縮刷版2015年1月下旬号


【1月31日】 デジタルハリウッド大学の公開講座で話してくれた高橋良輔さんの作品で、いっしょに登壇した宇田川純男さんが好きなのはこれから作られる物を1番とした上で、2番に「FLAG」を上げていたのが意外だったけど逆にそれで興味がわいてきた。実はまだ見ていない作品だけれどどうやらドキュメンタリー仕立てで紛争地域に行った女性カメラマンが残した情報を再構成するような形で作品が作られているという。ただそれだと女性自身が映らないかめ他の誰かが撮っていた画像だとか映像を挟むような形で再構成してあるところが、見る人にドキュメンタリーっぽさを感じさせる理由と良輔さんは話してた。

 良輔さん自身はドキュメンタリーが好きだそうで、だからその手法とか雰囲気は知り尽くしていて、故にアニメーションでドキュメンタリーが作れるとは考えていなかったそうだけれど、でもアニメでドキュメンタリーの雰囲気は再現できるという思いから挑んだのが「FLAG」だったとか。良輔さん以外の人は余りにも難しいからと途中で止めようって話もしたそうだけれど、それを押して貫いた結果がひとつの傑作に辿り着いたってことらしい、いやまだ見てないから傑作かは分からないけれど、田中麗奈さんが声をやっているなら傑作に違いない、うん。全部をDVDで見るのは難しそうだけれど、さらに再構成したダイジェスト版があるみたいなんでそっちを見て、まずは雰囲気を味わってみようか。どんな作品なんだろうなあ。生きる楽しみって、こういう所にひょこっと生まれるものなのです。

 いやもうポン酢かと。10億円も当たるってんで興味津々、早速買いに行っては並ぶマンUだとかドルトだとかいったチーム名にワールドワイドな感じを味わいつつ、これで自分で勝敗を選ぶとなったらいったいどれだけの知識が必要になるんだってなセレクトから、自動で選んでもらえる有り難さを感じたりした「toto BIG」だけれど、そのテレビCMが放送自粛になったそうで、理由を聞いて脳が破裂しそうになって目が眩む。「五島」さんが出てきて「締め切り迫る」って言葉が流れる。それは中東での人質事件を想起させる。だから放送しないという。

 だからもう甘食かと。それを見て「ああ、イスラム国で人質になっている後藤健二さんに命の期限が迫っている話を宣伝に使っているんだ、何て不謹慎な」と思う人なんて5億人いて0・2人くらいだろうし、そう思うのだって敢えてそう取ろうと思えばそう取れるよねって程度の連想ゲーム。それでダメなら「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第7章」で後藤田隊長が警視庁の警備部幹部から、特車二課の遺産を知る者として排除されそうになっている描写だって事件を思わせ兼ねないって話になるし、五島列島で魚を生き絞めするような振る舞いだって出来なくなる。

 全国の後藤さんに包丁を持つなとでも言うんだろうか。後藤健生さんに締め切りを催促するのはまかりならんとでも言うんだろうか。言葉狩りにも等しいことを平気でやって恥じない日本のメディアの無策ぶり。それでいて当の後藤健二さんが座らされナイフを突きつけられている映像とか、手におそらくは湯川さんの写真を持ってプロパガンダに近い言葉を喋らされている映像とか、さらには後藤さんの奥さんが何か話している声とかはそのまま垂れ流して人を脅し恐怖させる相手の手法をまるまる中継してみせる。見てそっちの方がよほど神経に悪いだろう。人の命をもてあそんでいる感を与えて人心にも悪影響があるだろう。でも止めない。止めたら視聴率が落ちるとでも思っているんだろう。やれやれだ。

 それでいて何かしているようで何もしていない政府政権の無策ぶりを批判するような言説はまかりならんとばかりにセーブする。湯川さんが捕まってからこっち、本気で行動した風もないってTBSあたりは現地の人に証言させていたりして、その脳天気ぶりをちゃんと伝えいるけれど、現政権の御用メディアあたりは政府がイスラム国によって翻弄されているという言説すら、政府を下に見た物言いだからって使いたがらない風がある。現実に翻弄されっぱなしなんだけれど、それでも安倍ちゃんは頑張っているんだ、盤石なんだと言い続けなきゃいけない病にでも罹っているんだろうか。それをやらないと命が途切れてしまうんだろうか。むしろそんなメディアの命の方が、見放され見捨てられて途切れてしまうんじゃないのかなあ。まったくもってやれやれだ。

 闘会議だ闘会議だ、niconicoが仕掛けるゲーム実況とゲーム大会の祭典「闘会議2015」ってのが幕張メッセで開かれたんで見物に行ったら、KADOKAWA・DWANGOを率いる佐藤辰男さんとそれからファミ通元編集長の浜村弘一さんと、主に押井守さん関係で最近よく見る鵜之澤伸さんが立ち話している姿を見かけてご挨拶。いずれもゲーム業界エンターテインメント業界の重鎮たちな訳だけれど、これが東京ゲームショウだったら周辺を関係者が囲んで挨拶に行列が出来ているところが、闘会議の会場で彼らに興味を示す来場者なんてほとんどいない、というかいても浜さんくらいだろう、ゲームの親玉として。

 つまりは価値観がゲーム主体、ユーザー主体になっていて、彼らが楽しいと思える物にしか興味が向いておらず、そしてしっかりとそうした興味の対象を並べて見せているところにこの「闘会議2015」ってイベントの面白いところがある。ゲーム業界を動かす人たちではなくって、ゲームを楽しむ人たちのお祭りであり、そしてそうした人たちこそがゲーム市場をも動かして結果としてゲーム業界を引っぱっているってことを、理解できる場所でもあったんだけれど、それだけの場所に一般紙って呼べるメディアもそしてテレビ局も、まるで姿を見せていなかったんだよなあ、何でろう? 新作ゲーム機が出ていないから? コンパニオンがいないから? でもそんなところにゲームファンは興味がなく、ゲーム市場の未来もない。真っ当に明日を探り可能性を見つけたいならゲーム実況に群がるファンの感性、ゲーム作りにかけるマニアの情熱を、目の当たりにすべきだろうに。結局のところ、価値観がズレているんだろうなあ、今のオールドメディアたちは。僕自身も含めて。

 まあでもちゃんと現場を歩いて、ゲーム実況って凄いねえって感じ取っているトップがいるから、案外にKADOKAWA・DWANGOは安心なのかも。というかトップであって仕掛け人でもある川上量生さんは会場を回ってゲームにも参加していたみたい。そうした目線から見た景色を取り入れつつ、そうした目線で自分をさらして関心をもってもらう繰り返しから、きっと明日の市場が生まれてくるんだろう。そうかだからKADOKAWAグループでも佐藤辰男さんが手掛けたアスキー・メディアワークスはイベントを開いてファンを集めて盛り上がっているのか。そういう動きが全社的に広がった時、きっと大きな躍進もあると思いたいけれども果たして。リストラで知り合いがいなくなって仕事が回ってこなくなるのはちょっと勘弁だけれど。

 さて「闘会議2015」ではゲーム実況とかゲーム大会はあまり分からないのでもっぱらレトロゲームエリアとかアナログゲームエリアを回っていろいろ見物、おおれこはOculus Rift(違う!)、あるいはプロジェクト・モーフィアス(全然違う!)。答えは任天堂の「バーチャルボーイ」が飾ってあって懐かしさに涙ぐむ。思えば20年前にやっぱり幕張メッセで開かれたゲームエキスポにずらりと並んでいたんだよなあ、あの時はひとつの可能性が生まれたと思ったけれど、尻窄みに終わってしまって日本から3Dでゲームに挑む空気が薄れてしまった。今になって前述のHMD系3D立体視装置が世に並んでその先進性が改めて注目されている。今に見てその凄さ、実感して欲しいけれどデモ機は置いてないんだよなあ、残念。

 アナログゲームエリアではカードを塔みたいに積んでいくのをやっていたり、花札をやっていたり将棋に麻雀にオセロといったものがプレーされていたりと百花繚乱。ボードゲーム系も充実していたけれど何が何やら分からないので様子だけ眺めて目はもっぱらポーカーのテーブルについてるディーラーさんの豊満な目に向かう。いやあ深い谷間だ、あそこにカードを隠していかさまだって……やりません、そういうことをしなくても、慣れた手つきはきっと相当な腕前だと想像できる。カジノ解禁されたらきっと荒稼ぎしそうかも、その谷間に目を奪って。横には「任天道場」があって鈴木敏夫さん筆の看板も。道場破りに謹呈はされないけれど、これ1回で使い捨てるのはもったいないんで開催が決まった来年も、それを出して欲しいなあ、そこまであるかなスタジオジブリ。


【1月30日】 寂しい話だなあ、と思ったのは朝にフジテレビの「とくダネ!」を見たからで、ニュースとしては前日の夜に、フジテレビ系列のFNNがトルコとシリアの国境付近に行って、例の後藤健二さん人質事件に関する取材を行う、そのコーディネートをしていた高谷一美さんって人が、交通事故で亡くなったってニュースが入ってきて、それは戦場でカメラマンが撃たれて亡くなることにも等しく、人質にされている後藤さんが殺害されることにも並ぶ“悲劇”だと感じていたら、翌朝のワイドショーでは後藤さんについて延々と報じた後、開始から30分以上たってようやく1分に満たないような時間で、事実として紹介されて終わってしまった。

 最前線で取材に当たっていた仲間が亡くなったという惨劇であり、そこには戦場のただ中で友軍の兵士が戦死したにも等しい悲しみと衝撃があってしかるべきなのに、まだ存命の後藤さんの安否は案じつつ、仲間のはずの高谷さんについては追悼の言葉も添えないで淡々とその事故死を報じただけ。そこには仲間が亡くなったという意識なんてまるでなく、友軍兵士の戦士といった悲しみもまるで感じられず、現地で雇っている人間が自分たちの与り知らないところで事故死したってだけの捉え方しかしていないように感じられてしまった。同じ社員でもない下請けのフリーランスの人間が、仕事場に向かう途中で勝手に死んだだけ、って意識だとしてそれは合理的な思考に立てば間違ってはないかもしれない。だから事実だけ淡々と報じてわれ関せずを決め込んだのかもしれない。

 れど、そうしたフリーランスの活躍がなければ身動きのとれない状況、情報すらとれない状況にありながら、いざ亡くなると知らん顔ってのはやっぱり寂しい話だ。使われる身としてもそこに下請けの悲哀って奴を覚えて仕方がない。ただでさえ危ない場所に社員を送りこまないで、フリーランスを雇い“自己責任”で活かせて情報を取ってこさせて、札束で買いたたくとか言われて非難されている日本の報道スタンスが、実際にそういう意識のもとに構築されているんだと思わせ兼ねないこの仕打ち。そうでないっていうなら同じ目的に進んで取り組んでいた仲間が“戦死”したくらいの意識で嘆き、悲しんで欲しいけれどそれをやると責任問題が付いてくるとか思っていたりするのかなあ。小倉さんだってフリーの雇われキャスターなんだし、その悲哀を分かってあげて欲しかったなあ。明日に期待したくても明日は放送ないや。来週のフォローに薄く期待。

