縮刷版2016年12月上旬号


【12月10日】 週刊誌に報じられていることが事実が虚偽かは今のところ不明ながらも現状、警察の動きもない中で推定無罪の原則に従えば、そこに非があると攻めることは難しい。そして疑われたことに心痛を覚えてひとまず表舞台から退くことを表明した俳優に対して、イメージを損なったといった非難を浴びせるのは違ってて、そうした理由からCMの起用している企業が放送を打ち切り、違約金を求めるというのもやっぱり違っている。未だ犯罪と認められていない、そして推定無罪とはいえダメージを食らう逮捕という事態にも至っていない状況なら、起用し続けるべきだし取りやめても違約金なんて求めない。そういうものだと思うのだけれど芸能界の常識は違うらしい。

 辞めるんならそれは非があるからで、ないなら戦うべきだといった古い歌手もいたりして、いやいや裏切られ貶められた中で気持ちが大きく下がっているのに戦えなんて無理っていうのが、今のパワハラだの過剰労働だのが非難されちえる中での通念。それを踏んづけるようにして戦え働けと言ったところで、パフォーマンスが出せなければ意味がない。病気や事故で急用を取るのと同じ理由で退くことに非難を浴びせることは出来ないし、やるのも格好いい話ではない。

 なおかつ引退の理由として、自身のセクシャリティを暴露されたことも挙げられている。それに今の平等に向けて勇気を振り絞っている人が大勢居る中で、それを理由に引っ込むのは後退だって非難も起こっているけれど、未だ決して差別的な眼差しが消えない中で、それを公表して良いのは自分だけだ。誰かが決めることでもないし、強要できることでもない。あるいはセクシャルマイノリティを前面に出して司会業やタレントとして成功している人たちもいるにはいるけれど、そこにはどこかキワモノとして扱うような雰囲気がテレビにはある。そうあるべきだといった仕草や言動を求め、それを周囲が論うのを受けてニコニコしてたり憤ったりしてみせる、そんな差別と闘争をステレオタイプな形に凝縮して表現することが、半ば強要されている世界にニューハーフ的なものとは似て非なるセクシャリティを露わにし、武器にしていけというのも筋が違う。

 薬物に関する報道の真否については何ともいえばいけれど、そうでないプライバシーに関する部分は誹謗であり、それを面白がって取り上げるメディアもそうした誹謗に荷担している。当人が訴えたような場合、メディアは勝てるのか。訴えられないと思っているんだろうなあ。いずれにしても事態は未だ流動的で落ち着く先を見せない。ただ素早い事務所の対応なんかを見るに付け、当人の意志の強さはありそうだし、一方で事務所側でも把握している何かがあるような気もしないでもない。それを理由にして犯罪性を取り沙汰して報じる動きは止まないだろうけれど、せめてセクシャリティの部分は世に多くいる、言うに言えずに懊悩している人たちへの、差別と嘲笑を助長するものだといった意識を持って抑えて頂きたいと切に願う。それも無理かなあ、今のアクセス稼げりゃ勝ちってメディアでは。

 そして日向翔陽がアタックを決めて烏野高校が白鳥沢学園高校を破って全国へ。すなわち春高への出場を決めて「ハイキュー!! 烏野高校vs白鳥沢学園高校」はタイトルの部分が一段落。1クールなら12月中で終わるとして気になる東京の代表が決まってそして春高へと挑んでいく展開の中、最終回を迎えるってことになるのかな。とりあえず見どころは潔子さんの涙顔。あれは良い物だった。烏養繋心コーチの声が田中一成さんから江川央生さんへと変わって声質的にも演技の感じも明らかに変わっていたりして、迷うところではあるけれども無理に似せてそっくりさんをやるよりは、その心情を元に演技をできる人に後を継いでもらったといった印象も得られるからこれは正解としよう。第4期でもっと出番が増えれば馴染むだろうし。

 とてつもなく久しぶりな感じにSFファン交流会に呼ばれてVRやARに関する話をあれやこれは。とりあえずライトノベルでVRとかARに関連した描写が出てくる話を紹介ってことだったけれど、時間もあったんで最近取材したVRの事例なんかを並べて単純にゴーグルをのぞくと立体に見えるってだけじゃない、視覚や聴覚以外の感覚を肉体へとフィードバックさせる技術の開発が進んでいたり、現実空間に仮想の表現を見せるような技術の探求が進んでいることを紹介して、気持ちを仮想世界にダイブさせるだけじゃないってことを教えておく。

 ともすれば異世界だから何でもあり的フィールドとして、VRをツール的に使う動きもあったりするだけに、先端の研究なんかを紹介することで別の可能性へとVRへの認識を広げ、それがフィクションの上でどういった使われ方をして、SF的なセンスオブワンダーを生み出すか、っていった辺りへと及んでいけば読み手として嬉しいんだけれど、現状、そうしたVRの最先端に関心を及ぼしている作家の人ってどれだけいるんだろう。PSVRとかOculusRiftをのぞいて立体視すげえ、仮想区間すげえと言ってるだけじゃなく、その世界の匂いや味覚や刺激が肉体に帰ってくることも可能になっていると知れば、新しい着想も得られるんだと思うんだけれどなあ。

 しかしいろいろ話していて、やっぱり気になったのがVRをどこまで含めるか、といったこと。ゴーグルをかけて仮想世界を立体視しましたはVRだし、歩いた距離が反映されるのもVRだろう。腕に巻いたベルトに仕込まれた電極が仮想世界での接触をフィードバックするのもVRで、そして匂いをファンで出して嗅がせるのもVRに違いない。いずれも肉体にある感覚器官が働いて映像音声から触覚嗅覚あたりを上乗せする。そこにはいくつかのデバイスは介在しても、最終的には肉体そのものが体感する。これが例えば「楽園追放」のように人格がデータ化されてメモリー上にいて、そこに情報として仮想世界の感覚が送られ人格はプログラミングから生まれる情報として感覚を得る。

 なるほどそれはプログラムのやりとりに過ぎないかもしれない。肉体で体感している訳ではない。だからVRではないとも言えるかもしれないけれど、一方でそんなデータ化された自分は唯一の自分であってコピーもきかない存在なら、1個の人格として認めそれがデータとして感じる刺激は肉体が感じるものと同等と認めて良いんじゃないか、なんて気もしてきた。人格の唯一性が担保されてさえいれば、それは人間と同等であり得られる感覚も肉体が感じたVR的なもの、なんて思索が浮かんだけれど検証もなければ学術的なお墨付きもないんで、そこは人がそれぞれ考えて欲しい。プログラムとなりネット上を飛び交う自分というキャラクターのデータはイコールで自分になり得るのかと。

 そのままLiveWireへと出向いて堺三保さんと池澤春菜さんによる「SFなんでも箱」を聞く。ゲストは芝村裕吏さんで、登壇するなりアフガニスタンやウズベキスタンやタイやミャンマーをバックパッカーとして歩き回った話をし、そのアグレッシブさにこれはただ者ではないと圧倒される。実体験がなるほど「マージナル・オペレーション」の東南アジアや中央アジアといった地域に関する描写に生きているんだなあ。あとは「セルフ・クラフト・ワールド」シリーズがハヤカワ文庫JAから刊行できたとしても、ライトノベルのレーベルだったらいろいろ直されていただろうといった話。主人公を若くするとか同じ舞台で続きを行くとか。でもそれで面白かったかというと……。世代によってはそう感じたかもしれないけれど、SF向けにチューンされた作品となったからこそ第2巻での衝撃の結末から、第3巻での意外性にあふれた人類の未来のビジョンへとつながって、SF好きを驚かせ納得させた。そんな才能がまたSFを書くと言ってくれたんで期待して待とう。いつ頃かなあ。何になるかなあ。


【12月9日】 元よりテレビ朝日は割を取材にもカメラを出していたし、関連する朝日新聞社は出資者でもあるんで映画「この世界の片隅に」を報道ステーションが取り上げたことはそんなに意外でもないし、12月8日という日本が真珠湾攻撃を行って対米戦争を始めた日に戦争の意味を問う流れの中で紹介したことも不思議ではない。その主張としてキャスターが知らず戦争に巻き込まれていってすべてが壊れてしまう怖さを訴えていたことを、そんなメッセージ性は映画にはないと反発を覚える人がいることも分からないでもないけれど、戦争という日本人にとっては現在では非日常的な事態が、日常となっている状況に当時の人たちが慣れてしまい飲み込まれてしまっているのを怖いと思えば、やっぱりそれは反戦のメッセージを受け取ったことにつながる。

 それは素材であって受け取る人に任された作品なら、そういう受け止め方があったとしても違和感はないし僕自身もやっぱり戦時下のああした困難な日々を苦労とも思わず諾々と受け入れ日常にしてしまっている人たちに、寂しさを怖さを覚えていたんで受け取ったメッセージとしての反戦はあながち間違いでもないだろう。あと国境なき医師団の人が映画を観た話を取り上げて、今まさに戦時下にあるシリアへの思いを馳せさせようとしたこともやっぱり意義があるし、そういう想像力を観た人に持たせる映画でもある。「反戦映画ではない」というドグマめいた意識でもって今ある戦争の悲惨さを否定はせずとも切り離して考えていいものかどうか。日本の過去がシリアの、あるいは近隣諸国の現在と繋がっているというのもまた、過去をリアルに描いた「この世界の片隅に」が伝えたかったこなんじゃなかろーか。

 そんな報道ステーションではすずさんが海苔を届けに行った中島本町にあった大津屋商店の前で話す男性が実在の人だったことを娘さんの口から紹介していて、既に聞いている話ではあったけれどもそうした細かい配慮によってあの時代を現代に蘇らせようとした片渕須直監督の熱意に改めて涙がにじんでくる。きっとそう感じた人も多いんじゃなかろうか。フジテレビの「ユアタイム」でも呉の駅前を歩く女学生たちが勤労動員に向かう途中でそして空襲で亡くなってしまった人たちもいることを紹介していて、これも聞いてはいてもあらためてそうした人たちを映像として蘇らせ、定着させようとする意識に感嘆して涙が浮かんできた。ほかにも似たような話がいっぱい詰まっているんだろうなあ。そんな解釈を聞けそうな11日の阿佐ヶ谷ロフトでのイベントが今から楽しみ。賑わいそうだなあ。

