縮刷版2015年6月下旬号


【6月30日】 真夜中にテニスの全英オープンが始まっていて、マルガリータ・ガスパリアン選手って見た目も麗しい20歳の女子テニスプレーヤーが登場していて勝ち残らないかなあと思ったら相手がセリーナ・ウィリアムズ選手でこりゃ無理だと思ったらやっぱりストレートで負けてしまった。全英らしく白い衣装で登場してそれなりに丸みのある胸の先っぽにポチっとしたのも見えたりしていて、もっとずっと見ていたかったけれども今シーズン、完全に復活しているセリーナ選手はサーブも強烈ならリターンも素晴らしくて、ガスパリアン選手ではちょっと太刀打ちできなかった。残念。次にどこかに登場する時はしっかり見たいけれどもいつになるかなあ。

 しかし凄いなあセリーナ選手は1999年なんてもう全盛期になる時代に全仏と全米に勝って姉のヴィーナス・ウィリアムス選手に追いつき追い越すようなテニスプレーヤーになっていったけれどもその後、圧倒的に勝ち続けるかと思ったら姉との対決に負けたりしてグランドスラム大会を制することもない時期があったりして、そのまま成績を下げていくんだろうかなんて思われたこともあった。けれども2010年代に入ってグッと成績を上げて2014年には全米オープンを制し、そして2015年に入って全豪全仏と続けざまに勝って全英へとやって来た。

 ここで勝てば年間ではないけれどもグランドスラムを達成して、さらに全米も勝てば年間グランドスラムも達成と、完璧以上の復活ぶりを見せることになる。33歳は決して若いとはいえないけれども年輩過ぎる訳でもなく、他にマリア・シャラポワ選手ぐらいしか追従できる選手がいない状況もあってこのまましばらく突っ走っていきそう。最初にグランドスラム大会を勝ったときの相手はマルチハ・ヒンギス選手で現役ではあってもどこか過去の人になっっている。リンゼイ・ダベンポート選手とかジュスティエーヌ・エナン選手とか過去に決勝を戦った選手も軒並み成績を下げている中でひとり、つよさを保ち続けているのはやっぱり凄いよなあ。もちろん2004年に全英を勝って移行、トップに立ち続けて今なお28歳のシャラポワ選手も。そんな2人を軸にしばらく進んでいくのかな。日本人選手の名前が入ってくるのは何時かなあ、誰かなあ。

 国家主席が言った。「AIIBでギリシャの財政破綻を助けられないものかねえ、観光資源は豊富だし地中海にだって面したあそこを押さえれば結構な利益になるんじゃないかと思うんだ」。国務院総理が言った。「いやいや無理っしょ、あそこはアジアじゃないから」。それならと国家主席。「だったらアジアに入れてしまおうよ、オーストラリアだってアジアって言い張っているんだから大丈夫だって」。いやいや待てと国務院総理。「それをやったらギリシャがアジアサッカー連盟の一員としてワールドカップのアジア予選に参加してくるよ。ただでさえオーストラリアが入って枠が狭くなっているのに、ギリシャに来られたら俺たちワールドカップから遠のくよ」。うーんと首をひねって2人が考えついたこと。それは。

 「日本をアメリカに渡して北中米カリブ海サッカー連盟に入れてしまおうぜ」。そして国家主席が合衆国大統領に電話をする。「もしもしオバマ? 日本をさあ、あげるからギリシャの支援を認めてよ、しばらく太平洋に出るのも遠慮するからさ、良いっしょ」。ということで妥結して北中米カリブ海サッカー連盟に入った日本はランキングが低くて予備予選からスタートする羽目となってはアメリカ、メキシコ、ジャマイカ、コスタリカの後塵を拝して永遠にワールドカップに出られなくなってしまったという、そんな夢を見たけれども冗談ではなく中国くらいしかギリシャの財政危機を支援できる国とかないからなあ、中国にお金があるってんじゃなく、強権を発動してでも実行してしまえる力があるという意味合いから。日本とかどうするんだろう。ギリシャが支払えないという2000億円を使って新国立競技場を作るとか言ってるし。

 しかし間抜けな話というか。下村博文文部科学大臣が新国立競技場で足りなくなる費用をネーミングライツでまかないたいとか言ったけれども五輪でもFIFAが主催するサッカーの競技会でも陸上の世界選手権でも、ネーミングライツによって付けられた競技場の名前は使えず本来の施設の名前で報じなくてはならない。せっかくの世界的なイベントでもその名前を宣伝してもらえない施設にどこの誰が200億円なんて出す? 2019年のラグビーのワールドカップだって多分そう。違ったとしてもスポンサーとなる企業があってそれがネーミングライツの企業と業種が重なるならばやっぱり使わせてもらえないだろう。そんな基本を知らずにネーミングライツを言ったならただのポン酢だし、知って言ったのならできないことを言ってお金をもらおうとする詐欺に近い。そこまでしなければお金が集まらないなら、手持ちのお金でできる施設を作れば良いのにそうはならないこの不思議。ご聖断の主体がないまま突き進む本土決戦の行方は焦土でしかないのに。反省しないなあこの国は。

 汐留のホテルだったのを六本木のホテルと勘違いして開場を待っている間、ウェンディーズとファーストキッチンが融合したような不思議な店で原稿を書いていたらネットに新幹線が燃えているというニュース。調べるとどうやら誰かが焼身自殺を図ったようで当人は亡くなり別に1人が亡くなったもよう。そのもう1人がどういう状況だったかは分からないけれども高速で走る密室において起こる突発的な事件に対し、自分だったらどう対処できるかってことは改めて考えた。とはえい自殺する前に周囲に注意も喚起したようで、迷惑過ぎる話ではあっても満員のバスへの放火とは違って大惨事には至らなかったのは不幸中にして少しの光明だと言えそう。あとそれだけのことがあっても車両に燃え広がらず、そしてしばらくしてちゃんと動いて駅まで行き、路線も復活したというから新幹線の安全性の高さも改めて示されたって言えそう。

 けどどこかのメディアが「安全神話に激震!」とかやって袋だたきに合っている。公共の交通機関に人が危険物を持ち込んで起こした事件に安全神話も何もあるものか。それとも乗客のすべてに手荷物検査を行い一切の危険物は持ち込ませず移動も制限するとかする気なのか。それを提言するなら安全神話を訴えても良いけれど、どこでだって起こり得る自殺行為を防ぐ手立てなんてあり得ないし、それで崩壊する安全神話もない。考えれば分かることなのに、何かタームを思いついたらそれを使わないでいられず、それが適切なのかを判断するだけの認識力もない。常々言葉の選び方や使い方に粗末さが見えてはいたけれど、本当に崩壊しているのかもしれないなあ、新聞の文章神話は。新聞は名文家が集う場所なんかじゃとっくになくなっているってことで。

 おいちょっと待て。例の国会議員が反省の色無しでもって報道圧力を肯定するような言葉を吐いている。まずもって「まず、最初に申し上げるけど、私は一言も『政治家や党が財界に圧力をかけて、マスコミを懲らしめろ』ってことは言っていない」なんて言っているけどすぐにこう言ってたりする。「あるいは今の安全保障法制について、まったく事実無根の『戦争に導く』あるいは『徴兵制』。まったく関係ないじゃないか。日本が戦争に巻き込まれないための抑止力を高めようとしているのに、そう報道している一部マスコミがある。こういうことを懲らしめないといけないんじゃないかと。マスコミのやりたい放題じゃないかと。そういうことで何かいいお知恵はありませんかと百田先生にお尋ねした。何か問題ある?」。懲らしめないといけないとか。いいお知恵はありませんかとか。ばっちり報道圧力的な必要性を訴えて、そのための教えを請うているのに何が「マスコミを懲らしめろ」って言ってないだ。それがどういうことか分からない方向感覚の無さというか空間認識の抜けっぷりがどうにもこうにも見苦しいのだった。やれやれだ。


【6月29日】 秋葉原から帰る電車の中ではちゃんと動いていたX201が家に帰るとまるで動かないというか、ちゃんと立ち上がってはいるんだけれどモニターが真っ暗でうっすらとウィンドウズが起動しているっぽいのが分かる感じで使えない。想像するならバックライトの電源が落ちている感じだけれどそれだとソフトをどうこうして直るものでもないんで、買い換えるかと秋葉原までとって返してソフマップで中古のX201を購入。これに持ってるX201のHDDを引っこ抜いてぶっさして、果たして動くのかと試したらあっさり動いて指紋センサーまでちゃんと認識して手間は1分。いちいちソフトを入れ替えデータを移して数時間っていう苦労をせずい済んだ。こういうところはThinkPad、凄いよなあ。でもまた壊れるかもしれないんでもう1台、買っておくかなX201。やっぱりキーボードが打ちやすくないとダメなんだよ。

 力一杯ぶん殴れば勝てるなら、それこそ白ひげことエドワード・ニューゲートあたりが空間を割って地震を起こすあの「グラグラの実」の力でぶん殴れば、ドンキホーテ・ドフラミンゴなんて1発で沈んでしまいそうな気がするんだけれど、そうした力があったからこそ白ひげは四皇のひとりとして新世界に君臨しつつ、王下七武会や海軍、そして世界政府とも対峙できていた訳で、けれども直接度フラミンゴを倒すような挙には出ずにいたらマリンフォードでの戦争で命を失ってしまったという、そんな状況。もちろんおそらくは赤髪シャンクスだってビッグマムだってカイドウだって、ドフラミンゴと戦える力はあるんだろうけどそれをしないのも共存共栄を図ってか、あるいは混乱を起こしたくないからといったところなんだろう。

