縮刷版2017年10月上旬号


【10月10日】 しばらくぶりにたつき監督がツイートを更新したら日刊スポーツが記事にしていた。それくらいやっぱり衝撃的な“事件”だったし今も関心が高い事柄なんだろう。ただし特に「けものフレンズ」そのものについての進展は書かれておらず、ただirodoriというたつき監督が所属するアニメーション工房の3人は元気で、そして何であれアニメーション作りを行っていくよといった近況報告に過ぎなかった。これをもって具体性がないからやっぱり「けものフレンズ」は降ろされたんだという声が出たり、あれだけの騒動を起こしたのだから謝罪するのが普通だろうといった声が出たりしている。

 とはいえ新聞が取り上げ週刊誌だって追いかけるくらいの事柄に関して発言するのに、慎重を期しているのは明かであって、精査され吟味された言葉がそこにあると考えるのならツイートに書かれた内容は今言えることであり、あるいは言わなくてはいけないことであって言わなくて良いことも言えないことも書かれていない。そう考えるなら謝罪の言葉がないのは謝罪をする必要がないといった判断を当人も含めて全体が共有していることだとも言えなくもないし、明言を避けているのは決して外れた訳ではなく、まだ決まっていないかいずれ決まると見る方がこの場合は良いのかも知れない。そうあって欲しいという気持も混じっているけれど。だから今はたつき監督を信じて待とう、復活の狼煙が上がるのを。

 「つうかあ」はそうか三宅島がニーラーことレーシング用サイドカーによるレースの会場になっていて、それを女子高生たちがやっていて全国から集まった女子高生のニーラーのドライバーとパッセンジャーのペアが競い合う中に地元の三宅島のペアも混じっていて、それが隣同士で幼馴染みで中が良いかと思ったら、ニーラーを始めたきっかけとなったコーチへの恋情がぶつかりあって恋敵的関係になってしまっていろいろと複雑だといった設定のアニメーション。それが世界でどれだけの意味がある存在なのかも明かされないまま、サイドカーといったら浮かぶハーレーだとかの横に箱がついてるディテールとはまるで違った、流線型の横に板がついてる不思議な乗り物が現れこれはなんだと思わせる。

 それを2人がどういう役割分担で乗って操っているのか、パッセンジャーと呼ばれるサイドに乗る人がどういった体の動かし方をしてバランスをとったり重心をズラしたりしているのかといった説明もされないまま、何かそういうものがあるんだといった感じで描かれ想像力を刺激される。でもきっと見ていればそれがどういう原理で動いているかも分かってきて、そして自分でも調べでどれだけの面白さがあるかも見えてくるだろう。世界がいつも親切だとは思わず、興味があったら自分で調べて理解するという人間なら当然の行動を学ぶことができるアニメーション、なのかも。でもやっぱり不親切。はやくだからファン向けのイベントでニーラーのレースを実演して見せて欲しいなあ。やるならやっぱりサーキット? まさか三宅島まで来いって? それもひとつの機会かも。

 聞き覚えのある名前だったアイダサキさんを調べたら、2013年に「永弦寺へようこそ 幽霊探偵 久良知漱」(講談社X文庫ホワイトハート)という本を出していた人だった。幽霊が見える男と、再婚する父親に反発して家を飛び出した女子高生とがペアになって幽霊絡みの事件を解決していく話だったそうで、シリーズも3冊出たみたいだけれおd、そのアイダサキさんが講談社タイガから新シリーズの「サイメシスの迷宮 完璧な死体」(講談社、660円)を刊行。見たもの経験したことを絶対に忘れられない性質を持った、警視庁特異犯罪分析班に所属する刑事の羽吹充にまだ若い刑事の神尾文孝が異動してきて付くことになる。

 とっつきにくい相手だけれど、だからこそ暴走を防ぐ相手と必要と選ばれた神尾。だから羽吹にも無視され気味の中、事件だと聞いてかけつけた先で、ラップにぐるぐる巻きにされて目を抉られ両手で覆わされた女性の死体に見え、そんな奇妙な死体にされた理由をコンビで探っていくといった展開になっている。羽吹はその姿などから連続殺人の最初の1件だと分析して会議で訴えるものの、大学の後輩で羽吹とは因縁のあるようなキャリア管理官は無視。すると今度は耳を切り落とされた女性の遺体が発見され、それみたことかといった具合になりながらも、厄介な存在として見られガチナ羽吹は前と変わらず神尾とともに捜査を続けていく。

 警察組織の警備局にいる幹部を父に持ち、東大も出ていならがらキャリアにならず捜査官となった羽吹が何でも覚えては忘れられない超記憶を持つに到ったある事件。そして警官となった理由。唯我独尊で暴走気味な羽吹にくっつき共に活動する中で、神尾はそうした羽吹の過去を知り、そして凄さも知っていっしょに犯人へと迫っていく。暴走する鬼才と賢明な凡才とのコンビではあっても、凡才に人徳があってそれがお互いをカバーするような関係は、前の「幽霊探偵 久良知漱」シリーズとも重なるところがあるし、他にも見られるパターンと言えば言えそう。だだ、まったくのまっさらから始まったと思えた関係に少しだけ繋がりがあったことが分かって、傍若無人に見えて羽吹の気遣いや親切さといったものも浮かんで来る。

 そんな2人を中心にして、同僚のプロファイラーの女性とか羽吹とは友人で推理小説を書いている男とか、立ったキャラクターも結構いて読んでいて楽しい。完璧なまでのプロファイリングがあり、そこに超絶的な、けれども来歴や副作用めいたものを思えば手放しでは喜べない記憶力が乗って事件が解決へと向かう展開も、推理の余地を残しつつ圧巻の活躍でもって喜ばせてくれるところが良い。どうやら潜んだ強敵もいそうなで、それが羽吹充と競い合うような展開が続いていくんだろうかが今は気になっている。きっと間抜けな神尾文孝も巻き込まれてしまうんだろう。それとも彼の妹が? いろいろと想像も浮かぶ。やっぱり敵は彼かなあ。だとしたらどうしてなんだろう。続きが早く読みたい。出してくれるかな。

 確かめに行ったらノーベル文学賞とノーベル物理学賞に加えてノーベル経済学賞を受賞した人の本を出していることを宣伝していた早川書房のショーウィンドウ。文学賞のカズオ・イシグロさんの本は70万部もの増刷を行うそうで、商売としてはウハウハだろうけど売れずに返品される可能性も考えると果たして決断は良かったか。それを見込んでこれくらいと決めたのなら読みたい人がそれだけいるってことなんだろう。そんな早川書房の1階にあるクリスティーで行われているPKD酒場2017に行って、前は頼めなかった「アンドロイドは電気羊の野菜炒めを食うか?」を食べたら美味しかった。羊の肉が野菜と炒められスパイシーに味付けられている。ご飯と定食で食べたい逸品かも。デッカ丼を合わせるかなあ。でも今回も前に頼んで美味しかったうどんヌードルを頼んで、2つで十分に腹ごなし。ノンアルコールの飲料を頼んでのんでスタンプにはんこを押してもらって退散する。見渡すと結構な人の数。これはノーベル賞効果? やっぱりフィリップ・K・ディック効果だろう。それだけの偉大な作家が、存命だったらノーベル文学賞を獲得していたか。ちょっと気になる。


【10月9日】 紹介されて第1巻を読んだ瞬間に梅田阿比さんの「クジラの子らは砂上に歌う」はファンタジーでありSFの傑作であってマンガ大賞にも日本SF大賞にもなって不思議は無いと思い推薦し続けて来たけれど、マンガ大賞にノミネートされることもなければSF方面に関心を持たれることもないまま来てしまってもう巻数的にマンガ大賞は無理になってしまった。知る人ぞ知る作品でそして知る人が少ないといった状態は舞台「クジラの子らは」が幕を開けるあたりまで続いていて、初日の初演の客席がそれを表していたとも言える。けれどもそれが数日でひっくり返った。

 舞台の素晴らしさと物語の凄まじさを見知って口コミで来場者が増えて千秋楽は満席に。3度のカーテンコールをスタンディングで迎えるといった快挙を受けてDVDのリリースも決まり再演までもが決まってしまった。そんな賑わいがアニメーション化にとってどれだけの後押しになったかは分からないけれど、世間への認知が多少は広まっただろう今の状態で迎えたアニメーション版「クジラの子らは砂上に歌う」は舞台に負けず原作の世界観をしっかりと捉えて描いてあって、ファンなら大好きになりそうでない人も描かれる不思議な世界観に惹かれ見続けてしまうだろう。

 どこか幻想的で未来がありそうなイントロダクション。泥クジラで暮らす人たちで超能力を持った者は短命だけれどそれを精一杯に生きている。ただ中には泥クジラで過ごすことを不満に思っている若者たちもいて外に興味津々のところに飛び込んで来た外からの少女。感情を失っている彼女はいったい何者で、どうして砂の海を彷徨う島に取り残されていたのか。仲間はどうして死んでしまったのか。そこから始まるストーリーは胎内モグラのオウニが見せる外への興味に引っ張られて外へと向かうと思われていそうだけれど果たして。第2話から第3話にかけて起こる諸々にすでに展開を知っている僕たちは泣く用意が出来ている。それはいったいどういうことか。知らない人は刮目して待て。そして明かされる様々な謎に驚け。

 名古屋の百貨店の一角を担っていた丸栄がいよいよもって閉店の上取り壊しだそうで、今だと松坂屋に名鉄百貨店、そして名古屋三越を合わせた4M(名古屋三越は三越ってことなのかな)の一角がいよいよもって崩れ落ちることになる。「やつは4Mの中でも最弱、名古屋百貨店界の面汚しよ」とかいった会話でも交わされているのか気になるけれど、それをいうなら名古屋三越だって昔はオリエンタル中村だった分で、それが名古屋三越となって岡本太郎さんの壁画が消えてカンガルーがライオンに変わった段階で、名古屋独自の百貨店文化には陰りってものが見えていた。それから40年近く、ジリジリと沈下を続けて来た名古屋は栄の商業圏としての地盤がさらに深く沈んだ現れだとも言えそう。