 そして「この世界の片隅に」の報道は止まらず、朝日新聞紙上でも東京夕刊では社会面トップ、大阪版だと1面トップからもっぱらクラウドファンディングという手法によって資金難をクリアしファンの声も集めて作品が成立していったって話を紹介している。それはそれで見る人によっては目新しいことなのかもしれないけれど、アニメーションに限ってもクラウドファンディングでは湯浅政明監督の「キックハート」がキックスターター上でクラウドファンディングを行って成立させてOVAが出来ているし、文化庁の若手アニメーター育成支援制度から生まれた「リトルウィッチアカデミア」の続編を作りたいというクラウドファンディングがキックスターター上で行われ、これも満額以上の資金を集めてパッケージ作られ上映もされ、そしてテレビシリーズへと至ってしまった。

 同じ頃にインディペンデントアニメーション系の水江未来さんも「WONDER」っていうノンナラティブなアニメーション作品を作る資金を募ってこれも見事に達成。作品は後に他の水絵作品も含めた長編版「ワンダー・フル」となって公開もされた。そういう意味ではアニメーションという割と狭い範囲に深く刺さるコンテンツを、自分たちの仲間といった意識も抱いて応援する動きは前からあって、そうした成功を見て「この世界の片隅に」のプロデューサーも企画を立ちあげたかもしれず、またファンも過去の事例を見て恐れとか抱かず支援に応じたかもしれない。「マイマイ新子と千年の魔法」のBDやDVDの海外版を作ろうってクラウドファンディングもあったし。

 そうした過去の流れを踏まえないと、「この世界の片隅に」の大成功が突然変異的なものと受け止められるかなあ、と心配したけどこれで初めて参加した人も結構いるんで、支援者にとってはここから始まったって言っても良いのかな。ただやっぱり目立つ作品ばかりが目立って他が知られず終わってしまうのはもったいないんで、こうやって紹介することでそっちにも目を向けてもらいたい。あとは500万円以上を集めながらも目標がもっと上で成立しなかった錦織博監督の「CHIKA☆CHIKA DOLL」の復活とかもあったら嬉しいかも。アニメーションの未だ世に出ぬ新作を支援する、という行為に乗り遅れて餓えている人も割といそうだし。タイプはまるで違うけど。

 まとめサイトの著作権法違反問題についてはDeNAに止まらず他の会社でもいろいろなサイトを続々と閉鎖している感じ。アニメーション関係でもリクルートが持ってたサイトが閉鎖されてそのまま終了となったみたいで、まるで見たこともないサイトだったけれども報じられているページに掲載されていたページのスクリーンショットを見ると、画像がどかんと掲載されていてもそれには引用元として下にアドレスが載せてあるだけ。他のサイトにある画像に直接リンクでも張って引っ張っているようだけれど1枚のページとして見せている自分のメディアでそれをやってややっぱり問題も起こるだろう。自然のセズ院ではそれを起こって訴えて掲載料を獲得したって話もあるくらい。いずれ問題化すると思っていたけどこうやってキュレーションメディア全般に話が及ぶと、炎上する前に引くのが妥当と考えたんだろう。

 面白いのはそんなネットメディアのとりわけキュレーションと呼ばれるメディアのパクリ問題に、オールドメディアが批判の矛先を向けて情報に責任を持てとか言っていることで、なるほどそうやってちゃんとした情報を精査の上で発信しているところもあるにはあるけど、そうやって主張していたりする会社では前にライターが国会議員を誹謗するようなコラムを載せては裁判で訴えられて名誉毀損で敗訴して、賠償金を支払ったって過去がある。その時に果たして体表者が会見して頭を下げたかっていうと……。ちみに同じライターは今度は自分のサイトでもって誹謗中傷をやらかして、訴えられて二審まで敗訴し続けた。最高裁でどうなるか分からないけれど、現状は負けている人間が今なお記名でコラムを書き続けているんだから甘いというか厄介というか。それでネットメディアは信頼性の確保と言ったって、足下も涼しいよなあ。最近でもネット上のツイートでの論争を集め並べただけで記事1本とかやっちゃってるし。李下に冠を正さずというならまずは足下を見つめ直してはいかがかと、いったところで改まるとも思えないのがいろいろと寂しい。

 しばらく様子を見ていなかったらジェフユナイテッド市原・千葉きっての有望選手だったオナイウ阿道選手が浦和レッドダイヤモンズに移籍していた。U−23でも活躍してくれそうな逸材だったけれどリオデジャネイロ五輪には呼ばれず。J2にあって名前もなかなか出ないとなるとやっぱり漏れてしまうものなんだろう。でも実力はあるんで浦和レッズという競争も厳しい世界へと移籍することで、より成長をして試合にも出るようになってそして日本代表へと羽ばたいていって欲しいもの。ロシアワールドカップではそれこそメンバーに入るくらいに。一方でサガン鳥栖というかレンタル先のロアッソ熊本から清武功暉選手が加入。名字からも分かるように今はセビージャにいる日本代表の清武弘嗣選手の弟で、ロアッソでも結構得点を重ねて即戦力として期待できそう。ほかのメンバーがどうなるか、何より守備が固まるかが不安だけれど監督も替わったし、今年ことはと期待をして少しはスタジアムへと通ってみよう。本当にしばらく行ってないものなあ。


【12月8日】 DeNAのキュレーションメディアに関する話についてはやっちまったなあといった感じがあるものの、それ以上にパクリ上等で運営されてるアフェリエイト目的のまとめサイトが何のおとがめもなく運営されてはアクセスによる広告料で稼いでいたりする状況に、一切の変化が起きそうもないところにこの問題の解決への難しさって奴が見える。とりあえず上場企業なんで世間体として拙いだろうと止めたみたいなところはあっても、やって来たことの何が問題なのかを社長から創業者が分かっている感じがしないというか、分かっていても分かっていないフリをしているというか、それで言質を取られて責任問題になるよりも、のらりくらりと交わしつつ事態をフェイドアウトさせたいような雰囲気が見える。

 そもそもがキュレーション事業を管轄している執行役員が、遠く外国にいて体調不良を理由に出てこないんだから何の謝罪にもならなければ、問題解決への道も見えてこない。それこそ韓国の大統領を取り巻く人たちが、口利きをやってはお金をむしり取っていたようなことを取り上げ批判し事件にまでなっている状況を当てはめるなら、メディアがこぞってワイドショーで叩きまくっても不思議のない事態であるにも関わらず、何ら取り上げる雰囲気も見えない。このままお役御免としつつでも、事業の売却とかで得ただろう資金はしっかり握って一抜けしていく人たちを、どうにもできない会社の側にだってやっぱりいろいろと問題もありそう。そのあたり白黒付ける覚悟を見せないと、信頼は取り戻せないと思うんだけれど。って現実、関連しているキュレーションサイトの一切を見ずサービスも受けてこなかったから、信頼が損なわれたままどうなろうと知ったことではないんだけれど。

 そうなんだよなあ、話題になっている9だか10あるキュレーションサイトをこれまで見たこともないし利用したこともない。検索をして引っかかったという記憶も無い。ほかの続々と閉鎖されているという上場企業や大手企業系のキュレーションサイトにしたって、読んだり見たりした記憶が無い。基本的に旧来からあるメディアのネット版とかを参照したり、早くからネット上にメディアを展開してきたグループのサイトを読むなりして一次情報は仕入れ、そしてお役立ち系の情報は企業なり役所なり法人なりといった情報の確かさに核心めいたものが持てるサイトを参考にしてきた。誰が書いたか分からない、そして中身が本当か分からない情報が集まったキュレーションサイトとやらを、それでも便利だからと使う気分が起こらなかったのは、やっぱりメディアという物にたいする信頼性を一義と考え、そうした信頼性が感じられるところに寄りかかるという意識が醸成されちえたからだろう。まあメディア側の人間ってこともあるけれど。

 そうした意識も持てないまま、スマートフォンがあって検索だけが情報にアクセスする手段であって、その先がどうなっているかを気にすることもないまま来てしまった人にとっては、キュレーションサイトっていうのはいっぱいの情報が集まっていて、欲しい情報も見つかりやすい場所として有用だったんだろう。そうした使い手の意識を受け止め、だったらと欲しがる情報をかき集めて並べ提供していくことでアクセスは稼げて広告収入得も得られるといった考えから、サイトを作り検索への対策をしていった果てがこの、アクセスを集めるためだけの情報が集まってアクセスが集まりそれに情報が集まっていくという、誰のためなのか分からないキュレーションサイトの林立ってことになったのかも。そこに利用者へと向いた顔はない。どうにも困った話。でもまかり通ってしまっている。改善は進むかなあ。儲けなきゃって意識から立ちあがっている以上は無理かなあ、本当に有用な情報はコストがかかるものだけれど、そんなコストをかける余裕も気持ちもないだろうから。やれやれだ。

 取り繕っても感情の奥底からわき出てぶつけられる言葉というか感情に対して言い訳なんて出来ないよ。ってことで「響け!ユーフォニアム2」で黄前久美子が田中あすか先輩を呼び出しサボってんじゃねえ本当は全国大会に行きたいくせに行きたくないとか言うんじゃねえとぶつけたら、作っていた壁も壊れて心情が露わになってそして頭も回転し、どうにかこうにか母親を説得して吹奏楽部に戻ってこられたって感じ。頭が良いならそういう交渉だって早くから出来た気もしないでもないけれど、どこか越えられない壁があると感じてしまっていたのかもしれないなあ。それを姉のこともあって忖度とかいった理知がふっとんでいた黄前ちゃんに踏み込まれた。タイミングってのもあるんだろうなあ。ともあれ良かった、あの黒ストッキングが見られなくなるのは惜しいから。そこかよ。