 そんなバランスの上に成り立っていたドフラミンゴを相手に戦えるのはだから、ニューカマーのルフィと麦わら海賊団しかいなかったってことでそんな麦わら海賊団が、長い長い戦いの果てに今週発売の「週刊少年ジャンプ」でやっとドフラミンゴを殴り倒してドレスローザ編はひとまずのクライマックスへ。あとは国をどうするか、そしてドフラミンゴをどう扱うかって話になるんだろうけどそういえば、前に攻めてきていたビッグマムの海賊船がどうなったのかが分からない。確かサウザンドサニー号にいるシーザーを襲ってきたはずだけれどどうなったんだっけ。そんな辺りから次の冒険って奴も始まったりするんだろうなあ。それはドフラミンゴがSMILEを渡していたカイドウも絡んでの大きな戦いになりそうで、さらにはシャンクスやら黒ひげも巻き込んでの果てしない戦いが単行本であと100巻暗い続いたとしたら終わるのは30年後くらい? 生きてつきあえないかもしれないけれども頑張って生きよう、完結まで。

 「狐」や「狗」や「猿」や「猫」といった動物がモチーフになった人とは違うコトナリという存在がいて、人間社会と共生している街が中原市。そんな中にあって「鬼」というコトナリだけは、生まれながらも妖怪変化の類ではなくって、人間が変じてコトナリとなって不死身の肉体を手に入れては、暴力に身を染めて生きていた。そんな「鬼」のひとりだった星野伊佐美は、疎まれず捉えられもしないまま不死身の肉体を買われ、コトナリたちが多く暮らす中原市で掃除屋をしている。仕事の内容はだんだんと穢れて人を食らうよになったコトナリを始末すること。そんな伊佐美がある日、少女と見間違えるような華奢な少年と出会う。名を桜条凜というその少年は、母と妹、そして2人の使用人と暮らしていたところを何者かに襲撃され、凜だけが逃げだし伊佐美によって保護された。

 どうして凜は襲われたのか。それは凜が「鬼」ともまた違ったコトナリである「死神」の血を引く存在だったから。コトナリは死んでも10年ほどすれば記憶を失いながらも転生してくる。そんなコトナリの“輪廻”を「死神」だけが断ち切って、永遠に消滅させることができる。全国から集まり繁殖もして増えていくコトナリに躍起となった中原市を統べるコトナリの支配者層には、安定を取り戻すために「死神」の能力を欲する者もいて、凜を保護しようとしていた矢先に襲撃を受けた。いったい誰が、何のために襲ったのか。「死神」を確保して権勢を伸ばしたいコトナリの一族がいたのか、それとも。そんな謎を一方に起きつつ、巻き込まれる形になった伊佐美も伊佐美で、過去に「鬼」となって行った残虐な過去に苛まれ、殺しても死ねない体を滅ぼしてくれるかもしれない「死神」の力を欲していた。

 聡明で母や妹の敵を討ちたいと願う凜と、凜の力を欲する伊佐美は相棒のような関係となって始末屋の仕事をしながら、凜をめぐって起こる勢力争いの渦中で生き延びようとあがていく。そんな物語が優木カズヒロさんの「シニガミライジング」(電撃文庫)。屈強な青年といっても中身は80歳くらいだけど、そんな男と女装の半ズボンも似合う美少年とのいろいろと想像力をかき立てられる関係なんかが繰り広げられつつ、出会から心を交わすまでを描いて行き、「死神」という切り札を狙ってうごめく者たちの暗い欲望にとりつかれた様を描き、苛烈な運命を生きてきた「鬼」と、これから過酷な世界に生きようとする「死神」の生き様を描いていく伝奇にしてハードボイルドにしてバディ物。ひとつの完結は見ているものの、次への引きもあって関係性を変えた相棒物の訪れなんかを着たいさせる。老けず衰えない青年と美少年との関係が紡がれる続きを待ちたい。

 ライトノベルでバディ物と言ったら今は鳴きZ文庫で誕生してガガガ文庫へと拠点を移してイラストレーターも変わって巻を重ねている賀東招二さんの「コップクラフトシリーズ」ってのがあって、その第5巻となる「コップクラフト5 Dragnet Mirage Reloded」が登場。洋上にファンタスティックな文明とか魔法の力なんかを持った異世界につながるゲートが現れ、ひとしきり戦争なんかを下あとで和平が結ばれた後、ゲートの登場と同時に洋上に姿をあらわした島があってそこに作られた街でもって異世界で騎士だった少女ティラナと、かつて異世界で戦い今は島で刑事をしているケイ・マトバが組んで異世界が絡んだ事件に挑むシリーズ。

 そこではかつてケイが異世界の戦場で助けた集団のメンバーが1人、また1人と目には見えない巨大な狼によって食い殺されていく事件が起こる。ケイにも被害が及んで車で走っているところを襲われるけれどもすっくとオープンカーに立ったティラナが手にした剣で切り裂いて退けるあたりがさすがは騎士といったところ。そして狙われていそうなメンバーを追い、現れた犯人を退けた果てに浮かんだのは、異世界とこの世界とが関わる謀略であり、そしてティラナが失ったという兄の陰。いったい何が始まるのか。ケイとティラナは相棒のままでいられるのか。いろいろと気になる引きを残したただけに早く続きが読みたいけれど、今度はいつ頃出るかなあ。<BR>
>  おいおいそれはないだろう。実際に喋っている場面があるといったって、それをあえて外して別のシーンから引っ張って、そこで喋っていることとはまるで違う字幕を付けるのは明らかな捏造であって編集を間違えましたなんて言って言い逃れできるものではない。仮にそう言っていたとしてもどういう文脈の中でどういうニュアンスで発せられたが重要になる訳で、それをしっかりと踏まえて伝えようとするならば、その場面を外して他の場面に意図した言葉を載せるなんてできるはずがないのに、それを平気でやってしまって露見したらミスだと言って逃げようとする。認められるはずもないんだけれど、それが通じると思ってしまっているところに劣化の一端があるんだろうなあ。嘘を平気でつく体質が画面ににじんで見る人を遠ざける。昔は莫迦でも真剣にやってそれが感動を与えていたのに。根本的に悔い改めないとこのまま衰え滅びていくことになるんだろうなあ。養っている紙媒体も道連れにして。それは拙いか。やれやれ。


【6月28日】 潮目が変わってきているのかもしれない。新御茶ノ水から秋葉原へと向かい歩いている途中で、大学生らしい3人組の男子が「朝生から自民党と公明党が逃げたんだって」と話しているのが聞こえてきた。例の百田尚樹氏による暴言を受けて国会が紛糾していた状況を鑑みてか、予定していた出席者が何か理由を付けて出なかったという話を受けたもの。そのニュース自体はニュースをよく見る人なら普通に認知しているけれど、大学生というセクターがそういったニュースに能動的に触れる機会がどこまであるのかと想像した時、彼らが日常に接しているネットニュースなりSNSのタイムラインなりにそうした情報が拡散され、流通しているのかもしれないなあって思ったりした。

 意識高い系の学生なのかもしれないし、サヨク系で自民党が嫌いで情報に前向きなのかも知れない。逆にライト層なのかもしれないけれど普遍的な大学生として見るとするなら、そうしたセクターにまでだんだんと自民党のヤバさが広まってきているのはひとつ、気にしておきたい状況かもしれない。サヨクガー的な叩きへと向かわず何かトンデモないことが起こっているかもしれない気分がそこかしこに広がっていった果て、何が起こるのか。未だ運動にまでは来ていないメディアのたがが外れた時、一気に風が吹くような気がする。まあ無理だろうけど。自民党批判には載ってもそれに与するメディアもまた批判したがるような空気はなかなか消えてないから。ここが1番厄介かもしれないなあ。

 目覚めると午前似5時になっていてすでに、FIFAサッカー女子ワールドカップ2015カナダ大会でベスト4入りを狙う日本代表とオーストラリア代表の試合が始まっていた。ゴールキーパーは前の試合でちょんぼをしたけどこの試合で自信を取り戻させる意味もあってか、やはり信頼からか海堀あゆみ選手が先発していて、ツートップも大野忍選手と大儀見優希選手が起用されてとほぼほぼベストメンバー。菅澤優衣香選手はまだ起用されずサイドバックの近賀ゆかり選手も出番がないまま過ぎていくけど、勝っているというか守れているうちはあんまり守備陣はいじらない方がいいし、大野選手はタフさを勝っての起用のようで前線からのチェックをこなしてオーストラリア代表を疲れさせ、後半にはいって動けなくして攻めを穏やかにした上で、最後の得点シーンでついてこれないような状況へと追い込んでいたからやっぱり必要な選手なんだろう。

 そんな状況ではやっぱりドリブルも得意で相手を嫌な思いにさせる岩渕真奈選手が有効ってことで、今回もしっかりとチェックからドリブルからランから見せた上に最後はちゃんと最前線かでボールを受けてゴールへとたたき込む大活躍を見せてくれた。起用されてはちゃんと答えるその采配は菅澤選手の前の試合での得点にも表れているし、有吉選手の得点にだって表れている。っていうかここまで予選も入れて5試合だっけ、それで6点しかとっていないそのすべてが違う人という総力戦ぶり。エースだからとれなくても、中盤がとっても関係無しにチームが奪い、チームが勝利してきた証って言えそう。特定の人間をスターにせず、スターにもならないで、けれども誰もがちゃんと活躍をして認められる理想の環境がなでしこジャパンにはあるんだよなあ。