 今の百貨店といえばだいたいが名古屋駅前にある高島屋へとみな通っているうようで、オープン前には大行列が出来ていたりする。そんな名古屋駅を中心として名鉄百貨店なんかもリニアの開通に向けて大きく立て替えなんかを行う様子。ますます発展が期待出来る名古屋駅地区に比べて栄は商業施設だけはあってもそれを補完するような何かが欠けている。名古屋駅だったらジャンクションとしての立ち位置であり、映画館なんかもあっての文化圏としての立ち位置。これが栄だと劇場はなくなり映画館もたいしてない。あってSKE劇場か。これだって大量の集客に役立つものではない場所で、テレビ塔とセントラルパークだけあっても人はやって来ない。

 いっそだったら百貨店といった業態ではない何かをそこに作り上げ、人が来ざるを得ない雰囲気を作る必要があるんだけれど銀座のように老舗が並ぶ場所ではなく新宿のように百貨店と路面店と飲食店が連なる場所でもない。渋谷のように若者が集まるようなテナントビルもこれでなくなってしまったらいったい何が栄の中心になるんだろう、ってことで河村市長はやっぱり何か対策を打たないと、名古屋全体の地盤沈下って奴へと到りそう。SKEのために2000人のホールを作ってあげるとか、2.5次元ミュージカルが常に演じられている劇場を作るとか。そんなアイデアがあればとっくに実行に移しているか。あとはセントラルパークに屋台を出せるようにする施策がどこまであのあたりを活性化させるか、か。ど祭りの毎週開催でもやるしかないのかなあ。

 吉祥寺の駅前にある吉祥寺オデオンで「きみの声をとどけたい」の上映があるってんで観に行くついでに井の頭自然文化園へと出向いて「けものフレンズ」のコラボレーションなんかを見物する。入り口に大きなポスターはあってもそれに注目する人はおらず、あんまり知られていないかなあと心配になったけれど、中に入ったら手に「けものフレンズ」のキャラクターが描かれたスタンプシートを持って歩いては、フェネックの前に置いてあるスタンプ台によじのぼってスタンプを押す子供がいっぱいいて、テレビアニメーションから広がった「けものフレンズ」の浸透ぶりというものを改めて感じ取る。だからこそやっぱりその人気を支えた核を外してはいけないとも思うのだった。強く。激しく。

 そんなフェネックはインディアンサマーとも言えそうな暑さも気にせず砂の上でぐうぐう寝ていてお気楽な感じ。対称的にアライグマはケージの中を行き来しつつ室内に入れてくれよとドアをガジガジやっていた。泰然自若のフェネックに明後日の方向へと突っ走るアライさんというのは動物の特長そのままなんだなあ。いやどうだか。ほかはヤマアラシとフンボルトペンギンとカピバラの所にフレンズのパネルが。ヤマアラシのは初めて見たかも。カピバラはもっさりしていて起き上がると水浴びしていて気持ちよさそう。ヤマアラシはずっと寝ていた。カワウソも寝ていた。つまりはだいたい寝てたてことで、夜行性の動物たちを見せる昼間の動物園ってやっぱりちょっと大変かも。ゾウは舎だけ残っていた。いつかあそこにまたゾウが……。夢かなあ、今の時代。

 そして観た「あなたの声をとどけたい」はたぶん3回目だけれどやっぱりクライマックスにかけての感情の盛り上がり方が良い。壊れて別れて諦めてしまいそうになるところを引き留めて繋げて治してしまうその流れを、ご都合主義と言うのは易いけれども本当に思ったからこそ、思い続けたからこそかなう奇跡ってものがあるのだと、感じ取ることで思い続ける勇気ってのを得られる。それがかなわなくたって良い、そしてかなえばもっと良い、そんな気持にしてくれる。それなりの広さを持った劇場で前目に座ってスクリーンを独り占めするようにして観ることができるのは嬉しいけれど、いっぱいの劇場でいっぱいの感動を感じ浮かぶコトダマに浸りながらまた観たいなあ。そんな機会が来ることを願おう。この映画は永遠に見続けられるべき作品だ。

 ノーベル経済学賞が発表になってシカゴ大学の教授で行動経済学の権威らしいリチャード・セーラーが受賞したとの報。調べたら最新の本は去年に早川書房から出た「行動経済学の逆襲」で、これでノーベル物理学賞を受賞した重力波についてのルポとなっている「重力波は歌う」、そしてノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんの一連の著作に続いて早川書房が3部門で関連の書籍を“独占”していたことになる。何という炯眼。そして来るだろう特需。年末の早川書房のボーナスはきっと3桁万円に到達して田園調布に家が建つに違いないと思うけれどもすでに3桁万円もらっていたならもうやらなくていいからその分をSFの発掘と刊行に回して欲しいとお願い。ミステリでもいいや。いっそライトノベルの創刊を……ノーベル賞をとらないSFになど金は使えない? ごもっとも。


【10月8日】 つまりはやっぱり日本の女子高生ってことなのか。いや、別にそうでもないのか、途中でやられかかっていたところを救われてもいるし。少なくとも元世界的なヒットメーカーには匹敵する強さを見せていたんで後、アメリカでタレントとしてデビューしつつ共に戦うヒロインとして大活躍する可能性なんかも感じた「THE REFLECTION」の最終回は、終わった後に次回予告でスタン・リーが「ドトール!」とは言わずもちろん「エクセルシオール!」とも言わなかったから続編はなさそう。それでもボスのレイスを失いながらもフレイミング・フューリーやらミスターミスティックやらが地下へと消えていったから、何か企んでいるに違いない。戦いはまだ続く?

 それよりやっぱり気になった、戦いの後で上空に現れたあの光はいった何? またしても起こるリフレクション? 強い引きを持ったエンディングだけにこのまま終わらせてはいけない。期待するとなれば英語表記のタイトルに「WAVE ONE」ってついていることかなあ。だとしたら第2波があっても不思議は無いけれど、とりあえず期待はさせておいて評判なんかを見て取りやめるなんてことはアメリカのドラマ界じゃあ普通にあるから、そこは期待半分で待っていよう、っていうかアメリカでは放送されたんだっけ。そうでなくても現時点での評判はどうなんだろう。いろいろ気になるんで調べてみよう。9nineの評判も含めて。「JAPANESEなJKはTUEEE!」かなあ、やっぱり。

 さあ、「けものフレンズがーでん」でお祭りだあ! なんて叫び声も聞こえてきた幕張メッセでのイベント「お祭りだよ! けものフレンズがーでん」。グッズなんかの物販が混むかな、売り切れなんかも出るかなと思って朝の10時からの入場チケットを買ってしまっていたんで、入るなり朝っぱらから空きっ腹にビールを流し込むという惰弱な生活。まあこれが休日でありお祭りってことで。食べ物ではセルリアンたこ焼きが人気だったけれども行列が出来ていたんで脇にそれてセルリアンお好み焼きを1枚。焼いたベースに青い何かを乗せていたけどあれは卵白に青色を混ぜて焼いたものかなあ、ちょっと謎。そして味は美味しかった。1000円だけれどお祭りだからこんなものだ。

 あとはフランクフルトとかイカ焼きを食べ、もらったジョッキにビールをそそいで1杯2杯で顔が真っ赤に。遠くから来た人とかと話しつつ楽しんでいる様子を感じ取りつつ、突然始まるアニメーション「けものフレンズ」の出演者たちによるトークとか乾杯に応じ、流れる音楽に合わせてライトを振ったりして遊んでいると本当に気持ちが高揚してくる。そうした同じ思いをどこからともなく集まって来た人たちが共通に発揮できるという空間がまず素晴らしく、そしてその核となっている「けものフレンズ」という作品がやっぱり素晴らしいってことに改めて思い至る。

 いろいろあってガタついていながらも気にせず集まるファンたち。そしてそんなファンを一生懸命にもてなそうとする主催者と働いているスタッフたち。ただただ素晴らしい。その意味で感動したのはまだ入場前で行列を作っていた時に、親といっしょに来ていた女の子がサーバルと同じ格好で、背中にリュックを背負ってそこからはみ出んばかりにラッキービースをのぬいぐるみをのぞかせて、そして「ジャパリコイン!」と叫んで走っていた姿を見かけた時。深夜アニメの頃にはまず得られなかった低年齢層が、ここに来てたぶん朝の再放送なんかをきっかけに見るようになって大好きになってくれている。

 コミックマーケットとかライブとかでは見かけない層だけれど、そこにもしっかりとファンが生まれている。そうしたファンを作ったのはやっぱりアニメーション版「けものフレンズ」でありたつき監督なんだと思うからこそ、いろいろあっても辞めず辞めさせられないで第2期の監督を続けて欲しいと心から願うのだった。そうでなくてもコラボアニメーションを作り続けて欲しいと。どれをとっても決してCMに流れず、ちゃんと「けものフレンズ」の面白さ、動物の素晴らしさを紹介しているうから。本質を理解して映像に替えてなおかつ作品性も整える才能を、捨ててしまうのは世界的な損失なのだと知ろうと改めて訴えたい。心底から。

 そんな「お祭りだよ! けものフレンズがーでん」では射的や輪投げやボーリングを楽しんだりと本当にお祭り気分。投げて当たれば会場にかざってあるジャパリバスをもらえるダーツもあったけれど、投げ慣れていないのか思いっきり外して的にすら当たらず。ちょっと恥ずかしい。グッズもいろいろあったけれど、ここはメインヒロインだからとサーバルちゃんとサーバルキャットがプリントされたTシャツを買ってボその後は会場に来ていた動物たちと触れあって戯れ合う。実はこれが1番楽しかったかも。ミーアキャットは立ったり走ったりしていてプレーリードッグはひたすら掘ってた。餌やりもやれるコーナーがあって、キャベツとニンジンをもらってマーラ(カンガルーの小さいの)に食べさせいたら、寝ていたウサギが飛び起きて近寄ってきて横取りしようとしていた。これが生存本能って奴か。

 ビーバーは動かず太り気味の体が潰れてまるで饅頭のよう。そしてサーバルちゃん。ずっと座ってた。夜行性だし昼間はやっぱり動かないのかな。そんなこんなで堪能した「お祭りだよ! けものフレンズがーでん」は、池袋で開催されているビアガーデンの延長でありながらも、しっかりと作り込んで「けものフレンズ」の世界にどっぷりと浸れるようにしてくれた。フレンズたちの幟がいっぱい立っていたし、パネルもいっぱいあって眺めているだけでも嬉しくなる。フォトスポットにはサーバルちゃんのいるさばんなちほーと、ギンギツネやキタキツネがいる温泉もあってとファンを喜ばせてくれた。突如はじまるへいげんちほーの戦いには、「アイスクリーム」と「フリーパス」の幟を用意。分かってる。そんな分かっている度合いをこれからも楽しい気持で味わっていけるように、権利者には何が人気の鍵なのかをしっかり認識してこれからの展開を考えていって欲しい。分かっているよね?

