縮刷版2016年11月下旬号


【11月30日】 クラウドファンディングの開始初日に日記に、「クラウドファンディングをひとつの話題にして多くにアピールしなくちゃいけない事情」と書いているから、僕はそれが直接的な制作資金を集めることよりは、こういう作品に大勢がお金を寄せることを世間に示す意味を持っていたことを知ってた感じ。だから映画「この世界の片隅に」でプロデューサーを務めたGENCOの真木太郎さんが、東洋経済オンラインで「映画『この世界の片隅に』製作プロセスの秘密 クラウドファンディングの『実態』」というタイトルのインタビューに答えて、クラウドファンディングの目的を「パブリシティ」と言っていたのも、そうだったよねえと受け止めた。

 これに対してインタビュアーの斉藤守彦さんから「ビジネス戦略的な意味では理解できるものの、では片渕監督のファンとして、資金を提供した立場からはどう映るだろうかという疑問もある」と書かれてしまっていても、そうは感じなかったなあと思ったというか。あとは、それが直接的な制作資金ではなく、パイロットフィルムを作ってスポンサーにプレゼンテーションするという目的を持っていたことも、募集時にしっかりと理解していて何か記念品がもらえるといったリターンは期待していなかった。だからすずさんからのはがきが届いたり、報告会が開かれたりしたことの方が驚きだったくらいで、クラウドファンディングは資金調達の新しいルートであって、こいう使い方はちょっとあんまりじゃないのといった意見には与しない。

 もちろんスタートアップ企業なんかの場合、そういう気持ちを抱いて当然だけれど、金額が張るエンターテインメントコンテンツの場合は、すべてをクラウドファンディングでまかなうなんてまず無理で、マーケティングでありパブリシティの方法として使って、それが実際のコンテンツでありプロダクトの登場に繋がるんなら、ファンとして嬉しいといったあたりに留めて支援するのが、心理的にも楽だし未来に希望も持てるんじゃなかろーか。「この世界の片隅に」のクラウドファンディングに参加した人は、たぶんそういう意識の持ち主だと思うけれども、果たして。

 そんな「この世界の片隅に」を、映画評論界の重鎮にして関西芸能界の超大物、浜村淳さんがラジオで語ってくれて嬉しいこと嬉しいこと。「ありがとう浜村淳です」という毎日放送のラジオ番組の中で、お便りがあって「この世界の片隅に」を見たかどうかを問われて浜村さん、番組のディレクターが隣でやってる劇場に3回も4回も行ったけれども満席で見られなかったという話を枕にフリながら、自分は見ているといって片渕須直さんが監督脚本を手がけ「何としてでも映画にしたいがお金がない。大手の映画会社が乗ってくれないので一般の皆さんに制作費を募集したんです。3000万円以上が集まった」とクラウドファンディングのことからまず話して、この映画がいろいろと苦労の上に作られたものであることを聴取者に印象づけた。

 浪花節で判官贔屓のこの国で、こうした紹介はビビッと来る人も多そう。そして「非常によい出来です」と作品について触れながら、「すずさんという18歳の少女が居て、絵がものすごい綺麗で、18歳でまだ気持ちも決められないうちに、昭和19年2月に広島県の呉へお嫁に行ったんです。相手は海軍の軍人のひとりで、戦艦大和が建設中だったそうです」と、微妙に外しながらもだいたいのことは抑えつつ話していった浜村さん。「見知らぬ土地で男性の親も小姑も姑も一緒暮らしで、すずさんは懸命に尽くして洗濯炊事掃除をするんです。共同の井戸へ行って水くみも。朝の4時5時から1日が始まるんです」と言って、似たような苦労をしただろう年配の女性の気持ちをくすぐってみせる。

 「夫の姉、小姑が子供を連れて出戻りをして嫁としてやりにくい」とか「食料のない頃は工夫としてねえ、ええ嫁さんです」といったコメントは、浜村さんのリスナーに多そうな、年配で身に覚えのある人には響くだろう。なおかつ「すずちゃんの声はのんさんです、知ってます? 能年玲奈。監督が『あまちゃん』で声に惚れ込んですずちゃんんの声をやってと引っ張り出したんですよ」とまで話していたから、そっちのファンにも響きそう。しかし詳しいなあ、浜村さん。いろいろと勉強したか教えてもらったかしたんだろう。

 「遊郭に迷い込んで遊女と語り合って辛い境遇を知ったり。物のない時代です。食料を工夫しながら家族が喜んで食べられるようにしたり。着る物がないから洋服を直したりして。良い嫁です」。やっぱり詳しい。そして浜村さんの真骨頂、ラストシーンまで話してしまう必殺ネタばらしが出るかと思ったらそうでもなく、「昭和20年3月、空が見えないほどアメリカの飛行機がドカンドカンドカンと爆弾を落とします。ラストシーンに迎えるのが8月6日。広島に原爆が落とされた日です。すずちゃんの運命はどうなったか?」。ここで寸止めして語らないというか、これも微妙に外しながらも関心を誘う言葉でしめるあたりに浜村さんのこの映画への愛情が窺える。

 「ロフトの地下にある映画館、何回行っても満杯になるほど感動の作品です。絵がリアルで美しい。すずちゃんの姿がいじらしいほど可愛らしい。良く出来た若い嫁ですねえ、見て感動の涙が止まらないくらいです。いつまでやっているか確かめていませんが、ご覧ください。戦争というものについて改めて考えさせられます」。これを聞いて観に行かない大人はいないだろう。番組を聴いて、かつて「2時のワイドショー」で聞いていた映画の解説の時とは違って、声にも年齢が重なっていたけれど、こと映画の解説になると立て板に水の浜村節が蘇って来た。本当に映画がお好きなんだなあ。そんな人に認められた映画。行くしかないし、見るしかない。

 ASKAの覚醒剤使用容疑での逮捕に絡んでタクシー会社がドライブレコーダーに記録されたASKAとのやりとりをテレビ局に出したといってプライバシーを侵害するものと問題になっていいたけれど、当該のタクシー会社なり車両を配下に持つチェッカーキャブがお詫びをしていて、厳罰に処すとまでいってそっちはそっちで対応を待ちたいところ。ただ問題はそうしたタクシー会社の無茶に止まらず、明らかに違法性がありプライバシー的に問題があると認められる映像を、それでも使って放送したテレビ局側にもあることは明白で、それに対する釈明なり見解が未だ発せられていないことが気に掛かる。

dc2  たとえそれで視聴率が取れるからといって、違法性があるものを流すのは拙いと分かりそうなものだし、それが違法性があると感じたら、相手が持ち込んで来たなら諭してつっかすなり通報すれば良いし、それで相手が気づいて引っ込めれば問題そのものが起こらなかったとも言える。けれども受け取ったか、あるいは頼んで出させたかしたテレビ局が知らん顔して逃げるなら、それはそれはメディアとしての自殺に近い所業だろう。ちょっと前にも川を遡る津波を橋の上からとらえた写真を提供されて掲載した新聞があったけど、それも違法ではないけれど、危険性の高い写真を認めて使って危険行為を結果として容認してしまった。犯罪なり危険なりが金になる、あるいは承認欲求を満たすと感じて世間が暴走するのをテレビや新聞が止めるどころか煽る時代。拙いと思うんだけれど、そういう拙さを自覚している節がないのがなおのこと拙い。困ったなあ。

 ありゃーってな時のすずさんの顔真似をしていた町山智浩さんを片渕須直監督が見守っていたのが印象的だったテアトル新宿での「この世界の片隅に」でのトークイベント。町山さんが片渕作品大好きモードに入って、「この世界の片隅に」を4度目に見て気づいたことをあれやこれや挙げて聞きただしていきつつ過去の「マイマイ新子と千年の魔法」や「アリーテ姫」との関連性、たとえば少女が閉じ込められているところから出て行くところとか草花とか鳥とかいった“小道具”めいたものの共通性を挙げ、片渕監督の創作に連なる思いというかスタンスみたいなものを浮かび上がらせていったといった感じ。すずさんが指でなぞっていた天井が、最後の方で焼夷弾を避けるために剥がされていたのに気づいたことを嬉しそうに語っていたのが面白かった。

 でも基本は町山さんが聞きたいことを聞きまくったという雰囲気。個人的には町山さんの知見でこの作品がアメリカでどう受け入れられるかを聞いてみたかったけれど、片渕さんをメインにしたトークなだけにそこは片渕さんがあの戦争から70年が経って誰が被害者かどうかといったことではなく共通に感じるところがあるんじゃないかといった話をするに止まった。機会があれば過去の日本の戦争を扱った作品と今回の作品との違い、そしてアメリカでどう受け止められるかといった予想を町山さんに聞いてみたいところでありました。

 1点、町山さん気になっていた太極旗が揚がる場面の改変で、りすずさんが“外来”の食糧から暴力の存在をつぶやく映画「この世界の片隅に」の流れは漫画とは違ってて、それは日常で民族に関する意識をすずさんが見せてないならそこで急に言うのは違うといった考えから、家事を通して感じていた“搾取”を改めて意識したと、そんなことらしい。調べて調べ尽くして気になれば了解を得て直していった果て、世界がリアルさを持って立ちあがりそこに息づいていた人々の姿が見えてくる。何度見ても見飽きることのない映画ってのも、そこに理由があるのかも。また行こう。


【11月29日】 6位だよ6位。前週が10位でその前の公開初週と同じ位置にいたことだけでも100館に満たないスクリーン数で公開された、テレビ局とかに派手な宣伝をしてもらえない映画として異例中の異例だったのに、それが3週目にして週末の動員数で6位まで上がってスクリーン数も増えているのは映画興行の世界的に異例も異例。普通は2週目3週目と落ちていくもので、そんな中で9週連続1位を取り、1週譲ったもののそこから3週1位を続けてそして2位に落ちたものの、まだまだ上にいそうな「君の名は。」も驚異だけれど、「この世界の片隅に」のランクアップはそれを上回る驚異だって言えるし、ほとんど奇跡の領域にまで達していると言っても言いすぎじゃない。