 如月ちゃんが轟沈する回は悲しくなりそうなので飛ばして見た「艦隊これくしょん」の第4話はつまり東山奈央祭りって奴なのか。金剛を筆頭に勢ぞろいした比叡榛名霧島といった金剛型戦艦の4姉妹をそれぞれに演じ分けつつしっかり揃って演じてみせる離れ業って奴を聞かせてくれて脳が死にそうになった。そりゃあ艦娘たちにそれぞれ声が割り当てられていた時点で、それを踏襲するだろうことは予想できたけれどもそうした艦娘たちがゲームとは違って勢ぞろいする可能性を考慮してみせるどころか無理矢理作り出してはそこに、声優さんを乗せて遊ばせるってんだから制作陣も相当に愉快な人たちだし、受けて答えて見事に演じる声優さんも素晴らしい。そんな至芸をあるいは楽しむ作品でありつつしっかり、喪うことの悲しみも描く。無く2人の駆逐艦。傷ましいな。その痛ましさが繰り返されないことを願いたいけど……。来週はちゃんと見よう。

新世紀エヴァンゲリオンに出てきたロンギヌスの槍を月にぶっ刺すだなんて物騒なプロジェクトが行われるって流れてきて、いったいどこの宇宙的企業がそんな夢に乗ったんだと思ったらHAKUTOって月に民間でもって探査車を送りこむプロジェクトを推進しているところだった。「デジタルコンテンツEXPO」なんかで見かけて中田島砂丘で実験とかしているって話は聞いていて、それからついにグーグルからとりあえず6000万円を獲得した何チームかに入ったって聞いていたけれど、そこから先をどうするかってところで費用を捻出する意味もあってか、世に存在を喧伝する中で人気のエヴァとのコラボを思いついたか提案されたみたい。でもこうして世に知られる訳だから相当に大きな効果がありそう。

 キリスト教圏においてロンギヌスの槍だなんて物騒な物を月に刺すとか行って通じるかどうか、気にはなるけど同じくらいエヴァンゲリオンも広まっているから良いのかな、良くないか、分からないけどともかく夢だけはあるプロジェクト。これでクラウドファンディングも行って1億円くらいを集めてから、本格的に動き出した果てに本当に月にロンギヌスの槍が打ち込まれて何が起こるか、月の暴走かそれとも使徒の飛来か。それも分からないけど何か起こってほしいような気もする。でないとただの満足に終わってしまうから。いやそれでも十分凄いんだけれど。月だよ。しばらく誰もいっていない月に何かを起こすんだよ。夢だよなあ。いつか行ってみたいなあ。月。やっぱりモノリスとか埋まっているのかなあ。

 デジタルハリウッド大学院であった公開講座の「手塚治虫の真実」に行ってプロデューサーの宇田川純男さんと高橋良輔監督のトークを聞く。この面子で学生さんくらいしか人が来ていないのは勿体ないなあと思ったけれども、そう感じるくらいに濃くて深い話が両名から聞けたのだった。とくに高橋良輔監督の方は。皆さんご存じのように外車の販売なんかをやっていたのが自分には合わないと辞めて、虫プロダクションへと行ってアニメ作りを始めた不思議なキャリアの持ち主の良輔さん。そこでアニメーターとして受かったけれど1日8時間も座っているのは無理と演出に回して貰って制作進行から始めて絵コンテを描くようになって、手塚先生に最初のを中二階から放り出されるリテイクを食らってそりゃそうだと自分でも思ったという。

 そしてスパルタというより放任とうより見て学び盗んで育てとばかりの社風の中で、他人の絵コンテを見てそこからニュアンスを汲み取り描くようになってだんだんと、プロの作法を身につけていった良輔さんが、後に「太陽の牙ダグラム」とか「装甲騎兵ボトムズ」といった代表作を生み出し日本に冠たるアニメーション監督になる訳だけれど、そこで特徴的なのはオリジナルの企画を世に問い、形にして成功しているということ。この辺り、良輔さんは虫プロ時代、そして手塚治虫さんという希有な才能の下で、ものが生まれてくるのをその目で見て、そうやって生まれてくるものに関わりたいと思ったことがオリジナル企画を自分で手掛けるようになった根っこにあるみたい。

 そして「太陽の牙ダグラム」に始まって「装甲騎兵ボトムズ」から「ガサラキ」なんかも経つつ「FLAG」等々のオリジナル企画を自分で生み出し作り続けてきた。間に「火の鳥」みたいな原作物も手掛けているけれど、今も虎視眈々とオリジナルを狙いつつ、原作物も自分なりの形で世に問いたいと画策しているとか。もちろん今、そうやってオリジナルの企画が通るような世の中ではないのも事実。良輔さんがオリジナリティを発揮できているのは、「宇宙戦艦ヤマト」なり「機動戦士ガンダム」といったオリジナルの企画が大ヒットした風向きの中で、オリジナルを作るチャンスを与えられ、それを物にしたからだってこともある。

 そのメソッドがこれから業界に入る学生さんに通じるとは限らない。それでも質疑応答で、企画を志している学生さんには、とにかく続けること、続けていればいつか風が吹いてくるかも知れないって説いていた。良輔さんだって37歳くらいだもの、「ダグラム」をやれたのは、だからやっぱり続ける大切さが必要ってことなんだろう。かくいう良輔さん自身も、「幕末機関説いろはにほへと」以降はあまりオリジナルをやれていない、ってこともないか「ボトムズ」のシリーズはやっているけど、現時点で何か手掛けているということはない。そして自身、「ダグラム」と「ボトムズ」の2本以降はオリジナルの企画が受ける時代が去っていったっていう意識も持っている。

 それでもある種の財産を糧にして今まで続けて来られたし、いつかまた時代が自分に巡ってくると思って頑張っているとう。そろそろ来るかどうなのか。それは分からないけれど、それでも自分のやりたいことを一生懸命に探し、多少の失敗も不幸な出来事も受け入れ、社会に恨み言を言わないでしぶとくしぶとくやっていくと、いつか時代の方から近づいてくる、かもしれないと話していた良輔さん。そして「やってないと時代は来ない。やることが1番」とも。なるほど確かにと思い頑張ってやり続けることにしたいけど、僕はいったい何をやれば良いんだろう? ってこの歳で思うのだった。おんぶにだっこのもの作りに関わらない情報ブローカー稼業では、やっぱり先がないのかなあ。


【1月29日】 昨日にサッカー日本代表を率いるハビエル・アギーレ監督に新たなマネーロンダリングの疑惑が持ち上がっただんて、最初っからそれが本命だった話をさも知らぬ顔して出しては四方八方から集中砲火を食らったはずの日刊スポーツが、教も懲りずに「八百長疑惑だけでなく、マネーロンダリング(資金洗浄)に関与した疑惑も浮上している」って書いていたりしてその蒙昧ぶりに頭が痛くなる。そうじゃないってあれだけ言われて分からないんだろうか。分かりたくないんだろうか。分かろうとしないんだろうか。

 分からないけれどでも、知らないで書いているなら単なるポン酢でそんな人が書く記事への信頼はズダボロになるし、知っててそれでも印象操作のために書き続けているならもはや犯罪。アギーレ監督は自分への名誉毀損と訴えても良いくらいに悪意に溢れた中傷となっていたりする。気になるのはそんな中傷を許す何かがあるんだろうってことで、それが日刊スポーツの社内的なことなのか、今やネタになれば勝ちとばかりに無根拠でも煽りに走りがちなスポーツ新聞的空気のことなのか、それともアギーレ監督へのネガティブなニュースをそれがポン酢でも書かせたい誰かの意向が働いているってことなのか。いずれにしても不健全だけれどそれが通ってしまう世間があるのが怖い。新聞もダメになるけど、それを信じる世間がやっぱりダメになる。というかすでにダメになり果ててそして……。明日が心配。心底から心配。

 iPhoneもスマートフォンも持ってないから遊べないけどバンダイの「ハコビジョン」だっけ、スマホを上に乗っけて再生すると映像が下に跳ね返って真正面から見た箱の奥の板に映し出されて何か映像が動いているように見える玩具が人気になっているけれど、そうしたスマートトイの後を追うべくタカラトミーアーツが6月に「おえかきすいそう ピクチャリウム」ってのを出してくる模様。こちらは水槽で魚が動く様子を箱の奥の板に映し出すものだけれど、その魚を自分で手書きできるというのが大きな特徴。専用の「おさかなカード」に描いて色を塗ってから、箱の上に置いたスマホのカメラにかざしてスキャンさせるとそれと同じ絵の魚が、画面の中というか映像の中に現れそして水中を模した画面をすいすいと動き出す。

 あるいはチームラボが展示場なんかで展開している「お絵かき水族館」にニュアンスとしては近いものだけれど、あれは巨大な水槽に見立てた巨大なモニターなりに自分の描いた魚を何かから読み込ませて映し出して泳がせるといったもの。そのミニチュア版とも言える「ピクチャリウム」は、加えて「おやつカード」というのが用意してあって、それに描いたものを読みとり画面に取り込むとそれが魚たちにだんだんと食べられていくようになっている。おそらくは読み取る際にバーコードめいたものがそれぞれにあって、差異からこれは魚でこれはおやつと見分けているんだろう。ここで例えばおやつに「アン○○マン」とか描いて放り込めば、だんだんと食べられて本来の役目を果たしたりするんだけれど、見るとやっぱり痛々しいし、タカラトミーアーツ的にはそれを売りには出来ないか。

 それをいうなら国民的な猫型ロボットでも国民的な魚介類一家とかを「おさかなカード」に描いてい取り込めば、水槽の中を自在に泳ぎ回ってくれるだろうしそうでなくてもプロが自分のキャラを描いて取り込めば、それが水槽の中に現れ泳ぐ姿を楽しめるってことになる。そういう遊びをするプロの人っているかなあ。それか絵の巧い人。そういう人がそれこそ同人誌即売会で「おさかなカード」に自慢のボーイズたちを絵を描いて売るとかしたら、それを買って帰って家の「ピクチャリウム」の取り込ませていちゃいちゃする姿を楽しむってことも起こるのかな。いろいろと危ない応用が利きそう。もちろん本来は最中を泳がせおやつを食べさせるもの。時に人魚姫や潜水艦が泳いでいてもいいけれど、なるたけ楽しくダークな世界にならないように。それはそっちでそれなりに。

 解説は書いたけれど発売された文庫をまだ本屋でしか見てなかったりする新潮社から案内が届いたので「第1回新潮ミステリー大賞」の授賞式を見物に行く。そういえば前も大きなミステリーの賞とかやってなかったっけ、とか思ったけれど紆余曲折、変幻自在をしながら今回からあの映画会社の東映をバックにつけて大々的に復活というか創設となったみたい。だから挨拶にも東映の社長の人が来ていたけれどそこでこれは新潮社の社長の人だったっけ、どっちかが今は良い本であってもなかなか売れない時代といったことを話してた。それはそうで、だからタイアップも多くなってメディアミックスによって露出を増やして売ろうとしていて、それで今回も東映がついたってことになるんだけれど、すべてがそういう考えかちいうと、書いている側にはいろいろあるみたい。

 選考委員の1人の道尾秀介さんは挨拶で良いものを書かなくてはやはり売れないし残らないってことを話していた。とくにエンターテインメントは死後に評価が出てきて早すぎた作家と持ち上げられる可能性もある純文学と違って、その時々の評判が勝負になる。そこで勝ち抜けるのはやっぱり面白さが重要ってことでメディアミックスはきっと後からついてくる、それを目当てにして書くんじゃないってことを言いたかったのかもしれない。違うかも知れない。ともあれ第1回目もすでに映像化になることが決まっているそうで、その作品「サナキの森」を書いた彩藤アザミさんは見た目もロリータ系のドレスで固めつつ喋るとしゃきしゃきしていてそして、書く物は結構怖いらしい。そんなキャラも立って話も面白い作者であり作品なら、メディアミックス以前にメディアの寵児的に売れていくかというと、あの柴田勝家さんでも未だ知らない人が多いからなあ。そこはだからテレビの力か。2人で対談とかどうってミステリマガジンの人がいってたんで、いつか是非。ビジュアルだけは凄そう。