 嘘は100回繰り返したって嘘なんだけれど、聞いている側には100回もそれだけ聞かされると本当だと思い混む人もいたりするから厄介で、けれどもそうした“効果”を狙って嘘ばかりを繰り返し続けて、言っていそうにそうした嘘を本当だと信じてしまう層を作りだしてしまったこと、その中にルサンチマンを抱えた為政者がいたりしたことがこの国をちょっとヤバい方向へと進めてしまっている感じ。今日も今日とて日本記者クラブで次の衆議院議員選挙に臨む各党の党首さんたちが討論を行ったみたいだけれど、そこで内閣総理大臣であるところに自由民主党総裁が、朝日新聞と毎日新聞は森本学園や加計学園の問題で、政権に味方するようなことを喋った前愛媛県知事の言葉をまるで取り上げていないと言ったらしい。そしてそんな総理を応援する新聞が、やっぱり朝日新聞と毎日新聞は記事で一切取り上げていないといったことを言っている。

 これは違っていて、記事というのを特殊な眼鏡で見た場合にのみ成立する文言で、一般記事、というかあるいは本記と呼ばれる何をメインに伝えたいかを考え書かれた記事において取り上げられていないといった言い方ならまだ当てはまるけれど、そうした記事とは別に、状況をより複眼的に語る記事でもって前愛媛県知事の証言はちゃんと取り上げられていて、それは同じ紙面に載っている。だから読者はどちらの意見もちゃんと同じ紙面から受け取れるんだけれど、自民党総裁とそれに味方する新聞は、朝日新聞と毎日新聞は徹底して一切乗せていなかったといった言葉を発し続けてそうなんだと世間に思わせようとしている。いったい何がしたいんだか。そうやって信頼を失わせることで自分たちへ敵対する勢力の勢いを削ごうとしているのか。分からないけれども狭い視野で限定された状況をそれが絶対と言い募る無謀を繰り返していたら、どっちの信頼が失われるかをそろそろ考えた方が良いんじゃないのかなあ。やれやれだ。


【10月7日】 事前に120ページ近くも立ち読み部分が公表されて、これが普通の文庫だったら3分の1とかが読めてしまって話も中盤にさしかかっているところがそこは1冊が1000ページに達することだってある川上稔さんの「境界線上のホライゾン」シリーズ。最新刊の「境界線上のホライゾンX(上)」はそれでも760ページくらいと少なかったけれど、普通の文庫の倍はある分量だけに冒頭の120ページでは28歳のクリスティーナと14歳の細川忠興との間で取り沙汰される剃るとか剃らないとかいった話に終始して、それ以降にまるで絡んで来なかったところに立ち読み公開の意味の無意味の意味なんかを感じ取る。

 とはいえそこは中から下へと3分冊で流れるストーリーの上で、クリスティーナがスウェーデン総長としての立ち位置を発揮して欧州へと逃れる武蔵を支援して創世計画を阻止してウェストファーレン会議まで持っていく手助けをする、そのエピソードでの重要なフックとはなっていくんだろう。剃られた毛に意味があるかは別として。ただしそんな展開へと向かうには超えなくてはいけない山が立ちはだかってちょっと混乱しそう。それは羽柴の抱える十本槍でも竹中・半兵衛と情報体の石田・三成を除いた8人についてのことで、その出自だとかその能力だとかですでにいろいろと言われていたことが、「境界線上のホライゾンX(上)」の最後で明かされる。

 武蔵の当該者たちのリアクションはまだないけれどもひとり、本多・二代が目の前で告白されながらも明後日の方向へと話をぶんなげてしまっているから参考にはならない。他の面々はやっぱり戸惑うんだろうけれども、とりあえず相手は誰なんだって話しになってやっぱり大半が葵・トーリってことになるのかどうなのか、それを知ってホライゾンはどんな反応を見せるのか、ってのが中でのとりあえずの注目ポイントになりそう。そしてもちろん目下真っ最中の山崎の合戦の行方も。明智光秀が討ち取られて終わりではあるんだけれど、仮襲名のその名前を敗戦によって返上すれば命は失わない。ただ面目は失われて武蔵の進行は止まって創世計画が遂行され、そして起こるのはいった何だ? それは十本槍の運命やら存在に影響は与えないのか。SFチックな解釈がどう繰り出されるかが気になる続刊。いつ出るかな。表紙は誰かな。

 その原因は複合的で一時の造林がコストの問題で止まってしまって山への手入れが行われないまま植えられた杉だの檜だのが伐採もされないまま成長しては花粉をまき散らすようになったことがあったり、あるいは大気中の物質に変化があってそれが花粉とかと結び付いて人間に害を為すようになったり、はたまた人間そのものがアレルギー物質を幼少の頃より取り入れるようになってしまって、早くにアレルギーを発動するようになってしまっていたりとひとつの理由では語れないくらい、花粉症の問題は複雑でかつ広範囲に及んでいる。

 そんな現代の謎に対して「花粉症ゼロ」とかいった政策を打ち出したどこかの党の党首さまは、具体的に何か方策って奴を示せるんだろうか。これって考えようによっては、水虫ゼロだからガン撲滅まで現代医学の最高峰が挑んだところで解決できそうもない難事でもあって、成功すればそれこそノーベル賞だってもらえそうな偉業な分だけれどそうした具体性を帯びた施策をなにひとつ語らず、フィーリングでもって人が迷惑していることを解消すると空手形を切っているだけ。そこには信じるに足る根拠がまるでない。

 けれども世間は、というより頭をあまり働かせなくないマスコミあたりはそうした耳障りの良い発言をすごいよやてくれるんだと言って喝采を浴びせる。もちろん世間はそんな無謀をアホかと笑っているからノリはしなだろうけれど、未だにテレビを信じる世代の人にはささってちょっとの票の上積みをもたらし、比例なんかで押し込んだお友達あたりを国会に送り込んでしまいそう。ライトな態度を隠さなくなっていることもあってきっとウルトラライトが並ぶんだろう。そんな選挙をどうしのぐ? こリアルで正確な情報が求められそう。それをリアルで性格だと読み取る能力の醸成も。

 午前中のうちに新宿ピカデリーへと立ち寄って「RWBY VOLUME4 <日本語吹替版>」の劇場限定ブルーレイとそれからパンフレットを購入し、少しばかり都内を散策してから戻って夕方からの舞台挨拶付き上映を見物。すでにネットでも見ているし試写でも観ている本編についてはとりあえずブレイク・ベラドンナのお母さんの声がピュラ・ニコスと同じ豊口めぐみさんで出演を果たしていたこと喜び、それからワイス・シュニーの身の回りを世話している執事のクライン・ジーベンを演じていた魚建さんが巧くて楽しい声優さんだと分かって名前を覚えておこうと思った。変幻する瞳の色に合わせて雰囲気を変えつつシュニーを温かく見守る執事にピッタリ。次も出番、あるかなあ。

 そして上映が終わって次が舞台挨拶なら袖に登壇者も控えているだろうと口火を切って拍手。それが館内に響いたあとで登壇した早見沙織さんと下野紘さん州崎綾さん斉藤壮馬さんによるトークをしばらく。前の3人がアイム所属で斉藤さんだけ81プロデュース所属という、観る側にとってはたいして関係のないことでも話題にしたがるのは何だろう、今の声優さんって事務所の意味が大きくなっているてことなんだろうか、それが世間にも通じると感じているてことなんだろうか、ちょっと謎。芸人さんたちが吉本かワタナベかをネタにすることがあるように、声優の事務所もそんな力と知名度を持って来た? だからいろいろメディアに対してもプレッシャーをキツくして来た? 分からないけどちょっと気になった。

 それはそれとして初登場となったチームJNPRからのジョーン、ノーラ・ヴァルキリー、そしてライ・レンの3人はやっぱり役にぴったりの感じで、とりわけジョーン・アークを演じている下野さんはホームに帰ってきたようだって離していたからああいった役がピッタリなんだろう。州崎さんはただ元気なだけかと思ったら「VOLUME4」では過去が明かされ辛かったことも分かって、そうした雰囲気がこれからの演技に乗ってくるのかどうなのか。とりあえずライ・レンをレンと呼ぶのが「斉藤」と呼んでいることに気づいたらしくおかしいねって笑ってた。確かになあ。レンで良いのになあ。早見さんは150章くらいまで続けたいとのこと。ファンも増えているしVOLUME5が完結したら早い時期に日本語吹替版の上映も決まりそう。そうなったらまた早見さんも登壇しての舞台挨拶が行われると期待。今再びのチームRWBY結成を。1回しか揃ったこと、ないんだっけ。