 おまけにさらに館数は増えていく感じで、3億円を突破した興行収入も5億円は見えて来たところだけれど、さすがに1カ月経つと通常の封切り館はだんだんと年末のプログラムへと入れ替え、名画座的な場所へと上映が移って館数は維持できても観客席の数だとか、1日の上映回数は減っていく可能性がなくもない。情報が広まり賞レースにも名が上がってきたところですでに上映が絞られているのが1番残念な結果を招くんで、ここは大きなシネマコンプレックスが1つ2つスクリーンを割り当てて朝昼晩とちゃんと上映を維持してくれれば10億円の大台にだって乗っていくんだけれども果たして。とりあえず銀座・有楽町の老舗、丸の内東映がスクリーンを明けてくれるのが有り難い。岡田裕介さんが観て感動でもしたのかな。ティ・ジョイともども応援よろしく。本当はバルト9でもやって欲しいんだけれどなあ。

 これでさらにしばらく「On Your Mark」のブルーレイディスクの正式発売はないんだろうなあ、といった思いがまずは浮かんだASUKAの覚醒剤使用容疑による再逮捕。当人はやってないって主張しているけれども周辺の状況を鑑みるに再犯の可能性は高く執行猶予は取り消された上に次の刑期も乗って4年とか5年は刑務所に入ったままになりそう。その間はCDも出せそうもないし音楽ビデオもやっぱり無理そう。宮崎駿監督作品のボックスを買って特典としてもらったから良いと言えば良いんだけれど、そういう形ではなく大勢の人に観てもらいたい作品が埋もれてしまうのはやっぱり寂しい。人は人、罪は罪、作品は作品といった切り分けが出来ないものかなあ、この世界。

 築地から豊洲への市場移転を塩漬けして、東京五輪のボートや水泳やバレーボールの会場に難癖をつけて工事を進めさせず、ボランティアの衣装に文句を言いそして「&TOKYO」ロゴを変えるとか言い出して小池百合子東京都知事、狭いオセロ盤で白を黒に置き換えてるだけで新しく何か始めたって話がまるで聞こえてこないんだけど、東京都民はそれで良いんだろうかと千葉県民的に思う。というか市場の移転に関してはあまり個人的に影響はないんだけれど、有明アリーナを作る予定が横浜アリーナの使用になるとライブとかに影響は出そうだし、オリンピック後の施設の利用においても有明があればそこでスポーツやライブが楽しめるのが、ないとただでさえ施設が足りない状況がずっと続くことになる。施設前にスペース的な余裕のない横浜アリーナでオリンピック競技なんで土台無理なんだから、さっさと有明に作れば良いのに。ひっくり返す仕草だけが見せ場と思っている節がある小池都知事に自分がリスクを負って決断するなんてこと、出来ないのかなあ。やれやれだ。

 演説の推敲とかだったら日本だって歴代の総理大臣が安岡正篤に支持して助言をも立っていたりするからあって不思議はないんだけれど、その相手が権力をバックに企業を脅して自分の仕事を有利に進めようとして、それに感づいていないならまだしも側近を含めて関わっていたとしたら大統領として失格どころか、犯罪者として摘発されたって不思議はないって状況に、いよいよ覚悟を固めたのか韓国の朴槿恵大統領がテレビで談話を発表して、道筋ができれば早期に退陣することもやむなしといった態度を見せ始めた。誰かが止めさせる訳にもいかない大統領職を解くには弾劾といった手があって、それに向けて国会が動き始めていた。当人の態度も明らかになってこれで一気に進みそう。その場合後任は誰になるんだろう。アメリカで弾劾前に止めたニクソン大統領の後任はフォード副大統領だったけれど、韓国は制度が違いそうだし。それも含めてさらに動静を注視。

 「文豪ストレイドッグス」の朝霧カフカさんってそうか小説も書いているのかと読んだ「ギルドレ(1) 世界最弱の救世主」(講談社BOX、1200円)は、ただ「敵(エネミー)」と呼ばれる存在によって蹂躙された地球にあって精鋭部隊すらあっという間に蹴散らされた作品で、ふっと現れた少年が強大な敵を手にした拳銃だけであっという間に屠ってのけた場面から幕を開け、そしてしばらくたって車の中で目覚めたひとりの少年は記憶を失っていて、そのまま運転していた女性とそして途中で拾った手足が機械化されていた少女とともに移動中、敵に襲われ逃げて逃げてトンネルに入って一安心、そして出ようとした瞬間に襲われ車ごと吹き飛ばされたかと思いきや、まだトンネルの中にあってさあこれから出ようという場面だった。

 時が戻ったのかどうなのか。分からないけれども瞬時にハンドルを操作し敵を交わしたものの襲ってくる敵は兄弟で、どんどんと追い詰められていった時に少年の不思議な能力が発動する。それは……って感じに進んでいったストーリー。とりあえず拠点の街へと入ったものの異能の力を少女もそして少年もどこか異端扱いされていて、まだ幼いうちから電子的にさまざまなものを操るデバイスを移植された少年少女たちから虐げられていた。そこに事件。侵入してきた敵の攻撃に追い詰められ決死の覚悟で戦いを挑んだ果てに少年は勝利するものの、そこに不穏な陰が漂う。少年の顔を見て敵はいったい何を思ったのか。最初に現れ世界を救った救世主はいったいどこにいるのか。手足を機械に替えられた少女は狂戦士化することへの恐れを乗り越えたものの、少年の方にはまだまだ壁が立ちふさがりそう。そんな壁を越えていく展開と、敵の狙いや正体、そして救世主の行方を探る次巻が楽しみ。

 モデルがいたのかエルドゥシュ中尉。地球連邦軍のガンキャノン部隊を率いて月面に降りて亡命しようとするミノフスキー博士の救出に向かったもののランバ・ラルとそして黒い三連星に阻まれシャア・アズナブルも参戦したチームにフルボッコにされてしまうキャラクター。その元ネタはハンガリーから日本へと来てサンライズに入り制作の仕事をしている2年目の下っ端だけれど、あごひげを結んだ特徴的な顔立ちもあって安彦良和総監督に目を付けられ、キャラクターとして登場することになった次第。デザインを手がけたことぶきつかささんにはヘルメットに隠れてしまうあごひげをどうにか見せられないかといった声もかかったそうだけれど、角くらい平気で付けるジオンと違って規律もある連邦軍であごひげ部分が透明になったへるめっとはさすがに作れなかったみたい。誰にも知られずあごひげは退場。いつか実物を見たらこれがそうかと堪能しよう。

 そんなスタッフトークつきの「機動戦士ガンダム THE ORIGIN4 運命の前夜」の上映で、安彦さんがあんまりお好みでないキャラクターをいっぱいデザインしたことぶきつかささんだけれど、漫画版ではムラタというなのザコキャラだったシャアにバイザーを渡すキャラクターをデザインしなおし、存在感を持たせたとか。ただ最初はあそこまで大きな役ではなかったのが、シャアとガルマの横に立って遜色のない佇まいにしようってことでデザインをさらに替え、割と見られる顔にしてそれが日本人ではないから名前もリノ・フェルナンデスになったとか。でも1話で退場。勿体ないけどそれもまたキャラクターデザインの運命ってことで。次の「ルウム編」にも参加するからことぶきつかささんが手がける安彦さん以外のキャラも増えてきそう。せめて美少女を手がけさせてあげたいなあ。


【11月28日】 大暴れしないまま万流礼央子は退場していってしまうんだろうか「ブブキ・ブランキ 星の巨人」。レティシアも命を無くしてロシアチームも含めて大勢の少年少女が死んでいく。それも何か成し遂げたといった感じではなく老人のとてつもなく下らない、純潔の地球人を取り戻すとか言った野望のために。そんな老人の戯れ言に多くのブブキ使いが共鳴して味方したことがまずは信じられないし、あっさりと退場していくことも分からない。

 しばらくぶりの登場となった一希汀もちょっぴり会社員風になったと思ったら、ザンバダとともに自爆エンドっぽい感じ。それで何も成し遂げていない。落としどころが見えないまま行き当たりばったりの闘いを繰り広げている感がまたも漂って来たけれど、それでも扇木乃亜と間絶美がしっかり胸の谷間を維持してくれているから目も止まる。そこを拠り所にしてとりあえず最後まで観ていこう。ちゃんとまとまるかなあ。

 愚直で忠実。だから教えを守って相手の選手からボールを奪えるし、危険な場所に顔を出してピンチをしのいでチャンスを作り出せるんだろうなあ、柄本つくし。そんな「DAYS」は高校選手権の地区大会優勝に向けて挑んだ試合でキャプテンの水樹がいないし華麗な1年生の風間陣もいないしフォワードの要ともいえる大柴喜一もいなくて3本の矢がかけた状態で挑みながらも柄本つくしは読みの鋭さでボールを奪ってはゴール前にも顔を出し、シュートを放ったところで以下次回。何てワクワクさせるんだ。これこそ普通に夕方7時台の放送してサッカーファンを増やせる作品に他ならないんだけれど、そういう時代でもないのはラグビーの熱さを描いた「ALL OUT!」が真夜中なのと同じか。勿体ない話。スポーツ界は無理してでもスポンサーになって夕方に放送してもらえば良いのになあ。

