに挑む人類が果たして勝てるかってところが今は気になる。続きがあるだけに。

 そう、続きがあるんだこの「GODZILLA 怪獣惑星」には。過去に実写の映画で「ゴジラ」に最初から完結せず続編ありきで作られたものなんてあったっけ、って考えるとエンターテインメントとして映画としてちょっと問題もある気がするし、そうしたことを封切り前に一切伝えずこれで見て終わって感動して帰れるものとして呼び寄せた観客を欺いたとも言えるけれど、そうやって見た観客がだったら次も見なくちゃと思うようなものに仕上げているってことも一方にあるだけに、窘めたくはなるけれど批判はしないというのが今のスタンス。ただ続編がポン酢ならそこはそれで続編詳報でもうけやがってと非難囂々となるから覚悟しておいて下さいない。アニメーションとしてはポリゴン・ピクチュエアズの技術が注ぎ込まれてよく動きしっかり収まる。ゴジラの巨大感と重量感も十分。あれでさえ。だからこそ。そこも言うのがはばかれるのでとりあえず、見て損はなしと改めて。

 新宿にある大塚家具のショールームで「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」の公開を記念した限定スペシャルショップがオープンしているって話を聞いて見物に行く。昔むかし新宿三越の南館としてオープンした建物だけれど今は大塚家具がショールームとして使っていて、例のお家騒動があるまではゴージャスな家具をまとめ売りするような場所で入りづらかったけれど今は小物や雑貨も含めて置いてあるみたい。だからこそ「スター・ウォーズ」関連のコーナーも展開可能って感じで、3回目となった今回もクッションとかラグとかアートパネルとかフィギュアとかライトセーバーとかお弁当箱とか箸箱とかそばちょことか諸々がズラリと並んで「スター・ウォーズ」がある生活って奴を感じさせてくれる。

 20万円近い手描きの水墨画なんてのもあてダース・ベイダーやらストームトルーパーやらが描かれていてなかなかの迫力。海外から来たスター・ウォーズファンならお土産にって思いたくもなるだろうけど値段が値段だけに手は出しづらいかなあ。個人的に気になったのはレコードプレーヤーでスピーカーも内蔵されているからレコードを載せてターンテーブルを回せばそのまま聞こえてくるとか。自分で始めてかったEPが確か「スター・ウォーズ」のオープニングが収録されたものだっただけに、引っ張り出して載せて聞きたい気分。B面は酒場で流れるジャズみたいな音楽だった。もう家にはないだろうなあ。クッションカバーは新作の柄もあっていよいよ高まってきた「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」の公開気分。12月14日の前夜祭的上映は気にしてなかったからとってないけど15日の公開日には真っ先に劇場にかけつけたい。どんな気分を味わうことになるかなあ。やっぱり「帝国の逆襲」的な驚きかなあ。」

 1937年(昭和12年)生まれで高校卒業後に草創期のアニメーション業界に飛びこむとするなら飛び込み先は東映動画くらいしかなさそうだけれど、どこかモデルとなる会社はあるんだろうか。モデルとなる人物もいるんだろうか。そんな想像がまずは浮かんだ2019年度前期のNHKの連続テレビ小説「夏空−なつぞら−」のシチュエーション。あの広瀬すずさんがヒロインとして抜擢されては、アニメーションに絡んだ仕事をするってことで話題騒然になっているけれど、今とはまた違った時代、アニメーションを作る現場が夢と希望に輝き、そして仕事も日々是発見だったようなきらきらした時代を描いて現在とのギャップにいろいろと論争も起きないか、って不安もちょっと浮かぶ。

 一方でモデルとなる時代があり会社があり人物があるなら、それは例えば中村(穴見)和子さんであったり、小田部羊一さんの奥さんで知られる奥山玲子さんであったりといった名前がまず浮かんで、関連として森やすじさんであり大塚康生さんであり杉井ギサブローさんであり高畑勲さんであり宮崎駿さんといった名前も続々と浮かんでいったい誰がどう演じるか、なんて想像がわいて今から楽しみになってくる。中村和子さんだとするなら買ったばかりのいすゞベレットで東映動画に乗り付け、大塚康生さんに借りられて壊されてしまったのを逆手に取って、虫プロダクションにいた旦那さんが大塚さんに「W3」のオープニングを描かせたってエピソードが浮かぶ。そんなモダンな女性像、広瀬すずさんにピッタリだよなあ。どんなドラマになることやら。視聴率連日30%超えは確実だな。

 ポン酢な政治部編集委員兼論説委員が朝日新聞は加戸前愛媛県知事は“本文で”1行も取り上げていないのだ(だからまるで取り上げていないのだ)説を繰り返し続け、それを受け手首相までもが朝日新聞はまるで取り上げていないのだと主張し始めていると、そうでないとはわかっていても政治部の記者は全員が「首相は党首討論会で、加計学園について質問した朝日の坪井ゆづる論説委員に対し、7月10日の閉会中審査における獣医学部誘致を推進してきた加戸氏のほか、八田達夫・国家戦略特区諮問会議議員の発言が朝日の紙面でほとんど取り上げられなかったことを指摘した」「7月11日付朝刊では朝日と毎日は加戸氏の証言は一般記事では掲載せず、審査の詳報で触れただけだった」と言い続けなくてはならないというか。当の媒体が朝日新聞や毎日新聞に劣る行数しか報じていないにもかかわらず。やれやれ。


【11月19日】 テレビ朝日が新海誠監督の「君の名は。」の放映権を20億円で買ったとかどうとかいった話が出回っていて、なんと景気のいい話だなあと思いつつもそれだけのお金を払ってもなおペイする広告収入が得られるコンテンツだと判断した現れでもあって、日本テレビにいた氏家齋一郎さんが徳間書店の徳間康快さんから頼まれ宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を4500万円で買ってから30余年、劇場アニメーション映画の持つバリューは確実に上がっているとも言えるし、ごく一部の作家にしかそれは適用されていないとも言える。だってあれだけ長編アニメーション映画が上映されているのに、ほとんどがテレビ放送されないんだから。

 つまりは売れているものしか売れないと思って売ろうとしないテレビ局のスタンスが出ているだけで、当時はまだ一部のアニメファンしか感心を持っていなかった宮崎駿監督の映画を破格の金額で買ってスタジオジブリ創設へとつなげてそのままビッグコンテンツへと育てていった日本テレビのような挑戦を、しようとはしていないってことでもある。そんな日本テレビですら細田守監督は「時をかける少女」がそれなりにヒットしてから手を伸ばしたような印象で、その次を密かに発掘しては育てようとしている感じではない。原恵一監督に片渕須直監督に湯浅政明監督と海外で高評価を受けている監督がいて作品があるにも関わらず。

 だったら新海誠監督に行くかと思ったらそれが正しいかどうかはわからないけれどもテレビ朝日に持って行かれた感じ。「星をおう子ども」あたりで目をかけ出資するなり応援するなりしておけば良かったのにそうはいかなかったのはなぜなんだろう。コミックス・ウェーブがあるいはテレビ局の介入をいやがっていたのかもしれないけれど、それでも関わりようはあったけどしてない感じなのは宮崎駿監督、細田守監督といった名前にはすがれても“無名”の若手に賭けるほどには腹をくくれなかったのかもしれない。それを言うなら押井守監督だって「イノセンス」と「スカイ・クロラ」以後はつきあいも途絶えている感じ。なんとかの切れ目が縁の切れ目って割り切っているのかなあ。

 まあそれでも2人のビッグネームを抱えているだけまだましで、お台場のテレビ局はノイタミナって良い作品を送り出すプラットフォームを持っていて、「PYCO−PASS」とか良いIPも持ちながらそれを大々的に看板へ持って行くような雰囲気はなし。アヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞のクリスタル賞を受賞した湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」と前作「夜は短し歩けよ乙女」にはフジテレビもBSフジも参加しているんだけれど、宮崎アニメや細田アニメほどの勢いで局を挙げて宣伝したって感じでもない。受賞してから特番は流したけれどその頃はもう上映館が絞られていた。

 振り返れば「ブレイブストーリー」とか「ホッタラケの島」とかアニメ映画でいろいろぶち上げようとしてた節はあるけどどっちも今は知る人ぞ知る。伊藤計劃さんを大々的にフィーチャーして「屍者の帝国「ハーモニー」に「虐殺器官」と映画を3本も作りながら今となっては誰も覚えていないような雰囲気になっている。放送はしたけれども深夜の午前2時40分だなんっていったい誰が見るんだ的な。見る人しか見ず見ない人に知られない時間帯に放送したって次にはつながらないのに。ゴールデンなりプライムにスポンサーを集める自信がないんだろう。そんな腰の座ってなさが今の惨状を招いているのかもしれない。今からでも遅くないから片渕須直監督の囲い込みに走らないかなあ。そして「アリーテ姫」「マイマイ新子と千年の魔法」「この世界の片隅に」を連続放送するんだ。

 横綱日馬富士関による貴ノ岩関への殴打事件で鳥取県警による聴取も進んでいるようだけれど、相撲界とそしてスポーツ新聞界隈はだんだんと貴ノ岩関にまずは非があったといった雰囲気を作ろうとしている感じ。日刊スポーツは捜査関係者から聞いた話として、秋場所後に錦糸町のバーで貴ノ岩関が若手に説教したのが白鳳関に伝わり、それで鳥取でのモンゴル力士会で白鳳関が説教していた際に貴ノ岩関がスマホ操作したから何をしているんだと日馬富士関が怒ったと書いている。一方、スポーツ報知では夏巡業で貴ノ岩関がモンゴル人力士を殴ったのを日馬富士関が知り、鳥取の件に至ったと書いていたりする。

