縮刷版2015年6月中旬号


【6月20日】 マジンガーZと戦ったことはあったデビルマンだけれど、今度は同じ永井豪さんの作品世界を超えて、石ノ森章太郎さんのサイボーグ009と戦うみたいでフランソワーズが不動明や飛鳥涼に惚れてしまって島村ジョーがやきもきしなかとか、逆にジョーが美しいシレーヌに惹かれてしまってフランソワーズが焼き餅を焼かないかとか、いろいろ心配が浮かんで楽しくなる。というかどのデビルマンでいくんだろう、アニメーション版なのか漫画版なのか。どこまでもシリアスでハルマゲドンすら超えてしまう漫画版だと娯楽にはならないし。それとも009たちが戦う天使がデビルマンたちを狙う悪魔とも合流して強権を振るうのをデビルマンとサイボーグが阻むのか。それを人間たちは支持するのか。そんな壮大で深淵な話だって作れそう。さてもどうなる「サイボーグ009VSデビルマン」。期待大。

 そんな漫画家や漫画作品の枠組みを超えたコラボレーションが可能なら、次は「マンガ日本経済入門VSハレンチ学園」とかって硬派と軟派のバトルが見られるかもしれないし、トキワ荘組から赤塚不二夫さんを出して「天才バカボンVSデビルマン」だなんてもうバカボンのパパが勝つに分かっている戦いとかを見せてくれる可能性も浮かんでしまう。ああでも永井さんはトキワ荘じゃないから、ここは石ノ森さん赤塚さんで「仮面ライダーVSおそ松くん」とかならあって見ていて楽しそう。でも何をやっても勝つのは赤塚さんか、ギャグにかなうシリアスなんてないからなあ。それはそうと新しい劇場版「サイボーグ009」の島村ジョーの声は誰になるんだろう。神山健治さんのフル3DCG版で宮野真守さんがハマり役だったけどこれも変わるのかな、フランソワーズは前のまま斎藤千和さんだと良いとは思うけど。ギルモア博士は是非に八奈見乗児さんで。

 早く起きられたんで勇んで川崎へと出向いてTOHOシネマズ川崎で「攻殻機動隊 新劇場版」を舞台挨拶付きで。思えば「攻殻機動隊ARISE」の頃から全部ここで第1回目の舞台挨拶を見ているのだった。ここを起点に都内へと行って六本木とか新宿とかで挨拶をするんだけれどやっぱり1番最初に見られて、そして上映後ってところに開放感からいろいろと面白い話が聞けそうって期待もかかる。今日はとりあえず「坂本真綾、35歳ですっ」「おいおい」が面白かった、って別に「おいおい」の突っ込みはなかったけれど、何でも昨晩の「攻殻機動隊」ナイトで押井守監督が、最初の「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」に出たときの坂本さんを5歳くらいと思っていたらしい。そう記憶していたのか今になてそう勘違いしたのか。でも目の前に坂本さんがいて35歳とは思わないよなあ。だから25歳だと思いそれなら5歳だったと逆算しても不思議は無いと。「坂本真綾、25歳ですっ」「おいおい」。いやこそで「おいおい」はないだろう。

 そんな「攻殻機動隊 新劇場版」は「攻殻機動隊ARISE Border:1」から「Border:4」まで来てそしてテレビで放送された「攻殻機動隊ARISE RYROPHORIC CULT」でファイアスターターの後ろに陸軍501機関のクルツ中佐が暗躍しているっぽいことが示されそして、独立攻性の部隊を動かそうとしている草薙素子の前に現れ立ちふさがりながらも物語の冒頭でひとつの結末を迎えてしまって、さあいったい誰がどこで何をしているのかって見えない中で繰り広げられる素子とその仲間たちによる総理暗殺という大事件の真相究明。そして浮かび上がったのは義体というものが決して永遠を保証してくれるものではなく、機械として寿命があってそして交換も効かないものになるという不安を前にしてぶつかりあう勢力だったという、そんな感じ。

 そのどちらが誰で誰がどちらで、それぞれに後ろでどういうやりとりがあってハメたりハメられたりしていて、そんな上で草薙素子たちはどういう立場で動いているのか、それとも動かされているのかといった疑問を常に味わいながらも激しい銃撃戦があり、とてつもない肉弾戦なんかもあって終始一貫、飽きること無く楽しめる。真犯人の正体があれだったとしてその目的はいったい何だったのか、ってあたりがひとつ逆算的に考える鍵になりそうだけれど、それにはもう1度最初っから見返していく必要がるかも、Border:1から順にARISEを見てそして劇場版。見終わったらそのまま「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」へと突入しては人形使いが生まれ暗躍する広大なネットというものを、今一度考えてみると面白いかも。とりあえずようやく草薙素子が高いところから飛び降りた。ここから始まる何かがあれば、見たいなあ、それが例え「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」のリメイクになったとしても。

 池袋へと回って「やよい軒」で昼ご飯を食べたら、セールになっているミックスグリルをカウンターに並んで座っている全員が食べていた。日本人ってミックスグリルが大好きなんだ。そして池袋リブロで知念実希人さんといとうのいぢさんのサイン会。「天久鷹央の推理カルテ」の第3巻が出たのを記念したものだけれど、ちょっと前に第2巻が出てすぐ第3巻とはまた書くのが早いなあ、でもって第4作目もできているとか。今度は連作短編ではんく長編。これをハードカバー出だして直木賞とか狙ったら楽しいけれどもどうなるんだろう。ともあれハイペースな上にちゃんと読者も付いてきている。もしかしたらこれが新潮文庫nexにとっての「ビブリア古書道の事件手帳」になるのかも。「階段島」シリーズは読者を選ぶものなあ、面白いけれど。

 はっきり言ってダメだろう。民主党の偉い人とかが政府の文系学部縮小方針に異論を唱えていて、その心意気はとても買いたいし賛成もしたいんだけれど、言ってることの中身がなさ過ぎて、これで文系なんて残したところで意味あるの? って世間を思わせかねない。京大の法学部で学びながらも文学部から生まれた知に触れたことを振り返って曰く、「『いかに生きるか』を考えた日々は、就職活動にもサラリーマン生活にも役にも立たなかったが、私の人生にとってかけがえのないものである。人生の折り返しである40代になって、京都で過ごした日々の大切さを感じることが多くなった」。おいおい。この人がテツガクしようと、それが人生を潤そうとそれはこの人の心の話であって、それが他の人にも当てはまるかは限らない。

 というか、就職活動にもサラリーマン生活にも役立たなかったのなら、それは仕事といった分野も含めたこの人の人生に役立たなかったといっているに等しい。ぶっちゃけ過ぎがかえって存在の無意味を世間に喧伝してしまっている。あらゆる人生のシーン、それこそ寝ても覚めてもどこかに哲学したこと、そこで学び感じたことが見えず隠れていても息づいているという感覚を、言葉にして表現できる能力をこそ、文系学部が養わせていると言葉で表すべきだったのに。それができて文系学部が存続している意味があるのに。そういうまさに哲学することを放棄して、昔は良かった的な自己満足バリバリの感覚で流すから、世間も役立たずの文系学部は残しちゃダメだと思うのだった。役に立たなくたって役に立つ。その矛盾を納得させて広める言葉の力を養わせる。そこに理系の技術、分析の能力が乗って世界と戦えるとかいった言葉は出てこないものか。出てこないんだろうなあ。やれやれだ。

 新宿は歌舞伎町へと回ってTOHOシネマズ新宿で「ケイオスドラゴン 赤竜戦役」の3話までの先行上映を見てそれから声優さんたちのトークを効く。gdgdだった。いやそれはそれで楽しいんだけれどもうちょっと司会の人が話を振ってまとめてアニメの魅力、ゲームの魅力を掘り下げていっても良かったかなあ、まあああいった素が出るようなトークも楽しいから良いんだけれど。そしてアニメは元王子が平和主義者をやろうとしたら運命に導かれて生け贄の血の上に玉座を取り戻すような戦いをする羽目となってうつうつとしてしまいそうになるけれど、それを見守る仲間ができて暗躍する奴らもいたりして、落ち込んでいる暇とかなさそう。でもそうやって知り合った人たちも次から次へといなうなっていくのかどうなのか。とりあえず女性キャラがエロくて良いので放送が始まったらちゃんと見よう。ゲームも面白そうなんでやってみるかなあ、課金しないで。


【6月19日】 見て回った「東京おもちゃショー2015」で気になったものといえばあとは「スター・ウォーズ」関連で、タカラトミーで玩具関連や縫いぐるみ関連がいっぱい出そうで1万円を切りながらも結構なサイズがあるダースベイダーとストームトゥルーパーなんか買って並べて置きたい気になった。置き場所なんてないんだけれど。あとはこれは参考出品だったR2−D2のプロジェクターかな。映画だとホログラムを投影してはメッセージを託すレイア姫を映し出していたR2−D2。さすがに立体映像とはいかないけれどもDVDとかから撮ってきた映像を投影して見られるような機能を搭載しているらしい。

 焦点距離をとわないため凸凹した場所だと手前も奥もちゃんとくっきり映るあたりが未来的。プレゼンテーションへと持ち込んでパソコンにつないでこれでホワイトボードに投影するとちょっと粋かと思われるかもしれない。まだ試作の段階でどういう端子が乗ってどういう入力ができるのか、音声はどうなるのかといったあたりは未解決だけれど、そのギミックの面白さは将来性有望。放っておくとどこか外国の企業がさっさとR2−D2プロジェクターなんてものを発売しそうなんで、日本でも仕様を決めて生産へと持って行って欲しいもの。出たら買うかっていうとそんな映像を投影できる壁も、リモコン操作で歩かせる床もないからダメなんだけれど。やっぱりそこか。引っ越したい。

