縮刷版2016年1月上旬号


【1月10日】 録画してあったのをやっと見た2年ぶりとかいうテレビスペシャル「ルパン三世 イタリアン・ゲーム」は、2015年の10月から始まったテレビシリーズ「ルパン三世」のエピソードでもとりわけレベッカが絡んだ回を裏で繋ぐような雰囲気というか、あるいは無理矢理繋げて別の1本を仕立て上げた感じというか。後者的なニュアンスをラストシーンのこれは映画でしたエンドに現したのかもしれないけれど、テレビスペシャルだけ見た人だとこれはいったい何だとポカンだったかもしれないなあ。かといってテレビシリーズを見ていても今ひとつ、本編との関わりが見えてこない。まああれはあれでこれはこれ、そう思うのが良いのかも。

 そういうモヤモヤを除けばアクションは良いし、起承転結もあるし、次元大介も石川五右衛門も活躍はしているし銭形のとっつぁんも見どころがある。何よりル峰不二子の胸がエロい。胸だけってのがちょっと残念だけれど元より下半身に何を履いてたってそれでキュンとくるウブな乙女でもないんで、ここは豊満な胸をしっかり見せてくれること、そして裏切りを宝石に変えて身にまとう悪女っぷりが見えれば十分なんだということで。案外にショボかったカリオストロの末裔はラスト、幸せそうな顔をしていたけれども先祖と同じ境遇に置かれて、そこから何か自分らしい再起の道でも見つけたってことなのかな。そういう優しさがあるところが、見ていてホッとする理由なのかも、今回のルパン。でも総じて強烈なインパクトがなかったなあ。それはテレビの各話も一緒だけれど。脱獄のエピソードは良かったけれど、第2クールに入ってもそれは維持されているのか。さあ見よう最新エピソード。

 前にフェンダーのギターケースを特注で作って収めたことがあったけれどもエアロコンセプト、いつもながらの長方形のアタッシェケースを長く伸ばした感じだったんで、精密さを出す仕事が得意なエアロコンセプトにとってはそれほど苦労もなったものが、今回は金属板を叩いて伸ばして作品を作るアーティストとの競作となった、エアロスミスのギタリスト、ジョー・ペリーに贈るというギターケースの制作では、精密さより自在さを旨とするアーティストの作業と、1000分の2ミリくらいまでの精度を突き詰める板金工場の作業とのマッチングに苦労したみたい。そんな作業の様子がテレビ東京で放送された「クロスロード」で紹介。64歳になった菅野敬一さんは相変わらず自分の道を行くというか、面白いことに挑戦し続ける態度を変えず、そんな難しい作業に真っ向から臨んでみせた。

 ちゃんと形ににあっているようでもやっぱり歪みがあるアート作品を、精密なフレームにとめるとどこかに無理が出て、それが引っ張りを読んで狂いが出る。そしてケースとして閉めようとすると蓋にズレが出てしまう。ただ重ねただけでは分からないけれど、ちょうつがいを止めるとそういうズレが出てしまうのは、計算ではやっぱり分からないんだろう。そこを外して叩いて曲げて、引っ張りの歪みも考慮に入れながら調整していった果てに完成したケースに革の装飾を施した完成品を、果たしてジョー・ペリーは受け取って何かに使っているんだろうか。そこが知りたいけれど、でも菅野さんは別に気にしないだろうなあ、作ってみせたことが誇りであって、有名人が使って自分が有名になることが目的ではないから。その粋さがもう10年以上もあのブランドを、知る人と知る上に知られなくなることなく長く保ち続けている秘訣だろう。いつか買いたいなあ、アタッシェを。還暦あたりを目標に頑張ってお金を貯めよう。それまで存在してね、エアロコンセプト。

 正月2日は行列が長すぎて、奥の鬼子母神だけをお参りして飛ばしてしまった中山法華経寺の本殿にもお参りしてから街へと出て書店を散策。丸の内のオアゾにある丸善に寄ると、昨日はまだ5冊残っていた「月刊アニメージュ」の2016年2月号が完売になっていて人気の凄さって奴を見せつけられた思い。船橋にある本屋も昨日は残っていた2冊がやっぱりなく、近隣の書店はどこもかしこも売り切れといった感じ。記事として読みたいって感じじゃなく、グッズが欲しい訳でもないから売り切れ自体に困ってはいないけれど、でもこうやってひとつの作品が爆発的な人気になることで、完売が出るってこと自体にアニメーションとアニメ誌にはまだまだ活路ってものがあるんだなって分かって面白かった。いくらスクープとか自称したってネットから出て来た情報つなげたものだったり、自分たちの言いたいことを補強する材料を無理矢理こね回したようなものだったりを掲げている新聞では、やっぱり売れないよなあ、別のそれ、読みたくないもん普通の人は。どうだって良い話だし。

 そんな新聞のサイトが成人式で大騒ぎする若者たちを全国からあつめて並べた記事にとあるネットスラングを使っていて、アルファベット3文字からなるそのスラングを堂々と見出に掲げてニュースサイトに掲載しているんだけれど、でもどうやらそのスラングって侮蔑的な意味を持った誹謗中傷を目的とした言葉として裁判所でも認定されているようで、もし使って相手から裁判を起こされたら確実に負けるものらしい。そういう言葉を使ってしまって大丈夫かというと全然大丈夫じゃなく、ちょっと拙いんじゃないかと指摘したいところだけれども遠く彼方にあるそのサイトの主に何を言っても聞こえる訳はないし、聞く耳もないだろうから困ったというか。知らなくて使ったと言う可能性もあるけれど、知らないからといって普通は真っ当な言葉使いを旨として、だからこそ学校教育の現場でも使って欲しいと訴え、文化の保護のためだといって軽減税率を求めるような新聞が、使う言葉ではないからなあ。でも使ってしまうところにその新聞が文字通りにその言葉の言い表すところそのものだったりするんだろう。参ったなあ。

 さて「真田丸」。真田信繁と父昌幸、そして兄信幸の生涯を追うというストーリーだけれど、そうだとだいたい知ってる歴史の、けれども具体的には誰が何をどうしたのかといった大部分を知らない隙間を、物語に描いて描いて埋めていってくれるから、最後に信繁は大坂夏の陣でああなって、信幸はああなるといった感じにだいたい知ってる展開への、そこへとどういう過程で至るのかと行った大部分を、それは知らなかったと驚きながら味わっていけるのだ。真田信繁と信幸と昌幸はともかく、周辺にいた穴山梅雪とか2人にとっては姉の夫というから義兄にあたる小山田茂誠とか、何とはなにしに存在は知っていてもどういう生涯だったのか、くわしく知っていた訳じゃないんでこれを機会に調べてそうだったのかと思ったし。というか信幸だって93歳まで生きて4代家綱の頃に死去したなんてやっと知った。長生きだったんだなあ。

 しかし驚いたのはそのキャスティングの巧みさで、筆頭が声優の高木渉さん。演じたのは小山田茂誠でちょっと出のすぐ死ぬ役じゃなく、信幸について戦国乱世を生き抜いて松代藩に至るまで仕えることになる。ってことは最後まで出演するのか。その演技も抜群で武田勝頼を関から追い返す時に命令に従いつつ心では背いて断腸の思いを涙声に込めて叫んでた。演技なんで出来る人だったのか、そんな人をどこで見つけてきたんだと思っていたら、どうやら三谷幸喜さんが演出したチェーホフの「桜の園」に出演したこともあったとか。人形劇にも声をあてているとか。そういう繋がりはあっても、テレビのそれも大河ドラマで重要な役で起用する。ちょい役でもないその役なら、有名事務所の美形タレントが演じて不思議はないのをちゃんと役にハマる役者を使う態度に、この大河ドラマへの信頼性がぶわっと浮かぶ。

 織田信長の吉田剛太カさんだって人気だからって訳じゃ無く、まさに数えで49歳、3カ月後には本能寺で討たれる信長の最晩年を演じるに相応しい役者として起用している感じだし。そのほかも万全。武田勝頼の平岳大が偉大なる父の後を継ぎつつその域に及ばなかった優しい息子を、その境遇からにじみ出るような雰囲気でもって演じきっていたし、真田昌幸の草刈正雄さんも若い頃のイケメンっぷりとはまた違う、策士といった雰囲気を全身から滲ませていた。武田は大丈夫といったその口で武田は滅びると言ってのける昌幸の知見と策謀、そして戦いの中での果敢ぶりをどう演じきっていってくれるかが楽しみ。信幸もあれで武将としては優秀で、何より真田を幕末まで続く大名にしていった才気ってのを、ひょうひょうとした大泉洋さんの中に見せてくれることだろう。そんな2人の間で信繁をどう演じるか。堺雅人さん。笑顔が本気に変わる瞬間の盛り上がりが今から楽しみ。


【1月9日】 TOHOシネマズ日本橋のTCXで前目の席に座って観た「傷物語1 鉄血篇」はもちろん、羽川翼の白い三角が巨大なスクリーンいっぱいに映し出されてもう目に幸せというか、これぞまさしく眼福というか。1度ならず何度か映し出される度にその夜、阿良々木暦が直江津のどこかにある芳賀書店へと駆けつけた時のような気分に駆られるけれどもそれで席を立ってトイレに行く人もいない以上、目立ってしまう訳にもいかないんで我慢していると、夜の地下鉄の構内に転がって手足をもがれたキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードが現れ、悲痛な声で泣き叫んだりするシーンに胸が痛んで白い三角のことなんて彼方へと追いやられてしまう。あんなに鉄血で熱血で冷血な吸血鬼でもやっぱり死ぬのは怖いんだ。そして死へと追いやられる自分を取り巻く環境にごめんなさいを叫ぶんだ。

 そして戻ってきた阿良々木暦の悲痛さにあふれて優しさに満ちた言葉を受けて何か心打たれるものがあったのか、血を吸い尽くしはしても命は奪わず眷属へと変え、自らは現れる小さくなったキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの可愛らしさに心動かされて白い三角のことが記憶の彼方へと後退し、そしてクライマックスに高い場所から飛び降り空中を走って登場した忍野メメの、「まいどあり」って商売っ気たっぷりな笑顔に引っ張られてひとまずのエンディング。もう冒頭の羽川翼による白い三角のことも、前に垂れ下がっては揺れ動く双房のこともすっかり忘れているかというと、今度はより正面から見上げるように見たいと劇場の最前列の中央あたりの席を探してたりするからやっぱり白い三角の呪縛には協力なものがあるみたい。パッケージが出たらそのシーンを止めて3時間くらい見入っていそうだなあ。それくらいの鑑賞に堪えられる素材であり、また緻密な絵ってこともあるし。良い仕事をした原画は誰なんだろう。一生に残る仕事かも。うん。