 まるで違ったシチュエーションが違った媒体から小出しにされるのはスクープ狙いというよりは、それらしい材料をかき集めてようやく出しているといった印象も。それこそ芥川龍之介の「藪の中」状態。真実は1つでありながら人の数、立場の数だけ話は浮かんでそれはどちらかといえば一方に寄ったものになっている。ただ真実を知っている当事者の1人ともいえる貴ノ岩関はモンゴル力士の中にあって沈黙しているし、貴乃花親方だって嘘を言えば後に響くとわかっているだろうから無茶は言ってないだろう。いったいどこに落ち着くのか見えないけれど、今は貴ノ岩関の復帰を願おう。けがをしたのは事実であってそれで相撲が取れなくなるのが誰にとっても1番残念な話だから。

 代々木で開催された「覆面系ノイズ スペシャルイベント 〜ぼくたちは よよぎでもこころを かくしてる〜」が最高だった 。11月25日に実写版の映画「覆面系ノイズ」の公開も控えているし、一瞬自分は劇場版のプレイベントに申し込んだのかもしれないって不安がよぎったけれど、発券したチケットにはしっかりと早見沙織さん山下大輝さん内山昴輝さん小野大輔さん高垣彩陽さんとそして福山潤さんの名前があって、アニメーション版「覆面系ノイズ」のイベントだとわかって一安心。ただやっぱりかけつけると観客は9割7分くらいは女子。想像するなら小野Dファンが7割くらい? そして内山くんのファンが3割で福山さんのファンも3割で山下さん3割に早見さん高垣さんで1割づつといったら計算が合わないけれどもだいたい推しの重なり具合を会わせれば100%になるから気にしない。

 つまりはそんな空気感で行われたイベントは冒頭からノンクレジットのアニメーションのOPが流されたのが音楽に関する唯一くらいのプログラムで、あとは登壇したメンバーによるトークがあり名シーン選びがありクイズ大会がありゲーム大会があってその中で作品に関するいろいろが改めてわかっていったといった感じ。最後にはオリジナルの福山リョウコさん自身による書き下ろしの生ドラマがあって全員が登場してユニーク極まりない演技を聞かせてくれた。もうそれは大変に面白くって面白すぎてまた聞きたいけれどももう聞けないからこその生ドラマ。なので一期一会として耳に刻んでおく。良い声だったなあ、小野D。

 クイズとかゲームとか詳細もだから自分の心に納めて語らず。ただいえることは声優さんはやっぱり凄い。500人ほどの会場だけれどマイクも使っているけれども、しっかりと声を張り上げて最後まで抜かずに喋り続けているし、役になるところはちゃんと役になって演じているしといった具合にその仕事ぶりのいったんに触れられた。即座のアドリブに返しのアドリブの絶妙さ。最高だった。早見さんは地声はややハスキーというか霞がかかったような声がふんわりと出てくるんだけれど役になるとビンと通って突き抜けてくるところが凄い。アリスならアリスになりきって愚直なまでに裏がなくまっすぐな声を出し続ける。それが「賭ケグルイ」では夢子を隠微に熱情的に演じきる。

 いや日常はどこか早見さんの地声っぽいところから一気に賭ケグルっていくし、紅緒さんは最後までしっかり紅緒さん。大正ロマンの真ん中を行く乙女だったりする。そしてアリス。生ドラマのところのあの愚直にまっすぐで融通のきかなさそうなところはしっかりとアリス。演技がしっかりできているところに感心するしかない。そんなこんなで2時間みっちり笑いっぱなしのスペシャルイベントは、値段こと7334円とか結構するけれどそれに見合っただけの中身の濃さを味わえたのだった。これにバンド演奏なんかがあったら1万円越えてたって出したね。そういうイベントもあって欲しいなあ、今度や代々木体育館あたりで。グッズは缶バッジ2つでニノとモモ。ベストチョイス。かな。


【11月18日】 ヤクザが兄貴分を殴り殺してエルフとともに異世界に行ってヤクザならではの恫喝と狡猾さで王族に取り入り、エルフの持つ魔法を守るふりをして奪おうとするノワールで血塗れなファンタジーがすでに電撃文庫から出ているから、どうしてマヨネーズ程度が麻薬のような嗜好品となって闇で取引される話が普通に出版社から出せず、ネットの小説投稿サイトで連載されなくちゃいけないかがわからないんだけれど、何でもありの電撃文庫はコンテストの受賞者なり落選者かららの拾い上げなりで作家を集めているから、他社で活躍している作家の持ち込み企画はあまり出すことがないんだろう。

 とはいえ連載され始めたらこれは好評だったようで、伊藤ヒロさんによる「マヨの王 〜某大手マヨネーズ会社社員の孫と女騎士、異世界で《密売王》となる〜」(ダッシュエックス文庫)は無事に集英社から刊行。マヨネーズ会社の家にたぶん生まれた少年がちょっとしたことから自殺を考え、止めようとしていた妹共々異世界に行ったらそこは卵が自由に生えてくるけれど決して豊ではない領国で、そこのまだ幼い領主が女大公の毒牙にかかろうとしているのを止めようと、少年は手近な材料でマヨネーズをつくったらこれが大受けしたものの、調味料を勝手に売るのはまかり成らないという法律があっため闇で売ろうと画策する。

 そして密かに作ったマヨネーズを都へと運んで闇ルートで売りさばくことに成功して、これは安心かと覆ったら別口から作れないはずのマヨネーズが出回り始める。もっとも少年たちの工業製品なみに腐らないマヨネーズと違って、自家製に近い闇のマヨネーズは長持ちしない。そして起こる騒動のなかで少年は闇の勢力に強い足場を確保して、そして世界に対して戦いを挑もうとするといった展開。これが麻薬だったらなるほど公序良俗に反すると止められても仕方がないけれど、マヨネーズを置き換えたら別に良いような気もしないでもない。そこはだから編集さんの胸先三寸といったところなのかも。確実にはびこりそして蝕むマヨネーズ。さらに現れたなぞの人物。いったい世界はどうなるのか。少年たちは元いた世界に帰れるのか。続きが楽しみ

 映画館に行って中段から後ろの視野にスクリーン意外の諸々が入る場所をわざわざ選んで座る意味がわからないと言うか、家で葉絶対に見られない見上げるようなサイズで見られるからこそ映画館に行くんじゃないかとも思っているのでたとえ相手がULTIRAというとてつもなく巨大なスクリーンであっても座る場所は前目。さすがに最前列だと視野からこぼれるので数列目の真ん中あたりに陣取ってイオンシネマ幕張新都心のULTIRAで見た京都アニメーション特集、「映画 けいおん!!」と「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」ややっぱり最高に最上だった。

 まずは「けいおん」。最後に見たのはいつだろう、最初のロードショー中のような気がするけれどそのあとに1度くらいは見ているかもしれないけれど、おおよその展開は覚えていても細部がどうだったかまでは見ながら思い出していった感じ。やっぱり表情と仕草の演技が巧みに画かれているよなあ。そしてやっぱり音楽が良い。ロンドンへと行って寿司やに引っ張り込まれてライブをやらされたシーンでステージに立った放課後ティータイムを見たら何かジンと来てしまった。本当に久しぶりに放課後ティータイムに出会えたって気がした。そして教室でゲリラライブをしたところでもやっぱりジンと来た。人前でのライブはこれが最後という寂しさがひとつと、高校生活という人生のある時期にひとつ、区切りをつける人たちがいるんだという共感が浮かんだのかもしれない。人生は長いけれどその時は一瞬なんだってことを思い出したとも言える。

 音楽そのものもやっぱり良いというか京都アニメーションって劇中での音楽に手を抜かずにどれも素晴らしいものを繰り出してくるというか、「響け!ユーフォニアム」での「三日月の舞」なんてそのまま吹奏楽のスタンダードとして残りそうだし「涼宮ハルヒの憂鬱」の「God knows」もアニソンという枠を越えて永遠に歌い継がれている感じ。そんな名曲が「けいおん!」シリーズには山ほどあってそれらが映画ってこともあって次々に繰り出されては歌詞にメロディに歌声にサウンドアレンジのすべてにおいて音楽だって感じを与えてくれる。高校生がやるには高度すぎるかもって思わないでもないけれど、高校生だからこそできる範囲と思わせる歌詞にメロディに歌声というのをしっかり整えてくるところも凄い。そんなリアル感が京都アニメーションの作品に人の耳目を引きつけさせるんだろう。

 「劇場版 響け!ユーフォニアム〜届かないメロディ〜」は3度目だか4度目だから見たいシーンに目を見張ることが中心。ULTIRAの巨大なスクリーンで見上げるように見る田中あすか先輩のちゃぶ台下から見えるあぐらを組んだ生足はもう最高にまぶしかった。目を見開けば奥まで見えるかと思ったけど其れはさすがに無理だったか。画かれていないものは見えないのだ。それがアニメーションなのだ。音響についてもイオンシネマ幕張新都心で最高の音響が整ったシアターだから吹奏楽が響く響く。あすかがラストに吹く「響け!ユーフォニアム」というユーフォニアムの独奏も本当にその場所に本人がいて吹いているような気にさせられた。もちろん「三日月の舞」も迫力たっぷり。またあったら行きたいけれどそれは支配人しだいか。次のプログラムも予定しているそうでULTIRAだからこその迫力で見ていく劇場アニメーションを楽しみにして行きたい。通えるうちは通い続けよう。それが千葉に住んでいる者の特権だと思って。

 「2015年の日韓合意から約2年。慰安婦問題は収束どころか、世界中にまき散らされた。米サンフランシスコ市議会が慰安婦像受け入れを決める直前、ジュネーブの国連人権理事会で韓国代表団が日本を攻撃したなんて記事を書いている三井美奈って記者がいて、前は読売新聞にいて「イスラエル」とか「イスラム化するヨーロッパ」といった新書を書いて民族と国家の問題に詳しいところを見せていたようだったけれど、移籍した新聞ではキャンペーンとして展開している「歴史戦」に荷担しているみたいで、言葉遣いも「世界中にまき散らされた」なんてちょっとハードなものになって韓国の外交を叩こうとしている。