 そんな「東京おもちゃショー2015」に今日も今日とて出かけていっては「プリパラ」の1周年を記念した発表会見なんかを見物。SUPER☆GERL’Sとか登壇したけど11人の誰が誰だか分からないので見物するにとどめつつ、「プリパラ」の1周年を記念したライブがすでに完売している話なんかを聞いてその人気のほどなんかを実感する。 プリティーリズム」でジャンルを開きながらも機動力に勝る「アイカツ!」」に持って行かれてどうなるかと思ったら、トモチケとかってギミックも混ぜてしっかりと復活してともに隆盛を維持する好調さを見せているところに、玩具メーカーとしての開発にかける魂なんかを見た思い。それがあるから「日本おもちゃ大賞2015」でもいろいろ賞を取れたんだろうなあ。

 面白そうだったのは大きめのモニターにダミーだけれどステージをつけ、それをあちこち持って回ってミニライブっぽいものを展開できるようにした企画。映像でもそのなめらかな踊りと歌声なんかを見聞きしていると、そこにらあらたちがいるような感じになってくるから不思議なもの。子供ならなおのことそのモニターの前に陣取り一緒に踊ったり歌ったりしたくなるだろう。大きいライブ会場にはいけないし、かといって着ぐるみショーだとちょっと違う感もあるだろうシチュエーションにもって着た移動ステージ。これは他のコンテンツにも展開できそう。明日明後日の一般公開日に子供たちがどんな反応を示すのか、ちょっと見て置いた方がいいかなあ、時間があれのぞきにいこう。

 せっかくだからとタカラトミーのブースであの「クラタス」に実際に人が乗り込むところを見物。前に幕張メッセの「ワンダーフェスティバル2012[夏]」」で見たときには乗り込む時に足を伸ばしてコックピットのよじ登るような感じでえらく苦労していたような気がしたんだけれど、何度も乗り込んでいるうちになれたのか今日のパイロットはすっと上がってシートにすっぽり収まっていた。あるいは低い高さにしてあって、乗ってから高くなるようにしてあったのかな、でもって「ワンフェス」のはずっと高いままで乗るのに苦労があったとか、分からないけど。そんな「クラタス」は腕のランチャーは残念ながら発射せず。もしも撃ってたら東京ビッグサイトは綺麗さっぱり吹き飛んでいただろうから。いつか本当に撃つところを見たいなあ。警視庁とか買って装備して観閲式に出せば良いのに。警視総監だって見たいだろうに。

 何か訃報が飛び込んできたかと耳をそばだてたら声優のたてかべ和也さんの訃報だった。やっぱり「ドラえもん」のジャイアン役として紹介されているけれど、僕らにとっては「ど根性ガエル」のゴリライモであり「タイムボカン」シリーズの3悪人のゴツい方。最大のヒット作で言うなら「ヤッターマン」のトンズラーってことになる。そのうちのドロンジョ役の小原乃梨子さんはまだ健在で、ボヤッキー役の八奈見乗児さんも健在という状況で見かけは1番頑丈そうなトンズラーから逝ってしまったことになる。「ドラえもん」でも小原さんに大山のぶ代さんは健在だし“相棒”の肝付兼太さんもやっぱり健在という状況で、殺したって死にそうもないジャイアンからというのは何だろうなあ、どこか逆縁めいたものを感じてしまって寂しくなる。もちろん他の方々が存命であるのは嬉しいことなんだけれど。いずれにしてもそういう時期にさしかかっているんだろう。僕らはその長い業績を称えつつその技を後生に伝えていくことで故人を偲び讃えよう。合掌。

 そしてお話は状況が分かって台初明香が理解してパンツは見せないと言って大晦日より前に花火大会をやって準備万端整えて、そして警官隊が攻めてきて自衛隊がやってきて米軍まで投入されて古来館は風前の灯となるという数行で書けてしまうあらすじを1話使ってやって何かあゆみが遅くって、これで残り1話でまとめあげてもどんでん返しとかないんだろうなあといった具合にバランスのいびつさが最後まで気になってしまった。いやまだ最後があるからすごい展開になるかもしれないけれど、あそこから過去へと戻ってやり直しってのも面倒だし今そこで戦っている世界は滅びる訳でそれも悲しい。かといって反撃の手段があるはずもないんだけれどそれともユーバ化によって何とかできたりするんだろうか。それより伊里達遊太は誰のパンツを見てユーバ化したんだ。もしかして自分のだったり。そんな辺りも含めて増補されるならBD買っても良いけれど。まずは最終回を待とう。

 他がだいたい社会面のトップで流したトヨタの女性で外国人という役員の人の逮捕という一件、人は新聞にとっても大スポンサーであるトヨタへの配慮と言うだろうけど、むしろ日米における薬物への認識の差異から生まれた誤認かもしれないという可能性を考慮し、警察の勇み足という可能性も含んで、とりあえず事実関係を報じつつ成り行きを見守るといったスタンスから、あまり大々的に騒ぎ立てなかったんじゃないかなあと思ったけれど、とある1紙だけ突出して1面トップで大騒ぎしていて、なかなか挑戦的だなあと思ったのだった。もしもこれで何もなかったら、無実の罪を被せられたと怒ったトヨタから何されるか分からないというのに。勇気なのか英断なのか、ただひたすらに現場がポン酢なのか。可能性の高いのはどれかは感じられるだけに、先が思いやられるのだった。ただそういう意識が全体に蔓延しているように感じられるところがあるのがちょっと怖い。遠からず致命的なミスとか犯して(すでにいくつも犯しているけど)経営を傾かせそう(すでに傾いているけれど)。やれやれ。


【6月18日】 サンダーバードだサンダーバードだ、サンダーバードがアー・ゴーするってんで「東京おもちゃショー2015」へと向かい、発表会場のあるタカラトミーのブースでまずは「クラタス」とご対面。2012年の「ワンダーフェスティバル」で見た記憶はあるけれど、あの当時はまだ開発途上といった感じでちょっぴりゴツかったのが、タカラトミーのブースに来ていたのは赤く塗られて3倍速そうな感じになっていて、これなら買って乗り回したいって人がいても不思議は無い。アマゾンでの売値が1億2000万円だからちょっぴり高級なスポーツカーを買うと思えば買えそうな値段。問題は公道は走らせられないし車庫も入らなさそうってことだけれど。関係ないかアラブの王様王子様には。

 ちなみに「クラタス」はタカラトミーが新しく出した「ガガンガン」っていう、スコープドッグみたいに地を滑りながらバトルするロボットの新しい機種のモデルとなったみたいで、それで「東京おもちゃショー2015」の会場にお目見えとなった感じだけれど、去年だったら1階だった会場が今年は4階でいったいどうやって運んだんだろうって不思議に思った。飛んだのか? いやいや、あそこまで車を引き上げ展示しているイベントがあったのを見ているし、コミケで企業ブースから並ばされるスロープもあるって分かっているんだから、そこを通したんだろう。自走したのか牽引されたのか積載されたのかは不明。夜に自走していたんならちょっと見たかったかな。撤収の時とかどうするか、追っかけるメディアはないものか。

 さて始まったので「サンダーバード・アー・ゴー」の発表会見を見物、あの伝説のマリオネーションで特撮でSFのドラマが、最新のCG技術でもって描かれるってんで興味があったけれど、見た映像はマリオネットな感じをCGで出しつつ昔のキャラクターに似せつつ、それでも動きはなめらかにして見て違和感がないくらいに新しくなっているってところ。そして驚いたのはその背景で、「サンダーバード2号」が発進するシークエンスで椰子の木が両側にバサッと倒れる場面とかCGにしてはやけにリアルだなあと思ったら何とそこはミニアチュアだった。セットはたいていミニチュアで、その上にCGを合成しているというから何という贅沢な作り。

 想像するなら、背景までCGで作るとキャラと融合してしまって感じがでない。マリオネットをセットで動かした時に浮かんだ彼我の差異、あるいは立体感なり奥行きを出すならこういう手法しかないって、誰かが決断して実行したんだろう。その効果は絶大で、昔ながらのミニチュア特撮の雰囲気を味わいながらキャラクターは新しく、けれども斬新ではない良い案配に仕上がっている。あとは物語が面白いかどうかだけれど、そこはお任せするしかないからなあ。とりあえず見よう。なぜって新しいサンダーバード2号が格好いいから。実写版だかの映画でタガメのようになったのが、今回はやや四角目で平たくなって、それでいてしっかりコンテナは下がって中から4号やジェットモグラが出てくる。遊べて飾れて楽しめる。欲しいけど本と物資とガラクタで埋もれた我が家には……。助けて国際救助隊。

 さて「サンダーバード・アー・ゴー」の会見にはでんぱ組.incさんたちがずらりと出てきたのだけれど、分かったのは去年に「ウルトラマン」関連の発表会に出ていた最上もがさんくらいだというから、自分的には不勉強なアイドルユニット。楽曲もよく知らないんだけれどでも、アキバ系で電波を名乗ってもちゃんとメジャーシーンに出てこられるくらいには大きくなったって言えるのかも。中野腐女シスターズであり腐男塾は中野風女シスターズなり風男塾へと変わってメジャーを目指したものの、上に行けなかったものなあ。時代の潮目が変わったのかな。メンバーは国際救助隊メンバーの格好をしていたけれど6人組なんで1人余ったあれは藤崎彩音さんがメガネでブレインズの格好をしてて、これがなかなか可愛かった。もがさん夢眠ねむさんに続く固有名詞を認識したでんぱ組.incメンバーってことでちょっと追っかけよう。どうやって? CD買うか。