 そんなミステリマガジンの人もいたりしたゲンロンカフェでのハヤカワSF文庫2000号記念トークイベントを神楽坂から回って見物。とりあえず目的は南山宏さんであるところの森優さんと平井和正さんの関係というか、あの「狼の紋章」がどうして今でいうライトノベル的な文庫書き下ろしで出たのかって辺りを知ることだったんだけれど、大森望さんの誘導もあり何より森さんが平井さんをSFマガジンへと引き入れそして名優として数々の作品を担当した関係もあっていろいろと話してくれたその中に、ハヤカワSF文庫が立ち上がって作品を求めている中で平井さんが、例の「立風書房事件」でもって書く場所がないまま、漫画の原作として書いていた小説を持ってきて出せるかという話になって出す出すとなって出したのが、「狼の紋章」であり「狼の怨歌」だったってことらしい。だからいきなり文庫。

 折しもハードカバーとして半村良さんの「石の血脈」や筒井康隆さん「脱走と追跡のサンバ」あたりを嚆矢にハードカバーで日本のSFを文学作品っぽく出していく日本SFノベルズなる叢書が立ち上がってはいたんだけれど、そちらには入らず文庫としてもらったのでそちらで出したって感じになるのかな。ただやっぱりハードカバーが本の王様的なイメージも色濃くあった時代、ペーパーバックライターを自認しながらも少しはやっぱり憧れもあったんだろうハードカバーにヒットの御礼として文庫から「狼の紋章」と「狼の怨歌」を合本で出したらしい。それがネット上のリストにある日本SFノベルズの項目から落ちているって森さんは気にしてた。どうなんだろうそのあたり。入っているのか違うのか。詳しい人はいるのかな。

 いずれにしても最初から「狼の紋章」は文庫書き下ろしとして世に問われ、それが青春を描いて大ヒットしたという来歴は一種、ライトノベルの原点とも言えそう。意図はともかくひとつの形を作ったという意味で、内容ともども後に与えた影響の大きさを、亡くなって改めて噛みしめる。合掌。いつか森さんが平井さんについて語り尽くすトークイベントとかやってくれないかなあ。ルナテックで平井さんと走り続けた本城剛史さんも交えて。聞きたいなあ、初期から晩年の平井さんの姿を。思いを。その見ていた物をそんなトークイベントが終わって変える方向が一緒だったんで森優さんとご一緒しながら聞かれたのは、ダークマターでありダークエネルギーを使って取り入れたライトノベルはあるか、って事。トークイベントでもそういうSFはあるかと聞かれてあまり出てないといった答えが返っていたようだけれど、ライトノベルとなるとさらに覚えがない。あるいは出ているのかもしれないけれど意識して呼んでいなかったんで引っ掛かっていなかったとか。

 エーテル的な古典的解釈ともオカルト的解釈とも違って今はダークマターなりダークエナジーも、“暗黒”という言葉に惑わされない程度に科学の裏付けもあって、その存在は示唆されている。ただし正体は不明。その存在をだから利用して宇宙を描くようなことは出来ないか、あるいはやるべきってのが南山宏さんであるところの森さんの見解。数々の日本SFを、海外SFを世に送り出して人気の先鞭を付けた人のアンテナに、重要な意味をもって認知されているダークマターにダークエネルギーなら使って悪いことはなく、むしろ使うことが未来を開くかも知れない、ってことで誰か是非、意識あるなら書いてみようダークエナジーなライトノベルを。是非に。


【1月28日】 そして官邸が去年の段階で後藤健二さんの消息が不明になっていたことを認識していたって話が広がり始めていて、それでどうして今まで救出が果たせずにいて、さらに事件が明るみに出たからってあたふたしているんだろうかといった疑問がわいてくる。情報収集拠点を置いて事態に備えていなかったんだろうか。あるいは裏ではいろいろと動いていたんだろうか。それはトルコだったんだろうかヨルダンだったんだろうか。すぐさま拠点をヨルダンに置いたってことは事前にヨルダン人パイロットと自爆テロの犯人との人質交換話も交わされていて、そこに相乗りできる可能性なんかを探っていたんだろうか。

 分からないけれども見えるのはずっと放っておいて、それが急転直下、人命に関わる問題だってことになって慌てて体裁を取り繕っているって雰囲気。そもそも事態が動いている状況で、どうして中東歴訪なんてしたんだって非難もあったりするけれど、これについてはまあ従来からスケジュールにもあったからで、だからフランスでシャルリー・エブド襲撃事件なんて超ホットな話題が起こってもなお、中止せずに行ったんだろうと推察できる。ただし、そこで示す文言とか、立ち居振る舞いに人質を取っている勢力を刺激しないような配慮があったんだろうか、っていった疑問もまた浮かぶ。

 何を言ってもどう振る舞っても、結果は同じだったのかそうでないのか。その辺りは相手を捕まえて聞いてみないと分からないけれど、いずれにしても後手感が過ぎるのは否めない。というか、後藤さんはともかく湯川遥菜さんについてはすでに捕らえてられていることは明白だった訳で、その救出に向けた動きってのがあったかなかったのかも気になる。いずれにしても、起こってしまった事態はもう戻らず、そして後藤さんについて新たな映像が公開されて、厳しい要求が突きつけられている。その性急ぶりにいったい相手に何が起こってるんだ? って勘ぐりも浮かぶけれど、それでも目の前に助けを求める人がいたなら、行って救ってあげようとするのが常道なんで、政府が、そして世界がどう動いてそれがどんな結果を招くのか。注視したい。

 そして朝のワイドショーでは、そんな後藤さんの新しい映像がガンガンと流されてはその主張が満天下へと公開されいたけれど、さすがにそんな状況が拙いとおもったのか、テリー伊藤さんがそうした報道も相手のプロパガンダに乗ることにならないか、って疑問を提示して専門家の人の肯定する言葉を引きだしていた。いやその「スッキリ!」が確か昨日、後藤さんとは無関係なテロを呼びかける声明をご丁寧にも放送してたんじゃなかったっけ、って記憶はさておいて、こうした疑問をしっかりと取り入れ、プロパガンダにならないような配慮を放送に入れていくのかというと、どうもそうはなりそうもないんだよなあ、今のテレビ状況が許さないっていうか、より刺激を与えて稼ぐ方に転ぶっていうか。そうした状況でも少しの懐疑が現場で共有されて、プロパガンダのスポイルに繋がる方へと向かえば幸いだけれど、果たして。

 テレビもテレビだけれど新聞も弱体化が著しいというか、日刊スポーツ、例のハビエル・アギーレ日本代表監督について何か新たに資金洗浄の疑惑が発覚したとかって見出しでもって、デカデカと記事にしているんだけれどこれがもう、豆腐頭がポン酢を飲みながら左手で書いたようなシロモノで、読めば頭の悪さが伝わってくるし、同時にこうした頭の悪い記事を書いてでもアギーレ監督を辞めさせたい意向がどこかにあるんだってことを想像させる。まさかまったくのフリーで、ただスクープだけを狙ってこの話を持ち出したってことはないだろう、だって既に知られていたことだから、というより問題視されている八百長疑惑の根幹を成す資金捻出の手法こそが、まさしくこの資金洗浄疑惑と言われているものだったから。

 つまりは八百長疑惑を報じる上で、誰もが当然ながら頭に入れておかなければいけない話で、にも関わらず日刊スポーツはまるで始めて知ったとばかりにこの話を持ち出して、大々的に喧伝している。見る人が見ればその頭の悪さを満天下に披露していることになるんだけれど、まさか書いた本人がそうした事情を知らず心底からスクープだと信じて書いた、ってことはないよなあ、あったらそれはそれで異常で、そんな人を記者として置いておくことがガバナンス的に問題だろう。さすがにそうでないとして、だったらこのタイミングで周知であっても世間を誤魔化しアギーレ監督にネガティブな印象を与える記事が欲しかった、ってことでそれを意図しているのが日刊スポーツなのか、その背後にいる誰かなのか、分からないけれどもそうした構図をあぶり出す意味でも、いとつ指標となった記事。そして日本のサッカー界とスポーツ新聞界が、莫迦を晒すことを厭わないで世間を動かそうと躍起になっていることも。でもそれは極めて内向きの論理。読者は唖然として茫然として阿呆かと放り投げるだけ、なんだけどなあ。やれやれだ。

 次から次へと集音技術を開発してくるNTT。去年の4月にはるばる武蔵野の研究所へと行って見たのは居並ぶパラボラ反射板に100個ものマイクが取り付けられて、それで遠くの音をピンポイントで拾って増幅して聞かせる技術で、その凄さはニコニコ超会議3の場でも、あの大騒音の中で遠く離れた場所から流れる声めいたものを見事に拾い上げ、聞かせてくれたことで強く実感したっけ。そして次はやっぱり騒音が響く工場とか、車の中で人の話し声だけをピンポイントで拾っては、音声認識の装置を動かすような技術って奴を見せてくれたっけ。これも補聴器とかいろいろな技術に使えそうな気がしたけれど、そうした民生機器へと行く前に、NTTが出してきたのはスポーツ中継の時に使える技術だった。

 すなわち「ターゲットマイク技術」はサッカーだとゴール裏からゴールの前でシュートした音をピタリと拾って聞かせたり、大歓声が飛ぶ土俵の中で力士が繰り出した張り手の当たる音をくっきりとさせて聞かせるような技術。ほかにもバットがボールを捉えた音とか、パターがパッティングの時にボールを打つ音なんかを拾って聞かせることが出来る。それって今のガンマイクでだって出来るんじゃないの? って思われそうだけれどでも、それだと例えばサッカーなんか、届いて来る歓声までは消せなかった。前に発表があった高騒音下で声を拾うマイクの技術でもやっぱり騒音が残ってしまった。これが今回はシュート音だけ切り出せるという。凄いなあ。難しい技術は分からないけれど、でもそうやって臨場感って奴を味わわせることは可能になる。

 もちろんシュート音を流すだけでなく、そこに適正なレベルで歓声も重ねれば、自分がピッチにいてボールを蹴っているような臨場感が現出するという、そんな技術が今年中にはスポーツ中継で実現したりするのかな。だったら是非にシャラポワ選手のあの叫び声を拾って大きくして聞かせて欲しいかな。聞いてどうなるものでもないけれど。期待としてはこれがスマホくらいに搭載されて、録音の時とかに望む音だけ切り出せたりしたら便利なんだけれど。そのためにはシチュエーションに相応しいチューニングを施すテンプレートとかも作らなくちゃいけないけれど、いずれそういうことも可能になるんだろう。まずは2020年の東京五輪でどんな中継が可能になるかを考えよう。その前にリオデジャネイロ五輪かロシアワールドカップで何かやってくれないかな。


【1月27日】 ナイフを振り回している場面があるからと、テレビアニメーションの「殺人教室」の放送が中止になり、タイトルが死を連想させるからと、「KAT−TUN」の新曲が差し替えになって、そして「凛として時雨」の楽曲は歌詞がまったく違うものへと差し替えられた、そんな責任放棄ぶりというか、表現への弾圧ぶりが目に余るテレビが一方で何をやっているかというと、その生死が危ぶまれているイスラム国の人質を堂々と映し出しては、命乞いをするシーンを繰り返し放送し、そして亡くなっただろう1人の姿を想起させるシーンを、モザイク入りとはいえ放送して、見る人にイスラム国で起こっている悲しい出来事を、ビンビンと感じさせている。