 ところでいったい自分は「ガールズ&パンツァー劇場版」を何回くらい観たんだろうか。数え切れないけれども公開時があって4DX版とかがあって音をグレードアップしたものとかあってその都度どこかに観に行っていたから10回は軽く越えているんじゃなかろうか。それだけ浸っているともう場面を観ただけでそこでのセリフとキャラクターの心情が浮かんでグッときてしまう。そんな場面が壁一面い張られているから座っているだけで頭の中をストーリーと心情が横切ってあふれかえって来て全身が「ガールズ&パンツァー劇場版」の世界の中にいるような気分になってくる。セガが秋葉原に9日オープンする「セガコラボカフェ ガールズ&パンツァー劇場版」はそんな店になっている。

 メニューなんかも凝ってて「あんこう踊りのクリームパスタ」とか「あんこう踊り」を踊るあんこうチームが被っている帽子みたいなキモいキャラが皿に盛られているけれど、それは生ハムでより分けると中からねっとりとクリームが絡まったパスタが現れる。しっかりと歯ごたえも残したゆで具合で味も上々。温泉玉子と搦め手食べるとよりクリーミーになるメニューが1200円で味わえる上に、いろいろとコースターなんかももらえるんだからこれは安い。別にドリンクを頼んでも2000円以下。さらにグッズを買ったところで3000円あれば存分に楽しめる上に、描き下ろされた新しいコスチュームのキャラクターたちに出会えるんだからファンはもう行くしかない。とはいえ予約でしばらくは一杯。狙うなら年明けかなあ。1人でも平気かなあ。

 何で日本科学未来館なんだろうと思わないでもないけれど、チーム・ラボの展覧会とか開いているしテクノロジーとアートの重なる部分を紹介するのもここん家の務め。その意味で先駆者としてアニメーションという手法にトーキーを載せてエンターテインメント的なものを作り上げ、そしてロトスコープ的な人や動物の動きを取り入れ動かしたり、マルチクレーンカメラのような装置を作って二次元の映像なのに奥行きを持っていたりと、そんな映像の革命を成し遂げてきたディズニーの偉業を、単純にアートとしてだけでなく、テクノロジーサイドからも解説して紹介する「ディズニー・アート展」を開催するに相応しいのかもしれない。日本テレビで発表会見があって見物。400点もの原画やイメージボードやその他貴重な資料が揃いそう。大半が日本初公開ってのも貴重。行けばきっとアニメーションの何たるかってものに触れられるだろう。2017年4月8日から9月24日まで。その後に大阪、新潟、宮城も回るので当地の人はお楽しみに。


【12月7日】 NHKの夜9時からのニュースで「君の名は。」「この世界の片隅に」「映画 聲の形」といった長編アニメーション映画が取り上げられいた。つまりはSNSなんかでの口コミで広がった人気が、さらなる人気を呼んで観客を集めて盛り上がっていったといった内容。それは確かに言えることで、日刊ゲンダイも同じような口コミでの賑わいを一方に掲げ、事務所の問題を不安視して紹介しなかった民放キー局をイジりつつ、大宣伝したってちっとも稼げない日本映画なんかにも触れつつ、良い作品だからこそ口コミでもちゃんとお客さんが増えていくといった、確かにそうだけれど言ってしまうと身もふたもない話を書いていた。

 それは日本映画に挑戦的な言説も少なくない前田有一さんがコメントを出していたからそうなった感じもあるけれど、NHKの方は「日経エンタテインメント」なんかで編集長を確かしていたヒゲのおじさんがコメントを出していて、普通の人が好む話もアニメで描けるようになったって離していてピクっと反応した人多数。だってそんな普通の人が観て楽しいアニメーション映画なんて昔からあるじゃん。でもアニメーションはマニアのものだってレッテルを貼って、自分たちとは関係ないもの扱いして紹介しなかったのは誰なんだって話。つまりはメディアのあなたたちってことで。

 というか、一般の人が観て楽しめるアニメがあったって事実は、宮崎駿監督や高畑勲監督といった人たちが手がけたスタジオジブリの作品が、あれだけヒットしていたことからも明らかで、そこでアニメーションそのものの意義を訴えればいいところを、分かりやすい方へと逃げてジブリブランドだからこそといった感じに持ち上げ、他を無名にしてしまい誰でも見られる作品をオミットした挙げ句にジブリがなくなって、フックを見失って取り上げるに取り上げられない状態に陥っていただけじゃんかと、そう思わないでもなかった。

 そんなジブリ以外は存在していないような雰囲気を、口コミと丁寧なコミュニケーションで繋いできた新海誠監督が打破してアニメーション映画の存在を世に喧伝し、「映画 聲の形」もそんな勢いに半ば乗っかり続いてそして、高い作品性で人を集めて20億円を越えるところまで到達した。一方で「マイマイ新子と千年の魔法」の悔しさをバネに密なコミュニケーションを育ててきた片渕須直監督の努力も奏功し、「君の名は。」効果も乗って「この世界の片隅に」も大きくハネようとしている。そんな作り手とファンの頑張りから遠いところにいた大メディアの偉い人から、分かったように一般にも受け入れられるアニメがやっと作れるようになったんですよーとか言われると、それをお前さんが言うのかと、思わないでもなかったり。

 なるほど耳に聞こえよくまとめられてはいるものの、やっぱり名のある監督で良い作品も作ってきた人たちを、無名に押し込め存在を消した果てに2016年になって初めて発見されたかのごとくに言うのは、この10年ほどに作られた多くの素晴らしい庵メーション映画に申し訳がない。なのでジブリの低調からこっち、アニメーション映画の存在を見せてファンの思いを繋いできたアニメーション映画を思い起こして、みんな観ようと訴えたい。筆頭はやっぱり原恵一監督の「百日紅−Miss HOKUSAI−」と宇田剛之介監督の「虹色ほたる〜永遠の夏休み」かなあ。あとは「ハル」とか「ねらわれた学園」とか「伏 鉄砲娘の捕物帖」とか「REDLINE」とか。もちろん「RWBY」シリーズも。最後のそれは目下上映中なので行こう劇場へ。

 大賞の人が来ないとやっぱり締まらないのは表彰の常って奴で、「新語・流行語大賞」が受賞者の来そうな言葉に賞を与えようと議論したり入れ替えたりしたのも分かるけれど、それでもとりあえずりゅうちぇるさんに欅坂46に藤原さくらさんが来ればワイドショー的にはりゅうちぇるさんで繋げるから良いのかも。去年くらいに出始めて今年一気にブレイクしたりゅうちぇるさんは、来年以降にどれかで出られるか分からない中で今を精一杯に仕事しているって感じ。だから来てくれたのかどうなのか。でもライバルが志茂田景樹さんってなかなか口が達者だなあ、確かに似ているけれど、知っている世代なんて結構上。そうした層にも響くキャラクターになっていくのかな。

 プロダクトカテゴリーでは家電部門でプレイステーションVRが受賞していてやっぱりなあ、といった感じ。会場に置いてあったんでつけたらもう軽いははめやすいわで、出回っているVRヘッドマウントディスプレイの着けづらさとそしてピントの合わせづらさを思うと、さすがに家電レベルの品として出してきただけのことはあると感心する。プレイステーション4とセットで使わないと意味がないって部分はあるけれど、それはHTC ViveだってOculus Riftだって同じ事。スタンドアロンで使えるスマートフォン挿入型がやっぱり映像の面で劣るなら、家電として使えるレベルになったプレイステーションVRが今のところの最高峰に位置しているって言えるかも。ちょっと欲しくなってきた。でもやっぱり高いかなあ。

 そんなプレイステーションVRを体験している人が。ってさっき壇上でトロフィーを受け取っていた人だった。同じプロダクトカテゴリーで「お取り寄せ部門」を受賞した「格之進メンチカツ」を作っている門崎という会社の社長さん。間に入ってPRしている人が前から知ってた人だったんで紹介してもらい離していたら、その一流シェフがお取り寄せしてでも食べたいと行ったメンチカツを食べさせてもらった。衣が肉と重なり混じり合うような感じで分離せず、そして肉もぼろっと粒感があって肉食べてるって気になるという。冷めて油が浮かばず口中をしっとり潤し、そしてふわっと漂う塩麹、といったものらしい。なるほどこれは美味しいわ。1個300円くらいなら普通に出して食べても良い。ハンバーグとやらもあるそうで、美味しそうだけれど家で調理ができないからなあ。食べさせてくれる店があれば通うんだけれど。

 ソニー・コンピュータエンタテインメント改めソニー・インタラクティブエンタテインメントが4月に設立していた、プレイステーション向けゲームなんかのIPを使ってスマートフォン向けゲームアプリを作る会社のフォワードワークスがいよいよ本格的にタイトルを投入してくるそうで発表会に。とりあえず「どこでもいっしょ」と「パラッパラッパー」と「ぼくのなつやすみ」あたりが出てきてそして、「ワイルドアームズ」に「アーク ザ ラッド」といったタイトルも登場するみたいで、そうしたのが直撃した世代は懐かしいかもしれないけれど、家だからこそやり込んだRPGをスマホでどこまで遊ぶのか、ってあたりは悩ましいところ。それでも引きつけるからこそチェインクロニクル辺りはずっと人気になっている。そういう現代ならではのスマホってプラットフォームに向けた仕掛けがあるか。それが売れ行きを決めるのかも。

 一方で「みんなのゴルフ」をスマートフォン向けにした「みんゴル」なんかは分かりやすいから大いに賑わいそう。プレイステーション向けがプレイステーションポータブル向けになっても面白さは変わらずやり込んだゲーム。指でひっぱり離すようなプレーが可能ならより使いやすくなっているかもしれない。1ホールだって数分で済むなら電車の合間に楽しめる。時間制限もないからボールを置いたままちょっと休憩だって可能だろう。そして内よりゲームそのものがゴルフなんで分かりやすい。出れば結構行くだろうし、個人的にもやってみたいけど手持ちのタブレットのスペックじゃあキツいだろうなあ。「ポケモンGO」なんて未だに1匹しかモンスターを捉えられず、あとはずっと処理落ちを繰り返しているし。