 録画しながらも観ていなかった2016年1月期のテレビアニメーションを少しずつ消化。まずは京都アニメーションが贈る「無彩限のファントム・ワールド」はパカパカっとした色味にひとつ、コナミのゲーム「Dancing Blade かってに桃天使!」を思い浮かべたのは同じ制作会社だからっていった連想から。まあずいぶんとタイプは違うけれどもピンクとか紫とか、割と平気に使ってしまう感性には重なるところもあるんじゃないかとかってに思ってる。それはそれとして作品は、KAエスマ文庫っていう京都アニメーションがなぜか立ち上げたライトノベルのレーベルから出た作品で、それをわざわざアニメ化するってところに余所から原作を借りてきて、アニメ化したってそれで本が売れて儲かる訳じゃないアニメ制作会社の苦衷を、だったら自分たちで原作権まで持てば良いんじゃないかっていった転換に、自ら挑んで着々と実績を重ねてきた京アニらしさってやつを見る。

 だってこれで何作目? 「中二病でも恋がしたい!」があって「境界の彼方」があって「Free!」の原案になりそして映画は同じタイトルで出た「ハイ☆スピード!」があったりする。「中二病」も「境界」もそれぞれに原作とはちょっとキャラクターの配置が換わったり雰囲気も違ったり世界設定そのものがいじってあったりするけれど、それでもちゃんと原作は自前のレーベルから出し続けてそれなりな読者も獲得している。原作は借り物でそれでアニメがヒットして本が大ベストセラーになってもアニメ制作会社には何の得にもならないってことは避けられるけれど、一方でだれも知らない原作をアニメにして果たして見てもらえるか、ってところにリスクがある。それを「中二病」でまず打ち消し、「境界」「ハイ☆スピード」で乗り越えて来たのが京アニだった。

 こうなるとまだ読んだことがない「無彩限のファントム・ワールド」も、京アニが自前のライトノベルレーベルから出しているのをアニメ化するんだから面白いに違いない、って思ってくれる人もいそう。そうでなくても京アニの新作であり、一種オリジナルであってそして始まってみたらこれがべらぼうに面白いってことで、この冬の目玉になるって可能性も浮上してきた。ウイルスだか何だか何かの蔓延で異形の存在が見える人には見え、そして干渉できる人も現れた世界で悪さをする異形の者たちを対峙する少女とか少年たちの学園バトルといった雰囲気。美少女がブルマ姿で格闘していたり、清楚な少女がいきなり大口を開けて怪異を吸い込んでいたりとビジュアル的にも見るところが多く、そいsて展開も面白い。落ちこぼれ集団の復活劇といった赴きもある。今はまだ少ない仲間が集まって、そして何かを成しそうな予想もあって見ていくのが楽しそう。原作からの改編があるかは分からないけれど、とりあえずは最後まで見てそれから原作にも戻ってみようかな。

 創通とフィールズとフライングドッグの共同プロデュースってことは版権に立脚なのかパチンコ会社のコンテンツ確保なのかパッケージメーカーによる新作展開なのか、その主導権をどこが持っているかで違ってきそうで判然とはしないけれどもとりあえず、谷口悟朗監督の作品ってことで大いに期待が持てそうな「アクティヴレイド −機動強襲室第八係−」はどこか厄介者扱いされながらも強化服っぽい最強の装備を備えた警察組織があって、そういうのが相手の犯罪に立ち向かっているけどやっぱり中身が適当なんで目も付けられているといった状況なのか。でもってそこに新人として送り込まれた女性が自分は改善のために抜擢されたと妙に張り切っているけれど、そこはきっとそういう性格だからと厄介払いされたんだろうなあ。官僚組織によくある話。そして自分だけは違うと思っていても傍目には一緒というかそれ以下というか。まったくな話。自戒しなくちゃ。

 ともあれそんな組織が何をやっているかが紹介された第1話。ユニークなのは出動にあたって権力のバランスに妙に気をつかっているところで、何か会合があるなら邪魔しちゃいけないし、記念物的なものがあるなら壊しちゃいけないとかいった制約をリアルタイムに把握しつつ、抜け道なんかも確保して目の前の問題に取り組んでいる。区長あたりがクレームをつけてもそこは秘密を明かして了解を無理矢理にでも求める政治を発動。そうやってまで正義を遂行しながら厄介者扱いされているのはどうしてなんだろう。役に経っているならそれで良いのに。きっとそこにも組織の存在に関するいろいろと複雑な事情があるんだろう。独立して存在できる訳でもないなら、上層部の思惑が絶対に働いているはずだから。それとも特車二課みたいに上層部が見えない呪縛に勝手に怯えて放置しているだけ? そのあたりもおいおい、明らかになるだろうから追いかけていこう。移動は基本、JRなのかな。行ける場所も限られそうだし時間だって。別に飛ぶような機材も揃えているのかな。

 ラスボス降臨! だそうで池袋にあるニコニコ本社まで行って冬まつりのまっただ中にニコニコ生放送に登場した小林幸子さんをガラス越しに見る。着物姿でとってもおきれい。そしてしゃべりも闊達で、ニコニコ経由でいろいろな場所に出られたことを本当に嬉しそうに感じていて、生放送に来られたことも大喜びしている雰囲気だった。紅白が終わったあとはニコ生の出演に向けて報道陣をかきわけて行ったとか。それだけ大事にしてもらえるなてニコニコ冥利に尽きるし、そう言ってくれるから応援するファンもさらに応援しようって気になるんだろう。そんな小林さんが2016年に注目のトレンドは「冷やし味噌汁」だそうで、それって冷めた味噌汁とどう違うんだろう? って気もしないでもないけれど、冷製パスタもあれば冷やしカレーだってあるなら味噌汁だって冷えて美味しいものもあるだろう。何より大豆イソフラボンがいっぱいで健康にも良く塩分だって取れる飲みものなら、夏に冷やして飲むってのもあるかも。今はシジミの栄養分が入った缶の味噌汁が自販機に入っているけど、これが夏にはコールド味噌汁なんてものに変わるかも。急げ開発、飲料メーカー。


【1月8日】 何かヤバいしきな臭い。だってだよ、首都東京に拠点を置く放送局でメインキャスター的なポジションにいる人たちが、揃いも揃って3月で降板するなんてことが普通だったら起きるはずはないんだよ。おまけにそんな降板には、決まって現政権に対する批判的なスタンスが問題とされたって話がつきまとっている。たとえ裏でそういう話があったとしても、表には出てこずに番組のパワーアップのためとかどうとか言って、それで世間も納得しているならまだしも、やっぱりそうなんだって話の方が公然となって流布されている。にも関わらずそうした降板が実行されてしまうこの恐ろしさ。これってつまり、お上の意向にはもはや報道ですら逆らえなくなっているってことじゃん。

 そうでなくてもそうかもしれないって思わせる重みは十分にある。もう逆らえない。逆らったらどうなるか。そんな恐怖も含めて公然化されてしまうってことになる。さすがにこれは拙いだろうと、かつての政権だったら3人そろって降板なんてことは避けて、ひとりずつ順繰りに下ろしながらソフトランディングを計っていっただろう。そういう奸智もあっただろうけど、今は知性とかいったものをかなぐり捨てるかのように嫌いな者は追い出すといったスタンスを隠そうともしない。あるいはそうした印象が世間に広まることを止めようともしない。開き直っているのか。本心からそう思っているのか。その矛先は今はメディアに向かっているけど、次は国民の中の少数派へと向かいやがて国民全体に広まるだろう。

 逆らえばどうなるか。恐怖は存分に染みている。諦めの気持ちも広まっているから誰も逆らわず、そして……。これは本当にヤバい。そしてきな臭い。あるいはすでにボウボウと燃え上がっているのかもしれない。そんな火中にいながら気付いていないのかもしれない。それとも気付いていないふりをしているだけなのか。当事者とも言える日本のメディアの、そんな沈黙ぶりがちょっと怖い。こう考えてみよう。アメリカでダン・ラザーとトム・ブロウコウとピーター・ジェニングスって3大ネットワークのキャスターが、そろって降板させられてそこに政権の意向が絡んでいるかもなんて話が浮かんだら、アメリカはいったいどれほどの大騒ぎになるのか。大統領はちょっとやり過ぎだって話になるだろうし、対立する政党からは弾劾の動きだって起こるだろう。

 それより以前にネットワークで働く人たち、あるいはテレビに限らず新聞ラジオに雑誌も含めたすべての報道機関で働く人たちが立ち上がって、報道の自由を守ろうとし、言論の自由のために戦って大統領の意向を潰そうとするだろう。それがジャーナリズムとして真っ当な動き。でもそうならない。銃弾を撃ち込まれて編集部員を虐殺された訳でもない日本の報道機関が、そろって政権の意に添わないと黙される人たちを降板させることに対して声を挙げ、動き大騒ぎに発展させる状況に至らない。仕方が無いなあ。それも当然。なんて空気が広まっている。もう本当にヤバい。ヤバいんだけれどどうしたら良いのかが見えない。未来は。もっと近い明日は。覚悟した方が良いのかもしれないなあ。

 「我が名はキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード、瀉血にして喀血にして献血の吸血鬼じゃ」「出してばっかじゃん!」「間違えた。我が名はキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード、鬱血にして貧血にして潜血の吸血鬼じゃ」「医者いけよ医者!」。という会話はなかった「傷物語1 鉄血篇」は冒頭から直江津高校前でもって羽川翼がぶわっとしたところを見せてくれて、これは絶対にTCXの巨大なスクリーンの前目の咳に座って見上げるように浴びるように観なくてはいけなと、早速にして夜のTOHOシネマズ日本橋での上映を予約してしまうくらいに強烈なエナジーを放っていた。いやもう素晴らしい。昔だったら誰もがスクリーンにカメラを向けてシャッターを切っただろうなあ。フラッシュ炊く莫迦とか出て文句の声も上がっただろうなあ。そういう時代があったんだよ。

 そんな羽川翼との唐突な出会いが一気に友人関係へと深まるところに羽川翼のタダモノならぬ雰囲気って奴も見て取れたけれども、そんな出会いで見せつけた純白がまさか阿良々暦を文字通りに突き動かして、夜の銀座……じゃないけどそんな感じの場所へと行かせて地下鉄の奥の奥で瀕死のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに出逢わせるとはまた必然の演出。そりゃそうだ、あれを見れば誰だって芳賀書店に行くだろう、神保町の。でもまあ映画では直江津にあったたその店を出て歩いていて見つけた血痕を辿って出逢ったキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの、死にたくないと涙してのたうちまわる美貌を見れば阿良々木暦でなくたってその命、捧げても良いと思うかもしれないなあ。不死なのに長生きしてきたのに生きるのに必死な吸血鬼。それに協力できるならどうせ長くて数十年の命なんて。そういうものだよ人間って。