 文春砲とやらが映像ニュースまで付くって「けものフレンズ」の問題に挑んだらしいけれども伝わってくるのは通り一遍の話で事後の検証もなくそして“真相”にも近づいていないというおそまつなもの。その取材力でも活かして当事者のコメントでもばっちり取って、なおかつそれをバラされたくないとバーターを引きだし番組内で手打ちでもするかと思ったらネット以上ではなく以下かもしれない内容に堕していたという。それともやっぱり真相に迫るとヤバいと感じて世間的な風評を追認する程度でお茶を濁したとか? それならそれで問題が広がらず終息へと向かうから良いんだけれど。どっちにしても今の宙ぶらりんの状態だけは早く解消して欲しいもの。そしてたつき監督の再登板宣言を見たいもの。待ってます。あすは「お祭りだよ!けものフレンズガーデン」で僕と乾杯。


【10月6日】 明けて早川書房の下にあるクリスティーのショーウィンドウがPKD酒場の宣伝から、カズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞祝いに変わってしまったようで、あのどことなく退廃的な雰囲気が消えてしまって気分もちょっと下がったけれど、中の方はちゃんとPKD酒場のままらしいんで行けばちゃんとデッカ丼もうどんヌードルも食べられるだろう。NHKのニュースなんかにはクリスティーでインタビューに答える副社長か誰かのバックに「ブレランの目玉」とかいったメニューが掲げられていたそうで、なんだそりゃと想った人が押しかけ食べていそう。

 ファンの間だとデッカ丼がやっぱり人気だろうから売り切れ前に行くなら開店直後がベストかなあ。野菜炒めも売り切れていたからこれは次に行ったらためしたい。お腹がふくれるのならうどんヌードル。2つで十分どころか十二分なんでこれはひとつで十分です。飲み物では次に行ったらやっぱり飲みたい「カクテル銀河の壺なおし」。いったいどんな味なんだ? 「ニックとグリマング」は読んでいてもこっちの方は原作を読んでないので味も形もまるで見当が付かないのであった。サンリオSF文庫から出ていた本自体がほとんど幻だったからなあ。今度新訳が出るんで読んでみよう。

 しかし今のところの代表作とも言える「わたしを離さないで」を紹介する時のテレビとかの配慮のなさには唖然呆然。そこがただの学校めいた場所に見えて実はでそして生徒たちは本当はってところが作品の大きなキモなのに、実はこれこれこういう話でって説明しながらバラしてしまっているから読んだ時の驚きが大きく減殺されてしまう。ミステリでいうなら密室の謎をバラしてしまうような無茶さなんだけれど、そうした配慮をしている暇なんてなくただどういう話かと聞かれこういう話だと答えたのをそのまま放送してしまっているんだろうなあ。やっぱり日本の文化報道は最低レベル。

 それは新聞でもいっしょみたいで毎日新聞なんかが「わたしを離さないで」のドラマに出演した綾瀬はるかさんのコメントを載せた記事で本の説明の前にモロにバレバレの惹句をつけている。文化部じゃなく社会部が作ったコメントなのかそれともデスクが配慮しないで添えたのか分からないけれども面白さの7割くらいが削がれてしまった格好。あとはだから綾瀬はるかさんの揺れる胸でも想像しながら読むしかない、っていったい原作じゃあ誰の訳を演じているんだ綾瀬さん。ドラマも見てないし原作も忘れてしまっているからなあ。両方チェックし直すか。

 なんだろうこのしっとり感としっくり感。新しく始まったテレビアニメーションの「Just Because!」は転校というか前にいた町に親の転勤で戻ってきた高校生の泉瑛太が3年生の3学期だけ通うために出向いた高校で中学時代の昔馴染みと再会するといったイントロダクション。その展開はどこまでも淡々としていて常識的で、廊下で幼馴染みとぶつかるといった展開もないし、秘められた才能を認められて一躍スターになるといった展開もない。会議室か何かで副校長と転校の手続きについて話して、それから学校内を見学していたところで瑛太は校庭にいた相馬陽斗という昔馴染みの少年と出会う。

 クラスメートを誘ってバッティングをしてた陽斗が、ボール集めをしていたところに出くわした瑛太は、陽斗が願掛けといってホームランを打とうとしているのを投手として受けて立つ。出会いこそ偶然ではあるけれども劇的ではなく、流れとして割と自然にそうなってしまった感じで、そこから瑛太の高校最後の1学期が再会の中に進んでいきそうな雰囲気を感じさせる。そして、瑛太と陽斗の対決を、一方では吹奏楽部で3年生ながらも後輩に校舎の渡り廊下でトランペットを教えていた森川葉月という女子が、途中から野球部の応援か何かで吹いた戦慄を奏で始めてそれに後輩達も乗ってきて、やがて他のセクションも音を重ねてきてちょっとした応援風景ができあがる。

 夏の高校野球で強豪校に挑み敗れて甲子園には行けず、良いところを見せられなかった陽斗へのもしかしたらせめてもの支援? そんな2人に浮かびそうな関係といったものを想像させつつ一方で、転校してきた瑛太についても過去に関わりがありそうな夏目という少女の名前が陽斗から告げられ、ハッとしたところでとりあえずの第1話終了となる。 メインとなる登場人物を示しつつ、周囲では写真部の女子が部員不足で活動実績も足りず部室を取り上げられそうになっていて困っている描写があって、あるいはそこに主人公も巻き込まれていくことになりそうな予感。ほかにもいろいろなキャラクターがさらりと登場していて、諸々のドラマがこれから演じられることになるんだろう。

 面白いのは、やっぱり高校3年生の3学期という、ちょっと特別な時期を選んで舞台とした点。大学受験を前にして緊張している生徒もいれば、推薦が決まってあとは遊ぶかトレーニングに精を出す生徒、そして専門に進むから受験勉強とは無縁の生徒もいたりして、そして進路が決まったものから遊びに呆けたりしてく中で、決まらず焦りを見せるものもいたりと、向かう方向がバラバラになっているふわふわとした状況にある。そうした中で、その学期しかいられない瑛太がどんな言動を見せ、長い人生でもちょっと不思議な気分になっているあの時間をどう描くのか。そこが今は気になっている。かつて同じ時間を過ごしてきただろう大人たちと、今まさにそんな時間を目前に控えている少年少女たち、そして未来にそんな時間を迎える子供たちが見て何を感じるのか。自分も含めてそんな興味を抱きながら最終回まで見ていこう。湘南モノレールってあんな場所をあんな風に走るんだ。風景を見に行って来ようかな。

 「十二大戦」もスタート。西尾維新さんの原作でイラストを中村光さんがつけている小説のアニメーション化だけれど読んでいない原作を想像するならサーバントならぬ12人の殺人者たちが12年おきに殺し合って勝者を決めるといったもの。その前の戦いで勝利をした男の娘が両腕にマシンガンを抱えて妹に与えられていた挑戦者の権利をひっぺがし、自分のものとして勇んで挑んだら最初にやられてしまったという。何という噛ませ犬ぶり。そういったミスリーディング的な導入から誰を主人公として見ていいのか分からない状態を作りだしつつ、次は何が起こるのかって感じに引っ張っていく話なんだろー。とりあえず申の子が妙だけれどやっぱりこれも噛ませ犬? そしてやっぱり戌が1番? 分からないから見ていこう。

 話し合いが始まったらしい「けものフレンズ」のアニメーションだけれどもその後、音沙汰がないのはあんまりよくない結果になって、それを言ってしまうと週末に幕張メッセで開かれる「お祭りだよ! けものフレンズがーでん」に影響が出るから躊躇っているんだろうか、それともお祭りの場でもって誰もが快哉を叫ぶような発表をするつもりでいるんだろうか。分からないけれども会場は「フリーパス」と「アイスクリーム」の幟が立ってへいげんちほーでの戦いを再現しているようでもあり、また大量に注文してしまったからと運営が呼びかけ遊んで欲しいと訴えている型抜きが登場したりと楽しそう。千葉市動物公園でのコラボレーションを応援する幟とかも立つみたいで、後でどうするんだろう処分するんだったら売って欲しいなと思っている人も多そう。物販も抱負そうだし食べ物だっていっぱいありそう。そんな雰囲気の中を高床のバスに乗って声優さんも動き回る。賑やかだろうなあ。初日は行けないんで2日目に行って雰囲気だけでも味わってこよう。朝からビール、のんで来るかな。


【10月5日】 31歳のNHKの女性記者が突然死したのが労災と認定されていて、つまりは過労死だったことが明らかにされて記事とか読むと都議会議員選挙とか、参議院議員選挙なんかの取材が重なり残業時間が月に159時間とかになっていたそうで、そりゃあ心臓だって止まるかもと思ったけれども問題はどうしてそこまで働いてしまったのか、ってあたり。そうしろと言われていたのかそうせざるを得ないシチュエーションだったのか。メディア企業だから業務命令としてそうした長時間労働が指示されなくても、周囲とかの状況からそうしなくちゃいけないと思ってしまいそうなだけに根が深い。

 何かを製造している仕事と違って情報を届ける報道は、その瞬間こそが大切で明日に仕事を繰り延べしたら意味がなくなってしまう。そして製造だったら注文がいっぱい入ってきたら製造ラインに人を増やして生産量を増やすことが可能だけれど、報道ではそうやって人をかき集めようにもバッファーなんて見積もっていないから、ぜんぶを自分でやらざるを得ない。一方で自分がやらなければ誰がやるんだといった“使命感”めいたものも働いてついつい長時間を働いてしまって気がつけば体が悲鳴を上げ、心臓が壊れ始めている。だったらそれは働き過ぎる自分が悪いのかというと、そうさせてしまう状況がやっぱり悪いんだろう。そこそこで。それなりに。そんな働き方が許容されない空気。それがやっぱり問題なんだろう。