 そんな市場にあの男が戻ってきた。「サクラ大戦」を世に送り出しほかにも数多のゲームソフトをプロデュースしてきた広井王子さんが、フォワードワークスでもって1本、宇宙漁師のゲームを作るらしい、ってなんだ宇宙漁師って。海での漁業ができなくなったんで、遠く宇宙にいけすをつくって漁業をするようになった世界で、宇宙漁師の女の子達が登場していろいろ動き回るゲームって事になってるらしい。舞台は広島県尾道市で、地元との連携もしっかりとっていくとのこと。ただの育成でもなく普通の職業物でもない、どこか捻りがあるけど基本はストレートなゲームってことで、やってみたい気もするしそうでない気もしないでもないし。どっちなんだ。しかし広井王子さん、ちょっと額が広くなっていたなあ、今いったい幾つなんだろう。

 額が広くなった、って程度なだ加齢の具合を婉曲的に示唆したものとして受け止めてもらえるかもしれないけれど、ハゲ頭だとか白髪だとかいったともすればそう言われることを悪口ととらえることも可能な身体的特長を論う言葉を、記事に入れ込んで見出しにも使って平気な自称するところの全国紙とその記者がいたりするところに、この国の言論空間の衰退って奴を感じてしまう。いやその自称全国紙だけの話かもしれないけれど、それでもそうした酷い言葉を良く言ったと讃える人の結構居る状況はやっぱり拙い。ネットのキュレーションサイトがパクリだとかで問題になっているけれど、下品な悪口やらすれすれのヘイトやらを公器とかが平気で発してそれに呼応する人が大勢いることの方がよっぽど影響もデカいいしヤバい。そう訴えたところで聴く耳も持たないからなあ、そこん家は。やれやれだ。


【12月6日】 まだ公開もされていない新海誠監督の「君の名は。」が全米で人気になっててアニー賞にノミネートされロサンゼルスの映画批評家協会賞でアニメ部門を受賞して、どうやって観ているんだろうと気にもなりつつ観れば分かる面白さがあるんだろうと納得しつつ、“本命”とも言えるアカデミー賞での位置取りが目下の注目といったところ。そんな「君の名は。」に続いてこれからきっと北米に出て行くだろう片渕須直監督の「この世界の片隅に」が、こと太平洋戦争においては日本と立場を正反対にする米国でどう受け入れられるかという部分がやっぱり気になって仕方がない。

 片渕監督はインタビューなんかで多少の説明は必要かもしれないけれど、どこの国にも共通の日常というものがあって、それが戦争のようなもに浸食されていって、けれども人は毎日を懸命に生きていくといった普遍の主題がそこにあるから、きっと大丈夫じゃないかといったことを確か話してた。それでもやっぱり残る、原子爆弾という兵器の存在。使われた日本が被害者を装ってもその原因は日本の軍部にあったと言われ、そして何十万人もの人が死んでしまった哀しみを問おうにも、それで戦争が早く終結して多くが死なずに済んだ可能性を挙げられスタンスがぶつかり合ってしまう。

 毎日新聞の小国綾子さんもそんな心配を抱いていたようで、12月6日付けのコラム「発信箱」でかつて同じこうの史代さんの漫画「夕凪の街 桜の国」に感銘を受け、その英訳版を持って渡米したけれど、相手に分かってもらえるかどうかに迷い、原爆投下の責任の所在をめぐる日米のスタンスの違いも分かっていただけに悩んで、結局英訳本を誰にも見せられなかったと振り返る。そんな後悔に似た気持ちも覚えつつ、観た「この世界の片隅に」に「これならわかってもらえるかも、と希望を感じた」と書いている。自分の居場所を探そうとしてがんばる人たち。笑ったり泣いたりして生きている、そんなささやかな日常が戦争によって踏みにじられてしまう残酷が、自然と感じられるこの映画なら「世代や国境や文化を越えて心にまっすぐ伝わる気がして」。そしてもし、米国の友人が映画を観てくれるなら、今度こそ勇気を出して言い添えようとも書く。

 「巨人が好きだった私の祖母は入市被爆者で、72年目のこの夏まで、102歳まで生きたんだよ。あの日はこんないも、今と地続きなんだよ、と」。日常があって非日常にすり替わって苦労して、悲劇に見舞われながらも生きて生き抜いてやって来た現在から、振り返って遡って感じられるあの時代、あの空気。それは誰にもあること。そんなタイムトラベルに導いてくれる映画だと、過去の誰かの日常と非日常に思いを馳せさせてくれる映画だと、思って観てくれるだろうか。大丈夫だろう。そう思いながらいつか来るその時を待とう。それにしてもよく生きていてくれた102歳。あと少しで「この世界の片隅に」を観て、あの頃に気持ちを戻せたんだと思うと寂しくなる。身内でも何でもないけれど、謹んでご冥福をお祈りしたい。

 日本では来春の後悔らしいアニメーション映画「SING/しんぐ」にきゃりーぱみゅぱみゅが歌う楽曲が採用されたそうで、日本向けのアレンジではないその自体にやっぱりワールドワイドに知られた歌でありアーティストなんだなあといった実感を抱く。だって「にんじゃりばんばん」だよ、それが別に英語にもならずにキャラクターとして登場するアライグマか何かのユニットが歌ってる。ほかにも「きらきらキラー」と「こいこいこい」ってそれぞれにタイプの違う曲も採用されているそうなんで、どこでどんな感じに使われるか今から楽しみ。「きらきらキラー」は結構アップテンポで賑やかで明るい曲なんで、そいうう場面で使われキャッチーな印象を観客に残すと嬉しいかな。日本版で差し替わるなんてことはないよな。

 去年は歩き回る恐竜に噛まれた記憶があるテーマパークEXPOを見物に東京ビッグサイトへ。何かの一角で行われいたものが独立したって感じで、そこに劇場のプロモーションもするイベントもくっつけて東京ビッグサイトの西館(にし・やかた)4階の半分くらいを使って繰り広げられていたんだけれど、そんな狭い場所でなぜかジェットコースターに乗りハンググライダーで空を飛び風船を手にして空中に上がって「太陽の塔」の周りを浮遊し、さらには腕から炎を放ってモンスターやドラゴンを倒すことができあ。あとはスキージャンプか。まともにやれば場所も時間も金もかかるそれらの遊びを、居ながらにして、そして割としっかりと体験させてしまうのが、VRでありARの醍醐味だなってことを強く感じさせるイベントになっていた。

 本来だったらもうちょっと、遊具とか関連施設のイベントになるはずなのが、今はそれが時代ってことでその筋では大手の泉陽興業が「VRビークル」っていうレールの上を船みたいなのが前後して、その上にある動く椅子に座ってVRヘッドマウントディスプレイを着けると、思いっきりジェットコースターに乗って上がって落ちて曲がって回転して振り回されて花畑を抜けるといった体験ができてしまう。メディアフロントジャパンのブースでは、前にCEATECで見かけたハンググライダーのVRがあって、板に寝そべってバーを握って前を向くとそこには空中が広がりマグマの上を越え洞窟を抜け峡谷を通って海へと出るまでを体験できる。

 ポニーキャニオンではこぶしをつきだし炎を出してモンスターを倒すAR。これはナンジャタウンで遊んだゴジラを倒すアトラクションを同じ動きで、コンテンツを変えていろいろなところで導入を進めているらしい。あとは超人スポーツのカメハメ波みたいな奴とか。テレビ朝日系の会社もスキージャンプとか、車でサッカーをするとかいったVRを出していた。テレビ局系なのにそいした新しい技術へもしっかり興味を見せてる感じ。だったらフジテレビは、って探したけれども見当たらない。大層な会社をアライアンスを組んだ割には出てくるものが乏しいのは、ハイセンスにこだわって何も生み出せないからなのか。分からないけれどもベタでも面白そうなものを出して名を挙げイニシアティブを取るのが勃興期ってのは何より大事。そのコンテンツ力と財力を生かしてフジテレビにもがんばって欲しいんだけれどなあ。どうなのかなあ。

 真珠湾に行って慰霊することが明らかになった安倍晋三総理大臣。オバマ大統領が広島へと来たという状況を鑑みるなら、その返礼もかねて行くのが筋ではあってこれでちょっとだけわだかまりも抜けそうな気がするけれど、それを過去の清算ではなく雲散霧消に使いたい勢力もいたりして、その親玉に担がれている節もあるだけに反発も残るかもしれない。オバマ大統領側が止めるのも聞かずにトランプ次期大統領のところを訪問するとか外交儀礼に思いっきり反したこともやってしまったし。その失地回復もあるのかないのか。いずれにしても「戦没者のご遺族の冥福を慎んでお祈りします」とか言って大顰蹙を買わないことだけは切に願いたい。やりかねないからなあ、あの総理とその取り巻きは。

 メディアの人間であってもそのメディアの上ではない、個人のフェイスブックに書いたことで名誉毀損だと訴えられて1100万円もの損害賠償を請求されたことも異例なら、一審と二審でともに敗訴して110万円って決して安くわない賠償金を支払うよう命じられたことも異例。そんな状態に置かれたならたとえ最高裁が残っていたとしても、状況として自分が悪かった拙かったと認めるのが物書きとしてジャーナリストとして当然の態度だし、そんな人間を論説委員で編集委員といった立場から動かすのも所属するメディアの当然の処遇なんだけれど、当然が通用しない場所なのか、当人は最高裁まで戦うと息巻き所属しているメディアも何か処分を下す感じがない。まあ過去にやっぱり名誉毀損で敗訴しながら順調に出世を重ねたところだけに、身内に甘いといったレベルではない何か暗黒の了解があるんだろう。真っ当な人が触れると全身が焼けただれるような。怖いなあ。恐ろしいなあ。


【11月5日】 おそるおそる触れて撫でようとして手を引っ込める感じの民放と違って、NHKでは片渕須直監督によるアニメーション映画「この世界の片隅に」を、主演声優ののんさんのことも含めて普通にプッシュしているようで、「あさイチ」の中でニュースとして今、ネットの口コミなんかで盛り上がっている作品として紹介しては、池袋のHUMAXに見に来ていた観客に尋ねて何が良いかを話してもらい、そして舞台挨拶に来ていた片渕須直監督からも話を聞いて淡淡とした展開の中に自分たちがいろいろと自分なりの考えを持ち込んでいける作品であることを感じさせ、押しつける部分も脅かす部分もないまま、自然体で身にいける映画だってことを知らしめていた。