 その影響力は、アニメのナイフシーンなんてはるかに上回っているし、「Dead or Alive」なんて楽曲のタイトルが、ただの景気づけに思えるくらいに濃密な死の匂いをまき散らしている。でも自粛しないし、自重もしない。それが報道の宿命とばかりに恐怖を放射しては、見る人にイスラム国という勢力が狙っている恐怖の増幅を、ものの見事に代行している。もう阿呆としか言いようがない。あまつさえ今朝は、そうした人質とは無関係に、イスラム国が世界に向けて発信したメッセージを放送しては、その呼びかけを満天下へと届けている。たとえそれがアラビア語だからといって、聞ける人が聞けば何らかの影響を受けるかもしれない。ネットにはアクセスできない中東から来た子供たちだって、テレビなら見ているかもしれないのだから。

 というか、しっかりと日本語の意味とかも添えて放送していたりするからもう、それはプロパガンダの受け売りそのもの。そこに例え批判が乗っていようと、眉をしかめた顔が添えられようと、そうしたノイズをすっ飛ばしてメッセージそのものに影響を受ける人だっているだろう。それがネットという能動的にアクセスしなければリーチしない場所とは違う、テレビの地上波という圧倒的なマスメディアで流されてしまうこの恐ろしさを、作っている側は考えなかったんだろうか。それが流れればきっと受けるとでも思ったんだろうか。何て恐ろしい話。何も考えていなかったのならさらに恐ろしい。

 AFPだっけかは記者が行けない場所の情報は買わず、流さず売らない方針で、相手のプロパガンダに乗らない以降を示している。そうした矜持がないどころか、もはや情報戦となっている場面に徒手空拳で行って、まんまと相手の計略に乗ってしまう日本のメディアの無策ぶり。それがだから今の政権って奴を作ってしまったんだろうなあ。でもひとつがやれば他もやるのが、これまた日本のテレビ界、きっと連日のようにイスラム国が次に何を言ったかを、競い合うようにして放送するんだろうなあ、そしてそれを止めない政府。いや止めたら拙いか、検閲になるから。それならやっぱり必要なのは自重なんだけれど、それが出来れば最初から放送してないか。やれやれだ。本当にやれやれだ。

 えっと突然父親が連れてきた少女は前世で妹だった少女で悪魔でサキュバスがお付きにいるんだけれどそこに魔獣あ攻めてきたのを前世で剣士で魔法使いでもあった勇者の少年が里から追われながらも剣を振るって倒したら妹がおっぱいを揉ませてくれてお風呂では胸をスポンジ代わりに背中を洗ってくれてそして学園の校長と理事長が悪巧みをしていて仮面を被った何者かが跋扈している、って感じだっけ日曜深夜のテレビアニメのストーリー。何か混じっているような。個々に見ればアクションもあってエロスもあったりして楽しいんだけれど永久に記憶に刻まれる何かがあるかっていうと……。でもこういう作品がアニメ化の題材に上がってくるという界隈が未来の何かを食いつぶしているような気がしてならなかったり。果たして。

 そして月曜深夜は坂道くんのコロコロと変わる心理状態がウザくて仕方がないというか。スプリンターでありながらもここが見せ所を坂道をスプリントばりに上っていく鳴子くんを見て頼もしいと微笑んでいたらこのままでは潰れると今泉くんに言われて顔面蒼白。でも止まらず自分が成すべきを成すとばかりに引っぱり続ける鳴子くんに打たれ引っぱられて突っ走り、ようやく箱根学園に追い付いたところで鳴子くんは下がっていってやぱっぱり顔面蒼白な坂道くん。もっと冷静に冷酷に状況を判断してチームメイトが最善を尽くして居るんだと理解すれば良いのにそれが分からず迷い悩んで泣き笑う。ああ鬱陶しい。でもその感情の起伏が時に力とはって突っ走らせる。そして今泉くんも巻島さんも乗り越えてゴールを切るんだろうなあ、この先。クライマックスは近い。

 大地丙太郎さんはやっぱり流石な楽しい展開の「神様はじめました◎」。出雲に行った新米神様の奈々生ちゃんは大国主命に言われて黄泉の国へと降りて穴を塞ごうとしたけどそこに得体の知れない人間が現れさらにはイザナミも現れ誘われる一方、地上では残された巴衛が悪羅王との因縁なんかを思い出していたりして、それが黄泉の国で連れている人間と重なっていろいろと騒動を起こしそう。奈々生に化けている巴衛とか可愛いんだかそれともふてぶてしいんだか。周囲が見れば気づきそうなものだけれど、うまく化けているんだろうなあ。でもちゃんと英単語のテストは良い点を取らないとばれるかも。違う良い点を取ったら逆にばれるんだ、普段の奈々生と違いすぎるから、って。そうだっけ。毎週が楽しみなアニメのトップかな、地上波で見られるうちの。

 1stシリーズならうん、DVDボックスを持っているし在処もだいたい分かって居るんだけれど、取り出すといろいろと雪崩も起きそうなんでここは冊子も読みたいってことで、講談社から出た「ルパン三世DVDコレクション」の第1号を買ってみる。もうテレビで何度見たか分からないくらいに見ている第1話の「ルパンは燃えているか…?!」とそれから第4話の「脱獄のチャンスは一度」が入っているんだけれど、その間にある第2話の「魔術師と呼ばれた男」とそして第3話「さらば愛しき魔女」は実はテレビでそんなに見た、って記憶がない。このあたり、ちょっと不思議。

 再放送ではやらなかったってことはないし、パイカルは1度くらい見た記憶があるんだけれど、きっと子供の頃って再放送だからといって毎回テレビの前に座って、じっくりと待つようなことはしなかったんだろう、だから時々に見て、それが偶然に当たったと。その意味では第13話の「タイムマシンに気をつけろ!」も結構見たりする回かなあ。ともあれとりあえず1stシリーズだけは揃えるつもり。それ以降は……買っちゃうかなあ、6万円台で揃うそうだし。問題はだから置き場所か。積み上げてもいったいどれだけの高さになるか。怖いねえ。怖いから俺、寝る。

 着物を着ることは別に悪いことではなくって、それを国会の会期末だっけかに皆で揃って来て日本の魂とやらをアピールすることも、別にお前らに代表してもらいたくはないって気分は別として、やること自体に意義は唱えないけれど、そんな着物姿で勢ぞろいすることが、何かテロへの対抗になるんだと言ってしまえる神経はちょっと分からないというか、自分たちの格好がいったい何を目的としたものであって、それがどういう雰囲気を醸し出しているかを考えるなら、とても言えたセリフじゃないのに言ってしまう、それも国会議員が言ってしまうところにこの国のトップに立つ人たちから、教養であり理性といったものが吹っ飛んでいるなあと感じてしまう今日この頃。晴れ着とでテロと戦いまーすと言って誰が信じるか、認めるか。最上の礼服姿で勢ぞろいすることがテロへの対抗になるなら英米は、男性はモーニングコートで女性はローブデコルテで並べってことなのか。おかしいだろ? って思えば言えないセリフ。でも言ってしまえるそれが日本の教養ってことで。やっぱりもって、やれやれだ。


【1月26日】 もうずいぶんと昔に、イタリアで井戸に落ちた子供が、当時ヨーロッパで大流行していたアニメーションに出てくるロボットの「ゴルドラック」ことグレンダイザーに助けを求めながらも、救助が間に合わず亡くなってしまったという悲劇は割と有名な話で、原作者の永井豪さんも言及していたりするけれど、このことは海外で日本のアニメがとてつもなく浸透していて、それこそ神様にも匹敵するヒーローとして憧れられていた、ということを表す一方で、現実にはそうしたロボットは存在せず、ピンチに呼んでも現れないんだという厳しさを改めて突きつけた。

 お台場にアニメの設定どおりの「機動戦士ガンダム」が立っていたって、それは歩かないし戦わないしビームサーベルも振り回さない。喋って歩くPepperってロボットがいるけれど、それは「鉄腕アトム」ほどの聡明さは持ち合わせていない。架空の物語に登場するロボットたちは、そしてヒーローたちは実在しない。そんな悲しくも厳しい現実を前に、だから人は自分たちで頑張って行かなくてはと思うんだけれど、でも一方で、いつかやっぱり現実に「ガンダム」でも「ドラえもん」でも現れてくれないかと願う。人の想像力が生み出したそれらに、人類の創造力が形を与える日を夢見ている。その時が来るまで、人はフィクションの中で架空のヒーローが現実化する展開を見たがるのだ。

 東龍乃助さんによる、題名を「エイルン・ラストコード 〜架空世界より戦場へ〜」(MF文庫J)という小説がまさにそんな内容。マリスなる怪物に攻められ、瀬戸際へと追い込まれた人類の所へ、どこともしれず突然に上空から振るように、とてつもない力を持った真紅の巨大な戦闘機が現れる。マリスを相手に戦えるのは、ヘキサと呼ばれる特種な刻印を持って、そしてマリスに餌として認識される人間たちの中で、とりわけネイバーという巨大な兵器を操縦できる資格を持った者たちだけ。セレンという少女もそんなネイバーフッドのひとりだったけれど、操縦には苦痛が伴うこともあって、危地にも搭乗を嫌がって逃げ出した。

 それでも見つかり、無理矢理載せられ送り出された戦場で、強大な敵を相手に苦戦していたセレンの前に現れたのが真紅の巨大な戦闘機。人類最強のパワーを誇るネイバーすら超越するとてつもない武力で、迫るマリスを退けてみせる。いったいどこから来たのか? いったい何なんだ? そんな興味をさらに上回って人類を驚かせたのが、現れた真紅の巨大戦闘機がテレビアニメに登場したものとそっくりで、そして降りて来たパイロットの少年も、同じアニメに出てくるヒーローに名前も経歴も同じだったということ。それを見て人類が、「なんだアニメから出てきたんだね」と思うかというとそそうはならない。なぜならそんなことはあり得ないと分かっていたから。

 ならばそっくりに開発された秘密兵器かと想像したけれど、だったらどうして満を持して登場するのかといった非難の声が起こった。何カッコつけてんだと。そのためにどれだけ死んだのかと。ところが、当のパイロット、アニメに出てくる少年と同じ名前のエイルン・バザットには何のことだか分からない。自分は実在して月を基地にして戦っていて、それが突然見知らぬ世界に迷い込んだ。そしてアニメの真似するなと言われた。どうしてだ。どうなっているんだ。いろいろな憶測が浮かぶけれど、肝心なのはエイルンとその愛機がとてつもなく強かったということ。迫る新たなマリスを相手に、セレンという少女が駆るネイバーも風前の灯火となった所に、エイルン・バザットの圧倒的な力が求められ、それに答えてエイルン・バザットは戦場へと赴き、真紅の戦闘機の真の姿をお披露目する。

 それがまたアニメにそっくり。どうなっているんだ。3次元が2次元化することがありえるのか。あり得ない。ただ3次元が2次元となってそれが3次元に“復元”されることはあり得る。つまり……。そんな含みがあってそのヒーローもメカも実在する可能性が示唆され、いったい誰が、何の目的でそれを実現したのか、といった謎が新たに浮かぶ。続く展開で明らかにされるのか。世界は、宇宙はどうなるのか。続きが楽しみ。アニメのエイルン・バザットに惚れ込んでいたのが目の前に現れ浮き足立っている美少女のこれからも。セレンに取られっぱなしで済ますかなあ。横取りはできないにしてもいろいろ食指を動かし迫るかなあ。迫るだろうなあ。