 こうした事態が露見するたびに働き方を改めなくちゃってなるけれど、一方で報道の仕事はネットに押されて儲けが減って人員に余裕をおけなくなっている。そしてネットに頼って情報を貼り付けるだけの仕事が出てきて質が下がってさらに儲からなくなるといった悪循環すら見えている。どうするか、ってところでやっぱり報道する内容に付加価値をつけ、分業的に速報は速報で人海戦術をとり分析は分析で少数精鋭をとるしかないんだろうけれど、そんな少数精鋭の分析ですらネットによる拡散でもって薄められて儲けを得られなくなる状況。受けてが情報の価値を認めて支払いたくても、一方に無料で情報が流れていればそっちに傾くのもまた真理。ってことでやっぱり報道は死へと向かい働く人は過労で命を縮めるか、赤貧でお腹を空かせるしかないのかも。明日はどっちだ。

 アニメーションの2期についてのしこりが出てもタイトルとしての「けものフレンズ」への関心は尽きないというか、騒動が起こる前から動いていたからこのタイミングで続々と決まって来ているというか、そんな事情なんだろうけれどもまたひとつ、あたらしい商品がバンプレストの一番くじとして登場。フィギュアなんかが多い会社だけれど今回は大きいバスタオルとアクリルスタンドとラバーマスコットがメインでそしてデザインがいずれも描き下ろし。ちょっとづず違っているサーバルちゃんとかかばんちゃんを楽しめる。そしてキングコブラとかインドゾウとか他であまりないキャラクターが混じっているのも嬉しいところ。あとカバとか。サーバルカバンにアラフェネだけだと寂しいから。とはいえこういったサブキャラでも注目されるのはアニメ版での登場があったからで、そこを踏まえて功績を認めて次の展開へと向かって欲しいと今は願う、再登板を、心から。

 中国の卓球リーグの最高峰にあたるスーパーリーグに参戦しようとしていた平野美宇選手と石川佳純選手がともに参戦を拒否されたというニュース。日本人選手に限らずすべての外国人選手の排除だから多士済々の中国で武者修行を考えいた外国の選手達にとっては門戸を閉ざされちょっと大変かもしれないけれど、日本だって振り返って見ればバスケットボールの女子リーグは今年まで四半世紀くらいにわたって外国人選手の参加を認めていなかった訳で、あっても日本の学校に留学して卒業した選手に限っていたりして参入の障壁は高かったし、バレーボールも外国人選手を排除していた時代があってそれでヨーコ・ゼッターランド選手は引退を決意したって話が伝わっている地元の選手を強化したいスポーツにはよくあること。そういう意味で中国も、外国勢が伸びてしまって地元の選手が伸び悩んでいるのをどうにかしたいと動いたって見て取れる。

 まあ日本のバレーやバスケの場合は多士済々でもないため外国人選手はエースとして迎え入れられ圧倒的なプレーを見せて無双を演じるのに対し、中国の卓球はレベルが切磋琢磨していてそこに参加させると競って強くなってしまう可能性があるから排除に動いたともいえ、事情に多少の違いはあるけれどもどっちも地元がヤバいといった感覚での対応で、その意味では王国・中国の卓球にも何か陰りが見えていたのかもしれない。いずれにしても参加できないのなら平野選手や石川選手は日本で強化に励むか、海外でも中国以外のプロリーグなんかがあるドイツに行って修行するとかするしかなさそう。そっちはそっちで帰化した中国人選手の層が分厚くて日本人だって手こずることになるだろうから。閉鎖して鍛えるか解放して切磋琢磨するか。どっちが良かったかが2020年のオリンピックで明らかに。その前に世界選手権とかあったっけ。

 そしてノーベル文学賞が発表になって吉田拓郎さんでもなければ村上春樹さんでもなくカズオ・イシグロさんが受賞。まだ若くて現役バリバリ感のある作家さんの受賞ってちょと意外な気もしたけれど、別にお爺ちゃんお婆ちゃん向けの功労賞でもなく権力と戦ったり弾圧に挑んだりしている運動性を持った作家を選んであげている訳でもないから、今が旬でなおかつ世界的な評価を受けている作家が受賞したって不思議はないってことなんだろう。年齢だって莫言の方が57歳での受賞で今のカズオ・イシグロさんの63歳よりも若かったし。

 もっと下なら戦後だったらアルベール・カミュが43歳くらいで受賞しているから次はそれくらいの若い作家が受賞することだってあり得るかも。宮内悠介さんとか。なんでまた。世界で読まれていたっけ。だったら円城塔さんとか? それはちょっとあって欲しいかも。むしろここで取り沙汰されそうな日本ルーツ問題で、日本人の両親のもとに長崎県で生まれて5歳まで育ったからその意味では日本人だけれど、生まれた土地より親の国籍の方が重用だったりするこの国では生まれた場所が英国だったとしても国籍が日本のままだったら日本人として騒げただろう。でも今のカズオ・イシグロさんは英国に帰化して英国籍で英国人として本を書き「日の名残り」でブッカー賞を受賞し話題になってその後もいろいろな作品を書き続けてきた。

 そんな活動が評価されてのノーベル文学賞ならそこに日本がルーツだとかいった情報はまるで意味を持たない。浮世絵だとか書いてたりジャポニズム的な部分があったりと言われそうだけれど、それが本人の血筋で書かれたものではなく状況として取り上げられただけならやっぱり意味はない。というか日系人としてブッカー賞を取った段階で、日本人かも問題が取り沙汰されてはそれがたいして意味を持たず、名前こそ日系っぽいけど書く物は堂々と世界敵な作家としてずっと見做されてきた。すでい終わった問題をここで持ち出されても仕方が無い気がするんで、文化勲章だの芸術院会員だのとかいった誘いがあっても「だが断る」とやって欲しいなあ。日本語で語りかけるようなリポーターとかいたら無視するなりポリスメンに突き出すなりしちゃって。名誉長崎県民賞くらいなら生まれ故郷だから、良いかな。かな?


【10月4日】 国内での動きはまだ良く見えないけれど、うまい具合に解きほぐされて欲しいと期待したくなる「けものフレンズ」問題。お隣の韓国でもテレビ放送やらネット配信が始まるみたいで、吹き替えの予告編とかが流れて来ていてアライさんとかフェネックの声がもう日本の声優さんをそのままなぞったような感じで実に良くマッチしていたし、「ようこそジャパリパークへ」も韓国語版になっていながら日本語版のあのノリが絶妙に再現されていた。それだけ韓国の人たちも本編をリスペクトしてそっくりにしようと努力している現れで、そんな世界を作った功労者をこのまま埋もれさせて良いはずがないと思っているだろう。韓国でまた爆発的な人気となって是非に第2期をという声があがってたつき監督とのセットを必須とすれば、それもまた後押しとなって事態が丸く収まると信じたいところ。さてもどうなる。

 普通に言うなら2期だけれど、クールでいうなら第3クールにあたる「おそ松さん」が相変わらず攻めているというか、人気となった松たちが金儲けに走って太ってファンを蔑ろにしてそれでもファンは見放さないといった描写を見てファンが憤るかというと、実際問題そんな感じに群がっている自分を認識しつつ客観視して喜んでいるから面白いというか。酷い作りのグッズを出してもそれを買ってしまうファンの意識もしっかり汲みつつ、それが結果として失敗する展開を入れてちゃんとしようと気を取り直させるところも筋としては正しい。そしてちゃんとしたバージョンではサラリーマンからサイボーグから入れ替わりラブコメから3DCGから実写から展開されていく可能性なんかを見せて、今度は作り手側の見境の無さをチクリ。それもまた責められて崩壊した先に、普通に普通の「おそ松さん」を作り放送していく大切さって奴が浮かび上がったかどうなのか。ともあれ挑戦的なのは変わらないんで発売禁止めいたものが出てくる可能性なんかも踏まえながらテレビ放送を追っていこう。

 ガッチャマンにヒゲがある。まあそれも時代なんだろうなあ。ってことでタツノコヒーローが勢ぞろいする「infini−T Force」がスタートして、今時にしてはツクリモノっぽい3DCGのキャラクターだけれど動きとか見ていれば慣れるし声優さんたちが超一流なんで聞いていてそこに魂を感じてしまう。ストーリーの方はと言えばまずはガッチャマンがひとり異世界へと飛ばされ現れたのは渋谷あたりで、そこにはすでに破裏拳ポリマーが来ていて宇宙の騎士テッカマンも現れて、何か極太の鉛筆をもらった少女に襲いかかる何かと戦う羽目になる。来週は新造人間キャシャーンも登場して勢ぞろいしたタツノコヒーロー。敵も四天王っぽいけど集団戦になるのか個人戦になるのか戦隊ヒーローみたく向こうの繰り出す怪人なんかと戦っていくのか。オリジナルなだけに先が読めないストーリーが気になる。ヒロインの造形とかボディスタイルは割と好みなんでしっかり追いかけていこう。

 東京都議会議員だって都民の代表であって有権者たる都民が何か求めたら答えなくちゃいけないはずなんだけれど、おそらくは今の都民ファーストの会ではそうした人前で喋ること全般に対して規制がかかって有権者であっても答えられないと言いそう。それが積み重なった時に次の選挙でどうなるかを不安に思っているだろう都民ファーストの会の都議会議員たちも少なくなさそうで、音喜多俊さんと上田令子さんの離脱表明を受けて雪崩を打って党を出て別の勢力なんかを築いた時、だったらと都政を投げ出し小池百合子東京都知事が衆議院議員選挙に立候補だなんて動きになるのかどうなのか。そうした可能性なんかももしかしたら見ておかないといけないのかもしれない。ようするに名分さえ立てばあとは言いくるめられるって自信に充ち満ちた人たちだから。