 元よりそういう資質があったからこその移籍だったのか、それとも読売ではローテーションから欧州への足場を失いそうになってそれが保証されそうな移籍先で出席証明としてそういったライティな記事もお仕事で書いているのか。いろいろと気になってしまう。まあやっているうちに染まっていくんだろうけれど。そうえば別の女性記者も通州事件なんて厄ネタを、個人的には吟味もしないでチベット侵攻と並べて中国批判の材料にする勢力の一方的なご意見を諾々と書いてしまっている。そう教えられたかそう信じているかそう信じるようになってしまったか。こうやって全体が染まってしまっているのだなあ、政治部も社会部も文化部も。やれやれだ。


【11月17日】 異世界転生×俺TUEEEもここまで究められるとむしろ楽しく思えてしまうというひとつはあまうい白一さんの「俺の家が魔力スポットだった件〜住んでるだけで世界最強〜」でもう1つがわんこそばさん「努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。」。その最新刊では復活しかかっている魔王たちの残りを仕留めに我らがアッシュが魔王の転生社だとわかったノワールも連れて向かっていくという展開なんだけれども出会う魔王のことどごくが、最固だったり最熱だったり最速だったり最強を標榜しているにもかかわらず、出会い頭のようにアッシュの前に敗れていくといった感じ。

 その破れ方もまたかわいそうになるくらいのレベルなんだけれど、そんなアッシュくんが逆にどうして人間の世界で普通に暮らしていけるのか、ってあたりが今はちょっとした疑問として浮かんでくる。くしゃみで魔王がああなるんだからなあ。おならだったら世界はいったいどうなるか。想像すると恐ろしいけどきっと魔王相手に心のリミッターが外れたときだけフルパワーが出るんだろうと思っておこう。魔法を得るという念願にも近づいてさてこれからいったいどうなるのか。気分はもう完結なんだけれどこれで終わりといった告知もなさそうなんでこんどは宇宙から来た敵とでも戦うのかな。さぞや歯ごたえがあるだろうと思いたいけれども、果たして。

 Inter BEE 2017でVRのクリエイターたちによるトークセッションを聞いていた途中でネットを開いたら鶴ひろみさん急死の報。高速道路で止まっていた車の中で息絶えていたということで、後で大動脈剥離と伝わって急な疾患によって亡くなられたんだとわかってくる。苦しかったのかなあ。痛かったのかなあ。想像するしかないけれどでも僕にはその痛みはわからない。ただ亡くなられた残念さだけが浮かんでくる。「ドラゴンボール」のブルマがメインで「きまぐれオレンジロード」は見ていなかったからちょっとわからないけど原点はやっぱり「超時空要塞マクロス」のキム。メガネのシャミーに少女なヴァネッサの間でちょっとボーイッシュな雰囲気を張っていた。後につながる役柄をそこで確立されたのかな。今も現役だっただけに残念でらならい。ドキンちゃんとかどうするんだろう。ともあれ黙祷。今までありがとうございました。

 というわけで鶴ひろみさんの追悼も意図して気になっていたTOHOシネマズ上野での「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を最前列で見る。劇場で見るのは公開時以来だからたぶん33年ぶり。その後にテレビ放送なんかでも見てはいるけど改めて、大スクリーンで見ても追えないくらいのバトルシーンとかを目の当たりにして、当時の人はよくやったものだと感嘆する。美樹本晴彦さんの最高に可愛くて美しい女性キャラが徹頭徹尾、崩れることなくスクリーンを飾ってくれていることも嬉しい。

 んでもってエンディングは「天使の絵の具」をバックにライブシーンで「1234」を繰り返した果てのドーンが公開時と違うかなんておぼえてないのだった。当時は何度も見返してセリフまで覚えきるなんて財布の余裕もなかったから。調べるとその後のOVAを元にパッケージでエンディングが指し変わったとか。スタッフクレジットも大きめでくっきりしていたからリマスターのBlu-rayあたりが上映されたのかもしれない。

 物語でいうなら一条輝お前が悪い。あるいは羨ましい。まあ最初の命令無視はそれでリン・ミンメイを転落から救ったからよしとして、土星まで連れ出し危険な目に合わせてロイ・フォッカーの命を失わせる。それでもミンメイが残ってゼントラーディの中に歌を広めて地球人類との一時休戦を引き出し、最後にはゼントラーディへの打撃にも繋がったから功はある。あるけれども想いを引っ張り期待もさせておいて自分は地球で早瀬未沙とイチャイチャイチャイチャしやがって。テレビシリーズ以来の早瀬未沙ファンとしてはそこがやっぱり許せないのだった。ミンメイにしとけよと思うのだった。まあでもそれでミンメイも吊り橋効果と逃避による迷いと気づいたと思えば丸く収まったと言えるのかなあ。おかけで飯島真理さんの楽曲でもトップ3に入る名曲「天使の絵の具』を映画館の音響で聞けたのだから。ちなみにほかの1曲は「Blueberry Jam」。もう1曲は考え中だ。

 マクロスにおいて主題となる文化の力、歌の力をしっかりと描きつつゼントラーディとメルトランディを分けて発展に異形さを出しつつそれが宇宙だと言った時空間的スケールを感じさせてくれるところはやっぱり凄い。一条輝と早瀬未沙が飛ばされた先の崩壊した絶望感もテレビシリーズより濃くあって、それだけに諦めの気持ちも強くなるけれど、だからこそ踏みとどまって戦い、生き延びてもう一度始めるんだという意欲も湧いてくる。落ち込んだ早瀬未沙が立ち直ったのもそんな使命感が浮かんだからなのかもしれない。その意味でいい設定であり、強いSFだとも言える。

 声優さんはみんな若いなあというか土井美加さんはちょっぴりお姉さん声の究極を感じさせてくれた。クローディアさんはさらに姉御な感じ。小原乃梨子さんの個人的には最高の役だと思っている。そして鶴ひろみさん、ヴァネッサとシャミーに挟まれちょいボーイッシュなキムをあの声で聞かせてくれた。まだ強気キャラまで来てないけれど萌芽を感じさせる声だった。懐かしい。そしてありがとう。長谷有洋さんも亡くなられて久しい。存命ならどんな声優さんになられていたかなあ。ブリタイエキセドルのコンビも懐かしい。ゼントラーディ語を交えるため言ってることはわからなくてもちゃんとブリタイエキセドル。声優さんはやっぱりすごい。そんなこんなで最高だった上映だったけど次はいつ劇場で見られるか。ラストが「天使の絵の具」ならそのシーンのカタルシスを味わいに何度でも通いたいと思ったという、そん感じでありました。

 言いたいことから遡ってあれやこれや材料を見つけてくっつけていく態度は時としてというか、ほぼほぼすべての場合において材料をねじ曲げてくっつけたりしていて、見る人が見れば矛盾だらけなんだけれども言いたいことさえ伝わってそれが広く喧伝されれば勝ちだと思い込める頭になっているから途中がどうとか関係なしに拾い集められるんだろう。とある新聞の1面コラム。かつてはそれなりに名文家による名コラムとされていたのが今は日替わりでもって思い込みによる罵倒が連なることも多々あり、これで前に書いていた人は悲しがらないんだろうかと思わないでもなかったりする。

 そんなコラムで言われていたのがクーデターの噂が飛び交うジンバブエを長く支配してきたムガベ大統領への批判。そして末尾に「そんなジンバブエを支え続けたのが、中国である。ノーベル平和賞に対抗する『孔子平和賞』には、もちろんムガベ氏も選出した」と書いて「つまり後継者が誰であれ、中国政府の眼鏡にかなった人物であることだけは確かである」を結んでいる。おいおい、ムガベ大統領って孔子平和賞の受賞を辞退したんじゃないのかい。同じ新聞が1年半前、ムガベ大統領が来日して安倍総理と会談した記事を書いた時に「中国人民元を法定通貨に加えて債務放棄を引き出す一方、中国版『ノーベル平和賞』ともいわれる『孔子平和賞』の受賞を辞退するなど対中外交でも注目を集めた」と書いて決して中国になびいていないことを称えている。

 強圧的な言動で世界から批判を浴びていることに触れつつ「ただ、そうした『悪名』は一面的な見方でもある。外務省関係者は『われわれが考える以上に、ムガベ氏は現地で尊敬されている。アフリカでは長老への尊敬が強く、国力以上の発言力や影響力を持っている』と明かす」と書いてもしかしたらいい人かもって印象を醸し出そうとしている。つまりは我らが安倍総理が招いて会う人が冷酷な独裁者ではあては困るといった理由。だから良いところ探しをしてそう見せかけようとする。「反植民地闘争の英雄として、南アフリカの故マンデラ元大統領と並び称されることもあるという」。

 そうまで書いていながら1年半後のコラムでは「マンデラとムガベ『歴史上の巨人』と『最悪の独裁者』」と見出しにとってこき下ろす。そして中国批判の材料にする。もしも中国が持ち上げた独裁者だと言うなら、そんな人物を招いて称えた安部総理はどうなんだ、そんな安倍総理の行動とともにムガベ大統領を称えた新聞はどうなんだ、って話。あの時はあの時で今は今、って言いたいんだろうけれどあの時と今とでムガベ大統領が変わったとも思えない。でも評価は180度変わるのは安倍総理であり中国といった対象を称えるなり批判するための材料としてしか見てないってことの現れなんだろう。その場しのぎの言葉だけが跋扈して跳梁する刹那的な新聞が、果たしてどれだけ保つのか。我慢比べも大変な局面になって来たかもしれないなあ。