 ってな感じで始まったキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと阿良々暦との関係が、「化物語」の冒頭でもう吸血鬼ではなく、そしてキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは忍野忍となって隅っこでうずくまっているような状況になるまでの物語が、これから繰り広げられることになるんだろう。登場した忍野メメの空中をかっとぶアクションも、阿良々木暦が太陽に焼かれて火だるまとなってのたうちまわるアクションも、見て作画として凄いしそうじゃない場面の風景を淡々と流してそこに人間を最小限置いて語らせ物語を進めていく技も、いつもどおりな上に映画ってこともあってやや過剰でゲップが出そうになるけれど、それでも目を釘付けにさせる展開は多々。なのであと何度か劇場で見てそして心に刻み目に焼き付けよう、白を、あの白い三角を。芳賀書店はその後で。

 映画と言えば渋谷のパルコ前、スペイン坂を上がったところに立っている「シネマライズ」が2016年1月8日をもって閉館だそうで、ミニシアターブームの中で「トレインスポッティング」だとか「アメリ」を上映して若い人たちを引き付けたらしいけれど、そういうオシャレでクールな映画とは無縁の僕には「エコール」だとか「アフロサムライ:レザレクション」を見に行った映画館だってくらいしか記憶にない。すでに閉館となった「ライズX」だとライアン・ラーキンを取り上げた映画を見たっけか。あと新海誠さんの「秒速5センチメートル」の試写がそこであったっけ。席の配置が異様だけれど見上げるようなスクリーンがあれで結構見やすかったんだ。

 もとい「シネマライズ」はこれで閉館したけど恵比寿ガーデンシネマとか復活したし、場所として不自由はないだろう。あとは見る側が映画館で見たいと思うような雰囲気を醸し出せるかってこと。シネコンが出来て映画のイベント性が高まりSNSの発達で口コミの材料となり得る映画ばかりが持てはやされる状況の中、映画館に行ってひっそりと暗闇の中、そこはかとなく立ち上がる知性とそれからエロスなんかを味わいつつ暴力も浴びつつ観るパーソナルな映画。それを楽しむという行為へのシンパシーが停滞しかかっている中で、そうした行為をいまいちど、持ち上げるような動きがないとここに限らず単館系ミニシアターは死滅していくだけだろうなあ。いくら新聞の偉い映画記者が叫んだところで、空気は一般の間からは変わらない。だったらメディアがいまいちど、そういう空気を作る努力も見せないと。それでもメディアに力がないから無理かなあ。どうなるミニシアター。でもって跡地のWWW2では誰のライブがあるかなあ。それはそれで楽しみだったり。

 そして白くて三角形のものをTCXの巨大なスクリーンで見るため、にTOHOシネマズ日本橋にやって来たついでに隣りの日本橋三井ホールで開かれている「FLOWERS BY NAKE」を一般客として見物。女性多し。あとカップルも。爆発しろ。誰もが割と案内に従い花占いをしたりたんぽぽを吹いたり壁に向かって手を振ったりしてた。通り過ぎず見たり眺めたり。そして桜彩で飲みもの飲んだり。日本橋らしいハイソなイブニングをエンジョイしてるっぽい。爆発しろ。いやそれはそれとして見れば見るほどあちらこちらに仕込んでいるというか。びっちり仕込んだものをそうは見えないところで使っているなあと。「植物の繭」とかいけばな草月流と光を組みあわせつつ音響にも気を遣いインタラクティブな要素も入れて全身で体感できるようにしてあった。見るだけでは通り過ぎてしまうけど、何かさせることでそこに留まりそして新しいものを発見させる。そんな仕掛けをいろいろ詰め込んであった。

 「FLOZEN ROSES」とかもぼっと輝くだけじゃなく映像を散らして重ねて見ていて変幻があってしばらく見入るような感じにさせている。オブジェじゃなくアートでもあるけどムービーでもあるというか。そんな作品。映像の現実化であり現実の映像化でもありその両方でもあってそれ以外でもある。なんてことを考え出すと考え込めるところがあるのが面白い。「”THE SEACRET” OF SEACRET GARDEN」のガラスビンに映像を投影させる仕掛けは、一昨年の新江ノ島水族館で相模湾大水槽前にスクリーンを掲げて深海の相模湾を投影しつつ背後の水槽を重ねて見られるようにした時には、やろうとして出来なかったスクリーンの透明化をさらに進めようとして生まれた感じというか。ガラスビンの中に建ててあるスクリーンの役目を果たすプレートの透明度が高いんで、そこに映像を投影すると本当にガラスビンの中にホログラフが浮かんでいるように見えるのだ。

 日々進化の映像に加えて素材も探求してこその成果。ここから次の大がかりなプロジェクトでの画期的なコンテンツが生まれてくるんだろうなあ。たんぽぽを吹くと綿毛が舞い上がる「DANDELION CLOCK」に使われている、上と下とを結んでいる半透明のケーブルだって、半透明にしてスクリーン代わりに使うことで中から見えるだけでなく、外にも透けて映るといった広がりが生まれる。こうした映像の投影方法は、これからも別の何かに使えそう。素材時代もいろいろと工夫があるんだろうなあ。そういうところにも踏み込んでいるところがネイキッドって会社の貪欲さであり、未来に生き残る可能性でもあるんだろう。そんなこんなで見れば見るほどいろいろある展覧会。あまり2階に上がらないけどそこから見下ろすとおおこれがフィナボッチ数列かって分かるから、展覧会に行く人は是非に上がろう。暗い中にカップルが手を繋いで座っていたりするけれど。爆発しろ。


【1月7日】 東京スポーツとか日刊サイゾーとか、脇からイジるメディアが2015年のNHKの紅白歌合戦で取材の制限が厳しくなっていたことを論いつつ、視聴率の低迷を揶揄っていたけれどもそうした口ぶりが常態のメディアとはちょっと違った毎日新聞が、専門編集委員の筆によって紅白歌合戦の取材におけるNHKの塩対応ぶりを指摘していたのを読むにつけ、これはもう相当にメディアの反発を買っているのかもしれないと思えてきた。これまでだと一般紙あたりは、身内意識でもって取り込み共に紅白歌合戦を世の中にアピールし、視聴率を高め国民的番組としての地位を堅持する方向で対応して来た雰囲気があったけれど、そうした意識を醸成する上で最たる場だった打ち上げの会場から、取材陣を完全に閉め出してしまったとか。

 誰か出演者が取材陣がいてば参加できないと言ったのが理由らしいけれど、それが誰かは分かってないし、浮かぶジャニーズだってこれまでは一緒にやって来たし、それ以前に主力は東京ドームでのカウントダウンライブに向かってしまって打ち上げには出ていないって説もある。ポップス系もアイドル系も同様にカウントダウン系の番組に向かうだろう中で、残っている大御所の誰が取材を嫌がるのか。よしんば嫌がったとしてもそれも含めて音楽のためだと説得するのが、紅白歌合戦という日本最大の音楽番組を自負する者の務めだし、その看板があれば説得だって出来るだろう。でもやらずに取材陣を閉め出した。これではもう取材陣は身内ではなく味方ですらなく、敵だと言ったに等しい。取材する側だってやってられるかって気分になっただろう。そうした反発を買うのを承知でやってしまった方針転換。いったい何があったのか。むしろアーティストではなく会長自身が嫌がったんじゃないかって説も信憑性を帯びてくる。

 なれ合いは決して美しいものじゃないし、そこに取材する価値があるならたとえ打ち上げへの出席とかいった“特権”を奪われても報じれば良いだけの話なんだけれど、当日取材からも閉め出されかねない状況、そして番組事態を良いものいして広く世間にしってもらいたいという意識の減退を浴びて取材する側だってそれならいいやとなるだろうし、作り手の雰囲気は見ている側にも伝わって、それなら見ないとなって結果、視聴率の停滞といった減少が起こっている。記録を取り始めて以来、最低の視聴率なんだからもうそれは決定的。同じく史上最低だった大河ドラマを合わせると、その施政下で最低記録を2つ作った会長というのも前代未聞かもしれないなあ。その魔手は遠からず朝の連続テレビ小説にも及んだりして。くわばらくわばら。

 それはそれとして、今回、紅白歌合戦の打ち上げから取材陣が閉め出されたことがきっかけというより、もうずっと前から始まっていた作り手と見る側、そして伝える者たちの意識の乖離というか、ポジティブに繋がり会っていた意識のネガティブなスパイラルへの転化が、ここに来てさらに本格化した結果が史上最低の視聴率だたのかも。それでも改めずに突き進んでいった果てに起こるのは、伝える価値のない番組への低落でありそれならと出場を躊躇うアーティストの拒絶だろう。結果、損害を被るのはNHKの側なのに、それを想像できていない感じなんがどうにももどかしい。いったい誰が悪いのか。誰って個人に帰結できる話なのか。それなら個人をどうにかすれば良いだけなんだけど。そうでもないのかなあ。視聴率が民放4位に転落しながら、責任を周りに転嫁したと噂の某局社長もいるし、いよいよテレビ界、崩壊への道を本格的に歩み始めたのかもしれないなあ。

 素早いなあ。それもこれも侍ジャパンこと野球の日本代表でマーケティングパートナーを務めている博報堂DYメディアパートナーズがしっかりと働いたからなのか。それが掲載されるとアニメ専門誌も完売が続出し、実施されるイベントには長蛇の列が出来て、収録されたDVDやブルーレイディスクはランキングの上位を独占するというテレビアニメーションの「おそ松さん」と侍ジャパンが何とコラボレーション。3月に行われる試合では特別席なんかも用意してグッズを配るというからチケットの確保を目指して今から腕立て伏せとか腹筋で、アクセス集中を突破するための体力を養っている腐女子も大勢いることだろう。いやまあ抽選だから焦らなくてもいっしょなんだけれど。

 ただこういうコラボレーション事態が珍しいんで女性でなくても行ってみたい感じ。どんな雰囲気になるのか。そして野球との親和性は。サッカーだったら「ガールズ&パンツァー」じゃないけれど、アニメーションとコラボをして試合にも声優さんが来てイベントを開いたりってことは結構あるから雰囲気は分かる。プロ野球でも横浜ベイスターズなんかが「ミルキィホームズ」とコラボしたことはある。ただ、そういうのって全体的に男子のファンが多いだけに、女性が圧倒的を示そうな「おそ松さん」はちょっと雰囲気が違いそう。これは見に行きたいところだけれど、運良くチケットが当たって座席に座った周囲は松松松松松松なお姉様ばかりだったらどうしよう。それもまた一興だけれど。頑張ろうチケット争奪戦。