 とはいえ一方で状況を見ないで失言を繰り返してどんどんと評判を落としていたりもするから、この先の流れ次第では討って出て討ち死にとかって展開もあったりしそう。ただでさえ所属の議員さんたちに外で喋るなと言明をして管理社会的な雰囲気を醸し出していたところが、さらに「排除」だなんて聞こえの悪い言葉を使っていっそう閉鎖的で独裁的な雰囲気を漂わせて近寄っていた人たちを惹かせてしまった。さらに「踏み絵」だなんてタームを使って意に沿わない人たちを拒絶しているようなところもあるからこれはもう世間受けは悪そう。

 そもそも「踏み絵」とはキリスト教徒の信教という人間の思想信条に対して、抑圧を加え弾圧を行うために江戸幕府が行った行為であって現代においては批判的な文脈で語られるターム。それを周囲が言い出すならまだしも内々でもそうしたタームを使って服従を呼びかけているらしいところがあって、つまりは抑圧と弾圧の集団なのかといった印象を世間に与えてしまった。選ぶ言葉の拙さが相次いだ感じで、ここにさらに世間を逆なでするような言葉が発せられれば一気に瓦解しかねない。そうでなくても言葉尻をとらえるのがメディアの得意技でもあるんで注意する必要があるんだけれど、かといって立候補してきた候補者にも舌禍を気にして喋るなと言えばそれはそれで選挙という場で有権者を愚弄する態度ととられかねない。どっちにすすんでも大変そうなこの数週間をどう乗り切るか。その先に何が現れるか。日本史の上からも目を離せない10月になりそう。

 異世界転移+お仕事物に俺TUEEEEが重なればもう無敵といったところか。有り体だけれどでも実際、読んでいろいろと願望をかなえてくれてなおかつ興味も満たしてくれるから人気が出るのも当然だろー。そんな1冊となりそうな三上康明さんお「異世界釣り暮らし」(集英社ダッシュノベル)は釣りに行ってマグロにあたって死んだかと思った主人公が異世界の海辺で釣り競争が行われている場に現れて、競争に参加させられそこで手持ちのルアーを使って魚をバンバンと釣り上げて、なおかつ現地では魔魚として財宝と同様に扱われる魚すら釣ってしまってそれをさばいて食べてしまったから誰もがひっくり返った。売れば一生は大げさでも相当な年月を遊んで暮らせるものを料理するだけでも異色なら、それを無償で振る舞ってしまうのも異色。でも主人公にとって魚は釣ったら食べるもの。だから気にせずやってしまう。

 とはいえ世界にとっては驚きの連続。これはやっぱり調査しないといけないと、都に呼び出された主人公は旅の途中で奴隷商人に売り飛ばされそうになっていた少女をみかけ、ちょうどまた釣ったばかりの魔魚と好感してしまったから周囲も当の少女も驚いた。それが大金になるともう分かっているはずなのに曲げない信念は釣り人ならではのものなのか。それともやっぱり気づいていないのか。そこがいろいろ気になるところ。そして都でも釣り勝負をして勝利したものの妨害を受けて命の危険に陥ったとき、以前に釣りながらも小さいからとリリースした魔魚に実は化けていた海龍の娘に助けられて地上へと戻される。なるほどやっぱりリリースは大事。そして情けは人のためならず。釣りさえできれば成り上がれる世界は釣り人には嬉しいだろう。そんな願望を満たしてくれるストーリー。そして釣り人でなくても魚の美味しい食べ方を教えてくれる作品。今晩はサバにしようかアジにしようか。そんな気分。


【10月3日】 今日も今日とてCEATEC JAPAN 2017へと出向いていって昨日のメディア内覧では見逃していたところをあれやこれや。サーブを打てるようになったオムロンの卓球ロボットって横にトスを上げるマシンを置いただけなんだけれど、それをしっかりとらえて打って返ってきたのをまた打つ動きはさすがというかなかなかというか。あとはスマッシュの動きを察知して構えることもできるみたいだけれど、フェイントをかけられたらどうするんだ、ってのも気になった。ラリーの流れを呼んでここでスマッシュだって判断するAIが乗ればなおいっそうか。あるいはスマッシュかフェイントかの微妙な違いまで読み切るとか。そうなれば無敵だなあ。

 これは面白いというか、無茶だけれど心意気を買いたいというか。あの原哲夫さんによる漫画「北斗の拳」を1冊にまとめた電子書籍が登場、ってそれなら別にキンドルだって何だって、電子書籍版をダウンロードすれば見られるじゃないかって話もあるんだけれどこれの凄いところは本の形をした端末のページを開いたところに電子ペーパーのディスプレイを2枚並べて置いて漫画の単行本のように見開きを実現しているところ。なおかつダウンロードとかできず「北斗の拳」だけを見るように特化しているところ。つまるところは「北斗の拳」全一冊を電子書籍でやってしまったってことになる。これはなかなか冒険かも。

 iPadとかだったら他に用途もある中での「北斗の拳」の閲覧だし、キンドルのホワイトペーパーだって他にいろいろと書籍をダウンロードして閲覧できるけれどもこの「全一冊 北斗の拳」は他に漫画は読めないし、追加することだってできない。すごい割り切り。だからこそ手にして一冊の本としてずっと手元において「北斗の拳」だけを楽しめる。18冊を積みかさねておいて取り出し崩れる心配をしなくてもその1冊だけあればどこまでも読んでいけるというユニークさ。モノクロというハンディはあってもそこは「北斗の拳」だから存分に面白い。なおかつそこだけは電子書籍の特徴を活かしてすぐに英語へとセリフを変えられる。日本だけでなく海外からも注文があるのもよく分かる。あれだけ「北斗の拳」が人気でも英語版では全巻を読めなかったらしいから。

 電源だって単四電池が4本だから世界中のどこでだって買おうと思えば買える。充電のためのコンセントなんて探す必要は無い。なんて便利、って思うけれどもそこはやっぱり電子端末だけあって、見開きとなったページとページの間にすきまができてしまう。ここを繋げるならばやっぱりiPad Proを横にして見開きで読むしかなんだろうけどそれだと値段は10万円超え。これなら高いとは言え今なら2万8000円でどこでも取り出し好きな所を読める「北斗の拳」を手に入られるとあったらさあ、どうする? ちょっと考えてみたくなる。これが成功すれば、っていうかすでに成功してとんでもない額をクラウドファンディングで集めているんだけれど、評判になれば他の長大な漫画とかを全一巻で出してくれるかもしれないなあ。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」とか? 幾らになるんだろう。でもちょっと欲しいかも。

 FLOWの「COLORS」が冒頭ちょっとに流れてグッと高まる意識がそのまま悲劇に伴う悲しみによって萎むことなく一段落を迎えていた劇場版3部作の第1部にあたる「コードギアス 反逆のルルーシュ1/興道」。その分続く第2部であの悲劇とかこの悲劇とかが襲ってきて、気分も大きく沈みそうだけれどももしかしたらそこはまた別の時空としていろいろと改編が入って来るのかそれとも。とりあえず第1部については再編集はされていても大きく筋立ては変わっていなかった感じ。端折られた部分とかもあるけれど、藤堂も混ぜてラクシャータも入って戦列は整い、さあ打って出るぞといった感じになっている。あとはヴィレッタ・ヌウのポロリもあるよ。それを劇場の巨大なスクリーンで目の当たりにして劇場の音響で「COLORS」を聞いて高まってこのどうしようもない現実を乗り切ろう。

 これはいろいろと含みがある言葉だなあ、KADOKAWAの井上伸一郎専務がついに「けものフレンズ」のたつき監督降板あるいは排除に伴う騒動に言及。「この度の騒動にいたるまでの事態を正確に把握してなかったのは不徳のいたすところです。先週ヤオヨロズのみなさんと2回のミーティングを行なう機会を得ました。その際、製作委員会のご意見とヤオヨロズ様のご意見に大きな溝があることが分かりました。特に『監督降板』の経緯、版権使用についても認識相違があることと、監督のツイッターでのご発言の真意にはそういったことが積み重なったことが原因であるということが分かりました」。

 ここで気になるのは「大きな溝」があることを認めた点。もしも製作委員会側の言うようにヤオヨロズの側に無断利用等の瑕疵があるなら「大きな溝」だなんて言葉は使わないだろう。だって相手が悪いんだから。けれども「大きな溝」と言い「認識相違」と言っているのは、深読みするなら製作委員会側が版権の勝手な利用があったと糾弾したのは間違いで、ヤオヨロズの側はしっかり認識して使っていたのにハシゴを外されたって理解もできる。それで文句を言われ外され戸惑いたつき監督は“告発”に到ったといった感じ? だから福原慶匡プロデューサーも「この度は皆様にご心配をお掛けしてしまいました。これから話し合いを始めますので何卒よろしくお願いします」とだけ言って、騒動へのお詫びはしても間違っていたからと謝罪はしていない。

 双方が話し合った上でこうしたコメントが出た以上はヤオヨロズの側に問題はなかったかあっても些細なことといった認識も浮かぶ。だったら問題はKADOKAWAなのか? ってところがやっぱり大きな謎となっていきそう。その向こう側に何かあるのかそれともいるのか。週刊文春が騒ぎ立てる前にどうにか手打ちをしてダメージをコントロールした上で次のフェーズへ、それも僕たちが望むたつき監督によるアニメーション版「けものフレンズ」の続編展開へと向かっていって欲しい。すぐには無理でも見て楽しくクリエイターなら嫉妬を抱かざるを得ない「けものフレンズ」のコラボアニメーションの展開を少しずつ進めていって欲しいもの。僕は待っているから。僕たちはみな待ち続けているから。