 残された日本人の人質の後藤健二さんを励まし解放を呼びかけ意味でネットに「I AM KENJI」って言葉を書いたボードを持って立つ人の画像が増え始めているとか。有名な人が出てきて次々に並んでいった果てに、いつかのアイスバケツチャレンジみたいな“運動”へと発展していく可能性が漂う一方で、これを一種の”祭り”ととらえ“進化”させ、一種のエクストリーム・スポーツと化していく動きなんかも想像してしまう。例えば富士山頂でボードを掲げ、アマゾンの奥地でボードを掲げ、グランドキャニオンからナイアガラの滝壺からと千差万別な場所からボードを掲げて、強いインパクトを与えようって感じ。そんなことが起こり得るんだろうかと、ちょっと考えていたりする。

 あるいはバーチャルなキャラクターの総動員。世界に愛されるキャラクターにボードを持たせたコラ画像をぶつけて、相手方の愛の発露を誘うというか。それは事態の重さを受け止めないで揶揄している行為じゃないか、って非難も受けそうだけれどでも、本当は良いことだったはずのアイスバケツチャレンジが、有名人たちの自意識の発露合戦になって売名と誹られ、本来の目的が殺がれて陳腐な”祭り”となり果ててしまったことを考えると、その二の舞にこの「I AM KENJI」って運動も陥りかねない懸念が漂う。市井の誰かではなく有名なあの人がボードを掲げ、それを取りあげ持ち上げていくような空気なんかがメディアには色濃くて、それが換えってメッセージを陳腐化させてしまうのだ。

 予定調和の範囲内で、メッセージは消費され消化されていくという、そんな心配をけれどもエクストリームスポーツという行為なり、ポップカルチャーという表現をそこに添えることによって、払えるような気がしないでもない。売名であり揶揄かと思わせながらも、そうした行為をなぜするのか、そうした表現が意図するものは何かを改めて世に問い感じさせるという効能が、エクストリームスポーツ化なりポップカルチャーとのマッチングから生まれてくるという、そんな可能性を考えてみたりするけれども果たして。ハローキティやドラえもんやドラゴンボールやキャプテン翼といった日本の世界に通じるポップカルチャーが総動員で繰り出す「I AM KENJI」の威力、ちょっと気になる。

 日曜日の昼過ぎから明け方までかけて、録画してあった最初のシリーズの「PSYCHO−PASS」を見てようやくあの世界観って奴を理解する。チラチラと眺めてはいたけれども実は良く見てなかったのでしたという。なるほどこりゃあ評判になるはずだ。そして今だときっと放送できないかもしれない作品だ。テロとかあって猟奇とかも満載。それを深夜とはいえ地上波でアニメーションとして作り上げたスタッフと放送したテレビ局の英断をまずは讃えたい。拍手。先に劇場版を見るような形になって遡って「シビュラシステム」の正体が明らかになっていった放送時の驚きとか、想像すると楽しくなる。あとは常守朱が目の前で親友を殺害されながらも正気を保っていられる理由とか。

 まあ、だからこそシビュラシステムにも興味を持たれ、特権的な立ち場になったんだろうけれど、それはある意味、シビュラシステムに組み込まれている免罪体質の者たちに近かったりする。そこへの誘いも当然これからあるはずだけれど、そんな渦中にあって今はまだ、自分を保っている朱がいつ、あちら側に転ぶのかそれとも転ばないという選択肢から、巻島省吾の側に転げるのか、それとも違う道を歩むのか、って興味が浮かんで仕方がないので、是非に劇場版の続きを作って欲しいもの。それまでは購入して来たBDボックスを見て振り返りながら、グロテスクな管理社会の天国と地獄を想像しよう。とか言いつつ録画してあった分を見返すんだろうけれど。勿体ないじゃん開けるの。


【1月25日】 テレビアニメの「暗殺教室」がシリアにおける日本人人質事件への配慮から放送中止になったとかで、テレビ局のアンポンタンぶりを嘆いていたらもっと無茶苦茶な例が出てきて頭がクラクラとして来る。なるほど「暗殺教室」はタイトルが「暗殺」だし相手が殺せんせーで無敵であってもナイフで挑んでいくのはやっぱりちょっとビジュアル的に刺激が強いかもしれない。でも歌はどうなんだ、歌詞がちょっとだけナイーブであってもそれを聞いて事件を想起する人間なんていやしない。

 タイトルが「Dead or Alive」だからといって生より死を意識する人間なんて皆無だろう。でも止めた。テレビ朝日は「ミュージックステーション」であるグループの歌詞を変え、そしてあるグループのそういうタイトルの新曲を歌わせなかった。莫迦なのか。阿呆なのか。そもそもがその新曲はこれから公開の映画の主題歌であってそこで披露することに意味があった。なるほどカップリングの曲を歌ったかもしれないけれどもメインはそれじゃない。でも歌わせなかった。歌わなかったグループもそりゃあそれで納得はしたかもしれないけれどでも、無意味さって奴を感じたんじゃないのかなあ。

 もしもそこまで配慮が行き届いてしまう世の中だったとしたら、現在、シリアで怒っている日本人人質事件で誘拐されている状況が続く限りテロとか死刑とかいった話はとてもじゃないけど放送できない。だからきっとNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」も江戸末期に幕府に逆らい投獄された吉田松陰が、処刑されるなんてことは描けないし井伊直弼が桜田門外の変でテロリストに暗殺されることもない。そんな歴史の線上で進んでいったドラマが、やがて天皇を仰ぎつつ武士が議員となって世の中を統治する立憲君主封建制なんて架空の世界を描いたらそれはそれで面白いんだけれど。

 しかし事態は刻々と進行中なようで昨晩、テレビで三島由紀夫を取りあげその存在の空虚ぶりを感じ取りそして変わっていく時代に取り残されたのを無理に埋めようとして自爆してしまったことへの残念さを感じていたら、そのただ中で遠くシリアで人質のうちの1人が殺害されたかもしれないというニュースが飛び込んできていた様子。番組では途中で速報とか入れなかったんで分からなかったけれど、どうやらその首を切られて体の上に置かれている画像が出回ってようで、そんな時にテレビでは三島由紀夫の自決から介錯へと至って総監室に首が落ちているとかいった話が流されてたことのシンクロぶりを感じてみたりする。

 いや関係はないしそこに一方は自らを憤死させることによって世に何かを問うた斬首であり、一方は単に殺害されたその方法としての斬首であって精神性における共通性もないけれど、こうした事態に三島由紀夫さんが存命ならば何を言ったか、って興味はある。憤ったか無力を嘆いたかそれとも。存命ならもっと世の中も真っ当に進んでいたかなあ、虚勢と見栄で外面を良くしようとして一方だけ向いて喋ったことがもう一方に咎められて事態を悪化させあたふたしている総理とか、生まなかっただろうし。とはいえそんな総理を仰ぐ以上は何かやってもらわなくては困る。とはいえヨルダンで収監されている死刑囚の解放はヨルダンの人を危険にさらす可能性があり、その感情を逆撫でする場合も多分にあるんで難しい。だからこそそういう要求を出してきたのなかあ、でも動かなかったらさらにイスラム国への感情を悪化させるだけ。もっと穏便にそして有効な手立てはないものかなあ。難しい。本当に難しい。

 せっかくだからともう1度くらい見ておこうと日本橋のTOHOシネマズ日本橋まで行って劇場版「PSYCHO−PASS サイコパス」。それなりに人が入っているのはやっぱり人気があるって証拠か。やっぱり思うのはあの傭兵チームが最後に枕を並べて討ち死にしている展開で、ゲリラの拠点にたったの5人とかで押し寄せてはリーダーも含めて相当数を殺害して機能もほぼ破壊し印象としては壊滅させたに等しい戦果を上げたチームがクライアントに呼び出されたからといって大した武器も装備ももたないまま、雁首揃えて出向いていってはそこを日本の公安に急襲されてろくに逃げられないまま撃たれ最後にはボスも死んでしまっている。あれで鋭敏な猟犬だったらまずはそれなりな装備で安全を確保しつつ相手が裏切った時を考え闘う準備、逃げる算段くらい整えておくだろう。

 あるいは上空に公安のヘリとかが迫ってくるのを鋭敏に察知して悠然と銃殺の銃なんか構えておらず周囲も眺めていないでさっさと逃げるなり闘う準備をするだろう。でもまるで気づかないまま1人は撃たれほかも相当され谷間の深い美女は雨霰の爆弾の中で笑顔を見せて散っていった。もしかしたらその笑顔に理由があってもう誰かの犬としてこき使われるのは飽き飽きしていたか、傭兵としての日々に膿んでいたか何かだったんだろうか、違うよなあ流石に。単にもうこれは無理だと理解してしまったんだろう。でもそれなら、もっと早く逃げれば良かった。1人が撃たれた段階で事態を察知して素早く動いていればボスみたく逃げられたにも関わらず、そうしなかったのはやっぱり妙。何よりあの立派な胸を失ってしまったのが残念でならないんで、ここは映画の続編で実は死んでいなかったという設定で、あの美女傭兵を出して欲しいなあ。無理か。いや続編はあるかな。これだけ売れているんだから。うん。

 NGT48とはまたどうして野方に? って思ったら新潟だったという。まあそれくらいは分かるけれどもどうして新潟あのか、ってところはちょっと想像がつかにあNGT48が創設されるというニュース。前評判では札幌が有力できっとSPRになるかなあ違うかなあ、なんて思っていただけに同じ雪が降る地域でも新潟にしたのはそこに集まるだろう人の数ってのも考えたのかな、新潟なら近隣の富山石川に群馬栃木や福島山形あたりからもメンバーを招けそう。でも北海道だと札幌と釧路と帯広と網走と宗谷とあとは樺太? は無理か国が違う。プロ野球とプロサッカーのチームは置けてもメンバーを選りすぐりファンを集めるだけのキャパがまだ足りないって判断なんだろうか違うのか。いずれやっぱり作るのか。分からないけれどもとりあえず新潟なら1度くらいは見に行けそうなんて立ち上がったらのぞいて来よう、イタリアン食べがてら。実はまだ1度も新潟、行ったことがないのです。


【1月24日】 当然といった感じにスポーツニッポンあたりは、サッカー日本代表を率いるハビエル・アギーレ監督のアジアカップ準々決勝敗退を受けて、解任論をかき立て始めているけれど、相変わらずというか論旨は無茶苦茶で筋の通っていないこと甚だしい。確かに勝ったし、その采配も投入した柴崎岳選手や武藤嘉一選手が活躍をしてズバリと当たって、それを「采配的中も…」って認識しながら続けて見出しに「アギーレ監督“終戦”今大会限りの解任決定的」ってそれが既定路線であるかのように書いている。いやこれ、意味が通ってないんですけど。どうしてそうなるのか読んでもまるで分からないんですけど。

 本文を読めばあるいは分かるかと思ったらこれがまた。「八百長疑惑の渦中にいる指揮官に対する告発が、バレンシア裁判所に受理されており、今大会限りの解任は決定的」ってなっているんだけれど、その告発が実は受理されていないって話が日本サッカー協会の調査では出てきている。まさか無能の集まりでもないだろうから、信憑性もある話なのに、それを受けて新聞が現地に問い合わせることもなく、現地紙がそう報じたっていう情報だけを頼りに仮定の“受理”を積み上げ“解任”って書く、そのストーリーがとにもかくにも無茶苦茶過ぎる。おまけに24日に決定だなんて、そんなことが出来るなら告発が報じられた段階で何か動いているだろう。