 続けざまに「ウルトラマンX」の発表会見があるってんで1階へと降りて、バンダイブースで受付を済ませてから、メガハウスとかを回ったりバンダイブースをのぞいたり。プラモデルなのに表面は柔らかい「ふなっしー」があったりして、プラモデルの技術をとことんまで突き詰めている静岡ファクトリーの凄さを改めて感じる。これなら「スター・ウォーズ」のプラモデルにも期待が持てるけど、今年はガンプラが35周年でそっちの商品開発もあるだろうからきっと大車輪になるんだろうなあ。今やバンダイを支えている感じすらあるガンプラだし。日本おもちゃ大賞2015で賞もとってたし。

 その日本おもちゃ大賞、全体にタカラトミーとタカラトミーアーツが多かったなあという印象で、どうして喋るか決して誰にも明かせない「ヒミツのクマちゃん」とか「リニアライナー」とかが大賞になっていた一方で、バンダイグループはシー・シー・ピーのカメラ搭載超小型ヘリが大賞になっていたくらい。その分をロングセラーのガンプラと、ベストセラー「妖怪ウォッチ」に賞を与えて、全体のバランスを取ったのかもしれない。キャラクターを回転させて市場を作るのに長けたバンダイと、アイデアを形にしていくタカラトミーの個性の違いがだんだんとはっきりしてきているかなあ。今はキャラクター全盛でそっちが売上げも良いけれど、でも長くキャラクターを回すとやっぱり疲弊する。そんな時にアイデアを形にするノウハウがないと大変かも。でもバンダイならキャラクターの大回転で何百億をたたき出せるからそれで良いのかな。どっちも頑張れとだけ。

 さて「ウルトラマンX」は監督が田口清驍ウんだということでまずは喝采。もう6年も昔、「大怪獣映画G」って自主製作の特撮をDVD化した時にインタビューに行ったんだけれど、当時から「ゴジラ」であったり「ウルトラマン」シリーズであったり「仮面ライダー」「スーパー戦隊」といった特撮に絡んだ仕事はしていながらも、自分がメーンを張った仕事は自主製作のものしかなかった。でもその才能とそして人脈はいずれ世に出る人だと思わせてくれていたら、去年になって「THE NEXT GENERATIONパトレイバー」のシリーズに各話監督として参加して、いよいよ名前が取りざたされ始めて次は「ゴジラ」かと期待をしたらそっちはさすがに早いのか、樋口真嗣さんと庵野秀明さんに持って行かれた。

 そこで一気に世代交代に行けば特撮の世界に新風が吹いたかもしれないけれど、興行を考えれば無理からぬ話。だから次の次だという想像をしていたら、ここで「ウルトラマン」シリーズという特撮にとっては「ゴジラ」シリーズに並ぶ看板にメーン監督として抜擢された。いずれ両方をやってみたいとった話をインタビューでも語っていたような記憶があるけど、その1つを兼ねたんだから有言実行、そして次はという期待も高まる。慌てて方というスーツ姿で望んだ田口監督を取り巻くスタッフもキャストも熱気にあふれていてこれは期待できそう。隊長役の神尾佑さんとか北区つかこうへい劇団出身の人で「飛龍伝21」で長身でイケメンなのに卑猥で低俗な山崎一平になりきる演技力も見せてくれた。その役者がさらにブレイクするきっかけにもなるかもしれない作品。どう指揮するか。何を描くか。これは見るしかないかも。腹筋の割れたウルトラマンというのも珍しいし。

 ほかにもいろいろ見たけれども続きは明日。もはや日記でも何でも無い。しかしよく分からないトヨタ自動車の新役員で女性で外国人の人が、薬物を持ち込んだとかで逮捕されて大騒ぎになっている。そんな立場の人が何かをすれば問題になることくらい分かっていそうなもので、それでもやってしまったってことは知識に齟齬があったか何かをまずは疑いたいところ。それを先走ってとてもヤバいことをしていたと糾弾するのはまだ早いような気がするけれど、警察だって見込みでは動かないからなあ。やっぱりそうなのか。どうなのか。解明を待ちたい。しかしどんな薬物だったんだろう。あっちじゃ普通に買えてしまうものなのか。


【6月17日】 そして目覚めるとFIFAサッカー女子ワールドカップ2015カナダ大会でのグループリーグ、日本代表対ウルグアイ代表戦が始まっていてすでに日本が1点を奪っていた。ずっと得点のなかった大儀見優季選手の得点らしく、これでノってくれて日本も他の国々同様にウルグアイに大量得点を重ねて、調子を上げて決勝トーナメントに望めるようになるかなと期待したらこれが大外れ。なかなか得点が奪えないまま前半が終わり、後半もウルグアイのディンフェスを突破できないまま1点という最少得点のまま試合が終わってしまった。

 100点とろうと1点だろうと勝ち点3には変わりがないから、これはこれで喜ぶべきだし見たところ、ウルグアイ代表のディフェンスも組織だってて崩せなかった。この試合だけ見れば順当な結果と言えるだろう。でもスイスが10点とか取り、カメルーンが6点をとっているチーム相手に1点はやっぱり少ない。固められたならサイドから崩して攻撃するなり中央をドリブルで突破するなりして相手の守備を攪乱し、その間隙を縫って得点を奪いに行くのがセオリーだけれど前日の男子の日本代表と同様、そうした臨機応変の試合運びがうまくできないのが日本の選手の習い性になっているみたいでちょっと不安になる。

 まあ守備陣はしっかりしていて相手が強くてもちゃんと守りそうだし、強い相手が得点を奪いに来て前のめりになって隙間ができれば、そこをパスワークですり抜け得点もってケースも増えそうなんで戦績は相手次第って言えるかも。どん引きチームが相手になるアジア予選がずっと続く男子の代表とは条件が違っている。だから安心と行きたいところだけれど、それでもサイドの上がりの遅さ、フォローの少なさ、トップの崩しの足りてなさ気になるところでそのあたり、修正できる選手を出してくれるだろうと信じて待とう。それにしても宮間あや選手の澤穂希選手へのパスなりクロスが多かったのはこれが最後で得点を奪わせたいという思い出もあったのかなあ。決勝トーナメントで澤選手の出番はあるのかなあ。

 そして気がつくと「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」が実写ドラマになると発表されていた。アニメだからこそのめんまの不在な淡い感じ、儚い感じが出ていたものを実写でやったら「志村そこ!」的な空気感が漂ってしまわないかと不安になるし、すでにアニメとして完成された映像をわざわざ実写にしてどういう意味があるんだろう、それならアニメを普通に再放送すれば良いじゃんとも思うんだけれどそこはそれ、確実なタイトルでもって時間内に収まる感じのものを作って着実に視聴率を稼ぎたいっていう意識でもあるんだろうなあ、テレビ局に。アニメ流したって金は取れないしプロダクションにもいい顔できないし。

 そういう商業的な理由で作られているとしたら不幸だけれど、これでアニメへの関心も強まり売上げが増えれば長井龍雪監督に次のチャンスも巡ってくるかも。映画として公開される「心が叫びたがっているんだ」も悪くないけど、欲しいのは細田守監督的な大物感なんだよなあ。「時を書ける少女」から「サマーウォーズ」を経て「おおかみこどもの雨と雪」で数十億円監督となった細田さんの域へと、長井監督を押し上げる覚悟がフジテレビにはあるのかどうか。手腕が問われる。「台風のノルダ」のスタジオコロリドの今後も含めて。でもしばらくは伊藤計劃さんの作品が連続するのか。そっちにかかり切りになるのかなあ。それをそれで持ち上げていく気があるかはまた見えないんだけれど。

 しかしやっぱり浮かぶ毀誉褒貶は、漫画なりアニメの実写化にろくでもない物が多すぎたってことの現れだろう。今だって目先に天才が凡人に変えられてしまって不安を募らせている「デスノート」が控えているし、過去をたぐれば山のように出てくる失敗例。もちろん映画の「るろうに剣心」も「デスノート」も成功だったし「寄生獣」も興行成績はとても良かった。それは詰まり支持を集めたってことでコレジャナイ感は少なくなってきていると言えそうだけれど、日常が主題になりつつアニメ的なデフォルメがちょい加えられた作品だと、実写ではどうしてもそこに不思議が生まれる。じんたんのTシャツだってアニメのキャラが着てれば絵だけれど、実写で着ているとただのポン酢にしか見えないものなあ。そんな違和感を超えられるのか。まあでもある世代になると「月曜ドラマランド」や「新春かくし芸大会」のドラマで鍛えられているからあんまり気にしないかも。どちtもフジテレビかあ。どこまでもやりまくって来たことによる諦観がきっと、「あの花」ドラマにも赦しを与えることだろう。

 ネット方面から流れてきた川崎市の多摩川河川敷の写真はお地蔵さんとか建てられ慰霊碑めいたものが置かれて花が飾られちょっとした施設になっている。いやいや河川敷にお地蔵さんとか拙いだろうとか思うし、福知山で屋台が爆発して人が亡くなった河川敷にお地蔵さんとか建てたいという希望が退けられた話もあって、いずれ撤去という話になるんだろうけれど、それを今やると心ないとか言われて非難されるから川崎市としても河川を管理する国としても手を着けづらいだろうなあ。というか秋葉原だって連続殺傷事件があった現場に慰霊碑なんか建てられておらず、年に1度の祥月命日前後に花が飾られ人が来る。それで良いじゃんと思うけれども慰霊のためだという理由、それを前面に建てれば何をやっても感謝されると思い行ってしまう心性があるんだろうなあ、人間には。先行きが注目されるのであった。せめて1回忌までは置かせるか。