 早川書房のあるビルの1階でまた「PKD酒場」が始まったんで見物に。デッカ丼のカレー味ってのがあって頼んでそして野菜炒めを頼もうとしたらもうなかったんでうどんヌードルだか何かって食べ物を頼んだらどっちもそれなりな量だった。ひとつで十分だったかな。でもまあ夕飯にはちょうどくらいだったんで良しとしよう。ご飯とかいろいろ品切れになるのが早いんで行くならオープンしてすぐが良いかも。カクテル類とか結構そろっているようで、「トータルリコール」とか「シミュラクラ」とかディックの作品にちなんだドリンンクがあるけれど、中に「銀河の壺なおし」ってのがあってこれは何だと戸惑った。久々に復刊されるんで並べたのかな。でも味はさっぱり想像つかない。甘いんだろうか辛いんだろうか。壺だから壺漬けの味だろうか。なんだそりゃ。次は試してみようかな。


【10月2日】 それが清貧で鳴る集団で高潔さゆえに資金が足りず、けれども是非に国政へと出て欲しいちった願いが有権者の間から起こってカンパの意識も含めて党首とのツーショット写真を1枚1万円なり3万円で売るような状況だったら世間もまだ、頑張っているなあといった理解も出来ただろうけれども自分たちで立ちあげた党から党勢を維持するために募った主義員議員選挙の候補者と、党首とがツーショットを写真を撮ってポスターなんかに使う際に3万円を持ってこいとかいったどういう了見なんだろうとニュース記事を読んでひっくり返る。

 アイドルだったら自分たちの肖像を換金しつつもファンに喜んでもらえればとツーショットのチェキ会とかやって不思議はないけれど、候補者は当選すれば自分たちの党勢を表す存在としていろいろと働いてくれる人たちで、つまりは大切な手駒でもあるんだけれどそうした人たちを養うどころかツーショット写真で搾り取り、そして供託金も持参を求めてしぼりとるような党は果たして親と慕い社長と讃えてすがるに相応しいものなのか。ちょっとがめつくないかって、世間だって思うだろう。そういった感情が湧いて広まることすら分からずツーショット写真への料金支払いを求めたんだとしたら、やっぱりちょとt世間ズレし始めているような気がする希望の党。まあお金を持ってきてくれそうな民主党が腰を引くような選別と排除を大っぴらに言い出すあたりで妙なんだけれど。

 というか、そういった条件を出してこそ民主党の党首な分だけれどもそう言ったはずなのに聞いてもらえなかったのか、言ってないのに言ったふりをしていたのか、いずれにしても前原誠司代表はここに来て果てしない頼りなさってやつを満天下に示してしまった。あるいは毅然として日本という国のために立ち政権というものを得るために苦渋の決断をしたのであると、陰腹でも入れて壇上に立ち演説でもぶてはまあしょうがないかといった声も上がったかもしれないけれど、擦り寄って振り回され袖にされかかってもなお縋るようなみっともなさは、「金色夜叉」の貫一お宮の逆を行くように、お宮に蹴りトバされる貫一のよう。これではついていけないと大きな支持母体の連合が眉をひそめるのも分かる。

 さすがにこれではついていけないと、枝野幸男さんたちが新しく立憲民主党を立ちあげたのもよく分かる。というか党を骨抜きにしかねない前原代表をこそ裏切り者だと叩き出して民主党を取り戻し、右派左派リベラルを問わず現政権への範囲をしめし消費税増税を阻止しつつ経済対策をメインに据えて動くと言って選挙に出て、共産党とか社民党なんかと連携した方がよっぽど勝てるような気がする。希望の党が無茶と無理を押し出して衣の下の鎧が見えてしまってがめつさもクローズアップされてしまって世間から眉をひそめられている今ならなおのこと、そうした方向性を示して立てば世間にも理解が及ぶと思うんだけれど、無理なのかなあ、だったらここは枝野グループの動静を見て候補者も確認しつつこちらで何をするかを考えよう。

 幕張メッセでCEATEC JAPAN 2017がスタートするってんでその事前取材会をのぞく。レノボがドイツで出して大受けしていたらしいスター・ウォーズのジェダイになれるARヘッドセット「Star Wars/ジェダイ・チャレンジ」が展示されていたんで駆けつけ予約を入れてそしてプレイ。差し込まれたスマートフォンの画像をバイザーに映し、その向こうに透けて見える現実空間と重ねて見つつ楽しむARゲームで、センサーの情報なんかを元に手にしたライトセーバーの柄からにょーんと光の刃が伸びてそして、目の前にはダースモールが現れそれと戦うことになる。

 はた目には柄にすぎないライトセーバー・コントローラーをかざすと、AR上では伸びた光刃がダースモールのライトセーバーを止めてガードしていて、そこから反撃のためにライトセーバー・コントローラーを振ると、画面の中ではダースモールにダメージが出るといった感じで進んでいく。現実空間に重ねつつスター・ウォーズ空間が現れるといった不思議な体験。そしてそんなに広くない場所で存分にジェダイごっこを楽しめる。これでヘッドセットとコントローラーとボール型のマーカーがセットになって3万800円なら安いよなあ。ただしアンドロイドのスマートフォンかiPhoneが必要だからそれは揃えないといけない。iPod touchじゃあダメなのかなあ。大丈夫なら買うかそれともセルラーにつながずwi−fiだけつないで楽しむか。考え中。それくらいに面白い。

 CEATEC JAPAN 2017ではあとバンダイから出ていた「ハロ」のロボットが面白かったというか。基本的には止まったままで喋るだけのロボットなんだけれどもその会話が「機動戦士ガンダム」のファン的に嬉しいというか心をとらえて話さないくらい細かくてずっと相手をしたくなる。ガンダムを切り口にしていろいろな会話を繋げていける点が特長で、ガンダムに乗っているのがアムロなら、それ以外に乗ったことがあるのは誰とかいった質問が飛んできたりして答えられないと教えてくれたりといった具合に会話がはずむ。

 そして質問もトリビアじみていて、たとえば31話で宇宙に戻ったホワイトベースを襲ったモビルアーマーは何だといった質問で、グラブロだったかザクレロだったか迷っていたらビグロだったという。マニアなら知っていて当然かもしれないけれど、ファン程度なら迷う知識が得られる面白さ。そしてクラウド上のデータベースを増やしていけば「機動戦士Zガンダム」「機動戦士ガンダムZZ」に「機動戦士ガンダムUC」といった作品へと広げていける。どこまでも楽しめるガンダムおたく会話。それを家でひとり延々とやっている姿はうん、他人には見せたくないかもなあ。

 アメリカのラスベガスで野外コンサートに向けてホテルから銃が乱射されて50人以上が亡くなられたとの報。前にフロリダのクラブで銃の乱射があって50人が亡くなられた事件があったけれど、それを上回っての被害状況だし、いわゆるマイノリティへの差別意識が根っこにあったらしいフロリダの例と違って、クラスターとしてよりオープンな野外コンサートが狙われたといったところで被害者の側に防ぎようがなく今後の社会に少なからず影響を与えそう。もとより乱射可能な銃が蔓延っていることが問題なんだけれど、それを行っても止まった試しはなく、おまけに今は大統領がアレな分でオバマ大統領だったら即座にスピーチを行ったところを、ツイートでコメントを出すくらいだったりするからやっぱり止まりそうもない。銃こそが銃を止められるならコンサート会場の参加者が手にハンドガンを持って反撃すれば良かったと? ただの殺し合いになってしまいそう。そんな状況がこれからますます色濃さを増す世界で人はどう生きる? 未来は暗くそして狭い。

 昨日行った千葉市動物公園で展望台にあったはずのサーバルちゃんを撮り逃したのがちょっと残念だと思っていたら、10月9日に「けものフレンズ」でコツメカワウソを演じた近藤玲奈さんとジェンツーペンギンの田村響華さん、そしてフンボルトペンギンの築田行子さんが来園してトークショーを繰り広げてくれるそうで、そんなに遠くない(近くもないけど)場所なんでちょっと寄って見たい気がむらむら。アミメキリンとかも取り逃していたからなあ。あとは天気次第か。ジャストプロに所属の田村さんが今も頑張ってお仕事できている状況からするにネックはそこじゃないって雰囲気も。じゃあどこだ、ってのはやっぱりまだまだ見えないか。週刊文春が本気で動いて暴かれたら類焼も激しさを増すんで今のうちにしっかり手打ちをお願いしたところ、であります。


【10月1日】 千葉市動物公園で始まっている「けものフレンズ 〜すごーい! 動物観察ってたのしー! 〜 クイズラリー」を見物に行く。入り口でクイズラリーの用紙をもらった子供も大人もあちらこちらを巡ってクイズに答えようとしている。この下地にあるのが「けものフレンズ」という作品の知名度で、それを作ったのがたつき監督によるアニメーション版「けものフレンズ」であることに間違いはないのだとするなら、それを振り払って動物への関心だけを上澄みのようにすくって盛り立てていこうとするのはやっぱり違うと思うのだった。深夜アニメーションが人気とならなければ朝に再放送されて子供たちに見られ、関心を持たれることもなかったのだから。

 動物園とのコラボレーションは多摩動物公園とか井の頭自然文化園とかでも行われていて、これからもいろいろなところで始まったりするだろう。それでも牽引役となるメディアがなければいつか人気は下火になる。そこでまたアニメーション版を再々放送するなりして人気をブーストしたくても、今のこのねじ曲がった状況では放送にだって二の足を踏むだろうし、放送されても嬉しさと楽しさで見られない。となるとあとは野となれ山となれ? それは寂しい。いくらゲームアプリで盛り立てたって残念ながらマスには届かない。子供たちにだって知られない。それだけテレビってウィンドウは強いのだ。子供たちに届けるには今も最強のメディアなのだ。そこを切り開いた功労者に今一度の道を。そのために僕は「けものフレンズ」のコラボに通い続ける。人気を維持して関心をつなぎ止め続けることでしか僕たちはたつき監督に報い、そして呼び戻すことに貢献できないのだから。