【11月16日】 第68回NHK紅白歌合戦の出場歌手の発表はあったけれど「どうぶつビスケッツ×PPP」の名前はなかった。でもまあきっと合間にフレンズたちが登場しては星野源さんも巻き込んでいっしょに「ようこそジャパリパークへ」を唄ってくれると信じて当日は見続けよう。去年「シン・ゴジラ」とのコラボレーションがずっと続いてたいように、今年は出場歌手の全員に「あなたは何のフレンズ?」と総合司会が聞いていき、そして登場した上野動物園のパンダの赤ちゃんシャンシャンに「パンダのフレンズなんだね? すっごーい!」といったかけ声が入るという、そんな感じ。いやさすがにパンダは持ち出せないか。アニメ枠なき今期待したいサブカル枠。どうかなあ。どうだろうなあ。

 東村アキコさんの登場もあるというので講談社の新刊・新企画説明会に行ったけれども講談社じゃないところの締め切りで東村さんは来られず。でも代わりというよりこちらがむしろ読書者にとっては本命かもしれない赤川次郎さんが来られて新シリーズの解説を自らしてくれた。そのタイトルは「キネマの天使 レンズの奥の殺人者」なんと映画のスクリプターを主人公にしたミステリだという。そもそもスクリプターとは何か。「スクリプターという縁の下の力持ち、地味な職業の女性を主人公にしました。スクリプターは字幕では記録と出ることが多いです。99%女性がやる仕事で、昔のフランス映画を見ていてもタイトルにスクリプターのことは英語でスクリプトガールと出てきます」。知ってはいたけどスクリプトガールはちょっと知らなかった。

 ところでスクリプターはどれだけ大切な仕事なのか。「映画というのは順繰りに、脚本の順番どおりに撮影する訳ではなく、前後する場面、ラストシーンを先に撮ったりもします。つないだ時に不自然にならないよう、ありとあらゆることを記録しておくのがスクリプターです。映画全体の流れを把握していなくてはならない。そう思いついたときに、スクリプターは探偵に向いているなと思って新しいキャラクターとして作りました」。まるっとお見通しで謎はすべてとけた系? わたし気になります。そんなスクリプターって今活躍しているの? 「フィルムで撮っていた時代、スクリプターは絶対必要でしたが、デジタルになって撮った場面をその場でモニターで見られるようになると、人件費削減ということでスクリプターを着けない現場も増えて来ました。寂しいと思います」。寂しいねえ。

 だから赤川次郎さん。「。あくまで本来のオーソドックスなスクリプターをつけ、監督、カメラマン、録音、照明といった職人気質の人たちが集まって、職人としての誇りを持って映画を撮っていた時代のことを書きたいと思いました」。そんな映画との関わりを、お父さんが東映にいて教育映画を作っていたことから振り返ってくれた赤川さん。作品にも「セーラー服と機関銃」をはじめいくつも映画化されたものがある。「ふたり」「あした」なんかはあの大林宣彦監督で新・尾道三部作の一部となった。そんな大林監督の現場を赤川さんはのぞいたことがあるそう。

 「大林さんはモニターは見ませんし、役者さんは自分が撮った場面をすぐモニターで見たがるんですが、大林さんは見せません。OKを出すのは監督で、役者は見る必要がないと。そんあ主人公を困らせる頑固な監督の姿に重ねています」。読んでいる内にあのもじゃもじゃの顔が浮かんでくるのかな。そして赤川次郎さん。「スクリプターの仕事をそのままこの小説に書いている訳ではなく、娯楽としてサスペンスものとして楽しんでもらえれば良い。同時に昔の日本映画はこういう人たちの情熱で作られていたという映画作りの現場の雰囲気を、少しでも感じて頂けたら、昔の日本映画を見る時に感じてくるところがあるでしょう」。読めば映画のこともいろいろと分かるかも。いっそ映画化したら面白いなあ。それにしても69歳になっても意気軒昂、新しいジャンルに挑む赤川次郎さん。12月12日発売だから出たら読もう。

 東村アキコさんが来たら自身の口で説明されたのが「東村アキコ完全プロデュース 超速!! 漫画ポーズ集」という本。球とか箱とかでボディのあたりをつけてポーズをとらして肉付けしていくような人体の描き方をそれじゃあロボットみたいに堅いキャラクターしか描けないと否定して、トレスしてでもいいから輪郭でだいたいをとらえて描くんだってことを訴えていた。そうやって描かれたモデルがうまいのは、東村さんが元より美大の出身で画塾で徹底的にデッサンを鍛えられていたからなんだけれど、そんな腕をこれから漫画を描く人でも得られるようにするのがこの「漫画ポーズ集」。描くのに必要なポーズが東村自身のプロデュースによって写真に撮られて掲載されているから、選んで写して変えて画けばはい完成。見栄えの良いポーズに間違えのない漫画ができあがる。

 トレスの問題っていうのが漫画の世界に漂っていて写真から構図とかポーズをとって画くとそれは失格だといった非難を浴びせられる。東村さんはどんどん写せばいいんじゃないといった態度でいるけれど、公に撮られた写真とか雑誌に載っているポーズとかを写せば著作権がどうとか言われるのなら、フリー素材的に使えるポーズ集を出せば良いって考えたのかもしれない。なかなかに前向きで挑戦的。あとはこのポーズ集から写したものだけで1本の漫画を描き上げる猛者が現れることかなあ。果たしてそれはどんなものになるのか。動かないマネキンが演技する「オー!マイキー」とは違った意味で、トレス&コピーの究極を見られるかもしれない。そうと分からないというニュアンスも込みで。

 SOWさんがGA文庫から出した「3年B組ネクロマンサー先生」がとても良かった。幼い頃から陰気を放ってハブられていたクトゥーという少年が、長じて結構な闇魔導師としての力を発揮するようになって、それで誘われて美少女が勇者として率いているチームに入ってそこでも陰気から疎まれながらも勇者からは認められ、活躍したもののある理由から勇者チームを抜け人類をうらぎり、魔族に寝返り魔王に雇ってくれと言ったら魔族を教える学校の先生になってと言われ、低級魔族を教え始める。その経緯もネガティブなら。教え始めた言動がネガティブで生徒すら引かせるけれども実力だけは確か。ちょっかいかけてきた上級魔族も退け低級魔族に期待させる。どこまでもネガティブパワーに秘められた凄さに感嘆するけど、それを真正面から認めてもらえないのはやっぱり辛いものなのかな。いずれ英雄になる男の成長の歴史を楽しんでいこう。最後まで書かれるのなら。

 なんかモンゴル力士グループの間でこう言えといったコンセンサスでもできてきたのか、貴ノ岩関をめぐる殴打事件での最初の報道がことごとく覆されては貴ノ岩関が悪いといった空気が情勢されようとしている。やれ先輩を小馬鹿にしたとかビール瓶なんかで殴られていないとか。だったら頭蓋底骨折による髄液漏洩とかって重傷をどうやって負うのか。10針縫ったとモンゴルにいる兄に報告しているのは嘘なのか。時間が経つにつれて根回しも進むものだとしたらまだ時間の浅かった時期に出回った情報こそがとりあえずの真。そこを基本に何が事態を覆い隠そうとしているのかを想像し、それに抗するためにたとえば貴乃花親方はどう戦おうとしているのかを考えないと、すべてが闇に葬られてしまいそう。骨折はあった。ではどうやってそこに至らしめられたか、具体的に誰が何をやったのかをまずは明らかにしろ。話はそれからだ。


【11月15日】 FIFAワールドカップ2018ロシア大会への出場国がオセアニアと北中米とのプレーオフによる1枠をのぞいてだいたい決まったようで、欧州からはカルチョの国ことイタリアがスウェーデンとのプレーオフに敗れて出場を逃して実に60年ぶりにイタリアがいない大会になる模様。そんなイタリアがいなかった1958年の大会が開かれたのがスウェーデンというのも何かの因縁。優賞したのはブラジルであのペレが17歳でワールドカップに出場して決勝では2得点を決めてブラジルに初のジュール・リメ杯をもたらした。

 つまりはサッカーの歴史でもトップクラスに刻まれる大会にイタリアはいなかった訳で、今回もそんな歴史が生まれるかっていうとそれだけの選手が見当たらないんだよなあ、メッシとネイマールとクシルチアーノ・ロナウドくらいしか。スターが出づらい時代なのかこの3人が飛び抜けすぎているのか。ほかではオランダが出場を逃して寂しいけれどオランダにどれだけの選手がいるかというとやっぱり気にならない。今さらロッベンではやっぱり無理だったってことで。旧ユーゴスラビアからセルビアとクロアチアがともに出場。元よりの強豪だけれどしっかり勝ち上がって来たか。ピクシーの解説とか聞きたいかも。

 アフリカはエジプトとチュニジアとモロッコとナイジェリアとセネガルでカメルーンはおらず。ここも5枠では厳しいか。いずれ32カ国から枠が広がればアフリカは8枠くらいになるのかな。南米も2つくらい増えて欧州も4つくらい増えてと。北中米は増やしたところでアメリカが出るかパナマが出るかといった違いでしかないし。アジアはううん、2枠増えればオーストラリアとイラクが常連になるくらいか。中央アジアの国々が上がってくるのか。悩ましいところだけれどそこに日本がいつまでも入っていられるかってところが問題で。選手層の底上げをだからハリルホジッチ監督には頑張ってもらって、次の大会で世界を驚かせるチームへとつなげて欲しいんだけれど、全部ひっくり返してしまうんだ。それが日本。やれやれだ。

 うわあ。本当に書いたよ。週明けくらいに小林よしのりさんのサイトで山尾志桜里議員が大阪から東京駅まで追跡された話が明らかにされて、それに関連して大阪での山尾議員と倉持麟太郎弁護士の行動が詳細に紹介されれいたにも関わらず、週刊文春のことだから知らん顔して書くんじゃないかと思ってツイートに「うーん。小林よしのりさんの把握が確定として調べれば分かることを調べないで一方の当事者に尋ね否定されたとしてもそうだったかもしれないとほのめかして記事に見出しに大きく『大阪でお泊まり』とか出しつつ小さく実は違って別々に行動って書けば受けは狙えるんだよなあ」と書いた。その後も小林さんの追求は続いて、大々的に喧伝もされたんでさすがに引っ込めると思ったら予想どおり過ぎることを週刊文春がやって来たからひっくり返った。