 未だ不受理という情報もある中で、会合を持っても動くとは思えない事態を、さも既定路線であるかのように書ける根拠はいったいどこにあるんだろう。それは誰が担保しているんだろう。むしろそっちの方に興味が及ぶ。獅子身中の虫なのか、虫の身中の獅子たちなのか。どっちにしたって健全さからはほど遠い組織のガバナンスだし、それを受けてほじるジャーナリズムも真っ当さからほど遠い。でもそれが日本ではジャーナリズムのセンターを堂々と歩いている。だからこういう社会になってしまっているんだろう。たまらないけどでも、アジアカップの采配を理由に解任することは絶対に無理。それでも組み上げる無理矢理なロジックが通ってしまった果て、この国はさらに無茶苦茶化を辿るだろう。すでに手遅れ感もあるけれど。

 それは西宮市で起こったメディアの“偏向”って奴からも明らかなんだけれど、困ったことにそれを“偏向”と断じて以後、そうした取材を断るって行政側が言いだし始めていることも、また難しい問題を喚起しそう。それはちょっと無茶だって。明かな間違いがあったのならそれを糺してなおさせれば良いし、メディアの方もそうした間違いを繰り返さないようにしなくちゃいけない。でも、そうした事実に照らしての明かな誤謬ではない、主観に基づく意図から外れて浮かぶ客観的な、というかそれは伝える側にとてはある程度の主観にもなる報道が行われた場合、“偏向”だといって廃していいのか? 違うだろう、それは“偏向”ではなく指摘であって、誤りはメディアではなく主体の側にあったかもしれない。

 そうした自省も廃して、ただいたずらに見解の相違を“偏向”とレッテルにまみれさせて排除していこうとするのは、権力の横暴であり検閲と言われても仕方がない。普通ならそれをやろうって行政の側だって思わないだろうけれど、今のこのマスコミに対する世間の不審が権力の側を調子づかせているというか、“偏向”とレッテルを貼って排除することを許容するような空気になっている。それは多分に誤謬を重ねてきたメディアの側にも反省すべき点があるんだけれど、認めてしまっては以後、とんでもないことになるのでここはよく話し合って、事態をうまく収拾して欲しいもの。そしてメディアの誤謬は、とりわけ権力相手ではなく市井の人に対する誤謬や“偏向”は即座に糺される風潮が作られて欲しいもの。どうなるか。期待はしないで見ていこう。

 「次世代ワールドホビーフェア」を幕張メッセまで行って、朝方にちらりとのぞいたら3分の1くらいが「妖怪ウォッチ」だった。あちらこちらのブースであれやこれやの品を展開中。向こうに見える「ポケットモンスター」絡みのブースよりも、面積的に大きいってことがつまり、今の「妖怪ウォッチ」の勢いを証明してるって言えるけれども、これが将来、いつまで続くのかってのはまた別の話で、アニメ人気がすり切れるかゲームが飽きられるか、玩具がだぶつき始めたあたりで気持ちが他へと向いたかした、その瞬間に次のものが出てくればそっちに飛びつく子供が多くなって、そして若い子たちもそっちに流れで世代代わりが起こる、ってことになるのかなあ、その波をポケモンはもう20年近くくぐり抜けてきた訳で、「妖怪ウォッチ」とは年季が違うっちゃ違う。だから今のこの波を静かに眺めて虎視眈々、次を狙っているんだろう。さてもいつまで続くかニャン。

 なぜかご当地グルメっぽくなってたフードコートを横目で眺め、幕張メッセから東京ビッグサイトへと転戦して「国際宝飾店」へと行って、東京真珠が米ガラテア社ってところが出した、真珠にNFCを埋め込んで音声をアプリで再生させるキーにする新しいパールジュエリーを手掛けたチー・ウィンさんと握手。初日に行って記事にしたら喜んでくれていたとか。僕は真珠でもITでも新しい試みが大好きなんだ。そしてそれを紹介することも。でもそうやって見つけてきたものが世に出るのって、3年とか5年が経ったりした後だったりするケースが大半。でもって発見した評判はそっちのメディアに持って行かれると。寂しいけれどでも、自分の見る目のそんなにズレてないことを確認する意味でも新しい物を追いかけ記事にして世に定着させていくのは、大切な作業だと思いこれからも出向いていろいろ見る。そして書く。

 ただ長いだけで中身もなければ主張もなく、イノベーションのカケラもないオールドジャーナリズムだけれど、見て書きそしてまた見る繰り返ししか出来ない人間だから仕方がない。そこから未来に羽ばたく何かが生まれれば。自分にはそれで十分。負け惜しみじゃなく。うん。そして荻窪へと回って杉並アニメーションミュージアムで開催中の「今敏回顧展2014」に関連したトークイベントを見物、なぜか最前列にて「千年女優」に出演していた飯塚昭三さんと折笠富美子さんとプロデューサーの丸山正雄さんとそして音響監督の三間雅文さんが並んで喋る姿を見て聞く。折笠さんの声なんてほとんど生声が聞こえてくる距離。綺麗だなあ、もちろんお顔も。

 そしてほぼ正面に飯塚昭三さんでこちらは迫力。声で圧倒する人ってそうは声優さんでもいないだろう。そんな飯塚さんあ話の中から「千年女優」が映画として相当に好きだってことは伝わってきた。構成から音楽から声から何か何まで完璧。それはトークの題材になっていたからってことよりも、自身が出演してそして客観的に持ても優れた映画になっているって感じたからの言葉なんだろう。口調からそう思った。実写にも負けないアニメーション。でも実写にしたら違ったものになてしまうアニメーション。そんな感想は今敏作品の正鵠を射た評価。分かっていらっしゃるんだなあ、出演した人たちも。そりゃあそうか、中の人たちなんだから。

 そんな「千年女優」の最後に千代子から発せられる例のセリフについては出演者、といっても2人だけれどやっぱり受け止め方にいろいろ違いがあるみたい。つまりは肯定か否定かってところだけれど、僕としてはあれは絶対に不可欠なセリフで、あれがあったことで「千年女優」がまさしく永遠の”女優”について描かれた映画だってことがくっきり見えて来た。単なるラブストーリーに終わらず、それも含めて演じ切る女優って物の凄さが見えた。その究極を描いた映画だって分かったんだけれどでも、追いかけ続けた男たちには、厳しくも辛い言葉に聞こえたかもしれないなあ。僕はそうじゃないってことは、気分として誰に感情移入せず、あるいは女優という存在を見に入れて映画を見ていたってことなのかな。そんなことも改めて噛みしめるために映画、見返すか、BDも買ったし。でもやっぱり劇場で観たいんで機会があればまた行こう。あるだろう絶対に。


【1月23日】 やっとこさ購入した「美術手帖」のロボットアニメ特集は、大河原邦男さんや宮武一貴さん、河森正治さんといった名だたるロボットデザイナーの人たちが登場していろいろと語っていたりするんだけれど、それ意外に名前だけ名鑑のように並べられて作例とともに語られている人たちの作例が、なぜかだいたい「機動戦士ガンダム」シリーズで手掛けたものになっていたのはなぜだろう、同じ文脈でもってデザインされたロボットでありながらも、それぞれのデザイナーによって特徴が出ていることを見せようとしたんだろうか。

 中には永野護さんのように大きめに取りあげられていて、そこに「重戦機エルガイム」が取りあげられている人もいたけれど、それも次のページからでメインはなぜか「機動戦士Zガンダム」のキュベレイ。モビルスーツという文脈において「ガンダム」シリーズと比べ並べる意味があったってことなんだろうか。その辺りちょっと事情を知りたいなあ。そんな中に混じって出渕裕さんは「ガンダム」ではないけれど同じサンライズでそして富野監督による「聖戦ダンバイン」からズワァースが登場。それは宮武さんが最初に出ていてそこで「ダンバイン」も語られているから同じ流れってことなのかも。とっちにしたって「機動警察パトレイバー」じゃないんだよなあ。やっぱり不思議なセレクト。

 そういえば出渕裕さん、昨日の「THE NEXT GENERATIONパトレイバー第7章」の上映に関連して押井守監督がゲストを招いて対談する「マモルの部屋」に登壇した時に、「パトレイバー」のデザインかあるいはロボットのデザインか何かについて昔いろいろと語り合ったか殴り合ったかしたようなことを離していたっけ。多分「モデルグラフィックス」の連載なんだろうけれど、それで押井さんが出渕さんのメカデザインなんかを例に敢えていろいろと書いたらしくって、それを本屋で読んだ出渕さんは「崩れ落ちた」とか。話を面白くしようとしているのかもしれないけれど、それにしてもよっぽど衝撃的なことが書いてあったんだろうなあ、ってそんな連載は「メカリフィア」とか何とかいう本にまとまっているとか。買ったっけ? 記憶が定かじゃないけどいつか探して読んでみよう。実用をメインに考える押井さんのロボットデザインに対する考え方とか知りたいし。

 ははははは。サッカー日本代表が出場しているオーストラリアでのAFCアジアカップ2015の決勝トーナメントで準々決勝に登場した日本代表がUAEと戦って1対1のままPK戦となったもののそこで本田圭佑選手と香川真司選手が外すとう“ミス”でもって敗退。いつかイビチャ・オシム監督が率いてベスト4になりながらもけちょんけちょんに言われたことがあったけれど、それより酷い成績に対してマスコミは日本代表とそれを仕切っている日本サッカー協会を非難するんだろうかどうなんだろうか。八百長への関与が取りざたされているアギーレ監督について非難したいだろうけれど、でも監督自身の采配に大きなミスがあった訳じゃなく、試合ではもうそれこそ何十本もシュートを放ってUAEを圧倒していた。

 つまりは戦術は昨日していたって訳で、それでも決まらなかったことが、PK戦へともつれ込んだ原因な訳だけれど、シュートの精度を監督がどうこう出来るものではないかならあ。じゃあ選手か、っていうとその責任を日本代表の金看板ともいえる本田選手とそしてスポンサー向けの大看板として掲げている香川選手が相手だとちょっとマスコミも口ごもりそう。そしてモヤモヤとした雰囲気がチーム内に漂いつつ、曖昧模糊とした雰囲気が日本代表を見る目に漂ってなあななの中で進んでいってはワールドカップ2018ロシア大会のアジア予選で敗退する、と。そんな景色が今から見える。これがオシム監督だったら、最初からPK戦は運だと言って自分から見ることを拒否しつつ、それによって選手が失敗した時の責任も軽くしてただろう。そういう配慮があの爺さんにはあった。アギーレ監督は“ミス”と言ってしまった。その違い。やっぱり人なのかなあ。でも解任は無理だろうなあ。監督に実際、責任はないし。やっぱり大変そうな2018年。

 そんなサッカー日本代表のやれやれな試合ぶりを横目で見つつルパン祭りの第二週となるテレビスペシャル「ルパン三世 princess of the breeze 〜隠された空中都市〜」を見たらこれが面白かった。もしかしたら録画もしてあったかもしれないけれど、じっくりとは見なかったほぼ1年前の作品だけれど「ルパン三世 カリオストロの城」と「天空の城ラピュタ」という宮崎駿監督の劇場アニメーション映画のニュアンスを取りつつしっかりと、ルパン三世が活躍して正義も見せつつ乱暴もしてそして最後にとっつぁんに追いかけられて退場していく“伝統芸”って奴を見せてくれた。監督は「これはゾンビですか?」の金崎貴臣さんで展開も良くアクションも楽しくそして何より絵が素晴らしい。崩れない上に美しい。