 日本橋に咲く秘密の花園といったところか。今まで入ったことが無かった日本橋COREDO1の日本橋三井ホールで8日から、あの東京駅でプロジェクションマッピングを仕掛けて大評判になったクリエイティブ企業のネイキッドが、展覧会として「フラワーズ・バイ・ネイキッド」を開催するってんでその内覧会を見物。入っていきなり代表の村松亮太郎さんが、ビッグなシートにプリントされて待ち構えていて、どこの福山雅治さんか的なイケメンぶりを見せてくれていて、展覧会を見に来る日本橋の有閑マダムの気を引きそう。ライバル企業のチームラボの猪子寿之も背が高くてなかなかのイケメンだけれど、村松さんの法が甘さでは上を言っているかなあ。喋ると声がまた良いんだよなあ。

 でもって「フラワーズ・バイ・ネイキッド」は、前に新木場であった制作途中のところを見せてもらった「ダンデライオン クロック」が完成品になっていて、ふっと吹くとたんぽぽの綿毛がぶわっと舞い上がる仕掛けに、最初だれも気付かず遠巻きにして撮影してたんで、近寄って吹いて上がってなるほどこれは面白いと実感。あとは誰かが吹くのを見ながらアナログの行為がデジタルの反応を呼び起こす面白さって奴に触れてみる。続く「フローズン ローゼズ」は、イメージ図よりももっと幻想的な感じ。前にあいちトリエンナーレで暗い空間に巨大な泡がもこもこと広がっている作品を見たけれど、それに似たアート作品的な雰囲気があった。色がさまざまに変わっていくのも面白い。でも冷たさとなるとちょっと違うかなあ。もっと甘くて柔らかい感じ。わたあめ的な。

 「植物の繭」って作品は、いけばな草月流とのコラボレーション作品ってことでよくよく見ると生花がダイナミックに並べてあって、そこにネイキッドならではのプロジェクションマッピングの映像が重なるといったところ。意味合いはわからないけれど、これもアナログにデジタルがマッチして今までにない不思議さを醸し出していた。前に日本科学未来館で見たチームラボによる花を使った展示は、アナログの生花を地面から伸ばし天井からも吊す中を人があるくと、人のいる場所だけ花が上がって空間ができるという内容で、その場についてはアナログで裏側にデジタルが動くといったものだった。そのアプローチもユニークだったけど、こちらは映像ならではの自在さを花と重ねて何が起こるか、といった視覚面からとらえた作品。ネイキッドらしいと言えば言えるかも。

 他にも多々あった作品。ガラスビンの中にふわっと花が浮かんでは咲き誇り散っていく映像が映し出される作品なんかは、よくよく見れば中に透明のスクリーンが入っていて、そこにプロジェクションが行われているんだけれど透明度が高いため、本当に空間に映像が立ち上がっているように見える。前に新江ノ島水族館で大型の水槽の前にスクリーンを置いて映像を投影した時は、半透明っぽさがあってそれが背景の水槽を泳ぐ魚を見えにくくしていた。当時から完全な透明さを求めていたものの及ばず、ああいった展示になったそうだけれどその後も探求を続け、開発を重ねてようやく求める素材にたどり着いたといった感じ。ここでの実験を経て、より大きなスクリーンを使った重ね合わせの映像ショーとか行えるようになれば、例えば初音ミクのライブなんかも、もっともっとリアル感のあるステージが作り出せるかもしれない。東京五輪でも遠く離れた場所に試合会場をリアルタイムで投影するような中継も行えるようになるかもしれない。そんな時代に向けた技術の蓄積にもきっと、余念がないんだろうなあ、ネイキッド。先を行く企業はさらに先を見ているってことで、いろいろと勉強にもなる展覧会。時間があったら本番も覗いてみよう。


【1月6日】 絵柄的にホノボノとしてノホホンとしているように見えて、進んでいるのは緊迫の事態で、残酷な状況もあったりするから、そのギャップに目が釘付けになって離せなくなる速水螺旋人さんの作風。「大砲とスタンプ」の第5巻ではスパイの男が懇意にしていた女性をあっさり射殺していたりして、直前まで朝食の準備をしようとして可愛らしげにふるまっていたその女性の表情とか見せられて、次の瞬間には死体になっているギャップに、たとえ見てくれが爽やかでもハッピーでも、戦闘だとか戦争ってのは人を残酷にもするし、世の中を残虐にまみれさせもするんだなあと思ったのだった。

 そんな中でも兵站軍のヒロイン、マルチナ・M・マヤコフスカヤだけは、撃たれもせず死にもせず、苦労もしないでひょうひょうと戦闘を生きていく。そこだけ違うリアルのレベルにホッとするからこそ、その他の絵柄に依らない戦争のリアルがグンと胸に迫るんだろう。そこが巧いんだよ螺旋人さんは。そして「イブニング」なんかにぽつぽつと掲載されていた連作とか短編なんかがまとまった「螺旋人同時上映」(講談社)も、読むと戦闘やら戦争やら紛争の状況はとってもリアルでシリアスで、勢力争いなんかで政情は不穏で軍部に警察なんかが跋扈して威張り散らし、異民族は排斥しようなんて動きも台頭して来てその中で暴力を振るわれ耳を切り落とされるような事態も起こる。

 もう悲惨。でもそれは実際に過去に起こったことだし、今も起こっているしこれからも起こり得ることだけに、目を背けることはできない。ホワッとしてかわいいキャラクターたち、がそうした悲惨な事態に見える様から、現実の痛みを感じ取ることがやっぱり必要なんだろう。一方で、代書屋レオクリフだけは暴力も受けるし追い詰められもするけど、どうにか乗り切りひとり留まり代書屋をやり続けている。その特異点的な立場を通して、変転して悲惨になっていく状況を目の当たりにしながら、人は平穏への道を探らなくてはいけないんだけれど、そういう時代は来るのかどうか。「大砲とスタンプ」もマヤコフスカヤが故郷に帰って除隊し平穏な人生を歩む日は描かれるのか。そこに踏み込んでくれると嬉しいけれど、そうならない可能性もあるだけに知るのが怖い。果たして未来は。ここはホノボノとしてノホホンが世界を満たす日が来るのを切に願おう。

 日本の気象庁ではマグニチュード5・1で、韓国の観測ではマグニチュードは4・3。開きはあるけどだいたいそれくらいの規模だとするなら北朝鮮が水爆実験に成功したものだと発表した爆発は、2013年にブースト型核分裂兵器、いわゆる強化原爆の実験に成功したと言われる時と同じくらいの規模で、それで水爆実験だなんてあり得ないんじゃないのってのがアメリカとか、そういったところで状況を見ている人たちの予想。まあ当たっている可能性もあるんだけれど、水爆が原爆だからって核兵器であることには変わりなく、爆発すれば被害は大きく後世への影響も残るため、安易に使えるものではないし広島長崎以降、世界のどこの国も使っていない。

 現実問題、熱核兵器は持っていたって使えない兵器であって、ただ破壊だけを目的としたテロリストならいざ知らず、国家がそういうものを作りましたからといって、世界がだからスイマセンでしたと北朝鮮に頭を下げることもないだろうし、北朝鮮がそれならと使って世界からフルボッコされる道を選ぶとも思えない。とはえい何をしでかすか分からないってところを、ずっと見せては自国にとって好条件を引き出してきた国だけあって、そういう取引の材料として使われることはありそう。あと脅威はそこにあるだけで脅威として働き人を動かすから、冷戦時代に比べれば一触即発でもない状況を危機だと煽り再武装を目指す一味の材料にならなきゃ良いけれど。それを狙ってあっちとこっちが地下で結託してたらちょっと笑う。なんて巨大な陰謀だ。

 プリンスだなんてついているからまた、美少年たちが出て来ていっぱい並んで性格も分け合いながら女子のファンをかっぱぐアニメ化と思ったら、1割くらいは当たっていたけど9割くらいはもっとクールで激しく、そしてスタイリッシュなスポーツアニメだった「プリンス・オブ・スクライド・オルタナティブ」。街をコースに見立ててどんな障害物もそれを認めず乗り越え駆け上がって通り過ぎていくストライドって競技があるみたいで、それに感動して強豪校に入った女の子が尋ねた部室は部員が3人しかおらず将棋部と掛け持ち。試合に出られる状況じゃなかったけれども女の子といっしょに行った新入生の眼鏡の少年がいて、別にクラスメートで運動能力が高そうな少年も引っ張り込んでどうにか部員を揃えて、さあ再スタートっていったところで以下次回。

 あらゆる部をかけもちしたいと訴える少年がストライドを嫌がっていたあたりに過去の秘密がありそうだけれど、それも含めていろいろ明らかにされていくんだろう。強豪ながらも部室にいない先輩2人の動静も含めて。それにしてもストライド、街でも室内でもすべてをフィールドにしてコースにして走り抜くのはフリーランニングでありパルクールって感じで、それをただ1人で走りきるんじゃなくってリレー形式にして障害物とかいっぱいな中でもスムースにタッチの受け渡しができるよう、オペレーターをひとり置くところが新アイデア。その支持によって走り出した次走者が制限の中でうまくタッチをきめられるかで、勝負の行方も変わってくるならそれは重要な仕事で、そこに女子をあてがい傍観者ではなくする展開がうまいなあと思った。

 そして走りを描きアクションを描くビジュアルにも。誰だと思って見たら何といしづかあつこさん。「月の沙漠」でアートっぽいアニメーションの人かと思ったら、商業をやりたくてマッドハウスに入っていろいろ手掛けて「スーパーナチュラル」のアニメ版の監督をやり「さくら荘のペットな彼女」やら「ノーゲーム・ノーラーフ」なんかもやってそして「ハナヤマタ」なんかで萌えっぽくてもちゃんと運動があって物語がある作品も手掛けて次代を担うアニメーション監督の一角を成している。どこかペカペカとした色使いなんかがあって見た目で勝負する人かとも思われがちだけれども「スーパーナチュラル」の時に話を聞いたら女性のキャラクターの心情なんかをちゃんと考え展開を考えたって話してて、物語自体にも踏み込んで演出できるってところを見せてくれた。

 「プリンス・オブ・スクライド・オルタナティブ」では、第1話で絵コンテと演出を手掛け、ストライドっていうアクションのスピード感もしっかりと表現してみせて、そうしたアクションもこなせる人なんだと満天下に示した。この実力ならそれこそ2時間とかある長編の劇場アニメーション映画を作って作れそうな気がするんだけれど、そういうのを任せられる状況に今のアニメーションがあるのかどうか。イベント上映とか増えているからあるいは機会があればってことなのかな。まずはこの作品がどこまではじけるかを眺めつつ、その後の仕事を見守ろう。今千秋さんとか山本沙代さんとか同世代の女性アニメーション監督の動静も含めて。