 観て観客もそれほど流行っているならと考えたようで、午前11時から上映が始まる丸の内TOEIには開場前の午前10時半過ぎにすでに観客が何人も並んで待っていた。都内では新宿テアトルが連日満席で立ち見だけになっている一方で、池袋とか渋谷のユーロスペースなんかはまだ席があったりもしたけれど、こうやって新しい劇場が増えてもなお番組での紹介という後押しもあって動員が伸びて席も埋まってきている様子。それが証拠に興行通信の週末興行ランキングで「この世界の片隅に」は動員数4位となり、公開されたばかりの「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」や「RANMARU 神の舌を持つ男」とかを上回った。

 100館に満たない上映館数で始まって、初週が10位でそれだけでも一種の快挙であとは下がっていく一方かなあなんて思ったりもしたけれど、翌週も10位に踏みとどまってそれだけで奇跡に近かったものが、次の衆院は6位まで上がるという奇跡以上の何かを見せて世間にこれは何だといった印象を植え付けた。そしてさらに上がっての4位はもはや映画興行の世界ではありえない事態。それこそニュース速報として打電したって不思議はない事態なんだけれど、民放各局はそうしたニュースとしか言い様がない事態すらもスルーしてのけるんだろうなあ、何かのために。視聴率だって稼げるニュースであるにも関わらず、別の何かに配慮するそのスタンスが公器たるメディアを担うに相応しいか否か。答えは視聴者が遠からず出すだろう。

 そんなランキングで2位の座をキープした「君の名は。」がいよいよ興行収入で200億円近くまで来て、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」を抜いて「千と千尋の神隠し」に続く歴代の第2位に入ってきたとか。さすがに300億円を突破している「千と千尋の神隠し」を抜くのは無理だとしても、ずっと宮崎駿監督しか居なかったアニメーションでの興行成績上位独占を新海誠監督が崩したことがひとつの快挙。専門のアニメーション制作会社で修行を積んだわけでもない、それこそインディペンデントな制作体勢から出てきた人が15年ほどで引退をしている宮崎駿監督をのぞけば現時点で日本でのトップアニメーション監督に躍り出た。これもまたニュース速報級の快挙で、いったい今年のアニメーション界に何が起こっているんだ、それより日本の映画界に何が起こっているんだって検証が待たれる。

 いやずっと新海誠監督と片渕須直監督うの活動を見て来た目には、遅すぎるくらいの状況ではあるんだけれど、世間が宮崎駿監督だけではないアニメーション監督の存在に気付き、口にするようになって来た流れのひとつの帰結として、例えば細田守監督であったり原恵一監督といった名前を経由して新海監督、片渕監督の作品が認知され関心を持たれ観客に観られていった、その結果がこの状況に現れているんだろうなあ、おそらくは。これでロサンゼルスの批評家協会賞を新海誠監督が受賞した勢いで、米アカデミー賞にノミネートされるなりアニー賞を受賞するなりすればさらに盛り上がりそうだけれど、そっちは原恵一監督の「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」に譲って欲しいなあ、っていうかまだ公開されてない映画がどーして賞に絡んでくるんだろう。そこがちょっと不思議。今年じゃないと来年は「この世界の片隅に」に持って行かれると思い急いだんだろうか。

 遠い昔にネット評論の偉い人が持ち出した「キュレーション」って言葉にいったいどういう意味で使っているんだろうと考え、もしもそれが図書館の司書や博物館の学芸員のように豊富な知識を持ち、そして職務への誇りも持って情報を価値付けし、整理して世に提示するのと同様に、ネット上にあるさまざまな情報を選び抜き、価値付けした上で自らの名前なり責任のもとに世に問うようなものだったら、それもまた「キュレーション」と言えるかもしれないとは思ったものの、どうも状況はネット上にある興味深げな情報を、コメントをつけてツイートする程度のことで、その情報が果たして間違っていたものであった場合に、拡散してすいまんせんといった責任を取る覚悟があったかどうかが妖しげで、単純に面白げな情報を面白げに紹介して、自分へのアクセスを稼ぐような雰囲気が当初からあったような印象。

 そして個人としてのキュレーションを、企業が「メディア」として行うようになるに至って、ネット上にあるさまざまな情報をまとめて載せて自分たちへのアクセスを稼いでそれで儲けるだけになった感じ。それを「メディア」と言えるかというと、「媒体」という意味合いではメディアであっても、古くからある題字なり番組名なりのもとに編集権を持ちつつ掲載した情報への責任も担保していくといったスタンスはなく、自分たちはただまとめただけで責任は元記事の方にあるといったニュアンスすら漂わせていた。それがたとえ剽窃であっても。無断使用であっても。

 それが世間受けを狙った情報であった段階ならまだ、便利なサイトとして使っていられても、命とかに関わる医療情報となってしまった段階でこれは拙いといった声が起こって問題化し、一気に燃え上がってそれが無断使用も平気、だってまとめているだけなんだから的なスタンスが日常化していたキュレーションメディアとやらに飛び火して、大炎上したってのが昨日今日の情勢か。他人のふんどしで相撲を取るのがそもそも間違いだろう、っていった真っ当な声すらかき消し収益を上げて堂々とお天道様の下を歩いていたのが、高まる批判にもう耐えきれないといったところで続々とサイトが消えていく。復活させようにも1度ついたネガティブな印象を覆すのは難しいだけに、あとはちゃんとした情報をしっかり集めて載せていく、名実共に「メディア」となったサイトだけが生き残っていけるのか、それだと儲からないからとやっぱり転載だけの“キュレーションメディア”とやらが幅を利かせて生き残るのか。今が分水嶺にあるって言えそう。

 悩ましいのは、運営者側に本気で旧来型の「メディア」を立ちあげようって意識が乏しいことか。まとめサイトとして名を馳せたNAVERが、いよいよ無断転載上等のキュレーションメディアからの脱却を狙おうとしているけれども、偉い人自身が自らコンテンツを作るのはキュレーションとは言えないとかいった意識を持っているそうで、借りるなりパクるなりしてまとめることが真っ当なお仕事だって認識し、情報をゼロから作り上げることへの敬意をあんまり払ってないように感じられる。DJとかなら元の楽曲へのリスペクトを持ちつつ、自らのクリエイティブにもプライドを持って挑んでいるだろう。でもキュレーションメディアがそうしたまとめる行為自体にクリエイティブのプライドを持っていないとするならば、以後もタダ情報を引っ張ってきて並べてまとめてキュレーションでございとやって行きそう。

 転載したなら元の情報主に還元する? それならコンテンツを作った人に9割くらい与えてキュレーションは手数料を得るくらいのビジネスモデルじゃなきゃ情報の作り手は納得しないだろう。自分たちが配信してやってるんだから多く取ってあたりまえ。そんな意識でこれからも行くならいずれ行き詰まる。って思いたいけどキュレーションがこれだけ蔓延ったのは利用するユーザーも大勢いたからだからなあ、タダで楽に情報が観られればそれが転載だろうと剽窃だろうと気にしない。そういう人たちの存在もあってこれからもキュレーションメディアとやらは跋扈していく。そんな気がするけれども、さてはて。


【11月4日】 小指の先ほどの自尊心を過剰に信じては大言壮語を吐いてはみても、うまくいかずに失敗をして挫折もすると途端にひ弱になって逃げ腰になって一歩も動けなくなってしまうへたれっぷりが見ていて苛立つ我聞悠太だけれど、そんな超ネガティブな場所から何かを得て突破口を開いて物語を結末へと導いていってくれると信じて見ていれば、そのとおりになって偉いぞ悠太と褒めてあげられるんだろうか、それともへたれのままなんだろうか。一方で刑事の森塚駿はどこまでもポジティブで過信を自信に替えつつ裏付けも持って事にあたるタイプ。それがにっちもさっちもいかなくなった時に食らう挫折にもちょっと興味がある。そんな「Occultic;Nine −オカルティック・ナイン−」。

 でもさすがにへたれが過ぎるのか、謎の脳天気巨乳少女にすぎなかったりょーたすこと成沢綾歌が本性を現した感じ。そういえば彼女は別に256事件で死んではおらずかといってその出自が明らかにされた訳でもなく、オカルトサイトの「キリキリバサラ」を作る我聞悠太のそばにいたってだけ。でもそれには理由もあっただろう、それがいよいよ明らかにされるのか。その目的は、って辺りからさらに面白くなっていきそう。占い師の紅ノ亞里亞も同人漫画家の西園梨々花も出てこなかったけれどどこかで何かをやっているんだろう。そんなメンバーが結集して起こる事件の謎解きと、そして時間に挑むような大仕掛けを期待して見続けよう。あとは澄風桐子のタイツとか。眼鏡とか。ファッションと雰囲気だけならピカイチなんだけどなあ。

 「Vivid Strike!」も見て拳で語り合う少女たちって良いなあと思ったかというとそうでもあるしそうでもないし。っていうかあのガチな戦いに割っては入れる男子なんていないだろう。きっとそういう世界観。少女たちの方が魔法が使えて格闘センスもあって世界を唸らせる戦いを繰り広げられるという。そんな設定の上で結構な実力を持ってのし上がったリンネ・ベルリネッタが孤児院ではずっと上に仰ぎ見ていた親友のフーカ・レヴェントンを見下さざるを得なくなってしまった過去がだんだんと吐露され、そんな言葉の応酬の中で拳もぶつけ合ってしだいにわだかまりが解けていくと良いんだけれど、そういう展開まであと一歩。勝ったのはどっちだ。どっちでも嬉しいけれどここは格闘技の先輩ということでリンネに勝たせてあげたいなあ。ベルトもあげて自分を取り戻して欲しいなあ。