 試合はそれこそ後半の終わりごろまで無得点が続いたけれど、奪えない感じはあっても奪われない感じもあって、それでいて奪えそうな奮起もあるなかでしっかりとゴールを得てちゃんと勝っていく。100点とっても1点に止まっても勝ちは勝ちのサッカーで、これだけ高度なプレスとパス、そしてブロックによる守備を見せてくれるんだから高校生だって男子のA代表だって学ぶべきところはありそう。そしていよいよ決勝行きをかけた戦いはイングランド代表相手で、前回は確か負けているだけにリベンジを期待したいところだけれど、それで固くなって負けたら意味は無い。オーストラリアを下し中国も敗れてアジアでは最強を証明できた訳で、これで責任は果たしたって言ってもいいんじゃないかなあ。グループリーグ突破すら期待されてできない男子に比べば最高を超える出来。でもやっぱり見たい決勝の檜舞台で再びアメリカ代表を下すところを。相手だってリベンジに燃えているだろうし。勝てるか日本。勝てるかアメリカ代表。日本対ドイツで枢軸国決戦をやっても良いんだけれどね。

 せっかく早起きもできたんで、午前11時半から始まるという下北沢トリウッドでの雨のシーズンだからこそのリバイバル上映「言の葉の庭」を見に行く。並んで2番目で入れたけれどもだんだんと人が増えて8割くらいの入りに。すでにもう何年も前に公開された作品で、ブルーレイディスクだって出ているにも関わらずこうやって見に来る人がいるっていうのが不思議だけれど、でもやっぱり見て素晴らしい作品なんでパッケージに手が出ない人が大きな画面で見られる環境が作られるのは素晴らしい。というかやっぱり大きい画面で見た方がこれは良い。あと音響。冒頭からの雨が降る池の描写に始まって木々やら街やらのリアルさは小さい画面ではよく分からないい。BDをプロジェクター上映しているトリウッドではそれがもう隅々までくっきりと見える。シネコンなんかよりもくっきり度は高いかもしれない。

 そして音響。決してうるさくないBGMを背景にして、タカオとユキノとが出会い会話を重ねながらだんだんと親しくなっていく展開は、くっきりと言葉が聞き取れる環境でこそ大きな感動を誘う。なおかつクライマックスへといたるあのシークエンス。走り出すのと奏でられるのとが重なって、叫びと慟哭がない交ぜになってそして晴れ間へとつながっていく流れを彩るあの音楽を、前面からではなく空間全体で体感できるのはやっぱり映画館ならではの環境だろう。あの場面を見たさにもう10度は映画館に通って見た映画だと思うけれど、やっぱり何度見ても良いよなあ。というか去年に三島で新海誠監督の個展が開かれた時も、ちょうど上映されていたのを最後まで見てしまったんだ。それくら好きな映画、そして素晴らしい映画が今、見られるんだからこれは行かない手はない。ということで行けよ青少年。雨ならなお良し。帰りは新宿へと回って新宿御苑の四阿へ。何度言ってもいないんだよなあ、ユキノちゃん。当たり前だ。

 羨ましいなあこのヒロイン。ナレーションとか声を使う仕事に就きたいと良いながらも養成所を出てから所属が決まらない女子に、ラジオ局とかテレビ局なんかに入りたいと動いたもののどこからも雇ってもらえなかった男子、そして音楽を仕事にしたいけれども誰にも聴いてもらえない男子の3人が就職先もなくどうするか、ってところで行きつけの店のマスターが昔やってたコミュニティFMの機材と場所を貸してくれたんで、じゃあやってみるかと週に1時間だけの番組初めて見ました、っていうのが岬鷺宮さんによる「放送中です!にしおぎ街角ラジオ」(メディアワークス文庫)。そこで最初はどんがらがっちゃんだったけれど、本音で喋る相談コーナーとかが受け、街を回ってネタを伝える姿勢も評判となってだんだんと視聴者を増やしていく。

 そんな最中に声を出しているヒロインの声が気になったという男性がいて、どうやら一家言があるらしくいろいろとアドバイスを送るとあら不思議、ずっと悩みながらも直らなかった発声がうまくなっていって聞きやすくなった。これならプロとしてナレーションの仕事だってと思って当然だけれど一方で、あぶれた3人で始めたラジオ番組を自分が抜けてつぶしてしまって良いのかという悩みも浮かぶ。いやそれって贅沢だし、本末転倒じゃん。作家になりたかったけれどなれずネットで公開していたら受けて作家になろうと誘われても読者に読んでもらえなくなるからなりませんなんて言う人はいない。それは優しさではなく才能への侮辱であり支えてくれた仲間への裏切りでもあるんだけれど、人間そう簡単には割り切れないからなあ。じゃあ彼女はどうしたか。そしてどうなったかは読んでのお楽しみってことで。頑張れば誰かが認めてくれる可能性。信じて生きたいなあ、50になってもまだ夢は見続けて良いのかなあ。


【6月27日】 これが本当だとしたら相当に拙いことになるだろうなあ、とあるテレビ局が番組で韓国人の女子高生の韓国語での発言に、まるで逆の日本語をつけて被せて放送したという件。噂だと当人は日本を評価しているようなことを言っているにも関わらず、日本語だとそれが反日嫌日的な言葉となっていたりするのは明らかに捏造であり、なおかつ趣旨を曲げて思想を誘導しようとした犯罪的な行為であり、何より喋った当人の人権をまるっと否定する行為に等しい。そうやって誘導された嫌韓的な気分が積もり積もって不幸な結果を招いたら、それこそ平和に対する罪として裁かれたって不思議はないくらいの悪辣な行為を、さらっとやって平気なテレビ局があったとしたらそれはもう存在を許されないだろう。

 だからそうではないと信じたいけれども情勢やなかなかに逆風。絡んでいる人がそうした不正を許さない人だけに調査を始めた結果、本当だとなった時に果たしてどれだけの責任をどんな人がとることになるかが目下のところの興味だったり。それこそ珊瑚に傷を付けた以上に人間の尊厳を貶めた行為として、社長の人の首がすげかわっても不思議はないけれど、そういう自覚が果たしてあるのか。そんなテレビ局のグループ会社が韓国で大統領を誹謗中傷したってことで裁判沙汰になっていて、会社ぐるみで貶めようってスタンスがあったんじゃないかとも指摘されてて、そうじゃないって言っているのにそらみたことかってなりかねない一件だけに、火が着けば総統に燃え広がりそう。週末だからとか休日だからとかいってないで、早急に動いた方が良いんじゃなイカ。

 イカといえば「Splatoon」だけれど発売から1カ月で100万本の出荷を多いと見れば多いし、評判にしては少ないと言えば少ないとも言えそうな数字。もっと作ってあれば機会損失しなかったという見方もあるそうだけれど、任天堂って発売初週で9割近くを売るとか言った会社でもないんでこれからじわじわと評判を広げつつ、着実に売れていくことになるんだろう。500万本くらいはいくかなあ。そこまでの人気があるかどうかってことだけれど、幕張メッセで開かれていた「次世代ワールドホビーフェア’2015 Summer」をのぞいた限りでは開場から1時間後には3時間待ちの列になっていたから子供たちには相当に、それなりに評判になっているんだろう。Wii Uの起爆剤にもなるかな、「マリオメーカー」ともども。

 しかし不思議だったのはそんな「次世代ワールドホビーフェア」にあの「マインクラフト」が出ていたことで、インディーズゲームから出て世の大人たちの知性を刺激して大流行したゲームが、小学生を中心とした子供たちにいったい受けるのかって思ったらこれがちょっとしたブームになっているらしく、「マインクラフト」が出ていたソニー・コンピュータエンタテインメントのブースには、ブロックな顔を模した帽子というかマスクみたいなのを付けた子供たちが集まってはゲーム実況めいたことをしたり、3人1組でクラフトに挑んだりしていた。PS Vita版の登場が火付け役になったらしいけどそうやって工夫を覚えた子供たちが大きくなって、新しいゲーム作りに挑んでくれるとまた新しい発想も生まれてい来るかもしれない。「I.Q」とか「パネキット」とか。そんなゲームが昔はいっぱいあったんだよ。

 三井アウトレットモールが改装中でニューバランスもダナーも見られないので靴とかsんちょうするのは諦め、今日からまた新しい特典というかついてくる原画が「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」に変わる「攻殻機動隊 新劇場版」を見に行こうと船橋にむかいららぽーと船橋の中を歩いていたら、目に付いたスニーカーがあったんで履いてみたらサイズがぴったりだったんで購入。スロヴァキア製ってまるで意外な産地で、メーカーとかもよく分からなかったけれども茶系のナイロンでレザーもつかってあて朝のぞろっとした服とかにマッチしそう。帰って調べてみたらどうやら「ジャーマントレーナー」ってブランドみたいでドイツの軍隊ではかれていたとか。どうりで質実剛健、それでいて洗練された雰囲気。ナイキとかニューバランスに飽きた人には良いんじゃないかな。

 3度目となる「攻殻機動隊 新劇場版」は朝も早かったんで前半は寝ぼけていたところもあるけれど、総じてやっぱりクルツが1番大切にしようとしていたのは草薙素子なんじゃないかなあ、なんて気もして来た。追い詰めて反撃をさせて鍛えてそして最後はすべてを託して消えていく。途中で脱落するなら容赦なく切り捨てただろうけれどそれでも食いついてきた以上は認め送りだそうとしたというか。501機関のメンバーも実は素子が大好きで、スパルタ式に鍛えてそして最後は自分たちから去って行く。ツムギだって攻性防壁から素子を守って崩れていったし。そんな愛されっぱなしの素子がそこからどんな世界を作ったのか。それは国に阿らず権力に縋らず正義と愛が貫かれたものになったのか。見たいなあ続き。しかしやっぱりマシンに入っているツムギは可愛い双子の女の子には見えないなあ。もったいないというか。