 ツイッターが今の140字から31文字に制限されるそうだけれども実際、日本なんかでは古来において31文字に心情を込め情景も描写しメッセージも含んで表現し、それを受けて相手も31文字に返事を入れて心情も含ませ情景ももちろん表してみせた伝統があるから、これを復活させれば31文字というか57577の文字でもって内だって言い表せるんじゃなかろうか。あるいは575の17文字だってそこに警句を散りばめつつ情景も言い表すことができるし、その連なりによってより大きな世界を表現することだって加納。140字だってもてあます人も多いんだし、ツイッターの31文字制限は世界にとっても改めて、言葉を磨き表現を鍛える機会になるだろう。なんつって。逆だよ1万字に増やすとかいった話が伝わってきて戦々恐々。そんなものがタイムラインに連なった人にはいったい読むのにどれだけかかる? 校閲なんかはできるのか? とか声もあがってちらかといえばネガティブな反響だけれど、いったいどういう体裁でどんな感じになるのかなあ。そもそも本当なのか。これも様子見。


【1月5日】 1000年を越えての対立があったりするイスラム教のシーア派とスンニ派の関係に、ISといった地域闘争的であり階級闘争的な要素も加わって複雑化する中東情勢。サウジアラビアでスンニ派のテロリストとされる人たちが処刑されたのといっしょに、シーア派の指導者もやっぱり反権力闘争の指導者と見なされ処刑されてしまったことに中東のシーア派が憤り、シーア派が実権を握るイランではサウジアラビアの大使館が取り囲まれたといった事件も起こっている。国交が断たれたり経済制裁なんかも始まったりすればさらに対立は激化しそう。それはイラン・イラク戦争の時代のようなイランだけが乖離するのとは違い、各国各地でのシーア派とスンニ派の対立も読んであの地域にモザイク的な衝突を呼びそうで、それが大火となって燃え上がったら世界に飛び火するのか、なんて素人考えから不安も浮かぶけど本当にどうなるかは分からない。ちょっと様子見。トイレットペーパーは買い溜めしておいた方が良いのだろうか。

 そりゃそうだろうなあ、としか言いようのない結果がでてきた2016年1月1日のテレビ番組の視聴率。アメリカへのリベンジで注目されたテレビ東京の「大食い世界一決定戦」は第1部4・9%で第2部には7・1%へと跳ね上がって尻上がりの注も気宇を集めた一方で、自民党の偉いさんが出演して何を接待しているんだと言われたフジテレビの「超豪華歌うま正月SP十八番で勝負」は4・0%に留まり、続く「ネプリーグ夢対決SP新春超常識王決定戦」も5・6%止まりでともにテレビ東京に敗れ去った。日本テレビとテレビ朝日が嵐を起用したり「相棒」を放送したりで18%台とか16%台だなんて今時の高視聴率を叩き出しているのと比べると悲惨極まりない。「ネプリーグ」はともかく歌合戦の低迷なんて番組作る前から分かっていただろうと思うけど、それを止められない何かがきっと局内にあるんだろう。

 でもって年間視聴率でも日本テレビやテレビ朝日、TBSの後塵を拝して民放4位に落ちたそうで、時間帯によってはNHKにすら届いていないところも出ている感じ。ふり向けばテレビ東京とか言いつつ、部分的にはテレビ東京にすら追い抜かれているところも出ているってことはつまりテレビ界最低でもあって、いよいよ本格的に低迷の泥沼に陥ってきた。いやいや流石に2年も連続で停滞したからにはここから復活の狼煙といった期待もあるんだろうけれど、即座にどうにか出来そうな元旦の番組での惨敗は内部に修正能力がもはや存在しないことを示唆していたりしそう。それでこれから巻き返すと言って誰が信じる? スポンサーはさらに敏感だろうから、さすがに匙を投げて広告お断りとなった挙げ句に収益に多大なる影響が出るという、そんな年になりそう。そして系列の新聞媒体に行くお金は減り……考えると夜、寝られなくなっちゃう。

 昨日は渋谷のパルコで生ョ範義さんの描いたゴジラのポスターなんかが飾られた展示を見てから、代々木体育館の脇を抜けて明治神宮まで行ってはじめて明治神宮に参拝をして入り口から本殿まであんなに距離があるのかと驚き、これだけの森を維持していることによって東京にもたらされる酸素も結構あるかもなあと実感しつつそこから代々木へと抜け、ついでだからと新宿まで歩ききってお腹を少しだけへこましたけれど、今日はせっかくだからと浅草の浅草寺へとお参りし、そこから言問橋を渡って向島にある三囲稲荷へと詣でてさらにとことこ歩いて東京スカイツリーまで。距離的には渋谷から新宿には及ばないけれども下町風情の漂う場所が、お正月といった風情に彩られ、そして東京スカイツリーの存在によって街として大きく活性化したって感じを肌に覚える。ちょっとしたきっかけで街って変わるんだよなあ、COREDO日本橋が建って日本橋が大きく変わったように。

 そんな三囲稲荷は原恵一監督の長編アニメーション映画「百日紅 〜Miss HOKUSAI〜」に登場した時に、葛飾北斎の娘のお栄と彼女の妹のお猶がいっしょに雪の中を、写生も兼ねて詣でた場所で隅田川の堤防側から見るとちょっとだけ、下がった場所にある神社の鳥居の頭が見えるといった情景が特徴的だった。映画ではお栄もお猶もそっちから入っていたけれど、映画が公開された2015年の春に寄ったときには鳥居の下にある門が閉まっていた。それがお正月ってことも開いてくぐれるようになっていて、映画のようにお栄とお猶の気分になって土手を下り、鳥居をくぐって本殿に参り、3つのお稲荷様がある場所を詣って映画の中の人になったような気分を味わった。もちろん映画はフィクションでお栄もお猶もいたかもしれないけれど、ああやって三囲稲荷に参ったかは不明。でも江戸時代の誰かはそうやって詣っていた。そんな過去との繋がりを感じ取れる場所。いつまで開いているかは分からないけれど、昨年末に出たDVDとかBDを見て気になった人は行ってみると良いかも。

 そんな散歩の途中に寄った浅草の浅草寺でおみくじを引いたら大吉だった。あり得ない。どこよりも凶が出やすいおみくじとして世界的に有名で、実際に過去に何度か引いてその度に凶が出ていたんだけれども今回ばかりは1番くじにて大吉。ひゃっはーと小躍りしたけどこれで1年の運をすべて使い果たしてしまったとしたら、おみくじの意味がないじゃないかとも思ったのだった。効果は1年は続くと信じたい。境内ではとりあえずたこ焼きを食べホタテの焼いたのを食べて縁日気分は消化。広島風のお好み焼きとか大阪焼きとかも食べたかったけれども炭水化物ばかりでは体にダメージも食らうんでここは我慢。フランクフルト見なかったなあ。昔はもうちょっと変化球的なものもあったような気がしたけれど、なみえ焼きそばとか横手やきそばといったご当地グルメ系の屋台は見かけず。そうした惹句で客を誘う屋台は新興で、浅草寺に出られるのは伝統の屋台ってことなのか。分からないけれどとりあえず、美味しかったのでそれで良し。イイダコがまるまる1匹入っていたたこ焼きはもう見ないなあ。

 「RAIL WARS!」シリーズ意外にも創芸社で書いていたらしい豊田巧さんの「ヤタガラス」が創芸クリア文庫になって登場したので読んだらスナイパーの物語だった。口減らしのためにポルトガル人に売られ女だけじゃなく男の相手もされれながら鍛冶の技を習得した少年が、ポルトガルに連れて行かれそうになって作った銃で主人を撃って出奔し、そのまま銃の腕を磨いた果てに鉄砲鍛冶の四郎と出会い2人でペアを組んではじめた殺し屋稼業といった展開。とてつもなく遠い場所から眉間を射貫く腕前を持つだけでなく、それを可能にする銃もあるといった組み合わせは、さらにライフリングを切って弾を回転させながら飛ばすような当時あったんだろうかという技術まで導入されてなおいっそう、2人で1つの「八咫烏」の名をとどろかせる。いずれ聞くだろうその名に織田信長はどう動く? ってあたりが続きがあれば興味が向かうんだけれど、単行本が出て1年、出た感じもないところを見ると1巻で終わり? それとも文庫化に合わせてシリーズ化? 気にしていきたい。

 気がつくとレアル・マドリードの監督にあのジネディーヌ・ジダンが就任していていったいナニゴトが起こったんだと行った驚きがふわり。だって別にベニテス監督、リーガ・エスパニョーラでモウリーニョ監督が率いたプレミアリーグのチェルシーみたいに下位に低迷している訳じゃ無く、十分に優勝が狙える位置にいるし、チャンピオンズリーグでも圧倒的な得点録でグループリーグを抜け出しトーナメントへと駒を進めた。スペイン国王杯で使ってはいけない選手を使って失格になったのは拙かったけれど、これだって当人だとか周囲が気付けば止められた話。全部が全部監督の責任って訳じゃないんだけれど、それでもレアルの偉い人には満足できない成績だったんだろうなあ。あるいはベニテスが大嫌いだったか。偉いさんにも派閥があって力学があって、そして今はそれがベニテス排除に働きジダンの招聘に動いたんだろう。ギャラクティコを作った時のように。じゃあジダンにチームが引き入れるかというとこれが未知数。下位のリーグで下部チームを率いた実績なんて何の意味もないからなあ。まずは半年のお手並み拝見。評価はそれから。


【1月4日】 ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ってな叫びがネットを埋め尽くした感もあった(個人の感想です)昨夜から明朝にかけてのTOKYO MXでの「OVA ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です」のテレビ放送。最初に「ガールズ&パンツァー 劇場版」の大洗戦をやって映画を紹介して、それからOVAに行くかと思ったら逆だったのは、映画の冒頭がダージリン様のカップに茶柱が立つところからではなく、包囲網を狭めた大洗学園と知波単学園が一斉砲撃に出るところからで、さらに市街戦も途中まで、ダージリンが駆るチャーチルと西住みほが乗る4号戦車がすれ違うあたりと中途半端にならざるを得ず、それを最初に見せてモヤモヤ感を煽るのも拙いといった判断からか。いずれにしても映画はあんなものじゃないので、是非に映画館へと足を運んでそこで観よう。

 それは「これが本当のアンツィオ戦です」も同様で、OVAとして作られながらも最初は劇場でのイベント上映だったこともあって、その大画面に耐えるアクションがあり、音響もあって短編映画として存分に楽しめた。もしも機会があるなら「ガールズ&パンツァー 劇場版」に先だってのセンシャラウンドを改めて、映画館で浴びたいけれどもそんな機会って訪れるのかなあ、映画作品と違ってイベント上映作品が再び映画館で上映されることってあんまりないからなあ、そうでもないかな、「機動戦士ガンダムUC」とか上映されることもあるし。それがかなわないなら今回の録画を見返して、劇場で5回は観てAmazonのプライムビデオでも3回は見返したくらいの面白さを、家で存分に味わうまで。いやもう冒頭からラストまで、どこを取り出してもしっかりと面白いんだよこの作品は。