 もう第2章の公開が始まったと聞いて慌てて「CYBORG009 CALL OF JUSTICE」の第1章をバルト9まで観に行く。シアター1はそんなに広くはないけれども全席がほぼ埋まっていて、同じ最前列にも人が並んで見上げるように鑑賞。そして始まった映画は……2012年の「009 RE:CYBORG」から4年も経過してどうして輪郭線がギザギザになったり、キャラクターとか物体とかの描線が時々途切れたり消えたりしてそしてまた現れるような映像を見なくちゃいけないんだろう。それこそリアルタイムでレンダリングして描画しているようなゲームだったらそういう処理落ちもあるけどインタラクティブなゲームだから気にせず遊んでいける。でもこれは映画だ、それで固定された映像が時々切れたり掠れたりして作り手として気持ち良いのかとちょっと思った。

 何も実写と見間違えるようなハイクオリティの映像に驚かされた「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」のようになれとは言わない。あれはゲームの開発の副産物みたいなものでかけられるお金も時間も違っている。でもせめて「RE:CYBORG」でたどり着いたフル3DCGなんだけれどアニメーションっぽい雰囲気もあって、それでいて2Dライクというよりはやっぱり3Dな奥行きも持っている映像を基準として、そこから下がるようなものにはなって欲しくなかった。ストーリーがドバイを核攻撃で失った後の世界で、そしてグレート・ブリテンがMI6で働きジェット・リンクもCIAと関係があったという設定を引っ張るなら、クオリティも同等のものであって欲しかった。

 でもそれはかなわずキャラクターの雰囲気がどこか平板で、かといってポリゴンピクチュアズが「亜人」とかで見せたようなぐにょぐにょ動くけどクールでスタイリッシュなものでもなくって、3DCGの人形をやっと動かしてみせました、って感じになっていた。コーデリアっていうジャーナリストなんかは同じパンツスーツ姿の「亜人」のマイヤーズさんが醸し出していた妙な色気にあんまり及んでいなかった。下着のラインが浮き出ないとかそういう話でもあったりなかったりするけれど(あったりするのか)、でもやっぱり書き割り的。とはいえ同じ女性キャラクターのフランソワーズ・アルヌールは表情とか仕草とか好みな感じに描かれていたから、力の入れ用の差でもあったんだろうと想像する。方やヒロインでこなたゲストキャラじゃあ差が出ても仕方が無い。

 そんな映像のクオリティに比してストーリーはどうかというと、これも正義の味方から引退したいと願っても入れられず、ギフテッドという異能を持った不老不死の集団に襲われ否応なしに戦いに巻き込まれていくサイボーグ戦士たちの哀しみを描いたという点では良かったけれど、そんなサイボーグ戦士たちの居場所を一介のジャーナリストだけがどうして見つけられたのか、彼女だけがどうしてMI6もCIAもたどり着けなかった存在に気がついたのか、ってあたりの無茶がちょっと気になった。いくら父親が残してくれたからといって、それでも他に誰か気づきそうなものだし、気づけないなら彼女だって気づけない。そういうものだろう。そこはやっぱり都合が良すぎだけれど、でも仕方が無い、それで話が進むのだから。

 戦闘に入ると敵の繰り出す強大な力にたいして、1人ではかなわないサイボーグ戦士たちがそれぞれの能力を掛け合わせて挑み倒していく、そんな展開がやっぱり良かった。チームワークと結束が命、だから。やや1人、活躍の場がなかったサイボーグ戦士もいたけれどもテキサス州の砂漠の真ん中で深海を泳ぎ回る能力は生かしようがないからなあ。そこがやっぱりバランス上の問題か。「サイボーグ009対デビルマン」ではそのあたり、どういう風に解消してたっけ。もうあんまり思い出せないんだった。スタン・ハンセンみたいな氷使いとヘッドマウントディスプレイを被った重力使いを倒して、って不死身なのに死んでしまった不思議も抱きつつ、それが理由になって追われる羽目になったサイボーグ戦士たちは次にどう戦っていくのか。哲学的になりすぎた「RE:CYBORG」みたいな終わり方ではなく、ちゃんとした結末を付けてサイボーグ戦士たちに安寧の場を与えてあげて欲しいなあ。第2章も早いところ行かないと。

 NHKスペシャルで「戦艦武蔵の最期」と見ていて破片の画像とソナーでのデータから3DCGで武蔵を再現してしまう技術力に驚き、そして魚雷を食らってリベットが外れ装甲板から進水し、沈んだところに主砲の弾薬が爆発して中央が四散してしまったという経過が分析されて技術って凄いなあと思ったけれど、それ以上に武蔵が航空機の攻撃を受ける場面で対空戦闘用意のラッパが鳴って、それが映画「この世界の片隅に」ですずさんが晴美ちゃんと畑にいて、そこで聞こえて来たラッパの音色とまるで同じだったところにあれは空襲警報の合図ではなく、砲台も含めて対空戦闘を準備するための合図だったんだと気づいたという。

 映画ではほんわかとした日和を破るようにラッパが鳴り響き、そして直後に山を越えて飛行機が現れ呉の街は空襲を受ける。そんな場面でいい加減いサイレンを鳴らさずラッパを鳴らしたところに映画「この世界の片隅に」の隅々にまで行き渡った考証の凄さが浮かぶ。丘の上からすずさんと晴美ちゃんが武蔵を見たのもきっと史実なんだろう。その武蔵が数カ月後にフィリピンに沈んだ。晴美ちゃんが見ていた武蔵にもそこで亡くなられた人、そして生きて番組で証言していた人が乗っていたんだろうなあと思うと、途端に映画が現実にグッと近づいてくる。そう言う凄さを味わいにまた映画に行こう。今度は丸の内東映が良いかな。


【12月3日】 「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」のスタッフトーク付き上映が終わって急いで家に戻ってフジテレビの「ユアタイム」。キャスターをやっている市川紗椰さんがおそらくは自身で企画を立てて行った映画「この世界の片隅に」の紹介は、片渕須直監督へのインタビューがありテアトル新宿に来ている観客への取材もあって、あの映画がどういった人たちに人気になっているかが分かって観た人はきっと行きたくなっただろう。1度観ただけでは分からないことでも、知れば興味が浮かんで確かめに行きたくなる映画。「ユアタイム」では呉駅前を歩く女子挺身隊の“その後”が語られ、知ってはいても改めて言葉にされてグッと来て涙が滲んだ。

 映画では何も言葉では説明されていない。呉の駅まで出たすずさんと晴美ちゃんが空襲に遭って防空壕に入り込む場面で、工場から走り出て防空壕へと向かっているような人もちょっとだけ出てくるんだけれど、それが少し前に駅前を歩いていた女子挺身隊の“その後”に繋がっているのだと思うと哀しみも増してくる。そこじゃない、もっと遠くへ走って逃げろと言いたくなる。でも現実は……。だからせめて、そこに彼女たちがいた証(あかし)を残したかったという片渕須直監督の思いを、しっかりと引き出して放送で伝えた市川紗椰さん、良い仕事をした。そいsて片渕監督のそうした思いが亡き少女たちに届いて欲しいなあと心底思った。思いに心焼かれる。届いたかな。届いて欲しいな。

 そんな映画「この世界の片隅に」にピンと来ていない感じのフジテレビ報道局編集委員の風間晋氏。アニメーションであろうとなかろうと、そう聞かされて想像力を働かせればどれくらい意味のあることをやっているかも分かって、好きか嫌いかはともかく重要かそうでないかは理解できるはずなのに、初っぱなから否定でもしていのかまるで関心を向けようとせず、想像力を働かせようとしていないところに今のテレビ局の限界って奴が窺える。そういえば1962年、昭和37年生まれの毎日新聞の記者が、劇場でアニメーションを観るのがはばかれるとか書いていたっけ。下に推されて観に行ってくれたそうだけれど、でも僕と3歳しか違わなくてアニメを映画館で観られないとか、どれだけお上品な家に育ったんだと思いたくなる。

 風間氏についてはたぶん56歳で片渕須直監督と同年代。アニメーションにだって馴染みもあるはずなのに、偉ぶってか知らん顔をする態度を崩さない。そんなおじさんどもがメディアから“卒業”すれば、きっとアニメもエンタメもガンガン取り上げられるようになると思いたい。ああでも別の理由が「この世界の片隅に」にはつきまとってテレビという媒体での取り上げを阻止する方向に働いているか。「ユアタイム」では10分くらいの特集で、1度たりともすずさんの声を演じたのんさん、本名能年玲奈さんについて触れられなかった。あの声あっての作品だという意見、あるいは国民的な人気を誇った女優が声を当てているというバリューですら無視して知らん顔をする、その裏にあるテレビ局が抱える問題がある以上、未来は悲観的なものなのかも。雑誌がどんどんと取り上げているのに民放のテレビ局だけが頑な。これを異常と言わなくて何を異常と言うんだろう。やれやれだ。

 ただ見てくれているところは見てくれている。第38回ヨコハマ映画祭の2016年日本映画個人賞で「この世界の片隅に」が堂々の作品賞を受賞した。もしかしたらアニメーションとしては初めてかもしれない受賞。なおかつ審査員特別賞を主演の声を務めたのんさんが受賞していた。理由が「この世界の片隅に」の作品世界を決定づけた声音の魅力を称えて、といった具合であの作品性と不可欠だという評価だからこれも嬉しい限り。片渕須直監督による調査と演出、そして松原秀典さんらによるキャラクターデザインなりが作品の凄さを形作っているんじゃなく、のんさんの声があってあれだけの素晴らしい作品になったってことを、ちゃんと認めてくれている。作品と不可分のもの。誰が観たってそう思うことを民放のテレビ局では報じようとしない。その理由は言わずもがなだけれど、こうやってだんだんと評価が現れ外堀が埋まっていけば、いずれ取り上げざるを得なくなるだろうと思いたいけれども、果たして。

 午前6時起きして新宿ピカデリーへと行き「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」。3回目。劇場では昨日の前夜祭に続いての鑑賞だけれどところどころ意識を失っていた箇所が違ってたんで相互に補完できたというか。やっぱり朝が早いといろいろ大変だという。ただ179分という長時間から心配されたトイレタイムは上映後に10分ほどの間を置くことで解消。アナウンスがあったとたんに席を立ってトイレに向かう人で行列が出来たから、やっぱり欲してたんだろうなあ。それは観客にとって喜ばしいだけでなく、我慢しながら観ている人を前に喋る舞台挨拶の声優さんたちのいらぬ不安も解消できた感じでまずは良かった。それで時間が削られるでもなくたっぷりの女子会トークも楽しめたし。