 「ガラス越しに耳を付けて盗み聞き」って偉い作家先生は非難するけど、自民党の党本部だなんて私的とはほど遠い場所を使って、そこで秘密の会合もあったもんじゃないし、仮に耳そばだてていなくたって、出席者に他言無用を言明した訳でもない集会なら、外から聞こうと聞くまいといずれ漏れる。そして秘密であろうとなかろうと口に出して良い言葉と悪い言葉があるのも自明の理で、それに今回はひっかかったからこそ大騒ぎになっているんであって、もはやその情報の入手経路なんて問題になっていないにも関わらず、そこに瑕疵があると声高に叫んで話を逸らそうとしているのが滑稽で仕方が無く、なおかつそんな滑稽さを喧伝して事態の否定にかかっているメディアの弱腰っぷりも見てどうにも苦々しい。

 いったいどんな発言があって、それに対して世間や野党がどう反応して、それを自民党がどういう風に受け止め収集を図ろうとしているかを詳細に報じつつ、どこに問題があったのかを論じているならそうした発言者の良い訳を乗せてもバランスがとれるんだけれど、ここん家はまずは良い訳があったことを大きく掲載し、国会議員によからぬ発言があったこともそう言ったという事実関係だけを報じてそれのどこが問題なのかをあまり指摘しようとしない。したら負けだとでも思っているのかするだけの頭脳がないのかは分からないけれど、そうした報じ方を見れば総じて秘密な場所での自由な発言を捉えられ非難されている可愛そうな自民党だといった雰囲気が醸し出される。メディアって何て酷いんだろうという空気が浮かび上がる。

 でも、自民党本部に限らず会議とか集会の部屋の外でドアに耳をつけて中のやりとりを聞こうとする「壁耳」なんて昔からどこの国のどんなメディアもやって来たこと。自民党本部ならなおのこと、あらゆる新聞テレビにラジオあたりの記者が廊下に立って耳そばだてて中の会合の様子を聞いてはそれを記事にしてきた。そうした過去を踏まえ現在もそしてこらかれもやってやり続ける気構えがあるなら、偉い作家先生のそうした非難をあたかも正しいことのように報じられるはずがないし、報じてはいけないにも関わらず、今をとにかく火消ししたい、そして偉い人に責任が及ぶような事態にしてはいけないといったばかりに、盗み聞きしたメディアが悪いといった空気を作ろうとする。それが自分たちの過去を否定し自分たちの栄光を貶め未来を縛ることであっても、今をとにかく大切に、というより安倍ちゃんをとにかく讃えたい筆がそうした気配りを一切吹っ飛ばす。結果何が起こるのか。知ったこっちゃないんだろうなあ。やれやれだ。


【6月26日】 東京ビッグサイトで開かれているバーチャルリアリティーの展示会へと行って塗装のプロを目指す、ってどういうことかというと塗装をシミュレーションするVRを試したって意味だけれどこれがなかなか凄かった。本当に使われている塗装のノズルを手に持って、位置まで検出できるVRヘッドマウントディスプレイを付けて見ると前には未塗装の自動車のボディが。そこに向かってノズルのトリガーを引くとプシューッと塗料が吹き出てボディが染まっていく。それをしばらく続けるとベストな厚さになるんだけれどやり過ぎると色が乱れて間違いを教えてくれる。

 プロの塗装工だとほとんど間違いなくベストな色合いまで持って行けるとかで、その達人技を実際の塗料を使って学ぼうとするとそれこそ塗料がどれだけあっても足りなくなる。本当に船1隻を塗れてしまうくらいの無駄が出るそうで、それを防ぐためにもこうやってシミュレーションで感覚をつかませるとか。値段は安くないんだけれど、それを推して導入してもお釣りが出るくらいに実際の塗料の無駄遣いは結構な負担になっているらしい。すでに造船の現場なんかで使われているというから、信頼性も高いんだろう。そうやって学んで世に出てきた人が現場で熟練してその技をデータにして後生に伝えていく。手から手ではなく手からコンピュータから手へ。不思議な時代。でもこれが現代。

 六本木方面で発表会があるんでそれまでの時間を過ごすべく国立新美術館へと行って内覧会で見た「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」を観客として見物、平日の午後だけれど結構人が来ていたのはやっぱりこうした分野が気になる若い人が多いって現れか。とはいえまだ試遊に行列ができるほどえはないんで、土日とかに行って状況を見てどれだけの人気ぶりか、そしてどういう反応があるかを見たいところ。内覧会ではチェックできなかったけれど、漫画の原稿のコーナーにあった萩尾望都さんの「なのはな」の原稿は原画だったよ驚いた。まさに国宝。それあ見られるだけでも価値ある展示。「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ版の全エピソードが1話1モニターで上映されているコーナーは1つに張り付きながらだんだんと移動していけば全話を見られるのかな、ダイジェストなのかな。

 そして「ニコニコ町会議2015」の発表会でR藤本さんじゃないベジータが登場して大阪でのお祭りと「町会議」との併催なんかをアピール。これまでは地域をめぐってステージイベント的に開かれていたのが今年はがっぷりと組んでそれこそ1日中、歌ってみたとか踊ってみたとかゲーム実況といった「ニコニコ超会議」の人気コンテンツが町会議版となって繰り広げられるらしい。「町パーティー」なんてのもあるからそのスケールは「超」には及ばなくてもそれなりに大きそう。そうやって祭りを盛り上げ関心を誘うことによって、より大きくそして広くなっていこうって考えなんだろう。祭りの方も若い人に来てもらえるコンテンツってことで組む。そんな関係がどういった状況を生み出すか。名古屋の久屋大通でも開かれるみたいなんで帰省がてら寄ってみるか。10月11日はもはや夏祭りじゃないんだけれど。

 作家が作家として何を言おうがそれは自由であって、もちろん公序良俗といった部分からその発言が非難され、社会的な地位を失う可能性はあるけれど、それすらも含めて言論の自由を追求したいなら、どうぞご勝手にとしか言うしかない。沖縄に対して誤解に満ちた知識を抱えていて、それを公然のものとしてひけらかしては非難を浴びようとも勝手だし、沖縄の新聞が自分にとって気に入らない論調ばかりを繰り広げるから、廃刊にしろと言うのも作家として自分の進退をかけて言っていることだから、止めろ引っ込めろとは誰も言えない。

 問題はだからそうした公序良俗といった枠組み、良識といった部分からかけ離れた思想をもった人間を勉強会に呼び、それに沿った言動を目の前で行われ、それに賛意を示すことを果たして国会議員という国政を担う者たち、なおかつ政権与党という国の方向と人々の暮らしに大きな影響力を持つ集団に属している者たちが行って良いのか、ということになる。良い訳がない。それはあからさまな言論の弾圧であってなおかつ権力というバックをもっての発言であってそこにはある種の重力が生じる。相手には萎縮を生む。

 ましてやそうした発言を受けてのことか、それとも発言の中にあったのかは分からないけれど、気に入らない報道を行うメディアには、経団連という企業を束ねる集団に対して圧力をかけて広告なり購読を取りやめるように働きかければいいというのは、もはや権力を嵩にきての恫喝に他ならない。それをやればやれる存在だと任じられてしまった経団連にとっても良い迷惑だろうけれど、何よりそうした恫喝を当然と考えてしまう思考にどっぷりと染まった人間たちが、国会議員のそれも政権与党に少なからずいるということへの脅威が今、ここに満天下にさらされた。ヤバい集団だと判明したと言っても良い。

 そうした思想の持ち主の前々から存在自体は、前々からうかがわれちない訳ではなかった。でもさすがに口に出してはまずいといった良識が働き表立っては言わなかったものがなぜか、ここに来て平然と弾圧を、恫喝を口にできる人たちが増えて来た。これはどういう状況が背景にあるんだろう。それが間違いだととがめられずに済んでしまう環境がまずあるんだろうし、そうした考えを当然だと思い込めるような流れもあるんだろう。さまざまな要因が絡み合って固まりとんでもない言論空間ができてしまった。

 それをとがめることなく自由だから、公的な会合ではないからと許していては自民党事態が保たなくなると思うんだけれど、ここに来てなお、報道はあるがそれが真実かを確認していないとか言う総理大臣だからどうしようもない。自分家の中で行われた会合に公式も非公式もない。いわば家族が突っ張って悪さをしたなら糾し責任を取るのが家長たる総裁の務めなのに、平気で見捨てて知らん顔をしそうだからなあ。そういう人をそれでも仰ぎ掲げていかなければならに組織がたどる末路が心配だけれど、それより先にこの国の末期が訪れそうなのが何ともはや。

 でもってそうした優柔不断で無責任な家長をそれでも崇め奉っては今回の一件も、自民党内部に非難する声があることを報じないでご機嫌を取り続けるメディアがあることにも愕然とするというか、そういうスタンスだということは分かっていたけど、言論機関が権力によって攻撃を受けかねない状況を、論評せず非難もせずに報じてみせるところにもはや、矜持といったものはカケラも感じられない。このまま突っ走っていくんだろう、共倒れするその時まで。いや先に見捨てられるかな、誰かが経団連に働きかけなくたって広告、入らなくなってるし。ひい。


【6月25日】 まずもってHIV感染者なり発症者が多く集まってくることを迷惑がり、厭うような見解を繰り出した時点ですでにして、特定の疾病の人たちに対する完全なまでの差別意識があるってことを宝塚市議会の議員は激しく認識するべきで、それを差別だとは認識していないとすれば、何か人としてその知見に重大な問題を抱えていると見なされ、市議会議員という立場にあって何か語ったり、言ったりするのは認められないというのが今回の件に関するスタートライン。もちろん同性愛者がイコールHIVへのリスクを備えた人であるといった偏見も是正されるべきであるけれど、そういう認識を未だ抱いている人がいてなかなかなくならないというのも実際であって、そうした偏見を是正するように丁寧に話し、理解を求めていくより道はない。