 何よりドゥーチェことアンチョビの性格がとても良い。先頭に立って戦車道の部員たちを鼓舞して引っ張るんだけれど横暴ではなく独裁でもなく、部員たちがお昼ご飯を食べにP40お披露目するのを見捨てて去って行っても、そういう自分に素直なところが良いんだと前向きに考えることができるし、大洗学園との試合の中で味方のカルロ・ベローチェが崖から落ちると怪我してないかと心配し、自分が盾になっても大洗学園の砲撃から守ろうとするところに、部員思いの優しさって奴がうかがえる。それだからペパロニがアホをやってマカロニ作戦を台無しにしてしまうんだけれど、それも仕方が無いと気を取り直して戦闘に挑む切り替えの良さ。見ていてとっても気持ち良い。戦い終わっていっしょにご飯も食べるし。こういうところが戦車道なんだろうなあ。戦争じゃなく。

 そんな戦いをしているから、大洗学園の戦車を1両も撃破できずに終わって、それでいったいどうやってマジノ学園に勝てたのか、って不思議に思わないでもないけれどもその時は、アンツィオ高校ならではのノリと勢いがあったんだろうなあ。もしかしたらマカロニ作戦みたいなのが成功していたのかも。そういうのを想像もしてみたくなるくらい、奥深くて楽しい1作。というか、改めて観て途中に継続高校の名前が出て来て、黒森峰学園で苦戦したって話が西住みほから語られていて驚いた。なるほどだから映画でも継続はあんなに強かったし、それを信じて守備隊もいるはずのカール自走砲の排除にたいして強くもない八九式やら偽ヘッツァーやらカルロ・ベローチェやらを一緒に向かわせたのか。この段階からいろいろ仕込まれていたんだなあ。ほかにもまだまだ使われていない伏線があるならそれを、回収して広げる続編が観たいんだけれど、あるかなあ、いつか、いつの日か。

 年末年始のテレビの視聴率とか出て来て、やっぱり紅白歌合戦は後半戦が過去にないくらいの悲惨な数字になったみたい。そりゃあねえ、誰が目玉って訳でないし今が旬と行った感じでもない、そんな人たちを並べたところでそれなら見て見ようかって惹かれる人もいない。AKB48が卒業したはずの前田敦子さんと大島優子さんを復帰させ、並べたとしてもそういうことが起こると分かっているからこそ見るんであって、まったく知らないまなならそれなら良いかと見なかった人だっていただろう。見たい人はずっと見ている。だからサプライズに何の意味も無かった。もったいないというか、何がやりたかっただろうというか。小林幸子さんのラスボス的登場と弾幕の応援は素晴らしかったけど、過去のような衣装対決の文脈に乗って語られた訳じゃないから、一般の人がそれならと見ようとすることもない。そういうポカの積み重ねが過去最低の数字につながったんだろう。

 それを自分は見ていて面白かったから、最低視聴率は間違いじゃないかという籾井勝人会長のポン酢っぷりがまたしても際だったというか。去年は大河ドラマという仕掛けさえ間違えなければそれなりに数字が取れるコンテンツで、何を間違ったか世間に対して知られてもいない女性の生涯を、史実なんて無視するかのように煽り立ってもやっぱり及ばないまま尻すぼみに終わらせ、過去の大河ドラマにおいける最低視聴率タイ記録を樹立した。厳密に見れば最低だたっという話もあるくらいで、NHKがほこる2つの大看板でともに最低視聴率を記録した会長って、もしかしたらはじめてかもしれない。そんな人がこれから率いるNHKでは、次に絶好調の朝の連続テレビ小説がグズグズにされて、最低視聴率を記録するかも。そうなったらそうなったで、籾井勝人会長の名前は歴史に刻まれることになるだろうなあ。どうやったらそんな経営ができるんだろう。ポン酢なのか。ポン酢がさらに上にいるからなのか。どっちもか。やれやれ。

 そんな紅白も含めつつ年末の特番も含んだ2015年のテレビの年間視聴率は日本テレビ放送網が3冠王を3年ぶりながらもも獲得してバラエティー番組を中心とした好調さを見せつけた感じ。昼間のバラエティーこそTBSの「ひるおび!」が4年連続で時間帯トップを維持しているみたいだけどもそれを含んだ前日もプライムもゴールデンも日テレがトップに輝いて、ドラマに強くて視聴率を高めていたテレビ朝日を押し下げた。テレビ朝日に凋落の気配か、っていうとたぶんそうでもないんだろうけれど、一時ほど「相棒」シリーズが盛り上がってないのが痛いのかも。まあいずれ巻き返してくるだろう。TBSはドラマが好調に見えた割には上位には来なかったのかな。フジテレビは……言うのもかわいそうな状況なんだろうなあ。

 そんなフジテレビ凋落の理由を、お台場に本社を移したからだって主張が漂い始めていて、まあそれもあるかもしれないけれど、本当にそうなんだろうかといった思いも浮かんでどっちつかず。その主著うによると「かつてのフジテレビは新宿河田町にあった。だからすぐに劇場や映画館に行くことができた。だが、いまは横澤が行ったように会議をはやく切り上げたとしても、時間的に間に合わないことが多くなってしまっているのだ」ってことらしく、それによってディレクターとかプロデューサーの感性が市井から乖離して、面白い番組が作れなくなっているってことらしい。でも。お台場に本社を移す前のフジテレビだって、都営新宿線の曙橋から歩くと10数分はかかったってことを知ってて書いているんだろうか。

 地下鉄の駅を降りて地上に上がって、そこから賑やかな商店街を抜けて坂道上ってぐるりと回り込んで、正門抜けてフジテレビギャラリーの脇を通って玄関まで。10分とかそれ以上はかかったかな。そんな時間でゆりかもめならお台場から新橋近くまでたどり着ける。そこから銀座にも渋谷にも簡単に出られる。汐留にある日本テレビには劣るけど河田町時代に比べてはるかに劣る立地とも思えない。テレビ東京だって神谷町駅から歩いて何分か。その神谷町駅って日比谷線だから新宿にも渋谷にも出づらい。フジテレビに比して好立地とは言えないけれど、それでも面白い番組を繰り出している。

 だいたいが、地下鉄千代田線の赤坂の真上なんて最高に立地の良いTBSが、それでいながらテレビ局として年間視聴率の1冠も取れてないのはどういうことか。お昼の番組で1位が取れるのは近所にお昼ご飯を食べる場所がたくさんあって庶民感覚に近づいているからか。それは冗談だけれど、つまりはフジテレビの場合、お台場という立地が問題じゃなく、そこにいながらも1時間かからずに行ける新宿へ渋谷へ下北沢へ自由が丘へ池袋へ銀座へ新橋へ通って、何かを見て聞き読んで遊ぶ気概を制作者たちが持てなくなっているか、それを持ったところで使い道がない、使わせてくれない編成側の意識にあるんじゃないのかなあ。改革すべきは場所じゃない。それに気付きたくないから、場所が悪い、チャンネルの位置が悪いって逃げているんじゃないのかな。正月早々の与党政治家を担いだ歌合戦とかやってのける感覚が、滅びない限りは浮上は難しいってことで。やれやれ。


【1月3日】 ほとんど何もせずに惰眠を貪る中で、ふっと目覚めた午前0時前後にNHKでテレビ界隈を振り返る番組がやっていて、テリー伊藤さんやYouさんやヒャダインさん、ヒロミさん羽田圭介さんに元フジテレビの吉田正樹さんらが並んでいろいろ語っていたけど、ちょうど見た時にやっていた、復活して欲しいバラエティ番組べすと10のうち、6つがフジテレビの番組だったことが色々と衝撃的だったというか、つまりはそういう時代もあったというか。「俺たちひょうきん族」に「笑う犬の生活」に「タモリのボキャブラ天国」に「ダウンタウンのごっつええ感じ」に「笑っていいとも」に「トリビアの泉」と、聞けば思い出されるフジテレビの人気番組がズラリ。視聴率も高かったそれらが今は見る影もないのって、やっぱりどこかで道を踏み間違ったとしか思えない。

 なるほど情報番組のトップランキングで今なお「めざましテレビ」が来ているのは、フジテレビにとっての最後の橋頭堡といった感じだけれど、それだっていつ抜かれるか。吉田さんが帯のワイドショーは定着までに10年かかると言って、「ズームイン朝」をそれだけかけて「めざましテレビ」が抜いたことを挙げていたけど、裏返せばその「めざましテレビ」だっていつかは別の番組に抜かれかねないってこと。同じようなことばかりやっているのを吉田さんは、それでも違いはあって肌合いもあるから優劣は付くとか話していたけど、昔と違って無いように差はなく肌合いに違いも見られないようになていて、それを見たいと想う人が減っている状況をどう考えるのか。視聴率競争では勝っても視聴率は下がり占有率は落ちて朝、新聞を読まないのと同様に朝、テレビも見ない層がこれから増えていったらどうするんだろう。それを解決する道が見えていないのが気に掛かる。

 ヒロミさんは、フジテレビのFNS歌謡祭で、とんねるずの木梨憲武さんと藤井フミヤさんとヒロミさんのステージに、見栄晴さんがひとりぽつねんと立っていたらしい“事件”について話して、本番まであいた時間で何かやってやろうと話し合い、見栄晴さんを呼び出して、何もしなくてもいいからステージに立っていろとスタッフにも黙って引っ張り出して立たせたら、あとでフジテレビの人が怒らず面白かったといったという話をして、フジテレビまだまだやるじゃんと言っていた。なるほどそういう粋はまだあったかもしれないけれど、でも、実際のところ「そんな事件あったの?」って思ったほど。誰が見ていたかもう定かでない番組で、なにをやってもハプニングとして国民的な話題になりづらい状況そのものに、もうちょっと危機感を覚えた方が良いんじゃないのかなあ。

 一方で羽田圭介さんが、ネット配信の増加で最初は面白いしお金もかかっているからと海外ドラマをいっぱい見ていたけれど、見るうちにプロットのあざとさが透けて見えて来て、どれも一緒じゃないかと思うようになって、最近は見なくなったって話をしていた。好きな物ばかり選んでみていると逆につまらなくなっていくという状況を、打破するには様々な感性が面白い物、つまらない物も取り混ぜてリアルタイムで配信ではなく放送されるテレビの地上波に、まだまだ大きな役割ってものがあると言えそう。そうたい好条件であり好機をいったいどう活かすのか、ってところでのアイデア不足があり、またアイデアあはってもそれを活かせる環境がない、つまりはちょっとぶっ飛んだことをやったら批判が来るような状況があって、先行きはままならないけどそれでもあるだろう未来に向けて、何かやってくれると信じよう。個人的にはアニメと音楽番組があれば十分なんだけれど。あと鑑定団とか。ヒストリアとか。