 ようやくやっと株式会社カラー10周年記念展へ。庵野秀明さんも含めた会社要人へのびっちりとしたインタビューが掲載された冊子も込みで500円は安い上に、庵野さんのこれまでをつづったアニメーションが観られたのも良かった。大きなカブをきっと作ってくれるだろう。その心構えが出来たからこそ漫画にしたしアニメーションにもした。そう思う。展示物ではやっぱり目がいく眼帯でプラグスーツ姿のアスカや制服姿のマリのお尻や「日本アニメ(ーター)見本市」で平松偵史さんが監督をした「until You come to me.」に出てきたスカートがめくれるアスカとか胸元がはあけたアスカの原画にばかり目が向かってしまう。ダメだなあ。まあそういうファンも含めての人気な訳だけれど。

 いよいよもってアーカイブ事業も立ちあげたみたいで特撮のプロップやらアニメーションの原画やらが並んでいた。1つのアニメーションスタジオががんばったところで収集にもお金は掛かるし保管にはさらに場所もお金も人手もかかってくる訳で、どういうスキームで今後取り組んでいくのかが気になるところ。政府・自民党あたりが超党派で議員を集めて画策している文化的なアーカイブを作る事業に参画して絡んでいくのかな。そこに明治大学とかも乗っかればなお良し。KADOKAWAが所沢に作っているのはどうなるなろう。いつかのメディア芸術総合センター構想が潰された時と比べてマインドはガラリと変わったけれど、今度は船頭になりたい人が多く現れ引っ張り合いになって頓挫なんてことにならないよう、調整と妥協とリーダーシップを望みたい。庵野さんに任せとけ? いや庵野さんには「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を作ってもらうのがまずは先で。

 島根県だよ島根県。人間よりも神様の方が11月に限らなくても多く住んでいそうなその土地の、山奥にあってダムに沈んだような場所にどうして5階建てくらいの団地とかビルとかが建ち並んだ街があったりするんだろう。舗装された道とかあって信号機とかも立っていたように見えるそんな開けた場所が、そもそもダムの設置にテキした場所とは思えないしそもそも島根県の山奥に存在するとも思えない。もしかしたら古代出雲文明の遺産か何かか、ティオティワカン級の発見か。そんな思いが浮かんでどうにも消えないけれどもそれがストーリーに直接関係ないのが救いか。

 あるいは東京近郊にあるという神ノ原から島根に向かうというのに在来線に飛び乗って、眠ってしまって終点の駅までたどり着いてはそこから徒歩でとぼとぼ歩いてたどり着けないまま海が見える丘の上にある飯場の宿泊小屋で10歳くらいの少年少女4人がひと晩を明かすことになるとかいった展開に、親の心配はないのかといった不思議が浮かぶしいくらなんでもそういう経路しか選べないものなのかといった疑問も漂う。

 幸いにして超自然的な乗り物がびゅーんと島根県まで運んでくれることになったけれど、それがなければいったいどれだけ時間がかかったかな。なおかつ追っ手もそこで補足できるなら、もっと手前で補足できなかったのかといった疑いにつきまとわれてしまったけれど、それもまあ本筋と関係ないと思えば思えないこともなかったりしなかったりするのでひとまず脇に置いておこう。作画監督がそれこそ両手の指ではきかないレベルで並んでいたように見えたエンドクレジットも含めて月刊ムーか何かに似たレベルの驚異に溢れた作品であることも、ここは忘れて本筋だけを追うとすると。

 「モンスターストライク THE MOVIE はじまりの場所へ」はテレビというメジャーな媒体を使わず、WEBで配信されたアニメーションのシリーズという画期的な成り立ちを持った『モンスターストライク』の物語をひとつの起点にしつつ、そこでいろいろと描かれていた主人公の少年・焔レンがどうして記憶を持っていなかったのかといった部分、あるいは立ちふさがる神倶土春馬の両親をめぐるあれこれがどうして起こったのかといった部分に迫るストーリーとなっている。舞台は過去。スマートフォンのようなデバイスから精霊のようなものを取り出しては戦わせるバトル「モンスト」をプレーしていたレンや水澤葵や若葉皆実、そして影月明たちの前に現れた謎の少女とそれを追う怪人が開いた時のゲートで明が飛ばされ、そして移ったその舞台でまだ小学生のレンは春馬と葵と皆実の3人で廃棄された野球場にある実験室のような場所で「モンスト」というゲームオン開発を任されていた。

 親が開発者の春馬と祖父が開発者らしいレン。その日も研究室に向かったがどこか様子がおかしかった。トイレを我慢できずに飛び出した皆実の前に倒れていた男たち。博物館の奥深くに捉えられていたドラゴン。その背後で蠢いていた世界を支配しようとする謀略を阻止しようとしたレンや春馬、葵、皆実たちはそのまま巻き込まれるようにしてドラゴンを元の世界へ返す任務を負い、遠く島根県を目指すおとになる。なぜ島根県なんだろう。もしかしたらWeb版のシリーズに説明があるかしれないけれど、そういうものだと思えばそれで良い。なぜ鳥取じゃないかも含めて。

 そんな子供たちによるある種のロードムービー的に進んでいくストーリー。自分こそがと先に行き、危険を指摘されても聞き入れず弱虫めと煽って突出しては危険を引き込み仲間を危険にさらしてなお、反省できないで強気を貫くレンという子供のガキっぷりにムカっぱらも立つけれど、子供ってそういうものだととりあえず思い、そしてちゃんとそうなってしまった理由の説明があり、仲間との和解もあるからラストは気にしないで劇場を後にできる。

 激しい闘いが残した後遺症めいたものが、WEB版で大きな伏線になっている。既に観ている人はそれを確認し、未見に人はこれから観ていく上でそうだと理解できる。そんな位置づけの映画だと言えるかもしれない。WEB版を見て来た人はとりあえず観て悪いものではないだろう。小学生女子がおしっこを我慢し続ける姿を眺める趣味のある人も。ところで皆実はちゃんとトイレに行けたんだろうか。それが心配。大いに心配。プロデューサーを務めた里見哲朗さんの胃に穴は空いてないだろうかも含めて。


【11月27日】 5000億点とはまたライムスター宇多丸さん、大盤振る舞いをしたものだけれどそれを言っちゃって大げさと誰も思わないくらいに今、片渕須直監督の「この世界の片隅に」を語る言葉、褒める点数に不足こそあっても多すぎるということはない感じ。インフレーションでも何でもなく、例える言葉が見つからないから5点が上限ならそれの最高点をキネマ旬報なんかではつけ、100点満点を旨としているなら岡田斗司夫さんはその100点満点を持ってきた。上限がなければ無限とでも言いたいところだったかもしれないけれど、それはさすがに何も言ってないに等しくなるので出せる最高あたりを出して5000億点となったんだろう、宇多丸さん。いずれにしても凄い話。

 だったら「マイマイ新子と千年の魔法」は何点か、ってところで4978億2846万6133点くらいつけても良いような気がするし、人によってゃ5000億2万409点あたりにしてくるかもしれにあ。つまりはそれだけ拮抗している面白さがあるってことで、「この世界の片隅に」のヒットを受けてそっちを見返す人が増えてくれたら誰もメディアの来ていない中を東京ミッドタウンで開かれた、サウンドトラックで歌を歌っているMinako“mooki”Obataさんのイベントを観に行った人間として思うのだった。あの時にこれくらいの評判があれば。

 あるいはいっそ、片渕須直監督作品にまつわる音楽祭でも開いてコトリンゴさんが歌い村井清秀さんの伴奏でMinako“mooki”Obataさんが歌っても良いかも。続くのがMELLさんで「Red Reflecton」 …だと殺伐とし過ぎるか。それならMinako“mooki”Obataさんが歌う「The World of midnight」をラストにして、アンコールに「アリーテ姫」からエンディング曲となっている大貫妙子さんの「金色の翼」を。これなら綺麗にしんみりと終われそう。誰か企画、しないかなあ。

 そうそう「この世界の片隅に」に満点を付けている町山智浩さんが片渕須直監督と対談する上映があるってんでテアトル新宿の予約サイトにアクセスしたけと繋がらない。時々座席を選ぶところまでは行くんだけれど、そこから先、個人情報を入れて決済しようとしたらそっちの画面に行く前に真っ白になってしまう。ひどいと購入のためのサイトを示すポップアップが真っ白になって何も出てこなかったりして、そうこうしているうちに時折見える座席選びの表がどんどんと埋まってしまってもうこれはダメかもしれないと諦めかけるものの、1時間が経ち2時間がたってもいっこうに完売とはならずずっと埋まらない座席表が出続ける上に、前は埋まっていた席が開放されていたりする。

 想像するならまずは座席を確保して、そこから個人情報を入れて決済のサイトへと向かう途中で阻まれて、そうこうしているうちに取った席が開放されてしまってまた現れてくるといったところ。もっともそれを抑えて決済しようとすると、今度は自分が繋がらなかったりするから苛立ちも募る。午前3時を回ってもうこれは無理かなあ、なんて思っていた3時15分過ぎになぜかすすっとアクセスができて、個人情報の入力から決済まで画スムースに行って座席が確保できてしまった。その瞬間に同じような状態になって購入できた人が確認できただけでも結構いるみたい。がんばったご褒美に神様が瞬間、ワームホールでも明けてくれたのかもしれない。ともあれ席はとれたんで、あとは万難を排して仕事も早く終わらせてテアトル新宿へと駆けつけるだけ。見るのは5度目か。もう泣かない? やっぱり泣くかなあ。