 別々に行って同じ小林さんのイベントに出て別々に泊まって別々に帰ったことが小林さんから断言されているにも関わらず、そのことには一切触れず「山尾志桜里衆院議員が倉持弁護士と1泊2日の大阪出張」という見出しだけで何かあったかもしれないといったニュアンスを醸し出す。でもって「「山尾志桜里衆院議員、倉持麟太郎弁護士の2人が1泊22で大阪出張していたことが『週刊文春』の取材によって明らかになった」ってネットで紹介。いやいやそれって既に小林さんがサイトでぶちまけているじゃないか。「明らかになった」って新聞もよく使う言葉でスクープ感出したい時の常套句だけど、すでにバレているにも関わらず使ってくるところに週刊文春の周囲の見えてなさってのがうかがえる。

 ただ問題は、世間は小林よしのりさんのサイトなんか読まないし見出しだけで大阪に2人きりで行ってお泊まりしてきたんだと思うだろうこと。電車なんかの中吊りにも出るからなおそう感じるだろう。だからこの件を報じるワイドショーなりタブロイドが裏を取るかどうかだけれど、取れば報じられないなら取らず文春が記事にしてましたとだけ言って同様の仄めかしで突っ走る可能性も高い。それが今のメディアって奴だから。それにしても早期に反証もあって証拠もとれてない話はボツにするのが普通なのに、どうしてここまで仄めかしで突っ走るのか「週刊文春」。ちょっと分からない。担当デスクの情念が相当だとしてもその上がこれは無理筋と止めるだろうに。「FLASH」はだから止めたらしいけどここはいったい何が目的で絡み続けるんだろう。そこが謎肉。

 ようやく見た田中幸夫監督の「女になる」はいよいよ性適合手術を受けて肉体的にも女性になろうとしている人のそれまでのしばらくを追いかけたドキュメンタリー。友人知人が多くそれはMTFの人もいるし普通に女子もいるしといった具合で見たところは女子会をやっている感じがしたけれど、そんなフラットでナチュラルな状況に至るまでに感じたことや考えたことは相当にあったんだろうなあとも思うとしんみりする。けどそうした部分を無理に出さずに割と世界が前向きに受け入れているような空気感を出しているから見ていて辛くはないし厳しくもない。そうあっても良いんだと思わせてくれるところにあるいは監督のフラットであろうとする意思が働いていたのかもしれない。

 あと意外だったのは手術でよくあるタイとかに飛ばず日本で済ませたこと。名古屋に専門のクリニックがあって600例くらいを手掛けてきたそうで、そうしたことに真剣に取り組んでいる医師がいることが心強かった。日本で始めてリーガルな形で行われたという埼玉医科大学での性適合手術に研修医として参加していたそうで、そこで見たこと感じた思いが前後しての騒動の中で自分をリーガルな形でそうした分野に取り組まなくてはと思わせたのかもしれにあ。知ることが大事。触れることが大切。そんな一例。あとLGBTと一括りに言ってもそれぞれに違いはあることもちゃんと認めていた。心の持ちようである場合とある意味での病気といった場合。その違いを認識してそれぞれに対応する必要なんかも話していた。メディアとか一括りにしたがるけれど違うんだってことを改めて、知らしめる映画でもあった。

 辛いなあ。政治部の経験がそれほどあるわけでもない、直前まで文化部のデスクだった記者がなぜかいきなり政治部編集委員になって蓮舫議員の悪口を書いている。法的に問題なしとされ立件もされていない国籍の問題をあげつらって追い込み、辞任へと追い込んだにもかかわらず「『二重国籍」問題や東京都議選の惨敗と、迷走に迷走を重ねて代表を9月に投げ出したばかりの蓮舫氏に、ほとぼりが冷めぬうちに白羽の矢を立てることを支持者ばかりか、国民はどう思うのか』とさも自分で放り出したかのように印象操作する。そんな記事を今の政治状況的に有為とは思えないにもかかわらす大々的に掲げて、蓮舫議員が嫌いな勢力をかき集めて喝采を浴びる。それでアクセスは稼げるだろうけど、そうしてまで自分の居場所を得ようとする記者の心境が気になる。それとももはやこういう言葉しか連ねたくない人しかいないかいられないだけなのかもしれない。参ったなあ。


【11月14日】 エブリスタで書かれた小説を書籍化するSKYHIGH文庫から出た雪鳴月彦さん「成仏しなくて良いですか?」が面白かったよ。モグリ霊媒師の男と元地縛霊の少女が組んでアパートの霊障とか交差点の地縛霊とかを祓うんだけれど、霊への同情とか斟酌とかせず悪霊になったら調伏して改心とか無理だと雲散霧消させるところがとてもドライ。連れてる元地縛霊の少女も両親への思い残しがなければ悪霊化も進んだはずだから消されていたけど、そこはかろうじて正気を取り戻してみたいでモグリ霊媒師の助手になる。でも地縛霊時代は結構人を引き込んで殺めていたはず。そこへの憤りがないのもドライだなあ。

 そして物語は地縛霊の少女の両親にまつわる事件を調査しに山奥へ。そこでのモグリ霊媒師や知人の女霊媒師による悪霊との戦いが壮絶で秘められた必殺技とかなくかろうじて勝利できる所にも逆にリアルで面白い。それはまだ幼かった少女を思ってのある振る舞いが家に悪い気をためてしまって無関係だった人間を染めてしまって起こったという、そんな悲劇。知って少女は何を思う? ってもはや死んでるから何も重いようがないのか。ともあれ戻った都会で続くモグリ霊媒師との日々が続編で紡がれるかが目下の興味。自分が事故死して以来会えていない地縛霊の少女を育ててくれた祖父母とか、見られていない自分自身の墓とかが気になるし。そんなあたりからハッピー展開も想像したくなるけど、ドライな書きっぷりだからそれはないか。ハードでポップな霊媒師物を、さあどうぞ。

 これはさすがにアウトだろう。大相撲の横綱日馬富士関が別の部屋にいる同じものゴル出身の貴ノ岩関の頭を酒席で何かあったらしくビール瓶で殴って全治2週間のけがを負わせたといった話。それで貴ノ岩関は始まっている九州場所を休場する羽目に追い込まれ、せっかく留まっていた幕内の座から十両へと陥落は避けられなくなっている。まさに相撲人生に関わるようなけがを別に稽古中でもない酒席で違う部屋の力士からおわされてどうして今まで師匠の貴乃花親方は黙っていたのか。もしかしたら診断書を出してこの問題が発覚するまで、日馬富士関を慮って貴ノ岩関なりから別の理由があるといった説明を受けていて、それに納得したふりをしていたのか。それとももっと別の方向から言うなとプレッシャーがかけられていたのか。自分から相撲界の序列に従い配慮するタイプではないだけに少し気になる。

 実際に発覚して以後は、事件が起こった地域の鳥取県警に被害届を出したそうで、それを馴れ合いで引っ込めるつもりもないと話しているとか。だとしたら警察は傷害事件として動かざるを得ず、横綱がそうした傷害事件の容疑者として逮捕される可能性だってあったりする。というより普通は貸与か聴取の上で書類送検だろう。そうならなかったら相撲界の秩序以前にこの国の法治国家としての秩序が崩れてしまう。古き良き伝統だと言えるのも部屋での稽古の際の行き過ぎたかわいがり程度。そうではない酒席の上での乱暴をいかに相撲界と言えども認める訳にはいかないだろう。そして過去、酒席で人にけがを負わせた朝青龍関が引退へと追い込まれたように、日馬富士関もやっぱりそうなるか、自ら身を引くことになるのが筋。そうならない理由があったら聞いてみたいけれど、さてもどんな裁定がどのタイミングで下るのか。それによって相撲界に八百長事件の時に負けない機器が訪れるだろう。今度はニコニコ動画だって拾ってはくれないぞ。さてもどうなる。

 デジタルハリウッド大学でプロゲーマーの人の講演があったんで見物に言ったけれど、聞きに来ていた人が20人くらいでメディアは僕くらいっていうのがはやってはいてっもe−Sportsってものにまだまだ世間の関心は低いのかもと思ったりしたというか。でも話は極めて濃密で具体的。マイキーさんというEAが出しているサッカーゲームのFIFAでワールドカップに匹敵する大会に2度も出場したとうから世界的な凄腕。何しろリアルなワールドカップと同じ国際サッカー連盟(FIFA)が主催していて、世界から出られるのはワールドカップのチームと同じ32。それこそ1000万人はプレイしているだろうゲームの頂点中の頂点に入っているというだけで、世界では英雄扱いされて当然なのに日本ではこの無関心という非対称さが世界からの遅れを感じさせる。

 格闘ゲームとかFPSが日本だとどうやらe−Sportsの花形だと思われている節もあって、そうした大会がバンバンと引かれてアメリカなんかでもNBAに匹敵する観客数を集めたりして、これからの新しい市場を着たいさせてくれているけれど、マイキーさんが話すにはFIFAのようなスポーツゲームはリアルなスポーツとの関連性が強くあって、双方のファンを行ったり来たりさせることができる。見ていてサッカーの試合が分かっている人にはゲームの展開もよく分かって面白いし、普通の試合が2時間はかかるのに対してゲームだと10分程度で終わるから見ていて飽きず引きつけられる。そうした感覚でまずはゲームから入ったファンがリアルなサッカーへの興味を抱くような展開を考え、FIFAがEAなんて私企業の出しているゲームを使ったワールドカップを開いているんだろう。