 とはえい、市議会議員という公的過ぎる立場にいる人間が持って良い偏見ではないのも実際で、そこは立場を踏まえて早急に学び改めるべきだろう。やる気はあんまりなさそうだけれど。というか44歳という若さなのにどうしてこういう偏見が出てくるんだろう。60歳70歳の人たちが、問題が起こった当時の風評を記憶していてそうした声を挙げるというのは認めはしないけれども分からないでもない。でも44歳ならある程度はもはやそうした状況ではなく、異性間による感染もあってどうにか食い止めなくてはいけないと対策が練られていることくらいは知っているべきだし、偏見めいたものがあったとしても状況を見て知識も得て、間違っていましたと改める柔軟さを持っているべきだろう。でも誤ったら負けとでも思っているのか、頑なに差別的ではないと言い募る。

 あるいは戦争から遠く離れた今の若い世代が、先の大戦での敗戦を理不尽な屈辱とだけ感じて自分たちの正義だけを高らかに訴え、自重や自省を行わないのとどこか似通っている感じ。学べば分かるしそれだけの脳みそだって持っているのに認めたら負け、誤ったら死ぬとでも思っていそうなその頑なさが、いったい何に寄るものなのかがちょっと気になる。決して謝らず過ちを認めないで自分の正義だけを貫き通して大成功したヒーローとかヒロインのドラマが流行って、その洗礼を受けたって訳でもないしなあ。30代40代ならこういう言葉は嫌いだけれども“ゆとり”と呼ばれる自由さの中で自尊心だけ膨らませた世代ともズレてるし。単純に個人の資質なら、そうした資質の持ち主がはじかれず認められ議員にまでなる環境の方に不思議がありそう。つまりは空気が全体にそっちに触れているってことか。嫌だなあ。本当に嫌だ。

 鈴木敏夫さんが「太鼓の達人」の15周年記念プロジェクトに絡んで会見に出てくるってんで青物横丁へと向かい、ピラミッドビルでの会見を見物する。バンダイナムコエンターテインメントとスタジオジブリにどんな関係があったっけとか、ゲームとスタジオジブリってあんまり相性良くなかったんじゃなかったっけとかいろいろ考えていたけれど、そこに鵜之澤伸さんが出てきたことでストンと腑に落ちた。アニメの人じゃん鵜之澤さん。バンダイでアニメの事業を立ち上げバンダイビジュアルでは押井守監督なんかと「機動警察パトレイバー」を進めた人。ゲームに移ってからも時折アニメに絡んだりしていたから、その縁で「月刊アニメージュ」の編集長でスタジオジブリを立ち上げ押井守さんなんかをプロデュースしてきた鈴木敏夫さんと知り合いであっても不思議はない。

 そして実際に30年来の知り合いだそうで、そんな“腐れ縁”からの頼み事であり、また鵜之澤さんが大枚を損した「アットマークピピン」を鈴木さんに贈った仲でありといった関係が、後に「太鼓の達人」に「となりのトトロ」の音楽を入れることにつながりそして、こうしてスタジオジブリが「太鼓の達人」の15周年記念アニメーションを作ることへとつながった。そう思うと人間関係って大事だよなあ、若い頃に誰と知り合い何をしてきたか、ってことがこうやって後に結構な成果となって返ってくる。僕なんかはもう遅いけれどもまだ若い20代30代の人なんかはどんどんと外に出て、仕事でも遊びでもいろいろな人と知り合いになっておくと後に良いことがあるかもしれない。それを目的にしちゃいけないけれど、結果として付いてくる可能性を夢見て日々、街に出よう人に会おう。

 そんなスタジオジブリが手がけた「太鼓の達人」の15周年記念アニメーションは酒見賢一さん原作の漫画「ジャンヌ」を手がけたことで知られる……ってちょっとマイナーすぎるか、だったらゲーム「玉繭物語」のキャラクターデザインの……ってそれも知っている人はもういないかなあ、発表会を聞きに江戸川橋のフォーシーズンズホテルへと行ったっけ、いやだから普通の「魔女の宅急便」や「崖の上のポニョ」の作画監督を務めてキャラクターデザインなんかもいろいろやってるって言えば分かる近藤勝也さんが、筆っぽい絵を探求したいってことで引き受けたそうでネズミがはねてドンちゃんカッちゃんが現れる「太鼓の達人」っぽいお祭り気分な映像が繰り広げられる。そしてドドンと登場する「ドドンと15周年!」の文字は鈴木敏夫さんの筆。好きだなあ。でもまあ見て格好いいから良いか。鵜之澤さんも自分の名前を書いてもらって喜んでたし。

 それにしても15年も続くとはなあ「太鼓の達人」、登場した頃は音楽ゲームといったらDJでありエレキギターでありドラムでありダンスでありといった具合に、スタイリッシュでヒップホップでロックでクールなイメージがあって、それらを演奏している姿を見せて俺カッコイイって世間に思わせることでヒットしていた。そんな中にでっかい太鼓が2つくっついて、バチを持ってドンドコと叩くゲームがヒットするはずないじゃんとか、思うのが普通の感情だったし発売元の人たちだって大丈夫かなあって感じで見守っていた。

 それが意外や大ヒット。ゲームセンターにはなくてはならない定番になって、場所によっては店頭に置かれてそれを楽しんでいる若い人たちがいっぱいいる。男性も女性も。そして年配の人でも楽しめる。たぶんそこが「太鼓の達人」をしてロングセラーでベストセラーのゲームにした理由なんだろう。最先端のスタイリッシュは時間が過ぎればロートルになるけど、最初っからトラディッショナルは時間が経っても変わらずトラディッショナルであり続け、なおかつ定番へと育っていく。そこにハマったゲーム機ってことになるんだろう。

 最初にそう考えていたかは分からないけれど、結果としては大成功。これと同じような動きを「ミスタードリラー」とか「もじぴったん」とか「塊魂」もすればナムコもすごい存在感を持ったゲーム会社になれたんだけれど、育てきれなかったかなあ、だからバンダイ系のキャラクター物が主流になってしまった。そんな中でも「太鼓の達人」があり「アイドルマスター」があり「鉄拳」も「ソウルキャリバー」も残って頑張っていると思えばまだ幸せか。20周年30周年でどうなっているかは分からないけれど、ずっと続いて欲しいもの。そこではスタジオジブリが今度は中編アニメーションを作って見せてくれるんだ。ってどうなっちゃうんだろうスタジオジブリ。そっちが今は心配だ。

 より強化された野球小説になっていたいといった感じの石川博品さん「後宮楽園球場 ハレムリーグベースボール2」(ダッシュエックス文庫)は、メジャーに昇格したヒロインというか1人は少年が女装しているんだけれどやっぱり2Aから3Aを飛び級しての昇格ではなかなか使ってもらえず、なおかつチームは連敗癖がついてしまって全体的に停滞気味。そこに現れたのが元気な少女で明快な性格が好かれたのか皇帝の寵愛を受けて一気に部屋のトップへと躍り出て、そしてチームを再編成して前からいた人たちをほとんど全員放出し、新しいメンバーたちでチームを作って野球の試合へと繰り出す、もちろん後宮で。

 そして始まるチーム改革は内気に流行るバッターには待つことを覚えさせ、考えすぎるバッターには考える暇をあたえないくらいに走らせ頭をからっぽにして来た球を打つようにさせて自信を取り戻させる。練習は厳しく休日すらなくスパルタだけれどそれでだんだんと実力をつけていく様はひとつの立派な野球成長物語。それが普通に描かれているんじゃなくって後宮という場を舞台に描かれている異色さが、どうにも不思議な味わいを覚えさせる。外では何かいろいろと動いているようで革命の兆しなんかも見えるけれども果たして主人公の少年は目的を果たして皇帝暗殺をやりとげるのか、それとも外でうごめく兄たちが何かしでかして世界をひっくり返すのか。いろいろ楽しみだけれど続きはちゃんと出るのかなあ、2巻すら出る可能性がないって一時期諦めていたもんなあ。待とういつまでも。


【6月24日】 海堀あゆみ選手、やっちまったなあ、って思ったFIFAサッカー女子ワールドカップ2015カナダ大会での決勝トーナメント、ベスト8進出をかけた日本代表対オランダ代表の試合で、とくにどうということのないシュートを胸で落として足で転がし時間を稼ごうとでもしたら、そのバウンドが強かったのか当てる場所を間違えたのか、ボールが胸をスルーして肩越しにゴールへと入ってしまって、日本がオランダに1点を献上、すでに2点を奪ってはいたけれど1点差に追いつかれて残り1分以上という緊迫する状況を作り出してしまった。普通に手で取り押さえればそれですんだプレー。そこから蹴り出すなり誰かに渡すなりしてボールをゴールから遠ざけるのがセオリーなだけに、ちょっと間違えたというか、驕慢になってしまったところがあった感じ。

 これが先発を予想されていた山根恵里奈選手だったらどうだろうか、いや他のまだ見ぬゴールキーパーでも、守りたいという気持ちを前面に出してボールを押さえにいっただろうからああいった、軽いプレーから来る失点は起きなかったかもしれない。でもほかのプレーで失点を許していたかもしれない。現に鮫島彩選手によるオウンゴール気味のボールをはじいて失点を防いでいた訳で、それをもって相殺という声も当然あがるだろう。けれどそれはそれ、当然のプレーであってよくやったと讃えつつもだからといって軽いプレーの失点を相殺できるものではないのがゴールキーパーというポジション。1点を防いでも当然だけれど、1点を失えば非難を浴びる。その緊張感を失っているのだとしたら次、ちょっと冷静になった方が良いかもしれない。