 さすがにこれはダメだろうというか、ビジネスだったら失格の烙印を押されトバされたって不思議はないようなヤラカシを、一国の総理大臣がやってしまっていてそして指摘されまくっているのにいっこうに改善しようとしないところにこの国の知性の劣化とそして危機管理の甘さって奴が浮かんで来る。キューバのカストロ元議長が死去した件について官邸とそして安倍晋三総理大臣のFacebookが追悼のコメントを出しているんだけれど、その文章に「日本政府を代表して、キューバ共和国政府及び同国国民、並びに御遺族の皆様に対し、ご冥福をお祈りします」という一文が。

 まずは「ご冥福」という言葉は宗教観の違いもあって死後の世界での幸福を祈って良いか良くないかを考えて、使うのを選ぶというのが普通の考え。増しては相手は外国の要人で、もっとシンプルに悼むといった言葉で良い物を敢えて使って墓穴を掘っている。それはまだ救いようがるけれど、そんな「ご冥福を祈る」、すなわち冥途での幸福を祈っているぜっていう言葉は、泣くなって旅立たれた人に対してのみ使う言葉であって、遺族だの残された国民に使って良い言葉では絶対にない。だって存命の遺族なり国民にお前ら死んで幸せになりなって言っているに等しいことばあから。

 ビジネスの世界でもだから、ご冥福という言葉は亡くなった人にのみ、使って良いと言われているのにそうした知識をまるで持たずに使ってなおかつ、指摘されても直そうとしない。おそらくは秘書官か誰かが書いて官邸と総理個人のFacebookに掲出したんだろうけれど、官邸名ならまだ誰か他に書いたと言い訳できても総理個人名では総理が書いたとしか捉えようがない。SNSだからってそれが開放され官邸なり総理の名で発信されているなら公のもの。そこで決定的な間違いを犯す愚も愚なら、いっこうに改めようとしない体たらくも体たらく。普通だったらやり玉に挙げられるべきところを、アレな総理だからしゃあなしだ、なんてハードルが下がりきったところでスルーされてしまい、また傷口をえぐって嫌われてはかなわんと遠慮が蔓延するメディア的空間で、これも触れられず問題にもされないで通り過ぎていくんだろう。なんで国になってしまったんだろう。

 さても大阪☆春夏秋冬が来るってんでMOSHI MOSHI NIPPON FESTIVAL2016 in TOKYOを見物に東京体育館へ。牛タンつくねを食べて牛モツ入りラーメンを食べて腹ごしらえをしてから、まずは外のステージでニーコさんのDJを聞いてアニソンに浸ってから、中に入ってしばらくして始まったTEMPURA KIDZによるパフォーマンスを見物。相変わらずキレキレのダンスを見せてくれるし、歌うだいたい2人も巧い。前はライブハウスとかライブ&イベント産業展のデモンストレーションといった狭い場所で見たけれど、大きなステージの上でもしっかり踊って歌って煽ってと、会場に負けないパワーを見せてくれた。こりゃあフェスで話題をかっさらうグループだ。海外でも。もっと大受けしないかなあ。

 そして外に出たらやのあんなさんが歌っていて、前にこれもライブ&イベント産業展で見た時と似たセットリストを聞かせてくれた。とっても良かった。「Darling Darling」とかほんわかとしてクラップする場所もあってミディアムテンポだけれどのれる歌なんでもっと知られると良いと思うんだけれど。アニメ好きだしそっちの活動もしているんだけれどアソビシステムだとそっちとのリンクがとれているようでズレているようでもあるんでもっとアニメな人にも存在が知られる仕事をして欲しいかなあ、主題歌とか。そしてキュピトロン。テクノな3人組だとPerfumeが思い浮かぶけど、よりアイドルよりで衣装もそんな感じで何より可愛い。スタイルも良い。グングンと来るだろうと勝手に予想。「銀河鉄道999」の劇場版主題歌を歌っているんだから悪い訳ないよね。うん。

 そんなこんなで大阪☆春夏秋冬。やっぱり熱いなあ。去年の同じイベントで見た時にそのパワフルなボーカルと激しいダンスに驚いて、渋谷で行われたアイドルネッサンスとのツーマンを観に行ったくらい。それからしばらく離れていたけど1年ぶりの東京体育館登場という訳で駆けつけ屋外の雨降りしきる中でステージを見る。はっぱりパワフル。そしてちょっとだけセクシーにもなったかな、とりわけ次にでるシングルってのが色っぽくってオトナの雰囲気って奴を感じさせた。でもやっぱり代表曲めいた「Let you fly」が始まるとみんなノリノリでジャンプありの声出しありのヘドバンありので観客席が盛り上がる。雨とか気にせず待ち続けた気持ちを爆発させつつ暴れないその熱量が寒さなんて吹き飛ばす。楽しい。そして嬉しい。そんな気持ちを味わいにまたライブ、観に行こうかな。次はどこでやるんだろう。調べとこ。


【11月26日】 これはあらゆる人たちに対する遺言だよなあ。「ハイキュー!! 烏野高校vs白鳥沢学園高校」の宮城県代表を決める試合の第5セット、もう後が無い状態に追い込まれた烏野の選手たちに向かって烏養コーチがかけたというか、叫んだ言葉が「下を向くんじゃねぇぇぇ! バレーは常に上を向くスポーツだ!!」 。上から来るボールを見極め上へと返してさえいれば絶対に勝てるスポーツ。逆に下を向いたらもうそこで終わってしまうスポーツの勝負において抜群の言葉であると同時に、人生においてもそんな心構えをずっと持ち続けていたいと思わせる。

 そんな言葉を発して烏養コーチを演じた田中一成さんは逝ってしまった。次からは代役が立たれるからまさしく放送上で最後の言葉。聞いて選手が鼓舞するのは物語上の話だけれど、思い出して演じた声優さんたちも、聞いた僕たちもずっと上を向いて高みをめたかっただろう役者としての田中一成さんが、そこで下を向かざるを得なかったことに気を新たにして下に向いていた視線を前へ向け上へと向けて歩み出そう。そう思った。そんなところに帰還した眼鏡くん、月島蛍。執拗な読みと諦めないブロックでもって白鳥沢の牛若こと牛島の前に立ち続け、破られても屈しなかったその態度が試合の流れを烏野へと引きつけた。影山と日向だけでない主役たち。その活躍の融合が観られるのがやっぱりスポーツアニメの面白さだよなあ。「ALL OUT」も「DAYS」も。「競女!!!!!!!!」は……ちょっと違う。

 玉音放送の後にぽこっと上がる太極旗が、長かった戦争が終わって支配されていた朝鮮半島にルーツを持つ人たちがこれで自分たちを取り戻せるといった思いを形にしたものだろうってことはたぶん、想像もつく話であってそれをもって政治的というならなるほど、大日本帝国における植民地支配の状況を思い起こさせるという意味では政治的ではあるけれど、でもそういう状況が実際にあってそして解放されたと感じた人がいたんだろうという過去への洞察もあったとしたならそれは歴史的な情景の描写に過ぎないともいえる。知識と推察がどうにでも判断を右にも左にも振るだけでそこに政治的な意図を見たいと思えば見られるし、見たくないと感じれば見ないで済む。ただ事実は事実。それだけは噛みしめておかないといけない。旗は揚がった。併合した過去はあった。それにいろいろ思う人はいた。そんな事実に。

 そしてデザインフェスタVOL.44へ。これでも30回以上は通っているけどだんだんと人が増えて行列が出来るサークルも見られるようになって知名度は上がってきている様子。テレビ局の取材も入って入り口で入場を待ち構えるテレビカメラなんてのもあったし、有名人なんかも出てくればコミックマーケットじゃないけれど、これからのクリエイターが生まれて来る場として注目を集めてそして実際に有名になっていく人も出てくるんだろう。ってことは10数年前にも思っていたけど、知らずビジネスの分野に出て行っている人はいても、デザフェス出身を看板に掲げている人はあんまりいないのは、まだそれが看板になるほど知られているってことでもないのと、大きいところで活躍するよりデザフェスを主戦場にしてこぢんまりとしながら、自分のクリエーティブを世に問うている人が多いから、なのかもしれない。

 そんな中でも着実にビジネスに広がっている感じの「もにまるず」は元々は武蔵野美術大学の中で競い合っていた作品として登場したものが発端で、それがデザインフェスタに出て参考品みたいに売り始めてから幾年月、ファンも増えて呉区ションする人も出てきた感じでデザインフェスタではちょっとした人気スペースになっている。今回はちょっと派手目な色をした「もにまるず」が登場。でもちゃんとさわるとぷにぷにしている。干支を意識したものもあったりしてビジネス面も意識している感じ。聞くといろいろなキャラクターとのコラボレーションもあったとか。土台となる素材さえあればキャラクター展開、いろいろと可能だもんなあ。そんな成功を見るとデザフェスもまだまだ掘れるイベントなのかもしれない。

 女子高生と世界遺産とを結びつける、意味不明だけれどよく分かるキャラクターを打ち出しているバラ色のクマタローさんのブースへと行って新作を見物。兵馬俑坑にティオティワカンにストーンヘンジがあってあとモスクワにある聖ワシリイ大聖堂がやっぱり女子高生と組み合わさって登場していた。今回は特徴的なロゴだった「リボン色の世界遺産」という文字を廃してキャラクターだけにしたようで、それだけ組み合わせのミスマッチなマッチングぶりが際立つ感じになっていた。バックが黒ってのもあってこれもキャラクターが良く目立つ。いろいろと試行錯誤している感じ。でもそんな中で最高だったのがあらゆる女子高生をフルグラフィックでプリントしたTシャツ。遠目にはヘリンボーンかドットかといった感じに見えるシャツの近くに寄ってみると女子高生。最高なんだけれど着ていく場所があるかどうか。それが問題なんだよなあ、格好良すぎるTシャツって。