 こうなるとサッカーのビッグクラブだってリアルなサッカーの部門に加えてe−Sportsの部門と作ってきそう。実際にパリ・サンジェルマンは「League of Gegend」とか「FIFA」で戦うe−Sportsのチームなんかを作って参戦し始めているとか。いずれレアルだとかバルサもそうした部門をつくって参戦してきた時、強ければそうしたチームに参加できる可能性がある。今から練習してFIFAでそれなりの腕前になれば、リアルなサッカーでは絶対に無理なビッグクラブ入りが叶うと思えばやりたい人だって出てくるだろうし、リアルでは対戦不能でもゲームでなら可能かもと日本のJリーグのチームだってe−Sportsに力を入れ始めるかもしれない。現に東京ヴェルディはチームを持っていて一時マイキーさんも所属していた。

 そんな将来を見越して始めるなら今だけれど、世界の壁が高いのもまた事実で日本人ではトップでもワールドカップではグループリーグすら突破するのが至難の業。そこはだから強いライバルがみぢかにいて練習を重ねて強くなっていくしかない。マイキーさんも強い相手との試合だけが自分を強くすると話していた。とはいえ見渡しても周りに自分より強い人がいなければ海外に出るってこともあるかなあ。そうやって才能が世界に流出していく。もったいないけど仕方がないのかどうなのか。あとは趣味のゲームをプロとして仕事にしてしまうことの厳しさってのも話していた。負けたらおしまいというプレッシャーから勝ちたいという気持ちは前よりもプロの時の方が強くなったとか。そうした覚悟を持てない人がプロになっても不幸なだけ。逆に覚悟があればあとは鍛錬で上がっていける分野でもある。聞いて自分もと思った人は……いないかなあ、マイキーさんと対戦できると言われても手、なかなか上がらなかったし。もったいなかった講演。逆に聞けて良かった講演。FIFAちょっとやってみたくなった。PS4買おうかなあ。


【11月13日】 こうの史代さんの漫画を原作にして片渕須直監督が長編アニメーションにした「この世界の片隅に」が11月12日で公開からちょうど満1年を迎えて、ホームともいえるテアトル新宿がとりあえずこの日でロードショウを終えるってことで監督ほかを迎えて舞台挨拶を行ったそうで、その中でプロデューサーの真木太郎さんからすずさんとリンさんとの関係なんかを織り交ぜたロングバージョンの制作が正式めいた形であかされたという。

 監督が本来作りたかったバージョンだからその意味では大歓迎ではあるし、岩井七世さんのかわいらしい声をもうちょっと聴けるというのも嬉しいけれど、一方であの夏、お砂糖を買いに出かけた先での一期一会が、歳も近い2人の少女のまるで違った人生が、ちょっとだけクロスしてそして離れていくというこの世の移ろいを描いているように感じられただけに、そのニュアンスが失われてしまうのはちょっと寂しいかなあとも思う。もちろん原作にあるすずさんとリンさんのそれをきっかけとしたしばしの交友だから、より濃密になっていった果てに浮かぶ周作さんという人のすずさんには見せていなかった部分といったものが、すずさんの呉での暮らしに少しばかりの影響を与えて心を成長させるといった展開になっても当然ではある。

 けれども、そうなってしまった映画はこの1年間に見てきた「この世界の片隅に」とは確実に違うものになってしまう。それで良いのか? といった思いがやっぱり浮かんでしまって手放しではあまり喜べなかったりする。尺を短くせざるを得なかったからこそ凝縮した中に一期一会の感慨を描きまとめ上げた片渕須直監督の手腕と、それに感動を覚えた気持ちを否定するような盛り上がり方は、だからあまりされて欲しくなかったりする。不遜だし贅沢だけれど、でもやっぱり作品は世に問われたオリジナルが記憶にも記録にも残るんだ。「スター・ウォーズ」だってデジタルで塗られた今のバージョンはちょっとね。ああでも「ブレードランナー」は上映時を見てないからディレクターズカットでありファイナルカットが最高となる。そいうものだからやっぱりあって良いのかもしれにあ「この世界の片隅に」のロングバージョン。さてもどうなる。その前にパッケージ様のリニューアル版を見てこないと。関東だとどこで見られるんだろう?

 そういえば「この世界の片隅に」がアカデミー賞の長編アニメ部門にノミネートされ得る資格をもった作品として25本のうちの1本に挙げられていてまずは第1関門は突破したといったところ。日本からはほかに「メアリと魔女の花」「ひるね姫 知らないワタシの物語」「劇場版 ソードアート・オンライン −オーディナルスケール−」「映画 聲の形」が並んで日本でアニメーションの賞があっても拮抗しそうなラインアップになっている。そこから採取的な5本くらいに残るか否かが次の関門。常連のディズニーが例年に比べて弱そうで、ピクサーは「カーズ/クロスロード」とこれも続編で新味にはちょっと乏しかったりして残れば勝てるかもしれない。「怪盗グルーのミニオン大脱走」とか「レゴバットマン・ザ・ムービー」も興行的には「この世界の片隅に」の上を行くけど作品性としてはちょと。なので残りさえすればなんだけれど「百日紅 〜Miss HOKUSAI〜」でも残れない厳しさがあるのでまずはアニー賞でどういう扱いを受けるかに関心。ニューヨーク映画批評家協会賞とかも視野にいれておく必要があるかな。

 プレス向け内覧とも関係者向け内覧とも縁遠いので、休日明けの空いてそうな時間を見計らって見てきた国立新美術館での「新海誠展」は、チケット売り場にも会場入り口にも行列はなく(むしろ安藤忠雄展の方が行列だった)すっと入ってさっと見られた。内容はと言えば三島の大岡信ことば館で見たときよりも物量は増えているなあという印象。あとクローズの映像がとてもよかった。新海誠作品から共通するようなシーンや台詞を集め並べて新海誠作品のエッセンスを抜き出す映像は、なるほど新海誠監督が作品に入れたいレイアウトやシチュエーション、台詞などが感じられて面白い。抱きしめるとか足下とか呼びかけるとか眺めるとか。それを見られただけでも三島に続いて東京にも足を運んだ意味があった。まあ1番近いし。

 「君の名は。」については松屋銀座で開かれた時に展示されたものもあるなあという印象。グッズ関係はそこで見たのが割と多かった。サインペンとか缶バッジとか。映像はオープニングが流されていてこれも松屋銀座で見た記憶。そこで舞い踊る巫女風の三葉がいつ見てもオトナっぽいなあと思うのだった。そして映像では入れ替わり時でのあれやこれやを掛け合いで聞かせ見せるシーンも上映。バスケットボールで揺れる胸のシーンが来るまでモニター前で粘るのだった。何度も。何度も。

 「秒速5センチメートル」「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」とある3部のそれぞれにじっくりと展示物がおかれていて改めてじっくりと見られて嬉しい。「コスモナウト」が個人的には好きなのでいろいろ見られてよかった。ウエットスーツ着た種子島の女子の澄田花苗ちゃん。この娘で良かったじゃんという思いも改めて強くする。見ていくと山崎まさよしさんの「One more time ,One more chance」とともに終盤の映像が流れてああ、これが「君の名は。」のラストに流れなくて良かったなあと思うのだった。

 冒頭に展示されている「ほしのこえ」はあれはアニメージュだったかの対談がまるまる再掲されているので時間があるときにいってじっくり読み直してこよう。平日午前とか余裕もあってじっくり見られるけれどこれから混むのかな。土日の状況はどんなんだったんだろう。グッズ売り場はまだ館内から出てくる人がいない時間帯だったんで行列もなかったけれど、逆に買うべきものっていうのもあまり。「君の名は。」が中心で「言の葉の庭」好きにはちょっと寂しい。ポスターで四阿ではなくパンツスタイルでたったユキノちゃんの姿をとらえた絵柄がアクリルプレートになっていたのがあってちょっと欲しかったけど1万円越えてたんで遠慮。でも気が向いたら買ってしまうかもしれない。

 その「言の葉の庭」は秦基博さんによる「Rain」が流れるシーンの前段から、ユキノちゃんが先に出たタカオを追って階段を駆け下りていくシーンからタカオの叫び、そしてユキノちゃんの慟哭と来て「ことばにできず」と流れる大好きなシーンがまるまる映像で見られてしばしたたずむ。ここに至るプロセスを堪能する映画でもあるのでやっぱりついつい見入ってしまうのだった。展示は大岡信ことば館で見たものがだいたいかなあ、少し増えていたかなあ。四阿に座ってぼおっとしているユキノちゃんの姿を原画3枚くらいつなげて描いてある絵とかユキノちゃんを大きく見られて好きなのだ。図録には入ってないんだよなあ。というかこれだけ展示が増えても図録は最初のまま。増補版とか出して欲しい気もしないでもない。

 それんしても絵コンテにビデオコンテに原画に作画資料に美術等々。レイヤー分けされどうやって美術が描かれているかとか資料写真から美術ボード化されて撮影時に遠近が加えられたりする様とかも見られてアニメってこうやって作られているんだと分かって嬉しい。嬉しいのだけれどこれを見てじゃあ自分もアニメをつくってみよう原画を描いてみよう美術を手がけて見よう撮影ってどうやるんだろうと興味を持ってそっちに進む人がわんさか増えているのかどうか、ってあたりが気になるのはこうした原画展系の展覧会を見て思うのだった。昔は原画1枚だって見られる機会はなくって、アニメ雑誌に掲載される小さい部分を食い入るようにみたりしてすごいなあと思いつつ模写していたものだったから。今ほど才能に触れられる機会があるなら新たに生まれる才能だって大勢いるかというと。それだけ未来がないのか。しっかり生まれているけれどメディアが伝えていないだけなのか。伝えていても気付いていないのか。そのあたりをちょっと気にしたい。


【11月12日】 「透明標本」の富田伊織さんの作品が見られるってことで、Bunkamuraにあるギャラリーで開かれている「ネクスト・ジェネレーション −次世代の気鋭アーティスト−」ってグループ展を見物に行く。いつものガラスのケースに入れられた魚たちの透明な標本の美しさに堪能しつつ、高松和樹さんによるグラデーション的に女性を描く作品なんかも見物。ジクレの版画も売っていたけど実画もあって30万円から40万円あたりの作品がちょっと欲しくなった。10年前の水準でボーナスが出ていたら買ったんだけれど、今の水準は傍系の会社が経営危機で本体の半額に押さえられた時よりさらに下だからなあ。それってヤバいんじゃ? ヤバいんだよまじめな話。