 その方法を佐々木則夫監督は外すことで実行するかそれとも続投させることで払拭させるか、分からないけれども相手はやっぱり大きな選手が多いオーストラリアだけに、ここで温存した山根恵里奈選手を起用してくることもあるかなあ。オランダなら守るより攻めてもうちょっと得点を重ねられると思ったのかもしれない。ただ、やっぱり前線の大儀見優希選手と大野忍選手の2人が、中盤の坂口夢穂選手と宇津木瑠美選手から離れてしまってサイドも開いてあまり絡めず、オランダに攻められて返したボールも奪われていたような気がする。後半にそこそを締めてサイドに岩渕真奈選手を置いてキープさせ、アンカーに宇津木選手を下げて澤穂希選手を中盤の要に置いてオランダを自由にさせなくしたこともあって、比較的安心して見ることができた。それだけにやっぱり海堀選手のミスは拙かった。

 ともあれ2点を奪ってベスト8入りは上々の試合運び。何しろ飽いては大きくて足も速いオランダ代表。それをミスはともかく守り切って勝った訳で守備に関しては自信が持てたことだろう。走れば胸が揺れるオランダ代表が見られなくなるのは寂しいけれど、次もやっぱり胸が揺れるオーストラリアだけに試合を見るのが楽しみ。誰が先発で起用されるかも含めて注目したいけれども試合って次、いつだっけ。28日の日曜日なら普通に生中継を見られるかな。オーストラリアは割と試合をしている感じだし与しやすいか、それとも苦手にしているか。どっちにしてもここまで来たらせめてアジアのナンバーワンを目指して欲しい。中国もまだ残っているし負けられない1戦。頑張れなでしこジャパン。

 いやいや待て待て。そりゃあ広瀬すずさんは今のところ1番人気の女優さんだけれどその資質は素朴な可愛らしさであって決してスラリとしてスタイリッシュな美少女でもなければ、何かに熱中してわれを忘れるような熱血タイプでもなく、ましてやそれらの2つが合わさった“無駄美人”としての綾瀬千早でもないんだけれども映画界という奴は、話題になりさえすればキャストが原作の漫画や、それが再現されていたアニメーションのイメージなんて軽く吹き飛ばして構わないと考えて、あろうとことか「ちはやふる」の実写映画の綾瀬千早役に、広瀬すずさんをキャスティングしてきた。いくら髪の毛をロングに慕って、そして髪の色を薄くしたってその佇まいは漫画やアニメ-ションの綾瀬千早とは大きく違う。演技力と雰囲気で見せようとしてもやっぱりビジュアルという最大の部分で違和感が最初に浮かんでしまう。

 そう言われるだろうことを知ってか原作者の人も大丈夫大丈夫と言って世間を宥めているけど、そう言わざるを得ないくらいにいろいろと声が起こることが予想されている。そんな逆風を推してまでキャスティングする必要があったのかってのがまずはひとつの違和感。それこそ代わりにベストと推される桐谷美玲さんが、実写版「荒川アンダーザブリッジ」のニノ役にようやくやっと決まったように、イメージに沿うキャストを探すのは作品への敬意でありファンへの責任だとも言えるだろう。結果、「荒川アンダーザブリッジ」の頃はまだ余り知られていなかった桐谷さんがヒロインを射止め、そして今へとつながる人気を得た。なら「ちはやふる」だってまだ見ぬ新鋭を推してここからシンデレラストーリーが始まるようにすれば良いのに、話題のアイドルに乗って稼ごうというフトコロ具合が見えてしまうから余計にファンの反発を生む。

 いやいや依頼した当時はまだあまり有名じゃなかったっていうけれど、でもすでにCMなんかでは活躍していたし、それよりもイメージが違いすぎるとまずは思うのが作り手ってものだろう。でも推した。漫画が好きなら漫画を読んでいろ、アニメーションが完璧ならアニメーションだけ見ていれば良いって意見も一方にはあるだけに、映画は映画としてひとつの新しい「ちはやふる」を見せてくれれば良いのかもしれない。ただ綾瀬千早はともかく真島太一が野村周平さんていったいどういうキャスティングなんだろう。「日々ロック」のぶっとんだ熱血ロック男子を演じた彼と、千早に負けないくらいの美形でクールでスタイリッシュな太一とではイメージが違いすぎるんだけれど。でも決めてしまった。何が何だか分からないけど決まってしまった以上は彼女ら彼たちがしっかりと、作品のスピリッツを感じて演じてくれることを願いたい。「舞妓はレディ」の上白石萌音さんが大江奏ちゃんにハマってそうなのは救いだなあ。でもちゃんとボインちゃんかなあ。

 レクサスが南青山に持っているショールーム兼カフェスペースみたいな場所で現代の魔術師こと落合陽一さんが野々上仁さんという人と登壇するイベントがあるってんで見物へ。前にニコニコ超会議で見た音波で物体を浮かせる技術がよりブラッシュアップして展示されていたり、昔あったセイコーのアナデジ時計みたいなんだけれどもウェアラブルな機能が満載でいろいろ楽しめそうな腕時計があったり、視線入力が可能なVRヘッドマウントディスプレーがあったりと最先端のテクノロジーにデザイン性が融合したプロダクトが並んでいて楽しめた。ここで言うデザインとは単純に物の形ではなく操作性とか使う環境も含めたトータルでのデザインという意味。そのシーンにおいて最適な形や最良の機能なんかも含めてデザインして、物と人間との間をシームレスにつなぐ工夫がされていることが、これからの物作りでは重要ってことらしい。

 そこには既成概念を超える操作性なんかを考案してそれにテクノロジーなんかも合わせていくようなアプローチもあるみたい。落合陽一さんが手がけている超音波で粒子を跳ね上げグラフィックスを表現するような技術なんかは、空間にモニターを置かなくてもそこに操作可能な物体を現出させる新しいインターフェースの創出につながる。何でもかんでもディスプレーありきの昨今、そうした次の時代を担うインターフェースを考案していくことが新しいブレイクスルーを生む。便利さに頼っていては新しいことは生まれない。それを率先してやって成果もあげている落合陽一さん、若いのに結構やるなあと改めて思った次第。しゃべりもうまかったし。いったい次は何を作ってくれるのか楽しみ。遠巻きにして見ていこう。


【6月23日】 THORES柴本さんが表紙絵を描いていて凄くないはずがないんだけれど、読んだら凄すぎて呆然となった星野亮さんによる「羽衣幻視」(朝日エアロ文庫)。TISSっていう人工知能が人類のすべてを把握し、あらゆる機器を操作している完全完璧なネットワーク社会がまずあって、そこで暮らしている幼なじみの少年と少女が街中の公園にいたら何かゴスロリの少女が現れたりしてそして不思議なことが起こって他にいた人たちが消えてしまう。少年といっしょにいた少女も消えてしまいそうになるけれど、ゴスロリ少女からのたぶん言葉が届いて少年が手を離さずにいたら助かった。

 そんな事件がまずあって、どうやら世界を統べるTISSが不調なようで続けて空を飛ぶ飛行機が落ちたりする事故も多発して、世界に大いなる混乱が起ころうとしている様子。エアパトカーにのっている男性も上司の女性ともども追いかけたりしているけれど犯人がいるわけでもなし。まるで原因の見えない世界の不調のその陰で、ゴスロリの少女を含めて4人のどうやら姉妹らしい少女たちが活躍しては、事態を収拾へと導いていく。彼女たちはTISSの中にいるのか、それともTISSが不調になった時に現れるバックアップ的な存在なのか、バーチャルじゃないリアルな空間に現れているように見えるのは自動人形か何かだからなのか、そして主人公らしい少年の正体は。

 1回読んだだけではつかめない世界観だけれど、この世界の存在を疑い、完璧に自動化された世界が狂った時の恐怖を想像させ、そして美しい4姉妹による八面六臂の活躍って奴で楽しませてくれるハードなSF作品といった感じ。読み触りは神林長平さんの作品に似ていて、丁寧には説明はされていないけれども特殊な社会において淡々と進んでいく状況の中で、自己認識を問われ世界の存在を疑わせるような要素が現れ出てくる。全体像がつかめればきっとそこに巨大な何者かの意志を読み取り、生きている人間たちの虚無を捉えて、そして救われる世界のまぶしさを感じることになるんだろう。状況を理解するためにやっぱりあと1度、あるいは2度くらいは読み返したい。THORES柴本さんの描く美少女4姉妹の姿を脳に焼き付けその登場時にすぐに浮かぶようになるまで読み込もう。

 こちらもまずは一読となった江波光則さんのSF道場破り的作品「我もまたアルカディアにあり」(ハヤカワ文庫JA)は、アラブ系だけれど日本人の血も入っている男とその妹を自称する女が出会い、終末に備え働かずとも生きていけるシェルターのようなマンションに入って、女の望みに答えるように子作りに励む一代記が断続的に綴られていく、その合間に2人の子孫とマンションの管理人の子孫らしい女や男が現れて、かたや商業を徹底的に追求し、こなた純粋さをとことんまで研ぎ澄ませようとした2人の作家の交流があり、頑健な肉体をを持ちながらも労災で首から下が動かなくなった男が、サイボーグ化の勧を受けて肉体を交換しながら女性との交流を続けていく話なんかが短編的に挟まれる。