 2020年の5月の大型連休中に東京ビッグサイトを明けてコミックマーケットに使わせても良いよと急に言い出した小池百合子東京都知事だけれど、これでいったい誰が得するのかがまるでまったく分からない。まず主催者。中途半端な規模を与えられ、そして期間も果たして3日なのか5日かなのか分からないような時期にいつものようにボランティアを集め機材を揃えて場を提供するとかいったワークフローを組み立てられるかが心配だし、そもそもそういった時期であっても東京ビッグサイトで開催を臨んでいたかが見えてこない。

 そして参加者。5月には他にもいっぱい同人誌即売会が開かれていてそれと重なるような時期にぶつけられても困るだけ。そしてそうした即売会を押しのけてまでコミケがどーんと入ることを喜ぶとも思えない。これはコミケの主催者だて同じ気分だろー。なにより東京ビッグサイトが使えなくなる問題は、コミックマーケットに限った話ではなくむしろ全体から言えば微少ではなくてもマストではない。あの場所を使って毎週のように繰り広げられているビジネス的な展示会が開けなくなって、商売の機会を多くの企業が奪われてしまうことの方が問題であって、だから恒常的に使える展示場を作ってくれ、あるいは東京ビッグサイトを今のまま使い続けられるようにしてくれと嘆願している。そうした本質を脇においてコミケだけが重大事のような認識を示してしまうところに、問題の本質を小池都知事が理解してない実態が見えてくる。

 それとも何かと面倒なコミケのファンをこれで晦渋できると思ったのか? そんなに単純でもないし簡単でもないのは、すでに聞こえてきている反応からも明か。自分たちさえ良ければといった考えに染まらず、社会との共存を願うのがコミケであり参加者だという自負を汚しなじるようなその施策を、受けることはないと思うけれどもだったら2020年の夏コミはどうなるか。そこはやっぱり考える必要があるんだろう。出口をどこに定めるか。よしんば5月の東京ビッグサイトでの開催に落ち着くならどういうロジックを整えるか。そこがこれからの注目点か。5月だったらまだ幕張メッセを全館使えるんだっけ。それともやっぱり名古屋とかに持っていくことになるんだろうか。判断が出るのを待とう。

 槐柳二さんという声優さんが亡くなられたとの方が漂う。放送されたばかりの「天空の城ラピュタ」にもドーラの相手になっている機関士の爺さんの役で出演しているけれども、最近の印象ではやっぱり「東京ゴッドファーザーズ」に出てきたホームレスの老人で、どこか神々しさを漂わせつつあっさりと亡くなったと思ったらまた目覚めてそして亡くなる姿に世の儚さといったものを感じさせた。その飄々として能天気そうでいて、けれども寂しさも感じさせる声は老人を演じる人達の中でもどこか仙人めいた立ち位置にあったんじゃなかろーか。年配だからそうなったというより「天才バカボン」でレレレのおじさんを演じていたころからどこか超然とした感じがあった。若い人が転向して老人になるんじゃなく、ずっと老人を、あるいはおじさんを突きつめてきた声だからこその重みなんだろう。そういう声優さん、今いるかなあ、若くしておじさん声。立木文彦さんなんかそうだたけれどもうそれなりの年齢になってしまったし。30年後には爺さんまでイケメン声になっていたりして。それもなんだか。

 子供で居続けられても迷惑だけれど、大人ぶられても面倒な年頃というのがある。それはたぶん高校生くらいで、すぐ先に来る進学や卒業からその先にある人生そのものへの不安と期待をいろいろと感じて、今に留まっていたいと手足を子供のようにじたばたさせるか、どうせ来る明日ならと割切って諦めてしまうかして、そしてしばらくして後悔をするのだ。あの時もっと大人だったらと。あるいは子供を通していたらと。武田綾乃さんの原作小説を京都アニメーションがテレビアニメーション化した「響け! ユーフォニアム」の第2期を、石原立也総監督のもとで小川太一監督が大胆に再編集した「劇場版 響け! ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」は、そんな子供と大人の間で悩み翻弄される、そして翻弄された人たちを描いて今、まさにそんな時期にさしかかっている人たちに未来を思い抱かせ、すでに通り過ぎた人たちに過去を思い起こさせる。

 テレビアニメーションの第1期と、それを再編集した「劇場版 響け! ユーフォニアム 〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜」の中で弱小だった北宇治高校吹奏楽部に入部した黄前久美子は、一緒に入部して優れたトランペットの腕前を持った高坂麗奈らと知り合い、新しく顧問に就任した瀧昇の下で微温的だった空気が払拭されて、本格的に全日本高等学校吹奏楽コンクールへの出場を目指す体制となっていく中で起こるさまざまな諍いや、それらを乗り越えて得られるさまざまな決断を経験していく。ソロパートを誰が吹くかで揉めながらも、上手な人が吹くべきだという当然の、けれども情愛からは遠い結論なども経てたどり着いた県の大会で、北宇治高校吹奏楽部は金賞を得て関西地区大会へと駒を進める。

 大きく近づいた全国という檜舞台に向けて、一丸となって練習に邁進していくはずの第2期においてより深刻な問題が起こる。それが「映画 響け! ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」でのメインストーリーとなっている。といっても、テレビシリーズの長さをそのまま映画にはできないため、大胆な構成の変更とそしてエピソードのカットが行われている。例えば合宿。テレビシリーズでは関西大会へと向けて行われるものが、関西大会で勝って全国行きを決めた後に帰られている。それで現実のスケジュール的に合うのかは、この際気にしない。問題は、前年にあまりやる気を見せない部員たちに業を煮やして吹奏楽部を退部した傘木希美が合宿前に現れ、復帰したいと告げながら、三年生で副部長の田中あすかに拒否されるエピソードがまるまるカットされていること。オーボエのパートを担当している鎧塚みぞれと希美との間に生じていたわだかまりを描く中で、思い詰める性格とくよくよしない性格の差異めいたものが浮かび、人生に向き合うスタンスといったものを考えさせられる。

 もっとも、それを混ぜていると今回の映画で見せたいことが見せられなくなるという判断から泣く泣くカットされたのだろう。そうした希美とみぞれの物語は、新しく山田尚子監督によって作られる「リズと青い鳥」の中で紡がれ、「映画 響け! ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」を補うことになるのだろう。だったら麗奈の瀧先生に対する思いはどこへ行くのか。これも大胆すぎるくらいにカットされて、ひとつのトピックだったコンクール会場での「先生好きです」の叫びも聞けなかった。こちらも別の形で拾われるなり、石原立也監督が二年生になった久美子たちを描く新作映画の中で、未だに瀧へと思いを寄せ続ける麗奈のエピソードとして拾われることを願いたい。寡黙でいながら時に情熱的な少女の姿を見たいから。

 そんな2本の大きな柱を削って組み立てられた「映画 響け! ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」でほとんど1本の太い柱として屹立したのが、久美子とあすか先輩との関係だ。といっても恋情が行き交うようなものではなく、ユーフォニアムであり吹奏楽部に向き合う意識をめぐる物語。父親がユーフォニアムの奏者であり作曲家でもあって、書いた教本はユーフォニアムを始める人たちはたいてい読んでいて、コンクールの審査員も務めるほどでありながら、母親に引き取られたあすかは父親を苦手にする母親によって勉強と進学を強制され、コンクールを前に退部させられそうになる。そのことを口では仕方が無いと良い、たかだか部活だからと言って後輩に譲って平気そうな態度を見せるけれど、その心理の奥にあるものを久美子は見逃してはいなかった。

 久美子には姉がいて中学までトロンボーンを吹いていながら進学のため、そして就職のためだと吹奏楽部を辞めて勉強に励んでそれなりの大学に進んだ。けれども今、自分が本当にやりたかった道に進みたいと大学を辞め、美容学校に行こうとしている。父母は反対し久美子も自分を置いて止めていった形になっていた姉の転進ぶりに非難の目を向けるけれど、本当にやりたかったことをやらずに過ごして後悔する寂しさは感じ取った様子。その感情をあすかにぶつけ、大人ぶって賢しらに振る舞おうとしても本心では吹奏楽を続けたい、コンクールでユーフォニアムを吹いて審査員として来る父親に聞かせたいと思っているはずだと訴える。

 まるで子供のような感情のほとばしりは、相手にとっての最善をもしかしたら奪ってしまうことになったかもしれない。けれども大人ぶって選んだ道に後になって後悔をしてやりなおそうとする姉の姿も視野にいれ、同じような間違いをあすか先輩にはして欲しくないと思っていたのも事実。子供のようには振る舞えないけれど、大人のようにも妥協したくない。そんな間をあすかがどうやってくぐりぬけ、自分自身のやりたいことを目一杯にやり遂げるかがたぶん、この「映画 響け! ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」のメインテーマなのだろう。そしてその決断に刺激された久美子が、あるいは周囲で見ていた麗奈たちが次に我が侭でも妥協でもない、自分自身の決断をして子供と大人の間を乗り越えていくかが描かれるのだろう。期待したい、続きの物語を。

 メインテーマだけでなく、メインヒロインももしかしたら田中あすか、その人なのかもしれない。勉強も出来てユーフォニアムも巧く副部長でありパートリーダーでもありドラムメジャーだってそつなくこなす。そんな万能の女子であり誰もが頼もしいと期待を寄せたくなる一方で、そうした期待を受けるふりをしてするりとかわして自分自身は孤高を行くようなところもあって、容易に他人を寄せ付けない。気持を寄せてたらかわされて、けれどもだからといって目をそらせない雰囲気を持ったヒロインはなかなかいない。老獪で達観していて狷介ですらある性格もお近づきになってなじられたいといった気持を喚起させる。黒タイツで眼鏡っ娘というビジュアルもフェティッシュな感情をそそる。そんなヒロインが退場をした次のシリーズなり映画は果たして大丈夫なのか。憎まれ役を買いつつ意識を引きつけ放さない小悪魔とも魔女とも言えるヒロインはいないのか。そこは久美子に期待するしかないのかも。あれでなかなか底意地が渋くて下にはクールな態度を見せそうだから。


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