 だから見るだけに留めつつも人間ではない球体関節を持った人形めいた少女を真正面から描いた、ちょっと高松さんでも珍しいモチーフの絵が欲しかった。貯金下ろすかどうしようか。あとは森村智子さんという、木ぎれの平面な部分に女の子を描くアーティストの作品が面白かった。だいたい楕円形になる断面に体をぎゅっと丸めたり追ったりした女子が描かれている作品は、何が目的かを想像することは容易ではないけれどもきっとそこに女子がいたら面白い、なんて発想もあったのかもしれない。石をひっくり返したら虫がいるような? ちょっと違うか。

 尼野ゆたかさんから拝領した「十年後の僕らはまだ物語の終わりを知らない」(富士見L文庫)を読みおえてジンと来る。何かを書いている人たちにとっては、書くことへの不安をえぐられつつ、それでも自信を持って書き続けることで得られる喜びがあることを知れる物語。書いてこそ伝わる思いがあるのだとも知れる。そして、読む人たちにとっても、書く人たちによって書かれたものを真摯に受け止め、書かれたことについて真剣に考えて、その意味を感じ取り思いを探っていく行為をおろそかにはできないと思わせる、そんな物語だった。

 中学校で教師もしながら図書館司書もしている孝平という青年がいて、図書館便りを切り盛りしていてそこに小此木香耶という人気の女性作家が出した新刊の書評を掲載したら大炎上。別にけなした訳ではなく、むしろ褒めた方で新刊でちょっとデビュー時から雰囲気が変わったおとに対して世間で批判の嵐が吹き荒れているのに反意を示し、変わろうとしていることへの肯定を書き綴ったらたたかれた。ちょうどその号から教頭がいらぬお節介から図書館便りをPDFにしてネットで公開したものだから、世間の好奇にひっかかって激しい非難を浴びせられた。

 哀れ孝平は職員会議で問題視されて図書館便りもそのままフェイドアウトかと思ったら、その書評を問うの小此木香耶が読んで学校に接触を図ってきた。会ってみたい。そして孝平とあった小此木香耶は評判通りの美人で、そして教頭によって図書館便りが廃止させられそうになっていたことも知って自分がリニューアルに協力し、小説を提供することを申し出る。そして始まった連載だけれど、その物語には元ネタがあった。孝平がまだ中学生でその学校に通っていた時期、その時も出ていた図書館だよりに連載されていた小説に興味を持って読めなかった分を求めて図書館に行き、書いていた佳子という先輩に会って感想を求められた。

 感動はするけれどもちょっとわからない部分もあるその小説の、ぼんやりとした印象を話しても喜ばれてしまった孝平は、しばらく図書館に通って佳子先輩と話すようになる。そこに割り込むように現れたのが佳子とは同級の芽衣という先輩で、孝平の佳子に対する感想にあれやこれや難癖をつけてくる。もっと読まれるようにすればと言えばそれは佳子の作風ではんといった感じ。いったいどういう関係なんだ、と言ったあたりから進んでいって明らかになるその役割。一方で深まっていく孝平の佳子への思い。図書館を舞台にした男子高校生と女子高校生たちとの関係が、小此木香耶の手によって小説の形になって紡がれていく。そして孝平は気付いてしまう。小此木香耶が誰なのかに。

 ちょっとした悲恋。そして悲劇。それを乗り越えて思いが言葉となって紡がれていったことが10年を経て離ればなれになっていた人たちを結びつけた。憎み合うほどではないけれど、わだかまりもあっただろうその関係。一方で辛い思いを抱えがながら、それでも残された思いを言葉に変えて紡ぎ続けた苦衷ともいえる行為。書かなくてはいけないという思いの強さをそこに感じざるを得ない。そうやって紡がれた言葉に対して安易な言葉をはけないといったことも同時に身に覚えたりもする。結果、物語がどこに落ち着くかは読んで欲しいとだけ言おう。読み終えてきっと作家という存在の言葉を紡ぐ行為への敬意、そして読者という存在の紡がれた言葉への応対の姿勢といったものについて考えさせられるだろう。

 「アイドルタイムプリパラ み〜んなあつまれヨコパマ! ゆめかわマジカるライブ」の千秋楽を横浜にあるDMM VR THEATERで。すでにスタート前の内覧公演を見て記事もしているけれど、その時に感じた面白さをやっぱり1度くらいはお客さんとして体験したいと思っていたら、追加公演があって最終日はi☆Risから「プリパラ」でソラミスマイルを組んでいるらぁら役の茜屋日海夏さん、みれぃ役の芹澤優さん、そしてそふぃ役の久保田未夢さんが登壇するってんでチケットを押さえてそして駆けつけたら3列目で、やや橋ながらもスクリーンはしっかり見える位置で逆に真正面ではないことで平面のスクリーンに投影されていながらも立体感を感じさせるクオリティであることが分かった。やっぱりすごいよこの技術。

 そんな内覧公演で見たときとはプログラムが違っていてファルルとジュリィのライブもあってそうか舞台ではないファルルってこんな感じなんだと改めて。アニメーション版ほとんんど見てないからファルルというとあっちになってしまうところがあったのだった。楽曲では夢川ゆいも入れた7人で歌う「Make it」がやっぱり格好いいよなあ。そんなライブの前後に茜屋さん芹澤さん久保田さんの登壇があって「アイドルタイムプリパラ」になって出番も減っている寂しさを芹澤さんとかほのめかしてはいたけれど、こうしてトリを飾って登壇するところややっぱり「プリパラ」世界における神アイドル。求められているってことでこの期待を次のVRライブがあれば、是非に反映して欲しいところ。舞台の再演でもいいんだけれど。今のところ話聞かないしなあ。クリスマスのライブに行くしかないかなあ。

 沖縄で東京から来て反基地活動をしていたラッパーの人が、転び公妨めいたやり口と言われても仕方がない状況で逮捕されたものの1日ちょっとで当然のように釈放されたにも関わらず、その人に“容疑者”とつけたまま記事を掲載し続けていた全国新のウエブサイトがあったりして、秒単位で情報をアップデートできるメディアでありながら、ずっとレッテルを貼り続けることへの違和感なんてものも取りざたされている上に、その記事がとてつもなく主観と偏見にまみれたものだといった意見も出ていて、それでよく公器であり社会の木鐸たる全国紙の記事でだといえるものだといった意見なんかも漂っている。

 読めばなるほど主観と偏見にまみれている感じがありありで、何しろ沖縄の新聞を語るときに「『偏向報道』著しい沖縄県紙」といった感じに具体的に何が偏向報道著しいのかも示さないまま誹謗ともいえる言葉を連ねている。それより以前にラッパーの人が逮捕された状況からして事実関係と違っているようで、突き出された合図灯から自分を守ろうと受け止めてすぐに返したといった状況が一方で示唆されていて、そして逮捕時の情報はネット上に動画としてあげられていて、警察官を撮影をしているのをやめろやめないといった押し問答の果てに逮捕が執行されているに関わらず、記事では「合図灯1本を奪い取って職務を妨害したとしている。約20メートル逃走した後、近くにいた警察官らに取り押さえられた」と書いている。

 合図灯の受け渡しについては検証の余地があるものの、逮捕時の状況は事実とまるで違っているにもかかわらず、それをさらりと書いて流していたりするところにフェイクのそしりを免れない可能性があったりする。というかそういった事実関係をチェックし裏をとってから載せていたからこそ、新聞はずっと信頼性においてメディアの王様でいられつづけた訳で、それがここでは事実関係よりも先に指摘したいことがあれば、それが虚実であってもまかり通るといった雰囲気になっている。ちょっとヤバい。というかとてつもなくヤバいんだけれど、そういう危機感があるのかどうかがまるで見えない。

 ラッパーの人が逮捕されたことを「朗報」と書いてしまえるとこにも、推定無罪が原則の報道において逮捕されるからには悪だと言った決めつけが前提になっていることがうかがえるし、そうした悪との決めつけにあたってコメントをとっている人が、暴力沙汰で訴訟を起こされている被告人であるといったことにも信憑性に疑問符がつけられて仕方がない状況が見えるけれど、たとえ証言が偏っていても、そして事実関係をねじ曲げてでも訴えたいことを訴えられればそれが正義といった雰囲気が、ずっと漂っていたのがここに来て加速度的に濃さを増しているようにも見えなくない。それがいったい何をもたらすかって、そりゃあ終末でしかないんだけれど、そうなってもきっと自分たちの厄介な言葉が招き寄せた事態だという自覚は抱かないんだろう。抱いていたらそもそもやらない。そういうこと。参ったねえ。


【11月11日】 熱心に見ていたかというとたぶん「ミラーマン」の方をメインで見ていた記憶で「シルバー仮面」の方は時々見たか見なかったか。主題歌を覚える程度には見ただろうとは思うけれど、それでも内容についての記憶はほぼほぼ抜けていて、後に「アニメック」あたりだったかのアニメ雑誌などの特集で記事として読んでそうかそういう話だったのかと覚えたことが記憶に上書きされてそれなりの傑作だったという評価になって今に至る。そして「スーパーロボット レッドバロン」についてはさらに記憶が薄くもしかしたらテレビでは1度も見たことがないままそのフォルムだけ見知っているのかもしれない。

 日本テレビ系の番組は名古屋では中京テレビとなってUHFになるため別にアンテナが必要かコンバーターが必要でそうでない家庭では見ることができなかったのは「流星人間ゾーン」も同じ。それでみ覚えているのは当時読んでいた子供向けの雑誌で特集か何かされていたからかもしれない。 むしろだから裏番組がなく水が欲しがる不思議さとも相まってよく見ていた「アイアンキング」の方が強く記憶に残っているのだけれど、それでも変身しない主演という静弦太郎がアイドル的な人気を誇っていたらしい石橋正次さんで、アイアンキングに変身する霧島五郎が浜田光夫さんという日活で吉永小百合さんとペアを組んだスターだということは、7歳前後の子供にはわからなかったしどうでもいいことだった。そういうものだ。