 もうすぐ公開になる、スタニスラフ・レムの「泰平ヨンの未来学会議」を原作に「戦場でワルツを」のアリ・フォルマン監督がアニメーションと実写を交えて描いた「コングレス未来学会議」の公開が週末に迫っていることを受けて、下北沢のB&Bで開かれたアニメーション作家の山村浩二さんと、現代美術家のタカノ綾さんのトークを聞きに行く。僕にとってはどちらも取材とか人づてとかでお目にかかったことがある2人だけれど、当人たちは意外やこれが初対面だったらしい。配給会社のセレクトによって選ばれ登壇してさて、何を話すのかといったところに関心が向いたけど、そこは2人とも表現者だけあって、作品そのものの解説よりはビジュアル、意匠、表層といったものから読み解く映画の観念といった感じなって、すでに2度ほど見ている僕には視野を広げてくれる内容だった。

 SF寄りでIT好きな僕なんかだと、向かうのはVRによって作られる役者の台頭であったり、現実と空想との境目がなくなってシームレスになってしまった社会の到来であったりと、物語が紡ごうとする主題なり構造であって、そこからテクノロジーの進化がもたらす未来と人のビジョンへと話を振ってしまいそうになる。そこを共に表現者だけあって山村浩二さんもタカノ綾さんも、独特のアニメーション場面のビジュアルから醸し出される心理であったり、作り手の意図、そして世界をどう捉えているのかといった認識めいたものが語られて、そういう見方ができるのかと刺激になった。どこか奇抜な絵を描いたボッシュとか、初期のアニメをディズニーとともに引っ張りながらもどこか狂っている感じがあるフライシャーとか、ビジュアル面での影響がありそうなクリエーターの名前もたくさんでて、見ていく上で参考になりそう。あとアリ・フォルマン監督が昔撮ったらしいSFの実写映画「セイント・クララ」の紹介もあってちょっと面白そう。その思想の源流を探る意味でも見てみるか。


【6月16日】 世界が沸き立った「シェンムー3」の制作に向けたクラウドファンディングのスタート話。E3の現場には鈴木裕さんも登壇して呼びかけたみたいで、ネットにはそうした状況を見ていた海外のゲームファンが作っている中継番組の若い出演者たちが、飛び上がって歓喜して感涙までしている様子が映し出されていた。おいおい海外で「シェンムー」って知られているのかセガだぞ「ドリームキャスト」だぞって思ったけれども「メガドライブ」こと「ジェネシス」の時代からセガは北米とかで強かった訳で、その後継機種の「ドリームキャスト」は日本では300万台くらいだけれど全世界では1000万台近く売った。そうしたハードに慣れ親しんだゲーマーが「シェンムー」を遊んでたって不思議はない。

 あと「XBOX」にも移植されてたみたいで、そういうゲーム機で遊んでいたファンが自由度の高いシステムを持ち、それでいてやっぱり自由度の高い「グランセフトート」とは違ってロマンとアクションのあるストーリーに惹かれ堪能して続編を待ち望んでいたとしても不思議はない。日本では大金をかけすぎた割には売れず「ドリームキャスト」の失敗とそしてセガの失墜の要因のように言われているけれど、やろうとしていたことは新しかったし革新的だった。その息吹が「グランセフトオート」へと映って世界でも屈指のベストセラーを作り上げ、日本でも直径ではないけれども「龍が如く」シリーズを生んでこちらも全世界で750万本という記録を打ち立てた。

 そんな「シェンムー」が還ってくるならという人が大勢いるのは分かるけれど、でも最初ので70億円をかけたと宣伝された「シェンムー」のキックスターターでの募集額が200万ドルっていうのは何かケタが違うかなあ、2000万ドル集めたって完成されられないだろうにとか思わないでもないものの、こうしたパッケージソフト関連の支援っていうのは、こんなの作っちゃいましたけどってなガジェット関連のクラウドファンディングなんかとは違い、そのまま制作費にぶっこまれる訳じゃなくって、宣伝費でもありパッケージの制作費でもあり確実に見込めるユーザーの確保であって制作費ってのは別にちゃんと用意してあるもの。そこにプラスアルファとして乗る金額としては多いし、それすらもあっという間に達成してしまっている。ここから本格的な開発を行い宣伝を行っていけばミリオンだって可能だし、制作費だって10億円かけても回収できるって見通しは経ったかも。

 というか今の勢いだったら10万人の支援で1000万ドルだって集めてしまいそうな勢い。凄いなあと思うのと同時に、日本人が思っている以上に「シェンムー」は支持されていてセガブランドは浸透していたってことで、それを途中で諦め投げだし今の状況へと至らしめた企業の論理ってのに、ちょっぴり寂しくもなってくる。でもそれが企業って奴だから仕方がないのかも。コナミが「ラブプラス」や「ときめきメモリアル Girl’ Side」の内田明理プロデューサーを置いとけなかったもの、やっぱり見込める数字と経営との折り合いが付かなかったからだろうし。そこで頑張り投資をして宣伝をすれば売れるか、っていうと今の日本ではプラットフォーム環境が変わりすぎた。でも北米なら「シェンムー」のようなコンソール対応のゲームがまだ売れる。だから復活できたんだろう。こうして日本は置いて行かれるのか、逆に日本が世界を先取りしているのか。真価が問われる10年になりそう。

 しかし「ファイナルファンタジー7」もリメイクだとかでいったい今は199何年だ? ってな気すら起こるというか、そうやって昔の名前を出してこないとお客さんもつかめない時代になっているんだとしたら、ちょっと寂しい気がしないでもない。そりゃあ「シェンムー3」は見たいし、可能なら「クーロンズゲート」を今の技術でリメイクして欲しいって気もあるけれど、それらは過去のものであって今問われるべきは当時問われた「シェンムー」のようなすごみを持った企画を、新しいタイトルして打ち出し夢を与え希望ともたらし10年後に続編登場に歓喜をもたらすこと。それをやらずに過去に縋って縮小再生産を繰り返していった果てに来る貧困を思うといろいろ複雑になる。

 ハリウッド映画だって今時スーパーマンにバットマンにファンタスティック・フォーにアイアンマンにターミネーターにジュラシック・ワールドだもんなあ。世紀がズレてる。でもそうするしか勝てないならそうせざるを得ない。何しろ立候補してくるアメリカ合衆国の大統領候補がクリントンにブッシュだから。もちろんヒラリーはビルとは違うしウェブもパパとかジョージ兄とは違ってそれぞれに成果も挙げてきたけれど、同じだけの成果を挙げた人なら他にもいっぱいいるだろうし、より相応しい人だっているかもしれないにも関わらず、選ぶ段となった時にそうした実績よりもすがれる名前に目と耳が傾いてしまう。それが人間。仕方がないとはいえそこで理性を働かせ教養を巡らせて、より相応しい人を選んで頼るといった決断ができないと、ずっとそのまま名前に頼っていく羽目になる。

 日本がそうだった。結果見渡すと議員は2世3世といった人ばかり。何だ弔い合戦って? 今は戦国時代なのか。でもそれが普通の社会になってしまったこの国と違い、自由で平等を唄う国で係累が尊ばれ始めるというのはやっぱり違うと思うのだった。映画もしかり。政治もしかり。それを思うと「ラブライブ!」が誕生から2年半で映画の頂点を取り「妖怪ウォッチ」が2年でコンテンツのトップに駆け上がってる日本ってまだまだインキュベーションする能力に長けているのかもなあ。それを失わず伸ばし尊ぶ精神を、保っていきたいし政治にも広げていきたいけれども、それだけは無理かもしれないなあ、社会はアニメファンほど革新を求めていないから。悩ましいなあ。

 戦没者の慰霊に共産党が出てきたことを皇室に擦り寄り党勢を拡大したいからだと書いてその慰霊の気持ちに泥を被せる。でもって君が代を斉唱しなかったことをあげつらって反日だ非国民だと言わんばかりの非難をぶつける。それが公器で鳴る新聞の題字を抱いたサイトに掲載されてしまうというこの状況が、どうにもこうにも息苦しくて仕方がない。国立大学では学長たちが集まった席で文部科学大臣が大学での国旗掲揚国歌斉唱を求めるような発言を行ったとか。自由裁量だとはいえ権力を持ち権限を持った人間がそれを言えば下はどう動くのか。立場に伴う威を見せ従わせる卑怯を、教育のトップに立つ者がやって平気な状況がどうにもうっとうしい。自分は国旗も国歌も嫌いじゃないけど、でもそれを誰かが認めないことも信条であると許容する、というのが人倫だったのに。そういうゆとりが消えていった果てに来る権力がすべてを決めて、それに従わない者は虐げられる社会が今、着実に来つつある。どうしたものか。どうしようもないのか。

 バスケットボールでいうなら1人がポイントガードとしてボールを持ってそして他の4人が全員センターとして背中にディフェンスを背負ってボールを待ち受けていたといった感じ。それでいったいどこに出せと。出してもシャッキール・オニール背中のディフェンスをパワーで押してシュートを決められるシャキール・オニールでもなければ、ひらりと飛び上がってスカイフックを決められるカリーム・アブドゥル・ジャバーでもない前線の4人が、ボールを受け取りさえできずに奪われ跳ね返される光景に、いったい何がしたいのかといらだちも募ったFIFAワールドカップ2018ロシア大会に向けたアジア1次予選の日本代表対シンガポール代表戦。結果は引き分けに終わってちょっとこれからの戦いに不安が残った。

 確かに相手はよく守ったけれど守られたなら引いてポゼッションからサイドへと散らしディフェンスを動かして隙間を見つけ飛び込むなり、ドリブルで切り裂くなりミドル連発で前へと引き出すなりすれば良かった。でもしない。できないのかやりたくないのか。最後に1点が欲しくてもパワープレーに切り替えることもできない脳の持ち主がそろっていては、監督がアギーレでもハリルホジッチでもいかんともしがたい。そこからの改善をしたかったけど、ザックは諦めアギーレは途中で着られハリルホジッチは着たばかりではいかんともしがたい。まあでもまだ時間はあるし1次予選くらいは抜けられるだろうから、その次の2次予選をどう勝つかをこれから検討して選手の意識もひっくり返して使えないなら交代させていけば良い。現に故障でもないのに背番号10番が途中で変えられた。これはやっぱり意味があるんだろう。その意味が結果として反映されることを願おう。次はいつだっけ。ドキドキ。そしてワクワク。