 そんなデザインフェスタで見てこれはと思ったのが台湾から来ていたシャウリーさんという人によるイラストレーションで、描かれているのはバラ色のクマタローさんみたいな女の子たちなんだけれど、どれも民族衣装っぽいのを着ていてちょっぴりエスニック。聞くと台湾の少数民族の衣装だそうで、それを女の子っぽくアレンジして着せているとか。だからちょっぴり露出は激しくそんな格好なんてしないと言われそうだけれど、でも可愛らしさって部分はちゃんとでていて目にとまる。あとキャラクターが日本人のイラストレーターでも描きそうな感じで見ていて違和感がない。色もビビッドで背景なんかもおそらくは地元の意匠が使われていそう。エスニックで最先端の。そんな組み合わせから日本の台湾への関心を向けさせるキーとして、使って行けそうな気がしたけれど、どこか取り上げるところはでるかなあ。

 キューバ革命を起こしたフィデル・カストロ死去。20世紀を革命の世紀を例えるならばロシア革命を成し遂げたレーニンがいて、そして中国共産党による革命を成し遂げた毛沢東がいてその両巨頭の後を追うくらいには存在感があったけれども、大西洋に浮かぶ島ひとつを革命したって意味合いを歴史の上でどうとらえるか、ってなるとそこはやっぱり評価が分かれそう。アメリカの大国主義に挑んでのど元に合口を突きつける役割を果たしたとも言えるし、一方でロシア革命の余波みたいなものを享受して存在が保たれたとも言える。ただあの近さで再度、アメリカに支配を許さなかったあたりに続く南米での解放を呼んだ原因があるとするなら、やっぱり偉大な指導者であり革命家だったんだろう。謹んで合掌。1926年生まれは「この世界の片隅に」のすずさんより1歳下か。なんだ若いじゃん。


【11月25日】 そして気がつくと我らがジェフユナイテッド市原・千葉の監督が、スペイン人のファン・エスナイデルって人になっててまだリーグ優勝が決定した訳ではなく、天皇杯もこれから始まるといった具合に今シーズンが終わっていない状況で、来季の監督が決まるなんていったいジェフ千葉、悪い物でも拾って食べたのかって驚いたり慌てたり。まあ普通のチームにとっては当然のことでも、このチームに限ってはあり得ないことだったからなあ。でも現実として早く決まるのは有り難い。

 国籍はスペインでも代表歴はアルゼンチンで出身も。スペインの血を引くということで渡航し国籍もそっちに映したといった感じか。レアルだとかユーベだとかリーベルだとか、経歴は華やかでも現役としての記憶がほとんどないから大活躍したスター選手って訳でもなかったのかな。まあそんな時代のスターってサビチェビッチだったりデルピエロだったりバッジョだったりロマーリオだったりといったビッグ過ぎるネームしか覚えてないから仕方がない。監督経験はスペインリーグの1部と2部だからJ2なんて来てくれるのは有り難い方だろう。あとは手腕。そして何より選手層。どういじってくるかなあ。佐藤寿人選手は来てもらえなかったのかなあ。

 日刊スポーツ映画大賞のノミネート作品が発表になったけれども「この世界の片隅に」は見当たらず。公開時期が11月19日と1週間遅い「聖の青春」でもノミネートされているってことは期間外ではなく、そして「君の名は。」もちゃんと入っているからアニメーション作品が除外される訳でもない。それでも入らないというこの現状をどう思えば良いのか。それが広い意味での芸能界とも言える日本の映画界とそして芸能マスコミという奴なのか。だとしたらとっとと壊れてしまって欲しいなあ。せっかく「シン・ゴジラ」と「君の名は。」が入ってもこれでは須直に、じゃなかった素直に喜べないよ。

 この様子だと報知映画大賞とか毎日映画コンクールなんかもちょっと厳しいかもしれない。エントリー制なのか選考があってのノミネートなのか、場合によっては違うけれどもどっちにしたって最終的には誰かが選んで作品を絞る。その家庭でザ・芸能界が働いたらやっぱり来ないだろうと思えるけれど、そういう壁を突破できるのが誰でも投票可能なファン投票って奴で、毎日映画コンクールでもTSUTAYAとフィルマークが絡んで「あなたの投票で決定! TSUTAYA×Filmarks映画ファン賞2016」なんてものをやっている。候補作があるわけじゃなく期間内に公開された映画なら何でもオッケー。それならと早速「この世界の片隅に」を推しておく。他にも同じ声が集まればあるいはザ・芸能界の風に逆らう偉業を成し遂げられるかも。がんばろう。

 そうした方面からの黙殺はもは風景として消化する一方で、新聞の方ではのんさんのインタビューが朝日新聞の夕刊に載り、そして「この世界の片隅に」を応援する有名人のコメントがびっしりと掲載された全面広告が毎日新聞の夕刊に出て読者の方にはしっかりと伝わっていきそう。今もなお新聞を読んでいる年配層にはこうしたアピールが覿面に効くみたい。時間もあて昼間から出かけられる年配者が映画館に足を運んで満席にしてくれればやがて劇場も回数を増やして夕方からの客も受け入れそして館数も広がって興行収入も上がるだろう。2週目3週目と落ちていくのが常の映画界にあって逆に増えていくという“事件”が現在発生中。それを見過ごす民放キー局の愚劣を横目で小馬鹿にしつつ、観たい人が観にいってくれている状況を喜びそして、なおいっそうの拡大を期待しよう。

 なぜか毎週ちゃんと観ている「ALL OUT!」は籠コーチが顧問の所に出向いてあれやこれやとお願い。私が顧問だからと言って怒るかと思ったら冷笑混じりにどうせといった態度でそれはそれで鬱陶しさはないものの、やっぱりもうちょっと働いて欲しいってことでし合いを見せたらあんまりうまくいってない。相手の東道大相模高校は籠コーチの教え子らしい人間がコーチをやってて、それが人が良さそうに見えてラフプレーぎりぎりのところを教えるなかなかの策士。心理的な攻撃もさせては神奈川高校の選手たちを肉体的、精神的に停滞させる。そのまま沈んで顧問も見放すか、って分水嶺にあるけれど、そこから元気はつらつ祇園あたりが張り切って、ヤンキーだけれどラグビー莫迦の江文も立ちあがって神奈川高校を引っ張り相手を本気にさせて顧問にもやる気を出させるんだろう。そんな復活劇を楽しみにしつつ来週を待とう。

 今日も今日とて「もしもしにっぽんシンポジウム2016」へと出かけていってはバンダイナムコエンターテインメントのパックマンがアソビシステムとかと君でかわいくなるって発表を聞く。その名も「PAC−STORE」はパックマンが暮らす世界といったコンセプトでもって、レトロなアメリカといった風情の街を想定して、そこにあるショップを舞台にいろいろなもおを展開していくといった筋書きになっている。中心にいるのがパックマンだけれど、ゲームの世界で迷路を行ったり来たりしながらモンスターと戦っている、といった肝となる部分を今回は捨てて、ひたすらに丸くて黄色いキャラクターとそしてモンスターのビジュアルをどこかレトロにして描いたものとなっている。

 クールというよりキュートな同じ。おまけにパック−リトルにパック−マリーといった弟分やらガールフレンドやらといったキャラクターが加わった3人組になっていて、それらが集団だったり単独だったりで描かれたグッズがあったり、レトロな雰囲気のゲーム筐体を添えてチェリーも並べた感じのテキスタイルがあったりと言った具合に、単純にあの黄色くて丸いキャラクターを配置しただけのものではなくなっている。これならパックマンを知る人だけでなく、知らない人にも雰囲気のある親しみを持てるキャラクターとして受け入れられたりするのかな。アソビシステムの人がやっているからには女の子にキャッチーな要素は入っているんだろう。26日と27日の「MOSHI MOSHI NIPPON FESTIVAL2016 in TOKYO」の会場で売られるみたいなんで、反応をちょっと見てみよう。

 角川三賞の贈賞式があったんで見物に行ったけれども、ホラー小説大賞の優秀賞を獲得した坊木椎哉さんはおらず。腐臭が漂っていそうな世界でありながらもそうした臭いを感じさせないくらい、どこまでもピュアでどこまでも凄烈なボーイ・ミーツ・ガールの物語を紡ぎ出した作家がどんな風体をしているのか観てみたかったけれども仕方が無い。そんな「きみといたい、朽ち果てるまで 〜絶望の街、イタギリにて〜」と同時に集英社からもジャンプホラー小説大賞を受賞して第1作となる「最後のデートをきみと」を刊行。同じイラストレーターを使い表紙や装丁も似たものにして並べるとどっちがどっち、ってほどでななくても関連しているような雰囲気でついついどっちも買ってしまいたくなる。内容的にはやっぱり関係はなさそうだけれど、一方の面白さから想像するならもう一方も面白いに違いない。読んでそして次にいったい何を書くのか、想像しながら待ち望もう。


【11月24日】 お金が集まりすぎてこのままでは月にまで派遣されてしまうのかと思われた片渕須直監督の海外渡航費用を募るクラウドファンディングは、とりあえず上限を決めてそこまでの募集とし、海外での活動をより広げ充実させるとともに報告リポートを分厚くし、なおかつ報告会を全国各地も含めて開いて大勢の人に参加してもらえるようにしたとか。前のクラウドファンディングで途中経過を伝えるイベントを開いた際には会場が割と限られて、来られない人も結構いたんでその反省も含めた開催拡大は判断としてベストかも。怪我の功名というか。

 しかしやっぱり凄かったなあ。クラウドファンディングにお金が集まる勢い。ここまで「この世界の片隅に」というタイトルがバズっているとはちょっと思わなかった。Twitterのワード頻出ランキングでも「君の名は。」を抜いたって話しがあるし、その意味では今もっともトレンディな作品ってことになるんだけれど、相変わらずに民放テレビ局の出足は鈍いというか、まるで見かけないのはやっぱり事情がいろいろあったりするからなんだろう。