 もしも今、そんな「アイアンキング」がリメイクなりリブートされたら霧島五郎は誰が演じるのだろうとふと考える。スペシャルな人材なら草なぎ剛だろうか。それとも名字をいただいて濱田岳さんだろうか。静弦太郎に合わせるなら……おっと、それをいうのはまだ早い。まずは「シルバー仮面」と「スーパーロボット レッドバロン」がリブートされたこの映画、「BRAVE STORM ブレイブストーム」を語ることによって1970年代後半にテレビをわかせた特撮ヒーローたちが今、どういう形で蘇ったら格好いいのかを探ることが先決だ。

 京成で上野まで行ってできて間もないTOHOシネマズ上野で舞台挨拶付きで見た「BRAVE STORM ブレイブストーム」。まずはキルギス星人なる異星人の侵略によって地球の大気が地球人にとって有毒性のものに変えられ、絶滅に瀕していた2050年の地球から春日という家の兄弟姉妹たちが地球を救おうと立ち上がる。次男の春日光二はシルバースーツなる強化服を身につけマスクをかぶってキルギス星人からブラックバロンなる巨大ロボットの仕組みを奪取。それを持ち帰った先で長男の光一、長女のひとみに促され、三男の光三、二女のはるかとともに2013年の地球へと送り込まれてキルギス星人の侵略前に先手を打つため動き始める。

 そんな歴史を揺るがす戦いが行われているとは知らず、2018年となった日本で紅健という新進気鋭のボクサーは若い滾りを持てあますかのようにその日も地下闘技場へと出かけようとする。そこに声をかけて来た知らない女性。あなたは今日死ぬ。そう告げられても臆さず無視して行った先で紅健は謎めいた男によって殺されそうになる。男はその時代のテクノロジーではあり得ない存在。いったい何が起こっている? 驚いている紅健に接触したのが未来からやって来た春日光二、光三、はるかの春日兄弟たち。そして告げた。レッドバロンに乗れと。

 そんな勝手なと怒り、作った人間への恨みもあって拒絶しようとしながらも、だんだんと事情を読み取り家族へのわだかまりも消えていく紅健が選んだ道に春日兄弟の思いも重なり地球を救う戦いが始まろうとする。だが……。といった感じに進むストーリーはまず現れるシルバースーツの男、すなわちシルバー仮面の戦いぶりがクールでパワフル。大東駿介さん演じる春日光二は連戦の中でスーツも傷めて決して圧倒的ではないものの、現れるサイボーグをまずは止め、そしてバージョンアップしたスーツをまとって次の戦いへと向かっていく。仮面をつけた等身大のヒーローによるアクションの極みがそこにある。ないのはお色気だがそれは坂本浩一監督に任せればいい話。岡部淳也監督はヒーローたちの戦いと苦悩をドラマとして描き、敗れても立ち上がり立ち向かっていく強さをアクションで描いた。

 そんな等身大のヒーローに、巨大ロボットによるバトルが重なるのがこの「BRAVE STORM ブレイブストーム」という映画の真骨頂。勝鬨橋から晴美通を抜けて銀座か日比谷、そして国会議事堂前へと向かう中でブラックバロンがビルを破壊し、待ち受けたレッドバロンが紅健の持つボクシングのスキルを乗せて迎え撃つ。そんな戦いの中でブラックバロンが新たに見せた防御の力を阻止すべく、春日光二に加えて超能力を持った春日はるかが戦いに参戦。これがまた強い。めっぽう強い。もしかしたら春日兄弟の誰よりも強くシルバー仮面すら凌駕し現役ボクサーの紅健ですら切り刻まれるくらいに強いかもしれない。そんな強さを感じさせてくれるのが山本千尋さん。かつてのチグリス星人をリブートした存在を圧倒して消滅させていく。特撮によるバトルとは別に、あるいはそれも含めてこの映画の1番の見どころかもしれない。

 もうひとつ見どころがあるとすれば、それは2050年の地球で戦い続ける春日光一と春日ひとみを演じた2人。春日ひとみの方はなんとあの壇蜜さんで優しく甘いささやきのような声で光二は光三、はるかを2013年の日本へと送り出し、そして迫る敵と戦う覚悟を見せる。ただひたすらに美しく愛おしい。そして春日光一を演じた春日光一さん。そんな役者はいたのか? 現れた、この映画から。オーディションで選ばれたらしい彼は安心感を誘いつつ強さも漂わせた風貌とたたずまいで長男としての強さ確かさを感じさせた。この後にいったいどんな役者になってくいかが楽しみだ。

 兄弟の葛藤があり地球の未来という壮大すぎるテーマに挑む覚悟があってとドラマの方もしっかり描かれ、そしてシルバースーツによる肉弾戦、レッドバロンとブラックバロンによる巨大ロボットどうしのどつきあいという特撮にとって美味しい2つが同時に見られる映画でもある「BRAVE STORM ブレイブストーム」。よくCGによる巨大な兵器や怪獣のツクリモノっぽさを隠すべく、シーンを夜など暗くして見せることがあるけれど、この映画では戦うシーンは真っ昼間の銀座や国会議事堂前。それでいてしっかりと巨大感があり重量感もあってなおかつ周囲となじんでいたところに長く特撮やCGに携わってきたビルドアップ、現ブラストの力と岡部淳也監督のスキルがあるといえるのかも。そして特撮好きアクション好きの思いが。

 クレジットにはそんな思いやスキルをより刻するべく、北村龍平監督の名前が存在した。ドラマなりアクションなり見せ方なりを示唆したのかどうなのか。そうしたコミットの仕方まではわからなかったけれど、その名前が重ねられるに相応しい、ぐっと引き締まってクールな作品になっていることは確かだろう。見れば「シルバー仮面」や「スーパーロボット レッドバロン」を見ていた人、見てはいなくても記憶にある人から、「仮面ライダーオーズ」で渡部秀さんのファンになった人、イケメン俳優として大東駿介さんを知っていた人にとっても2人の新たな魅力を感じさせてくれる映画になっている。行こう劇場に。あの巨大なスクリーンで見てこそ映える映画だから。願うならラストに登場したあの男、テンガロンハットに鞭を持った男が示した戦いへと至る道がまた、続編などで描かれて欲しい。そこでは誰が変身ヒーローを演じるのか。濱田岳かそれとも。待とうその時を。

 上野でスパゲティを食べてから東京ビッグサイトへと回ってデザインフェスタVOL.46へ。とりあえず鎌田光司さんのブースに行ったらまだ開場から1時間半くらいしか経っていないのにフィギュアはすべて売れていて、中国のメーカーが作った製品版としていポストカードブックが残っているくらいだった。訪ねたらやっぱり中国は北京での個展が影響してたようで、評判を聞いた中国あたりからの買い物客がつめかけごった返してすべてを買い取っていったらしい。それくらいの人気があって当然とは思えるけれど、それが中国くらいだけっていう状況もまた不思議。北京での個展を取材した日本のメディアなんて存在していなかったそうだし。そうした情報や新しいものへの貪欲さが見えたに点でも、日本のメディアはやっぱり衰退しているのかもしれない。

 さっと回って不思議な立体折り紙「深谷式X」を見て平面が立体になってまた折りたためるという構造はNASAが宇宙開発に取り入れミウラ折りの次に構造物を平べったくして運ぶミッションに使えばとか思ったりした。おにぎり大魔神がいたりハシビロコウがいくつもいたりした開場で、目立ったのが土方クロネさんという人による羊毛フェルトによって作られた美少女ドール。ふわっとしながら肉感もあってそして何より美しい。すらっとした肢体でしっかり自立していてそのボディとか後ろに回って見える丸いお尻とかに触れてみたくなる。それは厳禁。人形作家が作る硬質のボディももちろん素晴らしいけれど、こうした素材を工夫して作られる人形もやっぱり素晴らしい。ほかにどんな作品があるかが気になります。

 怪獣の足を模したスリッパとかを出していたアトリエねこまた屋さんとか、機械的だけれど有機的なフォルムのオブジェを出していた村瀬材木店さんとか気になったブースもやっぱり見つけられたデザインフェスタVOL.46でやっぱり嬉しかったのは和装侍系音楽集団MYST.の帰還、かなあ。音が出るからか何かほかに理由があるからか、ちょっと遠ざかっていたいけれども今回は足立区民を押すブースとともに出展をして角でいつものライブを敢行。メロディアスな楽曲を絞り出すようなボーカルの声が彩ってとてもとても素晴らしいのだった。明日もあるか、そして今後もあるかはわからないけれど、これがってこそのデザインフェスタ。だから続けて欲しいなあ。そうならなければ来年1月28日に開かれるライブへと足を運んでみては、いかが。

 これはまだ非道な。昨日の時点で「今後とも本人及び家族の実名での報道、顔写真の公開、学校や友人親族の職場等への取材を一切お断り致します」という張り紙の画像を実名入りのキャプションを付け、実名入りの記事と共に掲載するというさっぱり理解不能のことをしでかしていた日刊スポーツが、高まる非難の中で記事を消したかと思ったら違って、そうしたことが書かれている張り紙の画像の方を引っ込めた。残った記事には実名はそのまましっかり書かれてあって、そして家族が取材をしないで欲しいと言っていることはしっかりと報じている。何という矛盾ぶり。そうした行為を平気でやれてしまえる日本のメディアへの信頼性は、逆に権力への過度なおもねりとも相まってどんどんと低下していくんだろうなあ。今を売りたいがための信頼の切り売りが行き着く先は。その戦陣を切らないことを願いたいけれど。どことは言わない。


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