 そう女子会のように4人が喋っては突っ込み流して受ける感じで進んで楽しかった。上映後だから中身についての言及OK。とりわけ後半に怒濤の展開があって驚きの事態も起こる「RWBY VOLUME3」なだけに、そこに触れずに喋るのはなかなか難しい。すべてを受けてぶちまけられたトークはやっぱりヤン・シャオロンのこれからがどうなってしまうのか、ってあたりにひとつ的が絞られた。これも「RWBY VOLUME4」で少しずつ描かれてきてはいるんだけれど、回復にあたってとりいそぎ家族が支えはしても、ヤン的には、というか中の人の小清水亜美さん的には嶋村侑さん演じるブレイク・ベラドンナとの関係性から立ち直っていて欲しいみたい。

 お姉ちゃん組で結構話す場面も多い中で深まった友情。だからこそ逃げたと思ってやるきを失ってしまったんだろうなあ、ヤン。でも大丈夫、きっと再会をしてルビー・ローズもワイス・シュニーも加えたチームRWBYとしてお話を引っ張っていってくれるだろうから。そんなルビー・ローズ役の早見沙織さんとワイス・シュニー役の日笠陽子さんも交えたトークでこれも的になったのが「RWBY VOLUME4」の日本語吹替版の制作で、ここまで来たら最後まで演じきりたいという思いを持っているうことを示してくれた。それはとっても嬉しいこと。作品を、キャラクターを愛してくれているってこと。だから答えて欲しいけれどそのためにはやっぱり観客の助けが欠かせない。なので劇場限定BDは買い初回限定版BDも買っているけどこれはやっぱりボーカルCDも買わないといけないかなあ。

 これで3枚まで出てルビーにワイスにブレイクがジャケットになったけれども4枚目が出ないとヤンがなく、RWBYがRWBで止まってしまう。これはダメだ。絶対にダメだ。アルバムの日本語版だけ出せばってのもやっぱりダメなのでまずはWEBでの「RWBY VOLUME4」が完結し、その果てに日本語吹替版の制作も決まって日本公開となれば嬉しい。というより絶対にそうならなくてはいけないので、まずは公開された「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」を盛り上げよう。それにしてもワイス役の日笠さんが気にしていた、あの償還された左腕の先にあるのはいったいどんな存在なのだろう。やたらとぶっとい腕だったし、サイズも結構デカかった。姉のウィンターが呼んだ白いグリムみたいなものとはケタ違い。それだけに覚醒したワイスの戦いが気になる。もちろんルビーの銀色の瞳から放たれるビームの威力も。あれってビームなの? 目からビームが出ていたの?

 どこが主催しているんだとか、サンディエゴのコミコンからライセンスを受けたようなものではないとかいったアヤシゲな話も飛び交って、どんなイベントになるのか不安もあったけれども「東京コミコン」はステージイベントはともかく展示に関してはアメコミ関連のグッズが並びフィギュアが並び映画のプロップめいたものもいっぱいあって歩いて眺めているだけで楽しい上に、生きたフィギュアとも言うべきコスプレイヤーさんがいっぱい歩いていて、すれ違うだけで心が楽しくなってくる。ハーレイ・クインとかもう何人もすれ違った感じで、前より後ろに回って見るホットパンツからはみ出したお尻が素晴らし、ってそれかい結局。

 日本人だけでなく外国人も観客とコスプレイヤーにいっぱいいて、コミックマーケットとかワンフェスとかとは違った雰囲気。気軽に撮ったり撮られたりしているのも現地のコミコンあるいはコンベンション的空気感が再現されている表れだろう。せっかくだからと「エルストリー1976−新たなる希望が生まれた街」の前売り券を買いトレカをもらう。くじ引きもやってコンプリート。誰だこれとか言わないというかこれ誰だな人がヒーロー&ヒロインになれる映画が「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」だというドキュメンタリーなのだ。12月17日から東京だと新宿武蔵野館で上映。きっとストームトルーパーとかいっぱい来るから初日に行けたら行きたいけれど。


【12月2日】 朝からアニメーション界がザワザワと。設立から10周年を迎えて記念展も開いた庵野秀明監督率いるアニメーション制作会社のカラーが、庵野秀明さんの古巣にあたるガイナックスを提訴したという。つまりは貸した金を返せってことらしく、もともとあった庵野秀明監督の作品を使った際にガイナックスからカラーへと支払うはずだったロイヤルティーが滞り、かつ別途貸し付けたお金もあってそれらの支払いなり返済が滞っていたことから、いよいよもって提訴に踏み切ったという感じ。

 商売的には当然でも、半ば古巣でもあって知り合いも多い会社を提訴したってことは相当に憤っていたか、あるいはガイナックスに残っている庵野秀明監督関係の“権利”が、ガイナックスの経営破綻なりでどこかに行ってしまうことを懸念して今のうちに債権を申し立てておいて確定させようとしたのか、いろいろと想像はつくもののそれとは別にガイナックスという1980年代の末に立ちあがって現在まで、数々のヒット作を生み出してきたアニメーション制作会社でも行き詰まるくらいに業界事情は厳しくなっているんだなあ、なんてことを思わされた。

 なるほど1995年に始まった「新世紀エヴァンゲリオン」のシリーズをのぞいてどれだけのヒット作があるんだと言われればそうだろうけれど、「トップをねらえ!」とか続編「トップをねらえ2」とかそれなりに知られている作品はあったし、長くテレビ放送もされて劇場版にもなった「天元突破グレンラガン」だってガイナックスが手がけた作品。知名度もあって転がせばまだまだ転んで不思議はない作品がどうにも埋もれてしまう状況がどうにも勿体ない。

 それは作り手はいても売り手に欠ける部分が会社にあったからなのか、身の丈を越えた経営をしてしまったからなのか。事情は分からないけれども既に「フリクリ」がプロダクションIGへと譲渡されているように、こうした過去の“栄光”も資産として切り売りせざる終えない状況になって来ているのかもしれない。それともすでにどこかに渡ってしまったんだろうか。「エヴァ」に関してはこうした債権債務のやりとりのなか、カラーが間に版権管理会社も挟むような形で権利を引き取った感じで、ハンドリング出来ている感じ。だから「シン・ヱヴァンゲリヲン」については大過なく作ることが出来るだろう。

 その他の作品については庵野秀明監督がらみのたとえば「帰ってきたウルトラマン」とか「トップをねらえ!」とかがどうなるか、トリガーへと移って「キルラキル」を手がけた今石洋之監督が残した「グレンラガン」をどうするか、っていった辺りでガイナックスから出た人たちが属する会社が動き出すことになるのかな。一気に解散とはいかないまでも、追い詰められてしまった状況からさて、ガイナックス自体がどう“再生”に向かって歩み始めるかにも注目したい。とりあえず12月7日発売の「放課後のプレアデス」のBD−BOXは買うことにしようか。その権利もあるいはどこかに渡ってしまっているのか? やっぱり目が離せない。

 日本工業新聞でも主に1人が1995年あたりからエンターテインメントを積極的に取り上げ押井守監督の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の映画化とかいろいろなニュースを経済記事として書き散らしたけれども、早すぎると世間はなかなか理解しないものでいつしか途絶えてしまった一方で、産業専門紙のたぶんナンバーワンの日経産業新聞はそのあたりとちゃんと逃さず、時代の変化に即してちゃんと抑えてなおかつ時流にも乗ろうと今旬な話題をちゃんと取り上げている様子。映画「この世界の片隅に」が人気になっていることを、12月2日付けのデジタルトレンド面に記事として乗せ居ていた。

 それはまずはツイート数が映画の公開前後から急増しては、3週間近くが経った今も衰えることなく上下動しつつ高位安定を保っていることを紹介し、またクラウドファンディングで応募した人が積極的に情報を拡散して映画の盛り上げに一役買っていることを乗せて、デジタルとネットワークが映画というどこか旧態依然とした部分が残っているコンテンツでありビジネスを、変えようとしていることを世の中に示している。「映画の中身がよいことが大前提」とは言いつつ、ファンの思いが資金面でも宣伝面でもダイレクトに作品へと向けられる時代の到来を、受けて映画界は動くのか。動いて欲しいけどなあ、次にこうした優れていながらそうは思ってもらえない作品が世に出るために。

 そうそう、記事ではまるで触れられていないし、ほかの媒体でも添えられることがないけれども、クラウドファンディングでは「この世界の片隅に」の企画が滞りつつあった時期、そして「マイマイ新子と千年の魔法」を語り伝える動きもやや沈静化しかかっていた2014年の2月に、海外で「マイマイ新子と千年の魔法」をBD化け、DVD化しようとするキックスターターが立ちあがったことがあった。これは大成功を収めたけれども、地域縛りでパッケージが買えないことが分かっていても、「マイマイ新子と千年の魔法」のファン、片渕須直監督のファンが参加したり宣伝したりして、改めて結束を固める役割を果たしたような気がする。

 もちろん、既に片渕監督が「この世界の片隅に」を作ろうとしていることは分かっていたから、これへの期待を抱くファンも応援の意味をこめて参加や宣伝につとめたっけ。そうした活動があるいは、世に広く存在を知らしめるパブリシティ効果も含めて製作陣にクラウドファンディングの存在を意識させ、そこから1年後、今度は「この世界の片隅に」でのクラウドファンディング実施を思い至らせたんじゃないのかなあ、なんて考えているけれど本当のところはよく分からない。いずれにしてもそういう存在があったことは自分では結構な意味を持っている。そして完成したみたいなアートブック。いつか届くかな、この手元に。

 長いけれども長くなかった179分間。明日12月3日から公開となる「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」の前夜祭、新宿ピカデリーには監督を務めたケリー・ショークロス、共同監督のグレイ・G・ハドック、そして共同監督にして脚本を手がけ本国版ではジョーンの声も担当しているマイルズ・ルナが登壇してあれやこれや喋ってくれた。通底するのは大きなスクリーンで観客を迎えて「RWBY」を観るという光景の“シュール”さ。どうしてシュールといった言葉を誰もが使ったのか分からないけれど、元がWEBで観るもので、それが巨大なスクリーンでもって日本語の吹き替えで、最高品質のサウンドで観られることがやっぱりどこか信じられないといった思いがあるのかもしれない。アメリカでだってない光景、だもんなあ。