 とりわけ峰不二子とそれから空賊の頭領の女房として出来たカーミラは美人でグラマラスで乳とか尻とかぱっつんぱっつんのぼいんぼいんでどっかんどっかんだった。目の保養になった。ストーリーはところどころ引っ掛かるところもあって例えば赤ん坊はいったい誰の子だったのかとか、そんな謎が本編に絡まないまま投げっぱなしでジャーマンスープレックスを食らっていたし、あそこで首相のシオンが死ぬ必要もなかった。捕まるなり逃げるなり影から国を支えるなりすれば良かったのに殺してしまった上に、その亡骸は国の宝物庫に置き去りにしつつその宝物庫は後にしっかり回収されていたりする。だったら生きていたかも? なんて可能性もあるんだけれどそういう部分をチラ見せしてないからやぱり死んだままなのかなあ、とも思う。

 まあでも気にせず見れば楽しめる作品、テレビスペシャルでも上位に入るんじゃなかろうか。声も安定してたし。BD買おうかな。んでそのテレビスペシャル、去年は放送されなかったみたいだけれど、これからも作られ続けるのかなあ。去年の分は「次元大介の墓標」とそれから「名探偵コナン」とのコラボレーション作品をカウントして、今年は今年で何か作ってくれるのかなあ。でないとせっかく新しいキャストを揃えてそれが慣れ始めたのに、もったいないよ。せめて映画とか、あるいはOVAとかテレビスペシャルとかで続けて欲しいけれど。小池健さんが何かやっているのかなあ。情報を待とう。

 えっと、莫迦なの? そんな「ルパン三世」では、長いだんびらお振り回して何人も切り刻んでいる大泥棒の13代目が出ていたし、ガンマンは手にリボルバーを持って何人も撃ち殺していたりしたんだかけれど、プライムタイムって大勢が見る時間帯でそうしたアニメが堂々と放送されて何の問題もなかったのにも関わらず、フジテレビは深夜も深夜に放送されるはずだったアニメ「暗殺教室」の放送を中止することにしたそうな。理由はどうやらナイフを持って宇宙人(殺せんせー?)と戦う場面が出てくるからとかで、それがイスラム国での日本人人質事件を連想させるから、らしい、いや噂だけれど。

 でもちょっと待て、相手は宇宙人でそれも絶対に攻撃が当たらない殺せんせーな訳で、その描写自体あ殺戮を連想させることはあり得ない。むしろ「ルパン三世」の方が描写として人死にが出ている訳で、それでも放送されたのは別にそれが人質事件を連想させるなんで誰も思わなかったからじゃなかろうか。でもフジテレビは考えてしまった。そして辞めてしまった。何だかなあ。想像するなら組織体として弱っていると、その弱さにつけ込まれるんじゃないかっていうおびえと恐れが立ち上って、さらに思考を弱まらせてしまうというデフレスパイラルに陥っているからなんだろう。実際のところは問われるまでもない話だし、問われたって説明すれば済む話なのに、それを厭って最初から逃げる。そんな空気がすべてを後ろ向きにしているというか。ちょっとこれは拙いかもしれないなあ。

 いやもっとそれ以上に拙いところがあるんだけれど。どことは言わない新聞で元の東京都知事様こと石原慎太郎さんがトンデモない説を披露していて、それが堂々掲載されてしまった、ネットだけじゃなく紙面としても。曰く「ヘーゲルは『歴史は他の何にもましての現実だ』と説いたが、キリスト教文明とイスラム教文明の相克ははるかに古く、2世紀におけるサラセン帝国とキリスト教圏との衝突に始まり、中世の十字軍騒動以来、実は今日まで続いている」。おいおい。僕たちが習った世界史ではサラセン帝国すなわちイスラム帝国の基盤となっているイスラム教は、610年にムハンマドが啓示を受けて起こったってことになっていんじゃないのか。それが2世紀にすでにあってキリスト教圏と対立していた。どこの世界の話なんだ。

 っていうかキリスト教圏ですら2世紀ではまだ確立しておらず、各地で迫害や弾圧を受けながらもジワジワを範囲を広げていった最中。そしてローマ帝国での弾圧から復活を経てテオドシウス1世の時代、4世紀の後半にローマ帝国でキリスト教は国教として認められてじわじわと勢力を拡大していく。そして7世紀に起こったイスラム教とやがて対立して十字軍へ……って歴史を鑑みるならいったい、どこから2世紀なんてものが出てくるんだろう。特徴的といわれる石原慎太郎さんの書き文字の「七世紀」を「二世紀」と読み間違えてしまったんだろうか。いずれにしてもこれは新聞的に拙いし、莫迦をさらす結果となった石原さん的にも拙い。校閲がしっかりしてれば間違いも訂正できたかもしれないけれれど、用字用語の誤謬とは違う、論旨や論述の誤謬を訂正できる権限を持った校閲が、あるいは存在していなかったもしれないなあ。やれやれだ。本当にやれやれだ。


【1月22日】 朝からいろいろとニュースを見ているけれど、例のイスラム国に2人の日本人が捕らえられて身代金を払えと要求されている件について、日本政府があちらこちらの国にいろいろと情報提供をお願いしているって話が流れているものの、それが例えば岸田外相が訪問している英国だったり、普段から付き合いのあるアメリカだったりして何だかなあと思ったりした、真冬。だってこの2つの国って、どちらもテロリストとは断固として交渉しないと言い張っては、何人ものジャーナリストだっけ、あとは人道支援関係者をイスラム国に処刑されていく国々じゃん。最初から交渉なんてあり得ないってスタンスのそんな国々に、聞いてどんな有効な答えが返ってくるのか、推してしるべしって普通は思うだろう。

 情報は情報としてたっぷりと持っていて、交渉の窓口だって知っているかもしれないって期待もないでもないけれど、でもここまでの対応を見てイスラム国だってアメリカだとか英国とかは密につき合う必要もないって情報を与えず、窓口だって狭めているかもしれない。そんな国々にいったい何を期待するのか。むしろ聞くなら人質を無事に取り戻したフランスだろうって思うんだけれど、そこに頼んだって話はあんまり流れて来ないんだよなあ、なぜか。だから表向き、英米といった世界屈指の諜報大国に頼りましたってニュースを喧伝させて姿勢だけは見せつつ、本腰じゃない両国の充てにならない情報でお茶を濁して時間が過ぎるのを待って、それでもやっぱりダメでしたって帰結へと向かおうって算段なのかと勘ぐりたくもなる。

 ここでちゃんとルートを持ってお金は払ったけれど、人質を帰して貰ったフランスに日本が与するのは、英米のプライドが許さないってプレッシャーもあって日本政府もだったら分かったといった態度を決め込んでいたりするのかどうか。分からないけれども何が何でも命を救いたいのなら、誰であってもルートがある人を起用して、話し合いへと持っていくのが常道であり人道なんだけれど、いつかの北大生によるイスラム国渡航問題で、名前が出てきた元同志社大教授でイスラムに詳しい中田考さんが、外国人記者クラブで会見して話したところによれば、そうした依頼はまるでないし、湯川さん解放の交渉のために去年秋に渡航しようとした時も、政府から自己責任でってことを言われたらしい。

 なるほど見ようによっては、イスラム国における日本側のフロントみたいな位置づけで、この人に協力することはすなわちイスラム国に塩を送ることになりかねないっていう判断が、政府の側にはあるのかもしれないけれど、もう起源まで何時間もないって時に、誰であってもそこに交渉の糸口があるなら、縋ってみせるのが人道って奴なんじゃないのかなあ。でもそうした見解を政府はとろうとしないし、そのお先棒を担ぐ新聞は「北大生渡航事件に関与の元教授が『交渉役』に名乗り」だなんて見出しに掲げて、いかにも怪しい人物がしゃしゃり出てきたぜってな空気を作って、読者を煽っていたりする。そしてこの記事だけ読めば、確かにそう思ってしまう人もいるだろう。

 記事は「同日は北大生の事件の質問には応じず、自身の働きかけで日本人戦闘員が誕生する可能性があったとの指摘にも、同席した弁護人が『仮定の質問に答えるのは難しい』と答えるにとどめた」とも書いていて、中田さんって人が何か責任から逃げているような印象を醸し出している。でも、実際の会見では、あらかじめ北大生のことについては答えないって明言していて、それにも関わらず質問してきた記者を窘めたってのが事の次第。そのことは会見を追っていた人のツイートで明らかになっているんだけれど、新聞の読者にはそうした事情は伝わらないぜってな態度で、いかにもな人物像に仕立て上げている。こういうことが露見していったら信頼だってなくなるのに、平気でやらかす新聞記者の横行が新聞への信頼を無くしマスコミの低迷を招いているんだよなあ。やれやれだ。ともあれ早期の解決を。そのためにはあらゆる努力を。クソコラでもそれが対話の糸口になれば良いんだけれど。

 推したのはまるで残らなかったけれど、だからといって候補に並んだ作品が面白くない訳じゃない「マンガ大賞2015」の候補作を、最終の投票に向けてつらつらと読み始める。まずは栄えある1回目の「マンガ大賞」を、「岳 〜なんなの山〜」で受賞した石塚真一さんが満を持して始めた「BLUE GIANT」。面白い! いや設定を聞いた段階ですでに面白さは滲んでいたんだけれど、もっとテンポを早めに高校生の少年が、ジャズのスターダムへとのし上がっていく話かと思ったら、4巻終わりごろまでずっと高校3年生をやりながら、ジャズの基礎を固めようってしている感じだった。

 高校のバスケットボール部で選手になって、大きな大会にも出ているくらいだら決して劣ったアスリートではないはずの主人公の少年なんだけれど、でも大学にスポーツ推薦で行くって感じでもないし、そのままプロなり実業団へと行くレベルでもない。かといって勉強で大学に進学するタイプでもない彼が望んでいたのは、ジャズで世界一になることだった。中学生の頃に聞いたジャズに打たれ、それが何か分からないままCDを聞き、そして兄に頼んで割と高めのテナーサックスを買ってもらっては、高校の3年間を毎日のようにそれを持ち、ガード下なり土手へと行ってCDで聴くままに吹いていた。

 理論なんてないし、運指とかも吹き方とかも超我流。リードの扱い方だって分からず吹いては潰してはまた買う繰り返しなんだけれども、その練習量だけは凄かったようで耳から入ってきた音楽を、どう再現するかを一所懸命にやってやってやり抜いたことで、優れたプレーヤーの音楽を体から放てるようにはなっていた。あとは運動選手としての肺活量が、とてつもなくでかい音を放てるようにしていたみたい。ただそれが災いしてか、リードを手作りしたという彼の姿勢に興味を持った楽器店の人に紹介され、行ったライブハウスでセッション中に自分は静かなジャズのボーカルが聴きたいんだと怒鳴った爺さんに、否定され追い出されるような感じになってしまう。

 それで落ち込むタイプではないんだけれど、でも自分の音楽はこれで良いんだろうかとも思い始めた彼に手を伸ばしたのが、彼の演奏をどこかで聞いたミュージシャン。あのバークリー音楽院だって出ているくらいだからテクニックは一流で、理論も完璧なはずなんだけれど、でも超一流には届かなかった彼が見ていたのは「BLUE GIANT」という存在。それは見るからに輝きを放っているプレーヤーのことで、たった一握りのその上だけがなれるものだった。ミュージシャンは主人公の少年に「BLUE GIANT」を見たようで、無償で自分の家へと誘ってレッスンする。その果てにいつか少年のことを怒鳴ったジャズ好きの爺さんを納得させて、そして少年は東京へと旅立っていく。

 そこで4巻もやっと半ば。巻末に入った後書きのような漫画には、少年が既に世界で大成功したのをいろいろな巻に出てきて少年に絡んだ人たちが、振り返って懐かしみつつ讃えるような言葉が並んでいる。学園祭のステージに2人で立った音楽教師は、サインまで貰って飾ってた。「大」。そうとだけ書いてある色紙の褪せようからすでに時間が経って、少年は凄いプレーヤーになっていたみたいだけれど、そこへと至る道が描かれるにはいったいどれだけの巻数が重ねられていくんだろう。そしてどんなドラマが待っているんだろう。