【6月15日】 人それぞれにいろいろあるのだなあ、なんて思わざるを得ない大森藤ノさん「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」の第8巻。たとえばリリルカ・アーデはロキ・ファミリアの「勇者」ことフィン・ディナムから求婚されるという、ある意味では最高の境遇を得ながらもそれを断、サポーターとして自分を使ってくれて、酷いことをしても見捨てなかった優しいベル・クラネルに一途なところを見せ、ヴェルフ・クロッゾは前の主神だったフェファイストスさまを相手に恋の言葉を吐いては、それを呼び名にされて仲間たちからはやし立てられ赤面する。

 でもって告白されたヘファイストスさまは、ファミリアの団長を務める鍛冶師の椿を相手に惚気まくりの毎日で、そして「豊穣の女主人」亭で働く少女のシルにはやっぱりフレイヤさまの何か思惑がつきまとっているといった感じ。「娘(シル)」と読んでるその言葉は配下の者かそれとも身内か。分からないけど一級冒険者のアレンをボディカードに付けるくらいだから、よほど関係が深いんだろう。「魔剣」を打てるヴェルフを求める身内からの脅迫めいた行動もあったり、それが頓挫しても諦めない隣国の思惑でヘスティアさまがさらわれたのをベルとそれからアイズ・ヴァレンシュタインがいっしょに助けに行く冒険もあったりして、個人個人の短編を連作的につなげたような構造ながらも要素要素はしっかり描かれ、世界観が広がりストーリーも進んでいった第8巻。これはこれで面白い。

 ダンジョンの奥に何かとんでもないものも生まれたみたいで、それがいったいどういう風に関わってくるか、といったところでベルの成長を描いていく「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」と、アイズの過去を探り今を見つめる「ソード・オラトリア」が重なって、大きな物語へと発展していきそう。その時に2人の仲がどうなるかっていうとううん、アイズにとってベルは「兎?」だからなあ、それを聞けばヘスティアさまだって安心するだろう。でもどういう意味かはアイズのみ知ると。気になるのはティオネによってお見合いの現場に乱入されたフィンの命に別状があるかないかか。殺しはしないけれど半殺しくらいにはしそうだし。たとえ好きでも。好きだからこそ。祈りたい。

 その施策が日本にとってどうあれ、自国と自国民の未来を託され舵を取る一国の宰相を「ヘビならぬ龍に睨まれたカエルを絵に描いたごとき気概なき宰相の見苦しい姿を目の当たりにしたはず。シンガポールのリー・シェンロン首相は」と、悪し様に罵倒する筆がまともであるがずがない。あってたまるものか。もしも別の筆が日本の現職総理をアメリカの尻にへばりついて離れない滓野郎だとののしったら、烈火のごとくに怒ってそういうメディアに外務省も政府も立ち上がって抗議しろと主張するだろうし、過去にそう言ったこともある。でも他国の宰相は平気で罵倒する。そんな筆が信頼されるはずもなく、実際に多勢から目を背けられているにも関わらず、支持する少数をのみ潜望鏡からのぞいて大勢いると勘違いして、突っ走った挙げ句に来る境地は? 問うも愚かなその結末。やれやれだ。

 勤めている宇田川さんの引きなのか、著名な作家のサイン本がよく並ぶ船橋のときわ書房船橋本店でサイン入りで積まれていた須賀しのぶさんの「革命前夜」(文藝春秋)をやっと買ってその面白さにすぐ読み終える。1989年10月に起こったベルリンの壁崩壊を目前した東ドイツはドレスデンにある音楽学校に留学して来た日本人ピアニストが、自分の音楽に葛藤しつつ、共産主義国家という東ドイツに生まれ生きてその雁字搦めの暮らしに身もだえする人たちと接して惑いつつあがくといった話。でもって日本人はやっぱりへなちょこだなあと思った。

 帰れば平和な日本、自由な日本がありそこで何をやろうと誰にとがめられることもない。でもそこに自分の求める音はないとか贅沢言って、音楽の純化とか求めて音楽以外は何も内東ドイツに留学して来た日本人の主人公、眞山柊史がまず甘い。とにかく甘い。甘すぎる。そこで成功しなければ次のない北朝鮮やベトナムからの留学生、同じ東欧に属してペレストロイカによって変革する波を感じながら、次を模索するハンガリーからの留学生に比べて、社会にも政治にも気を配る必要がなく理想を追うあまりにそこでそうならねばならぬという真剣味が足りず、それを突っ込まれても理解しようとない頑固さに、どうも辟易とさせられる。挫折したのはなぜだ? 坊やだからさって言いたくなる。

 密告しなければ次の仕事にもありつけない社会、希望を捨てて、やりたいことを諦めなければ生きていけない状況で、生まれ育って生きてきた人たちに絵空事の正義を説き、人倫を説き音楽の崇高さを問う滑稽さたるや。周囲はそんな眞山柊史になんだこの甘ちゃんはと笑い、苦虫を噛みつぶしていただろう。でも。そんな甘さが変えたものもない訳ではない。甘いけれども、というより甘いからこそそれは理想として誰もが願う。だとしたらそれを主張して何が悪い。世界でそれを言える国があるなら、世界がそうなれば良いとも思わされないこともない。当時だって。そして今だって。日本の甘さを問いつつも日本の幸せを感じさせる物語なのかもしれない。

 でもちょと裏切られるごギャンギャンわめき、周囲が細心の配慮と深い思いで行動しているのにひとり甘さの中を突っ走っては、すべての蚊帳の外に置かれて憤る様にはやっぱり辟易とさせられるけど。そういう部分で大人になれとは思う日本。でも優しさは忘れずにいたいもの。けど散々と苦労をして大勢が苦しみ演奏家としての道すら諦めた者が何人も出ながらも、その年のその日にすべてがひっくり返ってしまうなんて、誰も予想しなかっただろうなあ。知って皆はどう思ったんだろう。やったと思ったか、しまった早まったと慌てたか、これからどうなると怯えたか、これからどうしてやろうと微笑んだか。そこが描かれないところに想像の余地がある。まあでもラトカシュだけは平然と、やりたいことをやるだけだって言ったかも。彼こそがやっぱり最高の芸術家。四半世紀が経った今、もし実在ならきっと名指揮者になっているだろうなあ。

 ウー、ニャー、ウー、ニャー、SAN値、ピンチ、SAN値、ピンチって叫ぶ間もなく始まって、総集編から新作へとなだれ込んでいった「這い寄れニャル子さんF」の劇場上映。見て思ったこはニャル子さんだなあってことで、安定した面白さがあり、ニャル子と真尋の腐れ縁的関係があってそれが近づいては離れ、離れては近づく様ってのを存分に味わうことができた。別に劇場で公開しなくたってOVAでも単行本のおまけでも良いじゃんとか思ったけれど、それだと見るのに2500円とか3980円とかかかるから、劇場で公開されて総集編も含めて1600円で見られるんならそれはそれで良いのかな。銀アト子さんも登場してちょっかいを出しててこれからが楽しみだけれど、TVシリーズになるかどうかは分からない。そうでないならOVAなり劇場で、描いていってくれれば嬉しいかも。アト子さん美人だし。変態っぽいし。


【6月14日】 フロリダのディズニーワールドにあるアニマルキングダムには確かアジアゾーンができた1999年の3月に言った記憶があるけれど、その時にあちらこちらを連れ回されたそのほかのゾーンの中にトゥモローランドがあったかどうかの記憶がない。あるのはエプコットセンターともちろんマジックキングダム。そのシンデレラ城の下で日本人カップルが貸し切りで挙式するってニュースの取材に行くのがひとつのメインで、あとはファストトラックっていうフォードが協力して車の安全性を検証する施設をアトラクションにしたものができてそれも取材したっけか。そんな日程の中にトゥモローランドはあったかなかったか。今となってはデジタルカメラも使ってなかったんで画像で思い出すこともできない。

 日記にも残っていないからきっと行ってなかったかもしれないけれど、未来的なイメージを持ったところを通った記憶もあるんでもしかしたら行っていたかもしれない。もっとも今、フロリダのディズニーワールドに行くとしたらきっとしっかり見てくるだろうなあ、だってアテナちゃんがいるかもしれないから。誰ってそれは映画「トゥモローランド」のメインヒロインにして主人公にして女神さま。ああっ! って付けたいくらいの可愛らしさでスクリーンから満面の笑顔を見せてくれている。いやヒロインはケイシー・ニュートンってロケット大好き少女だろうって突っ込みもあるかもしれないし、彼女が前向きだったからこそジョージ・クルーニーが演じる元発明少年で今は引きこもりのマッド・サイエンティストなフランク・ウォーカーも考えを改め滅びるばかりの運命から世界を救おうと考えたのかもしれない。

 つまりはそういうテーマを持った映画で、科学の発達によって人は幸せになるかと思ったけれど、未来を見通せるようになったらそれが絶望しか生まないと分かって、誰もが目を背けて滅びを享受しようとしてしまう。それが間もなくに迫っても動かない人類に渇を入れる物語、ってストーリーなんだけれどそこで重要な役割を果たすのが、未来的な科学都市のトゥモローランドに夢を持った人たちをスカウトしていた少女アテナ。機械の体を得たい人間を銀河鉄道999にのせて連れて行くメーテルみたいな存在だけれど見かけは可愛い女の子。まだ子供だったフランクとも大差ない、ちょっとお姉さんですらあるような雰囲気で彼を導き叱咤して発明に邁進させたものの……。そして時は経って迫る滅びを前に何かできないか。そこに見つけたロケット発射台の解体を阻止しようと目論む行動派の科学大好き少女ケイシー。彼女が鍵だと認めてアテナは彼女にトゥモローランドにつながるバッジを渡す。