 なるほど片渕須直監督が民放テレビ局には出向いても、出演したのはそこが出資しているAbema Primeってネットのテレビだものなあ。地上波じゃない。そりゃあネットの方が拡散はしても、30代40代50代の女性層に届くメディアは民放地上波。そこがまるっとかけた状況で、よくもここまで検討しているものだ。逆にいうならそこにハマればさらにって話。でもそうはいかないところに芸能界にまつわるいろいろと思ってしまう。紅白歌合戦も発表になったけれど、ジャニーズ事務所から6組も出てAKB関連は3組で、それでいっぱいな感じ。

 去年は特別枠で“復活”を果たし、いよいよ本番にもと思われた小林幸子さんはやっぱり出ないし、こちらはヒット曲がないから何ともだけれど日本レコード大賞の金賞には入ったきゃりーぱみゅぱみゅもいない。映画「何者」の主題歌を歌っていてそして中田ヤスタカさんがプロデュースもしている米津玄師さんも出ない。中田さん関連ということでPerfumeは出ても、所属事務所が同じBABYMETALはいない。それが日本のテレビ界における歌の先端。でもリスナーは……。そんな乖離が滅びを招くんだろうなあ。せめて合間の寸劇にコトリンゴさんが出て歌いそれをバックにのんちゃんがすずさんの声をアテレコする「この世界の片隅に」コーナーがあればなあ。

 クラウドファンディングといえば八谷和彦さんが手がけたメールとキャラクターとを結びつけた画期的タイトル「ポストペット」の最新版として「ポストペットVR」ってのが作られることになって、その費用の一部をクラウドファンディングで募っていた。HTC ViveとOculus Rift向けに作られるそうでバーチャル空間に入って手に持ったコントローラーを動かすと眼前に現れるモモに触れられるとかどうとか。それだと単なるバーチャルペットがそばにいるタイトルになってしまうから、きっとメール的な役割もそこにくっつけることになるんだろう。モモにメールを渡されそこからネットの海にだいぶして誰かのルームに行ってモモにメールを渡して帰ってくるとか。

 分からないけれどもスマートフォン版の開発ってのも視野にいれているそうで、それが完成すればVR版との連携なんかも行われるそうなんで、たとえクラウドファンディングの成否が開発には関係ないとはいっても、いっぱい突っ込んではスマートフォン版の開発へと至らせるのが20年、「ポストペット」を見続けてきたウォッチャーの役割だと思い記者発表音場で即座にキャンプファイヤーにアクセスをしてログインをして9000円を突っ込む。とりあえず体験会には出られるみたい。ちょっと楽しみ。ちなみに「ポストペット」は20周年だとかであの増田セバスチャンさんが登場してモモを使った記念ビジュアルを披露してくれた。

 増田セバスチャンさんらしくキッチュでカラフルでカワイイデザイン。これで若い子にも「ポストペット」が広がれば、キャラクターとしての命もさらに延びるだろうなあ。お金が八谷和彦さんに行けばメーヴェもより飛ぶ? でも八谷さん、「ポストペット」のお金は使わないことを旨としていたからそれはそれ、これはこれってことなのかな。そうそう増田セバスチャンさんが話していたのがなかなかに面白くって真実をついていた感じ。メールにキャラクターを載っけた「ポストペット」はインターネットの出始めに、メールを使うという行為の上にキャラクターを載せて楽しくさせて認知を広げ利用者を増やした。VRにキャラクターを付けることで「ポストペットVR」もVRを広げる役にたつかもと。それはあるかなあ。長く八谷和彦さんを見て来た増田セバスチャンさんらしい指摘。それが真実となる日を見守ろう。

 アニメとはパンツであり、パンツこそがアニメであるのだと、誰が言った訳でもないけどそう思っていた時期があったし今でもひっそり思っていたりするのだけれど、テレビでそれがあんまり見られなくなって幾年月、規制という枠に果たして押しつぶされてしまったのか、業界最多パンツを誇ってあるいはギネスワールドレコードに認定されても不思議はないアニメ制作会社のスタジオ・ファンタジアが破産を認定されて会社が整理に入った模様。更正法なら立ち直る可能性もあったけれども破産では……。「AIKa」をはじめ数々のパンツを見せてくれたあのスタジオが、なくなってしまう寂しさはあって、今あれだけのパンツを見せれてくる会社がない状況に悔しさも募るけれども仕方が無い、これが資本主義だ。せめて今晩くらいは「AIKa」のボックスを探して見ながら拝もう、パンツを。追悼は……しないよ辛気くさいし。

 田中あすか先輩がユーフォニアムでありユーフォニアムは田中あすか先輩であることは自明なことで、それだけにしばらく田中あすか先輩が出ていないとちょっと物足りなさも覚える「響けユーフォニアム2」。事情は分かっていて親の縛りで部活に出られないんだろうけれど、あれだけ日頃から常識に縛られず自分を貫く人間でも、親に逆らうのはいろいろと面倒くさいのかもしれない。あるいは親に逆らってまで部活に出るのは格好悪いと思っている? それはないか田中あすか先輩なだけに。まあ原作の通りに進めば復活はして全国大会にも出てって感じになるんだろうけれど、そのあといったいどんな進路に進むのか。大学に行くってことでトロンボーンを止めてしまい美容師になる道も諦めた黄前久美子の姉を描いていることで、そのようにはならない人として描いていくんだろう。そういう構成もひとつの妙味か。好きなことは諦めないで。でも遅すぎるということもないとは言っておこう。「いとみち」のハツヱばあちゃんなんてあの年で、メイド、始めたんだから。

 TPPから離脱するとかいったドナルド・トランプに会いに行ってそして理解を深められたといった会見をして、もしかしたら説得できたんじゃないかと周りに思わせていた安倍晋三総理だけれどもその後、トランプは就任したその瞬間にTPPからの離脱を表明すると言って梯子を外された感じ。自分の周囲には自分の偉大さを見せようとしたけど現実は子供の使いにもならなかった訳だけど、それを伝える御用メディアはあんまりなさそう。それはプーチン大統領との会談も同様で、北方領土の返還交渉に期待を持たせて何か成功されるんじゃないかと思わせていたら、国後島と択捉島にミサイルを配備したという報。最初っから期待なんて持てる話でもないのに、会談までは雰囲気だけは成功だと思わせおこうとしたら出る前から鼻をくじかれた。これで会談で何にもなかったらメディアは何を書くかなあ。やっぱり成功と書くんだろうなあ、良いところ探しで。やれやれだ。


【11月23日】 そして「この世界の片隅に」の片渕須直監督を欧羅巴とか亜米利加とかに送り出して映画の上映拡大に大いに役立ってもらうための資金を募ったクラウドファンディングは、開始から11時間ほどで目標としていた1080万円を集め切ってしまうという凄さ。これ以上集まっても使う先がないのでご遠慮頂きたいといったメッセージも出るくらいの賑わいになっていて、予想を超えた評判だったことも何と話しに窺える。何とも勿体ない話ではあるけれど、渡航の飛行機をファーストクラスにするとか泊まるホテルと5つ星にするとかいった贅沢に使えるお金でもなく、かといって余らせても目的以外に使えるものでもないのでここは希望していた人は、別の使い方で映画の評判に貢献をして頂ければといった思い。あるいは願い。

 客観的に見るなら映画そのもののパイロットフィルムを作ろうとして集めたクラウドファンディングに乗って自分は良い映画に応援したんだといった思いを抱えているだろう人たちを一方に見つつ、今回もそうした“関わり”を得ることで映画の成功にひとつ貢献できたんだといった気持ちを得たかった人が多く居たとも言えそう。それはそれで貴重な思いだから無碍にはできないけれど、そうすることだけが関わりではないといったこともあるのでひとつ、我慢をしてまた別の機会に関わりを持てるようお財布にお金を貯めて準備しておいてくださいな。そしてお金を出せた人たちはそれを妙に誇らないことも。出せなかった人たちとの間に意思表明の後先はあっても強さに遜色はない。だからリターンは特権ではなく、同じ情報を得たいと願う人が居たなら、多少の優位性は与えられても最終的にはイーブンになっても、嬉しいと思える気持ちを育んでといった思い。そして願い。

 そういえば週末ではなかったんだと気付いて録画されていた「夏目友人帳・伍」。田沼が前に世話になっていた旅館が改装とかで人手を集めたのに同級生たちといっしょに乗って訪れた夏目たちだったけれどもそこに祭りを邪魔しようとする妖怪の影。いったい誰が。そして分かった妖怪と、それとは別のあやかしの存在。人の人生は長いようでも妖怪から見れば一瞬。そんな寂しさを感じさせつつ、それでも人から見ればかけがえのない出会いもあるんだってことを感じさせてくれた話しだった。それにしても妖怪にたぶらかされていたカップルの男子は、あのあとどうしたんだろう。自分は何でここにいるとか思ったんだろうか。「君の名は。」の終わりがけ、訪れた山頂で目覚めた瀧もそんな思いだったんだろうか。俺なんでこんなところに来たんだろうって。

 午後1時からの三鷹での「アリーテ姫」と「マイマイ新子と千年の魔法」の上映会に行くなら果たして寄っていて間に合うだろうかと思ったものの、青山ブックセンターでの初期段階からずっと通っているんで東京に(千葉だけど)いる以上は抜かす訳にはいかないと、浜松町からモノレールに乗って「文学フリマ」へ。前回は場所が奥になっていたけど今回は戻って手前のホールの1階と2階を使うスタイルへ。まずは下をざっと回ってどちらかといえば創作系のブースがあるのを確認。そんな一角に「小説家になろう」とそして「エブリスタ」のブースが出ているのを見て、何かを書きたいという人たちの思いをとりこむプラットフォームがしっかりと存在感を示すようになったんだなあと実感する。