 ほかにも古いバイクにこだわる男がいて、そんな男が気になる女がいて交流がありながらも交合へとは至らないまま男が消え、女はバイクへの関心を男への想念も乗せて引きずりながら走る話があり、そして将来のテロに向けて肉体を改造された男がついに迎えた週末の中である出会いをする話があってと、それぞれがSF的なビジョンを持った短編も挟まれたりする。そこでのサイバネティック描写は、肉体の要不要や生きることへの渇望を感じさせ、バイクをめぐるエピソードは恋することより大切な走ることへの欲求を思わせる。そんなエピソードを織り込み男は女を求めつつ女は自分を貫き通す。たとえ世界が終わろうとしても。その手で終わらせようとしても。

 熊野さんというどこか謎めいてその存立基盤が分からない人と、その一族によって作られ運営されているアルカディアマンションという、別に働かなくても人が暮らしていける施設の物理的に存在し得る可能性なんてのを考えると、それはこの国のひとつの生き方、資源はなく人口すら減っていく中で、他国に身を売りながらも狭い範囲に引きこもって生きながらえる未来が浮かんでくる。暗喩的な存在としてとらえるならば、働きもせず創造すらしないで、何かに縋って生きていくことしかできない現代の人間たちへの警鐘めいたものを感じる。はたしてどっちなんだろう。現実非現実の双方から物語世界のリアルを考えてみたくなる。そして訪れる終末に人はいったいどんな態度を取るのかも。やっぱり子作りかバイクでの暴走か。どっちもヤンキーじみているなあ。やっぱりヤンキーの生命力の強さが何よりってことなのかなあ。

 マンガがあってアニメがあってゲームがあってライトノベルがないのは何でやねん、って考えたくもなったけれど、前の3つが長いこと日本で栄えてそして世界へと出て行っているのと比べると、ライトノベルはそのあたりがまだまだ足りていないのかもしれない、っていうか単純に小説のサブジャンルとして扱われてしまって独立したポップカルチャーとして見なされていないところが外れてしまっている理由なのかもしれない。その割には小説からも鬼っ子扱いで賞レースには入れてもらえないけどライトノベル。何て可愛そう。とか思いながら内覧会を見て回った国立新美術館で24日から始まる「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展。こう書くと普通にマンガはマンガ、アニメはアニメ、ゲームはゲームとして分野別に展示されているかと思われそうだけれど、この展開ではテーマ別に各分野を横串にして該当する作品や要素を抜き出し並べてあって面白い。

 最初の部屋なんかは「現代のヒーロー&ヒロイン」というテーマで、幾つかの作品からヒーローとヒロインを抜き出しては映像で紹介し、大きなパネルでもってキャラクターを見せ、そして文字でもってその存在を説明していたりする。パネルの絵がとても大きい上にしっかりしていて見ているだけで幸せになれる。映像もたっぷり。ここだけでじっくりと見ていたい気にさせられる。でもそこで止まっていたら他の作品は見られないってんで進むと、「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」がいたり「電脳コイル」があったりと、テクノロジーを予言したような作品が並んでその技術描写の意味って奴を問う。一方で技術革新によって作られたフル3DCGの作品として「APPLESEED」とか「シドニアの騎士」を紹介。そんな間をつなぐ作品として「青の6号」が押さえてあったのが嬉しかった。紀野真弓ちゃんは永遠のアイドルです。僕の。

 ほかにもゲームがあり初音ミクがいたりと楽しめるコーナーがあり、「涼宮ハルヒの憂鬱」と「らき☆すた」が並んで紹介されててヤマカンさんの偉大さを思い知るコーナーがあったりして誰だこの構成はとニヤついたりしたその後で、たっぷりのマンガの原稿を通って現れたのが板野サーカス。「マクロスプラス」で板野一郎さんが描いてみせたミサイルが乱舞し戦闘機が突っ走るあの描写を何十枚ものパネルと原画、そして映像によって見せてこれがどれだけすごい表現なのかを知らせてくれる。思ったのは映像になってもちゃんと動きが目で追えるということ。見ていていなくても感じがつかめる。今のCGを使った映像ってそれらしさはあってもどこか過剰で人間の生理を飛び越えているから心地よさがない。緊張感と心地よさ。それが人間によって描かれる手書きの絵にはあったのかもしれない。違うかも知れないけれど。その辺の分析、だれかしてくれないかなあ。

 韓国で走っている新幹線めいた車両に立ち乗りの人がいっぱいでて危険な上に座っている人たちが移動しづらくって結構大変って話があるらしいんだけれど、それを日本の新聞あたりが書く意味っていったいぜんたいあるんだろうか。韓国では安全の観点から早急に状況は改善されべきだとしても、そこで日本の新幹線はちゃんとしてるぜって侮蔑的な上から目線で語る語り口にはどうにも辟易とさせられる。というか韓国の新幹線がすし詰めなことが、日本人の暮らしにどんな影響をもたらすのか。別に誰も困りはしない。それでも取り上げそして日本が優れていると行ってみたりするその記事には、自分たちはこんなにすごいんだぜっていう自尊心を満たす意味しかない。それも相手を貶めこき下ろして。そんな慈悲も慈愛もない人間が、愛国だとか口にするのはどうにもこうにも薄気味悪い。人間として間違っているとすら思うんだけれど、そうは思わない人たちがいて記事を書き、そんな記事を書く新聞と同じ考えをもった総理大臣が上にいて、この国を動かしているからどうにも先が思いやられる。肥大した自尊心をのみ大切にし、それが曲げられることを厭っていったい世界は何を思う。やれやれだ。


【6月22日】 幕張メッセでの「とら祭り2105」からの帰り道、せっかくだからと船橋のららぽーとにあるTOHOシネマズららぽーと船橋に寄って、前日に続いて2度目の「攻殻機動隊 新劇場版」をTCXで見たらスクリーンが大きかった。最近は映画館で浴びるように観たいと前目の席をとることが多いんだけれど、ここは最前列からスクリーンまで割と距離があるのに、それを上回ってスクリーンが大きく本当にのしかかってくるような感じだった。これでドルビーアトモスだったらさぞやすごい体験ができただろうに。いつか3D版とか作られるのかな、でもそういう作品でもないし、音響面のブラッシュアップがあればそっちが見たい気が。

 そして2度目でやっと気づいたツムギの正体。オープニングに出てきて草薙素子が0歳児の義体から育成されていた施設にいた黒人の双子の少女。あれがクライマックスで素子が501機関の残党がいる施設を襲撃した時に防壁迷路に現れて、そこにツムギが懐かしい姿で認識されたとか言っててそうかそうだったのかと分かったというか。サイボーグ体になったツムギの野島健児さんのあの声と、どうにも愛らしい黒人の少女2人がすぐに結びつくはずないよなあ、同じ双子だからって。手をつないで喋らず外部とのコミュニケーションを肉体ではしなかったのが、電脳となって2人で1体となってああいう姿になって、割と普通に素子たちと会話をしているツムギの思考ってどんな風になっているんだろう。やっぱり苦しかったのかな、だから第三世界へと向かったと。

 そんな第三世界へと向かったのはツムギだけでなく、これも素子が昔いた施設に今もいるクリスって少女もそうで、やがてそれが人形遣いとなるのかそれとも大勢の意識が重なり混ざり合ったところにゴーストが再発生するのか。神のみぞ知るところか。そういうのを描く続きがあればまた話も変わるんだろうけれど、それなら「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」を観れば良いだけのことだから、ここはこれまでを1つの新たな「攻殻機動隊」としてまとめあげた上で、別の「攻殻機動隊」ってのが立ち上がってくれれば面白いかも。それこそ100年後の、すべてが電脳化された世界で起こる犯罪に挑む少女の物語、ってそれは「楽園追放」になってしまうか。しかしやっぱり分からなかったクルツの意図。501機関を救いたかったのか、自分自身を救いたかったのか、草薙素子を救いたかったのか、子供たちを救いたかったのか。全部かなあ。でも素子が勝ったのであとを託したと。合わせ鏡のような2人。その相克を出逢いから離別まで描く物語なら観てみたいかも。

 やっぱりただのポン酢なんだろうなあ、自分の欲望というか願望めいたもの、すなわち日本は先の太平洋戦争に負けてもいないし、悪いこともやっていないという自分の信心を曲げたくない、そして世に告白したい、だからそうしたことへの謝罪なんて一切したくないという意志を貫くために、中国の赦しを得て区議決定はしないけれども談話としては出すといった玉虫色の鵺みたいな決着を行った模様。そこで中国側の理解を得たということは、日本が代わりに何かを差し出したって可能性があるのがひとつのポイントで、本当だったら尖閣でも南沙でも中国側の譲歩を引き出し、そこで日本も引いて共に徳を取るのが外交であり国益なんだけれど、差し出したのが総理大臣のプライドでは日本もたまったもんじゃない。

 普通に村山談話でありそれを踏襲した小泉談話を引き継ぐだけのものならイーブンのところからのスタートで、相手に何ら臆することもない。普通に外交へと臨んでそこで台頭の立場から丁々発止を始められたのにすでに1歩、閣議決定はせずとも談話は出すというスタンスを維持したことで中国はだったらそれは認めるよというカードを1枚、切ってしまった。これでイーブン。もっと日本全体にとって有意義な、経済でも軍事でも良いから得られる果実を狙うべきだったのに。これで総理大臣の件は見て見ぬふりをするから、自分たちが南沙に出るのも見て見ぬふりをしてねってことになっていたら、それこそアジアに顔向けできない。自分たちの国の利益と総理大臣のちんけなプライドのために東南アジアを見捨てるような態度をライティーな人たちは是と認めるか、認めないだろう普通は。でも今の支持者ってのは安倍ちゃんが満足すればそれが僕たちの満足だという人たちばかり。だから文句は言わない。異論も出さずにそれでも頑張るんだと讃えるだろう。そして国益は損なわれ続ける、と。嫌な時代になったなあ。