 そこから始まる大冒険でアテナはトゥモローランドで見せていたドレス姿からがらりと変わってジーンズにブルゾンといったカジュアルな格好で出てくるんだけれどそれでもやっぱり愛らしく、そして強さも見せてくれる。カンフーだってお手の物って活躍ぶりに見て掘れない人はいない。きっとフランクもそれに騙されたんだろうなあ。いや向こうに騙してたって意識はないんだろうけれど。そんなアテナちゃんに引っ張られて連れ回されて見せられる地球の今と未来。その絶望的な運命から人類を救う手立てを探り、手にしようとする展開に勇気づけられる物語。そこにあったアテナの奮闘にはただただ喝采を贈りたくなる。胸とか真っ平らでそういうのが好きな人にはベストだけれど、もうちょっとだけ成長している方が好きな人には残念も感じさせる姿態も見事。僕はどっちもありだけれど、できればあと数年、経ってちょっとだけ育った姿を見たいなあ。育ちすぎてたらどうしよう。外国人ってそいうのも早いし。ううん。

 未来を楽観するか悲観するか。というより楽観できるか悲観しかできないかってところに追い詰められた人間の心理と行動について、これまた考え去れらのが電撃文庫から出た石川湊さんの「スカイフォール 機械人形と流浪者」(電撃文庫)って作品。まず世界観が面白い。汚れた地上を離れ人類は空に暮らすようになっている。といっても空中に浮かぶ都市とかなく、塔の上の平地とかでもなくって、中空につり下げられたゴンドラを家として、ターミナルと呼ばれる大きくて高い塔の間をつなぐワイヤーにぶら下がって暮らしている。ロープウェイ的な家とも言えるかな。

 ターミナルとなっている塔には都市があって大勢が暮らしているけど、生きている全人口はまかなえない。だからゴンドラで移動する流浪者(ドリフター)たちが生まれ一生を空に下がったゴンドラで過ごしている。そんな背景を持った物語に搭乗するのは、両親も家族もいない中、人間としては1人だけの身でゴンドラに暮らしている流浪者の少女スズと、彼女をずっと支え続けている自動人形のエア。そんな2人がゴンドラで移動している最中に1人の青年を拾った。怪我をしていて記憶を失い、クウガアマネという名しか覚えていない彼をゴンドラに拾ってスズとエアは介抱し、そして目を覚ましたクウガはしばらく2人の世話になる。そして始まるゴンドラでの日常は、空中に浮かぶ雲には水があってそこに魚がいて、それを捕って食べたり、あるいは島が漂っていて、そこに残された遺跡を探っていく巡るようなものとなっている。

 なんかとっても楽しそう。空賊もいて貴重な圧縮酸素や食料を狙って来る危険もあるけどれど、自給自足で気の向くままに空を行ったりきたりするのはなんか良さげ。自動人形のエアはとにかく優秀で強くもあって、少女1人きりのスズをしっかりと守っている。だから自由ではないけれど、不自由でもない暮らしを送っているように見えるけれど、そこに陰がのぞく。つまりはそれが「トゥモローランド」で、絶望の未来を絶対の予言として突きつけられた人の諦観、あるいは無関心にもつながる心理で、永遠に空を漂い続ける流浪者にそれが浮かんだ時に何が起こる。もしかしたらそれは今、こうして様々な困難さに直面している僕たちにも通じる心理なのかもしれない。

 明るくて楽しげで毎日をあっけらかんと生きているように見えてその実、いったいどれだけの人が諦めに沈んでいるのか。それを「スカイフォール 機械人形と流浪者」という物語が思い出させる。ターミナル間を結ぶゴンドラがどういう技術で成り立っているのか、資源やエネルギーをどういう手段で得ているのか、といった説明もあるのだろうけどそれらを主題とせず、置かれた特殊な環境の中で人が至る心理を描いた、ある種観念のSFとも言えそう。もちろんゴンドラのテクノロジー、地上ではなく中空に生きる人類を見守る高位の存在、眠る遺跡がもたらす将来への糧、生まれた意欲が希望をもたらし人類を救うかという可能性。そうした部分にも興味が及ぶ。陸地が沈み全てが海に覆われた世界をヨットで移動しながら生きる人類を描いた鳩見すたさん「ひとつ海のパラスアテナ」(電撃文庫)とも重なる、崩壊した未来で生きる人類の心理を探り世界の行方を探る物語。2作合わせて読んで楽しもう、電撃SF祭りを。

 その言葉の醜さ汚さ貧しさにただただ唖然とするばかりで、なおかつそれが1面の歴史あるコラムに堂々と掲載されていしまっていることにただただ呆然とするばかり。「自社さ政権樹立にうごめいた武村正義、亀井静香両氏も安全保障関連法案に反対を表明した。山崎拓氏を含めた彼らに共通するのは、現政権への憎しみが強く、中国や北朝鮮・韓国に異様に寛容な点である」ってあるけど現政権への憎しみっていったいなんだ。彼らが問うたのは戦争を経験して人の命が国家の前に粗略に扱われることへの懸念であり、経験から来る警句。それをただ政権への憎しみと捉え批判する口は、戦争で家族を亡くした戦没者たちをも愚弄することになるんだけれど、そういうことに働かせる頭なんでなく、ただひたすらに現政権の走狗となって刃向かってくる者にかみつくだけの獣でしかないんだろう。そんな獣に支配されたメディアの未来は。まったくもってやれやれだ。


【6月13日】 出かける用事があって土曜日なのに見られなかったFIFAサッカー女子ワールドカップ2015カナダ大会のグループリーグ、日本代表の第2戦となる対カメルーン戦は澤穂希選手を外したりフォワードも大野忍選手がいなかったりして第1戦と布陣が大きく変更。ゴールキーパーは高さより強さで海堀あゆみ選手を選んだようで、ここは戦前から3人を回して使っていくようなことを佐々木則夫監督も話していたから妥当だけれど、澤選手を外したのは相手があまり強くはないカメルーンで中盤に精神的な支柱を置かずとも戦えると踏んだか、スピードと強さのある相手に挑むにはやはり澤選手では不安があったのか、いろいろ理由は浮かぶけれども開始早々に1点を奪い、そして順当に勝ったのを見るとそうした布陣は正解だったってことなんだろう。

 ジェフユナイテッド市原・千葉レディースから山根恵里奈選手とともに入った菅澤優衣香選手が先発となって走り回って、追加点を奪ったことも勝利を掴んだ要因だとしたら、ここから新しいフォワードのレギュラーとして定着していって欲しいもの。だんだんと代わっていかないとやっぱりキツいからねえ、ベテラン中心過ぎて。これで決勝トーナメントへの出場は決めてあとは1位か2位かどこで出るかで次の対戦も変わってきそうなんで第3戦も頑張ってと応援しよう。そこで澤選手は出るのかな、決勝トーナメントの大事な試合に投入して場を引き締め相手を威圧する役回りを求めるのかな。とりあえず6大会連続出場で代表Aマッチ200試合の花道は飾ったけれど、やっぱり欲しい2連覇という栄光。そこに向かって貪欲な精神を、周囲も受け止め噛みしめて挑め、戦いへ。

 やりかねんなあ、と思ったのは前にもやらかしているからで、東京都区部の区役所が自衛隊員の訓練での立ち寄りを拒否したってニュースを流したら、即座にすべての区役所からそんなことはないと突っ込みが入って、謝りに行ったにも関わらずそれを受けて翌朝のコラムがケシカランと書いたから区役所側も怒り心頭。誤報どころか捏造といしか言えない事態が満天下に露見したというこの一件は、自衛隊をいじめる奴らを叩く俺たち正義ってな感覚がまずあって、自衛隊はいじめられているという構図から記事を作ろうとしたことがどうも背景にありそうだけれど、問題はそうした“造反有理”的な体質が他の件でも残っていて、政権の敵を叩く俺たち正義ってなロジックで、ありもしないことを書いたり無理筋の応援をして恥をかく事態がその後も続いていた。

 だから秋田県でブルーインパルスが現地の空港を使えず、飛行の規模が縮小されたなんて話が実は、元からそんな予定はなくって縮小もされていなければ、空港を使わせないといった話もなかったことが明らかにされて来ているんだけれど、あまり評判になっていないのか慌てて訂正する感じはない。逃げる気満々というかそれとも気づいていないのか。いずれにしてもこれも自衛隊さまをいじめる勢力は敵であるといった前提があって、自衛隊が何かするときにそれに支障があったかもしれないと想定して、それは何かを盛って書いてはみたものの、そもそも支障など存在していなかったというから東京都区部の自衛隊訓練に関する捏造と構図はいっしょ。それで秋田県の人たちは非難され、いらぬ勢力にたたかれる羽目とはったのなら、もはや威力業務妨害の幇助に近い所業だけれど俺たち正義の筆は曲がらず聞く耳もないままに、これからも同じような根拠を盛ってのアクロバティックなバッシングが続くんだろう。やれやれだ。

 126人の感染者数で14人が死亡とはまた今時の病気にしては高いなあと思わざるを得ないMERS。そりゃあアフリカで猖獗を極めたエボラ出血熱の死亡率に比べればおとなしい部類に見えるけれどもそれなりに近代を自負する国でもって医療だって進んでいそうな状況で、ひとつの流行で1割が亡くなってしまうというのはよほど病気としてキツいのか、それとも初期の火消しに失敗してのっぴきんらないところまで、事態が進んでしまったのかといろいろ想像してしまう。その間の人の流れなんかを想像するに、日本にだって来ていない訳はないかなあとも思うけれども発症し、隔離されるセクターをある程度まで絞り込めていたのなら、これ以上の広がりもないものと思いたいけれども果たして。そういえば去年だか大流行したデング熱、今年はどうなっているんだろう。もう誰も騒がないのは誰も騒いでいないからか。そういう国だよこの国は。