 まだ青山とか秋葉原で行われていた時代に、そうした創作物を世に示すツールなんて自分のサイトかブログくらいしかなかった。あるいは紙の同人誌。それが今は創作あんらまずは「小説家になろう」なり「エブリスタ」なり「カクヨム」といったプラットフォームを使い連載をしてそれで人気になれば出版といったルートがある意味“確立”している。そこからヒット作が出てベストセラー作家も出ている状況で、「文学フリマ」に参加している創作系の人たちも出展している小説投稿サイトに関心を抱き、親近感も持って作品をアップするようになれば共に豊穣さと多様性を得られるようになるって判断か。「エブリスタ」は珍しく自分たちで本も出していたけどこれは基本はキンドルのデジタルパブリッシング向けで紙の本はオンデマンドなり「文学フリマ」の場だけでの販売。そういう”特典”もあるプラットフォームとしてアピールして参加者を集めるって考えもあるのかな。今後に関心。

 幾つか買ってそのままモノレールで浜松町を経てJRで神田まで出て中央快速に乗ると三鷹には12時半過ぎには到着。そこから歩いて入った三鷹産業プラザの会場は普通にホールなのにそこに35ミリの映写機を2つ持ち込んで上映するというスタイルで、大丈夫なんだろうかと思ったらちゃんと映るし音も響いている。そうだよフィルムの映画って場所を選ばずスクリーンになる平たくて白い壁さえあればあとは電源に繋がりさえすればどこでだってかけられるんだってことを実感する。もちろんプロジェクターだって軽くて便利だけれど映画に使う今のデジタルシネマだと音源から映像の送出からきっとシステム化されて、プロジェクターとは別に機材が必要で、映写機にフィルムをかければ音も光も出せるってことにはなっていないんだろうなあ。

 大仰に見えてコンパクトな35ミリフィルム。だから上映会のスタイルでもって回って見せられた。小さな街の小さな映画館でも。それが不可能になったのは、興行のスタイルが変わったのとあとはやっぱりデジタル化が進んでフィルムが作られなくなって、かけられる映画が少なくなってしまったことならやっぱり、技術の進化が文化の進歩とは限らないってことになるのかも。まあ後ろでカタカタと映写機が回る音が聞こえてくるのと、映写機を切り替える時につっかえるようなカ所が感じられるあたりがオールドだけれど、それも味として噛みしめつつ作品そのものを味わうことは可能。そうやって見ると「アリーテ姫」も「マイマイ新子」もただ1本のアニメーションである以上に、さまざまな思いと歴史がそこに詰まった作品として感じられるようになる。すべてが繋がっていて、すべてを含んでいる。それが作品。そのことを忘れた上っ面だけの映像であり音声であり物語では、響く範囲も狭いんじゃないのか、なんて思ったけれどそれも一種のノスタルジー、最新の環境に慣れた人はそこで自分の鑑賞スタイルを育み経験としていく。寂しいけれどもそれが時代なら従うか、それともあらがって35ミリを守り上映会を開いて記憶を受けつぎ体験を提供し続けるか。岐路にあるのかもしれない。

 上映後に片渕須直監督が登壇して廣田恵介さんを司会にトークを幾つか。会場から出た質問で「アリーテ姫」の空が「マイマイ新子と千年の魔法」や「この世界の片隅に」みたいに真っ青ではないくすんだような色味になっていることについて、片渕監督は「あれは」絵として描かれているもの」といった解釈と、あとはデジタルに取り込んで造り始めた作品でいろいろな色を試したってこともあってああいった色味になったとか。背景のサイズも小さめでそれを拡大しているので筆の線が拡大されてぼけたりもしているという。そんな効果が日本とは違った世界のどこでもないファンタスティックな世界の風景を作りだしているのかもしれない。最初から異国情緒を狙ったって訳でもないのだな。

 そして会場に来ていた声優さんで「マイマイ新子と千年の魔法」では吉岡さんとバーカリフォルニアの女、そして「この世界の片隅に」では刈谷さんを演じている以前は喜多村静枝さんと言ったたちばなことねさんが来場していて「マイマイ新子と千年の魔法」では吉岡さんとタツヨシでオーディションを受けたら吉岡さんになってバーカリフォルニアの女もやってと言われた話をし、そして「この世界の片隅に」ではすずさんと一緒にリアカーを引く場面のセリフを翌日に取り直したって話をしてくれた。なんて贅沢な収録だけれど監督もそして当人も納得がいくまで演技をさせるのは「マイマイ新子と千年の魔法」の時から。そうやって生まれた声だからこそ馴染んで気持ちもこもっているんだろう。でもやっぱり映画ならではだろうなあ、日々のシリーズものでは限られる時間をどうこなすかが精一派になってしまうし。そして内容も内容なだけに極端になる演技をアニメ的と言われて声優さんもちょっと可哀相かも。ギャランティーの問題も含めて改善が図られると良いけれど。


【11月22日】 起きていたら揺れたのか、揺れを感じて起きたのか。午前6時に覚めた目で感じた地震はそれなりに揺れたものの何かが落ちるといったことはなく、いつもの茨城沖が震源で深さ40キロ、震度は3とかって当たりかと思ったら、午前6時に始まったテレビのニュースがそれこそ「逃げろ!」と叫ばんばかりの声音で津波からの避難を訴えていた。そして映し出された港では、次々に船が沖合へと出航していく様子が映っていて誰もが事態を深刻に捉えている様が窺えた。

 そりゃあそうだ、あの時、避難していればといった多いがまだ大勢の人に残っている。あるいは強く避難を呼びかけていれば救えた命もあったかもしれないという悔いを引き摺っている。そんな気持ちから出た大声での強い避難の呼びかけは、たとえ実際に来た津波が防波堤を越えるものではなかったとしても、そして同じような事態が何度繰り返されようとも変わらず続けて欲しいし、誰もがそれに従って欲しい。巨大な津波が街をのみ込むことなんてないって、絶対に言えないことを僕たち私たちは知ってしまっているのだから。それにしても逆流する川の様子を撮影する人がいるとはなあ、問題はそんなツイートの画像を紹介するメディアがいること。そういうことをやれば目立てるって気分を助長するようでなんかヤダ。規制する術ってないのかなあ。

 メディアといえばやっぱり民放にはいろいろと制約もあるみたいで、どれだけヒットしても10億円を超えてもお爺ちゃんお婆ちゃんが息子や娘に勧められてこぞって映画館へと足を運んで観て泣いてたりする、かつてない現象が起こってても、映画「この世界の高住に」はその主演声優に関するあれやこれやが主因となって紹介されない状況が今もなお続いているみたい。「黄色いワンピースのワルイちゃん」のグッズが発売されていっぱいのテレビカメラが来ていても、放送したメディアがあったようには見えないところに、現場はがんばっても上で止める何かがある雰囲気が漂ってくる。

 オリジナル・ラブの田島貴男さんが観て渋谷系サブカルチャーの殿堂入りしそうな勢いがあり、西武セゾン系のおいしい生活者も観て絶賛していてソウル・フラワー・ユニオンまでもが褒めて関西パンクロックシーンにも広がりつつあるその認知度。キネマ旬報では名うての映画評論家たちが3人そろって最高得点の星5つを並べてみせる絶賛ぶりは、もはや文化にとっての超常現象とも言えるのに、そうした社会の空気を肌身で知りながらも伝えようとしない民放キー局あたりの体たらくは、「この世界の片隅に」という映画が生まれたことと重ね合わせて今世紀を通じて語られることになるだろうなあ。テレビというメディアの自殺行為であり、凋落の始まりかすでに凋落しきった先での留めとして。

 さすがに現場の心ある人たちは、どうにかしなきゃと考え始めているだろうから、何かすり抜けるようにして報じる術を考えているのかも知れない。でもそれが可能ならとっくに何かやているか。でも始まらないのはやっぱり死んでいるとみるべきなのか。かつて徳間書店の徳間康快社長が、それなりに知られていたとはいえ世間的には無名に近い宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を作った時に、日本テレビ放送網へと持ち込んで氏家齊一郎さんに放送権を買ってと頼んで分かったと確か4500万円という、当時としても今でも破格のお金を出したことがあったっけ。徳間さんと氏家さんが同じ読売出身の知人だったってこともあるけれど、それが必要なら出す独断を、行えるトップがいたってことも大きい。今そんな独断即決が出来る民放の経営者っているのかな。いそうもないなあ。1人いるけど絶対にやりそうもない方向の独断が働きそう。やれやれ。

 大資本が背を向ける一方で、それならやっぱり自分たちの手でと動き出した新しいクラウドファンディング。世界での公開が決まっている「この世界の片隅に」だけれど、それを見届ける意味もあって片渕須直監督が世界を回るのを応援する資金を募ろうとうもので、目標金額は1080万円となかなかに高額だけれど初日にはすでに1割を超える資金が集まった。普通だったら海外配給をになう会社が費用を出して宣伝のためにと招聘するのものだし、世界で成功させたい製作委員会あたりが出すものだけれど、まだ2億円にすら届いてない興行収集では、そういった余裕があるとも思えない。