 せっかくだからと午前6時に起き出して、電車を乗り継ぎ鷲宮神社まで行ったら好いていた。まあ午前8時にすらなっていない時間なんで、屋台もあいておらずテント村もすべて閉店か開店準備中だったけれど、それでも朝からちゃんと始動しているところは鷲宮神社が今でもちゃんと人気の初詣場所なんだってことを分からせてくれる。「らき☆すた」前は10万人以下にまで落ち込んでいた参拝客が、今では40万人を超えるくらいになったのは、間違いなくアニメーションの告知の力であって、その大切さは認めなくちゃいけない。ただアニメの放送が終わって行こうもちゃんとこうして参拝客が続いているのは、地元が頑張って盛り上げていることがひとつにあり、一方で鷲宮神社元より関東最古の大社だったという存在感がある。それらの融合から生まれたこの賑わいを、ほかで真似するのは難しいし大変だけれど、それでも終わらないアニメ興しな動きの中で、キャラ人気に縋ろうとする動きがあったらそれは間違いだからちゃんと場に、人が来るための“理由”をつけてあげようと言っておこう。神社でも。イベントでも。

 せっかくだからと大手町まで行って仕事をしつつ真下で繰り広げられている箱根駅伝のゴール前での賑わいを眺め見る。隣の読売新聞社が共催に入っている箱根駅伝なのに、本社前の広場を使わせ箱根駅伝を報じる読売新聞を掲げさせ、そしてライブビューイングとか学校の展示とかを行わせる産経新聞社に忸怩たる思いはないんだろうかとか考えたけれど、そうしたイベントが行われている広場はサンケイビルの持ち物であって、そして立っているビルもサンケイビルであって、それはフジメディアホールディング参加の不動産会社でありディベロッパーであるサンケイビルという会社の事業であって、そんなサンケイビルに店子として入っているだけの産経新聞社に何は歯がみもする権利はないのだったという、そういう事情なんかも思い浮かべてメディア業界の栄枯盛衰に思いをはせるのであった。いっそ読売傘下になってしまえば良いのになあ。

 しかしゴールの時間に向けてどんどんと人が集まる箱根駅伝。テレビ中継を見ている人も多くて、その意味では国民的な行事でありスポーツイベントとも言えるんだけれど、世界においてロンドンマラソンなりニューヨークシティマラソンなりシカゴマラソンといったスポーツ大会ほどの関心はなく、日本という地域のそれも関東というローカルな場所で、大学生たちが長い距離を走っているだけの極めてドメスティックな競技に過ぎない。それに国民が熱中して盛り上がることは自由だし、セパタクローだとかクリケットといった日本では知られていない競技がタイやインドで盛り上がっているのと似たような構図なんだけれど、そういう自意識があっての応援ならまだしも、世界に日本の陸上が?がるかのような意識をそこに見せると、間違えるから用心が必要かも。長くマラソンとか長距離で五輪のメダリストが出ていない状況をそろそろ考え無いとなあ。東京五輪も来ることだし。

 それでよく筆が腐らないなあと、某ライターによる新作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」に関する批判というか根拠に乏しい罵倒記事の連発ぶりを見て、物書きとしての矜持とか品性に関する疑問が浮かび、これが載るような媒体もどうなってしまうんだろうといった思いが浮かんで気分が萎えてくる。最初の記事では懐古趣味だと罵倒し、あそこでハン・ソロやレイアが出てくる必要ないじゃんとか書いていた。そうした展開にファンが喝采を贈っていたにも関わらず、すべてがそれに同意する批判ばかりだったかのような取り上げ方をして、記事を読んだ人から怒りを買い、2度と映画について筆を執るなとまで言われたのに、続けざまに「スター・ウォーズ」を取り上げた記事を書いては、前の記事には賞賛がたくさん寄せられて、世界には自分と同じ考え方の持ち主しかいないと言わんばかり。

 違うだろうって言ってもそんな声は耳に届かず目にも入らないまま、ヤフー映画なんて玉成混交の場所に批判があったことを、さも重大事のごとくに取り上げる。そりゃあ批判もるだろう。でもそうでない賞賛もあっただろうに、それには一切構わず批判の渦。自分が見て気に入らなかったのは良いけれど、それをあからさまに罵倒しかない筆で書き散らすみっともなさだけでも恥ずかしいのに、世界が自分と同じだってことを語ってみせてさらにみっともなさを増幅する。そして今度はジョージ・ルーカスによるディズニーが「スター・ウォーズ」を作ったことへの批判を挙げて、新作の「スター・ウォーズ」には創造者自身も反感を抱いているってニュアンスを漂わせて、新作は駄作だという自分の意見の補強にする。

 なるほどルーカスはディズニーを批難するような言葉を吐いたけれど、それは映画を見る前の言葉であって、差別敵なニュアンスも含んだ言葉だったこともあって、試写を見た後にルーカスは発言を撤回して映画と監督を評価している。つまりはそっちがルーカスにとっての正論なんだけれど、最初の批難を大事とばかりに取り上げ、それが真意の如くに伝えるのは、どこか作為的で物書きとして決して褒められた態度じゃない。羊頭狗肉というか牽強付会というか。そんな筆の詐術をさらけ出してまで、自分が嫌いなものを罵倒してみせるライターもライターなら、載せる媒体も媒体。ともにメディアとしての良心も良識も品位も失っている。だから傾いているんだけれど、それをどうにかしようとアクセス狙いでさらに曲がった筆を持ち出す悪循環。誰か止めないといけないんだけれど、もう止まらなだろうなあ、ドラッグは1度使ったらもう止められない物だから。やれやれ。


【1月2日】 ようやく読んだ鳩見すたさん「ひとつ海のパラスアテナ3」(電撃文庫)は医者のタカとそれから前に知り合ったオルカといっしょにパラスアテナ号で公開中、オルカが大事にしていたぬいぐるみがなくなってしまってそれをひとり、アキが残って探すと言い張る辺りに危険で過酷な海で生きていくための真剣さというか、慎重さが足りずイラつくなあとも思ったけれどもまあ、ガキなんでそういうこだわりがあっても仕方が無いといえば仕方が無いか。おかげでスカベンジャーに絡まれそこにいたアンダーから来たらしい少女とも知り合えて。そうやった展開の中から世界がすべて海に覆われた世界に浮かぶ廃品なんかで作られた海上に暮らす人、宇宙へと移住した人、そして地底に暮らす人がいてあと、どこにあるか分からない「アッパー」に暮らす人がいることが分かる。なおかつ地底は滅んだとか。そんな激変した世界に生きる人たちの、そんな世界ならではの生き様を綴ったSFシリーズ。人類に希望が見える展開がこれから繰り広げられていくと嬉しいなあ。第4巻は出るかなあ。

 1つ250グラムとかのハンバーグなんて、普通に食堂で食べてもやや大きめなのに、それを10個20個と平らげる人間の胃袋は、いったいどうなっているんだろう? 肉ばかり食べているアメリカ人ですら途中で止まって、それでもって肉は後に来るから今は焦らず追い込もうとか言っていたのに、止まらないどこかさらに差を付け圧倒的な勝利を刻んで見せたMAX鈴木さんに、今はただただ唖然呆然。確か最後は1人で6キログラムを越えたんだっけ。日本みたいに柔らかいとかジューシーといった感じはない、しっかりと火が通された肉塊に近いハンバーグをひたすらに飲み込んでいく胃袋の中には、もしかしたらブラックホールが広がっているのかもしれない。

 それともフォークで刻んでそぼろ状にしたんで食道までびっちり詰め込めたのか。もともと肉に強い胃袋なのか。テレビ東京で元旦にやっていた大食い世界一決定戦で最も白眉だったシーンかも。その決勝、2対2でやったハンバーグ対決では圧勝だったのに、直前のピザ対決でアメリカ代表のモリーって女性に日本から行った元女王らしい菅原さんが敗れて後がなくなり、MAX鈴木さんを2戦目投入で絶体絶命のピンチを切り抜けたけれど、最終戦のすきやき丼でこれまた僅差でロシアン佐藤さんがパトリックという男性に敗れて、日本が3年連続で決勝敗退の憂き目を見た。もしも初戦にアメリカがモリーを出さずに日本が勝っていたら、2戦目は落としても良いかともえあずさんにロシアン佐藤さんのペアでハンバーグ対決をさせ、そして決勝に怪物MAX鈴木さんをあててモリー相手に丼飯で勝利する、ってシナリオが描けたかも。

 あるいは、そういう筋でもって制作側も最終試合を日本の丼にしたのかもしれないけれど、初戦で相手がエースを出して勝ちに来て、苦戦したけど見事に勝った時点で筋書きも変わってしまったといった感じ。最終戦が日本人の得意な丼だったのはどうだろうかって声もあるけど、結果として日本が負けた訳だから、大食い好きとか嫌いとか得意とか不得意とか関係ない、そこに食べ物があれば食べ、並べば食べ尽くしていくだけの大食い野郎たちのプライドがぶつかり合った結果として、日本は敗れたという、それだけの話だろう。最後がパスタだからってアメリカ人が得意とは限らないわけだし。決勝戦の初戦のピザ対決だって、アメリカになのにとても苦戦していたようだったし。

 ともあれ、ガチで楽しいものを見せて貰った大食い世界一決定戦。日本が3連敗したのも来年に?がるドラマを呼んだ。予定調和に落ちない実録系テレビバラエティの楽しさを、ちゃんと守っているテレビ東京の調子が良いのも分かるなあ。どこかみたいに政権に媚びて政治家を出して歌わせ自衛隊の歌姫に歌わせたりするんじゃあ、視聴者なんて誰も喜ばないよ。というか誰のための番組なんだ? 母と子の? 皆様の? アベ様の。そんなところか。やれやれ。テレビ東京は夜に「孤独のグルメ」の特別編もやっていて、旭川で五郎ちゃんがいろいろ食べていた。味噌汁にライス付きって何かと思ったら、丼にいっぱいの味噌汁とご飯のセット。あれはおかずなして食べられそう。加えてホッケフライにかにクリームコロッケ。美味そうだったなあ。途中で旭川ってことで櫻子さんが正太郎といっしょに入ってきて、「さあ、飯を食おうじゃないか」と手を合わせ、パンとやってメニューを片っ端から平らげてくれたら面白かったかも。ああ見えて大食いとか。ありえる話。

 そして早起きをして初詣ではなく「ガールズ&パンツァー劇場版」へ。今日からフィルムがおまけに復活するとあって、発売と同時に事前予約でチケットを買っていた人も多かったようで、劇場は朝から人が集まりなかなかの盛況ぶり。そして開いたシアターはほぼほぼ満席と言った感じで、7週目に途中にしてもなお衰えない人気ぶりに作品が持つ強さを感じ取る。だってフィルムだけ貰って帰る人とかいないもん。ちゃんと最後まで見ていくもん。つまりは何度見ても面白いところがあるってことで。今回気になったのは戦車の上に偽装して兵員が双眼鏡を手にして偵察をするポーズかなあ。両足をそろえてスカートからにょっきりと伸ばし、膝から曲げて体育座りのようなポーズ。あれは女子に特有のものなのか。サンダース大学附属高校のケイは絶対領域が眩しかったよ。見てなかなかキュンとくるポーズ。自衛隊でも女性の戦車乗りとかああいうポーズをするのかな。しないかそもそもスカートで戦車には乗らないし。