 そして梶浦由記さんの東京国際フォーラムでの5日間7本のライブのうちのサウンドトラックSpecialは、本当にサントラからがメーンで歌は最後に笠原由里さんを入れての数曲だけ。なのでいつもの楽器隊に加えてパーカッションが入り「花子とアン」で響かせてくれたイーリアンパイプスが加わってそれが生音で響き渡るというもうとてつもなく楽器浸りで演奏浸りなライブに仕上がっていた。もちろん歌姫たちがアンサンブルを奏でる声という最強の楽器を使ってのライブも悪くないけれど、人間の音楽への叡智や研鑽が形となって現れた楽器というものを使いいったい、どれだけの音であり旋律を奏で空間を作り上げることができるのか、って興味もこれあって、そしてそれを存分に満たしてくれるライブに仕上がっていた。

 「花子とアン」であり「エル・ガザド」であり「魔法少女まどか☆マギカ」であり「ソードアート・オンライン」であり自身の「Fiction」あたりから引っ張ってきた楽曲を聴くに付け梶浦由記さんはシンガー向けのソングライターであると同時にやっぱり作曲家、サウンドトラックを含めインストゥルメンタルの楽曲を作り重ねて1枚の音楽世界をそこに描き出せるクリエーターでもあるんだなあと感じた。もちろんサウンドトラックは映像に添えられるものでそれだけが単独で存在することはないけれど、映像に添えられたモチーフとしての音楽をその映像の力に頼らず、楽器を重ねて旋律を整えモロ上がりを作って1本の音楽へと構成し直し作り上げる才能ってのがうん、梶浦由記さんにはあってそうやってアレンジされバンドサウンドになった楽曲が並ぶライブは映像から離れてひとつの梶浦由記的な音楽世界を形作っていた。

 もうこれだけで成り立つライブというよりコンサート、NHKホールでもど新国立劇場でもどこでも存分の聴衆で満たして歓喜させてブラボーの喝采を浴びて不思議はない内容だけれど、そういうライブを今、単品として切り出してやっても根っからのファンは別にして、新しいファンを引っ張ってこられるかというと難しいんだろうなあ。宮川彬さんの「宇宙戦艦ヤマトヤマト2199」のコンサートがオーケストラとして素晴らしくてもどこまで映像から離れたコンサートして成り立つか。成り立ちそうかな。梶浦さんも。でもやっぱり企画として難しいのをこうやって、日本語と梶浦語、両方の歌もののライブもいれつつ7本並べて5日に分けて演奏することによってそういうプログラムもあって良いかもと成立させあ。それを聞いてうん、これはこういうのもありだと思わせられたら嬉しいんだけれど次にいったいいつ聴けるのか。歌もやっぱり聴きたいしなあ。いろいろと悩ましい。

 でもってそんなサウンドトラックSpecialに登場したイーリアンパイプスの中原直生さんがもうかわいくてかわいくて。すました顔で脇に挟んだふいごのようなものをしゅこしゅこやり、片方のひじでおさえた革袋をぼすぼすやりつつ手元のパイプを押さえて音を出す。そう驚いたことにイーリアンパイプスって口でくわえて息を吹き込み音を出す楽器ではなかったのだ。それを見られて知れてそして中原直生さんという美しくも珍しい楽器使いを間近に見られて良かったよかった。この人とフィーチャーして何か作りたいって人がこれから出てくるかもしれないなあ。でもどうやって使うか、どういう旋律をそこにはめるか難しいかもしれない。来たれ使いこなせる作曲家。それより中原さん自信がやりたい楽曲をやりまくるライブってのをちょと見てみたい気も。そんなこんなで。


【6月12日】 何を今さら、今さらジロー。安全保障法制を「違憲」だと断じる憲法学者の大量出現に慌てて官房長官様が、いやいや「合憲」だという憲法学者だってたくさんいますよと反論して、だったら誰か言って見ろと突っ込まれて挙げたのがまずは3人。元より安倍政権の味方として擁護の論陣を張っていた学者さんたちで、政権の身内みたいな新聞に尊ばれて同じような論調を放ってはいても所詮はマイナーの粋を出ず、内輪受けじゃないかと断じられかけてちょっぴり拙いと焦ったのか、安倍ちゃん親派がもうちょっと数を足してきたけどこれまた似たもの同士。宗教系でライティーな団体の息がかかった人たちばかりが並んでやっぱり、そいういうカルティーな雰囲気の中だけで盛り上がっているんじゃないかと突っ込まれている。

 でもそんなことはとっくの昔に分かっていた。安倍ちゃんの政権が発足して内閣改造なんかもあったけれど、そうやって起用される閣僚のほとんどといって良い人数が、その宗教系でライティーな団体に属して偉い立場から何か言ったり、構成員として支えていたりする。つまりは一心同体も一心同体な連中が、ひとつ目標のために突き進んでいる訳で、そこには一種の教義とでも言えそうな信念めいたものがあって、あらゆる異論を受け付けない。真っ当であっても知的であっても合理的であっても法律面から諫めても、ある種の教義に凝り固まったカルティーな信念を崩せるはずもないのは、過去の宗教戦争とか今の宗教紛争なんかが物語っている。今時の紛争ってむしろそれが中心なくらいだし。

 そんな事態を今の今まで放置して置いて、何を今さら学者がそっちの筋だったなんて言えるのか。もはやそれを当然としつつだったらどうするか、って所に向かないと一蓮托生でもって引きずり込まれるぞ、奴らの戦いに。まあこれでちょっとは危機意識を持たれたのも逆に良かったかもしれない。今まではある意味で思想の範疇でそういう傾向の人たちなんだなあって済んでいたけど、さすがに法律という厳密な世界、学者という権威を担保された人たちによる見解が「違憲」でそろったところに、無理も無茶な「合憲」を振りかざして突っ込んでくる異常が視覚化された訳だし、そういう異常を支え盛り上げる政権なんだと世の中にも見えてきた訳だし。ここからここから。でもやっぱりうやむやにされそうだなあ、真っ当なメディアは骨を抜かれ牙を折られてしまった果てなだけに。やれやれだ。

 まああれも一応はパンチラで、たとで男性用のブリーフめいたものでも中身はチョコちゃんだと思うならそこにあるのはまがう事なき女体な訳で、そしてさらしでぐるぐると巻かれた胸の下ももしっかりと、両のふくらみがあると理解するなら見て楽しくはないと思いたいんだけれど、普段の言動がとにかくがさつで知性のかけらもなければ優しさの片鱗も見せない男の子。そして腰つきなんかも丸みが出ていないその裸体を見たところで、ぴくりとも来なかったテレビアニメーションの「パンチライン」第10話。ストーリーも体はパインで中身はグリコが入った奴が現れ世界は滅びると宣言しただけ。いっこうに進まず解決策も見えず、頼みのパンチラがあれではいったいどおを楽しめば良いのやら。ムヒが可愛かったからそれで良いのか。うーん。判断に迷う作品。最終回まで行ってから決めようその是非は。全員のパンチラを並べてくれれば嬉しいけれど。

 まあ元がネズミたちなんで映像化された時にいかにもネズミといった風情で登場して何の悪いこともないんだけれどでも、前のあのネズミではあってもデフォルメされてキャラクター化されたネズミたちの大活躍を見てきた人間にとって、そのあまりにネズミネズミしたキャラクターはいったい受け入れられるのか、って疑問がまず起こり、同時に今であってもピクサーなんかのデフォルメされたキャラクターが中心いんあっている時代に、ここまでネズミネズミしたキャラクターで普通の人にアピールできるのか、って不安も浮かんで仕方がない3DCG版の「GAMBA ガンバと仲間たち」。前との切断を果たして新たにファンを得ることを否定派しないけれど、でも他にやりようもあった気もしないではない。それを言われることを承知え挑んだなら、物語なり映像に成算もあるんだろう。とりあえず待とう完成を。そして公開を。

 光学迷彩がまもなく実用化されて実戦に配備されるなんて話があったりしそうな雰囲気だし、手足のサイボーグ化っていうのは義手義足といったものをもうちょっと高度化することで実現しそうな流れにある。筋電義手ってのもあって筋肉の動きから電流を読みとって動かす義手はさらに自在な動きを実現することになるだろう。そうなると本当に2029年の『攻殻機動隊』が誕生する年に、義体も電脳も光学迷彩もタチコマも全部実現していそうな気がするけれど、越えられない壁ってのもやっぱりありそう。金銭的なものとかデバイス的なものとか倫理的なものとか。そういう壁を感じつつ突破するための力を集めていこうってのが多分、発表になった「攻殻機動隊 RIALIZE PROJECT」なんじゃないかと思ったりした梅雨入り前後。雨はまだ降ってないけれど。

 いろいろとアイデアを募って表彰したり、事業化に結びつきそうなものは資金援助もしたりと結構大盤振る舞いなこれを、どこが仕切ってどうやってお金を集めてそれをどう回収なりしようとしているのか、構図が見えないところはあるけど石川光久さんが堂々、先頭に立ってやっているからにはアヤシゲなところはないプロジェクトだと思いたい。すでに先行して幾つかのアイデアめいたもの披露されていて、桐島ローランドさんが手がけている「AVATTA」って装置がなんかSF的で面白かった。原理は簡単で84個もの一眼レフのカメラをぐるりと配置して中で人がポーズするのを捕るだけなんだけれど、その1発でそうとうな制度で人のモデリングができてしまうから結構びっくり。それを元に動かせばその後に演技とかしてもらわなくても出演すら必要なく同じ俳優を使っていける、っていうのは映画「コングレス未来会議」でも問われているテーマか。SFがまさに現実になりつつある状況。それをさらに進めていくプロジェクトからいったい何が生まれるか。永遠に若くいられる義体がやっぱり欲しいなあ。