 そしてやっぱり意識する亡きモンディ・オウムの存在。彼へのリスペクトを強く持っているスタッフが、その思いを壊さないようにしつつどんどんと大きくなっていく評判にも背かないで答えなくてはいけないプレッシャーを、感じながら作っていくことはやっぱり相当に大変なことだろう。でもご安心。3人はやり遂げた。他の大勢のスタッフももちろん含めて「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」は最初は楽しげなくションから、やがてシリアスな戦いとなって残酷な運命が明らかとなり、残忍な展開が繰り広げられる。

 潰されそうになる。逃げ出したくなる。けれども、それに負けずに立ちあがり、仲間のため世界のため、そして何より自分自身のために少女は歩き始める。そんな旅立ちを経た先にいったいどんなドラマが待っているかはすでに配信が始まった「RWBY VOLUME4」を観れば分かる。怖いし不安だけれどそこをしっかり、家族が支え仲間が見つめてがんばっていく姿が描かれている。最新のChapter4ではあのヤンに訪れた覚醒と再起。ここからどう絡んでいくかが楽しみ。そんな物語を存分に味わうためにもまずは「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」をご覧あれ。ハドックさんが見どころと推すシンダーの演説以降のバトルバトルバトルバトルバトルに目を見張るだろうから。いやあ最高だよヴェルヴェットの戦いぶり。


【12月1日】 昼に丸善丸の内店へ行くと残りは3個。聞くともうそれだけしかないそうで、買い占めるのも申し訳ないので1つもらって包んでもらっていたら予約が入ってひとつが取り置きされていた。残り1個も誰かの手に渡ったもようで本日をもってこの店では完売となったセーラー万年筆によるボトルインクジェントル【ブルーブラック】の映画「この世界の片隅に」オリジナルパッケージ。片渕須直監督のお父さんがセーラー万年筆に務めていたこともあって実現したらしいコラボレーションは、パッケージに映画の絵が使われていて羽根ペンをもったすずさんが描かれている。このインクを渡したらいったいなにを描くんだろう。そんなことも思えるくらいにすずさんの“実在”を信じてしまっている。それだけ映画が緻密な考証と描写に満たされていたって現れなんだろうなあ。宝物にしようか、吸引式の万年筆をあつらえて使うか。考えようしばらく。

 何試合かは見たことがあるのかなあ、ジェフユナイテッド市原・千葉でのエヴェルトン・ケンペス選手の活躍。J2に落ちてからこっち、昇格の可能性が早々と尽きることが多くなってちょっと興味が薄れてしまっているけれど、ケンペス選手が所属していころはまだ、天皇杯も含めてそれなりに試合で勝っていたから観に行ったような記憶があるような、ないような。ブラジル1部リーグだから日本で言うならJ1に所属しているサッカーチームのシャペコエンセでがんばっていたケンペス選手がコロンビアのメデジンで開催されるコパ・スダメリカーナの決勝へと向かう飛行機の墜落事故で死亡。というか選手の多くとスタッフと番記者がまとめて死亡してしまう悲劇に見舞われ、世界中のサッカーファミリーを驚かせ、哀しませている。

 相手はコロンビアの強豪というか、南米屈指の実力を持ったアトレティコ・ナシオナルでリベルタドーレス杯を制して南米1になって日本で開かれるクラブワールドカップに来ることも決まってた。その前哨戦的に開かれてリベルタドーレス杯に続く権威を持ったコパ・スダメリカーナを制して土産にしようとも意気込んでいただろうナシオナルの選手たちが、受けたショックも相当にありそうで果たして平静な試合が出来るのか、準決勝を突破しておそらくは来るだろうバルセロナを相手に戦い世界一になるだけの気力を保てるかがちょっと心配になってくる。そこは同じ南米の心意気を携え来日し、バルセロナを破って勝利をつかんで欲しいものだけれど。そうなればシャペコエンセの選手たちも少しは報われたかなあ。

 いやいや、やっぱり死んでしまっては意味がない。グランデトリノと呼ばれたイタリア屈指の強豪チーム、トリノがスペルガの悲劇で選手のほとんどを失って後、長く低迷を続けたことはサッカー史に残る事件だし、英国の名門マンチェスター・ユナイテッドがミュンヘンの悲劇でダンカン・エドワーズ選手やトミー・テイラー選手を始めとした所属選手を失い、10年の停滞に入ったこともやっぱり大きな事件として記憶されている。そこで生き残ったボビー・チャールトン選手がマット・バズビー監督とともに欧州チャンピオンの座を取り戻したのだとしても、トミー・テイラー選手やダンカン・エドワーズ選手はそこにはおらず代表として参加していたイングランドチームもワールドカップで1966年まで優勝を待つ必要はなかっただろう。失われた才能は戻ってこない。だからこそ悲劇は起こってはいけないし起こしてはいけないのだけれど、起こってしまった以上は次、同じことを繰り返さないために出来ることをやって欲しい。それがサッカーファミリーの切なる願いだ。合掌。

 見どころは田中あすか先輩のスカートでの胡座で、それをテーブルの下から撮ったようなショットを描くあたりに田中あすか先輩フェティッシュに頼り誘おうとするアニメーション制作会社のタクラミめいたものを感じた「響け!ユーフォニアム2」。その前にもあすか先輩のほどけかけた靴紐を結んであげる晴香のしゃがんでスカートからのぞく足とか描いていたからそういった、女子高生の日常にちらっと見える仕草への関心を誘うことに力を入れているんだろう。それもまた日常な訳で描かなかったおかしいとは言えるけれど、そればかっかりなのは演奏というメーンコンテンツがないこの週の精一杯のサービスか。とはいえ田中あすか先輩を巡る情勢は厳しく母親の壁は高い。越えて復帰できるのか。演奏はどうなってしまうのか。全国大会へと向かう展開。1話たりとも見逃せない。

 本音を言うなら木々が茂った広場ににょっと立って遠目にその上半身がのぞく風景の方が、高さが分かって面白かったお台場の等身大ガンダムで、静岡での展示を経てお台場に戻ってきた時にダイバーシティお台場という建物の前に置かれてしまって、その屋根より低い姿にあんまり偉容を覚えず建物の部分に成り下がってしまっていた感も浮かんでいた。それだけに今回、ダイバーシティ前での等身大ガンダムの展示が来年3月で終わるという話に、機会としては悪くないと思いつつそれならいったいどこに移設すればベストなのか、そもそも移設があり得るのかと考えていたりするけれど、今のところ次の設置場所は明らかにされていないし、設置されるかどうかも不明なので今後の報を待ちたいところ。

 そこが設置場所として相応しいかどうかといった個人的な思いは別として、終の棲家を得たものとも思っていただけに、どうして移設なのかも気になるなあ。2020年の東京オリンピックの時にあそこにあれば世界だって驚かせられるのに。いっそだったら新しく作られる国立競技場の前へと持っていっては日本が世界に誇る巨大ロボット技術だと行って見せつけ、日本に侵略するとかいったよこしまな気持ちを海外に抱かせないようにするとかいった使い方をすれば良いのに。それとも次には動いて歩いて飛ぶガンダムをダイバーシティ前に設置する予定があるのかなあ。それならそれで期待したい。ボールとかジムとか置くのだけは勘弁して。

 戦記物との年代記とも言えそうな設定ならば、文体は大仰で叙情的で盛り上がりがあって感情の爆発もあってといった所になるのが、そこはどこかズラした視点から、成り行きを淡淡と描くことを続けてきた感じがある芝村裕吏さん。「黒剣のクロニカ01」(星海社FICTIONS、1300円)はコフという都市国家があってそこを支配する黒剣の一族の長男にトウメスという男がいて、怪力を持ち牛の精霊めいたものをまとって戦場でとてつもない戦いぶりをみせる。そんな黒剣の家に3男として奴隷の母親から生まれたのが主人公のフラン。貴族でありながら奴隷という複雑な境遇で、トウメスによってそれこそ奴隷のように使われている。

 そんなフランにトウメスから指令が。隣の都市ヤニアを支配する小百合家の娘をトウメスが嫁にもらいたいと言っていて、その使者としてフランが派遣される。赴いてフランは人馬の姿となっている姉のイルケと人形を操る力を持った妹のイルドネーと出会うけれど、そんな2人がトウメスではなくフランを婿に迎えたいといったことから話は急展開。これはトウメスに殺されると感じたフランは都市を逃げ出しヤニアへと言ってはイルケとイルドネーを連れて逃げだそうとしたものの、それはかなわずやってくるトウメスを迎え撃つことになる。さぞや派手な戦いが繰り広げらるかと思いきや、戦闘描写はトウメスが力を振るって蹴散らす場面と、それを迎え撃って槍を投げて倒そうとするといった感じ。淡淡としつつ一騎打ちにも似た雰囲気が繰り広げられる。

 というか、そんな場面に臨むフランが素っ裸というのが不思議なところ。ペニスの皮を結んでみせるくらいで裸で向かい合って戦うところに宗教的な意味はないようで、物資の問題から裸で戦うことが習いとなているといった感じらしい。そうした文化レベルの設定も不思議なら、説明もそれほどなしに水鏡をのぞくことによって異能が得られるといった設定が、とくに神様の類を絡まずポンとあたりまえのように提示されるところも不思議。イルケもそうやって鏡をのぞいたら人馬になってしまったという。ちなみにフランは水鏡をのぞいていなくて異能はなく、それで牛の怪力を持ったトウメスを迎え撃たなくてはならないところが大変だけれど、そこを知略で乗り切るところが読みどころ。そうやって終えた戦いの果てに、謀略が成功していたのを聞いてぽかんとするところも、情動より情景の描写を尊ぶ芝村裕吏さんらしい。「マージナル・オペレーション」にも似た乾いた雰囲気の読み心地を持った戦記であり年代記。次はどんな派手な戦いが淡淡と描かれていくのか。筆致に注目。


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