 見終わってから池袋へと回ってパルコに入ってるエヴァンゲリオンストアで福袋。去年も買って壁掛け時計とか文鎮とかスマホケースとかボールペンとかいろいろ入っていたのをこんなもんだと思いつつ、それでもパーカーとTシャツが入っていたんで元は取り返した気分になれた。今回はといえば、やっぱり使わないマグカップとかキーホルダーとかスマホケースとか入っていたけど、シックのひげ剃りとか座布団とか実用性の高いものが入っていたし、パーカーもTシャツも入っていたんで元はちゃんと取った感じ。マグカップなんて2つも入っていたよ。どうするんだ。スマホケースやパスケースはその用途では使わなくても、小物入れとかカード入れに使えるんでそれはそれで重宝。なによりアスカが結構いたのがアスカ好きとしては嬉しかった。去年はレイがメインだったからなあ。まあまあ勝利。来年も時間と財布に余裕があったら買いに行こう。

 鷲宮神社へは明日行くとして今日は恒例の中山法華経寺へと出向いて奥の鬼子母神にお参りを。厄除けに良いという話もあるし、実際に前厄本厄後厄をここでお祓いしてもらって健康とかに一切の不具合が出なかった。会社は傾いたけれど。まあそれはこちらの健康とは関係ない話なんでどうでもいいや。今は本体まで傾いているけれど。それは厄年関係ないなあ。参道に並ぶ屋台が去年もそうだったけれど少ないような気がするのは、そうした商売がやりにくくなっている現れか。昔は門前までびっちり連なっていたけれど、今日あたりだとたこ焼きが1件に焼きそばが1件にお好み焼きが1件といった感じで店をのぞいてここが良さそうと選ぶに選べない。それとも人が集まる場所に屋台も集まっているのか。靖国神社とかどうなっているんだろう。例大祭とかみたままつりで見なくなった屋台も三が日くらいは集まっているか。明日時間があったら除いてこよう。遊就館が開いていたらチハにご挨拶もしたいなあ。頑張っていたし。ガルパンで。


【1月1日】 そして見始めた第66回紅白歌合戦は、総合司会の有働由美子アナウンサーが前屈みになったり横を向いたりする度に眼が胸元へと向いてしまう楽しさはあったものの、その谷間に百合の花が咲き誇ろうと、なだらかな稜線の白さが目に眩しかろうと本質である歌にはまるで関係ない話。そして歌を聞かせる紅白歌合戦としては2015年にいったいどんな楽曲が流行っていたのかが、まるで分からない感じでこれを年の終わりに放送する意味ってあるのかっていった思いが浮かぶ。っていうかNHK、演歌や歌謡欲の懐メロを今に聴かせる歌謡コンサートと、新しいJ−POP系のアーティストがいっぱい出てくるMUSIC JAPANを統合して新番組を作ろうとしている感じで、それでどうなるかってのをひとあし早く見せたのが、紅白であるとも言えそう。

 裏返せば、そんなレギュラー歌謡番組の延長にしか紅白が存在しないってことでもあって、それはつまり年を代表して聞かせてそれで1年を思い出せるような楽曲が生まれづらい状況、自分の知っている自分の周辺にある楽曲しか聴かないようになっていて、あとは世代がそれぞれに自分の浴びた音楽にしか親しみを抱かなくなっていることも表しているような気がする。それでも紅白歌合戦を開いて出る意味があるとしたら、それが紅白歌合戦だからというトートロジー的状況に陥る。そしてだんだんと価値をそぎ落としていった果て、10年も経たずに紅白歌合戦の意味がなくなってしまうような気もするかな。どうなるんだろう。

 でもやっぱり年間を感じさせるような曲、たとえばきゃりーぱみゅぱみゅの「Crazy Party Night −ぱんぷきんの逆襲−」なんかを落選させたり、乗りの良さと楽曲の凄さで大勢の目を引き付けること確実なサカナクションの「新宝島」を落としたりする一方で、2010年代とは言わないものの2000年代に放送されたアニメーションを「妖怪ウォッチ」くらいしか出さないで、「美少女戦士セーラームーン」に「ポケットモンスター」に「ちびまる子ちゃん」あたりをアニソン紅白だなんて名前の元に取り上げて、その主題歌のサビでもほんのわずかを歌わせて終わりといった、腑抜けた演出をしているようでは、そうした世代すらも見放していくような気がして仕方が無い。

 何よりアニソンという、ずっと作られてきてようやく世間にも認知され始めたジャンルに対する経緯がまるで欠けた演出。その辺りをやってればお前等嬉しいんじゃね? ってアニソンのファンと舐めた態度を見せる限り、離れる人はいても戻っていく人はいないんじゃないかなあ。せめて「けいおん!」をSCANDALに演奏させるとかすれば良かったのに。「MJ」だか「ポップジャム」ではそれがあったけど、それすらも排除されていくという施策の中でいったい若者の文化はどこが広いどこが伝えていってくれるのか。民放のアニメを扱う手触りのさらに事大主義なところを思うと、これは地上はでありテレビといった媒体の終わりを表しているってことなのかも。来年はもうちょっと流行の曲を入れて欲しいなあ。大洗女子学園に扮した2人が歌う「雪の進軍」とか。

 さて出場歌手ではやっぱり良かった小林幸子さん、って出場歌手じゃなかったよ、ゲスト出演だったよ、それでもすごいセットを組んでそこに屹立しながら歌った「千本桜」の何と見事だったか。もちろんボーカロイドの初音ミクが歌っても良いものだけれど圧倒的な歌唱力を持った小林さんが演歌のアレンジでもって絞るとその和風のテイストがさらに際立ち心に染みてくる。そんな小林さんを応援する弾幕も良かった。背後のモニターだけでなく、最後はNHKの放送画面全部に出て来た。どういう技術課はともかく、そういうカルチャーを認めて添えたNHKの判断に喝采だし、そういうカルチャーでもっていったんは排除されかけたアーティストを支え蘇らせたネット民でありニコニコユーザーといった人たちにも拍手。これも今、旧来からの地上波テレビとも結託した芸能界のシステムが機能しなくなっているって現れなのかもしrない。

 見せ方ではやっぱり面白かったPerfumeは、アメリカのサウスバイサウスウエストってイベントでもって見せた、1台のカメラを動かすんじゃなくって、ずらり並べたカメラの映像をシームレスでつないで見せる技術を使い、そんな映像がCGで構築された空間へとこれもスムーズに切り替わってそこでCGが演じている動きが、シームレスに現実でかいで繰り広げられている動きにつながってリアルとバーチャルとの境目を無くしてしまう演出が行われていた。見てびっくりした人もいるだろうなあ。僕も夏に真鍋大度さんが登場していた講演で、そのSXSWでの演出がどうだったかを聞いていなければ気付かなかったかも。

 ドローンを飛ばしてカメラを自在に動かしたんじゃない、カメラがそれぞれに撮っている映像を切り替えながらつないでさもカメラが動いているように見せる技術の開発。そしてPerfumeという繰り返し同じダンスを性格に繰り返せるテクニックを持ったアーティストの存在。それらが重なってあの不思議な映像ができあがっているんだけれど、見ている人たちにはそんな背後の技術は関係なく、見て面白いかどうかが重要。録画か何かに切り替えたんじゃない? って思われてしまってそうした意図が伝わったかは判断できないけれど、それでも不思議なカメラ移動と映像の変化って奴を感じ取れたとは思う。そそれを見て何だこれは、ライゾマティクスが手掛けたのか、どういう技術だ、何に応用ができるだろう、といった思考に至る若い人がいて、そこから更なる挑戦が始まる画期的な映像が生まれてくる。そんなサイクルが生まれてくると面白い。そんな追随を引き離すような技術が生まれるかってことも。ライゾマティクス、次は何を見せてくれるかなあ。

 そんな紅白で歌がなんか田島貴雄さんを半音下げたような雰囲気を出していた星野源さんの後ろ側で、あのシシヤマザキさんのアニメーションが動いていたのが面白かった。ロトスコープの女神というか、動きと映像で取り込んだものをアニメーションとして絵にしてそれwと繋いでいくことで、どこか滑らかというか生々しい動きをする映像を作り出すといった技法。あのファレル・ウィリアムズの「イット・ガール」という作品のPVでも、ファレルの動きをロトスコープ化して見せていた人が栄えあるNHKの舞台に登場して星野源さんではなく自分自身をロトスコープで映像化したものを見せていた。もう完全にひとつのキャラクターと化している感じ。すでにルミネの宣伝なんかにもシシヤマザキ的キャラで現れていたりするだけに、今後一気にその絵が映像が世間に広がりそう。そして誰だ作ったのはと調べ本人を見て驚くんだ。そっくりと。

 そんな紅白歌合戦を見終わってからチャンネルと合わせてジルベスターでのシルヴィ・ギエムによる「ボレロ」を鑑賞。むかし上野の劇場で見たことがあったけれども今回が最後となるとやっぱり劇場に見に行けば良かったかなあとも思ったのだった。横浜とか応募したけど当たらなかったんだよなあ。まあ良い。今回はテレビ中継があったからなのか、いつもは1枚だけで乳首が見えていた上半身がブラか何かに押さえられてぽっちりが見えず。ちょっと残念。それで果たして動きはどうなったのかは分からないけれど、軽々と足を上げたりするのにはやっぱり凄いなバレリーナと思った次第。真似しようとしたら膝から上にも足が上がらなかった。体硬すぎ。ちょっと頑張って柔らかくしよう。

 そんなこんなで年があけ、迎えた1月1日は初詣に行きそして東京へ(千葉だけど)へと戻って明日からの東京近郊散策に備えるのでお休みなさい。そして今年もよろしくお願いします。日記が40日ぐらいあとに20周年を迎えるんで挨拶はその時に。しかし20周年記念で誰か有名人とかインタビューに出てくれないかなあ。アイドルでもミュージシャンでも作家でも漫画家でもアニメーション監督でも大統領でも。お金は払えないけど家に転がっている何か高そうなもの(個人的な判断です)なら上げられるかも。そして自著自作自分を宣伝し放題! まあそんな奇特な人もいないよなあ、どこかのアルファなブログでもないマイナーなウエブ日記では。しゃあないから今年も何もしないで粛々と過ごして21周年を目指そう。あけましておめでとうございます。


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