 学園祭で最初は莫迦にしていた軽音楽部の野郎どもが、少年の演奏と伴奏の女性教師のピアノを聴いて自分たちの出番はないと悟った、その感動がなおも大きなスケールで繰り広げられるのか。一足飛びにプロになってしまうのか。分からないけれどともかく凄いドラマが繰り広げられていきそうだし、そこでいろいろなジャズに関する知識も吸収できそう。何よりひとつのことに打ち込んで、徹底的に追及していくことで突破していく姿に触れられるのが楽しみ。何をやっても自分はだめだと思いがちな昨今だけれど、少年だって最初は音楽の知識があった訳ではない。3年間のひたすらな練習があってそして強い肉体があって誰よりも深い思いがあった。それが腕前を上げさせ理論を学ぶ機会を与えて一流からさらに上へと道を駆け上がらせた。思いだけなら誰だって抱ける。それを持続させさえすれば何かしら道は開ける。そう信じたくなるストーリー。これがやっぱり大賞かなあ、いやいや他も強敵だしなあ。

 ひい。何が話されたのか、これほど書けない「マモルの部屋」も初めてかもしれない「THE NEXT GENERATIONパトレイバー第7章」を受けて押井守監督をホストに縁のある人たちを招いて話す「マモルの部屋」は誰あろうヘッドギアの1人でパトレイバーのデザインを手掛けた出渕裕さんと、そしてアニメーション版のパトレイバーでパッケージメーカー側のプロデューサーを引き受けた今はバンダイナムコゲームス副社長の鵜之澤伸さんが登壇して言葉による殴り合い……じゃなかった過去を振り返って懐かしさにいろいろな感情を惹起させる時間を見せてくれた。アニメーションの世界も割と長いはずに出渕さんが、押井さんと接触したのは「紅い眼鏡」からだったってのはちょっと意外。プロテクトギアのデザインなんだろうけれど、そこから組みつつ「機動警察パトレイバー」へと至った濃密な時間はきっと一生に残る何かになっているだろう。どう残るかは人それぞれだけど。

 もちろん因縁がない訳じゃなくって、最後の締めの挨拶で、やっぱり話を飛ばさないで欲しかったかなって出渕さんが振り返ったように出だしでいろいろあった実写版。ただ終わってみればしっかりと「パトレイバー」していた上に、残る劇場版はまさしくアニメの「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」の続きな訳で、それを生み出した鵜之澤さんも出渕さんも、やっぱりいろいろ思うところもあるんだろう。公開の暁にはその内容も鑑みつつまた、3人で対談を繰り広げて欲しいかなあ。それくらい刺激に溢れた時間だった。鵜之澤さんはそれより以前に目下待機中の「GARM WARS The Last Druid」があるはずなんだけれど、それがいつ公開でどうなるか、って話はしなかったなあ、宣伝めいたこもなかったのは何でだろう? まだ未定なのかな公開時期。そしてその後に1本、別の作品も撮ってたってことが分かって押井さんで今年いっぱいを楽しめそうな気がしてきた。「THE NEXT GENERATION パトレイバー」で1年、楽しませてもらった上にさらに1年。この歳になって押井さん尽くしの数年を過ごせる幸運を喜ぼう。そして10年が空いた……なんてことはならないように。実写版パトレイバー、また作ろうよ。今度はヘッドギアも全員そろって。


【1月21日】 斉藤仁さんというと現役の時は、どこかトボけた雰囲気も持ってそれでいて強い山下泰裕さんとは対称的に、ストイックさが前面に出ていてとっつきにくいなあ、って雰囲気もあったんだけれど、現役を退いてからは優しそうで親切そうで、それでいて厳しさも保って後進の指導にあたる柔道家、ってイメージになっていたっけか。全日本では終ぞ山下さんに勝てず、当時の史上最強を意味した無差別級はいつも山下さんに譲ってロサンゼルス五輪とソウル五輪では95キロ超級で金メダルを獲得。それだけ見れば凄い柔道家ってことになるんだけれど、やっぱり無差別級で勝ってこそって思いもあっただろう。まあそれも人生。ただ生涯まで山下さんに負けてしまうこともなかったんじゃないのかって残念に思う。54歳で急逝。その柔道家としての偉績を記憶しつつ、日本の柔道のここしばらく低迷が続く重量級での再生を願いたい。合掌。

 毎日映画コンクールが発表になっていて、大賞に桜庭一樹さん原作で熊切和嘉監督の「私の男」を選んでいたり、監督賞に「そこのみにて輝く」の呉美保さんを選んでいたりと独自色を出していて、メジャー偏重な日本アカデミー賞との対比をさらに際だたせていた感じだけれど、そんな毎日映画コンクールにはアニメーションに関する部門が2つあって、そのうちのアニメーション映画賞は西久保瑞穂監督の「ジョバンニの島」が受賞。ほかにどんなノミネートがあったかは分からないけれど、作品としては極めて優れてそして強い印象も残した作品なだけに、他に何が並んでいても順当だって思える。エントリー制だからスタジオジブリの作品は、もしかしたらエントリーされていなかったかもしれないけれど、でも比べて「思い出のマーニー」なら、やっぱり「ジョバンニの島」になるかなあ、僕は「マーニー」大好きだけど。

 そしてもうひとつのアニメーションに関する賞で、歴史的なアニメーション作家の名を冠した大藤信郎賞に、小野ハナさんていう去年に東京藝術大学大学院映像研究科のアニメーション専攻を終了した人が作った、「澱みの騒ぎ」っていう作品が輝いていてちょっと驚いた。でもこの作品なら受賞も半ば当然っていうか、そんな気持ちもあったりする。アニメーション映画賞が出来た1989年度を境に、ちょっぴり性格も変わっている大藤賞だけれど、商業作品も含めて商業的な媒体としてアニメーションを取りあげ、評価する賞ってのがほとんど唯一だったという意味で、アニメーション好きとしてこの賞に注目してきた。宮崎駿監督の作品を、「ルパン三世 カリオストロの城」や「風の谷のナウシカ」で取りあげやっぱり分かっているなあという感じと、そして評価してくれてありがとうという意味から、大藤賞をある種の“権威”として讃える気持ちもあったし、今もちゃんと持っている。

 2002年度には今敏監督を「千年女優」で表彰していて、文化庁メディア芸術祭とか東京アニメーションアワードでの表彰とはまた違った意味を感じて、さらに信頼を高めていったその大藤賞を、制作時はまだ学生だった小野ハナさんが、学生の作品として初めて受賞したというからこれは快挙だし、驚きだし、そして歓喜でもあったりする。藝大院で先生として教えてくれていた山村浩二さんですら、内外のアニメーションフェスティバルを総なめにしながら、大藤賞は「カフカ 田舎医者」での受賞がただ一度。その賞を生徒さんで新鋭のアニメーション作家が取るってことの意味を世界は、もっと強烈に受け止めなくちゃいけないんだけれど、ベルリンでの熊だとかアメリカでのオスカーといった外圧的な権威には弱くても、日本の信頼ある権威にはまるで無関心だからなあ、日本のメディアは。でも知っている人は知っている、その受賞がどれだけ凄いかってこと。だからおめでとうと声を挙げる、小野ハナさんに対して、日本の大勢のアニメーション関係者たちが。

 さてその受賞作「澱みの騒ぎ」は、見れば受賞も納得の超逸品。というかこれを見て何も感じないでいられる選考委員がいたら、それこそ朴念仁って思えるくらいに濃密で濃厚なメッセージを、その鮮烈なビジュアルとともに放っている。ちょうど去年の3月10日に、藝大院の修了展で見たときの感想があったんで引っぱると、「無職なのか働く気がないのか、いつも家にいて飲んだくれている父親に対して娘がまずとんでもないことをしでかし、そして朽ちていく日々の中でその影響から脱しようとして逃げられず、戻って打ち据え忘れようとしても忘れられないで絡め取られていく展開に、あるいは現実にも起こっているそうした嫌悪と依存でつながった親子関係がもたらす悲劇ってものを、改めて突きつけられた感じ」って書いてあった。

 いやもう衝撃的なイントロから、ドロドロとした空気の漂う中でモノトーンのドラマが淡々と進んでいくというストーリー。「あれは遺影かそれとも記念写真なのか、フレームに収まって登場して、優しげで理知的な表情を見せている父親がどうしてああなり、どうして娘は踏み切ったのか。弱者が切り捨てられ真っ当な人でも生きづらい世の中で、一度底辺へと落ちたら二度と這い上がれない今の社会の問題ってものも、そこに見えて胸苦しくなる。ただの怠惰が招いた悲劇なのかもしれないけれど、そうした怠惰へと人を陥れる何かがやっぱりあるんだよなあ、だから消えない悲劇の連鎖。どうしたものか」。時代は1年が過ぎてさらに生きづらくなっている。そんな澱んだ空気に覚えた憤りや嘆きが、現れた作品だからこそ受賞させたのかなあ。もちろん絵としても動きとしても素晴らしかったし。元はボカロのPだったという経歴が、こう変わっていくのも不思議。次にいったい何を見せてくれるのか? 楽しみにして追いかけていこう。

 白くて円くて輝いているのが真珠だと思っていたら、どうもそうでないらしい、って気づいた第26回国際宝飾展の東京真珠のブース。ガラテア・ジュエリー・バイ・アーティスト社ってアメリカの会社が来ていて出していた黒蝶真珠は、表面が削られ刻みがつけられていて名の真珠核がのぞいている。それは石なのかガラスなのか分からないけど、でも青い球形だったりして、それがのぞいて黒蝶真珠の表面の黒灰色とコントラストを成して、えもいわれぬ雰囲気ってやつを醸し出している。言うなればとても格好いい。まるで松本零士さんが描く機械化された惑星のようっていうか、そんなハイセンスなデザインを自分で行って、自分の会社で加工させているのがチー・ウィンさんというアーティスト。そういう真珠を考えつくのも凄いけれど、そのために加工に適した真珠を作ってしまったのも凄い。そして今度は中にNFCのチップを入れてスマホに連動させて声をセットで贈ることができるようにしたとか。考えるなあ世界の人は。常識を超えて市場を作り出す凄さを改めて感じたという、そんな展示会。1億円を超える純金の壷も良かったけれど、ちょっと買えない、買えても置き場所ないけれど。

 たぶんそう感じている人は多いんだろうけれど、でもやっぱり人として何かを成そうとしてその場へと赴いた人が、危険な目にあったのならそれをどうにか救ってあげなくてはと考えるのが人道というもの。でもそうした人の道に棹を差すように、とあるオレンジ色の夕刊紙は「人質2人『死』覚悟 シリア入り」って見出しをぶち上げ、誰にも責任はないから勝手に処刑されてくださいと言わんばかりの雰囲気を醸し出そうとしている。なおかつその見出しの横には、「身代金拒否」という大見出しが。つまりは政府は殺されるのを分かって勝手に行った人間に対して、身代金なんか出す考えはないんだよっていうのを、代弁しつつそれを当然とする流れを作り出そうとしている。それが阿りを旨としたスタンスなんだろうけれど、でもやっぱりちょっと外れた人の道。見て感じたそうなのかもしれないけれどそうあっては欲しくない感が、夕刊紙への気分となってどういう結果を招くのか。忌避か賞賛か。結果は遠からず出るだろう。いやもう出ているか。日ごろが日ごろだし。


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