 仮に10億円に届いたとしても、そこから劇場に半分払って残りから制作費とか宣伝費をさっ引いていったい幾ら残るのか。もしかしたら足だって出そうな状況で、広く海外に作品を知ってもらおために一般に頼るというのがひとつの事情、そしてこれだけの人が応援していますとうことを改めて知ってもらって、否が応でも“事件”としてテレビなりに報じてもらおうというのもうっすらながら事情としてありそう。監督がわざわざ海外に行く必要があるのか、って意見もあってまとめサイトあたりが茶々いれているけれど、監督が行けばそれだけ見てもらえる人がいる、そして多くの国々に広がる可能性があるとするなら、それに期待をするのもまたファンって奴。このあたりまえに見える日常の、あたりまえにされてしまった困難に喘ぐ、世界中のすずさんたちには必要な映画。だから届けたい。そのために応援したい。そんな気持ちには茶々とかまるで届かない。屈しない。同じ意を抱いた人たちも多いから、たぶん数日で達成するだろうクラウドファンディング。それが何をもたらしてくれるかに期待。

 ハヤカワSFコンテストの贈賞式に行って誰が受賞したかを眺める。今年は正賞がいなくて優秀賞が2人に特別賞が1人。うち特別賞は「最後にして最初のアイドル」というアイドルについて書かれたらしい作品で、その筆者の草野原々さんという人が見るからにアイドルを書きそうな人だった。というかキャラが立ち過ぎ。ちょっと落ち着け。でも柴田勝家さんじゃないけどキャラがあるといろいろ使用範囲も広まるんでこれはこれで使い勝手があるかも。残る優秀賞では「ヒューレの海」の黒石迩守が繊細そうで、同じく優秀賞「世界の終わりの壁際で」の吉田エンさんが緊張してたっぽい。でもこうやってデビューして本も出たんだから心配なくSFは認知してくれるでしょう。後は書き続けるだけ。書かないとゲームはそこで終わりだから。

 あの栄光は今何処。クラブハウスに並んだJリーグやらカップ戦のトロフィーを眺めつつ今の状況を思ったりする東京ヴェルディ1969だけれど、こと経営に関してはアグレッシブで今回何とeスポーツのチームを作って日本eスポーツリグに参戦をするってんでその体制発表会を見に稲城市の東京ヴェルディのクラブハウスへ。大昔に女子サッカーの試合を見に来て練習グラウンドで行われた試合を眺めていた記憶があるけれど、それから10年以上は経っていてなおしっかりと好環境を維持しているところにスポーツクラブとしての伝統て奴を感じる。それだけに意外だたったけれど、そう思わせるところに注目を集める秘訣があるし、まだ多くがいない中での参入で名を挙げることでヴェルディの名門ぶりをカバーできる。認知度が上がればサッカーにだって反映できるといった思惑も。そんな経営判断が良い方に転ぶと良いけれど。共にJ2暮らしが長いジェフユナイテッド市原・千葉も作らないかなあ、eスポーツチーム。


【11月21日】 週末の映画興行ランキングが出て11月19日と20日の動員数では新海誠監督の「君の名は。」が1位。いったん2位に落ちてから返り咲いてこれが3週連続になるのかな、その前に9週連続をやっているんで足して12週。他に追い越す勢いのありそうな映画は「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」くらいまでないから相当な数字を積み重ねては興行収入で歴代2位までたどり着くだろう。一方で期待していた「聖の青春」は第5位で、松山ケンイチさん東出昌大さんが出演している割にはちょっと出遅れ感。まあ将棋なんて普通に人は興味がないんで、そこで何が繰り広げられているかをもうちょっとアピールした方が良かったかも。萌えとか。BLとか。本当だってば。

 そして我らが「この世界の片隅に」は10位で前週といっしょ。っていうか普通10位だったらそこからずるずると下がっていくのがしっかり踏みとどまりつつ前週よりも良い成績を収めている。だったらもうちょっとランクを上げても良かった気がするけれど、1つ上にはブランド力だけならトップ級の「機動戦士ガンダム THE ORIGIN4 運命の前夜」がいたんでちょっと抜けなかった。館数は全然少ないんだけれど2週間限定のイベント上映でおまけにいろいろグッズも買えるとあって、来る人も多かったんだろう。だから2週目はグッと下がるんでこれを超えることは難しくない。

 ともあれこれで10万人を超えて1億6000万円くらいに来て「マイマイ新子と千年の魔法」は大きく超えた。「君の名は。」に比べればまだまだだけれどこの時代、この作品がここまで来ただけでも奇跡。そしてなお観客は増えているし館数も増えている。ならば3週目でのランクアップに興行収入の増加となって2億3億から5億10億といった数字もあるいはあり得るのかも。ここで民放が一気に情報をばらまき始めれば凄いことになるんだけれど、「ワルイちゃん」で登場したのんさんを取り上げてたテレビが朝、まるで見られなかったんだよなあ、あれだけ取材に来ていたのに。そんな不思議がまだ続いているならテレビは当てにできないか。ならば口コミだ。そして紙媒体だ。マスの座を滑り落ちたいテレビを横目に今の時代にこそ生きる媒体のパワーを見せつけよう。

 神奈川県の藤沢市にあるスーパーの副店長をしているのが藤沢太郎だなんて名前なのはちょっとできすぎだけれど、それなりに人口のいる街だけに1人2人、そんな名前の人がいたって不思議はないかもしれない。ただしその藤沢太郎は別にそこで生まれ育った訳じゃなく、家は東京を挟んだ埼玉県久喜市の栗橋にあってそこに奥さんと息子が住んでいる。藤沢太郎は単身赴任でスーパーに来ては遠からず都内の本部に戻れる時を願っているけどそこにちょっとした騒動が。近所に暮らしている今は刑事をしている友人の家で飲んで帰った自分のアパートに、空からガラスサッシ窓を破って飛び込んできた者がいた。

 それは人で、女の子で、大きな箒にまたがっていて、破ったガラスサッシで切ったらしく額からポタポタと血を垂らしていたりする。これは大変。というよりいったい何物だ。慌てるところに中年男の声がする。いったいどこから。探すとムササビともモモンガともつきつつつかない小動物がいて日本語を喋ってはあれやこれやと説明を始めた。少女の名前はアリスで魔法使いの修行中で人間界にやって来たそうで藤沢太郎のことをいろいろ研究してて中年男なら安心で家族思いだから頼れるとみてやって来たらしい。なるほどうそうですか、なんて受け入れられるかとうとそうでもなく、目の前でアリスの怪我が魔法のような力で直り、太郎がガラスを踏んで負った傷も治ってといった具合に不思議なことが次々と起こって、そのこと自体は認めざるを得なくなる。

 だったら夢だ、そう思い寝て起きたらやっぱり夢ではなくってアリスはいて、まるるんという名らしい小動物もいてそして14歳らしいアリスと41歳で単身赴任中の中年男との奇妙な同居生活がスタートする。そんなシチュエーションから浮かぶ諸々の不安。まずは奥さんと子供がいる身で単身赴任のアパートに14歳の少女がいるという状況を、家族が知ったらいったいどんな騒動が起こるだろうかといった不安、そして近所に暮らす人が中年男と娘ではない女の子との同居を不審がらないかといった不安、さらには勤め先の人たちがアリスのことを見とがめて、大過なく副店長の仕事を真っ当して本部に復帰したい太郎の日々が厄介なものにならないかといった不安。そうした不安の中でどこかから迷い込んできて、転身欄間な態度で魔法使いになるための修行に励むアリスを傷つけないかといった心配が浮かんで先を読むのが怖くなる。

 あるいは途中を飛ばして結末だけ読んで、安心するにしろ絶望するにしろおおよその覚悟を持ってからプロセスを埋めていきたいといった気持ちが浮かぶけれど、そこを我慢して1行ずつ読み、1ページずつ読んでいくことによってしっかりと、アリスが藤沢太郎になつき自分の居場所をとりあえず得て、そして同じアパートの同居人にもスーパーの従業員にもちゃんとした立ち位置を理解させることで彼女が悲しい思いをし、その思いに読む僕たちも釣られて悲しくなるようなことにはならないんじゃないか、といった理解に至る。

 ただ、そんな物語の半ばほどに繰り出されるアリスという少女の“正体”が、先の展開に暗い影を及ぼす可能性が浮かんで改めて身構えも浮かぶ。大丈夫なのか。本当に大丈夫なのか。それはだからもう読んでもらうしかないとして、結果として得られる感動があり、浮かぶ感涙があるとだけは言っておこう。どうであっても心配することはない。それがアリスの選んだこと。そして読後感は辛さに歯がみするようなものではなく、幸いを得たものになる。だから気にしないで手を取りページを開いてアリスの頑張りに目を向け、太郎の応援を後押ししていこう。越谷オサムさん「魔法使いと副店長」(徳間書店)。読み終えれば人に優しくする嬉しさを味わえる。人から優しくされる喜びを確認できる。そして抱きしめたくなる。最愛の人を。この世界に生まれたすべての人を。そんな物語だ。

 月野うさぎちといったら中学生な訳でたとえ大学生の地場衛を彼氏にしていたところで不純異性交遊はもっての他な訳だけれど、これがセーラームーンとなると後にクリーンセレニティとなりタキシード仮面と結ばれちびうさを出産したりもする訳だから不純ではなくなるといった理解も成り立つのか。いやいやでもやっぱり「美少女戦士セーラームーン」がコンドームを使っての性交渉をしましょうよって呼びかけのキャラクターに起用されるのはどこか違っているような気もしないでもないかなあ、なるほどそうした性感染症の予防を呼びかけるに当たって、対称となる層に届くキャラクターではあるなけれど、清純にして無垢のセーラームーンが性交渉を前提とした性感染症を呼びかけるのって、つまり彼女やヤってるのって話になってしまいそう。まあ武内直子さんが認めたんだから他に言うことはないんだけれど、でもなあ。メドベジェワ選手は何を思うかなあ。これ欲しいと日本に来てもらって帰るかなあ、セーラームーン印しのコンドーム。


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