 トップがそんな肥大したプライドにすがって生きていると、周りも身勝手な自己満足に走ろうとする人たちがあふれ出てしまうようで大変。自民党あたりが東京裁判の結果とか経過なんかを見直してひっくり返すような検証を行って、政府に何か言うような態度に出始めた。そりゃあ不満もあるだろう。問題だってあったかもしれないけれどすべては戦争を起こしたその責任を問われたもので、負けてしまった身として何も反論なんでできるはずも無い。それを今さら無実だった非道だったと言ったら、それこそポツダム宣言への反旗であり、サンフランシスコ講和条約への反抗となって連合国側からちゃぶ台返しの復古主義者と疎まれるだろう。そうなった時にどれだけの国益が損ねられるか。考えればやれないことをでも、平気でやってしまえる肥大したプライドが跋扈している政治の行方が不安で仕方が無い。下手に蒸し返して昭和天皇の戦争責任が再浮上してきたらどうするんだ。そこを巧妙に避けて得られた結果があれだった訳だろうに。頭が悪い人たちが導く立場にあるこの国の明日は。やれやれだ。

 時に西暦2015年、と聞けば「新世紀エヴァンゲリオン」なんだけれどもどうやらその「エヴァ」で碇シンジくんが箱根の新第三東京市まで来てそこでミサトさんと出逢いおっぱいに挟まれた後で汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機に乗って現れた使徒のサキエルを迎え撃った日がその2015年6月22日らしいと広まって、そうだ箱根に行こう運動が高まったり使徒襲来警報が心の中で鳴らされたりと楽しい1日だった。これで本当に使徒が来ていたら遊んでなんかいられないけれど。大涌谷が噴火したって同様だけれど無事に済んだみたいで、現地にバイクでかけつけた緒方恵美さんも平穏そうな箱根をツイートしてた。これからまた日付でもってエヴァ絡みの行事が語られそうだけれど、とりあえず気になるのはアスカの来日かな。いつだっけ。歓迎会を開いてあげないと。

 アヌシーで審査員賞を取ったのであらためてテアトル新宿で「百日紅〜Miss HOKUSAI」を観る。これで4回目。もうすっかり展開に慣れてしまってどうなるかが読めてしまっているんでひとつ、またひとつと重ねられていくエピソードを追うというか確認していく感じになってはいるんだけれどでも、やっぱり最後の北斎宅での、おそらくはお猶とそして北斎の触れて離れるシーンでの、北斎の表情や声に子を思う父を見てジンと来るのだった。これは試写会で観たときもこれを見たさに何度も通うようになるといったシーン。あとは三囲神社から雪遊びのシーンも何度観ても心が癒やされる。天才と狂人の狭間に生きる芸術家の話でもあるんだけれど、姉妹であり親子であり家族の話、なんだよなあこの映画は。だから今も劇場に見に来る人がいるんだろう。もっと広まって欲しいなあ。


【6月21日】 目覚めるとアヌシー国際アニメーション映画祭で原恵一監督の長編アニメーション映画「百日紅 〜Miss HOKUSAI〜」が、グランプリに続く賞にあたるらしい長編アニメーション部門審査委員賞を受賞していたらしくてこれは僥倖。なんだか日本ではグランプリ以外は賞にあらずといった気分があるけれど、ブロードウェイミュージカルの「王様と私」で渡辺謙さんがトニー賞の主演男優賞にノミネートされたことが、どれだけ凄いことか報じられたりして少しは、映画祭にノミネートされることでも十分に価値があり、ましてやそこで何かしらの賞を獲得する素晴らしさも、分かってくれたと思いたいんだけれど、対象を持ち上げたい人ならノミネートでも持ち上げ、関心の埒外だとグランプリ以外は知らん顔するのが日本のメディアって奴だから期待は禁物。なのでこうしてここで喧伝して、その素晴らしさに拍手を贈る。ぱちぱちぱちぱち。

 幕張メッセでレナウンのファミリーセールがやっているんってんで支度して、駆けつけたら何か行列ができていて見たら「ゲスの極み乙女」のライブの物販を待つ人たちで、どうやら威ベントホールを使ったライブがあるそうで賑やかになるなあと思って見渡すと、また違ったTシャツを着ている赤と黒系の人たちがわんさかいて、見たらこっちは「BABYMETAL」の凱旋ライブを待つ人たちで、昔だったらロックVSメタルというかサブカルVSオタクというか、対立軸で語らえそうな雰囲気だけれど今はそのどっちも好きだという人もいそうな空気感が漂っているところに、カオスとなった昨今の音楽シーンって奴をふと感じる。

 でもって4から6ホールの方では同人誌とか売ってるとらのあなが、創業20周年を記念して開いた「とら祭り2015」ってのを開催中。超オタクなんだけれど「BABYMETAL」や「ゲスの極み乙女」をやっぱり包接してそうな雰囲気に、今のポップカルチャーシーンのこれも融合ぶりってやつを見る。アニメの主題歌に「ゲスの極み乙女」がいたって不思議がないというか「神聖かまってちゃん」は実際にアニメの主題歌やってるし、「BABYMETAL」のうちの1人はアニソン歌ってたし。だから今、ホールごとにイベントが分かれて存立していても、いずれはロックありアニメあり漫画ありファッションありなイベントってのができてくるんじゃないかなあ、「ニコニコ超会議」なんてものはまさにそんな雰囲気だし。とはいえレナウンのファミリーセールが「BABYMETAL」や「ゲスの極み乙女」やとらのあなとリンクするまでにはまだ、高い壁を乗り越える必要がありそうだけれど。

 そしてとりあえずのぞいてみた「とら祭り2015」は喧噪もなくまったりとした雰囲気の中に同人誌即売会があり、企業ブースがありイラストの展示コーナーがあり屋台があってとお祭りのような雰囲気、って祭りか。お昼時になってもそんな屋台に行列ができていないところに参加人数の推して知るべし感も漂うけれど、認知度もなく企業単独のイベントでもあると思えばまずまずの入り。なにより平野耕太さんによる「ヘルシング」と「ドリフターズ」の原画展示ってのがあってこれがもう鬼のように素晴らしくって、それだけで1300円の入場料の元をとった気になれた。だって原画だよ、コピーじゃ無く。そして同じページが原画と印刷物の両方上下で展示してあるから、トーンがどういう具合に張られてて、ホワイトがどういう風にかけられていてそれが印刷ではどう見えるかってのが目の当たりにできる。漫画を描く人は必見のテクニック講座だったけれど、今時のタブレットで描きPC上で処理をする人たちにはあまりピント来ないのかも知れない。どうなんだろう。

 1時間くらいのぞいてカレーを食べてから会場を出てレナウンのファミリーセールをのぞいたけれどもユニクロやらGAPといったファストファッションにばかり目がいっていたせいもあって、ポロシャツが3500円とかカジュアルシャツが7000円とかいった値段が高くて仕方が無く思えてしまってちょっと悲しい。いずれもそれなにに名の通ったブランド品で昔だったら半額じゃん安いじゃんと買っていたのが今は質より実を取る脳になってしまった。これでスーツも1万5000円とかで十分とか思うようになったらおしまいだけれどそれ以前にスーツなんてもうずいぶんと買ってないからなあ、昔はそれこそボーナスが出たら1着とかって感じに買いそろえていたんだけれど。貧すれば鈍すればさらに貧する悪循環。たぶんこれが今の日本経済って奴なのかも。高みを目指す心意気を持てる環境じゃないものなあ。

 どこかテンプレート化された“ラノベ”じゃなくって冒険があって恋もあり戦いもあってカタルシスもある、昔なつかしいライトノベルって感じの話だと思った秋堂カオルさんって人の「ギルティ・アームズ1 遺物の少女」(GA文庫)は元傭兵の少年ってのが出ては来るけどそうした暮らしで身についた非日常的言動が学園生活との間でギャップを起こす話ではなく、元傭兵ではあっても今は普通にくらしながらもその時を待っているといった常識人。そして訪れたのがアトランティスの遺物にして世界を破壊する力を秘めた<水晶天使>と呼ばれる少女型オーパーツ。何者かに追われていたのを元傭兵の古耶新羅が救い助けてそしてオーパーツを狙う勢力と戦う組織の協力も取り付けながら、アトランティス復活を目論むサンジェルマンという男と彼の元にいる別の<水晶天使>を相手にした戦いに身を投じる。

 手にするのはモノリスと呼ばれるオーパーツで、剣にもなれば銃にもなる便利な品だけれど身に纏えば最強となり同時に最凶に落ちる可能性もあってなかなか使えない。けれども敵は強大で守るべき<水晶天使>のアルルを奪われそうになった時、新羅はその力を解放して敵に挑むという感じ。少女を守って戦う少年と、少年を救いたいと身を投げ出す少女の関係を軸にして、そんな少年を慕うお嬢様ながらも誘拐されて戻れず傭兵となって戦いが好きで拷問も得意な少女へと身を性格を変えオーパーツも体に仕込んで不死身となったリチアなんかも絡んで進むストーリーは、ひとまず決着がついたものの各地に残る<水晶天使>がどう動くのか、あるいは他のオーパーツなんかも絡んでくるのかといった期待もあって先が楽しみ。不思議な力を持ったOWLって対オーパーツ組織の十文字虎珀って女性エージェントの活躍があまりなく、その正体自体もよく分からなかったりするんで是非に続きでは彼女の活躍を。それで新羅の出番がなくなる可能性もあるけれど。


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