 前はかっちりとハードな帽子だったのが、今回は折りたためるタイプになっててい進化したのか安価になったのか、分からないけどともあれ今年も「大学読書人大賞」の表彰式が行われて「いなくなれ、群青」で河野裕さんが受賞していた。ライトノベル作家って意味では冲方丁さんがいて野尻抱介さんがいるけれども冲方丁さんは「天地明察」で歴史小説だし野尻さんは「南極点のピアピア動画」でSF寄り。新潮文庫nexがどういう扱いかは迷うところだけれど、ライトノベルよりって意味ではこれが最も近い作品が並み居る強敵というか宮部みゆきさん東野圭吾さんといったベストセラーをおしのけ受賞したのはめでたくもあり、あらゆるジャンルの小説を並列に見てどれが面白いかを比べることをやっていたらしい河野裕さんにとっても自分の思いが証明された、最良の機会になったんじゃなかろうか。本当に喜んでいたみたいだし。またライトノベルを書いてくれるか分からないけれど、続きも出てさらに続編モデルみたいだし今は「階段島』シリーズで青春の迷いとその先行きを追っていこう。魔女が誰だか分かったけれどこのあとどうするのかな。


【6月11日】 何か面白いものでもないかと東京ビッグサイトで開かれている「インテリアライフスタイル」へ。スマホ回りの雑貨も出てくる「インテリアライフスタイルリビング」と違って家具とかがやっぱり中心になっているけど、ちょっとした雑貨もあるようで例えば最近、神田明神あたりでよく見かけるようになった「ラブライブ!」の絵馬とかも含んだガチャガチャなんかを企画している会社があって、新作という沖縄限定ガチャなんかを見せてくれた。ソーキそばとか「BEGIN」あって沖縄的。あんまりひねらずストレートに、それでいてセレクトに伝統とポップとオタクを混ぜる柔軟さを見せてくれる。それは東京土産とかにも共通しているテイスト。ちょっと面白い。次に何を作るか要チェック。大竹伸朗さんのガチャみたなアート系にもちょっと期待。

 そして見かけたのが自分で組み立てる3弦しかないギターの「Loog」って奴で、どうやらニューヨークで生まれてじわじわと人気を広げているらしくU2なんかと共演しているギタリストとのコラボレーションなんかも行われているとか。特徴はといえば自分で組み立てること、そして3弦しかないってことで、それで演奏できるのかというと6弦あるうちの3弦を間引いて張ってあるらしく、ちゃんと押さえてコードをならして弾けるようになっているとか。その当たり音楽や楽器に詳しくないんで分からないけれど、子供がすぐに弾けるようになるっていうからきっとそうなんだろう。情報だと16歳の子がこの「Loog」でアルバムを作ってしまったとか。それくらいの汎用性もあってなおかつ見栄えもスタイリッシュ。3万円近い値段はそれこそ本物のギターだって買えてしまうけど、自分で作ってすぐに弾け、おまけに格好いいならこっちを選んでみるのも年寄りには一つの手かもしれないなあ。要検討。

 電気ポットや湯沸かしができる魔法瓶だって買えてしまえそうな値段でも人は冷めないマグカップを求めるのか、って決断をちょっと迫らそうだったのが印デザインって会社が出してた「電気マグ」。つまりはIH調理器で電磁誘導か何かでもてマグカップの底にある金属プレートを発熱させて、注がれている飲みものが冷めないようにするっていうだけのものなんだけれど、下の装置がコンパクトに作られているのとやっぱり飲みものが冷める悲しさを、これで解消してくれるっていう喜びが7000円とかしそうな値段にも関わらず、ギーク心を引きつけるのであったという。やっぱり冷めてしまうのは悲しいし、そのたびに新しいのを作って注ぐのも飲み過ぎになる。1回作ったら、そして注いだら飲み終えるまで冷めないという、一種の理想を実現してくれていると思うなら7000円は安いとみるか否か。そこで飲みものへの愛が問われそう。僕は……別に良いかな熱い詰めたいにこだわってないし。そもそもそんなの置く場所もないし、今、書斎は玄関先なんで。

 数日前から冒頭の約100ページが立ち読みできるようにしてあって、普通の文庫だったらそれで全体の3分の1とかに達しかねない量なのに、この作品だとそれでもようやく1割、話の端緒に触れられただけというから相変わらず恐ろしい分厚さの川上稔さん「境界線上のホライゾン8<下>」(電撃文庫)。アニメーション版でも漫画版でもとっくに顔とか出ていたんだけれど、小説の方ではこれまで描かれていなかった東のルームメイトのミリアム・ポークウが表紙になり、本文のイラストにも登場して、これでアリアダスト教導院の3年梅組は全員が顔が明らかになったかというと1人、ペルソナ君の顔はヘルムの奥に隠れて依然として分からないままであったという。

 いったい誰なんだろうなあ、ってこれも毛利関係者かもしれないって仄めかしはあったけど、確定した訳じゃないし。いつか明らかにされるんだろうか。ネンジくんやイトケンみたくその他大勢枠で終わるんだろうか。ネイトママン相手の秘密兵器として大活躍したハッサンに代わって、そっち側に入り込みそうになってたノリキがここに来て復活の様子。とはいえバランスブレーカー的な大活躍は見せずにすっかり人当たりが良くなった幸せ兄さんを演じている感じ。まあなあ、あれだけの巨乳のお嬢さんを嫁に迎えれば誰だって丸くなるよなあ。

 でも話だと北条氏直さん、すでに武蔵にやって来ていて、それでもって角とかとってしまったみたで、顔も姿態も変わっているとか。だとするとあの巨大な胸もあるいは小さくなってしまっているのかも。それはもったいないけどそこはノリキの好み次第か。部屋が確保されたとはいえ船上故にそれほど広くはない部屋で、あれだけの巨乳では空間が奪われてしまうという配慮もあったのか。あれに奪われるんだったら空間としても万々歳だったかもしれないというのに。ノリキ自身はどっちが好きだったんだろう。点蔵ほど「金髪巨乳」とも叫んでなかったし、ウルキアガのように「姉好き」を公言してもなかったし。そこはそれ、相手が誰であっても付き従うのが「姫」の役回りって奴か、そういうバランスの家庭なのかも。見てみたいその夫婦生活。

 そして本格的に参戦となったミリアムは、前巻でもって明智・光秀との関係が取りざたされて古い知り合いらしいと分かっていったい歳いくつなんだミリアムって騒然となったけれど、武蔵上でヨシナオ王と酒井校長とが話している場面でいつからいるか分からないけど記録にはあって悪さもしないから置いてあるとかいう話が出て、一種船幽霊的なものとして扱われているらしいと分かってくる。クラスの誰もそこに突っ込まないのもそういうものだという共通認識ができているからなんだろうなあ、まあイトケンにネンジがいたって普通に一緒にいる訳だし。とはいえ降って湧いた訳でもないのは明智・光秀と旧知だったことからも明らかで、それはつまり“どこにもない教導院”にほかの皆といたってことになるのかな、だとしたらやっぱりそうとうなばあ……以下自粛。

 三女であるとか糸紡ぎとかいった情報も重なって、正体が分かりそうで見えなくなったミリアムが帯で言っている「追いかけてきて」だかって言葉が気になるところ。どこへ行こうとしているのか。そして東をどこに連れて行くのか、ってのが次の物語になるのかなあ。そんな東に関しても驚くべき出生の秘密が! というか結局何か分からないってことで、むしろ正体が分かってしまった帝よりもより帝的な存在に近いかもしれない。それは東とミリアムの部屋にずっといっしょにいる半透明の少女の正体にも近そうな気がするけれど、そちらへの言及は今回はなし。まあいずれ明らかにされるんだろう、驚くべき真実として。

 ほかに見えてきたのはやっぱり「十本槍」の出自か。竹中・半兵衛と情報体の石田・三成をのぞく8人はやっぱり何か仕組まれた子供たちのようでそれぞれが武蔵の生徒会やら総長連合やらの役職者たちと相対しているのを見るに付け、その関係者なんだろうなあって想像は浮かぶ。父母のことも語りの中に見えだして、それが指しているのがどうもそうらしいと示唆されてはいるものの、だったらどうしてそういう事態になったのか、そして誰が何のために起こしているのかってのが懸案になってくる。当人たちにどういう自覚があるのかも。その当たりも次で語られるのか。「本能寺の変」「山崎の戦い」「賤ヶ岳の戦い」で終始するのか。それぞれに1000ページが3冊で終わってみれば1万ページ、そこから「ヴエストファーレン会議」が5000ページとかってことになったりして。まだまだ楽しめそうな「境界線上のホライゾン」。またアニメーション化されないかなあ。

 いやいやあから国際Aマッチは大陸を越えるとなるとそこで連続した試合が必要で、海外に行こうにも欧州や南米から呼ぼうにも強豪ってのはちょっと迎えづらい状況になっている。でもって5日後には大事なワールドカップ予選という本番を控えて、海外に遠征なんて行けない状況にあると分かっているなら相手がイラクで、ちょっとふがいない試合をしたからってマッチメークがたるんでるとと憤れるはずがないって思うんだけれどそこはセルジオ越後さん、起こるのがもはや本業となっているだけにシステムの不備を訴え、改善につながる提言をしてくれることもなくなっている。昔はそういうところも含めてご意見番として機能していたんだけれどなあ。張本さんみたいに“爺の繰り言枠”でしゃべっては叩かれけれども曲げない頑固さで、ポジショニングしていくようになるのかなあ。もったいない話。


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